桜の木を見るたびに思い出す。いつも肝心なところで私の記憶は曖昧になって。結局最後まで思い出せないのだ。あの美しく伸びた黒い髪も、参道を掃く柔らかな後姿も、ずっとずっと憶えているのに。きっと、貴女は笑顔だった。まだものの判らぬ子だった私は、なんと言ったか。きっと、子どもながらに間の抜けたことを言った気がする。そんな私の言霊で、貴女はとても美しく微笑んでくれた。私は、そんな貴女の笑みが好きだった。なのにどうしても、どうしてもあの笑っていた顔を思い出すことが出来ないの。
母様、私は貴女のようになれるでしょうか。
夕立が来る直前の曇った鏡のような空が私はとても嫌いだった。怖かったんだ、あの空が。私たちを食べてしまうように思えて。貴女はぐずつく私と一緒に夜を過ごしてくれた。まだ子どもだった私は途中で眠ってしまったのを覚えてる。きっと貴女は、朝まで起きてくれていたんだろう。目の下に出来た隈なんかものともせずに、貴女は笑ってくれた。あの笑顔は、今でも私の心の深くに焼き付いている。
ねえ母様、私はもう曇り空なんて怖くないのさ。
言うことは無かったけれど、秋は私の一番好きな季節だった。面倒な掃除が、楽しい紅葉拾いに変わって。沢山の葉を拾っては、きっと貴女を困らせていたのだろう。それでも貴女は困った笑顔を浮かべていたはずで。沢山動いて風邪を引いて、沢山食べて大きくなって。少し肌寒い日には、一緒の布団に潜り込んだ。貴女の温もりが無くても、今では何てこともなく眠れる。きっと、私は成長したのだろう。
母様。それでも、もう一度あの温もりを。と、思うのは贅沢なのでしょうか。
冬の澄んだ夜空が、私はいっとう好きだった。あの夜空に所狭しと輝く星たちが、きっといつかは私たちのところまで降りてきてくれて、友達になれるのだと、そう信じて疑わなかった。貴女は困った顔を浮かべていた。きっとどう間違いを正そうかとも考えていたのかもしれない。ありがとう。あの時の私を見守ってくれて。
なあ母様、見てくれないか。今ならたくさんの星に囲まれて、一緒にお話が出来るんだ。
桜の木で思い出すのは貴女の笑みと、暖かい日差しだった。あの頃の私は何もかもを吸収していて、だから毎日がとにかく長かった。今になって思うと、馬鹿なことをしていたと思う。貴女は身体が強くなかったのに、それでも私が飽きるまで、一緒に外で遊んでくれた。今でも変わっていないさ。好奇心だけは人一倍なんだ。
だからさ母様、今度は私の箒の後ろに乗って、一緒に桜を見に行こう。約束さ。
夏の茜空を、貴女はよく縁側で眺めていた。私も倣って横に座って、お茶を飲んでは渋い顔をしていたっけ。あの青から茜に変わる時の蝉と蜩の合唱を、今でも私は忘れていない。ただぼうっとしていただけ。ただそれだけが、とても幸福に感じられた。
母様、また一緒に縁側でお茶を飲みましょう。あの時より静かではないかもしれないけど、きっと楽しいから。
秋にあまりいい印象を持っていないのは、よく貴女がこの時期に体調を崩していたからかな。貴女が床に伏せる姿を見るたびに、私は店の奥で声を殺して泣いては、香霖に見つかっていたっけ。でも、その気持ちは本当だった。もし貴女がいなかったら、この世界に何かすごく怖い奴がやってきて、私ごと世界を滅ぼしてしまうんだ。そんな風に思っていた。もし、私が魔法を覚えていなかったら、貴女を心配しながら看病する、そんな未来もあったかもしれない。
ごめんなさい母様。それでも、私は後悔していないんだ。
子供の頃は、冬はとにかく嫌いだったっけ。雪かきは重労働だし、外は寒いし風は冷たいし、雪かきしたら暑くなるしで、とにかく動きたくなかった。なんとぐうたらな、と今でも思う。ただ、貴女と夕食を一緒に作るのは、嫌いじゃなかった。貴女の作るお味噌汁の味を、最近忘れていってるのが、少し悲しいのだけれど。
母様、一緒に炬燵に入って、夕食を食べませんか?今なら、貴女に美味しいと言ってもらえる気がするのです。
ある春の日、紅白の巫女と黒白の魔法使いが一緒に花束を買う姿が目撃された。彼女たちが誰に花を贈ったのか。それは本人たちだけが知っている。
母様、私は貴女のようになれるでしょうか。
夕立が来る直前の曇った鏡のような空が私はとても嫌いだった。怖かったんだ、あの空が。私たちを食べてしまうように思えて。貴女はぐずつく私と一緒に夜を過ごしてくれた。まだ子どもだった私は途中で眠ってしまったのを覚えてる。きっと貴女は、朝まで起きてくれていたんだろう。目の下に出来た隈なんかものともせずに、貴女は笑ってくれた。あの笑顔は、今でも私の心の深くに焼き付いている。
ねえ母様、私はもう曇り空なんて怖くないのさ。
言うことは無かったけれど、秋は私の一番好きな季節だった。面倒な掃除が、楽しい紅葉拾いに変わって。沢山の葉を拾っては、きっと貴女を困らせていたのだろう。それでも貴女は困った笑顔を浮かべていたはずで。沢山動いて風邪を引いて、沢山食べて大きくなって。少し肌寒い日には、一緒の布団に潜り込んだ。貴女の温もりが無くても、今では何てこともなく眠れる。きっと、私は成長したのだろう。
母様。それでも、もう一度あの温もりを。と、思うのは贅沢なのでしょうか。
冬の澄んだ夜空が、私はいっとう好きだった。あの夜空に所狭しと輝く星たちが、きっといつかは私たちのところまで降りてきてくれて、友達になれるのだと、そう信じて疑わなかった。貴女は困った顔を浮かべていた。きっとどう間違いを正そうかとも考えていたのかもしれない。ありがとう。あの時の私を見守ってくれて。
なあ母様、見てくれないか。今ならたくさんの星に囲まれて、一緒にお話が出来るんだ。
桜の木で思い出すのは貴女の笑みと、暖かい日差しだった。あの頃の私は何もかもを吸収していて、だから毎日がとにかく長かった。今になって思うと、馬鹿なことをしていたと思う。貴女は身体が強くなかったのに、それでも私が飽きるまで、一緒に外で遊んでくれた。今でも変わっていないさ。好奇心だけは人一倍なんだ。
だからさ母様、今度は私の箒の後ろに乗って、一緒に桜を見に行こう。約束さ。
夏の茜空を、貴女はよく縁側で眺めていた。私も倣って横に座って、お茶を飲んでは渋い顔をしていたっけ。あの青から茜に変わる時の蝉と蜩の合唱を、今でも私は忘れていない。ただぼうっとしていただけ。ただそれだけが、とても幸福に感じられた。
母様、また一緒に縁側でお茶を飲みましょう。あの時より静かではないかもしれないけど、きっと楽しいから。
秋にあまりいい印象を持っていないのは、よく貴女がこの時期に体調を崩していたからかな。貴女が床に伏せる姿を見るたびに、私は店の奥で声を殺して泣いては、香霖に見つかっていたっけ。でも、その気持ちは本当だった。もし貴女がいなかったら、この世界に何かすごく怖い奴がやってきて、私ごと世界を滅ぼしてしまうんだ。そんな風に思っていた。もし、私が魔法を覚えていなかったら、貴女を心配しながら看病する、そんな未来もあったかもしれない。
ごめんなさい母様。それでも、私は後悔していないんだ。
子供の頃は、冬はとにかく嫌いだったっけ。雪かきは重労働だし、外は寒いし風は冷たいし、雪かきしたら暑くなるしで、とにかく動きたくなかった。なんとぐうたらな、と今でも思う。ただ、貴女と夕食を一緒に作るのは、嫌いじゃなかった。貴女の作るお味噌汁の味を、最近忘れていってるのが、少し悲しいのだけれど。
母様、一緒に炬燵に入って、夕食を食べませんか?今なら、貴女に美味しいと言ってもらえる気がするのです。
ある春の日、紅白の巫女と黒白の魔法使いが一緒に花束を買う姿が目撃された。彼女たちが誰に花を贈ったのか。それは本人たちだけが知っている。
四季を背景に二人の母を描写する、その発想が素敵でした