(一)
紅魔館のお庭には、バラとか、ヒナゲシとか、ジギタリスとか、ハコベとかの、紅い花が咲いています。バラの妖精は金色の髪に、ピンク色のスリップだけを身に着けて、同じピンク色の羽を背中から生やしています。ヒナゲシの妖精は、たくさんのひだがついた、腰のあたりできゅっとしまったかたちの紅い服を着ていて、小さな草の冠を頭に乗せています。
その日の午後、レミリア様は紅魔館のお庭の花畑のまんなかに大きなパラソルを立てて、パチュリー様とすごしていました。レミリア様は、花をながめたり、おしゃべりしたりしたかったのですが、パチュリー様は本を読んでばかりでした。「絵がひとつもない本を読んだって、なんになるだろう」と、レミリア様は不満に思っていました。
退屈に耐えかねて、レミリア様は妖精たちに話しかけました。
「ねえ、妖精さんたち。あなたたちはその……ウフフ。なんだ、その。何を食べるの。朝露とか?」
「おでんとかよ」
「そう……」
妖精も料理をするんだな、だからどうってことないけど、とかなんとか思い、レミリア様がむずかしい顔をしていると、妖精たちはどこかにいってしまいました。すると次に、因幡てゐちゃんがやってきました。これはめずらしいことで、というのも、紅魔館の門には門番が立っていて、部外者は入ってこれないようになっているからです。
てゐちゃんは、「たいへんだ、たいへんだ、遅れちゃう、遅れちゃう」と言いながら、レミリア様の前を走りぬけていきました。レミリア様は追いかけようとしましたが、日が照っていてパラソルの下から出られないため、弾を撃っててゐちゃんの背中に当てて倒しました。倒れたてゐちゃんの体を、非想天則とかで使った鎖の技で手元に引き寄せます。
「おい、お前、なんだ、お前。何しに来たんだ。どこから入ってきたんだ」
「いたたたた……人を引きずるな! モップがけじゃあるまいし……。いけない、いけない、遅れちゃう。離してよ」
「だから、何しに来たのよ。ここは私の庭よ。あんたみたいな妖怪兎ふぜいが、入れるところじゃないのよ」
「今夜、紅魔館の大ホールでルナサ・プリズムリバーの単独ライブが行われるのよ」と、本から目を上げて、ひさしぶりにパチュリー様が話しだしました。「そこの白くてピンクなのは、そのチケットを買いに来たんでしょう。ルナサの曲が好きなようには、あまり見えないけど……」
「彼女はすごい音楽家よ。私だって、そういう気持ちになることあるのよ。それに……」
「それに、たくさんチケットを買えれば、転売でもうけられるし?」
「ち、ちがうウサよ。カブトムシを捕りにきたのよ」
「転売ヤーはオタクの敵よ。レミィ、やってしまいなさい」
「あの、ライブって何? なんで私、それ知らないの?」
「こう……いいかなって」
「何が?」
そのような午後が過ぎ、夜になりました。紅魔館の大ホールに、たくさんの人妖が集まってきました。ふだんの、三人そろったプリズムリバー楽団のライブにくらべれば、さすがに少なかったですが、それでもずいぶんたくさん集まりました。特製のステージに立つと、ルナサはえへんえへん、と咳払いをし、それからぺこりとお辞儀をしました。
「今日はその……ありがとうございます。その……ありがとうございます。私のあの……ね。いいですよね。あれ、でも、そんなに、よくもないかな……死にそう。えっと、どうですか?」
\ウォォォォー/\ルナ姉ーーーー/\結婚してー/
「あ、ありがとうございます。うれしいです。結婚は嫌です。では、弾きます」
ルナサがあごと肩にバイオリンを当てて、まずは弓をななめにして弾くと、小さくて淡い音が水のように響きました。それからルナサ姉さん一流の、とても悲しい、悲しくて悲しい、絶望して死んでしまうような曲がはじまると――一番前で聞いていたレミリア様は、悲しくて悲しくて、水門を開けるようにたくさんの涙を流し、何度か目をつぶり、目をつぶったところで涙はおさまらず、自分のなかのすべての感情というものが、すべて悲しみに覆われて、握りつぶされてしまって、でもその悲しみも、涙になってどんどん流れ出していくような、そんな思いをしました。
あとから聞いたところ、この日はルナサの演奏が悲しすぎて、ほんとうに死んでしまったものたちがいたそうです。大ホールで死んでしまったから、死体の片付けが面倒でしたわ、とあとで咲夜が言っていました。
(二)
次の日の午後、レミリア様は同じようにパラソルを立てて、大きな影のなかでパチュリー様とすごしていました。ところがパチュリー様は、やっぱり本を読むばかりで、あまりレミィにかまってくれません。イチャイチャしたいのに、なんて気の利かない、なさけのない女だ、とレミリア様は思いました。すると今度は、食パンをくわえた鈴仙・優曇華院・イナバが「遅刻、ちっこくーう!」とあわてて走ってきました。レミリア様は鎖のやつを鈴仙にぶっ刺して、体を引き寄せました。
「おう、お前、なんなんだ、お前、おう。今度はなんなんだ」
「いたたたた……もう、人をモップみたいに! やだ、遅刻、ちっこくーう、離してよ」
「今日はメルラン・プリズムリバーの単独ライブよ」と、パチュリー様。
「ま、また? うち、なんなの? ライブハウスなの? そんなに音響がいいの? そんでもって私、例によって何も聞いてないんだけど!」
「こう、いいかなって」
「だから、何が? あのね、もっとこう……まっすぐに生きてよ! パチェは!」
「まあまあ」と、怒るレミリア様を鈴仙がなだめます。
「あまり興奮せずに。こんなことわざもあるじゃないですか。えっと……」
「……?」
「……?」
「……えへへっ」
「思いつかないなら、言わないでよ! どんだけ見切り発車なのよ!」
午後が過ぎて、夜になりました。ルナサのときと同じくらいか、またはもうちょっと多いくらいの人妖が、紅魔館の大ホールに集まってきました。メルランはフェミニンかつフォトジェニックなポーズをとりつつステージにあがり、聴衆に向けてばちこーんとウインクをしました。
「ヘーイ、迷える子豚ちゃんたち! 今日はメルランの、ハッピーコンサートへようこそ! あなたたちのその、なんだ、ハッピーな、性欲とか? 悩みとかストレスとか、まとめてふっ飛ばしてあげるわ! ヒノファンタズムで!」
\キャーキャー/\へにょりー/\ξ・∀・)/
「なつかしいネタありがとう! ほんとうにありがとう! ガッ。それじゃあ、いっくわよーう!」
メルランが思いきりラッパを吹くと、ステージから大ホールの隅々まで一気に楽しさが伝わって、みんなハッピーになりました。一番前で聞いていたレミリア様は、楽しくて楽しくて、気が狂いそうになりました。この音楽だけあればいい、他に何も要らない、と、そのときは本気で思ったのですし、そう思うことですら、楽しさにひたされて、押し流されてどこかへいってしまって、頭のなかがからっぽになってしまいました。
あとから聞くと、この日は気が狂うものが続出したそうです。「お掃除に手間がかかりましたわ」と、咲夜はぼやきました。
(三)
また次の日、レミリア様は今日こそは、とばかりに、パチュリー様のももに頭をのっけて、空いた手で膝小僧をなでくりしていました。パチュリー様はときどきくすぐったそうにしますが、やっぱり本を読んでいて、なにもコメントしませんでした。
バラの妖精が花の萼に腕をまわして、花の匂いをかいでいます。花弁を持ち上げようとしているようにも、倒れそうなのを花にもたれかかって支えてもらっているようにも見えるような、変な格好をしています。ヒナゲシの妖精は、花のそばで座り込んで、黙って空を見ています。小うるさい妖精の性に似つかわしくなく、今日はふたりとも静かにしているのでした。レミリア様のほうも、今日は妖精に話しかけずに、黙っています。
そのとき、蓬来山輝夜様が「うおー! 俺の下がスタンドだ!」と叫びながらお花畑に突っ込んできました。レミリア様は鎖のやつで、輝夜様をグッサグサにして仕留めました(でも、死にません)。
うんざりした顔で、レミリア様は質問します。
「お前なんか、もういいやお前、どうせリリカのライブなんだろう。なっ。なんかあれだ、合言葉とか言え、お前」
「ええっと……」体を鎖に貫かれた痛みに耐えながら、輝夜様は目をぐるぐるさせて考えます。
「『ごはんは冷やごはんでもうまい』」
「ああ、それ、合言葉ね。なんかもう、それでいいや。で、はい、パチェ、どうぞ」
「『ふりかけがほしい』」
「えっ、それ、返事? 決まってたの?」
そうこうしているうちに、リリカのライブがはじまりました。姉ふたりにくらべると、リリカは少し人気がないほうですので、レミリア様は心配したのですが、ふつうにたくさん集まって、レミリア様はほっとしました。リリカはマイクパフォーマンスはせずに、ただみんなへ向けて笑うと、すぐにキーボードを弾きはじめました。
リリカがなにも言わなかったのは、姉たちの音楽が感情であるのに対して、リリカの音楽は言葉であるからでした。リリカの曲が、みんなへ向けてこう語りかけてきました。
ルナサ姉さんのライブはどうでしたか?
メルラン姉さんの曲は?
リリカの指が鍵盤を押し、音が出て、その音がレミリア様の記憶を押します。二日前の、ルナサの曲を聞いたときの悲しみと、つい昨日の、メルランのライブで味わった狂騒を、レミリア様は思い出し、そしてその感情は、自分のもっと深いところ、心のずっと奥のほう、生まれてからこれまで経験してきた、いくつもの思い出に起因しているのだ。と、レミリア様は思ったのでした。
悲しいことといえば、父母が死んだときを思い出します。あのとき、レミリア様はルナサの曲を聞いたときと同じように、目玉が溶けてなくなってしまうのではないかと思うほど大いに泣いたのですし、楽しかったことといえば、幻想郷に来て、はじめて弾幕ごっこをしたことや、もっと昔、咲夜やパチュリー様に出会って、友達になったときのこととか、もっともっと前、およそ五〇〇年ほど前に、フランドール様が生まれたときのこととかを、いままさに経験しているかのように、レミリア様はまざまざと思い出したのでした。
もちろんこれは嘘で、ほんとうは音楽を聞いているときは、なにも考えませんし、なにも思い出しません。このときレミリア様が味わった感覚を、できるだけ正確に言葉にすると――とても冷たい、氷のような感覚が喉や鼻の奥のほうに生まれて、それはまず背骨を伝ってずっと下まで降りてゆき、それから逆に、うなじのところまで上がってきました。あのとき、自分の髪の毛はきっと逆立っていただろう、とあとからレミリア様は思いました。そして同じようにあとから、音楽に思い出をあてはめたのです。
この日は死ぬものも、気が狂うものもあらわれませんでしたが、この日のライブを聞いたものはみな、レミリア様と同じように感動しました。そしてみな、次のライブを待ち望むようになりました。
詩的ないい方をすれば、聴衆の時間はこれ以降、次の三つに区分けされたのです。すなわち、音楽を待つ時間、音楽を聞く時間、そして音楽を思い出す時間に。リリカのライブにはそういう作用がありました。
(四)
リリカのライブの次の日は雨で、太陽くらいなんじゃらホイ、というくらいパワフルな吸血鬼であるレミリア様も、さすがに外に出る気になれず、図書館で本を読むパチュリー様のかたわらで、三日間連続でおこなわれたプリズムリバー楽団のソロライブについて、熱弁をふるっていました。ふるうのはレミリア様の勝手で、聞いてるんだか聞いてないんだか、なんの返事もしないのがパチュリー様です。
レミリア様いわく、最初はなんだこれはと思ったけれど、とても悲しかったし、とても楽しかったし、とても美しいと思った。だから、とてもよかった。とのことでした。レミリア様はそんなふうに、ずっとしゃべりつづけ、いつしかパチュリー様は一冊の本を読み終わり、その分厚い表紙の、古ぼけた大きな本をぱたんと閉じると、その音が合図であるかのように、レミリア様は口を閉じ、するといつもの、ひっそりして密かな感じの、パチュリー様の図書館が戻ってきました。
「私は音楽がうらやましいと思うこともあるし、思わないこともあるわ」と、パチュリー様が言いました。
レミリア様はしばらく黙っていましたが(というのも、静かな図書館が心地よかったからです)、やがて「どういうこと?」と聞きました。
「音楽には、同じ音はひとつとしてない。同じ演奏者が同じ曲をやっても、その日の調子や、微細なタッチによって音色は変わるし、演奏する場所がうちの大ホールであるか、屋外のもっと開けたところであるか、逆にとても小さな、十人くらいしか入れないような狭い部屋であったとしたら、聞こえ方が変わってくるでしょう。それだけじゃない。もし、同じ場所で、同じ時間に、同じ曲を聞いていても、一番前で聞いていたあなたと、後ろのほうで聞いていた私とでは、聞こえる音の量も、響き方も違っていたでしょう。もし、ライブを録音して、あとで繰り返し聞いたとしても、昨日、あのときに聞いた音とは、きっと違う音が聞こえている。そういうの、ちょっとあこがれるのよね。奇跡みたいなものだと思うの」
「(三日分くらいしゃべったわね!)ふうん。そう言われてみると、そうね、って思うわね。うらやましくないっていうのは?」
「うん」パチュリー様は先ほど読み終えた本の表紙をなで、手のひらでぽん、と叩いて音を出しました。
「本は、いつも同じことが書いてある。そういった類の、魔法の本でないかぎり、勝手に内容が変わっている、ということはない。私たちは繰り返し同じものを読める。ひとつの物語を読み終えて、本を閉じても、また表紙を開けば、同じ物語がまたはじまる。私たちは最初から、もう一度彼女たちに会える」
パチュリー様はレミリア様を見て言いました。
「あなたもそうなのよ。レミィ。気づいてないと思うけど、あなたも同じなのよ」
紅魔館のお庭には、バラとか、ヒナゲシとか、ジギタリスとか、ハコベとかの、紅い花が咲いています。バラの妖精は金色の髪に、ピンク色のスリップだけを身に着けて、同じピンク色の羽を背中から生やしています。ヒナゲシの妖精は、たくさんのひだがついた、腰のあたりできゅっとしまったかたちの紅い服を着ていて、小さな草の冠を頭に乗せています。
その日の午後、レミリア様は紅魔館のお庭の花畑のまんなかに大きなパラソルを立てて、パチュリー様とすごしていました。レミリア様は、花をながめたり、おしゃべりしたりしたかったのですが、パチュリー様は本を読んでばかりでした。「絵がひとつもない本を読んだって、なんになるだろう」と、レミリア様は不満に思っていました。
退屈に耐えかねて、レミリア様は妖精たちに話しかけました。
「ねえ、妖精さんたち。あなたたちはその……ウフフ。なんだ、その。何を食べるの。朝露とか?」
「おでんとかよ」
「そう……」
妖精も料理をするんだな、だからどうってことないけど、とかなんとか思い、レミリア様がむずかしい顔をしていると、妖精たちはどこかにいってしまいました。すると次に、因幡てゐちゃんがやってきました。これはめずらしいことで、というのも、紅魔館の門には門番が立っていて、部外者は入ってこれないようになっているからです。
てゐちゃんは、「たいへんだ、たいへんだ、遅れちゃう、遅れちゃう」と言いながら、レミリア様の前を走りぬけていきました。レミリア様は追いかけようとしましたが、日が照っていてパラソルの下から出られないため、弾を撃っててゐちゃんの背中に当てて倒しました。倒れたてゐちゃんの体を、非想天則とかで使った鎖の技で手元に引き寄せます。
「おい、お前、なんだ、お前。何しに来たんだ。どこから入ってきたんだ」
「いたたたた……人を引きずるな! モップがけじゃあるまいし……。いけない、いけない、遅れちゃう。離してよ」
「だから、何しに来たのよ。ここは私の庭よ。あんたみたいな妖怪兎ふぜいが、入れるところじゃないのよ」
「今夜、紅魔館の大ホールでルナサ・プリズムリバーの単独ライブが行われるのよ」と、本から目を上げて、ひさしぶりにパチュリー様が話しだしました。「そこの白くてピンクなのは、そのチケットを買いに来たんでしょう。ルナサの曲が好きなようには、あまり見えないけど……」
「彼女はすごい音楽家よ。私だって、そういう気持ちになることあるのよ。それに……」
「それに、たくさんチケットを買えれば、転売でもうけられるし?」
「ち、ちがうウサよ。カブトムシを捕りにきたのよ」
「転売ヤーはオタクの敵よ。レミィ、やってしまいなさい」
「あの、ライブって何? なんで私、それ知らないの?」
「こう……いいかなって」
「何が?」
そのような午後が過ぎ、夜になりました。紅魔館の大ホールに、たくさんの人妖が集まってきました。ふだんの、三人そろったプリズムリバー楽団のライブにくらべれば、さすがに少なかったですが、それでもずいぶんたくさん集まりました。特製のステージに立つと、ルナサはえへんえへん、と咳払いをし、それからぺこりとお辞儀をしました。
「今日はその……ありがとうございます。その……ありがとうございます。私のあの……ね。いいですよね。あれ、でも、そんなに、よくもないかな……死にそう。えっと、どうですか?」
\ウォォォォー/\ルナ姉ーーーー/\結婚してー/
「あ、ありがとうございます。うれしいです。結婚は嫌です。では、弾きます」
ルナサがあごと肩にバイオリンを当てて、まずは弓をななめにして弾くと、小さくて淡い音が水のように響きました。それからルナサ姉さん一流の、とても悲しい、悲しくて悲しい、絶望して死んでしまうような曲がはじまると――一番前で聞いていたレミリア様は、悲しくて悲しくて、水門を開けるようにたくさんの涙を流し、何度か目をつぶり、目をつぶったところで涙はおさまらず、自分のなかのすべての感情というものが、すべて悲しみに覆われて、握りつぶされてしまって、でもその悲しみも、涙になってどんどん流れ出していくような、そんな思いをしました。
あとから聞いたところ、この日はルナサの演奏が悲しすぎて、ほんとうに死んでしまったものたちがいたそうです。大ホールで死んでしまったから、死体の片付けが面倒でしたわ、とあとで咲夜が言っていました。
(二)
次の日の午後、レミリア様は同じようにパラソルを立てて、大きな影のなかでパチュリー様とすごしていました。ところがパチュリー様は、やっぱり本を読むばかりで、あまりレミィにかまってくれません。イチャイチャしたいのに、なんて気の利かない、なさけのない女だ、とレミリア様は思いました。すると今度は、食パンをくわえた鈴仙・優曇華院・イナバが「遅刻、ちっこくーう!」とあわてて走ってきました。レミリア様は鎖のやつを鈴仙にぶっ刺して、体を引き寄せました。
「おう、お前、なんなんだ、お前、おう。今度はなんなんだ」
「いたたたた……もう、人をモップみたいに! やだ、遅刻、ちっこくーう、離してよ」
「今日はメルラン・プリズムリバーの単独ライブよ」と、パチュリー様。
「ま、また? うち、なんなの? ライブハウスなの? そんなに音響がいいの? そんでもって私、例によって何も聞いてないんだけど!」
「こう、いいかなって」
「だから、何が? あのね、もっとこう……まっすぐに生きてよ! パチェは!」
「まあまあ」と、怒るレミリア様を鈴仙がなだめます。
「あまり興奮せずに。こんなことわざもあるじゃないですか。えっと……」
「……?」
「……?」
「……えへへっ」
「思いつかないなら、言わないでよ! どんだけ見切り発車なのよ!」
午後が過ぎて、夜になりました。ルナサのときと同じくらいか、またはもうちょっと多いくらいの人妖が、紅魔館の大ホールに集まってきました。メルランはフェミニンかつフォトジェニックなポーズをとりつつステージにあがり、聴衆に向けてばちこーんとウインクをしました。
「ヘーイ、迷える子豚ちゃんたち! 今日はメルランの、ハッピーコンサートへようこそ! あなたたちのその、なんだ、ハッピーな、性欲とか? 悩みとかストレスとか、まとめてふっ飛ばしてあげるわ! ヒノファンタズムで!」
\キャーキャー/\へにょりー/\ξ・∀・)/
「なつかしいネタありがとう! ほんとうにありがとう! ガッ。それじゃあ、いっくわよーう!」
メルランが思いきりラッパを吹くと、ステージから大ホールの隅々まで一気に楽しさが伝わって、みんなハッピーになりました。一番前で聞いていたレミリア様は、楽しくて楽しくて、気が狂いそうになりました。この音楽だけあればいい、他に何も要らない、と、そのときは本気で思ったのですし、そう思うことですら、楽しさにひたされて、押し流されてどこかへいってしまって、頭のなかがからっぽになってしまいました。
あとから聞くと、この日は気が狂うものが続出したそうです。「お掃除に手間がかかりましたわ」と、咲夜はぼやきました。
(三)
また次の日、レミリア様は今日こそは、とばかりに、パチュリー様のももに頭をのっけて、空いた手で膝小僧をなでくりしていました。パチュリー様はときどきくすぐったそうにしますが、やっぱり本を読んでいて、なにもコメントしませんでした。
バラの妖精が花の萼に腕をまわして、花の匂いをかいでいます。花弁を持ち上げようとしているようにも、倒れそうなのを花にもたれかかって支えてもらっているようにも見えるような、変な格好をしています。ヒナゲシの妖精は、花のそばで座り込んで、黙って空を見ています。小うるさい妖精の性に似つかわしくなく、今日はふたりとも静かにしているのでした。レミリア様のほうも、今日は妖精に話しかけずに、黙っています。
そのとき、蓬来山輝夜様が「うおー! 俺の下がスタンドだ!」と叫びながらお花畑に突っ込んできました。レミリア様は鎖のやつで、輝夜様をグッサグサにして仕留めました(でも、死にません)。
うんざりした顔で、レミリア様は質問します。
「お前なんか、もういいやお前、どうせリリカのライブなんだろう。なっ。なんかあれだ、合言葉とか言え、お前」
「ええっと……」体を鎖に貫かれた痛みに耐えながら、輝夜様は目をぐるぐるさせて考えます。
「『ごはんは冷やごはんでもうまい』」
「ああ、それ、合言葉ね。なんかもう、それでいいや。で、はい、パチェ、どうぞ」
「『ふりかけがほしい』」
「えっ、それ、返事? 決まってたの?」
そうこうしているうちに、リリカのライブがはじまりました。姉ふたりにくらべると、リリカは少し人気がないほうですので、レミリア様は心配したのですが、ふつうにたくさん集まって、レミリア様はほっとしました。リリカはマイクパフォーマンスはせずに、ただみんなへ向けて笑うと、すぐにキーボードを弾きはじめました。
リリカがなにも言わなかったのは、姉たちの音楽が感情であるのに対して、リリカの音楽は言葉であるからでした。リリカの曲が、みんなへ向けてこう語りかけてきました。
ルナサ姉さんのライブはどうでしたか?
メルラン姉さんの曲は?
リリカの指が鍵盤を押し、音が出て、その音がレミリア様の記憶を押します。二日前の、ルナサの曲を聞いたときの悲しみと、つい昨日の、メルランのライブで味わった狂騒を、レミリア様は思い出し、そしてその感情は、自分のもっと深いところ、心のずっと奥のほう、生まれてからこれまで経験してきた、いくつもの思い出に起因しているのだ。と、レミリア様は思ったのでした。
悲しいことといえば、父母が死んだときを思い出します。あのとき、レミリア様はルナサの曲を聞いたときと同じように、目玉が溶けてなくなってしまうのではないかと思うほど大いに泣いたのですし、楽しかったことといえば、幻想郷に来て、はじめて弾幕ごっこをしたことや、もっと昔、咲夜やパチュリー様に出会って、友達になったときのこととか、もっともっと前、およそ五〇〇年ほど前に、フランドール様が生まれたときのこととかを、いままさに経験しているかのように、レミリア様はまざまざと思い出したのでした。
もちろんこれは嘘で、ほんとうは音楽を聞いているときは、なにも考えませんし、なにも思い出しません。このときレミリア様が味わった感覚を、できるだけ正確に言葉にすると――とても冷たい、氷のような感覚が喉や鼻の奥のほうに生まれて、それはまず背骨を伝ってずっと下まで降りてゆき、それから逆に、うなじのところまで上がってきました。あのとき、自分の髪の毛はきっと逆立っていただろう、とあとからレミリア様は思いました。そして同じようにあとから、音楽に思い出をあてはめたのです。
この日は死ぬものも、気が狂うものもあらわれませんでしたが、この日のライブを聞いたものはみな、レミリア様と同じように感動しました。そしてみな、次のライブを待ち望むようになりました。
詩的ないい方をすれば、聴衆の時間はこれ以降、次の三つに区分けされたのです。すなわち、音楽を待つ時間、音楽を聞く時間、そして音楽を思い出す時間に。リリカのライブにはそういう作用がありました。
(四)
リリカのライブの次の日は雨で、太陽くらいなんじゃらホイ、というくらいパワフルな吸血鬼であるレミリア様も、さすがに外に出る気になれず、図書館で本を読むパチュリー様のかたわらで、三日間連続でおこなわれたプリズムリバー楽団のソロライブについて、熱弁をふるっていました。ふるうのはレミリア様の勝手で、聞いてるんだか聞いてないんだか、なんの返事もしないのがパチュリー様です。
レミリア様いわく、最初はなんだこれはと思ったけれど、とても悲しかったし、とても楽しかったし、とても美しいと思った。だから、とてもよかった。とのことでした。レミリア様はそんなふうに、ずっとしゃべりつづけ、いつしかパチュリー様は一冊の本を読み終わり、その分厚い表紙の、古ぼけた大きな本をぱたんと閉じると、その音が合図であるかのように、レミリア様は口を閉じ、するといつもの、ひっそりして密かな感じの、パチュリー様の図書館が戻ってきました。
「私は音楽がうらやましいと思うこともあるし、思わないこともあるわ」と、パチュリー様が言いました。
レミリア様はしばらく黙っていましたが(というのも、静かな図書館が心地よかったからです)、やがて「どういうこと?」と聞きました。
「音楽には、同じ音はひとつとしてない。同じ演奏者が同じ曲をやっても、その日の調子や、微細なタッチによって音色は変わるし、演奏する場所がうちの大ホールであるか、屋外のもっと開けたところであるか、逆にとても小さな、十人くらいしか入れないような狭い部屋であったとしたら、聞こえ方が変わってくるでしょう。それだけじゃない。もし、同じ場所で、同じ時間に、同じ曲を聞いていても、一番前で聞いていたあなたと、後ろのほうで聞いていた私とでは、聞こえる音の量も、響き方も違っていたでしょう。もし、ライブを録音して、あとで繰り返し聞いたとしても、昨日、あのときに聞いた音とは、きっと違う音が聞こえている。そういうの、ちょっとあこがれるのよね。奇跡みたいなものだと思うの」
「(三日分くらいしゃべったわね!)ふうん。そう言われてみると、そうね、って思うわね。うらやましくないっていうのは?」
「うん」パチュリー様は先ほど読み終えた本の表紙をなで、手のひらでぽん、と叩いて音を出しました。
「本は、いつも同じことが書いてある。そういった類の、魔法の本でないかぎり、勝手に内容が変わっている、ということはない。私たちは繰り返し同じものを読める。ひとつの物語を読み終えて、本を閉じても、また表紙を開けば、同じ物語がまたはじまる。私たちは最初から、もう一度彼女たちに会える」
パチュリー様はレミリア様を見て言いました。
「あなたもそうなのよ。レミィ。気づいてないと思うけど、あなたも同じなのよ」
手を叩く代わりに点数を送ります。
当然の返答なんだろうけどワロタ
めるぽも久々に見た気がする
主を無視してライブが企画されていたことに何の驚きもない所が紅魔館のすごい所だと思いました
3人のライブそれぞれが違う評価をされていて良かったです
きれいな作品でした
良かったです
とても不思議な感覚をいただしました。
あと、ちゃんとガッしてて良かったです