フランドールは恋をしてしまった。
あ、いや、間違えた。フランドールは恋に恋をしてしまった。
恋に恋をするとは青春を生きる乙女の誰もが患う現象であり、皆に馴染みのありそうな云い方をすれば、特に好きな相手も居ないのに恋人が欲しいな、と呟いてしまうような現象である。
かくいうフランドールも童話を胸に抱えながら「私にも白馬の王子様が現れないかなあ」と、ぬいぐるみに囲まれたメルヘンな私室の中で夢心地に呟いていた。地下図書館よりも更に奥にある封印の間、封印が解除された今となってもフランドールの私室として宛がわれる部屋にはほとんど人が寄り付かない。
紅霧異変以前は、紅魔館の黎明期を知る者以外にフランドールの存在は語られて来なかった。十六夜咲夜であっても存在のみを知らされるだけでフランドールの身の周りの世話をさせて頂いたことがほとんどない。レミリアが語るには「咲夜は紅魔館のメイドじゃなくて、私専属のメイドなのよ。だから私以外の命令で動いてはいけない」と云うもので、当時の幼かった咲夜は特に疑問を持たずに受け入れた。
そんなフランドールの世話を務めて来たのは紅美鈴、ではあるが彼女は彼女で黎明期では紅魔館全体を統括するメイド長の地位にあった。時間をも操れる完全に瀟洒なメイドであればまだしも、美鈴では時間的制約が強く、必要なことがある時以外にしかフランドールに会いに行けなかったのである。
パチュリー・ノーレッジは本の虫、そして彼女の従者である小悪魔はパチュリーにしか興味がない。実に悪魔的にパチュリーの魂に固執しているのが小悪魔である。
そんな訳で、ほとんどの時間を独りで過ごすことになってしまったフランドールは妖怪の中でも極めて精神発達が遅れている。レミリアも五百歳を超えているにしては成熟が遅いように思われるかもしれないが、あれは童心を忘れていないだけなのでまた話が変わってくる。まるで猫のように好奇心が旺盛で気まぐれで、その気質故に自分の首を絞めるのとは話が別なのだ。
紅霧異変を経て、紅魔館の面子や幻想郷の人妖と触れるようになって、漸く彼女の中での時間が進み始めることになった。
他人に興味を持ち、外の世界を見た。フランドールは井の中の蛙では満足できなくなったのだ。それが恋心の発露と云う形で表に出た。
さあ行こう進もう、思い立ったが吉日である。普段は屋敷から出ないために部屋にある衣服はどれも機能性重視、御姉様のように見栄えはしないが派手よりも地味めなのが個人的に好み、ついでに言えば綺麗よりも可愛い方が好きだ。面倒くさい髪はサイドテイルに纏めましょう、鼻唄交じりに金髪をリボンで括る。靴は何にしようか、踵が堅いやつが個人的に好み、スタタンタンとタップを踏むと小気味いい気分になれる。
童話は布団の上に放り投げ――ああ、いや駄目だ。きちんと丁寧に枕の下に収納する。もし本を粗雑に扱えば、地下図書館の主がとても不機嫌になる。特に文句とかは言わないのだが、「なるほど、なるほど、つまりきみはそういうやつなのね」と呟いて以後、一週間は口を聞いてくれなくなる。あの時の淡々と告げるパチュリーは子供心にダメージが大きすぎる、意図的に嫌味っぽく言っていると分かることだけがまだ救いである。
物は大事に扱わなければならない、者である場合は慎重かつ繊細にだ。
鏡の前に立って、気合で姿を映し出す。昔は御姉様に身形を整えて貰っていた記憶がある、あれは何年前だったか、あるいは何十年前? 遠い遠い記憶の彼方、きっと色褪せた記憶は美化されてしまっている。それでも大事な記憶、心の箪笥に今でも大事にしまってある。旅をしている時、背中の羽根を上手く隠せなかったので移動時以外で外には出して貰えなかった。フランドール自身も外に出たいとは思わなかった。
でも今は違う、まだ館の外に出るのは怖いけども地下室から出ることには慣れたのだ。
ルンランランと軽やかなステップを踏んで、石畳の階段を昇り、それから地下図書館の前を抜けて、更に地上へと続く階段を昇る。
紅魔館にある綺麗な赤絨毯の廊下に出た。
擦れ違うのは掃除をしている妖精メイド達、彼女らはフランドールの姿を見ると居心地が悪そうに頭を下げる。それに対してフランドールは適当に手を振りながら「お疲れ様」と返事した。
封印の間から出て間もない頃はフランドールの姿を見るだけでも彼女達は脅えていた、なんでも当人も知らぬ内に紅魔館の七不思議と認定されていたようでオカルトボールもよろしくな怪談のように妖精メイド達の間で恐れられいたんだとか。まあ赤マント青マントの怪談は悪魔でも怖い、メリーさんの如く相手を呼びながら距離を詰めて来る古明地こいしは事案にしか思えない。主に不法侵入関連で。
その時のことを思えば、幾らか関係は改善されたのだろう。これから先も少しずつ仲良くしていければ良いな、と思ってる。たぶん良くしていきたいと思い続けることが大事なのだ。
仕事の邪魔をしてはいけない、しかし恋に恋する悪魔は気持ちを完全に抑えることも出来ず、フランドールは足早に廊下を進んだ。
曲がり角、ぱすっと誰かが胸に飛び込んできた。
「ああ、申し訳ございません」
赤髪でサイドテイルの妖精は顔も上げずに一瞥すると、そのまま逃げるようにして走り去ってしまった。
なんだったのだろうか、両手に何かを抱えていた様子だったけど――振り返ると黄金色の液体が入った瓶が絨毯の上を転がっていた、拾い上げれば洒落た文字で“Honey Syrup”と書かれたラベルが貼ってある。どうやら蜂蜜のようだ。ラベルには商品名の他に蝙蝠をモチーフにしたロゴが付けられていることから紅魔館の製品だと云うことが分かる。自家生産品である、自分は生産に関わってないけどもちょっと誇らしい。
これを落としたのはさっきの妖精メイドだろうか。ああ、そうだ、少し前に読んだ漫画にこのような展開があったはずだ。
曲がり角でごっつんこ――これは恋の芽生えである。
「また蜂蜜が無くなってるわ! もうっ、何時も誰が盗んでるのよッ!?」
廊下の遠くの方から妖精の怒鳴り声が響き渡る。
この先にあるのは厨房で、フランドールはひっそりと来た道を引き返した。
片手に蜂蜜瓶、冤罪は御免被る。
赤髪妖精は蜂蜜が好きだ。
どれくらい好きかと云うと蜂蜜に紅茶を淹れる程度には好きである。紅茶に蜂蜜を混ぜるのではない、蜂蜜に紅茶を淹れるのだ。蜂蜜の風味を壊さない適量を見極めて紅茶を注ぎ入れるのが肝要である。
書類を片手に眺めつつ、スプーンで掬い取った蜂蜜を、はむっと口に含んで舐め取る。
嗚呼、なんと素晴らしき甘味であるか、多幸感が迸る。甘味として純度の高い砂糖とはまるで違っている、砂糖の暴力的な甘さとは比べ物にならない。思わず頬が蕩けてしまいそうな極上の甘味に赤髪妖精はつい頬に手を添えて幸せ咀嚼する。
この優しい甘さ、例えるならば、蜂蜜は母性の味がする。
「頼もーッ!!」
バタン、と突如として扉が開け放たれる。
此処は給仕室、今の時間帯は誰も使わないことを長年の観察と検証によって赤髪妖精が見つけたサボりスポット――いやいや、仕事をするために書類関連は持ち込んでいるのでサボりとは違うはずだ。日々の業務に支障が出ない程度には仕事をしているつもりである。
故に此処は赤髪妖精が見つけた時間限定の秘密部屋とでも命名しておくに限る。何故に此処で事務仕事をしているのかと云えば、本来の仕事場である事務室で蜂蜜禁止令を出されてしまったためである。なんでも自分が蜂蜜を食べていると気分を悪くする者が出るのだとか――失敬な、蜂蜜は自然界が生み出した唯一にて絶対の飲料物、宇宙の真理にすら届き得る存在だと云うのに何故分かってくれないのだろうか。
そんなことはさておき、本来であれば誰も来ないはずの部屋に予期せぬ客人が来てしまったことが問題である。
背中から生やした七色水晶が特徴的な羽根、確か館の主人であるレミリア様の妹様だ。何故、こんなところに居るのだろうか、全く以て理解することができない。
「あーっ! 貴方はあの時のーッ!?」
赤髪妖精を指を差しながら嬉々として声を張り上げる妹様、とりあえず蜂蜜を一口――うん、美味しい。癒される。
ところで妹様や、それはちょっと古すぎるのではないだろうか。そもそも貴方は転入生ではない、ついでに云えば紅魔館は学園ではない。
現実逃避も程々に――それにしても彼女の口振りは何処かで出会ったことがあるように聞こえるのだが、残念ながら心当たりがない。如何に妖精として物覚えの悪い頭をしていようとも彼女程の存在と接触すれば流石に忘れないと思うのだが……いや、気が触れていると噂の妹様だ。言葉通りに受け取るべきではないのかもしれない、何か突発的な遊びを始めたと考えるのが妥当と云うものか。
黄金の液体を舐める。今日は蜂蜜がよく進む、精神的な苦痛を和らげるのに母性の甘味を持つ蜂蜜は嗜好の特効薬である。失敬、至高の特効薬だ。
なんとか機嫌を損ねないために、遊びに付き合うのが最善だと判断する。
「そういう貴方はあの時のッ!」
赤髪妖精はガタッと椅子を蹴りながら立ち上がった、その驚く姿は正に迫真の演技である。
どうだ、決まったな。と内心でガッツポーズを決める。自分の隠され才能を見つけた気分だ、新たな可能性を垣間見た。これから先は演技派の妖精として名を売っていくべきかもしれない。最近、巷で有名になった能演者の秦こころに弟子入りすべきだろうか。
そんな戯言はさておき、これから先、古き良き学園ラブロマンスの定番と云えばなんだったか――そうだ、担任の先生が「お前達、知り合いなのか」と気を利かせてヒロインの隣の席に決めてくれるのだ。しかし此処は給仕室、ほとんど湯を沸かすだけの機能しかなく、椅子も自分が使っていた分だけしかない。そもそも此処に居るのは妹様と自分の二人だけである。これは状況的に詰んでしまっているのではなかろうか。
状況を動かせず、暫しの見つめ合い。感情の起伏が見られない人形のような笑みを浮かべる妹様に見つめられ続ける緊迫感、緊張のあまりに「目と目が逢う瞬間好きだと気付いた」と衝動的に歌って、空気をぶち壊したい気分に駆られる。心情的にも、貴方は今どんな気持ちでいるの? と問いかけたいほどだ。下手に遊びに付き合ってしまった以上、もう戻れない、引き返せない。かといって目を逸らせない、逸らした瞬間に襲われそうな気がするから。今の心境は例えるならば、ある日森の中で熊と出会った少女である。相手を睨み付けながら徐々に距離を取るのが最善であるが、給仕室の出入口は妹様が陣取っている。つまり袋小路で逃げ出せない、追い詰められた。
赤髪妖精は大きく息を吸い込んで吐き出すと、再び椅子に座り込んで蜂蜜を舐める。とても美味しい、幸福である。サブスタンダードモラルには蜂蜜が完璧な特効薬、正に至上の幸福薬である。
口から摂取するだけでこんなにも幸福になれるのだから、直接血管に注入すればもっと幸福になれるかもしれない。
「よっこいしょっと」
後ろから両脇に手を入れられて、ひょいっとぬいぐるみのように持ち上げられる。
吸血鬼と云う存在は鬼と名が付くだけあって、妖怪の中でも身体能力が高いと認知されている。きっと人間の幼子相応の身体は、彼女にとっては少し大きめの石ころを持ち上げる程度の認識に違いない。後ろから捕まえられた時点で自分には為す術なく、されるがままになるしかなかった。そのまま妹様は先程まで自分が座っていた椅子に腰を下ろすと、自分を膝上に置いて、後ろから抱き締めて来るような体勢になった。
これは――そうか、そういうことか。希望は潰えた、と云う事か。蜂蜜を舐める、蜂蜜が美味しいです、もうずっと蜂蜜だけを舐めて生きていたい。
ぎゅうっと痛いほどに抱き締めてくる妹様を背中に赤髪妖精は黙々と蜂蜜を舐め続けるのだ。
フランドールは恋がしてみたい、しかし肝心の恋と云うものがフランドールには分からなかった。
なので先ず目の前の可愛らしい存在で人肌を堪能してみることにした。これがまた意外と抱き心地が良い、幼児体形だからか体温も高めて心地良かった。何よりも彼女からする匂いが良いのだ、お菓子が好きなフランドールにとって、お菓子のように甘い香りがする彼女はフランドールの感性にピタリと当てはまった。まるで童話の世界に出て来る妖精や小人の生き写しである。試しに彼女の首筋を舐めてみたが流石に味までは甘くなかった、彼女の血は甘くて美味しそうだったが合意もなしに血を吸うことは礼儀に反する。
なら合意を取れば良いじゃない、と膝上に乗せた赤髪妖精を見ていると瓶に入った蜂蜜を直にスプーンで掬って延々と舐めている。
絶対にこの子の血は甘くて美味しい、まるで自分に血を吸われるために生まれてきたような子である。この子の血が吸いたい、でも駄目、勝手に血を吸ってはいけないと御姉様が言っていた。でも吸いたくてたまらない、その蜂蜜でとろっとろの血を啜ってみたい。きっと極上の甘味であるに違いないのだ。
嗚呼、この想い焦がれる感じは――――
「――これが恋、なのね」
「絶対に違うと思います」
うっとりとした顔で告げるフランドールに赤髪妖精は思わずツッコミを入れてしまった。
兎にも角にも大量の蜂蜜を摂取したことで思考力は幾分か回復した、ついでに幸福になってサブスタンダードモラルから脱却したおかげで前向きな考え方もできるようになった。というか今、手を打たないと物理的に食べられる。つい先程、味見をするようにねっとりと首筋を舐められた時なんか身の毛がよだつ程の恐怖を感じたのだ。これは本能的な克服しようがない恐怖、自分が被捕食者と云うどうしようもない事実を魂から理解させられる。
幸いなのは後ろから抱き締める妹様が先程零した言葉で、恋が何であるのか求めているのを知れたことだ。
「妹様、私は恋と云うものを何か知っております。それを部分的にですが説明する術を私は持っています」
こんな風に捕らわれてしまっている時、絶対的な被捕食者の取れる手段は限られている。
自分は美味しくないと必死にアピールをして、より美味しそうな何かへと意識を向けさせることだ。人魚だって命の危機が迫れば寿司ネタ百本勝負をしてのける。
本当に? と背後から耳打ちしてくる妹様に赤髪妖精は粛々と蜂蜜を舐め始めた。
今は夜、満月。紅魔館には広大な庭園がある。
丁度、館の正面に当たる部分が観賞用の庭園であり、見栄えを何よりも重視した造りになっている。
その紅魔館の裏手ではレミリアが充実した食生活を送るために古今東西の様々な作物を植えた畑が広がっており、その管理を妖精に任せていた。妖精と云う種族、土いじりをしたとしても人並み以下の効率しか発揮できないが、妖精がたくさん集まるということは自然エネルギーが集中するという事と同義である。即ち、妖精達が愛情を込めて畑の世話をするだけで紅魔館で採れる作物は他とは比べ物にならない程、御立派に成長するのだ。特に紅魔館産のエロ大根は毎度、高値が付けられるほどにボンキュッボンであり、美鈴大根として市場に出回ることになる。
妖精の組織的運用は紅魔館だけの特権、自分勝手で飽きやすい妖精を管理することは労力に見合わないと他が投げ出したことを数十年と云う年月をかけて手に入れたアドバンテージ、おかげで紅魔館のブランドは幻想郷でも最高品質として知られている。これはまだ識字率も低い時代に貴族として領地運営のノウハウを積んだレミリア・スカーレットだからこそ出来ることでもあった。
例外的に妖精を上手く活用しているのは太陽の畑。あの膨大な向日葵に妖精が惹かれて居着いた結果、自然エネルギーが集中して更に広大な向日葵畑になってしまった。あの土地に住むとても親切な妖怪は農家も兼業しているのだとか。
なんで急に太陽の畑の話をするのかだって? あそこは幻想郷一の蜂蜜の名産地だからだよ。
赤髪妖精は不貞腐れた顔で、ぬいぐるみのようにフランドールに抱えられている。
そして赤髪妖精は蜂蜜瓶を抱えている、そして瓶に収まっていた半分以上の蜂蜜が妖精の胃に収められていた。ストレスで頭が禿げるとはきっと、こういうことなんだなと赤髪妖精は考える。だとすれば蜂蜜はきっと禿げの特効薬なのだと思った。使用法は径口摂取だ。
「そういえば貴方の名前をまだ聞いてなかったわね?」とレミリア様の妹様、下手に目を付けられたくなかった赤髪妖精は答えあぐねると「じゃあ副長ね!」と声高々に自己完結してのけた。いやちょっと待って欲しい、なんで副長なのだろうか。その何処ぞで消失した世界軸でワーカーホリックしそうな名称は止めて欲しい。「理由を問いただしても宜しいでしょうか?」と問うと「私が恋し隊の隊長で、貴方が副長よ!」と満面の笑顔で答えられた。実にメルヘンチックに溢れる名称だ、妹様らしいとはこのことで。是非とも今すぐに除隊を願いたい。
赤髪妖精の想いは物の見事に無視される。恋に浮かれるフランドールはくるくるっと踊るように庭園を歩く、無論、赤髪妖精を抱えたままだ。権威の暴力とはこういう時に使う言葉なんだな、と赤髪妖精は回りながら蜂蜜を舐め続ける。その時、何時も赤髪妖精と蜂蜜攻防戦を繰り広げている紅魔館の風紀委員、門番妖精とも目があったが、この時ばかりは気の毒そうな目を向けられるだけで追いかけて来なかった。むしろ追いかけてください、そして反省室に連行してください。目で訴えかけるも門番妖精の全員が目を逸らした。風紀委員ですらも職務放棄するなんて紅魔館の風紀が乱れきっているなあ、と遠い目で赤髪妖精は思った。瞳から光が抜け落ち、サブスタンダードモラルの兆候が見られる。いいえ、私は完璧に完全に幸福です、と赤髪妖精は蜂蜜を舐め続けるのだ。
門番妖精が局地的ストライキを起こしている最中、うふふあははと幸せいっぱいの笑い声を耳にしながら赤髪妖精が退職願の内容を考え始めた頃合いで漸く目的地に辿り着いた。正門、紅魔館の敷居と外界を隔てる場所だ。
此処には今抱えている難題を丸投げできる存在がいる。
「あら、妹様じゃないですか。こんなところまでどうしたのでしょうか?」
紅魔館における良心の大黒柱、またの名を気を遣う程度の能力の持ち主。紅美鈴が柔和な笑顔で声をかけてくる。
「美鈴! 私、恋をするのッ!!」
瞬間、その表情が固まった。
漏れ出す殺意に赤紙妖精の呼吸が止まり、美鈴は大きく深呼吸をしながら冷静を装った。無論、目は笑っていない。
対人経験の疎いフランドールだけが空気を読めていなかった。
「恋をすると云うことは、まだしていないと云うことですね?」
「そうね、誰か良い相手はいないかしら? 先ほど、振られたばっかりだし……」
「ほう、妹様を振ったと?」
この時、赤髪妖精は思考を停止させていた。
中毒性たっぷりの幸福薬を口にすることに没頭していた彼女は、忍び寄る危機に感ずるのが遅れてしまったのだ。
違和感に気付いたのは、此処には居ないはずの完全で瀟洒な従者が何処からか出没した時だ。
「その話を詳しく聞かせて貰ってもよろしいでしょうか?」
「うん! この子が私の恋仲になってくれないの!」
両脇に手を入れられた赤髪妖精が掲げ上げられる。
笑顔を張り付けた紅魔館を支える二人を目の前に、赤髪妖精もまた笑顔を張り付けるしかなかった。
それは蛇に睨まれた蛙の気持ちが初めて分かった瞬間だった。
赤髪妖精は地面に降ろされると、その場で二人の圧力に屈するように正座する。
告白を受けた覚えはない、無論、振った覚えもない。そして出来る事ならば誰かに変わって欲しい。助けを求めるように周囲を見渡したが、妖精の気配が庭園から綺麗さっぱりになくなっていた。怖いもの見たさに残っている妖精すらもいない。妖精メイドに仲間意識なんてない。あるのは都合の良い友情と集団心理、そして自己保身である。
私は何も悪くない、と声高々に訴えたかったが瀟洒な従者こと十六夜咲夜が薄っすらと浮かべる笑みを前に声が詰まった。蜂蜜が舐めたい、幸福渇望症候群の初期兆候のせいか手が震えてきた。私は何も悪くない、ただ巻き込まれただけだ。それを訴えただけではどうにもならないことを赤髪妖精は悟っている。何故ならば「うん、そうだよ。私は恋をしてみたいの、そして甘く蕩けるような幸せを感じてみたいのよ。だから彼女に恋をしてみようと思ったのよ」と妹様が割と的確に事情を説明してしまっているためだ。
そして、その説明を聞いた時に二人の殺意の種類が変わった。なんで相手がお前なのだ、と嫉妬に似た感情がパルパルっと渦巻いている。そんなの知りませんって、妹様に聞いてください。私はただ蜂蜜を舐め続けていたいだけの人生だったのです。
二人のことがまともに見れずに顔を俯けていると、トンと頭の上に何かが乗っけられた。
「落としちゃ駄目よ、少しでも動いたら外しちゃうかもしれないわ」
何が、と問う前にヒュッと風を切り裂く音がして、ストッと何かが何かに刺さる音がした。
そしてボトリと地面に落ちたのは林檎、銀ナイフが刺さっている。妹様が嬉しそうに拍手する音が聞こえて、思わず顔を上げると蜜柑を片手にした咲夜が微塵の愉快さも感じられない満面の笑顔で近付いてくる。そして顔を上げたまま、赤髪妖精の頭に蜜柑を乗せる。ビクリと体が動いた、瞬間、頬を何かが掠めた。薄皮一枚、血が零れ落ちる。「動かないでって言ったでしょう?」と時間を飛ばしたように真横に現れた咲夜が語りかけてくる。何時の間にか落としてしまっていた蜜柑を頭に乗せられる。「今日は調子が悪いわね。もしかしたら外しちゃうかもね」くつくつと銀ナイフを片手に咲夜が喉を鳴らしてみせる。
不意に金髪が揺らいだかと思うと、ペロリと怪我した頬を舐められた。横を見れば、妹様が幸せに満ちた顔で口をもごもごとさせている。
「やっぱり甘くてとろっとろに美味しいわ。もうずっと側に置いておきたいくらい」
その乙女チックな妹様の顔に胸がドキドキした。無論、恋なんかではない。殺意を隠し切れなくなった咲夜に対する恐怖故だ。
先程よりも鋭い風きり音がしたかと思うと、頭の上の蜜柑が真っ二つに割れた。また風が吹いた、更に頭の上で蜜柑が左右に割れるのを感じた。そのまま地面に転がり落ちる蜜柑、二本のナイフが耳元を通り過ぎる。たぶん位置的に落ちた蜜柑を貫いた。正に神業としか思えない所業、そして、その全てがスレスレであり、少しでも動いたらナイフが刺さるということまで考慮されたものであった。事故ですよ、という配慮までされているのは完全で瀟洒と呼ぶ他にない。そして次は栗が乗せられる、無論、これも見事にナイフを命中させた。妹様の笑い声が遠く感じられる、美鈴が笑顔のまま微動だにしない。
蜂蜜が欲しい、蜂蜜が渇望している。恐怖で目元が熱くなる、しかし怖すぎて泣くことができなかった。
「い、妹様! 申し訳ありませんが、妹様にはもっと立派な相手が居ると思うのですッ!」
堪え切れずに叫んだ言葉、キッと二人に睨みつけられる。
ここで言葉を間違えたら殺される、いや、妖精相手に殺すなんて真似はしない。きっと殺して貰えない、死ぬことよりも恐ろしい目に合わされるに違いないのだ。
例えば蜂蜜を一週間お預けとか――蜂蜜がない人生なんて、死んだ方がましだ。
想像しただけでも涙が込み上げてきた、でも泣く訳にはいかない。蜂蜜のためにこの境地を突破しなくてはならないのだ。
そうだ、全ては蜂蜜のためだ。どうせ死ぬなら蜂蜜のために死ね!
「そこのメイド長なんて如何でしょうか! 素敵麗し見た目で教養も完璧、家事もできる。性格だって慎み深く……深く? いえ、慎み深くて何よりも周囲に気を配れる瀟洒さを兼ね添えております! 親兄弟も居ないのでややこしい家族関係に悩まされることもありません、もしも結婚まで漕ぎつけたとしても嫁姑になじられることもないのです! 同性愛は大丈夫ですかって? 大丈夫です、そこを気にするなら私なんかに手を出さないでください!」
ありったけの美辞麗句を並び立てる。さあどうだ、と妹様を見つめる。その後ろ、遠くの方でレミリア様が不思議そうに庭園を見渡しているのが見えた。
「咲夜は御姉様の従者だよ? 私が奪ったら略奪愛になっちゃうじゃない」
「構いません、妹様ッ!」
咲夜がありったけの声を張り上げた、ビクリとレミリアが驚きに身を竦ませる。
「大丈夫です、むしろ、その方が燃えるのではないでしょうか! 色恋沙汰に障害は付き物、しかし、それを乗り越えてこそ真実の愛に辿り着けるもの! さあ妹様、私を奪ってください、略奪上等ッ! いえ、むしろ駆け落ちしましょう、そうですね、今すぐに! 恋とは合理性を考慮せずに、ただ真実の愛のために駆け抜けるものです! さあ全てのしがらみを捨てて、私と共に真実の愛を築き上げましょうッ!!」
「えーやだ、私、御姉様のことも好きだよ? 御姉様を悲しませるくらいなら奪いたくないな」
「良い子ね、フラン」
フランドールを後ろからレミリアがぎゅっと抱き締める。青褪める咲夜、美鈴は表情を強張らせている。赤髪妖精は悪魔に天使を見た。
「それで咲夜、言いたいことはある?」
咲夜は無言で正座をすると両手を地面に添えて、額を擦り付ける。言葉では語らずに行動で示すやり方、彼女の背中からはその生き様が切なく感じられた。
「ところでフラン、美鈴は貴方の相手に御目に適うのかしら?」
ひくつく美鈴。うーん、とフランドールは悩む仕草を見せると「ちょっと違うかな」と告げる。
「美鈴はお姉さんかな。勿論、肉親は御姉様だけだって分かってるよ。でも美鈴は血が繋がってないけども家族だよね?」
その瞬間、美鈴は顔を背けた。頬を伝う一筋の雫を赤髪妖精は見た、目元を赤くした美鈴は一度だけ鼻を啜ると、とても嬉しそうにフランドールの頭を撫でる。
そして赤髪妖精を見つめると、まだ認めたわけではありませんよ、と口パクで告げた。
これに身震いした赤髪妖精はブンブンと首を縦に振る他に術がない。そもそも妹様との関係を否定したかったが、それを口にしたところで、きっと彼女は怒るに違いないのだ。
「咲夜は違うのかしら?」
「咲夜は御姉様の従者でしょ?」
フランドールの無慈悲な言葉に、未だ額を地面に擦らせたままの咲夜からむせび泣く声がし始める。
その小刻みに震える姿があまりにも憐れだったから、赤髪妖精は美鈴が持っていた残り一割程度の蜂蜜瓶を拝借して、少し惜しんでから咲夜の頭にそっと置いた。それでも舐めて元気になれよ、と心の中で告げてから赤髪妖精はさりげなくその場を後にする。それに追いかけるフランドール、和気藹々とレミリアと美鈴が昔話に花を咲かせる。
咲夜の嗚咽だけが闇夜に寂しく響き渡った。
此処は紅魔館の主、レミリア・スカーレットの執務室。
部屋の一角に備えられたソファーの上にフランドールが座っており、その膝上に赤髪妖精は担ぎ上げられていた。
結局、赤髪妖精は逃げ切れなかった。そしてレミリアの執務室に連れ込まれたのである。虎の子の蜂蜜を手放した赤髪妖精に絶望に抗う術はなく、ただ心を無にして魔法の言葉を唱え続けた。私は完璧に完全に幸福です、と延々に繰り返す機械になっている。
そんな赤髪妖精の頬を突いたり、揉んだりし続けるフランドール。
「その子がそんなに気に入ったの?」
見かねたレミリアが問うと、「うん!」とフランドールが嬉しそうに答えた。ここまで真正面から言われてはレミリアも何もできずに「そう」と引き下がるしかなかった。
「副長はね、とっても甘くて濃厚で美味しいのよ!」
「……程々にしておきなさいよ」
副長? こんな子が居たかしら、とレミリアがパラパラと写真付きの名簿帳を捲り始めた。
「御姉様、どうすれば恋できるのかしら?」
フランドールの何気ない問い掛けにレミリアは口元に手を添えて、それからゆっくりと語り始める。
「恋なんていうものは、ある日、唐突にしてしまうものよ。しようと思ってできるものじゃないわ、だから恋は落ちるものって言われているのよ」
「へえ、そうなんだ」
「ええそうよ」
感心したようにフランドールは頷いてみせる。
「ところで御姉様は恋ってしたことあるの?」
「それらしいものはしたことがあるわよ、でも本格的にってなるとどうかしらね?」
「ふぅん」
フランドールは何気なく片手を掲げるとキュッと握り締めた。
ポンッとレミリアの足元が吹き飛んで、執務机ごと階下に落ちて行った。少し経って大きな物が落ちる衝撃音、物が散乱する音、妖精達の悲鳴が上がり、阿鼻叫喚の様相を醸し出し始める。しかしフランドールは意にも介さず、赤髪妖精を抱えたまま悠々と自分が空けた大穴に歩み寄って云った。
階下には砕けた執務机、散乱した書類に壊れた調度品の数々、それらに埋もれた半笑いのレミリアが大の字で倒れていた。
「ねえねえ、御姉様! ドキドキした、胸が高鳴った!? 初恋した!?」
「……ええ、そうね。少なくともドッキリはしたわね」
キャッキャと嬉しそうに笑うフランドール、彼女に抱えられる赤髪妖精は思考停止したままに零した。
「故意に落とされて、綺麗に物語もオチましたって? 恋だけに! おあとがよろしいようで、HAHAHA!」
「いいえ、まだ次の仕込みは終わってないわよ。そこのファッキン妖精」
レミリアが見せつけるように名簿帳を開くと、そこには赤髪妖精の写真が貼られてある。
「トリル、貴方は明日からフランドール付きよ。良かったわね、出世よ。喜べ」
「……私は完璧に完全に幸福です」
赤髪妖精は再び思考を切り離すのだった。
あ、いや、間違えた。フランドールは恋に恋をしてしまった。
恋に恋をするとは青春を生きる乙女の誰もが患う現象であり、皆に馴染みのありそうな云い方をすれば、特に好きな相手も居ないのに恋人が欲しいな、と呟いてしまうような現象である。
かくいうフランドールも童話を胸に抱えながら「私にも白馬の王子様が現れないかなあ」と、ぬいぐるみに囲まれたメルヘンな私室の中で夢心地に呟いていた。地下図書館よりも更に奥にある封印の間、封印が解除された今となってもフランドールの私室として宛がわれる部屋にはほとんど人が寄り付かない。
紅霧異変以前は、紅魔館の黎明期を知る者以外にフランドールの存在は語られて来なかった。十六夜咲夜であっても存在のみを知らされるだけでフランドールの身の周りの世話をさせて頂いたことがほとんどない。レミリアが語るには「咲夜は紅魔館のメイドじゃなくて、私専属のメイドなのよ。だから私以外の命令で動いてはいけない」と云うもので、当時の幼かった咲夜は特に疑問を持たずに受け入れた。
そんなフランドールの世話を務めて来たのは紅美鈴、ではあるが彼女は彼女で黎明期では紅魔館全体を統括するメイド長の地位にあった。時間をも操れる完全に瀟洒なメイドであればまだしも、美鈴では時間的制約が強く、必要なことがある時以外にしかフランドールに会いに行けなかったのである。
パチュリー・ノーレッジは本の虫、そして彼女の従者である小悪魔はパチュリーにしか興味がない。実に悪魔的にパチュリーの魂に固執しているのが小悪魔である。
そんな訳で、ほとんどの時間を独りで過ごすことになってしまったフランドールは妖怪の中でも極めて精神発達が遅れている。レミリアも五百歳を超えているにしては成熟が遅いように思われるかもしれないが、あれは童心を忘れていないだけなのでまた話が変わってくる。まるで猫のように好奇心が旺盛で気まぐれで、その気質故に自分の首を絞めるのとは話が別なのだ。
紅霧異変を経て、紅魔館の面子や幻想郷の人妖と触れるようになって、漸く彼女の中での時間が進み始めることになった。
他人に興味を持ち、外の世界を見た。フランドールは井の中の蛙では満足できなくなったのだ。それが恋心の発露と云う形で表に出た。
さあ行こう進もう、思い立ったが吉日である。普段は屋敷から出ないために部屋にある衣服はどれも機能性重視、御姉様のように見栄えはしないが派手よりも地味めなのが個人的に好み、ついでに言えば綺麗よりも可愛い方が好きだ。面倒くさい髪はサイドテイルに纏めましょう、鼻唄交じりに金髪をリボンで括る。靴は何にしようか、踵が堅いやつが個人的に好み、スタタンタンとタップを踏むと小気味いい気分になれる。
童話は布団の上に放り投げ――ああ、いや駄目だ。きちんと丁寧に枕の下に収納する。もし本を粗雑に扱えば、地下図書館の主がとても不機嫌になる。特に文句とかは言わないのだが、「なるほど、なるほど、つまりきみはそういうやつなのね」と呟いて以後、一週間は口を聞いてくれなくなる。あの時の淡々と告げるパチュリーは子供心にダメージが大きすぎる、意図的に嫌味っぽく言っていると分かることだけがまだ救いである。
物は大事に扱わなければならない、者である場合は慎重かつ繊細にだ。
鏡の前に立って、気合で姿を映し出す。昔は御姉様に身形を整えて貰っていた記憶がある、あれは何年前だったか、あるいは何十年前? 遠い遠い記憶の彼方、きっと色褪せた記憶は美化されてしまっている。それでも大事な記憶、心の箪笥に今でも大事にしまってある。旅をしている時、背中の羽根を上手く隠せなかったので移動時以外で外には出して貰えなかった。フランドール自身も外に出たいとは思わなかった。
でも今は違う、まだ館の外に出るのは怖いけども地下室から出ることには慣れたのだ。
ルンランランと軽やかなステップを踏んで、石畳の階段を昇り、それから地下図書館の前を抜けて、更に地上へと続く階段を昇る。
紅魔館にある綺麗な赤絨毯の廊下に出た。
擦れ違うのは掃除をしている妖精メイド達、彼女らはフランドールの姿を見ると居心地が悪そうに頭を下げる。それに対してフランドールは適当に手を振りながら「お疲れ様」と返事した。
封印の間から出て間もない頃はフランドールの姿を見るだけでも彼女達は脅えていた、なんでも当人も知らぬ内に紅魔館の七不思議と認定されていたようでオカルトボールもよろしくな怪談のように妖精メイド達の間で恐れられいたんだとか。まあ赤マント青マントの怪談は悪魔でも怖い、メリーさんの如く相手を呼びながら距離を詰めて来る古明地こいしは事案にしか思えない。主に不法侵入関連で。
その時のことを思えば、幾らか関係は改善されたのだろう。これから先も少しずつ仲良くしていければ良いな、と思ってる。たぶん良くしていきたいと思い続けることが大事なのだ。
仕事の邪魔をしてはいけない、しかし恋に恋する悪魔は気持ちを完全に抑えることも出来ず、フランドールは足早に廊下を進んだ。
曲がり角、ぱすっと誰かが胸に飛び込んできた。
「ああ、申し訳ございません」
赤髪でサイドテイルの妖精は顔も上げずに一瞥すると、そのまま逃げるようにして走り去ってしまった。
なんだったのだろうか、両手に何かを抱えていた様子だったけど――振り返ると黄金色の液体が入った瓶が絨毯の上を転がっていた、拾い上げれば洒落た文字で“Honey Syrup”と書かれたラベルが貼ってある。どうやら蜂蜜のようだ。ラベルには商品名の他に蝙蝠をモチーフにしたロゴが付けられていることから紅魔館の製品だと云うことが分かる。自家生産品である、自分は生産に関わってないけどもちょっと誇らしい。
これを落としたのはさっきの妖精メイドだろうか。ああ、そうだ、少し前に読んだ漫画にこのような展開があったはずだ。
曲がり角でごっつんこ――これは恋の芽生えである。
「また蜂蜜が無くなってるわ! もうっ、何時も誰が盗んでるのよッ!?」
廊下の遠くの方から妖精の怒鳴り声が響き渡る。
この先にあるのは厨房で、フランドールはひっそりと来た道を引き返した。
片手に蜂蜜瓶、冤罪は御免被る。
赤髪妖精は蜂蜜が好きだ。
どれくらい好きかと云うと蜂蜜に紅茶を淹れる程度には好きである。紅茶に蜂蜜を混ぜるのではない、蜂蜜に紅茶を淹れるのだ。蜂蜜の風味を壊さない適量を見極めて紅茶を注ぎ入れるのが肝要である。
書類を片手に眺めつつ、スプーンで掬い取った蜂蜜を、はむっと口に含んで舐め取る。
嗚呼、なんと素晴らしき甘味であるか、多幸感が迸る。甘味として純度の高い砂糖とはまるで違っている、砂糖の暴力的な甘さとは比べ物にならない。思わず頬が蕩けてしまいそうな極上の甘味に赤髪妖精はつい頬に手を添えて幸せ咀嚼する。
この優しい甘さ、例えるならば、蜂蜜は母性の味がする。
「頼もーッ!!」
バタン、と突如として扉が開け放たれる。
此処は給仕室、今の時間帯は誰も使わないことを長年の観察と検証によって赤髪妖精が見つけたサボりスポット――いやいや、仕事をするために書類関連は持ち込んでいるのでサボりとは違うはずだ。日々の業務に支障が出ない程度には仕事をしているつもりである。
故に此処は赤髪妖精が見つけた時間限定の秘密部屋とでも命名しておくに限る。何故に此処で事務仕事をしているのかと云えば、本来の仕事場である事務室で蜂蜜禁止令を出されてしまったためである。なんでも自分が蜂蜜を食べていると気分を悪くする者が出るのだとか――失敬な、蜂蜜は自然界が生み出した唯一にて絶対の飲料物、宇宙の真理にすら届き得る存在だと云うのに何故分かってくれないのだろうか。
そんなことはさておき、本来であれば誰も来ないはずの部屋に予期せぬ客人が来てしまったことが問題である。
背中から生やした七色水晶が特徴的な羽根、確か館の主人であるレミリア様の妹様だ。何故、こんなところに居るのだろうか、全く以て理解することができない。
「あーっ! 貴方はあの時のーッ!?」
赤髪妖精を指を差しながら嬉々として声を張り上げる妹様、とりあえず蜂蜜を一口――うん、美味しい。癒される。
ところで妹様や、それはちょっと古すぎるのではないだろうか。そもそも貴方は転入生ではない、ついでに云えば紅魔館は学園ではない。
現実逃避も程々に――それにしても彼女の口振りは何処かで出会ったことがあるように聞こえるのだが、残念ながら心当たりがない。如何に妖精として物覚えの悪い頭をしていようとも彼女程の存在と接触すれば流石に忘れないと思うのだが……いや、気が触れていると噂の妹様だ。言葉通りに受け取るべきではないのかもしれない、何か突発的な遊びを始めたと考えるのが妥当と云うものか。
黄金の液体を舐める。今日は蜂蜜がよく進む、精神的な苦痛を和らげるのに母性の甘味を持つ蜂蜜は嗜好の特効薬である。失敬、至高の特効薬だ。
なんとか機嫌を損ねないために、遊びに付き合うのが最善だと判断する。
「そういう貴方はあの時のッ!」
赤髪妖精はガタッと椅子を蹴りながら立ち上がった、その驚く姿は正に迫真の演技である。
どうだ、決まったな。と内心でガッツポーズを決める。自分の隠され才能を見つけた気分だ、新たな可能性を垣間見た。これから先は演技派の妖精として名を売っていくべきかもしれない。最近、巷で有名になった能演者の秦こころに弟子入りすべきだろうか。
そんな戯言はさておき、これから先、古き良き学園ラブロマンスの定番と云えばなんだったか――そうだ、担任の先生が「お前達、知り合いなのか」と気を利かせてヒロインの隣の席に決めてくれるのだ。しかし此処は給仕室、ほとんど湯を沸かすだけの機能しかなく、椅子も自分が使っていた分だけしかない。そもそも此処に居るのは妹様と自分の二人だけである。これは状況的に詰んでしまっているのではなかろうか。
状況を動かせず、暫しの見つめ合い。感情の起伏が見られない人形のような笑みを浮かべる妹様に見つめられ続ける緊迫感、緊張のあまりに「目と目が逢う瞬間好きだと気付いた」と衝動的に歌って、空気をぶち壊したい気分に駆られる。心情的にも、貴方は今どんな気持ちでいるの? と問いかけたいほどだ。下手に遊びに付き合ってしまった以上、もう戻れない、引き返せない。かといって目を逸らせない、逸らした瞬間に襲われそうな気がするから。今の心境は例えるならば、ある日森の中で熊と出会った少女である。相手を睨み付けながら徐々に距離を取るのが最善であるが、給仕室の出入口は妹様が陣取っている。つまり袋小路で逃げ出せない、追い詰められた。
赤髪妖精は大きく息を吸い込んで吐き出すと、再び椅子に座り込んで蜂蜜を舐める。とても美味しい、幸福である。サブスタンダードモラルには蜂蜜が完璧な特効薬、正に至上の幸福薬である。
口から摂取するだけでこんなにも幸福になれるのだから、直接血管に注入すればもっと幸福になれるかもしれない。
「よっこいしょっと」
後ろから両脇に手を入れられて、ひょいっとぬいぐるみのように持ち上げられる。
吸血鬼と云う存在は鬼と名が付くだけあって、妖怪の中でも身体能力が高いと認知されている。きっと人間の幼子相応の身体は、彼女にとっては少し大きめの石ころを持ち上げる程度の認識に違いない。後ろから捕まえられた時点で自分には為す術なく、されるがままになるしかなかった。そのまま妹様は先程まで自分が座っていた椅子に腰を下ろすと、自分を膝上に置いて、後ろから抱き締めて来るような体勢になった。
これは――そうか、そういうことか。希望は潰えた、と云う事か。蜂蜜を舐める、蜂蜜が美味しいです、もうずっと蜂蜜だけを舐めて生きていたい。
ぎゅうっと痛いほどに抱き締めてくる妹様を背中に赤髪妖精は黙々と蜂蜜を舐め続けるのだ。
フランドールは恋がしてみたい、しかし肝心の恋と云うものがフランドールには分からなかった。
なので先ず目の前の可愛らしい存在で人肌を堪能してみることにした。これがまた意外と抱き心地が良い、幼児体形だからか体温も高めて心地良かった。何よりも彼女からする匂いが良いのだ、お菓子が好きなフランドールにとって、お菓子のように甘い香りがする彼女はフランドールの感性にピタリと当てはまった。まるで童話の世界に出て来る妖精や小人の生き写しである。試しに彼女の首筋を舐めてみたが流石に味までは甘くなかった、彼女の血は甘くて美味しそうだったが合意もなしに血を吸うことは礼儀に反する。
なら合意を取れば良いじゃない、と膝上に乗せた赤髪妖精を見ていると瓶に入った蜂蜜を直にスプーンで掬って延々と舐めている。
絶対にこの子の血は甘くて美味しい、まるで自分に血を吸われるために生まれてきたような子である。この子の血が吸いたい、でも駄目、勝手に血を吸ってはいけないと御姉様が言っていた。でも吸いたくてたまらない、その蜂蜜でとろっとろの血を啜ってみたい。きっと極上の甘味であるに違いないのだ。
嗚呼、この想い焦がれる感じは――――
「――これが恋、なのね」
「絶対に違うと思います」
うっとりとした顔で告げるフランドールに赤髪妖精は思わずツッコミを入れてしまった。
兎にも角にも大量の蜂蜜を摂取したことで思考力は幾分か回復した、ついでに幸福になってサブスタンダードモラルから脱却したおかげで前向きな考え方もできるようになった。というか今、手を打たないと物理的に食べられる。つい先程、味見をするようにねっとりと首筋を舐められた時なんか身の毛がよだつ程の恐怖を感じたのだ。これは本能的な克服しようがない恐怖、自分が被捕食者と云うどうしようもない事実を魂から理解させられる。
幸いなのは後ろから抱き締める妹様が先程零した言葉で、恋が何であるのか求めているのを知れたことだ。
「妹様、私は恋と云うものを何か知っております。それを部分的にですが説明する術を私は持っています」
こんな風に捕らわれてしまっている時、絶対的な被捕食者の取れる手段は限られている。
自分は美味しくないと必死にアピールをして、より美味しそうな何かへと意識を向けさせることだ。人魚だって命の危機が迫れば寿司ネタ百本勝負をしてのける。
本当に? と背後から耳打ちしてくる妹様に赤髪妖精は粛々と蜂蜜を舐め始めた。
今は夜、満月。紅魔館には広大な庭園がある。
丁度、館の正面に当たる部分が観賞用の庭園であり、見栄えを何よりも重視した造りになっている。
その紅魔館の裏手ではレミリアが充実した食生活を送るために古今東西の様々な作物を植えた畑が広がっており、その管理を妖精に任せていた。妖精と云う種族、土いじりをしたとしても人並み以下の効率しか発揮できないが、妖精がたくさん集まるということは自然エネルギーが集中するという事と同義である。即ち、妖精達が愛情を込めて畑の世話をするだけで紅魔館で採れる作物は他とは比べ物にならない程、御立派に成長するのだ。特に紅魔館産のエロ大根は毎度、高値が付けられるほどにボンキュッボンであり、美鈴大根として市場に出回ることになる。
妖精の組織的運用は紅魔館だけの特権、自分勝手で飽きやすい妖精を管理することは労力に見合わないと他が投げ出したことを数十年と云う年月をかけて手に入れたアドバンテージ、おかげで紅魔館のブランドは幻想郷でも最高品質として知られている。これはまだ識字率も低い時代に貴族として領地運営のノウハウを積んだレミリア・スカーレットだからこそ出来ることでもあった。
例外的に妖精を上手く活用しているのは太陽の畑。あの膨大な向日葵に妖精が惹かれて居着いた結果、自然エネルギーが集中して更に広大な向日葵畑になってしまった。あの土地に住むとても親切な妖怪は農家も兼業しているのだとか。
なんで急に太陽の畑の話をするのかだって? あそこは幻想郷一の蜂蜜の名産地だからだよ。
赤髪妖精は不貞腐れた顔で、ぬいぐるみのようにフランドールに抱えられている。
そして赤髪妖精は蜂蜜瓶を抱えている、そして瓶に収まっていた半分以上の蜂蜜が妖精の胃に収められていた。ストレスで頭が禿げるとはきっと、こういうことなんだなと赤髪妖精は考える。だとすれば蜂蜜はきっと禿げの特効薬なのだと思った。使用法は径口摂取だ。
「そういえば貴方の名前をまだ聞いてなかったわね?」とレミリア様の妹様、下手に目を付けられたくなかった赤髪妖精は答えあぐねると「じゃあ副長ね!」と声高々に自己完結してのけた。いやちょっと待って欲しい、なんで副長なのだろうか。その何処ぞで消失した世界軸でワーカーホリックしそうな名称は止めて欲しい。「理由を問いただしても宜しいでしょうか?」と問うと「私が恋し隊の隊長で、貴方が副長よ!」と満面の笑顔で答えられた。実にメルヘンチックに溢れる名称だ、妹様らしいとはこのことで。是非とも今すぐに除隊を願いたい。
赤髪妖精の想いは物の見事に無視される。恋に浮かれるフランドールはくるくるっと踊るように庭園を歩く、無論、赤髪妖精を抱えたままだ。権威の暴力とはこういう時に使う言葉なんだな、と赤髪妖精は回りながら蜂蜜を舐め続ける。その時、何時も赤髪妖精と蜂蜜攻防戦を繰り広げている紅魔館の風紀委員、門番妖精とも目があったが、この時ばかりは気の毒そうな目を向けられるだけで追いかけて来なかった。むしろ追いかけてください、そして反省室に連行してください。目で訴えかけるも門番妖精の全員が目を逸らした。風紀委員ですらも職務放棄するなんて紅魔館の風紀が乱れきっているなあ、と遠い目で赤髪妖精は思った。瞳から光が抜け落ち、サブスタンダードモラルの兆候が見られる。いいえ、私は完璧に完全に幸福です、と赤髪妖精は蜂蜜を舐め続けるのだ。
門番妖精が局地的ストライキを起こしている最中、うふふあははと幸せいっぱいの笑い声を耳にしながら赤髪妖精が退職願の内容を考え始めた頃合いで漸く目的地に辿り着いた。正門、紅魔館の敷居と外界を隔てる場所だ。
此処には今抱えている難題を丸投げできる存在がいる。
「あら、妹様じゃないですか。こんなところまでどうしたのでしょうか?」
紅魔館における良心の大黒柱、またの名を気を遣う程度の能力の持ち主。紅美鈴が柔和な笑顔で声をかけてくる。
「美鈴! 私、恋をするのッ!!」
瞬間、その表情が固まった。
漏れ出す殺意に赤紙妖精の呼吸が止まり、美鈴は大きく深呼吸をしながら冷静を装った。無論、目は笑っていない。
対人経験の疎いフランドールだけが空気を読めていなかった。
「恋をすると云うことは、まだしていないと云うことですね?」
「そうね、誰か良い相手はいないかしら? 先ほど、振られたばっかりだし……」
「ほう、妹様を振ったと?」
この時、赤髪妖精は思考を停止させていた。
中毒性たっぷりの幸福薬を口にすることに没頭していた彼女は、忍び寄る危機に感ずるのが遅れてしまったのだ。
違和感に気付いたのは、此処には居ないはずの完全で瀟洒な従者が何処からか出没した時だ。
「その話を詳しく聞かせて貰ってもよろしいでしょうか?」
「うん! この子が私の恋仲になってくれないの!」
両脇に手を入れられた赤髪妖精が掲げ上げられる。
笑顔を張り付けた紅魔館を支える二人を目の前に、赤髪妖精もまた笑顔を張り付けるしかなかった。
それは蛇に睨まれた蛙の気持ちが初めて分かった瞬間だった。
赤髪妖精は地面に降ろされると、その場で二人の圧力に屈するように正座する。
告白を受けた覚えはない、無論、振った覚えもない。そして出来る事ならば誰かに変わって欲しい。助けを求めるように周囲を見渡したが、妖精の気配が庭園から綺麗さっぱりになくなっていた。怖いもの見たさに残っている妖精すらもいない。妖精メイドに仲間意識なんてない。あるのは都合の良い友情と集団心理、そして自己保身である。
私は何も悪くない、と声高々に訴えたかったが瀟洒な従者こと十六夜咲夜が薄っすらと浮かべる笑みを前に声が詰まった。蜂蜜が舐めたい、幸福渇望症候群の初期兆候のせいか手が震えてきた。私は何も悪くない、ただ巻き込まれただけだ。それを訴えただけではどうにもならないことを赤髪妖精は悟っている。何故ならば「うん、そうだよ。私は恋をしてみたいの、そして甘く蕩けるような幸せを感じてみたいのよ。だから彼女に恋をしてみようと思ったのよ」と妹様が割と的確に事情を説明してしまっているためだ。
そして、その説明を聞いた時に二人の殺意の種類が変わった。なんで相手がお前なのだ、と嫉妬に似た感情がパルパルっと渦巻いている。そんなの知りませんって、妹様に聞いてください。私はただ蜂蜜を舐め続けていたいだけの人生だったのです。
二人のことがまともに見れずに顔を俯けていると、トンと頭の上に何かが乗っけられた。
「落としちゃ駄目よ、少しでも動いたら外しちゃうかもしれないわ」
何が、と問う前にヒュッと風を切り裂く音がして、ストッと何かが何かに刺さる音がした。
そしてボトリと地面に落ちたのは林檎、銀ナイフが刺さっている。妹様が嬉しそうに拍手する音が聞こえて、思わず顔を上げると蜜柑を片手にした咲夜が微塵の愉快さも感じられない満面の笑顔で近付いてくる。そして顔を上げたまま、赤髪妖精の頭に蜜柑を乗せる。ビクリと体が動いた、瞬間、頬を何かが掠めた。薄皮一枚、血が零れ落ちる。「動かないでって言ったでしょう?」と時間を飛ばしたように真横に現れた咲夜が語りかけてくる。何時の間にか落としてしまっていた蜜柑を頭に乗せられる。「今日は調子が悪いわね。もしかしたら外しちゃうかもね」くつくつと銀ナイフを片手に咲夜が喉を鳴らしてみせる。
不意に金髪が揺らいだかと思うと、ペロリと怪我した頬を舐められた。横を見れば、妹様が幸せに満ちた顔で口をもごもごとさせている。
「やっぱり甘くてとろっとろに美味しいわ。もうずっと側に置いておきたいくらい」
その乙女チックな妹様の顔に胸がドキドキした。無論、恋なんかではない。殺意を隠し切れなくなった咲夜に対する恐怖故だ。
先程よりも鋭い風きり音がしたかと思うと、頭の上の蜜柑が真っ二つに割れた。また風が吹いた、更に頭の上で蜜柑が左右に割れるのを感じた。そのまま地面に転がり落ちる蜜柑、二本のナイフが耳元を通り過ぎる。たぶん位置的に落ちた蜜柑を貫いた。正に神業としか思えない所業、そして、その全てがスレスレであり、少しでも動いたらナイフが刺さるということまで考慮されたものであった。事故ですよ、という配慮までされているのは完全で瀟洒と呼ぶ他にない。そして次は栗が乗せられる、無論、これも見事にナイフを命中させた。妹様の笑い声が遠く感じられる、美鈴が笑顔のまま微動だにしない。
蜂蜜が欲しい、蜂蜜が渇望している。恐怖で目元が熱くなる、しかし怖すぎて泣くことができなかった。
「い、妹様! 申し訳ありませんが、妹様にはもっと立派な相手が居ると思うのですッ!」
堪え切れずに叫んだ言葉、キッと二人に睨みつけられる。
ここで言葉を間違えたら殺される、いや、妖精相手に殺すなんて真似はしない。きっと殺して貰えない、死ぬことよりも恐ろしい目に合わされるに違いないのだ。
例えば蜂蜜を一週間お預けとか――蜂蜜がない人生なんて、死んだ方がましだ。
想像しただけでも涙が込み上げてきた、でも泣く訳にはいかない。蜂蜜のためにこの境地を突破しなくてはならないのだ。
そうだ、全ては蜂蜜のためだ。どうせ死ぬなら蜂蜜のために死ね!
「そこのメイド長なんて如何でしょうか! 素敵麗し見た目で教養も完璧、家事もできる。性格だって慎み深く……深く? いえ、慎み深くて何よりも周囲に気を配れる瀟洒さを兼ね添えております! 親兄弟も居ないのでややこしい家族関係に悩まされることもありません、もしも結婚まで漕ぎつけたとしても嫁姑になじられることもないのです! 同性愛は大丈夫ですかって? 大丈夫です、そこを気にするなら私なんかに手を出さないでください!」
ありったけの美辞麗句を並び立てる。さあどうだ、と妹様を見つめる。その後ろ、遠くの方でレミリア様が不思議そうに庭園を見渡しているのが見えた。
「咲夜は御姉様の従者だよ? 私が奪ったら略奪愛になっちゃうじゃない」
「構いません、妹様ッ!」
咲夜がありったけの声を張り上げた、ビクリとレミリアが驚きに身を竦ませる。
「大丈夫です、むしろ、その方が燃えるのではないでしょうか! 色恋沙汰に障害は付き物、しかし、それを乗り越えてこそ真実の愛に辿り着けるもの! さあ妹様、私を奪ってください、略奪上等ッ! いえ、むしろ駆け落ちしましょう、そうですね、今すぐに! 恋とは合理性を考慮せずに、ただ真実の愛のために駆け抜けるものです! さあ全てのしがらみを捨てて、私と共に真実の愛を築き上げましょうッ!!」
「えーやだ、私、御姉様のことも好きだよ? 御姉様を悲しませるくらいなら奪いたくないな」
「良い子ね、フラン」
フランドールを後ろからレミリアがぎゅっと抱き締める。青褪める咲夜、美鈴は表情を強張らせている。赤髪妖精は悪魔に天使を見た。
「それで咲夜、言いたいことはある?」
咲夜は無言で正座をすると両手を地面に添えて、額を擦り付ける。言葉では語らずに行動で示すやり方、彼女の背中からはその生き様が切なく感じられた。
「ところでフラン、美鈴は貴方の相手に御目に適うのかしら?」
ひくつく美鈴。うーん、とフランドールは悩む仕草を見せると「ちょっと違うかな」と告げる。
「美鈴はお姉さんかな。勿論、肉親は御姉様だけだって分かってるよ。でも美鈴は血が繋がってないけども家族だよね?」
その瞬間、美鈴は顔を背けた。頬を伝う一筋の雫を赤髪妖精は見た、目元を赤くした美鈴は一度だけ鼻を啜ると、とても嬉しそうにフランドールの頭を撫でる。
そして赤髪妖精を見つめると、まだ認めたわけではありませんよ、と口パクで告げた。
これに身震いした赤髪妖精はブンブンと首を縦に振る他に術がない。そもそも妹様との関係を否定したかったが、それを口にしたところで、きっと彼女は怒るに違いないのだ。
「咲夜は違うのかしら?」
「咲夜は御姉様の従者でしょ?」
フランドールの無慈悲な言葉に、未だ額を地面に擦らせたままの咲夜からむせび泣く声がし始める。
その小刻みに震える姿があまりにも憐れだったから、赤髪妖精は美鈴が持っていた残り一割程度の蜂蜜瓶を拝借して、少し惜しんでから咲夜の頭にそっと置いた。それでも舐めて元気になれよ、と心の中で告げてから赤髪妖精はさりげなくその場を後にする。それに追いかけるフランドール、和気藹々とレミリアと美鈴が昔話に花を咲かせる。
咲夜の嗚咽だけが闇夜に寂しく響き渡った。
此処は紅魔館の主、レミリア・スカーレットの執務室。
部屋の一角に備えられたソファーの上にフランドールが座っており、その膝上に赤髪妖精は担ぎ上げられていた。
結局、赤髪妖精は逃げ切れなかった。そしてレミリアの執務室に連れ込まれたのである。虎の子の蜂蜜を手放した赤髪妖精に絶望に抗う術はなく、ただ心を無にして魔法の言葉を唱え続けた。私は完璧に完全に幸福です、と延々に繰り返す機械になっている。
そんな赤髪妖精の頬を突いたり、揉んだりし続けるフランドール。
「その子がそんなに気に入ったの?」
見かねたレミリアが問うと、「うん!」とフランドールが嬉しそうに答えた。ここまで真正面から言われてはレミリアも何もできずに「そう」と引き下がるしかなかった。
「副長はね、とっても甘くて濃厚で美味しいのよ!」
「……程々にしておきなさいよ」
副長? こんな子が居たかしら、とレミリアがパラパラと写真付きの名簿帳を捲り始めた。
「御姉様、どうすれば恋できるのかしら?」
フランドールの何気ない問い掛けにレミリアは口元に手を添えて、それからゆっくりと語り始める。
「恋なんていうものは、ある日、唐突にしてしまうものよ。しようと思ってできるものじゃないわ、だから恋は落ちるものって言われているのよ」
「へえ、そうなんだ」
「ええそうよ」
感心したようにフランドールは頷いてみせる。
「ところで御姉様は恋ってしたことあるの?」
「それらしいものはしたことがあるわよ、でも本格的にってなるとどうかしらね?」
「ふぅん」
フランドールは何気なく片手を掲げるとキュッと握り締めた。
ポンッとレミリアの足元が吹き飛んで、執務机ごと階下に落ちて行った。少し経って大きな物が落ちる衝撃音、物が散乱する音、妖精達の悲鳴が上がり、阿鼻叫喚の様相を醸し出し始める。しかしフランドールは意にも介さず、赤髪妖精を抱えたまま悠々と自分が空けた大穴に歩み寄って云った。
階下には砕けた執務机、散乱した書類に壊れた調度品の数々、それらに埋もれた半笑いのレミリアが大の字で倒れていた。
「ねえねえ、御姉様! ドキドキした、胸が高鳴った!? 初恋した!?」
「……ええ、そうね。少なくともドッキリはしたわね」
キャッキャと嬉しそうに笑うフランドール、彼女に抱えられる赤髪妖精は思考停止したままに零した。
「故意に落とされて、綺麗に物語もオチましたって? 恋だけに! おあとがよろしいようで、HAHAHA!」
「いいえ、まだ次の仕込みは終わってないわよ。そこのファッキン妖精」
レミリアが見せつけるように名簿帳を開くと、そこには赤髪妖精の写真が貼られてある。
「トリル、貴方は明日からフランドール付きよ。良かったわね、出世よ。喜べ」
「……私は完璧に完全に幸福です」
赤髪妖精は再び思考を切り離すのだった。
気になったのは、フランが恋に恋した理由が突飛に思えること(フランの恋がテーマである以上もっと丁寧にエピソード等描写してもらった方が良かったかも)、美鈴と咲夜がフランに選ばれなかった事を涙を流す程悲しんだりするのなら二人がフランに思いを寄せてた描写が欲しかったかなと思うこと(ギャグ描写で済ませるのなら要らないと思いますが泣くとなるとそれなりに伏線が欲しいかなと)くらいでしょうか。
あくまで個人的な感想です。次回作も期待しております!
全てのシーンが断片的に思えるんだけど、それって大して面白くないシーンを無駄に肉付けしてるからテンポ悪くなってるんだと。シーン一つ一つでじっくりスベってるこの感じなんなんだろう。紆余曲折もないからああ、そうですかという終わり方だし。フランがなにか知って暴走を思い直すこともなければ、赤髪妖精が回避する為に機転を利かせることもない。盛り上がりがない。
文章が下手
ただ、全体として文章に雑さが見られるというか、とっ散らかってる印象があり読みにくさを感じてしまいました。私の読解力の問題かも知れませんが……
赤髪妖精の名前をさらっと憶えてたお嬢様も良かったです
>まるで童話の世界に出てくる妖精や小人の生き写しである。いや妖精だから!あんた吸血鬼だから!w
随所に散りばめられたパロディもそうですが軽妙な文章のおかげでするする読み進められていっぱい笑わせていただきました。面白い
観点の違うふたりの現実から乖離していく心の対照さが特に楽しめました。振り回されるトリルのすり減り具合が最高にツボで、自己防衛のために蜂蜜舐めまくるくらいなら一回休みでリセットしたほうがいいんじゃないかと思ったりもしました(リスポーン地点が紅魔館ならどう足掻いても逃げられないけれどもw)
それにしてもここの住人たちはみんな頭おかしいんじゃないかと問いかけたくなる変態ばっかりですね!こんなので紅魔館大丈夫なんですかレミリアさん
妖精のエネルギーで畑が肥えるってのすごい納得できるのに穫れるのがエロ大根とか妖精たちまで煩悩にまみれてるんじゃないかと疑うレベルですよ。一本ください
お付きになったトリルが幸せになれる日が来るのか、蜂蜜の供給は追いつくのか、終始にやにやが止まらない展開で楽しめました、ありがとうございました
もちろん、作者さんは最初からこういう文章が書きたかったんだよ!とおっしゃるかもしれませんが、少なくとも一読者の私は、タイトルと冒頭2、3行を見て、軽いノリのポップな話を期待してしまって、そのギャップが最後まで埋まらなかったなあと。
でも、そんなことはどうでもよくって、フランちゃんに抱きすくめながらも蜂蜜なめ続ける赤髪妖精可愛くて、それだけで生きていける気がしました。ありがとうございます。