Coolier - 新生・東方創想話

サナトリウムの選択2

2017/09/21 23:41:43
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「あれ、藍さまだ。どうしたんですか?」
「ちょっと地底に用事が出来てね。数日、ここを空けるよ」
「地底? わかりました」
「その間は、前にも言った通り、張り付いて居てね。何かあったら連絡するように」
「りょうかいでーす」



チャプター1 : 花火師のエニグマ


 黒く澄んだ夜の空に、冬の星座と弓張月。
 墓地をすり抜けた木枯らしが、寒夜の寂しさを運んで来ては、雨戸を叩いて消えていく。

「そう。まさに、冬がやってきたワケだけど」

 ここは命蓮寺の大広間。
 食事を取ったり、寺の住人が一堂に会する時に使われる部屋だ。
 今は姐さんとネズミを除いた住人達が集まっている。

「去年の冬。私達はエラい目に遭いました。覚えてるわね?」

 幻想郷での生活も慣れてきたあの頃。私達は最高に調子にノッていた。
 繁忙期だって楽勝だぜ! とタカを括って、やるべき事を先送っては先送る。

 そして冬本番。私達は、かつて先送った仕事の山にブチ当たり、その身を削る羽目になった。

「凄かったよねぇ。何日寝なかったっけ」
「それすら曖昧だわ」

 仕事の量だけでなく、疲労によるミスに相当な手間を喰われた。
 たとえ妖怪であっても、適度な休息が必要不可欠。それが改めて身に沁みた一件だった。

「と、いうワケで。悲劇を繰り返さない為にも、今から準備を進めていこうって話よ」

 うんうん、と頷く一同。
 誰もが、平穏な年末を願っている。忙殺なんて以ての外だ。

「じゃあまず。ムラサは私と一緒に買い出しね」
「ぐーぐー」

 そして誰もが、楽をしたいと願っている。

「今すぐ起きないと、鼻の穴に折った鉛筆を叩き込む」
「一輪とお買い物楽しみだナー!」

 飛び起きたムラサはさておき。
 これは、どんどん振っていかないと逃げられそうね。

「ぬえと親分は、お寺で姐さんと寅丸を手伝ってあげて」
「ほいほい。しょうがないのう」
「やだよ。何で私までやらにゃならんの」
「はい! ぬえさんから鉛筆オーダー入りました!」
「マジで用意してあんのかよ! やめろ、折るな、てっ、手伝いますから!!」

 最初からそう言えばいいのである。

「響子と小傘は掃除。いつもやらない所まで念入りにね」
「やぼーる!」
「あのー。私はお寺のヒトじゃないんだけど」
「駄目です」
「なんで!?」

 タダ飯とタダ風呂頂いて、寝間着でマイ枕抱えてる野良妖怪は、今この瞬間からウチの門徒とみなす。

「一輪。私は何をすればいいですか?」
「寅丸は本堂に立ってなさい!」
「そっ、そんなご無体な!!」
「いや、それがあんたの仕事だし」

 むしろこっちに混じったらサボりだぞ。

 さてさて、と。
 これで来週になればネズミも来るから……うん、これなら十分な時間があるわね。

「と、いうワケで。みんなで穏やかな年末を迎えるべく、頑張りましょう」
「へいへーい」
「ちなみに」

 すうっ、と部屋のふすまが開かれる。
 暗い廊下に立って居たのは、黒衣の女性。

「姐さん聞いてたんで。知らなかった、ってのは通らないよ」

 慄く一同に、姐さんは満面の笑みを浮かべて見せる。

「皆さんなら、きっとやり遂げると信じていますよ」
「もっ! もちろんですとも!」
「全ては我らが命蓮寺の為に!」
「ヴィヴ・ラ・ミョーレンジ!」

 どうせ適当こいて逃げようと思ってたんだろうけど、そうは問屋が卸さない。
 真っ先に逃げようとして、姐さんに取っ捕まったのが私だ、というのは内緒にしておこう。







「これで全部回ったわね」
「お、終わり?」
「今日の分は」
「そりゃまた絶望的な……」

 大きな買い物袋を両手に提げて、ムラサと共に夕暮れの人里を歩く。
 いかに妖怪とはいえ、この量は少々辛い。
 雲山、もっと持ってよ。え? 甘えるな?

「この頑固爺め。いいもん別に。帰りましょ」
「待って。どっかで休まない? マジで成仏しそう」
「頑張ってよ。今日は早めに帰らないと。ほら、花火屋さんの件があるから」

 先日、花火職人の爺さんが亡くなった。
 仕事中に突然倒れ、そのまま目を覚ますことは無かったそうだ。
 下手な若者よりも元気だった爺さんだ。外野の私でさえ信じられない思いだった。
 余りにも急な話だったので、家族も私達も何の準備もしておらず、慌てて諸々の準備を始めている。

「しゃあない。もうひと頑張りするかぁ」
「最後に買う店、お寺に近いところにすれば良かったわね……」
「ああっ! それもっと早く思いついてよ!」
 
 大荷物を抱えて、グッタリと行軍する私とムラサ。
 ねえ、やっぱ持ってよ雲山。無理、死ぬ。
 
 ナニ? もう寺は目の前だって? ふわふわ桃色ジジイめ。

「た、ただいま……」
「船長のお帰りよ……」
「あっ、おかえりなさい」

 玄関で出迎えたのは響子。だが、その表情はいつもの笑顔ではなく、困惑。

「何かあったの?」
「あった……かもしれない、的な」
「曖昧はいかんぞ二等水兵」
「とりあえず、オショーさんの所に行ってみて。帰ったら呼んで、って言われたの」
「フムン」

 ま、まさか隠し酒がバレた……? 
 いや、いかに姐さんと言えど、アレを見つけるのは不可能……大丈夫の筈だ。
 ひとまず荷物を置いて、手を洗い、大広間へと向かう。

「失礼しまーす」
「しまーす」
「ああ、帰って来たんですね。お疲れ様」

 そこには姐さんと、人間の男性。確かこの人は……。

「あっ、花火師さんの」
「お世話になっております」

 故人の息子さんだ。頭を下げる彼に、慌てて私達も頭を下げた。

「貴方達にも、一応聞いて貰おうと思って。すみません。もう一度……」
「ええ。もちろんです」

 そう言うと息子さんが、一冊の本を取り出した。

「これは、父が生前書いていた日記です。少し読んでみて下さい」
「え? は、はい」

 いいのかな。故人の日記を……。
 気後れを感じつつ、本を開いた。私の横から、ムラサも覗き込む。

 誰々が来た。何々を見かけた。
 花火の話題が頻繁に出るのは花火師らしいが、それ以外はごく普通の日記だ。

「なんていうか……まあ、普通に日記ですね」
「では、次はこちらを」

 今度は別の本を渡される。
 表紙は違うけど、これも日記のようだ。
 特に何も考えず、本を開く。
 
 数ページ流し読んだところで、眉根に皺が寄った。

 花火師の日記に、農業の事ばかりが書かれている。種がどうとか、肥料がどうとか。
 文章に脈絡が無いし、似たような事ばかりが書かれている。というか、そもそも文体がまるで違う。

「奇妙だと思いませんか? 日記が2種類ある時点で妙なのに、その中身がこれとなると……」
「かつて農業を営んでいた、とかではなく?」
「いえ。花火師以外には無いですね。母も、商人の娘でしたので」
「うーむ……」

 とてもじゃないが、同じ人が書いた日記とは思えない。

「故人の日記が不審だ、という事は理解しました。しかし、何故命蓮寺に? 頼って頂けるのは嬉しいのですが」

 ムラサが小首を傾げて問う。
 普段のバカ笑いが嘘のような、静かで、水のように澄んだ声音。

「お寺の方。それも妖怪となれば、私などよりは聡明かと思いまして」
「あー、まあ、うーん」

 正直、息子さんの方がずっと賢いんじゃなかろうか。
 何しろ我ら、脳筋ブディスターズ。果たして貢献できるかどうか。
 こっそりと姐さんに耳打ちを試みる。

「姐さん。これどうしま」
「分かりました。お引き受け致しましょう」
「お任せください。必ずや解き明かして見せます」
「んえっ!?」

 思わず素っ頓狂な声が出た。
 姐さんはともかく、ムラサまで快諾とは。
 
 ある思いを乗せて、私は2人に視線を放つ。
 しかしそれは、ムラサが放った会心のウインクに撃ち落とされ、姐さんの慈愛スマイルに再攻撃を阻止される。
 そういう可愛いのはズルいと思う。私出来ないんだからな、ソレ。

「本当ですか! ありがとうございます!」
「ただし。事の性質上、これを他の人にも見せる事になりますが……」
「はい。それについては仕方が無いでしょう」

 うーむ。ネズミを呼ぶの、早めた方が良いんじゃなかろうか。







「私にだって分かるよ? 檀家の悩みを解決するのが、良い行いだって事は」

 翌日の午後。
 私は机に頬を預けたまま、ムラサと共に、例の日記と対峙していた。

「でもこういうのは、ネズミとか親分の分野じゃない? 適材適所って大事よ?」
「文句言って無いでアタマを動かす」
「いや、受けたのムラサなんだから、あんたこそブン回しなさいよ」
「もうやってまーす」

 ムラサは悪戯っぽく笑いながら、白い指でページをめくった。
 次の日の文章が姿を見せる。その内容は相変わらず、芽だの種だの、である。

「受けといてナンだけど。謎、解けるかな」
「そもそも、謎が隠されてるかどうかすら謎じゃない」

 謎が有るって分かってるならまだしも、それさえ不確定なのは厳しいぞ。
 日記に謎が隠されていない事を証明せよ……これってある意味、悪魔の証明じゃあないかしら。

「雲山は解ったりする? おい、こっち見ろよ相棒」

 まあ、雲山もこういうの苦手なタイプだからね。知ってた。

「やっぱアレだ。詳しそうな人の助力が要るわね。どう思いますか、みっちゃんさん」
「賢明だと思います。いっちーさん」 

 一から十まで頼る気は無いけど、自分で全部出来ると思えるほど、自惚れてもいない。
 頼れるときは頼る。それって結構、大事なコトなのだ。

「で、誰に聞くの? マミゾウさん居ないし、ナズーリンもまだ来てないよ?」
「うん。親分が帰ってくるまでは別の仕事を」
「たのもー!!」

 突然、寺に響く少女の叫び声。

「太子様からの言伝を預かっておる! 誰かおらぬか! おらぬのなら焼くぞ! 寺を!!」
「この忙しい時に。いま行くから! 焼いたらヤキ入れるからね!」
「ねえ一輪」
「ん?」
「宗教戦争を裏で操って、身内を潰した風水師、となれば……」
「……なるほど?」

 目線を交わして頷き合い、玄関へ向かう。

「おお、やっと来たか。白蓮殿はおられるか? 来週の―――」
「人的資源確保ォ!」
「えっ!?」

 ムラサが投擲した鎖が、布都の身体を絡め取る。
 バランスを崩して転倒した布都を、二人で制圧にかかった。

「あんたそれなりに脳ミソ回る方よね! そうであろう!?」
「人の真似をするでない! このっ、鎖を解け!」
「駄目でーす。大人しくしないと、貴方のケツの穴に手を突っ込んで……」
「つ、突っ込んで……?」
「……以上です!」
「抜かんか馬鹿者!!」

 突っ込んだ時点で馬鹿と言うべきだったのでは。
 いや、そんな事はともかく。

「誤解しないで。ちょっと助言を貰いたいだけなのよ」
「助言だと? 仏教徒を八つ裂く方法でも聞きたいのか。助言と言わず実演して見せるぞ?」
「いえいえ。この本についてなのですが」
「まず鎖を解かんか」

 言われた通り、ムラサが鎖を解く。

「これなんだけど」
「日記か? これがどうかしたのか」
「ちょっと変なトコがあってね」

 布都が日記を読み始めたので、事の概要を、故人の情報をぼかして伝える。

「なるほど。確かに妙だのう」
「普通の日記は普通だから、文章が下手って線もなさそうだし」
「フムン、日付の進みは暦通りか……しかし……」

 ブツブツと呟きながら、流すように読んでいく。
 それにしても。ここで逃げない辺り、マジメというか、抜けてるというか。
 全体の半分くらいまで読んだ所で、布都が本を閉じた。

「……で、どうかしら」
「うむ! 全くわからん! 我こういうの結構苦手でな!」
「古臭い上に使えないなんて、救いは無いのかしら」
「所詮は身内殺しの政治屋か……」
「我ちょっと暖を取りたくなってきた」

 青筋を立てて黄色いマッチを取り出す布都。
 振り回すんじゃない! 黄燐のヤツは本当に危ないんだぞ!

「まあ、その謎とやらはともかく……一つ言える事がある」
「何よ」
「老人が遺した、不審な文章の隠し日記。これに何か意味があるのだとすれば」

 布都は服に着いた埃を払いながら、静かに言葉を続けた。

「どうせ、ロクでもないモノだ。指し示す何かも、その先の結末も。きっと、そうに決まっておる」
「根拠はあるんですか?」
「身内殺しの政治屋。それの経験則では不足かの?」

 薄く笑いながらマッチを手の上で弄んで見せる布都。
 だから危ないって!

「ま、精々気をつけ……あ、やっぱ気を付けなくてよい。失敗して滅びるがいい」
「ご忠告どーも。じゃ、用が済んだならさっさと帰んなさい」
「いや、我の用事まだ済んでないから。早く白蓮を呼ばんか」

 そういえばそうだった。仕方ない、呼んで来てやるか。

 しかし、もし布都の言う事が的を得ているのなら……困った話になりそうだ。







 既に日は落ち、夕食も胃に落ちた時間帯。
 大広間でムラサと共にお茶を飲んでいた時に、ようやく親分が帰って来た。
 
「ただいま帰ったぞーい」
「汁物のダシ確保ォ!」
「だっ、誰が狸汁じゃ! やめんかコラ!」
「ムラサ、ムラサ。親分はいいから」
「ぬああ! マミゾウさん近接も強い!」

 逆襲されて腕を極められるムラサを肴に、お茶を啜る。
 そして、その後ろには、もう一つの人影が。

「もう何度言ったか分からないが、騒いでいないと死ぬ病気なのかね。君ら」
「あれ、ネズミ? 来るの来週のはずでしょ?」
「たまたま近くに来たのでね。壮健のようで、何より」

 明らかに小馬鹿にしながら、白目を剥いて堕ちたムラサをまたぐ、ネズミことナズーリン。
 腹は立つけど、今回の件ではきっと頼りになる筈だ。

「親分。早速だけど、手を貸してくれない?」
「そう来ると思っとったよ。どれどれ」
「何だ? 何の話だ?」

 ネズミにも事のあらましを説明し、謎解きに加わってくれるよう頼む。

「そういうわけで、頼むわよ」
「チーズ奢るからさ」
「洋酒もつけてくれ。マミゾウ、もう少しそっちに」
「おお、すまんのう」

 机に日記を開き、2人で読み始めた。
 ……なんか雰囲気が『爺さんと孫』だなぁ。さすがに言わないけど。

「確かに妙だが、意図的にそうした文体に見えるのう。奇人のそれにしては、マトモ過ぎる」
「使う単語に偏りがあるな。日記に偽装した暗号文かもしれないぞ」

 新たに湯呑みを持ってきて、親分とネズミの分も煎れる。

「他人の畑について記しているようじゃが、実際の農業とは時期が合わんの」
「やはり、暗号の類かもしれないね」

 煎餅を齧り、お茶を啜る。
 机に頬杖をついたムラサが、退屈そうに欠伸を一つ。 

「日々の話が繋がっている。これ一冊で一つの何かを記しているようじゃな」
「研究日誌とか、活動報告辺りかね。嫌な予感がしてきたぞ」

 最後の一枚となった煎餅に向けて、2人同時に手を伸ばす。
 取り合いなんて見苦しい事はしない。ムラサが取って、二つに割った。

「花火師の極意を記した技術書……というのは穏当過ぎるかのう」
「だとしたら、故人は相当な意地悪だな。あり得ないとは言わないが……」

 いや……大きさ違い過ぎない? 割るのヘタクソ過ぎでしょ。
 ちょっと、待ちなさい。何しれっと大きい方を食べようとしてるの。ねえ。

「八百屋、種、肥料、納屋。この辺が、割とよく出てくるな」
「特に種と肥料はかなり多い。八百屋と納屋は、何かの場所として。種袋は何じゃろうか」

 おっ? 食ったな? 大きい方食ったな? さては最初からそのつもりだったな?
 なに笑ってん、あー! 小さい方も食べた! 上等じゃない! ワンパンで沈めてやるわよ!

「八百屋は……種と肥料の調達を任されている、のかな」
「雲山ァ! 吐かせるわよ!」
「里の外と、納屋周辺の二か所で種蒔きをしているのう。何故、肥料だけこんなに細かく情報を記しているのじゃろうか」
「遅い遅い! そんなナマクラじゃ私のツラに拳がッ!」

 会心の右ストレートが、ムラサの顔面を打ち抜いた。
 船幽霊が陸で何するものぞ!

「書き方からすると、納屋での種蒔きを重要視しているようだね」
「この距離で私に敵うと思って油断したら柄杓がッ!!」

 しかし、ムラサもタダでは終わらない。
 幽霊らしく無気配での接近。そこから、底の無い柄杓が私の顔面を引っ叩いた。 

「ふむ……謎は多いが、一つだけ言える事がある。そうじゃな?」
「良い顔! いつもより美人に見えるよ!」
「ああ、そうだね」
「クッ、次で終わらせてやる!」
  
 が、私達に次は無かった。
 いつの間にかムラサの背後に回った親分が、彼女の首を未知の方角へと回して向けた。
 泡を拭いて崩れ落ちるムラサだったモノ。
 それに気を取られている内に、ネズミのロッドが私の顎を薙ぎ払い、私もその場に倒れ込んだ。

「元気なのはいいが、もう少し静かにしてくれんかのう……」
「人にモノをやらせるなら、相応の態度を示したまえよ……」
「「申し訳ございませんでした」」

 乱痴気を咎める鋭い視線と、汚物を見るような蔑む目線が降り注ぐ。
 違うんです。全部ムラサが悪いんです……。



チャプター2 : 照らす星の先


 翌日の夜。私とムラサ、親分とネズミが私の部屋に再び集まった。
 謎の一部を解けた、かもしれない、と2人は言う。

「解けたって本当なの?」
「少しだけ、じゃがのう」
「分かった所だけ、かいつまんで説明するよ」
「お願いね」

 少しとはいえ、大きな進歩だ。
 果たして、何が隠されていたのだろう。少し緊張しながら、2人の言葉を待つ。

「まずこの日記は、何かを試す様を記している可能性が高い。試験記録というよりは、感想メモに近いね」
「どうやら人里の外で行われているようじゃ。何人かが集まって、広い場所でやっているようじゃな」
「それってさ。新作花火のテストかなんかじゃないの?」

 これってもしかして……と思ったことを、ムラサが代弁してくれた。
 花火師の爺さんが、広い場所でやる試験。それしか思いつかないけど。

「まあ、最後まで聞いてくれ」

 どうやら違うらしい。ムラサと共に頷いて、続きを促す。

「特に肥料については、一番細かく書かれているね」
「一回使うと一つ無くなり、結果の良し悪しがその場で直ぐに分かるようじゃな」
「……花火じゃん?」
「肥料は種を使う必要があるようだ。そして、種はどうやら何度も使いまわせるモノらしい」
「花火の発射台っぽくない?」

 もうこれ、ほぼ確定ではなかろうか。

「次に場所じゃが、少なくとも八百屋と納屋の二か所が頻繁に出るな」
「納屋は恐らく里では無い。で、この八百屋の方は、何とか場所がわかった」
「おおっ!」
「待ってました!」

 思わず生唾を、ムラサと同時に飲み込んだ。
 果たして暗号が指し示す場所とは!
 
「場所は……北集積所の、4番倉庫」
「集積所って、商工会の?」

 商工会の北集積所。そこには、妖怪の山との交易で動く荷物が集められている。
 そんなに大きな取引じゃ無いらしいけど。

「そして、八百屋の主人なる人物が、種と肥料を調達しているらしい」
「八百屋が商工会の集積所なら、その主人って」
「商工会の人間か、天狗ってこと?」
「……もしかしてさぁ。天狗か河童が作った花火を買って、試し打ちしてるだけじゃないの?」

 妖怪の花火を使うなんざ花火師のプライドが! でも技術は気になる! 見たいな感じの。

「ああ。現状、新しい花火を試している様に読める」
「だったら解決じゃん。故人は熱心で有りましたとさ。ってね」

 ムラサが少しだけ残念そうに頬杖をつく。
 まあ、予想通り過ぎて拍子抜けした感じは確かにある。
 
 しかし、親分とネズミの表情は渋い。

「そして、だからこそ。この日記は奇妙であると言わざるを得ない」
「なんでよ。花火師の努力日記なんでしょ?」
「一輪や。もし、お主が日々の修行以外に、自主的な修行をしていたとして……こういう日記に残すかのう?」
「……少なくとも、暗号にするくらいなら書かないわね」

 つまり、花火師としての研鑽が書かれている可能性は低い。
 そして恐らく、愉快な事でも無いんだろうな。

「ともあれ、集積所に手掛かりがありそうじゃな」
「なるほどねぇ。明日あたり行ってみようかしら」
「一輪、ムラサ。その前に一つ言っておきたい」

 急に姿勢を正したネズミが、私達に向き直る。
 
「別に変な事はしないわよ」
「逆だ。もし集積所を調べるつもりなら、マトモにやらない方が良い」
「何それ。錠前ブッ壊して、伝票の束でもパクって来いって事?」
「そうだ」

 思いがけない肯定に、ムラサと顔を見合わせる。

「怪しい暗号文が、妖怪の山と繋がる施設を指し示しているんだ」

 ネズミは片目を瞑り、鼻の下をなぞって見せる。  

「風呂敷を被ってヒゲを描く方が、むしろ安全だと思うがね」
「いや……そーかもしんないけどさぁ」
「情報源の健全が保証されていない以上、下手に聞き込みでもしたら却って危険だ。君達も、寺も」

 言いたい事は何となくわかる。
 だけど、ですよね、と軽々しく頷ける話でもない。

「ていうか。神の代理のシモベが、そんな事言っていいの?」
「危険な目に遭いそうな、愚か者共への助言だぞ? 善行かつ、正義さ」
「危険な目に遭いたいようね」
「怖い事を言わないでくれ。眠れなくなってしまう」

 へらっと笑って、両腕を小さく広げて見せるネズミ。
 めっちゃ腹立つけど、こういう仕草が妙に似合うなぁ。響子と大して変わらないツラ構えのクセに。

「実際の所、普通に調べるだけでは解決せんかもしれんのう……ほれ、この部分」

 親分が指し示したのは、日記のかなり最初の方。
 
『八百屋の四男の私室に、新たに扉を増やし―――』

「工事の話かしら」
「あるいは、抜け穴を作った、とか?」
「色々解釈は出来るが……後者が濃厚じゃな」
「4番倉庫の扉は現状、一つしかない。隠した扉が無ければの話だが」

 どうにも、怪しい雰囲気になってきた。

「これ以上調べるなら、不道徳な行為が必要になるかもね」
「無論、そうと決まった訳でも無いのじゃが。どうする? ここで止める選択も、馬鹿ではないぞ」

 どうするって……。
 
 このまま続ける、としたら。
 解決には、いわゆる犯罪行為が必要となるかもしれない。
 もし爺さんがヤバい何かに関わっていたなら……果たしてどうなるか。

 私達のこれは、取り越し苦労か、それとも無鉄砲か。
 
 そして、もしここで手を引くとしたら。

「やるよ」

 私の考えをよそに、ムラサがそう答えた。さも当然だと言わんばかりに。

「ほとんど即答じゃな」
「死んだ人間が遺した謎なんて、解いてあげた方が良いに決まってる」

 白い指が器用に滑り、手にした柄杓がくるりと回る。

「息子さんだって知りたい筈だよ。遺した何かの善悪じゃなくて、何かの正体そのものをね」

 気安い表情のまま、静かな声で言葉を続ける。

「それを知って初めて、葬る儀式が終わる。でないと、不可解って重りが残って、楽しい人生の邪魔になるよ」

 柄杓をベルトループに差して、ムラサはいつもの、気安い笑顔を浮かべた。

「だから、解いてあげなきゃ。まだ生きている人の方をね」

 爽やかで明るい笑顔。
 念縛霊の……それとは思えないほどに。

「……そこまで考えてるなら、止めようがないのう」
「まあどちらにせよ。無茶や無謀は避けたまえ。幸運を」

 2人はそう言い残して、部屋を出た。
 ふすまが締まった後、ムラサが私を見た。

「一輪はどうする?」
「やるわよ」
「おや、即答だね」
「うるさい」

 ここまで来て、やらない方が気持ちが悪いわ。

「ただ、やるなら最初っからワルく行くよ」
「倉庫に忍び込むか……うーん。私がちゃんと幽霊だったら楽なのに」

 ムラサは念縛霊。普通の幽霊と違って、極めて妖怪に近い存在だ。
 当然、壁をすり抜ける事なんてできない。

 まあ、物理的に頑張るしかないわね。

「明日の夜にでもやりましょうか」
「星によく拝んでから行かないとね」

 善の為に罪を犯すべきか。西洋の劇にもそんなのがあった気がする。 
 そこらへん、どっちが正しいんだろう。正しい答えがあるかさえ分からない。

 もし悟りを開けたのなら、それも全部分かるのかしら。







 日付が明日に切り替わって、およそ一刻。
 月も星も無い黒い夜。あいにくの曇天も、今日に関しては好都合だ。

「問題点を挙げるなら……へっ、へっぷし!」
「一輪静かに……っくしゅ!」

 なんせ真冬の深夜。それはもう、べらぼうに寒い。

「あー、駄目。とっとと終わらせて帰ろ」
「そうしましょ」

 ここは人里の北部。商工会の北集積所。
 木製の塀に周辺を覆われていて、中には厩舎、倉庫、事務所が建っている、はず。 

 侵入するだけなら、上から飛んで入るのは容易だ。何しろ、空に壁は立てられない。

 塀から少しだけ顔を出して、中の様子を見る。灯りも人影も無い。好機だ。
 密集して建てられた4つの倉庫。それらの中央辺りに降り立つ。

 目の前にある倉庫の、両開きの大きな扉。そこには大きく、二と書かれている。

「なら、こっちの倉庫がそうかな?」
「扉は……そうね。これが4番」

 やはり大きく、四と書かれた倉庫の扉。
 当然ながら施錠されているので、日記に書かれていた、新しい扉を探さないといけない。

「やっぱ壁かな?」
「まあ、屋根ってコトは無いと思う」

 倉庫の壁を確認しながら、ゆっくりと歩く。
 ところが、一周し終わっても、それらしいモノは見つからない。

「……無いわね」
「今更だけど、壁に扉とか抜け穴があったら、すぐバレるんじゃないかな」
「どうかしら。誤魔化しようは幾らでもあるんじゃないの?」

 念の為、もう一周してみる。
 さっきより丁寧に探してみるが、どこを押しても引いても、何も起こらない。

「それじゃあ……トンネルとか?」
「だとしたら困るわね。出入り口の場所なんて見当もつかないわよ」
「うーん。新しい扉っていうのが、そもそも出入り口じゃないとか?」
「それならもう、お手上げだわよ」

 頭を捻らせているうちに、一周してしまった。
 大きな扉の前で、2人揃ってため息を吐く。 
  
「ちょっと考えが甘かったかなぁ。いったん出直す?」
「それが良いかも。あんまし長居はしたくないし」
「あーあ、全く。最初からコレが開けば楽勝なのに」

 ムラサが扉を睨んで唸る。
 
「合鍵とか無いのかな」
「前に聞いたんだけど。この錠前、最近河童が作った新しいヤツで、そもそも鍵が無いんだって」
「え、何それ」

 ムラサに扉に掛かった錠前を見せる。
 そこには、鍵穴の代わりに、一から九までの漢数字が刻まれた突起がある。
  
「決められた4ケタの数字の突起を押すと、錠が開くんだってさ」
「へぇー、面白いね。鍵を盗んだり、勝手に予備を作ったり出来ないわけか」
「数字を誰かに言わない限りはね……ん?」

 勝手に増やす……待てよ。

「―――ねえムラサ」
「うん?」
「新しい扉を増やした、っていうの。もしかして、これの話だったりとか」
「何の話よ」
「決められた4ケタが2種類ある錠前を作らせて、片方を商工会に教えなかったら……どうよ?」

 適当な理由をでっち上げて作らせたか。あるいは最初から河童がグルだったか。
 どちらにしろ、爺さんやその仲間にしか分からない番号を仕込んでおけば、もう一つの数字が、新しい扉と言えるのでは? 

「仮にそうだとして。一つは普通に使う方で、じゃあ、もう一つの数字は?」
「……さあ?」
「駄目じゃん!」

 ち、ちくしょう。我ながら冴えてると思ったのに。
 これじゃ合ってても意味が無い!

「に、日記にヒントとかそういう」
「寺に置いてきちゃったし、そもそも書くかなそれ」
「まあ、書いてあったとしても隠されてるわよね……雲山、何か思いつく?」

 彼は無言を以て返答とした。駄目か。

 つまり振り出しに戻ったワケか。悔しいけど、やっぱり一旦帰ろう。
 そう思ってムラサを見ると、錠前を見つめながら、なんだか微妙な表情を浮かべている。

「どうしたの? 変な顔して」
「いや、そのさ。一つ思い当たる数字があったんだけど、試していい?」
「いいけど。そんなのあるの?」
「まあ、やらないよりは良いかなって……」

 らしくもない煮え切らなさを纏いつつ、ムラサは錠前の突起を押し始めた。
 そして、押した4つの突起を再確認してから、錠前を下に引き下げる。

 がちゃり。と、何かが開いた音がした。

「え、嘘。ホントに!?」
「まっ、まさか開いたの!? 見せてよ!」

 ムラサの手元を覗くと、そこには外れた錠前の姿。

 や、やった! 第1関門突破だ!

「凄いじゃない! 一体何の数字を入れたの!?」
「……八〇〇四」
「何それ」
「『八百屋の四男』」
「……ええ……マジすか……」

 そんなストレートな……もうちょっとこう、捻りとか……。

「ま、まあ開いたんだからいいじゃん」
「そ、それもそうね。じゃあ、さっさと入りましょうか」

 あんまり大きな音は立てたくない。
 両開きの引き戸。それの片方だけを、ゆっくりと開けていく。

 すると、もう一つの扉が現れる。
 
 開けっ放しにしておくのも不用心だけど、作業で頻繁に出入りするから鍵は邪魔。
 それを解決するための簡易扉だ。軽くて薄くて、錠前が無い。
 
 2枚目も少しだけ開き、倉庫の中へと入っていく。

「当然だけど、暗いね。一応見えるけど」
「なんか、思ったよりスカスカだわ」

 壁際の備品を除けば、ポツポツと木箱が置かれている程度だ。
 4つある内の4番目だし、予備倉庫みたいな扱いなのかな。

「ねえ、木箱に紙が貼ってある」
「なるほど、これで中身とかが分かるのね」

 中身の他にも、送り出す日付や管理番号。そしてメモ書きなんかも書かれている。

「まずは、これを見ていきましょ」
「そうしよっか。私はこっちから半分を見るね」
「オッケー」

 大した数じゃないし、時間はかかるまい。
 木箱や麻袋の山を、一つ一つ確認していく。

 『食品 乾物類 出荷中止 回収待ち 急ぎ ホ・一〇八』。これ、貰えないかな。おつまみに一つ。
 『空箱 非商品 〇月〇日出荷 ホ・一八二』。蓋が開いているので覗くと、ただの空っぽの木箱だ。 
 『土嚢五十袋 ○月〇日出荷 三袋破れ 向こう了承済み ホ・二〇一』。一応確かめてみたけど、普通の土嚢袋ね。

 そして、次に目に留まった、細長い木箱。

 『部品類 ○月○日出荷 開封厳禁 ホ・〇九九 』

 書かれた内容もそうだけど、それよりも気になる所がある。
 
「……これって」 

 箱の蓋に、数字の錠前が付いている。

 扉に付いていた物とは別物みたいだけど……。

「こっちは無かったよー。何かあった?」
「これ見て。ちょっと怪しくないかしら」
「……なるほど。気になるね」

 木箱自体は普通だし、交易に使う鍵は全部このタイプなのかもしれない。
 でも、この箱以外に気になるモノも無いワケで。

「開けましょう」
「もしかして、数字も外のと同じだったり?」
「そうだったら、もう疑いようが無いわね」

 ゆっくと、八〇〇四の順に押す。

 かちゃり。
 
 小さな金属音に、二人揃って息を呑む。

「……開けるわよ」
「……いつでもどうぞ」

 生唾をごくりと飲み込んで、ゆっくりと蓋を開く。

 入っていたのは、白い袋。敷き詰めるようにズラッと並んでいる。
 軽く持ち上げると、少し重みがある。
 一つを開けてみると、中には木片や古布などのガラクタばかり。
 
「まさかのゴミ箱」
「いやいや、下にまだ何かあるよ」
「だ、だよね」

 袋をすべて取り除くと、今度は布に包まれた細長いモノが出てきた。
 長さは人間の子供くらいだろうか。持ち上げると、結構重い。

 布を縛る紐を解き、布を広げていく。
 するとその中には、油紙に包まれた細長いモノ。

 棒状で、片方の端っこが緩やかに曲がっている。

「焦らすなぁ」

 巻かれた油紙をそっと解いていく。
 かちゃり、と金属が鳴る音がした。

 最後の一巻きを解く。
 
 月の無い夜の、閉ざされた倉庫の中。
 妖怪の眼でも暗い場所で、それが何かは、はっきりとわかった。

「これって……」
「うん……」

 私達はこれを知っている。

 使った事も無いし、あまり縁のあるモノでも無い。
 だけど、学の無い私でさえ知っている程度に、有名なシロモノ。

「……鉄砲?」







「いやいや……狩猟に使う鉄砲、だわよね?」
「そ、そうね。変じゃないですよ。普通どすよね?」

 別に幻想郷にだって、鉄砲くらいはある。猟師の大事な仕事道具だ。
 鉄砲鍛冶だって人里にいる。珍しい話でもない。

 ……そういう話、だよね?

「あ、手紙みたいなのが添えてある」
「手紙?」

 綺麗に折りたたまれた紙を広げ、決して丁寧とは言えない字で書かれた文章に、目を走らせる。


 『先日送って貰った種の中に、蒔けない不良品が見つかったので返送させて頂く。

  不足分は予備で補うので問題は無い。
  
  納屋での種蒔きの結果は良好。極めて良好な発芽を確認している。
 
  肥料の残りもいまだ十分。収穫を行える段階に至ったと判断した。

  この手紙を以て、八百屋は閉店とする。近日中に種袋の口も閉じる。

  収穫の日時が決まり次第、連絡する』


「……狩猟の準備、ってワケでは無さそうだね」
「あの日記、もしかして結構ヤバいヤツなんじゃ……」
 
 それに、この書き方だと。妖怪の山に協力者がいるみたいな書き方だ。

「い、いや。考えるのは後にしよう。今は、これをどうするかを考えないと」
「筆記用具持ってる? 手紙の方は書き写せるよね」
「一応持ってきてるわよ。でも、鉄砲の方は……」
「そうだよねぇ……持って帰る訳にもいかないし」

 もう既に危険を冒しているし、この上なく怪しい鉄砲に、手をかけるのはマズイ。

「仕方ない。紙に鉄砲を模写して、それを持って帰ろう」
「それ、意味あるかな」
「何も無いよかマシでしょ。ムラサは手紙の方を写して」

 早速紙を広げ、鉛筆を取り出す。準備しておいてよかった。

「ココがまっすぐで、ここからググッと」
「これ、上からの絵も描いた方が良くない?」
「後でね……よし、こんな感じかな」

 慣れないお絵描きに悪戦苦闘し、どうにか完成した。
 中々上手く描けたんじゃないかしら。フフフ。

「そっちはどう?」
「終わったよ」
「それじゃ……ズラかるとしますか」
「りょーかい」

 鉄砲を梱包し直して、蓋を閉じて鍵を掛ける。
 
 ……元通り、だよね。バレませんように。

「どう? 外、誰もいない?」
「居ないっぽいね」

 2枚の扉を閉めて、鍵を掛ける。後はここから飛び去るだけ。
 ムラサと共に雲山に飛び乗り、辺りを伺いつつ、ゆっくりと上昇する。
 特に変わった様子もないし、誰も居ない。

「よっしゃ。行って雲山」
「はぁ~。しんどかった」

 念のため、一旦寺とは反対方向へ。
 月も星も、誰も見ていない黒い夜。それでも、用心は大事だ。
 
 人里を縁取るように、ゆっくりと、緩やかに飛んでいく。

「それにしても……まさか鉄砲とはね」
「爺さん。何をするつもりだったのかな……」
「今なら、イモ引いても笑わないけど」
「馬鹿にしないでよ」

 思ったより真剣な顔で返されたので、私もそれ以上は言わない事にした。
 お互い無言で飛び続け、やがて、眼下に見慣れた寺が姿を現した。

「明日になったら……誰に言う?」
「普通に全員に話せばいいと思うよ。言い触らすようなヤツは……いや、ウッカリ言いそうなのは多いか」
「その辺、私達も気をつけないとね」
「……っくしゅ! あー、駄目だ。細かいコトは明日考えようよ」
「それもそうね。眠いし、寒いし。頭動かないわ」

 ゆっくりと降下する雲山。少しずつ近づく寺から目を離し、夜風に目を細めるムラサの横顔を、ぼんやりと眺める。
 ムラサは、不可解を解き明かし、生きている人を解いてあげると言っていた。
 隠された暗号の日記。それが示していたのが、鉄砲と、何かしらの企み。
 
 ……解いた先にあるのは、本当に、ムラサの考えた通りの結果なのだろうか。


 ≪どうせ、ロクでもないモノだ。指し示す何かも。その先の結末も≫


 身内殺しの政治屋。そして、風水師。
 占い、外れてくれるといいんだけど……。







 私達が潜入ミッションを終えた次の夜。
 すでに寝間着に着替えた命蓮寺の住人たちが、大広間に集まっている。

 普段は下らない会話と笑い声で満ちる部屋も、今回ばかりは、決して明るい雰囲気では無かった。

「暗号日記が示した先に、隠した鉄砲と不穏な手紙。なるほど、実にロマンチックだ」
「物語の類なら、喜んでページを捲るんですがね……」
「狩りじゃないなら、戦しか使い道無くない? 人里大戦争」
「戦争が出来る程、足りてるとは思えんがの。やる気とか」 

 みんな口調こそ軽いが、声音は硬い。

 武器となり得るモノが、人里に流れている。
 少なくとも、笑って終われる話ではない。

「決して、見過ごせる事ではありませんね。狩り以外の為に、持ち込まれたのだとすれば」

 姐さんが、静かに告げる。
 その通りだ。誰かを傷つける為の物ならば、その為の企みならば、阻止しないと。

「……ていうかこれさ、言うの?」
「何が」
「頼まれてんでしょ? 花火屋のせがれに」
「そりゃ言うよ。もちろん、全部調べ終わってからだけどね」
「マジで? これ、お前の親父はクソッタレって言う羽目にならない? 割と高い確率で」 
「安心して。誰にもこの役は譲らないから」
「欲しい訳じゃ無いんだけどさ」

 ぬえの質問に、ムラサは笑顔で返す。
 ……虫のいい話かもしれないが、その展開だけは、無しであってほしい。

「あのー。ちょっと聞きたいんだけど」

 珍しく黙っていた響子が小さく手を挙げた。
 
「何か気になることが?」

 姐さんがそれに応えた。どこか抜けた表情で、響子が続ける。

「鉄砲が人里に持ち込まれてるのって、駄目なの?」

 きょとんとした顔で、小首を傾げる響子。
 まさかの質問に、ムラサが呆れたように答えを返す。

「そりゃ、駄目に決まってるでしょ。言っちゃなんだけど、殺しの道具でもあるんだから」
「でも、猟師さんはバンバン使ってるよ?」
「こっそり、ってのが問題なのよ。正式な手順で持ち込まなきゃ、犯罪じゃないの」
「そういうもんかー」

 納得したように首を縦に振る響子。あれ絶対分かってないな。
 やれやれとばかりに皆に小さな笑みが零れるが、マミゾウだけは、何かに気が付いた表情をしてみせた。

「……いや。響子の言う事も、頭に留めていた方が良いかもしれんのう」  
「は? どういう事よ。孫が可愛いからって、贔屓はいかんぜ」

 ぬえが苦笑いしてマミゾウを突く。しかしマミゾウは表情を崩さない。

「誰が孫じゃ。のう船長。さっき、正式な手順以外では犯罪だと言ったな?」
「い、言ったけど」
「それは、何が犯罪だと決めているんじゃろ?」
「そりゃ……え、あっ、そういう事? でも、それはちょっとキツくない?」

 何やら2人だけで納得している。私にも教えてよ、全然分からないから。

「人里に法は無いから、咎められないと? 船長の言う通り、キツいぞそれは。子供の言い訳に等しい」

 ネズミが頬杖をついて、湿った視線でマミゾウを見る。

「別に密輸を擁護している訳じゃあないぞい」

 視線を気にせず茶を啜り、話を続ける。

「相手は、一般的な常識やモラルを無視できる連中。そこを忘れると、逃げられてしまうかものう」
「私のおつむにも分かるように言ってよー」
「敵は悪者、ってコトじゃよ」
「なるほど!」

 なるほど!
 一層気を引き締めないといけないわね。

「一輪、ムラサ。この件、続けられますか?」

 少し不安そうに姐さんが尋ねた。
 やれやれ、我らが僧侶様は心配性である。

「それはもう、お任せください!
「必ずや、最善の結果で締めてみせますよ!」
「分かりました……頼みます。それともう一つ」

 もう一つ? なんだろう。

「……日常の仕事の方は大丈夫ですか? 大分、遅れが出ているようだけど」
「ぐぼぉ」
「うべら」

 い、言われてしまった。正しい指摘だけに反論は出来ない。
 普段の仕事もそうなのだけど、年末の準備とか諸々……。

「そ、それはもう。お任せ下さいデスヨ!」
「必ずや、最善の結果で締めてみせたい的な雰囲気であります!」
「凄く不安だわ……」

 ホント大丈夫です姐さん! 信じて!

「さて、今日はお開きにしましょう。みんな、お休みなさい」
「私も寝る。おやすみ~」
「あー、目ェ覚めちゃったよ。どっか出かけようかね」

 姐さんと響子、そしてぬえが一足先に広間を後にした。

「鼠の。お主はどうする?」
「明日、明後日は寺を空けるよ。散っている部下を集めておきたい。では、お休み」

 ひらりと手を振って、ネズミも席を立った。
 さーて、私もさっさと寝ましょうかね。

「ムラサ、明日は手紙と絵を見直しましょうか」
「そうね。まだちゃんと見て無かったし。マミゾウさんも手伝ってくれる?」
「勿論じゃとも」
「頼りにしてるわよ。それじゃ、おやすみ」
「また明日ね~」

 笑顔で頷く親分に礼を言い。ムラサと共に広間を出る。
 ムラサにもお休みを告げて、自室へ。

 風呂も着替えも終わっているから、後は寝るだけ。

「早く解決できるといいんだけど、ねえ?」

 雲山は相変わらず何も言わないけど、何やら見慣れない風に表情を歪めて見せた。
 たぶん、笑ってみせたいんだろうな。
 まったく。普段そういう顔しないから、イザって時にワケのわからん怖い顔になるのよ。

「ありがと、雲山。お休み」

 やはり彼は何も言わず、行灯の火を消してくれた。

 





 住人達のほとんどが床へ向かい、残ったのは儂とご本尊。
 斜め対面に座る彼女は、いつもの暢気な表情で茶を啜っている。

 一輪と船長が見た鉄砲と手紙。

 確証は無いが、もし二人の模写が正確ならば、ただの猟銃では無い可能性が高い。
 そもそも普遍的な物なら、危険を冒してまで密輸する理由が無い。
 儂も鉄砲に詳しい訳では無いから、何とも言えんが。詳しい奴、知り合いに居たかな。

 手紙の方は、ちょっと不味いかもしれん。
 企みはかなり深い段階……いや、もはや発動寸前であるように読める。
 一方こちらは、企みが有る事を知った段階。周回遅れも良い所だ。

 急いだ方が良い。が、もっと情報が欲しい。差し当たって……まずは。

「心当たりにお伺いですか」
「ひょわっ!?」

 唐突に耳元で声がして、思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
 さっきまで反対側に居た星が、いつの間にか隣に来ていた。
  
「な、なんじゃ。びっくりしたのう」
「マミゾウさん。それ、私にやらせて頂けませんか」
「それ、とは」
「≪結社≫に居た事のある誰かに、お話を伺うつもりだったんでしょう?」

 結社とは、反妖怪を掲げる人間の集団だ。
 幻想郷の成り立ちや構造を調べて、妖怪へ対抗する力にしようとしている。
 武闘派を抱えている事から暴力的と勘違いされやすいが、それは調査活動での護衛をさせる為で、集団の性質は学者や探検家のそれに近い。

 儂が結社に目を付けたのは、知らなかったからであり、知っていそうだから。

 幻想郷で鉄砲を使う人間と言えば、猟師か、鉄砲鍛冶。
 そしてもう一つ有り得るとするならば、組織化された反体制勢力。ここは反妖怪勢力と言うべきか。

 単純な話だ。儂が知っている組織化された反妖怪勢力は、結社だけ。
 そして、長年里の内外でそうした活動を続けてきた彼らなら、儂の知らない集団を知っているかもしれん。

「……さすがは代理殿、と言うべきかのう。しかし、何故お主が?」
「今回の相手は、妖怪に詳しい普通の人間達です。妖怪狸の大将が相手では、顔を出すだけで潜られますよ?」
「う、うーむ」
「武器が事に絡む以上は、厄介の根は深く頑強でしょう。貴方が動くべきは、もう二つ先の段階」

 人差し指をピンと立てて、柔和な表情のまま、星は言葉を続けていく。

「企みを阻止した後。残った敵を……探し出す時です」
「それ、儂じゃないとダメかのう」
「捜索や制圧には、手数が不可欠です。多数を動かせる者が必要になるでしょう。私には、ナズーリン以外にアテがありません」

 制圧? 珍しく不穏な単語を使ったな。

「その賢将殿がやってくれるじゃろ」
「貴方もいれば、倍速で事が進みますよ。きっと一刻を争う状況で。ねっ?」
「フムン」

 まあ実際、絶対に儂が行かねばならん理由も無い。
 ご本尊の言う事も筋は通っとるし……。

「わかった。お主に譲るよ」
「お任せを」

 満面の笑みで胸を叩く星。頼もしいが、一つだけ気になる事がある。

「今回、随分とやる気じゃな」
「そりゃ神様代理としては、これが悪事であるなら見過ごせませんし。そのせいで……いやまあ」
「ん?」
「いえ、何でも。それでは、私も寝ますね」
「ああ。お休み、代理殿」

 ……そのせいで、万が一、せっかくの楽園を失う事になってはたまらない。といった感じかのう。

 長い長い時間の果てに、ようやく取り戻したんじゃからな。気持ちは分かる。
 さて、儂の出番とやらが来るまでは……入道屋と船長の、お手伝いさんに徹するとしようか。



チャプター3 : ウルトラを待たずして


 マミゾウさんからお役目を預かった、次の日の夜。
 私は寒空の下、月から隠れるように暗がりにしゃがんで、とある人を待っていた。

 ここは人里のとある民家の前。
 住人は、元結社のお百姓さん。この時期は友人の仕事の手伝いをしているらしい。

 今日の私は、落ち着いた色合いの着物を着ている。里人の普段着のような感じだ。
 これはマミゾウさんの物をお借りしたんだけど……。
 
『服を地味にしても、お主は頭が派手じゃからなぁ』

 金と黒の髪に花飾り。目立つなぁ。我ながら。
 花飾りは流石に外してきたけど、髪色は仕方無いですよね。

 それにしても、思ったより帰りが遅い。もしかして呑みに行っちゃったかな。
 ううっ、寒い。私も呑みたい。熱燗じゃなかった温めた般若湯をグイッと……。

 じゃり、じゃり、じゃり。

 おっと。お帰りのご様子。
 暢気な様子で自宅に向かう、中肉中背の殿方に、暗がりから歩み寄る。

「おかえりなさいませ~。なんて、言ってみたり」
「うわっ、えっ。だ、誰?」
 
 ふふふ、驚いていますね。
 手にした提灯に火を灯し、もう少し近寄ってみる。
 
「初めまして。派手なカミの女です」
「そ、その頭。まさか命蓮寺の……」
「寅丸星といいます。以後お見知りおきを」

 ゆっくりと頭を下げてみるが、男性の表情は戸惑ったままだ。

「……び、毘沙門天の代理様が、百姓なんぞに何用でしょうか」
「用があるのは、元結社の貴方に、ですよ。ちょっとお話を伺いたく」
「な、お、俺は、今も昔も、仏様に刃向うような真似は……」
「本当に話を聞くだけですよ。怖い顔しないで下さいって」

 怯えないで下さいって。見て下さいよ、この朗らかな笑顔。

「し、しかし……それにしたって、いったい何を聞く気で?」
「その前に、場所を移しましょう。どうです? 美味しい夜食など」
「それはお前を食すのだとかそういう」
「違いますって!」

 あんまし疑うと、本当に食べちゃいますからね!







「……里の外に出た時点でおかしいとは思ったけど」
「どうしましたか?」

 人里から少し離れた所にある、魔法の森。それの、端の端。外縁に位置する場所。
 森の中ではあるが、瘴気の至らない場所。まあ要するに、普通の森だ。

 そこに目的の、美味しいお夜食を出すお店がある。

 木製の屋台と赤い提灯。美味しそうな匂いと一緒に漂ってくる、邪悪な気配。

「夜雀の屋台じゃないですか!」
「人目も耳も無くて、美味しいモノが食べられる場所となると、ココがベストなのです」
「し、信じていいんですよね?」
「これでも武神の代理です。貴方には指一本触れさせないと、確約致しますとも」

 複雑そうな表情の殿方に笑顔を返し、屋台へと歩み寄る。

「いらっしゃー、って、これまた大物が来たなぁ」
「ひえっ! な、なんで星ちゃんが!」
「おや、響子も居たのですか」

 妙に早く寝たと思ったら、なるほど?

「大丈夫ですよ。今夜は見なかったコトにします」
「よ、ヨロシクオネガイシマス」
「ご注文は?」
「良い感じにおまかせで」
「アバウトだなぁ」
「それと、良い感じにおまかせで、歌も」

 そう言うと、夜雀は心底嬉しそうな笑顔を浮かべて、その場でくるりと回って見せた。

「流石カミサマ。お耳が高い!」
「お願いしますね。さて、どこから話を」
「ウオオーッ! 一発目のナンバーはコイツだッ!!」
「イエーッ!!」
「すいません。あの、もうちょっと大人しい感じで」

 夜雀と響子は、ちぇーっ、と口を尖らせてから、網に肉を置き始めた。

「それじゃあ、改めて1曲目」
「れっつごー」

 素敵な匂いと、肉の焼ける音に我を忘れそうになる。でも、まずはお話を。

「それで、俺に聞きたい事と言うのは?」
「はい。反妖怪を掲げる集団の存在を知りたいのです。結社以外で」
「結社以外で、ですか」

 妖怪に反感を持つ人間は多いだろうけど、集団となると、かなり絞れるはずだ。

「うーん……結社みたいに組織として動いているのは、聞いた事がないですね」
「えっ、そ、そうですか?」
「はい。俺は知らないし、結社もその辺調べて無かったです。そもそも、知る必要も無いですしね」

 ま、まあ確かに。妖怪の打倒が目的の集団ですもんね。
 とはいえ、こんな一往復の会話で終わってしまっては、無能が過ぎる。

「風に聞こえた程度でも構いません。何か、ありませんかね」
「そう言われても……まあ、そうですね。やっぱり」
「あ、それです。今のそれで構いません」
「えっ?」

 確かに今、彼の頭に何かが掠めた。逃がすもんですか。

「何か思い出しましたね? それを、教えてくれませんか?」
「いや……その、何をしているかも分からないし、集団かどうかも」
「構いません」

 彼は、少し言い辛そうにしている。
 何か、義理があるのだろうか。それとも、報復を恐れるような集団なのだろうか。

「私は地獄からやってきた~♪」
「さあ見つけたぞ♪ 楽しい楽しい狩りの時間~♪」
「彼女らはあの通りですし、私も、口が固いと自負しております。漏らしませんよ」
「わ、分かりました」

 表情は固いままだったけど、どうにか、口を開いてくれた。

「……実は、結社を追い出された者達がいるんです」
「結社を?」
「はい。考え方の違いというか、まあ、そんな感じで対立しまして」

 歴史と知識に力を求める結社。それに対立する考え方……。

「暴力による解決。およそ、そんなところでしょうか」
「……はい。そう言って、差し支えないでしょう」

 ナズーリン曰く。暴力とは古臭い蛮行であり、知性の効率的な行使こそが、栄冠への最短路。

 古臭い、と彼女はあえて言った。暴力は愚かで無意味であると、言っている訳では無い。
 ペンは剣より強くても、折れないペンもまた存在しない。

 思想も理想も、欲望も感情も。
 どんな願いも叶えうる、最も身近な力。
 そして、どんな願いでも簡単に、砕いて潰せる力だ。

「もしかして、妖怪を退治して回るつもりだった?」
「かもしれませんね」」
「その方々には、退治の知識や技術があったのでしょうか」
「さあ、俺にはなんとも。どちらにしろ、無謀な話です」

 男は少し呆れたように、小さなため息を吐いた。

「最初にも言った通り、何か活動をしているという話は聞きませんね」
「ふーむむむ」

 そのまま解散したのならいいけど、また続いているとしたら……その一切を気取られずに活動していた事になる。
 だとしたら、余りにも厄介だ。

「では、そうですねぇ。彼らは私達を、いや、妖怪の事をどう言っていましたか」
「……物語であると、常々」
「ものがたり?」

 武力の徒にしては、大人しい単語がでましたね。どういう意味だろう。

「妖怪は、どうやって生まれ、何をして、どう退治されるか。それが全て、最初から決まっている存在だ、と」
「ああ、成る程。それで物語ですか。予定された存在であると」
「はい。だから妖怪は、成長し変わっていく人間達に、ついて行けなくなった。そう言っていました」
 
 人間が妖怪を忘れたのではなく、妖怪が人間に置いていかれた。と言いたい訳ですか。

「あと、妖怪達は。もう一度外に出る為に、幻想郷を作った。彼らのリーダー的な者が言っていました」

 ……もう一度? どういうことでしょう?
 ここは、忘れられた者の楽園である。そういう場所だと教わりましたが。

「ここは姥捨て場ではなく、療養所なのだと。俺も、詳しく聞いたわけでは無いので、どういう意味かは」

 今回の件に関係があるのかな、これ。
 分からないが、覚えておこう。私には分からないだけかもしれない。

「じゃあ、これで最後にしますが。貴方はどうですか?」
「へ? お、俺ですか?」
「はい。かつて結社に居た貴方は、武を求めて去った彼らを、どう思っているか」

 男は腕を組んで、唸り始めた。

 あ、あれ。別に深い答えを聞きたい訳じゃなかったんだけど。
 ちょっと、聞き方が固かったかな?

「ああ、別に、一言で構いませんから。論ぜよ、という訳ではありませんので」
「は、はあ。まあ、正直に言えば……よく分からない、ですね」
「ほう」
「そもそも。小難しい話について行けなくて結社抜けたんですよ」
「あはは。私も苦手ですよ。頭のお花は伊達じゃないです」

 男も笑い、そして私の方へと身体を向けた。

「なので、俺が知ってるのはこれくらいです。お役に立てましたかね」
「勿論です。急な申し出、お受け頂きありがとうございます」

 私も向き直り、頭を下げる。

「響子。この方を、里まで送ってあげて下さい」
「私は思想家~♪ って。私が?」
「え、この子がですか?」

 男が物凄い不安そうな顔でこちらを見てくる。
 言いたい事はとってもよくわかります。

「あ、私の事バカにしてるね!? 私だってそれ位出来るよ!」
「いや、妖怪に送られるってどうなのっていうか……」

 それは今更な気がしなくもないけど。

「大丈夫ですよ。響子はそこらの野良妖怪と違いますし……まあ、きっと、護衛もつけてくれるでしょうし」
「どういう意味です?」
「何でもないです。私はもう少し、ここに用がありますので。あ、もっと呑みます? 奢りますよ?」
「い、いや。帰ります。こう言っちゃなんですが、あらゆる意味で心臓に悪いですから」

 流石に夜雀の屋台は不味かったかな。でも、ここしか候補が無かったので……。

「分かりました。お暇があれば、お寺にも来てくださいね」
「ええ、そうさせて頂きます。では、失礼しますね」
「よーし。じゃあ行くよ!」
「ありがとうございましたー」

 妙に気合の入った様子で男を先導する響子。
 そして。妖怪とはいえ幼い少女の後を追う、物凄く複雑そうな表情で去っていく男。
 
「ところでさ、あんたの用って何なの?」

 二人の後ろ姿を見送ってから、ふと、夜雀が訪ねてきた。
 そうそう。大事な用があるのです。

「出来の良い部下に、怒られる用事です。ねえ、ナズーリン?」

 少しだけ、声を張ってその名を呼ぶ。
 
 すると、屋台の近くにある木の上から、一つの影が降ってきた。

「うわっ! 何かいる!?」

 夜雀の叫びをよそに、影はこちらに近寄りながら、怒りを滲ませた声音で私を呼ぶ。 

「ご主人! おいご主人! 君ってヤツは!」

 灰色を纏った少女の姿。ナズーリンだ。 
 胸元の鮮やかな青と、大きな紅い瞳が夜に映える。

「お疲れ様です。ささ、駆け付け一杯」

 彼女は差し出した御猪口をひったくって飲み干した。
 そしてそれを叩くようにカウンターへ置き、再び叫ぶ。

「毘沙門天の代理が! 人里で悪事の兆しがある状況で! 反動家と秘密裏に!!」
「彼は元、ですよ。それに、不肖この寅丸星、腕っぷしには自信があります」
「そういう事を言っているんじゃない! バカ!」
「まあまあ落ち着いて」
「それは、こっちの台詞だ!」

 そう呟くとナズーリンは椅子に座り、徳利をわしづかんで、やはり一気に飲み干した。お行儀悪いですよ。
 徳利を置き、ゆっくりと息を吐き、両手で頬杖をついて、私の顔を流し見る。
 
「行動的なのは結構だが、せめて相談して欲しかったね」
「まあ、いろいろあるんですよ」
「ひどい御方だ。どこぞの誰かには明かしたのに」
「へっ?」

 あ、あれ? なんでマミゾウさんとの事を知ってるの?

「卑しいドブネズミの、哀れな程に小さな脳では、理解できないと判断されたワケですか。寂しい話です」
「そそそ、そういう訳では無くてですね。って、何でマミゾウさんに話したコトを知って」
「知らないよ」
「んえっ」
「口が緩いな、ご主人は」

 頬杖も、ムスッとした表情もそのままに、彼女は私を暴いて見せる。

「物量を展開できる身内を、存在ごと温存したかったのでしょう?」
「よ、よくお分かりで」
「長い付き合いじゃないか。それくらいはね」
「……では、私が急いだ理由も、わかるでしょう?」
「……まあ、ね」

 誰がどう思おうが、何の意図があろうが。ここは私にとっては楽園だ。
 異変ではなく、悪事が進行している。それを知った以上は、早い段階で何とか止めたい。
 また失うのは御免だ。

「ナズーリン」
「『きれいさっぱりに』だろう? 私は構わないが……ご主人は」
「頼みます」

 ナズーリンは、隣に座る私を流し見る。
 酒に蕩けた彼女の眼は、初めて会った時に彼女が向けた、昏く醒めた眼に良く似ていた。
 
「……仰せのままに」

 酒に蕩けた彼女の声は、今まで聞いたことも無いような、昏く冷めた響きを放っている。
 
 私は、彼女の声の裏に潜むモノが、何であるかを知っている。
 当然だ。私が、そうせよ、と命じたのだから。

「ふふっ」

 不意に、ナズーリンが笑った。
 さっきまでの澱んだ表情が嘘のような、外見相応の、可愛らしい微笑み。
 
「そんな顔をしないでくれ。笑ってしまうじゃないか」
「いったいどんな顔をしてたんですか私は」
「思わず笑ってしまうような顔さ」

 もう一度、笑って見せた後に、彼女は大きく伸びをして言った。
 
「さてと。そろそろ、私の心配の対価を頂くとしよう」
「対価?」

 ナズーリンは立ち上がり、屋台に背を向け、夜の闇へと呟いた。

「中隊集合」

 すると、一体どこに潜んでいたのか。百は下らない数の鼠が、彼女の元に集まった。

「ちょ、ちょっと。食材齧って無いでしょうね!」

 慌てて確認を始める夜雀をよそに、彼女は大勢の部下へと語り掛ける。

「諸君。今夜は無駄な任務に駆り出してすまなかったね」
「無駄はひどくないですか?」
「良い知らせと悪い知らせがある。前者は、誉れ高き我らが神が、ここで夜食を御馳走してくれる事だ」
「えっ、ちょっ、あの」

 い、いくら鼠とはいえ。この数を満たすとなると……お財布が。

「そして後者は……私も食べるという事だ」
「ナズーリーン!?」
「知っての通り、私は大喰らいだ……ありつけなくても、文句は無しだぞ」

 ナズーリンの胃の容量は半端じゃない。
 この小さな口と身体で、私とほぼ同じ量を食べる。自他共に認める大食いの私と。

 あれだけ食べてあの体型は絶対おかしい。絶対何か秘密があるに違い無い。
 だって凄いんですよ。柔らかいのにすらーっとしてきゅーっと……いや、そうではなく。

「けっ、賢将殿。夜分に大食は控えるべきではと愚考する次第でありまして……」
「夜雀。どんどん焼いてくれ。こちら、財神の代理だ。これ以上の担保もあるまい」
「払ってくれるなら何でもいいけどー」
「そんなご無体なー!」

 財神の代理だって、お財布にお金が入っているかは別問題ですよ!?
 ほら! どう見ても足りない! 

 ああ……我が愛しき賢将殿は、まことに無慈悲であらせられる……。



チャプター4 : 主導の原則


「では。この中で、鉄砲に自信があるヒト」

 昼食を済ませた後の時間。例の鉄砲について話し合う事になった、
 なったんだけど……。

「いるワケ無いじゃん。誰も彼も、触った事すら無いんだから」
「儂も大した知識は無いのう」
「何を戯けたコト言ってんの! 寅丸の話が本当なら、私ら妖怪の危機かもなのよ、危機!」
「じゃあ一輪はどうなの? お詳しいんでございますかね?」
「知らんがな」
「即答かよ」

 鉄砲鍛冶の所で比べさせてもらおうかな。
 いや、彼らや猟師たちまでグルだった場合が危険か。

 あーもう。こういうの苦手。誰も彼も疑わしいだなんて。

「そういえば最近、外の世界の」
「うらめしやー!!」

 唐突に襖がしゅぱっと開き、小さく跳ねる青い影。

「はいはい。表もめしや」
「横もね」
「斜向かいもじゃ」
「激戦区!?」

 相変わらずの化け傘っぷりに、思わずため息が出る。
 もうちょい空気を読め、空気を。

「何してるの? みんなして渋い顔しちゃって」
「真面目な話よ」
「ふーん……お?」

 小傘が、私が描いた鉄砲の絵を手に取った。
 それを眺めながら、彼女はボソリと呟いた。

「変わった鉄砲だね。初めて見た」

 まるで普段から見ているかのようなその言い草に、思い出す。
 彼女の苗字と、彼女の、もう一つの生業。

「たっ、タタラだ!」
「えっ!? は、はい! 多々良です!」
「そうか、鍛冶か。完全に忘れとったわい」
「小傘もしかして、鉄砲も扱ってるの!?」

 突然詰め寄られて狼狽えつつも、小傘は希望の言葉を口にした。

「う、うん。たまーにだけど、部品を作る位はするよ」

 御仏は傘の姿をしておられたのだ!

「でかしたッ!」
「あっぱれじゃ!」
「人的資源確保ォ!」
「なに!? 何なのこれ!?」
  
 唐突に褒められ、抱き着かれ、更に狼狽える小傘。ハーレムだぞ、喜びなさいよ。
 さて、そろそろ本題に入らないと。小傘から離れて、再度絵を見せて問う。

「改めて聞くけど、この鉄砲について何か分かる?」
「全然分かんないよ。火ばさみも火皿も無いなんて……」
「やはり、幻想郷では一般的ではないか」
「この絵が正確ならね」

 自信作だからね。正確も正確よ。
 すると小傘は、顎に手を当てて目を瞑り、らしからぬ真面目な表情で考え込み始めた。

「確か、結界が閉じる前くらいかな、人間のお城に新しい鉄砲がいっぱいある、って話を聞いたなぁ」
「お城に?」
「うん。さすぽう、だったかな。海の向こうから取り寄せたとかなんとか」
「聞いた事無いなぁ」
「それでね、さすぽうを改造すると、もっと強いのに進化するんだって。ガラスだかグラスだか、そんな名前のに」

 曖昧な物言いだけど、あれがその新しい銃なら、これ結構重要な情報では?

「それって火縄銃とどう違うの?」
「私も良く知らないけど、火縄銃と比べ物にならないぐらいに強いって」
「……そしてその鉄砲を、山の誰かが持っていたって事よね?」
「幻想郷、田舎じゃからなぁ。最新の武器が知られてなくても、不思議ではないのう」

 火縄銃よりずっと強い鉄砲を天狗か河童が持っていて、それを里の人間にこっそり渡していた。 
 ……恐ろしい話ね。

「まあ、強い鉄砲だってのは分かったけど。結局、何をするかってのが分からないよねぇ」
「撃つんじゃないの?」
「妖怪を?」
「まさか人間ってコトは無い、よね?」
「撃ってどうすんのよ。妖怪のせいにするとか?」
「なら、鉄砲は下策じゃな。寝込みを襲って、腹でも裂いた方がそれっぽいじゃろ」
「怖いコト言わないでよー。っていうか、何の話してるの?」

 私達の方こそ、何の話をしているのかを知りたいんだよねぇ。
 そんな時、首を傾げる小傘の背後から、足音が聞こえた。
 軽快で、可愛らしい足音。

「おや、今日は静かだね。破戒僧諸君」
「あ、ナズちゃん」
「君もいたのか。久しぶりだね」

 ネズミ? 今日は部下を集めるから居ないって言ってたような。

「もう集まったのか。手早いのう」
「みんな優秀だからね。参謀は残ってくれ。大隊長は好きにして構わないよ」

 手のひらに乗せた2匹の内、一回り大きなネズミが、飛び降りて去っていった。あれが大隊長かしら。

「ところで、鉄砲の件は何か分かったかい?」
「うん。なんか、超強い鉄砲なんだってさ」
「やはり、ただの火縄銃では無いか。予想はしていたけど……」

 顔をしかめて唸るネズミ。私達も、同じ気分だ。

「そっちは何か分かった?」
「今分かったよ。種と肥料は、鉄砲と銃弾。種袋は恐らく、鉄砲の隠し場所だろう」
「ふむふむ」
「そして、幻想郷に普及していない鉄砲を、いきなり使えるわけが無い」

『納屋での種蒔きの結果は良好。極めて良好な発芽を確認している』

「種蒔きは恐らく、訓練を兼ねた試し撃ちだ。発芽は射撃の精度か、鉄砲の品質判定だろう」

『この手紙を以て、八百屋は閉店とする。近日中に種袋の口も閉じる』

「だとすれば種袋の口を閉じるは……隠し場所から回収するって意味かのう」
「やっぱり、もうすぐ何かをやらかすって意味かな」
「そういえばさ。納屋って何だか分かった?」
「いや、まだだ。恐らく、人里の外の何かだとは思うが」

 ため息交じりにネズミが呟く。
 それを見た親分が。顎をさすりながらつぶやく。

「一輪、船長。すまんが、納屋を探して来てくれるかの?」
「簡単に言うなぁ」

 里の外かもしれない。っていう情報だけで探すのは、中々に難題よ。 

「親分とネズミは?」
「儂らは星から、頼まれ事があっての」
「星から?」
「すまないが、最優先でね。頼めるかい?」

 多分、鉄砲か日記絡みだとは思うけど。2人でおサボりって事は無いだろうし。

「まあ、分かったわ。じゃ、さっそく行きましょうか」
「アイサーいっちー」
「ねえ、何の話か教えてよー」

 私とムラサ、そして何故か小傘と共に、玄関へと向かう。
 さて、幻想郷は狭いかもしれないけど、あてもなく探すには広すぎる。
 どうやって探そうかな。

「そういえば、ぬえはどうしたの」
「さあ。どっかで遊んでるんじゃん?」
「やれやれね」
「ねーってばー」

 玄関で靴を履きながら、軽く打ち合わせをする。
 
「どの辺を探す?」
「人里と妖怪の山の間あたりでいいんじゃない? そんな辺鄙な場所ではないと思うし」
「お宝探しならナズちゃん連れてった方がいいよ」
「そうだったら良かったんだけどねぇ」

 がらり、と玄関の戸を開けた。冷たいそよ風が頬を撫でる。
 戸が閉まる音を聞きながら、大きく伸びをして、天を仰ぐ。
 あ、そうだ。水筒とか持って行った方がいいかな。
 
 振り向いて、2人に問う。

「ねえ、途中で喉乾くだろうから―――」
「ダメッ!!」

 突然叫んだ小傘に、胸倉を掴まれる。
 叫ぶ間も、抵抗する間もなく、力ずくで地面に引きずり倒された。

「ったぁ……ちょっと小傘!」
「矢だ! 矢が飛んできた!!」

 ムラサがそう叫ぶと同時に、傘を開いて盾のように構える小傘。
 何を言っているんだと問う前に、布が何かを弾く音が響いた。
 
「矢なんかに負けないもんね!」
「え、ちょっと。どういうコト!?」
「誰かが弓で私達を狙ってたの!」
「な、何それ!? ムラサ、あんた何か見た!? まだいる!?」

 ムラサは傘の端からそっと覗いて言った。

「た、確かに見たけど……もう居ないっぽい」
「よ、よかったぁ」
「小傘もムラサも、怪我とかしてない?」
「うん。大丈夫だよ」
「私も大丈夫」

 ただの矢でも、不意打ちとなれば話は別だ。それは物理だけでなく、精神への攻撃も兼ねてしまう。
 一応自分の身体も確認してみたけど、どうやら平気みたい。

「よし! じゃあ追うよ!」
「追うの!?」
「どう考えても、鉄砲か日記絡みじゃん! 貴重な証言者でしょ、間違いなく!」 

 そう言ってムラサは駆け出した。
 確かにそうだ。タイミング的にそれ関連以外はありえない。

 でも、そもそも。私達がそれを調べている事をどうやって知った?

「小傘! 今の事、親分とネズミに伝えて! 中に居るから!」
「う、うん! 気を付けてね!」
「行くよ、雲山!」

 雲山に乗り、ムラサの後を追って飛ぶ。
 方向的には、里の南部に向かってるみたいだけど……。

 見つけた、ムラサ! 
 どうやら、人の波に難儀しているみたいだ。
 それもそうだ。時刻は昼過ぎ。まだまだ、里は活気に溢れている。
 
「ムラサ!」
「一輪! そこの角曲がった! めっちゃ足速い!」
「任せて!」

 小さな路地に沿って飛ぶ。やはり、南へと向かっているみたいだ。
 目線を先へ伸ばすと、こちらに背を向けて走る人影。あいつか!

「雲山! もっと飛ばし……あら?」

 奴は、足を止めた。ひしめく民家の群れの中。小さな広場のような場所。
 広場に降下し、雲山から降りる。
 
 肩で息をしながら、私と正対する男は、どこにでもいそうな人間。頬にも脛にも、傷は無さそうだ。

「命乞いでもすれば、言い訳くらいは聞いてあげるわよ」
「ははは、嘘はよせ。俺の妻は、それで許さなかったぞ」

 けらけらと笑う男は、何かがおかしい。
 頭が、という話ではなく、余裕が有り過ぎるように見える。
 
「うへぁッ! はぁっ、はぁっ。や、やっと追いついたっ」

 息も絶え絶えなムラサが、私の隣に駆け込んできた。
 兵隊みたいな恰好の癖に、体力が足りないわ体力が。

「お、揃ったか。んじゃ、始めようかね」
「……何それ。どういう意味」
「説明は割愛するよ。意味が多すぎて、口が足りない」

 男が、ゆっくりと後ろ歩きを始める。
 それと入れ替わるように。建物の影から、ひとり、ふたり、さんにん……次々と出てくる。
 家の窓にも、怪しい影が半身を見せ始める。
 
 何より、連中は全員、長い筒を構えている。

 私とムラサが倉庫で見た、あの鉄砲だ。

「……正気ですか? こんな所でぶっ放したら、言い訳なんて通りませんよ」
「心配してくれるのかい? 大丈夫さ。この辺の住人は、小銭を撒けば寡黙になる」

 最初から、そのつもりだったわけね。
 
「妖怪相手に弾丸が効くと思って?」
「囲んだ所で、私達飛べるんですよ?」

 男はもう、喋らない。ただ、薄ら笑いを浮かべるだけ。
 
「ど、どうする一輪……?」

 弾丸で妖怪は倒せない。火縄銃よりずっと凄い鉄砲でも、そこは変わらない筈。
 でも奴らは鉄砲を構えて、私達を狙っている。効かない武器を向ける意味は無い。
 まさか、銀の弾丸よろしく、妖怪に効果のある弾なのだろうか。

「一輪……顔色悪くない……?」

 だとしたら、撃たないのは変だ。
 多分、あの弓だって私達をおびき出す為に射ったんだろう。
 わざわざお金を使ってまで口止めして、多分、人払いもしてる。
 なのに、何故撃たない。要求の類も無い。すぐに撃たない理由は何?

「瞼がすっごい痙攣してるけど……」

 そもそも、鉄砲を向けている時点で、私達を攻撃する意思は明確なワケで。
 何も黙っている必要はない。でも、ここ、人里。妖怪が人間を襲うのはタブーだ。
 向こうに非があっても、その情報は幾らでも捻じ曲げられる。目撃者は、向こうの方が多い。
 かといって、このまま睨み合いを続けるわけにもいかない。
 でも、既に包囲されている。空には流石に誰も居ないけど、もしかしたらそれにも対策が―――。  
 
「いっちー!!」
「ふぁいッ!?」

 鼓膜を貫く、水のように、透き通った叫び声。

「しっかりしてよ。らしくない」

 ムラサの声が頭を巡り、赤熱していた脳が、冷えていくのを感じる。
 
「……ステキな声でスッキリしたわ」
「よろしい」

 彼女らしい、爽やかな笑顔。
 そして打って変わって、凛とした表情を男へと向けた。

「そろそろ、撃たないんですか? 待ちくたびれたんですが」
「煽るねぇ。死なないとはいえ、痛いと思うけど。被虐趣味かね」
「貴方達、いったい何が」

「何もクソも無いって。ムラサも一輪も、察しが悪いねぇ」

 何者かが、会話に割り込んだ。
 嘲笑を混ぜた、意地の悪そうな少女の声音。

 私達と、男の間。何もない空間に、掠れた墨のような黒が、人の形を描いていく。
 
 黒い髪、黒い服、奇妙な形の羽が、赤く青く。

「な、なんだコイツ。どこから来た?」

 私もムラサも、声と姿の主を知っている。

「ぬ、ぬえ? どうしてここに?」
「哀れな仔羊に救済をと思ってね」
「どうせこの辺で、賭け事でもしてたんでしょ」
「ちなみに、救済が欲しい程度に負けた」

 へらへらと笑いながら、ひらひらと手を振るぬえ。
 
「そんな事より、どういう意味よ。さっきの」
「簡単なお話。撃たないの? 撃てないの? 違う、そうじゃない」

 諭すように、人差し指を小さく振る。

「どうでもいいの。どっちでもいいと思ってる。撃たずに済めばいいなぁ、程度なもんね」
「は、はあ?」
「女たちを取り囲み、鉄砲を構えた男達! 撃たず、引かず、ひたすらお見合い! ってハナシなワケで」

 劇でも演じるかのように、大仰な仕草で、私の苦悩に答えを授けた。

「それで、始めてから何分たった?」

 流石の私も、ようやく気が付いた。

「時間稼ぎ……?」
「ちょ、ちょっと待って。という事は……」
「何かを、どっかで、おっぱじめてるかもね」
「回りくどいのよ! もっと早く言って!」
「ごめんごめん……さて」

 ぬえは男の方へと向き直る。苦虫を噛み潰したような表情の方へ。

「正体不明に、企みを暴かれた気分はいかが?」
「苦々しいよ。余計な事を言ってくれる……」

 男は更に後ろへ下がり、片手を挙げる。

「一輪、ムラサ。行っちゃって。連中、今度こそ撃ってくる。そうなると面倒だよ」
「あ、あんたは」
「さっき自分で効かないって言ってたじゃん。早く行ってよ」
「……わかった。雲山!」

 雲山に乗り、ムラサに手を差し伸べる。

「乗って! 一気に行くよ!」
「わ、わかった!」
「頭を押さえろ! 撃―――」  

 それ以上、男は喋れらない。
 ぬえの三叉槍の柄が、男の首を潰している。普段のぐうたらが嘘のような、閃くような打突。

「ちょ、ちょっと! あんた人里で!」
「なーに言ってるの。人払いに口止めまでしてるんだ。利用しない手は無い、でしょ?」
「そういう問題じゃ無くて!」
「殺しちゃいないよ。ほら、行った行った」

 誇るように槍を掲げて、最高に悪い顔でタブーを犯した正体不明。
 言いたい事は色々あるが、この際後だ。

「雲山、行って!!」

 今度こそ上昇し、空へと上がる。
 
「ど、どうする!?」
「どうもこうも、手前の命が最優先だろ! 黒いのを撃て! 撃ちまくれ!」
「あーあ。忠誠心が足りないねえ」

 連なるような銃声と怒声の群れが遠ざかっていく。
 飛び上がったはいいけど当ては無い。とにかく、想定していた里と山の間へと向かうしかない。

「結局、場当たり的になっちゃったわね……」
「しょうがないよ。むしろ、今日決行って分かっただけでも御の字でしょ」

 確かにそうだ。
 焦ったのかどうかは知らないけど、動きを見せてくれなきゃ、何も知らずに終わってたかもしれない。

 里を抜け、その北側から更に上昇し、ゆっくりと旋回してもらう。
 眼下の景色に目を向けて、≪納屋≫らしきものを探す。

「一体、誰を狙うつもりなのかな」
「打倒妖怪、が目的だとして……誰を撃てば、私達のダメージになる?」
「聖」
「いやまあ」
 
 私達からすれば発狂モノだけど、全ての妖怪にとって、となると話は別だ。

「じゃあアレだ。妖怪の賢者」
「絶対無いでしょ」

 色々話は聞くけれど、妖怪の賢者なんだから、それこそ弾丸が効くわけない。
 そもそも。どこに居るのかさえ、分からないらしいし。

「稗田のお嬢様とか、ハクタク先生とか」
「うーん……」

 確かに一大事かもしれないけど……ちょっと違う気がする。

「妖怪にとって大事な存在で……」
「鉄砲で倒すことが出来て……」

 2人同時に、顔を上げ、目を合わせる。

 居た。

「本気? 嘘でしょ?」

 最強の退治屋であり。

「確かに、弾丸は効くでしょうね」

 人妖の調律師であり。

「それに、間違いなく妖怪にとっては大事よね」

 結界の管理者であり。


「「博麗の巫女……?」」


 ……人間である少女。



チャプター5 : 妖怪のバイタルパート


「お待ちしておりました。巫女様」
「そんな畏まらなくてもいいけど。それじゃ、案内してください」
「はい。私どもについてきて下さい」
「それにしても。そんな所で妖怪が一体何を……」
「どうせ、ロクでもない事でしょうな」







「完全に忘れてた! 人間だったよ! あの巫女!」
「霊夢を殺せば……何も無いワケが無いわよね」

 いくら妖怪じみた巫女でも、人間だ。鉄砲で撃たれればタダじゃ済まない。
 そして……博麗の巫女が人間に殺されたとなれば……タダでは済むまい。

「ただ、あの巫女なら、弾丸も避けそうな気がしなくもないけど……」
「この際、逆に考えよう。巫女を確実に撃ち抜くのに必要な≪納屋≫って何?」
「名前の通り、小屋とかじゃないかなぁ」
「でも、この辺りにそんなもの……あれ?」

 かなり遠くの方にだけど、小屋のようなものが見える。

「ムラサ、ムラサ。あれ、見える? 小屋っぽいのない?」
「んー? あ、ある! けど、あんな小屋、あったっけ?」   

 当然だけど、人里の外である以上、妖怪が人間を襲わない決まりは無い。
 だから、そんなところに小屋が立って居る事自体がおかしい。

「まさか、わざわざ建てたって事?」
「いやいや。だって怪しすぎるでしょ。こんな所に出来立ての小屋が……ああ!」
「そう、怪しい。絶対なんかあるって思うよ。普通なら!」

 小屋を建てて、神社へ赴き。

『怪しい小屋で妖怪が何かをしているのを猟師が見た。調べて欲しい』

 とでも言って依頼すれば、霊夢も邪険には出来ないだろう。 

「雲山! あの小屋に向かって!」

 捜索の為の旋回を止め、増速し、小屋へと向かう。

「でも実際、どうやって撃つ?」
「調査を終えて出てくる所かしらね。多分気が抜けてるし、狙いやすいと思う」

 小屋に入っても、何も無い。特に妖怪の痕跡も無い。
 彼女は妖怪退治の専門家だ。間違える事なく、何も見つけないだろう。

 なあんだ、思い過ごしか。
 霊夢が肩を落として。拍子抜けと同時に安心して。
 
 扉から外に出る、その瞬間だ。

「間に合えばいいけど……」
「あっ、い、一輪! 開いてる! 小屋の扉が!」
「えっ!?」

 よく見ると、確かに開いている。引き戸ではなく、外開きの扉だ
 とっさに閉められないようにする為か?

 なんにせよ、その為だけに作られた小屋が、開いているという事は……。

「や、やばい。雲山早く!」

 急かした所で速度は出ない。
 中の様子が見えないので、いつ出てくるのかも分からない。
 たった今、この瞬間、外に出られたら終わりだ。

「一輪、ちょっとどいて!」
「ムラサ?」

 急にムラサが、私を押しのけて前に出た。

「どこに向けて撃つかが分かってるなら……!」
「い、いや絶対そうと決まったワケじゃ無いわよ!?」
「その辺、疑ってる暇は無いよ! 一か八かだ!」

 ポケットから取り出したのは、水に濡れた除霊の護符。

 ムラサのスペルカードだ。

「湊符『ファントムシップハーバー』」 

 雲山の周囲に、いくつもの波紋が浮かぶ。
 波打つ空間からは、僅かに水の音が漏れ出ている。

「降ろせッ!」

 水音が大きくなり、次いで、腹の底にまで響く、重苦しい金属音。
 波紋から、鎖に繋がれた巨大な錨が次々と射出された。

 眼下の大地へ向けて、恐ろしい程の速度で突き進む錨の群れ。
 それらは、小屋の扉の前に次々と突き刺さる。

 扉の前に、あっという間に、錨の壁が出来上がった。

「これなら弾丸だって防げるハズ!」
「おお……考えたわね」

 既に、小屋は間近に迫っている。
 ムラサはやることをやった。なら、私達もそうすべきだ。

「雲山、やって!」
「え、やるってなに、をっ!?」

 ムラサの手を引き、共に雲山から飛び降りる。

「どうすんの!?」
「こうすんの!!」

 同時に、伸びに伸びた雲山の腕が私達を追い越す。
 
 握られた拳で横凪一閃。小屋の粗末な屋根を吹き飛ばした。

「うわあ」
「せっかくだし、最後までワルく行くわよ」

 日当たりの良くなった小屋の中では、霊夢と、里人と思わしき男が2人。間に合ったようだ。

 3人の元へ降り立つ。

 どちらも、茫然とした表情でこちらを見ている。
 どれ、目を覚まさせてやるか。

「「お前らの悪事、見越したりッ!」」
「え、あ、あっ! あんた達ッ!」

 一足早く復活した霊夢が、青筋を立てて詰め寄ってきた。
 2人の男は、青い顔で茫然としたままだ。

「さては、小屋でコソコソ企んでる妖怪ってのは……!」
「待って。霊夢は大きな誤解をしているわ」
「誤解?」
「あー、そのー」

 言葉に窮していると、雲山が合図をくれた。外に敵無し、と。
 居なかったって事はないだろう。多分、逃げたか。

 雲山の表情が、何故か、妙に暗いのが気になったけど。
 ともあれ、後はこの2人と霊夢を引き離せば安全だ。

「ひ、ひとまず外で」
「ちょ、ちょっと待ちなさい! えー、うーん……」

 さて、ここからが正念場。この妖怪バスターを上手く丸め込まなければならない。
 しかし、霊夢は何か考え込んでいる。

「あー……じゃあ、こうしましょう。私についてきて」
「え? う、うん」
「この2人を里まで送って、その後、あんたらをシメる」

 それで着いていく妖怪がいるか。
 と、言いたい所だけれど、何せ状況が状況だ。

 雲山に再度合図を送る。返事は同じく、敵は無し。
 
 ここは……。

「よ、よし。わかったわ」
「え、マジすか一輪さん」
「じゃあ、いくわよ。2人も、着いてきてください」
「は、はい」
「大丈夫。絶対に危害は加えさせませんから」

 何とも皮肉なことを言う。
 こちらを牽制するように睨む霊夢に、思わず苦笑いを返しそうになった。

 無言で5人。里を目指す。

 普通の人間は空を飛べない。なので、必然的に徒歩となる。
 ……寒い上に、空気が悪い。ついでに、胃も痛い。

 何しろ、彼らが武器を持っているか、それさえ確認できていない。
 鉄砲と言わず、刃物でもあれば、無防備な背中を一突きすればそれでいい。

 無論、そうさせるつもりは無いけど。無いけれども……。

 北風よりも冷える散歩を続けて、ようやく人里へたどり着いた。

「小屋自体には何もなさそうだし。また今度調べておきます」
「分かりました」
「よろしくお願いします」

 青い顔でソワソワとしている2人。
 それを見てムラサが、私に耳打ちをしてきた。

「私が追っかけるから、霊夢の方をお願い」
「……あんたが追うの?」
「一輪よりは、上手、だと思うよ」

 間違いなくそうだろう。でも、どうしてか、私は返事を躊躇った。
 水のような彼女の声音に、何かが混ざったような気がしたから。

「さて、次は……って、もう一人はどこに行ったの」
「えーっと、厠?」
「逃がしたか。まあいいわ。さて、言い訳なら聞かないけど?」
「そこは聞いてよ」

 まあどうせ、聞こうが聞くまいが、彼女のやる事は一緒だ。
 そして、どうせ、私に言い訳は存在しない。

 なら、私のやる事も一緒だ。

「……雲山ッ!」
「やる気?」
「当然! ここであんたを倒せば、私の計画は順風満帆! 3枚よ!」
「ようやく尻尾を出したわね! 私も3枚!」

 無論計画なんてものはないが、これで多分、誤魔化せると思いたい。
 
 ムラサの方は、上手く追えているだろうか。

 ……その後、何事も無く、寺に帰っているだろうか。







「溺れる、っていうのは。別に水辺だけの話じゃ無くて」

「湯呑み一杯の水でも、人って余裕で溺れたりするんだよね」

「聞いてる? まあ、どっちでもいいけど」

「本当は、船に乗せて沈めたいんだけどねぇ」

「ねえ、どう? 苦しい?」

「まあ、溺れたら、苦しいよね。当たり前か」

「……どうしちゃったんだろうね。私は」

「貴方はどう思う? って、もう聞けないか」



チャプター6 : 解決の後で


「いやぁ。一時はどうなる事かと思ったけど」
「無事に終わってよかったねぇ」

 巫女を救って一週間後の夜。
 私はムラサと、広間でお茶を楽しんでいた。

「……本当に無事だった?」
「死は覚悟したかな」

 あの後、巫女を誤魔化すのに多大な苦労を強いられた。
 危うく私達が人間を襲っている事にされる所だった。冗談じゃない、むしろ救った方だぞ!

「息子さんの件は」
「いいよ。理屈は分かるからさ」 

 本来の依頼である、日記の解明。
 それは、巫女の殺害計画という、最悪極まる内容だった。

 ムラサはそれでも、彼に伝えようとしたけど、制止されてしまった。

 寅丸に、親分に、ネズミに。そして……。
 
「……まさか八雲の御旗まで出されるとは思わなかったよ」

 化け猫の妖怪が訪れて、言うな、と警告してきたのだ。八雲藍の名前を添えて。

「そういえばさ。結局、誰も捕まえて無いけど……いいのかしら」
「いいって言われちゃったし、まあ、どうしようもないよ」

 化け猫に伝えたら、大丈夫、としか言わなかった。
 親分にも聞いても、大丈夫、としか言わなかった。

 それ以上は何も分からない。多分、どうにかするんだろう。

 後は親分によって、当たり障りのないカバーストーリーが用意され、万事めでたし。
 人里の今後を考えれば、この方が正しいのだろう。

「ところでさ。どうして、息子さんに伝える事に拘ったの?」
「悪い?」
「悪くないから聞いてんの。悪けりゃ即拳骨だわよ」

 そう言うと、ムラサは少しバツが悪そうに答えを出した。

「まあ、偶には善いコトしようと思ってね。私なりに」
「……ふうん。殊勝じゃん」
「でしょ?」

 そう言って彼女は笑顔を見せた。

 ……本当に、そうなのかな。

「ところでさ」
「ん?」

 この命蓮寺で、誰よりも明るくて騒がしいのが、ムラサだ。
 この命蓮寺で、誰よりも性根が澱んでいるのも、ムラサだ。

 水難で命を落とし、念縛霊となって海に囚われ、多くの命を奪った。
 そして、姐さんの御蔭でムラサは、海から解放されて救われた。

「霊夢と一緒に居たあの2人」
「うん」

 ムラサはまだ、救われてしかいない。
 念縛霊としてのそれは、未だに奥底で燻り続けている。

「どこに住んでた?」
「西の外れ。まあ、フツーの家だったねぇ」

 精々釣り小舟程度しかない幻想郷。
 持て余した本性が、別の何かに転化しているような気が、前々からしていた。

「その後はどうした?」
「どうって、それでお終いだよ。おしまい」

 死んだ父の、未遂に終わった愚かな所業。それを息子さんに伝える事も、未遂で終わった。
 でも、もし、それが伝えられたとしたならば。彼は、どうしただろか。 

 彼は本当に、本当の事を知りたかったのだろうか。
 
『それを知って初めて、葬る儀式が終わる。でないと、不可解って重りが残って、楽しい人生の邪魔になるよ』

 ……今更、ムラサの台詞に不穏を感じ始めた私がいる。

「いっちー」

 ムラサは、彼を、彼らを。どうするつもりだったのだろうか。

「即拳骨、しないの?」

 彼女らしからぬ、誘う様に影の差す……念縛霊の笑顔。 

「雲居さんは、察しが悪いので」
「……それはそれは」

 どこか残念そうに、お茶を啜るムラサ。
 この奥底が捻じれた友人を、どうにかしてやりたいものだけど……。
 
 ただ、仮にどうにか出来たとして。ムラサは念縛霊として、この世に存在し続けられるのだろうか。
 でも、どうにかしないと、いずれ大変な事にならないとも……。

「あー、あー。ダメダメ。こういうの駄目だわ」
「ど、どうしたの?」
「ムラサ! お酒呑みに行こ!」
「ええー? いいけど、どうしたの急に」
「いいから行くよ!」

 どうにも最近、面倒くさいコトが多すぎる。
 一旦はしゃいで、さっぱりリセットしようじゃないか。
 
「アホみたいに呑んでバカ騒ぎするわよ!」
「一輪もう酔ってない?」  

 塞ぎ込むのも、考え込むのも、私の性に合わない。
 気持ちを明るくしていれば、きっと先も明るくなるさ。

「しょうがないなぁ。付き合ってあげますよ」
「それじゃあ、こないだ見つけたお店を紹介するわ」

 冷たいムラサの手を引きながら、大広間の襖を開く。

「うらめしや」

 行く手を阻む影が居る。こんな時間にまで驚かしとは、熱心な事だ。

「はいはい、私がメシア。ちょっと急ぐから、また今度ね」
「いっちー、いっちー。やばいよ、あかんですよ」
「っていうか。小傘、背ェ伸び……」

 違う、小傘じゃない。

 その顔を、確認するまでもない。

 白い寝間着に垂れる、紫から金へと移っていく、独特の髪色。

「ねっ、ねっ……姐、さっ」
「殊勝な弟子たちです。私の前で己が罪を予言するなどと」
「は、はいッ! 酒に誘ったのも、良い居酒屋を日ごろ調べているのも、全てムラサの所業です!」
「うぉい!? それは流石に通させないよ!? 全部一輪がやってる事でしょ!」

 耳元で叫ばれるが、ここは動揺を見せてはならない。確実に擦り付けねば。

「姐さん、気を付けて。罪の呵責に耐え切れず、ムラサが不可思議な言動を」
「オーライ、わかった。二度と舐めたクチ利けないようにすればいいワケね」
「やるっての!?」
「やってやるよ!」
「やらせません」
 
 目の前が暗くなったのが、姐さんに顔面を鷲掴みにされた為だと気が付くのに、そう時間は掛からなかった。
 この構え、不味いぞ。

「姐さん違うんです、決して飲酒を企んでいたワケではなく」
「ちょっとしたジョークの一環でありましてですね」
「真に軽薄で、酒池肉林である。南無三ッッ!!」

 見事炸裂した姐さんの≪揺死真宣≫によって、私達の頭蓋骨は粉砕され、企みは見事阻止された。
 巫女を救ったんだし今日くらいは、というのはちょっと甘かったか……。

 ……そういえば、結局反動家達はどうなったんだろう。
 あの化け猫は、幻想郷の管理者に関わりがあるみたいだし、きっと上手くやるんだろうけど。
 
 後は、反動家達と結託していた天狗。そっちは、結局詳細は分からなかった。
 仮に分かった所で、妖怪の山が相手ではどうしようも無いのだけれど。

 まあ、なんにせよだ。巫女は生きていて、里も平和。
 他所様の言葉だけど、世は全て事も無し、って奴だ。
  
 今日もいつも通り、という幸せに感謝しながら……溜まった仕事と年末の準備に邁進するとしよう。




















チャプター7A : それは、どんな願いも叶え得る

 
 ここは人里のとある民家の前。

 私は人を待っている。
 月明りを浴びながら、ただひたすらに人を待つ。

 じゃり、じゃり、じゃり。

 来たか。あの様子だと、呑んでいたかな。
 暢気な様子で自宅に向かう、平々凡々な青年に、暗がりから歩み寄る。

「おかえり」
「んんー? 何だ、どちら様?」
「先日は、私の主が世話になったね」
「あーもしかして、お寺の神様のお弟子さんとか?」
「まあ、そんなところさ」

 ほろ酔い気分のこの男。
 前にご主人が屋台に連れ込んだ≪元結社≫の百姓だ。

「最近の俺はモテるなぁ。それで、神様のお弟子さんが何の用ですか?」
「……君で最後だ。結社崩れの反動家は、君一人になった」
「……ああ、そういう」

 そう、この男はかつて、結社に所属していた。

 ……そして今は、反動家どもの一員だ。

「やっぱり、神様に言ったのは間違いだったか……」
「何故言った? まさか懺悔のつもりだったのか?」
「いや。無理に隠しても、却って怪しまれると思ってね」

 彼に話を聞くと決めたマミゾウとご主人は、つまり、正解の一部を引き当てていた。
 よくぞ当てたと褒めるべきか、やっぱり危険じゃないかと叱るべきか。

「俺が最後、ってことは、他は」
「ネズミ達の栄養となり、糞となり、そして母なる大地の養分さ」

 巫女への襲撃未遂が起きたあの日。実行犯達は全員死亡した。
 霊夢についていた2人は、ムラサが。
 霊夢を撃つべく待機していた射手達は……どういう訳か、八雲の化け猫によって。

 そして残り。ぬえが撃退した男達と、彼らを支えた裏方達。
 それは私と、マミゾウがやる事になり……眼前の彼が、最後の仕事だ。

 決して強制されたわけじゃない。マミゾウは知らないが、少なくとも私は、自分の意思だ。

「……どうして、俺の事が?」
「君のお仲間さ。5秒で吐いたよ。正直、呆れてしまった」

 結社での長く地道な調査に、耐えられなかった猪集団。どいつもこいつも、中身の足りない連中だった。
 仲間を売ろうとするか、媚びに媚びて命乞いするか。そうでなければ、語彙に乏しい罵声を飛ばすか。

 虫の息でなお、牙を剥きながら息絶えた、下水のドブネズミども。
 静かな瞳で私を睨み、毒に苛まれて絶命した、毘沙門天様の配下達。
 連中、マシな部類だったんだな。この歳になってなお、学ぶことはとても多い。

「俺が言うのもなんだけど。全員殺す必要、あった?」
「我が主が『きれいさっぱり』をご希望でね……君ら、仮に巫女を殺せたとして、そこで終わりじゃ無かっただろ?」

 例えば、もし私なら、次は里の人間を殺す。妖怪がやったように仕立て上げて。
 そうで無くとも、ロクでもない事をしでかす事は明白だ。
 
 ゆっくりと、彼に近づく。
 彼は後ずさるが、すぐに自分の家に行き当たる。

「そして君は全てを見届けて潜る。君の役目は、前例の記録と記憶だ。次の為に、次の次の為に」
「お見通しか。神様に呼び出された時は、気が気じゃ無かったよ」

 苦笑いをしながら頬を掻き、改めて男は、壁を背に私と向き合う。

「……作戦は失敗で、仲間は皆殺し。そして俺は袋の鼠。あっけないもんだ」
「最後に、いいかね?」
「何か」
「本当に、成功すると思ってやったのか? 妖怪から、幻想郷から、開放される始まりになると?」
「ああ」

 本当に、馬鹿な奴ら。

「まあどの道、人間としては終わりだな」
「どういう意味だ?」
「嫁入り前の娘を、自分らの都合で殺して、救われるつもりだったんだろ?」

『勝手に期待して、勝手に失望して、蓋を閉じれば大団円』

「身勝手にも程がある。お前らは、昔からずっと」
 
 男は何も言わなかった。
 ……もういいだろう。終わりにしよう。

「大隊、傾注」

 暗がりに潜む数百の部下に、オーダーを出す。
 彼らの短慮も癪に障るが、何より、許せない事が一つある。

「幻想郷、命蓮寺。そして……我が主に仇なす愚か者だ」

 彼女が辿り着いた安寧の地。それを彼らは傷つけようとした。
 私には、この手が届くその分だけでも、守る権利と義務がある。
 
「喰い尽くせ。何も遺すな」

 彼は逃げようと踵を返すが、無駄だ。
 部下達が一斉に彼の身体を昇り、その喉を次々と噛み千切る。

 悲鳴は一瞬。上手くいったか。叫ばれると、面倒だからね。 

 無数の鼠に全身を喰われ、身軽になっていく男をぼんやりと眺める。 
 すると、何者かに肩を叩かれた。

「ごくろーさん」

 暗い夜に、黒い髪、黒い衣装。ぬえだ。
 もしもの時の為のバックアップを頼んでいたが、杞憂で良かった。

「すまなかったね。せっかくの夜に」 
「いいよ別に」

 もはや男は、着ていた服より軽くなっていた。

 ここは人里。本来、妖怪が人間を襲うのはタブーだ。
 私達はそれを、今回に限り、条件付きで許された。跡形も残さない、という条件で。 

「随分とお疲れのようだけど」
「最近、ずっと駆けずり回ってたからね。秘密の夜って奴は、存外に体力を喰う」
「あんた、結構顔に出るよね」
「うるさいな……んっ」

 会話を遮るように、木枯らしが強く吹き付けた。
 眉根を顰めて、手櫛で髪を整えるぬえに背を向けて、話題を変える。  

「……どうだね。これから呑みに行かないか」
「お、めっずらし。あんたから誘うなんて」
「そうとも、高レアチャンスだ。如何かな?」
「奢りならいいよ」
「今夜だけだぞ。大隊諸君、ご苦労だった。これを処理したら解散して良いよ」

 遺された血濡れの服を彼らに渡す。
 それは細かく千切られて、それぞれの鼠が、それぞれの手段で処分する。
 隠滅を見届けた後、尻尾の籠に控える参謀に声を掛ける。 

「参謀、君も解散していいよ。私はこれから、酔った彼女にメチャクチャにされる仕事があるから」
「しないよ……なんか犯罪みたいじゃん……」
「その言葉の真意を問いたいのだが」

 ひとまずは、これで大丈夫だろう。後の処理は、管理者達にお任せだ。

「あ、待てよ。この時間って、まだ銭湯やってたかな」
「確かどっかにあったと思うけど。なんで?」
「血の匂いが結構」
「別に気にしなくてもよくない?」
「私は清潔が好きでね」

 ただ、この後味の悪さは、どうにかならないものか。
 誰も得せず、喜びもしない過程と結末。

 何ともまあ、ロクでもない話だ。お互いにとって。

 

チャプター7B : 後始末の後


「……あの、藍さん。仰っている意味を、理解しかねるのですが」

 久々に訪れた、地霊殿のテラス。
 そこで私は、地底で起きた一連の事件。それについて分かった事を古明地さとりに伝えていた。

「事実、なんですか?」
「情報の確度は高いと判断しております」

 納得出来ない、と言いたげな表情を浮かべるさとり。

「その、なんですか。地底で起きた一連の事件は―――」

 一拍置いた後、眉根を顰め、呆れた声で二の句を継ぐ。

「―――貴方を、八雲藍を、地底へ連れてくる為に。ただ、それだけの為に?」
「恐らくは、そういう事でしょうね」

 困惑するのも無理はない。当の私でさえ、捻った首がいまだに戻らない。

「式からの報告も合わせて纏めると。反動家どもは、博麗の巫女を殺そうとしたワケです」
「命知らずも良い所ですね」
「その為には、可能な限り、障害を排除したい」
「当然でしょうね。で、それが貴方だと」
「恐縮ですが、そうらしいです」

 冬は紫様は冬眠なさるので、特別な対処は必要ない。
 次に厄介なのは、その式神である私だと、連中は認識していたのだろう。

「そんな事の為に……いっそ、笑えてきますね」
「心中、お察しします」

 情報の集積と分析の不足。そして視野狭窄。反動家が彼らであった事に、感謝すべきだろうな。

 彼らは人里が、複数勢力の監視下にある事を知らなかったのだろうか。
 妖怪の楽園にある、人間の里。
 そこに興味を示しているのが、我ら八雲だけであると、本気で思っていたのだろうか。

 何時かは、何処かが捕捉する。今回の命蓮寺のように。
 
 貴重なリソースを大量に注ぎ込み、何を成したか。
 賢者の道具を、数日の地底旅行に招待しただけ。

 国家を一つ、手折るに足りる浪費だ。まあ、私のハードである者の基準ではあるが……なんとも華々しい事だ。
 少なくとも、道具風情を除け者にするだけの無駄骨に、使うべき資源ではあるまい。

 ……自分で考えてて、少し寂しく感じたのは、私だけの内緒だ。

「気に病む事はありませんよ」
「内緒だって言ってんだろうが」
「内緒? 貴方は内緒にしてなんて、言ってはいないでしょう?」
「貴方と会話していると、自制心が鍛えられますな」
「よく言われます」

 それはともかく。
 巫女を殺す理由の方は……およそ見当はつく。

 妖怪の手先であり、結界の守護者たる巫女を殺して、妖怪に打撃を与えるとか。
 可能性は低いが、巫女を殺して、妖怪の仕業に仕立てあげて危機感を煽るとか。

 大方、そんなところだろうさ。

「随分と落ち着いてますね。事次第によっては、お仕置きでは済まないですよ?」
「いやなに。慌てる必要なんてどこにも」

 そもそも、連中は間違えている。
 巫女を殺して、打倒妖怪の糧とする。その考えが既におかしい事なのだ。

 博麗の巫女の仕事は調律、バランサーの役割だ。
 妖怪に襲われる人間を救い、人間が妖怪に成るのを防いでいる。
 
 最終的に、妖怪の為になるとはいえ、直接的には人間を助ける行動をしている。
 人間に比して、強すぎる妖怪の力を制限する行為でもある。それを自ら無力化しようだなんて、自殺行為に近い。

「言うまでもないですね。使えるモノは使うべきです」
「ええ、本当に」

 というか。そもそも、の話になるのだが。

 長い年月を掛けて造り上げた、妖怪の楽園。
 それが、小娘一人の死で揺らぐ?
 お笑いだ。ありえない。

 仮にも賢者を自称する連中が、そのような不具合を見逃すものか。 

 そうとも。

 あの女が、八雲紫が、そんな杜撰な設計をするものか。

「それで、どうするんです?」
「どう、とは」
「未遂とはいえ、巫女が襲われたのなら、ケジメをつける必要があるでしょう」 
「襲われた? 何のことです?」
「……は?」
「世は全て事も無し。幻想郷は毎日が平和です。もちろん、地底も例外ではありません」

 さとりが目を見開き、そして睨むように細めて見せる。

「無かった事にする気ですか。最初から、全て」
「我々としては、何一つ、残したくないのです。記憶や記録も……どこかの誰かの恐怖と悲鳴も、ね」

 つまるところ、再発防止だ。
 前例の有無というのは、行動に大きく影響する。
 多少の損害で、幻想郷は揺るがない。が、蒔かれた種が毒持ちと分かっているなら、除かない手も無いだろう。

「連中の手足の一本さえ無しに、忘れろと?」
「はい」
「……承服出来る訳、ないでしょうが。私のペットが、妹が、卑しい糞袋どもの奇行で、深い傷を被ったんですよ。それを」
「それこそ、私の知った事ではありませんね」
「いきてここから……ッ」

 彼女が囁くように叫んだ声の、意味は明確。
 しまった、つい悪い癖が出た。 
 急げ。謝罪は迅速に、心を込めて。

「失言でした。大変申し訳ない。非礼はお詫びしますので、どうか」

 何しろ、さとりだ。こちらの詫びも、本心だと分かってくれたらしい。
 有象無象ならその場で絶命しそうな、おぞましい視線を引っ込めて、どうにか座り直してくれた。

 最近どうにも、言動の選択が紫様に寄ってきた気がするような、しないような。
 アレに似たら終わりだ。反省せねば。

「反省、してくださいね。アレに似たら終わりですよ。まったく」
「古明地様。我が主を罵倒するのは止めて頂きたい」
「……結構、いい性格してますよね、貴方。短命の相が出てますよ」
「幸薄だとは言われます」

 と、ここまでにして。話を戻そう。

「ご安心ください。我々としても。博麗の巫女に銃口を向けた者達を、野放しにするつもりはありません」  
「彼らも、『最初から』無かった事に?」
「既に、そうさせました」
「……仕事の早いことで」
「恐縮です」

 実行犯達の射手達は、橙が処理した。
 留守中に、万が一あると困る。だから橙に、霊夢の近くに居るよう命じておいたのだ。
 まさか本当に、何かがあるとは思わなかった。我ながら大金星だな。

 それ以外の反動家は、命蓮寺が。
 不安が無いワケでもないが。神の遣いと、化け狸の指導者格。下手な事はするまい。
 もしもの時は……彼女らも、そうしてしまえばいいだけだ。

 さてと、こんなところかな。

「それでは、私はこの辺で失礼します」
「もう行くんですか。事が終わったのなら、ゆっくりすればいいのに。さっきの非礼は、特別に忘れてあげますよ?」
「寛大な措置に感謝いたします。ですが、今回はこれで、お暇させて頂きます」
「もっともふりたいんですよ」

 散々もみくちゃにしておいてよく言うよ。

「まだ仕事が残っているんです。お忘れですか? 反動家の協力者達を」
「ああ、天狗ですか」
「流石にあの辺は、私もおいそれと手を出せないのですが、話はしておく必要がありますからね」
「言ったところで、握りつぶされるのでは?」
「親しいのが居るんで、そいつを通します。それでは、失礼致します」

 さてさて。天狗どもは、どうケジメをつけてくれるかね。
 事次第によっては……また、鬼の時代が来たりしてね。
 それはそれで面倒だから、マトモな対処をして欲しい。

 ひとまずは、の但しが付くが……大事に成らず、跡も残らず。
 そういう事に、出来て良かった。


 ……本日も、幻想郷は平和です、か。
こんにちは。もしくは初めまして。もふもリストです。

サナトリウムの選択2 : すくわれる為の手段 いかがでしたでしょうか。
引き続き、いつもと違った雰囲気を試してみております。

一輪とムラサをコンビで書くのは地味に初めてでした。
どっちもガンガン行く系なので、抑えるのが大変です。

次回でラスト、妖怪の山でのお話です。最後まで書き切れるよう頑張ります!

至らない点がありましたら、遠慮なく仰っていただければと思います。
それでは、最後までお読み頂き、ありがとうございました。
もふもリスト
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コメント



0.200簡易評価
1.90名前が無い程度の能力削除
この命蓮寺の常在コントみたいなノリは某氏に通じる物があってほんとすこ
「焼くぞ! 寺を!」とかちょっと富野語っぽいし、一輪が脳筋自覚してる辺り要領の良さ(と言う設定)に繋がってるのか
地味に橙が活躍してて良いっすねぇ
でも事件の概要と言うか、一話完結としても事件が成立する話との事なんで、細かい事かもしんないですけど、連作として見た場合、地底の騒ぎは藍をおびき出す為だけのモノだったんすか? あんだけ騒いどいて? と言うか地底で辻斬りが起こると藍が来る理由がよく分からず(前回を読んで結構経ってるので忘れてるだけかもしんないですが)
3.20名前が無い程度の能力削除
原作キャラの行動が基本クズなうえに、作者に都合よく滅茶苦茶なので最後まで作品に没頭出来ませんでした。
ところでプッシュ型のナンバー錠で同じ数字2回ってどうやってるんです?
そもそも説明の通りなら0の突起ないんですけど?