ムカついたけど壁を殴る筋肉が無い、壁を殴りたいけど殴る壁が無い、そんなときに!
日に30時間のトレーニングで鍛えた鬼が一生懸命あなたの代わりに壁を殴ってくれます!
モチロン壁を用意する必要もありません! 地霊殿の壁を無差別に殴りまくります!
壁殴り代行 本日開店!
ご依頼は直接私、星熊勇儀にまで!
地霊殿にまで律儀に届けられたそのチラシというか犯行予告に目を通したとたん頭痛と眩暈を同時に覚えたため、あたいは医務室へ向かうことを余儀なくされた。
そこではちょうどさとり様が医療スタッフに頭痛薬を持ってくるよう頼んでいたところであり、さとり様はあたいの手にあるチラシと自分の手にあるチラシを見比べると「燐にも同じものを、ロックで」と薬棚をあさる職員に追加の言葉を投げるのであった。
あたいはさとり様と同じベッドに腰を下ろし、「あちらのお客様からです」と渡された粉薬を口に含んだままご主人様と氷水で乾杯。
そのまま頭痛と眩暈を誘発する新型の呪術を紙1枚に仕掛ける方法について真剣に語り合うことで現実から目を逸らし、口角泡を飛ばすほどに議論が発展したところで地霊殿内に響き渡った第一種警戒警報によって現実へと引き戻されるのであった。
「燐。ハードな日になりそうね」
「いつもの事ですよ。さとり様」
「燐。いつも通りなんとかして頂戴」
「合点承知の助」
さとり様が向けてきた拳に、あたいは自分の拳をコツンと合わせる。
そしてあたいたちは紙でできたコップと冗談でできたチラシを握りつぶし、それらを2人揃ってゴミ箱に放り投げた。
計4つの可燃ごみは見事な放物線を描き、あらかじめ定められていたかのようにごみ箱のふちに弾かれてそこらへ転がるのであった。
幸先の悪い限りだった。
監視役として放ったフクロウたちからの連絡によると、壁殴り代行業者は地霊殿の壁という壁を殴りながら、そして時折肉体を誇示するかのようにポージングをしながら、ひたすらにエントランスの方へ近づいてきているらしい。
こっちくんなあっちいけ。
『まずいです! また壁が殴られているです!!』
『まずいっす! 第三防衛ライン突破されましたっす!』
「それはどこのことだい?」
『キッチンです! あー! おやつが! 今日のおやつが食べられているです!!』
『キッチンっす! 許せねぇっす! あんなに食べたら夕飯が入らなくなってしまうっす!!』
「そうだね」
通信機から放たれる悲鳴に頭を抱えながら、下手人の罪状に窃盗を追記しておく。
というか何を考えているんだあの鬼は。
アル中の奇行なんてここじゃ珍しくもないけど、わざわざ開業届まで出して壁を殴るとは鬼らしからぬ計画性だ。
誰かが裏で糸を引いている気がしてならないが、さてどうしたものか。
「……偵察はもういいや。2人とも危ないからもう下がっておくれ」
『合点です! ……ん? あれ?』
『承知っす! ……なにか……聞こえるっす?』
「なんだって? 何が聞こえるんだい? 誰かの名前とか言ってる?」
『歌……、歌です! これはバンプ!? バンプです!』
『歌っす! ラフメイカーっす! あいつ鉄パイプでも泣き顔でもないくせに!』
「ああうん。すぐ退避して」
じょうだーんじゃない! とハモるフクロウたちに改めて撤退するよう指示を出し、あたいは通信機をテーブルに置いてお茶に手を付けた。
十分にぬるくなったお茶でのどを潤し、カップを再びソーサーに乗せる。ガラスのテーブルに映るさとり様の顔に、思案するような表情が見て取れた。
他の監視スタッフたちから報告はない。とりあえず本日の訪問者は壁を殴りに来ているトラブルメイカー1人だけと見ていいだろう。
それならば他に確認するようなこともない。後はただ、我らが主からの指示を待つのみだ。
どうすんのさとり様。処す? 処す?
「燐。回り道は不要よ」
「そっすね」
鬼相手に何かをやめさせるのに変な裏工作や正面激突は愚の骨頂。最も有効なのは泣きわめく子供にやめて許してお前なんか嫌いだと叫んでもらうことだ。
奴らが泣く子に勝てないことは知っている。我々は地霊殿。鬼に対するアプローチのノウハウはそろっているのだフハハハハ。
でもできることならお空を連れてきたい。あの子にやらせたい。あたいやりたくないこっ恥ずかしい。
「燐。急がないと地霊殿が危ないわ。悪いんだけど頼める?」
「しょうがないにゃあ」
だが頼りのお空は灼熱地獄跡でお仕事中だからしかたがない。ここはひとつ、あたいの演技力で地霊殿の壁を救って見せよう。
これもひとつの大人の対応と言う奴なのだろうか。不毛な気もするけど、これが一番被害が少ないのならあたいはそれをするだけだ。
さとり様が投げてよこした目薬を手に、あたいは退避させたフクロウたちに念のためお空を呼んでくるよう頼むことにした。
あーやだやだ。
◆
まあやることは泣き落としなのだが、それにはまずドラマチックに奮闘する必要がある。
まずは正面から名乗りを上げ、形式的にもどういうつもりなのかを聞き、どうせ答えないので『さとり様のところには行かせない!』的なセリフを吐かなければならない。
ひどく面倒だがこの手順を踏むことで後の泣き落としの成功率が上がるのだ。
やあやあ我こそは。
「邪ッ!!」
『り、燐! ちょっと!』
だからこうやってエントランスから廊下を貫いて奴が入ってきた反対側の壁までを炎で埋め尽くすような先制攻撃は本来望ましくないのだが、くだらない面倒で業務を妨害する奴に1発ぶち込まなければあたいの気が済まなかったのだ。
あわよくば燃えて死ね。そうでなければ酸欠で死ね。
「っくはー! あっついあっつい!」
「……ちっ」
爆炎の中から聞こえてきたのは此度の器物損壊および窃盗の犯人。壁殴り代行業者、星熊勇儀の声である。
その芝居がかった反応に殺意を覚えるが、その耐久力は寒気を覚えるばかりだ。服すら焦げてねぇ。
『燐、わかってるわね』
「もちろんですさとり様」
『お願いよ燐。あなただけが頼りなの」
「もちろんですさとり様」
『ほ、ほんと。フリとかじゃないからね? わかってるとは思うけど通信機越しじゃ読めてないんだからね? 私本気と冗談の区別つけるのうまくないって知ってるわよね?」
「もちろんですさとり様」
わかってます。寒気がするなら燃やせばいいんです。
「おお? そこに見えるはおりーんじゃないかー!!」
「……お前さん。うちの壁なんか殴ってどういうつもりだい?」
「んー、そいつは守秘義務があるから言えないな。まあ、私は依頼されてやってるだけさね」
「どこのテロリストに頼まれたんだい」
「さぁーてね。まあそれくらいなら教えてやってもいいぞ。ただし―――」
どーんと芝居がかったようにポーズをとる勇儀に不意打ちをかましてやりたいのはやまやまであったが、それをやると興が削がれて後々口を割らなくなることは知っている。なのであたいは手を出すことなく奴の思い描く様式美を見守るだけである。
「ただし! 私を倒せたらな!!」
「ひき殺すぞ糞が」
ひき殺すぞ糞が、と言いたくなるのをグッと抑えて『あたいがやっつけてやる!』と叫ぶ理性的なあたいは床を蹴り、地下最強の鬼に向かって全力で加速していく。
できることなら何もかも全部狙撃で済ませたいのだが、それだと満足しないことは数度の実績により証明されていた。
ゆえに接近戦。
望むべくは勝利ではなく解決。
大振りな鬼の拳をかいくぐり、あたいは炎をまとった蹴りを勇儀の顔面と鳩尾へ叩き込んだ。
「うっはー! やっぱおりんは強いなあ!!」
「……ちっ」
効いてもいなけりゃ火傷もしてない。
やはり口の中に炎を叩き込んで肺ごと燃やしてやらにゃあならなそうだ。
「うちの若いもんにも見習わせたいねぇ。だが今度はこっちの番だ!!」
ひとりで盛り上がっている壁殴り代行業者が力いっぱいに床を踏む。途端に熱で溶けかけていた大理石にひびが走り、待ってましたと言わんばかりに巨大な衝撃が地霊殿全体を震わせた。
続けて飛んでくる砲撃の発生位置は把握しているので、その合間を縫うように炎を走らせ鬼へと肉迫する。
耳の後ろで響き渡る職場の破砕音があたいの精神をすり減らすが、かまっている余裕はなかった。
「これ以上あたいの職場を壊すんじゃない!」
「それでも私は壁を殴るんだ! 壁殴り代行だからな!!」
「いい加減にしろよ貴様」
ここがあたいにとってどれだけ大切な場所なのかわかっているのか。
地底に住む貧しき民のため。地上を追われた守るべき咎人たちのため。すべてを棄てて逃げてきた愛しき敗北者たちのため。彼らの生活を支えるためにあたいたちが身を粉にして働く場所だ。
なにが壁殴りだ。あたいたちの誇る仕事を破壊する権利が誰にあるというのだ。
今すぐ廃業しろ糞が。
「ここは大事な仕事場なんだよ」
「そのせいで大切な人が悲しんでいるってのにか!!」
「あたいたちはベストを尽くしている。誰のことだか知らないけど全員を救うことはできないよ」
「ふんっ! わからず屋め!!」
ちょっとした攻撃の合間を縫ってなおも壁を殴ろうとする勇儀を蹴りつつ、被害の拡大を防ぐために広いエントランスの方へとそれとなく誘導する。
こいつの言っていることの内容も気になるしあるいは解決のヒントになるかもしれないが、さすがにそこまでの余裕はないので推測はさとり様に任せよう。
そう判断して鬼の相手をすることに集中していたところ、通信機からさとり様の指示が送られてきた。
『燐。もう十分よ。適当なタイミングで離脱して』
「了解」
あたいは通信機に向かって小声で返答し、壁や天井を蹴り回りながら勇儀の砲撃を回避し続ける。
1発1発に悪夢のようなエネルギーが込められたその妖力の砲弾は、着弾の度に地霊殿の壁や天井を容赦なく破壊していった。
早く終わらせなければ取り返しのつかないことになる。
焦る心を押さえつけながら、あたいはタイミングを待った。
「ちょこまかとしやがって! かかってこいおりーん!! じょうだーんじゃない!!」
「……よし」
そしていい感じに飛んできた単発での砲弾に向かって、あたいは出来うる限りの強力な火球を打ちこんだ。
2発3発と放った火球は鬼の攻撃をいくらか相殺してはくれたが、それでも直撃を喰らったあたいは自分の身体が悲鳴をあげる音を聞いた。
床をバウンドしながら遥か後方にまで吹き飛ばされ、エントランスから扉をぶち破り、勇儀が入ってきた廊下とは反対側の廊下にまではじき出される。
廊下の端の壁に擦れるようにして何とか止まるが、そのままの位置だとなんだかかっこがつかないと思い、ゴロリと転がるように廊下の中央にまで移動する。
さぁ、正念場だ。
「くっ……」
「追い詰めたぞお燐! 私の依頼人の悲痛な思い! 耳の穴をかっぽじってよく聞くがいい!!」
「……さ、かはっ」
揺れる視界。力の入らない四肢。喉から出て来ないセリフ。
一発であたいのヒットポイントをここまで持っていく鬼のパワーには呆れるが、そこから気合で起き上がろうとする自分自身も大概だと思う。
さて、息も絶え絶えに半身を起こせば、ドヤ顔であたいを見下ろす壁殴り代行業者の姿が見えた。
放っておけば説教でも始まりそうな雰囲気だったが、あたいは無視してスカートのポケットをまさぐる。しかしさとり様から頂いた目薬はさっきの衝撃で割れてしまっていたらしく、手指を濡らすガラスの感触に嘘泣き作戦の破綻を感じ取るばかりであった。
しかたない。ここはあたいの演技力でカバーするしかない。いくぜ。
「……せない」
「なに?」
「さとり様の所には……、行かせない!!」
決まった……!! 今のはよかった……!!
喉から絞り出したかのような見事な声……! でもどこか恐怖に震えているような絶妙さ……!! なんという演技力! 正直地霊殿の職員にしておくにはもったいないレベル……!!
「燐。もういいわ。下がりなさい」
「……っ、さとり様!!」
そして満を持して現れたさとり様がペタペタと足音を鳴らして鬼と対峙する。
よしいいぞ、ここから第三幕だ。解決編だ。あたい復旧の手配したいから退場していい?
「星熊勇儀。何の騒ぎですか。説明なさい」
「ふん! 今日の私は壁殴り代行だよ。依頼を受けて壁を殴りに来たのさ」
「迷惑ですので即刻おやめなさい。だいたい、誰に頼まれたと言うのですか」
「そいつは言えないねぇ。ま、言わなくてもバレるんだろうけどさ」
「そうですね。……こいし。出てきなさい」
「はーい!」
呼ばれて飛び出てジャジャジャジャンとでも言うように、今回の元凶が窓の外からひょっこりと顔を出す。
その小憎たらしい顔面に蹴りを入れたい衝動に駆られるが、さとり様が待てと言ってくるので我慢するしかない。
というかまたか。またあの子なのか。また無意識がどうとか適当こいて騒ぎたかっただけなのか。
この前は地上で暴れて迷惑をかけて、その前は閻魔の帽子を盗んで迷惑をかけて、その前はあたいの目玉焼きに砂糖をまぶしやがって、今度はなんだってんだ。
「こいし。どういうつもりで地霊殿の壁を殴らせたのですか。事と次第によっては針山地獄跡に叩きこみますよ」
「えー? だってお姉ちゃんこうでもしないと家から出て来ないんだもん♪」
「私は必要があれば外出くらいします」
「お姉ちゃんいっつも仕事仕事で全然家から出ないんだもん。必要がなくても遊びにお出かけくらいしないと身体に悪いよ?」
「仕事が忙しいのは仕方のないことです。残念ながらこなすべき仕事量と人材の数が釣り合っていませんから」
「もー! 仕事仕事仕事仕事そればっかり! だからこっちもお仕事でやるんだもん!! 壁殴るんだもん!!」
「あなたのせいで仕事が増え、ますます出れなくなってしまいました」
「だから地霊殿に壁が無くなっちゃえばここもお外になると思って♪」
「私はインドア派です。外になど出たくもありません」
「えー? でもー!!」
地霊殿を屋外にしたかった。
にわかには信じがたい狂気じみた動機だったが、あたい的にはうんうん頷いて賛同してる勇儀の方が気になった。お前いい大人が何やってやがる。人にどれだけ迷惑かけたかわかってるのか。
でもまあいいや。あとは適当に叱って気持ちは嬉しかったとかそんなこと言って、みんなで建物の復旧する振りをしてあたいがもろもろ手配すればお終いだ。とっとと終わらそう。こんなのもう何度目だ。
もう、うんざりだ。
「……」
地獄への道は善意で舗装されている。
ならば旧地獄は善意によって傷つけられるのだろうか。
こいつらは良いことをしてると思っているんだ。
正しいことをしていると思ってるんだ。
地霊殿が半壊して機能不全に陥ってるんだぞ? 今日やる予定の仕事や会合もあったんだぞ?
税を納めてもらい、井戸が壊れれば直し、道が割れれば補強し、温泉が吹き出れば調整し、大枚をはたいて治安を守り、問題を起こす奴がいればつまみ出す。
勇儀みたいな規格外に強い奴にはわからない。
世の9割の妖怪は『統治』がなければ生活が立ち行かないんだ。地底に住む奴らは無法地帯を生き延びれるほど逞しくないんだ。
遊びじゃない。同胞たちの人生を預かってるんだ。
朝から晩まで職員が東奔西走して辛うじて日常と呼べるものを維持している。ここはそういう場所だ。
お前らみたいな無責任でいい加減な奴からしたらよくわからない事ばかりしてるように見えるのだろう。でもあたいらのしている事には確かに意味があるんだ。
それを、よくも。
……燃やしたい。こいつらをもう、骨の一片たりとも残らない程に燃やし尽くしてやりたい。
「……こいし。あなたの言うこともわかりました。こっちへ来なさい」
「え? わかってくれたのね! さっすがお姉ちゃん♪ ね、ね、さっそく遊びに行こう! 地上で今面白いことやってるのよ!! 憑依って言うんだけど」
「お黙りなさい」
ビンタの1発でもくれてやるつもりなのだろう。さとり様が勢いよく右手を振り上げる。
せいぜい良い音を響かせてくれと思っていたが、聞こえてきたのはもっと鈍い音であった。
「お、お姉ちゃん……?」
「燐。立てるわね」
まるで腰の入ってないへなちょこパンチだったが、しりもちをついた妹が鼻を押さえる程度の威力はあったようだった。
「燐。目薬は必要なかったようね」
「あっ、いえ。しかし」
「私も同じ気持ちよ」
もううんざりだ。とさとり様は言う。
クソガキ相手に大人の対応をするのはもううんざりだと。
「お、おいおい何やってんださとりお前。せっかくこいしがこうしてお前のために」
「星熊勇儀。あなたにもほとほと愛想が尽きました」
「なーに言ってんだ。お前さんも机仕事ばかりじゃ息が詰まるだろう? つまらん仕事は他の奴に任せて羽でも伸ばしてくりゃあいい。人の厚意をそう無下にするもんじゃないぞ」
「いい加減にしなさい。あなたたちのしている事は誰のためにもなっていません。ただ迷惑なだけです。ただただ自分の都合を押し付けているだけです。私の邪魔をする奴は誰であろうと許しません」
決別の意を示すさとり様に、知らず、口角が吊り上る。
ああ、そうか。もういいのか。
「だって!! 地上が本当に楽しかったんだもん! お姉ちゃんにも楽しんでほしかったんだもん!!」
「なら口でそう言いなさい」
「でも口で言ったってお姉ちゃん来ないんだもん!!」
「それは私が行きたくないからです。私はそんなつまらなそうなことはしたくないのです」
「お姉ちゃんどうしてわかってくれないの!!」
「あなたの独りよがりには反吐が出ます。今度という今度は私も我慢の限界です」
さとり様もこう言っている事だし、あたいももう後のことを考えるのはやめることにした。
地霊殿の修復費用も、この後の被害の拡大も、そのために増税をしなければならないであろう事も、もう知った事か。
「燐。私はもう、うんざりよ。口でどれだけ言っても止めようとしないこのわからず屋どもに、自分の罪状をわからせてやって」
「合点承知の助」
さとり様が向けてきた拳に、あたいは自分の拳をコツンと合わせる。
いいよ。とことんまでやろう。
「どれほど被害が出ても構わないわ。こいしは私がやるからあなたは星熊勇儀をお願い」
「殺してもいいですか?」
「ええもちろん」
「妹君も?」
「当然」
「あなたも?」
「巻き込んで構わないわ」
「了解です」
え? マジで? みたいな顔をしている壁殴り代行業者とその依頼人に向かってあたいは親指を下げる。
そしてなぜ自分が怒られているのかいまいち理解していない馬鹿どもに向かって、特大の火球を撃ち放った。
実を言うとあたいもいっぺんやってみたかったのだ。
後のことを考えず怒りのままに燃やし尽くす。それこそ妖怪の本懐ってものだろう。
紅蓮の炎を身にまとい、地霊殿丸ごと飲み込むほどの炎を展開する。
魂すら焦がす地獄の熱波。あたいは火車だ。地獄の輪禍だ。主の行く手を遮るものは誰であろうとひき殺す。
「叩き潰せ」
「イエスマム!」
こうして保身を捨てた黒猫は、主の命を受けて鬼へと向かって行くのである。
明日を考えない第2ラウンドは、全てから解放された気分であった。
◆
地霊殿の全焼、各種資料や備品・保管品の焼失および壁殴り代行業者の廃業という形で終わった今回の件であったが、あたい的にはすっきりしたので後悔はない。
全身を強く打って死にかけているあたいと全身に大やけどを負った古明地姉妹が仲良く包帯グルグル巻きにされていたが、笑い話の範囲だろう。
こいしが泣きながら痛い痛いと呻いているがあたい的にはざまぁ見ろでしかない。
ついでに言えば自慢の角をへし折られて凹んでいる鬼が部屋の隅でうずくまっているのも愉快である。
鬼の角を折るとはあたいの腕もまだまだ錆びついちゃいないね。
地霊殿の他の職員には現在、勇儀の所有する屋敷を臨時事務所として各種記録の復旧作業をしてもらっている。
何かにつけて破壊なり滅失なりの危険と隣り合わせな地霊殿である。重要資料のバックアップは十全だ。
地霊殿の復旧費用は勇儀の私有財産から全額捻出する約束を取り付けてあるため、次は冷暖房完備の過ごしやすい地霊殿に生まれ変わることだろう。
まあ、それも大事だが、もっと大事なことがある。
ブレーキをかなぐり捨てた火車が動かなくなるまで立ち向かって来たことに加え、事態を把握したお空を始めとする他の地霊殿職員に袋叩きにされる段になってようやく自分のしでかしたことがどれだけ迷惑な事だったか理解した鬼が、地霊殿が復旧するまで自分が業務を手伝うと言い出したのだ。
よろしい忙殺してやる。
予算表の見方もわからない飲んだくれに数字の意味からなにから全部叩きこんでやる。我々の仕事が滞るとどんなことが起きるのか思い知らせてやる。
どうせ仕事は遅れに遅れて各所から苦情が殺到するだろうが、その処理もすべて勇儀にやってもらおう。正当な苦情を持って来た地域住民もまさか鬼の四天王に謝られるとは思わないだろう。今から楽しみだ。
当然ながらこいしにも手伝わせる予定のため、特注の首輪と鎖を手配中だ。柱に縛り付けてでも働かせてやる予定である。サボるようなら鞭でしばくとさとり様は豪語していた。
それくらいにさとり様の怒りは深かったようで、向こうも向こうでいろいろと限界だったのかもしれない。
自分のしたことを自覚させ、償いをさせる。あるいはこれも教育の一環な訳がないけど、あたい的にも楽しそうな気がするので特に異論は無かった。
結局大変な事には変わり無かったけど、大人の対応ばかりでは改善しない事もあるのだろう。
だからそう、たまには怒りのままに殴りつけるのも悪くないと思った。
うちの壁じゃなくて、原因を直接ね。
これに懲りて少しは2人にも社会というものを学んでほしい所だが、こいつらは地底の誇る社会不適合者その1とその2だ、時間をかけてじっくりと更生していこう。うん、それがいい。
もうホント、あたいが普段やっている仕事をひとつひとつ覚えさせていこう。覚えなかったら火であぶる。
そして予定していた工期を過ぎてるのにグダグダと言い訳してくる井戸の修理業者に勇儀を連れて行って脅かしてやろう。
ついでに脱税かましやがったくそったれな民間企業にこいしをけしかけて、無意識に不正の証拠の方に意識を向けさせてやろう。
あたいの方にサードアイを向けていたさとり様が笑い出したのを見る限り、こいつはなかなかいいアイディアだったかもしれない。
「燐。仕事は楽しくやった方がいいわ。扱き使ってやりましょう」
「合点承知の助」
さとり様が向けてきた拳に、あたいは自分の拳をコツンと合わせる。
明日からまた忙しくなりそうだけど、今日までよりは少し楽しくなりそうだった。
了
日に30時間のトレーニングで鍛えた鬼が一生懸命あなたの代わりに壁を殴ってくれます!
モチロン壁を用意する必要もありません! 地霊殿の壁を無差別に殴りまくります!
壁殴り代行 本日開店!
ご依頼は直接私、星熊勇儀にまで!
地霊殿にまで律儀に届けられたそのチラシというか犯行予告に目を通したとたん頭痛と眩暈を同時に覚えたため、あたいは医務室へ向かうことを余儀なくされた。
そこではちょうどさとり様が医療スタッフに頭痛薬を持ってくるよう頼んでいたところであり、さとり様はあたいの手にあるチラシと自分の手にあるチラシを見比べると「燐にも同じものを、ロックで」と薬棚をあさる職員に追加の言葉を投げるのであった。
あたいはさとり様と同じベッドに腰を下ろし、「あちらのお客様からです」と渡された粉薬を口に含んだままご主人様と氷水で乾杯。
そのまま頭痛と眩暈を誘発する新型の呪術を紙1枚に仕掛ける方法について真剣に語り合うことで現実から目を逸らし、口角泡を飛ばすほどに議論が発展したところで地霊殿内に響き渡った第一種警戒警報によって現実へと引き戻されるのであった。
「燐。ハードな日になりそうね」
「いつもの事ですよ。さとり様」
「燐。いつも通りなんとかして頂戴」
「合点承知の助」
さとり様が向けてきた拳に、あたいは自分の拳をコツンと合わせる。
そしてあたいたちは紙でできたコップと冗談でできたチラシを握りつぶし、それらを2人揃ってゴミ箱に放り投げた。
計4つの可燃ごみは見事な放物線を描き、あらかじめ定められていたかのようにごみ箱のふちに弾かれてそこらへ転がるのであった。
幸先の悪い限りだった。
監視役として放ったフクロウたちからの連絡によると、壁殴り代行業者は地霊殿の壁という壁を殴りながら、そして時折肉体を誇示するかのようにポージングをしながら、ひたすらにエントランスの方へ近づいてきているらしい。
こっちくんなあっちいけ。
『まずいです! また壁が殴られているです!!』
『まずいっす! 第三防衛ライン突破されましたっす!』
「それはどこのことだい?」
『キッチンです! あー! おやつが! 今日のおやつが食べられているです!!』
『キッチンっす! 許せねぇっす! あんなに食べたら夕飯が入らなくなってしまうっす!!』
「そうだね」
通信機から放たれる悲鳴に頭を抱えながら、下手人の罪状に窃盗を追記しておく。
というか何を考えているんだあの鬼は。
アル中の奇行なんてここじゃ珍しくもないけど、わざわざ開業届まで出して壁を殴るとは鬼らしからぬ計画性だ。
誰かが裏で糸を引いている気がしてならないが、さてどうしたものか。
「……偵察はもういいや。2人とも危ないからもう下がっておくれ」
『合点です! ……ん? あれ?』
『承知っす! ……なにか……聞こえるっす?』
「なんだって? 何が聞こえるんだい? 誰かの名前とか言ってる?」
『歌……、歌です! これはバンプ!? バンプです!』
『歌っす! ラフメイカーっす! あいつ鉄パイプでも泣き顔でもないくせに!』
「ああうん。すぐ退避して」
じょうだーんじゃない! とハモるフクロウたちに改めて撤退するよう指示を出し、あたいは通信機をテーブルに置いてお茶に手を付けた。
十分にぬるくなったお茶でのどを潤し、カップを再びソーサーに乗せる。ガラスのテーブルに映るさとり様の顔に、思案するような表情が見て取れた。
他の監視スタッフたちから報告はない。とりあえず本日の訪問者は壁を殴りに来ているトラブルメイカー1人だけと見ていいだろう。
それならば他に確認するようなこともない。後はただ、我らが主からの指示を待つのみだ。
どうすんのさとり様。処す? 処す?
「燐。回り道は不要よ」
「そっすね」
鬼相手に何かをやめさせるのに変な裏工作や正面激突は愚の骨頂。最も有効なのは泣きわめく子供にやめて許してお前なんか嫌いだと叫んでもらうことだ。
奴らが泣く子に勝てないことは知っている。我々は地霊殿。鬼に対するアプローチのノウハウはそろっているのだフハハハハ。
でもできることならお空を連れてきたい。あの子にやらせたい。あたいやりたくないこっ恥ずかしい。
「燐。急がないと地霊殿が危ないわ。悪いんだけど頼める?」
「しょうがないにゃあ」
だが頼りのお空は灼熱地獄跡でお仕事中だからしかたがない。ここはひとつ、あたいの演技力で地霊殿の壁を救って見せよう。
これもひとつの大人の対応と言う奴なのだろうか。不毛な気もするけど、これが一番被害が少ないのならあたいはそれをするだけだ。
さとり様が投げてよこした目薬を手に、あたいは退避させたフクロウたちに念のためお空を呼んでくるよう頼むことにした。
あーやだやだ。
◆
まあやることは泣き落としなのだが、それにはまずドラマチックに奮闘する必要がある。
まずは正面から名乗りを上げ、形式的にもどういうつもりなのかを聞き、どうせ答えないので『さとり様のところには行かせない!』的なセリフを吐かなければならない。
ひどく面倒だがこの手順を踏むことで後の泣き落としの成功率が上がるのだ。
やあやあ我こそは。
「邪ッ!!」
『り、燐! ちょっと!』
だからこうやってエントランスから廊下を貫いて奴が入ってきた反対側の壁までを炎で埋め尽くすような先制攻撃は本来望ましくないのだが、くだらない面倒で業務を妨害する奴に1発ぶち込まなければあたいの気が済まなかったのだ。
あわよくば燃えて死ね。そうでなければ酸欠で死ね。
「っくはー! あっついあっつい!」
「……ちっ」
爆炎の中から聞こえてきたのは此度の器物損壊および窃盗の犯人。壁殴り代行業者、星熊勇儀の声である。
その芝居がかった反応に殺意を覚えるが、その耐久力は寒気を覚えるばかりだ。服すら焦げてねぇ。
『燐、わかってるわね』
「もちろんですさとり様」
『お願いよ燐。あなただけが頼りなの」
「もちろんですさとり様」
『ほ、ほんと。フリとかじゃないからね? わかってるとは思うけど通信機越しじゃ読めてないんだからね? 私本気と冗談の区別つけるのうまくないって知ってるわよね?」
「もちろんですさとり様」
わかってます。寒気がするなら燃やせばいいんです。
「おお? そこに見えるはおりーんじゃないかー!!」
「……お前さん。うちの壁なんか殴ってどういうつもりだい?」
「んー、そいつは守秘義務があるから言えないな。まあ、私は依頼されてやってるだけさね」
「どこのテロリストに頼まれたんだい」
「さぁーてね。まあそれくらいなら教えてやってもいいぞ。ただし―――」
どーんと芝居がかったようにポーズをとる勇儀に不意打ちをかましてやりたいのはやまやまであったが、それをやると興が削がれて後々口を割らなくなることは知っている。なのであたいは手を出すことなく奴の思い描く様式美を見守るだけである。
「ただし! 私を倒せたらな!!」
「ひき殺すぞ糞が」
ひき殺すぞ糞が、と言いたくなるのをグッと抑えて『あたいがやっつけてやる!』と叫ぶ理性的なあたいは床を蹴り、地下最強の鬼に向かって全力で加速していく。
できることなら何もかも全部狙撃で済ませたいのだが、それだと満足しないことは数度の実績により証明されていた。
ゆえに接近戦。
望むべくは勝利ではなく解決。
大振りな鬼の拳をかいくぐり、あたいは炎をまとった蹴りを勇儀の顔面と鳩尾へ叩き込んだ。
「うっはー! やっぱおりんは強いなあ!!」
「……ちっ」
効いてもいなけりゃ火傷もしてない。
やはり口の中に炎を叩き込んで肺ごと燃やしてやらにゃあならなそうだ。
「うちの若いもんにも見習わせたいねぇ。だが今度はこっちの番だ!!」
ひとりで盛り上がっている壁殴り代行業者が力いっぱいに床を踏む。途端に熱で溶けかけていた大理石にひびが走り、待ってましたと言わんばかりに巨大な衝撃が地霊殿全体を震わせた。
続けて飛んでくる砲撃の発生位置は把握しているので、その合間を縫うように炎を走らせ鬼へと肉迫する。
耳の後ろで響き渡る職場の破砕音があたいの精神をすり減らすが、かまっている余裕はなかった。
「これ以上あたいの職場を壊すんじゃない!」
「それでも私は壁を殴るんだ! 壁殴り代行だからな!!」
「いい加減にしろよ貴様」
ここがあたいにとってどれだけ大切な場所なのかわかっているのか。
地底に住む貧しき民のため。地上を追われた守るべき咎人たちのため。すべてを棄てて逃げてきた愛しき敗北者たちのため。彼らの生活を支えるためにあたいたちが身を粉にして働く場所だ。
なにが壁殴りだ。あたいたちの誇る仕事を破壊する権利が誰にあるというのだ。
今すぐ廃業しろ糞が。
「ここは大事な仕事場なんだよ」
「そのせいで大切な人が悲しんでいるってのにか!!」
「あたいたちはベストを尽くしている。誰のことだか知らないけど全員を救うことはできないよ」
「ふんっ! わからず屋め!!」
ちょっとした攻撃の合間を縫ってなおも壁を殴ろうとする勇儀を蹴りつつ、被害の拡大を防ぐために広いエントランスの方へとそれとなく誘導する。
こいつの言っていることの内容も気になるしあるいは解決のヒントになるかもしれないが、さすがにそこまでの余裕はないので推測はさとり様に任せよう。
そう判断して鬼の相手をすることに集中していたところ、通信機からさとり様の指示が送られてきた。
『燐。もう十分よ。適当なタイミングで離脱して』
「了解」
あたいは通信機に向かって小声で返答し、壁や天井を蹴り回りながら勇儀の砲撃を回避し続ける。
1発1発に悪夢のようなエネルギーが込められたその妖力の砲弾は、着弾の度に地霊殿の壁や天井を容赦なく破壊していった。
早く終わらせなければ取り返しのつかないことになる。
焦る心を押さえつけながら、あたいはタイミングを待った。
「ちょこまかとしやがって! かかってこいおりーん!! じょうだーんじゃない!!」
「……よし」
そしていい感じに飛んできた単発での砲弾に向かって、あたいは出来うる限りの強力な火球を打ちこんだ。
2発3発と放った火球は鬼の攻撃をいくらか相殺してはくれたが、それでも直撃を喰らったあたいは自分の身体が悲鳴をあげる音を聞いた。
床をバウンドしながら遥か後方にまで吹き飛ばされ、エントランスから扉をぶち破り、勇儀が入ってきた廊下とは反対側の廊下にまではじき出される。
廊下の端の壁に擦れるようにして何とか止まるが、そのままの位置だとなんだかかっこがつかないと思い、ゴロリと転がるように廊下の中央にまで移動する。
さぁ、正念場だ。
「くっ……」
「追い詰めたぞお燐! 私の依頼人の悲痛な思い! 耳の穴をかっぽじってよく聞くがいい!!」
「……さ、かはっ」
揺れる視界。力の入らない四肢。喉から出て来ないセリフ。
一発であたいのヒットポイントをここまで持っていく鬼のパワーには呆れるが、そこから気合で起き上がろうとする自分自身も大概だと思う。
さて、息も絶え絶えに半身を起こせば、ドヤ顔であたいを見下ろす壁殴り代行業者の姿が見えた。
放っておけば説教でも始まりそうな雰囲気だったが、あたいは無視してスカートのポケットをまさぐる。しかしさとり様から頂いた目薬はさっきの衝撃で割れてしまっていたらしく、手指を濡らすガラスの感触に嘘泣き作戦の破綻を感じ取るばかりであった。
しかたない。ここはあたいの演技力でカバーするしかない。いくぜ。
「……せない」
「なに?」
「さとり様の所には……、行かせない!!」
決まった……!! 今のはよかった……!!
喉から絞り出したかのような見事な声……! でもどこか恐怖に震えているような絶妙さ……!! なんという演技力! 正直地霊殿の職員にしておくにはもったいないレベル……!!
「燐。もういいわ。下がりなさい」
「……っ、さとり様!!」
そして満を持して現れたさとり様がペタペタと足音を鳴らして鬼と対峙する。
よしいいぞ、ここから第三幕だ。解決編だ。あたい復旧の手配したいから退場していい?
「星熊勇儀。何の騒ぎですか。説明なさい」
「ふん! 今日の私は壁殴り代行だよ。依頼を受けて壁を殴りに来たのさ」
「迷惑ですので即刻おやめなさい。だいたい、誰に頼まれたと言うのですか」
「そいつは言えないねぇ。ま、言わなくてもバレるんだろうけどさ」
「そうですね。……こいし。出てきなさい」
「はーい!」
呼ばれて飛び出てジャジャジャジャンとでも言うように、今回の元凶が窓の外からひょっこりと顔を出す。
その小憎たらしい顔面に蹴りを入れたい衝動に駆られるが、さとり様が待てと言ってくるので我慢するしかない。
というかまたか。またあの子なのか。また無意識がどうとか適当こいて騒ぎたかっただけなのか。
この前は地上で暴れて迷惑をかけて、その前は閻魔の帽子を盗んで迷惑をかけて、その前はあたいの目玉焼きに砂糖をまぶしやがって、今度はなんだってんだ。
「こいし。どういうつもりで地霊殿の壁を殴らせたのですか。事と次第によっては針山地獄跡に叩きこみますよ」
「えー? だってお姉ちゃんこうでもしないと家から出て来ないんだもん♪」
「私は必要があれば外出くらいします」
「お姉ちゃんいっつも仕事仕事で全然家から出ないんだもん。必要がなくても遊びにお出かけくらいしないと身体に悪いよ?」
「仕事が忙しいのは仕方のないことです。残念ながらこなすべき仕事量と人材の数が釣り合っていませんから」
「もー! 仕事仕事仕事仕事そればっかり! だからこっちもお仕事でやるんだもん!! 壁殴るんだもん!!」
「あなたのせいで仕事が増え、ますます出れなくなってしまいました」
「だから地霊殿に壁が無くなっちゃえばここもお外になると思って♪」
「私はインドア派です。外になど出たくもありません」
「えー? でもー!!」
地霊殿を屋外にしたかった。
にわかには信じがたい狂気じみた動機だったが、あたい的にはうんうん頷いて賛同してる勇儀の方が気になった。お前いい大人が何やってやがる。人にどれだけ迷惑かけたかわかってるのか。
でもまあいいや。あとは適当に叱って気持ちは嬉しかったとかそんなこと言って、みんなで建物の復旧する振りをしてあたいがもろもろ手配すればお終いだ。とっとと終わらそう。こんなのもう何度目だ。
もう、うんざりだ。
「……」
地獄への道は善意で舗装されている。
ならば旧地獄は善意によって傷つけられるのだろうか。
こいつらは良いことをしてると思っているんだ。
正しいことをしていると思ってるんだ。
地霊殿が半壊して機能不全に陥ってるんだぞ? 今日やる予定の仕事や会合もあったんだぞ?
税を納めてもらい、井戸が壊れれば直し、道が割れれば補強し、温泉が吹き出れば調整し、大枚をはたいて治安を守り、問題を起こす奴がいればつまみ出す。
勇儀みたいな規格外に強い奴にはわからない。
世の9割の妖怪は『統治』がなければ生活が立ち行かないんだ。地底に住む奴らは無法地帯を生き延びれるほど逞しくないんだ。
遊びじゃない。同胞たちの人生を預かってるんだ。
朝から晩まで職員が東奔西走して辛うじて日常と呼べるものを維持している。ここはそういう場所だ。
お前らみたいな無責任でいい加減な奴からしたらよくわからない事ばかりしてるように見えるのだろう。でもあたいらのしている事には確かに意味があるんだ。
それを、よくも。
……燃やしたい。こいつらをもう、骨の一片たりとも残らない程に燃やし尽くしてやりたい。
「……こいし。あなたの言うこともわかりました。こっちへ来なさい」
「え? わかってくれたのね! さっすがお姉ちゃん♪ ね、ね、さっそく遊びに行こう! 地上で今面白いことやってるのよ!! 憑依って言うんだけど」
「お黙りなさい」
ビンタの1発でもくれてやるつもりなのだろう。さとり様が勢いよく右手を振り上げる。
せいぜい良い音を響かせてくれと思っていたが、聞こえてきたのはもっと鈍い音であった。
「お、お姉ちゃん……?」
「燐。立てるわね」
まるで腰の入ってないへなちょこパンチだったが、しりもちをついた妹が鼻を押さえる程度の威力はあったようだった。
「燐。目薬は必要なかったようね」
「あっ、いえ。しかし」
「私も同じ気持ちよ」
もううんざりだ。とさとり様は言う。
クソガキ相手に大人の対応をするのはもううんざりだと。
「お、おいおい何やってんださとりお前。せっかくこいしがこうしてお前のために」
「星熊勇儀。あなたにもほとほと愛想が尽きました」
「なーに言ってんだ。お前さんも机仕事ばかりじゃ息が詰まるだろう? つまらん仕事は他の奴に任せて羽でも伸ばしてくりゃあいい。人の厚意をそう無下にするもんじゃないぞ」
「いい加減にしなさい。あなたたちのしている事は誰のためにもなっていません。ただ迷惑なだけです。ただただ自分の都合を押し付けているだけです。私の邪魔をする奴は誰であろうと許しません」
決別の意を示すさとり様に、知らず、口角が吊り上る。
ああ、そうか。もういいのか。
「だって!! 地上が本当に楽しかったんだもん! お姉ちゃんにも楽しんでほしかったんだもん!!」
「なら口でそう言いなさい」
「でも口で言ったってお姉ちゃん来ないんだもん!!」
「それは私が行きたくないからです。私はそんなつまらなそうなことはしたくないのです」
「お姉ちゃんどうしてわかってくれないの!!」
「あなたの独りよがりには反吐が出ます。今度という今度は私も我慢の限界です」
さとり様もこう言っている事だし、あたいももう後のことを考えるのはやめることにした。
地霊殿の修復費用も、この後の被害の拡大も、そのために増税をしなければならないであろう事も、もう知った事か。
「燐。私はもう、うんざりよ。口でどれだけ言っても止めようとしないこのわからず屋どもに、自分の罪状をわからせてやって」
「合点承知の助」
さとり様が向けてきた拳に、あたいは自分の拳をコツンと合わせる。
いいよ。とことんまでやろう。
「どれほど被害が出ても構わないわ。こいしは私がやるからあなたは星熊勇儀をお願い」
「殺してもいいですか?」
「ええもちろん」
「妹君も?」
「当然」
「あなたも?」
「巻き込んで構わないわ」
「了解です」
え? マジで? みたいな顔をしている壁殴り代行業者とその依頼人に向かってあたいは親指を下げる。
そしてなぜ自分が怒られているのかいまいち理解していない馬鹿どもに向かって、特大の火球を撃ち放った。
実を言うとあたいもいっぺんやってみたかったのだ。
後のことを考えず怒りのままに燃やし尽くす。それこそ妖怪の本懐ってものだろう。
紅蓮の炎を身にまとい、地霊殿丸ごと飲み込むほどの炎を展開する。
魂すら焦がす地獄の熱波。あたいは火車だ。地獄の輪禍だ。主の行く手を遮るものは誰であろうとひき殺す。
「叩き潰せ」
「イエスマム!」
こうして保身を捨てた黒猫は、主の命を受けて鬼へと向かって行くのである。
明日を考えない第2ラウンドは、全てから解放された気分であった。
◆
地霊殿の全焼、各種資料や備品・保管品の焼失および壁殴り代行業者の廃業という形で終わった今回の件であったが、あたい的にはすっきりしたので後悔はない。
全身を強く打って死にかけているあたいと全身に大やけどを負った古明地姉妹が仲良く包帯グルグル巻きにされていたが、笑い話の範囲だろう。
こいしが泣きながら痛い痛いと呻いているがあたい的にはざまぁ見ろでしかない。
ついでに言えば自慢の角をへし折られて凹んでいる鬼が部屋の隅でうずくまっているのも愉快である。
鬼の角を折るとはあたいの腕もまだまだ錆びついちゃいないね。
地霊殿の他の職員には現在、勇儀の所有する屋敷を臨時事務所として各種記録の復旧作業をしてもらっている。
何かにつけて破壊なり滅失なりの危険と隣り合わせな地霊殿である。重要資料のバックアップは十全だ。
地霊殿の復旧費用は勇儀の私有財産から全額捻出する約束を取り付けてあるため、次は冷暖房完備の過ごしやすい地霊殿に生まれ変わることだろう。
まあ、それも大事だが、もっと大事なことがある。
ブレーキをかなぐり捨てた火車が動かなくなるまで立ち向かって来たことに加え、事態を把握したお空を始めとする他の地霊殿職員に袋叩きにされる段になってようやく自分のしでかしたことがどれだけ迷惑な事だったか理解した鬼が、地霊殿が復旧するまで自分が業務を手伝うと言い出したのだ。
よろしい忙殺してやる。
予算表の見方もわからない飲んだくれに数字の意味からなにから全部叩きこんでやる。我々の仕事が滞るとどんなことが起きるのか思い知らせてやる。
どうせ仕事は遅れに遅れて各所から苦情が殺到するだろうが、その処理もすべて勇儀にやってもらおう。正当な苦情を持って来た地域住民もまさか鬼の四天王に謝られるとは思わないだろう。今から楽しみだ。
当然ながらこいしにも手伝わせる予定のため、特注の首輪と鎖を手配中だ。柱に縛り付けてでも働かせてやる予定である。サボるようなら鞭でしばくとさとり様は豪語していた。
それくらいにさとり様の怒りは深かったようで、向こうも向こうでいろいろと限界だったのかもしれない。
自分のしたことを自覚させ、償いをさせる。あるいはこれも教育の一環な訳がないけど、あたい的にも楽しそうな気がするので特に異論は無かった。
結局大変な事には変わり無かったけど、大人の対応ばかりでは改善しない事もあるのだろう。
だからそう、たまには怒りのままに殴りつけるのも悪くないと思った。
うちの壁じゃなくて、原因を直接ね。
これに懲りて少しは2人にも社会というものを学んでほしい所だが、こいつらは地底の誇る社会不適合者その1とその2だ、時間をかけてじっくりと更生していこう。うん、それがいい。
もうホント、あたいが普段やっている仕事をひとつひとつ覚えさせていこう。覚えなかったら火であぶる。
そして予定していた工期を過ぎてるのにグダグダと言い訳してくる井戸の修理業者に勇儀を連れて行って脅かしてやろう。
ついでに脱税かましやがったくそったれな民間企業にこいしをけしかけて、無意識に不正の証拠の方に意識を向けさせてやろう。
あたいの方にサードアイを向けていたさとり様が笑い出したのを見る限り、こいつはなかなかいいアイディアだったかもしれない。
「燐。仕事は楽しくやった方がいいわ。扱き使ってやりましょう」
「合点承知の助」
さとり様が向けてきた拳に、あたいは自分の拳をコツンと合わせる。
明日からまた忙しくなりそうだけど、今日までよりは少し楽しくなりそうだった。
了
あとラフメイカーはずるい
まさに下克上、勢いで全て持ってかれました。いつも泣きを見てるんだ、たまにはお燐ちゃんもいい思いしたっていいよね!!
何言われても壁殴りをやめようとしないのはプロ意識なんだろうがなぜそんな仕事しとるんや…
あと
>全身を強く打って死にかけている
テレビでよく聞くアレだからバラバラ死体みたいになってんのかと勘違いした
おりんがんばって、超頑張って。
その間、お空は何してたんだろ。昼寝?
従者はいつも大変なんだなーと思う今日この頃。皆さんどうお過ごしですか?
大変面白かったです。
今回のこれは流行りのMMDドラマのノリのままMMDドラマを批判しているように感じる
友情をブラックの正当化にするなっていうのは東方MMDドラマだけじゃなくリアルの今の日本の実際のブラックにも結構あてはまることだと思う
そしてお燐強い
最初のさとりとお燐がロックをキメるシーンと結局地霊殿が悪化しちゃうオチと大好きです。
面白かったです。
さとりとお燐から勇儀とこいしへの弱者の反撃
冒頭部分の文章が実にパンチが利いてて良いですね
これは絶対に面白い作品に違いないぞ、と強く予感させてくれます
その予感は見事に的中で大変楽しませて頂きました
さとりの右腕感のあるお燐かっこいい。