『簡単な仕事』
「日雇いで稼げる簡単な仕事があるから手伝って欲しい」とサークルの友人に誘われて、先週の木曜日に二人で山へ行きました。
私を誘った彼女は変わり者で、こういう噂を集める情報源を裏表に持っているんです。このアルバイトのことも、そうした秘密の付き合いをした成果としてある筋から紹介されたものだと言っていました。考えてみると出どころからして随分怪しい情報ですから、疑いもせず誘いに応じた私はちょっと呑気過ぎたと思います。
はじめ誘われたときに聞いた仕事の内容は、一時間だけガイドのようになって登山客の質問に答えたりするというものでした。でも、実際に行ってみると聞いていた話とは違っていました。少しじゃありません。全然違いました。
違うといえば、場所も想像していたところとは違いました。友人からは大学の裏山に登るのだという説明しかされていなかったので、私はそれを吉田山だと思っていたんです。でも当日大学が終わって午後から彼女に連れられて行ったのは、私たちが普段通っているのとは別のキャンパスの裏山でした。西京区にあるキャンパスです。後で調べたところによると、その山はたしか山田谷田山とかいう……聞いたこともない、回文みたいな変な名前……。
一旦バスで大学の敷地を北東の角まで上って、そこから山の中腹あたりの道へ入りました。南京錠のかかっている門をこっそり乗り越えて行きました。門の高さはそれほどでもなかったので、おそらく学生の出入りを禁じるためというよりは、動物が校内へ入らないようにするものじゃないかとは思いましたが、それでもこの仕事がおおっぴらなものじゃないということは十分理解できました。
「心配しないで、地図にも載ってる普通の道なんだから」先を歩く友人からそう言われましたが、よく意味がわかりませんでした。
そうして入り込んだ山道は、不思議に綺麗なアスファルト敷きの道路でした。道幅も広くて、あれなら自動車だって降りていくことができると思います。どうやらあの大学の門が山道の行き止まりだったみたいで、歩く先はずっと一本道の曲がりくねった下り坂でした。道の左右にはまるで穴みたいに真っ暗な竹林が茂り放題にされていたけど、たまにそれが途切れたときは上から京都市が一望できました。お天気が良かったおかげで京都タワーまで遠くに小さく見えました。そんな風だったので私たちの上には影もなくて、もう十二月なのに日差しがとても暖かかったのを覚えています。
いったい、どうしてあんな道が作られたのか、考えてもよく分かりません。歩きやすく舗装された道路なのに誰も使っている様子がないし、ところどころ倒れた大きな竹が道を塞いでいる始末なんです。私たちはそんな障碍に出くわす度に横になっている竹をまたいだり潜ったりして進まなければいけませんでした。
五分ほど歩いたところで、向こうから小さな女の子が一人で登ってくるのが見えました。私ははじめ、この道を遊び場にしている近所の子供かと思っていたのですが、友人はその子にお辞儀をして「どうもこんにちは。本日はどうぞよろしくお願いします」と言ったんです。私もとっさに友人のお辞儀に合わせましたが、内心はとても驚いていました。その子は私たちの仕事の関係者らしいのです。でも、例の登山客の一人なのかと思うと、どうやらそれも違います。なんと彼女は、私たちの雇い人だったんです。
女の子は「どうもこんにちは!」とそれは大きな声で挨拶を返して、「本日はどうぞよろしくお願いします!」という二言目も二十メートル先まで聞こえそうな声です。それから「私がこの山のヤマビコです」と言っていましたが、はじめはその意味がわかりませんでした。
友人は私のことを「これが例の子です」と気になる言い方で紹介しました。挨拶が済むと、私たちはすぐに仕事に関して具体的な説明を受けることになりました。
そのとき私たちがどんな風に説明を受けたか、できたらここでお伝えしたいのですが、上手にまねして話す自信がちょっとありません。それはあまりにも簡潔すぎて逆に理解を難しくするような、そんな説明でした。その説明だけを聞いていると、今日の仕事はたしかに噂通りの簡単な仕事……、でも明らかに奇妙な仕事でした。
要するに、私たちはヤマビコのふりをして欲しいと言われたんです。
やることは一つだけです。山の中から声が聞こえたら、一拍置いて私たちが同じようにまねして声を上げるんです。例えばこれは定番ですが、「やっほー!」と言われたらこちらも「やっほー!」、「ばかやろー!」ならこちらも「ばかやろー!」とおうむ返しするわけです。それが仕事でした。
もっとも、ほとんどの場合は本職のヤマビコが上手く声色を変えて引き受けてくれると言いますから、アルバイターの出番があるのは本職が一人で対応しきれないような複数人の声が同時に聞こえてきた場合だけです。難しいことはありません。
「今日はここの北側を観光旅行の登山客が三十人ほど通る予定ですから、どうしても人手が必要でして……。でも向こうもあなた方と同じくらいの年代の女性たちですから心配はありませんよ。それに登山客はほんの一時間程度で山の反対側へ通り過ぎてしまいます。簡単な仕事です」
「はあ、でもどうして?」
思わずそう訊ねたのですが、これは訊いてはいけなかったのかもしれません。賢い友人が素早く間に入って「向こうには唐櫃越っていう有名な山道があるからね。明智光秀が謀反を起こすときに通ったとかいって人気があるの」と話の向きを逸らしてしまいました。だから私もそれ以上重ねて訊くことはしませんでした。
説明が終わると私たちはもうしばらく坂を下ったところまで案内されて、そこで待機することになりました。そのときヤマビコは最後に言い忘れていた一つの注意を私たちに与えました。
「これは言うまでもないことですが、投げられた言葉を返すときは、うっかり台詞を間違えたり勝手に違うことを叫んだりしないでくださいね。山で人間が叫んだら、期待通りにヤマビコが返ってくる、それによって場が丸く収まる、何もかもただそれでいいんです」
最初の声が聞こえるまでの十数分は、変に緊張させられました。まるで大きな劇場に連れ出されていきなり本番を演じなければいけないのに台本すら見せてもらえない人の気分でした。それでも例の友人は端末から周囲の地形を調べたりして不思議に落ち着いているようで羨ましいと思いました。ヤマビコは……、もう何も話さなくなっていました。きっと山の中に聞こえる物音に耳を澄ませていたのだと思います。
ふいに「やっ、ほー!」と声が上がりました。事前の話通り女の声でした。「や」は躊躇を断とうとするように思い切った大声を張り上げて、「ほー」ではやや勢いが足らなくなったように語尾が震えていました。
一拍置いてヤマビコが「やっ、ほー!」とこれに答えました。声は少々高すぎていましたが、抑揚の再生は見事でした。流石に自分でヤマビコを名乗るだけのことはあると思いました。最初の一人に続いてそれから何人かが交代で「やっほー!」の声をあげました。ヤマビコの少女はその度に微妙に声色を変えながらしっかりと仕事をこなして見せました。どうやら似せきれない声色の差は山が覆い隠してくれるおかげで見破られずに済んでいるようでした。
さらに続いて山のあちこちから一分おきに声が上がるようになりました。それらの声のほとんどはひねりのない「やっほー!」でしたが、中には「おーい!」と言うものや、誰かの名前を呼んだり、何かを欲しいと言う場合もありました。ヤマビコは選ぶことなくその全てを正確におうむ返ししていました。あまりにも堂々としているので、私は少しの間自分たちのしていることの奇妙さを忘れていたくらいです。
三十分ほど待った頃に、ようやく私たちの出番が訪れました。山のどこかで仲良しらしい三四人の集団が「せーの」とタイミングを合わせて「やっほー!」と言ったんです。私と友人は一瞬目を合わせてから、本職に合わせた声量で「やっほー!」と言いました。初めてのことで抑揚をまねる余裕までは持てませんでしたが、向こうは無事ごまかされたようでした。二人とも思わずほうっとため息が出て笑いました。なんだか世間全部を出し抜いてやったみたいにすっとした気分でした。これは素晴らしい悪戯だと思いました。
結局、私たちは登山客が唐櫃越をする一時間の間に三度だけ助太刀ヤマビコを演じることになりました。二度目も三度目も声がずれ過ぎたりうわずったりして、大した進歩はありませんでした。しかも、三度目をやったあとは喉に負荷を感じてしまい、四度目以降があったらどうしようと心配していたくらいですから、それに比べて何度も何度も声を張れる本職ヤマビコはすごいものです。そんな私のにわかヤマビコが怪しまれなかったのは、それだけ人々が自分の声に無自覚だったおかげじゃないかと思います。
終わってみれば出番の少なかったこともあって一時間は本当に短く思える仕事でした。だってまだ午後の三時を過ぎたあたりなんです。それでも「もう大丈夫。団体客は行ったようです。お疲れ様でした」と渡された二つの封筒には、遊びや冗談ではない本物の紙幣が入っていました。私の下宿している部屋の家賃が半分払える程の金額でした。
「私はまだここで仕事しますから、どうぞ坂を戻ってください。下へ行くと町まではまだ長いですよ」と言われて、私たちは簡単にお礼を伝えるとさっさと帰ることにしました。実を言うとお金を受け取ってからはもうそれ以上わけのわからない仕事に深入りするのは控えたい気持ちだったんです。夢見ているようだった頭がお金を見たせいで冷めてしまったのかもしれません。
そうして、私たちが元の坂を登りはじめようとしたときでした。山の向こうから新たに一つ叫ぶ声が聞こえました。その声は、「助けて!」と言っていました。大きな声でした。
静まり返った山間に声が響きを尽くす間際、私はぎょっとして立ち止まりました。この一時間の仕事を通して見たとおり、山には毎日色々な声が叫ばれているんです。だから今聞こえた「助けて!」もそうした山遊びのうちの悪ふざけだったのか、それとも違う何かだったのか、私は判断に迷っていました。
でもそれから正確に一拍置いたタイミングで、ヤマビコの少女は少しの困惑もなく「助けて!」という例の通りの機械的なおうむ返しを叫びました。声は暗い竹林の中に吸い込まれて、しかしいつまでも耳に残りました。怖ろしい大声でした。そう、怖ろしかった、ぞっとしました。そこに居る女の子の姿がなんだか途方もなく大きくて冷え切った石の壁のように怖く見えて、もうそれと話してはいけないと思いました。
私はすぐ友人の腕を引っ張って、振り向かずに山道を戻りました。友人の顔は見ませんでしたが、何も言わなかったのは私と似たようなことを感じたからだと思います。仕事が終わってようやく気がつきました。私たちはその日ヤマビコのふりをしていたのではなく、本当にヤマビコだったんです。どんなに酷い叫び声や吠え声や、助けを求める悲鳴でも、もしそれが聞こえたら一拍置いてそのまま返さなければいけなかったんです。言葉ではなんてことないように聞こえるかもしれませんが、実際に見るとそれは……全く妖怪でした。
山を抜け、停留所からバスに乗って帰る途中、私は友人に言いました。「今日からは、遠くで声が反響してるときはよく耳を澄ませることにする。それと『簡単な仕事』は今後一切やらない」って。
……これでお終い、ご静聴ありがとうございました。
「日雇いで稼げる簡単な仕事があるから手伝って欲しい」とサークルの友人に誘われて、先週の木曜日に二人で山へ行きました。
私を誘った彼女は変わり者で、こういう噂を集める情報源を裏表に持っているんです。このアルバイトのことも、そうした秘密の付き合いをした成果としてある筋から紹介されたものだと言っていました。考えてみると出どころからして随分怪しい情報ですから、疑いもせず誘いに応じた私はちょっと呑気過ぎたと思います。
はじめ誘われたときに聞いた仕事の内容は、一時間だけガイドのようになって登山客の質問に答えたりするというものでした。でも、実際に行ってみると聞いていた話とは違っていました。少しじゃありません。全然違いました。
違うといえば、場所も想像していたところとは違いました。友人からは大学の裏山に登るのだという説明しかされていなかったので、私はそれを吉田山だと思っていたんです。でも当日大学が終わって午後から彼女に連れられて行ったのは、私たちが普段通っているのとは別のキャンパスの裏山でした。西京区にあるキャンパスです。後で調べたところによると、その山はたしか山田谷田山とかいう……聞いたこともない、回文みたいな変な名前……。
一旦バスで大学の敷地を北東の角まで上って、そこから山の中腹あたりの道へ入りました。南京錠のかかっている門をこっそり乗り越えて行きました。門の高さはそれほどでもなかったので、おそらく学生の出入りを禁じるためというよりは、動物が校内へ入らないようにするものじゃないかとは思いましたが、それでもこの仕事がおおっぴらなものじゃないということは十分理解できました。
「心配しないで、地図にも載ってる普通の道なんだから」先を歩く友人からそう言われましたが、よく意味がわかりませんでした。
そうして入り込んだ山道は、不思議に綺麗なアスファルト敷きの道路でした。道幅も広くて、あれなら自動車だって降りていくことができると思います。どうやらあの大学の門が山道の行き止まりだったみたいで、歩く先はずっと一本道の曲がりくねった下り坂でした。道の左右にはまるで穴みたいに真っ暗な竹林が茂り放題にされていたけど、たまにそれが途切れたときは上から京都市が一望できました。お天気が良かったおかげで京都タワーまで遠くに小さく見えました。そんな風だったので私たちの上には影もなくて、もう十二月なのに日差しがとても暖かかったのを覚えています。
いったい、どうしてあんな道が作られたのか、考えてもよく分かりません。歩きやすく舗装された道路なのに誰も使っている様子がないし、ところどころ倒れた大きな竹が道を塞いでいる始末なんです。私たちはそんな障碍に出くわす度に横になっている竹をまたいだり潜ったりして進まなければいけませんでした。
五分ほど歩いたところで、向こうから小さな女の子が一人で登ってくるのが見えました。私ははじめ、この道を遊び場にしている近所の子供かと思っていたのですが、友人はその子にお辞儀をして「どうもこんにちは。本日はどうぞよろしくお願いします」と言ったんです。私もとっさに友人のお辞儀に合わせましたが、内心はとても驚いていました。その子は私たちの仕事の関係者らしいのです。でも、例の登山客の一人なのかと思うと、どうやらそれも違います。なんと彼女は、私たちの雇い人だったんです。
女の子は「どうもこんにちは!」とそれは大きな声で挨拶を返して、「本日はどうぞよろしくお願いします!」という二言目も二十メートル先まで聞こえそうな声です。それから「私がこの山のヤマビコです」と言っていましたが、はじめはその意味がわかりませんでした。
友人は私のことを「これが例の子です」と気になる言い方で紹介しました。挨拶が済むと、私たちはすぐに仕事に関して具体的な説明を受けることになりました。
そのとき私たちがどんな風に説明を受けたか、できたらここでお伝えしたいのですが、上手にまねして話す自信がちょっとありません。それはあまりにも簡潔すぎて逆に理解を難しくするような、そんな説明でした。その説明だけを聞いていると、今日の仕事はたしかに噂通りの簡単な仕事……、でも明らかに奇妙な仕事でした。
要するに、私たちはヤマビコのふりをして欲しいと言われたんです。
やることは一つだけです。山の中から声が聞こえたら、一拍置いて私たちが同じようにまねして声を上げるんです。例えばこれは定番ですが、「やっほー!」と言われたらこちらも「やっほー!」、「ばかやろー!」ならこちらも「ばかやろー!」とおうむ返しするわけです。それが仕事でした。
もっとも、ほとんどの場合は本職のヤマビコが上手く声色を変えて引き受けてくれると言いますから、アルバイターの出番があるのは本職が一人で対応しきれないような複数人の声が同時に聞こえてきた場合だけです。難しいことはありません。
「今日はここの北側を観光旅行の登山客が三十人ほど通る予定ですから、どうしても人手が必要でして……。でも向こうもあなた方と同じくらいの年代の女性たちですから心配はありませんよ。それに登山客はほんの一時間程度で山の反対側へ通り過ぎてしまいます。簡単な仕事です」
「はあ、でもどうして?」
思わずそう訊ねたのですが、これは訊いてはいけなかったのかもしれません。賢い友人が素早く間に入って「向こうには唐櫃越っていう有名な山道があるからね。明智光秀が謀反を起こすときに通ったとかいって人気があるの」と話の向きを逸らしてしまいました。だから私もそれ以上重ねて訊くことはしませんでした。
説明が終わると私たちはもうしばらく坂を下ったところまで案内されて、そこで待機することになりました。そのときヤマビコは最後に言い忘れていた一つの注意を私たちに与えました。
「これは言うまでもないことですが、投げられた言葉を返すときは、うっかり台詞を間違えたり勝手に違うことを叫んだりしないでくださいね。山で人間が叫んだら、期待通りにヤマビコが返ってくる、それによって場が丸く収まる、何もかもただそれでいいんです」
最初の声が聞こえるまでの十数分は、変に緊張させられました。まるで大きな劇場に連れ出されていきなり本番を演じなければいけないのに台本すら見せてもらえない人の気分でした。それでも例の友人は端末から周囲の地形を調べたりして不思議に落ち着いているようで羨ましいと思いました。ヤマビコは……、もう何も話さなくなっていました。きっと山の中に聞こえる物音に耳を澄ませていたのだと思います。
ふいに「やっ、ほー!」と声が上がりました。事前の話通り女の声でした。「や」は躊躇を断とうとするように思い切った大声を張り上げて、「ほー」ではやや勢いが足らなくなったように語尾が震えていました。
一拍置いてヤマビコが「やっ、ほー!」とこれに答えました。声は少々高すぎていましたが、抑揚の再生は見事でした。流石に自分でヤマビコを名乗るだけのことはあると思いました。最初の一人に続いてそれから何人かが交代で「やっほー!」の声をあげました。ヤマビコの少女はその度に微妙に声色を変えながらしっかりと仕事をこなして見せました。どうやら似せきれない声色の差は山が覆い隠してくれるおかげで見破られずに済んでいるようでした。
さらに続いて山のあちこちから一分おきに声が上がるようになりました。それらの声のほとんどはひねりのない「やっほー!」でしたが、中には「おーい!」と言うものや、誰かの名前を呼んだり、何かを欲しいと言う場合もありました。ヤマビコは選ぶことなくその全てを正確におうむ返ししていました。あまりにも堂々としているので、私は少しの間自分たちのしていることの奇妙さを忘れていたくらいです。
三十分ほど待った頃に、ようやく私たちの出番が訪れました。山のどこかで仲良しらしい三四人の集団が「せーの」とタイミングを合わせて「やっほー!」と言ったんです。私と友人は一瞬目を合わせてから、本職に合わせた声量で「やっほー!」と言いました。初めてのことで抑揚をまねる余裕までは持てませんでしたが、向こうは無事ごまかされたようでした。二人とも思わずほうっとため息が出て笑いました。なんだか世間全部を出し抜いてやったみたいにすっとした気分でした。これは素晴らしい悪戯だと思いました。
結局、私たちは登山客が唐櫃越をする一時間の間に三度だけ助太刀ヤマビコを演じることになりました。二度目も三度目も声がずれ過ぎたりうわずったりして、大した進歩はありませんでした。しかも、三度目をやったあとは喉に負荷を感じてしまい、四度目以降があったらどうしようと心配していたくらいですから、それに比べて何度も何度も声を張れる本職ヤマビコはすごいものです。そんな私のにわかヤマビコが怪しまれなかったのは、それだけ人々が自分の声に無自覚だったおかげじゃないかと思います。
終わってみれば出番の少なかったこともあって一時間は本当に短く思える仕事でした。だってまだ午後の三時を過ぎたあたりなんです。それでも「もう大丈夫。団体客は行ったようです。お疲れ様でした」と渡された二つの封筒には、遊びや冗談ではない本物の紙幣が入っていました。私の下宿している部屋の家賃が半分払える程の金額でした。
「私はまだここで仕事しますから、どうぞ坂を戻ってください。下へ行くと町まではまだ長いですよ」と言われて、私たちは簡単にお礼を伝えるとさっさと帰ることにしました。実を言うとお金を受け取ってからはもうそれ以上わけのわからない仕事に深入りするのは控えたい気持ちだったんです。夢見ているようだった頭がお金を見たせいで冷めてしまったのかもしれません。
そうして、私たちが元の坂を登りはじめようとしたときでした。山の向こうから新たに一つ叫ぶ声が聞こえました。その声は、「助けて!」と言っていました。大きな声でした。
静まり返った山間に声が響きを尽くす間際、私はぎょっとして立ち止まりました。この一時間の仕事を通して見たとおり、山には毎日色々な声が叫ばれているんです。だから今聞こえた「助けて!」もそうした山遊びのうちの悪ふざけだったのか、それとも違う何かだったのか、私は判断に迷っていました。
でもそれから正確に一拍置いたタイミングで、ヤマビコの少女は少しの困惑もなく「助けて!」という例の通りの機械的なおうむ返しを叫びました。声は暗い竹林の中に吸い込まれて、しかしいつまでも耳に残りました。怖ろしい大声でした。そう、怖ろしかった、ぞっとしました。そこに居る女の子の姿がなんだか途方もなく大きくて冷え切った石の壁のように怖く見えて、もうそれと話してはいけないと思いました。
私はすぐ友人の腕を引っ張って、振り向かずに山道を戻りました。友人の顔は見ませんでしたが、何も言わなかったのは私と似たようなことを感じたからだと思います。仕事が終わってようやく気がつきました。私たちはその日ヤマビコのふりをしていたのではなく、本当にヤマビコだったんです。どんなに酷い叫び声や吠え声や、助けを求める悲鳴でも、もしそれが聞こえたら一拍置いてそのまま返さなければいけなかったんです。言葉ではなんてことないように聞こえるかもしれませんが、実際に見るとそれは……全く妖怪でした。
山を抜け、停留所からバスに乗って帰る途中、私は友人に言いました。「今日からは、遠くで声が反響してるときはよく耳を澄ませることにする。それと『簡単な仕事』は今後一切やらない」って。
……これでお終い、ご静聴ありがとうございました。
全く妖怪でした、でぞくぞくしましたね
とても面白かったです
それ故に最後のオチにはゾクゾクさせられました
バイト代は募金箱にねじ込んでさっさと逃げ出したくなりました
全く妖怪のようなことを疑問を持たずにやっていた二人もまたあの時妖怪だったのかもしれませんね…