「こーいーしーちゃーん!」
凛と鈴鳴りを響かせ美しく空気を震わせる残心を見せながら、秦こころは声を張り上げた。
瞬いた銀閃は頑丈な樫の木の扉を袈裟懸けに通り抜け、扉はゆっくりと沈み込むように、中の空間を露わにしてゆく。その先に見えるのは薄桃色の絨毯や、質実な本棚に敷き詰められた書籍。扉の残骸に蹴りをくれて、こころはその室内へと力強く足を踏み入れた。
「あーそーびーまーしょ!」
薙刀を後ろ手に構え、左手を前に突き出して高らかに響かせた宣言に返ってきたものは、いくらかの沈黙。そして疲労の色をにじませた、呻くような声だった。
「質問をいいかしら」
「どうぞ。これはどんと来いの表情」
「私の名前は古明地さとりで、ここは私の部屋なのだけど、どうしてこいしの名前を呼んでいるの?」
「あいつがどこにいるか分からないから、とりあえず名前を呼びつつ部屋に入る事にしているのです」
「ノックしてもらえれば普通に開けるけど、どうして扉を切り裂いて入ってくるの?」
「あいつが扉に何を仕掛けようと、もろとも切り開いて押し通るためです」
努めて淡々と質問するさとりに対し、こころの態度は悠然として如才無い。ピンと伸ばした指先まで神経の行き届いた振る舞いは、さすが能楽の舞手と関心もできようが。
「『遊びましょ』なんて言いながら、闘志満々で構えているのはなぜ?」
「本日の遊びをもって妹君を亡き者とするため、備えているのです」
「どうして遊びで亡き者にされるのよ」
「ねー、物騒だよねー」
と、さとりの側から唐突に声が割り込む。本当に一切の気配が無く、さとりの第三の目が心の声を聞く事も無かった。そういう相手は、さとりの知る限り一人しかいない。
「こいし、貴女にお客様みたいよ」
「うん、知ってる。遊びに行こうって約束してたし」
こいしがちょこんと前に出ると、ウェーブのかかった薄緑色の髪がふわりと踊る。いつもの帽子は被っていないから、今日はずっと屋敷に居たのだろう。ふらりと何日も放浪してくるのが常の彼女にしては、珍しい事ではある。誰かと遊ぶ約束をしていた、などというのはなおさらに。
「むう、現れたな我が宿敵め! 今日が貴様の命日だ!」
「フッフッフ、お前に私が倒せるものかー」
などと言葉を交わしながら、二人は連れたって部屋を出ていった。要するに、そういう関係という事だ。
「まったくもう……お空が居ない日で良かったわ」
廊下に転がった扉の残骸に目をやり、さとりは嘆息した。あの様子だと、他にも何箇所か扉をやられてそうだ。お空と遭遇したら、弾幕ごっこでは済まされない争いが勃発したかもしれない。
扉の被害請求はどこに出したものか。彼女の保護者的存在として聞くのは、尸解仙の長か、妖怪寺か、あるいは博麗神社あたりか。まあ、全部の場所に当たればどこかは対応してくれるだろう。さしあたって被害状況を調べさせるため、お燐を呼びつける。
一声で飛んできたお燐は、すっと書類の束を渡してきた。どうやら隠れて状況を観察し、被害状況も逐一まとめていたらしい。自分に危険が及ばない範囲で気を遣える有能さの証と言えたが、それを褒める気は全くしなかった。
(それにしても……)
お燐の報告書に目を通しながら、二人の立ち去った方角を見やる。
珍しいというよりは、ついぞ無い事と言ってよい。あそこまで近く、頻繁に関わり合う相手というものを、こいしが持つ事というのは。
その貴重さと、価値の大きさというものに思いを馳せれば、扉の十枚や二十枚など、てんで惜しくはない。あの難儀な妹が、かけがいのない相手を見つけられた事に深く安堵し、その二人の行く末に幸多からん事をさとりは願った。
(でも被害請求はするんだよなあ……)と、こちらの思考を読んで心中でツッコミを入れているお燐へのお仕置きは、後で考える事にする。
「なんか違う気がする」
こころがそう発言したのは、こいしと弾幕を撃ち合い、切り結び、決着の着かぬまま膠着状態に入って三十分ほども経過した後の事だった。
「何が?」
「遊びってこんなんじゃあない気がするの」
「戦う前に「少し遊んでやるか……」とか言う人もいるみたいだし、別に間違ってはないんじゃないかな?」
「うーん」
感情を操る能力の暴走で異変を起こしてしまい、以後は能力を安定させるために様々な感情の勉強を始めたこころ。少し前には誰彼構わず決闘を挑んだりもしていたが、平素の生活でも感情を学ぶ事はできると気付いてからは一転して大人しくなり、よく一緒にいる寺の入道使いや住職が逆に心配するようになった。その動かぬ表情とは裏腹に彼女は感情の振れ幅が極端で、高ぶっている時の放埒さと、大人しい時の沈着さのギャップは周りの者に不安を与えた。いつ爆発するか知れない爆弾のような印象を与えたのだ。
実際は、学んだ感情についてあれこれ考える時間が必要だっただけである。しかし内にこもっている時の彼女は、周囲からすると鬱屈した感情を溜め込んでいるように映ったらしい。そうした事には何かと気の回る入道使いの一輪が、遊んで気晴らしをするのが良いと助言したのだった。
言われた当の本人は困惑した。晴らすべき鬱屈など彼女には無かったからである。様々な体験を通じて知見を深め、感情を学ぶ日々は概ね充実したもので、ある意味では毎日遊んでいるようなものだった。遊んで来いと言われても、何をしたものか皆目見当がつかなかった。
周りの者がどうしているかを探ってみると、決まった相手とどこかに出かける事が多いようだった。一輪の場合は舟幽霊の村沙と、化け狸のマミゾウは鵺や手下の狸と。しかし、出かけて何をするのかと言えば、コソコソと居酒屋に入って行ったり、花畑や山の景色を眺めたり、通りすがった相手と弾幕ごっこに興じたりするだけで、普段とさして変わりないように思えた。しかし彼女たちの感情は、確かにその行為で晴れやかな明るいものに変わっていった。その行為が一体どういった特別さを持っているのか、こころにはどうも判然としないのだった。
たまたま遭遇したこいしと一戦交えた後にその話をしたところ「じゃあ私と遊びに行ってみよう!」と言われ、特に断る理由も無かったので快諾した。そして今に至る。
「遊ぶって、きっと何かが特別なはずなんだ。こう、いつもやっている事に見えても、何かが違っているような」
「本当に本気で命懸けの決闘とかしてみる?」
「うーん、そういう事でもないような気が……お前は普段から遊び歩いてるんだろ? 何か分からないか」
「んー、私は別に何も考えてないからなー。考えたってその通りに動けるわけじゃあないし」
「むう」
こいしは無意識を操る妖怪である。同時に彼女自身もまた無意識のままに生きており、普段から遊んでいる事も意識を向けての行いではないのだろう。もしかすると遊びのパートナーとしては不適切だったかもしれない。
これは、別の誰かに助言を仰いだ方が良いのかもしれない。
「それで何でウチに来るわけ?」
「こんな愉快な色の建物に住んでいる人はきっと愉快な人だろうと思いまして」
「よぉしいい度胸だ表に出ろ」
気色ばんで立ち上がったところを、いつの間にか隣に接近したこいしに「まあまあ」と宥められ、憮然とした表情で座り直す少女。
蝙蝠を思わせる背の翼を加味してなお、こいしよりさらに小さいその体躯を豪奢な椅子に押し込む姿は、一見して偉人ごっこでもしている幼女のようだ。しかして彼女は齢五百歳を数える吸血鬼という。内に秘める力はその外見からは想像もつかない程に大きい。が、軽く頬を膨らませたり、床に届かない足をブラブラさせて不機嫌をアピールする姿は、内面も外見相応に違いないと思わせるものではあった。
「いえ、話には聞いていたのです。紅い館の吸血鬼は高貴な方ながらも、下々の遊戯にも精通する見識の広い方だと」
「むう」
「美しく闇を舞う夜の女王であるその方は、アダルティな大人の遊戯にも通じられていると」
「ふん」
「突然の来訪者にも自ら応対される懐の深いその御方なら、遊びの何たるかを求める私たちにもきっと真摯に答えてくださると」
「ほう」
話に聞いていたというのは、まあ嘘ではない。無意識の赴くまま、誰に気付かれる事もなく幻想郷を散策しているこいしは、ここ紅魔館にもよく出入りしているそうだ。そのまま館を散策する事もあれば、気付かれて追い出されたり、たまにお菓子を振る舞われたりしているらしい。この当主、レミリア・スカーレット嬢の事も当然知っており、そのこいしから話を聞いていたわけだ。
もっともその内容ーー「適当に褒めておけば乗ってくれるよ」というものーーは半信半疑ではある。紅魔館といえば幻想郷でもそれなりに大きい勢力のはずで、その当主たる彼女がそんなにチョロい相手とは思い難い。
「まあ、下々の求めには応えてやるのも高貴なる者の努め。お前は分を弁えているようだし、話を聞いてやるのもやぶさかではないぞうん」
チョロかった。
サムズアップして笑顔を向けてくるこいしに、何やら腑に落ちないような心地を抱くこころだった。
「レミリアちゃんって夜を制する吸血鬼さんなんでしょう? きっと危険で素敵なオトナの遊びも知っているよね!」
「ちゃんはやめい。……まあ私ほどともなれば、夜の世界の酸いも甘いも噛み分けているわ」
「「おおー」」とこころが扇子をはためかせ、こいしが花吹雪を散らす。
「夜の女王さま! 女王さまはやはり夜毎に男たちをとっかえひっかえ閨に侍らせているのでしょうか!」
「えっ」
「甘いよこころちゃん。それどころか、自分好みの男に育てようと美少年を何人も囲っているに違いないわ」
「いやちょっと」
「いや待て、吸血鬼は美女の血を好むとも言う。ならば相手は男に限らず、選りすぐりの美男美女を集めたハーレムで日夜酒池肉林の宴が……」
「吸血ってセックスのメタファーとも言うし、きっと毎日何人もが精根尽き果てるまで求められているのね」
「…………咲夜ー!」
やいのやいのと発言をどんどんエスカレートさせていた二人が、その声にはっとレミリアへ向き直る。
爛々と目を輝かせる二人の前に、全く唐突にメイド姿の女性が現れた。
「こちらに」
「……あー、えーと、お前アレだ、部屋に何人か男飼ってたよな」
「飼ってるわけないでしょう!? いきなり何を言い出すんですか!」
「いや居たはずだ! 何故ならお前はこの吸血鬼レミリアの従者なのだから! わははは!」
冷や汗を流しながら高らかに宣言するレミリア。
「「ほおー」」と関心の目を向ける客人二人に、巻き添えにされた事を悟った咲夜は一瞬本気でレミリアを睨んだ。
「………………」
「………………」
「……ま、まあその、私の囲っているのはお嬢様に比べればてんで質の劣る輩ですよ。お勉強が目的であればお嬢様の方がずっとよろしいかと」
「いやいやいや、私のはほらアレだ、ちょっと危険なレベルの美男美女が集まっているから、慣れてないと目が潰れたりするのだ。まず手始めに咲夜のとこで教えてもらうのが良い」
「いえいえそれが、私はこう、その、身体が成熟しておりますので、これから大人の階段を登ろうというお二人には刺激が強すぎるかと存じますので、そこはお嬢様の慎ましいお身体で実演して頂いた方が」
「いやいや何を言う私はほら、アレだぞ? 血を吸ったりするんだから、それはもう過激も過激だぞ? お子様に見せたりしたら失神間違い無しだぞ?」
冷や汗の量は双方五分といったところだっただろう。
向けられた期待を全力で押し付け合う二人の前で、こころとこいしは正座して視聴体制をすっかり整えていた。
「大人の世界の実演までしてくれるんだって! 楽しみだなぁわくわく」
「夜の女王さまとその従者殿の実演を拝見できるとは、恐悦至極」
「………………」
期待になお目の輝きを増す二人。
ふと、レミリアはそっと立ち上がって椅子を降りる。
ちょこちょこと椅子の脇に移動すると、そこで膝を曲げてしゃがみこみ、顔を膝に埋めて両手で頭を抱えた。
そのまま、じっと動かなくなる。下段攻撃を完璧に防ぐしゃがみガードの体制だ。
「……?」
「……つっ、月、そう、月のアレがアレでして、ちょっと今日は実演は難しいとお嬢様が」
「アレ?」
「アレです。そう、私もちょっとアレでして、今日の所はこれ以上は難しいかと」
腑に落ちないと首を傾げる二人に、咲夜は滝のごとく冷や汗を落としながら言い訳を続けた。
しゃがみこんだままのレミリアを横目で呪いながら。
「……ええと、その、大人のあれこれについての知識でしたら、パチュリー様の図書館にたくさん資料があるかと存じます」
図書館に突撃してそこの主に質問を投げつけた二人は、「読書の邪魔よ」の一言と共に魔法の水流によって館の外まで追い出された。
「そういう次第なので、幻想郷一の頭脳をお持ちと謳われる天才の貴女にお話を聞きたいと思いまして」
「別に私の事はヨイショしなくてもいいけれど……」
入れば誰もが迷うという迷いの竹林。その奥に鎮座する医院には、永遠を生きる者が住む。
その一人、かつて月にあって賢者と呼ばれた八意永琳女史は、あらゆる薬を作り出す程の頭脳を持つという。
「貴女なら、きっと正しい遊びというものを教えてくれるに違いないと思ったのです」
「永遠亭のお医者さんはすっごく頭が良いってみんな言ってるからねー」
「うーん……」
ちなみに、迷いの竹林は案内人がいないと抜けるのは困難だと言われているが、こいしはたまにここに来ているという話だった。なので案内を任せてみたところ、普通に入って普通に迷い、二日間ほどもさまよい続けた挙句、通りすがりの兎に案内されてようやくたどり着いた次第である。
ろくな食事も無ければ風呂にも入れずボロボロの二人は、永遠亭に着くやいなや倒れて介抱され、落ち着いたと思ったらこんな話を始める。永琳が困惑の表情を浮かべるのも無理からぬところだった。
「まあ、お話するくらいは別に構わないけれど……」
「わーい、やったねこころちゃん!」
「よっ、日本一! 有史以来の賢人様!」
周囲でくるくると喜びの舞を踊り始める二人に、やりづらいなぁ、と思う永琳だった。
「ふむ、『遊ぶ』という行為においては、何よりも『楽しい』という感情を起こさせる事が大切ね」
「ふむふむ」
「楽しいという感情は、もっとそれを味わいたいという欲求に繋がり、さらなる体験へのトリガーとなる。欲求の原点となるこの『楽しさ』をいかに満足させるかが、遊びのもっとも重要なところと言えるでしょう」
「ほうほう」
「そもそも『楽しさ』とは何なのかという事については、『苦楽』という熟語があるように苦しみの反対と定義できます。また『快楽』という熟語から快、すなわち心地よい、気持ちが良いと感じる状態の事を指します。快楽をどのように定義するかという事については、食欲等の欲求が満たされる事による快楽、性的快感など皮膚刺激による快楽から、他人の不幸に幸福感を得るシャーデンフロイデという定義もあります。そもそも快の感覚を得る作用というのは、脳科学において報酬系、ドーパミン神経系というものが関わっており……」
「……以上のように、楽しさは人の進化と密接に関わり合っており、妖怪たちの存在においても極めて重要な意味を持つと言えるでしょう」
「さすがの見識、素晴らしい講義でした。これは感激の表情」
「そんな事言って、実は殆ど理解できなかったんじゃあないのー?」
「何を言うか。そういうお前こそ殆ど理解してないだろう」
「私は分かったもん。要するにえっちなことすればいいんでしょう?」
「まあ、別にその理解でもそんなに間違ってはいないから良いわよ」
「じゃあこころちゃん、とりあえずえっちなことしてみよう!」
「むう、不本意だが楽しさのためにはやむを得ないか」
「いや、ここでは止めてちょうだい」
「色々と言いたい事はあるのだが」
「おお、それでは遊びについてご教授いただけるのですか?」
「とりあえず座れ。ウザいから」
疲れた声音で言い放たれた言葉に、こころとこいしは教えて摩多羅様の舞(命名=二童子)を止めて正座した。
その背後では笹と竹を持った二人の少女がまだ踊っていた。
永遠亭を出発後、やっぱり普通に迷った二人は竹林の中で不可解な扉を発見した。
とりあえず潜ってみて、幾多もの扉が浮かぶ不思議空間を抜けた先にその女性はいた。
摩多羅隠岐奈と名乗ったその女性は、様々な異名を持つ究極の絶対秘神であるという。能楽の神でもあるという彼女を前にこころは興奮を抑えられない様子だったが、とりあえず今は目的を優先しようという話になった。大いなる力を持つ神様ならば素晴らしい知慧を授けてくれるに違いないと。
ちなみに、二童子と呼ばれた後ろで踊っている二人の事はよくわからなかった。
「えー……まあ、遊びというのを私の立場から言うなら、神遊び、神楽というものについて話すべきかな。神楽というのは……」
「はい神様! 神前で歌舞を奏して奉納する事です!」
「う、うむそうだな。能楽にも神楽はもちろんあって……」
「そう! 神楽についての書物を貸本屋で見つけて、一度博麗神社でも舞ったのです! その時はあまり評判良くなかったのですが、あれから修練を重ねて磨きをかけてきたのです!」
と、こころは幣を取り出して緩やかな動作で舞い始めた。
後ろでは二童子がまだ踊っており、こころの踊りとは拍子が全く異なるせいで大変な異物感を醸し出していた。
「ふーん、普段の踊りと何が違うのかよく分からないわー」
「何を言う! この指先と足運びの繊細さが分からないか! 気品高い雅さが神へと捧げるために欠かせないのだ!」
「ふふん、そんなのだったら私でもできそうだわー。ほら、こんな感じでひらひら~って」
かくして隠岐奈は二人の踊る、見て見て摩多羅様の舞(命名=二童子)を一時間ほども眺める羽目になった。
後ろでは二童子がずっと踊っていた。
「結局遊びについてはよく分からなかったな」
「こころちゃんが鼻息荒くして踊ってたからでしょー」
クタクタになるまで踊り続け、「気が済んだならもうお帰り」とすげなく追い払われた二人は、博麗神社にほど近い丘を歩いていた。
後ろでは二童子がまだ踊っていた。
「お前だって踊っていたじゃあないか」
「私はこころちゃんに合わせて踊っただけだもーん」
やいのやいのと言い合いを始める二人の前に、ふわりとスカートをなびかせた少女が立ち止まった。
「あれ? 何してるの貴女たち。神社に向かう途中?」
黒のソフト帽に、幻想郷では珍しい赤縁のメガネをかけた少女。硬い生地のモダンな洋装もあまり幻想郷では見られない。
少女の名は宇佐見菫子。少し前にオカルトボールなるものを巡って異変があった際に、こころやこいしとも面識をもった(というか戦った)。二人はその件について詳しい話を聞いていないが、なんでも彼女が首謀者であったらしい。
現在は主に博麗神社をよく訪れており、特にこころは神社で何度も顔を合わせている。話に聞くと、なんでも彼女は外の世界の住人らしいが……。
「……うーむ、考えてみれば外の世界はこっちよりも進んでいるという。ならばより進化した遊びを知っているという事も?」
「進化した遊びかー。きっと爪で何回も相手を斬り裂いて、最後に炎で爆発させたりするのね!」
「それは遊びは終わりなやつ……って何の話?」
「遊びの何たるか……って、そんな事聞かれてもなぁ」
「楽しいって事が大事なのはわかるんだけど、具体的にどういう事が良いのかよく分からないのです」
「外の世界って遊びも沢山有るんでしょ?」
わくわくと身を乗り出してくる二人に、菫子はいささか困惑した様子だった。しかし、頼られて悪い気はしないのか、迷惑そうにする程でもない。
「んー……こほん。えっとね、遊びに一番大切なのは、友達の存在だと思うの」
「友達?」
「そう。大切な友達が一緒にいれば、普段と変わりないような事だって、きっと楽しくなるんだわ」
タケノコ料理を振る舞ってくれた時の妹紅の笑顔を、服を見立ててくれたマミゾウの悪戯っぽい微笑みを、美味しい饅頭屋を見つけた時に笑いあった華扇の顔を、菫子は思い出していた。自惚れかもしれないけれど、あの時に菫子がそこにいた事が彼女たちを笑顔にしたのなら、それはとても素敵な事だと思ったのだ。
「どこに行くのでも、何をするのでもいい。一緒にいる友達とそれを共有できれば、笑顔になれる。それが楽しいって事なのよ、きっと」
そう言って菫子は、少し赤くなった頬をかいた。
「……なんて、私が言うのは変かもしれないけどね。こっちに来る前は『友達なんて私には不要なもの』って思ってたしね。でも、こっちに来て色んな人と会って、今とっても楽しいから、きっとそういう事なのかなって」
あは、と笑う菫子。それは自嘲のようでもあったし、未来への希望のようでもあった。
「貴女たちだってそうでしょう? しょっちゅう二人でいるんだもの。仲の良い友達と一緒なら、いつだって楽しいって気持ちと一緒なんじゃあないかしら?」
菫子の投げかけた言葉に、こころとこいしはお互いの目を見た。鏡写しのように、しばしの間見つめ合う。
そして、ゆっくりと菫子に向き直る。
「別に、こいつと私は友達じゃあないぞ?」
「えっ」
「うん、別に仲良しでもないよねー」
「そうだな、むしろ宿敵というか、いつか倒すべき敵といったところだ」
「隙あらば首を掻っ切ってやろうと思ってるもんねー」
その言葉に、音もなく薙刀を構えたこころがこいしの首へと狙いを定める。
「首を掻っ切るだと? 面白い事を言う。お前のナイフが私の髪の先端にでも触れられるなら良いのだがな」
「あれー? こころちゃんまだ分からないんだ? 気付けない相手を追い払うなんて誰にもできないって」
「上等だ! 今のうちに胴体へと別れの言葉を告げておくのだな!」
「周囲のお面も全部私がもらって、あなたの生首を六十七個目のお面に加えてあげるわー!」
飛び上がって切り結び、瞬時に離れて双方弾幕を展開する。生命と誇りを懸けた決闘の始まりである。
こころの纏う青白い妖気が、こいしの放つ薔薇の弾幕が、黄昏の紅に染まる空を彩っていった。
「ちょっと! 私良いこと言ったのに何よこのオチ! 急になんかすっごい恥ずかしくなってきたんだけどうわあああ!!!」
空に火花を散らす二人の下で、菫子は頭を抱えて呻いていた。
後ろでは二童子がまだ踊っていた。
凛と鈴鳴りを響かせ美しく空気を震わせる残心を見せながら、秦こころは声を張り上げた。
瞬いた銀閃は頑丈な樫の木の扉を袈裟懸けに通り抜け、扉はゆっくりと沈み込むように、中の空間を露わにしてゆく。その先に見えるのは薄桃色の絨毯や、質実な本棚に敷き詰められた書籍。扉の残骸に蹴りをくれて、こころはその室内へと力強く足を踏み入れた。
「あーそーびーまーしょ!」
薙刀を後ろ手に構え、左手を前に突き出して高らかに響かせた宣言に返ってきたものは、いくらかの沈黙。そして疲労の色をにじませた、呻くような声だった。
「質問をいいかしら」
「どうぞ。これはどんと来いの表情」
「私の名前は古明地さとりで、ここは私の部屋なのだけど、どうしてこいしの名前を呼んでいるの?」
「あいつがどこにいるか分からないから、とりあえず名前を呼びつつ部屋に入る事にしているのです」
「ノックしてもらえれば普通に開けるけど、どうして扉を切り裂いて入ってくるの?」
「あいつが扉に何を仕掛けようと、もろとも切り開いて押し通るためです」
努めて淡々と質問するさとりに対し、こころの態度は悠然として如才無い。ピンと伸ばした指先まで神経の行き届いた振る舞いは、さすが能楽の舞手と関心もできようが。
「『遊びましょ』なんて言いながら、闘志満々で構えているのはなぜ?」
「本日の遊びをもって妹君を亡き者とするため、備えているのです」
「どうして遊びで亡き者にされるのよ」
「ねー、物騒だよねー」
と、さとりの側から唐突に声が割り込む。本当に一切の気配が無く、さとりの第三の目が心の声を聞く事も無かった。そういう相手は、さとりの知る限り一人しかいない。
「こいし、貴女にお客様みたいよ」
「うん、知ってる。遊びに行こうって約束してたし」
こいしがちょこんと前に出ると、ウェーブのかかった薄緑色の髪がふわりと踊る。いつもの帽子は被っていないから、今日はずっと屋敷に居たのだろう。ふらりと何日も放浪してくるのが常の彼女にしては、珍しい事ではある。誰かと遊ぶ約束をしていた、などというのはなおさらに。
「むう、現れたな我が宿敵め! 今日が貴様の命日だ!」
「フッフッフ、お前に私が倒せるものかー」
などと言葉を交わしながら、二人は連れたって部屋を出ていった。要するに、そういう関係という事だ。
「まったくもう……お空が居ない日で良かったわ」
廊下に転がった扉の残骸に目をやり、さとりは嘆息した。あの様子だと、他にも何箇所か扉をやられてそうだ。お空と遭遇したら、弾幕ごっこでは済まされない争いが勃発したかもしれない。
扉の被害請求はどこに出したものか。彼女の保護者的存在として聞くのは、尸解仙の長か、妖怪寺か、あるいは博麗神社あたりか。まあ、全部の場所に当たればどこかは対応してくれるだろう。さしあたって被害状況を調べさせるため、お燐を呼びつける。
一声で飛んできたお燐は、すっと書類の束を渡してきた。どうやら隠れて状況を観察し、被害状況も逐一まとめていたらしい。自分に危険が及ばない範囲で気を遣える有能さの証と言えたが、それを褒める気は全くしなかった。
(それにしても……)
お燐の報告書に目を通しながら、二人の立ち去った方角を見やる。
珍しいというよりは、ついぞ無い事と言ってよい。あそこまで近く、頻繁に関わり合う相手というものを、こいしが持つ事というのは。
その貴重さと、価値の大きさというものに思いを馳せれば、扉の十枚や二十枚など、てんで惜しくはない。あの難儀な妹が、かけがいのない相手を見つけられた事に深く安堵し、その二人の行く末に幸多からん事をさとりは願った。
(でも被害請求はするんだよなあ……)と、こちらの思考を読んで心中でツッコミを入れているお燐へのお仕置きは、後で考える事にする。
「なんか違う気がする」
こころがそう発言したのは、こいしと弾幕を撃ち合い、切り結び、決着の着かぬまま膠着状態に入って三十分ほども経過した後の事だった。
「何が?」
「遊びってこんなんじゃあない気がするの」
「戦う前に「少し遊んでやるか……」とか言う人もいるみたいだし、別に間違ってはないんじゃないかな?」
「うーん」
感情を操る能力の暴走で異変を起こしてしまい、以後は能力を安定させるために様々な感情の勉強を始めたこころ。少し前には誰彼構わず決闘を挑んだりもしていたが、平素の生活でも感情を学ぶ事はできると気付いてからは一転して大人しくなり、よく一緒にいる寺の入道使いや住職が逆に心配するようになった。その動かぬ表情とは裏腹に彼女は感情の振れ幅が極端で、高ぶっている時の放埒さと、大人しい時の沈着さのギャップは周りの者に不安を与えた。いつ爆発するか知れない爆弾のような印象を与えたのだ。
実際は、学んだ感情についてあれこれ考える時間が必要だっただけである。しかし内にこもっている時の彼女は、周囲からすると鬱屈した感情を溜め込んでいるように映ったらしい。そうした事には何かと気の回る入道使いの一輪が、遊んで気晴らしをするのが良いと助言したのだった。
言われた当の本人は困惑した。晴らすべき鬱屈など彼女には無かったからである。様々な体験を通じて知見を深め、感情を学ぶ日々は概ね充実したもので、ある意味では毎日遊んでいるようなものだった。遊んで来いと言われても、何をしたものか皆目見当がつかなかった。
周りの者がどうしているかを探ってみると、決まった相手とどこかに出かける事が多いようだった。一輪の場合は舟幽霊の村沙と、化け狸のマミゾウは鵺や手下の狸と。しかし、出かけて何をするのかと言えば、コソコソと居酒屋に入って行ったり、花畑や山の景色を眺めたり、通りすがった相手と弾幕ごっこに興じたりするだけで、普段とさして変わりないように思えた。しかし彼女たちの感情は、確かにその行為で晴れやかな明るいものに変わっていった。その行為が一体どういった特別さを持っているのか、こころにはどうも判然としないのだった。
たまたま遭遇したこいしと一戦交えた後にその話をしたところ「じゃあ私と遊びに行ってみよう!」と言われ、特に断る理由も無かったので快諾した。そして今に至る。
「遊ぶって、きっと何かが特別なはずなんだ。こう、いつもやっている事に見えても、何かが違っているような」
「本当に本気で命懸けの決闘とかしてみる?」
「うーん、そういう事でもないような気が……お前は普段から遊び歩いてるんだろ? 何か分からないか」
「んー、私は別に何も考えてないからなー。考えたってその通りに動けるわけじゃあないし」
「むう」
こいしは無意識を操る妖怪である。同時に彼女自身もまた無意識のままに生きており、普段から遊んでいる事も意識を向けての行いではないのだろう。もしかすると遊びのパートナーとしては不適切だったかもしれない。
これは、別の誰かに助言を仰いだ方が良いのかもしれない。
「それで何でウチに来るわけ?」
「こんな愉快な色の建物に住んでいる人はきっと愉快な人だろうと思いまして」
「よぉしいい度胸だ表に出ろ」
気色ばんで立ち上がったところを、いつの間にか隣に接近したこいしに「まあまあ」と宥められ、憮然とした表情で座り直す少女。
蝙蝠を思わせる背の翼を加味してなお、こいしよりさらに小さいその体躯を豪奢な椅子に押し込む姿は、一見して偉人ごっこでもしている幼女のようだ。しかして彼女は齢五百歳を数える吸血鬼という。内に秘める力はその外見からは想像もつかない程に大きい。が、軽く頬を膨らませたり、床に届かない足をブラブラさせて不機嫌をアピールする姿は、内面も外見相応に違いないと思わせるものではあった。
「いえ、話には聞いていたのです。紅い館の吸血鬼は高貴な方ながらも、下々の遊戯にも精通する見識の広い方だと」
「むう」
「美しく闇を舞う夜の女王であるその方は、アダルティな大人の遊戯にも通じられていると」
「ふん」
「突然の来訪者にも自ら応対される懐の深いその御方なら、遊びの何たるかを求める私たちにもきっと真摯に答えてくださると」
「ほう」
話に聞いていたというのは、まあ嘘ではない。無意識の赴くまま、誰に気付かれる事もなく幻想郷を散策しているこいしは、ここ紅魔館にもよく出入りしているそうだ。そのまま館を散策する事もあれば、気付かれて追い出されたり、たまにお菓子を振る舞われたりしているらしい。この当主、レミリア・スカーレット嬢の事も当然知っており、そのこいしから話を聞いていたわけだ。
もっともその内容ーー「適当に褒めておけば乗ってくれるよ」というものーーは半信半疑ではある。紅魔館といえば幻想郷でもそれなりに大きい勢力のはずで、その当主たる彼女がそんなにチョロい相手とは思い難い。
「まあ、下々の求めには応えてやるのも高貴なる者の努め。お前は分を弁えているようだし、話を聞いてやるのもやぶさかではないぞうん」
チョロかった。
サムズアップして笑顔を向けてくるこいしに、何やら腑に落ちないような心地を抱くこころだった。
「レミリアちゃんって夜を制する吸血鬼さんなんでしょう? きっと危険で素敵なオトナの遊びも知っているよね!」
「ちゃんはやめい。……まあ私ほどともなれば、夜の世界の酸いも甘いも噛み分けているわ」
「「おおー」」とこころが扇子をはためかせ、こいしが花吹雪を散らす。
「夜の女王さま! 女王さまはやはり夜毎に男たちをとっかえひっかえ閨に侍らせているのでしょうか!」
「えっ」
「甘いよこころちゃん。それどころか、自分好みの男に育てようと美少年を何人も囲っているに違いないわ」
「いやちょっと」
「いや待て、吸血鬼は美女の血を好むとも言う。ならば相手は男に限らず、選りすぐりの美男美女を集めたハーレムで日夜酒池肉林の宴が……」
「吸血ってセックスのメタファーとも言うし、きっと毎日何人もが精根尽き果てるまで求められているのね」
「…………咲夜ー!」
やいのやいのと発言をどんどんエスカレートさせていた二人が、その声にはっとレミリアへ向き直る。
爛々と目を輝かせる二人の前に、全く唐突にメイド姿の女性が現れた。
「こちらに」
「……あー、えーと、お前アレだ、部屋に何人か男飼ってたよな」
「飼ってるわけないでしょう!? いきなり何を言い出すんですか!」
「いや居たはずだ! 何故ならお前はこの吸血鬼レミリアの従者なのだから! わははは!」
冷や汗を流しながら高らかに宣言するレミリア。
「「ほおー」」と関心の目を向ける客人二人に、巻き添えにされた事を悟った咲夜は一瞬本気でレミリアを睨んだ。
「………………」
「………………」
「……ま、まあその、私の囲っているのはお嬢様に比べればてんで質の劣る輩ですよ。お勉強が目的であればお嬢様の方がずっとよろしいかと」
「いやいやいや、私のはほらアレだ、ちょっと危険なレベルの美男美女が集まっているから、慣れてないと目が潰れたりするのだ。まず手始めに咲夜のとこで教えてもらうのが良い」
「いえいえそれが、私はこう、その、身体が成熟しておりますので、これから大人の階段を登ろうというお二人には刺激が強すぎるかと存じますので、そこはお嬢様の慎ましいお身体で実演して頂いた方が」
「いやいや何を言う私はほら、アレだぞ? 血を吸ったりするんだから、それはもう過激も過激だぞ? お子様に見せたりしたら失神間違い無しだぞ?」
冷や汗の量は双方五分といったところだっただろう。
向けられた期待を全力で押し付け合う二人の前で、こころとこいしは正座して視聴体制をすっかり整えていた。
「大人の世界の実演までしてくれるんだって! 楽しみだなぁわくわく」
「夜の女王さまとその従者殿の実演を拝見できるとは、恐悦至極」
「………………」
期待になお目の輝きを増す二人。
ふと、レミリアはそっと立ち上がって椅子を降りる。
ちょこちょこと椅子の脇に移動すると、そこで膝を曲げてしゃがみこみ、顔を膝に埋めて両手で頭を抱えた。
そのまま、じっと動かなくなる。下段攻撃を完璧に防ぐしゃがみガードの体制だ。
「……?」
「……つっ、月、そう、月のアレがアレでして、ちょっと今日は実演は難しいとお嬢様が」
「アレ?」
「アレです。そう、私もちょっとアレでして、今日の所はこれ以上は難しいかと」
腑に落ちないと首を傾げる二人に、咲夜は滝のごとく冷や汗を落としながら言い訳を続けた。
しゃがみこんだままのレミリアを横目で呪いながら。
「……ええと、その、大人のあれこれについての知識でしたら、パチュリー様の図書館にたくさん資料があるかと存じます」
図書館に突撃してそこの主に質問を投げつけた二人は、「読書の邪魔よ」の一言と共に魔法の水流によって館の外まで追い出された。
「そういう次第なので、幻想郷一の頭脳をお持ちと謳われる天才の貴女にお話を聞きたいと思いまして」
「別に私の事はヨイショしなくてもいいけれど……」
入れば誰もが迷うという迷いの竹林。その奥に鎮座する医院には、永遠を生きる者が住む。
その一人、かつて月にあって賢者と呼ばれた八意永琳女史は、あらゆる薬を作り出す程の頭脳を持つという。
「貴女なら、きっと正しい遊びというものを教えてくれるに違いないと思ったのです」
「永遠亭のお医者さんはすっごく頭が良いってみんな言ってるからねー」
「うーん……」
ちなみに、迷いの竹林は案内人がいないと抜けるのは困難だと言われているが、こいしはたまにここに来ているという話だった。なので案内を任せてみたところ、普通に入って普通に迷い、二日間ほどもさまよい続けた挙句、通りすがりの兎に案内されてようやくたどり着いた次第である。
ろくな食事も無ければ風呂にも入れずボロボロの二人は、永遠亭に着くやいなや倒れて介抱され、落ち着いたと思ったらこんな話を始める。永琳が困惑の表情を浮かべるのも無理からぬところだった。
「まあ、お話するくらいは別に構わないけれど……」
「わーい、やったねこころちゃん!」
「よっ、日本一! 有史以来の賢人様!」
周囲でくるくると喜びの舞を踊り始める二人に、やりづらいなぁ、と思う永琳だった。
「ふむ、『遊ぶ』という行為においては、何よりも『楽しい』という感情を起こさせる事が大切ね」
「ふむふむ」
「楽しいという感情は、もっとそれを味わいたいという欲求に繋がり、さらなる体験へのトリガーとなる。欲求の原点となるこの『楽しさ』をいかに満足させるかが、遊びのもっとも重要なところと言えるでしょう」
「ほうほう」
「そもそも『楽しさ』とは何なのかという事については、『苦楽』という熟語があるように苦しみの反対と定義できます。また『快楽』という熟語から快、すなわち心地よい、気持ちが良いと感じる状態の事を指します。快楽をどのように定義するかという事については、食欲等の欲求が満たされる事による快楽、性的快感など皮膚刺激による快楽から、他人の不幸に幸福感を得るシャーデンフロイデという定義もあります。そもそも快の感覚を得る作用というのは、脳科学において報酬系、ドーパミン神経系というものが関わっており……」
「……以上のように、楽しさは人の進化と密接に関わり合っており、妖怪たちの存在においても極めて重要な意味を持つと言えるでしょう」
「さすがの見識、素晴らしい講義でした。これは感激の表情」
「そんな事言って、実は殆ど理解できなかったんじゃあないのー?」
「何を言うか。そういうお前こそ殆ど理解してないだろう」
「私は分かったもん。要するにえっちなことすればいいんでしょう?」
「まあ、別にその理解でもそんなに間違ってはいないから良いわよ」
「じゃあこころちゃん、とりあえずえっちなことしてみよう!」
「むう、不本意だが楽しさのためにはやむを得ないか」
「いや、ここでは止めてちょうだい」
「色々と言いたい事はあるのだが」
「おお、それでは遊びについてご教授いただけるのですか?」
「とりあえず座れ。ウザいから」
疲れた声音で言い放たれた言葉に、こころとこいしは教えて摩多羅様の舞(命名=二童子)を止めて正座した。
その背後では笹と竹を持った二人の少女がまだ踊っていた。
永遠亭を出発後、やっぱり普通に迷った二人は竹林の中で不可解な扉を発見した。
とりあえず潜ってみて、幾多もの扉が浮かぶ不思議空間を抜けた先にその女性はいた。
摩多羅隠岐奈と名乗ったその女性は、様々な異名を持つ究極の絶対秘神であるという。能楽の神でもあるという彼女を前にこころは興奮を抑えられない様子だったが、とりあえず今は目的を優先しようという話になった。大いなる力を持つ神様ならば素晴らしい知慧を授けてくれるに違いないと。
ちなみに、二童子と呼ばれた後ろで踊っている二人の事はよくわからなかった。
「えー……まあ、遊びというのを私の立場から言うなら、神遊び、神楽というものについて話すべきかな。神楽というのは……」
「はい神様! 神前で歌舞を奏して奉納する事です!」
「う、うむそうだな。能楽にも神楽はもちろんあって……」
「そう! 神楽についての書物を貸本屋で見つけて、一度博麗神社でも舞ったのです! その時はあまり評判良くなかったのですが、あれから修練を重ねて磨きをかけてきたのです!」
と、こころは幣を取り出して緩やかな動作で舞い始めた。
後ろでは二童子がまだ踊っており、こころの踊りとは拍子が全く異なるせいで大変な異物感を醸し出していた。
「ふーん、普段の踊りと何が違うのかよく分からないわー」
「何を言う! この指先と足運びの繊細さが分からないか! 気品高い雅さが神へと捧げるために欠かせないのだ!」
「ふふん、そんなのだったら私でもできそうだわー。ほら、こんな感じでひらひら~って」
かくして隠岐奈は二人の踊る、見て見て摩多羅様の舞(命名=二童子)を一時間ほども眺める羽目になった。
後ろでは二童子がずっと踊っていた。
「結局遊びについてはよく分からなかったな」
「こころちゃんが鼻息荒くして踊ってたからでしょー」
クタクタになるまで踊り続け、「気が済んだならもうお帰り」とすげなく追い払われた二人は、博麗神社にほど近い丘を歩いていた。
後ろでは二童子がまだ踊っていた。
「お前だって踊っていたじゃあないか」
「私はこころちゃんに合わせて踊っただけだもーん」
やいのやいのと言い合いを始める二人の前に、ふわりとスカートをなびかせた少女が立ち止まった。
「あれ? 何してるの貴女たち。神社に向かう途中?」
黒のソフト帽に、幻想郷では珍しい赤縁のメガネをかけた少女。硬い生地のモダンな洋装もあまり幻想郷では見られない。
少女の名は宇佐見菫子。少し前にオカルトボールなるものを巡って異変があった際に、こころやこいしとも面識をもった(というか戦った)。二人はその件について詳しい話を聞いていないが、なんでも彼女が首謀者であったらしい。
現在は主に博麗神社をよく訪れており、特にこころは神社で何度も顔を合わせている。話に聞くと、なんでも彼女は外の世界の住人らしいが……。
「……うーむ、考えてみれば外の世界はこっちよりも進んでいるという。ならばより進化した遊びを知っているという事も?」
「進化した遊びかー。きっと爪で何回も相手を斬り裂いて、最後に炎で爆発させたりするのね!」
「それは遊びは終わりなやつ……って何の話?」
「遊びの何たるか……って、そんな事聞かれてもなぁ」
「楽しいって事が大事なのはわかるんだけど、具体的にどういう事が良いのかよく分からないのです」
「外の世界って遊びも沢山有るんでしょ?」
わくわくと身を乗り出してくる二人に、菫子はいささか困惑した様子だった。しかし、頼られて悪い気はしないのか、迷惑そうにする程でもない。
「んー……こほん。えっとね、遊びに一番大切なのは、友達の存在だと思うの」
「友達?」
「そう。大切な友達が一緒にいれば、普段と変わりないような事だって、きっと楽しくなるんだわ」
タケノコ料理を振る舞ってくれた時の妹紅の笑顔を、服を見立ててくれたマミゾウの悪戯っぽい微笑みを、美味しい饅頭屋を見つけた時に笑いあった華扇の顔を、菫子は思い出していた。自惚れかもしれないけれど、あの時に菫子がそこにいた事が彼女たちを笑顔にしたのなら、それはとても素敵な事だと思ったのだ。
「どこに行くのでも、何をするのでもいい。一緒にいる友達とそれを共有できれば、笑顔になれる。それが楽しいって事なのよ、きっと」
そう言って菫子は、少し赤くなった頬をかいた。
「……なんて、私が言うのは変かもしれないけどね。こっちに来る前は『友達なんて私には不要なもの』って思ってたしね。でも、こっちに来て色んな人と会って、今とっても楽しいから、きっとそういう事なのかなって」
あは、と笑う菫子。それは自嘲のようでもあったし、未来への希望のようでもあった。
「貴女たちだってそうでしょう? しょっちゅう二人でいるんだもの。仲の良い友達と一緒なら、いつだって楽しいって気持ちと一緒なんじゃあないかしら?」
菫子の投げかけた言葉に、こころとこいしはお互いの目を見た。鏡写しのように、しばしの間見つめ合う。
そして、ゆっくりと菫子に向き直る。
「別に、こいつと私は友達じゃあないぞ?」
「えっ」
「うん、別に仲良しでもないよねー」
「そうだな、むしろ宿敵というか、いつか倒すべき敵といったところだ」
「隙あらば首を掻っ切ってやろうと思ってるもんねー」
その言葉に、音もなく薙刀を構えたこころがこいしの首へと狙いを定める。
「首を掻っ切るだと? 面白い事を言う。お前のナイフが私の髪の先端にでも触れられるなら良いのだがな」
「あれー? こころちゃんまだ分からないんだ? 気付けない相手を追い払うなんて誰にもできないって」
「上等だ! 今のうちに胴体へと別れの言葉を告げておくのだな!」
「周囲のお面も全部私がもらって、あなたの生首を六十七個目のお面に加えてあげるわー!」
飛び上がって切り結び、瞬時に離れて双方弾幕を展開する。生命と誇りを懸けた決闘の始まりである。
こころの纏う青白い妖気が、こいしの放つ薔薇の弾幕が、黄昏の紅に染まる空を彩っていった。
「ちょっと! 私良いこと言ったのに何よこのオチ! 急になんかすっごい恥ずかしくなってきたんだけどうわあああ!!!」
空に火花を散らす二人の下で、菫子は頭を抱えて呻いていた。
後ろでは二童子がまだ踊っていた。
面白かったです
見て見て摩多羅様の舞、良いですね
サクッと読める楽しい短編でした。
>「私は分かったもん。要するにえっちなことすればいいんでしょう?」
>「まあ、別にその理解でもそんなに間違ってはいないから良いわよ」
>「じゃあこころちゃん、とりあえずえっちなことしてみよう!」
>「むう、不本意だが楽しさのためにはやむを得ないか」
ツッコむ人が居ない(えっちな意味でなく)
隠岐奈とこころのSSってこれが初めてじゃないですかい?
やっぱりこいここ可愛い