”新しいことを知る機会”というのは”人生において稀有な経験”と思われがちだが、実際は意外と多いものであることを”なかなか知る機会はない”と思う。
私は大学生になって一人暮らしを始めてから自分が自炊がーーというか、自分で自分のための食事を用意して食べるという行為がーー嫌いで仕方ないことを知って、バーでのバイトをし始めてから自分がグラス磨きが嫌いではないということを知った。
バーで使われているようなグラス、とくにショットグラスとかいうやつはなかなか美しい。よく深夜の通販番組ではなんとかカットのなんカラットのダイヤモンドが、とおばーーお姉さんがたがすごいすごいと騒ぎ立てているが、正直どっちが美しいのかと言われればこちらのショットグラスの方が美しいと思う。
だって、指輪やネックレスではお酒は飲めないでしょう、とメリーの前で言ったところ、だからあなたはーーいや、この話を思い出すのはやめておこう、私の名誉というか、沽券?って奴に関わるから。
そんなこんな、といういつもの秘封倶楽部のやり取りがあって、私は「私が実際は結構気が利いて、ロマンチックなことができる、素敵な相方であること」を示すために、ここでせっせとバイトをしている。
バイトの目的は一つ、秘封倶楽部の結成1周年記念のペアリングを買うお金を作ること。
といっても、それはあくまで当初の目的であって、最近は珍しいお酒や、それを使ったカクテルの作り方を覚えるのが専らの楽しみとなっている。
特にお気に入りのカクテルはウィスキーを使うものが多いので、ペアリングを買ったお釣りがあればよいウィスキーも買おうかな、と思う。
ーー結局、この”よいウィスキー”の値段が、実はペアリングの値段を超えてしまう話は、また別の機会にでも。
あれやこれやと思い返している間に、いつの間にか今日出したグラスを全て洗って磨き終えていた。時計の針もしばらく前に頂きを過ぎて、お客はカウンターに一人だけ、店の前の路地にも人の姿はほとんど見えなかった。
店主もすでに店じまい、という雰囲気のような気がする。そう言っても、閉店時間より前に店を閉めているところは一度も見たことがない。ここからが長いのだ、やることは特にないのにーー時間切れまで待つという私の一番苦手な”我慢”の時間が。
いくら日付が変わって私ー特に、普段から秘封倶楽部の活動して真夜中を選ぶ夜型人間ーに、この退屈な時間は酷く苦痛に感じる。
ああ、普段は時間なんてあってもあっても足りないのに、どうしてこんな時ばかり無駄に時間が過ぎるように感じるのかしらーー神様は、もしいるとしたら、相当な嫌がらせ好きね。
心の中で愚痴のような、暇つぶしのような、そんな独白をつぶやいていた時、カラン、と鐘の音が店内に響いた。
こんな退屈よりは客の相手をする方がいい、そんな喜びのこもったイラッシャイマセを投げたその先には、よくあることにーーそれ自体はよいことではないのだがーーよく見知った顔がいた。
「あら、ずいぶん楽しそうね」
あなたの方がよっぽど楽しそうよ、と返したくなるほどの満面の笑みで入店してきたのは我が相方、メリーことマエリベリーハーンである。
「話には聞いてたけど、蓮子あなた、本当にバイトしてたのね。びっくりしちゃった。」
私は一体どういう人間だと思われているのだろう。ここがカフェなら、一体どういうことよ、と突っ込んでいただろうが、あくまで今の私は瀟洒なバーテンダー、口をつぐんでクールに返す。
「どういう意味よ」
間違えたーーそれはそうだ、だってバーテンダーをやっていた時間よりもメリーの相方をしていた時間の方がずっと長いんだから。習慣や慣れというのは恐ろしい。
「ふふっ、さ、店員さん、さっそくおすすめのおいしいお酒をいただこうかしらーー」
どうやら今日の彼女にはつまみもつきだしも不要らしい。
***
わかりきっていたことだが、メリーはお酒が強い。
今も静かに店主おすすめのウィスキーを飲んでいる。
こんな度数の高いウィスキーを何杯か飲んで、それでもまだどこか物足りないような、それでいてその満ち足りなさを楽しむような表情を見て、再度彼女の酒の強さを実感した。
度数の高い酒というのは、そうハイペースに飲むことは少ない。お酒をちびりと飲んだら、それに合わせてチェイサーを飲んで酔いがまわるのを防ぎ、舌の熱さを醒ます、それの繰り返しだ。
飽き性だからかもしれないが、私はどうにも同じ酒をずっと飲むのが苦手だった。だから、色々なカクテルと、色々な飲み方を試してみていた。辛いもの、爽やかなもの、苦いもの、甘いものーーそういえば、中でも特にお気に入りのカクテルがあった。
「メリーにお勧めのカクテルがあるのよ。」
思い立ったらすぐに言うーー私はそういう人間だが、メリーのグラスにはほぼワンショット分のウィスキーが残っていたので、言ってから少し後悔した。
「あら、蓮子が私に何かを勧めるなんて珍しいこともあるのね。」
ふふっ、とメリーに笑顔が戻る。
くっとグラスを空にして、普段より少し赤らんだ顔で「そのおすすめ、いただこうかしら」と言ってグラスを返してきた。
二人で飲んでいるときは私のペースが早いせいでメリーの酔いが回りきったところを見たことがないんだけど、今日は素面の私に酔ってるメリーという珍しい組み合わせだ。素面だからか、メリーのテンションが普段よりも明らかに高いことがわかる、多分、メリーが笑上戸だというのも改めて知った。今日は知ることが多い日だ。
申し訳なさを飲み込んで、私も少しにこやかに笑った。
「これから作るわね」
表情が変わらないうちに、そそくさと酒瓶が置いてある棚を開けに行った。
***
酒の棚からジン、カカオリキュールを、足元の冷蔵庫からは生クリームと氷を取り出す。
ジン、カカオリキュールに生クリームを同量づつ合わせて、氷と一緒にシェイクをしてーー自炊をするときも思ったが、全ての料理がパウンドケーキのように同量づつ混ぜて焼くだけ、煮るだけ、振るだけで完成すれば簡単だと思うのだけどーーカクテルを作る。
ステンレスのシェイカーから、氷の冷たさがダイレクトに手に伝わってくる。最初はなぜ断熱素材にしなかったのかと思ったものだが、最近は慣れたのか、シェイカーから伝わるカクテルの冷え具合、氷がしっかり砕けたかどうかの感触や、どのくらいカクテルが泡を含んだのか、と言った出来上がりの度合いを知るにはやはりこの薄いステンレスのシェイカーがよいのかもしれないと思い始めた。
最初はガチガチと氷塊が酒を押しのけて上に下にとシェイカーに当たる感触が、何度かのうちに細かい雹か霰のような細かな粒子のように変わっていき、最後は跡形もなくカクテルと一体化する。
混ぜるだけ、冷やすだけならミキサーでも冷蔵庫でもいいじゃないかーーとはならない、カクテル作りの一挙手一投足に意味がある、それがカクテルの奥深いところだと素直に思った。
最後に、静かに、でもできる限り迅速にカクテルをグラスに注いだ。
「どうぞ、お姫様……カカオとクリームのカクテル、"プリンセス・メリー"です。」
酔っていたのか、それとも急なお姫様扱いに驚いたのか、私のカクテル作りに見惚れていたのかはわからないが、きょとんとした顔のメリーがいた。
メリーは一瞬だけ間をおいて、あ、ええ、いただくわ、と言ってカクテルに口をつけた。
プリンセス・メリーはデザートテイストのカクテルだ。甘く、濃厚で、冷たい、とろけるような舌触りが高級なアイスクリームを彷彿とさせる、そんな大人のデザートだ。ただ、ジンにリキュールを合わせたカクテルなので、度数はかなり”きく”のだが。
いくらメリーが酒に強いとはいえ、少し飲ませすぎたかと後悔をしたが、グラスをコースターに戻して、おいしい、と満面の笑みでいうメリーの顔を見てしまったら、申し訳ないがそんな後悔はどこかへと消えてしまった。
先ほどのカクテルをまた一口味わって、メリーがまた一言呟いた。
「そういえば、蓮子は飲まないのね」
まるで飲まない私が不思議な生き物だとでもいうかのような言い方だが、確かにメリーが飲んで私が飲まないというのは珍しいが、曲がりなりにも私は今アルバイトの身である。
「そりゃそうよ、私は今は真面目に働くバーテンダーですからね」
ふーん、と納得のかけらもないような相槌を打って、またグラスに口をつける。
「バーテンはお客に付き合ってお酒は飲まないのかしら」
「そんなホストかキャバクラみたいなことしないわよ。ここはお客様がお酒を飲む場所、お客様とお酒を飲む場所じゃないわ。」
「蓮子ならホストでもキャバクラでもいけそうだけど」
褒められているのか、からかわれているのかは今の満面の笑みしか浮かべないメリーからは判別できないが、どうにもからかわれている気がするのは普段のやりとりのせいだろうか。
「……あなた、相当酔ってるわね。」
ふふ、とまたメリーが楽しそうに笑う。
「あなたが飲まない分を飲んでるからかしら」
「それはいいカモね、どんどん飲んでちょうだい」
そう言ってから、結局飲んだお金が私のバイト代になって、プレゼントになるならどちらが貢いでいるのかわからないわね、と心の中で呟いた。それに、メリーの方が私より人とお酒を飲むのに向いているだろう。
ーーどうにも、私は意外と一人で飲んだり、知らない人と飲んだりするのは得意ではないことも最近わかったのだが。
***
メリーが私の作ったカクテルを飲み終わったとき、いいことを思いついた、という子供のように無邪気な顔をこちらに向けて、私も最後にあなたに一杯あげるわ、と言い出した。
「だから、私は飲まないわよ。」
もう相当酔っているのだろう、そろそろ連れて帰らなければいけないかもしれない。
少し呆れた顔を向けてしまったが、それを見たメリーは、くすりと笑ってから、大丈夫よノンアルコールのカクテルだから、と続けた。
「ほら、早く私のいうものを用意してもらえるかしら、店員さん?」
うーん、と不安になりながらも言われた通りにカクテルを作る準備をすることにしたーーのだが、トマトジュース、レモンにチリペッパーソース……おおよそ味の検討がつかないカクテルの材料を目の前に、私は硬直した。
「あなた、パスタでも作るつもりかしら?えーっと、トマトソースのパスタ、レモン風味?」
酔っ払いが私の一言一言でくすくすと笑みを漏らす。
「まぁまぁ、みてなさいな」
いつものメリーらしからぬ、ゆらゆらとおぼつかない動きで材料を混ぜていく。
カチカチとマドラーがグラスに触れる度に、赤いリコピンの対流が渦巻く。野菜ジュースやトマトジュースの混ざってない濃淡が揺れる様子は意外と美しく、嫌いではない。
そんなことを思っているうちに、グラスの中では美しい赤色のノンアルコール・カクテルが出来上がっていた。
「はい、蓮子、どうぞ。」
メリーはそう言って、赤色のカクテルの入ったグラスをコースターに置いた。自分の酔いを自覚しているのか、ゆっくりと、丁寧に、こぼさないように。
チリペッパーソースが入ったカクテルーーと思うとなかなか飲むのに敷居は高い気がしたが、せっかくメリーが作ってくれたものだ、彼女を信じてグラスに口をつける。
こくり、と一口飲んだとき、口の中には意外なほどに爽やかなレモン、そしてチリペッパーソースのスパイシーな風味が引き出すトマトジュースの旨味と甘さが広がった。
「……おいしい!」
期待した通りの反応だったのだろう、メリーは私を嬉しそうに見つめていた。
「よくこんなカクテル知ってたわね。」
「うん、ちょっとあってね。」
何があったのか、と聞いたものの、メリーは結局その答えを教えてくれなかった。
「けちー」
「そんなこと言っても教えないわよ」
まるでいつもの秘封倶楽部の活動の一場面のような掛け合いを、閉店準備をしている店主を横目に続けていた。
もうこの店も閉まる、そんな時間になっていた。
***
覚束なさはあるものの、その足は右へ左へと揺れる。
いつもなら、私の好奇心あふれる素晴らしい寄り道を制する彼女も、今日ばかりは目に付くもの全てがまるで面白いもののように、あれやこれやと道草を食おうとする。
さしずめ、千鳥足ではなく迷い足とでもいうところだろうか。きっと一人で帰してしまったら、どこか面白いところへ行ってしまって、無事には家に着かなかっただろうと思った。
ついてきてよかった、とも思うし、面白いところへ行けるなら、それもまた秘封倶楽部としては正解なのかもしれないとも思うが、その時はやはり一緒に行くのがいい。置いていかれるのはごめんだ。
何度目かの道草を提案したメリーは、そのまま道端でしゃがみこんで動かなくなってしまった。
私が近くと、うぅ、と辛そうな唸り声を上げている……こうなってはおそらくもう歩けないだろう、自分がそうなるのでよくわかる。
過去の自分の醜態を思い出して、少しため息が出た。
「ほら、メリー。大丈夫?おぶってあげるからもう少し頑張って。」
メリーはさっきのため息が自分へ向けられたものだとおもったのか、少し申し訳なさそうな表情を浮かべた後、ひどく辛そうな顔をしてーーいや、その後のことは見なかったことにしておこう。
メリーは一度顔を下に向けたのちに、お願いするわ、と弱々しい声で呟いた。
「任せなさい、メリー。」
ぎゅっと手を握ってメリーを立たせて、自分は背を向けてしゃがみこんだ。
メリーの腕が肩と首に回されて、柔らかい感触を背中に感じるーーまったく、同じような食生活だというのに、なぜこうも体型が違うのか。
「あのね、蓮子」
びくりと体が跳ねた気がした。だが、どうやら”邪念”は伝わらずに済んだらしく、メリーは静かに私の返事を待っていた。
「なに、メリー」
平静に、私は呼びかけに答える。
「最後のカクテル、美味しかった?」
急な問いかけで驚いた。一通り問いかけの意図を思案したが結局わからず、素直に、美味しかったよ、と答えた。
「ふふっ、あのカクテルーー」
一呼吸、酔って辛いのか、まるで深呼吸をするかのようにメリーが私の肩で息をする。その呼気が私の耳をくすぐり、なんとも落ち着かない感触を加速させる。
「ーー"ヴァージン・メリー"っていうのよ、あなたにあげるわ。」
そう言って、メリーは力なく背中で眠りに落ちた。私は絶句し、ただ静寂がその場を支配した。
一瞬だけ、しんと、そしてキーンと高周波のような耳鳴りの後、メリーの寝息がまた私の耳に届く。
どうにも形容できない、まるで体をかっかと熱くさせる何かが胸で渦巻いた後、吐き出すように呟いた。
「もう、あなたのカクテル、度数が高 すぎよ……」
この闇の帳の落ちきった中、静かな夜道にはただ、泥酔する二人が残されていた。
私は大学生になって一人暮らしを始めてから自分が自炊がーーというか、自分で自分のための食事を用意して食べるという行為がーー嫌いで仕方ないことを知って、バーでのバイトをし始めてから自分がグラス磨きが嫌いではないということを知った。
バーで使われているようなグラス、とくにショットグラスとかいうやつはなかなか美しい。よく深夜の通販番組ではなんとかカットのなんカラットのダイヤモンドが、とおばーーお姉さんがたがすごいすごいと騒ぎ立てているが、正直どっちが美しいのかと言われればこちらのショットグラスの方が美しいと思う。
だって、指輪やネックレスではお酒は飲めないでしょう、とメリーの前で言ったところ、だからあなたはーーいや、この話を思い出すのはやめておこう、私の名誉というか、沽券?って奴に関わるから。
そんなこんな、といういつもの秘封倶楽部のやり取りがあって、私は「私が実際は結構気が利いて、ロマンチックなことができる、素敵な相方であること」を示すために、ここでせっせとバイトをしている。
バイトの目的は一つ、秘封倶楽部の結成1周年記念のペアリングを買うお金を作ること。
といっても、それはあくまで当初の目的であって、最近は珍しいお酒や、それを使ったカクテルの作り方を覚えるのが専らの楽しみとなっている。
特にお気に入りのカクテルはウィスキーを使うものが多いので、ペアリングを買ったお釣りがあればよいウィスキーも買おうかな、と思う。
ーー結局、この”よいウィスキー”の値段が、実はペアリングの値段を超えてしまう話は、また別の機会にでも。
あれやこれやと思い返している間に、いつの間にか今日出したグラスを全て洗って磨き終えていた。時計の針もしばらく前に頂きを過ぎて、お客はカウンターに一人だけ、店の前の路地にも人の姿はほとんど見えなかった。
店主もすでに店じまい、という雰囲気のような気がする。そう言っても、閉店時間より前に店を閉めているところは一度も見たことがない。ここからが長いのだ、やることは特にないのにーー時間切れまで待つという私の一番苦手な”我慢”の時間が。
いくら日付が変わって私ー特に、普段から秘封倶楽部の活動して真夜中を選ぶ夜型人間ーに、この退屈な時間は酷く苦痛に感じる。
ああ、普段は時間なんてあってもあっても足りないのに、どうしてこんな時ばかり無駄に時間が過ぎるように感じるのかしらーー神様は、もしいるとしたら、相当な嫌がらせ好きね。
心の中で愚痴のような、暇つぶしのような、そんな独白をつぶやいていた時、カラン、と鐘の音が店内に響いた。
こんな退屈よりは客の相手をする方がいい、そんな喜びのこもったイラッシャイマセを投げたその先には、よくあることにーーそれ自体はよいことではないのだがーーよく見知った顔がいた。
「あら、ずいぶん楽しそうね」
あなたの方がよっぽど楽しそうよ、と返したくなるほどの満面の笑みで入店してきたのは我が相方、メリーことマエリベリーハーンである。
「話には聞いてたけど、蓮子あなた、本当にバイトしてたのね。びっくりしちゃった。」
私は一体どういう人間だと思われているのだろう。ここがカフェなら、一体どういうことよ、と突っ込んでいただろうが、あくまで今の私は瀟洒なバーテンダー、口をつぐんでクールに返す。
「どういう意味よ」
間違えたーーそれはそうだ、だってバーテンダーをやっていた時間よりもメリーの相方をしていた時間の方がずっと長いんだから。習慣や慣れというのは恐ろしい。
「ふふっ、さ、店員さん、さっそくおすすめのおいしいお酒をいただこうかしらーー」
どうやら今日の彼女にはつまみもつきだしも不要らしい。
***
わかりきっていたことだが、メリーはお酒が強い。
今も静かに店主おすすめのウィスキーを飲んでいる。
こんな度数の高いウィスキーを何杯か飲んで、それでもまだどこか物足りないような、それでいてその満ち足りなさを楽しむような表情を見て、再度彼女の酒の強さを実感した。
度数の高い酒というのは、そうハイペースに飲むことは少ない。お酒をちびりと飲んだら、それに合わせてチェイサーを飲んで酔いがまわるのを防ぎ、舌の熱さを醒ます、それの繰り返しだ。
飽き性だからかもしれないが、私はどうにも同じ酒をずっと飲むのが苦手だった。だから、色々なカクテルと、色々な飲み方を試してみていた。辛いもの、爽やかなもの、苦いもの、甘いものーーそういえば、中でも特にお気に入りのカクテルがあった。
「メリーにお勧めのカクテルがあるのよ。」
思い立ったらすぐに言うーー私はそういう人間だが、メリーのグラスにはほぼワンショット分のウィスキーが残っていたので、言ってから少し後悔した。
「あら、蓮子が私に何かを勧めるなんて珍しいこともあるのね。」
ふふっ、とメリーに笑顔が戻る。
くっとグラスを空にして、普段より少し赤らんだ顔で「そのおすすめ、いただこうかしら」と言ってグラスを返してきた。
二人で飲んでいるときは私のペースが早いせいでメリーの酔いが回りきったところを見たことがないんだけど、今日は素面の私に酔ってるメリーという珍しい組み合わせだ。素面だからか、メリーのテンションが普段よりも明らかに高いことがわかる、多分、メリーが笑上戸だというのも改めて知った。今日は知ることが多い日だ。
申し訳なさを飲み込んで、私も少しにこやかに笑った。
「これから作るわね」
表情が変わらないうちに、そそくさと酒瓶が置いてある棚を開けに行った。
***
酒の棚からジン、カカオリキュールを、足元の冷蔵庫からは生クリームと氷を取り出す。
ジン、カカオリキュールに生クリームを同量づつ合わせて、氷と一緒にシェイクをしてーー自炊をするときも思ったが、全ての料理がパウンドケーキのように同量づつ混ぜて焼くだけ、煮るだけ、振るだけで完成すれば簡単だと思うのだけどーーカクテルを作る。
ステンレスのシェイカーから、氷の冷たさがダイレクトに手に伝わってくる。最初はなぜ断熱素材にしなかったのかと思ったものだが、最近は慣れたのか、シェイカーから伝わるカクテルの冷え具合、氷がしっかり砕けたかどうかの感触や、どのくらいカクテルが泡を含んだのか、と言った出来上がりの度合いを知るにはやはりこの薄いステンレスのシェイカーがよいのかもしれないと思い始めた。
最初はガチガチと氷塊が酒を押しのけて上に下にとシェイカーに当たる感触が、何度かのうちに細かい雹か霰のような細かな粒子のように変わっていき、最後は跡形もなくカクテルと一体化する。
混ぜるだけ、冷やすだけならミキサーでも冷蔵庫でもいいじゃないかーーとはならない、カクテル作りの一挙手一投足に意味がある、それがカクテルの奥深いところだと素直に思った。
最後に、静かに、でもできる限り迅速にカクテルをグラスに注いだ。
「どうぞ、お姫様……カカオとクリームのカクテル、"プリンセス・メリー"です。」
酔っていたのか、それとも急なお姫様扱いに驚いたのか、私のカクテル作りに見惚れていたのかはわからないが、きょとんとした顔のメリーがいた。
メリーは一瞬だけ間をおいて、あ、ええ、いただくわ、と言ってカクテルに口をつけた。
プリンセス・メリーはデザートテイストのカクテルだ。甘く、濃厚で、冷たい、とろけるような舌触りが高級なアイスクリームを彷彿とさせる、そんな大人のデザートだ。ただ、ジンにリキュールを合わせたカクテルなので、度数はかなり”きく”のだが。
いくらメリーが酒に強いとはいえ、少し飲ませすぎたかと後悔をしたが、グラスをコースターに戻して、おいしい、と満面の笑みでいうメリーの顔を見てしまったら、申し訳ないがそんな後悔はどこかへと消えてしまった。
先ほどのカクテルをまた一口味わって、メリーがまた一言呟いた。
「そういえば、蓮子は飲まないのね」
まるで飲まない私が不思議な生き物だとでもいうかのような言い方だが、確かにメリーが飲んで私が飲まないというのは珍しいが、曲がりなりにも私は今アルバイトの身である。
「そりゃそうよ、私は今は真面目に働くバーテンダーですからね」
ふーん、と納得のかけらもないような相槌を打って、またグラスに口をつける。
「バーテンはお客に付き合ってお酒は飲まないのかしら」
「そんなホストかキャバクラみたいなことしないわよ。ここはお客様がお酒を飲む場所、お客様とお酒を飲む場所じゃないわ。」
「蓮子ならホストでもキャバクラでもいけそうだけど」
褒められているのか、からかわれているのかは今の満面の笑みしか浮かべないメリーからは判別できないが、どうにもからかわれている気がするのは普段のやりとりのせいだろうか。
「……あなた、相当酔ってるわね。」
ふふ、とまたメリーが楽しそうに笑う。
「あなたが飲まない分を飲んでるからかしら」
「それはいいカモね、どんどん飲んでちょうだい」
そう言ってから、結局飲んだお金が私のバイト代になって、プレゼントになるならどちらが貢いでいるのかわからないわね、と心の中で呟いた。それに、メリーの方が私より人とお酒を飲むのに向いているだろう。
ーーどうにも、私は意外と一人で飲んだり、知らない人と飲んだりするのは得意ではないことも最近わかったのだが。
***
メリーが私の作ったカクテルを飲み終わったとき、いいことを思いついた、という子供のように無邪気な顔をこちらに向けて、私も最後にあなたに一杯あげるわ、と言い出した。
「だから、私は飲まないわよ。」
もう相当酔っているのだろう、そろそろ連れて帰らなければいけないかもしれない。
少し呆れた顔を向けてしまったが、それを見たメリーは、くすりと笑ってから、大丈夫よノンアルコールのカクテルだから、と続けた。
「ほら、早く私のいうものを用意してもらえるかしら、店員さん?」
うーん、と不安になりながらも言われた通りにカクテルを作る準備をすることにしたーーのだが、トマトジュース、レモンにチリペッパーソース……おおよそ味の検討がつかないカクテルの材料を目の前に、私は硬直した。
「あなた、パスタでも作るつもりかしら?えーっと、トマトソースのパスタ、レモン風味?」
酔っ払いが私の一言一言でくすくすと笑みを漏らす。
「まぁまぁ、みてなさいな」
いつものメリーらしからぬ、ゆらゆらとおぼつかない動きで材料を混ぜていく。
カチカチとマドラーがグラスに触れる度に、赤いリコピンの対流が渦巻く。野菜ジュースやトマトジュースの混ざってない濃淡が揺れる様子は意外と美しく、嫌いではない。
そんなことを思っているうちに、グラスの中では美しい赤色のノンアルコール・カクテルが出来上がっていた。
「はい、蓮子、どうぞ。」
メリーはそう言って、赤色のカクテルの入ったグラスをコースターに置いた。自分の酔いを自覚しているのか、ゆっくりと、丁寧に、こぼさないように。
チリペッパーソースが入ったカクテルーーと思うとなかなか飲むのに敷居は高い気がしたが、せっかくメリーが作ってくれたものだ、彼女を信じてグラスに口をつける。
こくり、と一口飲んだとき、口の中には意外なほどに爽やかなレモン、そしてチリペッパーソースのスパイシーな風味が引き出すトマトジュースの旨味と甘さが広がった。
「……おいしい!」
期待した通りの反応だったのだろう、メリーは私を嬉しそうに見つめていた。
「よくこんなカクテル知ってたわね。」
「うん、ちょっとあってね。」
何があったのか、と聞いたものの、メリーは結局その答えを教えてくれなかった。
「けちー」
「そんなこと言っても教えないわよ」
まるでいつもの秘封倶楽部の活動の一場面のような掛け合いを、閉店準備をしている店主を横目に続けていた。
もうこの店も閉まる、そんな時間になっていた。
***
覚束なさはあるものの、その足は右へ左へと揺れる。
いつもなら、私の好奇心あふれる素晴らしい寄り道を制する彼女も、今日ばかりは目に付くもの全てがまるで面白いもののように、あれやこれやと道草を食おうとする。
さしずめ、千鳥足ではなく迷い足とでもいうところだろうか。きっと一人で帰してしまったら、どこか面白いところへ行ってしまって、無事には家に着かなかっただろうと思った。
ついてきてよかった、とも思うし、面白いところへ行けるなら、それもまた秘封倶楽部としては正解なのかもしれないとも思うが、その時はやはり一緒に行くのがいい。置いていかれるのはごめんだ。
何度目かの道草を提案したメリーは、そのまま道端でしゃがみこんで動かなくなってしまった。
私が近くと、うぅ、と辛そうな唸り声を上げている……こうなってはおそらくもう歩けないだろう、自分がそうなるのでよくわかる。
過去の自分の醜態を思い出して、少しため息が出た。
「ほら、メリー。大丈夫?おぶってあげるからもう少し頑張って。」
メリーはさっきのため息が自分へ向けられたものだとおもったのか、少し申し訳なさそうな表情を浮かべた後、ひどく辛そうな顔をしてーーいや、その後のことは見なかったことにしておこう。
メリーは一度顔を下に向けたのちに、お願いするわ、と弱々しい声で呟いた。
「任せなさい、メリー。」
ぎゅっと手を握ってメリーを立たせて、自分は背を向けてしゃがみこんだ。
メリーの腕が肩と首に回されて、柔らかい感触を背中に感じるーーまったく、同じような食生活だというのに、なぜこうも体型が違うのか。
「あのね、蓮子」
びくりと体が跳ねた気がした。だが、どうやら”邪念”は伝わらずに済んだらしく、メリーは静かに私の返事を待っていた。
「なに、メリー」
平静に、私は呼びかけに答える。
「最後のカクテル、美味しかった?」
急な問いかけで驚いた。一通り問いかけの意図を思案したが結局わからず、素直に、美味しかったよ、と答えた。
「ふふっ、あのカクテルーー」
一呼吸、酔って辛いのか、まるで深呼吸をするかのようにメリーが私の肩で息をする。その呼気が私の耳をくすぐり、なんとも落ち着かない感触を加速させる。
「ーー"ヴァージン・メリー"っていうのよ、あなたにあげるわ。」
そう言って、メリーは力なく背中で眠りに落ちた。私は絶句し、ただ静寂がその場を支配した。
一瞬だけ、しんと、そしてキーンと高周波のような耳鳴りの後、メリーの寝息がまた私の耳に届く。
どうにも形容できない、まるで体をかっかと熱くさせる何かが胸で渦巻いた後、吐き出すように呟いた。
「もう、あなたのカクテル、
この闇の帳の落ちきった中、静かな夜道にはただ、泥酔する二人が残されていた。
ベタな話もいいですね、面白かったです。
カクテルを作る描写が細やかで、まるでその場に居合わせているように思えました。
色っぽくてシャレオツで素敵でした
面白かったです
始めの方に出てくるペアリングって単語が良いです。
じゅるり
続きはR指定のようですし二人がMarryになるのも時間の問題ですね。