独りになると不意に暗く沈んだ気持ちになることがある。
漠然とした不安に駆られて、酷く寂しく思える時があるのだ。
泣き叫びたくなるような想いを抑え込んで、素知らぬ顔で毎日を過ごしている。
掘っ立て小屋の屋根を雨が打った。黴臭さを嗅ぎ取り、独り寒さに身震いする。
心が湿ると雨に打たれたくなるのは何故だろうか。
胸が疼く想いを飲み込む、梅雨入り頃の話。
命蓮寺の連中と距離を感じるようになったのは何時からか。
訪れると門前で響子が元気よく挨拶をしてきて、稀に大きな傘を持った小傘は勢いだけで脅かしにくる。
マミゾウと出会えば、小指を立てながら目的の場所を教えてくれる。ぬえに出会えば、挨拶代わりに皮肉を言い合うことがある程度だ。
ムラサは頼んでもいないのに御主人を呼び、一輪は私の姿を確認すると茶の準備を始める。
そして、聖とは一言、二言、言葉を交えるだけで会話が弾むことはない。
御主人は何時も嬉しそうな笑顔で出迎えてくれる。
二人だけの居間、他にも誰かが加わる時があるが、基本は二人だけの時が多い。
近況を事細かに楽しそうに話してくれる御主人に私は聞き手に徹して相槌を打ち続ける。
少し前までは話すようなことなんて何もなかった。何も語らずともお互い事は分かっていた。
そう思い込んでいたのだ。
少なくとも、目の前で楽しそうに色んな話をしている御主人を私は知らなかった。
こんなにも多弁だったとは知らなかった、こんなにも隙を見せる御主人を私は知らなかった。
たぶん彼女にとって、此処は心が許せる場所なんだと感じさせられた。
そして私は外様なのだと感じさせられる。
マミゾウやぬえと話している方が気が楽で、たぶん私の立ち位置は二人寄りなんだと思うのだ。
それだけのことで、妙に御主人との距離が開いたように思える。
帰路、吹く風が肌寒い。
雪が降ると外に出られなくなる日が続くことがある。
夏になると冷房の完備していない掘っ立て小屋は地獄のような暑さになることがある。
河童に頼んで電気を引きたくとも金が足りず、掘り出し物を二束三文で売り捌くことで生活の足しにする。
御主人が居た時は金策をする必要はなかった、その日々が懐かしく想える時がある。
それでも命蓮寺の世話になることが耐えられず、困窮生活を自らに敷いる。
幸いにも妖怪は体が丈夫だった。
また昔のような生活に戻りたいと思うようなことはせず、儘ならない想いに苛立つこともしない。
心は静かに余裕を持って、不敵に笑うことを心掛ける。
距離を置いたのも悪いことばかりではない。
少なくとも嫉妬に心を乱すことはなくなった。
一日に米を四合、味噌と少しの野菜を食べる。
常に情報網を張り巡らせて、真偽を両の眼で判断して、些細なことも決して忘れない。
あらゆる計算から自分の人格を排除して、常に最善を尽くすことを心掛ける。
それが小さな賢将のちっぽけな矜持だ。
無縁塚の一角にある小さな掘っ立て小屋に居て、
御主人に失せ物があると聞けば、行って探し物を探してやる。
御主人に困り事があると聞けば、行って知恵を使って負担を肩代わりしてやる。
御主人が不安を抱いたと聞けば、行って怖がらなくても良いと励ましてやる。
御主人が憤りを抱いたと聞けば、行ってつまらないことに気を病むなと説法をしてやる。
大丈夫そうな時は掘っ立て小屋でずっと待っている。
命蓮寺が盛況している時は遠目から眺めるだけに留める。
宴会の誘いを断り、満月を肴に酒を啜る。そうして少しだけ寂しさに涙を流すのだ。
これで良いんだ、と言い聞かせる。
調子の良い時だけ姿を消して、都合の悪い時だけ姿を現す。
敵役を引き受けて、皆に小賢しいと呼ばれ、褒められず、居ないからと苦にもされない。
そういう存在で良いと私は思っている。
もしも何かに願いを祈るとすれば、雨に打たれても、風に吹かれても動じない心が欲しい。
殺意に冷え込む心にも、嫉妬に熱くなる心にも、負けない強さが欲しいと願っている。
それが叶わないのであれば、欲を忘れてしまいたい。
欲を捨て去ることで決して怒らず、いつも静かに笑って見守っている。
傍にいられるだけで充分だと自らの想いを胸を秘める。
よく見て、よく聞いて、その日々の日常を決して忘れず、それだけを胸に抱いて満足したい。
四畳半の部屋で二人、相手と視線を交わすだけで満たされた過去に戻りたい。
東に病気の子供があれば、行って看病をしてやり、
西に疲れた母があれば、行ってその稲の束を負い、
南に死にそうな人があれば、行って怖がらなくていいと言い、
北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い、
率先して面倒事を請け負おうとする御主人の傍らで、苦言を零して呆れながら御主人の手伝いに従事する。
傍に居るだけで日照りの心は満たされる。孤独を感じる時は、さりげなく身を寄せる。
弱い自分を少しだけ晒すのだ。
互いに褒めたりせず、苦にも思わず、言葉を交わさずとも分かりあえる。
その距離感が、私は好きだった。
漠然とした不安に駆られて、酷く寂しく思える時があるのだ。
泣き叫びたくなるような想いを抑え込んで、素知らぬ顔で毎日を過ごしている。
掘っ立て小屋の屋根を雨が打った。黴臭さを嗅ぎ取り、独り寒さに身震いする。
心が湿ると雨に打たれたくなるのは何故だろうか。
胸が疼く想いを飲み込む、梅雨入り頃の話。
命蓮寺の連中と距離を感じるようになったのは何時からか。
訪れると門前で響子が元気よく挨拶をしてきて、稀に大きな傘を持った小傘は勢いだけで脅かしにくる。
マミゾウと出会えば、小指を立てながら目的の場所を教えてくれる。ぬえに出会えば、挨拶代わりに皮肉を言い合うことがある程度だ。
ムラサは頼んでもいないのに御主人を呼び、一輪は私の姿を確認すると茶の準備を始める。
そして、聖とは一言、二言、言葉を交えるだけで会話が弾むことはない。
御主人は何時も嬉しそうな笑顔で出迎えてくれる。
二人だけの居間、他にも誰かが加わる時があるが、基本は二人だけの時が多い。
近況を事細かに楽しそうに話してくれる御主人に私は聞き手に徹して相槌を打ち続ける。
少し前までは話すようなことなんて何もなかった。何も語らずともお互い事は分かっていた。
そう思い込んでいたのだ。
少なくとも、目の前で楽しそうに色んな話をしている御主人を私は知らなかった。
こんなにも多弁だったとは知らなかった、こんなにも隙を見せる御主人を私は知らなかった。
たぶん彼女にとって、此処は心が許せる場所なんだと感じさせられた。
そして私は外様なのだと感じさせられる。
マミゾウやぬえと話している方が気が楽で、たぶん私の立ち位置は二人寄りなんだと思うのだ。
それだけのことで、妙に御主人との距離が開いたように思える。
帰路、吹く風が肌寒い。
雪が降ると外に出られなくなる日が続くことがある。
夏になると冷房の完備していない掘っ立て小屋は地獄のような暑さになることがある。
河童に頼んで電気を引きたくとも金が足りず、掘り出し物を二束三文で売り捌くことで生活の足しにする。
御主人が居た時は金策をする必要はなかった、その日々が懐かしく想える時がある。
それでも命蓮寺の世話になることが耐えられず、困窮生活を自らに敷いる。
幸いにも妖怪は体が丈夫だった。
また昔のような生活に戻りたいと思うようなことはせず、儘ならない想いに苛立つこともしない。
心は静かに余裕を持って、不敵に笑うことを心掛ける。
距離を置いたのも悪いことばかりではない。
少なくとも嫉妬に心を乱すことはなくなった。
一日に米を四合、味噌と少しの野菜を食べる。
常に情報網を張り巡らせて、真偽を両の眼で判断して、些細なことも決して忘れない。
あらゆる計算から自分の人格を排除して、常に最善を尽くすことを心掛ける。
それが小さな賢将のちっぽけな矜持だ。
無縁塚の一角にある小さな掘っ立て小屋に居て、
御主人に失せ物があると聞けば、行って探し物を探してやる。
御主人に困り事があると聞けば、行って知恵を使って負担を肩代わりしてやる。
御主人が不安を抱いたと聞けば、行って怖がらなくても良いと励ましてやる。
御主人が憤りを抱いたと聞けば、行ってつまらないことに気を病むなと説法をしてやる。
大丈夫そうな時は掘っ立て小屋でずっと待っている。
命蓮寺が盛況している時は遠目から眺めるだけに留める。
宴会の誘いを断り、満月を肴に酒を啜る。そうして少しだけ寂しさに涙を流すのだ。
これで良いんだ、と言い聞かせる。
調子の良い時だけ姿を消して、都合の悪い時だけ姿を現す。
敵役を引き受けて、皆に小賢しいと呼ばれ、褒められず、居ないからと苦にもされない。
そういう存在で良いと私は思っている。
もしも何かに願いを祈るとすれば、雨に打たれても、風に吹かれても動じない心が欲しい。
殺意に冷え込む心にも、嫉妬に熱くなる心にも、負けない強さが欲しいと願っている。
それが叶わないのであれば、欲を忘れてしまいたい。
欲を捨て去ることで決して怒らず、いつも静かに笑って見守っている。
傍にいられるだけで充分だと自らの想いを胸を秘める。
よく見て、よく聞いて、その日々の日常を決して忘れず、それだけを胸に抱いて満足したい。
四畳半の部屋で二人、相手と視線を交わすだけで満たされた過去に戻りたい。
東に病気の子供があれば、行って看病をしてやり、
西に疲れた母があれば、行ってその稲の束を負い、
南に死にそうな人があれば、行って怖がらなくていいと言い、
北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い、
率先して面倒事を請け負おうとする御主人の傍らで、苦言を零して呆れながら御主人の手伝いに従事する。
傍に居るだけで日照りの心は満たされる。孤独を感じる時は、さりげなく身を寄せる。
弱い自分を少しだけ晒すのだ。
互いに褒めたりせず、苦にも思わず、言葉を交わさずとも分かりあえる。
その距離感が、私は好きだった。
そうして覚えた周りとの距離感はひとり取り残された感覚だったのか、あるいは、自分の知らない部分を住人たちと共有していたという彼女にとっての事実に無自覚に芽生えた嫉妬なのか。居場所を捨てて断捨離みたいな生活のなかで湧き上がるらしくない感情が、千年のあいだで彼女に起きた変化なのかもしれないと感じました
従者らしい立ち振る舞いに努めていたはずなのに、いつの間にか居心地が良くなりすぎていて、でもそうとは気づかずに離れてしまってから、互いの存在が大切な居場所なのだとわかって……寄り添いたい本心を隠しながら自分だけがわかる弱さを覗かせて、口実を頼りにわずかなひとときを求めるさまはしめやかで、感情をおもてに出さないのも実に彼女らしいと感じました
これでいいのさと表面上での納得を見せそうなナズーリンが思い浮かんでくるです。いつか彼女も打ち解けて憚りなく笑える日がくるとよいですね
短いお話でしたがとても楽しめました、ありがとうございました
寺と距離を感じながらも、確かな繋がりを感じられてよかったです
ナズーリンなりの心地よい距離感と言うのが、たいへんナズーリンらしく思えました
最後は「好きだった」で終わる点も好きです
星ちゃん視点も見てみたい