それは、突然の出来事だった。
何のことかお判りでないだろうが、すぐに判る。
私の家のポストに、それは太くて立派な大根の半分と共に、金釘流としか言いようのないような、あえて言い換えれば、蚯蚓の這った跡みたいな悪筆の手紙が投函されていたのだ。
内容は、一々説明する必要もないが、私の書いている新聞記事が如何に稚拙で下らないかということを、比喩も凝った言い回しも何もなくただ一言で説明しただけの、手紙とも言えないような紙切れだ。
「お前は記者の風上にも置けない世紀の瘋癲野郎だ」
これがその手紙の全文である。
断っておくが、私は女性である。また、キチガイでもなければ、定職を持たない人間でもない。なので勿論的が外れた中傷ということができる。
私はそれを見た時、まずこう考えた。
「私の記事によって損害を被った組織、団体によるものか?」
いや、そんなことはあり得ない。勿論、面白い記事を書こうとして内容を誇張すれば、当事者の名誉を傷つけることはあるだろう。ただ、私の記者人生の中で、外の世界のような醜聞、利権がらみ、陰惨な事件等の取材の経験は、私には一切存在しなかったので、ただ漠然と、
「『そういったもの』がこの紙切れを送られることになった原因なのであろうな」
と考えただけで、「そういったもの」の中身を具体的に想像するという芸当は、私には難しすぎてできなかった。また、
「ついに『来るべき時』が来たか」
というような悲愴感もなく、固めるべき覚悟を固めることもできなかった。
勿論「来るべき時」という意味は、記者の仕事をしていて、知らぬ間に誰かの恨みを買うこと、という意味だ。だが私は恨みを買うようなことはしていなかったし、心当たりは一つも存在していなかった。やはり世の中というものは理不尽なのであろうな、私は首を傾げながらそう思った。
糅(か)てて加えて、私は目測を誤っていた。
こんな金釘流の文字で月並以下のことしか書けない奴が私に敵意を持っているとしても、そいつの頭は私の一パーセント程の脳しか使っていないわけで、要はそいつはゴミのような奴なのであるから、私の敵ではない。放置しておけば何も起こらないであろう。私はそう思った。
本来なら警戒すべきなのだが、金釘流の文字が私に軽侮の気持ちを起こさせ、それ以上何も考えなくなっていた。
私は知らなかった。いや、知っていたのだが、そこに考えが至らなかった。
敵対した場合、知能が低く人として劣っている尾籠(びろう。普通は汚いという意味だが、ここでは無礼な、無作法なという意味)な人間の方こそ、頭のいい知能犯よりも恐ろしいものだ、ということに思いが至らなかったのだ。
それからも、定期的に大根は届き続けた。
一週間後であったり、一月間が空いたりしたが、定期的と言っていい範疇であろう。
なぜ大根なのか私は理解しかねたが、よくよく考えてみると、演技の下手な役者のことを
「大根役者」という。
つまり、この手紙の送り主であるところの人間は、私のことを「大根役者だ」と批判していることになる。
だが私は役者ではない。記者である。だからこの批判は、全く的を外している。
届いた大根は勿体無いので煮付けにしたり、ブリ大根にしたりして食べていたが、なんとも言えない不気味さは拭えなかった。
そこで私は、送ってくること自体をやめさせることにした。勿論送っている本人が逆上して私に対して更なる手段を以て攻撃をするかもしれず、送り主に送るのをやめさせるのは得策ではない。尤も本人は私のことを憎んで、これは「復讐」だ、位に思っているのかもしれないが。
私は何もしていないので、私を批判するのも攻撃するのも不当であることは言うまでもない。
考えていくうちに、次第に私は腹が立ってきた。怒る気さえ起こらなかったものが、急に気が変わった。
私は大天狗様に直接注進することにした。
文々。新聞社と天狗の配達便とは、同じ天狗の管轄である。その頂点には大天狗様とその腹心の部下の数名がいる。話を持ち込めばすぐに解決するであろう。
大天狗様に直接会うなんてことは当然不可能なので、私は目安箱に自分の窮状を訴えた手紙を投函した。無事届いていることにして、途中で廃棄してほしい、とそう書いた。大根は惜しいがこれ以上私が茶番に付き合っていても何も得はないし、精神的な疲労も僅かながらある。
私はその、達筆な手紙を投函し、すっきりした気持ちで家に帰った。原稿があるので休んではいられない。
家に一人の伝令がやってきたのは、それから一週間後だった。
「もしもし、御免ください」
「はーい」
私は書きかけの原稿を置いて、玄関に出た。
「あの、その……例の大根の件ですが……」
これまで人とまともに喋ったこともないようなおどおどした態度で、白狼天狗がそう切り出した。
「解決ですか?」
私は伝令の言うことを察して助け舟を出した。
「え、ええと……」
「早くしてください、私には時間がないんですよ」
私は無礼だと思いながら、ついそう言った。
その後の面倒なやり取りで、以下のことが判明した。
「『天狗の宅配便』社はなんらの手立てもこの件に関して打たないこと」
「これは凝議(熱心に会議を重ねること)により決まったことであり、判断の撤回はあり得ないこと」
伝令が言いたかったのは、そういうことらしい。
「貴女じゃ話になりませんね」
「あ、あの、その……私、アルバイトなんです……」
天狗直々に私に謝罪に訪れることで誠意を示したつもりなのであろうし、故意にこういう人間を連れてきたのだろうが、自分から白状してしまった。怯えるほど私の態度に険があったのだろうか? 私としては、無理やり作り笑いをしたつもりだったのだが。
そうして、『天狗の宅配便』に勤めている全員と大天狗の部下達、それに大天狗本人は私の敵となった。
そうして迷惑なのかありがたいのか解らない贈り物が届く日が続いて、一年程したある日。
意外なことがあった。なんと、差出人の住所が書かれた物が届いたのだ。
どうやら漸く、返事がないと面白くないことに気づいたらしい。
私は、返事を出すことにした。
「大根を送ってくれてありがとう。私が大根記者だということが言いたいらしいね。解ってるよ。私も自分が立派な記者だとは思わない。でももう送るのは止めてください。あなたの気持は十分によく解りました。反省してもっと精進します」
そのようなことを、もっと叮嚀に、冗々(くだくだ)しく書いた。そこは私の本分で、いくらでも書くことができる。紙二枚に亘(わた)る長文になった。
私はそれを投函し、不安を押し殺してまた記事を書いた。同時に自分の遭遇しているこの些細な事件についても、経緯を含めて小さな記事にまとめた。下らなすぎて大々的に書く気にはなれなかったが、何も書けない位常に幻想郷が平和であることを考えたら、少しの出来事でも無視するには惜しかったからだ。
返事は、私の想像を超えていた。「死ね」「キチガイ」等の私への悪罵と、いつか痛棒を食らわしてやる、といった意味の私の悪口、私の何から何までを勝手に想像した挙句それが気に入らないといった、まあ要するにやはり私への悪口、そのような内容で十ページにも亘って同じことを繰り返しながら続いていた。よほど私の返事が気に触ったものと見える。
それだけで済めばよかったのだが……この時私は、返事さえ書けば、誠意を持って相手のことを受け入れた上で、真っ当なことさえ書いていれば相手の気持ちも治まるだろうという、私の安易で愚直な発想が、それこそ完全に的を外していたことを心底理解し、人間についての考えの中に深く沈淪(深く沈むこと)しつつ、大いに悲しんでいた。どうしてこの世の中はこんなに理不尽なことがあるのだろうと思い、その悪意ある差出人の心を思って震えた。これだけ記者の仕事を長く続けていながら、私はあまりにも無知だったのだ。精神的なダメージは大きかった。心を抉(えぐ)られる思いだった。
そうして私は精神的にボロボロになりつつ、記者の仕事を淡々と、孜々として(熱心に)こなした。心情が記事に反映するということもなかったし、下手な文章を書いてしまうこともない。長年の経験で私は完璧に仕事をこなした。
ところが、そうもいかない事件が起きた。
その内容は一言で説明できるが、泥と排泄物が私の家のポストに放り込まれていたのだ。
私は動ぜず綺麗に掃除したが、仕事をする時間をそれで使ってしまって迷惑だったことは確かだ。
その後も同じようなことが続いたので、私は大天狗様にまた手紙を出した。文々。新聞の仕事に支障が出ているということも書いた。気持ちが伝わるように、全力で手紙に書きつけていった。
気がつくと、手紙は四枚にもなっていた。そこで私は結句を書いて終わらせ、輪ゴムでくっつけて投函した。これで大丈夫なはずだ。私はそう信じた。
十日と二日後。私のところにまた伝令がやってきた。
「この前投函された嘆願書の内容について、不備があるので説明を聞きたく、やって参りました」
「不備って何よ。ちゃんと書いてあったでしょう? 困ってるんですよ私は」
現に、また泥が投げ込まれていた。排泄物じゃないだけマシだが、私が寝ている最中にやっているらしく、現行犯でとっ捕まえることもできない。犯人を捕まえるとなると、気が散って原稿どころではなかった。
「あの手紙に不備がなかった? それはまたなぜ、そのようなことを?」
「はあ? ちゃんと書いたでしょうが。いい加減にしてよ!」
「こちらがその手紙なのですが」
伝令が持っているのは、私の手紙の一枚目だった。
「ちょっと、四枚あるのに一枚だけ持ってきて、どうするつもりなのよ」
「初めからこの一枚しかありませんでしたが?」
「はあ?」
私は惘然(もうぜん。呆然の意)として、暫し言葉を失った。
簡単なことだ。上の奴らに届ける際に、故意にか、はたまた管理が甘かったせいかは判らないが、三枚が紛失したということだろう。
何をここで言えばいいのか。そうだ、怒った方がいい。
「いい加減にしなさい! ぶん殴るわよ!」
「では失礼致します」
そう言って天狗はそそくさと去っていこうとした。私は慌てて襟首を掴んだ。
「あのね、手紙の本当の内容を説明してあげるわ。要するに私のストーカーが調子に乗っていたずらしてるのよ。このままだと原稿に集中できないから何とかしてほしいの。解る?」
「解りました。ですが私に暴力を振るったということになると、大天狗様もさぞお怒りになることでしょう。お手をお放しください」
私はその自分勝手な言い草に本当に腸(はらわた)が煮えくり返る思いだったが、仕方なく手を離した。
「失礼致します」
そう言って天狗は去っていった。私は大声で言った。
「ちゃんと伝えなさいね! ストーカーを懲らしめるように何とかしてよね!」
「解っていますよー」
大声で言い返された。
こりゃダメだ。私は確信した。
直接相手の住所に行くしかない。私はそう決めた。
妖怪の山に住んでいるらしい。一体どんな奴なんだろう。
この辺で察しがよく頭の回る人間なら何事かに気づくのであろうが、私は真っ正直というか。人を疑うことを知らない人間だったのだ。だから相手の正体に感づくこともなかった。
すぐそばなんだから、行けばいい。なぜその選択をすぐさま取らなかったのかと、私は私の間抜けさ加減に自分でも呆れた。
まだ食事の後の午睡をする位の時間だ。今日の内に行こう。
支度をして、私は家を出た。
次の瞬間。
「死ねえええ!」
声が聞こえた。
咄嗟に私は身を躱していた。
ナイフを持っている天狗か人間と思しき奴が、私に突進してよろめいているところだった。
私は背後から思い切り弾幕を叩き込んだ。
相手はひとたまりもなく、地面に倒れた。
身分を改めたところ、天狗の癖に碌に記事も書けない落伍者であることが判った。当然、私に嫌がらせをした奴と同一の妖怪である。これにて一件落着……
と言いたいところだが、幻想郷には牢屋も、更生のための施設もない。当面は暗い窖(あなぐら)に閉じ込めておくことになったが、天狗の寿命は長い。大したことでもないのに一生閉じ込めておくとしたら、外の世界の神話でたまにあるような残酷な罰である。一体どうなってしまうんだろうか、と心配である。
とにかく、私はそれから妖怪不信になった。
何のことかお判りでないだろうが、すぐに判る。
私の家のポストに、それは太くて立派な大根の半分と共に、金釘流としか言いようのないような、あえて言い換えれば、蚯蚓の這った跡みたいな悪筆の手紙が投函されていたのだ。
内容は、一々説明する必要もないが、私の書いている新聞記事が如何に稚拙で下らないかということを、比喩も凝った言い回しも何もなくただ一言で説明しただけの、手紙とも言えないような紙切れだ。
「お前は記者の風上にも置けない世紀の瘋癲野郎だ」
これがその手紙の全文である。
断っておくが、私は女性である。また、キチガイでもなければ、定職を持たない人間でもない。なので勿論的が外れた中傷ということができる。
私はそれを見た時、まずこう考えた。
「私の記事によって損害を被った組織、団体によるものか?」
いや、そんなことはあり得ない。勿論、面白い記事を書こうとして内容を誇張すれば、当事者の名誉を傷つけることはあるだろう。ただ、私の記者人生の中で、外の世界のような醜聞、利権がらみ、陰惨な事件等の取材の経験は、私には一切存在しなかったので、ただ漠然と、
「『そういったもの』がこの紙切れを送られることになった原因なのであろうな」
と考えただけで、「そういったもの」の中身を具体的に想像するという芸当は、私には難しすぎてできなかった。また、
「ついに『来るべき時』が来たか」
というような悲愴感もなく、固めるべき覚悟を固めることもできなかった。
勿論「来るべき時」という意味は、記者の仕事をしていて、知らぬ間に誰かの恨みを買うこと、という意味だ。だが私は恨みを買うようなことはしていなかったし、心当たりは一つも存在していなかった。やはり世の中というものは理不尽なのであろうな、私は首を傾げながらそう思った。
糅(か)てて加えて、私は目測を誤っていた。
こんな金釘流の文字で月並以下のことしか書けない奴が私に敵意を持っているとしても、そいつの頭は私の一パーセント程の脳しか使っていないわけで、要はそいつはゴミのような奴なのであるから、私の敵ではない。放置しておけば何も起こらないであろう。私はそう思った。
本来なら警戒すべきなのだが、金釘流の文字が私に軽侮の気持ちを起こさせ、それ以上何も考えなくなっていた。
私は知らなかった。いや、知っていたのだが、そこに考えが至らなかった。
敵対した場合、知能が低く人として劣っている尾籠(びろう。普通は汚いという意味だが、ここでは無礼な、無作法なという意味)な人間の方こそ、頭のいい知能犯よりも恐ろしいものだ、ということに思いが至らなかったのだ。
それからも、定期的に大根は届き続けた。
一週間後であったり、一月間が空いたりしたが、定期的と言っていい範疇であろう。
なぜ大根なのか私は理解しかねたが、よくよく考えてみると、演技の下手な役者のことを
「大根役者」という。
つまり、この手紙の送り主であるところの人間は、私のことを「大根役者だ」と批判していることになる。
だが私は役者ではない。記者である。だからこの批判は、全く的を外している。
届いた大根は勿体無いので煮付けにしたり、ブリ大根にしたりして食べていたが、なんとも言えない不気味さは拭えなかった。
そこで私は、送ってくること自体をやめさせることにした。勿論送っている本人が逆上して私に対して更なる手段を以て攻撃をするかもしれず、送り主に送るのをやめさせるのは得策ではない。尤も本人は私のことを憎んで、これは「復讐」だ、位に思っているのかもしれないが。
私は何もしていないので、私を批判するのも攻撃するのも不当であることは言うまでもない。
考えていくうちに、次第に私は腹が立ってきた。怒る気さえ起こらなかったものが、急に気が変わった。
私は大天狗様に直接注進することにした。
文々。新聞社と天狗の配達便とは、同じ天狗の管轄である。その頂点には大天狗様とその腹心の部下の数名がいる。話を持ち込めばすぐに解決するであろう。
大天狗様に直接会うなんてことは当然不可能なので、私は目安箱に自分の窮状を訴えた手紙を投函した。無事届いていることにして、途中で廃棄してほしい、とそう書いた。大根は惜しいがこれ以上私が茶番に付き合っていても何も得はないし、精神的な疲労も僅かながらある。
私はその、達筆な手紙を投函し、すっきりした気持ちで家に帰った。原稿があるので休んではいられない。
家に一人の伝令がやってきたのは、それから一週間後だった。
「もしもし、御免ください」
「はーい」
私は書きかけの原稿を置いて、玄関に出た。
「あの、その……例の大根の件ですが……」
これまで人とまともに喋ったこともないようなおどおどした態度で、白狼天狗がそう切り出した。
「解決ですか?」
私は伝令の言うことを察して助け舟を出した。
「え、ええと……」
「早くしてください、私には時間がないんですよ」
私は無礼だと思いながら、ついそう言った。
その後の面倒なやり取りで、以下のことが判明した。
「『天狗の宅配便』社はなんらの手立てもこの件に関して打たないこと」
「これは凝議(熱心に会議を重ねること)により決まったことであり、判断の撤回はあり得ないこと」
伝令が言いたかったのは、そういうことらしい。
「貴女じゃ話になりませんね」
「あ、あの、その……私、アルバイトなんです……」
天狗直々に私に謝罪に訪れることで誠意を示したつもりなのであろうし、故意にこういう人間を連れてきたのだろうが、自分から白状してしまった。怯えるほど私の態度に険があったのだろうか? 私としては、無理やり作り笑いをしたつもりだったのだが。
そうして、『天狗の宅配便』に勤めている全員と大天狗の部下達、それに大天狗本人は私の敵となった。
そうして迷惑なのかありがたいのか解らない贈り物が届く日が続いて、一年程したある日。
意外なことがあった。なんと、差出人の住所が書かれた物が届いたのだ。
どうやら漸く、返事がないと面白くないことに気づいたらしい。
私は、返事を出すことにした。
「大根を送ってくれてありがとう。私が大根記者だということが言いたいらしいね。解ってるよ。私も自分が立派な記者だとは思わない。でももう送るのは止めてください。あなたの気持は十分によく解りました。反省してもっと精進します」
そのようなことを、もっと叮嚀に、冗々(くだくだ)しく書いた。そこは私の本分で、いくらでも書くことができる。紙二枚に亘(わた)る長文になった。
私はそれを投函し、不安を押し殺してまた記事を書いた。同時に自分の遭遇しているこの些細な事件についても、経緯を含めて小さな記事にまとめた。下らなすぎて大々的に書く気にはなれなかったが、何も書けない位常に幻想郷が平和であることを考えたら、少しの出来事でも無視するには惜しかったからだ。
返事は、私の想像を超えていた。「死ね」「キチガイ」等の私への悪罵と、いつか痛棒を食らわしてやる、といった意味の私の悪口、私の何から何までを勝手に想像した挙句それが気に入らないといった、まあ要するにやはり私への悪口、そのような内容で十ページにも亘って同じことを繰り返しながら続いていた。よほど私の返事が気に触ったものと見える。
それだけで済めばよかったのだが……この時私は、返事さえ書けば、誠意を持って相手のことを受け入れた上で、真っ当なことさえ書いていれば相手の気持ちも治まるだろうという、私の安易で愚直な発想が、それこそ完全に的を外していたことを心底理解し、人間についての考えの中に深く沈淪(深く沈むこと)しつつ、大いに悲しんでいた。どうしてこの世の中はこんなに理不尽なことがあるのだろうと思い、その悪意ある差出人の心を思って震えた。これだけ記者の仕事を長く続けていながら、私はあまりにも無知だったのだ。精神的なダメージは大きかった。心を抉(えぐ)られる思いだった。
そうして私は精神的にボロボロになりつつ、記者の仕事を淡々と、孜々として(熱心に)こなした。心情が記事に反映するということもなかったし、下手な文章を書いてしまうこともない。長年の経験で私は完璧に仕事をこなした。
ところが、そうもいかない事件が起きた。
その内容は一言で説明できるが、泥と排泄物が私の家のポストに放り込まれていたのだ。
私は動ぜず綺麗に掃除したが、仕事をする時間をそれで使ってしまって迷惑だったことは確かだ。
その後も同じようなことが続いたので、私は大天狗様にまた手紙を出した。文々。新聞の仕事に支障が出ているということも書いた。気持ちが伝わるように、全力で手紙に書きつけていった。
気がつくと、手紙は四枚にもなっていた。そこで私は結句を書いて終わらせ、輪ゴムでくっつけて投函した。これで大丈夫なはずだ。私はそう信じた。
十日と二日後。私のところにまた伝令がやってきた。
「この前投函された嘆願書の内容について、不備があるので説明を聞きたく、やって参りました」
「不備って何よ。ちゃんと書いてあったでしょう? 困ってるんですよ私は」
現に、また泥が投げ込まれていた。排泄物じゃないだけマシだが、私が寝ている最中にやっているらしく、現行犯でとっ捕まえることもできない。犯人を捕まえるとなると、気が散って原稿どころではなかった。
「あの手紙に不備がなかった? それはまたなぜ、そのようなことを?」
「はあ? ちゃんと書いたでしょうが。いい加減にしてよ!」
「こちらがその手紙なのですが」
伝令が持っているのは、私の手紙の一枚目だった。
「ちょっと、四枚あるのに一枚だけ持ってきて、どうするつもりなのよ」
「初めからこの一枚しかありませんでしたが?」
「はあ?」
私は惘然(もうぜん。呆然の意)として、暫し言葉を失った。
簡単なことだ。上の奴らに届ける際に、故意にか、はたまた管理が甘かったせいかは判らないが、三枚が紛失したということだろう。
何をここで言えばいいのか。そうだ、怒った方がいい。
「いい加減にしなさい! ぶん殴るわよ!」
「では失礼致します」
そう言って天狗はそそくさと去っていこうとした。私は慌てて襟首を掴んだ。
「あのね、手紙の本当の内容を説明してあげるわ。要するに私のストーカーが調子に乗っていたずらしてるのよ。このままだと原稿に集中できないから何とかしてほしいの。解る?」
「解りました。ですが私に暴力を振るったということになると、大天狗様もさぞお怒りになることでしょう。お手をお放しください」
私はその自分勝手な言い草に本当に腸(はらわた)が煮えくり返る思いだったが、仕方なく手を離した。
「失礼致します」
そう言って天狗は去っていった。私は大声で言った。
「ちゃんと伝えなさいね! ストーカーを懲らしめるように何とかしてよね!」
「解っていますよー」
大声で言い返された。
こりゃダメだ。私は確信した。
直接相手の住所に行くしかない。私はそう決めた。
妖怪の山に住んでいるらしい。一体どんな奴なんだろう。
この辺で察しがよく頭の回る人間なら何事かに気づくのであろうが、私は真っ正直というか。人を疑うことを知らない人間だったのだ。だから相手の正体に感づくこともなかった。
すぐそばなんだから、行けばいい。なぜその選択をすぐさま取らなかったのかと、私は私の間抜けさ加減に自分でも呆れた。
まだ食事の後の午睡をする位の時間だ。今日の内に行こう。
支度をして、私は家を出た。
次の瞬間。
「死ねえええ!」
声が聞こえた。
咄嗟に私は身を躱していた。
ナイフを持っている天狗か人間と思しき奴が、私に突進してよろめいているところだった。
私は背後から思い切り弾幕を叩き込んだ。
相手はひとたまりもなく、地面に倒れた。
身分を改めたところ、天狗の癖に碌に記事も書けない落伍者であることが判った。当然、私に嫌がらせをした奴と同一の妖怪である。これにて一件落着……
と言いたいところだが、幻想郷には牢屋も、更生のための施設もない。当面は暗い窖(あなぐら)に閉じ込めておくことになったが、天狗の寿命は長い。大したことでもないのに一生閉じ込めておくとしたら、外の世界の神話でたまにあるような残酷な罰である。一体どうなってしまうんだろうか、と心配である。
とにかく、私はそれから妖怪不信になった。
登場人物全員の5W1H1Rを考えてみましょう。
そうじゃないと稚拙になってしまい、あなたが何を書きたかったか読者には伝わりません。
ことの発端が面白かっただけに、結末があっけなく終わってしまったのが少し残念ですが、面白かったです。
あとそのコメント返し、自分で自分の作品に点数入れちゃってるぞ
読み仮名を入れるか普通の漢字を使った方が良いかと。
それとオチもあっさりなので、もう少し長くする、お話の意味を持たせた方が良いと思いました。
人のことはあまり考えてません。まあ勉強してください、という感じですかね。
でも尾籠の使い方以外は、微妙なニュアンスが出ない書き方よりは良いかなと思います。
孜々として、とかね。
孜々として、という言葉には、熱心なだけじゃなくてひたむきにという意味もあります。
「熱心に、かつひたむきに、一意専心に」
という書き方ではまどろっこしくてとても作品になりません。そこで
「孜々として」という表現が必要になってくるのです。
ただ、尾籠という言葉を使ったのはやりすぎで、本来そのような使い方をするのは古文書の中だけかもしれませんし、間違いスレスレの用法です。
ただのペダントリー(衒学趣味。ペダンチズムともいう)なんですが、ペダントリーを好まない方はお断りしております。
申し訳ありません。私の好みですので諒解してください。
なぜ自分で評価できる仕様になっているのでしょうかね?
とりあえず消しておきます。
個人的に、もうちょっとストーリーを練ると良いね
これだけだと何か文の一人芝居みたいになってるから
読む人がどうでもいいのなら晒すなよ。てかそれで面白いならともかくこれつまんないし。
特に読みとか意味を括弧で説明する奴ですけど、存在する意味がないと思いますね。「勉強してくださいって感じです」とかおっしゃるのであれば、そういった面倒な言葉でも読める方を対象に小説を作っているわけで、何故わざわざ説明をするのかわかりません。単にそういった言葉を使う自分に酔っているだけであれば、端的に言って最悪ですね。
とても面白かったです。
フリガナ等の括弧書きが邪魔だと最初は思ったのですが
この文章は射命丸文自身が書いたものと考えれば
偏執的な感じがして、これはこれで良いのかなあ、という気も致しました。
批判されてしまいましたね。
申し訳ございません。自分で読んでいて最高に気持ちいいというのが小生のモチベーションになっておりまして、自分の気持ちよさを優先しております。
もちろんここに載せないのでは満足できませんので載せます。
いちいち言い立てても仕方ないのですが、文意が伝わっていないようです。
>一天狗のストーカー被害程度で「凝議」沙汰になるほど
「凝議した結果だ」と言っているだけで、実際にどうかは判りません。私も書かなかった以上は推測するしかありませんが、凝議したから逆らうな、という方便(言い訳)でしょう。私もそのつもりで書きましたが、絶対にそうかと問われると沿うとも決まったわけでもなく、想像を働かせる余地は残っています。
申し訳ありません。皆さんを満足させられるように、精進いたします。
それはともかくとして、ここは少なくとも、自分よがりの駄文を垂れ流し、自分勝手な気持ちよさに浸る場所ではありません。そのような行為に巻き込まれる相手の身にもなって下さい。迷惑なことこの上ないです。作品投稿はおろか、SNSや掲示板を始めとしたインターネットを介するコミュニケーションをやめたほうが良いですよ。
貴方の態度は不愉快です。
しかし、んんー? 何を言っているのかわかりませんね。
貴方は読みづらいと思ったのでしょうね。私はそうは思いませんでした。
何故そのような見解の違いが生じるのかが私にはわかりません。
いや、要するにあなたは、お馬鹿な人に向けて書かれた作品が読みたいのですね。これを言ってしまうと失礼ですがそういうことだと考えるしかありませんね。
私は馬鹿な人向けに書く気はありません。気分を悪くしたなら次からは読まないで下さい。
だって、もっとつまらない下ネタを連投してる人が今ここで頑張ってますし……
あまり言いたくはないですが、そこまでいかなくてもこなれてない文章を投下する人もいますし。私が10点というのはおかしいですね。明らかに変です。
ですが貴方をIPBANできるわけでもないので、我慢します。
自分の悪性を自覚してコントロールし、自分が最もカタルシスを感じる形で創作物に昇華できたなら、尖りまくって人を選ぶけど合う人はとことん引きつける作家になれそう。その方向性で行くなら上手く感情をコントロールして、適切な形で発散できないとリアル人生が不幸まっしぐらで危ないと思いますけど、そこら辺心配です。
すでに言われてる方もいますがオチが弱い……というよりも弾け具合が物足りないですが、いっそ本当に読者のことを微塵も考えず、自分が書きたいものをとことん追求して書き上げたら、自然とオチも強くカタルシスが強いものになりそうな気がしました(未熟者の戯言なんで気に入らなければ流して下さい)
ただ人を呪わば穴二つと言いますし、あんまり他人に敵意を向けすぎて、自分の人生食いつぶさないように注意してくださいね。ネットの言動もリアルに影響してきますから。
どうせ殴り合うなら、陰湿なやり方じゃなくて真正面から楽しく殴り合って人生エンジョイして欲しいです。自分は無責任なことしか言えないし、明日には気分を変える身勝手な人間ですが、今のこの瞬間は間違いなく期待してます。
でもオチがもうすこし欲しかったなあと思いました 大根の奇妙さにワクワクしたのであっさりして終わったのが少し残念ですがとても良かったです
読めないし意味がわからない単語も多かったですが()で書いてくれてるので有り難いですね
面白いですが、オチのぶつ切り感は少し気になりました。起承転結の転の途中で終わってしまったみたいな印象があります。
あと「怒る気さえ怒らなかった」→「怒る気さえ起こらなかった」の誤字ですかね。重箱の隅案件で申し訳ないですが。
筒井康隆の「エンガッツィオ司令塔」「大いなる助走」をお読みになれば
我々がいかに表現の可能性を狭めているかがお判りになると思います。
前者はつまらないですが後者は本当に面白いです。
あなたは当然理解しているようですが、恐れながら私から少し意見を述べます。
表現というものを上品なものだと考えるのは固定観念で、様々な形の表現というものがあり得ます。もちろんつまらなければ意味はないですが、面白くて読む価値があるエログロ、というのも存在するのです。
そもそも人間というのは媾合(セックス)もすれば排泄もします。
なるべく精神を高潔に保ち、公序良俗に反しない生活をすることを心がけるのは、大事なことです。
ですが、排泄することを忌避してもしないわけにはいきません。
そこで、文学作品の中で認めたくない自分の側面を描写し、そういった作品に共感してカタルシスを得るのです。そういう側面が文学には存在します。
また大勢の人間を虐殺しても罪には問われないのも文学の中だけです。人間の欲を違う形で発散するためにも表現の自由が必要なのです。
猪瀬元都知事という政治家然とした考え方(そしてそれは頭のよい人間の考え方ではない)を持つ人が、「表現の自由とは政治的に極端な思想の元の発言をする自由で、エログロを表現する自由ではない」と言ったそうですが、全く誤りです。
人間は禁じられるとそれをやりたくなるものですし、フィクションで人が死なない世界の方が私は殺人は増えると考えます。
そこには異論はあるでしょうが、次の意見で完全に猪瀬さんは論破できます。
私が重要だと思うのは、死体の解剖で人間のことがわかるように、どんな表現でもその内容は人類の文化的、文明的発展に寄与するという、表現の可能性の側面です。
罪と罰のように、人が人を殺して苦悩する話を書けば、人を殺すということがどういうことかということがわかります。
人が人をいじめる話を書けば、いじめが起きないための方法がわかったり、いじめるとどのようなデメリットがあるかわかります。
もしデメリットなんかなくもっといじめが増えても、対処せねばならないということになって物事が前進するのです。この「前進」は、表現の自由を人類が存分に行使すると起こり、逆に自縄自縛で窮屈になると前進せず、逆に後退します。
それどころか完全に百八十度逆の状態もあります。
戦時中に「戦争は素晴らしい」「敵味方の犠牲はやむを得ない」とした言論統制された状態がそれです。説明の必要もありますまい。
エログロを規制すれば、ひいては戦時中の状態に戻ってしまう。その第一歩となるのは明白です。これが理解できない方は反省していただきたい。
とにかく、表現の自由を倫理観をもって規制することは人類にとって損失となります。ですので私はそのようなことはしないでしょう。
以上です。失礼しました。長文になりました。
自分の高尚な文章を理解できない浅い人間と思おうが
むかついて脳の血管切れようが どうでもいいんです
ふつうにつまらん
オリジナルでは見向きもされないからしぶしぶ東方で書いてるんでしょうけど
ところで「身近からちょっとづつ」と「周りに一気に」のどちらが好みですか?まあどっちでも私が困るわけじゃないんでどうでもいいですが。
あああくまでも作品の話ですよ、どこまでを作品と見るかはその人次第でしょうけどね。
作者さん的には、ジャンルは何になるんでしょうか。現実にある事象を幻想郷に落とし込んで、何らかの問題点を提起して、読者に警鐘を鳴らすようなドキュメンタリ風シリアス? 手に汗握るサスペンスドラマ? 狂気のストーカーに追われる身の毛がよだつホラー?
どういう作品として読者が読めばいいのか分からないせいで、恐らく作者さんが想定している以上に読みづらくなっているような印象です。
文章自体は好きですので、次回作も楽しみにしてます。
集団ストーカーじみた行為や炎上行為などがやたら神聖視され持ち上げられている今の世の中ですが(仏教の中道からくる妥協の精神や神道の多神教的な荒神の精神もあるのでしょうが)
最後ストーカーが実に小物であっさりやられたあたり小気味よく感じました