私が見惚れたのが、太陽の光によってしか輝けない月の光だとしたら。
きっと、この恋は矛盾してるのだろう。
『星色アンチノミー』
日の光は、夜には寝静まらなきゃいけないから。
だから、夜は私たちの時間だった。
★ ★ ★
「あっ、スター! ほら、流れ星!」
ルナチャイルドが、夜の天蓋を指さしてはしゃいだ。彼女の白い人差し指の先で、星が尾を引いて夜空を滑っていく。
「綺麗ね」
相づちを打つと、私の口から白い煙がぱっと散った。冴え返るような寒い寒い、冬の夜。自分たちが住処にしている大樹の枝の上、私はルナと二人、並んで腰掛けている。
「うん、綺麗」
ルナが、私と同じように白い息を吐きながら言う。
見つめる先は、満天の星空。彼女のその目は、夜空に瞬く無数の星々を映して、きらめいている。
私は、その横顔を見つめる。
――彼女は気付いているだろうか。私がさっきから、星空鑑賞会をそっちのけで、彼女の顔ばかり眺めていることに。
林檎みたいに赤く上気した頬。
ちょっと寝癖がついた、くりんくりんと丸まった金色の髪。
きらきらと宝石箱みたいに輝く瞳。
その全てが、私にとっては星空よりも価値のあるものだった。
「ね、スター」
不意に、ルナが振り向く。
目が合った。心臓が、跳ね上がる音がした。
私は慌てて、星空に目を向ける。ばれてはいないだろうか。きっと、ばれてはいないだろう。ルナは、そういうのはいっとうニブいから。
私は、なんでもないふりをして、「なぁに」と答える。
「星の光って、綺麗なのね。こんな風に、ちらちら、宝石がまばたきするようにキラキラして、ついたり消えたり」
星を褒められると、まるで自分が褒められているようで、くすぐったい。
「ルナ。宝石はまばたきはしないわ」
「わかってるわよ。だから、その、うー」
「ごめんごめん、わかってるわよ」
わかってる。ルナが、その少ない語彙で、精一杯伝えようとしていること。
星の美しさを、身振り手振りを交えて、体中で伝えようと努力していること。きょろきょろと言葉を探すようにさまよわせるその目も、結局言葉が見つからなくて不満げに尖らせる唇も。その全てが、今この瞬間だけは、全部私に向けられている。そう思うと、無性に嬉しかった。
「それにしてもさ、サニーのやつこんな綺麗なのを見逃すなんて、間抜けよね」
ちくり。何気ないルナの一言が私の胸を刺す。
私は動揺した。そんな一言だけで、簡単に。
努めて表情に出ないようにして、私は言葉を紡ぐ。
「うん。せっかく星を見ようと誘ったのに、『眠いからパス』だもんね」ルナと視線を合わせないようにして、私は、地面を見ながら言う。
「お日様はつらいねえ。昼行性だから」ルナが息を弾ませる。彼女の熱が、冬の夜に白く散る。「大事なものは全部夜に散らばってるって言うのに」
そうだ。
煌々と照る月と、煌めく星たち。私たちのすべてが、夜に散らばっている。
★ ★ ★
私たちは、三人で一人だった。今までも、そしてきっとこれからも。
ずっとずっと光の三妖精として、一緒に光り続ける。もし妖精に寿命なんてものがあるとして、それこそ死ぬまで一緒だと言い切れる。根拠なんてなく、確信している。
好きだとか、嫌いだとか、そういう関係を超えた、もっと別の関係。例えばそう、言葉にするならば家族に近い。生まれたときにはすでに三人は一緒で、当たり前のように一緒にいた。
これからもずっと、その関係は続く。信じてる。決まってる。
――だからこそ、私のこの思いはひどく矛盾している。
「星を見ましょう」
私は言った。
そろそろ寝ようか、という時分。ルナは椅子に深く腰かけて、寝る前のハーブティーを飲んでいた。ルナは、こちらを見て、眉をひそめた。
「なんでまた急に」
「今日はね、星が綺麗なのよ」
なんでもない風を装いながら、私の心臓は高鳴っていた。
「まあ、まだ眠くないからいいけど」
「そう。じゃあ早速見ましょう」
私は、言うが早いか、壁にかかっていた彼女のコートを引っ剥がすようにして手に取ると、彼女に押し付けた。
「ちょ、もう見るの?」
慌てる彼女の背中を、半ば追い立てるようにしてぐいぐいと家の出口に押し出していく。
「あ、でもサニーは?」
ちくり。
ルナが、彼女の名前を口にする。その言葉が胸を刺す。分かってる。三人で一人の私たち。彼女を差し置いて、二人きりで楽しいことが出来るはずはない。分かってる。
分かってるけど――胸が、苦しくなった。
私は、ギュッと目をつむった。祈るように。
私はルナの背中側にいたから、ルナはどんな表情をしているのか分かってないだろう。
「もう、寝てるんじゃない?」
せめてもの抵抗。
事実、朝型のサニーならば、この時間は既に寝ていてもおかしくなかった。
「でもさあ、黙ってるとあとでうるさいし」
どうしよう。私は、どうするべきだ。
私は目をつむって考える。私の気持ちと、三妖精としての気持ちを、頭の中で両手に載せてみた。載せた瞬間、あまりの重さに私はつんのめる。私にはどちらも、重すぎた。とても冷静に重さを比べられるような気がしなかった。
迷った末に、私は目を開き、言った。
「――そうね、私、サニーを起こしてくるわ。ルナは、先に外で待ってて」
サニーの部屋のドアをそっと開く。
ノックはしなかった。どうせ寝てると、知っているから。
「サニー」
私は、少しだけ開いたドアの影から、そっと呟く。
聞こえるはずがない。寝ている彼女が、聞いているはずがない。
だから、これから言うことはすべて、独り言だ。
「今夜はね、星が綺麗なのよ」
私は、そっと部屋に体を滑り込ませる。一歩一歩、音を殺して彼女のベッドに歩みを進める。
私は、ベッドの脇に立つと、じっとサニーの寝顔を見つめた。空いたドアの隙間から、一条の光が差し込んで、彼女の寝顔を照らしていた。
それでも、彼女は身じろぎ一つせずに眠りこけていた。チャンスだと思った。
「それに、月も綺麗なの」
私は想像する。今夜の、星空鑑賞会を。空に瞬く星たちに照らされる、ルナの顔を。ルナは驚くだろうか。感動するだろうか。笑ってくれるだろうか。
そして、もし、今夜――今夜だけでいいから、私がそのすべてを独り占め出来たら。
私は、そっとサニーの顔に指を這わせる。熱に触れる。
あどけない彼女の寝顔が、ちょっとだけくすぐったそうに歪んで、すぐに元に戻った。
しばらくそうしてサニーの顔を眺めていたけど、やがて私は祈るように目を閉じた。
日の光は、夜には寝静まらなきゃいけないから。
だから、夜は私たちの時間のはずだ。
目を開く。幸せそうに眠るサニーの顔が目に飛び込んでくる。
「ごめんね」私は呟いて、彼女の髪を撫でた。それから、ベッドから落ちかけている毛布を掛け直してやってから、そっと部屋を後にした。
★ ★ ★
「あ、また流れ星!」
ルナが、夜空を指差し、またはしゃいだ。彼女の指の先、耐えきれなくなったみたいに、星屑がこぼれ落ちていった。
ルナが嬉しそうにこっちを向く。きらきらした瞳を私に向けて、笑っている。
「ねえ知ってる? 流れ星に三回願い事を言うと、願いが叶うんだって」
「ルナはそんなこと信じてるの? 子どもねえ」
私がからかうように言うと、ルナはぷくっと顔を膨らませてみせた。
「でも、素敵じゃない。願うだけで叶うなんてお手軽でさ」
「お手軽って言っちゃうところがまたロマンがないわねえ」
「悪かったなぁ」
ルナが口を尖らせる。そんな子どもみたいな彼女の表情もたまらなく愛おしかった。
私は口に手を当ててひとしきりくすくす笑ってから、彼女に訊く。
「願いが叶うとして、ルナは何をお願いするの?」
「うーん、そりゃ、お酒一年分とか、今年の春はふきのとうがいっぱい採れますようにとか、今年の秋はキノコがいっぱい採れますようにとか」
「つくづく夢がないわねえ」
笑いながら、私は夜空に視線を移す。空には、ミルクをぶちまけたみたいな星たちが広がっている。
果たして、星は願いを叶えてくれるだろうか。私の、あるいは彼女の。
自分が星に願いをかける姿を想像する。それはひどく滑稽だった。"降り注ぐ星の光"が、流れ星に祈るなんて。
だけど、こんなに星があるんだから、一つくらいは、願い事を叶えてくれる優しい流れ星がいてもいいような気がした。
「あ、流れ星」
今度は私が指をさす。指の先で、また一つ星が夜空からこぼれ落ちていく。
「わー! わー! えーっと、ふきのとうがたくさん採れますように、ふきのとうがたくさん採れますように、ふきのとうが……」
「はい残念。時間切れよ」
「うわ、無理じゃんこれ! 三回なんて唱えきれないわ! うーん、略して言ってもいいのかなあ。『ふきのとう』って三回言うんじゃダメ?」
「それだと流れ星に願いが正しく伝わらないんじゃないかしら。ルナの願いを間違って叶えちゃって、明日起きたら体がふきのとうになってたりして」
「やだー!」
そうこうしている間に、次の流れ星。今夜の星は大盤振る舞いだ。ルナは、また慌てて願い事を唱え始めた。
ルナを微笑ましく眺めながら、ふと思う。私だったら、例えば何を願うだろうか。
何を。決まっていた。私が願うことなんて一つしかない。
星空を夢中で見上げるルナの隣で、私はそっと目を閉じて、手を合わせる。それから待った。星が滑り落ちる、その気配を。
星の光が、流れ星に願いをかけるなんて、滑稽だけど。
でも、私のこの、ちっぽけな願いくらいは叶ってもいい気がした。
やがて、星が尾を引いて流れる気配が、意識に飛び込んでくる。ルナがはしゃぐ声が、遠のいていく心地がした。
私は、祈った。
せめて今夜だけは、二人きりでいさせてください。
せめて今夜だけは、二人きりでいさせてください。
せめて今夜だけは――。
「あー!」
元気のいい声が、意識を切り裂く。
私は反射的に目を開いた。空の遠く向こうで、私をあざ笑うみたいに流れ星が消えていくのが見えた。
「あんなところにいた!」
私たちが腰掛ける木の枝の、ずっと下の方から、元気のいい声が上がった。
見なくても分かる。我らが光の三妖精のリーダー、サニーミルクだ。
私は苦笑する。こんなちっぽけな願いも叶えてくれないなんて、意地悪な話だ。
「あいやこれまで、かなぁ」
私は、誰にも聞こえないようにそっと呟く。
隣を見ると、ルナが驚いたように下を見ていた。
「あ、サニーじゃない! 寝てたんじゃないの?」
「今起きた!」
言いながら、サニーはぱたぱたと羽根を動かして、私たちのいるところまで飛んでくる。
「いやートイレに起きたら、二人がどこにもいないからさあ」
サニーはからからと笑う。夜の中にあって、彼女の笑顔はさんさんと輝いている。
私はそっと、ルナから離れた。ルナも、自然と私から身を引いた。その空いたスペース、つまりは私たちの間に、よいしょとサニーが座る。
三人のいつもの位置関係。かちっとパズルのピースがハマるみたいに、綺麗に収まる私たちの形だった。
「うおー綺麗!」
サニーは、星空を瞳に映して笑顔を弾けさせる。周囲をまばゆく照らすような底抜けに明るい笑みだった。
かと思ったら、今度は口を尖らせた。
「こんな楽しいことしてたのに、なんで私をのけものにするのよー」
ルナが、それに答える。
「だって、寝てたじゃん」
「寝てたけど。でもさ、起こしてくれてもいいじゃない。抜け駆けするなんてさ」
「起こしたじゃない、スターが。サニーが『眠いからパス』って言ったんでしょ」
「えー、嘘! 言ってないよそんなの」
サニーがこちらに顔を向ける。怒ったような顔。
私はその視線をかわすように、空に目をやった。
「寝ぼけてたんでしょ」
「えー? うーん、そうかなあ」
サニーは首を傾げる。
「そうよ」とルナが後押しすると、サニーは簡単に「ま、いいか」と諦めた。
「それよりも、すごいわね。まるで宝石がバーっと散りばめられてるみたい」
「そうね、綺麗ね」
「うん」
私たちはうなずきあって、星空を見上げる。
星たちは、変わらず、ついたり消えたりして光っていた。その中心で月が一層光を増したように輝いている。
私は、そっと二人の顔を盗み見る。
サニーが、星空に何かを見つけて、はしゃいでいる。呆れたようにルナがそれに応じている。それから、二人は嬉しそうに笑った。
その二人の笑顔が――とてもまぶしかった。
月は、太陽の光によって輝く。
仮に夜が、月と星だけの世界のように見えたとしても、見えないところから常に月を照らしている。きっと私が見惚れたのは、その太陽によって輝く月の光だ。
私の恋は、なんて矛盾していたんだろう。
笑えた。笑えるほどに、最初から最後まで、矛盾だらけだった。
★ ★ ★
「ねえ知ってる? 流れ星に三回願い事を言うと、願いが叶うんだって」
私が、唐突に切り出す。
二人はきょとんとして、私を見た。それから、顔を見合わせる。
「いいわねそれ。なにかおっきなことをどどーんと叶えてもらいましょうよ」とサニー。
「でもさあ、流れ星が消えるまでに願い事三回ってキツいわよ」とルナ。
私は、内緒話をするみたいに、人差し指を立てて、唇に置いた。
「秘策があるわ。三人一緒に、同じ願い事を言えばいいの。ね? これなら願い事は一人一つ言えば済むでしょう?」
「うーん、でもなあ。それじゃ、ズルじゃない?」
「そお? でもいいじゃん。これぞ光の三妖精! って感じで」
「うーん、そうかなあ」
「決まり! じゃ、何にしよっか。願い事」
三人で、腕を組んで考える。
三人一緒の願い事。三人全員が納得する願いの形。私たちが望むたった一つの願い事。
そんなの、決まっていた。
私は、二人の目を見る。
二人も、私の方を見ていた。
二人とも、悪戯を思いついたときみたいな、笑顔が爆発する五秒前みたいな顔をしていた。そしてきっと、私もそんな顔をしている。
私たちは大きく息を吸いこむと、三人一緒に、せーので満天の星空めがけて叫んだ。
「「「ずっと三人で一緒にいられますように!」」」
遠くの空、私たちの願いを乗せて、一筋の流れ星が滑り落ちていった。
ともあれ、とても良いお話でした
それでいいならなにより。良い雰囲気でした。
欲を言えば、サニーがルナを照らしているのだということにルナが気づくシーンをもう少し印象的にできたらもっと良かった気がします。そうすると最後にスターが三人一緒にいたいという結論を出しても整合的になると思うので。
スターがその小さな体に宿す、押し殺しきれないほどの気持ちがよく伝わってきました
ルナを独り占めするためにちょっとだけずるしちゃうのもスターらしいと思います
ずっと三人で一緒にいられますように、という願いも紛れもない本心なのだと感じました
透き通るような綺麗なお話でした
あと、サニーへの罪悪感かルナへの特別な想いみたいなのが最後に欲しかったかなと。序盤からの情熱的な文に対してラストがちょっと浮いている気がします。