秋が深まると、私の仕事は一際忙しくなる。
なにしろ、二百由旬だ。その間に抜け目なく生えてる桜の本数といえば……。私自身何度か数えてみようとしてみたが、半分あたりで自分の半霊につまづいたり、くしゃみをしたり、急に幽々子さまに話しかけられたりした拍子に何本だったか分からなくなってしまった。まったく、自分の未熟さを感じることしきりだ。
ともかくそういう訳だから、深秋の白玉楼といえば尽きることのない落葉の舞い散る、むさしのの空となるのだ。
寂しさと美しさの同居する、息の抜けるような絶景だろう――。掃き清める手間を考えなければ。
無論、私だって手をこまねいている訳ではない。
剣術の第一歩は清掃にあり。
箒の握り、掃く力の入れ方、足の運び、体の開き。
全て、剣に通ずるものだ。
更に言えば、古人にいわく、掃き清めるは落ち葉にあらず、己が心の汚れなり。
そう肝に銘じ、立ち合いと同じ気合いで掃除に臨むものの、
「とはいえ……流石にこれは……」
あえなく敗北。
くたりと体の力を抜いて、私は座り込む。背後に積み上げ、積み上げたるは私自身の倍は優に超える高さの落ち葉の山だ。
精根尽きかけの私をあざ笑うように、一葉ひらりと舞い踊り、終には私の頭の上に着地した。うんざりした私は、それを払う気にもならない。
私の眼前では、石畳の上に静々と落ち葉が降り積もっていく。そこは数瞬前まで、完璧に掃き清めてあった場所だ。もう十数度、同じ事を繰り返している。先程の立ち合いの例えで言えば、幾度斬りつけようと即座に刃傷の癒える敵に立ち向かうようなものだった。
「駄目だぁ……」
私はため息をついた。こうなったらどこぞの女神に倣って、紅葉を悉く蹴り落としてやろうか、という考えがちらりと過ぎる。でも私には、それを実行する気にはなれなかった。
私はのっそり立ち上がった。落葉に煙る白玉楼。朱、黄、山吹、紅、朽葉色。様々に色づいた葉々は絶えずして、しかし同色のものは二つとない。
この情景を壊すことは、私には出来ない。少なくとも、自分の仕事を楽にする、その程度のことのためには。
不意に、心がかあっと熱くなった。熱は胸から喉を通り、口先まではい上がる。この光景を、なにがしかの表現で表したい。それは、例えようもない欲求だった。
でも。
このような景色には、どんな言葉が相応しいだろう?
私は考えのまとまらないままに、口を開いた。
何と言うべきだろう。
美しい、だろうか。そう形容するには、この光景は儚すぎる。
寂しい、だろうか。そう形容するには、この景色は艶やかすぎる。
では、何と言うべきか。
悩み、悩み、結局口から溢れ出たのは、
「…………あぁ、きれいだなぁ」
なんとも陳腐な、ありふれ過ぎた感想だった。
やっぱり、私は未熟者だ。
感動することしきりの私だが、こうまで己の仕事の邪魔をされて、ただで引き返すわけにはいかない。それこそ、白玉楼の庭師の名が泣くというものだ。
では、いかにして一矢報いるべきだろう。
迷っている私の視界が、朽葉色一色に染まる。
「ふえっ」
思わず情けない声が出る。葉っぱが一枚、風に乗ってぺしりと顔に張り付いたのだ。おのれ。
思わず叩き斬ってやろうか、と考えた時、不意にひらめいた。
「そうだっ」
傍らの老木に立て掛けていた二振りのうち、長物――楼観剣を手に取り、立ち上がる。
「この楼観剣に――」
すらり、と刀を抜く。私の身長からすれば楼観剣は長過ぎ、それ故に抜くだけでもちょっと大変だ。師匠くらい身長があれば、しなくてもいい苦労なのだけど。
湾れ刃の紋様も艶やかに、楼観剣がその身を現す。私は刀を両手で構え、気息を整えた。
「――斬れぬものなど!」
ひゅう、と楼観剣が風を切る。私が斬らんとしているのは、今この場に夥しくあるもの、すなわち空を舞う落葉だ。
「――あんまり!」
ひゅうひゅうと風切り音。いえ違うんです師匠これは遊んでるとかそういうんじゃなくてちゃんと修行の一環としていやまだ一枚も斬れてませんけどそれはほら簡単に斬れたら修行にならないっていうかほら今! 見ましたか師匠今ちょっとほら、ほら斬れてる、ような、うん斬れてるうん千切れてないちゃんと斬れてる斬れてるほら師匠早速修行の成果ですよ師匠これで! 私も! 未熟! 挽回!
「――ない、はず……。うん、刀は、斬れます、よ?」
ぜえぜえ、とふいごのように息を乱して私はへたりこむ。
ああ、ごめんなさい師匠。あなたの孫は、一生未熟者です……。
私は地面に突っ伏した。かくなる敗北を喫した身としては、もはや枯葉の洪水に身を任せ、土に還り、新たな桜の苗床となるしか……。
悲壮な覚悟を決めたその時、
「へにゃあ!?」
頭の上にぐんにょりしたものが。なになになんなのたすけてこわいたーべーなーいーでー!
私はばっと飛び上がって、さっと猫のように後ろへ下がった。右左と視線を走らせ、犯人を探す。
目の前に白いお餅のような物が現れ、私の頰にぶつかった。ぐんにょり。
「……って、私じゃないですか。おどかさないでよー」
私は激しく抗議した。これは私の半身、半霊だ。そういえばどこいってたんだろう。あまり意識してないが、半霊にも独自の行動原理があるらしく、いつも一緒にいるわけではない。
半霊はふよふよ浮いたまま、くるくると身をよじった。どうやら少しお怒りらしい。
「え? 半身として情けない? ふん、どうせ私は未熟者ですよ。この落葉を斬れるまで、どれだけかかるか……。え? 違う? 私はもう、これ位斬れて当たり前、なのに斬れない、愚か、愚図、持てる力の無駄遣い……。あんたねー!」
私は心底怒った。この半霊という奴は、自分に対して遠慮や妥協なんてものを全く考えない。まったく頑固なやつだ。
「じゃあどうしろって言うのよ。……力で速さに勝とうとするのが間違い、速さには速さ……。ん、んん? ……あー! そういうことねー!」
私は投げ捨てていた鞘を拾い上げ、ぱちんと楼観剣を納めた。そのまま、瞬時に刀を抜けるように構える。
抜刀術。
相手の先の先を突く、神速の剣技。
半霊の勿体ぶった言葉で、私の行き着いた解答がこれだった。
「いくよ……」
私が言うと、半霊がくるりと宙を回って私の側についた。
魂魄家が奥義は人霊一剣。二つの力を、一つの剣に乗せるのだ。
師匠の低い声が、耳の奥深くで静かに響く。
そう。
思えばこれが、私とお爺様の最後の会話だった――。
風が吹いた。
落葉が、舞う、舞う、舞う。だけど、私はもうそんな有象無象に目をくれはしない。
私が目をつけたのはただ一葉、老木の頂点近くに残るものだ。その葉は朱く、赤く、紅い。
その葉が、一際強い風に巻き上げられる。如何なる突風にも耐えてきた葉柄が、ついに、枝から手を離した。
落葉は風に乗って舞い上がる。高く、高く。
老木の遥か上まで昇った落葉は、しかし力を使い果たし、あとは落ちるばかりだ。
右にひらり、と舞い踊る。
左にはらり、と舞い落ちる。
ひらり、はらり。ひらり、はらり。
ゆっくりと地面に近づいていくそれを見ながら、私は無心の境地に入った。
この身、この心は一振りの刀。ならば、あとは只斬るのみ。
落葉が、目線の高さまで至った時。
鞘走りの音だけが、私の耳にいつまでも残っていた。
斬った感触は、全く無かった。
というか、抜いた感覚さえなかった。気づいたら片手には抜き身の刀、目の前の地面には両断された紅葉が落ちている。
「斬れた……」
何よりも自分自身の確認の為に、私はそう呟いた。
言葉が形をとったように、じわじわと全身に実感が回っていく。すう、と納刀した後、
「やっ………ったーー!!」
嬉しさのあまり飛び跳ねる。半霊とハイタッチ、ならぬ霊タッチ。ああ、ふんにょり。
「んふふっ」
自然と頰が緩む。これで一矢報いたぞ、という想いで一杯だ。
師匠、見てください。
心の中でそっと呟く。
妖夢は、ちゃんとこうして成長してます。いつかはきっと、未熟者の汚名を返上して、そして――。
「ねえ、いいかしら」
突然背後から話しかけられて、とっさに私は飛び退いた。
「あなた、は――?」
私は思わず眉をひそめた。飛び退いてから振り返るまでに、脳内にはいくつかの顔が浮かんでいた。巫女、白黒、メイド、兎や鬼。幽々子様や紫様のいたずらかも。だが、実際にいたのは全くの予想外だった。
そこに立っていたのは秋静葉。紅葉の女神だ。
「ここのお庭、二百由旬もあるんですってね。植わっている桜の木は数知れず。私ね、最初は適当に塗っちゃおうか、って思ってたの」
静葉はにこにこしながら話し始める。私はぽかん、として流されるがままだ。静葉がいるのは、まあ分かる。でも、何故こんな話を?
「でも、いざ始めたらそんな打算吹き飛んじゃって。まあ、いつものことなんだけどね。一葉一葉まじめに、きれいに、心をこめて。そんな風にやってたら、塗っても塗っても終わらなくて。ああ、これは徹夜だなって覚悟決めたの」
「神霊だって、お腹が減れば疲れもするわ。徹夜なんかしたら相当の疲労よ。それもまあ、仕方ないなって感じで。でもね、一晩目ですぐ気付いたわ。あ、これ一徹程度じゃ間に合わないなって」
「それでも途中でやめる訳にはいかない。夢中で塗り続けたわ。朝が来て、二回目の夜がきて、まだ終わらない。それでも塗って、塗って、ようやく仕上がったわ。結局、三徹よ」
そう言われてみれば確かに、静葉の目の下には隈がべったり貼り付いている。やたら饒舌なのも、徹夜の影響だろうか。
「それでも、悔いはなかったわ。満足できる光景だったもの。ああ、私、頑張ったな、って素直に思えた。その時ね、ふと見つけたの」
静葉は相変わらずの笑顔だ。にこにことした笑みは変わらず……変わらず?
私は、一歩退いた。笑顔は能面のように静葉の表情を覆っている。その下に隠されているのは……。
「半人前の庭師さんが、わたしの作品を――それも、一番上手く塗れた秀作を――遊び半分に叩き斬ってるのをね。ねえ、教えてくれる? あなたなら――、こんな時、どう対応するかしら?」
静葉は一歩、また一歩、間合いを詰める。
笑顔の面がくしゃりと壊れた。そこにあるのは、紛れもない、敵意そのものだ。
「か――」
蛇に睨まれた蛙の私は、それでも精一杯の勇気をもって刀を構えた。
「――かかってこい!相手になってや、」
その瞬間、時間の流れが極端に遅くなった。
静葉が跳躍し、蹴りが私の側頭部へ飛んでくる。
ゆっくり、ゆっくりとだ。筋肉の僅かな動きすら正確に目で追える。
それに対する私はといえば、指一本すら動かせない。唯々、ゆっくり近づいてくる一撃を待つだけだ。
あ、駄目だ。私は諦めた。
これあれだ、走馬灯ってやつだ。
「……師匠、ごめんなさい」
靴先の感触をこめかみに感じながら、私は心の中で呟いた。
「やっぱり私、未熟者です――――!!」
最後に覚えているのは、青い空に散りばめられた赤い紅葉の星々。
ああ、きれいだな、と進歩のない私は想った。
なにしろ、二百由旬だ。その間に抜け目なく生えてる桜の本数といえば……。私自身何度か数えてみようとしてみたが、半分あたりで自分の半霊につまづいたり、くしゃみをしたり、急に幽々子さまに話しかけられたりした拍子に何本だったか分からなくなってしまった。まったく、自分の未熟さを感じることしきりだ。
ともかくそういう訳だから、深秋の白玉楼といえば尽きることのない落葉の舞い散る、むさしのの空となるのだ。
寂しさと美しさの同居する、息の抜けるような絶景だろう――。掃き清める手間を考えなければ。
無論、私だって手をこまねいている訳ではない。
剣術の第一歩は清掃にあり。
箒の握り、掃く力の入れ方、足の運び、体の開き。
全て、剣に通ずるものだ。
更に言えば、古人にいわく、掃き清めるは落ち葉にあらず、己が心の汚れなり。
そう肝に銘じ、立ち合いと同じ気合いで掃除に臨むものの、
「とはいえ……流石にこれは……」
あえなく敗北。
くたりと体の力を抜いて、私は座り込む。背後に積み上げ、積み上げたるは私自身の倍は優に超える高さの落ち葉の山だ。
精根尽きかけの私をあざ笑うように、一葉ひらりと舞い踊り、終には私の頭の上に着地した。うんざりした私は、それを払う気にもならない。
私の眼前では、石畳の上に静々と落ち葉が降り積もっていく。そこは数瞬前まで、完璧に掃き清めてあった場所だ。もう十数度、同じ事を繰り返している。先程の立ち合いの例えで言えば、幾度斬りつけようと即座に刃傷の癒える敵に立ち向かうようなものだった。
「駄目だぁ……」
私はため息をついた。こうなったらどこぞの女神に倣って、紅葉を悉く蹴り落としてやろうか、という考えがちらりと過ぎる。でも私には、それを実行する気にはなれなかった。
私はのっそり立ち上がった。落葉に煙る白玉楼。朱、黄、山吹、紅、朽葉色。様々に色づいた葉々は絶えずして、しかし同色のものは二つとない。
この情景を壊すことは、私には出来ない。少なくとも、自分の仕事を楽にする、その程度のことのためには。
不意に、心がかあっと熱くなった。熱は胸から喉を通り、口先まではい上がる。この光景を、なにがしかの表現で表したい。それは、例えようもない欲求だった。
でも。
このような景色には、どんな言葉が相応しいだろう?
私は考えのまとまらないままに、口を開いた。
何と言うべきだろう。
美しい、だろうか。そう形容するには、この光景は儚すぎる。
寂しい、だろうか。そう形容するには、この景色は艶やかすぎる。
では、何と言うべきか。
悩み、悩み、結局口から溢れ出たのは、
「…………あぁ、きれいだなぁ」
なんとも陳腐な、ありふれ過ぎた感想だった。
やっぱり、私は未熟者だ。
感動することしきりの私だが、こうまで己の仕事の邪魔をされて、ただで引き返すわけにはいかない。それこそ、白玉楼の庭師の名が泣くというものだ。
では、いかにして一矢報いるべきだろう。
迷っている私の視界が、朽葉色一色に染まる。
「ふえっ」
思わず情けない声が出る。葉っぱが一枚、風に乗ってぺしりと顔に張り付いたのだ。おのれ。
思わず叩き斬ってやろうか、と考えた時、不意にひらめいた。
「そうだっ」
傍らの老木に立て掛けていた二振りのうち、長物――楼観剣を手に取り、立ち上がる。
「この楼観剣に――」
すらり、と刀を抜く。私の身長からすれば楼観剣は長過ぎ、それ故に抜くだけでもちょっと大変だ。師匠くらい身長があれば、しなくてもいい苦労なのだけど。
湾れ刃の紋様も艶やかに、楼観剣がその身を現す。私は刀を両手で構え、気息を整えた。
「――斬れぬものなど!」
ひゅう、と楼観剣が風を切る。私が斬らんとしているのは、今この場に夥しくあるもの、すなわち空を舞う落葉だ。
「――あんまり!」
ひゅうひゅうと風切り音。いえ違うんです師匠これは遊んでるとかそういうんじゃなくてちゃんと修行の一環としていやまだ一枚も斬れてませんけどそれはほら簡単に斬れたら修行にならないっていうかほら今! 見ましたか師匠今ちょっとほら、ほら斬れてる、ような、うん斬れてるうん千切れてないちゃんと斬れてる斬れてるほら師匠早速修行の成果ですよ師匠これで! 私も! 未熟! 挽回!
「――ない、はず……。うん、刀は、斬れます、よ?」
ぜえぜえ、とふいごのように息を乱して私はへたりこむ。
ああ、ごめんなさい師匠。あなたの孫は、一生未熟者です……。
私は地面に突っ伏した。かくなる敗北を喫した身としては、もはや枯葉の洪水に身を任せ、土に還り、新たな桜の苗床となるしか……。
悲壮な覚悟を決めたその時、
「へにゃあ!?」
頭の上にぐんにょりしたものが。なになになんなのたすけてこわいたーべーなーいーでー!
私はばっと飛び上がって、さっと猫のように後ろへ下がった。右左と視線を走らせ、犯人を探す。
目の前に白いお餅のような物が現れ、私の頰にぶつかった。ぐんにょり。
「……って、私じゃないですか。おどかさないでよー」
私は激しく抗議した。これは私の半身、半霊だ。そういえばどこいってたんだろう。あまり意識してないが、半霊にも独自の行動原理があるらしく、いつも一緒にいるわけではない。
半霊はふよふよ浮いたまま、くるくると身をよじった。どうやら少しお怒りらしい。
「え? 半身として情けない? ふん、どうせ私は未熟者ですよ。この落葉を斬れるまで、どれだけかかるか……。え? 違う? 私はもう、これ位斬れて当たり前、なのに斬れない、愚か、愚図、持てる力の無駄遣い……。あんたねー!」
私は心底怒った。この半霊という奴は、自分に対して遠慮や妥協なんてものを全く考えない。まったく頑固なやつだ。
「じゃあどうしろって言うのよ。……力で速さに勝とうとするのが間違い、速さには速さ……。ん、んん? ……あー! そういうことねー!」
私は投げ捨てていた鞘を拾い上げ、ぱちんと楼観剣を納めた。そのまま、瞬時に刀を抜けるように構える。
抜刀術。
相手の先の先を突く、神速の剣技。
半霊の勿体ぶった言葉で、私の行き着いた解答がこれだった。
「いくよ……」
私が言うと、半霊がくるりと宙を回って私の側についた。
魂魄家が奥義は人霊一剣。二つの力を、一つの剣に乗せるのだ。
師匠の低い声が、耳の奥深くで静かに響く。
そう。
思えばこれが、私とお爺様の最後の会話だった――。
風が吹いた。
落葉が、舞う、舞う、舞う。だけど、私はもうそんな有象無象に目をくれはしない。
私が目をつけたのはただ一葉、老木の頂点近くに残るものだ。その葉は朱く、赤く、紅い。
その葉が、一際強い風に巻き上げられる。如何なる突風にも耐えてきた葉柄が、ついに、枝から手を離した。
落葉は風に乗って舞い上がる。高く、高く。
老木の遥か上まで昇った落葉は、しかし力を使い果たし、あとは落ちるばかりだ。
右にひらり、と舞い踊る。
左にはらり、と舞い落ちる。
ひらり、はらり。ひらり、はらり。
ゆっくりと地面に近づいていくそれを見ながら、私は無心の境地に入った。
この身、この心は一振りの刀。ならば、あとは只斬るのみ。
落葉が、目線の高さまで至った時。
鞘走りの音だけが、私の耳にいつまでも残っていた。
斬った感触は、全く無かった。
というか、抜いた感覚さえなかった。気づいたら片手には抜き身の刀、目の前の地面には両断された紅葉が落ちている。
「斬れた……」
何よりも自分自身の確認の為に、私はそう呟いた。
言葉が形をとったように、じわじわと全身に実感が回っていく。すう、と納刀した後、
「やっ………ったーー!!」
嬉しさのあまり飛び跳ねる。半霊とハイタッチ、ならぬ霊タッチ。ああ、ふんにょり。
「んふふっ」
自然と頰が緩む。これで一矢報いたぞ、という想いで一杯だ。
師匠、見てください。
心の中でそっと呟く。
妖夢は、ちゃんとこうして成長してます。いつかはきっと、未熟者の汚名を返上して、そして――。
「ねえ、いいかしら」
突然背後から話しかけられて、とっさに私は飛び退いた。
「あなた、は――?」
私は思わず眉をひそめた。飛び退いてから振り返るまでに、脳内にはいくつかの顔が浮かんでいた。巫女、白黒、メイド、兎や鬼。幽々子様や紫様のいたずらかも。だが、実際にいたのは全くの予想外だった。
そこに立っていたのは秋静葉。紅葉の女神だ。
「ここのお庭、二百由旬もあるんですってね。植わっている桜の木は数知れず。私ね、最初は適当に塗っちゃおうか、って思ってたの」
静葉はにこにこしながら話し始める。私はぽかん、として流されるがままだ。静葉がいるのは、まあ分かる。でも、何故こんな話を?
「でも、いざ始めたらそんな打算吹き飛んじゃって。まあ、いつものことなんだけどね。一葉一葉まじめに、きれいに、心をこめて。そんな風にやってたら、塗っても塗っても終わらなくて。ああ、これは徹夜だなって覚悟決めたの」
「神霊だって、お腹が減れば疲れもするわ。徹夜なんかしたら相当の疲労よ。それもまあ、仕方ないなって感じで。でもね、一晩目ですぐ気付いたわ。あ、これ一徹程度じゃ間に合わないなって」
「それでも途中でやめる訳にはいかない。夢中で塗り続けたわ。朝が来て、二回目の夜がきて、まだ終わらない。それでも塗って、塗って、ようやく仕上がったわ。結局、三徹よ」
そう言われてみれば確かに、静葉の目の下には隈がべったり貼り付いている。やたら饒舌なのも、徹夜の影響だろうか。
「それでも、悔いはなかったわ。満足できる光景だったもの。ああ、私、頑張ったな、って素直に思えた。その時ね、ふと見つけたの」
静葉は相変わらずの笑顔だ。にこにことした笑みは変わらず……変わらず?
私は、一歩退いた。笑顔は能面のように静葉の表情を覆っている。その下に隠されているのは……。
「半人前の庭師さんが、わたしの作品を――それも、一番上手く塗れた秀作を――遊び半分に叩き斬ってるのをね。ねえ、教えてくれる? あなたなら――、こんな時、どう対応するかしら?」
静葉は一歩、また一歩、間合いを詰める。
笑顔の面がくしゃりと壊れた。そこにあるのは、紛れもない、敵意そのものだ。
「か――」
蛇に睨まれた蛙の私は、それでも精一杯の勇気をもって刀を構えた。
「――かかってこい!相手になってや、」
その瞬間、時間の流れが極端に遅くなった。
静葉が跳躍し、蹴りが私の側頭部へ飛んでくる。
ゆっくり、ゆっくりとだ。筋肉の僅かな動きすら正確に目で追える。
それに対する私はといえば、指一本すら動かせない。唯々、ゆっくり近づいてくる一撃を待つだけだ。
あ、駄目だ。私は諦めた。
これあれだ、走馬灯ってやつだ。
「……師匠、ごめんなさい」
靴先の感触をこめかみに感じながら、私は心の中で呟いた。
「やっぱり私、未熟者です――――!!」
最後に覚えているのは、青い空に散りばめられた赤い紅葉の星々。
ああ、きれいだな、と進歩のない私は想った。
妖夢の自己完結と静葉のキレっぷりの落差が良かったです!