聖白蓮には思い悩んでいる事がある。
それは小さな賢将と謳われるナズーリンのことであり、いまいち命蓮寺に馴染めなかった彼女は出て行ってしまった。
毘沙門天代理である寅丸星の監視役とは云え、彼女は過去千年にも渡り、その信仰を守り続けた功労者である。是非とも彼女を受け入れたいと願ったのだが、それを彼女自身が良しとせずに掘っ立て小屋に独り暮らす日々を送っている。
そのことが聖には看過することができなかった。ムラサや一輪には相談し難い。彼女達は元からナズーリンのことを良く思っていなかった。千年前の時点でナズーリンのことを虎の威を借る鼠だと嘲り、監視役を付けられると云うこと自体が気に入らないといった様子である。聖個人としては毘沙門天に一目置かれていると張り切ったもので、むしろ自分の信仰は間違えていなかったと自信に繋がったが、そこら辺の認識で彼女達とは齟齬ができてしまっている。
寅丸星は毘沙門天と命蓮寺を繋ぐ橋渡しのような立ち位置で、表だってどちらの味方をするようなことはなかった。ムラサや一輪の思想も尊重するし、ナズーリンのことも大事に扱っている。その姿勢は今も変わっていない。
どちらの考えに傾倒せず、よく話を聞いて共感する。こういうところが星の優れているところだと聖は考える。
ナズーリンのことで相談できる相手は星の他に居ない。
「大丈夫ですよ。ナズーリンが自分で選択したことに間違いはありません」
しかし彼女は少しばかり、ナズーリンを信頼し過ぎる。
優れた能力を持つ彼女は存外に自己評価が低い、そのためか他者を美化する傾向にあった。
ナズーリンが如何に優れた知性を持ち合わせていたとしても聖人君子ではない。だが命蓮寺で最も聖人君子に近い位置に存在する彼女は、ナズーリンを自分以上の存在と認識することで結果、ナズーリンを優れた人格者であると認めてしまっているのだ。
彼女と同様にナズーリンの自己評価も低い。
自らを卑しい者と認めており、そうあろうと動く傾向にある。そうあるべきだと云うようにナズーリンは憎まれ役を進んで買うのだ。それを星は慎み深い性格をしていると褒め称える。そうあるものだからナズーリンも自ら進んで自己犠牲の道を選ぶのだ。確かにそれは美談になる。しかし聖はそれを認めない、ナズーリンの選択は星が基準になっている。
それは自己犠牲と云うよりも、自己破滅に続く道だった。
聖の中でナズーリンの評価は決して高くない。
何故ならば、命蓮寺の中でナズーリンは最も人間らしいのだ。それ故に最も分かりづらい性格をしている。
ナズーリンには独特の価値観があり、結果と目的が噛み合わないことが多々ある。下手に頭が回るものだから自己矛盾を、理論武装で補うことができてしまうのだ。
時に手段のために目的を選ぶ、毘沙門天のためと云いながら命蓮寺のために動くこともある。千年前の時もそうだった。命蓮寺が妖怪退治に囲まれる絶体絶命の危機にナズーリンは毘沙門天の信仰を絶やすわけにはいかない、と寅丸星を連れ出したことがある。この行動にムラサと一輪は酷く憤慨したが、聖には命蓮寺を守るための選択だったと思っている。
本人に聞けば、きっと「君のお人好しは魔界に落ちても治らないらしいな」と馬鹿にしたように笑うに違いない。
しかし結果として、地上に命蓮寺の理念は残った。そして地上で私達の帰る場所を守り続けてくれたのだ。千年以上にも及ぶ歳月、気が遠くなるような日々を二人で待ち続けてくれたのだ。元より命蓮寺に愛着のない彼女、何時でも監視を切り上げることはできた。それをしなかったのが星のためだったとしても、聖はナズーリンに対して強い感謝の気持ちを抱いている。
だからこそ力になりたいと聖は思っている。そして、今度こそは命蓮寺の一員としてナズーリンを受け入れたかった。
だが結果としてナズーリンは命蓮寺を出て行ってしまった。
「儂に相談するとは相当キているようじゃな」
満月の夜、マミゾウへ相談したのは――彼女の言う通り、追い詰められていたからだろう。
「あやつは聡いぞ、同情はすぐに嗅ぎつける。救ってやりたいと思っている内は、あやつが心を許すことはない」
マミゾウが酒を啜りながら語る。
寺の住職としては咎めるべきだったかもしれないが、彼女は寺の一門というわけではない。よく訪れる参拝者みたいな立ち位置に過ぎない彼女を咎める気にはなれなかった。
元より彼女は自分を律することができている以上、修行に誘う気にもなれない。
「あやつの扱いは星の奴が最も心得ておる。付かず離れずの距離を保ち、お互いに気兼ねすることのない関係を望んでいる。そうである以上、誰もあやつに手出しすることはできんよ」
そのマミゾウの言葉を聖は受け入れることはできない。
たぶん彼女の言う通りだろうと分かっていながら、それを認めることはできないのだ。もしもマミゾウの言い分を認めてしまったら、誰が彼女に救いを与えると云うのだろうか。
歯噛みする想いを抑え込む、そんな聖をマミゾウはつまらなそうに見やる。
「ナズーリンに関してはお主よりも星の方が理解しておるよ。ナズーリンの強さも弱さも誰よりも星は知っておる」
マミゾウは酒を煽る。
「お主が辿り着いたことに星が本当に気付いてないと思っているのか? あやつはお主が思っているよりも、ずぅっと優秀だよ」
それ以上、マミゾウは何も語らなかった。
なんとなしに本堂へと赴くと星がお経を唱えているところだった。
何時も変わらない声色、淡々と述べられる言葉の数々に感情の揺れることはない。何時でもだ、ナズーリンが命蓮寺を出た日も彼女は粛々とお経を唱えていた。
ふと、お経を唱えるのを止めると、星は振り返った。
「こんな時間に珍しいですね、聖。夜更かしは美容の敵ですよ」
そう言って彼女は微笑み、天井を見上げる。
「少しナズーリンのことを思っていました。縁側を歩いていると、ふと彼女も同じ月を見ているのかと思ったのです」
聖の中でナズーリンの評価は決して高くない。
しかし命蓮寺の中でナズーリンは最も強い心を持っていると聖は考える、常に気を張っている彼女は誰にも隙を見せない。
少しでも弱さを見せてくれれば、と聖は思うのだ。
そうすれば手を差し伸べられるのに、と。待ち続けるだけというのは結構辛いものだ。
そして、明日も小さな賢将を待ち続ける。
それは小さな賢将と謳われるナズーリンのことであり、いまいち命蓮寺に馴染めなかった彼女は出て行ってしまった。
毘沙門天代理である寅丸星の監視役とは云え、彼女は過去千年にも渡り、その信仰を守り続けた功労者である。是非とも彼女を受け入れたいと願ったのだが、それを彼女自身が良しとせずに掘っ立て小屋に独り暮らす日々を送っている。
そのことが聖には看過することができなかった。ムラサや一輪には相談し難い。彼女達は元からナズーリンのことを良く思っていなかった。千年前の時点でナズーリンのことを虎の威を借る鼠だと嘲り、監視役を付けられると云うこと自体が気に入らないといった様子である。聖個人としては毘沙門天に一目置かれていると張り切ったもので、むしろ自分の信仰は間違えていなかったと自信に繋がったが、そこら辺の認識で彼女達とは齟齬ができてしまっている。
寅丸星は毘沙門天と命蓮寺を繋ぐ橋渡しのような立ち位置で、表だってどちらの味方をするようなことはなかった。ムラサや一輪の思想も尊重するし、ナズーリンのことも大事に扱っている。その姿勢は今も変わっていない。
どちらの考えに傾倒せず、よく話を聞いて共感する。こういうところが星の優れているところだと聖は考える。
ナズーリンのことで相談できる相手は星の他に居ない。
「大丈夫ですよ。ナズーリンが自分で選択したことに間違いはありません」
しかし彼女は少しばかり、ナズーリンを信頼し過ぎる。
優れた能力を持つ彼女は存外に自己評価が低い、そのためか他者を美化する傾向にあった。
ナズーリンが如何に優れた知性を持ち合わせていたとしても聖人君子ではない。だが命蓮寺で最も聖人君子に近い位置に存在する彼女は、ナズーリンを自分以上の存在と認識することで結果、ナズーリンを優れた人格者であると認めてしまっているのだ。
彼女と同様にナズーリンの自己評価も低い。
自らを卑しい者と認めており、そうあろうと動く傾向にある。そうあるべきだと云うようにナズーリンは憎まれ役を進んで買うのだ。それを星は慎み深い性格をしていると褒め称える。そうあるものだからナズーリンも自ら進んで自己犠牲の道を選ぶのだ。確かにそれは美談になる。しかし聖はそれを認めない、ナズーリンの選択は星が基準になっている。
それは自己犠牲と云うよりも、自己破滅に続く道だった。
聖の中でナズーリンの評価は決して高くない。
何故ならば、命蓮寺の中でナズーリンは最も人間らしいのだ。それ故に最も分かりづらい性格をしている。
ナズーリンには独特の価値観があり、結果と目的が噛み合わないことが多々ある。下手に頭が回るものだから自己矛盾を、理論武装で補うことができてしまうのだ。
時に手段のために目的を選ぶ、毘沙門天のためと云いながら命蓮寺のために動くこともある。千年前の時もそうだった。命蓮寺が妖怪退治に囲まれる絶体絶命の危機にナズーリンは毘沙門天の信仰を絶やすわけにはいかない、と寅丸星を連れ出したことがある。この行動にムラサと一輪は酷く憤慨したが、聖には命蓮寺を守るための選択だったと思っている。
本人に聞けば、きっと「君のお人好しは魔界に落ちても治らないらしいな」と馬鹿にしたように笑うに違いない。
しかし結果として、地上に命蓮寺の理念は残った。そして地上で私達の帰る場所を守り続けてくれたのだ。千年以上にも及ぶ歳月、気が遠くなるような日々を二人で待ち続けてくれたのだ。元より命蓮寺に愛着のない彼女、何時でも監視を切り上げることはできた。それをしなかったのが星のためだったとしても、聖はナズーリンに対して強い感謝の気持ちを抱いている。
だからこそ力になりたいと聖は思っている。そして、今度こそは命蓮寺の一員としてナズーリンを受け入れたかった。
だが結果としてナズーリンは命蓮寺を出て行ってしまった。
「儂に相談するとは相当キているようじゃな」
満月の夜、マミゾウへ相談したのは――彼女の言う通り、追い詰められていたからだろう。
「あやつは聡いぞ、同情はすぐに嗅ぎつける。救ってやりたいと思っている内は、あやつが心を許すことはない」
マミゾウが酒を啜りながら語る。
寺の住職としては咎めるべきだったかもしれないが、彼女は寺の一門というわけではない。よく訪れる参拝者みたいな立ち位置に過ぎない彼女を咎める気にはなれなかった。
元より彼女は自分を律することができている以上、修行に誘う気にもなれない。
「あやつの扱いは星の奴が最も心得ておる。付かず離れずの距離を保ち、お互いに気兼ねすることのない関係を望んでいる。そうである以上、誰もあやつに手出しすることはできんよ」
そのマミゾウの言葉を聖は受け入れることはできない。
たぶん彼女の言う通りだろうと分かっていながら、それを認めることはできないのだ。もしもマミゾウの言い分を認めてしまったら、誰が彼女に救いを与えると云うのだろうか。
歯噛みする想いを抑え込む、そんな聖をマミゾウはつまらなそうに見やる。
「ナズーリンに関してはお主よりも星の方が理解しておるよ。ナズーリンの強さも弱さも誰よりも星は知っておる」
マミゾウは酒を煽る。
「お主が辿り着いたことに星が本当に気付いてないと思っているのか? あやつはお主が思っているよりも、ずぅっと優秀だよ」
それ以上、マミゾウは何も語らなかった。
なんとなしに本堂へと赴くと星がお経を唱えているところだった。
何時も変わらない声色、淡々と述べられる言葉の数々に感情の揺れることはない。何時でもだ、ナズーリンが命蓮寺を出た日も彼女は粛々とお経を唱えていた。
ふと、お経を唱えるのを止めると、星は振り返った。
「こんな時間に珍しいですね、聖。夜更かしは美容の敵ですよ」
そう言って彼女は微笑み、天井を見上げる。
「少しナズーリンのことを思っていました。縁側を歩いていると、ふと彼女も同じ月を見ているのかと思ったのです」
聖の中でナズーリンの評価は決して高くない。
しかし命蓮寺の中でナズーリンは最も強い心を持っていると聖は考える、常に気を張っている彼女は誰にも隙を見せない。
少しでも弱さを見せてくれれば、と聖は思うのだ。
そうすれば手を差し伸べられるのに、と。待ち続けるだけというのは結構辛いものだ。
そして、明日も小さな賢将を待ち続ける。
それだけに、一行目のミスが悪目立ちしているのが少し残念です。
面白かったです。
いつか邂逅して欲しい。心からそう思いました