Coolier - 新生・東方創想話

宇佐美蓮子のサイコロジカル

2017/08/30 02:46:53
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 サイコロは、心によく似ている。
 たくさんの面が存在しているけれど、表に出るのは一つ。
 その一つは、サイコロなら誰かに振られて転がったときに、心は人それぞれだけれど、立場が変わったり、その人の琴線に触れる何かがあったときに、コロリと変わる。

 普段はなかなか表に出ることのない一面を、本性なんていう人もいる。
 でも私は、あくまでそれは頻度の問題で、たまにしか出ない一面も、いつも出ている一面も、等しく本性と呼ばれるべきだと思う。
 「心理的な」という意味の英単語が「サイコロジカル」というのは、もしかして大昔にも私と同じことを考えた人がいるからかもしれない。
 なんて、このように答えの出ない疑問を自分の都合の良い風に解釈することが、私のしがない趣味の一つである。成功すると、ちょっと素敵な気分になれる、我ながら高尚な趣味だと思う。

「おはよう蓮子、朝から不思議な顔ね?」

 よく知る声が、右側から聞こえる。同時に、空想に染まっていた私の世界は現実へと塗り替えられた。
 声のした右側を見れば、夏のこびり付くような風を受けてさらさら靡く金髪と、こちらをのぞき込む大きな瞳が目に入る。
 彼女の名前はマエリベリー・ハーン。通称メリー。数少ない、もしかしたら唯一の私の親友である。

「おはようメリー、朝から元気ね?」
「朝くらいは元気にしておかないと、この暑さに負けてしまいそうになるじゃない」

 小走りで私の前に立ち、少し短めのスカートと腰まで届くロングヘアーの金髪を揺らしつつ、彼女は元気にそういった。
 私にはたとえ空元気であっても、彼女のようにふるまう気力は毛ほどもわかない。
 メリーという人間はぱっと見おしとやかな印象が強いが、ふたを開けてみればとてもお転婆で元気な奴なのだ。
 そんな彼女の姿を見ていると、太陽に根こそぎ奪われた体力がほんの少しだけ戻ってきた気がした。

「たとえ空元気でもいいから、私に分けてくれない?」
「そんなジョークが出てくるなら十分元気でなくて?」

 私とメリーが通学中に会うことは少ない。互いにとっている講義が違うし、そもそも専攻から異なる。
 だからこの時間にメリーとあえたという事実は、乾ききった私の心に一滴の潤いをもたらした。
 しかし、この暑さの下では、雀の涙の一滴でしかない。私は愚痴るように言い放った。

「それにしても熱くない?まだ9時前だよ?」
「本当にね、朝からこれなら昼はどうなるんだろ」
「ことと次第によっては、今年の夏は秘封倶楽部活動停止もやむなしかもね」

 ――軽い冗談のつもりだった。あまりの暑さについ愚痴がこぼれただけだった。
 当然メリーもそのことをわかっていて、冗談とは言えこんなことを言った私を窘めてくれると思っていた。
 しかし、メリーの回答は私の予想だにしないものだった。

「……そうね、たまにはそれもいいかもね」

 コロリ、という音が聞こえた気がした。季節外れの冷たい風が一瞬吹いた気がした。
 その言葉は氷点下の温度でもって、私の耳に届いた。
 今の言葉はいったい誰が発したんだろう。ほんの一瞬それがわからなくなるくらい混乱した。
 メリーだ。間違いなくメリーが言ったのだ。
 私はほとんど反射的に彼女のほうを向き、言葉の真意を問いただそうとした。
 しかし機先を制されてしまう。
 
「なんてね、冗談。早くいきましょう?」

 そういう彼女の顔にはいつも通りの笑顔が浮かんでいた。
 私は腕時計を持ち歩かないから正確な時間はわからないが、講義の時間まではもう少し余裕があるはずだ。急ぐ必要なんてない。

「そうね、メリーは待っててくれるけど、講義は待ってはくれないからね」
「私だってそのうち愛想尽かしてしまうかもね」

 だというのに、私はそのことを指摘することができなかった。
 なんとなく分かっていたのだ。彼女は今、先ほどの発言をごまかしたがっている。
 彼女が一瞬だけのぞかせた一面は、本来なら私に見せるはずのものではなくて。

 何かの拍子にほんの一瞬だけ表層に出てしまったそれに、もう一度触れようとすれば、きっと彼女を傷つける。
 私だって彼女の真意を知りたい。でも、傷つけてしまうとわかっていて、踏み込むことはできなかった。
 そのことが、なんとなく後ろ髪を引いたまま、私はメリーといつも通りの軽口を交わしながら、大学の正門をくぐったのだった。



「ねえ、今度の休み、水族館に行かない?」

 講義の間の昼休み、食堂で昼食を取り終えてそのまま二人で談笑していると、メリーが突然こんなことを言った。

「いきなりねぇ」

 食堂のテーブルに右肘をつき、自分の頬を支えながらそう返す私。自分でも少し、気怠そうな声が出てしまったなと反省する。
 彼女がこのように突飛押しもないことを言うのは割と日常茶飯事だ。唐突に疑問に思ったことを口に出す、ふとした思い付きでああしようこうしようと言い出すなど。

 今回もそういった類のものだと思った。だからこそ私はそれを聞いてまたかと力が抜けてしまったのだ。
 しかしよく考えてみれば、今回は今までと少し毛色が違っていた。
 彼女がこういう誘いをするときは、いつも誘いというよりは強制連行という感じで、こちらにはあまり選択権がない場合が多い。
 買い物に行こうとか、あそこのカフェでお茶しようとか言い出した時には、彼女の中ではすでにそれが達成されることが約束されているのだ。
 だが、今回はそういった様子ではない。
 
「……なんでいきなり水族館?」
「いいじゃない、たまには」

 あまり要領を得ない答えだ。ここでメリーを不審に思ってしまう私は、心が穢れているのだろうか。
 
「まあ、そうね、行きましょうか」
 
 しかし断る理由も特にない。メリーの言うとおり、たまには水族館もいいだろう。
 特に深く考えず、軽い気持ちで私は誘いに乗った。

「それじゃあ決まりね、待ち合わせ場所は現地で、遅刻しないように」
「メリーは水族館って好きなの?」

 メリーが水族館好きだなんて話は今まで一度も聞いていない。
 好きだというならそれは妙だし、好きじゃないというならそもそも誘うのが妙である。
 私は彼女の真意を測りかねていた。
 彼女にとって水族館とは何なのだろうか。

「そうねぇ……好きとは少し、違うかもしれない」

 そういうメリーの顔には、薄暗い影が差しているように見えた。
 私はその顔を見て、何故か今朝の会話を思い出した。
 それってどういう意味なのという私の疑問は、午後の講義の開始を告げるチャイムにかき消された。
 

 結局私はメリーのあの言葉の真意を問いただすことなく、約束の日を迎えた。
 メリーとの待ち合わせ時間は午後1時、現在時刻はその10分前。
 待ち合わせ場所についた私は、メリーを探すが、いない。というか、休日の昼間だというのに、あまり人がいない。
 あまり人気のない水族館なのだろうか。
 まあ、今の時代、海なんてバーチャルでいくらでも見ることができる。
 バーチャルとリアルを区別しない考え方が主流の昨今、水族館なんて需要がないのかもしれない。
 かくゆう私も、こんなところに水族館があるだなんて知らなかった。

 ともあれ、現在時刻は12時50分。燦々と光を放つ夏の太陽が最も高いところにある時間である。肌を焦がす熱線。服にしみる汗。
 私愛用の白いリボンが巻かれた黒帽子が、防暑の役割をまるで果たせていないほどの熱気。
 こんな猛暑の中でメリーを待つことはできない。それこそ陸に上がった魚みたいに干上がってしまう。
 私は冷房の効いた空間を求め、目的地の水族館に入ることにした。メリーにはその旨を携帯で伝えればいいだろう。
 そう思って水族館に入ると、見覚えのある背格好と、腰まで届く金髪が目に入る。
 
「メリー、来てるなら連絡してよ」
「ごめんごめん、私もさっき来たところだし、蓮子のことだから遅れてくるものだと」

 心外である。私だっていつも遅刻したくてしているわけでは無い。
 ともあれメリーがここにいるということは、私と同じことを考えたということだろう。
 
「もし私が外で待ってたらどうするつもりだったの」
「たまにはいつも待たされている人の気持ちになるのもいいんじゃない?」

 言ってから、少し意地悪な問いかけだと思ったが、メリーも負けじと返してきたので少し安心した。
 このメリーは、いつものメリーだ。

「兎にも角にも二人そろったことだし、行きましょう?」
 
 そう言って私の前を行くメリー。そしてそれについていく私。
 いつもと逆だな、なんてことを思った。
 入場してみても周りに客はほとんどいなくて、そのせいか魚たちはとても自由に泳ぎまわっているように見えた。

「ここに来た時も思ったけど、真昼の水族館とは思えない人気のなさよね、ここ」
「だからいいんじゃないの、人がたくさんいたら、魚たちも息が詰まってしまうじゃない」
「人気がないの知ってたの?」
「知らなかった。ここに来るのは初めてだしね」

 私はメリーのその言葉に問いかけたくなる衝動に駆られた。
 約束した日の問答を思い出す。メリーは水族館は好きではないといった。現にここに来るのが初めてだとも。
 もしかしてメリーにとって、水族館とはあまり行きたくない場所なのではないのか。
 だとしたら何故、私を誘ったのか。

 その疑問が、喉元まで出かかっていた。
 しかし、私はそれを口に出すことができなかった。
 水槽からの淡い光に照らされたメリーの後姿が、なんだかとても弱々しく見えた気がしたからだ。
 今その疑問を口に出したら、何かを壊してしまう。
 そんな儚さを、メリーの背中に感じる。

 不安のような恐怖のような感情を覚えながら、一緒に水族館を回っていく。
 一通り回り終えると、彼女は一番大きな水槽の前で立ち止まってこう言った。
 
「ねえ、水族館が好きなのって、聞いたよね?」

 メリーの後姿が、水槽の水色と混ざってを妖しく光る。
 その声色は、聞いている限りいつも通りなのに、そうじゃないと確信できた。
 今私の目の前にいるのは、私の知らないメリーなのだ。
 私は今、サイコロが転がる瞬間を見ている。
 
「私の記憶が正しければ、好きじゃないって言ってたよね」

 戸惑いを隠しつつ答える。
 思えば約束をした日の朝、一瞬だけ感じたあの雰囲気と同じだ。
 今すぐ歩み寄って手を取らなければ壊れてしまいそうなのに、馴れ馴れしくは近づけない。
 深海に沈む真珠を見ているような不思議な息苦しさが、メリーを囲んでいた。

「ええ、より正確には、好きとは違う、ね。きっと好きか嫌いかと聞かれたら、好きだと思う」

 私のほうを振り返りながらそう言う彼女。
 首の動きに少しだけ遅れて追従する金髪と、遠心力でほんの少し広がる紫色のワンピース。
 メリーの動作一つ一つが、やけにゆっくり、そして鮮明に流れていく。
 
「蓮子には、子供のころの夢ってある?私はね、『魚みたいに水の中をいつまでも泳げるようになりたい』だったの。……最初は『鳥みたいに空を飛びたい』だったんだけど、成長していって、ある日ふと「ああ、これは無理だな、叶わないな」って思っちゃってね、それからは、鳥は無理でも魚だったらって」
「……私にはどっちも同じくらい難しく見えるんだけど」

 辛うじてそう返すのが精いっぱいだった。メリーの言葉が、あまりうまく頭に入ってこない。
 彼女は何が言いたいのだろう。子供のころの夢を私に語るために、水族館に誘ったのだろうか。
 まさかと思うが、メリーにだって私の知らない一面があるのだ。あり得ない話ではないかもしれない。
 
「そうね、今なら私だってそう思う。でも昔はそれがわからなかったの。時がたってようやく気付いたの、自分がどれだけ途方もない空想をしていたかってね。それに気づくまでは、間違いなく水族館は好きだった。でも今は、ああ自分は昔こんなバカな幻想を抱いていたんだなって、思い出せる場所。だから、私もよくわからないけど、好きとは違うのよ、きっとね」

 三歩も歩けば触れられる距離なのに、ひどく遠い。
 彼女の口から紡がれたのは、私たちが出会う前の記憶。私の手が決して届かない場所にあるそれを、なぜ今彼女は語るのか。
 度重なる疑問で私の頭はパンクしそうだった。しかし、私の感覚がここで黙ってはいけないと警報を鳴らす。
 何か言わなくてはいけない。でないと、私の言葉はもう二度と彼女に届かなくなってしまうような気がする。

「メリー……」
「さあって、見るもの見たし、そろそろ帰りましょうか」
「……そう……ね」
 
 辛うじて出たのは名前だけだった。次の言葉を必死に考えているうちに、メリーはいつものメリーに戻ってしまった。
 私はあまり感覚を信じていないが、致命的な何かを逃したと、この時は確信した。
 しかし、だからと言って私に何が言えるのだろう。
 言うべきだった言葉は、きっと慰めでも称賛でもない。もっと踏み込んだ何かだ。
 時間の向こう側にいた彼女に、いったいどんな言葉ならば届くのか。私にはわからなかった。

 仮に分かったとしても、すでに後の祭りだ。
 あの息苦しさの中でしか、きっと彼女には届かなかった。
 そうして微妙な気まずさを残したまま、私たちの約束は終わった。帰る途中何度か会話をしたけれど、やはりそこには小さな溝があった。
 まだ日も高いけれど、ここからさらに二人でどこかに行くような雰囲気には到底ならず、私たちはそれぞれ帰路についた。
 またね、というメリーの声は、少し震えていた気がした。
 

 
 秘封倶楽部とは、いわゆるオカルトサークルである。
 所属している部員は私とメリーの二人だけ。活動内容は世界の不思議を暴くこと。
 科学が世界を支配したこの時代にも、怪奇や不思議は存在する。
 それらを見つけ出すこと。それが秘封倶楽部の目的である。

 もう少し具体的な話をすると、まず私が怪奇現象や不思議な噂のあるスポットをネットなどから見つける。
 そして主に私の勘と偏見によってその中から怪しい場所を選別しメリーと一緒にそこを調査、もとい探検する。
 何度か本物の怪奇現象に遭遇したこともあり、二人で乗り越えた危機は一度や二度ではない。
 メリーが案外お転婆で元気だと知ったのも、秘封倶楽部の活動があったからだ。

 秘封倶楽部とは私たちを繋ぐ絆であり、私とメリーの交差点なのだ。
 その秘封倶楽部が今、危機に瀕している。
 原因はもちろん先日の水族館である。

 休みが明けても、メリーとの関係は少し気まずいままだった。
 メリーのほうはすでに元通りというか、水族館でのことなんてなかったかのようにふるまっている。
 しかし私は、いまだにあの時メリーに言うべきだった言葉を探していた。私だけが、まだあの水族館に取り残されていた。
 あの時のメリーの真意は何だったのか。何のために私にあんな一面を見せたのか。
 休みが明けたら聞こうと思っていた。しかし当のメリーが先の通り何事もなかったかのように接してくるので、聞けなかったのだ。
 いつも通りに戻りたいメリーと、あの時の答えを探している私。そこには確実に溝があった。

 秘封倶楽部の部員は私たち二人だけ。私とメリーの関係の不和は、そのまま部の崩壊につながる。
 このまま夏休みに入ってしまえば、秘封倶楽部活動停止も冗談ではないかもしれない。
 このままではいけない。でもどうすればいいのかわからない。
 そんな思いのままずるずると二日、三日と過ぎていき、いよいよ夏休み前最後の講義が終了となった。
 そしてその帰り道で、メリーの後姿を見つけた。

「メリー、そっちも今終わったの?」

 私とメリーは専攻が異なるため、受ける講義も違う。なので時間が帰る時間が一緒になることは珍しい。
 ほんの少しだけ運命を感じた。

「ええ、これでしばらくこの大学ともおさらばね」
「何か課題とか出た?」
「出るには出たけど、どれも軽いやつばっかり。蓮子は?」
「こっちもそんな感じ。ささっと終わらせて自由に過ごしたいところね」
「そういえば、夏休み秘封倶楽部はどうするの?何も予定を聞いていないのだけど」

 秘封倶楽部の活動予定を立てるのは、基本的に部長である私の役目だ。
 しかし私は水族館のことで頭がいっぱいで、夏休みの計画などこれっぽっちも考えていなかった。
 これでは仮にメリーとの仲が元通りになっても、活動することができない。
 すっかりそのことを失念していた。
 
「……えっと、実はですね、何も決まっていないというか、忘れていたというか」
「えーなにそれ、もしかしてホントに暑さにやられちゃったの?」

 そのメリーの言葉で、ふと思い出す。
 水族館に行く約束をした日の朝、私が冗談で暑いから秘封倶楽部を活動停止するかもといったとき、メリーはそれもいいかもしれないといった。
 あれはいったいどういう意図があったのだろうか。
 もしも秘封倶楽部の活動を快く思っていないなら、自分から予定を聞きに来たりはしない。
 それに、活動の中で彼女が楽しそうにしている姿を私は何度も見てきた。
 ではなぜ彼女はあんなことを言ったのだろうか。

「まあまあ、今までだって結構行き当たりばったりだったし、何とかなるって」
「しっかりしてよね、夏休み何もなしなんて、私嫌よ」
「任せておきなさいって」
 
 何とかごまかしつつ会話をしているうち、メリーと別れるポイントに来た。私の済むマンションは大学から徒歩圏内にあるけど、メリーのマンションは二駅向こうだ。
 なので、駅の手前で私たちは別れなければならない。

「それじゃあ、またね、蓮子」
「うん、またね、メリー」

 妙な肌寒さを感じた。夏だというのに体の奥が凍り付いたような感覚に襲われる。
 本当にここで別れてしまっていいのだろうか?ここで別れてしまったら、もう二度と会えないのではだろうか?
 こちらを向いて手を振っていたメリーが、駅のほうに向きなおって歩き始める。

 夕焼けが滲んでで妖しく光る、あの時と同じ紫色の背中。
 その背中に問いかけたいことが、私にはあったのではないだろうか。
 考えてもわからなかった。けれど聞くのは怖かった。
 聞けば傷つけてしまうとわかっていたから。
 でも、彼女の後ろ姿を見て、遠ざかっていく姿を見て、それでも聞きたいと思った。

 傷つけても、知りたいと思った。あの時メリーが見せたサイコロの一面を。その真意を。
 そして可能なら、あの時言えなかった言葉を言いたい。
 メリーの姿はもう見えない。追いかけるためには券売機で入場券を買わなければいけない。

 最初は迷った。でもすでに、私の中で答えは出ていたのだ。
 ここで行かなければ、きっとメリーとの溝は埋まらない。
 時間が解決してくれるかもしれないけれど、なんだかそれはとても嫌だった。
 私は入場券を購入し、改札口を通りホームへ向かう。メリーの家の方面は知っているので、乗り場で迷うことはない。

 メリーが駅に入って行ってまだ2分ほど。
 よっぽどタイミングが良くなければ電車には乗れていないはずだ。
 私は階段を駆け上がり、駅のホームへたどり着く。
 それとほぼ同時に、電車の閉まる音が聞こえた。

 どうやらメリーは、よっぽどタイミングが良かったらしい。
 そして私は、よっぽどタイミングが悪かったらしい。
 少し息を切らしつつ見渡すと、電車の中にメリーを見つけた。電車が走り去る間際、私に気付いたらしい彼女が驚いたように窓に顔を張り付けた。
 それがどんどん遠くなって、次第に見えなくなった。
 私はそれを、ただ立ち尽くして眺めていることしかできなかった。



 重い足取りで何とか家にたどり着いた私は、夕飯やらお風呂やらを済ませベッドに倒れこんでいた。
 夕飯の味も覚えていないし、お風呂でちゃんと体を洗ったかも記憶にない。
 でもそんなことはどうでもよかった。今はただ、さっさと寝てしまいたい気分だった。

 現在時刻は8時。夏と言えど外は暗い。オカルト好きな私としては、普段ならむしろここからが活動時間だ。
 しかし、今日はもう疲れた。たまには健康的に睡眠をとるのもいいだろう。
 カーテンを閉め、部屋の電気を消す。夜に染まった部屋だけが、私の疲れを癒してくれた。
 目を閉じて、まどろみの中に落ちていく。なんだかいつもより気持ちいい。

 今日の気分は最悪と言ってよかったが、このままいけば、よい夢が見れそうだ。
 私の意識が落ちかけたころ、私の携帯から着信音がした。
 その音に、せっかく気持ちよく沈んでいた意識が現実に引き戻される。
 正直このまま寝てしまいたかったが、着信の相手には心当たりがあった。ゆえに見ないわけにはいかない。

 寝そべった体制のまま携帯電話を手繰り寄せ、相手を確認する。
 案の定、そこにはメリーと表示されていた。恐らくは駅での一件だろう。
 私が慌てて戻ってきたものだから、何か緊急事態かと勘ぐって電話してくれたのだ。
 通話ボタンを押そうとするけれど、うまく右手が動かない。
 通話ボタンを押して、いったい彼女に何を言えばいいのだろう?

 何も思いつかなかった。というより、今の頭じゃ何も考えられなかった。
 しかし、ここで出なければ彼女はより深刻な緊急事態だと思うだろう。もしかしたら救急車とか警察とか呼ばれるかもしれない。
 私はコールにして5回分ほど迷ったが、通話ボタンを押した。
 
「もしもし?」
『もしもし蓮子?どうしたの?あんなに慌てて』

 予想通りのその問いかけに、私はしばし沈黙する。
 何でもないと口が勝手に答えそうになる。

「ねえ、メリー。今からひょっとしたらものすごくどうでもいいことを聞くんだけど、いい?」
 
 あまり頭が働かないことが逆に良かったのかもしれない。
 最初こそ躊躇したが、言い出してみれば砂が落ちる様にさらさらと言葉が出てきた。

『聞いてみないといいも悪いもなくない?』
「まあ、そうだけどさ」
『で、なぁに?』
「水族館に行く約束をした日の朝、秘封倶楽部が活動停止するものありかもっていったじゃない。どういう意味?」
『……覚えてたんだ、そんなこと』
「そっちこそ忘れてなかったんだ」
『もしかして、追いかけてきた理由ってそれ?』
「……まあ、うん」
『なぁんだ、心配して損した』
「心配した割には、折り返しがずいぶん遅いじゃない」
『……』
「もしかして、私がなんで追いかけてきたのか、わかってた?」
『……もしかして水族館でのことかもって思ったけど、外れたみたい』

 サイコロの転がる音が聞こえる。
 あの日以来、初めてメリーが水族館でのことに言及した。
 電話越しだけれど、確かに雰囲気が変わったのを感じた。
 あの時感じた息苦しさが、電波越しに私の部屋を満たした。
 きっとこの息苦しさは、相手の知らないところに踏み込む時に感じるものなのだ。
 息苦しいけれど、もっと深くに潜りたい。この海の底で、もっとメリーと話をしたい。
 
「合ってるよ。後で聞こうと思ってた」
『なぁんだ、やっぱり』
「それで、聞いてもいいかな?」
『……別に、秘封倶楽部の活動が嫌になった訳じゃないよ』
「知ってる。だから聞いたんじゃん」

 電話口からかすかにため息が聞こえる。それから少し黙った後、笑わないでよねと前置きしてメリーは話し出した。

『倶楽部活動もいいけど、普通に遊びたいなって思ったの。私達って大学以外じゃ秘封倶楽部の活動でしか会わないでしょう?だからもし、それが何かの拍子に突然終わっちゃったら、私達離れ離れになるのかなって、ふと考えたの。それで秘封倶楽部が活動停止になれば、倶楽部活動関係なく蓮子と遊べるかもって。だったらたまにはそれもいいかなって思ったの。水族館に誘ったのも同じ理由よ』

 いつもより少しゆっくり話す彼女。
 明確に伝える意思を持って紡がれた言葉の速度。
 二度と会えないと思ったら寂しくなった。奇しくもそれは、私が駅のホームに駆け込んだ理由と同じだった。
 
「別に水族館じゃなくたって良かったって事?」

 言いながら、たぶん否だなと思う。
 メリーはきっと、自分の子供のころの夢を私に聞かせたくてわざわざ水族館を選んだのだ。
 どうしてかはわからないけど、そんな気がした。
 
『……』

 返ってきたのは沈黙。5秒たっても10秒たっても、電話の向こうからは何も聞こえない。

「……もしもし?」
『ねえ、例えばこの世の不思議が全部暴かれて、秘封倶楽部がなくなっても、蓮子は私と一緒にいてくれる?』
「どうしたの急に」

 ようやくかえって来たと思ったら、明後日のほうに質問を投げ返された。
 答えられないということなのか、それともその問いかけの先に答えがあるということなのか。
 質問の意味は分からない。それでも答えはわかりきっている。
 普段なら、こんなこと絶対言わない。
 でも、メリーと一緒に海の底にいる今だけは、本音で話したいと思った。
 そうでなければ、きっとここにはいられないから。
 
「もしそうなったら、私たちはきっと私たちじゃなくなる。だから今まで通りってのは無理だと思う」
『そう』
「それでも私は、メリーと一緒にいたいな」
『……うん、私も。だから私のことをもっと知ってほしかった。私にもあんなどうでもいい過去があったんだよって、貴方に聞いてもらいたかった。それが水族館を選んだ理由』

 人には誰しも、自分しか知らない時間というものがある。そしてその時間は、自分の中に、自分しか知らない一面を作る。
 メリーの子供のころの夢がそうであるように、私の高尚な趣味がそうであるように。
 本来なら本人しか知りえないその一面を見せるために、私を水族館に誘ったのだというメリー。

 ああ、なんと簡単な事だったのだろう。私を水族館に誘ったのも、いきなり子供のころの夢を語りだしたのも、すべては彼女のほんの少しだけ壮大な『自己紹介』だったのだ。
 私の中で、最後の疑問が紐解かれる。あの時いったい何を言えばよかったのかがようやくわかった。

「私はさ、子供のころの夢なんて無かったんだ。自慢だけど、私子供のころから頭がよかったから、鳥になんてなれないし、魚だって同じだって知ってたのよ 」
『どうせ私はおバカですとも』
「それで周りを見ても、面白そうなことなんてほとんどなくて、やりたいことなんて見つかんなかった。子供心に「ああ世の中ってつまんないな」って思ってたの、今でも覚えてる。そしてそのまま年を取って、自分で言うのもなんだけど、順調に捻くれていった。だけどメリーと出会って、秘封倶楽部が始まって、世の中には、私の知らなかったことがたくさんあるんだって知ったら、そんな過去が、全部どっかに行っちゃった。だから私に夢をくれたの、実は貴方よメリー」
『……電話越しなのが残念』
「メリーがタイミングよすぎるのがいけない」

 気づけば、私の部屋を満たしていた息苦しさはなくなっていた。
 とても不思議な気分だった。
 人にはサイコロのようにいくつもの面があって、百も千もあるだろうそれらのうち、片手で数えられるくらいの面しか相手のことを知ることはできない。
 比率に直すと、1%にも満たないかもしれない。

 それでも、こうして言葉を交わしている間だけは、確かに通じ合える。
 たった1%でも、二駅分離れていても、分かり合える瞬間がある。
 心とは、とても不思議な力を持ったサイコロなのだと私は知った。

『なんだか、切るに切れなくなっちゃったじゃない。電話』
「私のせいなの?」
『そうよ、責任とりなさい』
「責任って言われても ……そうねぇ 」

 なんだか理不尽だが、電話を切りたくないのは私も同じだった。今切ってしまうと、この時間が終わってしまう。
 今しか聞けないことが、今しか話せないことが、きっとたくさんあるのに、ここで終わらせたくはない。
 そう思うと、自然に口が動いた。

「ねえ、人の心って、サイコロみたいだと思わない?」

 普段ならそれは、ただの変人の戯言だ。
 でも、あまりにくだらないそれは、確かに私の一面だ。主張を理解してほしいわけじゃない。
 ただ、私にはこんなくだらないことを考える一面があるんだって、伝わればいい。
 
『……なにそれ』

 案の定かえってくる素っ頓狂な声。
 同じことを考えていなければ、まるで意味の分からない問いだろう。
 それでも、わからなくたって伝わらなくたって、聞いてほしい。覚えていてほしい。
 
「まあまあ、そう言わずに聞いてよ」
 
 私の『自己紹介』が終わったら、次はメリーの番だろう。彼女はどんな一面を見せてくれるだろうか。その次は、そのまた次は。
 願わくば、今日が長い夜になりますようにと、私は生まれて初めて神様に祈るのだった。
秘封倶楽部の漢字を間違えてタグ登録していました。ご指摘ありがとうございます。
十六茶
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出目の決まっているサイコロは果たしてサイコロの役目を成しているのだろうか?
3.80奇声を発する程度の能力削除
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6.100名前が無い程度の能力削除
秘封倶楽部のタグの"俱"は"倶"にした方が良いと思いますよ。