「はー、だいちゃん、いまなんかいめ?」
「もう7回目ぐらい、かな」
出口を求めて歩き続けた4人。
もうかれこれ1時間以上は経過しただろうか。
しかし、その努力も空しく、幾度と無く目の前に現れる『さるの』の目印はその度に4人を落胆させた。
そして時間と共にどんどんと溜まっていく疲労感と絶望感。
4人は体力的にも精神的にも追い詰められ、既に限界といった様子だった。
「もうあるいててもいみないきがするのだ」
「そんな事言うなよ…… って言いたいけど、私ももう正直分けわかんなくなってきた」
「ねー、ちょっとやすもうよー ずっとあるきっぱなしだしおなかもへった!」
「うー、さんせいなのだ」
そう言ってチルノとルーミアは、全員の返事を待たずにそのままその場にへなへなと座り込んでしまった。
それを見てリグルと大妖精も、もはや何も言わず、同じようにその場に力なく座り込んだ。
疲労しきった4人はそのままぐったりとうなだれ、普段常に騒がしいチルノとルーミアもずっと黙ったまま動かなかった。
そんな4人をあざ笑うかのように、空に上っていた太陽はいつものように沈み行き、射していた眩い橙色の光は力なく青白い色に変わり、森の中をうっすらと淡く照らすのみとなっていた。
辺りには鳥の声も無く、今まで気付きもしなかった僅かに吹くそよ風がゆらす、葉のカラカラとした音が、やけに哀しく耳に聞こえた。
その時、そんなそよ風の中に何かを見い出したのか、先ほどまでぐったり座り込んでいたチルノがはっと顔を上げ、頻りに辺りを見渡し、そして匂いを嗅ぎ始めた。
「なんか、いいにおいがする……」
チルノの声に、ゆっくりと顔をあげた3人は、チルノのするように、辺りを嗅ぎはじめた。
「んー? わかんないのだー」
「あ、でも今かすかに何かにおったような……?」
「チルノちゃん、どんなにおいがするの?」
「こっち!」
反応の悪い3人に痺れを切らしたのか、チルノはズバッと立ち上がり、自分が匂いがすると感じる方向へ1人走り出した。
そんなチルノの突然の行動に3人は驚き、ばたばたと慌てて立ち上がりチルノの後を急いで追った。
チルノが向かっていたのは先ほどまで幾度と無く通った道の方角。
7回も同じ場所を通れば周りの風景もなんとなく覚えてしまうもので、やはり途中までは見覚えのある風景が続いていた。
だが、しばらく行くと突然今までに覚えが無い、明らかに先ほどまでの道とは違う風景が現れ始めた。
「あれ? この道、初めて通るかも」
「やっぱり? 私もそんな気がしてたの」
「そうなのかー?」
すると、前を走っていたチルノが あ! という声をあげ、突然立ち止まった。
3人も追いつくやいなや、同じように皆 あ! と声をあげた。
森を抜けたわけではない。
だがそこには、今までたどりついた事のなかったひらけた空間が広がっていた。
そこは雑草はほとんど生えておらず、まばらに木が数本生えているだけの不思議な場所だった。
そしてその木を見上げると、生きていて今までに見た事の無い異様な形をした、不自然なほどに真っ赤な実がたわわに実っていた。
「これ!このにおい!」
「うわー すごいな!」
「いいにおいなのだー」
「確かにいい香り チルノちゃんよく気付いたね!」
大妖精に褒められたチルノは少し照れくさそうにはにかんだあと、一本の木まで駆け寄り、その木から落ちてきたのだろう、足元に転がっていた赤い実を拾い上げた。
その木の実は大妖精でもどんな名前の実なのかは分からなかったが、実から放たれる香りは金木犀のような甘い香りで、異様な形と色を前にしても思わず食べたくなってしまうような、とても魅力的な香りだった。
「これ……たべても、いいよね?」
「いや、毒があるかもしれないし、それはやめた方が。でも、すごく、おいしそうな、香り……」
「そうだな……例え毒があっても、このまま迷い続けて飢え死にするより、食べて死んだ、方が……」
「もう……がまんのげんかい、なのだ……」
チルノと同じく、3人は匂いに吸い寄せられるように木の実を拾い上げ、異様な眼差しで木の実をじっと見つめた。
普通ならいくら香りが良いからといって得体の知れない木の実など無謀に食べようとはしないだろう。
しかし4人はこの匂いを嗅いでいるうちに、まるで悪い魔法か何かをかけられたかのように、この木の実を何が何でも食べたいという欲求、いや衝動に駆られるようになり、気がつけば理性というものが効かなくなってきていた。
「いただきます……」
チルノがぼそっと言いながら木の実を口に近づけると、それが合図だったかのように3人も同時にゆっくりと、その木の実にかじりつこうと口を近づけた。
「お前ら! やめとけ!」
木の実を口にする直前、突然4人の後ろから大きな声が響いた。
その声に、先ほどまで木の実に夢中になっていた4人は、魔法が解けたかのようにはっと我に返り、そして声のする後ろの方へ振り向いた。
するとそこには、大きな黒いとんがり帽子をかぶり、立派な箒を片手に携えて立っている人の影が暗がりにうっすらと見えた。
「あ! まりさ!」
「オッス っていうかお前ら、危ない所だったな」
「え?」
「その木の実は食べちゃだめだぜ」
「えー、けちなことはいいっこなしなのだ」
「けち! けち! どけちまりさ!」
「ちがうっつーの! とりあえず、それは食べちゃだめだぜ。一口でも食べたらひどい目に会うからな」
「あ、やっぱり、毒とかあるんですか?」
「うーん、毒って言うか、魔法って言うか、呪い?」
先ほどまでケチ、ケチと騒いでいたチルノとルーミアも『呪い』という言葉を聞くやいなや、途端に木の実に怯える様に表情を変え、ヒッという短い悲鳴をあげて手に持っていた木の実を投げ捨てた。
リグルと大妖精ももちろん同様だ。
「まぁ、呪いって言っても殺されたりとかいう大したものじゃないぜ」
「じゃ、じゃぁ、どんな呪いが?」
「この木の実はヘキコクサの実って言ってな、食べると1週間は屁が止まらなくなる しかもやたら臭い」
「……そんなしょうもない呪い、誰がかけたんだよ」
「いや、誰かがかけた呪いとかではないぜ。この木は魔道樹っていってな、元から微量の魔力を持って生えてくる木なんだ。だから呪いって言っても悪意があるものでもないし、私達魔女が精製したような強力な効力も持ってない」
「そんな樹があるなんて、知らなかった」
「だいようせいにもしらないことがあるのかー?」
「まぁ知らないだろうな、なんせ私が魔法で失敗した時にできたここだけに生える新種だからな。名前も私が付けた」
誇らしげにそう言う魔理沙に、リグルは色々とつっこみたかったが、そのしょうもなさと、その堂々たる口ぶりで語る魔理沙の姿に、どこかやるせない気持ちを抱き、結局何も言わずに1人肩を落とした。
「それよりなんでまりさはここにきたのだ?」
「あぁ、今朝霊夢ん所行く時この辺りで落し物をしてな。さっきようやく見つけて帰ろうとしたときにお前達に気付いたんだよ」
『これ』と言いながら魔理沙が取り出したのは1冊の分厚い古びた本だった。
「きったないほんね」
「パチュリーに借りた本だからな。落としたときはまぁ別にいいかって思ってたんだが、それを霊夢に話したら、どうしても拾ってちゃんと返して来いって言うもんでわざわざ探しにきたんだぜ」
「へー、霊夢にもちゃんと借りたものは返すっていう道徳みたいなものがあったんだな」
「いや、たぶんパチュリーのためにそう言ったんじゃなくて、この本が魔道書だったからだと思うぜ」
「まどーしょ?」
「そう、この本のは周辺の空間を捻じ曲げて相手を惑わす っていう魔力が込められてる本だからな。そんな本が落ちてて何か厄介ごとになったら面倒だと思ったんだろうぜ」
それを聞いてリグルは再び、猛烈に色々とつっこみたくなった、いやもうもはや絶叫を上げたい所だった。
だが、自分達が散々迷った原因が魔理沙が落とした魔道書のせいだったのだという事実を知ったことで、様々な感情と共に、今まで忘れかけていた強烈な疲労感と脱力感に打ち負かされ、ついにはそのままぱたんと前に倒れこみ、その顔を地面にうずめた。
大妖精も同じくへなへなとその場に崩れこみ、今までの絶望感と苦労を思い出した。
そして偶然とはいえ自分達が助かるきっかけを作ってくれた霊夢に心から感謝したのち、リグルと同じようにばたんと力なくその場に横たわった。
「それより、お前らこそこんな時間にこんな所で何やってんだ?」
「えんそく! みんなでえんそくしてるの!」
「遠足?」
「そう! はくれいじんじゃまで!」
「そうなのだ、そしたらみちにまよっておなじばしょをぐるぐるしてたのだ」
「ん? 同じ、場所を、か?」
「あるいてもあるいてもおなじめじるしのばしょにでて、あたいもうへとへと!」
「あ…… あー、そうだったのか そ、それは大変だったな うん」
話しを聞いて流石の魔理沙も、自分が落とした魔道書によってさっそく実害が発生していたのだと理解したようだった。
そして魔理沙は少し気まずそうにしながら適当にはぐらかして返事をしたあと、ふとひらめいたようにして話しを続けた。
「でもまぁ、博麗神社ならすぐそこだから、お詫びに……じゃなくて、親切な魔理沙さんがそこまで案内してやるぜ」
「ほんとなのか!?」
「わーい! これでやっとじんじゃにたどりつける!」
「ふたりとも! はやくたつのだ! まりさがあんないしてくれるのだ!」
呼び起こされた2人はぐったりしたまま顔をゆっくりと上げ、そのまま揃って魔理沙の方をじっと見た。
すると魔理沙は、悪かった悪かった、といった感じに、苦笑いをしながら手をひらひらさせて、その場を誤魔化した。
ともかく、その後皮肉にも魔理沙の案内のおかげで4人はようやく森を抜け出し、無事に博麗神社の前までたどり着くことができたのだった。
「じゃ、私はこの辺で失礼するぜ」
博麗神社の前、境内や本殿へ続く石段の前で魔理沙はそう言って箒にまたがった。
「まりさ! ありがとー!」
「ありがとなのだー!」
「おう! 境内であんまりはしゃいで霊夢を怒らせないように気をつけるんだぜ?」
「魔理沙ももう魔道書落としたりして霊夢を怒らせないように気をつけるんだぜ?」
「お、おう 気をつけることにするぜ……」
毒づくリグルに、再び苦笑いで返した魔理沙は、じゃあなと言って手をふり、箒に跨ったまま2 3歩助走をつけてすーっと滑るように宙に浮いて、そのまま空高くへ飛んでいってしまった。
チルノ達は手をふってそれを見送ったあと、4人は疲労感を感じつつばらばらと石段を登り始めたのだった。
上までは段数にして30段ほどだろうか。
迷わずたどり着いていれば、チルノの提案した競争であっという間に駆け上ってしまうはずだったこの石段。
しかし今の4人にとってはまさに命からがらたどり着いた夢にまで見た博麗神社へと続く石段。
4人は思い思いに今日1日を振り返りながら、1段1段をかみ締めるかのようにゆっくり、ゆっくりと登った。
そしていよいよ最後の1段、4人は申し合わせた分けでもなく、その手前で横1列に並び、顔を見合わせてにっこり笑い、目で合図した後、この日一番の元気な声で『せーの!』という掛け声と共に最後の石段を登りきり、無事4人揃って博麗神社へと着いたのだった。
登ってすぐにある本殿の前で4人は『やったー!』と喜びながらハイタッチ等してお互いをたたえ合い、大妖精に至っては歓喜のあまり涙を流し、他の3人もそれを見てもらい泣きをした。
しかししばらく喜んだ後、今まで張っていた緊張感が一気に崩れた事で、忘れかけていた疲労感が4人を再び襲った。
笑顔と嬉し涙で満ちていた顔は、みるみる色を曇らせ、そろってついたため息と共にすっと無表情になってしまった。
そしてその顔のまま、目の前にあるまるで4人が座るために用意された椅子であるかのように置かれていた賽銭箱の上に、無言のまま次々に座った。
しーんと静まり返る境内。
陽は完全に落ち、真っ暗な空の下、霊夢が居るであろう母屋からはぼんやりと灯りがこぼれている。
先ほどまですごし易かった気温も急激に下がり始め、寒さに弱いリグルは既に体を震わせはじめていた。
これからどうしよう。
言葉こそ誰も発さなかったが、4人は同じ事を考えていた。
1日中歩き続けた4人にはもう空を飛んで帰るほどの力も残っていない。
霊夢を頼ってもきっと相手にはされないだろう。
あの時魔理沙に頼んで箒に乗せてつれて帰ってもらっていれば……
いや、それをするとまたもっとひどい目に会っていたかもしれない。
様々な考えが頭をよぎった。
だが、今最も4人を悩ませている事と言えば――。
「おなかへったのだ」
そう、空腹感である。
朝から寺子屋に行っていた大妖精も、それをずっと待っていた3人も、朝から何も食べていない。
昼前に揃った4人は特に食べるものも用意せず、その場の勢いでそのまま出発した。
しかしいつも食べる事も忘れて遊ぶのに夢中になる事はよくあったし、夕方までに帰れるならそれでも平気だと思っていたのでその事自体は特に不安には考えていなかった。
しかし今回ばかりは流石に体力をあまりに消耗し、日もどっぷりとふけてしまってはそうもいかない。
そしてそれを身体が主張するかのように、ルーミアの一言をきっかけに、4人の腹の虫は一斉にぐーっと周りにも聞こえるほどの音で大きく鳴いた。
「お腹、減ったね」
「あのときあのきのみたべとけばよかった!」
「やめろよー、臭い屁が止まらなくなるって魔理沙言ってたろ?」
「それでもこんなにおながへるよりはまし! なんでもいいからなにかたーべーたーい!」
そうやって駄々をこねるようにチルノが足をバタつかせながら体をおおきく揺すると、4人が座っていた賽銭箱はギシギシと鈍い音を立てながら大きくぐら付き始めた。
「チルノ やめるのだ!」
「チルノちゃん! 賽銭箱が壊れちゃうよ!」
「うっさーい! おなかへったの! おなかへ―― うわ!」
チルノを静止する声も空しく、賽銭箱はついに、がしゃーん! と大きな音を立てて見事にばらばらに崩れ、その上に座っていた4人もそのままバランスを崩し、その上にしりもちをついた。
「いてて……」
「…… ってどうすんだよこれ!?」
「し、しらない! ぼろいさいせんばこがわるいんだもん!」
「れいむにおこられるのだ……」
「……!! 誰か来る!」
大妖精が聞いたのは母屋から誰かが走ってくる足音だった。
賽銭箱が崩れた音は神社中に響き渡るほど大きなものだった。
そしてその音を聞きつけてこちらにやってくる人物がいるとすれば、それは間違いなく霊夢だろう。
そしてその足音はすぐそこまで近づいてきている。
4人は短時間に起きた衝撃と、差し迫る脅威にパニックになり、石段を降りて逃げればまだ良かったものを、一番近くに身を隠せそうだったすぐそばの境内の物陰にとっさに隠れてしまった。
「こ、これは……」
足音が、無残な姿となった賽銭箱の前で止まり、そこで発せられた声はやはり霊夢のものだった。
4人は体をできるだけ小さくしながら息をひそめ、霊夢が自分達に気付かずにその場を離れてくれる事を必死に願い続けた。
しかし、悲しいかな、そんな状況の事などつゆもしらず、4人の腹の虫が再び、大きな音で鳴いてしまった。
それはまるで、霊夢に向かって『腹減った、なんかくれ』と空気など微塵も読まずに話しかけるかのように。
もちろん、そんな大きな音を霊夢が聞き逃す訳もなく、音がした方にサッと向きを変えそのままじっとその物陰を睨みつけた。
「ッ! そこに隠れてるのね」
「…………。」
「出てきなさい、でないとこの賽銭箱のようにバラバラになるまで吹き飛ばすわよ」
そう言われ、もはやこれ以上隠れ続けても無駄だと悟った4人は、恐る恐る物陰から霊夢の前に姿を表した。
うつむきながらおずおずと出てくる4人を霊夢はじっと睨み、そのまま何も言わず4人の目の前までゆっくりとした足取りで詰め寄った。
「この賽銭箱、やったのはあんた達ね?」
「……はぃ」
「そう…… じゃぁついて来なさい」
顔色を一切変えずに冷たく放った霊夢の言葉に、4人は一瞬ビクリと体を震わせ、そのまま母屋に歩き出した霊夢に抵抗することなく、しかし重い足取りでそれについていった。
母屋に連れて来られた4人はそのまま奥にある居間に通され、そこにあったちゃぶ台の周りに座らされた。
「そのままそこでじっとしてなさいね……」
霊夢は座っている4人に再び冷たくそう声をかけると、そのまま更に奥にある障子で仕切られた部屋へと出て行ってしまった。
そして、閉じられた障子越しからは、ガチャガチャという不気味な音が聞こえ始め、4人はこれから起こるであろう出来事が頭を巡り、正座して下にうつむいたまま、ただひたすら反省、いや後悔していた。
どうしてこんな事に。
こんな事なら遠足なんて言い出さなければ。
もしあの時引き返していれば。
しかし、そんな事を考えてももはや手遅れ。
そうこうしているうちに、無情にも奥の部屋の障子がスーっと乾いた音を立てて開き、霊夢が4人の元へと戻ってきた。
皆うつむいたままでその姿を見る勇気は無かったが音からして何かを持っているようだ。
そして次の瞬間、ダンッ! と大きな音を立てて霊夢が手に持っていた物をちゃぶ台に置く音が聞こえた。
その音に恐怖し恐れ慄いた4人は再びビクンと体を震わせた。
そしてゆっくり、覚悟を決めるように顔を上げると、何故かそこには、昔ながらの金色のメッキが施された大きなアルミなべが蓋をかぶせた状態で置かれていたのだった。
もっと禍々しいものを想像していた4人は、目の前に置かれた意外なものを前に拍子抜けしていると、すぐさま霊夢が上に乗っているなべの蓋を取ってみせた。
「わ! にくじゃがだ!」
そう、中には熱々の肉じゃががナベいっぱいに入っていた。
蓋を開けたなべからは、湯気があふれ出し、そのなんとも言えない香りがたちまち部屋中を満たしていった。
「あんたたち、お腹空いてるんでしょ? 食べていきなさい」
思いがけない霊夢の言葉に4人は一斉に視線の先をナベから霊夢に移した。
見ると、霊夢のその表情は、先ほどの冷たい顔は消え、変わりにとても暖かな笑顔で満ちた表情をしていたのだった。
しかし、こんなもてなしを受ける理由が分からず、4人が困惑していると、霊夢はそれにかまわず何度か部屋を行き来し、手際よく箸やお茶、取り皿、そして白いご飯までを4人の前に準備した。
それでもどうして良いか分からない4人。
『何か裏があるのでは』と頭では考えつつも空腹が限界まで来ている4人は、目の前の誘惑に負け、今にも自分の前に置かれた箸に手が伸びそうになっていた。
そんな様子を傍らで見ていた霊夢はスッと体の向きを変え、今度は4人が入ってきた廊下へ続く方の障子を開けた。
そして部屋から一歩足を踏み出した後、顔だけを部屋の方に向け、『さっきの賽銭箱……』と中の4人に向かって冷たい声で言うと、4人は賽銭箱という単語にまたもビクッと体を震わせ、箸に伸びかけていた手も再びひざの上へと引っ込ませ、再び恐怖心で体を硬直させた。
その4人の反応を見てくすっと笑った霊夢はもう一度意、今度は地悪そうにおどけた感じで言い直した。
「じゃ、私はさっきの賽銭箱を片付けてくるから、あんたらはゆっくり食べてなさい。全部食べてくれていいからね」
そう言って霊夢は部屋を出て行き、閉められた障子の向こうから聞こえる足音も、次第に遠くへ消えていった。
そうなると、部屋に残されたのは飢えに飢えた4人、そしてほかほかと湯気をたてる肉じゃがにつやつやと輝く白いご飯だけだ。
4人はついに誘惑に負け、用意された箸に手を伸ばすやいなや、揃って『いただきまーす!』と、まるで外にいる霊夢に聞こえるようにといわんばかりに大きな声で言って、次々に肉じゃがの入ったなべをつつき始めた。
「うんまー!」
「こんなにおいしいにくじゃがはじめてなのだ!」
「体も温まって最高だな!」
「お腹が減ってたから、なお更おいしく感じるね!」
4人は口々に肉じゃがの味を褒め、肉に、芋に、たまねぎに、と次々に鍋から小皿によそっては白いご飯と共に口いっぱいにかきこんでは、はふはふと皆幸せそうに食べるのだった。
そんな時、4人は誰も気づかなかったが、霊夢の出て行った障子の方から、今度はこちらに進んでくる足音が聞こえていた。
その足音は4人がいる部屋の前で止まり、そのあと部屋の障子が開けられた時にようやく中の4人はそちらに気付いた。
「霊夢ー、いるかー……って、あれ?」
「あ!まりさ!」
「あれ、魔理沙さん、さっき帰っていったのに、何で?」
「いやー、ちょっと忘れ物をな、今日は落し物に忘れ物に、散々だぜ」
「まりさはおっちょこちょいなのだー」
「また変なもん忘れていったんじゃないだろうな?」
「いやいや、霊夢が珍しく、野菜を分けてくれるって言って渡されたんだが、霊夢んとこから何か持って帰るなんて普段ない事だから、帰るとき忘れてる事にも気付かなくてな」
「れいむ、きょうはやさしいのな! いへんか?」
「ま、そういう気分の時もあるって事だろうぜ。お前らもそれ、霊夢にご馳走になってんだろ?」
「そうなのだ、じんじゃのさいせんばこをこわしたのに、れいむはおこらずごちそうしてくれたのだ」
「え!? マジでか?」
「うん、最初は怖い顔してたけど、何も言わずにニコニコしながら用意してくれたんだ」
「……ちょっと心配になってきたぜ」
魔理沙自身も本当はめったに無い霊夢の好意に違和感を感じていたのだろう。
それに加えて4人の話しも聞いた魔理沙はますます不信感をつのらせ、慌てたように霊夢の行った方向を4人から聞くと、駆け足でその方向へと出て行ってしまった。
そんな魔理沙を尻目に、4人は再び箸を進め始めた。
しかししばらくして、チルノが肉じゃがの味に、何か違和感を感じたようだった。
「あれ? このにくじゃが なんかすっぱい?」
「ん、そう言われれば、なんとなく」
「わたしはわからないのだー」
「んー…… あ、わかった! これポン酢だよ!」
「ぽんず?」
「なんなのだ?」
「あー、確か、酸っぱい醤油みたいなやつだっけ?」
「そう、ちょうど今日授業で習ったの、ポン酢は、かぼすとかすだちなんかの果汁を入れて作るんだけど、里の人たちの間で醤油の代わりにポン酢を入れて、料理を少しすっぱくしてさっぱりと食べるのが流行ってるんだってー」
「へー、霊夢も粋な事するなー、魔理沙じゃないけど、ちょっと不安になるぐらい手が込んでるんだな」
「そうだねー」
一方、その魔理沙はというと霊夢を探して母屋から出た後、賽銭箱のあった本殿の前まで来ていた。
しかし魔理沙が本殿に来た時には、既に壊れた賽銭箱はきれいに片付けられ、長年そこに置かれ続けていたのだろう。石畳にくっきりと残された四角いシミがその名残を残すのみとなっていた。
しばらく辺りを見渡しても霊夢の姿はそこには見当たらなかったので、魔理沙はまた来た道を戻り、母屋へ戻る方へと向かった。
しかし母屋の中に霊夢がいないことは既に分かっている。
「母屋にも本殿にも居ないとなると、あとは蔵の方か」
そう言いながら魔理沙は母屋の前をそのまま通り過ぎ、その更に奥に隣接して建っている蔵へと向かった。
蔵の入り口は魔理沙からは母屋で隠れて見えない位置にあり、間近に近づくまでは中の様子は確認できない。
だが近づくにつれ、たぶん蔵の中からだろう、何か重たいものをずりずりと引きずるような音が聞こえてくるのが分かった。
その音が霊夢が立てている音だと確信した魔理沙は、蔵までのほんの少しの距離を少し急いで走り、蔵の入り口に着くやいなや、開け放たれていた扉から中に入り、霊夢の姿を探した。
「あれ? 魔理沙?」
魔理沙が霊夢を見つける前に、霊夢が先に魔理沙に気付いたようで、物影から霊夢の声が聞こえ、今度はそこからひょいっと霊夢の顔がのぞいてきた。
「あんた、何しにまた来たのよ」
「ああ、ちょっと忘れ物をな、それより霊夢こそ何してんだ?」
「あー、ちょっと新しいのをね――」
そう言いながら霊夢は覗かせていた顔をまた物陰に戻し、今度は外からも聞こえていた音を立てながら大きな賽銭箱を引きずって再び姿を現した。
そのまま魔理沙から完全に見える位置まで来ると、霊夢はすかさず魔理沙の方を見て『手伝いなさいよ』と目で合図した。
それに魔理沙は同じく目ではいはいと返事をしながら、賽銭箱の反対側へ向かい、2人は向き合う形で賽銭箱の両端に立った。
大きく立派な賽銭箱だったが、霊夢が引きずる音を聞く限り、持ち上げられないほどの重さではないようだったので、2人はそのまま賽銭箱の底の部分に手をかけると、せーのという掛け声と共にそれを持ち上げた。
蔵の中は他にも様々な物が置かれて狭くなっているので、2人は他の物に当たらないように注意しながらゆっくりと蔵の外へと運び出した。
蔵の外へ出てしまえば周りに障害になる物も無いので後は何も気にせず本殿まで運ぶだけだ。
その状況になった段階で、魔理沙は賽銭箱を運びながらようやく霊夢に聞いた。
「この賽銭箱、どうしたんだ?」
「ずっと前、天人の奴に神社壊されちゃったでしょ? その時建屋を直してもらったついでにこの賽銭箱も作ってもらってたんだけど、古いのがまだ使えそうで勿体無かったからずっと出せずにしまってたのよ。だからあいつらには感謝しなくちゃね」
「相変わらず貧乏症だな」
「うるさいわね こっちだっていろいろ苦労してんのよ」
「悪りい悪りい、でもあいつらのお陰で古いのが壊れて新しいのが出せるからって、あんな料理でもてなすなんてやりすぎじゃないか? 霊夢らしくないぜ」
魔理沙がそう言うと、霊夢は一瞬怪訝な顔をしたが、その後すぐに表情を変え、ぷっと笑ってみせた。
「違うわよ、まぁ半分ぐらいは感謝の気持ちも無くもないけど、そんな大判振る舞いするわけないでしょ」
「じゃぁ何でなんだ?」
「あれも古いのよ」
「……へ?」
「実りの秋って言うじゃない? だから野菜なんかの奉納品が山のように届いて溜まっちゃっててね。一気に消費しようと馬鹿みたいに肉じゃが作ったはいいものの全然減らなくって…… もう1週間は経つかしら」
「おい、大丈夫なのかよあいつら」
「うーんまぁ日ごろその辺のどんぐりでも拾って食ってそうな連中だし、大丈夫なんじゃない?」
なんて無責任な。
流石の魔理沙もそう思わざるを得なかった。
そしてそれによって急に中の4人が不憫に感じた魔理沙は、ちょうど真横に差し掛かった母屋の方をおもむろに見やった。
すると中からは、もうほとんど食べきってしまったのだろうか、鍋の底をがしゃがしゃとさらう音が聞こえ、同時に何も知らない4人の暖かなはしゃぐ声も聞こえてきた。
「だいちゃん、このいもは?」
「いとひいてるのだー」
「えっと、サトイモ、かな?」
「肉じゃがにサトイモなんて入れるっけ」
「おいしい! おとなのあじってかんじね」
「うーん、そもそもサトイモってこんなのだったっけ……」
そんな会話を聞いた魔理沙はぶんぶんと首を振り、それ以上はもう何も聞かない事にした。
だが1度聞いてしまったものはしょうがない。
魔理沙はあの中に入っていた芋は本当にサトイモなのだと自分に言い聞かせ、できるだけ想像しないようにして胸からこみ上げてくるものを必死に押さえ込んだ。
「はーーっ もうおなかいっぱい」
「もううごけないのだ」
「お前ら食いすぎ」
「そういうリグルもいっぱい食べてたでしょ」
「だいちゃんも、おにくばっかりたべてたのあたいみた!」
「ち、ちがうよ バランスよく食べてたもん!」
何も知らず、鍋の中と茶碗のご飯をきれいに平らげた4人が談笑していると、部屋の障子がすーっと開き、賽銭箱を設置し終えた霊夢と、それに続いて魔理沙が部屋へ戻ってきた。
4人はそれに気付くやいなやすくっと立ち上がり、揃って霊夢の方へ顔を向けた。
その4人の顔はまるで天使のように、キラキラと幸せに輝くまぶしい笑顔で満ちていて、その顔のまま声をそろえて『ごちそうさまでしたー!』と元気よく言うのだった。
それを見た霊夢はにんまりとした笑顔になり、おそまつさまでした と一言で応えた。
それを後ろから見ている魔理沙はとてもやるせない気持ちでいっぱいのまま、同情するような顔でただただ空になった鍋と4人を見つめているのだった。
「あんたたち、今日は泊まっていきなさい。ちょうど来客用の布団と枕もくたびれてて悩んでた所なの」
「マジで! ほんとーかれいむ!」
「ええ、思う存分枕投げでもしてぐっちゃぐちゃにしてくれるといいわ」
肉じゃがに次いでまたしてもかけられた霊夢の思いがけない言葉に、
4人はまたこれまでにないほどに喜び、チルノに至っては気持ちを抑えきれなくなって部屋中をぴょんぴょんと跳ね回り、果ては霊夢に抱きついたりまでしていた。
その後、魔理沙は霊夢に渡された袋いっぱいの野菜が腐ってないかをこっそり確認してから早々に帰って行き、お腹いっぱいになって完全に元気を取り戻した4人は霊夢の用意した布団の上で盛大に暴れまわり、ちょうどその布団がもう使い物にならなくなるほどぼろぼろになった頃に体力を使い果たして倒れこむようにその上で皆眠りにつき、一夜を過ごしたのだった。
そして朝になると、霊夢が用意した独特の香りを放つ魚や漬物の朝食に舌つづみをうち、魔理沙と同じように袋いっぱいの野菜をお土産にと持たされると、4人は心からの感謝の気持ちを霊夢に伝え、そして揃って、今度は空を飛んで無事湖への帰路についたのだった。
「みんなでえんそく たのしかった!」
「一時はどうなる事かと思ったけど、行って良かったな」
「そうだね、ご馳走してもらってお土産までもらっちゃうなんて思ってもなかった」
「でももうまようのはかんべんなのだ」
「やっぱり、博麗神社に行くのは空から行くのが一番だな」
「それじゃつまんない あたいはまたぼうけんしたい!」
「やめとけって、どうしてもって言うならチルノだけ今から歩いて帰るか?」
「うー、きょうのところはかんべんしてやるわ」
「今日、この後みんなどうする?」
「うーん、今日はとりあえず家でゆっくり休もうかな。昨日体が冷えたせいか、ずっとお腹がごろごろいってるし」
「さんせー」
「またあしたからげんきにあそぶのだ」
たわいも無い話、いつもと同じやりとり。
いつもと何ら変わりなく見える4人だったが、この2日間、苦しみと絶望、危機を乗り越え、喜びを分かち合い、共に食べ、共に遊び、共に寝る事で、4人の絆は以前にも増して強くなっていた。
4人は満たされた気持ちのまま湖までたどり着き、『ばいばい、また明日』と言って、そこからそれぞれの住む場所へと帰っていった。
帰るまでが遠足。
4人の2日がかりの遠足はこうして幕を閉じたのだった――――。
ただ、遠足で始まったお話なのに、この4話だけ遠足後の話(かつ結構長い)になってしまっているのが少し残念でした。
4人でてんやわんやしながら進んでいく様が可愛らしかったです