善行積んでは天国へ
悪行積めば地獄へと
大人から子供まで皆が知ってるお話です。
そうは言えど人とは愚かなもので、地獄に行くと解ってて尚、悪行怠惰を重ねてしまうのもの。
そういう者ほど、死後の世界においても馬鹿な悪知恵を絞るのです。
けれども、神様を騙せるなんてできようはずがありません。出来たとしても手痛いしっぺ返しを食らうのが関の山。
死しても地獄行きたくないが、善行勤勉は面倒くさい。
そんな半端者に課せられるのは悪魔も憐れむ永久なる放浪。
さぁ、また闇夜が始まります。
目を凝らして暗がりを見つめ、ぼぅっと浮かぶ怪しい炎。
天にも昇れず獄にも堕ちれぬジャック・オ・ランタンのお出ましでございます。
* * *
またでたよ
秋がこの上なく深くなる頃、こんな会話が幻想郷のあちこちで聞こえるようになっていた。
『またでた』それは妖魔妖怪が跋扈する幻想郷ではよく聞く言葉だ、珍しくも何でもない。
そう、人が口にするならば珍しくはない。
ならば、人でない者が口にすればどうだろう。
妖怪・妖精の類が、額を突き合わせひそひそ声で噂するのだ。
あるものは、人間を驚かせようとした処、別の何者かに驚かされた。
あるものは、人間を痛めつけようと罠を仕掛けた処、何者かに背中を突き飛ばされて自分が罠にかかってしまった。
あるものは、人間を惑わそうと術を掛けた処、何者かの声に脅されて人間が術にかかる前に逃げてしまった。
兎に角、何か悪戯を仕掛けるとそれを妨害してくる何かがいるのだ。
ケタケタと笑い声がして、探そうとすると姿が無い。
幽かに怪しい火がチラつくのみである。
いずこかの妖怪妖精には違いないだろうが、幻想郷の妖怪で妖怪に悪戯をする者など聞いたことがない。
そうすると外から来た未知の妖怪という事で、妖怪でありながらなんとも言えない不気味さを感じるのだ。
「これは由々しき事態ね!」
ふんすと鼻息荒く、腕組みするのは湖上の妖精チルノである。
妖精とは自由気まま勝手気まま、面白おかしく日々を過ごす者とチルノは常々考えている。
人間を揶揄ったり思いっきり大暴れしたり、それは妖精のライフワークなのだ、それを妨害しようとはとんでもない奴がいたものである。
これは妖精代表・妖精最強を自認するチルノとしては見過ごすことはできない。
「なんとかしてとっちめてやらなきゃ!」
「はぁ……それで、なんでここに?」
息巻くチルノを前にして、どうにも話が呑み込めないのが紅美鈴である。
美鈴も屋敷のメイド妖精伝手にその話は聞いている。
しかして、所詮が妖精や童形の妖怪の話で、紅魔館には何にも関りがない。
体つきも性格も子供な主が居るが、あれはあれで分別がついていて下らない悪戯に興じたりはしないものだ。
なので、美鈴も「まぁ、そういう事もあるのだろうな」程度にしか思っておらず、突然氷精がやってきて、件の話をすれば首を傾げるのは不自然でも何でもない。
「捕まえるの手伝ってよ」
「えぇ? 私が?」
「そう、どうせ暇でしょ?」
「暇だけど門番しなきゃ」
「暇ならする必要ないじゃん!」
「暇かどうどうかは別としてやるのが仕事なの」
「意味ないじゃん」
「仕事をやってるって意味があるわ」
「変なの」
話がかみ合わぬ。
先にも述べた通り、チルノにとって好き勝手するのが信条で、そうなると自分の時間を自分以外の為に使うとなると相応の理由が要るのだろう。
ある種、これも一種の合理主義といえるかもしれないが、紅魔館の一員である美鈴にとっては紅魔館の都合を優先するのが当然で、その手の合理主義とは離れた場所にいるのだ。
館のメイド妖精たちが殆ど仕事で役に立たないのに雇ってるのもまぁ、そういう理由である。
つくづく、ちゃんと仕事をするゴブリン達が来てくれてよかった、彼らのお陰で色々と館には余裕が生まれたのだから。
まぁ、それはそれとして館に余裕があろうとなんだろうと、紅美鈴の仕事は門番である、門番をおいそれと離れるわけにもいかぬ。
「なんで私に?」
「美鈴、人間に見えるじゃん」
「んん? どういう事?」
「だからさ、美鈴が囮になるの、あたいが美鈴に悪戯しかけるフリをして、犯人をおびき寄せるのよ!」
「へぇ、考えたじゃない」
単純な作戦ではあるが、悪くはない。
何処にいるかわからないというなら、誘って釣り上げるのは定石である。
「でも、それなら私でなくてもよくない? 人間に見えるよりも人間の方が餌としては都合が良いでしょ」
「魔理沙に言ってみたよ」
「……断られたわけだ」
「『殴られるのはごめんだぜ』って」
「どーゆー悪戯する気なのよ」
「こう、アイシクルソードで後ろからガツンと」
「そりゃあ、断られるわ」
「んで、魔理沙が美鈴なら後ろからでも受け止められるから良いんじゃないかって」
「一応聞くけど、霊夢……」
「あたいが一回休みになっちゃうじゃん!」
どういう霊夢観なのかと言いかけて、霊夢ならばやりかねないとも思わせてしまうのが博麗霊夢という巫女だ。
アレもアレで分別はあるはずなのだが、絶対にと言い切れない難しい巫女である。
「美鈴なら気配を感じるのも巧いから、犯人が近づいてくるのも解るかもしれないじゃん」
「それも魔理沙が言ったんだ」
「うん」
「うぅーん」
美鈴としては、正直、妖精たちがどうであろうとどうでも良いのだが。
さりとてこう頼まれると無下にするのは心苦しい。
「ま、いっか。いいよ、協力するわ」
「よぉし! ありがとう」
そして大した葛藤もなく、あっさりと承諾する。
どうでもよい事柄であるならば、引き受けて力になるのが良いではないか。
そう思えるのが紅美鈴の性分である。
門番が勝手に離れるのは問題だが、要は勝手に離れなければいいのだ。
なのせ主の鷹揚な性分である、話をすれば「いいんじゃない?」ぐらいのノリで許可を出してくれるだろう。
そうして、予想の通りそうなった。
* * *
さて、罠を仕掛けるにしても策のみでは片手落ち。
策を行う時分と場所を選ばねばならない。
あれやこれやと聞き込みをした結果(ちなみに、美鈴がやった)どうも夕刻の人里近くに出没しやすいらしい。
夕刻と言っても何分この時期は日が落ちるのが早く、薄暗いを越しているので夜との区別がつかないのだが。
なにはともあれ、策と場所と時間が決まれば後は忍耐辛抱の勝負である。
やったところで周囲に敵が居なければ無意味も良い処、まずは敵がいるかどうかを確かめなければ。
「ねえ、美鈴」
「しっ。静かに」
人を装うために、いつもの旗袍ではなく、動きやすいもんぺ姿の美鈴はチルノと共に茂みに隠れて周囲を伺う。
物音・気配・空気の動き。
妖精妖怪が取り逃がす謎の存在である、いかに被害者が下級童形とは言え油断はできない。
一方のチルノは、やはりじっとしてるのが苦手なのか、きょろきょろと辺りを見渡して藪を騒がせるし。
今か今かとまちきれず、時折こうして美鈴に声をかける。
さて、そんな繰り返しでいかほどに時間が経ったのか。
今日はもうダメか、流石に初日でかかるほどに巧くはいかぬかと、二人がそう思い始めた時である。
「! 来た」
「ホント?」
「何かの気配を感じる……人間じゃない」
「よし! 美鈴、行こう!」
「うん」
手筈通り、美鈴が茂みからするりと抜け出す。
ちょっとした動きでも物音を立てそうなこの茂みを静寂と共に抜け出すとはいかなる体術であろうか。
体についた小枝木端も手早く払って、美鈴は夜道を歩く娘を装う。
そして感じるのは、視線だ。
チルノ以外の何者かが、美鈴に視線を向けた。
じっと見ている、ついてくる。
間違いない、掛かった。
その刹那。
チルノが思いっきり茂みから飛び出して、手にした氷の剣で美鈴に襲い掛かる。
最後の仕上げ最終確認。
これで、チルノに仕掛けてくれば十中八九のどんぴしゃり。
二人はこの気配が犯人であると確信しているが、それでも証拠が必要なのだ。
しかして、正しく気配がチルノに飛び掛かるのを美鈴は察知する。
「チルノ!」
「うぅぉりぁああ!!」
タイミングをしっかと捉え、美鈴が放つ合図と共に、裂帛の気合を以てチルノはくるりと一回転。
いくつかの異変において頼りになった、自慢の技である。
美鈴も切っ先を難なくかわし、氷の剣はチルノの真後ろを薙いだ。
「うわぁ!?」
上がる驚きの声。
それに対して剣を突きつけ、チルノはニヤリと笑う。
「よーやくみつけたわよ!!」
「……あーあ、見つかっちゃったか」
その場にいたのは、年端も行かぬ少年であった。
無論、人間ではない。
かといって妖怪でも、妖精でもない。
「亡霊?」
美鈴が呟く。
そう、亡霊である、子供の亡霊だ。
しかして、亡霊ならば納得できる。
亡霊ならば、妖精妖怪の目を逃れるのも不可能ではないだろう。
少々難しいが物をすり抜けるのも出来るのだから、不意を打って一目散で逃げれば良いのだ。
タネが判れば話は簡単。
幽霊の正体見たり枯れ尾花というが、この場合は謎の正体見たり亡霊小僧と言ったところか。
「へへへへ、やるじゃんチビに姉ちゃん」
「あたいはチビじゃない! チルノって名前がある!」
「へぇ、そうなんだ」
まるで興味無い振りをして、小馬鹿にした態度が見え隠れする。
わかりやすいぐらいに子憎たらしい悪童のそれだ。
「なんでこんな事するんだ!」
「楽しいからに決まってんじゃん」
「妖精を困らせるのが愉しいのか!」
「ははははは、妖精がそれを言うかい」
亡霊は高らかに嗤う。
「妖精だって人間に悪戯しかけるだろ、おいらだってそれと同じさ」
「悪戯するなら人間にやればいいじゃん」
「はん、人間に悪戯しても何が面白いんだ。すぐに引っかかるし反応も飽きちまった」
「だから妖怪妖精に?」
「そうだとも、人間を騙して惑わして虚仮にして、さぁこれから嗤ってやろうってその瞬間に一発喰らわせてやると、目論見はずれてすっごい間抜け面するんだぜ、それの面白い事面白い事!」
「性根の曲がった奴め、こらしめてやるわ!」
「出来るものならやってみな!!」
少年は手にしていたカンテラの窓を開ける。
カンテラから漏れたのは、なにか尋常ではない怪しい光だ。
美鈴は光に一瞬戸惑うが、完全に頭に血が上っているチルノはお構いなしに少年に向かってゆく。
不敵な笑みを浮かべ、少年は光を揺らして高らかに叫ぶのだ。
「さぁ、皆! 寄ってきな!!」
何をする気か、と問うより前に白い陰が二人の鼻先をかすめる。
「わわ!?」
「何!?」
チルノは思わず驚いて尻もちをつき、美鈴がそれを助け起こしつつ周囲を見渡すと、そこにはいつの間に集まったのか、複数の幽霊が漂っているではないか。
しかもこれで終わりではなく、あちらこちらから幽霊が近づいてくる。
「なんだコレ、あいつの能力?」
「……いえ、違う」
美鈴は再び、少年のカンテラに視線を向ける。
あの、怪しく揺れる光。
ただの火の光ではない、なにか魔法の力が宿った光だ。
そして美鈴はその光に見覚えがある、たしかあの天人が騒動を起こした時に西行寺幽々子が用いていた、そう……
「人魂灯ね! 幽霊を集める光!」
「……なぁんだ姉ちゃん知ってたのか」
得意満面より一転、折角の仕掛けのタネをバラされて、興ざめだと言わんばかりに不満げな顔をする。
「どうしてそれが? たしか白玉楼の宝でしょう?」
幽霊を集める光など、当然地上にはない。
魔法使いであれば似たような性質の光を造れるかもしれないが、少なくとも美鈴が知っている魔法使いはこのような悪戯に技術を貸す程安くないだろう。
だとすると、その光は何処から手に入れたのか。
それを問うと、少年は不満げから更に一転、腕を組んでよくぞ聞いてくれましたとしたり顔の笑顔である。
「へへへへ、決まってんじゃん。白玉楼から盗んできたのさ!!」
「は、白玉楼から!?」
「マジで!?」
まさかの答えに、チルノも美鈴も唖然とする。
冥界の管理を任されたる白玉楼から、宝を盗み出すような輩がいるなどと夢にも思わぬ。
ましてやそれが亡霊と言えど童などとは。
「あ、貴方なんてことを」
あの夏の異変においては、幽々子のみならず他の者も人魂灯を用いた。
しかし、それはスペルカードルールにおける決闘故の、敗者は勝者に一つ道具の使用権を貸すという双方合意上での出来事である。
盗むのとは話も訳も違う。
これはいかぬ、騒動迷惑は幻想郷の華と言え、いくらなんでも驚天動地の一大事。
人魂灯を取り戻さねば、そう美鈴が思いかけたその時であった。
「す……すっげえええええええぇぇぇぇ!!」
大凡、感動とはこういう事なのだろうと万民が認めるような心の底からの感嘆の声を上げたのは誰であろうチルノである。
「なぁなぁなぁなぁ! お前、本当に白玉楼から盗んだのか!?」
「嘘を言ってると思うのか?」
「思わない、だってコレ本物だろ!?」
興奮興奮大興奮。
人魂灯が収められたカンテラを思わず手に取って、チルノは少年に尊敬のまなざしを向けていた。
そうすると、少年はますます胸張って応えるのだ。
「庭師の姉ちゃんも白玉楼のお姫様も、ぽやっとしてるようで以外に鋭いからすっげぇ苦労したんだぜ」
「アタイもあいつらの事知ってるぞ! 最強のアタイも認めるぐらいに強いのにすごいなお前」
「ふふふ、真正面から喧嘩しなきゃいいのさ。じっくり潜んでひっそり待って、油断した処を掠め取る! 基本だろ」
「おぉ、まるでドロボウみたいだな」
「大盗賊、と言ってくれ」
「かっちょいー!」
さてはて捕まえると息巻いていたのは何処へやら、チルノと少年はすっかり意気投合である。
陽気の権化たる妖精と、悪童究めたようなこの少年ではウマが合うのであろう。
「よぉーし、決めた! アンタをあたいの相棒にしてやるわ!」
「相棒?」
「そうよ、アンタ、人間相手の悪戯は飽きたんでしょ?」
「まぁな」
「じゃあさ、アタイと一緒にもっとデカい獲物狙おうよ」
「へぇ……?」
少年の目が好奇に輝き、美鈴の背筋には嫌な予感が奔る。
「幻想郷には偉そうにしてる奴らが沢山いるわ。博麗の巫女に白黒魔法使いにチビ吸血鬼に竹林の宇宙人に……とにかく、そいつら相手に仕掛けてやるのよ」
「ふぅーん、その代わり、妖精やガキ妖怪には手を出すなって?」
「そうよ。そっちの方が面白いでしょ」
「なるほどねぇ」
「ちょ、ちょ、ちょ、まちなさい!」
唐突に、なにやらとんでもない悪だくみを始めた二人にさしもの美鈴も焦りだす。
巫女に魔法使いに喧嘩を売る?
いくらなんでも危険すぎる。
「何、危ない真似しようとしてるの!」
「ダイジョーブダイジョーブ! アタイ最強だから!」
「だ、だいじょうぶじゃなくて」
「なぁ、チルノって言ったか?」
「うん」
「お前、度胸あるな」
「まぁな!」
「いいぜ、その話、乗った! 二人で幻想郷中を驚かせてやろうぜ!!」
「よぉーっし! やるぞー!!」
「あぁ……もう……」
どうやら、そういう事になってしまったらしい。
美鈴としては困ってしまってなんとやら。
別段、、幻想郷の面々の心配をしているわけでは無い。全くしていない訳でも無いが。
何よりも不安なのは、この二人自身の事である。
なにやら調子に乗っているようで、下手な事を起こして厄介事に飲み込まれてしまうのではないかという懸念がある。
「あの、二人とも?」
「まずはどこがいい?」
「やっぱ鉄板は博麗神社じゃねーか?」
「なるほど、アタイもそう思ってたんだ!」
ダメだ、全く話を聞こうとしない。
美鈴は天を仰ぎ、どうしたものかと悲嘆に暮れてしまった。
* * *
天を仰ぎ悲嘆に暮れたとは言っても、やはり何もしない訳にはいかない。
そう考えた美鈴は、翌日、仰いだ天を目指した。
行き先は天にありし冥界の白玉楼である。
なんとか人魂灯を没収できれば、二人とも冷静になってくれるのではないかと考えたのだ。
……あのチルノに冷静という言葉があるのかという疑念はさておき、捨て置くわけにもいかない。
なればまずは人魂灯の本来の持ち主である西行寺幽々子を頼ろうという訳である。
紅魔館と白玉楼はさほどに親しい訳でも無い為、さて望み通り面会相成るかと少しばかり心配したが、意外なほどあっさり客間へと通された。
そうして好い香りのする茶に手も付けず、主人の到着を待つ。
「待たせてしまってごめんなさい」
ゆったりとした、春の花の香りのような声と共に障子が開かれる。
声の主は確かめるまでもない、白玉楼の主・西行寺幽々子であった。
齢千年を超える亡霊を前に、美鈴は改めて姿勢を正す。
西行寺幽々子という人物は、まさに典雅の化身である。
紅魔館の主たるレミリア・スカーレットも言動が子供じみている為に軽んじられやすいが、その立ち振る舞いには確かな育ちの世さを感じさせるものがある。
骨の在り方からまず貴人であるのがレミリアという人物だと美鈴は常々思っているが、西行寺幽々子もそれに勝るとも劣らぬ。
歩き方ひとつ、話し方ひとつ、そればかりではなく気の振わせ方・視線の輝きに至るまで、気品に溢れている。
ただの年月の積み重ねでこうはなるまい。
ともすれば、元は人などではなく、尊きという概念そのものから生まれたのではないかと思わせ、そう思えば否定も出来ぬ、それが西行寺幽々子という人物なのだ。
「貴女がここに来るなんて本当に珍しいわ」
「はい、その、少しばかり問題が起きまして」
「……人魂灯ね?」
事も無げに用件を口にする幽々子に対して、美鈴も至って冷静に頷く。
「やっぱりお気づきだったんですね」
不思議な事とは思わぬ。
あの少年が言う通り、西行寺幽々子は悠長なように見えて目端の利く鋭い性格をしている。
屋敷のものが盗まれて、知らないという事はまずありえないだろう。
「それで、どういう経緯であの子に会ったのかしら?」
「もしかして、盗んだ犯人にも心当たりが?」
「えぇ、前々から悪戯者だとは知っていたのだけれど、まさか私たちの目を掻い潜ってこんな事できるなんて、驚きだわ」
「呑気な事を仰らないでください」
「ふふっ、ごめんなさい」
幽々子は袖で口元を覆い、ころころと笑う。
「……あの子が、妖怪や妖精の悪戯を妨害してた処を、私とチルノで捕まえたんです」
「あら、あの氷精も絡んでるのね」
「はい、それで、その……二人が意気投合してしまいまして」
「なるほど、それで今度はもっと大掛かりな事を企み始めたというのね」
「御明察です」
ここまでくれば話は早い。
幽々子の手にて人魂灯を取り戻してはくれまいか。
美鈴が強引に奪うよりも、冥界の事は冥界の者が片を付けるのが最も穏便に話が進む。
「そう心配する事も無いと思うわ」
「心配する事は無いって……二人が怪我でもしたらどうするんです」
「二人の心配をするのね」
「勿論です」
妖精は死に至っても完全には死なない、いずれは復活する。
これを彼女たちは一回休みと呼んでいるが、だからと言って死んでよいと美鈴は思わない。
死なないから何をしても良い、どうなっても良いなどというのは邪魔外道の考えである。
死ななくとも痛いものは痛い、辛い事は辛い。当たり前のことではないか。
「確かに、人魂灯を取り上げたら大人しくなるでしょうね」
「はい、ですから」
「……もう少しばかり、自由にさせてあげられないかしら」
「何故です?」
「そうねぇ……」
幽々子は、茶で口を湿らせ一息つく。
「あの子、もう長い事冥界にいるのよ」
「どの程度」
「少なくとも、稗田の先々代の頃から」
「すると、かれこれ260年は」
「そういう事になるわ」
「先ほど、悪戯者と仰いましたが」
「それはもう。以前は大人しい子だったのだけれど、どのくらい前かしら……前の前の花の異変ぐらいからかしら、あちらこちらで悪戯三昧、冥界では少しばかり有名なのよ?」
「大人しかった頃が?」
「えぇ、其の頃は、よく屋敷の手伝いをしてくれたりもしてたわ」
「少し、想像できません」
「ふふっ、でしょうね。言った通り、この頃は悪戯者だもの。ただ……あの子、決して人が本当に困るような悪戯はしないの。引き際を弁えてると言っていいのかしら」
「危ない事はしない、と?」
「それもあるのだけれどね」
はぐらかす、という感じではあるまいが、どうにも本質を口にしない。
「言の葉は……」
「?」
「言の葉は、意思を伝えるに最も一般的な手段ではあるけど、言の葉によって伝えられたからこそ誤ってしまうという事があるわ」
「私自身の目で、あの子を確かめろと」
「……まぁ、格好つけては言ってみたものの、私もちょっと後ろめたい事があるのよねぇ」
ふむ、と美鈴は思案する。
自分の意思と、幽々子の言、どちらを取るべきか。
あの二人の事を思えば、いますぐ人魂灯を取り上げるべきだ。
だが、幽々子はそうではないという。
後ろめたい事とは何か判らぬが、あえて口に出すのであれば決して悪様な事ではあるまい。
「……わかりました、西行寺様がそう仰られるのなら」
「ありがとう、紅娘々」
深々と頭を下げる西行寺幽々子に、美鈴もまた首を垂れて応える。
貴人の謝に謝以外を以て応えるは不敬の極み。
それと同じく、冥界の事を冥界に解決を願った上で、冥界の思慮を無下にするのも筋が通らぬ。
故にこその結論であった。
「でも、安心したわ、あの子が貴女や氷精と縁結ぶなんて。安心して任せられるもの」
「私としては、遊ぶにしても穏便にと思うのですが」
「ふふふ、あの子たちにそれは無理な注文よ」
「ですね」
片や微笑、片や苦笑。
笑みは違えど同じように茶を喫し、さてはてここに白玉楼の会談は終幕と相成った。
* * *
では、かように紅美鈴を悩ませる問題児二人組はその頃どこにいたのかというと。
あろうことか幻想郷の東端、すなわち博麗神社である。
秋らしく紅葉枯葉の舞う境内にて、これまた秋らしく箒で清めるのは最早説明無用の無敵巫女・博麗霊夢その人であった。
二人は神社の屋根からこっそり覗き込み、様子を伺ってからお互いに頷き合う。
そうして、少年が見つからぬように屋根の奥に身を隠し、対してチルノは誰もが知る妖精らしい勢いで飛び出すのである。
「やい、霊夢!」
「ん? んーなんだ、チルノじゃない」
血気盛んと言わんばかりに意気込むチルノに大して、霊夢は面倒くさい奴が出てきたと言わんばかりに徒労感が溢れている。
「何よ、何か用? 今、掃除してるんだから邪魔しないでよ」
「へっへっへっ、アタイを前にいい余裕だね」
「正直、アンタの相手もそれなりに飽きてきた処よ」
「そんな事言ってられるのも今の内だ!」
いうが早いか、チルノはお得意の氷弾を撃ち出す。
妖精最強の呼び声に恥じぬ鋭さであるが、霊夢は「はぁ」とため息一つ、手にした箒をくるりと廻し、たったそれだけで氷弾を全て弾いてみせた。
「全く、邪魔するなって言ったのに」
手にした箒をまるで槍の様に構えると、これがどうして様になる。
さもありなん、いつもはみょうちくりんな大幣、通称「御払い棒」を手に妖怪相手に大暴れ。
巫術と符術のみならず、棒術体術まで操るのが博麗霊夢である、手慣れた得物でないとは言え、応用が利くのならばどうにでもしてしまうだろう。
ましてや妖精相手ならばこれで十分、という事なのだろうが……
ざわり、と背後から恐ろしく冷たい気配を感じ、霊夢は思わず振り返る。
「ふふふふふ……」
そこにいたのは、妖しい風を纏う謎の怪童。
不可思議な光を漏らすカンテラを揺らし、神社の屋根に立っている。
まぁ、仰々しく言ってはみた者の、正体はあの亡霊少年なのだが。
集めた幽霊たちを周囲に舞わせ、まるで風の如く見せかけて、なんか怪人ですよーみたいな笑い方をしてるだけ。
金メッキのこけおどしも良い処だが、何も知らない霊夢を一瞬騙せるには丁度良い。
「誰!?」
二人の思惑通り、少しばかり固い声を上げ警戒をあらわにする妖怪バスター。
そしてそれこそが「詰み」である。
「かかれぇ!!」
今少しばかり格好つけて片手振り下げての大号令。
ノリノリの幽霊たちもそれに従い、霊夢目掛けて殺到する。
当然、霊夢は一歩下がって備えようとする訳なのだが……
「わ!?」
ツルリと、足を滑らせる。
ころびかけたその瞬間、足元に見えたのは凍り付いてぴかぴかな石畳。
ニヤリと笑うは勿論、氷精。
なにくそ、この程度と、踏みとどまろうとする霊夢。
が、二人の策はここでお終いではない。
取り巻く幽霊、眼前に降りる亡霊。
そうして亡霊は霊夢の腕を掴むのだ。
「そぉーれっ! 踊ろうぜ!」
亡霊は霊夢の腕を掴んで一回転。
一回転で済ませるはずもなく何周も。
幽霊たちは囃し立てるように廻る廻る巡り巡る。
まるで幽霊たちによる竜巻の檻である。
はたから見れば壮観かもしれないが、中心で独楽のように扱われる霊夢としてはたまったものでは無い。
「ちょ、ちょ、ちょ……」
声すら上げる暇なく目が回る。
普段ならどうにでもなるかもしれないが、足元が凍って踏ん張りがきかない上、不意を衝かれたのではたまったものでは無い。
異変の時には冴えわたる巫女の感も、平時においてはサボリがち。
かくして幽霊妖精二人の策にはまってしまった間抜巫女。
そろそろ三半規管も限界か、という処でようやっと解放される。
ふらふらとまるで酒の入った千鳥足のように、それでもへたり込まぬは流石巫女。
「あ、あ、あんたち……」
体は止まっても目は廻る。
耳にも妖精亡霊挙句の果てに周囲の幽霊の笑い声がぐわんぐわんとおかしくなった感覚に響くのだ。
「それ! 逃げろー!!」
「おおー!」
目論み成就の大勝利、ならばここらで締めの一斉逃亡。
チルノの鬨の声に合わせ、幽霊たちもてんでんばらばらに逃げ出してゆく。
「待ちなさい!」
悪ガキどもに一喝し、放つは自慢の赤い符撃。
サボった勘にも喝が入り、廻る頭で撃ったにも関わらず、寸分たがわずチルノに迫る。
あわや命中、悪戯目論見失敗かと、その時にチルノと符の狭間に白い亡霊が滑り込む。
亡霊がまるで片手を振うと、ぱんっと軽い音がして、赤い符撃は羽虫の如く弾かれた。
霊夢は驚きに目を見開き、亡霊はにんまり嗤って空へと逃げる。
まともに動けぬ巫女に追う事敵わず、斯くして完全悪戯はここに成った。
「いぃぃぃぃぃぃぃやったー!!」
「あっははははははははは! あの巫女相手にこうも巧く行くなんてなぁ!」
空の上で、氷精と亡霊は大はしゃぎ。
周りの幽霊たちも悪戯が面白かったのか囃し立てるように飛び回る。
さもありなん、なにせ相手は博麗霊夢である、ちょっとやそっとじゃ動じないし返り討ちも良い処だ、それを考えれば他の妖精に自慢してもいいぐらいの、大金星である事に間違いは無い。
「それにしてもお前、霊夢の弾弾くなんてやるなぁ」
「へへん、オイラこれでも長い事亡霊やってるからな、術の一つ二つはお手のもんさ」
腕を組んで、どうだと言わんばかりの亡霊に、チルノは素直な称賛を送る。
「そっかーやっぱお前すごいな! アタイの事助けてくれたし」
「そりゃオイラ男だからな、女は護んなきゃ」
「む、アタイ守られるほど弱くないぞ、最強だもん」
「強い弱いじゃなくて、男は女を護ろうとするときに一番奮起するんだって理屈じゃないんだって、妖忌の爺ちゃんが言ってた」
「……誰?」
「冥界にいたすっげぇ強い爺さん、色々話聞かせてくれる面白い人だったんだけど、いつの間にかいなくなっちゃってさー」
「ふぅん、なんで?」
「姫様は悟りを開いたって言ってた」
「じゃあ、成仏したのか?」
「たぶんな」
「なんで成仏なんかするんだ?」
「うん?」
「成仏するって、要は完全に死ぬって事じゃん」
「……えぇーっと、本当は大分違うんだけど……うぅーん、でもまぁ、似たようなモンかな?」
「死ぬのって嫌じゃないのか?」
妖精は死なぬ。死なぬ故に死が解らぬ。
妖怪も、なかなかに死ににくいし復活も可能だ。
だが完全不滅という訳でも無く、復活にしくじるこだってある。
そうなれば、そこでは死が待っている。
なれば妖怪は死を知っているのだろうか。
どちらにしろ、死を最も良く知るのは人間であろう。
「悟りなんてよくわかんないもんまで開いて、死にたいなんて変な話」
死なぬ事が何よりも大事ではないか、人間だって多くは死から逃れる術を求めている。
だというのに、時折、死を受け入れてしまう者がいるというのがチルノにはどうにも解らない。
面白おかしく生きている方が絶対良いでは無いか、何故、死に向かわねばならない。
それを想い、チルノはどうしても仏頂面になる。
どう考えも楽しい事でないのだから当然だろう。
「チルノは死ぬの嫌か」
「当たり前じゃん」
「……そうだよなぁ、そうなんだろうなぁ。生きてるってそういう事なんだろうな」
少年は、何かを羨むような少しばかり妬むような、そんな声色だった。
「お前は死ぬの嫌じゃないのか」
「オイラもう死んでるぜ」
「死んでても、転生とか成仏とかあるじゃん」
「んー……」
即答が無い。
何かを考えこんでいるのであろうか。
それを確かめるべく、顔を覗き込もうとする。
行動を起こすのはチルノ、受けるのは少年。
そんな構図だから、ちょっとだけ油断して、ほっぺたをむにっと摘ままれしてしまうのだ。
「うに!?」
「ふへへへへへ、なんだいその声」
間の抜けた悲鳴に、少年は変わらず悪戯じみた笑顔を向ける。
「そーゆー小難しい事はいいんだよ。今は愉しもうぜ、折角、巫女を出し抜いたのにさ」
「……そーだな、うん、そーだよな!」
そうだ、考えてもしょうがないし何より下らない。
生き死になど、勝手にやってればいい。
チルノは未だ妖精なのだ、そんなのとは無縁である。
「よしよし、それじゃあ次はどうする?」
「えーっと……とりあえずあちこち回ろう。んで、次の獲物見つけるんだ」
「よぉし、それじゃあ」
少年はそこで言葉を区切る。
チルノは少年と視線を合わせ、一つ頷いて飛びぬけて明るい声を張り上げる。
「「しゅっぱーーつ!」」
こうして、秋の空に元気のよい二つの声が重なるのであった。
* * *
博麗霊夢で味を占めた悪ガキ二人がさてそれからどうなったかというと。
まぁ、大方の予想はつくだろうがあちらこちらで悪戯三昧である。
ある時は、里の寺子屋の授業中にこっそり忍び込んだ。
上白沢慧音に気付かれないよう、そーっと後ろを付けて生徒たちにわかるようにお道化てみせる。
すると、生徒たちは最初はびっくりするのだが、だんだんと状況を理解してくすくすと笑いだした。
何もわからぬ慧音は何事かと辺りを見渡すが、少年もチルノも見つかるようなへまはしない。
そも、亡霊なれば壁抜けも出来るのだ(少々コツがいるが)振り返っても壁の向こうに消えてしまえばいい。
仕上げは終業を告げる声に合わせ、幽霊率いて大乱入である。
子供からは歓声とも驚きともつかぬ声が上がり、上白沢慧音からは純粋な驚嘆の声が。
それに合わせてぱっと騒ぎ、あっという間に去ってゆく。
二人が「まったねー」と手を振れば、子供たちも「また来いよ」と応え、慧音はいたずら小僧に一喝するのであった。
またある時は、人里を歩く社会派ルポライター殿の帽子を掻っ攫った。
もはや語るまでも無かろうが、ルポライター・烏天狗の射命丸文は慌てて帽子を取り戻そうとする。
そんな天狗を揶揄って、文の頭上で二人で帽子を投げ合って遊ぶのだ。
いつもならば簡単に取り戻せるだろうが、なにせここは人里でこの天狗は自分を人間と偽っている、通力つかって正体晒すわけにはいかない。
濡れたように輝く羽も天狗随一と自慢の速さも、使えなければ持ち腐れ。
それを解ってやるから面白い。
哀れな天狗は悔しさ滲ませ腕を伸ばすのみ。
ひょいら真上を向いたその瞬間、顔面にむかって帽子を返してやる。
一瞬動きを止めて、帽子を掴む烏天狗。もちろん、表情は憮然としたもので、だからこそ、くすくすと笑ってやる。
そうして十分に堪能したら、悠然と逃げてやるのであった。
またまたある時は稗田の家から柿を盗んでやった。
それも一つや二つではない。両の手一杯の柿である。
特にチルノ等は稗田は妖精を軽々しく書いていけ好かないというので、両の手どころか口にくわえてまで盗み出そうというのだ。
その様に少年もやり過ぎだと大笑いする。
チルノは柿を加えたまま頬を膨らまそうとするが当然そんなことは無理で、ますます少年の笑いを誘うのだ。
そんな事をしていれば見つかるのは自明の理だが、二人は全く気にしない。
逃げる時も屋敷の外ではなく、わざわざ中を通る。
幽霊たちを率いて逃げれば屋敷は上へ下への大騒ぎ、主の稗田阿求も何事かと顔を出しその鼻先を掠めて走り抜けてやった。
くるりと振り返り、短命薄幸のお嬢様がこんなにも痰の毒を喰うとはなんともおかしい、それ痰の毒の代金をくれてやろう
そう言って桃の種を投げつけてやる。
阿求はあっけにとられながらも種を受け止めて、チルノと少年は「おお」と感心する。
感心するが柿は返してやらぬ。追いかけてくる使用人共をしり目に、すたこらさっさとお暇する。
沢山柿を盗ったつもりが、随分と落としてしまったが、なぁに気にすることも無し。
戦利品に齧り付いて、してやったりとわらいあうのであった。
さてまた別の時となると守矢の分社を乗っ取ってやった。
普通だったら分社と言えど社を乗っ取るなど無理な話だが、守矢の二神は分け身を置いていない、たんなる信仰の窓口としてしか扱ってないのだ。
だとするなら小さな祠風情、乗っ取ってやるのは簡単である。
供え物の饅頭を喰い、屋根に乗ってふんすふんすとしてやったり。
もちろん、本当の狙いはこんなチンケな社ではない。
こんなことをすれば、当然、社の主は怒る。怒って不届き者の討伐を命じるだろう。
そうすれば、やってくるのは守矢の風祝・東風谷早苗である。
ここ数年、異変解決の功績を残し、博麗霊夢と並ぶ二大巫女の呼び声高い現人神。
そんな彼女にとって氷精と亡霊ではいかにも物足りない、すぐに片付く相手であろう。
しかし、だがしかし、それは真っ当に相手をすればの話である。
そうだとも、二人の目的は悪戯なのだ、弾幕ごっこの大勝負などではない。
もっと簡単でもっと馬鹿馬鹿しくて、相手のマヌケずらを拝めるような……そう、たとえばスカートめくりなんかである。
ぶわっ、とまるで風祝が得意とする風が、本人に襲い掛かったような、でもそんなんじゃなくてただたんに少年が囮になった隙に、チルノが勢いよく東風谷早苗のスカートをめくりあげただけだ。
現れたのは、幻想郷では珍しい外の造りの可愛い下着。
チルノと少年は「おお」とちょっと驚き、早苗は顔を真っ赤にする。
これはいけない、面白いものを拝めたが、代わりに風祝が暴発しそうだ。
間が外れてしまったがまだ間に合う、それ逃げろ!
後ろで嵐が巻き起こる、急いで逃げろ走って逃げろ飛んで逃げろ、これぞ悪戯の醍醐味、追いかけっこである!
つかまりゃ雷、逃げれば極楽。何とか無事に逃げおおせて、今度もやっぱり大笑い。
さぁさぁそんな感じにこんな感じ。
まだまだ遊ぶぞそれやるぞ。
相手は何処でも誰でも良いぞ。
竹林・仙界・地底に天界。神に妖怪、月人天人、仙人人間、皆玩具。
澄ました顔がどう変わる?
驚愕・落胆・怒りに苦笑。
どいつもこいつも面白い。
二人一緒に何処へでも、幽霊引き連れ軍団気取り。
そうして気を大きくしたのが大間違い。
中にはちょいと容赦のない方もいらっしゃって、ついうっかり太陽の畑に手を出してしまい、哀れ氷精亡霊、風見幽香にぶっ飛ばされたのであった。
* * *
「だ! か! ら! 危ない真似はしないでって言ったでしょう!」
響く声は幽香のものではない。
大慌てで紅魔館まで逃げ出してきた二人を見て、紅美鈴が放った声である。
腕を組んで仁王立ち、いつもは柔和な目を、これでもかというぐらいに釣り上げて睨みつければ、悪戯者二人組が思わず縮み上がってしまいそうだった。
「まったく、ほらこっち来なさい」
館から持ち出した薬箱を開き、額にたんこぶを作ったチルノと、全身ズタボロの少年に手招きをする。
二人は、薬をみて渋々と言った趣で美鈴の傍らに用意されていた椅子に座った。
ちなみに、ここは門前ではなく庭の一角である。いくらなんでも怪我の治療を門の前でという訳にもいかない為、特別に敷地に入れてそこで薬を用意したのだ。
ピンセットで摘まんだガーゼに薬品をしみ込ませ、少年の傷に塗る。
「いててててて、ね、ねーちゃんもっと優しく」
「良い薬よ、二重の意味で」
亡霊と言えど傷に薬は沁みるのか。
だが逆を言えば、薬が効いている証拠でもある。
精神体である亡霊に効く薬とはどういう代物なのかと、以前は首を傾げたものの考えてみれば妖怪も妖精も何かしらの認識や自然から発生した一種の精神体のようなものである、大した違いはないのだろうと勝手に納得することにした。
薬で渋い顔をする少年に対し、幽霊たちやチルノはにひひ、と面白そうに笑う。
「チルノ、次は貴女のたんこぶだからね?」
言われてチルノも首を竦める。
この一件で得をしたのは怪我をしていない幽霊達だろうか。
尤も、こいつらは怪我をしてるのかしてるのかさっぱりわからないのだが。
「それにしても、チルノはよくたんこぶだけで済んだね」
「おお、こいつが体張ってくれたからな!」
チルノが嬉しそうに言うと、少年は誇らしげに胸を張る。
聞けば、風見幽香の攻撃から少年がチルノを護ったは良いが、慌てていた為にチルノが木の枝に頭をぶつけてしまったそうだ。
女の子を護るとは流石は男の子か、その気概はほめてやりたい。
調子に乗るのが目に見えているので褒めはしないが。
それに、風見幽香も本気でこの二人の相手をしたわけではあるまい。
もしその気ならば、少年は塵に返されチルノは一回休みになるのが目に見えている。
あくまで、あしらった程度なのだろう。
それが解っているからこそ、余計に褒めはしない、自業自得であるし、逃げおおせたからと言ってまた幽香に突っかかってしまったらどうなるかわからないからだ。
これで二人とも、ちょんの間でも良いから大人しくなってくれればいいのだが。
いや、もう面倒だから人魂灯を力づくで取り上げてしまおうか。
西行寺の意向には背くが、こうしてハラハラしながら時を過ごすというのは自分の胃に優しくない。
そんな事を考えながら、ほんのちょっぴり乱暴な治療を続けていた時である。
周りを飛んでいた幽霊の一体が、少年に近づいて来たのだ。
ひんやりとした、幽霊独特の冷気が美鈴の頬を撫で、そして幽霊は少年の耳元で何かを囁くように震える。
「……そっか、良いんだな?」
会話をしているのだろう。
少年は幽霊に問うと、幽霊は肯定するかのように体を上下に揺らした。
他の幽霊たちも、様子が変わる。
なにか、いつもよりも神妙な趣を漂わせ、それは美鈴とチルノを戸惑わせた。
「よっと」
「あ、こら、まだ」
「大丈夫、ありがとなねーちゃん」
治療の途中だと窘めようとしたが、少年はかまわず椅子から降りてしまった。
チルノが首を傾げながら、少年に問う。
「どこか行くのか?」
「うん」
「何処に?」
「命蓮寺」
「寺?」
「おう、住職さんにちょっとな」
今度はチルノと美鈴が顔を見合わせる。
はて、命蓮寺の住職と言うと聖白蓮か。
あの尼僧に一体如何なる要件があるというのか。
左様な疑問が湧いて出てくるのは当然で、だからこそ二人は首を傾げた。
疑問を持って、人は(二人とも人ではないというのはこの際おいておいて)どうするか。
そのまま放置するか、解消するかのどちらかであろう。
だから、チルノと美鈴は後者を選ぶことにした。
紅魔を離れて人里へ、入る前に何やら幽霊たちに支持を出し、幽霊は散ってゆく。
歩いて行くは大通り、真正面から命蓮寺へとと思ったが、すこしばかり様子が違う。
立ち寄ったのは花屋である。
季節様々な花を揃えたそこで、白い花を買う。
白百合に白い胡蝶蘭。
墓前に添えるが如き、正しき白である。
少年がそんな白を携えれば、その後姿は全く違ったものに見えてしまう。
小さな小さな少年の背中。だが、ああも儚く揺らぐものであっただろうか。
愁いを背負うて歩くが如く見えるのは、花の魔力か亡霊の性か。
それから三人はただ歩く。
多くの人々が往来する人里であるにも関わらず、その背をみるだけで心掻き乱されるのは何故であろうか。
知らず、チルノの手が美鈴の指をぎゅっと握りしめる。
手の内からチルノの不安が伝わるようで美鈴も、ただその手を握り返した。
沈黙は痛く重い。
すくなくとも心の内に黒を以ては心地が悪い。
陽気な妖精が耐えられなかったのも無理はなく、すこしばかり絞り出すように声を出す。
「ねぇ!!」
「んー? どした?」
少年の相も変わらぬ鷹揚な物言い。
沈黙と、白の魔力を払うようでチルノの顔に安堵が戻る。
「命蓮寺にどういう悪戯するんだ?」
「しねーよ。言っておくけど、住職さんに手をだすなよ」
「えー、なんでさ」
「……これから解る」
チルノは少々口を尖らせるが、美鈴としては騒動にならぬというのは歓迎したい。
悪戯でないのなら、何をするつもりなのかという疑問はさらに深まるが、それはこれから解るというのであればここで問うのは無駄であろう。
少年は花を持ったままに里を抜け、里の外で待たせていた幽霊たちを呼び寄せる。
そうして、わざわざ里をぐるりと回って幽霊を引き連れながら三人がたどり着いたのは命蓮寺の裏手であった。
すでに日は大分傾き、幽霊たちのソレとは違う天然自然の冷たさが当たりを覆う。
「チルノとねーちゃんはそこで待っててくれよ」
少年は、ただそれだけ伝えると一体の幽霊を伴って格子窓の傍へ寄る。
あの幽霊は、先ほど少年と何か会話をしていた幽霊なのであろうか。
見た目がどれもおなじなので、区別はつかないのだが、おそらくはそうなのであろう。
「……もし、ご住職様はいらっしゃいますか」
一種澄んだ、善い声がチルノと美鈴の耳を通る。
いつもの元気いっぱい陽気に満ち溢れたそれとは違う、恭しい声を聴くだけで首を垂れ正しく座しているのを容易に想像できるような代物であった。
「その声は……貴方ですね」
格子の向こうから聞こえる柔らかなソレは聞き間違えようのなく聖白蓮である。
少年の声で誰かが解るという事は、二人は馴染みなのであろうか。
「はい、ご住職様。今日もまた幽霊のご供養を願いたく参りました」
「お引き受けいたしましょう」
白蓮の返答を受け、少年は幽霊に向かって一つ首を振る。
すると、何体かの幽霊が少年に近づき、まるで別れを惜しむかのように辺りを飛び回ったり、幽霊同士で体を摺り寄せたりするのだ。
少しばかりの間、そうした幽霊の触れ合いがあったが、やがて一つの幽霊が意を決したように格子窓の向こうへと飛び込んでいった。
「お預かりいたしました。この幽霊は私が責任をもって供養いたしましょう」
「お礼を申し上げます、ご住職様」
そうして、格子に捧げられる白の花。
宵の口の中でも美しく映える白を、それに負けぬ程に白い手が受け取る。
するりと、芝居でもなんでもあるまいに艶めかしく花は窓の向こうへと消えてゆく。
花を手にする聖白蓮とは、絵になる姿であろうが壁越しには何も見えない。
だが構わず、少年は深く頭を下げ、静かにその場から離れた。
「終わったよ。いこう」
少しばかり、硬さを残した声でチルノと美鈴にはそう告げられる。
振り向くことも無く、幽霊たちを引き連れて何処かへ向かおうとするその背を、二人は慌てて追った。
墓場の脇を抜け、雑木林の中を突き進み、たどりついたのは里から少しばかり離れたところにぽつんと鎮座する岩であった。
少しばかり離れていると言っても、この方向には特に何もない為、滅多に人は立ち寄るまい。
そんな場所で、少年はカンテラをゆらゆらと揺らしている。
カンテラの中の人魂灯も、当然の事ながらカンテラに合わせて揺れ、幽霊を誘う様がより強くなっているようにも見えた。
もしかしたら、強くなっているのかもしれない。
心なしか、先ほどよりも幽霊の数が増えたような気がする。
そんな様を見て、チルノと美鈴はお互いに顔を見合わせるが、このままでは何も埒が明かぬと判断したのであろう、先ほどと同じようにチルノが意を決して声をかけようとした時である。
「さっきの事だろ?」
先手を取られ、チルノは聊かに面食らう。
だが、聞きたいことはその通りである。
「さっきの幽霊、どうなったんだ?」
「会話の通りだよ、住職さんが供養してくれて、今頃はぐっすり永眠中じゃねぇかな」
永眠。
チルノもそれが意味する事は解る。
解らないのは、少年の行動であった。
モノ言わぬとは言え、この幽霊たちは一緒に悪戯を仕掛けた仲間では無いか。
何故、それを寺に預けて消滅させるような真似をさせるのだろう。
「なんで?」
「そりゃあ、お前、延々と彷徨ってるよりそっちの方がいいだろ」
当たり前のことだ、と言わんばかりの口ぶりにチルノの顔が歪む。
「なんでさ! あの幽霊は仲間だろ!」
「そうだよ、仲間だ」
「じゃあ、なんで!」
「あいつがそれを望んだからだよ」
少年が、岩の上からチルノを見下ろす。
ある種、亡霊らしいとも言える、だがこの少年には到底似つかわしくない、のっぺりとした何も読めないまるで仮面のような顔であった。
「なぁ、チルノ。死なないってどんな気分だ?」
「え、なにさ、突然」
「聞いてみたかったんだ、妖精って死ぬような事でも一回休みで済むんだろ? いずれ復活して、また以前と同じように過ごす……」
「それが?」
「オイラ達亡霊はさ、死んでるんだよ。肉体がどこにあるかなんかもうわからねーし、骨が残ってりゃ御の字なんだろうけど、それでも心も形も生きていた頃と変わらねーでさ」
「良い事じゃん?」
「そう思うか?」
チルノが、思わず足を震わせる。
あのお転婆氷精を怯ませるほど、冷たい視線。
感情など大凡籠っていないような、ぽっかりと空いた底知れぬ闇の如き眼。
それは、夜の冷たさでも、幽霊の霊気でも、氷精の冷気でもないが、確実に場を凍てつかせてゆく。
「おいらさ、もう長い事亡霊やってんだ」
「どのくらい?」
「さぁなぁ、生きてる頃になんか村の連中が年貢が重くなったとか、街で御禁制の事が増えたとか色々いってたのは覚えてるけど。まぁ、そんな事どうでもよくてさ」
少年が視線を外し、何処か遠くを見つめる。
その先には星浮かぶ虚空か、はたまた林が隠す闇の中か。
「おいら微罪なんだってさ、地獄に堕ちる程じゃねぇけど、極楽にも行けねぇ。転生するには優先するのが居るっていうんで、後回しにされてんのさ」
「微罪って、なんか悪いことしたのか?」
「生きてた」
「え?」
「生きてたんだよ、だからそれが悪い事なんだ」
「何それ」
訳が分からぬ。
生きている事が悪い事なのか。
無茶苦茶では無いか。
「生きてるって、ただ生きてるんじゃ人は罪を産むんだぜ、自覚してるか無自覚か大なり小なり程度はあるけどさ。何も考えずぼけっとしてるだけじゃ、罪はどんどん膨れていくんだ」
「でもそれは」
「餓鬼だから、しょうがないって? そんなん人の理屈だろ、仏様の理屈とは違う。それにそれは良いんだ、おいら達は否応なくそういう仕組みの中に入ってる。そいつをどうこう言ってもしょうがない、けど」
ため息が、一つ漏れる。
「おいら一体いつまで待てばいいんだ?」
明らかに、疲れが混じる息。
肉の疲労ではない、心の疲労だ。
亡霊であるが故に、肉の疲労には無縁であっても、心はそうはゆかぬ。
それが、にじみ出ていた。
「転生はいつまで待っても順番こねぇし、父ちゃんと母ちゃんは俺より先に死んでるから賽の河原にも行けやしない。ただただ待ってるだけなんだ」
「冥界は苦痛?」
「そんな事ないさ、なんだかんだ言っていい人達ばっかだし、西行寺のお姫様は優しいし。けど、結局の処、冥界はおいらの終の場所じゃない。待つための場所である事には変わらねぇのさ」
少年は空を見上げる。
まるで天に昇った何かを思い起こすように。
そして事実、思い出語りである。
「70年前の花の異変。今でも思い出す。それまでの異変よりも沢山の人間が死んで、沢山冥界にやってきた、沢山地獄に堕ちて、幾つかは極楽に行った」
地にうなだれる。
心が堕ちたように。
「それでも、おいらは何処にも行けない。何回も見た、そして何回も置いてきぼりだった」
「……だから人魂灯を盗んだの?」
「そうさ。冥界で大人しくしてたってなにも変わらない、ならせめて大いに楽しみ面白おかしくすごしてやろうってな」
「幽霊たちを供養するのは?」
「だって可哀想じゃねぇか。人魂でも魑魅でも木霊でも、ただただ彷徨うだけの精神の発露なんて。だったら最後に存分に楽しい思いをして、それから眠らせたくなるじゃないか」
紅美鈴は、ここでようやく得心が行った。
西行寺幽々子がこれを見逃しているのは、これを憐れんでいるからだろう。
仏の理屈、確かにそうである、生きている間は人の理屈の中に生きようとも、死せれば仏の理屈の元に引きずり出される。
人の理屈と違う場所に、否応なく向かうのだ、背くことも否定する事も出来ぬ。
激しくうねる黄河の中に飛び込めば、どんな泳ぎの達人であろうと流されてしまうだろう、それと同じことだ。
しかして同時に、人の理屈の中で生きて来た者に仏の理屈が苦痛であるという事も変わらぬ。
ましてやそれが200年以上も続き、自分以外の者が次々と去ってゆくのでは心も疲れよう。
冥界の管理者として、この者を労わりたい、しかし、冥界の管理者であるが故に依怙贔屓をする訳にもいかない。
人魂灯の一件を見逃したのも、自らと似たような者を同じように憐れむことが出来る少年の心を知った上での見て見ぬふりという事か。
なるほど、それは管理者の立場からすれば後ろめたいと言えるかもしれない。
「あたい、お前が何言ってるのか全然わかんない」
一方のチルノには納得できない事の様である。
最強の妖精が、言葉に力がない。
「良いじゃないか、亡霊で、何にも変わらず楽しく遊べばいいじゃないか。あたいたち妖精だって、ずっとこのままだけど何にも問題ないよ」
「それは、生きてるからだよチルノ、生きているから、どこにでも行ける、何にでもなれる。ずっと同じのつもりでいて、過去と今と未来は何かが違う。けどおいらは亡霊だ、もう終わってるんだ、終わってるのに何時まで経っても舞台の幕が降りない」
生きている妖精。
死んでいる亡霊。
死から最も遠き者と生から最も遠い者。
同じように此処に存在していながら、二人は余りにも違う。
それをチルノはどう思ったのか。
「そんなの、違うよ。絶対変だよ」
呟く言葉は、誰に向けられたのか。
月と星と闇の世界に、ただ妖しく揺れる灯一つ。
灯に導かれたいのは本当は誰なのか。
解っていても、認めたくなくて。
ただ一つ、両肩に触れる美鈴の手の温かさだけがチルノの慰めであった。
* * *
それから、数日が過ぎた。
チルノと少年と美鈴の関係は少しだけ変わった。
あの日の翌日、少年はどうにもバツがわるそうに「辛気臭い話して御免」と謝り、チルノは「いいって、そんな事」と元気よく返した。
実に簡単な仲直りで、二人と幽霊たちはあれからまた方々で遊び惚けている。
ただ、すこしばかり空元気だな、と美鈴は思う。
チルノの中に巣食った不安が、チルノを余計に明るく振る舞うように駆り立てているようにも見える。
それも仕方がない事だろう、友人の終わりを待つ心持を聞かされては、その暗き想いをそう簡単に払拭はできまい。
かくいう美鈴とて、二人に対してあまり強く小言を言わなくなった。
美鈴の中にも憐憫が鎌首をもたげ、それがどうにも言葉の邪魔をするのだ。
我ながら、甘いと思うが性分故にいかんともしがたい。
甘い、と言えば今もそうである。
「そぉりゃ! アイシクルフォール!」
「よーし、チルノの援護に合わせて突撃ー!」
広く響く幼い声。
空を奔る氷撃と幽霊の弾丸。
もちろん、チルノと亡霊の少年である。
では処は何処か?
これがまさかの紅魔館であった。
勿論、館の中でも敷地の中でもない、あくまで美鈴が守る門前ではある。
「よっと」
軽い動作で、両手を後ろに隠し蹴りの一つで極彩色の弾幕が放たれる。
その悉くが氷撃を粉砕し、幽霊を蹴散らす。
弾幕ごっこの決闘様式とも言えぬ、まさにお遊戯そのものであるが、これがやってみると中々に熱い。
本来ならば、門番としてあしらうのが良いのだろうが、なんというかそれもまた今更である。
「さぁて、まだやる気かな?」
「もっちろん! その門は通させてもらうよ!」
「へっへっへ、噂の吸血鬼にちょいとご挨拶さ」
「んー、それは私が怒られるからやめてほしいなぁ」
思わせぶりに、丁度ヒートアップしかかった頃を狙って隠していた手を表に出す。
持っていたのは、何の変哲もない袋が一つ。
しかしそれでは終わらない、更に更に、袋から取り出したるは……
「あ!」
「月餅だ!」
そう、丸くて香ばしさが香るようないい色合いの月餅であった。
「悪戯しない良い子には、この月餅を用意してたんだけどなぁ、門を超えようとするような悪い子にはあげられないなぁ」
思わせぶりから、今度はわざとらしく月餅を見せびらかして二人を釣る。
さぁてどうなるか、と賭ける必要もなく、反応は解りきっていた。
「はい! 降参します!」
「だから月餅頂戴!」
「よろしい、それではこれから戦利品を配布します」
わぁい、と諸手を上げて喜ぶ子供。
攻められていた側が戦利品を渡すとはどうにもおかしな話であるが、まぁこういうモノはその場のノリと勢いである。
二人が楽しそうならそれでよいのだ。
「「いただきまーす」」
口をそろえてパクリと一口。
ただでさえにこにこと笑っていた顔が、それでますます幸せそうに緩むのだ。
「おいしい!」
「胡桃入ってる!」
「あ、いいな、おいらのは干し柿だよ」
「干し柿? 一口頂戴」
「いいよ、胡桃もちょっとくれよ」
「おう、一口だけね」
お互いの月餅を分け合って、微笑ましい事この上なし。
これを見れるのであれば、久々に月餅を焼いた甲斐があるものだ。
美鈴自身も、月餅を齧りながら微笑んでいた、その時である。
「見つけたわよ」
美鈴でも、チルノでも、ましてや少年のモノでもない声が響いた。
何者か、と視線を向けた先には、白い剣士が佇んでいる。
そしてそれを認めた瞬間、少年が「ひぇ」と首を竦めた。
「おや、妖夢さん」
「どうも、今日は」
冥界・白玉楼の庭師にして剣士、魂魄妖夢は美鈴に対して軽く頭を下げる。
軽くと言っても、その動作には無駄が無く、見れば中々に気持ちの良いものであった。
しかし、それも第三者にたいしてこそ、と言わんばかりに、妖夢は少年を睨みつける。
「貴方ね、白玉楼から人魂灯を盗み出したのは」
少年は、腰に揺れるカンテラを手にして一歩後ずさる。
「さぁ、おとなしくついてきなさい。そうすれば手荒な真似はしないわ」
物言いは物騒であるが、なんという事は無い、要は西行寺幽々子がそろそろ人魂灯を戻す頃合いであると判断したのであろう。
憐れみがあるとは言え、人魂灯は冥界の宝、先の緋想天異変の折もそうであったが長々と他者に貸し出す訳にもいかない。
美鈴としてはそのあたりの事情を十分に察せられる為、特に口出しすることも無い。
少年を連れて帰るのは妖夢の務め、美鈴がどうこう言う事では無いのだから。
ただ、それでは済まさぬ者が一人いた。
「帰れ!」
怒号一擲。
放たれた氷塊を、しかして白刃が一刀の下に斬り伏せる。
互いに煌く白と白。
だが睨みあうのは白と水色。
「なんのつもり?」
「うるさい、冥界に帰れ!!」
眉根を顰める妖夢に対し、チルノはいかにも牙を剥いて飛び掛かりそうである。
まるで獅子か虎……とは言い過ぎにしても、並々ならぬ猛り具合。
それを前にすれば、妖夢が刃を向けるも致し方のない事。
「チルノ、よせ!」
「アンタは下がってて!」
尋常ではない空気に触れて、少年がチルノを止めようとする。
だがチルノは聞き入れない、まっすぐに妖夢を睨み、一戦交えるつもりなのが明白であった。
「できれば、怪我はさせたくなにのだけれど」
「うるさい! こいつは、こいつは渡さないんだから!!」
吠えているのか。
ただ少し、啼いているようにも聞こえる。
「ずっーと、ここで一緒に遊ぶんだ、どこにも行かせてやるもんか!! ましてや冥界なんかに返さないぞ!!」
チルノの周りに、白靄が立ち込め始める。
そこまでに奮起し、力を震わせているのだ。
妖夢も、楼観剣を下段に構え、心魂整え刃を制す。
お互いの、その気迫が触れ合おうとしたまさにその瞬間である。
轟、と大気が唸って影が瞬く。
大股開いて弧を描き、大地揺らして叩きつけるは、鋭く重き踵落とし。
偃月刀と見紛うその一蹴、切先以て何を斬る。
首が落ちるか唐竹割か。
否、命脈断たずに気勢を断つ。
即ち剣士氷精その狭間、一触即発その気を葬むる。
見事な一撃誰のもの。
問うは愚かと心得よ。
兵法武芸者数多けれど、練りに練ったるこの功夫、会得したるは只一人。
貔貅の如しと誉れも高き、姓は紅、名は美鈴。
紅魔自慢の門番ぞ。
「んなっ……」
間を外された妖夢が、少しばかり抜けたうめきを上げ、美鈴の方はというと涼しい顔で姿勢を正す。
薄い煙が天に上るかのような、ゆるりと、しかして速さを伴う動作には武芸者ならば見惚れるかもしれぬが、妖夢からしてみればそこはまずどうでもよい事であろう。
「なにをするんですか!」
「いえ、まぁ、なんといいますか、馬に蹴られてなんとやらという故事に則ってみようかと」
「は、はぁ?」
「馬と言っても私は馬じゃありませんし、馬の様に走ったことも無ければ馬の様に働いたこともありませんので、馬の蹴りというのは実はよく分からないのですが」
「えぇっと、ちょっと何を言っているのか」
「あぁ、要するにですね」
みょんな物言いにすっかりペースを握られた妖夢が困惑する中、美鈴はちょいと悪戯じみた笑みを浮かべてこう言った。
「すこしばかり時間をくださいな」
言うが早いか、光が生まれる。
紅美鈴の功夫に並ぶ代名詞、虹に輝く弾幕である。
だがしかして放たれる先は妖夢ではない、美鈴の手元で弾け眩く光って辺りを包む。
これはたまらぬ、と妖夢が思わず目を閉じ光よりを遮った。
同時にしまった! と臍を噛むがもはや手遅れ。
光が納まったその時には、美鈴もチルノも、そして少年もすっかり姿を消して、幽霊たちと妖夢だけが取り残されていた。
かくて虹蛇空を飛ぶ。
小脇に小さな、まごう事無き幼き心を抱きかかえ。
降り立ったのは、どうという事は無い、紅魔館からも左程に離れていない林のはずれである。
そこでチルノと少年を降ろすと、あっという間の出来事に呆気にとられていた二人の顔が尊敬に染まる。
「す、すっげぇや姉ちゃん……」
「さすが美鈴だな!」
あっという間の、鮮やかな出来事だからこそ、二人は美鈴の妙技に惚れ惚れするのだ。
そうなれば、美鈴とてそれなりに自慢げにはなる。
口には出さぬが、背を伸ばして胸を張れば、その様も解りやすいというもの。
「助けてくれてありがとな、姉ちゃん」
「あら、別に助けたつもりはないわよ」
胸を張ったまま、さりげない一言にチルノと少年は顔を見合わせる。
助けたつもりは無い?
今しがた、妖夢から助けてくれたじゃないかと。
美鈴は二人を交互に見つめながら、こう切り出した。
「頃合いよ、人魂灯を返して冥界に帰りなさい」
「……姉ちゃん」
「持ち主が返してと言っているものを、いつまでも返さないのは悪戯じゃなくて悪行よ。宝ならば尚更ね」
少年が、人魂灯を納めたカンテラを手に取る。
じぃっと、あの不思議な焔を見つめ、そして小さく頷いた。
「うん、判った。おいら冥界に帰るよ」
「ちょっとまってよ!!!!!」
鋭い悲鳴が上がる。
少年はその悲鳴の主、チルノに向き合う。
「なんでさ、帰る事無いじゃん! まだまだ遊ぼうよ!」
「そうは言っても、庭師の姉ちゃんきちゃったし」
「関係ない!」
悲鳴は続く。
そう、悲鳴である。
怒声でも脅しでもない。
声を震わせ大きくして、その身いっぱいの焦りと恐れ、それがありありと顕れている。
「取り戻しにきたなら逃げればいいよ、連れ戻しに来たならやっつけちゃおうよ!」
「無茶言うなよ」
「無茶じゃないよ! 出来る!」
「無理だよチルノ、どんな事にも終わりは来る、今、もう終わったんだ」
「終ってない!!!」
一際大きな悲鳴が上がり、チルノの目がジワリと滲む。
「終ってない、遊ぶんだ、ずっとずっとずーっと、一緒に遊ぶんだ。どこにも行かせないよ、絶対に終わらせるもんか」
涙が膨らみ、気持ちも膨らむ。
ここまで来て、弾けてはいない。
今まで覆い隠していたものが、表に出て来ただけの事。
けれども、爆発寸前なのは目に見えて、とうとう本音が飛び出した。
「待つことなんかないよ、置いてきぼりになんかしないよ、どこにも行けないなんてないよ、あんたはここにいるんだ、アタイと一緒にいるんだ!」
「チルノ……泣いて、いるのか……?」
「あったり前じゃないか!! あんたが居なくなるなんて、アタイは嫌だ!!!!」
少年の顔が呆気にとられる。
チルノの言葉が、まるで予想だにしていなかったかのように。
すこし、ほんの少し、間を開けて少年はチルノの心を噛み締める。
「そっか、チルノ。泣いてくれるんだな、おいらの為に。憐れむじゃなく悲しんでくれるんだな」
カンテラから手が離れ、指先がチルノに触れる。
涙の先を優しく撫で、果てなく冷たく、だがしかし暖かなそれを拭う。
「ありがとう、チルノ」
少年が笑った。
見慣れているのに、初めて見るような、透き通った氷を朝日に翳してみたかのような善い笑顔だった。
「チルノ、おいらやっぱり帰るよ、帰って人魂灯を返す」
「なんで……」
「おぉっと、勘違いするなよ。人魂灯を返したらまだすぐに戻ってくるからさ!」
腕を組んでふんぞり返り、まるで出会ったあの時の様。
「へっへっへっ、今度は人魂灯無しの悪戯やろうぜ。あの幽霊たちも直に回って集めてさ」
「でも、冥界がなんていうか分からないじゃん」
「はン! たとえ西行寺のお姫様がどういおうと、おいらにゃ関係ないね!」
からから笑い、いっちょ前の悪党を気取る。
「おいら、何があってもチルノの処に戻って来るぞ。地獄の閻魔様だって止められるもんかい!」
悪党なれば見得を切ろう。
格好つけて大笑い。
しかして伊達には終わらせぬ。
「ほんとう?」
「勿論さ、だって……」
にっこりと、まさに子供の様な正しい笑顔を見せて少年は詠った。
「おいら、チルノの事大好きだからな!」
チルノは目をぱちくりと、先の少年と同じように予想もしていなかったような感じで。
大好きだっていう、とっても気持ちのいい言葉を、チルノも友達誰にでも抱いている言葉がとても深く響き渡る。
なぜか熱くなる胸の意味をさほどに理解はせず、けれども言うべきことは解っていた。
「うん、アタイも、お前の事大好きだ!」
そして二人は手をつなぐ。
今日はバイバイ、また明日。
冥界からの召喚など何吹く風と、当たり前の約束をして。
それが、たまらなくうれしかった。
「うん、善哉善哉」
近くの木に背を預け月餅を齧りながら、美鈴は深く頷く。
なるほど、こうなれば西行寺の差配も間違ってなかったであろう。
「あの、そろそろいいですか?」
ひょいと、木陰から顔を出すのは魂魄妖夢である。
「あ、もうちょっと待ってもらえますか?」
「はぁ……」
気の抜けた声を出しながら、妖夢は微笑みあう二人を眺めた。
「なんか、その、大事っぽく言ってますけど、幽々子様の様子からして白玉楼の雑巾掛け一カ月とかで済むと思うんですが」
「いいんですよ、盛り上がってるんですから」
「はぁ……」
イマイチ事態が呑み込めていない。
「……もしかして、私って損な役回りだったりします?」
「……月餅食べます?」
「あ、戴きます」
美味しい月餅を一口齧り、妖夢は首を傾げるばかりであった。
* * *
またでたよ
そんな噂を耳にする。
霧の湖に幽霊の群れが現れるという噂。
そしてそれを引き連れる亡霊と妖精。
幻想郷では珍しくもない、そんな噂。
ねぇねぇ今度はどこに行く?
どこでも良いよ、どこでだって楽しいよ。
そうだね、二人一緒なら。
うん、二人一緒ならどこにでも行けるよ、そこが二人の居場所だよ。
耳をすませば聞こえてくる。
噂話では聞けない、優しい会話。
門前の紅き竜子は、そんな会話を楽しみながら、踊りあう二つの影を見守っているのであった。
悪行積めば地獄へと
大人から子供まで皆が知ってるお話です。
そうは言えど人とは愚かなもので、地獄に行くと解ってて尚、悪行怠惰を重ねてしまうのもの。
そういう者ほど、死後の世界においても馬鹿な悪知恵を絞るのです。
けれども、神様を騙せるなんてできようはずがありません。出来たとしても手痛いしっぺ返しを食らうのが関の山。
死しても地獄行きたくないが、善行勤勉は面倒くさい。
そんな半端者に課せられるのは悪魔も憐れむ永久なる放浪。
さぁ、また闇夜が始まります。
目を凝らして暗がりを見つめ、ぼぅっと浮かぶ怪しい炎。
天にも昇れず獄にも堕ちれぬジャック・オ・ランタンのお出ましでございます。
* * *
またでたよ
秋がこの上なく深くなる頃、こんな会話が幻想郷のあちこちで聞こえるようになっていた。
『またでた』それは妖魔妖怪が跋扈する幻想郷ではよく聞く言葉だ、珍しくも何でもない。
そう、人が口にするならば珍しくはない。
ならば、人でない者が口にすればどうだろう。
妖怪・妖精の類が、額を突き合わせひそひそ声で噂するのだ。
あるものは、人間を驚かせようとした処、別の何者かに驚かされた。
あるものは、人間を痛めつけようと罠を仕掛けた処、何者かに背中を突き飛ばされて自分が罠にかかってしまった。
あるものは、人間を惑わそうと術を掛けた処、何者かの声に脅されて人間が術にかかる前に逃げてしまった。
兎に角、何か悪戯を仕掛けるとそれを妨害してくる何かがいるのだ。
ケタケタと笑い声がして、探そうとすると姿が無い。
幽かに怪しい火がチラつくのみである。
いずこかの妖怪妖精には違いないだろうが、幻想郷の妖怪で妖怪に悪戯をする者など聞いたことがない。
そうすると外から来た未知の妖怪という事で、妖怪でありながらなんとも言えない不気味さを感じるのだ。
「これは由々しき事態ね!」
ふんすと鼻息荒く、腕組みするのは湖上の妖精チルノである。
妖精とは自由気まま勝手気まま、面白おかしく日々を過ごす者とチルノは常々考えている。
人間を揶揄ったり思いっきり大暴れしたり、それは妖精のライフワークなのだ、それを妨害しようとはとんでもない奴がいたものである。
これは妖精代表・妖精最強を自認するチルノとしては見過ごすことはできない。
「なんとかしてとっちめてやらなきゃ!」
「はぁ……それで、なんでここに?」
息巻くチルノを前にして、どうにも話が呑み込めないのが紅美鈴である。
美鈴も屋敷のメイド妖精伝手にその話は聞いている。
しかして、所詮が妖精や童形の妖怪の話で、紅魔館には何にも関りがない。
体つきも性格も子供な主が居るが、あれはあれで分別がついていて下らない悪戯に興じたりはしないものだ。
なので、美鈴も「まぁ、そういう事もあるのだろうな」程度にしか思っておらず、突然氷精がやってきて、件の話をすれば首を傾げるのは不自然でも何でもない。
「捕まえるの手伝ってよ」
「えぇ? 私が?」
「そう、どうせ暇でしょ?」
「暇だけど門番しなきゃ」
「暇ならする必要ないじゃん!」
「暇かどうどうかは別としてやるのが仕事なの」
「意味ないじゃん」
「仕事をやってるって意味があるわ」
「変なの」
話がかみ合わぬ。
先にも述べた通り、チルノにとって好き勝手するのが信条で、そうなると自分の時間を自分以外の為に使うとなると相応の理由が要るのだろう。
ある種、これも一種の合理主義といえるかもしれないが、紅魔館の一員である美鈴にとっては紅魔館の都合を優先するのが当然で、その手の合理主義とは離れた場所にいるのだ。
館のメイド妖精たちが殆ど仕事で役に立たないのに雇ってるのもまぁ、そういう理由である。
つくづく、ちゃんと仕事をするゴブリン達が来てくれてよかった、彼らのお陰で色々と館には余裕が生まれたのだから。
まぁ、それはそれとして館に余裕があろうとなんだろうと、紅美鈴の仕事は門番である、門番をおいそれと離れるわけにもいかぬ。
「なんで私に?」
「美鈴、人間に見えるじゃん」
「んん? どういう事?」
「だからさ、美鈴が囮になるの、あたいが美鈴に悪戯しかけるフリをして、犯人をおびき寄せるのよ!」
「へぇ、考えたじゃない」
単純な作戦ではあるが、悪くはない。
何処にいるかわからないというなら、誘って釣り上げるのは定石である。
「でも、それなら私でなくてもよくない? 人間に見えるよりも人間の方が餌としては都合が良いでしょ」
「魔理沙に言ってみたよ」
「……断られたわけだ」
「『殴られるのはごめんだぜ』って」
「どーゆー悪戯する気なのよ」
「こう、アイシクルソードで後ろからガツンと」
「そりゃあ、断られるわ」
「んで、魔理沙が美鈴なら後ろからでも受け止められるから良いんじゃないかって」
「一応聞くけど、霊夢……」
「あたいが一回休みになっちゃうじゃん!」
どういう霊夢観なのかと言いかけて、霊夢ならばやりかねないとも思わせてしまうのが博麗霊夢という巫女だ。
アレもアレで分別はあるはずなのだが、絶対にと言い切れない難しい巫女である。
「美鈴なら気配を感じるのも巧いから、犯人が近づいてくるのも解るかもしれないじゃん」
「それも魔理沙が言ったんだ」
「うん」
「うぅーん」
美鈴としては、正直、妖精たちがどうであろうとどうでも良いのだが。
さりとてこう頼まれると無下にするのは心苦しい。
「ま、いっか。いいよ、協力するわ」
「よぉし! ありがとう」
そして大した葛藤もなく、あっさりと承諾する。
どうでもよい事柄であるならば、引き受けて力になるのが良いではないか。
そう思えるのが紅美鈴の性分である。
門番が勝手に離れるのは問題だが、要は勝手に離れなければいいのだ。
なのせ主の鷹揚な性分である、話をすれば「いいんじゃない?」ぐらいのノリで許可を出してくれるだろう。
そうして、予想の通りそうなった。
* * *
さて、罠を仕掛けるにしても策のみでは片手落ち。
策を行う時分と場所を選ばねばならない。
あれやこれやと聞き込みをした結果(ちなみに、美鈴がやった)どうも夕刻の人里近くに出没しやすいらしい。
夕刻と言っても何分この時期は日が落ちるのが早く、薄暗いを越しているので夜との区別がつかないのだが。
なにはともあれ、策と場所と時間が決まれば後は忍耐辛抱の勝負である。
やったところで周囲に敵が居なければ無意味も良い処、まずは敵がいるかどうかを確かめなければ。
「ねえ、美鈴」
「しっ。静かに」
人を装うために、いつもの旗袍ではなく、動きやすいもんぺ姿の美鈴はチルノと共に茂みに隠れて周囲を伺う。
物音・気配・空気の動き。
妖精妖怪が取り逃がす謎の存在である、いかに被害者が下級童形とは言え油断はできない。
一方のチルノは、やはりじっとしてるのが苦手なのか、きょろきょろと辺りを見渡して藪を騒がせるし。
今か今かとまちきれず、時折こうして美鈴に声をかける。
さて、そんな繰り返しでいかほどに時間が経ったのか。
今日はもうダメか、流石に初日でかかるほどに巧くはいかぬかと、二人がそう思い始めた時である。
「! 来た」
「ホント?」
「何かの気配を感じる……人間じゃない」
「よし! 美鈴、行こう!」
「うん」
手筈通り、美鈴が茂みからするりと抜け出す。
ちょっとした動きでも物音を立てそうなこの茂みを静寂と共に抜け出すとはいかなる体術であろうか。
体についた小枝木端も手早く払って、美鈴は夜道を歩く娘を装う。
そして感じるのは、視線だ。
チルノ以外の何者かが、美鈴に視線を向けた。
じっと見ている、ついてくる。
間違いない、掛かった。
その刹那。
チルノが思いっきり茂みから飛び出して、手にした氷の剣で美鈴に襲い掛かる。
最後の仕上げ最終確認。
これで、チルノに仕掛けてくれば十中八九のどんぴしゃり。
二人はこの気配が犯人であると確信しているが、それでも証拠が必要なのだ。
しかして、正しく気配がチルノに飛び掛かるのを美鈴は察知する。
「チルノ!」
「うぅぉりぁああ!!」
タイミングをしっかと捉え、美鈴が放つ合図と共に、裂帛の気合を以てチルノはくるりと一回転。
いくつかの異変において頼りになった、自慢の技である。
美鈴も切っ先を難なくかわし、氷の剣はチルノの真後ろを薙いだ。
「うわぁ!?」
上がる驚きの声。
それに対して剣を突きつけ、チルノはニヤリと笑う。
「よーやくみつけたわよ!!」
「……あーあ、見つかっちゃったか」
その場にいたのは、年端も行かぬ少年であった。
無論、人間ではない。
かといって妖怪でも、妖精でもない。
「亡霊?」
美鈴が呟く。
そう、亡霊である、子供の亡霊だ。
しかして、亡霊ならば納得できる。
亡霊ならば、妖精妖怪の目を逃れるのも不可能ではないだろう。
少々難しいが物をすり抜けるのも出来るのだから、不意を打って一目散で逃げれば良いのだ。
タネが判れば話は簡単。
幽霊の正体見たり枯れ尾花というが、この場合は謎の正体見たり亡霊小僧と言ったところか。
「へへへへ、やるじゃんチビに姉ちゃん」
「あたいはチビじゃない! チルノって名前がある!」
「へぇ、そうなんだ」
まるで興味無い振りをして、小馬鹿にした態度が見え隠れする。
わかりやすいぐらいに子憎たらしい悪童のそれだ。
「なんでこんな事するんだ!」
「楽しいからに決まってんじゃん」
「妖精を困らせるのが愉しいのか!」
「ははははは、妖精がそれを言うかい」
亡霊は高らかに嗤う。
「妖精だって人間に悪戯しかけるだろ、おいらだってそれと同じさ」
「悪戯するなら人間にやればいいじゃん」
「はん、人間に悪戯しても何が面白いんだ。すぐに引っかかるし反応も飽きちまった」
「だから妖怪妖精に?」
「そうだとも、人間を騙して惑わして虚仮にして、さぁこれから嗤ってやろうってその瞬間に一発喰らわせてやると、目論見はずれてすっごい間抜け面するんだぜ、それの面白い事面白い事!」
「性根の曲がった奴め、こらしめてやるわ!」
「出来るものならやってみな!!」
少年は手にしていたカンテラの窓を開ける。
カンテラから漏れたのは、なにか尋常ではない怪しい光だ。
美鈴は光に一瞬戸惑うが、完全に頭に血が上っているチルノはお構いなしに少年に向かってゆく。
不敵な笑みを浮かべ、少年は光を揺らして高らかに叫ぶのだ。
「さぁ、皆! 寄ってきな!!」
何をする気か、と問うより前に白い陰が二人の鼻先をかすめる。
「わわ!?」
「何!?」
チルノは思わず驚いて尻もちをつき、美鈴がそれを助け起こしつつ周囲を見渡すと、そこにはいつの間に集まったのか、複数の幽霊が漂っているではないか。
しかもこれで終わりではなく、あちらこちらから幽霊が近づいてくる。
「なんだコレ、あいつの能力?」
「……いえ、違う」
美鈴は再び、少年のカンテラに視線を向ける。
あの、怪しく揺れる光。
ただの火の光ではない、なにか魔法の力が宿った光だ。
そして美鈴はその光に見覚えがある、たしかあの天人が騒動を起こした時に西行寺幽々子が用いていた、そう……
「人魂灯ね! 幽霊を集める光!」
「……なぁんだ姉ちゃん知ってたのか」
得意満面より一転、折角の仕掛けのタネをバラされて、興ざめだと言わんばかりに不満げな顔をする。
「どうしてそれが? たしか白玉楼の宝でしょう?」
幽霊を集める光など、当然地上にはない。
魔法使いであれば似たような性質の光を造れるかもしれないが、少なくとも美鈴が知っている魔法使いはこのような悪戯に技術を貸す程安くないだろう。
だとすると、その光は何処から手に入れたのか。
それを問うと、少年は不満げから更に一転、腕を組んでよくぞ聞いてくれましたとしたり顔の笑顔である。
「へへへへ、決まってんじゃん。白玉楼から盗んできたのさ!!」
「は、白玉楼から!?」
「マジで!?」
まさかの答えに、チルノも美鈴も唖然とする。
冥界の管理を任されたる白玉楼から、宝を盗み出すような輩がいるなどと夢にも思わぬ。
ましてやそれが亡霊と言えど童などとは。
「あ、貴方なんてことを」
あの夏の異変においては、幽々子のみならず他の者も人魂灯を用いた。
しかし、それはスペルカードルールにおける決闘故の、敗者は勝者に一つ道具の使用権を貸すという双方合意上での出来事である。
盗むのとは話も訳も違う。
これはいかぬ、騒動迷惑は幻想郷の華と言え、いくらなんでも驚天動地の一大事。
人魂灯を取り戻さねば、そう美鈴が思いかけたその時であった。
「す……すっげえええええええぇぇぇぇ!!」
大凡、感動とはこういう事なのだろうと万民が認めるような心の底からの感嘆の声を上げたのは誰であろうチルノである。
「なぁなぁなぁなぁ! お前、本当に白玉楼から盗んだのか!?」
「嘘を言ってると思うのか?」
「思わない、だってコレ本物だろ!?」
興奮興奮大興奮。
人魂灯が収められたカンテラを思わず手に取って、チルノは少年に尊敬のまなざしを向けていた。
そうすると、少年はますます胸張って応えるのだ。
「庭師の姉ちゃんも白玉楼のお姫様も、ぽやっとしてるようで以外に鋭いからすっげぇ苦労したんだぜ」
「アタイもあいつらの事知ってるぞ! 最強のアタイも認めるぐらいに強いのにすごいなお前」
「ふふふ、真正面から喧嘩しなきゃいいのさ。じっくり潜んでひっそり待って、油断した処を掠め取る! 基本だろ」
「おぉ、まるでドロボウみたいだな」
「大盗賊、と言ってくれ」
「かっちょいー!」
さてはて捕まえると息巻いていたのは何処へやら、チルノと少年はすっかり意気投合である。
陽気の権化たる妖精と、悪童究めたようなこの少年ではウマが合うのであろう。
「よぉーし、決めた! アンタをあたいの相棒にしてやるわ!」
「相棒?」
「そうよ、アンタ、人間相手の悪戯は飽きたんでしょ?」
「まぁな」
「じゃあさ、アタイと一緒にもっとデカい獲物狙おうよ」
「へぇ……?」
少年の目が好奇に輝き、美鈴の背筋には嫌な予感が奔る。
「幻想郷には偉そうにしてる奴らが沢山いるわ。博麗の巫女に白黒魔法使いにチビ吸血鬼に竹林の宇宙人に……とにかく、そいつら相手に仕掛けてやるのよ」
「ふぅーん、その代わり、妖精やガキ妖怪には手を出すなって?」
「そうよ。そっちの方が面白いでしょ」
「なるほどねぇ」
「ちょ、ちょ、ちょ、まちなさい!」
唐突に、なにやらとんでもない悪だくみを始めた二人にさしもの美鈴も焦りだす。
巫女に魔法使いに喧嘩を売る?
いくらなんでも危険すぎる。
「何、危ない真似しようとしてるの!」
「ダイジョーブダイジョーブ! アタイ最強だから!」
「だ、だいじょうぶじゃなくて」
「なぁ、チルノって言ったか?」
「うん」
「お前、度胸あるな」
「まぁな!」
「いいぜ、その話、乗った! 二人で幻想郷中を驚かせてやろうぜ!!」
「よぉーっし! やるぞー!!」
「あぁ……もう……」
どうやら、そういう事になってしまったらしい。
美鈴としては困ってしまってなんとやら。
別段、、幻想郷の面々の心配をしているわけでは無い。全くしていない訳でも無いが。
何よりも不安なのは、この二人自身の事である。
なにやら調子に乗っているようで、下手な事を起こして厄介事に飲み込まれてしまうのではないかという懸念がある。
「あの、二人とも?」
「まずはどこがいい?」
「やっぱ鉄板は博麗神社じゃねーか?」
「なるほど、アタイもそう思ってたんだ!」
ダメだ、全く話を聞こうとしない。
美鈴は天を仰ぎ、どうしたものかと悲嘆に暮れてしまった。
* * *
天を仰ぎ悲嘆に暮れたとは言っても、やはり何もしない訳にはいかない。
そう考えた美鈴は、翌日、仰いだ天を目指した。
行き先は天にありし冥界の白玉楼である。
なんとか人魂灯を没収できれば、二人とも冷静になってくれるのではないかと考えたのだ。
……あのチルノに冷静という言葉があるのかという疑念はさておき、捨て置くわけにもいかない。
なればまずは人魂灯の本来の持ち主である西行寺幽々子を頼ろうという訳である。
紅魔館と白玉楼はさほどに親しい訳でも無い為、さて望み通り面会相成るかと少しばかり心配したが、意外なほどあっさり客間へと通された。
そうして好い香りのする茶に手も付けず、主人の到着を待つ。
「待たせてしまってごめんなさい」
ゆったりとした、春の花の香りのような声と共に障子が開かれる。
声の主は確かめるまでもない、白玉楼の主・西行寺幽々子であった。
齢千年を超える亡霊を前に、美鈴は改めて姿勢を正す。
西行寺幽々子という人物は、まさに典雅の化身である。
紅魔館の主たるレミリア・スカーレットも言動が子供じみている為に軽んじられやすいが、その立ち振る舞いには確かな育ちの世さを感じさせるものがある。
骨の在り方からまず貴人であるのがレミリアという人物だと美鈴は常々思っているが、西行寺幽々子もそれに勝るとも劣らぬ。
歩き方ひとつ、話し方ひとつ、そればかりではなく気の振わせ方・視線の輝きに至るまで、気品に溢れている。
ただの年月の積み重ねでこうはなるまい。
ともすれば、元は人などではなく、尊きという概念そのものから生まれたのではないかと思わせ、そう思えば否定も出来ぬ、それが西行寺幽々子という人物なのだ。
「貴女がここに来るなんて本当に珍しいわ」
「はい、その、少しばかり問題が起きまして」
「……人魂灯ね?」
事も無げに用件を口にする幽々子に対して、美鈴も至って冷静に頷く。
「やっぱりお気づきだったんですね」
不思議な事とは思わぬ。
あの少年が言う通り、西行寺幽々子は悠長なように見えて目端の利く鋭い性格をしている。
屋敷のものが盗まれて、知らないという事はまずありえないだろう。
「それで、どういう経緯であの子に会ったのかしら?」
「もしかして、盗んだ犯人にも心当たりが?」
「えぇ、前々から悪戯者だとは知っていたのだけれど、まさか私たちの目を掻い潜ってこんな事できるなんて、驚きだわ」
「呑気な事を仰らないでください」
「ふふっ、ごめんなさい」
幽々子は袖で口元を覆い、ころころと笑う。
「……あの子が、妖怪や妖精の悪戯を妨害してた処を、私とチルノで捕まえたんです」
「あら、あの氷精も絡んでるのね」
「はい、それで、その……二人が意気投合してしまいまして」
「なるほど、それで今度はもっと大掛かりな事を企み始めたというのね」
「御明察です」
ここまでくれば話は早い。
幽々子の手にて人魂灯を取り戻してはくれまいか。
美鈴が強引に奪うよりも、冥界の事は冥界の者が片を付けるのが最も穏便に話が進む。
「そう心配する事も無いと思うわ」
「心配する事は無いって……二人が怪我でもしたらどうするんです」
「二人の心配をするのね」
「勿論です」
妖精は死に至っても完全には死なない、いずれは復活する。
これを彼女たちは一回休みと呼んでいるが、だからと言って死んでよいと美鈴は思わない。
死なないから何をしても良い、どうなっても良いなどというのは邪魔外道の考えである。
死ななくとも痛いものは痛い、辛い事は辛い。当たり前のことではないか。
「確かに、人魂灯を取り上げたら大人しくなるでしょうね」
「はい、ですから」
「……もう少しばかり、自由にさせてあげられないかしら」
「何故です?」
「そうねぇ……」
幽々子は、茶で口を湿らせ一息つく。
「あの子、もう長い事冥界にいるのよ」
「どの程度」
「少なくとも、稗田の先々代の頃から」
「すると、かれこれ260年は」
「そういう事になるわ」
「先ほど、悪戯者と仰いましたが」
「それはもう。以前は大人しい子だったのだけれど、どのくらい前かしら……前の前の花の異変ぐらいからかしら、あちらこちらで悪戯三昧、冥界では少しばかり有名なのよ?」
「大人しかった頃が?」
「えぇ、其の頃は、よく屋敷の手伝いをしてくれたりもしてたわ」
「少し、想像できません」
「ふふっ、でしょうね。言った通り、この頃は悪戯者だもの。ただ……あの子、決して人が本当に困るような悪戯はしないの。引き際を弁えてると言っていいのかしら」
「危ない事はしない、と?」
「それもあるのだけれどね」
はぐらかす、という感じではあるまいが、どうにも本質を口にしない。
「言の葉は……」
「?」
「言の葉は、意思を伝えるに最も一般的な手段ではあるけど、言の葉によって伝えられたからこそ誤ってしまうという事があるわ」
「私自身の目で、あの子を確かめろと」
「……まぁ、格好つけては言ってみたものの、私もちょっと後ろめたい事があるのよねぇ」
ふむ、と美鈴は思案する。
自分の意思と、幽々子の言、どちらを取るべきか。
あの二人の事を思えば、いますぐ人魂灯を取り上げるべきだ。
だが、幽々子はそうではないという。
後ろめたい事とは何か判らぬが、あえて口に出すのであれば決して悪様な事ではあるまい。
「……わかりました、西行寺様がそう仰られるのなら」
「ありがとう、紅娘々」
深々と頭を下げる西行寺幽々子に、美鈴もまた首を垂れて応える。
貴人の謝に謝以外を以て応えるは不敬の極み。
それと同じく、冥界の事を冥界に解決を願った上で、冥界の思慮を無下にするのも筋が通らぬ。
故にこその結論であった。
「でも、安心したわ、あの子が貴女や氷精と縁結ぶなんて。安心して任せられるもの」
「私としては、遊ぶにしても穏便にと思うのですが」
「ふふふ、あの子たちにそれは無理な注文よ」
「ですね」
片や微笑、片や苦笑。
笑みは違えど同じように茶を喫し、さてはてここに白玉楼の会談は終幕と相成った。
* * *
では、かように紅美鈴を悩ませる問題児二人組はその頃どこにいたのかというと。
あろうことか幻想郷の東端、すなわち博麗神社である。
秋らしく紅葉枯葉の舞う境内にて、これまた秋らしく箒で清めるのは最早説明無用の無敵巫女・博麗霊夢その人であった。
二人は神社の屋根からこっそり覗き込み、様子を伺ってからお互いに頷き合う。
そうして、少年が見つからぬように屋根の奥に身を隠し、対してチルノは誰もが知る妖精らしい勢いで飛び出すのである。
「やい、霊夢!」
「ん? んーなんだ、チルノじゃない」
血気盛んと言わんばかりに意気込むチルノに大して、霊夢は面倒くさい奴が出てきたと言わんばかりに徒労感が溢れている。
「何よ、何か用? 今、掃除してるんだから邪魔しないでよ」
「へっへっへっ、アタイを前にいい余裕だね」
「正直、アンタの相手もそれなりに飽きてきた処よ」
「そんな事言ってられるのも今の内だ!」
いうが早いか、チルノはお得意の氷弾を撃ち出す。
妖精最強の呼び声に恥じぬ鋭さであるが、霊夢は「はぁ」とため息一つ、手にした箒をくるりと廻し、たったそれだけで氷弾を全て弾いてみせた。
「全く、邪魔するなって言ったのに」
手にした箒をまるで槍の様に構えると、これがどうして様になる。
さもありなん、いつもはみょうちくりんな大幣、通称「御払い棒」を手に妖怪相手に大暴れ。
巫術と符術のみならず、棒術体術まで操るのが博麗霊夢である、手慣れた得物でないとは言え、応用が利くのならばどうにでもしてしまうだろう。
ましてや妖精相手ならばこれで十分、という事なのだろうが……
ざわり、と背後から恐ろしく冷たい気配を感じ、霊夢は思わず振り返る。
「ふふふふふ……」
そこにいたのは、妖しい風を纏う謎の怪童。
不可思議な光を漏らすカンテラを揺らし、神社の屋根に立っている。
まぁ、仰々しく言ってはみた者の、正体はあの亡霊少年なのだが。
集めた幽霊たちを周囲に舞わせ、まるで風の如く見せかけて、なんか怪人ですよーみたいな笑い方をしてるだけ。
金メッキのこけおどしも良い処だが、何も知らない霊夢を一瞬騙せるには丁度良い。
「誰!?」
二人の思惑通り、少しばかり固い声を上げ警戒をあらわにする妖怪バスター。
そしてそれこそが「詰み」である。
「かかれぇ!!」
今少しばかり格好つけて片手振り下げての大号令。
ノリノリの幽霊たちもそれに従い、霊夢目掛けて殺到する。
当然、霊夢は一歩下がって備えようとする訳なのだが……
「わ!?」
ツルリと、足を滑らせる。
ころびかけたその瞬間、足元に見えたのは凍り付いてぴかぴかな石畳。
ニヤリと笑うは勿論、氷精。
なにくそ、この程度と、踏みとどまろうとする霊夢。
が、二人の策はここでお終いではない。
取り巻く幽霊、眼前に降りる亡霊。
そうして亡霊は霊夢の腕を掴むのだ。
「そぉーれっ! 踊ろうぜ!」
亡霊は霊夢の腕を掴んで一回転。
一回転で済ませるはずもなく何周も。
幽霊たちは囃し立てるように廻る廻る巡り巡る。
まるで幽霊たちによる竜巻の檻である。
はたから見れば壮観かもしれないが、中心で独楽のように扱われる霊夢としてはたまったものでは無い。
「ちょ、ちょ、ちょ……」
声すら上げる暇なく目が回る。
普段ならどうにでもなるかもしれないが、足元が凍って踏ん張りがきかない上、不意を衝かれたのではたまったものでは無い。
異変の時には冴えわたる巫女の感も、平時においてはサボリがち。
かくして幽霊妖精二人の策にはまってしまった間抜巫女。
そろそろ三半規管も限界か、という処でようやっと解放される。
ふらふらとまるで酒の入った千鳥足のように、それでもへたり込まぬは流石巫女。
「あ、あ、あんたち……」
体は止まっても目は廻る。
耳にも妖精亡霊挙句の果てに周囲の幽霊の笑い声がぐわんぐわんとおかしくなった感覚に響くのだ。
「それ! 逃げろー!!」
「おおー!」
目論み成就の大勝利、ならばここらで締めの一斉逃亡。
チルノの鬨の声に合わせ、幽霊たちもてんでんばらばらに逃げ出してゆく。
「待ちなさい!」
悪ガキどもに一喝し、放つは自慢の赤い符撃。
サボった勘にも喝が入り、廻る頭で撃ったにも関わらず、寸分たがわずチルノに迫る。
あわや命中、悪戯目論見失敗かと、その時にチルノと符の狭間に白い亡霊が滑り込む。
亡霊がまるで片手を振うと、ぱんっと軽い音がして、赤い符撃は羽虫の如く弾かれた。
霊夢は驚きに目を見開き、亡霊はにんまり嗤って空へと逃げる。
まともに動けぬ巫女に追う事敵わず、斯くして完全悪戯はここに成った。
「いぃぃぃぃぃぃぃやったー!!」
「あっははははははははは! あの巫女相手にこうも巧く行くなんてなぁ!」
空の上で、氷精と亡霊は大はしゃぎ。
周りの幽霊たちも悪戯が面白かったのか囃し立てるように飛び回る。
さもありなん、なにせ相手は博麗霊夢である、ちょっとやそっとじゃ動じないし返り討ちも良い処だ、それを考えれば他の妖精に自慢してもいいぐらいの、大金星である事に間違いは無い。
「それにしてもお前、霊夢の弾弾くなんてやるなぁ」
「へへん、オイラこれでも長い事亡霊やってるからな、術の一つ二つはお手のもんさ」
腕を組んで、どうだと言わんばかりの亡霊に、チルノは素直な称賛を送る。
「そっかーやっぱお前すごいな! アタイの事助けてくれたし」
「そりゃオイラ男だからな、女は護んなきゃ」
「む、アタイ守られるほど弱くないぞ、最強だもん」
「強い弱いじゃなくて、男は女を護ろうとするときに一番奮起するんだって理屈じゃないんだって、妖忌の爺ちゃんが言ってた」
「……誰?」
「冥界にいたすっげぇ強い爺さん、色々話聞かせてくれる面白い人だったんだけど、いつの間にかいなくなっちゃってさー」
「ふぅん、なんで?」
「姫様は悟りを開いたって言ってた」
「じゃあ、成仏したのか?」
「たぶんな」
「なんで成仏なんかするんだ?」
「うん?」
「成仏するって、要は完全に死ぬって事じゃん」
「……えぇーっと、本当は大分違うんだけど……うぅーん、でもまぁ、似たようなモンかな?」
「死ぬのって嫌じゃないのか?」
妖精は死なぬ。死なぬ故に死が解らぬ。
妖怪も、なかなかに死ににくいし復活も可能だ。
だが完全不滅という訳でも無く、復活にしくじるこだってある。
そうなれば、そこでは死が待っている。
なれば妖怪は死を知っているのだろうか。
どちらにしろ、死を最も良く知るのは人間であろう。
「悟りなんてよくわかんないもんまで開いて、死にたいなんて変な話」
死なぬ事が何よりも大事ではないか、人間だって多くは死から逃れる術を求めている。
だというのに、時折、死を受け入れてしまう者がいるというのがチルノにはどうにも解らない。
面白おかしく生きている方が絶対良いでは無いか、何故、死に向かわねばならない。
それを想い、チルノはどうしても仏頂面になる。
どう考えも楽しい事でないのだから当然だろう。
「チルノは死ぬの嫌か」
「当たり前じゃん」
「……そうだよなぁ、そうなんだろうなぁ。生きてるってそういう事なんだろうな」
少年は、何かを羨むような少しばかり妬むような、そんな声色だった。
「お前は死ぬの嫌じゃないのか」
「オイラもう死んでるぜ」
「死んでても、転生とか成仏とかあるじゃん」
「んー……」
即答が無い。
何かを考えこんでいるのであろうか。
それを確かめるべく、顔を覗き込もうとする。
行動を起こすのはチルノ、受けるのは少年。
そんな構図だから、ちょっとだけ油断して、ほっぺたをむにっと摘ままれしてしまうのだ。
「うに!?」
「ふへへへへへ、なんだいその声」
間の抜けた悲鳴に、少年は変わらず悪戯じみた笑顔を向ける。
「そーゆー小難しい事はいいんだよ。今は愉しもうぜ、折角、巫女を出し抜いたのにさ」
「……そーだな、うん、そーだよな!」
そうだ、考えてもしょうがないし何より下らない。
生き死になど、勝手にやってればいい。
チルノは未だ妖精なのだ、そんなのとは無縁である。
「よしよし、それじゃあ次はどうする?」
「えーっと……とりあえずあちこち回ろう。んで、次の獲物見つけるんだ」
「よぉし、それじゃあ」
少年はそこで言葉を区切る。
チルノは少年と視線を合わせ、一つ頷いて飛びぬけて明るい声を張り上げる。
「「しゅっぱーーつ!」」
こうして、秋の空に元気のよい二つの声が重なるのであった。
* * *
博麗霊夢で味を占めた悪ガキ二人がさてそれからどうなったかというと。
まぁ、大方の予想はつくだろうがあちらこちらで悪戯三昧である。
ある時は、里の寺子屋の授業中にこっそり忍び込んだ。
上白沢慧音に気付かれないよう、そーっと後ろを付けて生徒たちにわかるようにお道化てみせる。
すると、生徒たちは最初はびっくりするのだが、だんだんと状況を理解してくすくすと笑いだした。
何もわからぬ慧音は何事かと辺りを見渡すが、少年もチルノも見つかるようなへまはしない。
そも、亡霊なれば壁抜けも出来るのだ(少々コツがいるが)振り返っても壁の向こうに消えてしまえばいい。
仕上げは終業を告げる声に合わせ、幽霊率いて大乱入である。
子供からは歓声とも驚きともつかぬ声が上がり、上白沢慧音からは純粋な驚嘆の声が。
それに合わせてぱっと騒ぎ、あっという間に去ってゆく。
二人が「まったねー」と手を振れば、子供たちも「また来いよ」と応え、慧音はいたずら小僧に一喝するのであった。
またある時は、人里を歩く社会派ルポライター殿の帽子を掻っ攫った。
もはや語るまでも無かろうが、ルポライター・烏天狗の射命丸文は慌てて帽子を取り戻そうとする。
そんな天狗を揶揄って、文の頭上で二人で帽子を投げ合って遊ぶのだ。
いつもならば簡単に取り戻せるだろうが、なにせここは人里でこの天狗は自分を人間と偽っている、通力つかって正体晒すわけにはいかない。
濡れたように輝く羽も天狗随一と自慢の速さも、使えなければ持ち腐れ。
それを解ってやるから面白い。
哀れな天狗は悔しさ滲ませ腕を伸ばすのみ。
ひょいら真上を向いたその瞬間、顔面にむかって帽子を返してやる。
一瞬動きを止めて、帽子を掴む烏天狗。もちろん、表情は憮然としたもので、だからこそ、くすくすと笑ってやる。
そうして十分に堪能したら、悠然と逃げてやるのであった。
またまたある時は稗田の家から柿を盗んでやった。
それも一つや二つではない。両の手一杯の柿である。
特にチルノ等は稗田は妖精を軽々しく書いていけ好かないというので、両の手どころか口にくわえてまで盗み出そうというのだ。
その様に少年もやり過ぎだと大笑いする。
チルノは柿を加えたまま頬を膨らまそうとするが当然そんなことは無理で、ますます少年の笑いを誘うのだ。
そんな事をしていれば見つかるのは自明の理だが、二人は全く気にしない。
逃げる時も屋敷の外ではなく、わざわざ中を通る。
幽霊たちを率いて逃げれば屋敷は上へ下への大騒ぎ、主の稗田阿求も何事かと顔を出しその鼻先を掠めて走り抜けてやった。
くるりと振り返り、短命薄幸のお嬢様がこんなにも痰の毒を喰うとはなんともおかしい、それ痰の毒の代金をくれてやろう
そう言って桃の種を投げつけてやる。
阿求はあっけにとられながらも種を受け止めて、チルノと少年は「おお」と感心する。
感心するが柿は返してやらぬ。追いかけてくる使用人共をしり目に、すたこらさっさとお暇する。
沢山柿を盗ったつもりが、随分と落としてしまったが、なぁに気にすることも無し。
戦利品に齧り付いて、してやったりとわらいあうのであった。
さてまた別の時となると守矢の分社を乗っ取ってやった。
普通だったら分社と言えど社を乗っ取るなど無理な話だが、守矢の二神は分け身を置いていない、たんなる信仰の窓口としてしか扱ってないのだ。
だとするなら小さな祠風情、乗っ取ってやるのは簡単である。
供え物の饅頭を喰い、屋根に乗ってふんすふんすとしてやったり。
もちろん、本当の狙いはこんなチンケな社ではない。
こんなことをすれば、当然、社の主は怒る。怒って不届き者の討伐を命じるだろう。
そうすれば、やってくるのは守矢の風祝・東風谷早苗である。
ここ数年、異変解決の功績を残し、博麗霊夢と並ぶ二大巫女の呼び声高い現人神。
そんな彼女にとって氷精と亡霊ではいかにも物足りない、すぐに片付く相手であろう。
しかし、だがしかし、それは真っ当に相手をすればの話である。
そうだとも、二人の目的は悪戯なのだ、弾幕ごっこの大勝負などではない。
もっと簡単でもっと馬鹿馬鹿しくて、相手のマヌケずらを拝めるような……そう、たとえばスカートめくりなんかである。
ぶわっ、とまるで風祝が得意とする風が、本人に襲い掛かったような、でもそんなんじゃなくてただたんに少年が囮になった隙に、チルノが勢いよく東風谷早苗のスカートをめくりあげただけだ。
現れたのは、幻想郷では珍しい外の造りの可愛い下着。
チルノと少年は「おお」とちょっと驚き、早苗は顔を真っ赤にする。
これはいけない、面白いものを拝めたが、代わりに風祝が暴発しそうだ。
間が外れてしまったがまだ間に合う、それ逃げろ!
後ろで嵐が巻き起こる、急いで逃げろ走って逃げろ飛んで逃げろ、これぞ悪戯の醍醐味、追いかけっこである!
つかまりゃ雷、逃げれば極楽。何とか無事に逃げおおせて、今度もやっぱり大笑い。
さぁさぁそんな感じにこんな感じ。
まだまだ遊ぶぞそれやるぞ。
相手は何処でも誰でも良いぞ。
竹林・仙界・地底に天界。神に妖怪、月人天人、仙人人間、皆玩具。
澄ました顔がどう変わる?
驚愕・落胆・怒りに苦笑。
どいつもこいつも面白い。
二人一緒に何処へでも、幽霊引き連れ軍団気取り。
そうして気を大きくしたのが大間違い。
中にはちょいと容赦のない方もいらっしゃって、ついうっかり太陽の畑に手を出してしまい、哀れ氷精亡霊、風見幽香にぶっ飛ばされたのであった。
* * *
「だ! か! ら! 危ない真似はしないでって言ったでしょう!」
響く声は幽香のものではない。
大慌てで紅魔館まで逃げ出してきた二人を見て、紅美鈴が放った声である。
腕を組んで仁王立ち、いつもは柔和な目を、これでもかというぐらいに釣り上げて睨みつければ、悪戯者二人組が思わず縮み上がってしまいそうだった。
「まったく、ほらこっち来なさい」
館から持ち出した薬箱を開き、額にたんこぶを作ったチルノと、全身ズタボロの少年に手招きをする。
二人は、薬をみて渋々と言った趣で美鈴の傍らに用意されていた椅子に座った。
ちなみに、ここは門前ではなく庭の一角である。いくらなんでも怪我の治療を門の前でという訳にもいかない為、特別に敷地に入れてそこで薬を用意したのだ。
ピンセットで摘まんだガーゼに薬品をしみ込ませ、少年の傷に塗る。
「いててててて、ね、ねーちゃんもっと優しく」
「良い薬よ、二重の意味で」
亡霊と言えど傷に薬は沁みるのか。
だが逆を言えば、薬が効いている証拠でもある。
精神体である亡霊に効く薬とはどういう代物なのかと、以前は首を傾げたものの考えてみれば妖怪も妖精も何かしらの認識や自然から発生した一種の精神体のようなものである、大した違いはないのだろうと勝手に納得することにした。
薬で渋い顔をする少年に対し、幽霊たちやチルノはにひひ、と面白そうに笑う。
「チルノ、次は貴女のたんこぶだからね?」
言われてチルノも首を竦める。
この一件で得をしたのは怪我をしていない幽霊達だろうか。
尤も、こいつらは怪我をしてるのかしてるのかさっぱりわからないのだが。
「それにしても、チルノはよくたんこぶだけで済んだね」
「おお、こいつが体張ってくれたからな!」
チルノが嬉しそうに言うと、少年は誇らしげに胸を張る。
聞けば、風見幽香の攻撃から少年がチルノを護ったは良いが、慌てていた為にチルノが木の枝に頭をぶつけてしまったそうだ。
女の子を護るとは流石は男の子か、その気概はほめてやりたい。
調子に乗るのが目に見えているので褒めはしないが。
それに、風見幽香も本気でこの二人の相手をしたわけではあるまい。
もしその気ならば、少年は塵に返されチルノは一回休みになるのが目に見えている。
あくまで、あしらった程度なのだろう。
それが解っているからこそ、余計に褒めはしない、自業自得であるし、逃げおおせたからと言ってまた幽香に突っかかってしまったらどうなるかわからないからだ。
これで二人とも、ちょんの間でも良いから大人しくなってくれればいいのだが。
いや、もう面倒だから人魂灯を力づくで取り上げてしまおうか。
西行寺の意向には背くが、こうしてハラハラしながら時を過ごすというのは自分の胃に優しくない。
そんな事を考えながら、ほんのちょっぴり乱暴な治療を続けていた時である。
周りを飛んでいた幽霊の一体が、少年に近づいて来たのだ。
ひんやりとした、幽霊独特の冷気が美鈴の頬を撫で、そして幽霊は少年の耳元で何かを囁くように震える。
「……そっか、良いんだな?」
会話をしているのだろう。
少年は幽霊に問うと、幽霊は肯定するかのように体を上下に揺らした。
他の幽霊たちも、様子が変わる。
なにか、いつもよりも神妙な趣を漂わせ、それは美鈴とチルノを戸惑わせた。
「よっと」
「あ、こら、まだ」
「大丈夫、ありがとなねーちゃん」
治療の途中だと窘めようとしたが、少年はかまわず椅子から降りてしまった。
チルノが首を傾げながら、少年に問う。
「どこか行くのか?」
「うん」
「何処に?」
「命蓮寺」
「寺?」
「おう、住職さんにちょっとな」
今度はチルノと美鈴が顔を見合わせる。
はて、命蓮寺の住職と言うと聖白蓮か。
あの尼僧に一体如何なる要件があるというのか。
左様な疑問が湧いて出てくるのは当然で、だからこそ二人は首を傾げた。
疑問を持って、人は(二人とも人ではないというのはこの際おいておいて)どうするか。
そのまま放置するか、解消するかのどちらかであろう。
だから、チルノと美鈴は後者を選ぶことにした。
紅魔を離れて人里へ、入る前に何やら幽霊たちに支持を出し、幽霊は散ってゆく。
歩いて行くは大通り、真正面から命蓮寺へとと思ったが、すこしばかり様子が違う。
立ち寄ったのは花屋である。
季節様々な花を揃えたそこで、白い花を買う。
白百合に白い胡蝶蘭。
墓前に添えるが如き、正しき白である。
少年がそんな白を携えれば、その後姿は全く違ったものに見えてしまう。
小さな小さな少年の背中。だが、ああも儚く揺らぐものであっただろうか。
愁いを背負うて歩くが如く見えるのは、花の魔力か亡霊の性か。
それから三人はただ歩く。
多くの人々が往来する人里であるにも関わらず、その背をみるだけで心掻き乱されるのは何故であろうか。
知らず、チルノの手が美鈴の指をぎゅっと握りしめる。
手の内からチルノの不安が伝わるようで美鈴も、ただその手を握り返した。
沈黙は痛く重い。
すくなくとも心の内に黒を以ては心地が悪い。
陽気な妖精が耐えられなかったのも無理はなく、すこしばかり絞り出すように声を出す。
「ねぇ!!」
「んー? どした?」
少年の相も変わらぬ鷹揚な物言い。
沈黙と、白の魔力を払うようでチルノの顔に安堵が戻る。
「命蓮寺にどういう悪戯するんだ?」
「しねーよ。言っておくけど、住職さんに手をだすなよ」
「えー、なんでさ」
「……これから解る」
チルノは少々口を尖らせるが、美鈴としては騒動にならぬというのは歓迎したい。
悪戯でないのなら、何をするつもりなのかという疑問はさらに深まるが、それはこれから解るというのであればここで問うのは無駄であろう。
少年は花を持ったままに里を抜け、里の外で待たせていた幽霊たちを呼び寄せる。
そうして、わざわざ里をぐるりと回って幽霊を引き連れながら三人がたどり着いたのは命蓮寺の裏手であった。
すでに日は大分傾き、幽霊たちのソレとは違う天然自然の冷たさが当たりを覆う。
「チルノとねーちゃんはそこで待っててくれよ」
少年は、ただそれだけ伝えると一体の幽霊を伴って格子窓の傍へ寄る。
あの幽霊は、先ほど少年と何か会話をしていた幽霊なのであろうか。
見た目がどれもおなじなので、区別はつかないのだが、おそらくはそうなのであろう。
「……もし、ご住職様はいらっしゃいますか」
一種澄んだ、善い声がチルノと美鈴の耳を通る。
いつもの元気いっぱい陽気に満ち溢れたそれとは違う、恭しい声を聴くだけで首を垂れ正しく座しているのを容易に想像できるような代物であった。
「その声は……貴方ですね」
格子の向こうから聞こえる柔らかなソレは聞き間違えようのなく聖白蓮である。
少年の声で誰かが解るという事は、二人は馴染みなのであろうか。
「はい、ご住職様。今日もまた幽霊のご供養を願いたく参りました」
「お引き受けいたしましょう」
白蓮の返答を受け、少年は幽霊に向かって一つ首を振る。
すると、何体かの幽霊が少年に近づき、まるで別れを惜しむかのように辺りを飛び回ったり、幽霊同士で体を摺り寄せたりするのだ。
少しばかりの間、そうした幽霊の触れ合いがあったが、やがて一つの幽霊が意を決したように格子窓の向こうへと飛び込んでいった。
「お預かりいたしました。この幽霊は私が責任をもって供養いたしましょう」
「お礼を申し上げます、ご住職様」
そうして、格子に捧げられる白の花。
宵の口の中でも美しく映える白を、それに負けぬ程に白い手が受け取る。
するりと、芝居でもなんでもあるまいに艶めかしく花は窓の向こうへと消えてゆく。
花を手にする聖白蓮とは、絵になる姿であろうが壁越しには何も見えない。
だが構わず、少年は深く頭を下げ、静かにその場から離れた。
「終わったよ。いこう」
少しばかり、硬さを残した声でチルノと美鈴にはそう告げられる。
振り向くことも無く、幽霊たちを引き連れて何処かへ向かおうとするその背を、二人は慌てて追った。
墓場の脇を抜け、雑木林の中を突き進み、たどりついたのは里から少しばかり離れたところにぽつんと鎮座する岩であった。
少しばかり離れていると言っても、この方向には特に何もない為、滅多に人は立ち寄るまい。
そんな場所で、少年はカンテラをゆらゆらと揺らしている。
カンテラの中の人魂灯も、当然の事ながらカンテラに合わせて揺れ、幽霊を誘う様がより強くなっているようにも見えた。
もしかしたら、強くなっているのかもしれない。
心なしか、先ほどよりも幽霊の数が増えたような気がする。
そんな様を見て、チルノと美鈴はお互いに顔を見合わせるが、このままでは何も埒が明かぬと判断したのであろう、先ほどと同じようにチルノが意を決して声をかけようとした時である。
「さっきの事だろ?」
先手を取られ、チルノは聊かに面食らう。
だが、聞きたいことはその通りである。
「さっきの幽霊、どうなったんだ?」
「会話の通りだよ、住職さんが供養してくれて、今頃はぐっすり永眠中じゃねぇかな」
永眠。
チルノもそれが意味する事は解る。
解らないのは、少年の行動であった。
モノ言わぬとは言え、この幽霊たちは一緒に悪戯を仕掛けた仲間では無いか。
何故、それを寺に預けて消滅させるような真似をさせるのだろう。
「なんで?」
「そりゃあ、お前、延々と彷徨ってるよりそっちの方がいいだろ」
当たり前のことだ、と言わんばかりの口ぶりにチルノの顔が歪む。
「なんでさ! あの幽霊は仲間だろ!」
「そうだよ、仲間だ」
「じゃあ、なんで!」
「あいつがそれを望んだからだよ」
少年が、岩の上からチルノを見下ろす。
ある種、亡霊らしいとも言える、だがこの少年には到底似つかわしくない、のっぺりとした何も読めないまるで仮面のような顔であった。
「なぁ、チルノ。死なないってどんな気分だ?」
「え、なにさ、突然」
「聞いてみたかったんだ、妖精って死ぬような事でも一回休みで済むんだろ? いずれ復活して、また以前と同じように過ごす……」
「それが?」
「オイラ達亡霊はさ、死んでるんだよ。肉体がどこにあるかなんかもうわからねーし、骨が残ってりゃ御の字なんだろうけど、それでも心も形も生きていた頃と変わらねーでさ」
「良い事じゃん?」
「そう思うか?」
チルノが、思わず足を震わせる。
あのお転婆氷精を怯ませるほど、冷たい視線。
感情など大凡籠っていないような、ぽっかりと空いた底知れぬ闇の如き眼。
それは、夜の冷たさでも、幽霊の霊気でも、氷精の冷気でもないが、確実に場を凍てつかせてゆく。
「おいらさ、もう長い事亡霊やってんだ」
「どのくらい?」
「さぁなぁ、生きてる頃になんか村の連中が年貢が重くなったとか、街で御禁制の事が増えたとか色々いってたのは覚えてるけど。まぁ、そんな事どうでもよくてさ」
少年が視線を外し、何処か遠くを見つめる。
その先には星浮かぶ虚空か、はたまた林が隠す闇の中か。
「おいら微罪なんだってさ、地獄に堕ちる程じゃねぇけど、極楽にも行けねぇ。転生するには優先するのが居るっていうんで、後回しにされてんのさ」
「微罪って、なんか悪いことしたのか?」
「生きてた」
「え?」
「生きてたんだよ、だからそれが悪い事なんだ」
「何それ」
訳が分からぬ。
生きている事が悪い事なのか。
無茶苦茶では無いか。
「生きてるって、ただ生きてるんじゃ人は罪を産むんだぜ、自覚してるか無自覚か大なり小なり程度はあるけどさ。何も考えずぼけっとしてるだけじゃ、罪はどんどん膨れていくんだ」
「でもそれは」
「餓鬼だから、しょうがないって? そんなん人の理屈だろ、仏様の理屈とは違う。それにそれは良いんだ、おいら達は否応なくそういう仕組みの中に入ってる。そいつをどうこう言ってもしょうがない、けど」
ため息が、一つ漏れる。
「おいら一体いつまで待てばいいんだ?」
明らかに、疲れが混じる息。
肉の疲労ではない、心の疲労だ。
亡霊であるが故に、肉の疲労には無縁であっても、心はそうはゆかぬ。
それが、にじみ出ていた。
「転生はいつまで待っても順番こねぇし、父ちゃんと母ちゃんは俺より先に死んでるから賽の河原にも行けやしない。ただただ待ってるだけなんだ」
「冥界は苦痛?」
「そんな事ないさ、なんだかんだ言っていい人達ばっかだし、西行寺のお姫様は優しいし。けど、結局の処、冥界はおいらの終の場所じゃない。待つための場所である事には変わらねぇのさ」
少年は空を見上げる。
まるで天に昇った何かを思い起こすように。
そして事実、思い出語りである。
「70年前の花の異変。今でも思い出す。それまでの異変よりも沢山の人間が死んで、沢山冥界にやってきた、沢山地獄に堕ちて、幾つかは極楽に行った」
地にうなだれる。
心が堕ちたように。
「それでも、おいらは何処にも行けない。何回も見た、そして何回も置いてきぼりだった」
「……だから人魂灯を盗んだの?」
「そうさ。冥界で大人しくしてたってなにも変わらない、ならせめて大いに楽しみ面白おかしくすごしてやろうってな」
「幽霊たちを供養するのは?」
「だって可哀想じゃねぇか。人魂でも魑魅でも木霊でも、ただただ彷徨うだけの精神の発露なんて。だったら最後に存分に楽しい思いをして、それから眠らせたくなるじゃないか」
紅美鈴は、ここでようやく得心が行った。
西行寺幽々子がこれを見逃しているのは、これを憐れんでいるからだろう。
仏の理屈、確かにそうである、生きている間は人の理屈の中に生きようとも、死せれば仏の理屈の元に引きずり出される。
人の理屈と違う場所に、否応なく向かうのだ、背くことも否定する事も出来ぬ。
激しくうねる黄河の中に飛び込めば、どんな泳ぎの達人であろうと流されてしまうだろう、それと同じことだ。
しかして同時に、人の理屈の中で生きて来た者に仏の理屈が苦痛であるという事も変わらぬ。
ましてやそれが200年以上も続き、自分以外の者が次々と去ってゆくのでは心も疲れよう。
冥界の管理者として、この者を労わりたい、しかし、冥界の管理者であるが故に依怙贔屓をする訳にもいかない。
人魂灯の一件を見逃したのも、自らと似たような者を同じように憐れむことが出来る少年の心を知った上での見て見ぬふりという事か。
なるほど、それは管理者の立場からすれば後ろめたいと言えるかもしれない。
「あたい、お前が何言ってるのか全然わかんない」
一方のチルノには納得できない事の様である。
最強の妖精が、言葉に力がない。
「良いじゃないか、亡霊で、何にも変わらず楽しく遊べばいいじゃないか。あたいたち妖精だって、ずっとこのままだけど何にも問題ないよ」
「それは、生きてるからだよチルノ、生きているから、どこにでも行ける、何にでもなれる。ずっと同じのつもりでいて、過去と今と未来は何かが違う。けどおいらは亡霊だ、もう終わってるんだ、終わってるのに何時まで経っても舞台の幕が降りない」
生きている妖精。
死んでいる亡霊。
死から最も遠き者と生から最も遠い者。
同じように此処に存在していながら、二人は余りにも違う。
それをチルノはどう思ったのか。
「そんなの、違うよ。絶対変だよ」
呟く言葉は、誰に向けられたのか。
月と星と闇の世界に、ただ妖しく揺れる灯一つ。
灯に導かれたいのは本当は誰なのか。
解っていても、認めたくなくて。
ただ一つ、両肩に触れる美鈴の手の温かさだけがチルノの慰めであった。
* * *
それから、数日が過ぎた。
チルノと少年と美鈴の関係は少しだけ変わった。
あの日の翌日、少年はどうにもバツがわるそうに「辛気臭い話して御免」と謝り、チルノは「いいって、そんな事」と元気よく返した。
実に簡単な仲直りで、二人と幽霊たちはあれからまた方々で遊び惚けている。
ただ、すこしばかり空元気だな、と美鈴は思う。
チルノの中に巣食った不安が、チルノを余計に明るく振る舞うように駆り立てているようにも見える。
それも仕方がない事だろう、友人の終わりを待つ心持を聞かされては、その暗き想いをそう簡単に払拭はできまい。
かくいう美鈴とて、二人に対してあまり強く小言を言わなくなった。
美鈴の中にも憐憫が鎌首をもたげ、それがどうにも言葉の邪魔をするのだ。
我ながら、甘いと思うが性分故にいかんともしがたい。
甘い、と言えば今もそうである。
「そぉりゃ! アイシクルフォール!」
「よーし、チルノの援護に合わせて突撃ー!」
広く響く幼い声。
空を奔る氷撃と幽霊の弾丸。
もちろん、チルノと亡霊の少年である。
では処は何処か?
これがまさかの紅魔館であった。
勿論、館の中でも敷地の中でもない、あくまで美鈴が守る門前ではある。
「よっと」
軽い動作で、両手を後ろに隠し蹴りの一つで極彩色の弾幕が放たれる。
その悉くが氷撃を粉砕し、幽霊を蹴散らす。
弾幕ごっこの決闘様式とも言えぬ、まさにお遊戯そのものであるが、これがやってみると中々に熱い。
本来ならば、門番としてあしらうのが良いのだろうが、なんというかそれもまた今更である。
「さぁて、まだやる気かな?」
「もっちろん! その門は通させてもらうよ!」
「へっへっへ、噂の吸血鬼にちょいとご挨拶さ」
「んー、それは私が怒られるからやめてほしいなぁ」
思わせぶりに、丁度ヒートアップしかかった頃を狙って隠していた手を表に出す。
持っていたのは、何の変哲もない袋が一つ。
しかしそれでは終わらない、更に更に、袋から取り出したるは……
「あ!」
「月餅だ!」
そう、丸くて香ばしさが香るようないい色合いの月餅であった。
「悪戯しない良い子には、この月餅を用意してたんだけどなぁ、門を超えようとするような悪い子にはあげられないなぁ」
思わせぶりから、今度はわざとらしく月餅を見せびらかして二人を釣る。
さぁてどうなるか、と賭ける必要もなく、反応は解りきっていた。
「はい! 降参します!」
「だから月餅頂戴!」
「よろしい、それではこれから戦利品を配布します」
わぁい、と諸手を上げて喜ぶ子供。
攻められていた側が戦利品を渡すとはどうにもおかしな話であるが、まぁこういうモノはその場のノリと勢いである。
二人が楽しそうならそれでよいのだ。
「「いただきまーす」」
口をそろえてパクリと一口。
ただでさえにこにこと笑っていた顔が、それでますます幸せそうに緩むのだ。
「おいしい!」
「胡桃入ってる!」
「あ、いいな、おいらのは干し柿だよ」
「干し柿? 一口頂戴」
「いいよ、胡桃もちょっとくれよ」
「おう、一口だけね」
お互いの月餅を分け合って、微笑ましい事この上なし。
これを見れるのであれば、久々に月餅を焼いた甲斐があるものだ。
美鈴自身も、月餅を齧りながら微笑んでいた、その時である。
「見つけたわよ」
美鈴でも、チルノでも、ましてや少年のモノでもない声が響いた。
何者か、と視線を向けた先には、白い剣士が佇んでいる。
そしてそれを認めた瞬間、少年が「ひぇ」と首を竦めた。
「おや、妖夢さん」
「どうも、今日は」
冥界・白玉楼の庭師にして剣士、魂魄妖夢は美鈴に対して軽く頭を下げる。
軽くと言っても、その動作には無駄が無く、見れば中々に気持ちの良いものであった。
しかし、それも第三者にたいしてこそ、と言わんばかりに、妖夢は少年を睨みつける。
「貴方ね、白玉楼から人魂灯を盗み出したのは」
少年は、腰に揺れるカンテラを手にして一歩後ずさる。
「さぁ、おとなしくついてきなさい。そうすれば手荒な真似はしないわ」
物言いは物騒であるが、なんという事は無い、要は西行寺幽々子がそろそろ人魂灯を戻す頃合いであると判断したのであろう。
憐れみがあるとは言え、人魂灯は冥界の宝、先の緋想天異変の折もそうであったが長々と他者に貸し出す訳にもいかない。
美鈴としてはそのあたりの事情を十分に察せられる為、特に口出しすることも無い。
少年を連れて帰るのは妖夢の務め、美鈴がどうこう言う事では無いのだから。
ただ、それでは済まさぬ者が一人いた。
「帰れ!」
怒号一擲。
放たれた氷塊を、しかして白刃が一刀の下に斬り伏せる。
互いに煌く白と白。
だが睨みあうのは白と水色。
「なんのつもり?」
「うるさい、冥界に帰れ!!」
眉根を顰める妖夢に対し、チルノはいかにも牙を剥いて飛び掛かりそうである。
まるで獅子か虎……とは言い過ぎにしても、並々ならぬ猛り具合。
それを前にすれば、妖夢が刃を向けるも致し方のない事。
「チルノ、よせ!」
「アンタは下がってて!」
尋常ではない空気に触れて、少年がチルノを止めようとする。
だがチルノは聞き入れない、まっすぐに妖夢を睨み、一戦交えるつもりなのが明白であった。
「できれば、怪我はさせたくなにのだけれど」
「うるさい! こいつは、こいつは渡さないんだから!!」
吠えているのか。
ただ少し、啼いているようにも聞こえる。
「ずっーと、ここで一緒に遊ぶんだ、どこにも行かせてやるもんか!! ましてや冥界なんかに返さないぞ!!」
チルノの周りに、白靄が立ち込め始める。
そこまでに奮起し、力を震わせているのだ。
妖夢も、楼観剣を下段に構え、心魂整え刃を制す。
お互いの、その気迫が触れ合おうとしたまさにその瞬間である。
轟、と大気が唸って影が瞬く。
大股開いて弧を描き、大地揺らして叩きつけるは、鋭く重き踵落とし。
偃月刀と見紛うその一蹴、切先以て何を斬る。
首が落ちるか唐竹割か。
否、命脈断たずに気勢を断つ。
即ち剣士氷精その狭間、一触即発その気を葬むる。
見事な一撃誰のもの。
問うは愚かと心得よ。
兵法武芸者数多けれど、練りに練ったるこの功夫、会得したるは只一人。
貔貅の如しと誉れも高き、姓は紅、名は美鈴。
紅魔自慢の門番ぞ。
「んなっ……」
間を外された妖夢が、少しばかり抜けたうめきを上げ、美鈴の方はというと涼しい顔で姿勢を正す。
薄い煙が天に上るかのような、ゆるりと、しかして速さを伴う動作には武芸者ならば見惚れるかもしれぬが、妖夢からしてみればそこはまずどうでもよい事であろう。
「なにをするんですか!」
「いえ、まぁ、なんといいますか、馬に蹴られてなんとやらという故事に則ってみようかと」
「は、はぁ?」
「馬と言っても私は馬じゃありませんし、馬の様に走ったことも無ければ馬の様に働いたこともありませんので、馬の蹴りというのは実はよく分からないのですが」
「えぇっと、ちょっと何を言っているのか」
「あぁ、要するにですね」
みょんな物言いにすっかりペースを握られた妖夢が困惑する中、美鈴はちょいと悪戯じみた笑みを浮かべてこう言った。
「すこしばかり時間をくださいな」
言うが早いか、光が生まれる。
紅美鈴の功夫に並ぶ代名詞、虹に輝く弾幕である。
だがしかして放たれる先は妖夢ではない、美鈴の手元で弾け眩く光って辺りを包む。
これはたまらぬ、と妖夢が思わず目を閉じ光よりを遮った。
同時にしまった! と臍を噛むがもはや手遅れ。
光が納まったその時には、美鈴もチルノも、そして少年もすっかり姿を消して、幽霊たちと妖夢だけが取り残されていた。
かくて虹蛇空を飛ぶ。
小脇に小さな、まごう事無き幼き心を抱きかかえ。
降り立ったのは、どうという事は無い、紅魔館からも左程に離れていない林のはずれである。
そこでチルノと少年を降ろすと、あっという間の出来事に呆気にとられていた二人の顔が尊敬に染まる。
「す、すっげぇや姉ちゃん……」
「さすが美鈴だな!」
あっという間の、鮮やかな出来事だからこそ、二人は美鈴の妙技に惚れ惚れするのだ。
そうなれば、美鈴とてそれなりに自慢げにはなる。
口には出さぬが、背を伸ばして胸を張れば、その様も解りやすいというもの。
「助けてくれてありがとな、姉ちゃん」
「あら、別に助けたつもりはないわよ」
胸を張ったまま、さりげない一言にチルノと少年は顔を見合わせる。
助けたつもりは無い?
今しがた、妖夢から助けてくれたじゃないかと。
美鈴は二人を交互に見つめながら、こう切り出した。
「頃合いよ、人魂灯を返して冥界に帰りなさい」
「……姉ちゃん」
「持ち主が返してと言っているものを、いつまでも返さないのは悪戯じゃなくて悪行よ。宝ならば尚更ね」
少年が、人魂灯を納めたカンテラを手に取る。
じぃっと、あの不思議な焔を見つめ、そして小さく頷いた。
「うん、判った。おいら冥界に帰るよ」
「ちょっとまってよ!!!!!」
鋭い悲鳴が上がる。
少年はその悲鳴の主、チルノに向き合う。
「なんでさ、帰る事無いじゃん! まだまだ遊ぼうよ!」
「そうは言っても、庭師の姉ちゃんきちゃったし」
「関係ない!」
悲鳴は続く。
そう、悲鳴である。
怒声でも脅しでもない。
声を震わせ大きくして、その身いっぱいの焦りと恐れ、それがありありと顕れている。
「取り戻しにきたなら逃げればいいよ、連れ戻しに来たならやっつけちゃおうよ!」
「無茶言うなよ」
「無茶じゃないよ! 出来る!」
「無理だよチルノ、どんな事にも終わりは来る、今、もう終わったんだ」
「終ってない!!!」
一際大きな悲鳴が上がり、チルノの目がジワリと滲む。
「終ってない、遊ぶんだ、ずっとずっとずーっと、一緒に遊ぶんだ。どこにも行かせないよ、絶対に終わらせるもんか」
涙が膨らみ、気持ちも膨らむ。
ここまで来て、弾けてはいない。
今まで覆い隠していたものが、表に出て来ただけの事。
けれども、爆発寸前なのは目に見えて、とうとう本音が飛び出した。
「待つことなんかないよ、置いてきぼりになんかしないよ、どこにも行けないなんてないよ、あんたはここにいるんだ、アタイと一緒にいるんだ!」
「チルノ……泣いて、いるのか……?」
「あったり前じゃないか!! あんたが居なくなるなんて、アタイは嫌だ!!!!」
少年の顔が呆気にとられる。
チルノの言葉が、まるで予想だにしていなかったかのように。
すこし、ほんの少し、間を開けて少年はチルノの心を噛み締める。
「そっか、チルノ。泣いてくれるんだな、おいらの為に。憐れむじゃなく悲しんでくれるんだな」
カンテラから手が離れ、指先がチルノに触れる。
涙の先を優しく撫で、果てなく冷たく、だがしかし暖かなそれを拭う。
「ありがとう、チルノ」
少年が笑った。
見慣れているのに、初めて見るような、透き通った氷を朝日に翳してみたかのような善い笑顔だった。
「チルノ、おいらやっぱり帰るよ、帰って人魂灯を返す」
「なんで……」
「おぉっと、勘違いするなよ。人魂灯を返したらまだすぐに戻ってくるからさ!」
腕を組んでふんぞり返り、まるで出会ったあの時の様。
「へっへっへっ、今度は人魂灯無しの悪戯やろうぜ。あの幽霊たちも直に回って集めてさ」
「でも、冥界がなんていうか分からないじゃん」
「はン! たとえ西行寺のお姫様がどういおうと、おいらにゃ関係ないね!」
からから笑い、いっちょ前の悪党を気取る。
「おいら、何があってもチルノの処に戻って来るぞ。地獄の閻魔様だって止められるもんかい!」
悪党なれば見得を切ろう。
格好つけて大笑い。
しかして伊達には終わらせぬ。
「ほんとう?」
「勿論さ、だって……」
にっこりと、まさに子供の様な正しい笑顔を見せて少年は詠った。
「おいら、チルノの事大好きだからな!」
チルノは目をぱちくりと、先の少年と同じように予想もしていなかったような感じで。
大好きだっていう、とっても気持ちのいい言葉を、チルノも友達誰にでも抱いている言葉がとても深く響き渡る。
なぜか熱くなる胸の意味をさほどに理解はせず、けれども言うべきことは解っていた。
「うん、アタイも、お前の事大好きだ!」
そして二人は手をつなぐ。
今日はバイバイ、また明日。
冥界からの召喚など何吹く風と、当たり前の約束をして。
それが、たまらなくうれしかった。
「うん、善哉善哉」
近くの木に背を預け月餅を齧りながら、美鈴は深く頷く。
なるほど、こうなれば西行寺の差配も間違ってなかったであろう。
「あの、そろそろいいですか?」
ひょいと、木陰から顔を出すのは魂魄妖夢である。
「あ、もうちょっと待ってもらえますか?」
「はぁ……」
気の抜けた声を出しながら、妖夢は微笑みあう二人を眺めた。
「なんか、その、大事っぽく言ってますけど、幽々子様の様子からして白玉楼の雑巾掛け一カ月とかで済むと思うんですが」
「いいんですよ、盛り上がってるんですから」
「はぁ……」
イマイチ事態が呑み込めていない。
「……もしかして、私って損な役回りだったりします?」
「……月餅食べます?」
「あ、戴きます」
美味しい月餅を一口齧り、妖夢は首を傾げるばかりであった。
* * *
またでたよ
そんな噂を耳にする。
霧の湖に幽霊の群れが現れるという噂。
そしてそれを引き連れる亡霊と妖精。
幻想郷では珍しくもない、そんな噂。
ねぇねぇ今度はどこに行く?
どこでも良いよ、どこでだって楽しいよ。
そうだね、二人一緒なら。
うん、二人一緒ならどこにでも行けるよ、そこが二人の居場所だよ。
耳をすませば聞こえてくる。
噂話では聞けない、優しい会話。
門前の紅き竜子は、そんな会話を楽しみながら、踊りあう二つの影を見守っているのであった。
特に障害も理由も無く、体調も万全だったのに幽蛾灯を取り返さなかったのはよくわかりません
>美鈴が強引に奪うよりも、冥界の事は冥界の者が片を付けるのが最も穏便に話が進む。
この説明も「え?なんでその方が穏便なの?多少強引でも最初の時点で取り返してここに来れば終わりじゃん」と言う疑念がずっとついて回った為、物語に集中しづらかったです
美鈴の苦労人お姉さんポジションすごくいい。それ以外にもそれぞれ書き分けられたキャラたちが生き生きしていて、読んでてすごく楽しかったです。
オチは好きですが、亡霊と妖精、生から最も遠い存在と死から最も遠い存在という対比を強調しておきながら、上手いこと風呂敷を畳みきれたかな、と言われると弱いかなあと思いました。