狛犬が日に日に大きくなっていく。特別な餌などやっていない。たったひと月前にはごく当たり前のサイズだったはずが、今や神社よりもずっと大きい。彼女の足元にあって、神聖なやしろは犬小屋にも劣って慎ましく見える。
里で買い物をした帰り際、通りの端から彼女の地殻でも貫きそうな角が見えると心中穏やかではいられなくなる。周りの目も気になる。本人を含めた誰もそこに内包された暴力性を意図していないモニュメントの異常は誰の目からも明らかだが、無論人々は何も尋ねてこない。つまらぬことを言った代償に、あんなに大きな犬をけしかけられたらたまらないからだ。
買い物袋を腕から下げて彼女のもとに帰っていく足取りは重い。道すがら、なにか巨大な恒星の引力に引きずられていくような錯覚を感じる。
「お帰りなさい!」
落雷のような挨拶を頭上から叩きつけられて思わず身を竦ませた。弱気な笑顔をなんとか空に向かって返した。
あうんは生来の病的な愛想の良さを、つまり多くの場合にはその小ささや弱さをカバーする鎧であるように思えるそれを、手のつけようのない巨大な体躯を手にしてからも保持していた。大きさよりは身体にしっくりと馴染んだ装具なのかもしれないが、ともあれ二つの取り合わせはあまり良くないとしか言いようがなかった。
巨大な犬がこちらを見て歯を出して笑うとき、頭にはただ脅威の二文字が浮かぶ。笑顔がもともと威嚇の表現だったということがつぶさに感じられる今日この頃だ。
神社で眠るとき、私が寝付くよりもいつでも早く、外から嵐のような寝息が聞こえだす。私は音の中でじっとしている。布団の中で横を向いて背を曲げながら、昔修行をしたときに浴びた滝の音を私は思い出していた。そのときと違うのは、滝の水はそれ自体を頭頂から首筋から連綿とした打撃として受けていたのに対して、寝息はその本丸をただ暗示するものだということだろう。夜のあいだは見えない姿の全容を想像してしまうことそのものが恐怖の質を押し広げているのを私は感じている。寝返りをこれほど恐ろしく感じるようになるとは思ってもみなかった。
あうんをまったく信用していないというわけではない、わけではないが……。しかしそうした心の隅を刺す微かな罪悪感も、あうんそのものの巨大な質量の前ではあまりに容易く塗りつぶされてしまうのだった。
この頃神社は私であり、私は神社だった。足元で踏み潰される蓋然性を常にまとった共同体として、私は屋根にかかる彼女の吐息を、柱に伝わる彼女の足踏みを、一つ一つ自分の身体に起こることのようにして感じられるようになった。
一瞬、風が凪いだ。しかしそれも長くは続かないだろう。私は闇の中で身じろぎした。今夜も眠れそうにない。
それにしても、と私は思う。たったひと月、たったひと月でこうなったのだ。先のこと、これより幾度も続く夜を考えて、私は神社と共に身震いした。
里で買い物をした帰り際、通りの端から彼女の地殻でも貫きそうな角が見えると心中穏やかではいられなくなる。周りの目も気になる。本人を含めた誰もそこに内包された暴力性を意図していないモニュメントの異常は誰の目からも明らかだが、無論人々は何も尋ねてこない。つまらぬことを言った代償に、あんなに大きな犬をけしかけられたらたまらないからだ。
買い物袋を腕から下げて彼女のもとに帰っていく足取りは重い。道すがら、なにか巨大な恒星の引力に引きずられていくような錯覚を感じる。
「お帰りなさい!」
落雷のような挨拶を頭上から叩きつけられて思わず身を竦ませた。弱気な笑顔をなんとか空に向かって返した。
あうんは生来の病的な愛想の良さを、つまり多くの場合にはその小ささや弱さをカバーする鎧であるように思えるそれを、手のつけようのない巨大な体躯を手にしてからも保持していた。大きさよりは身体にしっくりと馴染んだ装具なのかもしれないが、ともあれ二つの取り合わせはあまり良くないとしか言いようがなかった。
巨大な犬がこちらを見て歯を出して笑うとき、頭にはただ脅威の二文字が浮かぶ。笑顔がもともと威嚇の表現だったということがつぶさに感じられる今日この頃だ。
神社で眠るとき、私が寝付くよりもいつでも早く、外から嵐のような寝息が聞こえだす。私は音の中でじっとしている。布団の中で横を向いて背を曲げながら、昔修行をしたときに浴びた滝の音を私は思い出していた。そのときと違うのは、滝の水はそれ自体を頭頂から首筋から連綿とした打撃として受けていたのに対して、寝息はその本丸をただ暗示するものだということだろう。夜のあいだは見えない姿の全容を想像してしまうことそのものが恐怖の質を押し広げているのを私は感じている。寝返りをこれほど恐ろしく感じるようになるとは思ってもみなかった。
あうんをまったく信用していないというわけではない、わけではないが……。しかしそうした心の隅を刺す微かな罪悪感も、あうんそのものの巨大な質量の前ではあまりに容易く塗りつぶされてしまうのだった。
この頃神社は私であり、私は神社だった。足元で踏み潰される蓋然性を常にまとった共同体として、私は屋根にかかる彼女の吐息を、柱に伝わる彼女の足踏みを、一つ一つ自分の身体に起こることのようにして感じられるようになった。
一瞬、風が凪いだ。しかしそれも長くは続かないだろう。私は闇の中で身じろぎした。今夜も眠れそうにない。
それにしても、と私は思う。たったひと月、たったひと月でこうなったのだ。先のこと、これより幾度も続く夜を考えて、私は神社と共に身震いした。
こういう話は好きです
表現も素敵です。
文体もとても洗練されていて好みでした
霊夢の語りから伝わる世界観の奇妙がよかったです
面白かったです
完璧です。これ以上の作品にはそうそう出会えない。
オチの壮大な旅が始まっていた感好き
あうんちゃんが大きくなっただけでの話をどうしてここまで面白くできるのか
生活感にあふれた霊夢の思考に妙な生々しさを感じます
あうんちゃん自信に悪意や自分が危険だという自覚が無さそうな所にもリアリティ溢れる恐怖がありました
最高でした
これからもどんどん愛情を吸って大きくなるんだよ。