Coolier - 新生・東方創想話

外の世界では○○をしないと出られない部屋が流行っていたそうで

2017/09/20 22:48:18
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屠自古は悩んでいた。
布都がすっかり自分の自室に居着いてしまうようになったからだ。
最初は来る度に追い返していたものの、あまりにしつこいので仕方なしに部屋に入れてやると、以降当たり前のように入ってくるようになり――今ではご覧の通り、自分用の座布団を持ち込んで、それを枕にして寝転がっているほどである。

「なあ布都、そろそろ帰れよ」
「断る。今日は困ったことに時間があり余っておっての、まだまだ暇を潰させてもらうぞ」
「貰おうぞじゃねえよ、寝るだけなら自分の部屋でいいだろ!?」

怒気を孕んだ屠自古の声。
しかし布都は全く動じること無く、しばし「んー」と呻きながら考えると、こう答えた。

「一理あるな」

そう言いつつ、まったく動く素振りを見せない。
結局、部屋から出ていくつもりは無いらしい。
こうなると、布都はいくら屠自古が怒鳴った所で出ていこうとはしないだろう。
つまり、怒鳴るだけ労力の無駄ということ。
屠自古は大きくため息をつくと、彼女の説得を諦め、自分の読書に集中することにした。
布都も屠自古が諦めたことを察し、再び天井に視線を向けた。

静寂が満ちる部屋の中に、2人分の吐息と、頁をめくる音だけが響く。
布都が屠自古の部屋に押しかける時はいつもこんな様子で、だから特に、2人がこの静寂を”気まずい空気”と感じることはなかった。
それから30分ほど屠自古が書物にのめり込んでいると、ふいにある不安が脳裏をよぎる。
確かに静かなのはいつもどおりだ。
しかし、30分もまったく会話が無いというのは、非常に珍しいことで。
普段お通りなら、どこかでのタイミングで布都が屠自古にちょっかいを出してくる頃なのだが――なにゆえに、今日の布都は黙り込んでいるのだろうか。
屠自古は読書を一旦打ち切ると、布都の方を見た。
すると、ニヤニヤと笑う彼女とばっちりと視線が合ってしまう。

「どうしたのだ屠自古よ、まさか寂しくなったのか?」

まるで屠自古の思考を読んでいるかのような口ぶりに、彼女は顔を真っ赤にした。
そう、このためだ、ただこの瞬間のためだけに布都は黙り続けていたのだ。
赤面顔――その貴重なワンショットを目撃するために。
羞恥心が限界を突破した屠自古は、手のひらの上に雷球を生成する。
実力行使である。
バチバチと物騒な音を鳴らしながら徐々に肥大化する光る球体を目にして、さすがの布都も焦らずには居られなかった。

「す、すまぬっ、すまんかったっ! 我としたことが調子に乗りすぎたっ、だからそれを仕舞うのだ!」
「謝る気があるならとっとと帰れえええぇぇぇっ!」

布都は慌てた様子で立ち上がると、すぐさま部屋を出ようとふすまに飛びつく。
そして引き手に指をかけ、力を込めるのだが――

「むむ?」

不思議なことに、びくともしない。
布都は首を傾げると、再び指先に力を込める。
だがやはり――まるで何かが引っかかっているかのように、何度揺らしてもふすまが開く様子は無かった。
しかし、傍からその様子を見ていた屠自古には、布都がふざけてパントマイムをしているようにしか見えない。

「布都、これ以上あたしを怒らせない方がいいぞ?」
「ち、違うっ! 断じてふざけているわけではないっ、本当に開かぬのだ!」
「あぁ? んなことあるわけが――」

そう言いながら布都同様、ふすまを開けようと試みる屠自古だったが。
ガタガタと何度揺らしても、やはり開かない。
誰かがいたずらで、表の方に棒でも引っ掛けたのだろうか、と考え、壊れること覚悟で前に押して見るものの、それでもびくともしなかった。

「なんだこりゃ」
「まさか、我らは閉じ込められたのではないか?」
「屠自古だけにって言ったらぶん殴るからな」
「おぬしは我を何だと思っておるのだ……」

珍しく屠自古に呆れる布都。
そんな彼女も、試しにふすまを蹴ってみたりはしたのだが、明らかにおかしな感触が返ってくる。
少なくとも紙の感触ではない。

「これは結界かもしれんな、外側から誰かの手によって作られたもののようだ」

神霊廟で自由に動ける人物となると、かなり限られてくる。

「青娥の悪ふざけか?」

屠自古の脳裏に、世界一信用ならない笑顔を浮かべる青娥が浮かんでくる。

「太子様かもしれぬぞ?」

布都の頭には、したり顔で高笑いする神子の姿が浮かんでいた。
どちらにしろろくなものではない。

「太子様がだと? 理由がねーな」
「我らの仲の悪さに耐えかねて、と言うのはどうだ」
「太子様に迷惑かけてる自覚あったのかよ……まあ、無いとは言えないな。それでもあたしは青娥の可能性の方が高いと思うけど」

布都も青娥の可能性を考えなかったわけではない。
ただ、その案は屠自古が先に出してしまったし、別の可能性として神子の名前を出してみただけだ。

「もし青娥殿の仕業ならば、じきに太子様が助けてくれるだろうな」
「なるほど、つまり時間が経てば自ずと答えは見えてくるってことか」
「そういうことだ」

時間が解決するのならば――と、ふすまの突破を諦めた布都は、再び座布団を枕にして床に寝そべる。
屠自古も同様に書物の元へ戻ると、読書を再開した。



◇◇◇



――それから丸一日が経過した。

読書に飽きた屠自古は退屈そうに寝転がりながら天井を見上げ、そして寝るのに飽きた布都は先程まで屠自古が読んでいた書物の頁をめくっている。
怨霊と尸解仙である2人にとって、1日程度閉じ込められた所でどうということはないが――

「……さすがにこんだけ待って太子様が気づかないってわけはないよなあ」

屠自古がひとりごちる。
これで青娥の仕業という線は薄くなってしまった。
そして2人を閉じ込めたのが神子だとするのなら、誰かが外側から結界を解除してくれる可能性は限りなく低い。
脱出の方法を考えなければ。

「問題は、なぜ太子様が我ら2人をここに押し込んだのか、だが……」
「さっき布都が言ってた通りだろ、仲直りしろってことじゃねーの?」
「仲直りも何も、最初から我らは親しくなど無いのだがな」

昔から、神子を慕うもの同士、行動をともにすることはあった。
しかし、当時から2人は仲が悪く、事あるごとに衝突してばかりだったのだ。
2人が一緒に居たのは、神子と言う共通の動機があったからであって、彼女抜きで布都と屠自古の関係は成立しない。
だというのに、布都と屠自古だけを部屋の中に閉じ込めて、何も起きるわけがない。

「大体、あたしを殺したやつと仲良くしろって方が無理筋なんだよ。いくら太子様とは言え考えが無さ過ぎる」
「まったくだ、我と屠自古がわかり合うことは、未来永劫無いだろうな」
「つーかお前はもうちっと反省しろ」
「反省するべき点など1つもないな。いや、あえて言えば屠自古を完全に仕留められなかったという点か」

悪びれもせずに言い切る布都。
彼女がやったのは間違いなく人殺しだ。
その被害者が目の前で”生きている”と言う珍妙な状況ではあるが、やった行為が消えるわけではない。
布都の正直すぎる物言いに、屠自古が機嫌を損ねるのは当然のこと。
彼女はは布都を睨みつけながら、刺々しい口調で問いかけた。

「以前も聞いた気がするが、そもそもなんでお前はあたしを殺したんだ? 言うほど恨みなんざ買ってたつもりないけどな」

確かに喧嘩は多かったが、それだけで人を殺すほど野蛮な輩だとは思えない。
何か深い理由があるのではないか、屠自古はどこかでそれを期待していたのだが。
布都はあっけらかんと答える。

「存在が気に食わんかった、それだけだ」

だったら何でそんな奴の部屋に入り浸ってんだよ――と内心で愚痴る。
屠自古にとっての最大の謎は、そこだった。
布都は屠自古のことを嫌っている、おそらくそこは間違いない。
しかし、その割に布都は、屠自古から離れようとはしないのである。
ここは屠自古の部屋。
つまり布都が自らの意志で足を運んでいるということ。
お互いに近づかなければ、不用意に傷つけ合うこともないと言うのに、不思議な話だ。

「今もそれは変わってねーのか?」
「愚問だな。怨霊などに身をやつしてまでこの世にしがみつく蘇我屠自古と言う存在が、目障りで仕方ない」

嘘をついているようにも聞こえない。
やはりそれが布都の本心であることは、間違いなさそうだ。
これで行動も伴っているのなら、屠自古も遠慮せずに彼女のことを嫌うことができるのだが。
意味深に屠自古との繋がりを求めるものだから、見捨てるに見捨てられない。

「しかし意外だな、いつの間に屠自古は小説など読むようになったのだ?」

先の話題にはあまり興味がないのか、布都はすぐさま話題を切り替える。

「ああ、それは知り合いに頼んで借りてきてもらったんだよ、おすすめだって随分と推されたからな」
「ふむ、展開は少々稚拙だが、確かに娯楽か時間つぶしとしては最適だな」
「褒めるなら素直に褒めろよ」
「屠自古の持ち物だと思うとそうもいかん、本来の持ち主には申し訳ないとは思うが」

とことん気に食わないやつだ。
屠自古は布都とのまともな会話を諦め、目を閉じた。

「む……まさか寝るのか?」
「ああ、邪魔するなよ」

さすがに、屠自古もするなと言ってやめるほど素直なやつとは思っていないが。

「そうは言うがな、我は屠自古を殺した張本人だぞ? そんな相手に無防備な姿を晒すとはうかつにも程がある」
「はいはいそうですか。なら殺すなり祓うなり勝手にしてくれ、あたしは寝るから」

キレ気味で言うと、屠自古は本当に眠ってしまった。
そんな彼女の様子を、布都はなぜか寂しそうに眺めていたが、もう起きないことを悟ると再び小説に視線を戻す。
布都が本を読み終えるまで、部屋には再び静寂が満ちていた。



◆◆◆



我は小説を読み終えると、体を包む倦怠感を吐き出すように「ふぅ」と虚空に息を吐き出した。
あまりこの手の本は読まないのだが、素直に面白かったと呼べる出来だった。
特に最後のどんでん返し、まさか犯人があの女だとは、完全に我の想像を超えておったな。
もっとも、その感想を正直に屠自古に伝えることは、我にはできぬだろうが。
……何故に、と問うても我自身も答えを知らぬ。
昔からそうであった。
我は屠自古が嫌いで、本能的に拒んで、敵視して、勝手に好敵手と定めて。
だからと言って、距離を置きたいとは思わない。
どんなにイライラしても、近くに居なければ――我の何かが、満たされないような気がするのだ。

「なあ屠自古――」

名前まで呼んでから、屠自古が寝ていることを思い出す。
念のため彼女の方を見て確認すると、本当にぐっすりと寝てしまっていた。
忠告はしたのだが、まさかこうも無防備な姿を我の前に晒すとはない。
そもそも、怨霊が眠る必要などあるのか?
まあ、食事を採ることもあったし、必要性は無いが習慣が染み付いていると言うことだろうか。
確かに、我も似たようなことをすることがある。
だが……それはいわば、人間の体に対する未練のようなもので。
屠自古ほど強い女ならば、そのような未練はたやすく断ち切ることができると思っておったが。
……失望しておるのか? 我は。
いや、違うな。
安心、とでも言うべきか。
屠自古にも弱点があったのか、そう思うと少しは気が楽になる。
それがなぜなのか、やはり我自身にもわからぬのだが。

「ぅ……布都ぉ……」

はて、一体どんな夢を見ておるのやら。
寝言で我の名前を呼ぶ屠自古に、そろりそろりと近づき、顔を覗き込む。
眠っておると、まるで深窓の令嬢のようではないか。
これで喋ると、あのぶっきらぼうな女性らしさの欠片もない喋り方なのだから笑わせる。
その”ぎゃっぷ”が人の心を惹きつけるらしいが。
だが……我は、特別それを彼女の魅力だとは思わん。
屠自古の魅力はもっと別の場所にある。
それは我の手など届かぬ、虚しさすら感じるほど遠いもので――

「あたしの……食べる……なぁ……」
「む、我はそこまで食い意地は張っておらぬぞ?」

と言うか、我と屠自古は夢の中でまで喧嘩しておるのか。
よくもまあ飽きぬものだな、我も、おぬしも。
いっそ変わってしまえば――
1400年という月日はあまりに長い。
そのうちどれだけの年月を屠自古が過ごしてきたのかは知らぬが、少なくとも生前よりも遥かに長かったのだろう?
人格が変わるのに十分すぎるほどの時間はあったはずなのだ。
だと言うのに、なぜ忘れなかったのか。
なぜ変わらなかったのか。
なにゆえに、屠自古は屠自古のままだったのか。

「だから憎たらしいと言うのだ。おぬしの存在がどこまで我を追い詰めるのか、わかった上でやっているのか? はっ、まさか復讐だとでも言うつもりか?」

屠自古の髪に触れながら、我は告げた。
もちろん答えはない。
目覚めていたとしても、彼女は首を傾げるだろう。
殺してもなお、屠自古が我を憎むことは無かった。
怒ることはあっても、それは憎悪と呼ぶほど屠自古の心の大部分を占めることはできなかった。
ゆえに、彼女には復讐という発想すら無い。
変わらない。
まるで我のした行為を”無駄だ”と嘲笑うかのように、不変でそこに在り続ける。

「なあ屠自古。我は……我は……何を、したいのだろうな」

無論、答えなど無い。
我ですら知らぬ答えを、屠自古が答えられるわけがない。
憧憬、憎悪、賛美、嫌悪、崇拝、唾棄。
負と正が、善と悪が、入り乱れながら胸で渦巻いている。
嗚呼――誰か知っているのなら教えてくれぬものか。
屠自古と出会った瞬間に生まれた、この自分ではどうしようもない、ひたすらに心を蝕み続ける感情の名前と意味を。
悪魔でも青娥でも構わぬのだ、とにかく、誰か――



◆◆◆



「うわっ!?」

あたしは目を覚ました瞬間に、声を上げながら飛び退いた。
寝てる間に布都にちょっかいを出される可能性は考えてたけど、まさか隣で寝てるとは。
もしかして、あたしに何かやろうとして、そのまま寝ちまったのか?
あたしには無防備な姿を晒すなとか言ってたくせに、自分はいいのかよ。
ったく、いたずら盛りの子供じゃあるまいし。
念のため鏡で自分の顔を確認すると、何かされたような形跡は残っていない。

「うーん、何がやりたかったんだか」

愚痴りながら、すぅすぅと呑気に寝息を立てる布都の顔を睨みつける。
……黙ってりゃ可愛いんだよなあ、こいつ。
近づいて、試しに人差し指で頬をつついてみる。

「とじ、こ……」

何だ何だ、もしかして夢の中でもあたしと喧嘩してんのか?
触っても文句を言われない状況と言うのはなかなか貴重なので、あたしは調子に乗ってさらに頬をつつく。

「んぅ……われ、は……うぅ……」

なんかうなされてんな。
あたしの指のせいかと思うと、ちょっとだけ罪悪感。
でもまだまだ面白さの方が上回っている、あたしは続けて布都の頬に触れ続けた。
すると彼女の腕がぴくりと動き、ひときわ苦しそうに寝言を呟く。

「置いて……いくな……屠自古ぉ……」

そして、目から零れ落ちる涙。
予想外の反応に、あたしの動きは布都の顔をみたままぴたりと止まる。
今……こいつ、なんつった?
置いていくな? 殺しておいて? しかも泣きながら?

「何なんだよ……」

何もかもが、理解できない。
嫌いじゃなかったのか? だから殺したんじゃなかったのか?
けど、布都があたしの前で本音を言っていると言う確証はなくて。
だったら、寝言の方がよっぽど信憑性あったりしてな。
……じゃあ、布都はあたしのことを嫌ってないってことか?
そうなると、殺した理由がますますわからなくなってくる。
嫌いでもない、置いて行かれたくない、そんなたしを殺す理由ってのは――

「なあ、答えろよ布都」
「あぁ……屠自古、そこに……いた……」

あたしの呼びかけに反応して、布都の表情が和らぐ。
質問には答えないくせに、都合のよく自分だけ安心しやがって。
こんなもやもやした気分になるぐらいなら、いっそあたしの方がお前を殺してりゃよかった。
……。
……いや、無理だろうけど、それぐらいイラついてるってことで。

けど、考えてみると妙な話だよな。
布都はあたしを殺したのに、あたしは布都を殺せないだなんて。
殺したいと思えるほど、憎めないんだよなあ、なぜだか。
こいつのこと、嫌いじゃないから。
昔っから売り言葉に買い言葉で喧嘩ばっかしてたけど、それでもどこか憎めないっていうかさ。
何なんだろうな、この気持ち。
ほんと……何なんだろ。



◆◆◆



布都が目を覚まし、再び2人の時間が始まる。
さすがにこの部屋に居るのも飽きてきたので、そろそろ屠自古で遊んでみるか、と考えながら体を起こした布都だったが――
すぐに部屋の空気が異なっていることに気づく。
布都が起きたことに気づいても、屠自古はなぜか全く反応は見せない。
完全に無視しているわけではないのだが、ちらちらと目だけを動かして布都の方を見るだけで、特に声を出そうともしなかった。
よそよそしい態度に、むずがゆくなる距離感。
総じて、気まずかった。

「のう、屠自古。我が寝ている間に何かあったのか?」

勇気を出して尋ねてみるものの、「ん……」と空返事が来るだけだ。
空白の時間に一体何があったのか。
布都の中でみるみるうちに不安が膨らんでいく。
しかし、屠自古が答えない以上は悩んでも無駄である。
布都は気持ちを切り替え、その場で瞑想でも始めることにした。
目を閉じて、五臓六腑を意識しながら神経を研ぎ澄ます――

「なあ布都」

――そんな布都の耳元で、いつの間にか近づいていた屠自古が囁いた。
完全に予想していなかった襲撃に、布都はびくっと大げさに反応する。

「な、なんだっ、いきなりどうしたのだ屠自古!?」

慌てて目を開き返事をしたが、思っていた以上に顔が近かったので、彼女はさらに驚いた。
しかしそんな布都の状態など全く気にする様子もなく、屠自古はぼんやりとした表情で言葉を続けた。

「さっき、寝てる間に何かあったのかって聞いてたろ?」
「確かに聞いておったが……」
「あったんだよ。布都が寝言であんなことを言ったから、あたしも考えてたんだよ」
「我が何を言ったというのだ?」

間を取って、焦らす屠自古。
さすがに自分も寝言で何を言ったのかまでは想像がつかない。
屠自古の頭すら悩ますような何かを、本当に自分が言ってしまったのだろうか。
沈黙の間、その不安はみるみるうちに膨らんでいく。
そしてたっぷり十秒ほど溜めた屠自古は、ようやく口を開いた。

「屠自古のことが好きだ、って」
「無いな」

布都は即答した。
しばし2人は無言で見つめ合うと、屠自古が顎に手を当てて「ふむ」と納得したように声を漏らす。

「やっぱそういう反応になるよな」
「おぬし、我を馬鹿にしておるのか?」
「いや、別にそういうわけじゃないんだって、ちょっとした実験だ。じゃあ今度こそ本当のことを言うぞ?」
「どうせまた嘘なのだろう? 変に焦らさず言えばよいではないか」

布都のリクエストに応じて、屠自古はすぐさま言った。

「布都、あたしはお前の事が好きだ」

無論、嘘である。
それはわかりきったことで、承知の上で布都も聞いていたはずなのだが。
好きという言葉を聞いた布都の顔はみるみるうちに赤くなっていく。

「な、なな、なっ、何を言っておるのだ屠自古!? わ、我のことを、自分を殺した相手を好きなどと、頭がどうかしておるのではないのか!?」

頭がどうかしてんのはお前の方だ、と屠自古は突っ込みたい所だったが、あたふたする布都がおもしろかったので放置しておく。
そして再び自らの顎に手を当てると、「なるほど」と1人で納得していた。

「なにが”なるほど”だ!」
「まあ落ち着け布都、今のは嘘だよ」
「は? 嘘?」
「流れからしてどう考えても嘘に決まってんだろ、むしろ信じた布都の方がどうかしてる」
「う……た、たしかにそうかもしれぬ」

珍しく素直に納得する布都に、彼女の混乱具合が見て取れる。
寝言はすぐに否定したのに、屠自古の告白の即否定が出来ない。
その違いに、屠自古の求める布都の――彼女自身すら気づいていない真意が隠れているような気がしていた。

「……しかし、だ」

布都は人差し指を屠自古の額にぐりぐり押し付けながら言う。

「なぜそのような嘘をついた、さすがにたちが悪いと思うぞ?」

不満げに頬を膨らます布都に、屠自古は「やれやれ」とため息をつき、地味に痛い人差し指を鷲掴みにしてこう返す。

「実験だって言ったろ? 確かめたいことがあったんだよ」
「その”確かめたいこと”とやらの内容を先に言え、我にはちんぷんかんぷんだぞ」
「それは……あれだ、お前が自分のことを素直に話してくれたら言ってやっても良い」
「なぜそこで上から目線なのだ。で、我の何を聞きたいと?」
「あたしを殺した理由を」

急に真剣な声色になる屠自古に、布都の心臓がどきりと跳ねた。
しかし、どんな顔をされようが、どんな声で語りかけられようが、言うべき答えは1つしか無い。

「気に食わんからだ、と言ったはずだが」
「具体的に、どう気に食わなかったのか教えてくれ」
「どう、と言われてもな……」

想起するは、2人がまだ人間だった頃。
布都と屠自古が結託し、物部氏は滅び、蘇我氏を裏から操っていた時の思い出。

「あの頃の布都、今よりもかなり落ち着いた物腰だったけど、近寄りがたい雰囲気を出してたよな」
「おぬしは当時から人懐こいと言うか、誰とでも仲が良かったな。嫌いだと公言しておった我とも普通に会話できるほどに」
「太子様が居なけりゃ近づこうとも思わなかっただろうさ」
「だとしても、結果として我と屠自古は手を握りあい協力した。まずそこが気に食わなかったな」
「なんでそこでそうなるんだよ」
「我が持たぬものを見せびらかされているようで、不愉快だったのだ」

こうして話していると、自然な形で思い出すことが出来た。
確かに、当時はそうだった。

”誰に対しても良い顔をしようとする計算高い女”。
”本当は我のことを見下しているに違いない”。
”そのさまを見せつけることで、我の矮小さを思い知らせているのだ”。

屠自古と顔を合わせる度に、ふとはそんなネガティブなことばかりを考えていたような気がする。
それもこれも――

「屠自古は、我にとって手に届かぬ、あまりに遠い存在だったからな」

――布都が勝手に、そう思い込んでしまったからだ。
もちろん、屠自古に布都を煽ろうなどというつもりはまったくない。
嫌いな相手の前でも打算など無かったし、見下すなどもってのほか。

「そりゃあたしのセリフだ、賢しさと外見じゃどうあがいても敵わないと思ってたってのに」
「謙遜するでない、気味が悪い」
「お前こそ気を使ってんじゃねーよ、気持ち悪ぃな」

お互いに、褒めているのか貶しているのかわからなくなってきた。
言い争いになるとキリが無さそうだったので、早々と次の話題へ移行する。

「屠自古の周りには、常に人が居た。沢山の人々から慕われておったな」
「布都は高嶺の花だったからな。憧れてるやつは多かったのに、近づくなオーラを出してたお前が悪い」
「我に憧れておった? 冗談であろう?」
「いや、ほんとだから。むしろあたしより慕ってる人間は多かっただろ」

布都は全く信じていない様子で、ドン引きしながら屠自古のことを見ている。
別に妄想でも無ければ布都を慰めているわけでもなく、事実を話しているだけなのだが。
証明しようにも、困ったことに当時の人々は尽く死んでしまっている。
物部氏あたりの誰かが、霊でもいいからこの場に居てくれたら良かったのだが。

「そんなわけがあるか。昔から屠自古は、気立てがよく、気も利くし」
「……」
「がさつかと思いきや細かい気配りが得意で、肝っ玉もすわっておったな。ああ、本当に忌々しい」
「……えっと」
「それに常に輝いておった、見るなと自分に言い聞かせても自然と視線が屠自古を追っておったよ。屠自古の方が我より優れておると無意識のうちに認めているようで……あの時ほど、悔しい思いをした日はない」
「あの、さ」
「少しでも追いつけるようにと無理もしてみたが、やはり無理だった。おぬしは我の前に、乗り越えられない壁として立ちはだかり続けたのだ。だから、我は屠自古のことを――」
「ちょっとまてぇいっ!」
「なんだ? 折角”りくえすと”通りに具体的に話しているというのに」

布都に一切の恥じらいは見えない。
平然とした表情で、思い出を語り続けている。
むしろ、聞かされていた屠自古の顔の方が赤らんでいる有様で、気のせいか呼吸も荒かった。

「その……さっきのは、本気で言ってんのか? あたしに対する嫌がらせとかじゃないんだな?」
「なぜここで嘘を言う必要がある。包み隠すことなど何一つ無い、正真正銘、我の本音だ」
「困ったな……」
「自分でせがんでおいて勝手に困るでない」

全くもってその言葉は正論なのだが、屠自古が困っているのも事実。
何せ、布都も気づいていない、屠自古を死に至らしめたその感情の正体に、気づいてしまったのだから。
意識するな、という方が無理な話だ。

「太子様、それをわかった上であたしたちを閉じ込めたんだとしたら、あまりに悪趣味すぎますよ……」

愚痴りたくもなる。
取り乱す屠自古を見て、首を傾げる布都は未だ何も気づいていないようだが。
言うべきか、黙っておくべきか。
屠自古は苦悩する。

「ああ、でも言わないとこっから出られないんだよなぁ……」
「さっきから何をぶつぶつ言っておるのだ」
「布都、最後にもう1つだけ確認していいか?」
「聞かれてばかりだな、出た後に見返りがあるなら答えてやらんでもないぞ」
「じゃあ里で団子を奢ってやるから、答えてくれ」
「む、団子か。それなら答えてやろう!」
「安いなお前は。じゃあ聞くが、あたしと一緒にいる時、胸のあたりがもやもやしたりしないか?」

これは最終確認だ。
あるいは悪あがきとでも言うべきか。
一縷の望みと団子を賭けて切った手札、その結果は――

「なぜ、それを屠自古が知っておるのだ? 我は誰にも言ったことなどなかったはずだが」

――イエスだ。
イコール、賭けは屠自古の負けを意味する。

「おぬしを想うと胸が痛くなる。声を聞いたり姿を見たりすると、気持ちが言うことをきかなくなる。だから……この不快な何かが消えてくれるのなら、と思い屠自古を殺したのだが」
「あたしと再会した時に、喜ぶでも嘆くでもない微妙な表情をしてたのはそういうわけかよ……」

屠自古は頭を抱えながら、背中からぱたんと畳に倒れ込んだ。

「本来なら喜ぶべきだというのに、怨霊として生きておった屠自古を見た瞬間にほっとしてしまったのは、なぜなのだろうな」

さらに布都は追い打ちをかける。
もはや逃げ道すら塞がれた屠自古は、両手で顔を覆いながらごろごろと床を左右に転がった。

「随分と変わった動きをするのだな、我の答えがそんなに愉快だったか?」
「ちげーよ! ぜんぜんちげーよ! あたしは苦しんでんだよぉーッ!」
「なぜ屠自古が苦しむのだ」

あまりに無知な布都にの言葉に、屠自古はぴたりと動きを止めると、むくりと起き上がり、しっかりと顔を突き合わせながら言った。

「今も、胸はもやもやしてんのか?」
「しておるぞ。こうやって顔を近づけると特にな」
「なあ布都、それは恋って言うやつだ」
「……こい?」

そのような単語は知らぬ、と言わんばかりに頭の上にいくつもの疑問符を浮かばせる布都。

「そう、恋だ。今度は冗談なんかじゃない、本気で言ってる」
「こい」
「魚じゃないぞ、恋は恋だからな」
「恋」
「ああ、たぶんその恋だよ」

布都はようやく”こい”の意味を理解したらしい。
そして理解した言葉を脳に入れ、咀嚼し、飲み込み、分析、解析する。
恋とは――特定の人物に深く強い思いを抱くこと。
特定の人物とは――蘇我屠自古しか居ない。

「つまり屠自古よ。我がおぬしに恋をしておると、そう言いたいのか?」
「それ以外に考えられねえよ」
「はっはっは、まさかそんなわけがなかろう! 我が屠自古に恋をするなどと、などと……」

最初は笑い飛ばすつもりだった布都だったが、じわじわと不安になってくる。

「……そんなわけ、無いのだ。そうだろう? 屠自古よ」
「……」
「お、おい、目を背けるで無いっ! 何か言えっ!」
「あたしには何も言えねえよ」
「このままでは、本当に我がおぬしに恋をしているということになるのだぞ? それで良いのか!?」
「良かぁねえけど! けど……太子様があたしたちをここに閉じ込めたってことは、そういうことなんだろ?」

ここは仲直りするまで出られない部屋。
その可能性がゼロである2人なら、最初から閉じ込められることはない。

「つまり……太子様は、我の気持ちに気づいておったということか?」
「ってことに、なるな。欲がだだ漏れだったんだろ」
「我は屠自古に対してそのような欲望を抱いたことなどないぞ!?」
「自覚が無かっただけなんじゃねえの? 試しに普段はあたしのことどう思ってたのか言ってみろよ」
「今日も屠自古は憎たらしいほど美しいな、見せつけているつもりか、だとか。忌々しいほど人懐こく笑いおって、我は絆されんぞ、だとか。概ねそんなことだ、ごく普通であろう?」
「それだよそれ!」

急に大声を出す屠自古に、布都は驚いて体をのけぞらせた。
しかし屠自古からしてみれば、驚いたのはこっちの方だ、と言ってやりたい気分ではなかろうか。

「生前にあたしを口説いてた男にもんなこと言われたこと無いぞ!?」
「当然ではないか、口説いているつもりなど無いのだからな」
「マジか……マジでそんな認識なのか……」

策士物部布都が、まさかこんなにも色恋沙汰に疎いとは。
当時は他人の恋心を利用して謀殺する、ぐらいのことはやっていた記憶もあるのだが。
自分のこととなると話は別ということだろうか。

「言っとくが、布都。あたしはそんなに立派でもなければ、素敵な人間でもない」
「我は自分の目で見た現実を口にしているだけだ」
「だから、それだよ。好きになると、相手の事が実際より綺麗に見えたり、良い人に見えたりするもんなんだ」
「そう、なのか? いや、だがそう言われても、我の目から見た屠自古が変わるわけでは無いのだぞ?」
「それもわかってるよ」
「だったら、我はどうしたらいいのだ?」

ついに来た、来てしまった、屠自古が最も恐れていた質問が。
ここから先は、屠自古の葛藤だ。
布都の気持ちは最初から決まっていた、ならばあとは成就を待つだけ。
問題は、その相手が受け入れられるかどうかであって。

「あたしたちの関係が改善しない限りは、この部屋からは出られないわけだ」
「そう言えばそうだったな」
「つまり、あたしたちは距離を近づけなきゃならない。今までみたいにいがみ合う関係じゃなくて、もっと親しい間柄にだ」
「うむ、全くもって言うとおりだな」
「そして、布都はあたしに恋をしている、わけだろ?」
「どうやら、そうらしいな」
「だったら、どうするかなんて一つしかないだろ」

2人の間に、しばしの沈黙が流れる。
シンキングタイム、と言うよりは頭が真っ白になっているようで。
布都も屠自古の顔は次第に赤くなっていき、臨界点を超えると、ゆっくりと合わせていた視線を外す。
そして、ちらりちらりと交わる視線を使い、無言にて躊躇いの応酬を数回続けると――先に言葉を発したのは布都の方だった。

「……恋人になる、ということか?」

声に出した瞬間、その言葉が現実味を帯びて布都に襲い掛かってくる。
急に心臓がバクバクと高鳴り出し、ただでさえ上がっていた体温が、湯気でも出そうな程に急上昇した。
ああ、そうか……これが恋なのか――そう布都は実感する。
なるほど確かに、これは今まで胸にまとわりついてきたもやもやの延長線上にある物だ。
しかし自覚したことによって、決定的に変わった部分がある。
それは、今までほど”不快だ”とは思わなくなったということ。
むしろ心地よいとすら感じてしまう。
それはつまり、屠自古の傍に居たいと思うことと同義であり、ゆえに布都はこう考えた。

「わ、我は悪くないと思うぞ、恋人になるのも」

赤面し、体をもじもじさせながら言う布都を見て、屠自古は冷静に言い放つ。

「そりゃそうだろ、お前はそれで良いだろうさ」

何せ、恋をしているのだから。
問題は特に布都に恋愛感情など抱いていない屠自古の方だ。

「おぬしは、我と恋人になるのが嫌なのか?」
「また答えづらい質問を……」

嫌だと言ったら、布都が傷つくのは目に見えている。
ここは慎重に言葉を選ぶ必要があった。

「まず前提として、あたしはお前が嫌いじゃねえってことだ。ただし好きでもねえからな」
「我は屠自古が好きだぞ?」

笑顔で言い切る布都。
思わず一瞬でもそんな彼女のことを”可愛い”と思ってしまった屠自古は、自分の頬を思い切り叩いた。

「ど、どうしたのだ!? 急に自傷行為に走るなどと!」
「衝動的に自分の頬を殴りたくなっただけだから、気にすんな」
「そこまで、我と恋人になるのが嫌だったということか……」

布都はしゅん、と落ち込んだ。
先程までの笑顔を一瞬で消してしまった事で、屠自古の胸を罪悪感が締め付ける。
彼女は自分の胸のあたりを鷲掴みにしながら、頬を引きつらせながら弁明した。

「嫌、ってほどじゃねーよ」
「……本当か?」
「ただ、自分から進んで恋人になりたいと思うほどじゃないってだけだ」
「そうか……ならば、どうしたら屠自古に”恋人になりたい”と思わせることができるのだ?」

それをあたしに聞くのかよぉーっ! と屠自古は心の中で大声で叫ぶ。
果たしてこれに答える必要などあるのだろうが。
だが答えなければ、いつまでもこの部屋から出ることは出来ない。
そう、問題はそこなのだ。
これがただの屠自古の部屋で起きた出来事であれば、ひょっとすると甘酸っぱい恋の始まりだとか、ほろ苦い失恋の記憶になったりとか、そんな展開もあり得たかもしれない。
しかし、与えられた脱出条件のせいで、すでに布都の恋の強制成就以外の選択肢が残されていないのである。

「いいか布都、まずあたしたちの最初の目的を思い出せ」
「この部屋から出ること、であろう?」
「そうだ、そして脱出するためにはあたしたちが仲直りしないとなんねえ」
「仲直りなら、もう出来ておるのではないか?」
「……確かに」

布都がちょっかいを出してこないと言うのなら、以前のような喧嘩はもう起きないだろう。
つまり、”仲直り”はもう終わっている。

「それでも出ることが出来ないのは……」
「太子様はそれ以上をお望みってことだろ」
「以上?」
「だから、恋人になれってことだよ。あたしの感情なんて関係なしに、そうしないと出られない部屋なんじゃねーの?」

ぶっきらぼうに言い放つ屠自古。
経緯はどうであれ、好きな相手と恋人になれるのだ。
布都はさぞ喜んでいるだろうと思っていたのだが――

「それは、何か違うのではないか? やはりお互いの気持ちがあってこそだと思うのだが」

しかし意外にも、あまり納得していない様子。

「布都にしては繊細なこと言うんだな」
「失礼なことを言いよってからに、我とて嫌々恋人になられたって嬉しくともなんとも無いわ!」
「だったらどうすんだよ、あたしがお前に惚れるまで待つか?」
「それでも我は構わんぞ、屠自古の心が動くまでいくらでも待とう」

やたらいじらしい事を言う布都に、屠自古は盛大にため息をついた。
布都と出会ってから今に至るまで、彼女が布都に抱く感情はほとんど変わっていない。
だと言うのに、今から恋愛対象として見るまでに何ヶ月、いや何年間かけるつもりだというのか。
布都はよくても、屠自古にはここでそんな悠長に過ごすつもりは一切ない。

「どうしても、あたしが惚れてないと納得いかないか?」
「うむ、今の我はてこでも動かぬぞ」
「なら、あたしが動かしてやんよ」
「は……?」

屠自古は布都の両肩に手を当てると、ぐいっと強く押した。
布都は押されるがままに畳に倒れ、無防備な姿で天井を――いや、近い距離で自分を見下ろす屠自古を見ていた。
いつになく、彼女の姿が大きく感じる。
まるで支配されているかのような感覚に、布都の胸は今まで感じたことがないほど強く高鳴った。

「な、ななっ、なっ、なああぁぁぁあああっ!?」
「うっさい」
「あいたっ」

屠自古の指が、ぺちんと布都の額を叩いた。
痛そうに涙目で額をさする銀髪の少女を見下ろしながら、屠自古は自分の奥底から湧き上がる妙な感情に戸惑っていた。

「い、いいか、こうしないと部屋から出られないから、仕方なくやるんだからな」
「だからそれが嫌だと言っておるではないか!」
「嫌だろうがなんだろうがやるんだよ! じゃなけりゃこっから出られねえんだぞ!?」
「我はそれでも構わぬっ! その……屠自古とも、ずっと一緒に居られるということだからな」

やたら乙女っぽい布都を見ていると、屠自古の内側からゾクゾクとした感覚が溢れ出てくる。

「そもそも、屠自古は嫌ではないのか? 好きでも無い女と、このようなふしだらな真似など」
「そういうの、あたしは気にしねえから」
「我的には気にする屠自古であって欲しいのだが」
「だあー、もうっ! まどろっこしいやつだなお前は! なら言い方を変えてやんよ、布都ならいい! いや布都がいいんだ! 他のやつは嫌だ、これでいいか?」

屠自古はやけくそ気味に吐き捨てた。
さすがに、こんな口だけの適当な言葉では布都も納得しないだろう、と思いつつ。

「それなら……いいぞ」
「いいのかよ!」

その辺、布都は存外適当らしい。
押し倒されたことで、何だかんだ気分が浮ついているということも理由なのかもしれないが。

「屠自古がこの部屋から脱出したがる気持ちも、まあわからぬではない。少しでも屠自古にその気があるのなら、我も妥協することにしよう」

そう言って、布都は目を閉じて、微かに唇を突き出した。
恋仲になろうという2人が、相手を押し倒してやることなど、2つか3つぐらいしか無いわけで。
それが自分の気持ちに気づいてからほとんど時間の経っていない彼女たちなら、自ずと答えは絞られる。
布都の接吻を待つ顔というのは、十中八九屠自古しか見たことが無いもので。
もしもこれから、自分が彼女を所有することになるのなら、世界で唯一見ることができるのは屠自古だけということになる。
そんな考えがふと浮かび、ただでさえ火照っていた屠自古の体は巻をくべたように熱を帯びる。
幽霊なのに火照っているのはおかしな話だが、そんなものだ。
触れられる状態なら、人間と大差はない。
それは尸解仙である布都も同じことで――

「ん……」

触れ合う唇は、二度と離したくなくなるほどやわっこくて、甘かった。
数秒間触れ合ったのち、2人の唇は離れる。
2人はほぼ同時に、惚けたように「ほぅ」と吐息を吐き出した。

「……これで、恋人になれたのか?」

そんな簡単な話ではないことは理解しているが、体を密着させながら唇を重ねるという行為、そのほんの数秒間の蜜月を経るだけで、こうも屠自古のことを愛おしく思えるようになるものか、と布都は1人驚いていた。
なにはともあれ、これで神子に課された(と思われる)ミッションはクリア出来たのだ。
布都はふすまを開けようと、屠自古の体の下から抜け出そうと動き出した。
しかし――そんな布都の両手首を、唇を放したあと、無言を貫いていた屠自古の手のひらが掴む。

「どうした、屠自古。あまり強く掴んでくれるな、少し痛いぞ?」
「……」
「屠自古よ、顔が近づいておるのだが。そのまま行くとまた触れてしまう」
「……布都」
「確かに我としては、何度でも接吻を繰り返すことはやぶさかではないが、その……屠自古は嫌なのであろう?」

寂しそうに言う布都。
そんな彼女を前にしても、屠自古は止まらない。
少しずつ、少しずつ顔を近づけ続け――あと数センチで触れるという距離にまで近づいた時。
ようやく屠自古は、口を開いた。

「やっぱ、あたしもお前のこと好きみたいだわ」

驚愕に見開かれる布都の瞳。
彼女は遅れて声をあげようとしたが、それよりも前に屠自古の唇に口を塞がれてしまう。

「ふむっ!? ん、んんんんっ!? んー……ぷはぁっ! ま、待て屠自古、それはどういうっ」
「キスをしてあたしも気づいたんだよ、ずっと布都のこと好きだったんだってことに」
「急展開すぎて頭がついていかぬのだが!?」
「黙ってろって、あたしにも上手く説明できないんだ」
「いやしかし――んぐぅっ!」

難しいことなんて考えないで良い、と言わんばかりにキスを繰り返す屠自古。
彼女の頭の中は、沸騰したようにぼんやりとしていた。
ずっと、出会ったときから面倒なやつだと思ってきた。
意識は常にしていた。
だが、まさか――それが一目惚れだったことに気づくまで、お互いに1400年もかかるとは。
しかも神子に閉じ込められて初めて気づいたのだ。
自分の鈍さに思わず笑ってしまうほどだ。
けれど今は、笑うよりも目の前の布都が可愛すぎて、とにかく唇を重ねたいという衝動に逆らえなかった。
4度目のキスを終えたあたりから布都も抵抗することをやめ、屠自古に身を任せはじめる。
ただ1つだけ、5度目のキスを終えた時に、彼女は甘えるような声で頼み込んだ。

「屠自古や、腕を……離してはくれぬか?」
「ダメだ、離したら逃げるんだろ?」
「逃げぬ、もう逃げぬ、むしろ……屠自古と抱き合いたいのだ、だから――」

その言葉を聞いた瞬間に屠自古は彼女の両手を解放した、そして間髪を入れずに唇を落とす。
長めの口づけ。
布都の両腕は宣言どおり屠自古の背中に回され、2人の唇はさらに深く交わった。
時折水っぽい音が部屋に響くほど、深く、深く。

「はむ、んちゅ……ん、ちゅるっ……」
「じゅる……ん、ぶ、はぷ……んうぅ……っ」

気づけば舌を絡めた情熱的なキスを始めていた2人が、その事実に気づくことはなかった。
――未だ、結界は解けていないと言うことに。



◇◇◇



屠自古の部屋の外側には、3枚のお札が貼り付けてある。
三角形の位置に貼られたそれぞれのお札には異なる力が宿っており――部屋の前でそのうちの1枚を観察していた青娥は、濃い桃色に変わったそれを見て「あら?」と嬉しそうに声をあげた。
そんな彼女の様子を、向かいの廊下から眺める女性が1人。
神子であった。
彼女は若干足音を殺しながら、1人盛り上がる青娥の背後に近づくと、耳元にまで顔を近づけて言った。

「随分と楽しそうだねえ、青娥」
「あらあら、もう見つかってしまいましたか、豊聡耳様」

どうやら青娥も神子が近づいてきていたことには気づいていたようで、余裕たっぷりでそう返した。
2人は向かい合うと、お互いに仮面じみた笑顔を貼り付けて、不気味に笑う。

「ふふふふ……」
「うふ、うふふふ……っ」

神子はその笑顔に怒りを込めて。
そして青娥は、その笑顔に――何を込めているのか、誰にもわからない。

「さて青娥、私が言いたいことはわかるかな?」
「勝手に神霊廟に立ち入ったことかしら」
「それはいつものことなのでもう何も言わない。問題はそれだよ、それ。屠自古の部屋に貼られたそのお札、一体何を意味しているのかしら、ってね」
「不老長寿と家内安全、そして恋愛成就を意味しているのです」
「ふざけてないでちゃんと答えてくれないかなぁ?」

神子が凄んでも、青娥は一切動じない。
相変わらず何を考えているのかわからない笑顔を浮かべたまま、答えた。

「嘘は言っていないのですが」
「どういうことかな?」
「つまり1枚目のお札は、張ることで内部の時間経過を極端に遅らせると言う便利な物でしてよ」
「それで不老長寿と。それでは次の家内安全は……どうやら結界のようだけど」
「ご明察、さすが豊聡耳様ですわ。それでは最後の1枚はわかりまして?」

神子は、目まぐるしく色を変える札を睨みつける。
今は主に桃色に染まっているが、どうやら何かを感知して色を変えているようだ。

「気の流れ、かな」
「当たらずといえども遠からず、と言った所ですわね。これは部屋の中の――ざっくり言いますと、”雰囲気”を表しているのです」
「雰囲気とは……」
「豊聡耳様は、桃色を見て何を想像しますか?」
「……それは素直に答えていいので?」
「どうぞ、豊聡耳様らしく」
「色欲を連想するかな、私は」

それを聞いた青娥は、嬉しそうに「うんうん」と頷いた。
そのリアクションを見て、無性に不安にかられる神子。

「ずばり正解です、部屋の中の雰囲気が文字通り”色欲に満ちている”ということですわ、これは」
「はあ、屠自古の部屋の中がそんなことに」
「ちなみに部屋の中には物部様も一緒にいます」
「布都と屠自古が、桃色に……」

思い当たる節があったらしく、神子の顔からさーっと血の気が引いていく。

「ま、まさか青娥――2人の微妙な関係をわかった上で閉じ込めたんじゃ!?」
「あらあら、微妙な関係だったのですね、それは存じ上げませ――」

神子は、しらばっくれる青娥の胸ぐらを容赦なくつかみ、激しく前後させた。
がくんがくんと首を振りながら、それでも彼女は余裕の態度を崩さない。

「あーらー、激しい、激しいですわ豊聡耳さまー」
「あなたって人はあぁぁぁっ!」
「良いではないですかぁ、微妙な関係にはっきりと答えが出たのですからー」
「その後どうなるか想像したことありますか!? 神霊廟の主な住人は私と布都、そして屠自古の3人っ! つまり、私は恋仲になったあの2人と同居しなければならないのですよ!?」
「あら、それはとてもとても気まずくて……愉快ですわねえ、うふふふふっ」
「わかった上でやってたんだな、この邪仙めぇッ!」

怒鳴りつけようが実力行使に出ようが、青娥は揺るがない。
伊達に神子の師匠は名乗っていない、何の準備も無しに敵う相手ではないのだ。
青娥の胸元から手を放した神子は、体力的にも精神的にも疲弊した影響か、尸解仙のくせに「ぜぇはぁ」と息を切らしていた。
その状態でよろよろとふすまに近づき、3枚のお札を剥がし投げ捨てる。

「あーあ、もったいない」

青娥の言葉を無視して、神子は勢い良くふすまを開く。
バタンッ! と乱暴な音を立てながら姿を見せた布都と屠自古は――なぜか服と呼吸が乱れた状態で、互いに顔を真っ赤にしながら座り込んでいた。
布都の首元についている虫刺されのような跡を見て、全てを察す神子。

「屠自古の方が、タチだったのですね」

全てを諦めた彼女は、とても良い笑顔でそう言った。



◇◇◇



騒動から数日が経った。
2人から漏れ出す欲望を聞いて、もはや止めるのは不可能と悟った神子は、布都と屠自古の交際を認めるしかなかった。
それ以降、神子が神霊廟を空けることが多くなったと言う噂が流れたが、真偽は定かではない。

さて、当の布都と屠自古は、恋人になってからというのもの、お互いの部屋に入り浸るようになった。
特に2人が初めて結ばれた場所だからか、屠自古の部屋に居ることが多いようだ。
2人も2人なりに神子に気を使って、部屋以外の場所ではいちゃつかないよう気をつけているらしいのだが――神子に言わせると、アイコンタクトやさりげないボディタッチのような、無意識のスキンシップの方が辛いとのこと。
しかし、そんな彼女の本音など知らない2人は、今日も思う存分にいちゃつくのだった。

「まだだぞ、まだ恋人もーどではないからな?」
「わかってるっての」

肩を触れ合わせながら廊下を歩き、屠自古の部屋に向かう2人。
もうこの時点で近づきにくい雰囲気が2人を包んでいるのだが、それに彼女たちが気づくことはない。
そして部屋の前にまでたどり着くと、ふすまを開いてから一息つく。

「じゃああたしが先に入るかんな」

宣言通り、屠自古が先に部屋に入ると、彼女は布都の方を振り返り、両手を広げた。
部屋に入るまでは、以前と同じ同僚としての関係。
けれど部屋に入った瞬間、2人は恋人になる。
そう決めることにより、彼女たちはオンとオフを使い分けている(つもり)らしい。

「さあ、早く来な布都」
「うむ、今行くからな屠自古!」

布都は可愛らしく「えいっ」と声を出しながら、屠自古の胸に向かって飛び込んだ。
ぼふっ、と2人の柔らかな胸同士がぶつかり合い、その勢いのままに布都を抱きしめた屠自古は一回転、二回転と踊るようにくるりと回る。
体が止まると至近距離で見つめ合い、自然と唇が近づいていた。
そこから、触れるだけのキスを3回ほど。
屠自古の左手は布都の背中に、そして右手はその臀部に回され、撫で回すように動いている。
布都は甘くもどかしい感触に小さく声を漏らし、体をよじらせた。

「ま、待て屠自古、まだ盛るでない」
「もういいだろ、部屋の中なんだから」
「ならばまず戸を閉めてはくれぬか? 他の者に見られてしまうかもしれん」

そうは言っても、神霊廟を自由に歩くことのできる者など数えるほどしか居ないのだが。
それよりも今は、とにかく布都を貪りたい――屠自古の頭の中はそれでいっぱいだった。
布都とて同じ気持ちだった。
しかし、2人きりの時間を思い切り満喫したいからこそ、ここは誰にも見られない、密閉された空間で有って欲しい。
だから、布都は猫なで声で、屠自古の耳元に囁いた。

「これから見せるのは、おぬし以外には見られたくない顔なのだ。だから……頼む」

それからすぐにふすまは閉まり、2人の姿は見えなくなる。
神子も出払っていて、そもそもここには彼女たち以外は誰もいない。
誰にも邪魔されない。
物部氏と蘇我氏という家も、場所も、そして2人を隔てていたあまりに長い時間も、邪魔することは出来ない。
静かな神霊廟に、尸解仙と怨霊の熱のこもった声が、微かに鳴り響いていた。




なろうで毎日更新したりしていましたが私は元気です
最初は布都攻めの予定だったのに逆転していました、屠自古つよい
kiki
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相変わらず甘々で!
ふとじこはこうじゃなきゃっ!って感じで最高です
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蜂蜜より甘い
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ふぉぉぉぉ!