Coolier - 新生・東方創想話

マエリベリー・ハーンの麻雀録

2017/09/30 02:56:05
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『リーチ』

 そう言って彼女は、リーチ棒を卓上に置く真似事をした。
 本来ならその動作は必要ない。ボタンを押しさえすれば、全ては画面の中で自動的に行われるのだから。
 彼女がそれをわざわざするのは、画面の向こうで見ている私に見せつけるためだ。

「相変わらず趣味の悪い事で」

 それを知っている私は、画面の向こうの親友こと宇佐見蓮子に向かって嫌味を返す。

『せっかく相手の顔が見えてるんだから、これくらいやってもいいでしょ、メリー』

 蓮子は特に悪びれもせず、「こういうのは気分が大事なの」と続ける。
 我が親友ながら、悪趣味な奴だと思う。

「もしこのチャット機能が麻雀のほうにもあったら、回線切り確定ね」
『そしたら二人きりじゃない?』
「卓が落ちるでしょ」

 私たちは今、別のソフトでビデオチャットをしながらネット麻雀を打っている。
 現在は東二局、蓮子の親で、前局に上家が500-1000を上がっているがほぼ平場と言っていい。
 席順は私の対面に蓮子、両脇にネットワークがたまたま選んだ顔も名前も知らない誰か。
 ハンドルネームは、上家が『金ちゃん』、下家が『宇治抹茶』、蓮子が『レン』、私が『ヘルン』。
 
『お、それ、ロン。リーピン赤一で5800』

 開始から僅か八巡目、私が捨てた牌に対して機会音声と同時に蓮子が宣言する。
 私としては、これが通れば聴牌で、多少の危険は覚悟していたので特に焦りはない。
 いや、裏が乗ったら焦っていたけれど。

「いつも言ってるけど、わざわざ宣言しなくたって機械が点数計算してくれるじゃない」
『いつも言ってるけど、こういうのは気分の問題なの』
「とんだ番外戦術ね」

 しかしそれでも、やはり振り込んでしまうと悔しい。ロンと言われたときの蓮子のニヤけ面がよみがえる。
 次こそは、という思いを込めて、東二局一本場の配牌を一瞥した。
 發の対子があり、形も悪くない。ぱっと見あがれそうな手だった。

『ふっ、この戦い、東三局があると思わないことね』
「役満にでも放銃するおつもり?」

 どうやら向こうもいい手が入ったらしい。なんとわかりやすい、というか隠す気がないのだ。
 宇佐見蓮子という奴は、自分の牌姿を表情や言動から読み取られることに関して嫌悪感を抱かない生き物らしかった。
 私とは隔絶した感性である。そのことについて指摘すると、『読みたければ読めばいいじゃない、それでも私が勝つけどね!』とキメ顔で返してきやがった。
 ムカついたので拳骨を食らわした。
 しかし、実際のところ、今までの戦績は蓮子が若干優勢だ。
 名前のところに書かれた段位も、私が四段なのに対し蓮子は七段。
 私と彼女の間には、表情を読み取っても埋まらない確かな実力の差があった。

「ポン」

 捨て牌にしてわずか六つ目、上家から出た發を鳴いて、一気に聴牌に近づく。
 僅か二巡目にして一向聴、しかもポンでも聴牌が取れる形。
 画面の向こうの親友に悟られぬよう、密かに勝ったとほくそ笑む。

『リーチ』
 
 そしてその機会音声に、私の余裕は吹き飛ばされた。
 巡目にしてわずか四巡。まさに電光石火のリーチを見せたのは、上家の金ちゃん。

『早っ!』
「前局同じようなことをした人が何を」

 そっけなくそう返す裏で、私は焦っていた。もしここで振り込むようなことがあれば、点数にもよるが相当にやばい。
 かといって四巡目のリーチなんて、情報が少なすぎて降りるのも難しい。
 そんな焦りとは逆に、次の自摸で聴牌となる牌を引き入れる。私はあえて余らせておいた字牌を切り、聴牌に構えた。
 ここからは捲り合いだ。ただし不利なのは私。
 發のみの千点しかない私の手では、危険牌を引いたら降りるしかない。
 
「おぉ?」

 そう考えていた私は、画面に表示された『ロン』というボタンに驚いた。
 どうやら私が自模る前に上家の金ちゃんが私の和了牌を自模ったらしい。
 1000点という文字が画面に映される。

「東三局は来ないんじゃなかったっけ?」
『役満にも放銃しなかったでしょう?』

 軽口を交わしあう私たちを他所に、東三局が始まった。
 前二局とは違い、とても静かなまま場が進む。
 蓮子も渋い表情をしており、私も十巡目の時点で二向聴というひどい有様。
 ポン、チーと鳴く声は聞こえるけれど、聴牌気配は薄い。

「チー」

 仕方なく私は形聴を取ることにした。
 17巡目に、役の無い形の聴牌が出来上がる。
 そしてそのまま流局となった。
 牌が開かれたのは、私と下家の宇治抹茶だ。

『西家張ってたんだ』
「1000オールだと思ったのに、残念」

 下家の手は七対子。リーチをかけなかったところを見ると、相当終盤に張ったのだろう。
 蓮子にすら悟られなかったあたり、名前の通り渋い奴だ。
 ここのルールでは流局は本場棒を積むので、次は東四局一本場ということになる。
 今だにビリの私にとって、親である次は勝負所だ。何とかして和了りたい。
 しかし、その配牌は微妙だった。
 形は悪くないが、タンヤオも目指せないし役牌もない。だから面前で行くしかないのだが、こういう手は大体和了れない。
 自摸を進めてみると、案の定いくつかの有効牌こそ来るものの、決定的な牌は引けない。

『おっ、チー』

 もたもたしている間に、蓮子の手から赤ドラを含んだ順子が晒される。
 地味に蓮子のこの半荘初副露だ。

「景気が良さそうねぇ」
『お宅と違ってね』

 自摸切りの連打からか、あるいは流石に表情に出たのか、私の牌姿を言い当てられる。
 私の手はまだ一向聴。画面に映るにやけ面を見るに、蓮子はさっきの副露で聴牌だろう。
 かといってこの手ではどうすることもできない。仕掛けたって役なしになるのがオチだ。
 私は無策のまま自摸切りを繰り返す。こういう時は、非常にもどかしい。
 しかしひとたび聴牌してしまえば、親である私に分がある。あと一つ、引けさえすれば。
 
「……」
『おっ?引いちゃった?』

 手が止まった私を見て、嬉々として蓮子が野次を飛ばしてきた。
 私が引いたのは、有効牌ではなく、彼女への危険牌。
 蓮子の河には萬子と索子の中張牌がずらりと並んでおり、逆に筒子は一枚もない。
 誰がどう見ても筒子の混一か清一だろう。私が引いた牌は七筒。聴牌もしていないこの手では到底通せる牌ではない。
 仕方ない、この局は諦めよう。そう思って、蓮子の現物を切る。

『ロン』

 そして、無機質な機会音声が、私の耳を貫いた。
 その音の発信源は、下家の宇治抹茶。

『嘘っ!マジで!?』

 そう叫ぶ蓮子に対し、私は驚きのあまり声も出なかった。
 下家の捨て牌は中張牌がほぼなく、誰がどう見たってやっと端牌の整理が終わった、といった感じだ。
 到底聴牌だなんて思えない河だった。
 しかも現在の巡目は九。生半可な手ならばリーチしている局面だ。つまり、

『一気通貫ドラ2、一本場で8300』

 高い手ということだ。私は画面に点数の表示が終わって、次の局の配牌を配り始めるまで、呆然と画面を見ているしかなかった。

『まあ、ほら、こういうこともあるって。元気出しなよ』

 流石の蓮子もこれには同情したようだった。
 しかし、私の中には驚きがあるだけで、悔しいとか理不尽だとか言う感想はこれっぽっちも出てこなかった。
 ここまで鮮やかにやられると、逆に清々しい気分になる。

「別に落ち込んでなんかいないって、というか、これが麻雀の醍醐味でしょう?」
『ふっ、わかってるじゃん。心配して損した』

 しかしそれでも、厳しい現状は変わらない。もともとビリだったのに、そこからさらに満貫の直撃をくらい、あまつさえ親までも流された。その結果は、確実に私を焦らせていた。
 そこそこ長く麻雀をやっている私は、こんな時こそ焦ってはいけないのを知っている。
 それでも、胸のもやもやした振動が収まることはない。

『それにしても、前局の聴牌といい、忍者みたいな奴よね。宇治抹茶』
「もしかしたら忍者の家系なのかもよ」
『でも忍者がネットって、なんかこう、違くない?』
「最近は忍者もネットくらいできなきゃ生きていけないんじゃない?」
『世知辛い世の中ねぇ……夢も希望もないじゃない』

 思わず一息の笑いが漏れる。私たちはたまに、こういう衝撃的なことがあると、相手のプレイヤーに対してどんな人か想像し合うことがある。
 相手からすれば不快な事この上ないだろうが、どうせ見えても聞こえてもいないのだ。
 知らないどこかで、誰かのしがない話のタネになるくらいは、きっと相手も許してくれるだろう。
 それに、蓮子と他愛もない妄想を飛ばしあうこの時間が私は好きだった。
 あまりにもどうでもいい、生産性のかけらもない話だけど、だからこそ相手が近くにいるような気がするのだ。
 「私にばっか趣味が悪いって言うけど、メリーも人のこと言えないじゃん」なんてからかわれたくはないので、蓮子には話していない。
 いつの間にか、胸の振動は消えていた。東場が終わり、南一局が始まる。

『むぅ……いまいち』
「世知辛い世の中だものね」

 晴れやかな気持ちになった私とは裏腹に、配牌は振るわない。どうやら蓮子も似たようなものらしかった。
 夢も希望もないという先ほどの蓮子の発言を思い出して、少し笑いそうになる。
 
「それでも、生きていけばそのうちいいことがあるんじゃない?」

 気づけばそんなことをこぼしていた。完全に無意識のつぶやきだった。
 言った後で、なんだか妙に恥ずかしくなる。
 自分でも少しテンションが上がっているらしいというのがわかった。

『そうですねぇ、いっちょ頑張って見ますか』

 そんな私の心境を知ってか知らずか、袖をまくる動作をしつつ蓮子が言う。
 その顔は真っすぐに配牌を見ていて、私の表情など気にも留めていないよう。
 そんな彼女を見て、勝ちたいな、と思った。
 私の手牌は配牌からして五向聴という酷い有様だったが、思いが通じたのか次々に有効牌を自模ってくる。
 そして、七巡目に完全形の一向聴にまでこぎつけた。決して早くはないが、配牌のひどさを考えれば驚異的な引きである。
 もしかしたら、科学が支配するこの時代にも、神様という奴はいるのかもしれない。

『リーチ』

 なんてロマンチックなことを考えた直後、機械音声とハモった蓮子の声に、私は空想からたたき起こされる。
 どうやらあちらのほうが早かったらしい。蓮子は自信満々な顔で、

『やっぱり日頃の行いよねぇ』

 などという世迷いごとを口走っている。
 注釈しておくが、こいつは待ち合わせにはいつも平気で遅刻するし、大学の講義もたまにサボるし、心がサイコロみたいだとかなんだとか言い出す困った変人である。
 もしこんな奴に神様が微笑むなら、そんな世界は間違っていると断言できる。
 そう思って自分の自摸に臨むが、引いたのは蓮子に通っていない牌。
 しかしここでそう簡単に降りるわけにもいかない。現在ビリの私は、何とかして和了れないと勝てないのだ。
 幸い引いた牌は通っていないとは言え蓮子の捨て牌のスジであり、普通ならば通る牌だ。
 なんとなく嫌な予感を感じつつ、自摸切りボタンを押す。牌が卓を叩く音に、しかし誰も反応しない。
 通った。まあそれはそうだろう。神様が奴の所業を見ているなら、与えられるべきは祝福ではなく鉄槌である。

『ツモ!リーチ一発ツモ。ヒュウ、裏3!3000-6000!』

 訂正。どうやら神は死んだらしい。やはり世の中には夢も希望もない。
 私の中の「麻雀やっててムカつくことランキング」堂々の二位に君臨する所業であるリーチ一発ツモ裏3を華麗に決めた我が親友は、画面の前で代打逆転サヨナラホームランでも打ったかのような誇らしげな表情で、

『ふっ、夢も希望もないならば、リーチすればいいじゃない』

 などと訳の分からないことを言っている。正直うざい。殴りたい。
 ここで肩を震わせながらマウスを握りしめるだけにとどめた私は褒められるべきだと思う。
 ちなみにだが、一位は「追っかけリーチされたとき一発で振り込むあの謎の現象」である。
 
「随分夢と希望にあふれたセリフを言うじゃない」
『夢と希望が溢れる出来事に出会ったからね』
「おかげさまで私は絶望の底に突き落とされた気分よ」
『それでも、生きていればいいことがあるんでしょう?』
「無責任なセリフね、誰の言葉よそれ」

 私のいい加減な返答に、蓮子がぷふっと吹き出す。
 そんな彼女を見て、少し私も苦笑する。
 私だって本気で拗ねているわけではないし、蓮子だって私に嫌がらせがしたいわけじゃない。
 それがわかっているからこそ、互いに軽口を交わしあえる。
 やはり私は、蓮子と麻雀をするこの時間が好きなのだと再認識する。

『この流れで私の親。ふふ、この戦い、南三局があると思わないことね!』
「それはさっき聞いた」

 はしゃぐ蓮子を見て、こいつも随分麻雀が好きなのだなと思う。
 確かに、私が麻雀の神様ならば、彼女の普段の素行を知っていても、楽しそうなその姿に、思わず幸運の一つも与えてしまうかもしれない。
 でも、だからこそ、あんなにも楽しそうな彼女が相手だからこそ、私は勝ちたいのだ。
 点数表示が終わり、南二局の配牌が配られる。
 一面子と雀頭ができていて、ほかの形も悪くない。少なくとも前局に比べればずいぶんマシな手牌だった。

 タン、タン、タンと四人がリズミカルに牌を切る。
 あれだけ騒がしかった前局とはうって変わって、蓮子も私も何も喋らなかった。
 静寂が支配する中、捨て牌だけが増えていく。牌を切る音だけが、私と蓮子を繋いでいる。
 そのリズムが乱れると、ほんの少しだけ不安になる。不思議な時間が砂が落ちるみたいに流れていく。
 
『ポン』

 その声とともに、蓮子の手配から中が晒される。
 牌を切る以外で、この曲初めての音が鳴る。

『チー』

 さらに続けてもう一鳴き。
 すでに捨て牌は全体の半分ほどに達している。この鳴きでおそらく聴牌だろう。
 
「なんだか、祭りが終わった後みたい」
『いよいよ勝負も佳境ってことよ』
「南三局は来ないんですものね?」
『その通り』
「今度はダブル役満に放銃でも……あらま、案外本当に来ないかもね、南三局。『リーチ』」

 私が会話の途中で引いたのは、聴牌となる牌。
 これは当然私にとっては喜ばしいことなのだが、この状況でもし蓮子の和了牌を掴んでしまうと放銃は避けられない。
 リー棒を差し引いた残り点棒が一万を割っている私は、場合によってはそれで飛んでしまう。
 しかしそれでも、点棒状況からしてリーチしなければどうにもならない。
 
『リーチ』

 そんな私の思考を切り裂くように、画面にもう一つリーチ棒が投げ込まれる。
 出所は上家の金ちゃん。

「げっ」
『あちゃ、こりゃ無理。あとは二人でお好きにどうぞってね』
「始まったころはあんなに静かだったのに、一気に騒がしくなっちゃって、もう」

 上家のリーチを見て、蓮子と下家からは現物牌が切られた。実質この二人はリタイアと言っていいだろう。
 ここからは、私と上家の捲り合いである。
 タン、タン、タンと、局の最初よりも早い速度で捨て牌がリズムを刻む。
 相手が牌を引くたび、和了られるという不安と和了れるかもという期待が交錯する。
 自分が牌を引くたび、和了牌かもしれないという期待が、そうでなかった時放銃の不安に塗り替えられる。
 一巡に二度、まるでジェットコースターみたいに不安と期待を行き来する。
 私は、この感覚が嫌いではなかった。というか、心底嫌いな雀士なんていないだろう。
 蓮子あたりに聞けば『このスリルが麻雀の醍醐味よね!』とかきっと言うだろう。
 卓を支配するのは、緊張と静寂。
 一つ、また一つと捨て牌が増えていき、あわや流局となったその時。

『ツモ、リーチツモドラ1赤1……裏1、2000‐4000』
 
 機会音声が決着を告げる。ツモ番は、私の一つ前、つまり上家だ。
 思わずため息が漏れる。
 ここは私にとって分岐点だったのだ。ここで和了れれば、まだ蓮子に追いつける可能性があった。
 今だって決してゼロではない。ラス親であることを考えれば、諦めるのはまだ早いかもしれない。
 しかし、現在三位の宇治抹茶とだって二万点近い差がある現状、残り二局でどうにかなるとは、今の私には思えなかったのだ。
 ここから蓮子に追いつくなんて、20回やって19回は不可能だろう。5%に希望を見出せるほど、幸せな頭のつくりを私はしていない。
 別に何かをこの勝負にかけているわけではないが、蓮子と同じ土俵に立てないのは悔しかった。

『お、ドラ三色、やるじゃん』

 一瞬、蓮子が何を言っているのか理解できなかった。しかしよく見れば、確かに普通のドラと赤ドラが手牌にあり、裏ドラも乗っている。
 ドラ三色という言い方は初めて聞いたが、確かにそう言える。しかもよく見ればドラ萬子、赤ドラは筒子、裏ドラは索子である。
 点数にばかり気を取られていたが、これは相当珍しいと言えるだろう。

「ほんと。きれいな手ね」
『三色や一気通貫とはまた別の綺麗さよね。きっと中の人はステンドグラス職人か何かよ』
「なんでステンドグラスなの?」
『万華鏡みたいに整ってないし、ガラス細工みたいに繊細じゃないし、それならステンドグラスかなって』

 蓮子の感性はよくわからない。
 しかし、私にとっては敗北を濃厚に感じさせるだけだった上家の手に、彼女は話のタネを見つけてきた。
 
『きっと金ちゃんってのは工房でのあだ名よ』
「そんな砕けたあだ名で呼ばれるなら、きっと気さくないい人よね」
『でもそれをハンドルネームに使うなんて安直よね』
「貴方だけには金ちゃんも言われたくないと思う」

 きれいにオチが付いたところで会話は終了。
 南三局の配牌が配られる。
 先ほどまで重苦しい何かに支配されていた私の心は、気づけば軽くなっていた。
 思えば私にとって勝ち負けというのはそこまで問題ではないのだ。
 蓮子と一緒に、こうして細やかな時間を共有できるなら、それでよかった。
 もちろん勝つ気がないわけじゃない。でも、あくまで勝敗は、この取り留めのない時間に、少しの彩を添えるだけのものだった。
 それを、思い出せた。
 同じ土俵に立ちたいだなんて的外れな感傷だったのだ。
 私たちは初めから、同じ卓の上の、同じ時間の中にいたのだから。
 
『ポン』
 
 捨て牌のリズムが乱れる。下家の手から白が晒された。
 局はすでに中盤に差し掛かろうというところ。
 私の手牌は決して良くはない。
 それでも、私の中から諦めるという選択肢は消えていた。
 諦めるということが、この場で何を意味するのか分かったから。
 遠い遠い勝利に、それでも手を伸ばさなければ、この遊びの意味がない。
 画面の向こうに蓮子がいて、ここでしかしないような話ができて、麻雀を通して見る彼女はいつもより少しお調子者で。
 諦めたらきっと、この時間を楽しめなくなる。それはとても、もったいないことだと思った。

『ロン、白ドラ2、3900』

 告げる声。現れる点数表示と「OK」のボタン。
 牌を倒したのは下家、放銃したのは上家。
 
『完全に蚊帳の外ね、私たち』
「下家に白を鳴かせたのは誰だったかしら」
『私にとっては、こんな風に局が流れてくれるほうが好都合だもの』
「それもそうか」

 「OK」ボタンを押す。南四局、オーラスが始まった。

「これが最後、か」

 配牌を一瞥。第一打とともにそんなつぶやきが漏れた。

『ねえ、メリー』
「何?」
『もしかして、楽しくない?』
「……はい?」
『いや、何というか、メリーばっかり不運が続いてるし、その、私も経験あるんだけど、ずっとビリのまま麻雀打つのってさ、やっぱつまらないし、もしかして、そうなのかなって』

 珍しくあたふたした表情で、そんなことを聞いてくる。
 こいつは何を馬鹿なことを言っているのだろう。
 確かに私はこの半荘、ここまで全くついてないと言っていいだろう。理不尽なダマに刺さり、捲り合いでは引き負ける。
 もしも一人だったなら、ただのついてないつまらない一局だっただろう。
 でも、そうじゃない。少なくとも私は、この時間をつまらないと思ったことは一度もない。
 だってここは、貴方と通じ合える場所なのだから。
 
「……」

 そう言葉にして、言ってやりたかった。
 その似合わない不安そうな顔を、いつものニヤけ面に戻してやりたかった。
 でも、面と向かってこの思いを言葉にするのは恥ずかしい。
 普段から憎まれ口ばかり交わしているせいだろうか。
 どうにもなかなか、蓮子の前ではこういう気持ちを表に出せない。
 伝えたい。でもやっぱり恥ずかしい。それでもやっぱり……。

 不意に、ピコ、と音がなる。そして画面に新たなボタンが出現した。
 私にはそのボタンが、天恵に見えた。

「私のこと、気にかけてくれるのは嬉しいけれど、勝負の最中にやることじゃなくてよ?『リーチ』」

 そう言って、画面の向こうに向けて、リーチ棒を投げる仕草をしてやった。
 下手に言葉を紡ぐより、きっとこっちのほうが伝わるだろう。

『……趣味が悪いんじゃなかったっけ?』
「やられた側はやり返されても文句は言えないと思わない?」
『なんだか麻雀の時のメリーは全体的にトゲトゲしくない?』
「あらごめんなさい。テンションが上がって本音がつい」
『まあ、そんなメリーも嫌いじゃないけどさ』

 こういうことをサラッというあたり、向こうもテンションが上がっているようだ。
 どうやら私の渾身のリーチ棒は画面を超えて届いたらしい。そのことに、少し安心する。
 もしさっきリーチというボタンが表示されなかったら、私は本音を言っていたのだろうか。
 仮にそうであっても、きっと今と同じ意味には受け取られないだろう。
 麻雀という遊びが、私の意志を伝える手助けをしてくれた。
 自然と口元が緩む。もう少しだけ、続けていたい。

「ツモ。リーヅモタンヤオドラ1、3900オール!」

 機械より先に口が走る。

『ほら、AIに任せるより、気分がいいでしょう?』
「ただのお返しよ。東二局の」

 続けて口が勝手に動く。ただの照れ隠しだ。
 本当はついやってしまっただけ。
 気分の問題だといった蓮子の主張が、少しだけわかった。

『何がともあれ、南四局1本場ね』
「今のうちに二本場三本場の準備をしておくことね」
『別に、ここで終わらせてしまっても構わないんでしょう?』
「貴方が和了牌をくれるなら」
『そいつはできない相談よ』
 
 会話と一緒に局が進む。いつもより早く感じる。
 時間というものは、ゆっくり進んでほしい時に限っていつもこうだ。
 楽しい時間ほど、早く終わりが訪れる。
 私たちの間にある魔法が解けるまで、きっとあと少し。

「リーチ」
『うわっ、二連続。残り物には福があるってやつ?』
「イタチの最後っ屁ってやつかもね」

 私の手は高目で三色が付いて、もし自模ってくれば満貫で逆転勝利という手だった。
 それに対して蓮子が取った行動は、現物の対子落とし。

「へえ、降りなんだ」
『金ちゃんは行くしかないし、宇治抹茶も降りていないみたいだし、何とかしてくれるかなって』

 確かに。現状三位の金ちゃんは私に和了られるとビリだし、宇治抹茶も私に通っていない牌を一打目に切っている。
 自模られたらまくられるとはいえ、蓮子が進んで無理をする場ではないかもしれない。
 と、私が納得している間に、下家の宇治抹茶から私の現物が手出しで切られた。

「早速一人脱落のようね」
『あぁ、信じていたのに。宇治抹茶』

 よよよ、と泣き崩れる真似をする蓮子。
 ここで私が高目の牌を自模ってくれば、蓮子はなす術なく負ける。
 麻雀とは、実力だけでは勝てない理不尽なゲームだ。
 ついさっきまでビリだった私がもうすぐ勝利というところまで来ていることからも、その一端が伺えるだろう。
 私は、麻雀のそんなところが好きだった。いや、最近好きになった。

 私と蓮子は出会ってから少し前までの間、共通の趣味というものがなかった。
 唯一私たちを繋いでいたのは、秘封倶楽部の活動。オカルト好きという共通項が、私たちの唯一の架け橋だった。
 しかし最近、麻雀という共通の趣味を見つけたのだ。
 私は昔から、秘封倶楽部以外でも蓮子とのつながりがほしいと思っていた。
 それを叶えてくれたのが、麻雀という遊びだった。

 もしもこれが将棋やチェスといった実力がほぼすべてのゲームだったら、きっとこうして遊んではない。
 そういうゲームは蓮子のほうが強い。私では勝負にならないだろう。
 しかし、麻雀は違う。私たちの間には段位にして三段分の実力差があるが、麻雀の持つ理不尽さ、運の要素の強さは、それを曖昧にしてくれる。
 きっと、麻雀という遊びを作った誰かは、強いとか弱いとか関係なく、みんなで一緒に楽しく遊びたかったんだろう。
 実力差があっても、楽しく勝負できるような遊びを、一生懸命考えたのだ。
 
 そして、そのどこかの誰かさんの願いが、時代も場所も飛び越えて、今私たちを繋いでいる。
 それは、簡単には言葉にできないくらい、とても壮大で、とても尊いことなのではないだろうか。

『メリー、なんだかぼーっとしてない?』
「別に、少し物思いにふけっていただけ。リーチしてるとやることなくて暇なのよ」
『ふーん?』
「なんだかこのまま流局しそうね」

 ふと卓に意識を戻せば、ツモ牌は残りわずか。流局までのカウントダウンが始まっていた。
 そして私の最後のツモも空振り。海底の蓮子が牌を捨てて、それに誰も声をかけない。
 流局である。
 手牌が開かれたのは、私と蓮子。

「……降りたとばかり思ってた」

 素直に驚きを口にする。
 彼女の手は七対子。そして右端に寄せられていた待ちの単騎牌は、他ならぬ私の567三色の高目和了牌五索。
 いわゆるピタ止めという奴である。

『上下が攻めてたからね、回すのは案外簡単ってなもんよ』

 威張った表情で彼女は言う。
 きっと私には、同じことはできないだろう。
 やはり麻雀の実力では、私は蓮子に勝てない。
 それでも。

「どれだけ和了牌を止めても、最後は運のいい人が勝つ。不条理よね」
『そこがいいんじゃない』
「全く持って同感」
 
 それでも、こうして対等で在れる。
 同じ目線に立って、話ができる。
 それができるなら、かくれんぼでも鬼ごっこでも対戦ゲームでも、なんでもよかった。
 たまたま麻雀という場所に、私たちが交わる交差点があったというだけの話だ。
 
「始めましょうか、二本場」
『かかってきなよ』

 不遜に笑う蓮子。第一打を切り出す私。
 そしてそれ以上、どちらも言葉を口にしなかった。
 なんとなくわかる。こういうクライマックスでいい手が入った時というのは、不思議と静かになるものだ。
 いつものように表情を読むまでもない。
 イヤホン越しに伝わる緊張感が、彼女の牌姿をうっすらと伝えていた。
 そして八巡目。画面に映ったその顔が、一瞬曇る。
 諦めたようにため息を漏らして、すぐにその目に光が宿る。
 ああ、来るのね。

『リーチ』

 相変わらず自分の声で宣言する彼女。
 和了りさえすれば勝てるというこの状況でリーチする意味は一つしかない。
 彼女の手には役がないのだ。
 役がなくても自模りさえすれば和了れるが、ほかの人が和了牌を出してもロンできない。
 しかし逆に、リーチしてしまえばもう降りることはできない。

 どちらかと言えば安全なのは後者で、宇佐見蓮子という人間が選びそうなのは間違いなく前者だった。
 彼女は自分の手で、この勝負を決める気なのだ。
 どれだけ麻雀が上手くて効率的な打牌をしようが、必ずどこかで性格が出る。
 この一打は紛れもなく、私の知る宇佐見蓮子の一打だった。
 
「大人しくしていればいいのに」
『大人しくしてたら、メリーに引導を渡せないじゃない』
「受け取りを拒否しますわ」

 私も一向聴というところまで来ていた。
 そして手牌には東の対子があって、鳴けばそれで聴牌だ。
 しかし、待てど暮らせど東は河に放たれない。
 山に埋もれているか、最悪誰かが対子で抱えているか。
 もしそうならこの手は死に手だ。その時は大人しく諦めるしかない。

 そして蓮子がリーチをして二巡後、私にも選択の時が訪れる。
 表示されるリーチボタン。引いてきたのは綾牌の東。
 私の手牌にはもう一つ刻子があり、さらに両面かシャボか選択できる状態だった。
 シャボに取れば待ち牌の数は少なくなるが、自摸ったときに三暗刻がつく。
 そうなれば満貫自摸となり、蓮子を逆転してトップだ。
 両面を選べば、この局で勝負がつく可能性は低くなるが、和了りやすくなる。
 
 打牌時間の10秒をすべて使って、しばしの熟考。
 そういえば、字牌含みのシャボは、和了れる確率は両面と同じくらいだとどこかで聞いたような気もする。
 シャボに取った場合、私の待ち牌は八ピンと西。
 確率が同じならば、自模ったときに勝利が確定するシャボに取るべきではないだろうか。

 4、3、2と打牌時間のカウントダウンが進む。
 そして残り一秒を切ったとき、私は決断をした。

「リーチ」

 選んだのは、両面。六ー九筒待ち。
 選んだ理由は、こちらのほうが和了りやすいと思ったからだ。
 先ほどのシャボと両面の話はおそらく通常状態の話で、今は蓮子がリーチをしている。
 私でなくても、蓮子が私の和了牌を引けば和了れるのだ。
 だったら、枚数の多い両面が有利というのが、私の結論である。

『随分悩んでいたじゃない』
「悩ましい局面だったのよ」
『へぇ、どんな?』
「言うわけないでしょうよ」
『いいじゃん、どっちもリーチしているんだし』
「牌が倒されてからのお楽しみよ」

 この半荘始まって初めての、私と蓮子の捲り合い。
 一巡、二巡と進むうち、どちらも口を閉ざして、互いの捨て牌を見合う。
 牌を捨てる音が一つなるたび、心臓がドクンと音を立てる。
 その音が、まるでカウントダウンみたいだった。
 そして不意に、音が止む。
 止まった画面に表示されたのは、「ロン」のボタン。
 ほんの一瞬だけ、手が止まった。

「ロン」

 ボタンを押す直前に宣言する。
 開かれた手を見て、蓮子の顔が緊張に染まる。
 役が表示される場所に、リーチ、東、という文字が浮かぶ。

「乗れば終わりね」
『そうね』

 私の手はこのままだと4800点。二本場を考慮しても5400点。
 リー棒を含めても蓮子にわずかに届かない。
 しかし、裏が一つでも乗れば点数は倍になり、逆転勝利だ。

 とても奇妙な感覚だった。
 裏ドラが乗れば勝てる。そして私は勝ちたいと思っている。
 でも一方で、乗らなければもう一局続きができる、という思いもあった。
 今思えば、あの時両面待ちを選んだのだって、終わらせたくなかったからなのかもしれない。
 蓮子は、自分の手で終わらせたくてリーチを選んだ。
 私は終わらせたくなくて両面待ちを選んだ。

 見事に正反対な私たちの選択。
 勝ちたい。でも続けていたい。
 乗ってほしいし、乗らないでほしい。
 二つの思いが同じくらいの強さで存在していて、どっち側に祈ればいいのかわからない。
 
 私のそんな思いを意にも介さず、運命の牌は開かれる。
 
『リーチ東、……裏1。9600の二本場は10200』
 
 そして決着の時が訪れた。
 最後の最後まで迷っていた私のほうが勝つだなんて、やっぱり麻雀は理不尽なゲームだ。
 その理不尽さが、今の私には愛おしかった。
 それのおかげで、私たちは今ここにいるのだから。
 
「私の勝ちね」

 最終スコアは、一位ヘルン32300。
 二位宇治抹茶24300。
 三位レン23200。
 四位金ちゃん20200。

 順位表示の画面にあるOKボタンを押して、ゲームは終了となる。
 そして、終わったらまた次が始まるのだ。
 それが、私が麻雀、ひいては遊び全般で最も好きなところだった。
 遊びは、戦争や決闘とは違う。
 負けたって首は落とされないし、牢屋にもぶち込まれない。
 
 勝負が楽しければ、あるいは負けて悔しければ、『もう一回』と言えばいい。
 一人用のゲームとは違って、終わりの先に続きがある。
 何度だって繰り返して、何度だって楽しめる。
 遊びでしか見れない相手の一面を見ることができるし、遊びでしか表に出せない自分もさらけ出せる。
 麻雀に限らず、遊びはいつだって、誰かと手を繋ぐためのきっかけなのだ。
 だから――

『むぅ、なんだかとても悔しい負け方よね。仕切り直しよ、次行きましょ次』

 だから、負けず嫌いの相方が、予想通りそう漏らすのを聞いて、私は思わず笑ってしまうのだった。
「もしかしたら忍者の家計なのかもよ」→「もしかしたら忍者の家系なのかもよ」
『大人しくしてたら、メリーに印籠を渡せないじゃない』→『大人しくしてたら、メリーに引導を渡せないじゃない』
ご指摘ありがとうございます。修正しました。
十六茶
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コメント



0.50簡易評価
2.無評価名前が無い程度の能力削除
家計は家系、印籠は引導でしょうか? 印象的な言い回しの部分だったので、ちょっと目に着いちゃいました。
お話はとても面白かったです。ゲームに勝ちたいけど勝ちたくない、あの感覚っていいですよね。
3.90名前が無い程度の能力削除
点数つけ忘れました、ごめんなさい。