菫子はパジャマ姿のまま独りで川の畔を歩いていた。
辺りはとても暗い。明かりと言えば、彼女が今歩いている場所から少し離れた距離にある、河川沿いに整備されている遊歩道に幾つか建っている街灯のみ。けれどそれらはこちらまで届かない。遠くにある摩天楼の光によって星空はかき消されてわずかしか見えず、到底明かり代わりにはならない。そもそも空には薄っすらと雲がかかっており、月さえろくすっぽ見えていなかった。
都会の喧騒は彼方。鼓膜を震わせる雑音はコオロギのような虫の鳴き声と、時折吹く風、それと彼女自身の足音だけで。
そんな静寂の中、彼女はぼうっとしながらぽつぽつと歩いていた。
時刻は丑三つ時。良い子も悪い子も寝静まるような時間帯に、何故彼女はこんなところを彷徨いているのだろうか。
……少し時間を遡る。数十分前だ。
いつも通り菫子は自室の布団に潜り込み瞼を閉じ、幻想郷へとやってきて、そこで妹紅と他愛もない会話をしていた。
普段なら午前二時頃に流れ解散となり、菫子は幻想郷から現実世界へ戻り普通の睡眠をとるのだが、今日は違っていた。
会話をしている内に、妹紅と些細なすれ違いが起きてしまい、結果口論になりかけた。
菫子は居心地が悪くなり、現実へと戻った。そのままふて寝でもしようかと考えたが、口論して仲違いしたままこちらへと戻ってきてしまったという事実が心に引っかかっているのか、妙に目が冴えていたのだ。
布団の中でどんなに体勢をごろごろと変えても、頭のなかでパンダの数を数えても、ただ無心に瞼を閉じていても、一向に眠気はやってこない。
だんだんと苛立ちを覚えてきた菫子は、そのまま窓から飛び出して、家の傍に流れている川へとやってきていたのだ。
動機は、ただなんとなく。時間が潰せれば、それでよかった。
深夜の散歩はこれが初めてというわけではない。幼少期は深夜に家から抜け出して近くの公園にやってきては、超能力を行使して、人知れず遊んでいた。
そんな過去の記憶が作用したのかは定かではないが、実際に菫子は、ひたすら黙々と歩いていた。
手元には学生証は疎かスマートフォンすら無い。文明のあらゆる加護から遮断された状態で、菫子は独りぼっちだ。
歩きはじめて十数分。目はとっくに闇夜に慣れたものの、それでも全てが鮮明に見えているはずがなく。
何処までもあやふやで、曖昧で。
自分とその他のモノがハッキリと区切られて見えているという自信が、あまりない。
どこからが川で、どこからが川沿いに自生している植物で、どこからが畔で、どこからかが自分なのか。歩いている内に、菫子は自身がひどく曖昧になっていく気がしていた。
視えないけれど、確かにそこにある。川が。自然が。私自身が。私自身の気持ちが。
そしてきっと、誰かの気持ちが――相手の気持ちが。
……すれ違いの原因は菫子にあった。
口論に発展した瞬間にすぐ謝ればよかったものの、意地を張って言い合いを続けてしまい、気がつけば虫の居所が悪くなって、半ば逃げるように現実へと戻っていた。
傍にいたのに。くっきりと相手が見えていたのに。相手の、妹紅の気持ちを汲むこともできず、プライドを守ろうと変な行動をしてしまった。
まるで子供みたいだ、と菫子は自嘲する。
妹紅は何百年も生きているからか、菫子を若干子供扱いしているフシがあった。
妹紅のことは信頼しているし、親しい友人だと菫子は思っている。だからこそ、その子供扱いしている事実が彼女にとって気に入らなくて、反発してしまう要因となっていた。
そういった点を我慢できない時点で、やはり自分はまだ幼いままだと菫子は自身を疎ましく思う。
……きっと、大人な妹紅は、こんな些細な喧嘩も数日経てば水に流してしまうだろう。以前の口喧嘩の際がそうだったように。
果たして、それで良いのだろうか。
良い訳がない。そんなの、彼女の甘さに付け込んでいるだけじゃないか。
彼女がそんなことを考えていると、どこからかふと強い風が吹き始めた。
残暑なんて言葉はとうの昔に消え、昼間でさえも肌寒い今日このごろ。夜になれば更に気温は下がる。
少しサボり癖がある菫子は衣替えをせず、未だに薄い生地で作られたパジャマで身を包んでいた。
だからか、風の影響で菫子の体感温度はグッと下がってしまった。
体を震わせ、両手をこすり、菫子は縮こまる。
――幻想郷にいれば、こんな夜風に凍えること無く、彼女のぬくもりを感じていられたのかな。
菫子の頭に、ふとそんな考えがよぎった。
喧嘩している最中の相手を思うだなんて、頼りにしようとするだなんて、なんて情けないことか。
やはり、自分は子供だ。甘えたがりで、わがままな。
早く大人になりたい。彼女に認めてもらえるような、彼女と対等の立場になれるような大人に。
そんなことを思っていると、ふいに口からあくびがふぁ、と漏れた。
先程よりも瞼が重い。途端に、眠気が彼女の体を襲った。視界どころか、思考すらあやふやになりかける。
まずは、大人になるよりも前に眠りにつきたい。
明日妹紅と会ったら必ず先に謝ろうと決意した後に菫子はそれ以上考える事を保留し、静かに自室へとテレポーテーションした。
辺りはとても暗い。明かりと言えば、彼女が今歩いている場所から少し離れた距離にある、河川沿いに整備されている遊歩道に幾つか建っている街灯のみ。けれどそれらはこちらまで届かない。遠くにある摩天楼の光によって星空はかき消されてわずかしか見えず、到底明かり代わりにはならない。そもそも空には薄っすらと雲がかかっており、月さえろくすっぽ見えていなかった。
都会の喧騒は彼方。鼓膜を震わせる雑音はコオロギのような虫の鳴き声と、時折吹く風、それと彼女自身の足音だけで。
そんな静寂の中、彼女はぼうっとしながらぽつぽつと歩いていた。
時刻は丑三つ時。良い子も悪い子も寝静まるような時間帯に、何故彼女はこんなところを彷徨いているのだろうか。
……少し時間を遡る。数十分前だ。
いつも通り菫子は自室の布団に潜り込み瞼を閉じ、幻想郷へとやってきて、そこで妹紅と他愛もない会話をしていた。
普段なら午前二時頃に流れ解散となり、菫子は幻想郷から現実世界へ戻り普通の睡眠をとるのだが、今日は違っていた。
会話をしている内に、妹紅と些細なすれ違いが起きてしまい、結果口論になりかけた。
菫子は居心地が悪くなり、現実へと戻った。そのままふて寝でもしようかと考えたが、口論して仲違いしたままこちらへと戻ってきてしまったという事実が心に引っかかっているのか、妙に目が冴えていたのだ。
布団の中でどんなに体勢をごろごろと変えても、頭のなかでパンダの数を数えても、ただ無心に瞼を閉じていても、一向に眠気はやってこない。
だんだんと苛立ちを覚えてきた菫子は、そのまま窓から飛び出して、家の傍に流れている川へとやってきていたのだ。
動機は、ただなんとなく。時間が潰せれば、それでよかった。
深夜の散歩はこれが初めてというわけではない。幼少期は深夜に家から抜け出して近くの公園にやってきては、超能力を行使して、人知れず遊んでいた。
そんな過去の記憶が作用したのかは定かではないが、実際に菫子は、ひたすら黙々と歩いていた。
手元には学生証は疎かスマートフォンすら無い。文明のあらゆる加護から遮断された状態で、菫子は独りぼっちだ。
歩きはじめて十数分。目はとっくに闇夜に慣れたものの、それでも全てが鮮明に見えているはずがなく。
何処までもあやふやで、曖昧で。
自分とその他のモノがハッキリと区切られて見えているという自信が、あまりない。
どこからが川で、どこからが川沿いに自生している植物で、どこからが畔で、どこからかが自分なのか。歩いている内に、菫子は自身がひどく曖昧になっていく気がしていた。
視えないけれど、確かにそこにある。川が。自然が。私自身が。私自身の気持ちが。
そしてきっと、誰かの気持ちが――相手の気持ちが。
……すれ違いの原因は菫子にあった。
口論に発展した瞬間にすぐ謝ればよかったものの、意地を張って言い合いを続けてしまい、気がつけば虫の居所が悪くなって、半ば逃げるように現実へと戻っていた。
傍にいたのに。くっきりと相手が見えていたのに。相手の、妹紅の気持ちを汲むこともできず、プライドを守ろうと変な行動をしてしまった。
まるで子供みたいだ、と菫子は自嘲する。
妹紅は何百年も生きているからか、菫子を若干子供扱いしているフシがあった。
妹紅のことは信頼しているし、親しい友人だと菫子は思っている。だからこそ、その子供扱いしている事実が彼女にとって気に入らなくて、反発してしまう要因となっていた。
そういった点を我慢できない時点で、やはり自分はまだ幼いままだと菫子は自身を疎ましく思う。
……きっと、大人な妹紅は、こんな些細な喧嘩も数日経てば水に流してしまうだろう。以前の口喧嘩の際がそうだったように。
果たして、それで良いのだろうか。
良い訳がない。そんなの、彼女の甘さに付け込んでいるだけじゃないか。
彼女がそんなことを考えていると、どこからかふと強い風が吹き始めた。
残暑なんて言葉はとうの昔に消え、昼間でさえも肌寒い今日このごろ。夜になれば更に気温は下がる。
少しサボり癖がある菫子は衣替えをせず、未だに薄い生地で作られたパジャマで身を包んでいた。
だからか、風の影響で菫子の体感温度はグッと下がってしまった。
体を震わせ、両手をこすり、菫子は縮こまる。
――幻想郷にいれば、こんな夜風に凍えること無く、彼女のぬくもりを感じていられたのかな。
菫子の頭に、ふとそんな考えがよぎった。
喧嘩している最中の相手を思うだなんて、頼りにしようとするだなんて、なんて情けないことか。
やはり、自分は子供だ。甘えたがりで、わがままな。
早く大人になりたい。彼女に認めてもらえるような、彼女と対等の立場になれるような大人に。
そんなことを思っていると、ふいに口からあくびがふぁ、と漏れた。
先程よりも瞼が重い。途端に、眠気が彼女の体を襲った。視界どころか、思考すらあやふやになりかける。
まずは、大人になるよりも前に眠りにつきたい。
明日妹紅と会ったら必ず先に謝ろうと決意した後に菫子はそれ以上考える事を保留し、静かに自室へとテレポーテーションした。
反面尻切れトンボ感がいなめませんので、もう少し長さがほしいところです