幻想郷は全てを受け入れる? それはとても残酷な話?
人間は終わりを拒む力を手に入れて。妖怪は終わりを拒まずに受け入れただけの話。
妖怪は物語。前に言っただろう。
生きていようが死んでいようが、終わったらそこで終わり。
連中が以前のように、楽園の外を闊歩する為には……また新しく≪物語≫を始める以外に、手はあるまいよ。
チャプター1 : パトロン狩り
目が覚めて、最初に感じたのは、幸せだった。
「……あったかい?」
私の家は山の中で、今は真冬の日の出前だ。
分厚い布団や湯たんぽで備えても、朝の寒さは強烈苛烈、の筈なんだけど。
「んーふふふ……」
どうやら、この抱き枕が凄いらしい。
暖かくて、柔らかくて、いい匂いまでする。
「しやーせー……」
ようやく原稿との闘いを終えた身としては、余りにも甘美な抱き枕だった。
今日、この朝くらいは、二度寝を決め込んでも良いのではないだろうか。
いや、良いに決まっている。
「おやすみなさぁー」
「おい射命丸。いい加減起きろ」
抱き枕から声が聴こえる。
やれやれ。寝具が目覚めよとは、中々笑わせてくれる。
だが今の私の、二度寝への想いは青天井。無機物の囁きに負けてたまるか。
「煩いわね。貴方は黙って抱かれていれば……んん?」
ていうか、そもそも、抱き枕なんて買ったっけ?
確かめるように手を動かすと、抱き枕が小さく揺れた。
「こらこら。くすぐったいじゃないか」
「……んむー?」
顔を離し、目を擦って、喋る抱き枕に焦点を合わせる。
そこには枕では無く、女の顔があった。
透くように白く、整った顔立ち。
闇の中でも煌く、柔らかな金の髪。
その上に載る金色の狐耳と、布団を異様に膨らませている、金色の九本の……。
「しっぽ……は? まさか、藍!? 八雲藍!?」
「おはよう。良い夜だったな」
「そっ、それはどういう意味で!?」
「いや、月が綺麗だったなと」
「判断に困るコト言うな!」
毛布と布団を蹴っ飛ばし、ついでに狐も蹴り出した。
「もう、痛いじゃないか」
「いや意味が分からない。なんで貴方がここに? 何なの?」
「お前に用事があるから、お前の家に来たんだ。何もおかしくはあるまい」
「時間帯も待ち方もおかしい。ていうかどうやって入った」
「そんな事はどうでもいいだろう……喜べ射命丸。特大スクープを持ってきたぞ」
そう言うと藍は、敷き布団の上に戻って正座して、小さく手招きをした。
表情は真剣に見えるけど……スクープだって?
一応警戒しながら、彼女のすぐ前に座る。
「私の眠りを妨げるに値するネタなんでしょうねぇ?」
「霊夢が里人に殺されそうになった」
「おひゅっ」
思わず情けない声が漏れ、勝手に身体が仰け反った。
「ごめん、もう一回言って」
「霊夢が里人に殺されそうになった」
……聞き違いじゃ無かった。
寝耳に硫酸でもぶっかけられたような気分だ。
いくら何でも、ありえるのか、そんな事が。
「いや……殺され、いやいや。え? 冗談でしょ?」
「冗談じゃないよ。銃器による射殺未遂だ」
「しゃさつってなに……」
「銃で撃ち殺す事だよ」
「いや知ってるけど、知ってるけど!」
射殺なんて単語、幻想郷が出来てから、初めて聞いたかもしれない。
いや。里人が巫女を、なんて話自体が初めてだけど。
「ああ。もちろん阻止されたよ。霊夢にも、事は気が付かれていない筈だ」
「それは良かった、けど。犯人の里人って?」
「例の結社を追い出された、致命的な愚か者達さ。当然その全員に、然るべき措置は取った」
「……そう」
想像以上に恐ろしい話だった。博麗の巫女を、人間が?
計画されただけでも危険だというのに、それが、未遂まで辿り着いた……。
カフェインに頼るまでも無く、眼が覚めてしまった。
こんなに不快な目覚めもそうそうあるまい。
「ひとまず、解決はしてるのね」
「ひとまずね」
「……一応言っておくけど。これは流石に記事にしないわよ」
私にだって、それ位の分別はあるつもりだ。
「新聞記者としてのお前に用は無いよ」
「さっき特大スクープとか言ってたクセに」
私の言葉には答えず、藍は更に近づいてきた。
「本題は、ここから」
そのまま、ゆっくりと。
艶っぽい唇を、私の耳の傍に寄せる。
「……くすぐったいから早く言って」
「天狗が、霊夢殺しに加担したんだ」
一瞬、意識が遠のいたような気がした。
「あっ、あはは。お狐様は人が悪い」
ちょっと胃液が昇ってきた感じがする。耐えろ、耐えろ私。
「でもちょっと悪趣味ね。冗談は楽しいものであるべきだわ」
「信じたくない気持ちは分かるが……ほぼ確定と言える」
「丘に帰れ……ッ! 丘にッ……!!」
「待て待て待ッ、首から手を離ッ、死ぬッ!」
しまった。私としたことが暴力に訴えるなど。
「く、国だけじゃ飽き足らず、山まで切り崩そうっての?」
「げほっ。ば、馬鹿を言え。紫様の傘は痛いんだぞ」
更に詳細な話を聞くたびに、頭痛が重さを増してくる。
銃器の横流しと無許可での銃器運用指導。
是非曲直庁管下の施設とその管理者達……つまり地霊殿への襲撃。
そして、博麗の巫女暗殺未遂。
この全てに天狗が関わっているワケだ。
ここまでやれるのは、そこらのヒラ天狗の単独犯じゃない。
ある程度地位のある者が率いる集団が、組織立って動いている筈。
……それらを、お天道様の下へ引きずり出せだって?
「きのうの、ばんごはんが、のどに、のどに」
「大丈夫か? 水を持ってこようか?」
割と本気で心配してくれているのが、却って腹立たしい。
「それより、なぜ私に話を? もっと権限のある天狗が、他に山ほど居るでしょうに」
頂点たる天魔様と管理職の大天狗達。
この2つを纏めて、大会議と呼ぶ。
更に、大会議監査室と呼ばれる彼らの部下……まあ、ぶっちゃけ私兵だけど。
そして、各天狗の頭領。各部署の長が下に続くわけだ。
では私、射命丸文は?
なんと報道二課の、主任である。ヒラの一個上だ。
しかも部下は居ない。書類上だけの地位だ。
最古参クラスで、こんな立場に居るのは私だけ。
そうなるように、あの手この手を駆使してきたのだから、当然だ。
「不穏分子がどこまで喰い込んでいるか分からない。高い地位の者や専門の人員に、いきなり事を話すのは危険だよ」
「だから私に? 古参で、低級で、自由が利くから?」
「それもあるが……私はな、お前を信頼しているんだよ」
「うわぁ。ここまで薄い言葉もそうそう無いわよ」
「本当だとも。それがどういう意味かはともかくね」
藍は口元を袖で隠し、くつくつ、と小さく笑った。
どうせ、ろくな意味じゃないんだろう。
「さて。それでは、改めてお前に頼もう」
「やだ」
「生死も、正狂も問わない。加担者を私の下に連れて来い。なんなら、人物を特定するだけでもいい」
「他を当たって。そもそも、何であんた達の指示に従う前提なのよ」
「そうか……まあ予備案はある。お前が嫌なら、それで解決するさ」
残念そうな表情で肩を落とし、私の目を、覗き込むように見つめてくる。
……恐らく藍は、最も優しい案を提示しているのだろう。天狗が内々に、最低限の外圧で、事態を処理できる案。
彼女がどれだけの予備案を抱えているのかは分からない。
確かなのは。八雲藍による強行捜査か、八雲紫への報告が、案の中にあるという事。
前者なら、恐らく天狗社会はただでは済まない。
国を傾ける大化生に、賢者の方程式が載っている。主のそれを除けば、崩せないシステムは存在しないだろう。
後者なら、何も分からない。
何が起きるのか見当もつかない。これほど恐ろしい事も、他にあるまい。
つまり。要請を断るのが、一番ヤバい。
「なるべくつよいおさけがのみたい」
「承諾感謝するよ。まあ上手くやれ、何とかなるさ」
「雑な声援をどーも……」
「私は積極的には介入できないが。橙には話をしてあるので、必要なら使ってやってくれ」
「えー、貴方の式神? 大丈夫なの?」
とてもじゃないが、大事な案件を任せられるとは思えないけど。
「橙は凄いぞ。見ているだけで元気が湧いて来るからな」
「あーそっスか。ハイハイ」
「あ、もし失敗したらお前を私の式神にするから」
「絶対いやです」
「そうなりたく無ければ、気張ることだ」
発破かけてるだけだと思うけど……目つきがヤバい。
「あと、これを」
彼女が私に寄越したのは、ボロボロの護符だった。
茶色く変色し、今にも崩れてしまいそうだ。
「地底の襲撃者が使っていた、延命符だ。粗末な出来だが、確かにその人間は長生きした」
「これは、今回の件と何か関りが?」
「分からん。敵の中にこういうのも居た、というだけだ」
「ふうん」
こんな物を使ってまで長生きして、地底を襲ってお終いか。
その人間は、一体何を成したかったんだろうか。もはや、知る事も出来ないだろうけど。
「そして最後に一つ」
「まだ何かあるの?」
藍は袖で口元を隠し、楽しそうに微笑みながら言った。
「お前、寝顔は随分と可愛らしいんだな」
「失せろクソギツネ!!」
「では、そのように」
とっさに枕を投げつけるが、既に藍の姿は無く、薄い煙と微かな甘い香りだけが残っていた。
「……どうしてこうなった」
日頃の行いが菩薩越えの私が、何故このような目に。まったくもって理不尽だ。
台所で気つけの酒をイッキしていると、朝日の光が窓から差してきた。
もうすっかり、目が覚めてしまった。
丸一日怠惰を決め込むつもりだったけど……局に行って、領収書の処理でもやろうかな。
ついでに軽く情報でも掘って見るとしよう。
こんな事になるなら、意地を張らずに昇進しておくべきだったか。
でも、すぐに頭を振って思いを消した。
判子押しと会議と接待。そんなモノで摩耗していく日々は御免だ。
とはいえ、押し付けられた面倒を歓迎できるわけでも無く。
「社会と狐に災いあれ……!」
二杯目の酒を一気に煽る。
そうだ、領収書を処理したら更なる気つけに……椛かはたてをからかいに行こう。
▽
「ふぐぐぐ……さ、さむ」
手袋、セーター、マフラー、ストッキング。
防寒具を纏い、風を私から遠ざけても、まだまだ寒い。
晴れの日中でこのザマだ。曇や雨となれば半生半死。
冬の空は大昔から、ずっと過酷なままだ。空用ストーブの発明が待ち遠しい。
さて。一連の事件のバックを引っ張って来いと強要されたワケだが、実は心当たりがある。
「……まずは拝戸さんよねぇ」
高い事務能力と人当たりの良さを武器に出世した、陽気な御老体。烏天狗頭領の側近の一人だ。
本人曰く、かつて退治されかけた時の傷が悪化したらしく、現在は半分隠居状態となっている。
彼こそが、反幻想郷思想を持つ天狗の纏め役であるという噂は、事情通の間では有名だ。
「これさえ無ければ、良い人なんだけどなぁ」
調べない手は無いだろう。
本人には顔見せ程度に留めておいて、彼の周辺を洗う方がいいだろう。
と、思索している内に報道局に到着だ。
しかし、中に入ってすぐに足が止まる。
「……およ?」
何やら、局内が騒がしい。複数人が駆け回り、不安と困惑が混じった声が飛び交っている。
これは、活気から来るそれではない。何かあったのだろうか。
嫌な予感を胸中に抱えつつ、私の職場である報道二課にけ足で向かう。
「おはようございます」
そしてここも、やはり例外で無い。
「本当に本当なのか? 間違いないのか?」
「詳細は不明ですが、確度は高いかと」
「前触れも無しにありえるのか? いくらなんでも……」
見知った顔が、見慣れない表情で、何かを囁き合っている。
そのうちの一人に声を掛ける。
「課長。おはようございます」
「やっときたか。この非常時にどこへ行っていた! 仮にも主任だろお前!」
私の上司だ。顔の怖さに比例した厳しい男だけど、ここでは希少な、信頼のおける天狗でもある。
「たった今出勤したんですよ。非常も何も知りませんて」
「この……まあいい。今日は、お前に説教を垂れる暇は無い」
「一体、何があったのですか?」
「一大事だ。そして、まったく訳が分からんのだ」
腕を組みなおし、低く唸る上司。
威嚇かな? と失礼な感想が脳裏を掠め、思わず口の端が微かに上を向く。
しかし私は、課長の言葉を聞いたその時。
「拝戸さんが治安局に拘束された」
「こッ!?」
思わず黒目も上を向いた。
「治安局員に連行される拝戸さんを、一課の天狗が目撃している。公的な発表はまだだが……どうやら事実のようだ」
「なるべくみっともなくわめきたい」
「おい、どうした。顔色が悪いぞ」
これは無い。有り得ない。有ってはならない。
治安局とは、山内の治安維持を主業務とした部局。つまり、天狗の警察だ。
設立の経緯から、不遇な立場にあるけれど……その権限は本物。
一番調べたい人物が、まさかの拘束。
彼の周辺にも調査が及ぶだろうし、間違いなく調査に深刻な影響が……!
「め、面会は! 面会は可能なんですか!?」
「拘束の理由も分からん内に、そんな事が分かる訳ないだろ。慌てるんじゃない」
「失礼します」
課長に食ってかかっていると、入口にバインダーを抱えた烏天狗が現れた。
「小桜課長。お時間よろしいですか?」
「なんだ」
苗字は無駄に可愛いんだよねこの人。
「今朝の件で、課長以上の役職者へ報告を行います。至急、会議室へお越しください」
「分かった。すぐに行く」
「課長! 面会の事、必ず聞いてくださいね! 美少女との約束は絶対ですからね!」
「ついでに、お前の永続的な減給も提案しておく」
「ひどい」
冗談の分からないお方だ。やれやれ。
部屋を出ていく課長を見送ってから、ほとんど荷物置き場と化したデスクで、持ち物の再編を行う。
予定変更。報告会はどうせ昼を跨ぐだろう。待ってなど居られない。
まずは、拝戸さんの邸宅へと行ってみよう。
▽
「まあ、そうだろうとは思ってたけど」
上流の住宅地域から少し離れた場所にある、彼の邸宅。
周辺には規制線が張り巡らされ、青地に白抜きで≪執行≫と書かれた腕章を着けた天狗が、忙しなく動き回っている。
その様子を、既に数人の烏天狗が撮影している。
「ふうん……執行課が、ね」
そのうち、玄関前に居た局員の前に降り立つ。彼の腕章もやはり、執行の文字。
「どーもー。清く正しい射命丸ですー」
「あーはいはい。取材は禁止なんで、どうぞお帰りを」
「およ。今日は随分とつれないですね」
普段なら、少し位は話してくれるんだけどなぁ。
目の前の彼は初対面だけど、規則に固執する類の天狗には見えない。
「上が妙に厳しくてねぇ。粘っても損しかしないよ」
「そこを何とか。この笑顔に免じて」
「悪いけど、珍しい指示まで出されちゃったもんで。お互いの平和の為にも、ね?」
彼は苦笑いを浮かべて目線を外し、腰に差した直刀に触れ、わざとらしく揺らして見せる。
金具が奏でる小気味のいい金属音は、冬の寒さとは異なる冷気を纏っていた。
なるほど。これは。
「……仕方ありませんね。今日は帰ります」
「すまんね。お気をつけて」
「そちらこそ、風邪など引かぬよう。では!」
翼を広げ、飛び立つ。
少し離れた、邸宅から見えない位置の木に止まり、おやつとして常備している金平糖を頬張る。
いくら何でも、ちょっと物々し過ぎやしないか。
初っ端から物騒を仄めかす辺り、かなり強い指示が下っているのだろう。
それほどの事を、拝戸さんはやらかしたのだろうか。
「あるいは、治安局の方が何かを……」
……いや、根拠の無い憶測ね。
原稿を書くわけでも無し。この辺にしておこう。
再び飛び立ち、今度は報道局へと戻る。
まだ時間が早いし、会議終わって無いだろうなぁ。
領収書だって大して時間かからない。といっても、取材に行くほど時間が余る訳でもないし……どうしよう。
なんて考えは、いい意味で裏切られた。
「あれ、課長?」
課に戻ると、そこには既に課長の姿があった。
「思いのほか早く終わってな」
「で、どうだったんですか?」
「局員用の資料があるから、それを見ろ」
そう言って、一枚の紙を渡してきた。
それには、拝戸さんの拘束に関する概要が書かれていた。
情報量は片手で数え切れる程度だけど。
「拘束理由は賄賂と脅迫……これ、本当なんですか?」
「俺も信じられん」
そう言った罪には無縁だと思っていたけど。
というか、拝戸さんは一度、潔白が証明された事がある。
彼の躍進に疑問……というより嫉妬を抱いたある天狗が、粗を探そうと徹底的に調査したのだ。
結果は白。実力と、人事異動などの動きに運良く乗れただけ。という話だったそうな。
「酔ってセクハラの方が、よほど信憑性がある」
「ですよねぇ。ところで、面会の方は……」
「すぐには無理だが、出来る事は出来るそうだ」
よ、よかった。
数分でも、話せるのとそうで無いのでは、大きな差がある。
後で、治安局へ申請しに行かないと。
チャプター2 : 明石課長の憂鬱
憂鬱だ。
出来る事なら自室に篭り、酒と溜息を嗜むだけの、寂れた動物に成り果てたい。
部下の手間そんな態度は出来ないのが、尚更に辛い。
拝戸の爺さんを拘束して3日目。僅かな後悔が心中に生まれつつある。
「明石課長。お待たせしました」
「では、行くか」
報道局の要人を、不当に拘束。
秘密を白日の下に晒し、好き放題に啄む連中だ。こんなネタを放ってはおくまい。
同じ烏天狗の身だから、よく分かる。治安局などに飛ばされなければ、私も笑顔で箸を刺しただろう。
完全な隠蔽は、不可能に近い。
ではなぜ、こんな馬鹿な真似を?
仮にそう尋ねられたとして、答えられない。
それを今から聞きに行くのだから。
取調室の扉を開けると、老いた容姿の烏天狗が、陽気な表情で片手をあげた。
「やあ明石君。お疲れのようだが、大丈夫かね?」
「おかげ様で」
「これ、陰気はいかんぞ。男前が台無しじゃないか」
全く以て、腹立たしい。
「冗句は結構。いい加減、教えてくれませんかね」
「え、何を?」
「……何故、銃を増やした。何故、人間にそれを渡した」
銃の名は、シャスポー銃。後装式の単発ライフル銃だ。
落丁した辞書を持つ皇帝からの贈呈と、幕府の買い足し。実に数千丁を超える数が当時の日本にはあった。
幕府はこれを大名諸国に販売し利益を得るつもりだったようだが、先行して輸入された銃からシェアを奪えなかった。
結局、幕府軍が僅かに使用しただけで、倉庫の肥やしになっていたという。
結界が閉じる直前に、好事家の天狗が幻想郷に持ち込んだのだろう。
それを、どうやってか手に入れて、河童に渡しグラースと呼ばれる銃に改造。
改造は比較的容易らしく、これで金属薬莢を用いた弾薬を使えるようになる。これらを必要数量産した。
部下の報告が正しければ、こうした経緯らしい。
単発式のライフル銃とその弾薬。
これらを、この男は人間に渡した。
外の世界では歴史資料か、あるいはコレクションとしての価値くらいしか無い。
だが、ここは幻想郷だ。
「銃もそうだが。まさか、弾薬まで作るとは……正直唖然としましたよ」
「よく分からんが大変だな」
「人間達は盛大に失敗しました。博麗の巫女と、命蓮寺まで巻き込んで」
博麗の巫女。博麗の巫女だぞ。
あれを人間が殺そうとした? それを天狗が後押しした?
タブーで腹が一杯だ。今すぐにでも、内臓ごと吐き出してしまいたい。
「で、だから何かね」
「賢者共の耳に入るのも、時間の問題です。下手をすれば、山の支配権さえ危うく……」
「明石君。回りくどいよ」
「は?」
腕を組んで、ふんぞり返り、彼は言う。
「天狗云々じゃない。君自身は、儂に何を言いたいんだね?」
……何もクソもあるか。陰気はどっちだ、この野郎。
「宜しいのですか?」
「宜しいとも」
「では、僭越ながら申し上げます」
人払いまでしているんだ。大声は出せない。
ありったけの怒気を込めて、なおかつ、低く細く声を張る。
「行動を起こす時は、必ず共有するって約束だろうが……!」
「知っているとも」
「何を白々しい。それが資産と情報を共同運用する条件だと……貴方から持ち掛けたんですよ」
「そうだとも。お前さん何か勘違いしとらんか。儂はそれを破った事は無いぞ」
拝戸の爺さんには、天狗における反幻想郷の元締めなのでは、という噂がある。
これは、ほぼ事実だ。
厳密には、天狗内に散らばる反幻想郷同士を繋げるパイプ役と、それらが軽率な行動をしない為の監視役を兼任している。
今回、その監視役が軽率な行動に出てしまったのだ。
「貴方の部下が動いているのは確認済みだ。貴方の対応次第では、彼らも拘束する」
「それだよ。儂は勝手をした部下の事を調べていたんだ」
「資産や情報は共同管理しているんです。銃を造る元銭は? 実際、かなりの額が消えてましたよ?」
爺さんだけ自爆するなら勝手にすればいい。
だが、芋づる式に我々が反幻想郷である事までバレたら、不味い事になる。
ただでさえ、冷遇部局に居るのだ。最悪、居場所すら失いかねない。
……爺さんの豹変の理由は分からないが、もはやこいつは厄介者だ。
我々のグループが、引き継ぎ、主導する。
「話す気が無いのなら結構。こちらに書類を渡して頂く」
「何だって?」
「同志の名を連ねた名簿と……大結界の構造調査記録。こればっかりは、忘れたとは言わせませんよ」
どこかのグループに危機が迫っても、その他に波及しないよう、グループ間の交流はあえて希薄に保っている。
全員の名を知ることが出来るのは、爺さんが持つ名簿だけ。
そして調査記録……大結界の構造に関する、だ
爺さんが主導権を握るに至った理由の一つ。
それが正しい物かは分からない。なにせ、答え合わせなど不可能に等しい。
だが、我々にとっては、まさしく縋るに値する藁なのだ。
「まあ、今日はここまでにしておきます。後日、改めて所在をお聞きしますよ」
「そうかい。次の飯が美味かったら考えてやるよ」
零れかけた溜息を堪えながら、部下と共に部屋を出る。
外には、別の部下が待機していた。
「お疲れ様です」
「何かあったのか?」
「実は、拝戸氏の邸宅に報道の連中が押し寄せまして」
「予想通りか。散らせたか?」
「はい。ですが、その中に射命丸が居たとの事です」
射命丸か……奴は少々厄介だ。賢しく、腕も立ち、何より行動力がすさまじい。
風法師、空跨ぎ、朽葉攫い。奴も色々と渾名が付いたが、未だに暴風小娘が一番しっくりくる。
小娘といっても、私より年上だが。
最近は随分と大人しくしているようだが、留意しておくか。
「監視をつけますか?」
「不要だ。気づいて逆探されたら困る。それより他所の動き……事務局や自警団の様子はどうだ」
「調査途中ではありますが、現状目立った動きはありません」
「そうか」
連中が動き出すと厄介だ。このまま静観してくれればいいが。
事務局の方には、あらかじめ種を仕込んでおこう。どこかのタイミングで、利用できるかもしれない。
逆に、自警団は根回しが難しい。
私の人脈は、そちら側には希薄だ。その動きには注視する必要がある。
やる事が多い。疲れる。
当然だが、通常の業務もやらねばならない。今なら、気怠さで神をも殺せるのではないか。
……もう何度目かも分からない溜息を、物理的に飲み込むべく、給湯室へと足を向けた。
チャプター3 : 空中戦闘訓練
珍しい事もあるものだ。珍しい事が同時に2つも起きるだなんて。
「えーっと。2人で分隊。分隊を2つ合わせて小隊。んで、小隊を3つで中隊に……合ってる?」
「合ってますよ」
「で、椛の所属は」
「九天分団哨戒大隊第三中隊第四小隊」
「……自警団ってややこしいわ」
「そうですかね」
その一つ目が、はたてさんだ。
あの引き籠りが、何と自警団を取材しにやってきたのだ。
『そういえば、自警団の事ってあんま知らないなーって』
その行動力を、普段から発揮すればいいものを。
「身体に色々と付けてるのが、仕事道具?」
「制空装備という身軽な装備です。名前は空ですが、地上でも使います。今提げている武器は訓練用ですが」
「ふーん。じゃあ、沢山つけるバージョンもあるんだ」
「滅多に使いませんが、襲撃装備なんかは結構重いですね」
「それ見られる?」
「面倒な書類を書いて、偉いさんの判子でスタンプラリーをやる必要が」
「その辺は報道局と同じなんだねぇ。盾に描いてある紅葉は、ダジャレ?」
「紅葉は九天分団の団章です」
余りに急だったので、部隊や装備の説明しかできなかった。
だが今日は、少し特別な訓練がある。それを最後に見てもらおう。
「犬走、そろそろ」
「はい。すぐに」
先輩に呼ばれた。そろそろ準備しないと。
「はたてさん。すいませんが、後は訓練を見てください」
「あ、待って。最後に一個いい?」
「何でしょう」
「椛の同僚さん達さ。妙にピリピリしてるというか……訓練なんだよね?」
「教導隊を相手に、空中戦の模擬戦をします。ただ今回は、成績が良ければ特別報酬がありまして」
そう。これが、2つ目の珍しい事。
「何か貰えるの? お米とか?」
「臨時休暇です。信じがたい事に」
私達は、余りに異質な褒美に、喜ぶことが出来なかった。
新米や中堅は得体の知れない恐怖に怯え、ベテラン達は揃って頬を抓り合った。
それ程に、衝撃的な褒美なのだ。
▽
鮮やかな冬の青空を、隊列を組んで飛ぶ
いよいよ、私達にとって重大な戦いが始まる。
小隊長が再度、簡単に説明をする。
「今回は、事前の警告は行わない。対抗部隊と交錯したら状況開始だ」
哨戒天狗の仕事は基本、ローテーションで巡回や見張りを行う。
休日は決して多くない。もし別任務が割り当てられたら、遠く延びた振替休日に思いを馳せる羽目になる。
「先生方が相手だが、気後れするなよ」
有給も、自由に取るのが難しい。
ただの連休も、他の部局に比べればかなり少ない。
だから、この機を逃す訳にはいかない。
「犬走。信号弾射出。色種は開始合図」
「信号弾。開始合図。了解」
妖力を指先に集めて、射出。
花火のような音を立てて妖弾が飛び、弾ける。
「気張れよ諸君……ついでに有給もブッ込んで、全員で連休を味わおうぜ」
「「「了解」」」
それが通る可能性は限りなく低いが、意気込みは大事だ。
今日は晴天。しかも空の中とあれば、千里眼を使うまでも無く……見つけた。
装束を薄黄色に染めた部隊、敵役の教導隊だ。
「敵性を視認。数は4。我に正対、敵方低位」
普段は使わないお固い報告。
正式な訓練だから、一応真面目にやらないといけない。
「1分隊が攻撃する。2分隊はこれを援護」
「了解。椛、行くぞ。援護位置へ移動」
「了解」
しゅばるむ、と言う編隊戦闘法に従い、1分隊より高度を取り、援護位置へ。
最近になって戦研隊や教導隊から降りてきた新戦術だ。
この模擬戦は、新戦術をしっかり学べているかのテストでもある。
「……3、2、交錯、今」
「状況開始、状況開始」
交錯後、即座に反転。
密集したまま飛び続ける教導隊の、背後を取る。
「何考えてんだ、先生方は」
「さあ……あ、1分隊が攻撃を開始」
「頭抑えるぞ。撃ちまくれ」
「了解」
樢子さん――1分隊の団員――が抜刀。隊長から弾幕で援護されながら、教導隊に向けて降下開始。
私達も彼らに上昇されないよう、空に蓋をするように弾幕を張る。
「ここで一人堕とせりゃ、相当楽出来るが……」
「ええ、そうあって欲しいですね……あっ」
だが、流石は先生方と言うべきか。
が突入を止められないタイミングで、教導隊が一斉に散開。
まるで舞い散る木の葉のように、上昇。
隊長が展開していた弾幕も、私達の弾幕さえすり抜けて、あっという間に2分隊……私達より少し上の高度まで来た。
「嘘やん……意味わかんねえ……」
慄く先輩の呟きを嘲笑うかのように、教導隊が急減速。
不味い、このままだと追い抜く。
「上は、無理か……降下だ。低空へ退避しつつ、1分隊との距離を詰める」
「了解。敵性、来ます」
教導隊が攻撃を始めた。
奇数弾火力による統制射撃……要は奇数弾の弾幕を。
「何で私にだけ撃つんですかね……」
という事だ。
私の方が弱そうだからか? 遺憾にも程がある。
教導隊の弾幕は、文さん達の放つソレに比べれば、随分と穏やかではある。
だが、やはり上手い。先輩と徐々に切り離されつつある。
……絶対に負ける訳にはいかない。こっちは連休がかかっているんだ。
大きく強く息を吐き、気合を再装填。
教導隊を睨みつけ、弾幕の中に飛び込んでいく――。
▽
過酷な訓練を終えた夜。
私は、はたてさんと共に行きつけの居酒屋に来ていた。
「カンパーイ!」
「乾杯」
御猪口を合わせ、店長が苦心して手に入れたという大吟醸を、一気に飲み干す。
……美味しさの余り、思わず口元に手が伸びた。尾が勝手に揺れて止まらない。
徳利と白い腕が伸びてきて、2杯目をお酌してくれた。
「連休ゲットおめでとー!」
顔を上げると、満面の笑みで拍手をするはたてさん。
こう嬉しそうな顔をされると、こちらも自然と嬉しくなる。
「ありがとうございます」
「臨時のお休みって、貰えるのは珍しいんだっけ?」
「ほとんど珍獣扱いですね」
「そんなに」
教導隊相手に、撃墜2、被撃墜1。
珍獣くらいは貰っても、バチは当たらないだろう。
「最近、待遇改善のキャンペーンをやってましたから。その広告塔にされたのかもしれません」
「スレてるなぁ。もっと喜びなよー」
「いえ。今の私、物凄くテンション高いですよ」
「いや全然分かんない。顔筋が全く動いてないよ」
誓って言うが、嘘ではない。酒も相まって、私の心は躍りに躍っている。
私は寧ろ、感情の起伏が激しい方だと思っているが、そうは見えないらしい。
文さんからは、セメントフェイスと呼ばれた事もある。
セメントがそもそも分からないけど。まあ、凄く固いモノなんだろう。
「ほらもっと笑って! 椛は笑うと滅茶苦茶カワイイって聞いたから見たいの!」
「誰ですか、そんな事言ったの」
「ハイ笑ってー!」
「にっこり」
「……間違い探しかな?」
会心の笑顔だったのに、酷い言われようだ。
「ところで。取材の方はあれでよかったんですか? あまり紹介できなかったので、よければここで」
「ホントに? うーん……えーっと、自警団って、外からの侵入者を追い返すのが仕事じゃん?」
「そうですね」
「でも九天分団って、山の真ん中よりちょっと下にあるよね。それって変じゃない?」
霧の湖側に西方分団。人里側に南方分団。山の東北東に山陰分団。これらは全て山の麓にある。
そして我らが九天分団は、山の南東側の中腹辺り。九天の滝の近くに位置している。
陸からの外敵を相手取るには遠い位置だが、もちろん理由がある。
「九天分団はまず、空への対処を前提に配置されています」
「いや、妖怪なんて皆飛べるじゃない。今までもそうだったんじゃないの?」
「幻想郷ができる前は、妖怪もそこまで大っぴらに飛ばなかったですからね。そこまで重視されていませんでした」
九天の哨戒天狗が、空中戦の訓練を多く行うのはこの為だ。
命名決闘の大流行もあって、その比重は結界成立直後より増している。
何しろ、誰も彼もが大量の魔弾妖弾を放ってくる。脅威でしかない。
クソ真面目な表情と、ガッチガチな文体の資料を並べて、弾幕ごっこを研究している戦技研究中隊には、頭が下がる。
何しろ、流行遊びを仕事で学ばなければならない。楽しむ暇はないだろう。少し、同情してしまう。
「他にも、例えば麓の部隊が取り逃がした侵入者を、九天が処理するとか。人手が欲しい分団に援軍に行くとか」
「お助けマン的な?」
「まあ、大雑把に言えばそんな感じの使われ方です」
「ふむふむ」
「後は、そうですね……駐屯地の場所には昔、報道局の旅館が有ったんです」
「旅館!?」
「保養地と言った方が良いですかね」
「あー。あれの事かぁ」
その場所が駐屯地にとって都合がよく、自警団はその場所を欲しがった。
旅館が建って居るという事は、土地の調査も済んでいるという事でもあるので、面倒を省く目論見もあったようだ。
一方烏天狗は、老朽化した旅館の新築を検討していたが、充てられた予算は要求を満たすには若干不足していたという。
そこで、自警団は土地を烏天狗から買い、旅館を解体し駐屯地を建てた。
報道局は、元々の予算に得た土地代と、浮いた解体費用を足して、別の場所に旅館を新築した。
「両者得をして、目出度く解決したそうです」
「へぇー。だからあの場所ってのもあるんだ」
「まあ他にも色々、ありますが……まあこんな所ですか」
「なるほどー」
色々、を突っ込まない辺り抜けているというか。ブンヤ的にはどうなんだろう。
まあ、そういう記者が居てもいいだろう。私が楽だし。
チャプター4 : 秘密の写真と消える秘密
「なんかこう、老人が喜びそうなお土産とかある?」
「えっ。文が言う老人って歳が相当な方向に私の首がッ!」
「見た目がそれっぽいだけで、実年齢は知らないわよ」
「どうでもいいから首を戻して」
申し訳ないけど、今日の私は非常に非情なのである。
もし古い友人でなければ、店ごと吹き飛ばしていた所だ。
「いたた……今日のあんた沸点低くない?」
「反省してまーす」
「ウソこけ……で、爺さんって誰? あんたの爺さん?」
「違う違う、上司」
流石に手ぶらというのも何だからね。
制限はあるものの、食べ物の差し入れは大丈夫らしい。例えば少量のお菓子とか。
好き嫌いの無い方だから、まあ一番無難な選択と言える。
「あ、その金色がいいわね。それっぽくて」
「これは高そうっていうか、本当に高いけど。いいの?」
「偉いさん相手に、安物ってワケにもいかないし……」
「お勤めは大変だなぁ」
自営業だって、苦労が山ほど有るのは知っている。
しかし、山の命運を突然背負わされる事はそうそうあるまい。
いや、これは単に私個人の不運か。
「そいじゃどーも」
「ありゃりゃっしたー」
気の抜けた挨拶を背に、翼を広げる。行先は治安局だ。
あれから数日経ってしまったが、爺さんとの面会許可が通ったので、話を聞きに行く。
余り突っ込んだ事は聞く気は無い。どうせ治安局の見張りが付くから、聞くに聞けない。
というか、その治安局が微妙に怪しい。いっそ会わない選択も考えた位だ。
「どうもどうも。若くて綺麗な射命丸です。拝戸氏の面会の件で参りました」
「ああ、はいはい。じゃあこっちで手続きしますので」
注意事項の確認と、手土産のチェック。
最後に承諾の印鑑を押して、終了だ。
「では、こちらの部屋です」
「ありがとうございます」
部屋に入ると、細長い部屋に椅子が一つ。
壁には一か所だけ、透明な板が嵌め込まれた部分がある。ここを通じて会話をするわけだ。
「いかなる理由があっても、時間で退出して頂きますので」
案内役の彼が、そのまま私の監視だ。無論、下手な真似をする気は無い。
椅子に座って、窓の向こうを見ると、ひとりの老人が既に私を待っていた。
「おお、よく来たな」
「お久しぶりです、拝戸様。この度は……」
「よせよせ。折角の面会に堅苦しい。5年振りくらいか? あれから更に綺麗になったな」
「わかりますか? 5割増しです」
「ははは。相変わらずで安心したよ」
ニッ、と笑顔を見せる拝戸さん。どうやら、ご健勝ではあるようだ。
「あ、これお土産です。どうぞお納め下さい」
「む……そうかい」
あやや、マズかったかな。
受け取ってはくれたものの、何とも微妙な反応。
食べ物の好き嫌いは無かった筈だけど……。
「もしかして、お嫌いでしたでしょうか?」
「いやいや、むしろ好物さ。だが最近、腹具合が悪くてね。また今度にしてくれ」
「でしたら。お渡ししますので、治ったら」
「こんな美味そうなの、あったら喰っちまう。それに、美人には何度も来て欲しいからなぁ」
「やだもう。お上手」
「ふっはっは!」
「あっはっは!」
と、朗らかな雰囲気の中。肩を叩かれる。
「射命丸さん。そろそろ」
「え、もう?」
「はい。お楽しみの所恐縮ですが」
流石に短すぎやしないか。
懐中時計を取り出すと、まだ5分も経っていない。事前の説明では10分だった筈だ。
……まあ、ここは従っておこう。
「拝戸様。今日はこれで失礼致します」
「おう。また来てくれや。皆にもよろしく伝えてくれ」
菓子折りを返してもらい、席を立つ。
「はい。それでは」
局員と共に、部屋の外へ。
「持ち物を検めさせていただいても?」
「どうぞ」
ポーチや服のポケット。そして菓子折りに簡単なチェックが入る。
「ご協力ありがとうございました。では、こちらに」
そして、退出の印を押して、これにてお終い。
「ありがとうございましたー」
「お気をつけて」
菓子折りを片手に、治安局を後にする。
そして、何事も。そう、何事も無かったかのように。報道局では無く、自宅へと戻る。
自宅に入ってすぐに鍵を閉め、カーテンを閉め、水を一杯一気飲み。
空のコップを机に置いて、大きく深呼吸をする。
「あの爺さん、何て恐ろしい事を……」
自分の立場を分かっているのだろうか。あまりにも危険な振る舞いだ。
菓子折りに入れられた、小さく折りたたまれた2枚の写真。
もちろん、私が入れた物では無い。打ち合わせがある訳もない。
つまり、突然、勝手に放り込まれたのだ。
「恨みますよ拝戸さん……!」
咄嗟にどうにか隠すことが出来たけど、もし運が悪ければ即バレてたわ。
とにかく。拝戸さんが危険を冒して忍ばせた物だ。少なくともお礼の手紙では無いだろう。
中身を確認しなければならない。
ゆっくりと、1枚目を開いていく。
そこには、2枚の紙の端が写されている。
片方にはただひたすら、人名が列挙されていた。
中には見覚えのある名前もある。又聞きだが、幻想郷嫌いを公言しているらしい天狗のグループ。
幻想郷を嫌う者達の……反幻想郷者のリスト?
でも拝戸さんは、そちら側の天狗の筈。仲間を売るような行為だ。何故、これを私に?
そしてもう片方には、図形に注釈のようなメモや数式が書かれている。
そして、その全てが劣化と掠れで読みにくい。
ただ少なくとも端に写った文章は、大結界における云々、と読める。
「……絶対ヤバいヤツだこれ」
何よりこの写真を拝戸さんが持っていた事自体がヤバい。
治安局が逮捕したのも、その件が本命なのか?
いや、落ち着け射命丸。
まだだ。まだそれを断定するには早い。
2枚目の写真。こちらを見てからでも、判断は遅くない。
「さてさて。何が出るかなっと」
2枚目の写真には空から見下ろすようなアングルで撮影された、日本家屋の姿。豪邸と言って差し支えないだろう。
庭は手入れが行き届いており、それらは塀に囲われ、門に守られている。
そして、母屋の一部が丸で囲われている。恐らく後で書き足されたのだろう。
特に見るべき所が無いように見えるが、とんでもない。
「拝戸さん家だコレ……」
おそらくは、1枚目に写されたものが、この丸が付いた部屋に在るのだろう。
取りに来い、と言っているようにしか思えない。一体何を考えている? 何を企んでいるのか。
「お悔やみ欄に載せるぞジジイ……ッ!」
周辺に話を聞くどころか、本人から直接アプローチだ。
ここまで露骨に指示されると、例え罠だとしても無視する方が難しい。
行くしかないだろう。
ただ、どうやって中に入ろうか……。
▽
「だから駄目だって。帰れ。剣を抜かれたくなければな」
「そこを何とか! お願いしますよー」
「駄目だ。艶めかしく取引を囁いても無駄だぞ。無駄だぞ!!」
「調子くれてんじゃねーわよ」
再び拝戸さんの邸宅に来てみたが、やはり閉鎖されたまま。
今度の見張りは知人だが、なしのつぶてだ。
「まあ冗談はともかく。本当に帰れ。剣の事は脅しじゃないぞ」
「……そもそもね。何で邸宅内の捜査まで執行課が仕切ってんのよ。これ、捜査課の仕事でしょう?」
通常執行課が行うのは、身柄の拘束や下手人の鎮圧などだ、
現場を調べたりするのは捜査課の担当のはず。
執行課が捜査活動をしているのは、ちょっとおかしい。
「……知らねえよ。俺みたいなザコに聞くなや。早く失せな」
そう言って、制帽を深く被り直す。
彼はザコでヒゲのセクハラ野郎だが、ベテランで友人が多く……嘘が苦手だ。
この反応からすると、どうも、治安局も怪しいと見た方がいいかもしれない。
「はいはい。分かりましたよ」
「まったく。おい、次にきたらマジで――」
彼の言葉が途中で途絶えた。
何かが破裂する音
耳をつんざくような複数の破裂音が会話に割り込んできた。
「な、なんだ!? 何が起きた!」
「て、邸宅の方からね」
中を確認しようと、門の中を2人で覗き込んだ時、甲高い笛の音が響き渡った。
それは次第に数を増し、音が次々と積み重なっていく。
「これは?」
「即時退避の号令だよ。マジで何があったんだ」
彼の言葉を裏付けるように。邸宅の中から、治安局員達が猛然と飛び出してきた。
「ちょっと! 何があったの!?」
誰にとなく叫ぶと、そのうちの一人が鬼の形相で叫んだ。
「早く離れろ! 家が崩れる!」
「なんだそりゃ!?」
「何なのよもう!」
塀で囲われているとはいえ、危険な事には変わりは無い。
崩壊音をバックに、走って家から距離を取る。
振り返ると、塀の中から家が消えていた。
粉塵が舞い上がる中、治安局員達が動き出す。
「集合しろ! 並べ! 点呼を取るぞ!」
「隣のヤツが怪我してないか確認しろ!」
その中から、一人の山伏天狗が私の所へ来た。階級章からすると係長クラスか。
「射命丸、怪我は無いかね」
「ええ。大丈夫のようです」
「係長、全員の集合を確認しました。内6名が軽症です」
「そうか、良かった」
ほっと胸を撫で下ろす係長。
安堵で丸まった彼の背中を、人差し指でつつく。
「係長さん、係長さん」
「何だね? すまないが取材は控えて欲しい」
「いや、むしろ帰りたいのですが」
「一応、目撃者だからなぁ。後で聴取に付き合ってもらうよ」
「うへぇ……」
面倒な事になったなぁ。まあ、私が悪いわけでもないし、短く済むとは思うけど。
それより。この崩落はどういうことだろう。
治安局……の線は薄い。調べたい事があるから、こうして越権してまで漁ってるわけで。そこを壊す理由は無い。
拝戸さんが例の書類やリストを誰にも渡さない為に、準備していたと考えるべきか。。
でも、じゃあどうして。私に大事な物と場所を、リスクを冒してまで教えたのか。
うーん……少し、手が欲しい。信用できる誰かの手。
「あの子に話をしてみますかね。本当は余り巻き込みたくは……いや別にいいか……」
チャプター5 : 切り札の外注
「いかがでしたか? 課長」
「暖簾に腕押し、だな」
あれから数回の尋問を行ったが、成果は微塵もない。
烏天狗というのは、本当に舌が良く回る。私も烏天狗だが、ああはなれない。
「邸宅はどうなった」
「崩落後、炎上しました。消火後に再捜索しましたが、それらしい物は何も」
「そうか……そうなったか」
最初は、仕掛けによって書類を家ごと喪失させたのだと思っていた。だが、この方法は余りにも不確実だ。
もっと確実な処分方法、あるいは処分せずに済む方法があったはずだ。
あの崩落は、書類とリストの捜索を断念させる為に起こした可能性が高い。
無論、第三者の手による可能性もあるが……どちらにしろ、リストや書類には予備があると私は見ている。
問題は、その予備の場所が全く分からない事だ。
「どこか心当たりあるか?」
「拝戸氏の職場くらいでしょうか」
「彼は自宅が職場だったろう」
烏天狗頭領の自宅や報道局も無関係では無いが……さて、どうしたものか。
「神の視点が欲しいな。守矢の神にでも頼みに行くか」
「課長、信徒だったのですか?」
「馬鹿を言え……一応聞くが、守矢は動いていないよな」
「はい。現状、そういった報告はありません」
よかった。これ以上面倒が増えては敵わないからな。
「課長、思い出したのですが。確か、念写の出来る烏天狗が居ませんでしたか?」
「念写……ああ、姫海棠か」
そういえば、彼女は念写で新聞を書いていたな。
念写のメカニズムに造詣は無いが……今回のように、知りたい物が明確なら成功の可能性は高いかもしれない。
「だが、姫海棠か……」
「何か問題が?」
「問題も何も……いや、そうか」
彼女は山伏天狗だ。なら、知らなくても不思議ではないか。
「色々あって、彼女の立場は少々複雑だ。下手をして事態がややこしくなる可能性も、無いとは言えない」
射命丸や白狼天狗と親交があるのも悩みどころだ。
とはいえ、強力な一手たり得るのも事実。
「よし。どこか空き時間を使って、それを検討しよう」
縋る藁を選べないのも、中々に辛いものだな。
「あと。もう一度、拘束を強行できる準備をしておいてくれ」
「……その烏天狗は、難しい立場なのでは?」
「今後何があるか分からないからな。まあ、念の為だ」
チャプター6 : ズミ狩り
「椛の家に来たの、いつ振りかしら」
当然、遊びに来たわけでは無い。彼女の手を借りる為だ。
椛は幻想郷に反する思想は持っていない。心変わりをしていなければ。
連休だと聞いたので、恐らく家に居るだろう。。
ありきたりなデザインの玄関で、戸を叩く。
「椛、居る? この射命丸が来てあげたわよ」
返事は無い。木枯らしの声だけが辺りに響く。
「ちょっと、返事ぐらいしなさい。居るんでしょう?」
やはり、だんまりだ。居留守を決め込むつもりか?
「いいのかしら? 早く開けないと私の手に天狗団扇が! ああ! 今まさに烈風が貴方の家を木の葉が如く空へと!」
「何をやっているんですか、文さん」
「あら?」
振り向くとそこには、甚兵衛姿が妙に似合う犬走椛その人が居た。
桶を抱え、頭に手拭いを載せ、頬は赤らみ、肌は艶やか。
この状態から察するに……。
「あー、あれだ。温泉的なヤツを堪能しておられた感じ?」
「連休なので、贅沢な朝風呂をと思いまして」
「ほう。良い趣味してるわね」
「文さんは、家と会話しておられた感じで?」
「いや、あんたが居ると思って」
「良い趣味してますね。健全とは言い難いですが」
ここぞとばかりにコイツは……憐み満載の目を向けるな。
いや、落ち着け射命丸。喧嘩をしに来た訳では無いのだ。
「私は優しいので、暴言は聞かなかった事にしてあげます」
「いいですけど、家と会話する暴挙は覚えておきますからね」
「実は椛に聞いて欲しい事がありましてね!」
被せ気味にそう叫ぶと椛は、表情はそのままに小さく首を傾げた。
「聞いて欲しい? 取材では無く?」
「そうよ。騒いだことは謝るし、ほら、特別報酬も」
そう言って、手にした土産を見せる。私個人の秘蔵の酒だ。
「……分かりました。上がって下さい」
「話が分かる。じゃ、お邪魔しまーす」
良かった。ここで拒否されたら色々と面倒だからね。
「お茶くらいは出しますよ」
「どうも」
数年振りに上がったけど、何も変わっていない。
というか、元々変える程に凝った内装ではない。質素で、実用的。
もう少し飾っても、バチは当たらないだろうに。
「どうぞ」
「ありがと」
「それで、聞きたい事があると」
せっかちねぇ。まあ、時間が惜しいのは確かだし。
「ああ、うん。まずは……」
「その前に」
「はい?」
「隠し事は無しですよ」
まるで動かない表情の代わりに、私を見つめる眼が語る。不誠実は許さない、と。
どうも、見抜かれているらしい。私の抱えた案件が、極めて重大である事を。
「分かってるわよ。全部話しますとも」
「え、あ、そうですか」
「何であんたが戸惑ってるのよ」
「いや。てっきり煙に巻くかと思ってまして」
「嘘はつくかもしれないわよ?」
「それは無いです。そうなんでしょう?」
……断言されてしまった。勿論、嘘を吐く気は無いけれど。
「そうですとも。じゃ、最初から話すわね」
藍から事を押しつけられた所から、今に至るまで。可能な限り詳細に説明した。
椛は黙って聞いていたけど、話が先へ進むにつれて、少しずつ表情が険しくなっていく。
無表情が基本の椛でさえコレだ。もしはたてに聞かせたら、福笑いみたいになるんじゃないだろうか。
「と、こんなところかしら。感想があればどうぞ」
「全部聞かなかった事にしていいですかね」
「いや流石に遅いわ」
「……しかし、酷い話です。尾が禿げてきました」
それは、胃が痛い、の同義語と解釈していいのだろうか。
「一応聞くけど、白狼天狗は噛んで無いわよね」
「一介の兵卒にそんな事を聞かれても困ります」
「じゃあ。幻想郷に反旗を翻しそうな白狼天狗の噂とか」
「それも返答に困るのですが……話を聞く限り、白狼天狗が加担する余地は無さそうに感じます」
「どういう意味です?」
「脳筋に姦計は困難かと」
椛も結構なパワータイプだしねぇ。
元より保守派がほぼ一強で、集団行動が日常。
反幻想郷派が居たとしても、相当動きづらい環境にある。
少なくとも、中核を担っている事は無さそうだ。
「というかですね。この話を八雲様に持って行けば、それでもう終わりなのでは?」
「証拠も無しじゃ流石にねぇ」
「手土産としては不足ですか……その書類とやらの実物が要りますね」
私に遅れて取材した同僚によると、あの後火災まで起きたらしい。
耐火金庫にでも入っていれば、無事かもしれないが。
「治安局が、邪魔ね。想像だけど、もしかしたら連中も書類を探しているのかも」
「反幻想郷主義者のリストなんて、彼らは喉から手が出る程欲しいでしょう」
「欲しがるにしても、仮に拝戸さんの拘束がそれ目当てだとして、いくら何でも強引過ぎない?」
既にこの件で、報道局の烏天狗は大々的に、そして大袈裟な報道を展開し始めている。
何しろ、今回は完全にこちら側が被害者。新聞屋としては垂涎の状況だ。
拝戸さんが賄賂や脅迫をやっていないならの話だけど。
「そこまでして、危険思想を討伐しようなんて熱意。治安局には無いでしょうね」
「さっきリストは欲しがるって言ってなかった?」
「矛としてではなく、盾としてです。後ろ暗い事に関しては、報道局とも肩を並べるのでは」
「一言余計よ」
そんな消極的だから冷遇されるんだ。あるいはその逆か。
「治安局の中に反幻想郷のグループがあるのかもしれない。だとすれば、執行課の越権も頷けるのだけど」
「拘束された拝戸という方は、口は固いのですか?」
「固い、というか、それこそ煙に巻くのが上手いのよ」
「で、あれば。現状で治安局は、仮に書類の予備があったとしても、その場所は分からないと」
「私達も、よ。実際どうしようかしらね……」
自宅で仕事をこなし、報道局ともさして繋がりが無かった方だ。ほぼノーヒントと言っていい。
知らない天狗も多いのだが、拝戸さんは≪山の天狗≫としては新参に当たる。
天狗としては古参で、後から山に来たタイプだ。なので、由縁の場所のようなモノもここには無い。
「何か素敵なひらめきが欲しい。ノーヒント攻略法」
山というのは、ただでさえ面倒な地形だ。
そこに様々な種が住まい、社会を築いている。山を歩くだけで意外と気を遣うのだ。
妖怪の山は天狗が事実上支配しているが、だからと言ってどこでもフリーパスという訳ではない。
山岳信仰の関係で、天狗でさえ不可侵の場所だってある。
まして一人や二人で探すなんて途方もない。
拝戸さんが押しつけた写真のようなヒントがあれば話は別……写真?。
「そうよ! はたてに在処を念写させればいいじゃない!」
「モノが何かは分かっているから、それなりに可能性は高いですね。でも……何か……」
場所が分かれば、対策の取りようもある。
冴えてる、冴えてるぞ私。
「じゃあ私、はたての所行ってくるわね。お酒は好きにしていいから、それじゃ!」
「あ、文さん……待ってください、文さん!」
「えっ?」
聞き慣れない、焦った声。
振り返ると、椛がちゃぶ台を乗り越えて、私のスカートの裾を引いていた。
椛の膝が湯呑みを倒し、零れたお茶がちゃぶ台と畳を濡らしていく。
「ど、どうしたの椛。そんな情けない声出して。あとお茶が零れてる、お茶が」
「治安局も……そう考える可能性は?」
思わず、呻きそうになる。
はたては色々とあって、烏天狗の間では名は知られている。逆に他の天狗は、はたての事を殆ど知らない。
では治安局はどうか。
そもそも治安局は、白狼自警団の拡大阻止の為に設立した、政治色の強い部局だ。
雑用係の群れでしか無かった白狼天狗。
彼らは『山への侵入者も退治しといて』という雑な命令を突破口に、ついに念願だった固有の部局を立ち上げる。
小間使い共に出し抜かれたとあっては恥だ、と誰が叫んだかは知らないが……。
せめて内部の治安維持まで喰い込まれないようにと、烏・山伏・鼻高の三天狗を筆頭に治安局が設立。
そして、どこも優秀な人材を出し渋り、元々存在していた種族ごとの治安維持集団との衝突が多発。
白狼天狗が権限の拡大に興味が無かった事もあり、存在は宙に浮き、評価は右肩下がりとなりました、とさ。
そうした経緯の為、治安局には今でも結構な数の烏天狗が居る。
この件に関わる治安局員にも、まず間違いなく、烏天狗が居るだろう。
「……烏天狗の局員なら、はたての事を知ってるかも」
「なら連中も、念写に頼る事を思いつくかもしれません」
「……有り得る」
大いに有り得る。私と同じように、喜び勇んで外出の支度をするかもしれない。
「というか、ある意味では、はたては優良物件だわ……」
「何故です?」
「引き籠りで、局にもあんま来ないし……友達少ないし……」
「それは、例えばその。脅しやすい、とか」
「それどころか……例え居なくなっても、しばらく誰も気が付かないかも……」
2人同時に、唾を飲み込む。
「椛、ちょっと、すぐ支度して」
「分かりました。急ぎますので」
いや、もちろん。治安局がそういう手を使うとは限らない。
彼らは既に強硬策に出てしまっている。これ以上黒い手を使うと、彼ら自身が致命打を喰らいかねない。
そんな愚かな真似は出来ない筈だ。
そもそも、念写を思いつかないかもしれない。思いついても、穏便に念写を依頼するだけかもしれない。
家に行ったら、はたてが間抜け面で出迎える可能性の方が、多分高い。
でも、どうしても、居ても立ってもいられない。
何故なら私は、いや、私に限らず誰だって知っている。
知性や精神という奴は、決して万全ではない事を。
成熟した賢人が小銭を得る為に、宝石の山を捨てるような判断を下してしまう事もある。
そうした愚考を犯す時は、よりにもよって、重大な局面だったりするのだ。
「お待たせしました」
「……その長ドスは?」
「先輩からの贈り物です。持て余していたのですが、出番がありそうで良かったです」
「良くねえよ」
「でしょうね」
「とにかく行くわよ」
この際、治安局員がはたてを訪ねると仮定して動く。
可能性は高いし、闇雲に動くよりはいい。
間に合ってくれるといいけど……。
▽
「間に合ったわね」
「ええ。間に合いましたね」
はたての自宅近くの木に止まった私達は、中に入るまでも無くそう確信していた。
「……今の所は、ですが」
目線を少し先へずらす。
制服を着た4人の治安局員が、はたての家に近づいているのが見える。
そう。今の所は、間に合っている。
「やっぱり執行課か。越権も甚だしいわね」
「執行、する気かもしれませんよ」
「冗談じゃないわ。私が連中を止めるから、あんたははたてを連れ出して」
「逆の方が良いのでは?」
「贈り物は綺麗なままにしておくべきよ」
声と表情が平坦なせいで分かり辛いけど、椛はこれで結構な激情家だ。
はたてに対しては甘い所もあるし、場合によっては、彼らの手足が宙を舞いかねない。
「はたてを連れ出したら、私の家に来て」
「分かりました。なるべく長めに止めて下さい」
「善処するわ」
椛と共に木から飛び降り、椛は裏口へ。
私は治安局員達の下へと向かう。
とびっきりの営業スマイルを浮かべ、愛想よく声を掛ける。
「どーもどーも。清くただ」
「悪いが他を当たってくれ」
むむむ。中々に防御力が高い。
「そうおっしゃらずに。すぐに済みますから」
「駄目だ。他所に行け」
「随分と頑なですねぇ」
「仕事熱心なものでな」
「……何か、大事な案件でも? 仕事は大勢で動く執行課が、たったの4人だなんて、珍しいにも程がある」
彼らの視線が鋭さを増し、空気が冷えていくのが分かる。
恐らくは図星なのだろう。まあ、予想通りではあるが。
この止め方は中々に危険なので、早めに退散したい所だ。
後は椛次第だ。頼んだわよ。
▽
「はたてさん、はたてさん」
裏口をノックしながら、声を絞って呼びかける。しかし、返事が無い。
気配は有るから、寝ているか、無視しているかだろう。
文さんも無限に時間を稼げる訳では無い。
戸を破るのは論外だし、開錠の技術は無い。根気よく呼び続けるしかないのか。
「はたてさん居るんでしょう? 開けて下さい。はたてさん」
苛立ちが募り始めた所で、ようやく戸が開いた。
「人が寝てる時に何なの……新聞も宗教も間に合ってまーふぎゅ」
地味に大きな声で喋り出したので、すぐに口を塞ぐ。
「静かに……手を離しますが、大声を出さないでください」
小さく頷いたのを確認してから、ゆっくりと手を離す。
「い、一応言っとくけど。お金なんか無いからね」
「期待してません。そんな事より、すぐにここを離れて貰います」
「え、何でよ。今日はもう布団と同化するって決めてるのに」
私だって今日は休暇だ。
本当なら、はたてさんと同じようにするつもりだったのに。
「面倒なので詳細は省きますが」
「うん」
「治安局が貴方を拘束しに来ます」
「何で!?」
まあ、あながち嘘では無いとは思う。多分。
「いやいやいや。おかしいでしょ。私何にもしてないし」
「だから、逃げようと言ってるんです」
「まさか……こないだの飲み会で部長のほっぺ叩いたのが不味かったか……」
「そうかもしれません」
「あ、あれは部長が冗談を言ったからツッコミのつもりで、手が宙を滑ってあのその」
……これ以上時間をかけるのは不味いな。
「とにかく行きますよ」
「ま、待って!」
「今度は何です」
「いや、せめて着替えさせて欲しいなーって」
私も焦っていたので気が付かなかったが……はたてさん、まだ寝間着のままだ。
流石に着替えを待つのは厳しい。かといって寝間着のままで連れまわすのも……。
「……しゃらくさいですね」
「椛?」
「はたてさん。着替えを、用意だけしてください」
「着ないの?」
「ええ。ひとまず用意だけ」
「う、うん。分かった」
小走りで家の中に戻るはたてさん。私もその後に続く。
前にはたてさんの家に来た時はかなり散らかっていたが、今日は綺麗だ。若干、足の踏み場がある。
多分、アレがどこかにある筈……あった。早く見つかってよかった。
「用意したよー」
「私も準備できました。着替えを抱いて、布団に寝転がって下さい」
「え、寝るの?」
「とにかく、言う通りに」
はたてさんが横になったのを確認してから、さっき見つけたモノを布団の下に通す。
「ちょっと。何してんの?」
「では、しばし失礼」
そして、敷布団を、はたてさんごと一気に丸める。
「へえッ!?」
更に、先ほど通した荷造り用の縄で強く縛る。
「んむー!!」
「はたてさん、静かに。少しの辛抱ですから」
ご希望通り、布団と同化したはたてさんを担ぎ、裏口から出る。
裏通りを通って家から十分に離れてから、飛び立つ。
はたてさんも理解してくれたようで、今は静かだ。
「あれ? 犬走じゃん。どうしたのその布団」
「文さんに運ぶよう頼まれまして」
「マジか。大変だなぁ」
途中で知人に出会ったが、一切の嘘をつかずに切り抜けた。
これなら問題無いだろう。このまま、文さんの自宅へ向かおう。
▽
「いいか! これ以上は、執行妨害で拘束するからな!」
「ま、待ってください! まだチルノさんの二の腕に関する、革命的な考察の続きが!」
「行くぞ! 放っておけ!」
ちっ、これ以上は無理ね。椛が連れ出し終わってるのを祈るしかないか。
こっそり後を着けて、少し離れたところから見守る。
局員達がはたての家の前に集まっている。少し慌てていて、はたてはいなかった。
どうやら間に合ったみたいね。
自宅に戻り、椛と合流しよう。
▽
自宅前に降り立つと、椛が玄関の前で待っていた。
あれ? 椛だけ?
「やっと来ましたか」
「ちょっと。はたてはどうしたのよ」
「ここに」
椛の足元に転がっているのは、丸まった布団。
……ああ、そういう事。
「完全に拉致のそれじゃないの」
「時間が無かったので」
「まあ、無事ならそれでいいわ」
玄関の鍵を開け、家の中へ。
ひとまず簀巻きのはたてを居間に転がす。
……何か、妙に静かだな。
「まさか殺してないでしょうね」
「滅相もないです」
「取り敢えず開けてやるか……」
縄を解き、布団を開く。
「はたてー。生きてるー?」
「……ぐう」
そこには、着替えを抱いて寝ているはたての姿が。
「ほら起きなさい。はーたーて」
「んんー? 着いた? ていうか文?」
「暢気な奴……説明するから、さっさと着替えてきなさい」
「うーい」
「椛はお茶請けを適当に出しといて」
「分かりました」
そして私はお茶を淹れよう。あいつらなら、一番安いヤツでいいや。
▽
「それで、私の所に治安局が来たってワケね」
「可能性が高かったから、先手を打ったのよ」
お茶を飲みながら、はたてに状況を説明した。藍から聞いた地底の件から、たった今まで。
「……なんかさ。地底にしろ、巫女にしろ。悪くないのに嫌な目にあってるじゃん」
「幻想郷を潰したい奴らが、自分勝手にやってる事だしね」
「そういうの、何かやだな」
頬杖をついて溜息を吐くはたて。その表情はどこか、寂しそうにさえ見える。
「そうね。しかも、まだ続いてるの。だから、私達が書類とリストの予備を、先んじて見つけ出す必要がある」
「見つけた後はどうするんですか?」
「捨てる。誰にでも分かるような形でね」
仮に私達が破棄したとして、それは周知されなければ駄目だ。
そうしないと、存在しない物を巡る暗闘が、延々と続いてしまう。
「というわけで。念写、してくれる?」
「やるわよ。私の力で正義執行!」
はたてはカメラを手に取り、ボタンを押し始める。
しばらく操作した後、目を閉じた。
数秒の後、シャッター音。
はたてがカメラの硝子部を見て、拳を握る。
「撮れたっ!」
「でかした!」
「何が写ってますか?」
私と椛もはたての脇に回り、硝子部を覗き込む。
そこに写っていたのは、何かの施設だ。遠くから撮っているらしく、小さくて見辛い。
しかし私は、そして椛も、この施設の正体はすぐに解った。
徒歩での侵入を阻む防壁や物見櫓。そして、門の前に立って居るのは白狼天狗だ。
彼、あるいは彼女が持つ盾に描かれているのは。
「紅葉、ですね」
「え、じゃあここって、アレ?」
「間違いないわ……九天分団の駐屯地よ」
一体全体、何がどうなっているのやら……。
チャプター7 : 最悪の集まり
最悪だ。最悪だと言わざるを得ない。
まさか、肝心の姫海棠が居ないだなんて。あの引き籠り、どこへ行った?
家にも報道局にも居ない。どころか、目撃情報すら無い。
……姫海棠の自宅近くに射命丸が居たのは、そういう事か
そもそも射命丸は、天狗への取材は滅多にしない。最も里に近い天狗、なんて異名もある程だ。
彼女が意図的に妨害したのであれば……マズい。我々の動きが漏れつつある。
「課長はいらっしゃいますか」
「いるよ。お疲れ様」
「至急、見て頂きたい物が」
慌ただしく入室してきた彼女は、一通の大きな封筒を私に差し出した。
「これは?」
「報道局の旧保養旅館の図面です」
「旧保養って、とっくの昔に解体されただろう」
封筒を開け、中身を取り出す。建物の設計図だ。
「私は図面の見方がわからないから、説明してくれ」
「専門知識は不要です。旅館を横から見た図をご覧ください。地上二階建ての木造建築です。そして……」
彼女は、もう一通の封筒を取り出した。
「次にこちらの図面をご覧ください」
「同じ横面の図に見えるが……ん?」
いや、違う。明確な違いがあった。
地下だ。最初の図面に無かった地下室が有る。
「この地下室は実在したのか?」
「はい。施工した当人達に確認しました。2通目の封筒も、彼女らが隠し持っていました」
「秘密の地下室とは、チープな話だが……これは拝戸の爺に関わりが?」
「2度目の補修は増築も含めた大規模な工事だったのですが、施工費用の一部が寄付という形で、彼の私財から出ています」
「臭いな。鼻がひん曲がりそうだ」
予算案や認可も、立場的に一度は爺さんの元を通るだろうからな。怪しいなんてもんじゃない。
「実際の出入口なのですが。まだ残っていれば、部屋から少し離れたところにあるようです」
「それはよかった。流石にあの場所は、迂闊にウロつけないからな」
「では、行くのですか?」
「夜になったらな。口外は禁止だ」
「了解しました」
さて、これが当たりだと良いのだが。
▽
「……呆れたな。本当にあったぞ」
九天分団駐屯地から、少し離れた所にある窪地。
そこの斜面に、飾り気の無い鋼鉄の扉。
掛けられたプレートには掠れた文字で≪崩落により立入禁止≫と書かれている。
「特に隠蔽などはしていないようですね」
「この方が却って怪しまれんのだろう」
恐らく、他の天狗もこの扉は把握している筈だ。
烏天狗からプレートに書かれた通りの説明を受けて、放置しているのだろう。
「開けてみましょうか」
「やってくれ」
部下が扉を引く。滑りの悪そうな、大きな音を立てながら、ゆっくりと開いた。
思わず辺りを確認したが、誰も居ないようだ。
開けてすぐに、大量の木箱や鉄の棒が置かれている。
侵入を防ぐための、意図的な置き方。プレートの文言からすれば正しい処置だ。
そして、何かを隠すという意味でも、正しい。
「よし。どかして入るぞ」
「宜しいのですか?」
「構わん。我々以外に開ける者は居ないだろうしな」
木箱には重しが仕込まれており、鉄棒は固定されている。
だが、私達も天狗だ。この程度の障害は取るに足らない。
さして時間もかけずに障害物を排除し、中へと進む。
「げほっ……凄い埃だな」
「暗いですね。夜目が効く身体でよかったです」
狭いトンネルをしばらく進む。汚れてはいるが、崩落はしていない。
しばらく歩くと、扉に行き当たった。今度は施錠されている。
「流石にフリーパスとはいかないか」
「三か所も施錠されていますね。扉も鉄製ですし、流石に工具が無いと……」
だが、これではっきりした。
この扉の奥に、何かがある。それは恐らく、私達が求めている物だろう。
「……今日はここまでにしよう」
「そうですね」
来た道を戻りながら、部下と簡単に打ち合わせる。
「信用できる人員と、装備を集めて突破しよう。回収したら、後は事態を収束させればいい」
「無かった場合はどうしますか?」
「……その時は、姫海棠を探し出すしかあるまい」
どかした障害物が見えてきた。
それらの間を縫って、扉の直前まで来た。
二人で、外の様子を伺う。
「そちらはどうだ?」
「大丈夫そうです」
「よし……ああ、外の空気がこうも美味いとは」
「そうですね。お山の空気に感動するとは思いませんでした」
部下と共に大きく深呼吸し、改めて辺りを見回す。
「では、誰か来ない内に退散するとしようか」
「いやいや。私の勘が正しければ、ここに扉がある筈なのよ」
「そうですね。早々に立ち去りましょう」
待て。今……1人多く無かったか。
「……何?」
「あれっ?」
「はい?」
もう一つの声は斜面……扉の上からだ。
部下と同時に、見上げる。
あの顔……知らない者を探す方が一苦労だ。
「射命丸……!?」
「あんた確か、治安局の……!」
互いに硬直する。
まずい。最悪の場面を見られた。しかも、私を覚えていた。
「ちょっと文。何ボサッとして……ひえっ」
「文さん早く降りてくださ……あっ」
その射命丸の背後から出てきたの……確か犬走とかいう白狼天狗と……姫海棠。
つまり射命丸もこの件を調べていて、念写で書類の場所を特定し、ここに来た。
拝戸の爺に面会に来ていたのも、邸宅に取材へ来ていたのも……。
恐らく奴らは、我々の敵側。
最初の段階で、監視を着けておくべきだった……!
「……剣が」
部下は腰に手をやるが、渋い顔をして唸る。
今日は私も彼女も、直刀を提げていない。
仮にあったとして、射命丸に敵う訳も無いが……。
「え、どうすんのコレ。ねえ文」
「課長、どうしますか」
狼狽える姫海棠と、声に焦りが滲む私の部下。
「決まってるでしょ」
「決まっているだろう」
この状況下で採れる最善手は、一つしかない。
「……では、風邪などひかぬよう」
そう言って射命丸は、踵を返して立ち去った。
白狼天狗もそれに続く。
「そちらも、身体を冷やさないように」
私も社交辞令を口にして、立ち去る。
「え、ちょっ。行っちゃうの? ねえ、文ってば」
「黙ってこっち来る!」
姫海棠の声も、遅れて遠ざかっていく。
「あの、課長。宜しいのですか?」
「連中を殺して、隠滅できるなら後を追うが」
「………いえ」
逆襲で肥料になるのは我々だ。
向こうも事を把握しているが故に、手を出せない。
だが、取り返しのつかない状況である事に変わりは無い。
最悪だ。あと、あと一歩という所で……。
「仕方あるまい……やるしかないか……」
「課長……?」
「今日は局に泊まれ。明日の早朝から準備に入る」
「準備、とは」
「明日になれば分かる」
最後の手段だ。
例え成功しても爪痕は深いが……やらないよりはマシだ。
忍び足は終わりだ。派手にやる。
チャプター8 : 火急の要件
最悪だ。最悪だと言わざるを得ない。
まさかあのタイミングで出くわすだなんて。
「え、マジ?」
「マジよ。あんた暫く報道局で寝泊まりしなさい」
あいつは見覚えがある。確か明石とかいうヤツだ。
結界の構築が決まった辺りから急に仕事が粗雑になって、治安局に左遷された烏天狗だ。
まさか治安局で課長になってたなんて、出世したもんだ。
「課長にはちゃんと話を通しておくから」
「宣戦布告?」
「いや何言って……あっ、馬鹿かあんた。執行のじゃなくて、ウチのよ。小桜課長よ」
「まあ知ってたけどね。ホントに」
昨日はひとまずウチに泊まらせたけど、事が落ち着くまでは局内が一番だ。
報道にもヤツの同志はいるかもしれないけど、大勢が詰める場所で、手荒な真似は出来まい。
椛も休暇が終わったので戻ってしまった。
私が気張らないとはたてが……いや、お山が危ないのだ。
▽
まだ朝も早い時間。報道局のエントランスで、小桜課長と出くわした。
「課長、おはようございます」
「おはようございまーす」
「なんだお前ら。まだ泊まってたのか」
報道局の一室を『合同執筆の為』と偽って泊まり始めて、数日が経った。
今の所、問題は無い。ただ、周囲に気を付けながら仮の寝床で寝ると言うのは、中々に疲れる。
こうなるなら、本当に式の式を借りておけばよかった。
迂闊に身動きが取れない今、まさに猫の手も借りたいといったところだ。
「熱意が有るのはいいが、体調管理にも気を配れ」
「勿論です課長。私がしっかり監視しておりますので」
「心配なのはお前の方だ、射命丸。お前の徹夜強行軍に、姫海棠を巻き込むんじゃないぞ」
「あっ、いえ、はい。それはもう、へへへ」
「怒られてやんの。うける」
「うるさい」
クソッ、課長がいるとやり辛い。
実は課長の方が年下……というか、局員のほとんどが年下なんだけど。
課長はこういう気質の人だから、普通にめっちゃ叱って来るのだ。
「と、ところで。あちらにいらっしゃる、白狼天狗の方は?」
話題を逸らすべく、先ほどから視界の端に映っていた巨躯を見る。
あの出で立ちは少なくとも、ただの偉いさんではない。
「九天分団の分団長だ。失礼の無いようにな」
「へえー、スゴイ。そんな偉いヒトが何でこんなトコに?」
「交流会の打ち合わせだそうだ」
「支社のトップがわざわざ来たんですか」
「ウチの局長と馴染みらしい」
半分私用みたいなものかな。
よほど暇なのか。こんな事でもしないと、やっていられないのか。
「じゃあ、俺は行くぞ」
「あ、はい。はたて、私達もいくわよ……あれ?」
去っていく課長を見送ってから、はたてに声を掛ける。
だが、隣にいたはずの姿がない。
「すいませーん。インタビューいいですかー?」
「僕にかい?」
カメラをマイク代わりに差し出すはたての前に居るのは、熊のような身体に、恵比須顔を載せた……。
「ブンダンチョウさん? でしたっけ。白狼天狗に友達がいるので、その上司さんにも是非お話を聞きたいなーと」
……厳めしい制服を着た、白狼天狗。
「そうだなぁ。局長の手が空くまでなら、いいよ」
あ、あの子ヤバすぎる。怖いモノ知らずか。いや、マジ勘弁して。
「あやややや。もっ、ホント申し訳ないですウチの若いのが。すぐ引っぺがしますんで」
「ちょっと。私が先だからね」
「願いだから大人しくして下さりませんかねぇーッッ」
「何でよ?」
いや何キョトンとしてんだお前。可愛い顔したって駄目なモノはダメなの。
「ウチの者が非礼を働き申し訳ありません」
「いやぁ、僕は別に構わないよ。暇だったしね」
「ホラね」
「ホラねじゃないわよ。そもそも今の私達は――」
「全員動くなッ!」
突然、エントランスに怒声が響き渡る。
入口の方を見ると、朝方だと言うのに、大勢の天狗が詰めかけている。
「そこの君! 役職者をここに呼びなさい!」
「は、はいっ!?」
一番近くに居た報道局員に指示を出す彼女は、鼻高天狗。
緑色の腕章には白抜きで≪査察≫の文字。
事務局の査察課……各部局の不正を調査する課だ。
すぐに、各課の課長や係長が入口に現れる。
小桜課長が、前に出て声を飛ばす。
「こんな朝早くから、一体何の騒ぎだ」
「事務局査察課、査察官の澤木です。こちらをご覧ください」
彼女が差し出したのは、一枚の紙。
大きな印が捺された紙を見て、小桜課長が小さく慄いた。
「馬鹿な、これは……」
「不正入札および公文書改ざん! これを筆頭とした、大小合わせて6つの不正行為!」
どこまでも届きそうな大声で、彼女は告げる。
「これらの調査の為、現刻を以て報道局に対し、強制査察を執行します!」
い、いったいどこまで事を面倒にすれば気が済むのよ!
「ば、馬鹿な事を言うな。強制執行の前に、まず通告と任意調査が……」
「何だ、何なんだこれは! 小桜君! 彼女は何と言っている!?」
遅れて、部長などの上層部が顔を出す。
査察官が再び令状を見せ、小桜課長が説明する。
「君、馬鹿な事を言っちゃいかんよ! 強制執行の前にはだね!」
「それはさっき聞きました。そもそも、通告と任意調査は、本来の手順には無い事はご存じで?」
「な、何だと……」
「余りにも解き明かし過ぎると、浄化のつもりが崩壊に至る可能性が有りますから。まあ温情という奴です」
査察官は俯いて、中指で眼鏡を押し上げる。
「普段は、の話ですがね。今回は事の重大さを鑑みて、最初から強制執行と相成りました」
「それだよ。我々には、その罪状に一切の覚えが――」
……ははぁ。あの様子だと、若干の覚えがあるわね。
当たらずとも遠からじ、といった所かしら。
「ね、ねえ。強制執行って、されるとどうなるの?」
「されるとね……あいつ等クソだから片付けないで帰るせいでクソ後始末がクソ大変なのよ……!」
「3回もクソって言うあたり相当なのね」
普段なら、それだけを心配すればいい。
だけど今の私達にとって、強制執行には一つの不安がある。
「分団長殿。見えますか?」
「ああ、見える。警護の治安局員……ブラフでは無いようだ」
査察妨害に備え、治安局員が護衛するのが決まりになっている。
そしてそれは、荒事に慣れた執行課の担当だ。どうにも、気になってしまう。
分団長殿は知らないだろうが……ドサクサで、はたてを掻っ攫うつもりじゃないだろうな。
明石が把握していたスキャンダルを種に、事務局を動かした可能性もある。
いや、タイミング的にかなり高いか。
「あーちょっと良いかな」
「何でしょうか。九天分団長殿」
「僕は報道局の天狗じゃ無い訳だし、帰しては貰えないかね」
「強制執行中は、部外者であっても拘束と連行を行える権限があります。恐縮ですが、抵抗はなさらぬよう」
「……そうかね」
確かに規定ではそうかもしれないけど、他部局で無関係の要人を拘束するつもりなのか。
これ、マズいんじゃないのか。私達も、報道局も、事務局自身も。
「射命丸君。ちょっと」
「はい?」
「どうも妙だね。強制執行に、部外者を拘束する権限なんて無いはず」
おっと。それはまた、かなり怪しくなってきた。
「連中、事務局とは別に動いている可能性もある」
「護衛も居るのにですか」
「だから、疑いにくいだろう? 何事も見た目からだよ」
そう言うと、彼はメモ紙に何かを書き連ね、私に渡た。
「包囲を突破し、これを九天に持って行ってくれ」
「えっ!? いや、しかしですね」
「事務局の確認を取る時間が欲しいんだ」
確かに、ここで一番足が速いのは私だ。外の連中を出し抜く事なんて造作もない。
だけど、怪しいとはいえ強制執行が宣言されているのに、そこを脱するのは後々面倒な事に……。
「座して待てば、それこそ面倒な事になるさ」
「心を読まないで下さい」
「頼むよ、風法師。最速と呼ばれる、その翼で」
周囲に居た他の天狗達も、何かを察して私を見つめている。
「……事後に私が追及の対象になったら、擁護して頂きたく」
「勿論だ」
はたての身を頼もうとしたけれど、分団長がそうでは無い保証もない……。
やはり私が速攻で戻るしかないか。
「はたて。あんた本当に気を付けてね」
「それ私の台詞なんですけど」
やっぱ物凄く不安だ……。
「いい加減にしたまえ! これ以上の業務妨害は許容できんぞ!」
「それはこちらの台詞です!」
向こうもヒートアップしてきた。この隙に、あの窓から飛び出そう。
翼を出して、走り出す。
「いち、にいの……」
「とにかくここは! って、射命丸?」
「君、いったい何を」
「さんッ」
風を呼び、床を蹴り、窓に飛び込む。
鎌鼬ベーリングの要領で纏った風が、硝子を砕き、無傷で外へと飛び出す。
外で待機している護衛の治安局員達が、一斉に驚愕の表情を浮かべた。
「き、貴様何を――」
「ちょっとそこまで」
風を解き、一気に加速する。
あえて追いすがる者も居ないだろう。後はこのメモを渡して、速攻で帰って来るだけ。
……これ終わったら、私も連休とろうかな。
チャプター9 : 潜入と奪取
特に、何かをしていた訳でもない。
休憩時間にベンチで呆けながら、文さんとはたてさんは、どうしているかを考えていた。
まあ、文さんが付いている以上は、大丈夫だと思いたい。
「何だお前。ボケたツラして」
「あ、先輩」
「小隊長を見なかったか? 来月のローテで聞きたい事が……うおっ、何だあれ」
先輩が見上げた先には、猛スピードで突っ込んでくる何か。
……あれ、文さんじゃないか?
それは私達の目の前で急減速し、大量の砂埃を巻き上げながら着地してみせた。
「ぬああッ! 煙い煙い!!」
「けほっ……文さん、何の真似です。ここは駐屯地ですよ? 下手すれば問題に」
「も、椛だ! 私ツイてる!」
私としては最高に不運の予感なのですが。
「こちらの美人さんはどなたで?」
「先輩です」
「照れるね」
「なら話が早い、これ見て下さいこれ!」
文さんが差し出したのは、畳まれた一枚のメモ紙。
それを受け取って開き、覗き込む先輩とともに中を見る。
その字体と内容を見て、私は思わず天を仰ぎ、先輩は目を見開いた。
「分団長が拘束……」
「確かに分団長の字だが……何でお前がこれを持ってる?」
「まず報道局が強制査察ってどういう事なんですか」
「というか何で分団長が報道局にいるんだ」
「はたてさんは無事なんですか」
「お、落ち着いて。そんないっぺんに答えられない」
それもそうかと、二人そろって、いったん口を噤む。
「とにかく、これを九天分団に渡せと分団長殿に言われたの」
「強制査察の件はどういう事なんだ」
「その査察自体が怪しいから、こうして遣わされたのよ」
「はたてさんは」
「今の所は無事だけど、査察の警護は執行課の担当。つまり、わかるでしょ?」
このままだと、分団長が不当に拘束されてしまう。それは、白狼天狗として許容できることではない。
そしてはたてさんに関しては、先日の件を考えると……。
「とにかく、メモを司令部に持って行きます」
「頼む。私は隊に話を持って行く」
「あのー私は」
「司令部の外で待っていて貰えますか?」
「わかったわ」
駆け足で司令部に入り……どうするか考えていなかった。
分団長室? 指揮所? あ、事務室に行けば士官がいるか。
と、考えていた所で、視界の端に見知った顔が映った。
哨戒大隊の大隊長。私の上司の、上司の上司。
「警佐、お時間よろしいですか?」
「おう。どうした犬走」
「至急です。このメモをご覧ください」
「何だ急に……分団長の字か?」
短いメモを読んだ大隊長は、困惑した表情で顔を上げた。
「これは、この内容は確かなのか」
「報道局の射命丸が、分団長から直接受け取ったとの事です。既に隊の方には警士長から伝えております」
「信用できるのか?」
「この件に関しては、信用して良いかと」
「根拠は」
「射命丸に対する、個人的な経験則です」
「……分かった。ついてこい」
「はっ」
大隊長が向かった先は、指揮所だ。
普段は閑散としており、当直の団員や有線通信の担当員が僅かに居るだけに過ぎない。
「入ります……あ、ここにいらしたのですか」
その僅かな中に、副分団長も居た。
「おお、君か。今本部の方から連絡があってな」
「本部から、ですか?」
「報道局に事務屋が押しかけてるらしいぞ。何をやらかしたのやら」
思わず、警佐と顔を見合わせる。
「そ、それに関して至急の報告が」
「知ってたのか、耳が早いな」
「報道局の強制査察に、分団長が巻き込まれたようです」
「な」
「査察官から拘束を明言されたとも」
例のメモが副分団長の手に渡る。
「馬鹿な。無関係の人員を拘束する権限は無い筈だろうが」
「射命丸が包囲を突破してここに持ち込んだそうです」
「ふざけおって……いや、何にしても確認の必要があるな。待機中の中隊を」
その時、バリバリという大きな雑音が、有線通信機の方から流れてきた。
『南方分団本部より、全ての本部及び分団へ至急。南方分団本部より――』
「今度はなんだ」
『架空策道の麓側発着所で道具小屋が爆発。現地の守備隊が、現場から逃走する影を見たと報告があった』
「おいおい、あそこで爆発って……」
「まさか、犯人は山内に?」
『現段階で負傷者は無し。発着場の封鎖は完了。哨戒中隊が現場周辺を検索中』
『犯人の山内侵入を考慮し、各分団は発着場方面を警戒せよ。繰り返す――』
「……待機中の中隊はこの件に回す。即応出撃し、九天南方に臨時の哨戒線を構築」
「了解。分団長の件は、いかがなさいますか」
「別の中隊を送れ。事務局にも法務官を行かせる……あくまで状況把握の出撃だ。面倒は避けるように」
「徹底します。行くぞ」
「はっ」
何か、思っていた以上に大事になっている気がする……。
▽
運よく私の所属する第3中隊が、分団長の案件に関わる事になった。はたてさんは無事だろうか。
報道局に到着した時、既に現場は臨界寸前の状態にあった。
凄まじい怒号と、聞くに堪えない罵声が飛び交っている。
口先だけで収まっているのが不思議なくらいだ。
「既に複数の窓が割れてますね」
「ブン屋が抵抗したのかな? 流石に気合入ってンなぁ。つーかあいつら、めっちゃ見てくるんだけど。おーい」
どうみてもチャラ男にしか見えない我らが中隊長が、笑顔で治安局員に手を振っている。
余り刺激しない方が良いと思うけど。
「副官。一応、こっちからも声かけようか」
「はっ。全隊降下!」
中隊が地上に降りる。
直ぐに、治安局員達が間に割って入る。
中隊長とは対照的に生真面目な副官が、大声を張り上げる。
「此方は、白狼天狗自警団である! 不当に拘束されている九天分団長を直ちに開放しろ!」
「強制執行は正式かつ公正な根拠の下に行われている。異議は書面の方でしてくれ」
大盾を構えた治安局員達が、中隊の前に集まる。
こちらも襲撃装備……つまり重装だ。普段つけない小手や脚甲なんかも付けていて、重い。
「哨戒の中隊長だけどさ。警護のアタマってどちら?」
「俺だ」
「ちょっといいかい」
「手短にしろよ」
中隊長と警護隊長が顔を寄せて声を潜める。
「……このままじゃヤベー事になるってわかってんだろ? 事務屋の姉ちゃん若干ムキになってるっぽいし、あんたの方から口利いてくれよ」
「……私個人としては理解しているが、我々には警護以上の権限が無い。査察に口を出す事自体が越権なんだよ」
「……じゃあせめて分団長の奪還は見逃してくれよ」
「……お前そんなに俺の人生を台無しにしたいのか」
白狼は耳が良いので、どうにも聞こえてしまう。
人だかりから聞こえる声は、更にヒートアップしている。暴発寸前の危険な状態だ。
「ていうか……」
が、その声の一つが、急に平静を取り戻した。
嫌な予感がする。
「そもそも強制執行なのに、何で向こうの言い分を聞いてるのかしら私」
ああ、気がつかなければ良かったものを。
「さ、査察官。流石にこの状況下での強制執行は……」
「警護隊長。貴方に進言の権限は無い筈ですが」
たまりかねた警護隊長が越権を行使するも、なしのつぶて。
「これ以上、時間の浪費は許容できません」
察した治安局員が、大盾を構えて後退する。
「マジかよ……中隊は準装抜刀。仲間を斬るんじゃねえぞ」
「しかし中隊長。可能な限り面倒は避けよと……」
「可能な限り避けただろ。腹ァ決めろ」
準装、この場合は予備の剣鉈を腰から抜く。
屋内での戦闘では、打刀は同士討ちの危険があるからだ。
「強制執行開始! 行きますよ!」
査察官の宣告と共に、大勢の足音が響き、怒号が響き渡る。
治安局員達も、入口のガードを残して中へ入ってしまった。
「1小、2小は入口をどうにかすんぞ! 俺に続け!」
「3小、4小は窓から突入! 急げ!」
「はっ! 第4小隊は……あの窓から行くぞ!」
小隊長の指した窓は既に割れている。これなら入りやすいだろう。
「貴様ら! 窓から離れろ!」
「先輩、早く入って下さい」
「わかったから押すな! 落ちる!」
妙な所でどんくさい先輩をせかしながら、文さんはどこに行ったかを探してみる。
……見当たらない。別の場所から入ったのだろうか。
「離れろと言ってるんだ!」
「邪魔です」
「おわッ!」
私達を引き剥がそうと突っ込んできた、治安局員の大盾を蹴り飛ばす。
彼がよろけている内に、ようやく入った先輩に続いて局内へ。
「こりゃ、酷い有様だな」
「ですね」
バインダー抱えて突入する事務局員と、それをガードする治安局員。
そして、そこに殺到する報道局員。中には早速インタビューを始めるブン屋までいて、壮絶にも程があった。
「いや、それより分団長は!?」
「あちらに」
エントランスの奥に、分団長の熊のような巨体が見える。
そのすぐ近くには、はたてと文さんの姿もあった。あの人いつの間に……でもこれで安心だ。
「自警団を行かせるな!」
しかし、その間に治安局員が割って入る。
「警護をどかせ! 切り込むぞ!」
その一瞬、小隊長が私に合図をした。
成る程、そういう事なら。
小隊が治安局員と押し合っている間に、隙をついて奥へ突入する。
「行け! 椛!」
「あ、コラ! 突破された! 誰か止めろ!」
飛び交う怒声をバックに、分団長やはたてさん達の下へ向かう。
「分団長、ご無事ですか」
「今の所はね」
「はたては私に任せて。あんたは仕事してなさい」
「お願いします」
「頑張ってねー!」
ウチの小隊と別の小隊もようやくたどり着いた。
これなら出られるだろう。
「分団長! ご無事でなによりです!」
「脱出しますので、こちらへ」
「頼むよ」
「椛、よくやった! 行くぞ!」
「はっ」
だが、去ろうとする私達と入れ替わるように、治安局員達がはたてさんの方へ向かう。
まさか、あいつ等……。
「いたぞ!」
「射命丸! その天狗をこちらに渡せ!」
踵を返し、小隊から離れる。
「……この混乱の中、よくやるわね」
「あっち行ってよ。しっしっ」
「事務局から拘束指示が出ている! 大人しく……なっ」
剣鉈を鞘に納め、打刀の柄を握る。
ようやくこちらに気が付き大盾を向けるが、無駄だ。
「文とはたてに」
「貴様、抵抗するなら――」
「近寄るなッ!」
そのまま、切り上げる。
大盾が斜めに割れて、上半分が落ちた。
「この……おわあっ!」
一瞬ひるんだ治安局員達が、横合いからの突風で吹き飛ばされた。
風の根元を見ると、文さんが葉団扇を構えている。
「こっちはいいから」
「すいません。今度こそ、お願いします」
再び背を向けて、窓から出ようとしている小隊の後を追う。
「おい椛! 遅いぞ!」
「すいません」
「ここを出たら、分団長を駐屯地に送り届けるぞ」
「分かりました」
ひとまず、私の仕事はどうにかなりそうだ。
しかし、ここまで大事になって、文さんの件はどうなるのだろう。
収束に向かってくれればいいが……。
▽
「……よし。想定通り、自警団が部隊を出した」
なにやら、報道局は大騒ぎみたい。
麓でも事件が起きて、白狼自警団はあちこちに出撃している。
人が減ったその隙に、地下の扉を突破しようってわけね。
用心深いなぁ。まぁ、その方が私が楽だもんね。
「行くぞ。準備はいいな?」
2人残して、4人が地下道へ入っていく。
見張り、残されちゃったか。しょうがない。
少しの間、ここで時間潰して……。
そろそろ良いかな、始めよう。
▽
手に付いた血を払いながら、真っ暗な地下道を、抜き足、差し足、忍び足。
少し歩くと、開かれた扉があった。
壊れた錠前が落ちている。こんなゴッツイの良く開けられるなぁ。
その先には明かりが灯り、誰かの声が聞こえる。先に入った治安局員達だ。
よし、ここから始めよう。あんまし近づいてからだとバレるし。
妖力はたくさん貸して貰っているけど、それでも、相手は天狗だもんね。
見張りよりも数は多いし……不意打ちで始めて、不意打ちのまま終わらないと勝てない。
そして何より、私だとバレる前に全員倒さないと駄目。
一応、貰ったお面で顔は隠してるけど、もしバレて報告されたら、山に居られなくなっちゃう。
……よし、やろう。
残りの距離を、足音無しで駆け抜けて、飛び掛かる。
「これ全部か? 探し残しが無いか――」
部屋の入口に居た天狗を、背中側から心臓を爪で刺す。
「おい、どうした?」
「震えてるぞ……おい! 大丈」
駆け寄って来た二人の喉を裂く。
……最後の一人。部屋の奥に居るヤツ。
「そこに居るのは誰だ!」
天狗が腰の刀を抜く……さあて、ここからが正念場で、私の特技の出番だ。
ゆっくりと、ゆっくりと歩み寄る。
「天狗ではないようだが、我々を倒したところで……おい、止まれ!」
そして、なるべく姿勢を変えないで……一気に加速。
そうすれば。
「な、消え……ッ」
▽
4人とも動かなくなったのを確認してから……その場にへたり込む。
「ふひゅー……」
あ、危なかったぁ……!
失敗したら、天狗に打ち首獄門にされるとか言われたから、心臓バクバクだったもんね……。
おっと、いつまでもヘタってるわけにもいかない。こいつらが、いつ復活するか分からないし。
倒れている連中の手から、床から、部屋にある箱とかから、紙の束をかき集める。
多分これで合ってるはずだ。
面倒だから、書類の入った鞄を貰って行こう。集めるだけ集めたら、さっさと逃げよう。
一時はどうなるかと思ったけど、これならご褒美を貰えるんじゃなかろうか。
何にしようかな……お魚山盛りとか……いやいや、帰るまでがお仕事。まだ気を抜いちゃ駄目だ。
早く、藍さまの所に帰らなきゃ。
チャプター10 : 退場
終わった。今度こそ終わった。
何故この日に限って、報道局に自警団の要人が居たんだ。
わざわざ麓で事件を起こしたというのに。
あれが来なければ、姫海棠を確保できたかもしれない。
事が終わるまで彼女を軟禁すれば、向こうの切り札と我々の保険を同時に手に入れられる筈だった。
同時に進行させた地下室の突破は、確かに成功した。
だが肝心の書類は行方知らず。部下は急所を裂かれて、一時的に無力化されていたようだ。
襲撃者は誰なんだ? 射命丸も、姫海棠も、あの白狼天狗も、動ける状態には無かった筈だ。
いずれにせよ、限界かも知れん。
ここで身を引いて、ほとぼりが冷めるまで雲隠れでもしようか。
いつも以上に憂鬱な気分で、取調室の扉を開ける。
「よう」
「今日は取り調べの前に、少し外の状況を報告しておきます」
「何かあったのかい」
私は拝戸に対して、強制執行とその失敗を報告した。
報告中、彼は茶化すことも無く、ただ静かに聞いていた。
「こんなところですかね。それでは、取り調べを……」
「明石さんよ。少し、2人だけになれねえか」
想定していなかった要望に、少しだけ戸惑う。
何が目的だ? まあ、どうせこんな状況だ。懸念も今更か。
「わかった。君、外してくれ」
「分かりました」
部下を退出させ、再び向き合う。
「で、どういうつもりです?」
「お前さん、いつまで意地張っているつもりだ?」
それは寧ろこちらの台詞なんだがね。
「このままじゃお前さん、本当に居場所が無くなるぞ」
「貴方が吐いてくれれば、そうならずに済むんですがね」
「何度でも言うがね。俺は何の指示も出していないし、金にも手は着けちゃいない」
「何度も聞きましたが、貴方の配下が勝手に行動したと?」
「恥ずかしい話だが、そういう事になる」
そのパターンは考えた。有り得ない話では無いからだ。
だが、今回の件に関しては、懐疑的に見ざるを得ない。
「金はどうする。ライフルと弾薬の製造には河童の協力が不可欠だ。天狗の方が格上とはいえ、連中は奉仕精神で生きている妖怪じゃないぞ」
ライフルに限った話じゃない。暴力や恫喝で全てを賄えるほど、天狗は恵まれた種族じゃない。
正当な対価が居る。解りやすく、素早く対価を示せるのが金だ。事を成すには、結局の所金が要る。
「だから、資金源が儂とは限らないだろう」
「では、共同資産が減っていたのはどういう事です」
「それは……」
既に何度も繰り返した問答。
「それは、私の方から」
しかし、意外なところから返答が来た。
開かれた扉に立って居たのは、私の腹心として動いていた部下だった。
その後ろには、数人の見慣れない天狗達。
「ここまでです。唐突ですが、課長にはご退場願おうかなと」
「何だそれは、どういう意味だ」
部下は答えない。代わりに、後ろにいる天狗達の一人が前に出た。
「大会議監査室です。明石課長、貴方を連行させて頂きます。理由はお分かりですね?」
大会議監査室!?
何故だ。どうして、大天狗達の私兵がここに居る!
「内通か。とぼけた顔して、ようやるわい。」
「善良な治安局員として、課長の行動は見過ごせませんから」
どうせ、褒賞に釣られたんだろうが……!
「……書類を奪取したのも、監査室だったのか」
しかし、監査室の天狗は首を振る。
「いえ。それに関しては、我々も出し抜かれました。≪上客≫が手荒な真似をしてくれましてね」
上客? 一体誰の事だ?
「彼女達からすれば、武器供与の主犯を手に出来ればそれで良いそうなので、リストを一部閲覧させて頂きましたが」
「主犯……儂の仲間か! あいつらをどうした!?」
「分かりかねます。もはや我々の手を離れましたので。ああ、拝戸様に関しては、特にこちらは何もしませんので」
「リストの情報で、何をするつもりだ?」
「我々の意思にそぐわない、反幻想郷主義者を、刈り取っていくために」
そうか。部下は内通していたのでは無く……別の反幻想郷グループから、我々に潜入していたのか。
共同資産から金を抜き、拝戸の配下に与えた後、大会議に通報。
2つのグループを一気に消し、大会議への情報提供の見返りに、自分たちは生き残る。
拝戸が見逃されるのは、彼の何かが、その意思とやらに沿っているからか?
「さあ、課長」
結局、内ゲバだったという訳だ。
両脇を固められ、仕方なく立ち上がる。
部屋を出る直前に、部下から尋ねられた。
「課長は、何故幻想郷をお嫌いに?」
……冥土の土産という奴か。立場が逆だが、まあいい。
「山に引き籠って、人間みたいに政争に明け暮れる日々が、妖怪の楽園の生活だと思いたく無くてね」
「まあ、気持ちは分かります」
「後は、命名決闘法が気に入らなくてな」
「どういう事です?」
「……命名決闘法は、幻想郷の、妖怪の存続の為に造られたんだよな?」
妖が人を襲い、人が妖を退治する。そのサイクルを維持する為のシロモノ。
「……では、例えば地底は?」
「はい?」
「地底には、人間が居ない。近年まで地上と交流すら無かったから、人と地底の妖が出会う機会も無かっただろう」
人と妖が揃って初めてそのサイクルが成り立ち、それが妖怪の存続に必要なのであるならば……。
「命名決闘法も、地底では根本的に成立しなかった筈だ。では、何故地底の妖怪は存続出来ていた?」
「それは……」
「人間のように生きるのが嫌だったのもあるが……幻想郷そのものが、気味が悪くて仕方なかった」
本当に、命名決闘は必要だったのか?
本当に、妖怪は人間が居ないと生きられないのか?
本当に、幻想郷は、妖怪の隠れ家なのか?
俺には、よく分からなかった。
「……おい、そろそろ連れていってくれ」
「これは失礼」
「では拝戸さん。これにて」
「……ああ、達者でな」
達者、ね。
込み上げた苦笑いを爺と部下に見せて。
それで、扉は閉じられた。
チャプター11 : サナトリウム妖怪案
「ああ……疲れた……」
報道局の件から数日後。私は自宅で新聞も書かずに、グッタリとしていた。
アホみたいに長い事情聴取に加えて、執行で滅茶苦茶になったエントランスの片付けに駆り出されて疲労困憊。
「今日は何もしない……絶対しない……」
査察官に情報を流した治安局員……あの烏天狗の明石が、大会議監査室に拘束されたそうだ。
他にも過剰な越権行為の数々が発覚し、そして、反幻想郷勢力筆頭の一角である事も断定された。
事務局も、例の査察自体にかなり問題があったらしく、逆に査察に入られる羽目になったらしい。
拝戸さんは無事に釈放された。邸宅の再建が終わるまで、仮住まいに居るようだ。
あの後、例の地下道へ行ってみたが、見事にもぬけの殻。証拠となる書類は見つからなかった。
荒れた地下室には、僅かに血の匂いも残っていた。
「書類とリスト。誰が手に入れたのかしら……」
「お答えしようか」
「何よあんた知って……え、は!? 藍!? 八雲藍!?」
「お疲れの様だな」
いつの間にか、あの朝以来姿を見せていなかった藍が居た。
唐突に現れるのはやめて欲しい。ホントに。
「……人の休暇を邪魔するだけの、理由があってここに居るんでしょうね」
「勿論だとも。黒幕確保のお祝いだ」
「黒幕確保って……拝戸さんの事?」
「違う。今回の件、彼も実は被害者だ」
藍は明らかになった事実を説明し始めた。
地底と武器供与の件は、拝戸さんの配下が独断で行った事。
治安局の明石が、グループの主導権を握る為に、リストと結界の構造図らしきモノを奪取しようとしていた事。
結局の所は反幻想郷思想の内ゲバで、それを大会議が利用しようとしていた事。
そして……結界構造図の方に関していえば、その内容が全くのデタラメだったという事。
「色々聞きたい事は有るけど、結界の図がデタラメなのは確かなの?」
「ああ。私は大結界の全てを知っているワケでは無いが……少なくとも、あの図の構造には絶対に成りえない」
「拝戸さんは嘘をついていた?」
「そういう事になるな」
「……ていうか、そもそもだ。あんたが、そこまで山での事態を把握しているってコトは」
「おや、バレたか……おい」
藍が背後に向かって誰かを呼ぶと、立派な尾の影から一人の少女が顔を出した。
式神の式神、化け猫の橙だ。
「藍さま、いいんですか?」
「大丈夫。見せてやってくれ」
「はーい」
そう言って彼女が差し出したのは……天狗の名を連ねた紙と、結界の構造っぽいモノが書かれた紙。
私が、私達が探していた物だ。
「……一応聞くけど、何であんた達が持ってるの」
「あの地下道から回収したからだ」
「……何で予備の在処を知ってるの」
「大会議監査室から情報を分けて貰った。治安局にありがたい痴れ者が居てな」
あー、なるほど。そういう事ね。はいはい。
「生きて丘に帰れると思うなよ……ッッ!」
「や、やめろッ……首が折れる首がッ!」
「ちょっと藍さまに何してんの! 離れろ!」
「い、いけない。私としたことが」
「げほっ……相変わらず酷い奴だな」
とにかく、むやみに暴力を振るうのは駄目だ。情報を掘ってから振るわないと。
心を落ち着かせ、改めて八雲藍を糾弾する。
「つまり裏で探ってたってコトじゃないの! それが出来るなら最初から一人でやりなさいよ!」
「文達が表で頑張ったからこそ、私が黒幕に至る道筋が出来たんだよ」
「本当かしらねぇーッ!」
「私一人で上層部から下っ端まで探っていたら時間が足りないだろう」
「だったら最初からそう言えばいいじゃない」
「言ったらやらなかったろ」
「うん」
「うんってお前」
まあ実際は、やらざるを得なかっただろうけど。
手が足りなかった事には変わりないのだから、その場合、藍がどうするかも同じだ。
「本当の黒幕は私が処分したし、それは大天狗達も了承済みだ」
「処分……ね」
「後は、大天狗達にとって都合の悪い反幻想郷派が、リストの情報を元に掃討される事になるだろう」
「……都合の悪い、ね。拝戸さんはどうなるの?」
「彼は、都合がいいと判断されたんだろうな。特に、何もない」
拝戸さんは無事か。
彼は一連の騒動の黒幕では無かった。でも、彼には聞きたい事がある。
「藍。書類とリストの事だけど」
「ああ、譲るよ。知りたがっていた者は、一部とはいえ内容を知った。欲しがる者は、最早それどころじゃないだろう」
「話が早くて助かるわ。もう一つ、拝戸さんは、あんたはどうするの?」
「どうもしないよ。言っただろ、彼も被害者だ。後は好きにしていい」
「ありがと」
藍は微笑んで、私に背を向けた。
「では、私はこれにて。報酬は後ほど送る。お疲れ様」
「そいじゃーねー」
11本の尾を見送って、椅子にぐったりともたれ掛かる。
まだ、諸手を上げては喜べない。
拝戸さんに、話を聞かなければならない。
ただそれだけの事だし、今までに比べれば遥かに楽だけど……あまり嬉しくは、無いかな。
▽
あの立派な邸宅ではない。
粗末とは言わないが、身分不相応の小さな家。
今はここに、拝戸さんが居る。
「来てくれて嬉しいぞ。仕事を再開するまでは、死ぬほど暇なもんでなぁ」
「私などが暇つぶしになるのであれば、幸いです」
「おいおい射命丸」
「これは失礼。超絶美人が来たのでめっちゃ喜んでください」
「わっはっは!」
「あっはっは!」
やはり彼は相変わらず元気だった、
だが、私が振りたい話題は、明るいものでは無い。
「ところで、拝戸さん」
「ああ、解ってる。話すさ。話すとも」
拝戸さんは一呼吸おいてから、煙管を片手に口を開く。
「あの時写真を渡したのは……お前は反幻想郷とは別口で動いていると思ったからだ」
「分かってたんですね」
「そうでもなきゃ、態々面会になんて来なかったろ?」
「とんでもない。敬愛する拝戸様の為にお伺いしましたとも」
「白々しい奴め。まあ、反幻想郷の誰かに渡らなければ、それで良かった」
煙管を置き、座り直す拝戸さん。
私もなんとなく、視線を適当に泳がせてみる。
「さて。俺としては、ここからが肝心なんだが」
「はい」
「……小さい頃から、妖怪ってヤツが大好きでな」
「ん?」
「大きくなったら妖怪に成りたいって言って、よくお袋に引っ叩かれてな」
「ちょ、ちょっと待ってください。この話で合ってますか?」
「まあ聞いてくれや」
明らかに違う話をしているような気がするが、ここは大人しく聞こう。
「それなりの歳になってから、妖怪の山に入るチャンスがあってな、潜り込んで楽しんで……暫くしたら結界が閉じちまった」
「何の話をしているんです? その話が本当なら拝戸さんは」
「そう、元人間なんだよ、俺は。過去の経歴が無いのも当然……どうした、鳩が鉄砲で撃たれた顔して」
「もう勘弁して……」
これ以上私をイジメて何が楽しいというんだ。
確かに過去の歴は無いし、飛んでる所も翼も見た事無いし……でも、だからって、ずっと烏天狗を欺き続けられるものだろうか。
「言ったろ? 妖怪が好きなんだ。フリには自信があったが、意外とバレないもんだ」
「……す、すいません。その話は、その辺にして頂ければと」
「おっと、そうだな」
これ以上爆弾が掘り出されると困る。私が投げ出す前に、話を終えて頂きたい。
「ともあれ。大好きな妖怪と、妖怪の楽園で過ごす事になったワケだ」
「我が世の春ってわけですね」
「満開だったよ、実際。だが俺は知っちまった。この楽園を良く思わない妖怪が、思いの外多く居る事に」
生きとし生ける妖怪全てが、楽園を肯定しているワケでは無い。
どんなに素晴らしかろうが、否定的な者は必ず居るものだ。
「そしてそいつらの大半は考え方が過激でな。俺は焦った。威勢だけは凄いもんだから、本当に転覆させられちまうんじゃねえかってな」
「威勢だけは立派ですからねぇ」
「最初は、そいつらを説得しようと試みた。排除する事も、当然やった。だが、どっちも上手くいかなくてな」
他人の思想を変えるというのは、生半可な事じゃない。それは人間でも妖怪でも、同じだ。
「そこで思いついたのが……俺が反幻想郷派のアタマになる事。可能な限り穏当な方向に、誘導するためにな」
……そしてそれは、恐らく成功したのだろう。
彼はつい最近までアタマを張っていた。
そして確かに、ここしばらく彼らは大人しかった。大人しかった筈なのだけど……。
「結局、焦れた配下が俺の手をすり抜けて……ああなった。俺は馬鹿だよ。他人の思想を誤魔化し続けるなんて事は、できっこないのにな」
自虐的な笑みを浮かべる拝戸さん。
好きな場所を守る為の想いが、却って手段の選択を鈍らせてしまったのだろうか。恋は盲目、なんて言葉もある。
「お前さん。人里の件は結社から分離した集団が尖兵だったのは知ってるか?」
「ええ。親切な式神が教えてくれましたよ」
「そいつらは妖怪を、物語に例えたそうだ。生まれ、育ち、死ぬ。その中身全てが、最初から定められた存在だと」
人間達が想像した妖怪奇譚に、私達の生が沿っているなら、それは正しいと言える。
実際は言うまでも無いが。
「妖が人を喰らい、人が妖を退治する」
「基本中の基本ですね」
「ああ……しかし、妖は人が必要としたが、人は妖を必要としていなかった」
「それは……」
「妖怪は科学を手にした人間に否定され、妖怪たちは消え去った。これで、妖怪の物語は終わり」
ざあ、と風が鳴いた。
「終えた筈の物語を、いつまでも繰り返す幻想郷。それに人間を巻き込むな、と言っていたよ」
「酷い言いようですね」
「まあ正直、分からんでも無いよ。でも……俺は、違う考えを持っている」
「お聞きしても?」
拝戸さんは小さく頷き、話を続けた。
「俺は、幻想郷は療養所だと思っている」
「療養所?」
「雨宿りの軒下でもいい。ここは、妖怪の永住の地じゃねえと思ってる」
ここが永住の地じゃない?
妖怪は、人間達に否定され、生き延びる為に楽園を造った。
あるいは連中の言う通り、往生際の悪さを集めた地だったとしても、だ。
存在の行き場を失った妖怪に、次の場所が有るとでもいうのか。
「多分、妖怪の賢者は、待ってるんだ」
「何をです」
「幻想郷が発見されるのを」
「そ、それは流石におかしいのでは」
見つかる為に隠れ里を創る? 矛盾も甚だしい。
「科学の力は、定義の力だ。物事を調べ尽くして、結論のラベルを張ってやるワケだ」
「まあ、およそそんな感じですね」
「人間に妖怪を再発見して貰って、科学に妖怪を再定義して貰うのさ」
妖怪の、再定義……?
「≪山彦≫が≪妖怪≫の仕業で無く、反響現象だと判明して、それが定着した世界なら……」
「≪山彦の妖怪≫という、新しい別個のモノとして扱われるってわけよ」
「同時に命名決闘法を引っ提げて……喰うか退治かとは違う関わり方も手土産に、ですか」
「冴えてんじゃねえか」
「い、いやあ……どうですかね……」
半ば詭弁というか、モノは言いようみたいになっている気が……。
「こいつ何言ってんの、ってツラしてんな」
「滅相も」
「まあ条件というか……発見するヤツが、妖怪とかに興味と知識のある人間じゃないと意味がないかな」
拝戸さんの説でいくなら、あくまで妖怪として見つからないといけないワケだ。
最悪、≪変な人間≫だと思われかねない。
「でも居るんですかそんな……いや、失礼。結構いますね」
例えば山の現人神とか。
最近は董子という念力人間も出入りしている。
「そういうヤツが、いつか幻想郷を見つけて……最終的に、結界を無くせる段階までいければ」
「人間と妖怪の新しい世界が、隠れ里無しで戻って来る……」
「まあ俺の予想ではあるが、有り得ないとは言い切れねえ。だろ?」
確かに、可能性はゼロじゃない。
……実際、賢者達は何を思って幻想郷を創ったのだろう。
本当に、終の住処としての楽園なのだろうか。
私は現状、答えを持っていない。
「さて、と。とりあえず言いたい事は言った」
「私も聞きたい事は聞けました。ここまでにしましょう。拝戸さんもお疲れでしょう」
「ああ、そうだな。そろそろ時間だ」
「時間? もしかして予定がありましたか?」
だとしたら、文字通りお邪魔してしまったかもしれない。
「ああ、いいんだ。気にしないでくれ」
拝戸さんは笑顔で手を振る。
「ちょっとケジメをつけるだけさ」
「拝戸さん」
僅かに腰を浮かせて、問う。
「今の時分、自刃なんて流行りませんよ」
拝戸さんは、それでも、歯を見せて笑う。
「流行り廃りでやるもんじゃねえよ。それに、俺はもう元人間だぞ? 自殺なんてできねえよ」
「私の居ない所でやってくださいよ」
「だからやらねえって」
「……馬鹿馬鹿しい事は止めて下さい」
「男はみんな、馬鹿なもんよ。いくつになっても、何になっても」
まったくもってバカげてる。
「じゃあな」
腰を浮かせ、中腰で畳を蹴り。
「射」
卓袱台に手をついて。
いつの間にか短刀を握った手を目掛けて。
「命」
手を伸ばす。
「ま――ッ!?」
「おっ、およびですかね……!」
流石の私でも、ギリギリだった。
既に上着に僅かな穴が空いている程度には。
「おい落ち着けよ。言ったろ。俺は、元、人間だぞ?」
「ええ、そうでしょうとも」
でも、天狗だとも、妖怪だとも言わなかった。
拝戸さんの上着を開けさせる。
やはり、あった。身体に貼られた護符。
藍が下手人から回収した、延命符だ。
確かに元人間かもしれないが、彼は未だ、傷で死ぬ。
「やっぱり……やめて下さいよ。≪人間風情≫が、死んで解決になるもんですか」
そういうと、彼は一瞬嬉しそうな顔をして……すぐに顔を伏せた。
「……すまねえな」
拝戸さんの呟いたそれは、何に対しての謝罪なのだろう。
私は天狗なので、私に対して言ったと思うコトにした。
チャプター12 : エピローグ
「という訳で、温泉よ!」
「温泉ね!」
「温泉ですね」
数日後。私とはたては椛を連れて、烏天狗運営の温泉旅館に来ていた。
拝戸さんに話を聞いた後も面倒事は続き、更に新聞大会の締め切りが被る惨事となり、私とはたては疲れ果てていた。
明日が椛の通常休暇という事で、彼女の終業直後にここへ拉致してきたという訳だ。
椛も私達と似たような境遇に置かれたらしく、拉致した後に参加の可否を尋ねたら、食い気味に可と言われた。
さて、眼前に広がる乳白色が私達を、艶めかしく誘っている。早く身体を洗ってしまおう。
「あれー、桶どこいった? 用意しておいたのに……泡で前見えないんだけど!」
「桶なら私から見て南南西の方にあるわよ」
「桶なら私から見て北北東の方にあります」
「普通に教えてよ! 南南北北って東なの!? 西なの!?」
「落ち着いて」
はたてをからかって遊んでいると、椛が思い出したように訪ねてきた。
「ところで、あれから大丈夫でしたか?」
「何も無かったわよ。一応、解決ね」
書類とリストも、焼き捨てた後、課の皆に手を借りてそれとなく宣伝した。
恐らく、山の皆に周知された筈だ。
「それは良かったです」
「このヌルヌル感は……石鹸だこれ」
全員身体を洗い終わったので、お待ちかねの湯船に浸かる。
「あ~沁みるわ~」
「偶にはこういうのもいいわね~」
「そうですね……」
「……今回は色々大変だったねぇ」
白く濁った湯を手で掬い、珍し気に眺めながら、はたてがぼそっと呟いた。
「まだ完全に終わったワケじゃないけどね」
「今回なんていうか、ちょっとヒロイン気分だった。なんかこう、守られる側的な」
「暢気な事を……はたてさん、事次第では危なかったんですよ?」
「それなんだけどさぁ」
少し嬉しそうなはたてが、私の方に顔を向けて続ける。
「突入された時に椛がさ、文とはたてに近寄るな! って。あれなんか嬉しかったよねぇ」
「ああ、そういえば言ってたわね」
「……咄嗟だったので」
椛の呼び捨てとタメ口。珍獣の類よりよっぽど珍しいモノを聞いたものだ。
「いやーカッコ良かったよ椛! 盾真っ二つだし! 凄くないあれ!」
「あんたにしては、勇ましかったわねぇ。カメラとマイクを出せなかったのは痛かった」
「ねえ。もっかい、はたて、って呼んでよー」
「今なら、呼び捨てにしても許してあげるわよ」
「いや……勘弁してくださいよ……」
あれ、椛照れてる? あのセメントフェイスが、随分と可愛らしく見えた気がする。
「良いもの見ちゃったなぁ」
「良いもの見ちゃったねぇ」
「烏天狗ってどう殺れば死にますかね……」
ダメダメ。凄んで見せても今のあんたは、顔も声もハクが無さ過ぎる。
暫く、無言で湯を楽しむ。
今回は結局、幻想郷そのものは何の被害も無く終わる事が出来た。
でも、またこういう事が起きない保証はない。
例え幻想郷が無事でも、中身が壊れれば何の意味もない。
そして、例え強固な論理差で覆われていても、外の世界が狂えば無事では済まない。
存外に砂上の楼閣なのだ。この楽園は。
「あんたら、幻想郷好き?」
「は? いやまあ、好きだよ」
「嫌いではありませんね」
「どうしたの急に」
「いやあ、何となくね」
この幻想郷も、いつかは、形を変えざるを得ない時が来るかもしれない。
……もし、拝戸さんが言っていたように、外の世界に見つけてもらうのが前提だとして。
その時見つける人間は、どんなヤツなのだろうか。
きっと命知らずで、好奇心旺盛でなのだろう。
ついでに、悪意のない人間だったらいいのだけれど。
「ねえ。温泉から上がったら、どうする?」
「ん? そりゃ、牛乳一気飲みしてから卓球よ」
「何てテンプレートな……」
まあ、少なくとも、今の所は。
幻想郷は今日も平和です。かな?
チャプター×× : Ending No.IF
夢を見た。
鮮明で、刺激的で、恐ろしい夢。
現実と、結界の裂け目の向こう側。
世界が一つになる夢だ。
裂け目が溶けて、混ざり合って、境目が無くなっていく世界。
私は上を見た。
満月と星々が、夜空と地上を照らしている。
恐ろしい。余りにも恐ろしい空。
どんなに目を凝らして星を見ても、時間が分からない。
どんなに目を見開いて月を見ても、場所が分からない。
今はいつ? ここはどこ?
私は横を見た。
人が立って居る。人の形をした何かが立って居る。
メリーにそっくりな。誰かがそこに立って居る。
私は前を見た。
メリーが立って居る。見間違えようのない、私の相棒が立って居る。
境界が溶けて混ざり、二つの世界が一つになっていく。
溶ける境の上に立つ私は、宇佐見蓮子は、メリーが優しく微笑むのを見た。
メリーが私と、私の隣のヒトガタに向かって、嬉しそうに言うのを聞いた。
「オールクリアおめでとう! さすがだわ! 蓮子も、そしてもちろん――」
「――蓮子?」
「ん? んふぁ?」
「どうしたのよボーッとして」
「いやあ……夕飯どうしようかなーって」
それが、昨日の夜に見た夢。
まあ、メリーの夢ならともかく……私の夢ならただの夢か。
しかし本当に嫌な……嫌な?
むしろ、どんとこいじゃないのか、私達的には。
うーん。どうも、疲れてるのかもしれない。
「こないだ見かけたパスタのお店とか」
「カツ丼」
「え?」
「カツ丼にしよう」
「パワフルねぇ。別にいいけど」
そうね、どんとこいよ。
何があっても大丈夫。メリーと一緒なら。
大昔の昔から、よく言うじゃない。
信じる者はすくわれる、なんてね。
人間は終わりを拒む力を手に入れて。妖怪は終わりを拒まずに受け入れただけの話。
妖怪は物語。前に言っただろう。
生きていようが死んでいようが、終わったらそこで終わり。
連中が以前のように、楽園の外を闊歩する為には……また新しく≪物語≫を始める以外に、手はあるまいよ。
チャプター1 : パトロン狩り
目が覚めて、最初に感じたのは、幸せだった。
「……あったかい?」
私の家は山の中で、今は真冬の日の出前だ。
分厚い布団や湯たんぽで備えても、朝の寒さは強烈苛烈、の筈なんだけど。
「んーふふふ……」
どうやら、この抱き枕が凄いらしい。
暖かくて、柔らかくて、いい匂いまでする。
「しやーせー……」
ようやく原稿との闘いを終えた身としては、余りにも甘美な抱き枕だった。
今日、この朝くらいは、二度寝を決め込んでも良いのではないだろうか。
いや、良いに決まっている。
「おやすみなさぁー」
「おい射命丸。いい加減起きろ」
抱き枕から声が聴こえる。
やれやれ。寝具が目覚めよとは、中々笑わせてくれる。
だが今の私の、二度寝への想いは青天井。無機物の囁きに負けてたまるか。
「煩いわね。貴方は黙って抱かれていれば……んん?」
ていうか、そもそも、抱き枕なんて買ったっけ?
確かめるように手を動かすと、抱き枕が小さく揺れた。
「こらこら。くすぐったいじゃないか」
「……んむー?」
顔を離し、目を擦って、喋る抱き枕に焦点を合わせる。
そこには枕では無く、女の顔があった。
透くように白く、整った顔立ち。
闇の中でも煌く、柔らかな金の髪。
その上に載る金色の狐耳と、布団を異様に膨らませている、金色の九本の……。
「しっぽ……は? まさか、藍!? 八雲藍!?」
「おはよう。良い夜だったな」
「そっ、それはどういう意味で!?」
「いや、月が綺麗だったなと」
「判断に困るコト言うな!」
毛布と布団を蹴っ飛ばし、ついでに狐も蹴り出した。
「もう、痛いじゃないか」
「いや意味が分からない。なんで貴方がここに? 何なの?」
「お前に用事があるから、お前の家に来たんだ。何もおかしくはあるまい」
「時間帯も待ち方もおかしい。ていうかどうやって入った」
「そんな事はどうでもいいだろう……喜べ射命丸。特大スクープを持ってきたぞ」
そう言うと藍は、敷き布団の上に戻って正座して、小さく手招きをした。
表情は真剣に見えるけど……スクープだって?
一応警戒しながら、彼女のすぐ前に座る。
「私の眠りを妨げるに値するネタなんでしょうねぇ?」
「霊夢が里人に殺されそうになった」
「おひゅっ」
思わず情けない声が漏れ、勝手に身体が仰け反った。
「ごめん、もう一回言って」
「霊夢が里人に殺されそうになった」
……聞き違いじゃ無かった。
寝耳に硫酸でもぶっかけられたような気分だ。
いくら何でも、ありえるのか、そんな事が。
「いや……殺され、いやいや。え? 冗談でしょ?」
「冗談じゃないよ。銃器による射殺未遂だ」
「しゃさつってなに……」
「銃で撃ち殺す事だよ」
「いや知ってるけど、知ってるけど!」
射殺なんて単語、幻想郷が出来てから、初めて聞いたかもしれない。
いや。里人が巫女を、なんて話自体が初めてだけど。
「ああ。もちろん阻止されたよ。霊夢にも、事は気が付かれていない筈だ」
「それは良かった、けど。犯人の里人って?」
「例の結社を追い出された、致命的な愚か者達さ。当然その全員に、然るべき措置は取った」
「……そう」
想像以上に恐ろしい話だった。博麗の巫女を、人間が?
計画されただけでも危険だというのに、それが、未遂まで辿り着いた……。
カフェインに頼るまでも無く、眼が覚めてしまった。
こんなに不快な目覚めもそうそうあるまい。
「ひとまず、解決はしてるのね」
「ひとまずね」
「……一応言っておくけど。これは流石に記事にしないわよ」
私にだって、それ位の分別はあるつもりだ。
「新聞記者としてのお前に用は無いよ」
「さっき特大スクープとか言ってたクセに」
私の言葉には答えず、藍は更に近づいてきた。
「本題は、ここから」
そのまま、ゆっくりと。
艶っぽい唇を、私の耳の傍に寄せる。
「……くすぐったいから早く言って」
「天狗が、霊夢殺しに加担したんだ」
一瞬、意識が遠のいたような気がした。
「あっ、あはは。お狐様は人が悪い」
ちょっと胃液が昇ってきた感じがする。耐えろ、耐えろ私。
「でもちょっと悪趣味ね。冗談は楽しいものであるべきだわ」
「信じたくない気持ちは分かるが……ほぼ確定と言える」
「丘に帰れ……ッ! 丘にッ……!!」
「待て待て待ッ、首から手を離ッ、死ぬッ!」
しまった。私としたことが暴力に訴えるなど。
「く、国だけじゃ飽き足らず、山まで切り崩そうっての?」
「げほっ。ば、馬鹿を言え。紫様の傘は痛いんだぞ」
更に詳細な話を聞くたびに、頭痛が重さを増してくる。
銃器の横流しと無許可での銃器運用指導。
是非曲直庁管下の施設とその管理者達……つまり地霊殿への襲撃。
そして、博麗の巫女暗殺未遂。
この全てに天狗が関わっているワケだ。
ここまでやれるのは、そこらのヒラ天狗の単独犯じゃない。
ある程度地位のある者が率いる集団が、組織立って動いている筈。
……それらを、お天道様の下へ引きずり出せだって?
「きのうの、ばんごはんが、のどに、のどに」
「大丈夫か? 水を持ってこようか?」
割と本気で心配してくれているのが、却って腹立たしい。
「それより、なぜ私に話を? もっと権限のある天狗が、他に山ほど居るでしょうに」
頂点たる天魔様と管理職の大天狗達。
この2つを纏めて、大会議と呼ぶ。
更に、大会議監査室と呼ばれる彼らの部下……まあ、ぶっちゃけ私兵だけど。
そして、各天狗の頭領。各部署の長が下に続くわけだ。
では私、射命丸文は?
なんと報道二課の、主任である。ヒラの一個上だ。
しかも部下は居ない。書類上だけの地位だ。
最古参クラスで、こんな立場に居るのは私だけ。
そうなるように、あの手この手を駆使してきたのだから、当然だ。
「不穏分子がどこまで喰い込んでいるか分からない。高い地位の者や専門の人員に、いきなり事を話すのは危険だよ」
「だから私に? 古参で、低級で、自由が利くから?」
「それもあるが……私はな、お前を信頼しているんだよ」
「うわぁ。ここまで薄い言葉もそうそう無いわよ」
「本当だとも。それがどういう意味かはともかくね」
藍は口元を袖で隠し、くつくつ、と小さく笑った。
どうせ、ろくな意味じゃないんだろう。
「さて。それでは、改めてお前に頼もう」
「やだ」
「生死も、正狂も問わない。加担者を私の下に連れて来い。なんなら、人物を特定するだけでもいい」
「他を当たって。そもそも、何であんた達の指示に従う前提なのよ」
「そうか……まあ予備案はある。お前が嫌なら、それで解決するさ」
残念そうな表情で肩を落とし、私の目を、覗き込むように見つめてくる。
……恐らく藍は、最も優しい案を提示しているのだろう。天狗が内々に、最低限の外圧で、事態を処理できる案。
彼女がどれだけの予備案を抱えているのかは分からない。
確かなのは。八雲藍による強行捜査か、八雲紫への報告が、案の中にあるという事。
前者なら、恐らく天狗社会はただでは済まない。
国を傾ける大化生に、賢者の方程式が載っている。主のそれを除けば、崩せないシステムは存在しないだろう。
後者なら、何も分からない。
何が起きるのか見当もつかない。これほど恐ろしい事も、他にあるまい。
つまり。要請を断るのが、一番ヤバい。
「なるべくつよいおさけがのみたい」
「承諾感謝するよ。まあ上手くやれ、何とかなるさ」
「雑な声援をどーも……」
「私は積極的には介入できないが。橙には話をしてあるので、必要なら使ってやってくれ」
「えー、貴方の式神? 大丈夫なの?」
とてもじゃないが、大事な案件を任せられるとは思えないけど。
「橙は凄いぞ。見ているだけで元気が湧いて来るからな」
「あーそっスか。ハイハイ」
「あ、もし失敗したらお前を私の式神にするから」
「絶対いやです」
「そうなりたく無ければ、気張ることだ」
発破かけてるだけだと思うけど……目つきがヤバい。
「あと、これを」
彼女が私に寄越したのは、ボロボロの護符だった。
茶色く変色し、今にも崩れてしまいそうだ。
「地底の襲撃者が使っていた、延命符だ。粗末な出来だが、確かにその人間は長生きした」
「これは、今回の件と何か関りが?」
「分からん。敵の中にこういうのも居た、というだけだ」
「ふうん」
こんな物を使ってまで長生きして、地底を襲ってお終いか。
その人間は、一体何を成したかったんだろうか。もはや、知る事も出来ないだろうけど。
「そして最後に一つ」
「まだ何かあるの?」
藍は袖で口元を隠し、楽しそうに微笑みながら言った。
「お前、寝顔は随分と可愛らしいんだな」
「失せろクソギツネ!!」
「では、そのように」
とっさに枕を投げつけるが、既に藍の姿は無く、薄い煙と微かな甘い香りだけが残っていた。
「……どうしてこうなった」
日頃の行いが菩薩越えの私が、何故このような目に。まったくもって理不尽だ。
台所で気つけの酒をイッキしていると、朝日の光が窓から差してきた。
もうすっかり、目が覚めてしまった。
丸一日怠惰を決め込むつもりだったけど……局に行って、領収書の処理でもやろうかな。
ついでに軽く情報でも掘って見るとしよう。
こんな事になるなら、意地を張らずに昇進しておくべきだったか。
でも、すぐに頭を振って思いを消した。
判子押しと会議と接待。そんなモノで摩耗していく日々は御免だ。
とはいえ、押し付けられた面倒を歓迎できるわけでも無く。
「社会と狐に災いあれ……!」
二杯目の酒を一気に煽る。
そうだ、領収書を処理したら更なる気つけに……椛かはたてをからかいに行こう。
▽
「ふぐぐぐ……さ、さむ」
手袋、セーター、マフラー、ストッキング。
防寒具を纏い、風を私から遠ざけても、まだまだ寒い。
晴れの日中でこのザマだ。曇や雨となれば半生半死。
冬の空は大昔から、ずっと過酷なままだ。空用ストーブの発明が待ち遠しい。
さて。一連の事件のバックを引っ張って来いと強要されたワケだが、実は心当たりがある。
「……まずは拝戸さんよねぇ」
高い事務能力と人当たりの良さを武器に出世した、陽気な御老体。烏天狗頭領の側近の一人だ。
本人曰く、かつて退治されかけた時の傷が悪化したらしく、現在は半分隠居状態となっている。
彼こそが、反幻想郷思想を持つ天狗の纏め役であるという噂は、事情通の間では有名だ。
「これさえ無ければ、良い人なんだけどなぁ」
調べない手は無いだろう。
本人には顔見せ程度に留めておいて、彼の周辺を洗う方がいいだろう。
と、思索している内に報道局に到着だ。
しかし、中に入ってすぐに足が止まる。
「……およ?」
何やら、局内が騒がしい。複数人が駆け回り、不安と困惑が混じった声が飛び交っている。
これは、活気から来るそれではない。何かあったのだろうか。
嫌な予感を胸中に抱えつつ、私の職場である報道二課にけ足で向かう。
「おはようございます」
そしてここも、やはり例外で無い。
「本当に本当なのか? 間違いないのか?」
「詳細は不明ですが、確度は高いかと」
「前触れも無しにありえるのか? いくらなんでも……」
見知った顔が、見慣れない表情で、何かを囁き合っている。
そのうちの一人に声を掛ける。
「課長。おはようございます」
「やっときたか。この非常時にどこへ行っていた! 仮にも主任だろお前!」
私の上司だ。顔の怖さに比例した厳しい男だけど、ここでは希少な、信頼のおける天狗でもある。
「たった今出勤したんですよ。非常も何も知りませんて」
「この……まあいい。今日は、お前に説教を垂れる暇は無い」
「一体、何があったのですか?」
「一大事だ。そして、まったく訳が分からんのだ」
腕を組みなおし、低く唸る上司。
威嚇かな? と失礼な感想が脳裏を掠め、思わず口の端が微かに上を向く。
しかし私は、課長の言葉を聞いたその時。
「拝戸さんが治安局に拘束された」
「こッ!?」
思わず黒目も上を向いた。
「治安局員に連行される拝戸さんを、一課の天狗が目撃している。公的な発表はまだだが……どうやら事実のようだ」
「なるべくみっともなくわめきたい」
「おい、どうした。顔色が悪いぞ」
これは無い。有り得ない。有ってはならない。
治安局とは、山内の治安維持を主業務とした部局。つまり、天狗の警察だ。
設立の経緯から、不遇な立場にあるけれど……その権限は本物。
一番調べたい人物が、まさかの拘束。
彼の周辺にも調査が及ぶだろうし、間違いなく調査に深刻な影響が……!
「め、面会は! 面会は可能なんですか!?」
「拘束の理由も分からん内に、そんな事が分かる訳ないだろ。慌てるんじゃない」
「失礼します」
課長に食ってかかっていると、入口にバインダーを抱えた烏天狗が現れた。
「小桜課長。お時間よろしいですか?」
「なんだ」
苗字は無駄に可愛いんだよねこの人。
「今朝の件で、課長以上の役職者へ報告を行います。至急、会議室へお越しください」
「分かった。すぐに行く」
「課長! 面会の事、必ず聞いてくださいね! 美少女との約束は絶対ですからね!」
「ついでに、お前の永続的な減給も提案しておく」
「ひどい」
冗談の分からないお方だ。やれやれ。
部屋を出ていく課長を見送ってから、ほとんど荷物置き場と化したデスクで、持ち物の再編を行う。
予定変更。報告会はどうせ昼を跨ぐだろう。待ってなど居られない。
まずは、拝戸さんの邸宅へと行ってみよう。
▽
「まあ、そうだろうとは思ってたけど」
上流の住宅地域から少し離れた場所にある、彼の邸宅。
周辺には規制線が張り巡らされ、青地に白抜きで≪執行≫と書かれた腕章を着けた天狗が、忙しなく動き回っている。
その様子を、既に数人の烏天狗が撮影している。
「ふうん……執行課が、ね」
そのうち、玄関前に居た局員の前に降り立つ。彼の腕章もやはり、執行の文字。
「どーもー。清く正しい射命丸ですー」
「あーはいはい。取材は禁止なんで、どうぞお帰りを」
「およ。今日は随分とつれないですね」
普段なら、少し位は話してくれるんだけどなぁ。
目の前の彼は初対面だけど、規則に固執する類の天狗には見えない。
「上が妙に厳しくてねぇ。粘っても損しかしないよ」
「そこを何とか。この笑顔に免じて」
「悪いけど、珍しい指示まで出されちゃったもんで。お互いの平和の為にも、ね?」
彼は苦笑いを浮かべて目線を外し、腰に差した直刀に触れ、わざとらしく揺らして見せる。
金具が奏でる小気味のいい金属音は、冬の寒さとは異なる冷気を纏っていた。
なるほど。これは。
「……仕方ありませんね。今日は帰ります」
「すまんね。お気をつけて」
「そちらこそ、風邪など引かぬよう。では!」
翼を広げ、飛び立つ。
少し離れた、邸宅から見えない位置の木に止まり、おやつとして常備している金平糖を頬張る。
いくら何でも、ちょっと物々し過ぎやしないか。
初っ端から物騒を仄めかす辺り、かなり強い指示が下っているのだろう。
それほどの事を、拝戸さんはやらかしたのだろうか。
「あるいは、治安局の方が何かを……」
……いや、根拠の無い憶測ね。
原稿を書くわけでも無し。この辺にしておこう。
再び飛び立ち、今度は報道局へと戻る。
まだ時間が早いし、会議終わって無いだろうなぁ。
領収書だって大して時間かからない。といっても、取材に行くほど時間が余る訳でもないし……どうしよう。
なんて考えは、いい意味で裏切られた。
「あれ、課長?」
課に戻ると、そこには既に課長の姿があった。
「思いのほか早く終わってな」
「で、どうだったんですか?」
「局員用の資料があるから、それを見ろ」
そう言って、一枚の紙を渡してきた。
それには、拝戸さんの拘束に関する概要が書かれていた。
情報量は片手で数え切れる程度だけど。
「拘束理由は賄賂と脅迫……これ、本当なんですか?」
「俺も信じられん」
そう言った罪には無縁だと思っていたけど。
というか、拝戸さんは一度、潔白が証明された事がある。
彼の躍進に疑問……というより嫉妬を抱いたある天狗が、粗を探そうと徹底的に調査したのだ。
結果は白。実力と、人事異動などの動きに運良く乗れただけ。という話だったそうな。
「酔ってセクハラの方が、よほど信憑性がある」
「ですよねぇ。ところで、面会の方は……」
「すぐには無理だが、出来る事は出来るそうだ」
よ、よかった。
数分でも、話せるのとそうで無いのでは、大きな差がある。
後で、治安局へ申請しに行かないと。
チャプター2 : 明石課長の憂鬱
憂鬱だ。
出来る事なら自室に篭り、酒と溜息を嗜むだけの、寂れた動物に成り果てたい。
部下の手間そんな態度は出来ないのが、尚更に辛い。
拝戸の爺さんを拘束して3日目。僅かな後悔が心中に生まれつつある。
「明石課長。お待たせしました」
「では、行くか」
報道局の要人を、不当に拘束。
秘密を白日の下に晒し、好き放題に啄む連中だ。こんなネタを放ってはおくまい。
同じ烏天狗の身だから、よく分かる。治安局などに飛ばされなければ、私も笑顔で箸を刺しただろう。
完全な隠蔽は、不可能に近い。
ではなぜ、こんな馬鹿な真似を?
仮にそう尋ねられたとして、答えられない。
それを今から聞きに行くのだから。
取調室の扉を開けると、老いた容姿の烏天狗が、陽気な表情で片手をあげた。
「やあ明石君。お疲れのようだが、大丈夫かね?」
「おかげ様で」
「これ、陰気はいかんぞ。男前が台無しじゃないか」
全く以て、腹立たしい。
「冗句は結構。いい加減、教えてくれませんかね」
「え、何を?」
「……何故、銃を増やした。何故、人間にそれを渡した」
銃の名は、シャスポー銃。後装式の単発ライフル銃だ。
落丁した辞書を持つ皇帝からの贈呈と、幕府の買い足し。実に数千丁を超える数が当時の日本にはあった。
幕府はこれを大名諸国に販売し利益を得るつもりだったようだが、先行して輸入された銃からシェアを奪えなかった。
結局、幕府軍が僅かに使用しただけで、倉庫の肥やしになっていたという。
結界が閉じる直前に、好事家の天狗が幻想郷に持ち込んだのだろう。
それを、どうやってか手に入れて、河童に渡しグラースと呼ばれる銃に改造。
改造は比較的容易らしく、これで金属薬莢を用いた弾薬を使えるようになる。これらを必要数量産した。
部下の報告が正しければ、こうした経緯らしい。
単発式のライフル銃とその弾薬。
これらを、この男は人間に渡した。
外の世界では歴史資料か、あるいはコレクションとしての価値くらいしか無い。
だが、ここは幻想郷だ。
「銃もそうだが。まさか、弾薬まで作るとは……正直唖然としましたよ」
「よく分からんが大変だな」
「人間達は盛大に失敗しました。博麗の巫女と、命蓮寺まで巻き込んで」
博麗の巫女。博麗の巫女だぞ。
あれを人間が殺そうとした? それを天狗が後押しした?
タブーで腹が一杯だ。今すぐにでも、内臓ごと吐き出してしまいたい。
「で、だから何かね」
「賢者共の耳に入るのも、時間の問題です。下手をすれば、山の支配権さえ危うく……」
「明石君。回りくどいよ」
「は?」
腕を組んで、ふんぞり返り、彼は言う。
「天狗云々じゃない。君自身は、儂に何を言いたいんだね?」
……何もクソもあるか。陰気はどっちだ、この野郎。
「宜しいのですか?」
「宜しいとも」
「では、僭越ながら申し上げます」
人払いまでしているんだ。大声は出せない。
ありったけの怒気を込めて、なおかつ、低く細く声を張る。
「行動を起こす時は、必ず共有するって約束だろうが……!」
「知っているとも」
「何を白々しい。それが資産と情報を共同運用する条件だと……貴方から持ち掛けたんですよ」
「そうだとも。お前さん何か勘違いしとらんか。儂はそれを破った事は無いぞ」
拝戸の爺さんには、天狗における反幻想郷の元締めなのでは、という噂がある。
これは、ほぼ事実だ。
厳密には、天狗内に散らばる反幻想郷同士を繋げるパイプ役と、それらが軽率な行動をしない為の監視役を兼任している。
今回、その監視役が軽率な行動に出てしまったのだ。
「貴方の部下が動いているのは確認済みだ。貴方の対応次第では、彼らも拘束する」
「それだよ。儂は勝手をした部下の事を調べていたんだ」
「資産や情報は共同管理しているんです。銃を造る元銭は? 実際、かなりの額が消えてましたよ?」
爺さんだけ自爆するなら勝手にすればいい。
だが、芋づる式に我々が反幻想郷である事までバレたら、不味い事になる。
ただでさえ、冷遇部局に居るのだ。最悪、居場所すら失いかねない。
……爺さんの豹変の理由は分からないが、もはやこいつは厄介者だ。
我々のグループが、引き継ぎ、主導する。
「話す気が無いのなら結構。こちらに書類を渡して頂く」
「何だって?」
「同志の名を連ねた名簿と……大結界の構造調査記録。こればっかりは、忘れたとは言わせませんよ」
どこかのグループに危機が迫っても、その他に波及しないよう、グループ間の交流はあえて希薄に保っている。
全員の名を知ることが出来るのは、爺さんが持つ名簿だけ。
そして調査記録……大結界の構造に関する、だ
爺さんが主導権を握るに至った理由の一つ。
それが正しい物かは分からない。なにせ、答え合わせなど不可能に等しい。
だが、我々にとっては、まさしく縋るに値する藁なのだ。
「まあ、今日はここまでにしておきます。後日、改めて所在をお聞きしますよ」
「そうかい。次の飯が美味かったら考えてやるよ」
零れかけた溜息を堪えながら、部下と共に部屋を出る。
外には、別の部下が待機していた。
「お疲れ様です」
「何かあったのか?」
「実は、拝戸氏の邸宅に報道の連中が押し寄せまして」
「予想通りか。散らせたか?」
「はい。ですが、その中に射命丸が居たとの事です」
射命丸か……奴は少々厄介だ。賢しく、腕も立ち、何より行動力がすさまじい。
風法師、空跨ぎ、朽葉攫い。奴も色々と渾名が付いたが、未だに暴風小娘が一番しっくりくる。
小娘といっても、私より年上だが。
最近は随分と大人しくしているようだが、留意しておくか。
「監視をつけますか?」
「不要だ。気づいて逆探されたら困る。それより他所の動き……事務局や自警団の様子はどうだ」
「調査途中ではありますが、現状目立った動きはありません」
「そうか」
連中が動き出すと厄介だ。このまま静観してくれればいいが。
事務局の方には、あらかじめ種を仕込んでおこう。どこかのタイミングで、利用できるかもしれない。
逆に、自警団は根回しが難しい。
私の人脈は、そちら側には希薄だ。その動きには注視する必要がある。
やる事が多い。疲れる。
当然だが、通常の業務もやらねばならない。今なら、気怠さで神をも殺せるのではないか。
……もう何度目かも分からない溜息を、物理的に飲み込むべく、給湯室へと足を向けた。
チャプター3 : 空中戦闘訓練
珍しい事もあるものだ。珍しい事が同時に2つも起きるだなんて。
「えーっと。2人で分隊。分隊を2つ合わせて小隊。んで、小隊を3つで中隊に……合ってる?」
「合ってますよ」
「で、椛の所属は」
「九天分団哨戒大隊第三中隊第四小隊」
「……自警団ってややこしいわ」
「そうですかね」
その一つ目が、はたてさんだ。
あの引き籠りが、何と自警団を取材しにやってきたのだ。
『そういえば、自警団の事ってあんま知らないなーって』
その行動力を、普段から発揮すればいいものを。
「身体に色々と付けてるのが、仕事道具?」
「制空装備という身軽な装備です。名前は空ですが、地上でも使います。今提げている武器は訓練用ですが」
「ふーん。じゃあ、沢山つけるバージョンもあるんだ」
「滅多に使いませんが、襲撃装備なんかは結構重いですね」
「それ見られる?」
「面倒な書類を書いて、偉いさんの判子でスタンプラリーをやる必要が」
「その辺は報道局と同じなんだねぇ。盾に描いてある紅葉は、ダジャレ?」
「紅葉は九天分団の団章です」
余りに急だったので、部隊や装備の説明しかできなかった。
だが今日は、少し特別な訓練がある。それを最後に見てもらおう。
「犬走、そろそろ」
「はい。すぐに」
先輩に呼ばれた。そろそろ準備しないと。
「はたてさん。すいませんが、後は訓練を見てください」
「あ、待って。最後に一個いい?」
「何でしょう」
「椛の同僚さん達さ。妙にピリピリしてるというか……訓練なんだよね?」
「教導隊を相手に、空中戦の模擬戦をします。ただ今回は、成績が良ければ特別報酬がありまして」
そう。これが、2つ目の珍しい事。
「何か貰えるの? お米とか?」
「臨時休暇です。信じがたい事に」
私達は、余りに異質な褒美に、喜ぶことが出来なかった。
新米や中堅は得体の知れない恐怖に怯え、ベテラン達は揃って頬を抓り合った。
それ程に、衝撃的な褒美なのだ。
▽
鮮やかな冬の青空を、隊列を組んで飛ぶ
いよいよ、私達にとって重大な戦いが始まる。
小隊長が再度、簡単に説明をする。
「今回は、事前の警告は行わない。対抗部隊と交錯したら状況開始だ」
哨戒天狗の仕事は基本、ローテーションで巡回や見張りを行う。
休日は決して多くない。もし別任務が割り当てられたら、遠く延びた振替休日に思いを馳せる羽目になる。
「先生方が相手だが、気後れするなよ」
有給も、自由に取るのが難しい。
ただの連休も、他の部局に比べればかなり少ない。
だから、この機を逃す訳にはいかない。
「犬走。信号弾射出。色種は開始合図」
「信号弾。開始合図。了解」
妖力を指先に集めて、射出。
花火のような音を立てて妖弾が飛び、弾ける。
「気張れよ諸君……ついでに有給もブッ込んで、全員で連休を味わおうぜ」
「「「了解」」」
それが通る可能性は限りなく低いが、意気込みは大事だ。
今日は晴天。しかも空の中とあれば、千里眼を使うまでも無く……見つけた。
装束を薄黄色に染めた部隊、敵役の教導隊だ。
「敵性を視認。数は4。我に正対、敵方低位」
普段は使わないお固い報告。
正式な訓練だから、一応真面目にやらないといけない。
「1分隊が攻撃する。2分隊はこれを援護」
「了解。椛、行くぞ。援護位置へ移動」
「了解」
しゅばるむ、と言う編隊戦闘法に従い、1分隊より高度を取り、援護位置へ。
最近になって戦研隊や教導隊から降りてきた新戦術だ。
この模擬戦は、新戦術をしっかり学べているかのテストでもある。
「……3、2、交錯、今」
「状況開始、状況開始」
交錯後、即座に反転。
密集したまま飛び続ける教導隊の、背後を取る。
「何考えてんだ、先生方は」
「さあ……あ、1分隊が攻撃を開始」
「頭抑えるぞ。撃ちまくれ」
「了解」
樢子さん――1分隊の団員――が抜刀。隊長から弾幕で援護されながら、教導隊に向けて降下開始。
私達も彼らに上昇されないよう、空に蓋をするように弾幕を張る。
「ここで一人堕とせりゃ、相当楽出来るが……」
「ええ、そうあって欲しいですね……あっ」
だが、流石は先生方と言うべきか。
が突入を止められないタイミングで、教導隊が一斉に散開。
まるで舞い散る木の葉のように、上昇。
隊長が展開していた弾幕も、私達の弾幕さえすり抜けて、あっという間に2分隊……私達より少し上の高度まで来た。
「嘘やん……意味わかんねえ……」
慄く先輩の呟きを嘲笑うかのように、教導隊が急減速。
不味い、このままだと追い抜く。
「上は、無理か……降下だ。低空へ退避しつつ、1分隊との距離を詰める」
「了解。敵性、来ます」
教導隊が攻撃を始めた。
奇数弾火力による統制射撃……要は奇数弾の弾幕を。
「何で私にだけ撃つんですかね……」
という事だ。
私の方が弱そうだからか? 遺憾にも程がある。
教導隊の弾幕は、文さん達の放つソレに比べれば、随分と穏やかではある。
だが、やはり上手い。先輩と徐々に切り離されつつある。
……絶対に負ける訳にはいかない。こっちは連休がかかっているんだ。
大きく強く息を吐き、気合を再装填。
教導隊を睨みつけ、弾幕の中に飛び込んでいく――。
▽
過酷な訓練を終えた夜。
私は、はたてさんと共に行きつけの居酒屋に来ていた。
「カンパーイ!」
「乾杯」
御猪口を合わせ、店長が苦心して手に入れたという大吟醸を、一気に飲み干す。
……美味しさの余り、思わず口元に手が伸びた。尾が勝手に揺れて止まらない。
徳利と白い腕が伸びてきて、2杯目をお酌してくれた。
「連休ゲットおめでとー!」
顔を上げると、満面の笑みで拍手をするはたてさん。
こう嬉しそうな顔をされると、こちらも自然と嬉しくなる。
「ありがとうございます」
「臨時のお休みって、貰えるのは珍しいんだっけ?」
「ほとんど珍獣扱いですね」
「そんなに」
教導隊相手に、撃墜2、被撃墜1。
珍獣くらいは貰っても、バチは当たらないだろう。
「最近、待遇改善のキャンペーンをやってましたから。その広告塔にされたのかもしれません」
「スレてるなぁ。もっと喜びなよー」
「いえ。今の私、物凄くテンション高いですよ」
「いや全然分かんない。顔筋が全く動いてないよ」
誓って言うが、嘘ではない。酒も相まって、私の心は躍りに躍っている。
私は寧ろ、感情の起伏が激しい方だと思っているが、そうは見えないらしい。
文さんからは、セメントフェイスと呼ばれた事もある。
セメントがそもそも分からないけど。まあ、凄く固いモノなんだろう。
「ほらもっと笑って! 椛は笑うと滅茶苦茶カワイイって聞いたから見たいの!」
「誰ですか、そんな事言ったの」
「ハイ笑ってー!」
「にっこり」
「……間違い探しかな?」
会心の笑顔だったのに、酷い言われようだ。
「ところで。取材の方はあれでよかったんですか? あまり紹介できなかったので、よければここで」
「ホントに? うーん……えーっと、自警団って、外からの侵入者を追い返すのが仕事じゃん?」
「そうですね」
「でも九天分団って、山の真ん中よりちょっと下にあるよね。それって変じゃない?」
霧の湖側に西方分団。人里側に南方分団。山の東北東に山陰分団。これらは全て山の麓にある。
そして我らが九天分団は、山の南東側の中腹辺り。九天の滝の近くに位置している。
陸からの外敵を相手取るには遠い位置だが、もちろん理由がある。
「九天分団はまず、空への対処を前提に配置されています」
「いや、妖怪なんて皆飛べるじゃない。今までもそうだったんじゃないの?」
「幻想郷ができる前は、妖怪もそこまで大っぴらに飛ばなかったですからね。そこまで重視されていませんでした」
九天の哨戒天狗が、空中戦の訓練を多く行うのはこの為だ。
命名決闘の大流行もあって、その比重は結界成立直後より増している。
何しろ、誰も彼もが大量の魔弾妖弾を放ってくる。脅威でしかない。
クソ真面目な表情と、ガッチガチな文体の資料を並べて、弾幕ごっこを研究している戦技研究中隊には、頭が下がる。
何しろ、流行遊びを仕事で学ばなければならない。楽しむ暇はないだろう。少し、同情してしまう。
「他にも、例えば麓の部隊が取り逃がした侵入者を、九天が処理するとか。人手が欲しい分団に援軍に行くとか」
「お助けマン的な?」
「まあ、大雑把に言えばそんな感じの使われ方です」
「ふむふむ」
「後は、そうですね……駐屯地の場所には昔、報道局の旅館が有ったんです」
「旅館!?」
「保養地と言った方が良いですかね」
「あー。あれの事かぁ」
その場所が駐屯地にとって都合がよく、自警団はその場所を欲しがった。
旅館が建って居るという事は、土地の調査も済んでいるという事でもあるので、面倒を省く目論見もあったようだ。
一方烏天狗は、老朽化した旅館の新築を検討していたが、充てられた予算は要求を満たすには若干不足していたという。
そこで、自警団は土地を烏天狗から買い、旅館を解体し駐屯地を建てた。
報道局は、元々の予算に得た土地代と、浮いた解体費用を足して、別の場所に旅館を新築した。
「両者得をして、目出度く解決したそうです」
「へぇー。だからあの場所ってのもあるんだ」
「まあ他にも色々、ありますが……まあこんな所ですか」
「なるほどー」
色々、を突っ込まない辺り抜けているというか。ブンヤ的にはどうなんだろう。
まあ、そういう記者が居てもいいだろう。私が楽だし。
チャプター4 : 秘密の写真と消える秘密
「なんかこう、老人が喜びそうなお土産とかある?」
「えっ。文が言う老人って歳が相当な方向に私の首がッ!」
「見た目がそれっぽいだけで、実年齢は知らないわよ」
「どうでもいいから首を戻して」
申し訳ないけど、今日の私は非常に非情なのである。
もし古い友人でなければ、店ごと吹き飛ばしていた所だ。
「いたた……今日のあんた沸点低くない?」
「反省してまーす」
「ウソこけ……で、爺さんって誰? あんたの爺さん?」
「違う違う、上司」
流石に手ぶらというのも何だからね。
制限はあるものの、食べ物の差し入れは大丈夫らしい。例えば少量のお菓子とか。
好き嫌いの無い方だから、まあ一番無難な選択と言える。
「あ、その金色がいいわね。それっぽくて」
「これは高そうっていうか、本当に高いけど。いいの?」
「偉いさん相手に、安物ってワケにもいかないし……」
「お勤めは大変だなぁ」
自営業だって、苦労が山ほど有るのは知っている。
しかし、山の命運を突然背負わされる事はそうそうあるまい。
いや、これは単に私個人の不運か。
「そいじゃどーも」
「ありゃりゃっしたー」
気の抜けた挨拶を背に、翼を広げる。行先は治安局だ。
あれから数日経ってしまったが、爺さんとの面会許可が通ったので、話を聞きに行く。
余り突っ込んだ事は聞く気は無い。どうせ治安局の見張りが付くから、聞くに聞けない。
というか、その治安局が微妙に怪しい。いっそ会わない選択も考えた位だ。
「どうもどうも。若くて綺麗な射命丸です。拝戸氏の面会の件で参りました」
「ああ、はいはい。じゃあこっちで手続きしますので」
注意事項の確認と、手土産のチェック。
最後に承諾の印鑑を押して、終了だ。
「では、こちらの部屋です」
「ありがとうございます」
部屋に入ると、細長い部屋に椅子が一つ。
壁には一か所だけ、透明な板が嵌め込まれた部分がある。ここを通じて会話をするわけだ。
「いかなる理由があっても、時間で退出して頂きますので」
案内役の彼が、そのまま私の監視だ。無論、下手な真似をする気は無い。
椅子に座って、窓の向こうを見ると、ひとりの老人が既に私を待っていた。
「おお、よく来たな」
「お久しぶりです、拝戸様。この度は……」
「よせよせ。折角の面会に堅苦しい。5年振りくらいか? あれから更に綺麗になったな」
「わかりますか? 5割増しです」
「ははは。相変わらずで安心したよ」
ニッ、と笑顔を見せる拝戸さん。どうやら、ご健勝ではあるようだ。
「あ、これお土産です。どうぞお納め下さい」
「む……そうかい」
あやや、マズかったかな。
受け取ってはくれたものの、何とも微妙な反応。
食べ物の好き嫌いは無かった筈だけど……。
「もしかして、お嫌いでしたでしょうか?」
「いやいや、むしろ好物さ。だが最近、腹具合が悪くてね。また今度にしてくれ」
「でしたら。お渡ししますので、治ったら」
「こんな美味そうなの、あったら喰っちまう。それに、美人には何度も来て欲しいからなぁ」
「やだもう。お上手」
「ふっはっは!」
「あっはっは!」
と、朗らかな雰囲気の中。肩を叩かれる。
「射命丸さん。そろそろ」
「え、もう?」
「はい。お楽しみの所恐縮ですが」
流石に短すぎやしないか。
懐中時計を取り出すと、まだ5分も経っていない。事前の説明では10分だった筈だ。
……まあ、ここは従っておこう。
「拝戸様。今日はこれで失礼致します」
「おう。また来てくれや。皆にもよろしく伝えてくれ」
菓子折りを返してもらい、席を立つ。
「はい。それでは」
局員と共に、部屋の外へ。
「持ち物を検めさせていただいても?」
「どうぞ」
ポーチや服のポケット。そして菓子折りに簡単なチェックが入る。
「ご協力ありがとうございました。では、こちらに」
そして、退出の印を押して、これにてお終い。
「ありがとうございましたー」
「お気をつけて」
菓子折りを片手に、治安局を後にする。
そして、何事も。そう、何事も無かったかのように。報道局では無く、自宅へと戻る。
自宅に入ってすぐに鍵を閉め、カーテンを閉め、水を一杯一気飲み。
空のコップを机に置いて、大きく深呼吸をする。
「あの爺さん、何て恐ろしい事を……」
自分の立場を分かっているのだろうか。あまりにも危険な振る舞いだ。
菓子折りに入れられた、小さく折りたたまれた2枚の写真。
もちろん、私が入れた物では無い。打ち合わせがある訳もない。
つまり、突然、勝手に放り込まれたのだ。
「恨みますよ拝戸さん……!」
咄嗟にどうにか隠すことが出来たけど、もし運が悪ければ即バレてたわ。
とにかく。拝戸さんが危険を冒して忍ばせた物だ。少なくともお礼の手紙では無いだろう。
中身を確認しなければならない。
ゆっくりと、1枚目を開いていく。
そこには、2枚の紙の端が写されている。
片方にはただひたすら、人名が列挙されていた。
中には見覚えのある名前もある。又聞きだが、幻想郷嫌いを公言しているらしい天狗のグループ。
幻想郷を嫌う者達の……反幻想郷者のリスト?
でも拝戸さんは、そちら側の天狗の筈。仲間を売るような行為だ。何故、これを私に?
そしてもう片方には、図形に注釈のようなメモや数式が書かれている。
そして、その全てが劣化と掠れで読みにくい。
ただ少なくとも端に写った文章は、大結界における云々、と読める。
「……絶対ヤバいヤツだこれ」
何よりこの写真を拝戸さんが持っていた事自体がヤバい。
治安局が逮捕したのも、その件が本命なのか?
いや、落ち着け射命丸。
まだだ。まだそれを断定するには早い。
2枚目の写真。こちらを見てからでも、判断は遅くない。
「さてさて。何が出るかなっと」
2枚目の写真には空から見下ろすようなアングルで撮影された、日本家屋の姿。豪邸と言って差し支えないだろう。
庭は手入れが行き届いており、それらは塀に囲われ、門に守られている。
そして、母屋の一部が丸で囲われている。恐らく後で書き足されたのだろう。
特に見るべき所が無いように見えるが、とんでもない。
「拝戸さん家だコレ……」
おそらくは、1枚目に写されたものが、この丸が付いた部屋に在るのだろう。
取りに来い、と言っているようにしか思えない。一体何を考えている? 何を企んでいるのか。
「お悔やみ欄に載せるぞジジイ……ッ!」
周辺に話を聞くどころか、本人から直接アプローチだ。
ここまで露骨に指示されると、例え罠だとしても無視する方が難しい。
行くしかないだろう。
ただ、どうやって中に入ろうか……。
▽
「だから駄目だって。帰れ。剣を抜かれたくなければな」
「そこを何とか! お願いしますよー」
「駄目だ。艶めかしく取引を囁いても無駄だぞ。無駄だぞ!!」
「調子くれてんじゃねーわよ」
再び拝戸さんの邸宅に来てみたが、やはり閉鎖されたまま。
今度の見張りは知人だが、なしのつぶてだ。
「まあ冗談はともかく。本当に帰れ。剣の事は脅しじゃないぞ」
「……そもそもね。何で邸宅内の捜査まで執行課が仕切ってんのよ。これ、捜査課の仕事でしょう?」
通常執行課が行うのは、身柄の拘束や下手人の鎮圧などだ、
現場を調べたりするのは捜査課の担当のはず。
執行課が捜査活動をしているのは、ちょっとおかしい。
「……知らねえよ。俺みたいなザコに聞くなや。早く失せな」
そう言って、制帽を深く被り直す。
彼はザコでヒゲのセクハラ野郎だが、ベテランで友人が多く……嘘が苦手だ。
この反応からすると、どうも、治安局も怪しいと見た方がいいかもしれない。
「はいはい。分かりましたよ」
「まったく。おい、次にきたらマジで――」
彼の言葉が途中で途絶えた。
何かが破裂する音
耳をつんざくような複数の破裂音が会話に割り込んできた。
「な、なんだ!? 何が起きた!」
「て、邸宅の方からね」
中を確認しようと、門の中を2人で覗き込んだ時、甲高い笛の音が響き渡った。
それは次第に数を増し、音が次々と積み重なっていく。
「これは?」
「即時退避の号令だよ。マジで何があったんだ」
彼の言葉を裏付けるように。邸宅の中から、治安局員達が猛然と飛び出してきた。
「ちょっと! 何があったの!?」
誰にとなく叫ぶと、そのうちの一人が鬼の形相で叫んだ。
「早く離れろ! 家が崩れる!」
「なんだそりゃ!?」
「何なのよもう!」
塀で囲われているとはいえ、危険な事には変わりは無い。
崩壊音をバックに、走って家から距離を取る。
振り返ると、塀の中から家が消えていた。
粉塵が舞い上がる中、治安局員達が動き出す。
「集合しろ! 並べ! 点呼を取るぞ!」
「隣のヤツが怪我してないか確認しろ!」
その中から、一人の山伏天狗が私の所へ来た。階級章からすると係長クラスか。
「射命丸、怪我は無いかね」
「ええ。大丈夫のようです」
「係長、全員の集合を確認しました。内6名が軽症です」
「そうか、良かった」
ほっと胸を撫で下ろす係長。
安堵で丸まった彼の背中を、人差し指でつつく。
「係長さん、係長さん」
「何だね? すまないが取材は控えて欲しい」
「いや、むしろ帰りたいのですが」
「一応、目撃者だからなぁ。後で聴取に付き合ってもらうよ」
「うへぇ……」
面倒な事になったなぁ。まあ、私が悪いわけでもないし、短く済むとは思うけど。
それより。この崩落はどういうことだろう。
治安局……の線は薄い。調べたい事があるから、こうして越権してまで漁ってるわけで。そこを壊す理由は無い。
拝戸さんが例の書類やリストを誰にも渡さない為に、準備していたと考えるべきか。。
でも、じゃあどうして。私に大事な物と場所を、リスクを冒してまで教えたのか。
うーん……少し、手が欲しい。信用できる誰かの手。
「あの子に話をしてみますかね。本当は余り巻き込みたくは……いや別にいいか……」
チャプター5 : 切り札の外注
「いかがでしたか? 課長」
「暖簾に腕押し、だな」
あれから数回の尋問を行ったが、成果は微塵もない。
烏天狗というのは、本当に舌が良く回る。私も烏天狗だが、ああはなれない。
「邸宅はどうなった」
「崩落後、炎上しました。消火後に再捜索しましたが、それらしい物は何も」
「そうか……そうなったか」
最初は、仕掛けによって書類を家ごと喪失させたのだと思っていた。だが、この方法は余りにも不確実だ。
もっと確実な処分方法、あるいは処分せずに済む方法があったはずだ。
あの崩落は、書類とリストの捜索を断念させる為に起こした可能性が高い。
無論、第三者の手による可能性もあるが……どちらにしろ、リストや書類には予備があると私は見ている。
問題は、その予備の場所が全く分からない事だ。
「どこか心当たりあるか?」
「拝戸氏の職場くらいでしょうか」
「彼は自宅が職場だったろう」
烏天狗頭領の自宅や報道局も無関係では無いが……さて、どうしたものか。
「神の視点が欲しいな。守矢の神にでも頼みに行くか」
「課長、信徒だったのですか?」
「馬鹿を言え……一応聞くが、守矢は動いていないよな」
「はい。現状、そういった報告はありません」
よかった。これ以上面倒が増えては敵わないからな。
「課長、思い出したのですが。確か、念写の出来る烏天狗が居ませんでしたか?」
「念写……ああ、姫海棠か」
そういえば、彼女は念写で新聞を書いていたな。
念写のメカニズムに造詣は無いが……今回のように、知りたい物が明確なら成功の可能性は高いかもしれない。
「だが、姫海棠か……」
「何か問題が?」
「問題も何も……いや、そうか」
彼女は山伏天狗だ。なら、知らなくても不思議ではないか。
「色々あって、彼女の立場は少々複雑だ。下手をして事態がややこしくなる可能性も、無いとは言えない」
射命丸や白狼天狗と親交があるのも悩みどころだ。
とはいえ、強力な一手たり得るのも事実。
「よし。どこか空き時間を使って、それを検討しよう」
縋る藁を選べないのも、中々に辛いものだな。
「あと。もう一度、拘束を強行できる準備をしておいてくれ」
「……その烏天狗は、難しい立場なのでは?」
「今後何があるか分からないからな。まあ、念の為だ」
チャプター6 : ズミ狩り
「椛の家に来たの、いつ振りかしら」
当然、遊びに来たわけでは無い。彼女の手を借りる為だ。
椛は幻想郷に反する思想は持っていない。心変わりをしていなければ。
連休だと聞いたので、恐らく家に居るだろう。。
ありきたりなデザインの玄関で、戸を叩く。
「椛、居る? この射命丸が来てあげたわよ」
返事は無い。木枯らしの声だけが辺りに響く。
「ちょっと、返事ぐらいしなさい。居るんでしょう?」
やはり、だんまりだ。居留守を決め込むつもりか?
「いいのかしら? 早く開けないと私の手に天狗団扇が! ああ! 今まさに烈風が貴方の家を木の葉が如く空へと!」
「何をやっているんですか、文さん」
「あら?」
振り向くとそこには、甚兵衛姿が妙に似合う犬走椛その人が居た。
桶を抱え、頭に手拭いを載せ、頬は赤らみ、肌は艶やか。
この状態から察するに……。
「あー、あれだ。温泉的なヤツを堪能しておられた感じ?」
「連休なので、贅沢な朝風呂をと思いまして」
「ほう。良い趣味してるわね」
「文さんは、家と会話しておられた感じで?」
「いや、あんたが居ると思って」
「良い趣味してますね。健全とは言い難いですが」
ここぞとばかりにコイツは……憐み満載の目を向けるな。
いや、落ち着け射命丸。喧嘩をしに来た訳では無いのだ。
「私は優しいので、暴言は聞かなかった事にしてあげます」
「いいですけど、家と会話する暴挙は覚えておきますからね」
「実は椛に聞いて欲しい事がありましてね!」
被せ気味にそう叫ぶと椛は、表情はそのままに小さく首を傾げた。
「聞いて欲しい? 取材では無く?」
「そうよ。騒いだことは謝るし、ほら、特別報酬も」
そう言って、手にした土産を見せる。私個人の秘蔵の酒だ。
「……分かりました。上がって下さい」
「話が分かる。じゃ、お邪魔しまーす」
良かった。ここで拒否されたら色々と面倒だからね。
「お茶くらいは出しますよ」
「どうも」
数年振りに上がったけど、何も変わっていない。
というか、元々変える程に凝った内装ではない。質素で、実用的。
もう少し飾っても、バチは当たらないだろうに。
「どうぞ」
「ありがと」
「それで、聞きたい事があると」
せっかちねぇ。まあ、時間が惜しいのは確かだし。
「ああ、うん。まずは……」
「その前に」
「はい?」
「隠し事は無しですよ」
まるで動かない表情の代わりに、私を見つめる眼が語る。不誠実は許さない、と。
どうも、見抜かれているらしい。私の抱えた案件が、極めて重大である事を。
「分かってるわよ。全部話しますとも」
「え、あ、そうですか」
「何であんたが戸惑ってるのよ」
「いや。てっきり煙に巻くかと思ってまして」
「嘘はつくかもしれないわよ?」
「それは無いです。そうなんでしょう?」
……断言されてしまった。勿論、嘘を吐く気は無いけれど。
「そうですとも。じゃ、最初から話すわね」
藍から事を押しつけられた所から、今に至るまで。可能な限り詳細に説明した。
椛は黙って聞いていたけど、話が先へ進むにつれて、少しずつ表情が険しくなっていく。
無表情が基本の椛でさえコレだ。もしはたてに聞かせたら、福笑いみたいになるんじゃないだろうか。
「と、こんなところかしら。感想があればどうぞ」
「全部聞かなかった事にしていいですかね」
「いや流石に遅いわ」
「……しかし、酷い話です。尾が禿げてきました」
それは、胃が痛い、の同義語と解釈していいのだろうか。
「一応聞くけど、白狼天狗は噛んで無いわよね」
「一介の兵卒にそんな事を聞かれても困ります」
「じゃあ。幻想郷に反旗を翻しそうな白狼天狗の噂とか」
「それも返答に困るのですが……話を聞く限り、白狼天狗が加担する余地は無さそうに感じます」
「どういう意味です?」
「脳筋に姦計は困難かと」
椛も結構なパワータイプだしねぇ。
元より保守派がほぼ一強で、集団行動が日常。
反幻想郷派が居たとしても、相当動きづらい環境にある。
少なくとも、中核を担っている事は無さそうだ。
「というかですね。この話を八雲様に持って行けば、それでもう終わりなのでは?」
「証拠も無しじゃ流石にねぇ」
「手土産としては不足ですか……その書類とやらの実物が要りますね」
私に遅れて取材した同僚によると、あの後火災まで起きたらしい。
耐火金庫にでも入っていれば、無事かもしれないが。
「治安局が、邪魔ね。想像だけど、もしかしたら連中も書類を探しているのかも」
「反幻想郷主義者のリストなんて、彼らは喉から手が出る程欲しいでしょう」
「欲しがるにしても、仮に拝戸さんの拘束がそれ目当てだとして、いくら何でも強引過ぎない?」
既にこの件で、報道局の烏天狗は大々的に、そして大袈裟な報道を展開し始めている。
何しろ、今回は完全にこちら側が被害者。新聞屋としては垂涎の状況だ。
拝戸さんが賄賂や脅迫をやっていないならの話だけど。
「そこまでして、危険思想を討伐しようなんて熱意。治安局には無いでしょうね」
「さっきリストは欲しがるって言ってなかった?」
「矛としてではなく、盾としてです。後ろ暗い事に関しては、報道局とも肩を並べるのでは」
「一言余計よ」
そんな消極的だから冷遇されるんだ。あるいはその逆か。
「治安局の中に反幻想郷のグループがあるのかもしれない。だとすれば、執行課の越権も頷けるのだけど」
「拘束された拝戸という方は、口は固いのですか?」
「固い、というか、それこそ煙に巻くのが上手いのよ」
「で、あれば。現状で治安局は、仮に書類の予備があったとしても、その場所は分からないと」
「私達も、よ。実際どうしようかしらね……」
自宅で仕事をこなし、報道局ともさして繋がりが無かった方だ。ほぼノーヒントと言っていい。
知らない天狗も多いのだが、拝戸さんは≪山の天狗≫としては新参に当たる。
天狗としては古参で、後から山に来たタイプだ。なので、由縁の場所のようなモノもここには無い。
「何か素敵なひらめきが欲しい。ノーヒント攻略法」
山というのは、ただでさえ面倒な地形だ。
そこに様々な種が住まい、社会を築いている。山を歩くだけで意外と気を遣うのだ。
妖怪の山は天狗が事実上支配しているが、だからと言ってどこでもフリーパスという訳ではない。
山岳信仰の関係で、天狗でさえ不可侵の場所だってある。
まして一人や二人で探すなんて途方もない。
拝戸さんが押しつけた写真のようなヒントがあれば話は別……写真?。
「そうよ! はたてに在処を念写させればいいじゃない!」
「モノが何かは分かっているから、それなりに可能性は高いですね。でも……何か……」
場所が分かれば、対策の取りようもある。
冴えてる、冴えてるぞ私。
「じゃあ私、はたての所行ってくるわね。お酒は好きにしていいから、それじゃ!」
「あ、文さん……待ってください、文さん!」
「えっ?」
聞き慣れない、焦った声。
振り返ると、椛がちゃぶ台を乗り越えて、私のスカートの裾を引いていた。
椛の膝が湯呑みを倒し、零れたお茶がちゃぶ台と畳を濡らしていく。
「ど、どうしたの椛。そんな情けない声出して。あとお茶が零れてる、お茶が」
「治安局も……そう考える可能性は?」
思わず、呻きそうになる。
はたては色々とあって、烏天狗の間では名は知られている。逆に他の天狗は、はたての事を殆ど知らない。
では治安局はどうか。
そもそも治安局は、白狼自警団の拡大阻止の為に設立した、政治色の強い部局だ。
雑用係の群れでしか無かった白狼天狗。
彼らは『山への侵入者も退治しといて』という雑な命令を突破口に、ついに念願だった固有の部局を立ち上げる。
小間使い共に出し抜かれたとあっては恥だ、と誰が叫んだかは知らないが……。
せめて内部の治安維持まで喰い込まれないようにと、烏・山伏・鼻高の三天狗を筆頭に治安局が設立。
そして、どこも優秀な人材を出し渋り、元々存在していた種族ごとの治安維持集団との衝突が多発。
白狼天狗が権限の拡大に興味が無かった事もあり、存在は宙に浮き、評価は右肩下がりとなりました、とさ。
そうした経緯の為、治安局には今でも結構な数の烏天狗が居る。
この件に関わる治安局員にも、まず間違いなく、烏天狗が居るだろう。
「……烏天狗の局員なら、はたての事を知ってるかも」
「なら連中も、念写に頼る事を思いつくかもしれません」
「……有り得る」
大いに有り得る。私と同じように、喜び勇んで外出の支度をするかもしれない。
「というか、ある意味では、はたては優良物件だわ……」
「何故です?」
「引き籠りで、局にもあんま来ないし……友達少ないし……」
「それは、例えばその。脅しやすい、とか」
「それどころか……例え居なくなっても、しばらく誰も気が付かないかも……」
2人同時に、唾を飲み込む。
「椛、ちょっと、すぐ支度して」
「分かりました。急ぎますので」
いや、もちろん。治安局がそういう手を使うとは限らない。
彼らは既に強硬策に出てしまっている。これ以上黒い手を使うと、彼ら自身が致命打を喰らいかねない。
そんな愚かな真似は出来ない筈だ。
そもそも、念写を思いつかないかもしれない。思いついても、穏便に念写を依頼するだけかもしれない。
家に行ったら、はたてが間抜け面で出迎える可能性の方が、多分高い。
でも、どうしても、居ても立ってもいられない。
何故なら私は、いや、私に限らず誰だって知っている。
知性や精神という奴は、決して万全ではない事を。
成熟した賢人が小銭を得る為に、宝石の山を捨てるような判断を下してしまう事もある。
そうした愚考を犯す時は、よりにもよって、重大な局面だったりするのだ。
「お待たせしました」
「……その長ドスは?」
「先輩からの贈り物です。持て余していたのですが、出番がありそうで良かったです」
「良くねえよ」
「でしょうね」
「とにかく行くわよ」
この際、治安局員がはたてを訪ねると仮定して動く。
可能性は高いし、闇雲に動くよりはいい。
間に合ってくれるといいけど……。
▽
「間に合ったわね」
「ええ。間に合いましたね」
はたての自宅近くの木に止まった私達は、中に入るまでも無くそう確信していた。
「……今の所は、ですが」
目線を少し先へずらす。
制服を着た4人の治安局員が、はたての家に近づいているのが見える。
そう。今の所は、間に合っている。
「やっぱり執行課か。越権も甚だしいわね」
「執行、する気かもしれませんよ」
「冗談じゃないわ。私が連中を止めるから、あんたははたてを連れ出して」
「逆の方が良いのでは?」
「贈り物は綺麗なままにしておくべきよ」
声と表情が平坦なせいで分かり辛いけど、椛はこれで結構な激情家だ。
はたてに対しては甘い所もあるし、場合によっては、彼らの手足が宙を舞いかねない。
「はたてを連れ出したら、私の家に来て」
「分かりました。なるべく長めに止めて下さい」
「善処するわ」
椛と共に木から飛び降り、椛は裏口へ。
私は治安局員達の下へと向かう。
とびっきりの営業スマイルを浮かべ、愛想よく声を掛ける。
「どーもどーも。清くただ」
「悪いが他を当たってくれ」
むむむ。中々に防御力が高い。
「そうおっしゃらずに。すぐに済みますから」
「駄目だ。他所に行け」
「随分と頑なですねぇ」
「仕事熱心なものでな」
「……何か、大事な案件でも? 仕事は大勢で動く執行課が、たったの4人だなんて、珍しいにも程がある」
彼らの視線が鋭さを増し、空気が冷えていくのが分かる。
恐らくは図星なのだろう。まあ、予想通りではあるが。
この止め方は中々に危険なので、早めに退散したい所だ。
後は椛次第だ。頼んだわよ。
▽
「はたてさん、はたてさん」
裏口をノックしながら、声を絞って呼びかける。しかし、返事が無い。
気配は有るから、寝ているか、無視しているかだろう。
文さんも無限に時間を稼げる訳では無い。
戸を破るのは論外だし、開錠の技術は無い。根気よく呼び続けるしかないのか。
「はたてさん居るんでしょう? 開けて下さい。はたてさん」
苛立ちが募り始めた所で、ようやく戸が開いた。
「人が寝てる時に何なの……新聞も宗教も間に合ってまーふぎゅ」
地味に大きな声で喋り出したので、すぐに口を塞ぐ。
「静かに……手を離しますが、大声を出さないでください」
小さく頷いたのを確認してから、ゆっくりと手を離す。
「い、一応言っとくけど。お金なんか無いからね」
「期待してません。そんな事より、すぐにここを離れて貰います」
「え、何でよ。今日はもう布団と同化するって決めてるのに」
私だって今日は休暇だ。
本当なら、はたてさんと同じようにするつもりだったのに。
「面倒なので詳細は省きますが」
「うん」
「治安局が貴方を拘束しに来ます」
「何で!?」
まあ、あながち嘘では無いとは思う。多分。
「いやいやいや。おかしいでしょ。私何にもしてないし」
「だから、逃げようと言ってるんです」
「まさか……こないだの飲み会で部長のほっぺ叩いたのが不味かったか……」
「そうかもしれません」
「あ、あれは部長が冗談を言ったからツッコミのつもりで、手が宙を滑ってあのその」
……これ以上時間をかけるのは不味いな。
「とにかく行きますよ」
「ま、待って!」
「今度は何です」
「いや、せめて着替えさせて欲しいなーって」
私も焦っていたので気が付かなかったが……はたてさん、まだ寝間着のままだ。
流石に着替えを待つのは厳しい。かといって寝間着のままで連れまわすのも……。
「……しゃらくさいですね」
「椛?」
「はたてさん。着替えを、用意だけしてください」
「着ないの?」
「ええ。ひとまず用意だけ」
「う、うん。分かった」
小走りで家の中に戻るはたてさん。私もその後に続く。
前にはたてさんの家に来た時はかなり散らかっていたが、今日は綺麗だ。若干、足の踏み場がある。
多分、アレがどこかにある筈……あった。早く見つかってよかった。
「用意したよー」
「私も準備できました。着替えを抱いて、布団に寝転がって下さい」
「え、寝るの?」
「とにかく、言う通りに」
はたてさんが横になったのを確認してから、さっき見つけたモノを布団の下に通す。
「ちょっと。何してんの?」
「では、しばし失礼」
そして、敷布団を、はたてさんごと一気に丸める。
「へえッ!?」
更に、先ほど通した荷造り用の縄で強く縛る。
「んむー!!」
「はたてさん、静かに。少しの辛抱ですから」
ご希望通り、布団と同化したはたてさんを担ぎ、裏口から出る。
裏通りを通って家から十分に離れてから、飛び立つ。
はたてさんも理解してくれたようで、今は静かだ。
「あれ? 犬走じゃん。どうしたのその布団」
「文さんに運ぶよう頼まれまして」
「マジか。大変だなぁ」
途中で知人に出会ったが、一切の嘘をつかずに切り抜けた。
これなら問題無いだろう。このまま、文さんの自宅へ向かおう。
▽
「いいか! これ以上は、執行妨害で拘束するからな!」
「ま、待ってください! まだチルノさんの二の腕に関する、革命的な考察の続きが!」
「行くぞ! 放っておけ!」
ちっ、これ以上は無理ね。椛が連れ出し終わってるのを祈るしかないか。
こっそり後を着けて、少し離れたところから見守る。
局員達がはたての家の前に集まっている。少し慌てていて、はたてはいなかった。
どうやら間に合ったみたいね。
自宅に戻り、椛と合流しよう。
▽
自宅前に降り立つと、椛が玄関の前で待っていた。
あれ? 椛だけ?
「やっと来ましたか」
「ちょっと。はたてはどうしたのよ」
「ここに」
椛の足元に転がっているのは、丸まった布団。
……ああ、そういう事。
「完全に拉致のそれじゃないの」
「時間が無かったので」
「まあ、無事ならそれでいいわ」
玄関の鍵を開け、家の中へ。
ひとまず簀巻きのはたてを居間に転がす。
……何か、妙に静かだな。
「まさか殺してないでしょうね」
「滅相もないです」
「取り敢えず開けてやるか……」
縄を解き、布団を開く。
「はたてー。生きてるー?」
「……ぐう」
そこには、着替えを抱いて寝ているはたての姿が。
「ほら起きなさい。はーたーて」
「んんー? 着いた? ていうか文?」
「暢気な奴……説明するから、さっさと着替えてきなさい」
「うーい」
「椛はお茶請けを適当に出しといて」
「分かりました」
そして私はお茶を淹れよう。あいつらなら、一番安いヤツでいいや。
▽
「それで、私の所に治安局が来たってワケね」
「可能性が高かったから、先手を打ったのよ」
お茶を飲みながら、はたてに状況を説明した。藍から聞いた地底の件から、たった今まで。
「……なんかさ。地底にしろ、巫女にしろ。悪くないのに嫌な目にあってるじゃん」
「幻想郷を潰したい奴らが、自分勝手にやってる事だしね」
「そういうの、何かやだな」
頬杖をついて溜息を吐くはたて。その表情はどこか、寂しそうにさえ見える。
「そうね。しかも、まだ続いてるの。だから、私達が書類とリストの予備を、先んじて見つけ出す必要がある」
「見つけた後はどうするんですか?」
「捨てる。誰にでも分かるような形でね」
仮に私達が破棄したとして、それは周知されなければ駄目だ。
そうしないと、存在しない物を巡る暗闘が、延々と続いてしまう。
「というわけで。念写、してくれる?」
「やるわよ。私の力で正義執行!」
はたてはカメラを手に取り、ボタンを押し始める。
しばらく操作した後、目を閉じた。
数秒の後、シャッター音。
はたてがカメラの硝子部を見て、拳を握る。
「撮れたっ!」
「でかした!」
「何が写ってますか?」
私と椛もはたての脇に回り、硝子部を覗き込む。
そこに写っていたのは、何かの施設だ。遠くから撮っているらしく、小さくて見辛い。
しかし私は、そして椛も、この施設の正体はすぐに解った。
徒歩での侵入を阻む防壁や物見櫓。そして、門の前に立って居るのは白狼天狗だ。
彼、あるいは彼女が持つ盾に描かれているのは。
「紅葉、ですね」
「え、じゃあここって、アレ?」
「間違いないわ……九天分団の駐屯地よ」
一体全体、何がどうなっているのやら……。
チャプター7 : 最悪の集まり
最悪だ。最悪だと言わざるを得ない。
まさか、肝心の姫海棠が居ないだなんて。あの引き籠り、どこへ行った?
家にも報道局にも居ない。どころか、目撃情報すら無い。
……姫海棠の自宅近くに射命丸が居たのは、そういう事か
そもそも射命丸は、天狗への取材は滅多にしない。最も里に近い天狗、なんて異名もある程だ。
彼女が意図的に妨害したのであれば……マズい。我々の動きが漏れつつある。
「課長はいらっしゃいますか」
「いるよ。お疲れ様」
「至急、見て頂きたい物が」
慌ただしく入室してきた彼女は、一通の大きな封筒を私に差し出した。
「これは?」
「報道局の旧保養旅館の図面です」
「旧保養って、とっくの昔に解体されただろう」
封筒を開け、中身を取り出す。建物の設計図だ。
「私は図面の見方がわからないから、説明してくれ」
「専門知識は不要です。旅館を横から見た図をご覧ください。地上二階建ての木造建築です。そして……」
彼女は、もう一通の封筒を取り出した。
「次にこちらの図面をご覧ください」
「同じ横面の図に見えるが……ん?」
いや、違う。明確な違いがあった。
地下だ。最初の図面に無かった地下室が有る。
「この地下室は実在したのか?」
「はい。施工した当人達に確認しました。2通目の封筒も、彼女らが隠し持っていました」
「秘密の地下室とは、チープな話だが……これは拝戸の爺に関わりが?」
「2度目の補修は増築も含めた大規模な工事だったのですが、施工費用の一部が寄付という形で、彼の私財から出ています」
「臭いな。鼻がひん曲がりそうだ」
予算案や認可も、立場的に一度は爺さんの元を通るだろうからな。怪しいなんてもんじゃない。
「実際の出入口なのですが。まだ残っていれば、部屋から少し離れたところにあるようです」
「それはよかった。流石にあの場所は、迂闊にウロつけないからな」
「では、行くのですか?」
「夜になったらな。口外は禁止だ」
「了解しました」
さて、これが当たりだと良いのだが。
▽
「……呆れたな。本当にあったぞ」
九天分団駐屯地から、少し離れた所にある窪地。
そこの斜面に、飾り気の無い鋼鉄の扉。
掛けられたプレートには掠れた文字で≪崩落により立入禁止≫と書かれている。
「特に隠蔽などはしていないようですね」
「この方が却って怪しまれんのだろう」
恐らく、他の天狗もこの扉は把握している筈だ。
烏天狗からプレートに書かれた通りの説明を受けて、放置しているのだろう。
「開けてみましょうか」
「やってくれ」
部下が扉を引く。滑りの悪そうな、大きな音を立てながら、ゆっくりと開いた。
思わず辺りを確認したが、誰も居ないようだ。
開けてすぐに、大量の木箱や鉄の棒が置かれている。
侵入を防ぐための、意図的な置き方。プレートの文言からすれば正しい処置だ。
そして、何かを隠すという意味でも、正しい。
「よし。どかして入るぞ」
「宜しいのですか?」
「構わん。我々以外に開ける者は居ないだろうしな」
木箱には重しが仕込まれており、鉄棒は固定されている。
だが、私達も天狗だ。この程度の障害は取るに足らない。
さして時間もかけずに障害物を排除し、中へと進む。
「げほっ……凄い埃だな」
「暗いですね。夜目が効く身体でよかったです」
狭いトンネルをしばらく進む。汚れてはいるが、崩落はしていない。
しばらく歩くと、扉に行き当たった。今度は施錠されている。
「流石にフリーパスとはいかないか」
「三か所も施錠されていますね。扉も鉄製ですし、流石に工具が無いと……」
だが、これではっきりした。
この扉の奥に、何かがある。それは恐らく、私達が求めている物だろう。
「……今日はここまでにしよう」
「そうですね」
来た道を戻りながら、部下と簡単に打ち合わせる。
「信用できる人員と、装備を集めて突破しよう。回収したら、後は事態を収束させればいい」
「無かった場合はどうしますか?」
「……その時は、姫海棠を探し出すしかあるまい」
どかした障害物が見えてきた。
それらの間を縫って、扉の直前まで来た。
二人で、外の様子を伺う。
「そちらはどうだ?」
「大丈夫そうです」
「よし……ああ、外の空気がこうも美味いとは」
「そうですね。お山の空気に感動するとは思いませんでした」
部下と共に大きく深呼吸し、改めて辺りを見回す。
「では、誰か来ない内に退散するとしようか」
「いやいや。私の勘が正しければ、ここに扉がある筈なのよ」
「そうですね。早々に立ち去りましょう」
待て。今……1人多く無かったか。
「……何?」
「あれっ?」
「はい?」
もう一つの声は斜面……扉の上からだ。
部下と同時に、見上げる。
あの顔……知らない者を探す方が一苦労だ。
「射命丸……!?」
「あんた確か、治安局の……!」
互いに硬直する。
まずい。最悪の場面を見られた。しかも、私を覚えていた。
「ちょっと文。何ボサッとして……ひえっ」
「文さん早く降りてくださ……あっ」
その射命丸の背後から出てきたの……確か犬走とかいう白狼天狗と……姫海棠。
つまり射命丸もこの件を調べていて、念写で書類の場所を特定し、ここに来た。
拝戸の爺に面会に来ていたのも、邸宅に取材へ来ていたのも……。
恐らく奴らは、我々の敵側。
最初の段階で、監視を着けておくべきだった……!
「……剣が」
部下は腰に手をやるが、渋い顔をして唸る。
今日は私も彼女も、直刀を提げていない。
仮にあったとして、射命丸に敵う訳も無いが……。
「え、どうすんのコレ。ねえ文」
「課長、どうしますか」
狼狽える姫海棠と、声に焦りが滲む私の部下。
「決まってるでしょ」
「決まっているだろう」
この状況下で採れる最善手は、一つしかない。
「……では、風邪などひかぬよう」
そう言って射命丸は、踵を返して立ち去った。
白狼天狗もそれに続く。
「そちらも、身体を冷やさないように」
私も社交辞令を口にして、立ち去る。
「え、ちょっ。行っちゃうの? ねえ、文ってば」
「黙ってこっち来る!」
姫海棠の声も、遅れて遠ざかっていく。
「あの、課長。宜しいのですか?」
「連中を殺して、隠滅できるなら後を追うが」
「………いえ」
逆襲で肥料になるのは我々だ。
向こうも事を把握しているが故に、手を出せない。
だが、取り返しのつかない状況である事に変わりは無い。
最悪だ。あと、あと一歩という所で……。
「仕方あるまい……やるしかないか……」
「課長……?」
「今日は局に泊まれ。明日の早朝から準備に入る」
「準備、とは」
「明日になれば分かる」
最後の手段だ。
例え成功しても爪痕は深いが……やらないよりはマシだ。
忍び足は終わりだ。派手にやる。
チャプター8 : 火急の要件
最悪だ。最悪だと言わざるを得ない。
まさかあのタイミングで出くわすだなんて。
「え、マジ?」
「マジよ。あんた暫く報道局で寝泊まりしなさい」
あいつは見覚えがある。確か明石とかいうヤツだ。
結界の構築が決まった辺りから急に仕事が粗雑になって、治安局に左遷された烏天狗だ。
まさか治安局で課長になってたなんて、出世したもんだ。
「課長にはちゃんと話を通しておくから」
「宣戦布告?」
「いや何言って……あっ、馬鹿かあんた。執行のじゃなくて、ウチのよ。小桜課長よ」
「まあ知ってたけどね。ホントに」
昨日はひとまずウチに泊まらせたけど、事が落ち着くまでは局内が一番だ。
報道にもヤツの同志はいるかもしれないけど、大勢が詰める場所で、手荒な真似は出来まい。
椛も休暇が終わったので戻ってしまった。
私が気張らないとはたてが……いや、お山が危ないのだ。
▽
まだ朝も早い時間。報道局のエントランスで、小桜課長と出くわした。
「課長、おはようございます」
「おはようございまーす」
「なんだお前ら。まだ泊まってたのか」
報道局の一室を『合同執筆の為』と偽って泊まり始めて、数日が経った。
今の所、問題は無い。ただ、周囲に気を付けながら仮の寝床で寝ると言うのは、中々に疲れる。
こうなるなら、本当に式の式を借りておけばよかった。
迂闊に身動きが取れない今、まさに猫の手も借りたいといったところだ。
「熱意が有るのはいいが、体調管理にも気を配れ」
「勿論です課長。私がしっかり監視しておりますので」
「心配なのはお前の方だ、射命丸。お前の徹夜強行軍に、姫海棠を巻き込むんじゃないぞ」
「あっ、いえ、はい。それはもう、へへへ」
「怒られてやんの。うける」
「うるさい」
クソッ、課長がいるとやり辛い。
実は課長の方が年下……というか、局員のほとんどが年下なんだけど。
課長はこういう気質の人だから、普通にめっちゃ叱って来るのだ。
「と、ところで。あちらにいらっしゃる、白狼天狗の方は?」
話題を逸らすべく、先ほどから視界の端に映っていた巨躯を見る。
あの出で立ちは少なくとも、ただの偉いさんではない。
「九天分団の分団長だ。失礼の無いようにな」
「へえー、スゴイ。そんな偉いヒトが何でこんなトコに?」
「交流会の打ち合わせだそうだ」
「支社のトップがわざわざ来たんですか」
「ウチの局長と馴染みらしい」
半分私用みたいなものかな。
よほど暇なのか。こんな事でもしないと、やっていられないのか。
「じゃあ、俺は行くぞ」
「あ、はい。はたて、私達もいくわよ……あれ?」
去っていく課長を見送ってから、はたてに声を掛ける。
だが、隣にいたはずの姿がない。
「すいませーん。インタビューいいですかー?」
「僕にかい?」
カメラをマイク代わりに差し出すはたての前に居るのは、熊のような身体に、恵比須顔を載せた……。
「ブンダンチョウさん? でしたっけ。白狼天狗に友達がいるので、その上司さんにも是非お話を聞きたいなーと」
……厳めしい制服を着た、白狼天狗。
「そうだなぁ。局長の手が空くまでなら、いいよ」
あ、あの子ヤバすぎる。怖いモノ知らずか。いや、マジ勘弁して。
「あやややや。もっ、ホント申し訳ないですウチの若いのが。すぐ引っぺがしますんで」
「ちょっと。私が先だからね」
「願いだから大人しくして下さりませんかねぇーッッ」
「何でよ?」
いや何キョトンとしてんだお前。可愛い顔したって駄目なモノはダメなの。
「ウチの者が非礼を働き申し訳ありません」
「いやぁ、僕は別に構わないよ。暇だったしね」
「ホラね」
「ホラねじゃないわよ。そもそも今の私達は――」
「全員動くなッ!」
突然、エントランスに怒声が響き渡る。
入口の方を見ると、朝方だと言うのに、大勢の天狗が詰めかけている。
「そこの君! 役職者をここに呼びなさい!」
「は、はいっ!?」
一番近くに居た報道局員に指示を出す彼女は、鼻高天狗。
緑色の腕章には白抜きで≪査察≫の文字。
事務局の査察課……各部局の不正を調査する課だ。
すぐに、各課の課長や係長が入口に現れる。
小桜課長が、前に出て声を飛ばす。
「こんな朝早くから、一体何の騒ぎだ」
「事務局査察課、査察官の澤木です。こちらをご覧ください」
彼女が差し出したのは、一枚の紙。
大きな印が捺された紙を見て、小桜課長が小さく慄いた。
「馬鹿な、これは……」
「不正入札および公文書改ざん! これを筆頭とした、大小合わせて6つの不正行為!」
どこまでも届きそうな大声で、彼女は告げる。
「これらの調査の為、現刻を以て報道局に対し、強制査察を執行します!」
い、いったいどこまで事を面倒にすれば気が済むのよ!
「ば、馬鹿な事を言うな。強制執行の前に、まず通告と任意調査が……」
「何だ、何なんだこれは! 小桜君! 彼女は何と言っている!?」
遅れて、部長などの上層部が顔を出す。
査察官が再び令状を見せ、小桜課長が説明する。
「君、馬鹿な事を言っちゃいかんよ! 強制執行の前にはだね!」
「それはさっき聞きました。そもそも、通告と任意調査は、本来の手順には無い事はご存じで?」
「な、何だと……」
「余りにも解き明かし過ぎると、浄化のつもりが崩壊に至る可能性が有りますから。まあ温情という奴です」
査察官は俯いて、中指で眼鏡を押し上げる。
「普段は、の話ですがね。今回は事の重大さを鑑みて、最初から強制執行と相成りました」
「それだよ。我々には、その罪状に一切の覚えが――」
……ははぁ。あの様子だと、若干の覚えがあるわね。
当たらずとも遠からじ、といった所かしら。
「ね、ねえ。強制執行って、されるとどうなるの?」
「されるとね……あいつ等クソだから片付けないで帰るせいでクソ後始末がクソ大変なのよ……!」
「3回もクソって言うあたり相当なのね」
普段なら、それだけを心配すればいい。
だけど今の私達にとって、強制執行には一つの不安がある。
「分団長殿。見えますか?」
「ああ、見える。警護の治安局員……ブラフでは無いようだ」
査察妨害に備え、治安局員が護衛するのが決まりになっている。
そしてそれは、荒事に慣れた執行課の担当だ。どうにも、気になってしまう。
分団長殿は知らないだろうが……ドサクサで、はたてを掻っ攫うつもりじゃないだろうな。
明石が把握していたスキャンダルを種に、事務局を動かした可能性もある。
いや、タイミング的にかなり高いか。
「あーちょっと良いかな」
「何でしょうか。九天分団長殿」
「僕は報道局の天狗じゃ無い訳だし、帰しては貰えないかね」
「強制執行中は、部外者であっても拘束と連行を行える権限があります。恐縮ですが、抵抗はなさらぬよう」
「……そうかね」
確かに規定ではそうかもしれないけど、他部局で無関係の要人を拘束するつもりなのか。
これ、マズいんじゃないのか。私達も、報道局も、事務局自身も。
「射命丸君。ちょっと」
「はい?」
「どうも妙だね。強制執行に、部外者を拘束する権限なんて無いはず」
おっと。それはまた、かなり怪しくなってきた。
「連中、事務局とは別に動いている可能性もある」
「護衛も居るのにですか」
「だから、疑いにくいだろう? 何事も見た目からだよ」
そう言うと、彼はメモ紙に何かを書き連ね、私に渡た。
「包囲を突破し、これを九天に持って行ってくれ」
「えっ!? いや、しかしですね」
「事務局の確認を取る時間が欲しいんだ」
確かに、ここで一番足が速いのは私だ。外の連中を出し抜く事なんて造作もない。
だけど、怪しいとはいえ強制執行が宣言されているのに、そこを脱するのは後々面倒な事に……。
「座して待てば、それこそ面倒な事になるさ」
「心を読まないで下さい」
「頼むよ、風法師。最速と呼ばれる、その翼で」
周囲に居た他の天狗達も、何かを察して私を見つめている。
「……事後に私が追及の対象になったら、擁護して頂きたく」
「勿論だ」
はたての身を頼もうとしたけれど、分団長がそうでは無い保証もない……。
やはり私が速攻で戻るしかないか。
「はたて。あんた本当に気を付けてね」
「それ私の台詞なんですけど」
やっぱ物凄く不安だ……。
「いい加減にしたまえ! これ以上の業務妨害は許容できんぞ!」
「それはこちらの台詞です!」
向こうもヒートアップしてきた。この隙に、あの窓から飛び出そう。
翼を出して、走り出す。
「いち、にいの……」
「とにかくここは! って、射命丸?」
「君、いったい何を」
「さんッ」
風を呼び、床を蹴り、窓に飛び込む。
鎌鼬ベーリングの要領で纏った風が、硝子を砕き、無傷で外へと飛び出す。
外で待機している護衛の治安局員達が、一斉に驚愕の表情を浮かべた。
「き、貴様何を――」
「ちょっとそこまで」
風を解き、一気に加速する。
あえて追いすがる者も居ないだろう。後はこのメモを渡して、速攻で帰って来るだけ。
……これ終わったら、私も連休とろうかな。
チャプター9 : 潜入と奪取
特に、何かをしていた訳でもない。
休憩時間にベンチで呆けながら、文さんとはたてさんは、どうしているかを考えていた。
まあ、文さんが付いている以上は、大丈夫だと思いたい。
「何だお前。ボケたツラして」
「あ、先輩」
「小隊長を見なかったか? 来月のローテで聞きたい事が……うおっ、何だあれ」
先輩が見上げた先には、猛スピードで突っ込んでくる何か。
……あれ、文さんじゃないか?
それは私達の目の前で急減速し、大量の砂埃を巻き上げながら着地してみせた。
「ぬああッ! 煙い煙い!!」
「けほっ……文さん、何の真似です。ここは駐屯地ですよ? 下手すれば問題に」
「も、椛だ! 私ツイてる!」
私としては最高に不運の予感なのですが。
「こちらの美人さんはどなたで?」
「先輩です」
「照れるね」
「なら話が早い、これ見て下さいこれ!」
文さんが差し出したのは、畳まれた一枚のメモ紙。
それを受け取って開き、覗き込む先輩とともに中を見る。
その字体と内容を見て、私は思わず天を仰ぎ、先輩は目を見開いた。
「分団長が拘束……」
「確かに分団長の字だが……何でお前がこれを持ってる?」
「まず報道局が強制査察ってどういう事なんですか」
「というか何で分団長が報道局にいるんだ」
「はたてさんは無事なんですか」
「お、落ち着いて。そんないっぺんに答えられない」
それもそうかと、二人そろって、いったん口を噤む。
「とにかく、これを九天分団に渡せと分団長殿に言われたの」
「強制査察の件はどういう事なんだ」
「その査察自体が怪しいから、こうして遣わされたのよ」
「はたてさんは」
「今の所は無事だけど、査察の警護は執行課の担当。つまり、わかるでしょ?」
このままだと、分団長が不当に拘束されてしまう。それは、白狼天狗として許容できることではない。
そしてはたてさんに関しては、先日の件を考えると……。
「とにかく、メモを司令部に持って行きます」
「頼む。私は隊に話を持って行く」
「あのー私は」
「司令部の外で待っていて貰えますか?」
「わかったわ」
駆け足で司令部に入り……どうするか考えていなかった。
分団長室? 指揮所? あ、事務室に行けば士官がいるか。
と、考えていた所で、視界の端に見知った顔が映った。
哨戒大隊の大隊長。私の上司の、上司の上司。
「警佐、お時間よろしいですか?」
「おう。どうした犬走」
「至急です。このメモをご覧ください」
「何だ急に……分団長の字か?」
短いメモを読んだ大隊長は、困惑した表情で顔を上げた。
「これは、この内容は確かなのか」
「報道局の射命丸が、分団長から直接受け取ったとの事です。既に隊の方には警士長から伝えております」
「信用できるのか?」
「この件に関しては、信用して良いかと」
「根拠は」
「射命丸に対する、個人的な経験則です」
「……分かった。ついてこい」
「はっ」
大隊長が向かった先は、指揮所だ。
普段は閑散としており、当直の団員や有線通信の担当員が僅かに居るだけに過ぎない。
「入ります……あ、ここにいらしたのですか」
その僅かな中に、副分団長も居た。
「おお、君か。今本部の方から連絡があってな」
「本部から、ですか?」
「報道局に事務屋が押しかけてるらしいぞ。何をやらかしたのやら」
思わず、警佐と顔を見合わせる。
「そ、それに関して至急の報告が」
「知ってたのか、耳が早いな」
「報道局の強制査察に、分団長が巻き込まれたようです」
「な」
「査察官から拘束を明言されたとも」
例のメモが副分団長の手に渡る。
「馬鹿な。無関係の人員を拘束する権限は無い筈だろうが」
「射命丸が包囲を突破してここに持ち込んだそうです」
「ふざけおって……いや、何にしても確認の必要があるな。待機中の中隊を」
その時、バリバリという大きな雑音が、有線通信機の方から流れてきた。
『南方分団本部より、全ての本部及び分団へ至急。南方分団本部より――』
「今度はなんだ」
『架空策道の麓側発着所で道具小屋が爆発。現地の守備隊が、現場から逃走する影を見たと報告があった』
「おいおい、あそこで爆発って……」
「まさか、犯人は山内に?」
『現段階で負傷者は無し。発着場の封鎖は完了。哨戒中隊が現場周辺を検索中』
『犯人の山内侵入を考慮し、各分団は発着場方面を警戒せよ。繰り返す――』
「……待機中の中隊はこの件に回す。即応出撃し、九天南方に臨時の哨戒線を構築」
「了解。分団長の件は、いかがなさいますか」
「別の中隊を送れ。事務局にも法務官を行かせる……あくまで状況把握の出撃だ。面倒は避けるように」
「徹底します。行くぞ」
「はっ」
何か、思っていた以上に大事になっている気がする……。
▽
運よく私の所属する第3中隊が、分団長の案件に関わる事になった。はたてさんは無事だろうか。
報道局に到着した時、既に現場は臨界寸前の状態にあった。
凄まじい怒号と、聞くに堪えない罵声が飛び交っている。
口先だけで収まっているのが不思議なくらいだ。
「既に複数の窓が割れてますね」
「ブン屋が抵抗したのかな? 流石に気合入ってンなぁ。つーかあいつら、めっちゃ見てくるんだけど。おーい」
どうみてもチャラ男にしか見えない我らが中隊長が、笑顔で治安局員に手を振っている。
余り刺激しない方が良いと思うけど。
「副官。一応、こっちからも声かけようか」
「はっ。全隊降下!」
中隊が地上に降りる。
直ぐに、治安局員達が間に割って入る。
中隊長とは対照的に生真面目な副官が、大声を張り上げる。
「此方は、白狼天狗自警団である! 不当に拘束されている九天分団長を直ちに開放しろ!」
「強制執行は正式かつ公正な根拠の下に行われている。異議は書面の方でしてくれ」
大盾を構えた治安局員達が、中隊の前に集まる。
こちらも襲撃装備……つまり重装だ。普段つけない小手や脚甲なんかも付けていて、重い。
「哨戒の中隊長だけどさ。警護のアタマってどちら?」
「俺だ」
「ちょっといいかい」
「手短にしろよ」
中隊長と警護隊長が顔を寄せて声を潜める。
「……このままじゃヤベー事になるってわかってんだろ? 事務屋の姉ちゃん若干ムキになってるっぽいし、あんたの方から口利いてくれよ」
「……私個人としては理解しているが、我々には警護以上の権限が無い。査察に口を出す事自体が越権なんだよ」
「……じゃあせめて分団長の奪還は見逃してくれよ」
「……お前そんなに俺の人生を台無しにしたいのか」
白狼は耳が良いので、どうにも聞こえてしまう。
人だかりから聞こえる声は、更にヒートアップしている。暴発寸前の危険な状態だ。
「ていうか……」
が、その声の一つが、急に平静を取り戻した。
嫌な予感がする。
「そもそも強制執行なのに、何で向こうの言い分を聞いてるのかしら私」
ああ、気がつかなければ良かったものを。
「さ、査察官。流石にこの状況下での強制執行は……」
「警護隊長。貴方に進言の権限は無い筈ですが」
たまりかねた警護隊長が越権を行使するも、なしのつぶて。
「これ以上、時間の浪費は許容できません」
察した治安局員が、大盾を構えて後退する。
「マジかよ……中隊は準装抜刀。仲間を斬るんじゃねえぞ」
「しかし中隊長。可能な限り面倒は避けよと……」
「可能な限り避けただろ。腹ァ決めろ」
準装、この場合は予備の剣鉈を腰から抜く。
屋内での戦闘では、打刀は同士討ちの危険があるからだ。
「強制執行開始! 行きますよ!」
査察官の宣告と共に、大勢の足音が響き、怒号が響き渡る。
治安局員達も、入口のガードを残して中へ入ってしまった。
「1小、2小は入口をどうにかすんぞ! 俺に続け!」
「3小、4小は窓から突入! 急げ!」
「はっ! 第4小隊は……あの窓から行くぞ!」
小隊長の指した窓は既に割れている。これなら入りやすいだろう。
「貴様ら! 窓から離れろ!」
「先輩、早く入って下さい」
「わかったから押すな! 落ちる!」
妙な所でどんくさい先輩をせかしながら、文さんはどこに行ったかを探してみる。
……見当たらない。別の場所から入ったのだろうか。
「離れろと言ってるんだ!」
「邪魔です」
「おわッ!」
私達を引き剥がそうと突っ込んできた、治安局員の大盾を蹴り飛ばす。
彼がよろけている内に、ようやく入った先輩に続いて局内へ。
「こりゃ、酷い有様だな」
「ですね」
バインダー抱えて突入する事務局員と、それをガードする治安局員。
そして、そこに殺到する報道局員。中には早速インタビューを始めるブン屋までいて、壮絶にも程があった。
「いや、それより分団長は!?」
「あちらに」
エントランスの奥に、分団長の熊のような巨体が見える。
そのすぐ近くには、はたてと文さんの姿もあった。あの人いつの間に……でもこれで安心だ。
「自警団を行かせるな!」
しかし、その間に治安局員が割って入る。
「警護をどかせ! 切り込むぞ!」
その一瞬、小隊長が私に合図をした。
成る程、そういう事なら。
小隊が治安局員と押し合っている間に、隙をついて奥へ突入する。
「行け! 椛!」
「あ、コラ! 突破された! 誰か止めろ!」
飛び交う怒声をバックに、分団長やはたてさん達の下へ向かう。
「分団長、ご無事ですか」
「今の所はね」
「はたては私に任せて。あんたは仕事してなさい」
「お願いします」
「頑張ってねー!」
ウチの小隊と別の小隊もようやくたどり着いた。
これなら出られるだろう。
「分団長! ご無事でなによりです!」
「脱出しますので、こちらへ」
「頼むよ」
「椛、よくやった! 行くぞ!」
「はっ」
だが、去ろうとする私達と入れ替わるように、治安局員達がはたてさんの方へ向かう。
まさか、あいつ等……。
「いたぞ!」
「射命丸! その天狗をこちらに渡せ!」
踵を返し、小隊から離れる。
「……この混乱の中、よくやるわね」
「あっち行ってよ。しっしっ」
「事務局から拘束指示が出ている! 大人しく……なっ」
剣鉈を鞘に納め、打刀の柄を握る。
ようやくこちらに気が付き大盾を向けるが、無駄だ。
「文とはたてに」
「貴様、抵抗するなら――」
「近寄るなッ!」
そのまま、切り上げる。
大盾が斜めに割れて、上半分が落ちた。
「この……おわあっ!」
一瞬ひるんだ治安局員達が、横合いからの突風で吹き飛ばされた。
風の根元を見ると、文さんが葉団扇を構えている。
「こっちはいいから」
「すいません。今度こそ、お願いします」
再び背を向けて、窓から出ようとしている小隊の後を追う。
「おい椛! 遅いぞ!」
「すいません」
「ここを出たら、分団長を駐屯地に送り届けるぞ」
「分かりました」
ひとまず、私の仕事はどうにかなりそうだ。
しかし、ここまで大事になって、文さんの件はどうなるのだろう。
収束に向かってくれればいいが……。
▽
「……よし。想定通り、自警団が部隊を出した」
なにやら、報道局は大騒ぎみたい。
麓でも事件が起きて、白狼自警団はあちこちに出撃している。
人が減ったその隙に、地下の扉を突破しようってわけね。
用心深いなぁ。まぁ、その方が私が楽だもんね。
「行くぞ。準備はいいな?」
2人残して、4人が地下道へ入っていく。
見張り、残されちゃったか。しょうがない。
少しの間、ここで時間潰して……。
そろそろ良いかな、始めよう。
▽
手に付いた血を払いながら、真っ暗な地下道を、抜き足、差し足、忍び足。
少し歩くと、開かれた扉があった。
壊れた錠前が落ちている。こんなゴッツイの良く開けられるなぁ。
その先には明かりが灯り、誰かの声が聞こえる。先に入った治安局員達だ。
よし、ここから始めよう。あんまし近づいてからだとバレるし。
妖力はたくさん貸して貰っているけど、それでも、相手は天狗だもんね。
見張りよりも数は多いし……不意打ちで始めて、不意打ちのまま終わらないと勝てない。
そして何より、私だとバレる前に全員倒さないと駄目。
一応、貰ったお面で顔は隠してるけど、もしバレて報告されたら、山に居られなくなっちゃう。
……よし、やろう。
残りの距離を、足音無しで駆け抜けて、飛び掛かる。
「これ全部か? 探し残しが無いか――」
部屋の入口に居た天狗を、背中側から心臓を爪で刺す。
「おい、どうした?」
「震えてるぞ……おい! 大丈」
駆け寄って来た二人の喉を裂く。
……最後の一人。部屋の奥に居るヤツ。
「そこに居るのは誰だ!」
天狗が腰の刀を抜く……さあて、ここからが正念場で、私の特技の出番だ。
ゆっくりと、ゆっくりと歩み寄る。
「天狗ではないようだが、我々を倒したところで……おい、止まれ!」
そして、なるべく姿勢を変えないで……一気に加速。
そうすれば。
「な、消え……ッ」
▽
4人とも動かなくなったのを確認してから……その場にへたり込む。
「ふひゅー……」
あ、危なかったぁ……!
失敗したら、天狗に打ち首獄門にされるとか言われたから、心臓バクバクだったもんね……。
おっと、いつまでもヘタってるわけにもいかない。こいつらが、いつ復活するか分からないし。
倒れている連中の手から、床から、部屋にある箱とかから、紙の束をかき集める。
多分これで合ってるはずだ。
面倒だから、書類の入った鞄を貰って行こう。集めるだけ集めたら、さっさと逃げよう。
一時はどうなるかと思ったけど、これならご褒美を貰えるんじゃなかろうか。
何にしようかな……お魚山盛りとか……いやいや、帰るまでがお仕事。まだ気を抜いちゃ駄目だ。
早く、藍さまの所に帰らなきゃ。
チャプター10 : 退場
終わった。今度こそ終わった。
何故この日に限って、報道局に自警団の要人が居たんだ。
わざわざ麓で事件を起こしたというのに。
あれが来なければ、姫海棠を確保できたかもしれない。
事が終わるまで彼女を軟禁すれば、向こうの切り札と我々の保険を同時に手に入れられる筈だった。
同時に進行させた地下室の突破は、確かに成功した。
だが肝心の書類は行方知らず。部下は急所を裂かれて、一時的に無力化されていたようだ。
襲撃者は誰なんだ? 射命丸も、姫海棠も、あの白狼天狗も、動ける状態には無かった筈だ。
いずれにせよ、限界かも知れん。
ここで身を引いて、ほとぼりが冷めるまで雲隠れでもしようか。
いつも以上に憂鬱な気分で、取調室の扉を開ける。
「よう」
「今日は取り調べの前に、少し外の状況を報告しておきます」
「何かあったのかい」
私は拝戸に対して、強制執行とその失敗を報告した。
報告中、彼は茶化すことも無く、ただ静かに聞いていた。
「こんなところですかね。それでは、取り調べを……」
「明石さんよ。少し、2人だけになれねえか」
想定していなかった要望に、少しだけ戸惑う。
何が目的だ? まあ、どうせこんな状況だ。懸念も今更か。
「わかった。君、外してくれ」
「分かりました」
部下を退出させ、再び向き合う。
「で、どういうつもりです?」
「お前さん、いつまで意地張っているつもりだ?」
それは寧ろこちらの台詞なんだがね。
「このままじゃお前さん、本当に居場所が無くなるぞ」
「貴方が吐いてくれれば、そうならずに済むんですがね」
「何度でも言うがね。俺は何の指示も出していないし、金にも手は着けちゃいない」
「何度も聞きましたが、貴方の配下が勝手に行動したと?」
「恥ずかしい話だが、そういう事になる」
そのパターンは考えた。有り得ない話では無いからだ。
だが、今回の件に関しては、懐疑的に見ざるを得ない。
「金はどうする。ライフルと弾薬の製造には河童の協力が不可欠だ。天狗の方が格上とはいえ、連中は奉仕精神で生きている妖怪じゃないぞ」
ライフルに限った話じゃない。暴力や恫喝で全てを賄えるほど、天狗は恵まれた種族じゃない。
正当な対価が居る。解りやすく、素早く対価を示せるのが金だ。事を成すには、結局の所金が要る。
「だから、資金源が儂とは限らないだろう」
「では、共同資産が減っていたのはどういう事です」
「それは……」
既に何度も繰り返した問答。
「それは、私の方から」
しかし、意外なところから返答が来た。
開かれた扉に立って居たのは、私の腹心として動いていた部下だった。
その後ろには、数人の見慣れない天狗達。
「ここまでです。唐突ですが、課長にはご退場願おうかなと」
「何だそれは、どういう意味だ」
部下は答えない。代わりに、後ろにいる天狗達の一人が前に出た。
「大会議監査室です。明石課長、貴方を連行させて頂きます。理由はお分かりですね?」
大会議監査室!?
何故だ。どうして、大天狗達の私兵がここに居る!
「内通か。とぼけた顔して、ようやるわい。」
「善良な治安局員として、課長の行動は見過ごせませんから」
どうせ、褒賞に釣られたんだろうが……!
「……書類を奪取したのも、監査室だったのか」
しかし、監査室の天狗は首を振る。
「いえ。それに関しては、我々も出し抜かれました。≪上客≫が手荒な真似をしてくれましてね」
上客? 一体誰の事だ?
「彼女達からすれば、武器供与の主犯を手に出来ればそれで良いそうなので、リストを一部閲覧させて頂きましたが」
「主犯……儂の仲間か! あいつらをどうした!?」
「分かりかねます。もはや我々の手を離れましたので。ああ、拝戸様に関しては、特にこちらは何もしませんので」
「リストの情報で、何をするつもりだ?」
「我々の意思にそぐわない、反幻想郷主義者を、刈り取っていくために」
そうか。部下は内通していたのでは無く……別の反幻想郷グループから、我々に潜入していたのか。
共同資産から金を抜き、拝戸の配下に与えた後、大会議に通報。
2つのグループを一気に消し、大会議への情報提供の見返りに、自分たちは生き残る。
拝戸が見逃されるのは、彼の何かが、その意思とやらに沿っているからか?
「さあ、課長」
結局、内ゲバだったという訳だ。
両脇を固められ、仕方なく立ち上がる。
部屋を出る直前に、部下から尋ねられた。
「課長は、何故幻想郷をお嫌いに?」
……冥土の土産という奴か。立場が逆だが、まあいい。
「山に引き籠って、人間みたいに政争に明け暮れる日々が、妖怪の楽園の生活だと思いたく無くてね」
「まあ、気持ちは分かります」
「後は、命名決闘法が気に入らなくてな」
「どういう事です?」
「……命名決闘法は、幻想郷の、妖怪の存続の為に造られたんだよな?」
妖が人を襲い、人が妖を退治する。そのサイクルを維持する為のシロモノ。
「……では、例えば地底は?」
「はい?」
「地底には、人間が居ない。近年まで地上と交流すら無かったから、人と地底の妖が出会う機会も無かっただろう」
人と妖が揃って初めてそのサイクルが成り立ち、それが妖怪の存続に必要なのであるならば……。
「命名決闘法も、地底では根本的に成立しなかった筈だ。では、何故地底の妖怪は存続出来ていた?」
「それは……」
「人間のように生きるのが嫌だったのもあるが……幻想郷そのものが、気味が悪くて仕方なかった」
本当に、命名決闘は必要だったのか?
本当に、妖怪は人間が居ないと生きられないのか?
本当に、幻想郷は、妖怪の隠れ家なのか?
俺には、よく分からなかった。
「……おい、そろそろ連れていってくれ」
「これは失礼」
「では拝戸さん。これにて」
「……ああ、達者でな」
達者、ね。
込み上げた苦笑いを爺と部下に見せて。
それで、扉は閉じられた。
チャプター11 : サナトリウム妖怪案
「ああ……疲れた……」
報道局の件から数日後。私は自宅で新聞も書かずに、グッタリとしていた。
アホみたいに長い事情聴取に加えて、執行で滅茶苦茶になったエントランスの片付けに駆り出されて疲労困憊。
「今日は何もしない……絶対しない……」
査察官に情報を流した治安局員……あの烏天狗の明石が、大会議監査室に拘束されたそうだ。
他にも過剰な越権行為の数々が発覚し、そして、反幻想郷勢力筆頭の一角である事も断定された。
事務局も、例の査察自体にかなり問題があったらしく、逆に査察に入られる羽目になったらしい。
拝戸さんは無事に釈放された。邸宅の再建が終わるまで、仮住まいに居るようだ。
あの後、例の地下道へ行ってみたが、見事にもぬけの殻。証拠となる書類は見つからなかった。
荒れた地下室には、僅かに血の匂いも残っていた。
「書類とリスト。誰が手に入れたのかしら……」
「お答えしようか」
「何よあんた知って……え、は!? 藍!? 八雲藍!?」
「お疲れの様だな」
いつの間にか、あの朝以来姿を見せていなかった藍が居た。
唐突に現れるのはやめて欲しい。ホントに。
「……人の休暇を邪魔するだけの、理由があってここに居るんでしょうね」
「勿論だとも。黒幕確保のお祝いだ」
「黒幕確保って……拝戸さんの事?」
「違う。今回の件、彼も実は被害者だ」
藍は明らかになった事実を説明し始めた。
地底と武器供与の件は、拝戸さんの配下が独断で行った事。
治安局の明石が、グループの主導権を握る為に、リストと結界の構造図らしきモノを奪取しようとしていた事。
結局の所は反幻想郷思想の内ゲバで、それを大会議が利用しようとしていた事。
そして……結界構造図の方に関していえば、その内容が全くのデタラメだったという事。
「色々聞きたい事は有るけど、結界の図がデタラメなのは確かなの?」
「ああ。私は大結界の全てを知っているワケでは無いが……少なくとも、あの図の構造には絶対に成りえない」
「拝戸さんは嘘をついていた?」
「そういう事になるな」
「……ていうか、そもそもだ。あんたが、そこまで山での事態を把握しているってコトは」
「おや、バレたか……おい」
藍が背後に向かって誰かを呼ぶと、立派な尾の影から一人の少女が顔を出した。
式神の式神、化け猫の橙だ。
「藍さま、いいんですか?」
「大丈夫。見せてやってくれ」
「はーい」
そう言って彼女が差し出したのは……天狗の名を連ねた紙と、結界の構造っぽいモノが書かれた紙。
私が、私達が探していた物だ。
「……一応聞くけど、何であんた達が持ってるの」
「あの地下道から回収したからだ」
「……何で予備の在処を知ってるの」
「大会議監査室から情報を分けて貰った。治安局にありがたい痴れ者が居てな」
あー、なるほど。そういう事ね。はいはい。
「生きて丘に帰れると思うなよ……ッッ!」
「や、やめろッ……首が折れる首がッ!」
「ちょっと藍さまに何してんの! 離れろ!」
「い、いけない。私としたことが」
「げほっ……相変わらず酷い奴だな」
とにかく、むやみに暴力を振るうのは駄目だ。情報を掘ってから振るわないと。
心を落ち着かせ、改めて八雲藍を糾弾する。
「つまり裏で探ってたってコトじゃないの! それが出来るなら最初から一人でやりなさいよ!」
「文達が表で頑張ったからこそ、私が黒幕に至る道筋が出来たんだよ」
「本当かしらねぇーッ!」
「私一人で上層部から下っ端まで探っていたら時間が足りないだろう」
「だったら最初からそう言えばいいじゃない」
「言ったらやらなかったろ」
「うん」
「うんってお前」
まあ実際は、やらざるを得なかっただろうけど。
手が足りなかった事には変わりないのだから、その場合、藍がどうするかも同じだ。
「本当の黒幕は私が処分したし、それは大天狗達も了承済みだ」
「処分……ね」
「後は、大天狗達にとって都合の悪い反幻想郷派が、リストの情報を元に掃討される事になるだろう」
「……都合の悪い、ね。拝戸さんはどうなるの?」
「彼は、都合がいいと判断されたんだろうな。特に、何もない」
拝戸さんは無事か。
彼は一連の騒動の黒幕では無かった。でも、彼には聞きたい事がある。
「藍。書類とリストの事だけど」
「ああ、譲るよ。知りたがっていた者は、一部とはいえ内容を知った。欲しがる者は、最早それどころじゃないだろう」
「話が早くて助かるわ。もう一つ、拝戸さんは、あんたはどうするの?」
「どうもしないよ。言っただろ、彼も被害者だ。後は好きにしていい」
「ありがと」
藍は微笑んで、私に背を向けた。
「では、私はこれにて。報酬は後ほど送る。お疲れ様」
「そいじゃーねー」
11本の尾を見送って、椅子にぐったりともたれ掛かる。
まだ、諸手を上げては喜べない。
拝戸さんに、話を聞かなければならない。
ただそれだけの事だし、今までに比べれば遥かに楽だけど……あまり嬉しくは、無いかな。
▽
あの立派な邸宅ではない。
粗末とは言わないが、身分不相応の小さな家。
今はここに、拝戸さんが居る。
「来てくれて嬉しいぞ。仕事を再開するまでは、死ぬほど暇なもんでなぁ」
「私などが暇つぶしになるのであれば、幸いです」
「おいおい射命丸」
「これは失礼。超絶美人が来たのでめっちゃ喜んでください」
「わっはっは!」
「あっはっは!」
やはり彼は相変わらず元気だった、
だが、私が振りたい話題は、明るいものでは無い。
「ところで、拝戸さん」
「ああ、解ってる。話すさ。話すとも」
拝戸さんは一呼吸おいてから、煙管を片手に口を開く。
「あの時写真を渡したのは……お前は反幻想郷とは別口で動いていると思ったからだ」
「分かってたんですね」
「そうでもなきゃ、態々面会になんて来なかったろ?」
「とんでもない。敬愛する拝戸様の為にお伺いしましたとも」
「白々しい奴め。まあ、反幻想郷の誰かに渡らなければ、それで良かった」
煙管を置き、座り直す拝戸さん。
私もなんとなく、視線を適当に泳がせてみる。
「さて。俺としては、ここからが肝心なんだが」
「はい」
「……小さい頃から、妖怪ってヤツが大好きでな」
「ん?」
「大きくなったら妖怪に成りたいって言って、よくお袋に引っ叩かれてな」
「ちょ、ちょっと待ってください。この話で合ってますか?」
「まあ聞いてくれや」
明らかに違う話をしているような気がするが、ここは大人しく聞こう。
「それなりの歳になってから、妖怪の山に入るチャンスがあってな、潜り込んで楽しんで……暫くしたら結界が閉じちまった」
「何の話をしているんです? その話が本当なら拝戸さんは」
「そう、元人間なんだよ、俺は。過去の経歴が無いのも当然……どうした、鳩が鉄砲で撃たれた顔して」
「もう勘弁して……」
これ以上私をイジメて何が楽しいというんだ。
確かに過去の歴は無いし、飛んでる所も翼も見た事無いし……でも、だからって、ずっと烏天狗を欺き続けられるものだろうか。
「言ったろ? 妖怪が好きなんだ。フリには自信があったが、意外とバレないもんだ」
「……す、すいません。その話は、その辺にして頂ければと」
「おっと、そうだな」
これ以上爆弾が掘り出されると困る。私が投げ出す前に、話を終えて頂きたい。
「ともあれ。大好きな妖怪と、妖怪の楽園で過ごす事になったワケだ」
「我が世の春ってわけですね」
「満開だったよ、実際。だが俺は知っちまった。この楽園を良く思わない妖怪が、思いの外多く居る事に」
生きとし生ける妖怪全てが、楽園を肯定しているワケでは無い。
どんなに素晴らしかろうが、否定的な者は必ず居るものだ。
「そしてそいつらの大半は考え方が過激でな。俺は焦った。威勢だけは凄いもんだから、本当に転覆させられちまうんじゃねえかってな」
「威勢だけは立派ですからねぇ」
「最初は、そいつらを説得しようと試みた。排除する事も、当然やった。だが、どっちも上手くいかなくてな」
他人の思想を変えるというのは、生半可な事じゃない。それは人間でも妖怪でも、同じだ。
「そこで思いついたのが……俺が反幻想郷派のアタマになる事。可能な限り穏当な方向に、誘導するためにな」
……そしてそれは、恐らく成功したのだろう。
彼はつい最近までアタマを張っていた。
そして確かに、ここしばらく彼らは大人しかった。大人しかった筈なのだけど……。
「結局、焦れた配下が俺の手をすり抜けて……ああなった。俺は馬鹿だよ。他人の思想を誤魔化し続けるなんて事は、できっこないのにな」
自虐的な笑みを浮かべる拝戸さん。
好きな場所を守る為の想いが、却って手段の選択を鈍らせてしまったのだろうか。恋は盲目、なんて言葉もある。
「お前さん。人里の件は結社から分離した集団が尖兵だったのは知ってるか?」
「ええ。親切な式神が教えてくれましたよ」
「そいつらは妖怪を、物語に例えたそうだ。生まれ、育ち、死ぬ。その中身全てが、最初から定められた存在だと」
人間達が想像した妖怪奇譚に、私達の生が沿っているなら、それは正しいと言える。
実際は言うまでも無いが。
「妖が人を喰らい、人が妖を退治する」
「基本中の基本ですね」
「ああ……しかし、妖は人が必要としたが、人は妖を必要としていなかった」
「それは……」
「妖怪は科学を手にした人間に否定され、妖怪たちは消え去った。これで、妖怪の物語は終わり」
ざあ、と風が鳴いた。
「終えた筈の物語を、いつまでも繰り返す幻想郷。それに人間を巻き込むな、と言っていたよ」
「酷い言いようですね」
「まあ正直、分からんでも無いよ。でも……俺は、違う考えを持っている」
「お聞きしても?」
拝戸さんは小さく頷き、話を続けた。
「俺は、幻想郷は療養所だと思っている」
「療養所?」
「雨宿りの軒下でもいい。ここは、妖怪の永住の地じゃねえと思ってる」
ここが永住の地じゃない?
妖怪は、人間達に否定され、生き延びる為に楽園を造った。
あるいは連中の言う通り、往生際の悪さを集めた地だったとしても、だ。
存在の行き場を失った妖怪に、次の場所が有るとでもいうのか。
「多分、妖怪の賢者は、待ってるんだ」
「何をです」
「幻想郷が発見されるのを」
「そ、それは流石におかしいのでは」
見つかる為に隠れ里を創る? 矛盾も甚だしい。
「科学の力は、定義の力だ。物事を調べ尽くして、結論のラベルを張ってやるワケだ」
「まあ、およそそんな感じですね」
「人間に妖怪を再発見して貰って、科学に妖怪を再定義して貰うのさ」
妖怪の、再定義……?
「≪山彦≫が≪妖怪≫の仕業で無く、反響現象だと判明して、それが定着した世界なら……」
「≪山彦の妖怪≫という、新しい別個のモノとして扱われるってわけよ」
「同時に命名決闘法を引っ提げて……喰うか退治かとは違う関わり方も手土産に、ですか」
「冴えてんじゃねえか」
「い、いやあ……どうですかね……」
半ば詭弁というか、モノは言いようみたいになっている気が……。
「こいつ何言ってんの、ってツラしてんな」
「滅相も」
「まあ条件というか……発見するヤツが、妖怪とかに興味と知識のある人間じゃないと意味がないかな」
拝戸さんの説でいくなら、あくまで妖怪として見つからないといけないワケだ。
最悪、≪変な人間≫だと思われかねない。
「でも居るんですかそんな……いや、失礼。結構いますね」
例えば山の現人神とか。
最近は董子という念力人間も出入りしている。
「そういうヤツが、いつか幻想郷を見つけて……最終的に、結界を無くせる段階までいければ」
「人間と妖怪の新しい世界が、隠れ里無しで戻って来る……」
「まあ俺の予想ではあるが、有り得ないとは言い切れねえ。だろ?」
確かに、可能性はゼロじゃない。
……実際、賢者達は何を思って幻想郷を創ったのだろう。
本当に、終の住処としての楽園なのだろうか。
私は現状、答えを持っていない。
「さて、と。とりあえず言いたい事は言った」
「私も聞きたい事は聞けました。ここまでにしましょう。拝戸さんもお疲れでしょう」
「ああ、そうだな。そろそろ時間だ」
「時間? もしかして予定がありましたか?」
だとしたら、文字通りお邪魔してしまったかもしれない。
「ああ、いいんだ。気にしないでくれ」
拝戸さんは笑顔で手を振る。
「ちょっとケジメをつけるだけさ」
「拝戸さん」
僅かに腰を浮かせて、問う。
「今の時分、自刃なんて流行りませんよ」
拝戸さんは、それでも、歯を見せて笑う。
「流行り廃りでやるもんじゃねえよ。それに、俺はもう元人間だぞ? 自殺なんてできねえよ」
「私の居ない所でやってくださいよ」
「だからやらねえって」
「……馬鹿馬鹿しい事は止めて下さい」
「男はみんな、馬鹿なもんよ。いくつになっても、何になっても」
まったくもってバカげてる。
「じゃあな」
腰を浮かせ、中腰で畳を蹴り。
「射」
卓袱台に手をついて。
いつの間にか短刀を握った手を目掛けて。
「命」
手を伸ばす。
「ま――ッ!?」
「おっ、およびですかね……!」
流石の私でも、ギリギリだった。
既に上着に僅かな穴が空いている程度には。
「おい落ち着けよ。言ったろ。俺は、元、人間だぞ?」
「ええ、そうでしょうとも」
でも、天狗だとも、妖怪だとも言わなかった。
拝戸さんの上着を開けさせる。
やはり、あった。身体に貼られた護符。
藍が下手人から回収した、延命符だ。
確かに元人間かもしれないが、彼は未だ、傷で死ぬ。
「やっぱり……やめて下さいよ。≪人間風情≫が、死んで解決になるもんですか」
そういうと、彼は一瞬嬉しそうな顔をして……すぐに顔を伏せた。
「……すまねえな」
拝戸さんの呟いたそれは、何に対しての謝罪なのだろう。
私は天狗なので、私に対して言ったと思うコトにした。
チャプター12 : エピローグ
「という訳で、温泉よ!」
「温泉ね!」
「温泉ですね」
数日後。私とはたては椛を連れて、烏天狗運営の温泉旅館に来ていた。
拝戸さんに話を聞いた後も面倒事は続き、更に新聞大会の締め切りが被る惨事となり、私とはたては疲れ果てていた。
明日が椛の通常休暇という事で、彼女の終業直後にここへ拉致してきたという訳だ。
椛も私達と似たような境遇に置かれたらしく、拉致した後に参加の可否を尋ねたら、食い気味に可と言われた。
さて、眼前に広がる乳白色が私達を、艶めかしく誘っている。早く身体を洗ってしまおう。
「あれー、桶どこいった? 用意しておいたのに……泡で前見えないんだけど!」
「桶なら私から見て南南西の方にあるわよ」
「桶なら私から見て北北東の方にあります」
「普通に教えてよ! 南南北北って東なの!? 西なの!?」
「落ち着いて」
はたてをからかって遊んでいると、椛が思い出したように訪ねてきた。
「ところで、あれから大丈夫でしたか?」
「何も無かったわよ。一応、解決ね」
書類とリストも、焼き捨てた後、課の皆に手を借りてそれとなく宣伝した。
恐らく、山の皆に周知された筈だ。
「それは良かったです」
「このヌルヌル感は……石鹸だこれ」
全員身体を洗い終わったので、お待ちかねの湯船に浸かる。
「あ~沁みるわ~」
「偶にはこういうのもいいわね~」
「そうですね……」
「……今回は色々大変だったねぇ」
白く濁った湯を手で掬い、珍し気に眺めながら、はたてがぼそっと呟いた。
「まだ完全に終わったワケじゃないけどね」
「今回なんていうか、ちょっとヒロイン気分だった。なんかこう、守られる側的な」
「暢気な事を……はたてさん、事次第では危なかったんですよ?」
「それなんだけどさぁ」
少し嬉しそうなはたてが、私の方に顔を向けて続ける。
「突入された時に椛がさ、文とはたてに近寄るな! って。あれなんか嬉しかったよねぇ」
「ああ、そういえば言ってたわね」
「……咄嗟だったので」
椛の呼び捨てとタメ口。珍獣の類よりよっぽど珍しいモノを聞いたものだ。
「いやーカッコ良かったよ椛! 盾真っ二つだし! 凄くないあれ!」
「あんたにしては、勇ましかったわねぇ。カメラとマイクを出せなかったのは痛かった」
「ねえ。もっかい、はたて、って呼んでよー」
「今なら、呼び捨てにしても許してあげるわよ」
「いや……勘弁してくださいよ……」
あれ、椛照れてる? あのセメントフェイスが、随分と可愛らしく見えた気がする。
「良いもの見ちゃったなぁ」
「良いもの見ちゃったねぇ」
「烏天狗ってどう殺れば死にますかね……」
ダメダメ。凄んで見せても今のあんたは、顔も声もハクが無さ過ぎる。
暫く、無言で湯を楽しむ。
今回は結局、幻想郷そのものは何の被害も無く終わる事が出来た。
でも、またこういう事が起きない保証はない。
例え幻想郷が無事でも、中身が壊れれば何の意味もない。
そして、例え強固な論理差で覆われていても、外の世界が狂えば無事では済まない。
存外に砂上の楼閣なのだ。この楽園は。
「あんたら、幻想郷好き?」
「は? いやまあ、好きだよ」
「嫌いではありませんね」
「どうしたの急に」
「いやあ、何となくね」
この幻想郷も、いつかは、形を変えざるを得ない時が来るかもしれない。
……もし、拝戸さんが言っていたように、外の世界に見つけてもらうのが前提だとして。
その時見つける人間は、どんなヤツなのだろうか。
きっと命知らずで、好奇心旺盛でなのだろう。
ついでに、悪意のない人間だったらいいのだけれど。
「ねえ。温泉から上がったら、どうする?」
「ん? そりゃ、牛乳一気飲みしてから卓球よ」
「何てテンプレートな……」
まあ、少なくとも、今の所は。
幻想郷は今日も平和です。かな?
チャプター×× : Ending No.IF
夢を見た。
鮮明で、刺激的で、恐ろしい夢。
現実と、結界の裂け目の向こう側。
世界が一つになる夢だ。
裂け目が溶けて、混ざり合って、境目が無くなっていく世界。
私は上を見た。
満月と星々が、夜空と地上を照らしている。
恐ろしい。余りにも恐ろしい空。
どんなに目を凝らして星を見ても、時間が分からない。
どんなに目を見開いて月を見ても、場所が分からない。
今はいつ? ここはどこ?
私は横を見た。
人が立って居る。人の形をした何かが立って居る。
メリーにそっくりな。誰かがそこに立って居る。
私は前を見た。
メリーが立って居る。見間違えようのない、私の相棒が立って居る。
境界が溶けて混ざり、二つの世界が一つになっていく。
溶ける境の上に立つ私は、宇佐見蓮子は、メリーが優しく微笑むのを見た。
メリーが私と、私の隣のヒトガタに向かって、嬉しそうに言うのを聞いた。
「オールクリアおめでとう! さすがだわ! 蓮子も、そしてもちろん――」
「――蓮子?」
「ん? んふぁ?」
「どうしたのよボーッとして」
「いやあ……夕飯どうしようかなーって」
それが、昨日の夜に見た夢。
まあ、メリーの夢ならともかく……私の夢ならただの夢か。
しかし本当に嫌な……嫌な?
むしろ、どんとこいじゃないのか、私達的には。
うーん。どうも、疲れてるのかもしれない。
「こないだ見かけたパスタのお店とか」
「カツ丼」
「え?」
「カツ丼にしよう」
「パワフルねぇ。別にいいけど」
そうね、どんとこいよ。
何があっても大丈夫。メリーと一緒なら。
大昔の昔から、よく言うじゃない。
信じる者はすくわれる、なんてね。
叙述で登場人物を確定させないのも余計なら行動を省くのも、描写不足で読み辛いと言う印象しか無いし、視点がコロコロ変わっても一人称だといちいち語り手を規定し直すのが面倒で読むのがつらいです
「誰が」「何をした(言った)」が分かり難いのも、ちょっとつらいです
面白いのは雑談だけかおいィ?となります
本編と関係無い会話はノリで面白く成立させられても、肝心の本編のストーリーラインが本当に読み難いし追い難い
そんで、123は回を追うごとにそれが顕著になり、1ではまだそこそこの読み物だったのが段々ときつくなってきてこの有様です
まあなんだかんだ最後まで読むことはできたので、魔法少女アイ3とまでは言いませんが…
一気読みしたので「1・2・3」まとめての感想となりますが、作品の評価の話をしますと「1>2>3」になります。
もっとも純粋な面白さによる評価じゃなく「もっとドロドロしてても幻想郷は優しい場所なんだい」という解釈違いから、評価以前のところで好き嫌いが別れてしまっているんですが、頭が固くてすみません。
全体を通してキャラ通しの掛け合いは非常に面白い作品でした、特にヤタさんカッコいい面白い、いいキャラしてる。解けた制御棒を排出するシーンの台詞なんかもカッコよくて大好きです。
しかし3では文主体の物語になってしまい会話相手に不足したので、掛け合いが面白いという長所を潰してしまった部分があると思います。
メインを文に置きながら、バディとしてほぼ常に椛かはたてを傍に置くようにすれば、読んでいて面白さを感じやすくできたかなと思います。特に3は難しい話ですから、お互いに状況を質問させて回答して、と状況整理させれば読者にもわかりやすかったかも。文椛はたてが三人揃ってる時の会話は面白おかしく楽しかったです。
ストーリーを見てみると、1は謎が残るものの身内を傷つけた悪者を成敗するという快刀乱麻な内容で爽快感もありました。しかし2は巻き込まれた命蓮寺が結果的に後始末を任されるという結末で、個人的には不満なところがありました。
キャラの大半は妖怪で、本能から来る殺しならなんとなくでやってしまってもそういうものとして受け入れられますが、損得勘定からの殺しとなると性質が違う。秩序を守るためとは言え、そういう後ろめたい殺しをするのなら「この幻想郷のためなら何でもすっぞオラー!」という信念と覚悟がある者だけがすべきだと思いまして、ただ巻き込まれた命蓮寺のメンバーが仕方なくで殺しをして業を背負わされるのは些か鬱憤が溜まりました。お空ちゃんがやったことは身内の復讐という大義名分があったから、達成感がありましたが。
幻想郷のあり方に不満を抱いた者共の反乱でしたので、それなら出来る限り汚い部分は管理者サイドが受け持って欲しかったかなー、と。ここは個人的な好き嫌いが別れる要素なので、他の方がどう思うかまではまったくわからないので個人の感想ですが。
またこういう話なら、妖怪にとって幻想郷がどれだけ必要なのか、住んでいる者はどう感じどんな愛着や不満を持っているのか、人妖問わずできるだけ多くの視点で語り、犠牲の上にでも守る価値があるか否かを判断できるようするべきだったかなと感じます。
命蓮寺視点では楽園とは語られるものの、その言葉の背景などが不透明で幻想郷の全体図が伝わってきませんでした。
ラストで拝戸さんから幻想郷の目的の推察は語られましたが、この幻想郷の住心地はどうなのか気になります。
他の方も言われていますが、3では視点が頻繁に変わるため読者としてついていけない部分もありました。これくらい視点転換が多いなら、冒頭に『サイド:射命丸文』なとくっつけてわかりやすくしたほうが良かったかも知れません。
また描写不足で誰がどこで何をしているのかがわかりにくいというのは、1から感じていた点であります。3で言えば『チャプター4 : 秘密の写真と消える秘密』がその一つですね。最初に文がお土産を探してるが、会話文の段階では職場の同僚に聞いてるのか店で店員に聞いてるのかわからない、話し相手は最後まで結局明言されず、自営業の店っぽいがどんな店か釈然としないまま。これでは読者は不透明な文章に苦しさを強いられます。
最初にざっくばらんでいいので、5W1Hのうち全部とは言わずとも『どこ』に『だれ』がいて『なに』をしたいのかくらいは説明すれば読みやすくなっていいかなと思います。
ここまで長々と失礼しました。あまり自分の好きなものと合わなかったせいで指摘ばかりになってしまいましたが、これだけの作品を書き上げただけでもすごいことですし、それにより得た部分は大きいかと思います、また長編を書く機会があれば頑張って下さい。ギャグも期待してます。
この長さで、少し主眼が飛んでるところもありますが、それでも熱意というか、作者さんの書きたいものは分かったと思います
こういう天狗事情が書きたかったのでしょう
人間ってのは全く度し難いものですね、ありがとうございました