Coolier - 新生・東方創想話

もしも2006年WBCが幻想郷で放送されたら

2017/07/29 21:26:10
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※はじめに

・第一回WBCの年に合わせたので2007年以降の作品(東方風神録以降)のキャラの扱いが微妙
・2chネタやWBC動画等を観てどうにか作成
・選手の所属チームは2006年当時のもの











































 きっかけはとある日の宴会で霊夢が紫に尋ねた何気ない一言だった。
 「そういえばさー、あんたのスペカに『ストレートとカーブの夢郷』ってあるでしょ?」
 「ええ」
 「あれってどうやって考えたの? 噂だと外の世界の『野球』っていうのを参考にしたって聞いたけど」
 「ああ、それは――事実ですわ」
 口元を隠していた扇子を降ろす紫。酒が回っているのか、頬はほんのりと赤く。
 「初めて見たのは甲子園という、若者達の夢の舞台であり頂点を目指す戦場。一球、一振りに己の人生をぶつけ汗と涙でグラウンドを濡らす、長く生き過ぎていた私には太陽の光よりも眩しい光景だったわ」
 いつになく饒舌で、声にも力が籠る。「しまったか」と霊夢が気づいた時には遅い。いつしか宴会はなりを潜め、八雲紫による「野球」という
スポーツの講演会と変わっていった。
 「……それで、甲子園で負け知らずの無敵のエースでもプロ野球の世界に入ると打ち込まれることがザラで、その世界で
挫けずに努力を重ねて結果を残して初めてプロ野球選手として認められ……」
 
 幻想郷の誰もが認める大妖怪である八雲紫。その彼女がまるで初恋にときめく少女のように瞳を輝かせ、時に声を張り上げながら語る外の世界のスポーツ、「野球」。
 最初は酒のツマミ程度に、または呆れ半分に話を聞いていた宴会の参加者達も彼女があまりにも熱心に語るものだから、「野球」というのは一体どれほどのものなのだろうか、と次第に興味を膨らませた。
 
 この日を堺に「野球」という言葉は次第に幻想郷中に広まり、妖怪達から人間の間にも「野球」という単語が刻まれていく。しかし、話だけで聞いた知識ではどうやって「野球」ができるのかも難しく、拡大にまでは至らない。実際に話だけでは「野球」の醍醐味も伝わらないと考えた紫は幻想郷の実力者達を集めて壮大な試みを図った。
 紅魔館。
 白玉楼。
 永遠亭。
 博麗神社。
 魔力、霊力、妖力、結界の力……とにかく幻想郷の実力者の全てを出しきり、そのギャンブルに近い試みは成功した。
 外の世界で言うのなら「テレビジョン」の技術だ。
 四角い箱のようなものから映し出される光景。それは紫が語った「野球」が、その「野球」を生業とする選手達が織りなす「プロ野球」が流れていた。
 「ピッチャー」が投げる目を見張る剛速球、魔法と見紛う変化球。的確なコントロールに時々見せる荒れ球。
 「バッター」の一振りで球場を沸かせるスイング。大きな花火のようなホームラン。
 「野手」が時に泥に塗れながら白球を追い、掴むファインプレー。
 「審判」の賛否を分かつ叫び。
 それぞれのドラマを展開する「野球」は少しずつだが確実に幻想郷に認知されていく。

 ……野球の世界一を決める大会『WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)』の開催の報が紫と文によって知らされたのは幻想郷に「野球」が花を咲かせる夢の途中であった。






     第一話「戦士、集う」
 初めて行われる野球の世界大会。日の丸を誇りと共に背負う戦士達が集結する。
 バットを刀、ボールを弓に。彼らの姿は妖怪達がかつて見た古き良き「侍」であった――。



 ~博麗神社~

 八雲紫。
 八雲藍。
 伊吹萃香。
 レミリア・スカーレット。
 蓬莱山輝夜。
 上白沢慧音。
 射命丸文。
 西行寺幽々子。
 霧雨魔理沙。
 そして博麗霊夢。

 幻想郷でも名うての妖怪達とその妖怪達の起こした異変を解決した二人の人間が居間でずらりと揃う。
 まるでこれから大きな戦争を控えているかのように、各々の表情は引き締まり真剣そのものだ。
 最初に口を開いたのは紫。傍らに正座する藍に話しかける。
 「藍。それで状況は?」
 「はい……。まずはメジャー組ですが、松井選手と井口選手の辞退が確定しました」
 「そんな!?」
 レミリアを皮切りに一同がざわめく。紫は冷静になろうと努めていたが頬に汗が流れている。
 「あの王監督直々の要請を断るなんて……」
 首を横に振る幽々子の隣で文が手帳を開く。
 「長嶋さんも説得すればもしや……と思いましたが、同じく辞退した井口選手の日本時代の恩師自体が
王監督、結果は変わらなかったかなと思います。あくまでも『メジャーリーグでの』頂点を重視したのではないかと。
実際、MLBの選手も調整や怪我の心配などを理由に参加は消極的ですし」
 記者として客観的に述べたのだろう。しかし萃香は頭の後ろに両手を置きつまらなさそうにぼやいた。
 「何だ、拍子抜けだな。世界の強者達が頂点を目指して激突するって宴に参加しないだなんて」
 藍が報告を続ける。
 「……それで、メジャー組から参加したのは2名となりました。一人はテキサス・レンジャーズの大塚昌則投手」
 うん、と輝夜が頷く。
 「移籍したばかりで本来ならアピールしなければならない立場なのに敢えて代表の参加を貫く。そういう人、嫌いじゃなくてよ」
 「そ、それでもう一人は……」
 チラリと魔理沙が霊夢の顔を覗く。それまで沈黙を守っている霊夢だが、どこかそわそわしてて落ち着きが無い。そんな二人を
宥めるように、藍が、そして紫が優しく微笑む。
 「シアトル・マリナーズ所属。イチロー選手です」
 「……っ!」
 両手で口元を押さえ、少しの間言葉を失う。嬉しそうに何度もコクコク頷く姿はまるで夢見る乙女だ。隣の魔理沙も「よかったな」と肩をポンポン叩く。
 「投、打にそれぞれメジャーリーガー。海外の相手と戦うという点を踏まえればこの二人を中心にしてチームがまとまっていくのが理想的かしら。国内の選手達とうまくやっていければ……」
 「いけるわ」
 幽々子の懸念を霊夢がバッサリ切る。
 「イチローに憧れ、背中を追い続けた彼が……ホークスの川崎選手がいる。元々チームに勢いをもたらすムードメーカーの彼が
憧れの選手と一緒に世界と戦う。これに燃えないわけがない。そしてそんな彼に発破をかけられるようにチームも躍動するはずよ」
 「お前は本当にイチローが好きなんだな……」
 「まあ、彼のプレーを見るまでは野球そのものにもほとんど関心を持ってなかったですからねえ。イチロー選手の打つ姿を見てはしゃぐ霊夢さんのネタは我ながらうまく撮れましたし~」
 「その日は大変だったな。最初は里のみんなが大騒ぎしてるから何事かと思ったら……号外で新聞が撒かれてたわ」
 その日を思い出しニンマリ笑みを浮かべる文と苦笑いする慧音。もちろんその後文は粛清されたのだが。
 「松井選手を筆頭に辞退した選手も続出しましたが、代表のモチベーションは決して下がってない。『世界の王』としてメジャーからも尊敬されている王監督を胴上げして男にしたいとは誰もが思っているはずだ。特に王監督のソフトバンクの選手の松中選手や川崎選手は他のメンバーよりもその想いは強いはず」
 選手として、監督として偉大な成績を残した王監督を慕う慧音の声に力が入り、饒舌となる。
 「うちの生徒達に人気があるのが西岡選手と川崎選手でな。見た目もプレーもカッコイイ、と言って男の子達はショートやセカンドをやりたがってて、他のポジションがなかなか決められないって悩んでたよ」
 「子供達が憧れる川崎選手が憧れているのがイチロー選手だ。憧れの人を追いかけていつしか自分も誰かに憧れられて背中を
追いかけられる。どんな言葉よりもこういうのは生徒達に響くものだ。今回の大会でそれが子供達はもちろん、大人達にも理解が
広まってくれれば嬉しい。もちろん私個人も日本が優勝するのを楽しみにしているよ」
 全員が深く頷き、最後に紫が締める。
 「外の世界に行き情報を集めるのが決して簡単ではない中、藍はよく頑張ってくれた。おかげでWBC第一ラウンドの日本の試合はみんなとうまく協力して幻想郷中に流すことができそうです。私達は応援することしかできませんが人間も妖怪も全てを含めた幻想郷の住人一同、WBCで盛り上がっていければと思います」

 「第一ラウンド、日本代表の最初の相手は――中国です」




   中国戦前夜① 紅魔館

 紅魔館図書館内に「野球」のために急遽作られた一室がある。強力な魔力によって扉は封じられており、開けられるのは図書館の主である魔女パチュリー・ノーレッジまたは彼女と同等以上の魔力を持つ者のみ。幻想郷内にあるテレビジョンは全て八雲紫が作った特殊なケーブルが設置されており、外の世界で言う電力を魔力で補い、結界の力と魔力、霊力を配合することにより外の世界で行われる野球の試合を視聴することができるのだ。
 幻想郷中の実力者の英知と力を結集させ何度も実験と失敗を繰り返し、今では外の世界で行われる日本のプロ野球の試合はもちろん、メジャーリーグの試合も特殊なリモコンを押すことで自由に観れる。外で我々が何気なくテレビを点けてリモコンで自由気ままにチャンネルを変えることが、多大な努力により幻想郷でも野球限定でできるようになったと思ってくれればいい。
 これにより紫はスキマケーブルをこまめに一日一度は最低でもチェックしないといけず、幻想郷内各勢力実力者たちも力を提供しなければいけない。ある意味では幻想郷の一つの結束と言えるだろうか。

 いよいよ明日行われる中国戦を前にその部屋の中に紅魔館の主要人物たちが集まっている。中央には5メートルはあろうかという巨大な壺が蓋をされた状態で置かれており、下の部分に小さな取っ手が付いている。壺には魔力が溜まっており定期的に彼女達が補充している。肉眼では見えないが特殊スキマケーブルによってテレビジョンに繋げられている。博麗神社、白玉楼、永遠亭にも同じような壺が設置されこの4つの拠点により幻想郷で野球の試合の放送ができているのだ。
 「壺に損傷は無し。魔力の漏れも見られません。明日の試合の放送に関しては問題無しです」
 小悪魔、パチュリーの報告を受けた咲夜がレミリアに告げる。小さな肩が上下に揺れ、大きな息を吐く。安堵の息だ。
 「それなら安心だな。明日は居間で全員で試合を鑑賞するとしましょうか。……美鈴は少し複雑かもしれないが」
 「気にしないでくださいお嬢様。むしろ光栄なことなんです。まだまだ野球は発展途上ですがこのような世界の大会で
野球の国、日本と手合せできる機会。この試合、大会を通じて野球の魅力が広まれば私にとって最高の誉れとなります」
 美鈴は全く曇りのない瞳でレミリアを見つめ、笑う。充分だった。
 「……わかった。それじゃあ明日はみんなで日本を応援しましょう」
 隣のフランの手を握り。
 「もちろん貴女もよ、フラン」
 「……うんっ!」
 甘えるように抱き着く妹の頭を撫でながら、咲夜に目配せをする。
 (……咲夜、頼んでいたものはいつ出来そう?)
 (職人もまだそんなにいませんからね……それでも決勝前には完成するかと)
 (そうか……)

 外の世界の勝負事。レミリアでも日本の運命は見えない。胸の中で甘える妹の姿を見て、
何とか日本に勝ってほしいと強く願うのであった。



   中国戦前夜② 白玉楼

 「待ちきれないみたいねぇ、妖夢」
 帰って来て早々、庭で刀を構えている従者を見てクスっと笑う幽々子。刀を体の正面にゆったりと構えるその姿はWBC日本代表に選ばれたある選手にそっくりだ。主に声を掛けられた彼女は頬を赤らめ、帰りに気付かなかったことを謝罪した。
 「す、すみません……」
 「初めて観た時からずーっとその構えを真似してるものね~。様になってきたんじゃないの?」
 「からかわないでくださいよ、もう。私なんてまだまだですよ――小笠原選手に比べたら」

 北海道日本ハムファイターズの中心選手であり『北の侍』と称される小笠原道大内野手。一見するとボールに当てるのが難しそうな打撃フォームからフルスイングで打ち返す姿はまさに剣豪そのもの。一目見た時から妖夢は彼のフォームとフルスイングの虜になり、鍛錬の合間にフォームの練習をするようになった。今回のWBCで彼が代表に選ばれた時、一目も憚らず大はしゃぎしたのは軽い黒歴史だ。「ガッツ」の愛称のように、彼のスイングには己の全てを懸ける如く魂が入っている。時代が違って彼が武士であったとしたら相当の腕前の侍として名を残していただろう。
 
 「もちろん、小笠原選手だけでは無いです。今回代表に参加した全ての選手がそういった心を持っています。そんな侍達が集結した日本の戦いを心から楽しみにしているんですよ」

 目を輝かす従者を見て幽々子も目を細め、空を見上げた。



   中国戦前夜③ 魔法の森 アリス亭



 「こんばんはー、アリス!」
 「あら、いらっしゃいメディ」
 夜に訪れた可愛らしい客を人形達と共に迎えるアリス。上海人形達とは別に、床を小走りで駆ける人形達は彼女が普段使う
人形達とは風貌が違っていた。オレンジ色の肌をした兎のような人形と縞模様の服を着たトラの人形、コアラのような顔立ちだが
何とも言えないシュールさを漂わせている人形の3体だ。
 「ジャビットにトラッキーにドアラも元気そうね!」
 3体の人形にそれぞれハイタッチを交わし、上海と握手。まるでホームランを打った選手がチームメイトとハイタッチを交わし客席に投げ入れるための球団マスコットの人形を受け取る様子に似ているがこれら全て人形である。アリスは野球よりもマスコットの方に心を惹かれ、12球団のマスコットの人形作りに入れ込んでいる。たまたまその様子を目にしたメディスンも喜んで協力し、現在3体のマスコットの人形制作に成功した。一流の人形遣いが人形の心を理解する妖怪、メディスンの協力を得ればまさに鬼に金棒、振る舞いや仕草、性格まで本物に近い出来となった。
 プロ野球の世界はもちろん主役は選手達であるが、球場を盛り上げるのに一役買うのがマスコットだ。様々なパフォーマンスも彼らの陰の努力の集大成であり、ただの着ぐるみと思える中身には色んな想いが籠っている。アリスとメディスンは、理想的な人間と人形の関係のヒントが彼らに詰まっているのではないかと信じている。



   中国戦前夜④ 永遠亭

 「このマツザカっていうの欲しいね。シュンスケもいいし代表メンバーは欲しい選手ばっかりだわ」
 「はいはい、あんたの欲しい欲しい病は聞き飽きた。そういのに頼らなくてもうちににはエースの上原さんがいるでしょうに」
 「ふふん、私の勘ではこの代表チームの中に未来の栄光の巨人軍の選手が出てくるはずだよ。んー、オガサワラあたり?」

 鈴仙とてゐがギャーギャー言い合っているのを肩をすくめながらも微笑ましそうに眺める永琳と輝夜。必然的?に巨人こと読売ジャイアンツのファンになった二人だが欲しい戦力は補強しまくるのを推奨するてゐと、若手をしっかり育てて生え抜きのスターを育てようと推進する鈴仙は毎回こうしたやりとりをするのだが、巨人が勝った試合では抱き合って喜んだり祝杯を挙げたりする。永琳達は特に贔屓の球団は無いが、自分達と比べて遥かに短い寿命の人間達が全てをぶつけ合うこのスポーツにどこか惹かれ、鈴仙達と一緒に試合を観たりしている。他の兎達も感化され、今では素振りや投球の真似をする子達で溢れかえり、全員集めればリーグ戦ができそうであった。
 
 「……それで永琳、例のものは届いたの?」
 「はい。人形遣いの協力もあって前日には既に。明日の朝に幻想郷の各地でも届けられるかと」
 「ふふ、あの子達の興奮が移っちゃったのかしら、こんなに明日が来るのが待ち遠しいと感じたのは随分前のような気がするわ」
 「そうですね……」



   中国戦当日 

 この日の寺子屋の一日は落ち着かなかった。生徒達はもちろんのこと、教壇に立つ教師も集中はすれどもどこかで意識は早く夜にならないかという高揚感が滲み出ていた。慧音も努めて普段通りに振る舞うことに苦労したと後に語る。
 初めに幻想郷で野球を始めたのは子供達だ。「僕達も野球やりたい!」という切実な声に幻想郷の職人達が立ち上がり、ボールやバットを四苦八苦を重ねながら作り出すことに成功。その道具で楽しそうに遊ぶ子供達を見て彼らも本格的にその道を究めようと躍起になり、今では里の中でもボールやバットを作る仕事は人気の高い職業となった。
 こういった団体競技は、大体運動神経に劣る子供達にとっては苦痛となるのだが、運動が不得意な子でも応援に精を出したり、ちょっとした監督っぽく采配を振る舞ったりと意外とうまくやれていた。
 また、キャッチボールは互いに受け取りやすい速さや力加減を調節するため相手を思いやることにもなり、内気な子供達もこのやりとりで他の子と仲良くやれていた。
 「いずれは幻想郷でも野球チームができるかもしれない」
 冗談半分、本気半分の声が里を賑やかにさせ、以前よりも活気づいたと思う。
 そんな子供達、大人達を熱中させてきた野球の一番を決める大会の始まりなので、人里は朝からずっとWBCの話題で持ちきりだった。
 仕事を終え、妹紅と落ち合った慧音はそこでようやく他の者と同じように瞳を輝かせたという。

 日が落ち、空が青から黒へと染まり、いよいよ時間が近づいてきた。人間も妖怪も、今夜は各々自宅なり友人宅なり、はたまた
店で酒を飲みながらその時を待つ。博麗の巫女も例外でなく居間に正座し、周囲には友人の魔理沙とせっかくなので皆で観たいと訪れた紫に藍、橙も固唾を飲んでいる。……やがてユニフォームという鎧に身を包んだ侍、日本代表の選手たちが姿を現し……。





   第二話「WBC第1ラウンド開始」
 2006年3月3日金曜日、18時38分。2006年WBC日本代表の戦いが始まった。
 この日の東京ドームの観客数は15869人。お世辞にも世間ではWBCへの熱意が高いとは言えなかった。
 やがて彼らのプレーひとつひとつに日本は湧き、歓声を送ることになるが、それはまだ先のことだった。




 1番(右)イチロー(シアトル・マリナーズ)
 2番(二)西岡  (千葉ロッテマリーンズ)
 3番(中)福留  (中日ドラゴンズ)
 4番(指)松中  (福岡ソフトバンクホークス)
 5番(左)多村  (横浜ベイスターズ)
 6番(三)岩村  (東京ヤクルトスワローズ)
 7番(一)小笠原 (北海道日本ハムファイターズ)
 8番(捕)里崎  (千葉ロッテマリーンズ)
 9番(遊)川崎  (福岡ソフトバンクホークス)
   (投)上原  (読売ジャイアンツ)



 野球の世界一を決める大会にしては寂しい客入りというのが全員の感想だった。確かに相手は格下で
勝って当然というレベルであるほど実力差は離れている。しかし、それでも12球団の中心選手の集まり、しかもメジャーの一線で活躍しているイチローもいるにも関わらず、東京ドームの収容人数の半分にも満たない観客数だ。
 「巨人のオープン戦の方がもっと客が入ってる」
 てゐと鈴仙がため息をつく。
 「オープン戦の延長みたいなものと思われてるんじゃないか?」
 魔理沙が首を傾げる。
 「イチローがいるのに……」
 「王さんが監督なのに……」
 肩を落とす霊夢と紫。
 彼女達だけでなく幻想郷の多くの住人が予想よりも盛り上がりが少ないことに落胆する。サッカーと違い世界の殆どの国が行っているわけでなく五輪以外に目立った世界規模の大会の無い野球。それ以外にも理由はあるのだろうが、出鼻をくじかれた感じだ。
 とはいえ、テレビを通して応援するファンは当然いるし、何よりも実際にドームに足を運び声援を送るファンもいる。ならば彼らと一緒に日本を、王ジャパンを全身全霊を懸けて応援するのみだ。



 『1番 ライト イチロー』
 1回表、日本の攻撃。場内にアナウンスが響くと空席の目立つドームを一瞬忘れさせる大歓声が湧く。メジャーの第一線で活躍して、メジャーも認める選手となったイチローが日本の選手として凱旋。
 「戦った相手に向こう30年、ちょっと日本には勝てないと思わせる戦い方をしたい」
 堂々と言いきったその姿はとても大きく、頼もしいものだった。この大会の間はメジャーリーガー・イチローではなく日本代表・イチローとしてチームの中心として戦い続けてくれる、どんなに心強く、嬉しいことかは計り知れない。

 打席に立ち、じっとバットを見据え、構える。まさに刀を持ち敵と向かい合う侍のようだ。誰もが固唾を飲んで見守ったがこの打席はセカンドゴロに終わり、歓声がため息となった。
 「あーっ……」
 霊夢ががっくりと肩を落とし、すかさず魔理沙が肩を叩きフォローに回る。
 「まあまあ、3割バッターだって10回に7回は凡退するって言うじゃないか」
 「そうそう、それに国内のメンバーも実力者揃い、この回に先制はできるはずよ!」
 息巻く紫であったが、続く西岡、福留もあっさりと凡退してしまいまさかの3者凡退で日本の攻撃が終わってしまう。

 「合宿は行ったが、例年ならオープン戦で徐々に調子を仕上げていく段階だからな、何年もやってきたことだから
すぐに順応するのは難しいのだろう」
 妹紅と共に観戦する慧音は自分に言い聞かせるように言う。

 1回裏、中国の攻撃。投手は巨人のエース、上原。1番、2番をサクサクと抑える。
 「やっぱり上原さんは凄いわ、このテンポの良さは12球団1番よ!」
 「打てるものなら打ってみろウサ! アーッハッハッハ!」
 鈴仙、てゐの兎コンビが調子に乗った矢先、3番の楊国剛に2塁打を打たれてしまう。
 「打たれたわね……」
 「打たれましたね……」
 少し冷めた目で二人をチラっと見る輝夜と永琳。さらに4番に死球を与えるもその後三振で抑え無失点に。冷や汗をかいていた二人も何とか胸を撫で下ろすも1回は両チーム対照的な終わり方だった。

 1回表、日本の攻撃は4番指名打者・松中。
 1ボールからの2球目を打ち、ライト方向へ。フェアとなりフェンスにボールがぶつかる。相手野手が捕球している間に二塁まで激走しスライディング。二塁打となり日本代表初ヒットとなる。
 「やっぱり三冠王は伊達じゃないわ!」
 紫が両手を叩いて喜ぶと一同も安打が出たことに胸を撫で下ろす。無死二塁のチャンス、どうにか点に繋げたい。
 続くバッターは5番レフト・多村。「やや」怪我をしやすいという欠点があるが打力は日本トップクラスのハマのスラッガーである。
 「スペ様、頑張れーっ!」
 と言う橙を慌てて藍が制止するも既に遅し。この式は普段そういう風に呼んでいたのか、と周囲が呆れている間にピッチャーゴロ、しかし松中は三塁まで進み結果的には進塁打となった。続く岩村がレフトに打ち上げるもやや浅いフライ、誰もが二死三塁と思った。その時。

 「何と!?」
 天狗仲間と一緒に試合を観ていた文の目が大きく見開く。三塁の松中が迷うことなくホームベース目掛けて走り出したのだ。レフトの送球が山なりになり、キャッチャーもベースより前に進んで捕球し、その脇で松中が滑り込む。歓声が湧き、日本に先制点が入った。王監督が手を叩いて喜び、生還した松中を、犠牲フライを打った岩村をベンチの全員が迎え入れる。
 「日本の外野だったら殆どアウトだったでしょうが……まあ、結果オーライということで。……でも。意外と松中選手、思ってたよりは速かったですね」
 後に試合後、文はこう振り返った。

 その後小笠原がファーストゴロに倒れ攻撃は終了、落ち込む妖夢の頭を幽々子が撫でることはあったがまずは先制し、幻想郷の住人も少し肩が軽くなった。さらにその裏は上原が三振二つとライトフライで三者凡退に抑え、いい形で攻撃に繋げる。
 3回表、この回先頭の里崎の何でもないサードゴロを相手がエラーし無死一塁。そして川崎の打順でワイルドピッチとなり労せず二塁へ。1ストライク3ボールでライトへ引っ張り、一死三塁の状況でイチローを迎える。
 1ストライクから打つもセカンドゴロ、しかしランナーはスタートしていたので生還し2点目が入った。

 「……」
 「こういう試合はどんな形であれ点を取るのが大事だから。な、紫?」
 「そ、そうそう。チームバッティングよ」
 点は入ったものの内容は凡退であり、頬を膨らます霊夢を再び宥める。今日は試合そのものよりも彼女をフォローする方が
大変かもしれない……とやや離れた位置で藍は思った。

 上原も立ち直り、ここから完全に日本のペースになるだろうと多くの者が予想していたが、国際試合は思わぬ波乱を巻き起こす。
試合中盤へ入る4回の裏、先頭を三振に切るも続く張洪波にヒットを打たれ一死一塁、6番キャッチャーの王偉の打った打球が右方向へ伸び、スタンドへと入り何と同点2ランホームランとなってしまう。

 「んほーっ!!」
 「んほーっ!!」
 女性らしからぬ悲鳴を上げ畳の上に倒れて痙攣する鈴仙とてゐ。

 「……え、ええと、あの」
 「……いいのよ、美鈴。こういう時は素直に喜ぶべきよ」
 複雑な様子でみんなを見やる美鈴に声をかけるレミリア。カップを持つ手が震えるが、主としての面目は保つ。

 「じ、ジャビットー!?」 
 ジャビット人形が急に土下座を始め、オロオロするメディスン。なお、ドアラとトラッキーが蹴りを入れ始めたのでアリス
は仲裁に必死であった。

 後続を抑えたもののモヤモヤした感じに包まれ、何とかすぐに払拭してほしい5回表。里崎がセンターフライに倒れ、その後
川崎がデッドボールで出塁。「むねりーん!」と橙が心配するも大事には至らなかった。そしてここまで2打席連続でセカンドゴロとなっているイチロー。1ボール1ストライクから川崎が盗塁を仕掛け、キャッチャーの送球も逸れ盗塁成功。ずっと憧れてきたイチローに御膳立てするかのようにチャンスを作る。
 2ストライク3ボールのフルカウント。霊夢は両手を握り祈るような仕草でイチローを食い入るように見つめていた。弾き返したボールは
ショート手前でバウンド。捕球したショートが一塁へ送球するも、ファーストのミットに収まるよりも速く、ベースを駆けていた。審判が両手を大きく水平に広げセーフの判定。
 「~~っ!!」
 霊夢が立ち上がり、両手を握り拳にして何度も上下させ喜ぶ。打球が少し詰まっていたとはいえ本来ならショートゴロの当たりだが、天狗の文や吸血鬼のレミリアも認める程の俊足のイチロー。メジャーでも多く見られた「内野ゴロを内野安打へ」だ。そしてこれは守る相手側にとってもダメージを与える。ピッチャーは打ち取ったと思うし、野手もアウトにできると思う。しかしこれが安打になってしまうと普通に打たれるよりも精神的に響く。
 しかし、日本で一番打ってほしい選手に形はどうであれ、安打が出た。俄然、打線にも勢いは出るものである。ここで2番、昨年プレーオフから勝ち上がり日本一にまで輝いた千葉ロッテマリーンズの中心選手の一人である西岡。2ボール1ストライクから打った打球が左中間へ伸びていき、歓声湧くスタンドに吸い込まれる。勝ち越しの3ランホームランだ。2ランを上回る3ラン、川崎とイチローが作ったチャンスを大きな花火で生かした。

 「いよっし!」
 慧音とハイタッチをし店主ともハイタッチする妹紅。

 続く福留が今度は逆の左中間へ放り込み、2番3番の連続ホームラン。

 「すごーいっ!」
 目を輝かせ、パンパン手を叩くフラン。試合そのものはもちろん、こうして姉であるレミリアや紅魔館のみんなと
一緒に何かに熱中するというのは初めてで、楽しくて仕方がないといった感じだ。レミリアと手を取り喜び合う姿を見て
咲夜も美鈴もパチュリーも小悪魔も目の奥が熱くなるのを感じた。

 ここから試合は一方的な展開となった。6回には岩村の3塁打から小笠原がタイムリー、相手のエラーと西岡の犠牲フライで3点、7回に松中四球からの多村の2ランホームランで2点。8回には打線が面白いように繋がり一挙に7点が入り、裏を0点に抑えて結果的には8回コールドの18対2で日本が初戦を白星で飾った。上原は5回を2失点で抑え、残りのイニングはロッテの清水が3イニングを打者三人、完璧にシャットアウト。序盤こそ投打共にチグハグだったが試合の勘を取り戻したのか中盤以降は格の違いを完全に見せつけた。
 
 「(小笠原選手がタイムリーを打ってから)妖夢ったらはしゃぎっぱなしで。ああいう姿を見たのは随分前で懐かしくて私も
思わず頬が緩んでしまったわ」と幽々子。隣で顔を真っ赤にし俯く妖夢。
 
 「まだ予選は2試合あるから油断しないで次も勝ちに行かないと」と言いながら口元を綻ばす紫に霊夢と魔理沙が笑顔でツッコミを入れ、それを見て可笑しそうに指を差しながら笑う橙の頭を撫でる藍。

 「勝ったんだし、仲良くね?」
 さっきまでジャビットを責めていたドアラとトラッキーも今では互いにバンザイをして勝利を喜ぶ。メディスンも人形達と
一緒に万歳三唱をして実に楽しそうである。

 「よっしゃ、今夜は朝まで飲もうぜ!」と酒を勧める妹紅に苦笑いを浮かべ「まだ予選突破さえ決まってないぞ」と言う慧音も
子供達の笑顔を思い浮かべ満足そうに。

 「勝った! 上原さんは許されたのよてゐ!」
 「鈴仙!」
 熱い抱擁を交わす月の兎と地上の兎。
 「あの二人がここまで息が合うとはねえ」
 肩をすくめて、しかし悪くはないなと輝夜も永琳も笑う。

 「いやあ、流石に日本は強かったです」
 自分の祖国が負けたというのに、美鈴は晴れた笑顔で日本の強さを称えた。
 「美鈴、貴女の祖国が日本に引けを取らなくなるほど野球が強くなる日はそう遠くはないわ」
 能力を使ったわけではなく、今日の試合を観て素直に思ったことをレミリアは伝えた。美鈴には主のその言葉だけで
充分だった。うっすらと瞳に光るものがあったが、誰も野暮なことは口に出さず、この日の紅魔館は夜明けまで笑いが
絶えなかったらしい。





   第三話『快進撃』
 見事、初戦を勝利で飾った日本。続く3月4日、相手はチャイニーズタイペイこと台湾。この試合に勝てば
予選ラウンド突破が決まる。
 先発は上原と二人で日本のエース、松坂。かつて「平成の怪物」として日本プロ野球を湧かせた男が世界を
相手に立ち向かう。



 日本勝利の翌日は幻想郷のあちこちに人々の笑顔が満ちていた。能力を使って観戦する色んな人達の様子を見てきた萃香もみんなの充実した様子にご満悦。「優勝したら幻想郷史上最高の宴会をして盛り上がろう」とほろ酔い顔で話した。文はカメラを片手に観戦し、日本の得点シーン等を細かく撮影し、それを新聞に使い配って回った。試合を観戦しながらもシャッターチャンスを逃さない冷静な目は「そういえばあいつ新聞記者だったな」と改めて再評価されることになる。
 しかし休む間もなく第2試合はやってくる。勝てばまずは予選突破が決まる台湾戦。外の世界では土曜日で休日ということもあり、東京ドームの席の半分以上が埋まり31047人が集った。昨日と同じく住人達はそれぞれの場所で試合を見守る。



 
 1番(右)イチロー(シアトル・マリナーズ)
 2番(二)西岡  (千葉ロッテマリーンズ)
 3番(中)福留  (中日ドラゴンズ)
 4番(指)松中  (福岡ソフトバンクホークス)
 5番(左)多村  (横浜ベイスターズ)
 6番(三)岩村  (東京ヤクルトスワローズ)
 7番(一)小笠原 (北海道日本ハムファイターズ)
 8番(捕)里崎  (千葉ロッテマリーンズ)
 9番(遊)川崎  (福岡ソフトバンクホークス)
   (投)松坂  (西武ライオンズ)



 「来ましたよ藍様! 松坂さんです!」
 橙の瞳がぱあっと光る。猫っぽいということで西武ファンの彼女にとって松坂は絶対的なエース、きっと剛速球やすごく曲がる変化球を駆使して三振の山を築くだろうと信じて疑わなかった。高卒ルーキーであのイチローを三振で切るという野球界に衝撃を走らせた怪物がイチローと共に世界の頂を目指す、これもWBCが無ければ見れなかった光景であろう。

 1回表、日本の攻撃。中国戦ではまさかの三者凡退で終わったが勝利で打線も調子を戻してきたのか、この日は違った。
 イチロー凡退、西岡ヒット、福留凡退で2アウト。ここから松中が死球、ランナー1、3塁で5番の多村。144キロの直球を
レフトへ飛ばし打球は上段まで飛び文句なしの先制3ランホームラン。幸先の良いスタートを切る。
 「よっしゃあ!」
 魔理沙が立ち上がり両手を上げ喜び、霊夢の背中を叩く。イチローの凡退で渋い顔をしていたが先制がホームランだということもありすっかり魔理沙と同じように嬉々とした表情になっていた。

 1回の裏、台湾の攻撃。マウンドに上がるは上原と並ぶ日本のエース、松坂。まずは先頭打者を三振に切って取り、スタンドを湧かせる。しかし、続く2番を死球、3番を四球で出塁させ1アウト1、2塁のピンチを作ってしまう。上原に比べ制球はアバウトな松坂の面が出てしまった。
 「にゃぁぁぁっ!?」
 両手を頬に当て悲鳴を上げる橙だが続く打者を併殺に打ち取り無失点に抑えた。

 2回の表、里崎がサード強襲のヒットで出て川崎がバントで送り一死二塁、ここでイチローが綺麗にライト前に落とすヒットを打つ。
 「やった!」
ようやく「らしい」感じのヒットが出て霊夢が思わず立ち上がった。西岡が四球で出て満塁となり、福留がセンターへの犠牲フライ、堅実に追加点を重ねる。
 「子供達には口頭で伝えるよりも、こういうのを見てみんなのためにというのを理解してくれる。いや、素晴らしい」
 慧音が感嘆の声を漏らす。なお、今日は自宅で妹紅と観戦中の模様。

 実戦での初登板、日の丸を背負っての戦いはおのずとプレッシャーを与えていくものなのだろうか、2回の裏も松坂はピリっとしない。連打を浴びて無死1、2塁。それでも何とか2アウトを取りこれは無失点で切り抜けると思った矢先、事件が起きる。
 投球体制に入りボールを投げる松坂、しかしボールはキャッチャーミットへではなく、後方すっぽ抜けるように飛んだ。これがボークとなりまさかの失点。
 「ふにゃああぁぁんっ!?」
 橙の目が満月のように丸く大きく見開き、藍も紫も思わず絶句。
 「魔球か!?」
 「いいえ、ボークです」
 レミリアが思わず漏らした言葉に冷静に返す咲夜。もちろん時間を止めて冷静さを取り戻してからの返しである。

 それでもその1点のみに抑え、3回の表。多村四球、岩村レフトフライの後の小笠原がセンター前へのヒット、里崎三振からの
川崎。ライト前に華麗にヒットを打ち1点追加。取られた後に取り返す理想の形を作った。松坂も悪いなりに抑え、球数制限65球を越え4回を1失点で抑え降板。そして5回の表、日本打線が爆発する。
 先頭の岩村が三振に倒れ小笠原。2ストライク1ボールからレフト前へ弾き返し、相手がダイビングキャッチを試みるも捕球できず、抜けたボールはフェンスまで転がっていく。長打コースとなり、捕球しに行っている間に小笠原は迷うことなく二塁を蹴り激走。送球をショートがキャッチする前に3塁に到達し記録は3塁打となる。
 「変化球をああやって捌くのを見るとますます熟練した武士に見てとってもカッコイイです」
 妖夢が目を輝かせて画面に見入る。
 続く里崎が1,2塁間を抜ける鋭い打球を飛ばしタイムリー、1点を追加。この頃から一部の幻想郷女子は少し丸っこい体系の彼を可愛らしいと呼び、ちょっとした天使のようだと惚気出す。川崎、イチローと続けて四球で満塁となり台湾側がピッチャーを代えるが代わったピッチャーがボークで労せずに1点追加。なお、ここでバッターは打線で一番ノリに乗っている西岡。憎いぐらい鮮やかにセンター前に落とし、好スタートを切っていたイチローが悠々とホームへ。9対1。福留が倒れ2アウトとなるも4番松中が内角の球を弾丸ライナーでライトへ飛ばし、更に多村も四球で満塁。ここで岩村がピッチャー返しを打ちセンターへ抜け、2点を追加しこの回に一挙6点。勝負は決した。

 日本はその後も点を重ねて終わってみれば14対3の7回コールドゲームで勝利。リリーフ陣はロッテの薮田・小林と阪神の藤川の3人のリレーで2失点で抑え、第2ラウンド進出を決めた。多少の失点なら充分に反撃できるほどの打線の破壊力を見せつけ、グループ1位を決める試合に備えるのであった。



   第四話『東の国の眠れない死闘』
 2試合連続二桁得点コールドゲームで第2ラウンド進出を決めた日本。第1ラウンド最後の試合は同じく第2ラウンドを決めた韓国。イチローの「向こう30年」発言にどの国よりも過剰に反応し、敵対心を剥き出しに闘志を燃やす。彼らとは次回のWBCでは合計5回、頂点を懸けた決勝でも戦うことになるのだが因縁の幕開けでもあった。



  3月5日 2006年WBC第1ラウンド最終試合   観客数:40353人



  先攻:韓国(2勝0敗)


 
 1番(左)李炳圭
 2番(中)李鍾範
 3番(一)李承燁
 4番(指)崔熙渉
 5番(右)李晋暎
 6番(三)李机浩
 7番(遊)朴鎭萬
 8番(捕)趙寅成
 9番(二)金鍾国
   (投)金善宇



  後攻:日本(2勝0敗)



 1番(右)イチロー(シアトル・マリナーズ)
 2番(二)西岡  (千葉ロッテマリーンズ)
 3番(中)福留  (中日ドラゴンズ)
 4番(指)松中  (福岡ソフトバンクホークス)
 5番(左)多村  (横浜ベイスターズ)
 6番(三)岩村  (東京ヤクルトスワローズ)
 7番(一)小笠原 (北海道日本ハムファイターズ)
 8番(捕)里崎  (千葉ロッテマリーンズ)
 9番(遊)川崎  (福岡ソフトバンクホークス)
   (投)渡辺  (千葉ロッテマリーンズ)



 まずは予選を勝ち抜いたことで少し肩の力を抜くことができる試合……と楽観視する者もいれば、ここも勝ってアジアナンバーワンのまま第2ラウンドへ進まないといけないと気合を入れ直す者もいる。紅魔館の湖周辺で氷精を中心に妖怪妖精混じっての野球遊びも流行りだし、着実にWBCでの日本の姿は幻想郷に野球の魅力を広めてきている。そして相手は今まで戦った2カ国よりも格上の韓国。元々日本と戦う時は並々ならぬ闘志を燃やす相手が今大会のイチローの発言を挑発と捉え敵意を剥き出しにしている。互いに第2ラウンドが決まったとはいえ、ただでは済まない試合が予想された。

 台湾戦の勝利で湧いた少女達だったが、韓国の選手達の只ならぬ気合を察し昨日までの浮かれた気分はすっかり無くなっていた。ただそれでも、最終的には日本が勝つと誰もが信じていた。特に霊夢はイチローに難癖をつけてかかってくる相手の姿勢にかなり憤慨しており「30対0で勝てば30年黙ってくれるのかしら?」と語っていたという。
 「スンヨプは普段は置物だけど何かの弾みで打ち出すことがあるのでそれが怖い」
 鈴仙とてゐが声を揃えれば。
 「日本、メジャーで活躍してる選手が多くてここ2日の相手とは強さが群を抜いている」
 一抹の不安を煽るように、しかし冷静に幽々子が語る。
 そして、宿命の対決が幕を開けた。

 日本の先発はロッテのサブマリン、渡辺俊介。地面スレスレから放たれるボールは下手投げ(アンダースロー)独特の「浮いてくる」ボールでこのフォームで投げる投手は世界基準でも少なく、初めて相対するバッターはボールの質に戸惑いやすい。また、地面に指先が擦れてしまいそうなほどギリギリの低さから投げ込む姿はどこか優雅で美しい。球は遅くても伸びがあり実際の球速以上に早く感じる、まさに相手を幻惑するに適した投手だ。
 初回はまさにそれが見事に嵌った形となり、三者凡退でサクサクと韓国の攻撃を終わらせた。
 「綺麗なフォームね……」
 思わずアリスも惚れ惚れするサブマリンの投法は実際に幻想郷で一番人気のある投球フォームとなり、投手を目指す少女達は
しなやかな体を生かして殆どがアンダースローとなるほどであった。

 景気良いピッチングに打線もすぐに応えた。イチローはいい当たりだったがセカンドライナーに倒れ、しかし西岡がレフト前ヒットで出塁するとすかさず盗塁を決め一死二塁。福留はセカンドゴロでしかし進塁打となり二死三塁、ここで日本の4番松中。セカンドへの当たりが内野安打となり初回で先制。
 点を取ってもらった後の次の回も渡辺はしっかりと三者凡退に抑え、二回裏は二死ランナー無しから9番ラストバッターの川崎が何とライトスタンドに放り込むソロホームランで1点を追加する。
 「ふにゃああああ!!」
 前日は松坂のボークで絶叫した橙だが今回は歓声に近い声を上げた。更に点には結びつかなかったがイチローもヒットで出塁後に盗塁を決め日本の機動力を相手に見せつけた。
 「いける!」と若き少女達は勝利を引き寄せたと確信。しかし紫や幽々子、永琳は別の考えだった。
 『ピンチの後にチャンスあり』
 『チャンスの後にピンチあり』
 長い野球の歴史の中で多く発生する現象だ。点を取ったことによる少しの気の緩みや追う側の逆転するための気合や策、プレー。様々なものが交差しこの現象を巻き起こし、これがまたドラマを作り上げていく。

 3回表、1,2回を順調に抑えてた渡辺にピンチが訪れた。1アウト後、8番趙寅成にヒットを打たれ出塁を許す。続く金鍾国は抑えたが1番李炳圭にもヒットを浴び、李鍾範に死球で2アウトだが満塁の危機を迎える。そしてバッターは3番『韓国の英雄』と評され現在は巨人に所属している李承燁(イ・スンヨプ)。序盤の山場だ。
 「しゅんすけぇぇ!」
 魔理沙が両手を合わせて祈る。
 「三振しろ三振しろ三振しろ……」
 前のめりになり呪詛のように呟くレミリア。三振ではなかったがサードフライアウトとなり無失点で切り抜けた。
 「これぞ国民的凡打よ!」
 何故か誇らしげに胸を張る鈴仙とてゐ。しかし、とにもかくにも『ピンチの後にチャンスあり』の危機を切り抜け、幻想郷の長者達もほっと胸を撫で下ろす。

 4回裏、岩村・小笠原の連打で無死一,二塁とし里崎が手堅くバントで進める。2点目となる本塁打を打った川崎だったがここはショートゴロ、ホームへ投げられアウトとなり点を奪えず。それでもイチローが四球で出塁し2アウトながら満塁として西岡。ここまで波に乗っているラッキーボーイ、ライトへ打ちヒットかとドームが湧く。……しかしここでライトの李晋暎がダイビングキャッチしアウト。
 「あああっ!!」
 自らの膝を叩いて悔しがる妹紅と頭を抱える慧音。
 「くうぅぅ……っ!」
 天を仰ぐ紅魔館一同。
 「んんぅぅ……!」
 肩を落とす魔理沙と霊夢、橙。扇子で口元を隠す紫の表情は硬く、藍も主の意思を読み取った。
 こういう守備でのビッグプレーは投手を勇気づけ、打線の士気も上がりやすい。敵地ならば相手の大声援を黙らせ、
ホームならばこれ以上ないぐらいの大喝采を浴びる。まして相手は日本にどの国よりも闘志をぶつけてくる韓国だ。
 この予感は残念ながら的中することとなる。

 5回表、回の先頭打者朴鎭萬が安打を打ちノーアウトからランナーが出る。続く趙寅成に死球、金鍾国が犠打で送り一死ニ、三塁。打順が1番に戻り李炳圭がライトへ打ち上げる。イチローのレーザービームを期待する声も少なくなかったが、送球が逸れてしまったのもあり犠牲フライが成立し1点を返され2対1。続く李鍾範に死球を与えてしまい李承燁を迎えた所で投手交代、同じロッテの藤田がマウンドへ。ここを三振で切り抜けリードは守った。
 「同点は免れましたが、流れは悪いままでしたね……」
 後に文は語る。ドームの一部の席を陣取る韓国のファン達の声援が大きくなっていたことと、韓国の選手達の目が更に鋭く、獲物に傷を負わせた肉食獣のようであったと。

 その後杉内(ソフトバンク)が2回を投げ無失点、韓国もリリーフを継ぎ込み無失点とイニングに0が続く。明らかに試合は拮抗、少しのことですぐに流れがどちらに傾いてもおかしくなかった。
 8回の表、石井(ヤクルト)がマウンドに上がり先頭打者で犠牲フライを打った李炳圭を三振で切るも2打席連続で死球を受けた鬱憤を晴らすかのように李鍾範がセンター前に運び一死一塁。そしてここまでノーヒットの3番李承燁。走力を考えれば内野ゴロを打たせれば高確率で併殺となり切り抜けられる。
 ――球が少し浮いた。
 「――あっ!」
 妖夢は李承燁がスイングに入る直前からわかってしまった。この一振りは会心の一太刀だ、と。右中間へ放物線を描く打球はイチローでも、どんな名外野手でも捕ることができないゾーンまで飛んで行ってしまった。
 終盤の8回、逆転の2ランホームラン。さっきまで1点リードだったのが1点ビハインドへとあっけなく変わったがこの1点はとても重くのしかかる。その後代わった藤川(阪神)が抑えるも8回裏の日本の攻撃はあっけなく打者三人で終わる。
 9回表、これ以上の点は許されない。日本の守護神でありイチローと同じくメジャーリーガーのテキサスレンジャーズ・大塚がマウンドへ。下位打線が相手ながら、三者連続三振という圧巻のピッチングで裏の攻撃に託した。
 大塚の快投に拍手を送りつつ、神社の居間に集まる少女達は最後の攻撃に託す。
 
 9回裏、マウンドに朴賛浩が巨大な壁のようにそびえたつ。先頭の里崎に代打が送られスイッチヒッター(両打ち)の金城(横浜)が打席に立つも力無いポップフライで倒れる。続く川崎は意表を突く奇策に出たのであろうか、セーフティーバントを試みるが失敗、あっさりと2アウト。追い詰められた。ここで打席に向かうのは――。
 東京ドームが割れんばかりの大歓声。イチローだ。霊夢が身を乗り出し、両手をぎゅっと痛いぐらいに握り哀願するような眼差しで見つめる。だが、勝利の女神は既に日本に背中を向けてしまっていた。
 ……歓声が落胆に。韓国の選手達が笑顔でハイタッチを交わす。イチローの打球はショートへのフライとなり試合終了。
 3対2の惜敗。霊夢が俯き、畳をドンと叩く。長い付き合いの魔理沙も声をかけることができず、ただそっと肩に手を置き
寄り添うことしかできなかった。続いて紫も頭に手を置き、優しく撫でた。普段の胡散臭さは微塵も無い、落ち込んだ子供を慰める母親のようであったと藍と橙が後に話した。

 翌日、「日本惜敗」と書かれた文字も少し歪んでいた。記事を書く文の手もさえなかったのだろうが、誰もそのことを指摘する者はいなかった。ただ、第2ラウンドへの進出は決まっていたので韓国にリベンジする機会は残されている。慧音は授業を始める前に生徒達にそう言って宥めるのにかなり神経を減らした。



   第五話『ベースボールの国』
 韓国に惜敗はしたものの、第2ラウンドへ進んだ日本。戦いの舞台は日本から離れ、ベースボール発祥の地・アメリカへ。そして第2ラウンド最初の相手もアメリカとなった。日米対決、辞退者が多く本調子ではないとはいえ、一線のメジャーリーガーの集う大国との真剣勝負、幻想郷でも注目を浴びる。圧倒されるのではないかと心配する者、なにくそやってやれと発破をかける者……。誰もこの後の大きな大きな嵐が吹き乱れることは予想できていなかった。



 アメリカ戦が近づくにつれ、幻想郷内もにわかに活気づく。
 寺子屋本日最後の授業は体育で、特別教師が顔を出すということで野球となった。その教師が姿を見せ、子供達から歓声が湧く。
 
 「易者のおじさん!」
 「占いのおじさん!」
 「エッキー!」

 帽子を被った温厚そうな男性は英雄のように歓声を浴び、帽子を取って声援に応えると慧音に会釈をした。慧音もそれに合わせる。
 「慧音先生、本日はよろしくお願いします」
 「こちらこそ。朝から貴方が来ると聞いて子供達が活気づいて授業に集中させるのに苦労しましたよ」
 「ははは……それはすみませんね。その分精いっぱい頑張りますので」
 挨拶を終えると、子供達の方へ振り向き歩いていく。左手で持っていた風呂敷を広げ、バットにボール、グローブを取りだすと甘い物を見つけた蟻のように子供達が群がるが落ち着いた様子で彼らを制し、整列させる。子供達全員がグローブを持ったのを確認すると、二人一組にさせてボールを渡し、キャッチボールを始めた。子供が一人余ったがそこは男性が相手をした。
 
 「声を掛け合って。相手が捕りづらかったら力を弱めて。お互い投げ合えるようにね」
 「はーい!」
 元気よく返事をした後、グローブにボールの収まる乾いた音が外に響く。慧音は心地よい風を浴びたように、気持ちよさそうにその光景に見入っていた。

 彼は本来は修行中の易者だ。師に教えを仰ぎ、占いの勉強に精進している。師いわく「筋が良く、ひょっとしたら幻想郷で一番の占い師になれる才能と可能性を秘めている」と高く評価し「才能に溺れたり、何かの弾みで道を踏み外さなければ」とも危惧する。
 幻想郷に野球が流通してから占術と同じぐらい心魅かれ、独学でルールや技術を学んだとされ、近所の子供に指導してたらそれが評判でたちまち子供達の人気者、今ではこうして空いた時間に寺子屋の特別教師ということで子供達に野球を教えている。教え方も物腰が柔らかく、危険につながる行為をしない限りは怒ることもなく指導者としても才能があると慧音も認めていた。
 彼は本名を話したがらない、故に彼は相性的に「易者」と呼ばれている。こっそりと本名を教えてもらったことはあるが「あまりに名前負けをしているので自分が惨めに思えてしまうので」と言う通り、思わず絶句する本名だった。
 故に、今でも真実は慧音は胸の奥にしまったままだ。
 「野球が生まれたのもベースボールのおかげ。その母国と戦えるのがとても楽しみなんですよ」
 授業後に彼は照れくさそうに慧音に話した。
 「私もです」
 
 「ねえ、アメリカってどれぐらい強いのアリス?」
 アリス亭に珍しい客人が訪れ、ソファーにふんぞり返り座りアリスに問うショートの緑髪の女性。
大妖怪の一人として恐れられる風見幽香だ。膝にはちゃっかりとメディスンや上海人形を乗せ、慈しむように頭を撫でている。
 「少なくとも今までの相手とは格段に……素直にメディ達と遊びたいからって来ればいいのに」
 「……」
 数少ない交流相手のメディスンが最近はアリスの所に通うようになり、寂しさを募り「暇だから」という大義名分を挙げて
訪問したのだが完全にバレ、赤面しながらそっぽを向く。
 「あ、アメリカとの試合は私も応援に来てあげるから感謝しなさいよ!」
 「はいはい」
 幽香が来ることに喜んだメディスンが抱き着くと石化したように固まる幽香。それを見てクスクス笑うアリス。今日もアリス亭は平和であった。

 「いよいよアメリカ戦ね」
 「……ええ」
 縁側に座り、肩を並べる霊夢と紫。特に何かをするでもなく、ぼーっとしているようでそうでない。
 「アメリカとやらに勝てたら、イチローや、日本が強いって、わかってもらえるのかしら」
 霊夢の問いに紫は扇子で口元を隠し、答えない。また、霊夢自身も答えは求めていないようだ。そういうのは、何よりも
現在日本から離れたアメリカの地に立つ彼らが何より思っていることだろうから。
 メジャー第一線で戦い、日本の戦士として向かう者。
 その者の背中やメジャーの世界に憧れを抱く者。
 日本で育った「野球」で「ベースボール」に挑む者。
 様々な想いをバットとボールに込め、男達は勝負に臨んでいく。



   第六話『野球対ベースボール、そして……』
 エンゼルスタジアムにて第2ラウンドが行われた。1組の初戦は日本対アメリカ。共に予選ラウンドで思わぬ苦戦を強いられたものの、初戦から決勝戦の雰囲気の組み合わせとなる。辞退者が続出し(特に投手)ベストではないとはいえ、それでも打線の顔ぶれは迫力満点、一部では一方的なゲームになるのでは……と危惧する者までいた。しかし、敵地で相手がアメリカという中で日本はアメリカと同等以上に渡り合っていく。勝っても負けても屈指の名試合になる予感までした。
 ――世界が変わるぐらいの衝撃的な、あの事件が起きるまでは。


 3月12日 2006年WBC第2ラウンド第1日目第1試合 エンゼルスタジアム 観客数:32896人



   先攻:日本


   
   1番(右)イチロー(シアトル・マリナーズ)
   2番(二)西岡  (千葉ロッテマリーンズ)
   3番(左)多村  (横浜ベイスターズ)
   4番(指)松中  (福岡ソフトバンクホークス)
   5番(中)福留  (中日ドラゴンズ)
   6番(三)岩村  (東京ヤクルトスワローズ)
   7番(一)小笠原 (北海道日本ハムファイターズ)
   8番(捕)谷繁  (中日ドラゴンズ)
   9番(遊)川崎  (福岡ソフトバンクホークス)
     (投)上原  (読売ジャイアンツ)


   後攻:米国

 
   1番(二)ヤング    (レンジャーズ)
   2番(遊)ジーター   (ヤンキース)
   3番(中)グリフィー  (レッズ)  
   4番(指)ロドリゲス  (ヤンキース)
   5番(三)C・ジョーンズ(ブレーブス)
   6番(一)リー     (カブス)
   7番(捕)シュナイダー (ナショナルズ)
   8番(右)ウェルズ   (ブルージェイズ)
   9番(左)ウィン    (ジャイアンツ)
     (投)ピーピー   (パドレス)



 東京ドームと打って変わり屋外球場となり、日本の応援団のような鳴り物や選手応援歌の無い、空の下で歓声や拍手が響くベースボールらしい雰囲気。ロサンゼルス・エンゼルスのホームスタジアムであるこの球場には外野のセンター後方に巨大な岩が設置されており、地元の選手が打てばこの岩から噴水が立ち登り、花火も打ちあがるという。ちょっとした遊園地のアトラクションを彷彿とさせるこのスタジアムで日米両チームの選手が対峙する。

 「相手の選手達……普通に日本のとは造りが違うね。努力とか才能というレベルじゃない、種族的な違いだろう」
 今回は神社で観戦に踏み込んだ萃香がアメリカの選手達を見て唸る。紫は打線の名前を見て頬を強張らせた。
 「バリー・ボンズ等が出ていないにも関わらずこれほどのメンバーが並ぶなんて……」
 彼女以外にもメジャーの野球を知っている幻想郷の住人達も揃って驚き、物怖じする。しかし、霊夢は冷静だ。
 
 「そういった連中の集まる世界で戦い続けている選手が二人いるわ。こういう試合に種族云々は関係ない」

 その言葉通りに。昨年メジャーリーグ奪三振のタイトルを取った先発ピーピーのボールを切り裂くようなスイングでライトスタンドへ運ぶ。
 初回先頭打者弾。好打者としてメジャーでも周知されるイチローの狙いすましたような一撃。日本を応援する人々の歓声とどよめきがスタジアムを包む。
 「……でしょっ!」
 霊夢が力強く拳を握る。仲間とハイタッチを交わすイチロー。彼の表情は変化なかったが周囲の選手達は少し緊張が解けたような笑みを浮かべていた。

 「気候も時差も違う異国の地で相手や観客も含めて完全にアウェー、しかも名前を見ただけでも肩に力が入ってしまうようなメンバー。否が応でも緊張してしまう場面でのこれは流石というか、やっぱり次元が違うわね」
 「そうですね……これで相手が米国というプレッシャーが緩和されたのは間違いない。ですが始まったばかりの初回、不利なことには変わりは無いので可能なら畳みかけれる内にあと2,3点が欲しいです」
 「……あの」
 「それにしても。アメリカの球場で審判までアメリカの人間だなんて、正直フェアとは言えないわねぇ?」
 「はい。第一回で試行錯誤ということを配慮しても苦言を申さずにはいれません」
 場所は変わり白玉楼。会話に熱を出す二人を見て遠慮がちに声を出す妖夢。隣に座る赤髪の少女も同情するかのように彼女の肩に手を置く。
 「あ、あのっ……!」
 「ん? どうしたの妖夢? お茶とお菓子は間に合ってるわよ」
 「大丈夫です、お茶は冷めないうちに頂きますので。小町はいいの?」
 「いや、それはいいんですけど……四季様」
 「……あの、お二人はあちらのお仕事の方は大丈夫なのですか……?」
 この日、白玉楼は二人の客人を迎えていた。
 死神の小野塚小町。
 彼女の上司にあたる閻魔、四季映姫・ヤマザナドゥ。普段は多忙の彼女達だがこの第2ラウンドに合わせて時間を作り、
決勝まで休みを取ったとのこと。そこで大会の間は仕事場にも近いこの冥界の白玉楼で観戦したいと申し出、幽々子も同意し
今に至る。
 「まあまあ妖夢、あのお方も今までこういった仕事以外に熱中できるのが無かったんだ。これぐらい勘弁してくれるさ」
 「……それも少し違うような気が……」
 ひそひそ話をする従者二人をよそに、映姫が眉をひそめ呟く。
 「球場、審判……全てが向こう寄り……」
 彼女の不安は後に最悪の形で的中することになる。

 日本は初回はイチローの本塁打の1点で止まり、先制してもらった後の裏の攻撃。マウンドには巨人のエース上原がメジャーの強打者、好打者達の前に立ちはだかる。
 「大丈夫かな……」と不安がる鈴仙の手を握り「国際試合無敗神話を持つ上原を信じて」と元気づけるてゐ。本当にこの二人はこういう時は普段の憎まれ口叩き合いとは縁が無い。気弱な姉を支えるしっかり者の妹のような微笑ましさだ。しかし西岡のエラーで先頭のヤングが出塁。一気にてゐの顔も青くなった。そして迎える2番は――。

 「ジーター……!」
 今日も妹紅と仲良く観戦中の慧音が息を呑む。デレク・ジーター。メジャーリーグの名門ヤンキースの不動のショート。類まれなるリーダーシップを持ち、チームメイトに
ファンに慕われ黒人と白人のハーフでいわれない差別を受けたこともあったが優しさを忘れず、次第に周囲に愛されるようになるなど人間的にも立派で、正直に言うと彼のことを尊敬していた。今回のWBCにも信念を持ち積極的に参加し、彼を見るのも楽しみだった。
 そのジーターがサードへの内野安打を放ち無死1、2塁。慧音は複雑な思いだったが心の中で拍手を送った。妹紅もそれをわかっており何も言わなかった。

 しかし日本のピンチである。クリーンナップに入り3番のグリフィーことケン・グリフィー・ジュニアが左打席に入る。
 「グリフィー……イチローが憧れた選手……」
 霊夢が複雑な表情で天才が憧れる選手を見つめる。おととしの2004年に手術で右足に3本のボルトを入れられ、翌2005年には打率315、35本塁打、92打点という好成績を残しカムバック賞を受賞。全盛期は走攻守全てを兼ね備えていたというのだから恐ろしい。しかし彼もまた心優しい性格でファンに愛されている選手である。そのグリフィーは三振に倒れるがそのスイングは歴戦の戦士だということを充分に感じさせてくれた。それでも、この打線は気が抜けない。

 「あれがAロッド……確かにアメリカの4番をまかされるだけはあるわね」
 打席に立っただけで、レミリアの額に汗が滲む。メジャーの4番……それだけで妖怪である自分でさえもゾクっとするのだ。見渡せばフランに咲夜、美鈴にパチュリー、小悪魔も緊張した面持ちだ。
 アレックス・ロドリゲス。通称Aロッド。あのメジャーシーズン最多の73本塁打を記録するバリー・ボンズよりも
パワーがあるとも言われるメジャーリーグ屈指のスラッガーだ。更に昨年は48本塁打でタイトルを取りながら21盗塁を記録するほどの走力を持ち走塁の技術も優れている。知れば知るほど、聞けば聞くほどアメリカの打線が恐ろしい。しかし一番それを感じているであろうマウンドの上原は堂々と立ち向かい。見事サードゴロ併殺でピンチを切り抜けた。

 「やったぁっ!!」
 手を叩き合い喜ぶ鈴仙とてゐを見習うように、輝夜も永琳と軽くハイタッチ。
 (これは……もしかしたら彼はメジャーに行ってもかなりの所まで行けるかもしれないわね)
 輝夜の予感は見事に的中するのだが、それはまだ先の話。

 2回の表、先頭打者の福留が四球で出塁。岩村もレフト前に安打を打ちチャンスを広げ無死1,2塁で小笠原。ここで何とまさかの送りバント。フルスイングが信条の小笠原が自らを犠牲にランナーと進める。
 これには狼狽えていた妖夢も驚き、目を見開く。そこに幽々子が優しく声をかけた。
 「これは戦じゃないわ、試合よ。チームのために自分を押し殺すのも立派なこと。それとも失望しちゃったかしら?」
 「いえっ……ますます好きになっちゃいました」

 しかし一死2、3塁のチャンスで谷繁が三振。2アウトとなりラストバッターの川崎。憧れのイチローが目が覚めるような強烈な先頭打者ホームランを打った。この男が燃えないはずがない。打った打球がレフト前に落ちてランナー二人が生還し3対0。欲しかった追加点が入る。イチローはサードライナーに倒れ終了。
 「きゃあああっ♪」
 藍に飛びつき喜ぶ橙。メジャーリーガーを相手に日本のプロ野球は一歩も引いていない。しかし、アメリカはすぐに反撃。

 2回裏、先頭は5番打者のチッパー・ジョーンズ。アトランタ・ブレーブス一筋の強打のスイッチヒッター。メジャーの選手の中では少し細身に見える体つきだが打力は超一級。選球眼も良くやはりメジャーを代表する選手の一人。
 「――っ!」
 萃香の目つきが変わる。
 軽くスイングしたように最初は見えた。しかし打った打球はセンターへどんどん伸び、あっさりとフェンスを越えてしまった。
 「まいったね、こりゃ。鬼も顔負けだよ」
 大きくため息をつく。鬼である萃香から見てもメジャーの強打者のパワーは規格外なのか。

 「日本が例えば刀なら、アメリカは斧……いや、巨大な戦斧(せんぷ)だな。多少芯が外れようと強引に持って行ける。
あいつらが仮に幻想郷に攻め入ったら半数以上の妖怪がやられるだろう」
 吸血鬼のレミリアもそう評した。彼らのスイングのスピード、パワーは日本人では真似するのが非常に困難なのだ。

 しかし侍は例え相手が遥かに格上だろうと立ち向かう。上原は昨年の首位打者のリーを三振に、シュナイダーの強烈な当たりを一塁の小笠原が横っ飛びで掴みゴロとする。浮いたボールをウェルズに2ベースにされるがラストバッターのウィンをセンターフライで抑え3アウト。
 重苦しい2回の裏が終わり誰もが汗を流しながら安堵の息を吐いた。

 ここから試合は投手戦となる。段々と調子を戻してきたピーピーの前にその後は多村の1安打に抑えられ、しかし上原もランナーを出しながらもギリギリのところで食い止めた。野手も盛り上げ、5回裏は岩村、川崎がそれぞれ好守を見せアメリカの観客を唸らせた。
 上原は7安打を浴びながらも失点をジョーンズのソロのみに抑え1失点で降板。超重量級のアメリカ打線を相手に堂々とした立ち振る舞いだった。
 鈴仙はこの時少し泣いてしまったという。

 3対1のまま迎えた6回の裏、上原に代わり清水(千葉ロッテマリーンズ)がマウンドへ。ロドリゲスを三振に切り上々の出だしでジョーンズと対戦、その最中に主審から何らかの注意を受ける。その後制球が乱れ四球。ピッチャーとは繊細な生き物だ。自分のリズムが崩れると脆くなる者もいる。悪い流れでランナーを出し、6番のリー。
 球自体は悪くない、むしろ良い方だった。それを軽々とレフトスタンドへ運ばれ、均衡状態だったのがあっけなく同点に。7回に両スコアに0が並び、そして――8回の表を迎えた。
 
 「終盤か……こうなってくるとサヨナラがある裏のチームの方が有利になってくるわ」
 そわそわする人形達を宥めながらアリスの表情が険しくなる。幽香もアメリカ選手の豪快なスイングやキレのある変化球、
重そうな直球を見ていたので同じ気持ちだ。妖怪である自分がここまで脅威を感じるとは、向こうの外の世界の人間達、特に異国の連中は一体どういう怪物揃いなのだ。奴らが武器を持って幻想郷に入ったら制圧されてしまうかもしれない。
 「8回は2番からの好打順……流れを変えるならここしかないわね」
 二人の重苦しい雰囲気を察したメディスンはドアラを抱きながらじっと俯いていた。

 8回表、この回の先頭の西岡がセンター前のヒットで出塁。多村が倒れるが松中が死球、福留が四球で1アウト満塁。
これ以上ない、もしかしたら最初で最後のビッグチャンスが訪れる。バッターが岩村。

 『岩村、頼む……』

 幻想郷住人の思いはひとつ。

 2ボール1ストライク、岩村のバットから乾いた音が響く。打球は左へ。
 「少し浅い……いえ、西岡選手のスピードなら」
 文の確信通り、レフトのウィンが捕球すると三塁の西岡が走り出す。スタートは少し遅れたように見えた。しかし、
送球はホームベースから左に逸れたし仮に届いたとしてもタイミング的には悠々セーフだ。二塁の累進も両手を水平にセーフの判定。
日本に待望の勝ち越しの1点が入った。

 『やったっ!』
 
 魔理沙が両手を高らかに上げて万歳三唱すれば霊夢も瞳を潤ませ何度も力強くコクコク頷き、橙と藍と抱き合う紫。

 フランと抱き合い嬉しそうにぴょんぴょん跳ねるレミリア。
 
 メディスンをおんぶしながら拍手する幽香に後ろから支えながら満足そうに頷くアリス。人形達も手を取り合って
ワルツを踊るかのようにはしゃぎ回る。

 トン、と互いの拳を合わせる慧音と妹紅。 

 彼女らを始め少女達が歓喜の声を上げ、輪を作る。
 唯一人――四季映姫・ヤマザナドゥを除いて。 
 殆どの者が歓喜に湧く中、彼女はアメリカの監督と主審のやりとりを見逃さなかった。
 (アメリカ主催の大会、アメリカのホームの球場、主審がアメリカの人間……)

 主審がセーフの判定をした塁審を呼び何か話し合っている。ここで永琳や慧音、紫に幽々子も不穏な流れを
察し、そして。

 幻想郷の歓喜の声が悲鳴とどよめきに切り替わる。
 判定が覆り、捕球からタッチアップのタイミングが早いとのことで点が認められず、ランナーの西岡もアウトということで
3アウトチェンジという判定。
 
 「何で!?」
 興奮して紅潮してた妖夢の顔が一転、みるみる青ざめる。倒れそうになるのを幽々子と小町が慌てて支えた。

 「し、師匠ぉ……」
 鈴仙が泣きそうな顔で永琳にしがみつく。弟子の頭を撫でてやることしかできず歯痒かった。

 手を取り合いながらヘナヘナと座り込むレミリアとフラン。

 萃香の顔も酒の気が完全に抜けていた。

 王監督がベンチから出てきて首を何度も横に振りながら主審に詰め寄る。日本の選手たちも追随するように、
誰一人ベンチから出てきて守備位置に付こうとしない。監督と一緒に戦っていた。
 
 この判定でアメリカの監督がガッツポーズをしたのを見て、慧音が唇を噛みながら肩を震わせていた。 

 流れ的には最悪となったが、それでも次の8回裏は薮田(千葉ロッテマリーンズ)が二つの三振を含め三者凡退に抑える
という好リリーフを見せ、さらに打線も意地を見せ2アウトながら満塁のチャンスを作る。
 ――しかし、そこまでだった。多村が三振に倒れ無得点に終わり、9回裏にマウンドに上がった藤川が安打と岩村のエラーでピンチを作り、相手の犠打を好フィールディングで阻止、ジーターに死球を与え満塁。執念で3番のグリフィーを三振に切るが4番ロドリゲスの打った打球は無情にも藤川の伸ばしたグラブを抜け、懸命に走る西岡、川崎。西岡が滑り込むも左足に触れてバウンド。地面に倒れる西岡を川崎がすんでのところで飛び越え、打球も転がる。西岡が放心したように仰向けに倒れ、川崎もうつ伏せに倒れ込む。
 サヨナラ打を放ちヒーローとなったロドリゲスをチームメイトが祝福し輪を作り、球場内も大歓声に湧く。アメリカの国旗が無数の手で振られ、絶対的なる王国だと強調するようであった。
 ベンチで歓喜に湧くアメリカチームを見る日本の選手達は何とも歯痒そうで、もどかしそうな顔をしていた。その気持ちは日本を応援しこの試合を最初から最後まで観た者ならば誰でもわかっただろう。

 「ちくしょうっ!」
 魔理沙が天を仰ぐ。霊夢は無言で俯き、右手で何度も畳を叩いていた。紫もまた何も言わず寄り添い、肩を抱く。悔しさを押し殺して霊夢を慰める主の代わりに、藍が肩を震わせていた。橙は黙って見ているしかできない。

 試合後、王監督は「一番近い所で見ている審判のジャッジの意見を変えるというのは私は見たことがない。野球発祥の地でこういことはあってはならない」という旨のコメントを残した。『米国に追いつき、追い越せ』という時代を生きてきた王監督なだけに今回の大会でのアメリカとの一戦は特別なものであっただろう、静かながら悔しさや怒り、悲しみが漂っていた。しかし、その後フニフォームを脱いだ後は「世界の人に日本の野球をアピールできたと思う」、「選手たちはいい財産を得たよ」と穏やかな顔つきで大健闘した選手達を称えた。
 
 互角、いや、相手の国で相手の本拠地で、互角以上の試合を繰り広げた。仮に負けたとしてもここまでアメリカを追い詰めたと誇ることができ、日本野球史に刻まれる名試合になる可能性もあった一戦。
 それだけに、あのたったひとつのジャッジが悔やまれた試合だ。
 ……皮肉なことではあるが、選手達を差し置いて『主役』となった球審ボブ・デービッドソンの「世紀の大誤審」は世界でも注目を浴び、WBCの知名度が上がることに貢献し、そして今WBCのとんでもないドラマの引き金になるのであった。



   第七話『世界のエース』
 アメリカとの試合は惜しくも敗れた。しかし、同じアジアラウンドで勝ち上がった韓国は対照的にメキシコに、そしてアメリカには3対7で圧勝するという快挙を見せる。韓国以外が全て黒星、迎えるメキシコ戦。ここに勝たなければ準決勝進出が絶望的となる。上原と並ぶエース、松坂がメジャーリーガーも在籍するメキシコ打線に立ち向かっていく。



 韓国がアメリカを破ったのを聞き、溜飲が下がる思いをした者もいれば「あの審判は何をしてたんだ?」と皮肉めいたことを言う者もいた。しかし、既に結果の出たものは覆らない。今の日本は勝ち続けるしか道が無い。



   3月14日 2006年WBC第2ラウンド第3日 エンゼルスタジアム 観客数:16591人



   先攻:日本


   
   1番(右)イチロー(シアトル・マリナーズ)
   2番(二)西岡  (千葉ロッテマリーンズ)
   3番(中)福留  (中日ドラゴンズ)
   4番(指)松中  (福岡ソフトバンクホークス)
   5番(三)岩村  (東京ヤクルトスワローズ)
   6番(左)多村  (横浜ベイスターズ)
   7番(一)小笠原 (北海道日本ハムファイターズ)
   8番(捕)里崎  (千葉ロッテマリーンズ)
   9番(遊)川崎  (福岡ソフトバンクホークス)
     (投)松坂  (西武ライオンズ)



 相手のメキシコにもメジャーに所属する選手がいて決して侮れない相手。上原が紙一重のところでアメリカを抑えたのならば
松坂も続かなければならない。だがメキシコはここまでの試合を全て2失点以内に抑える投手力を誇り1回表の日本は三者凡退に終わってしまう。
 裏のメキシコの攻撃、ヒット1本打たれるが力のある直球を軸としたピッチングでゼロに抑える。制球が荒れることもあったが2回、3回共に危なげなく抑えて打線の奮起を待つ。すると4回の表に日本が動く。

 4番松中のヒット、岩村の四球で1,2塁を作り多村。2回も同様に1、2塁のチャンスを作りながらバントに失敗し最終的に併殺という最悪の結果で落胆させたがここは執念か、何とかバントに成功し2,3塁を作る。バッターは、小笠原。
 「打ちますよ」
 妖夢はきっぱりと言い放った。打席に立つ侍の眼光を見て確信したのだ。彼女の言葉通り、侍の一振りは打球をライト前へと運び、先制の2点を刻み込んだ。
 「どうですか!」
 力強い妖夢の言葉に小町も幽々子も映姫も圧されるように首を縦に頷く。
 これだけでは終わらない。続くキャッチャー里崎が右中間へ大きな花火を打ち上げ更に2点、この回に一挙4点。アメリカに敗戦した悪い流れは完全に払拭し、この試合の勝負をも決めた。

 「圧巻でした」と文が振り返るほどこの日の松坂は見ていて安心するエースの投球だった。結局ヒットは1回の1本のみで5回を無失点。そして――。

 「オッケーイっ!」
 9回裏、守護神大塚が併殺で締めてゲームセット。日本が6対1でメキシコに圧勝、萃香が上機嫌に叫ぶと共に霊夢達も安堵する。
 「さあ、次は韓国にしっかりとお返しよ!」
 酒も混じってか声を張り上げて打倒韓国を宣言する霊夢。その目は勝利を信じて疑わないほど澄みきっていた。



   第八話『沈黙の幻想郷』
 第2ラウンド日本最後の相手は第1ラウンド最終戦の相手で黒星を喫した因縁の韓国。メキシコ戦で息を吹き返した今の日本ならばきっちりとやり返せるはずだと誰もが信じていた。
 ……後々の幻想郷縁起でも書き上げられることだが、この日の幻想郷は深い悲しみや絶望に包まれ、人間や妖怪達にとっても
衝撃的だった出来事として歴史に記されることとなる。



   3月14日 2006年WBC第2ラウンド第4日 エンゼルスタジアム 観客数:39679人



   先攻:韓国


   1番(左)李炳圭
   2番(中)李鍾範
   3番(一)李承燁
   4番(指)崔熙渉
   5番(右)李晋暎
   6番(三)李机浩
   7番(遊)朴鎭萬
   8番(捕)趙寅成
   9番(二)金鍾国
     (投)朴賛浩


   後攻:日本


   1番(右)イチロー(シアトル・マリナーズ)
   2番(二)西岡  (千葉ロッテマリーンズ)
   3番(中)福留  (中日ドラゴンズ)
   4番(指)松中  (福岡ソフトバンクホークス)
   5番(三)岩村  (東京ヤクルトスワローズ)
   6番(左)多村  (横浜ベイスターズ)
   7番(一)小笠原 (北海道日本ハムファイターズ)
   8番(捕)里崎  (千葉ロッテマリーンズ)
   9番(遊)川崎  (福岡ソフトバンクホークス)
     (投)渡辺  (千葉ロッテマリーンズ)




 前回敗れ、今大会無敗の韓国との試合だが少女達は負ける気がしていなかった。メキシコには圧勝、アメリカにも負けたとはいえ試合内容的には殆ど互角、そして同じ相手に2度負けるわけにはいかないと日本の選手達が奮闘するだろうという確信によるものだ。韓国にきっちりとリベンジを果たすと共に準決勝進出をすっきりと決めてくれる、誰もがそう思った。
 その瞬間を味わわせてあげたらきっと子供達も喜ぶし成長にも繋がるだろうとのことで寺子屋も何と途中で午後の授業は中止し日本対韓国戦を観るという前代未聞の措置を取る。今まではどこか周りと距離を置いて一匹狼のように映っていたイチローが今大会では自ら先頭に立ちチームを鼓舞するその姿に少年達は強く惹かれ少女達は酔いしれた。この大会そのものが今、この瞬間でしか味わえない道徳の授業だったのだ。 
 今やWBCは幻想郷という世界そのものにおいて大きな祭りのようなものとなっていた。

 昼食を終え、日本代表の姿を見て歓喜に湧く子供らを宥めながら、しかし慧音は心の隅で僅かな不安を抱いていた。
 相手は同じアジアの国、韓国。もしもまた破れることがあれば――。
 生徒と共に笑顔を浮かべながら、それはしこりのようにいつまでも残って消えることはなかった。

 不安を抱くものは慧音だけではなかった。
 文は冷静にお互いの3番打者を比較し、クリーンナップの差が明確に現れなければいいと危惧した。相手の李承燁は今大会最多の5本塁打を打ち、波に乗っている。対する福留は打率は1割台、絶不調だ。守備面も考慮しスタメンに入れているのならばせめて下位打線に入れるべきだ。
 永琳も同様の考えを持ち、相手が韓国のエース朴賛浩であることもあり投手戦を予想した。

 彼女達の不安は当たってしまう。
 先発の渡辺は前回も韓国戦で投げたことで相手に攻略されてしまうのではという一部が抱いていた不安を吹き飛ばす様に6回を被安打1、四球2で抑える。対する日本はチャンスを作るも繋がらない。
 1回の裏はイチローがヒットで出塁し西岡の凡打の間に2塁へ進塁、ここで3番福留が三振となり2アウト。
 「せめて3塁まで進ませられればワイルドピッチ(暴投)もあるのに」と霊夢が唇を噛む。
 結局松中もサードゴロに倒れ無得点に。
 
 2回の裏、再びチャンスが訪れる。岩村が内野安打で出塁し多村のサードゴロの間に2塁へ。小笠原がショートフライで倒れたがここで下位ながらバッティングは好調の里崎。ここでライト前へヒットを打つ。岩村も全力疾走し3塁のベースを蹴りホームへ。
 『先制だ!』誰もが湧く。
 ライトの李晋暎がバックホーム、送球は一流の狩人の放つ弓矢のように一直線にホームへ、キャッチャーへ。岩村の足が届く前にボールは届いていた。前回の試合でも好守を見せていた李晋暎の好返球により岩村が本塁憤死、0が刻まれる。
 「そんな……」
 項垂れるレミリアとフラン。パチュリーがハッとしたように目を見開く。
 岩村の顔が歪んで……次の回から3塁の守備に今江(千葉ロッテマリーンズ)が就いた。ここまでチームに貢献してきた選手が
いなくなり、韓国は好守で球場を湧かす。流れが徐々に変わっていった。

 4回裏、先頭の福留が敢え無く三振。打率は1割をも切っていた。
 「何でこの打順にいるの? ていうかスタメンなの?」
 幽香の口調は怒気を孕んでいた。ドアラ人形が申しわけなさそうに頭を下げ、我を取り戻し
慌てて謝ったのでそれ以上は無かったが、彼女だけでなく少なからず福留に対し不満を抱く者は出てきた。
 松中がヒットで出塁するも岩村と代わった今江が併殺という形でイニングを終了させてしまう。

 6回裏、川崎が四球で出塁しイチローがバントで2塁へ進める。意外性のある打撃で昨年のロッテ日本一の立役者の
一人となった西岡、しかし凡退。ここで打席に向かったのは福留ではなく金城(横浜ベイスターズ)。
 子供の反応は素直だ。良くも悪くも。ここまでの福留を見て、代打に大きな歓声が湧く。しかし慧音は俯く一人の少年を見逃さなかった。彼は確か、福留のファンだった。真剣勝負で止むを得ないとはいえ、勝負の非情さである。
 その金城は四球を選び2死ながら1,2塁のチャンス。「福留なら三振だった」と揶揄する一部の心無い声もあった。だが、どこまでも日本はチャンスを生かせない。4番の松中セカンドゴロでチェンジ。もう何度幻想郷がため息に包まれただろうか。

 「何だかこの球場、韓国の声援のが大きい気がするね」
 メディスンの疑問は在米の韓国人が多く足を運んでいる等の理由で解消されたが、アメリカの地でありながら何故だか韓国のホームで試合をしているような堅苦しさが漂う。しかし雰囲気だけでなく、実際に形として現れる。
 7回から渡辺の後を継ぎマウンドに上がった杉内(福岡ソフトバンクホークス)は7回を抑えると続く8回もマウンドへ。回跨ぎというのは中継ぎや抑え等のリリーフ投手陣でも苦労する行為だ。まして元々は先発の杉内。
 回の先頭の趙寅成を抑えたが次の金敏宰。ここで事件は起きた。金敏宰の打ち上げた打球がライトへ伸び、ファールゾーンへ落ちていく。
ファール側のスタンドに入る打球だがイチローは最後までボールを見逃さずキャッチへと向かう。ここでスタンドの観客の1部がまるでイチローの前に壁として立ちはだかり、捕球を妨害した。捕り損ねたイチローが観客に向かって吠えるように叫んだ姿を見て明確となった。

 畳がドンと思い切り叩きつけるような音を立てる。霊夢の拳だ。
 「何でっ!? どうして!?」
 きついぐらいに唇を噛む。ここまで悔しさや怒りを露わにする姿は誰も見たことがなく、それだけ彼女は野球、イチローに惹かれていた。

 もしかすればイチローの好プレーで2アウトになる可能性も秘めていた。攻撃だけでなく、守備からも悪い流れが立ち込め、エンゼルスタジアムという名前と対照的に日本には禍々しい呪縛の球場だ。それがまるで呪いの伝染のように杉内は四球でランナーを出してしまう。打順はトップに戻り1番の李炳圭。
 センター前に抜けたヒット、福留から代わった守備に就いていた金城がサードへ好返球、タイミング的にはアウトだ。……取っていれば。
これまた岩村の代わりに守備に入っていた今江のグラブは無情にもボールをこぼしてしまい、一死2,3塁。ピッチャーが藤川に代わる。もはや誰もが何かにすがり、祈るしかない。誰に? 野球の神でもいればその神に。しかしアメリカ戦では祈りは届かず、サヨナラ負けを喫しそのマウンドに立っていた投手も藤川であった。打者は李鍾範。2ボール1ストライク。里崎の構えたミットの位置から少しズレ、真ん中寄りに。バッターは見逃してくれなかった。
 現地では歓声と寺子屋の悲鳴が交錯した。打球は残酷なまでに左中間を割り、フェンスまで転がる。既にホームにはランナーが生還。センターの金城は素手でボールを拾い中継、殊勲打を打った李鍾範を三塁で刺したがあまりにも重い2点がスコアボードに刻まれる。李承燁は抑えたが韓国ベンチは既に勝利を確信したように湧き上がっていた。裏に三者凡退で抑えられたののまた響く。9回に大塚がマウンドに上がり追加点は許さなかったが日本の攻撃はあと1回。

 9回裏。何度か塁を賑わすも繋がらなかった日本打線。それなら直接スタンドに叩き込めばいい、と思っていたわけではないだろうが、先頭の西岡がレフトスタンドへ運び遂に0の並ぶスコアボードに1をつけた。
 子供達が湧く。彼らの目は日本は勝つと絶対に信じている。純粋な心は尊ぶべきだが生きるという上では期待というのは裏切られ、無慈悲に現実を突きつけられることが多い。
 もちろん相応に人生を歩んできた大人や妖怪達も最後まで試合を捨てているわけではない。1点差でまだノーアウトだ。打席に立つ選手達の名前を叫び声の限りに応援する。
 金城が倒れ松中がヒットで出塁。ここで代打攻勢に出る。今江に代わり代打・新井(広島東洋カープ)。真芯で打てば打球は空を打ち抜いて大気圏まで打球音を轟かせると評される強打者だ。
 「あーらーいっ! あーらーいっ!」
 新井の選手応援歌を口ずさみながら広島の応援名物である立って座っての応援を披露する子供達。しかしバットにボールは触れず三振。そして――。

 最後の打者、多村のバットは殆ど真ん中のボールに空を切った。フルスイングだったのか、三振し力が抜けたのか、スイングの後に尻餅をつく多村と右手を突き上げ雄たけびを上げる韓国の投手・呉昇桓。

 最初は誰もが何が起こったのかわからなかった。いや、理解はしていたが認識するのに時間がかかったのか。マウンドに集まり優勝したかのように喜ぶ韓国の選手達、見せつけられ、イチローが鬼や竜神をも震えるほどの形相で何かを叫んだ。何を言ったのかはわからないが、怒りや悔しさが誰よりも入っていたのだけは伝わった。

 「うっ……うぅぅっ……」
 正座していた霊夢が両手を膝に置き、がっくりと下を向いた。畳に染みが広がっていく。イチローの代わりに悔し涙を流しているように錯覚して見えた。
 「……これも勝負の理。選手のみんなは最後まで戦ったわ。……泣かないで」
 紫が霊夢に腕を回し抱き寄せた。
 マウンドに韓国の国旗が突き立てられる。日本の選手達も現実を受け入れられないと呆然し、または悔しそうに唇を歪め、またある者は泣いていた。
 霊夢の嗚咽が大きくなり、紫はしっかりと抱きしめ、日本代表を応援する一人の少女博麗霊夢の頭を撫でていた。
 涙で目を真っ赤に晴らす橙を抱き上げ、藍が背を向ける。
 合わせるように魔理沙も背を向け、鼻をすすり天を仰ぎ、片手で両目を隠す。
 萃香も酒樽を抱え、境内に消えていく。
 やがて神社には霊夢と紫だけが残り、博麗霊夢の嗚咽はいつまでも止まらなかった。

 永遠亭では鈴仙とてゐが抱き合って泣き、永琳が二人の頭を撫で、あやしている。輝夜はぎゅっと目を閉じ、少しの間そのままでいたと思えば立ち上がり外へ出ていく。永琳は気づいていたが止めることはなかった。

 体育座りをして顔を隠し、泣き声を漏らす妖夢に寄り添う幽々子。映姫と小町は気づかれないようにそっと離れた。

 9回裏の攻撃からずっと文はカメラを手に離さず試合を観ていた。もちろん日本が追いつき、はたまた逆転サヨナラする場面を
収めるためだ。それは叶わなかったが事実を伝えるのも記者の役目だ。手を震わせながらも歓喜に湧く韓国、敗者となった日本を
写真に収めていく。シャッターを切る瞬間は常に冷静でミスもなく撮影できていた。涙で視界が滲もうとも。

 紅魔館の主とその妹が子供に戻って泣きじゃくっている。咲夜と美鈴がそれぞれ寄り添うもその表情は辛そうだ。
パチュリーは何かを言おうとしたが言えなかった。まだ可能性が残っていることを親友に伝えたかった。しかし今の親友に伝えてもきっと理解はしてくれないだろうともわかっていた。伝えられない事と悲しむ親友達を見守るしかできない今のこの時間。
 無念さを察した小悪魔が、その細い肩を支えてくれていた。

 ドアラ、ジャビット、トラッキー人形が土下座をしたがすぐにアリスが止めさせた。結果自体は確かに残念であるが、彼らには
何の罪も無い。マスコットというのはチームがどんなに重くて辛い状況でも、それでも応援してくれるファンに笑顔を届けるため
頑張っているのだ。これで罵声を浴びせ果てには逆恨みのようなものを浴びせるのはもはやファンではない。それでこそ、
人形だったメディスンを捨てた人間と変わらないではないか。
 彼らを励ますアリスの心が本物であることを人形であったメディスンは誰よりも理解してくれた。アリスの背中にしがみつき、
背中に顔を埋め泣くのを堪えている。幽香が代わりに泣いてくれていた。

 寺子屋の教室は静まり返っていた。聞こえるのはすすり泣く子供の声だけ。福留ファンの少年が目に涙をいっぱいに浮かべ、今にも消え入りそうな声で「ごめん」と謝罪した。もちろん試合には勝ち負けがあり、選手達は全力で勝利に向かい戦っている。勝者と敗者に分かれるのは当然だが、それが全てではない。
 「そんなことはないぞ」
 少年の肩に手を置き、慧音は生徒達がある程度落ち着くのを待って、大きく息を吸った。
 「みんな、結果は残念だったがこればかりは仕方がない」
 「でも――諦めるのはまだ早いぞ」

 それは少ない可能性ではあるが確かに存在する希望への道。しかし、声に力を込めて説明を始める。
 諦めてしまうこと……これを教えるのは教師として失格なのだ。



   第九話『アナハイムの奇跡』
 それはほんの僅かな可能性だった。しかし、このドラマの始まりがアメリカ戦の誤審であれば転換期のきっかけもまた誤審。
それは気持ちが切れかけていた戦士達の闘志に炎を宿させ、誇りを取り戻すための力を与えた。
 どんな脚本家も作家も書けないであろう、最高の奇跡の物語がいよいよ動き始めた。
 


 深い悲しみに幻想郷が包まれている。湖で遊ぶ妖精達も元気なく座り込み、心ここにあらずとばかりに
ぼーっとしていた。
 ……その湖の側に立つ紅魔館。悲しみに暮れる姉妹がようやく顔を上げたのを待ち焦がれていたように、パチュリーが
日本がまだ準決勝に進められる可能性があることを説明する。
 それはこの大会が「失点率」で順位が決まるというもの。「失点率」とは「失点をその守ったイニング数で割ったもの」。細かく説明すると非常にややこしいものだがそこは知識人、わかりやすく伝えた後に最後に全勝の韓国を除いた3か国の進出条件を話す。

 日本  :メキシコがアメリカに2点以上取って勝利する
 アメリカ:メキシコに勝利または1失点で敗北
 メキシコ:延長13回で無失点かつサヨナラ3ランもしくは満塁ホームランで勝利

 最初は幾分か表情を和らげたレミリアだったが、条件を聞き沈痛な表情になる。
 「メキシコの条件って……ある意味可能性ゼロよりもひどいわね。モチベーション保つとかそういう問題じゃないでしょ」
 ちなみに1次リーグではメキシコはアメリカに2対0で敗れており、しかも前日にディズニーランドという遊園地に行って
すっかり観光モードになっている。アメリカだって俄然本気の本気で向かってくるだろうし、何より。
 「自分の国の審判が、母国の危機に正常な判断を下せると思う?」
 この大会にはアメリカに有利なものばかりだ。審判も人間、感情がある。
 「お姉様」
 フランがレミリアの手を握る。その目は驚くほどに凛としていた。
 「メキシコにだってメジャーで頑張ってる選手もいるんでしょ? それに、メキシコのみんなだって国のみんなのために
勝ちたいって思っているはずよ」
 そして球場で戦う選手達もまた人間だ。だからこそ最後まで結果はわからない。
 「……そうね。最後まで信じましょう」
 ぎゅっと握り返す。力任せではなく、包み込むように優しく。もしかしたら生涯で一番妹のぬくもりを感じたかもしれない。

 韓国に2度目の敗北を喫した夜。妹紅は一人で酒を飲んでいた。慧音は子供達を宥めたり励ましたりし疲れていそうだったので
誘わなかった。明日の朝にアメリカとメキシコ戦はあるが授業は通常通り、明日もまた子供達に神経をすり減らすだろう。
 何杯目かの酒を飲み干し、一息ついていると隣に誰かが座った。
 「……よう」
 「嫌味のひとつもないなんて、消沈してるのね。人のことも言えないけど」
 輝夜だ。酒を注文し、んーっと伸びをする。
 「やけ酒か? それならお前が酔う前にさっさと抜けるわ」
 「いいえ」
 首を傾げながら、じーっと見てくる。男性だったら思わずドキっとするだろう。
 「メキシコとアメリカの試合、一緒に観ない? どうせ暇でしょ」
 「否定はしないが……何を企んでいるんだ?」
 「んー……もしもアメリカが勝っちゃったら悔しさをぶつける相手が欲しい、とか」
 はあ、と呆れたように長い息を吐く。が、笑いもこみ上げてくる。
 「そうだな、確かにお互い燃え尽きるまでやりあっても悪くはない、かな」


 メキシコ対アメリカの試合はこちらの時間では午前中に行われた。里の人間は子供は寺子屋、大人達は仕事と普段通りの日常を送る。しかしみんなの顔には元気がなく、このアメリカ対メキシコの試合の存在さえも記憶の彼方へ飛んでしまった者もいた。
 他力本願という形だが、日本の準決勝進出の決まる一戦。僅かな望みをメキシコに託す者もいた。

 「アメリカの先発はクレメンス。ロジャー・クレメンスです」
 藍の報告に紫の顔も凍り付く。アメリカのレジェンドピッチャーだ。二人の背後には泣き疲れて眠りに就いた霊夢と付き添っていた魔理沙と橙が布団を川の字に並べて寝息を立てている。最初は起こそうかと思ったが、また彼女に絶望の光景を見せてしまうと……と考えると迷いが生じ、結局そのままとなる。

 「あの審判がいますね……」
 一塁の審判を見て、映姫が顔をしかめる。あの誤審のせいですっかり彼、ボブ・デービッドソンの姿は幻想郷にまで周知されていた。
幽々子に妖夢、小町も渋い表情を浮かべた。
 「普通に試合が行われればいいのですが……」
 映姫の声は力なかった。

 モチベーションの低いメキシコと、ホーム球場に自国の審判を備えたアメリカ。絶望的だが僅かな希望を残した試合が幕を開けた。
映姫の願いも虚しく、この試合もあの審判が試合を引っ掻き回す。2回の裏のアメリカの攻撃、1アウトからエラー出塁の判定が出るがリプレイを見るとタイミングはアウト。映姫が首を横に振る。
 しかしメキシコはここを無失点に抑え、試合を見守る者達が拍手を送る。

 3回裏、メキシコがノーアウトからバレンズエラの打った打球が右翼に伸び、ポールに直撃し、フェアグラウンドまで転がる。ポールに当たったのであればホームランだ。しかし一塁塁審のボブはホームランの宣告をしない。メキシコが激しく抗議をし、審判団が集まる。
 ……が。
 「嘘だろっ!? いい加減にしろよ!」
 輝夜と共に永遠亭で観戦していた妹紅が声を荒げた。当然だ、彼女が先に声を出したが自分も叫びそうになった、と輝夜。
 責任審判であるボブが二塁打を宣告。メキシコはボールに付着していたポールの黄色い塗料を審判団に、カメラに見せつけて
アピールする。しかし、判定は覆ることはなかった。

 映姫が片手で両目を隠し、天を仰ぐ。

 アメリカには誇りがないのか、と憤慨するレミリアの横で、フランが変化に気付く。
 「……メキシコのみんなの目……」

 「あれは……燃えてるな」
 妹紅が肩を震わせる。メキシコの選手達の目が怒りだけでなく、何か強い信念を宿しそれを炎の様に燃え上がらせている。
日本の場合は攻撃そのものが終わったがメキシコはまだノーアウトで二塁。彼らの炎は理不尽なジャッジでは消せず、むしろ激しく燃え上がった。メキシコの2番バッター、カントゥがタイムリーを打ち誤審で消えたホームランの分の1点を返す。どんな審判もケチのつけようのない、正真正銘の1点。
 「おおっ!」
 「やりましたっ!」
 妹紅がガッツポーズをし、鈴仙が拍手しはしゃぐ。戦意を削ぎかねないジャッジを跳ねのけた1点。

 4回表、ウェルズの犠牲フライで同点に追いつかれるが、彼らの目は死んでいない。5回の裏にバレンズエラがヒットで出塁し
送りバント、アメザガのヒットで一死1,3塁。ここでクレメンスが降板する。次第に球場がどよめく。そしてカントゥの内野ゴロの間に1点が入りメキシコが勝ち越す。
 「……霊夢」
 ハッと振り向くと、寝ていたはずの霊夢に魔理沙、橙も試合に見入っていた。その目は驚きと興奮が混じっているように見える。それは当然だろう。そしてメキシコは彼女達を更に驚かせる。
 7回表のアメリカの攻撃、強烈な当たりをサード、カスティーヨが飛びつき素早く送球しアウトにするファインプレイ。8回表も三者凡退に抑える。

 「このメキシコに日本はよく勝てたわね……」
 そう言うパチュリーの言葉の端には熱が入っていた。メキシコの進出条件は無理難題で、しかも3回裏に点を取った時点で可能性は完全に消滅した。しかし今の彼らにはそんなことはどうでもよかったのだろう。
 「アメリカにしてみれば、何でこいつらはここまで……という気持ちでしょうね。でも――」
 レミリアの言葉をフランが引き継ぐ。
 「ああいう嫌なことばっかりされたら、絶対に負けたくないに決まってるもの」
 
 9回表。1アウト後連続四球で1,2塁。バッターは一時は同点となる犠牲フライを打ったウェルズ。ロッキーズに所属する
コルテスのボールに魂が込められているかのように、ウェルズの打球は力無くショートへ。二塁へ投げ、アウト。続いて一塁へ……。
 日本が屈辱を味わうきっかけになったのがボブの誤審ならばメキシコの闘志に火をつけたのもまた彼の誤審だ。一塁へ送球され、一塁塁審、ボブの手が力無くアウトを宣言する。歓喜に湧くメキシコと静まり返るアメリカのベンチ。
 この時、輝夜は風が吹いたのを感じた。
 「うおおおっしゃあっ!!」
 妹紅が両手を振り上げ。目を潤ませて叫ぶ。
 「残った……日本が残った……」
 永琳も目の前の壮絶なドラマが現実であるということをにわかに信じられない様子だった。構わず妹紅はてゐ、鈴仙とハイタッチをし、そして。
 ――輝夜と、手が吹き飛ぶほどの激しいハイタッチを交わした。

 「やった……やりましたよ、幽々子様……!」
 「ええ……!」
 興奮を隠さず頷き合う冥界の主従、少し後ろで映姫が穏やかな顔で目を閉じていた。
 「……メキシコの選手の皆様……あっぱれです……!」
 
 「お嬢様!」
 「妹様!」
 「レミィ……!」
 目頭を擦る姉妹に駆け寄るメイドに門番に魔女に司書。やがて落ち着いたのか、レミリアは左手を胸に当て目を閉じ、
遠く離れた地にいるメキシコに感謝を綴った。
 「……貴方達の誇り高い勝利を祝福するわ。……ありがとう」

 「霊夢……」
 「絶対に」
 霊夢が力強く。
 「絶対に、準決勝勝ちましょう。メキシコの分まで……!」
 「……ああ!」



 『我々が次のステージに進むことは適わなかった。しかし残されていた最後のもうひとつの椅子に座るのにアメリカは相応しくないチームだった。我々が日本をその席に着ける力になれたのなら幸せだ』
                                ~メキシコ代表・ゴンザレス選手~


 『我々の国ではサッカーやボクシングの方が野球より人気がある。このWBCで多くのメキシコ人に野球に興味を持ってほしかった。
アメリカはとても強い国だがホームランを2塁打にされた時、どうしても勝って見ている子供達に、野球というスポーツは気持ちの強い者が勝つという所を見せたかった。日本は胸を張って決勝で戦ってほしい』
                                ~メキシコ代表・バレンズエラ選手~



 理不尽な判定に燃え上がったメキシコの炎がアメリカを燃やし、戦士の誇りの炎の中から不死鳥が羽ばたき、日本を蘇らせた。
 


   第十話「未来」
 準決勝は3度目となる日韓戦。
 「日本が同じ相手に3度負けることは許されない」
 イチローの言葉通り、日本野球の誇りと未来を懸けた一戦だ。
 運命の決戦の前日、霊夢はある人物と出会う。それは本来の未来に自身が裁きを下すことになる、
世界の裏側を見た男だった――。



 メキシコの勝利により蘇った日本は明日、韓国との負けることは許されない3度目の対決を迎える。里を歩く霊夢は
人々が活気づく声を耳に、姿を目に焼き付けながらも一抹の不安を感じていた。
 3度目の正直という言葉がある。
 二度あることは三度あるという言葉もある。
 結局、結果がどうなるかは実際に試合が始まらないとわからないのだ。
 もしも負けたら……考えたくはないが、2度の敗北を目にして身としてはどうしても気になってしまうのだ。そこへ
一人の男性に目を止めた。占い屋か……最初はそう思ったが、彼は占うわけではなく訪れた人々と談笑したり、子供達に
笑顔を向けお菓子を渡したりと商売は全くしていないようだった。不思議に思い離れた位置で止まって見る。やがて人々がいなくなり、男がこっちに気付いたように会釈する。どうやら初めから気づいていたようだ。
 「これはこれは霊夢さん……何か私に用でもあるのですか?」
 人の良さそうな笑みを浮かべている。そういえば、子供達に「易者のおじさん」等色々と呼ばれて慕われている
易者がいると噂で聞いたことがある。本業の修行の傍ら、子供達に野球を指導しているとも。
 「いえ、たまたま。繁盛してるの?」
 「いやいや、私はまだ修行中の身。こうしてたまに師匠の代わりを務めさせてもらうことはありますがね。最近はWBC絡みの世間話ばかりで占うのも忘れて談話することも増えまして……いや、はっはっは」
 「慧音が言ってたわよ、子供達の相手をしてもらえて本当に助かってるって」
 ははは……と気恥ずかしそうに口元を緩める易者。しかし、すぐに真顔になると、じっと霊夢を見据える。
 「……お悩み事でもあるのでしょうか? いえ、私如きが生意気ではありますが……少し、里の皆さんと比べて重い顔をしてましたので」
 どうやら優れた占い師の素質を持つという噂も本当のようらしい。子供達に野球を教えるぐらい野球好きらしいし、ここは素直になってもいいだろう、と明日の試合への不安を打ち明けた。易者は黙って聞いていたが、やがて店じまいの準備を始め、終えると二人分のグローブとボールを取りだした。
 「キャッチボールってしたことはありますか?」
 「……いいえ」
 
 不思議な光景だった。文辺りに見られたら良からぬ記事を書かれたかもしれない、いや、書かれてた。里の外れで、博麗の巫女の自分が占い師とはいえ里の人間、男性とキャッチボールをしている。野手の送球や投手のキャッチャーミット目掛けての投球等は見慣れていたが、自分でこうして相手のボールを受けたり、相手に向かってボールを投げたりすると実に新鮮な気持ちと感覚だった。
 「……結構、思ったところに投げられないものね」
 易者のミットに目掛けて投げるが、どうしても右や左にズレたり、暴投に近いすっぽ抜けもある。大して易者は多少のブレはあるが概ね取りやすい位置に投げてくれ、しかも取りやすいような優しい力加減のボールを投げてくれる。ミットにボールの収まる乾いた音がしばらく響いた後、易者が白球を片手に語りだした。
 「実はですね――私、もう少しで人間を辞めようかと思った時期があったんですよ」
 「えっ?」
 「前々から、ずーっと妖怪に管理されて支配されている暮らしに疑問を持っていたんです。いっそ自分も人間を辞めて妖怪になって、妖怪側になればもうちょっと自由というか、良い暮らしができるようになるんじゃないかってね」
 霊夢の顔が曇る。
 「それは……」
 「でもね。野球を通じて、野球に目を輝かせる子供達の姿を目にしたんです。そうしたらそんなちっぽけなことで悩んでいた自分が惨めに思えてきましてね。別の生き方を見つけようと思ったんですよ」
 澄んだ瞳だ。
 「今、野球は人間や妖怪達の間で広まっています。……私は、野球を通じて人間と妖怪がもっと通じ合えるような未来を見たいんです」
 再び易者がボールを投げる。相変わらず優しい球だ。受ける側を思いやっている。霊夢も倣って、少し力を抜いてふんわりとした球を投げた。
 「確かに明日、韓国に負ければ日本野球にとっては大打撃でしょう。ですが、野球の根は断たれることはない。なぜならば野球というものがすでに日本の根底に刻み込まれているからです。この大会で人間や妖怪達が真剣に日本を応援してたように……」
 彼は占術も何も無い。ただ、まっすぐに未来を瞳に映しているのだ。胸の僅かなつかえが、薄れて消えていく。
 ありがとう、と陳腐に言うのではなく、彼に向ける感謝は――。
 「……っ!」 
 易者の目がわずかに見開かれる。真っ直ぐ伸びたボールが真ん中に構えたミットに吸い込まれるように収められた。意図を理解したのか、彼もまた口元を緩め、掴んだボールを掲げた。
 「ナイスボール! イチロー選手に負けないぐらい、いいボールでしたよ!」



   第十一話「月まで届け、サンディエゴの花火」
 その日の、その時間のことを、稀神サグメは日誌として記録している。
 『地球から花火のようなものが打ち上げられたという報告が多発し、自分も見に行くと地球のとある部分が確かに光輝いたと思えば爆発したように光が拡散した。念のため警戒をしたが結局何も起こらなかった。しかし、自分も含めてその日、月の民は同じ夢を見た。
多くの人間が集まった箱のような場所で、大きな歓声と共に男性の集団が嬉しそうに手を叩き合い、花火が打ち上げられていた。月の民は地上の者に穢れを感じる者が多いが、この夢に出てくる男達を見てどこまでもまっすぐで力強いものを感じた。仮にも月面戦争で彼らのような者がいたら、最終的な結果は変わらなくとも大苦戦は免れなかっただろう。しかし彼らに抱く気持ちは恐れではなく、素直な尊敬の念だ。もしも可能であれば、彼らが何をやっていたかを知り、実際に彼らの世界へと行ってみたい』



  3月18日 2006年WBC準決勝 ペトコ・パーク 観客数:42639人



   先攻:日本


   1番(中)青木  (東京ヤクルトスワローズ)
   2番(二)西岡  (千葉ロッテマリーンズ)
   3番(右)イチロー(シアトル・マリナーズ)
   4番(指)松中  (福岡ソフトバンクホークス)
   5番(左)多村  (横浜ベイスターズ)
   6番(三)今江  (千葉ロッテマリーンズ)
   7番(一)小笠原 (北海道日本ハムファイターズ)
   8番(捕)里崎  (千葉ロッテマリーンズ)
   9番(遊)川崎  (福岡ソフトバンクホークス)
     (投)上原  (読売ジャイアンツ)


   

   後攻:韓国



   1番(左)李炳圭
   2番(中)李鍾範
   3番(一)李承燁
   4番(指)崔熙渉
   5番(右)李晋暎
   6番(三)李机浩
   7番(遊)朴鎭萬
   8番(捕)趙寅成
   9番(二)金敏宰
     (投)徐在応


 街と一体化したようなスタジアム、ペトコ・パーク。外野は広く、風の影響が強く出るため打者にとってはホームランが出にくい。
右中間が深いため特に左打者泣かせの球場だ。守備においては外野手の守備力全てが問われ、投手にとってはフライアウトを取りやすい。また、サンディエゴ・パドレスのホーム球場でもあり、昨年まで所属していた大塚はここで投げていた。投手が有利な球場……そこで上がるのがアメリカの打線を相手に真っ向から立ち向かい、大健闘した。そしてこの日の打順。王監督が動いた。
 イチローが3番に入り福留がベンチスタート、センターにはヤクルトで売り出し中の青木が入りトップバッター。サードには今江が入る。先攻のため同点止まりならば俄然相手が有利になる。まさに上原にはエースのピッチングが求められていた。
 メキシコの奮闘に勇気づけられた少女達は目を背けることはなかったが、後に文が語る「この日はただただ、怖くて仕方がなかった」という話のように、不安を必死で隠していた。
 二塁塁審にはあのボブ・デービッドソンが就いていたが映姫はこの試合にはそれほど影響は出ないと涼し気な顔で言った。母国・アメリカの敗退が決まり、
結果的にはそれは自分の下したジャッジが影響したからだ。アジアの国同士の試合でアメリカ人の審判の彼が目立つ必要は、無い。
 イチローが引っ張り、王監督が率いる日本に3度目の敗北は許されない。
 「同じ相手に3度負けることは許されない」
 そう言い放ったイチローが早速動いた。

 1回の表、2アウトからイチローがライト前へヒットを打ち、盗塁を決める。結局松中が凡退するが、この試合に懸けるイチローの闘志は充分過ぎるほど伝わった。
 霊夢は一喜一憂せず、じーっと試合を見守る。今までのどの異変に臨んだ時よりも真剣な様子だったと後で魔理沙は苦笑いし振り返る。
 
 そのイチローの闘志を上原が引き継ぐ。
 先頭を打ち取るも第2ラウンドで決勝打を打った李鍾範に二塁打を打たれ1死2塁。WBC最多本塁打の李承燁を三振に切り捨てる。
パスボールで3塁まで進まれるが4番の崔熙渉をファーストゴロに抑えチェンジ。長打を打たれてもミスでランナーが進んでも全く動じず自分のピッチングに徹した。

 しかし韓国もここまでWBC無敗で勝ってきた実力は本物だ。投手陣がここまで6試合8失点、日本の15失点。更に日本戦でライトの李晋暎が好守を連発したように守備もいい。第2ラウンドの時の様にやはりスコアボードに0が並んでいく。チャンスは作れどもあと一本が出ない。
嫌な流れだったがそれでも上原は鬼神の如くのピッチングで韓国を抑え、呼応するように守備も奮起する。
 
 4回裏、この回先頭打者の李鍾範が初級を打ち上げ、打球がレフトへ伸びていく。ヒヤっとしたが打球はファールゾーンへの大飛球、しかしレフトの多村が最後まで追い続けフェンスに激突しながらもキャッチ。上原がグラブと左手で拍手し多村を称える。後続を抑えこの回も無得点。5回、6回も0に抑え韓国打線をねじ伏せた。そして試合も終盤の7回。日本野球で言うならラッキーセブンのイニングだ。
 「そろそろ何とかしないと危ないぞ」
 萃香の言う通り、球数制限もあるので上原がいつまでも投げて抑えることはできない。打順は4番・松中。

 韓国の2番手投手・左腕の全炳斗に1ボール2ストライクと追い込まれる。しかし日本の4番にして三冠王に輝いた男の目は死んでいない。内角へのボールを鋭い打球で打ち返し、ライトのフェンスまで矢のように伸びた。全力疾走し、2塁ベースに頭から滑り込む気迫のヘッドスライディング、野手のミットに収まるよりも早く両手が届いていた。左手でベースを叩き、雄たけびを上げているようにも見えた。
 この時、萃香は背中がゾクっとしたという。人間のああいう姿に、これまで妖怪や鬼が破れてきた歴史があり、時代も舞台も全部が変わっても心が変わっていないのに感動で打ち震えたのだ。
 韓国も必死の継投に入り3番手の金炳賢をマウンドに送る。
 続く多村、ここでバントを構え大きくどよめく。悪い意味でだ。強打者の多村であり、バントも苦手そうであった。そして悪い予感は的中しバント失敗で追い込まれ三振で倒れてしまう。松中の作った流れが止まってしまう、悪い予感がよぎる。
 「ちょっと(塁に進めるのを)焦っちゃったかしら……」
 輝夜が呻きそうになるが、次の打席に向かう打者を見て視線がぴたっと止まる。
 続くバッター今江に代打、打席に向かうのは――ここまで19打数2安打と大不振に喘ぐ福留だった。

 「これは……勝負に出ましたね」
 正座していた映姫がいっそう背筋を伸ばし、小町達もそれに倣う。

 「ここまで来たらもう信じましょう」
 レミリアの声と共に紅魔館がひとつになる。

 「『世界の王貞治』が勝負所で送ったバッター。きっと彼にしか見えていない、感じれないものがあったはず」
 通算868本塁打、日本もメジャーも届かない不滅の大記録を打ち立てた。大打者の勘を信じるしかない。
 紫が両手を握り、福留に懇願する。

 初球ボール、2球目ストライク。いずれもバットは振らずに見送る。
 韓国にとってはこの3度目の対決はプレッシャーがかかっていたことだろう。2回も倒したのにまるで不死鳥のように蘇り立ちはだかるのだから。ここまで無敗で来てもこの試合に負ければ意味は無くなる。
 今の日本が不死鳥なら、今打席に立つ男は不死鳥の息吹を受けているのだろうか。

 『生き返れ福留!』
 実況の言葉は日本を応援する全ての者の心を代弁していた。そして男のバットには不死鳥の炎が宿っていた。音は聞こえなかったが、みんながそれは快音だったと思ったに違いない。
 炎の中から不死鳥が飛翔したかの如く福留の打球はライトへ伸び、広いペトコ・パークの観客席へと伸びていく。フェンスはとうに越え、ライトオーバーの2ランホームラン。

 この時、幻想郷の誰もが言葉にならない歓声を上げ、拳を高く突き上げたり抱き合って喜んだり、球場以上に湧いた。正座していた映姫さえも思わず膝立ちになり、熱くなった目頭を擦った。

 『生き返ったぞ福留ぇっ!』
 実況も喉が潰れても構わないとばかりに絶叫する。解説も絶頂を迎えた。

 『花火が舞い上がるっ!』
 『サンディエゴの夜空に花火が気持ちよく舞い上がり、福留が生還したぁっ!』
 この時の実況のこの台詞は後々幻想郷縁起でも「今後、これ以上に心を震わせるものは無いと思うほどの名実況」として
幻想郷の歴史に永遠に記録されるものとなる。

 地獄を見た男達の中でも最も地獄を味わった男の打ち上げた大きな花火は日本の未来を救った。それは知らず知らずの内に空を突き抜け、大気圏を越えて遠く離れた月の住人達も唸らせた花火だった。同じく地獄を味わってきた男達が生還した福留を迎え、手を叩き合って喜ぶ。
それは国の誇りを懸けて戦う侍のようでもあり、負けず嫌いの少年達が団結して敵と戦うようでもあった。

 福留の一打は日本を活気づけ、韓国の闘志を削いだ。続く小笠原に死球を与えると暴投で悠々と二塁に進ませてしまう。ここまで堅守を奮ってきた守備に乱れが出る。生き返った日本は隙を見逃さない。里崎があわやホームランのエンタイトルツーベースで3点目、川崎が倒れるも青木に代打・宮本(東京ヤクルトスワローズ)がいぶし銀のサードを抜けるタイムリーで4点目が入る。そして――。
 この試合2安打2盗塁と好調のイチロー。歓声とブーイングが入り混じりこの日一番の盛り上がりを見せる。しかし全く意に介さず、あっさりとレフト前にボールを落とし5点目。韓国の牙をへし折る。
 7回の裏は上原がランナーを出すもアウト3つを全て三振という形で韓国の打線の芽も完全に摘む圧巻の投球。
鈴仙にてゐは涙を隠さずこの試合のもう一人のヒーローに拍手を送った。
 そして8回、多村がペトコ・パークの一番深い左中間へ叩き込むソロで6点目が入る。今までの鬱憤を晴らすかのように打線は爆発し投手はゼロにシャットアウト。

 8回を薮田が、9回を大塚が韓国打線を全く寄せ付けず0に抑え、終わってみれば6対0の大勝に終わる。しかしこの圧勝のヒーローは韓国打線を全く寄せ付けないピッチングを披露した上原と起死回生の2ランホームランを放った福留だった。

 みんな歓喜に湧いていたが、それでも最後の大喜びは隠している。決勝に勝ち、日本が頂点に立った時。幻想郷の歴史に残る大宴会が披露されるだろうからだ。



   幕間「Separate Ways」
 頂点は勝利の女神に最も愛された者にしか用意されない。ある者にとってはまるでそれは男女の恋愛のように感じる。
一方的な片想いで終われば、手を繋がれたと思ったらそっけなく突き放されたり。それでも勝利の女神を求めて愛を叫ぶように
プレーする姿は泥臭く人間らしい。
 Journeyの歌うSeparate Waysは今日の侍ジャパンが勝利の女神への愛の咆哮を象徴するテーマソングとして響いている。
 そして、彼らの歌は幻想郷にも大きな影響を与えることとなる――。



 決勝の相手はキューバ。「野球王国」としても知られ野球が国技と言っても過言でないほど野球の盛んな国で、アマチュア最強の呼び声も高く現に国際試合では日本は4勝32敗と大きく負け越しており、今WBCでもドミニカやプエルトリコ、ベネズエラといった強豪国ひしめく2組の中で勝ち上がってきた。日本と同じく順位が2位で準決勝で1位のドミニカを投手戦の末3対1で下した。
 アマチュア最強という呼び名は失礼であろう、野球に人生を懸けた戦士達の集まりだ。
 歴史的な試合の前日、ミスティアとプリズムリバー3姉妹が共演し一曲の歌を公開した。何でも、韓国戦前に夢を見て聴いた曲を歌いたくなって姉妹に話を持ちかけ、丸一日をかけて完成させたのだとか。熱中し過ぎて準決勝を見忘れたが結果オーライと言うべきか。 

 勇ましい音楽と共に力強くも切ない歌声で歌われた一曲。後に曲を聴き興味を持った紫が外の世界に出てJourneyというグループの歌うSeparate Waysという曲であることがわかった。

 英語で歌われており単純にカッコイイと湧く者もいれば、音楽と裏腹な歌詞に驚く者もいる。この歌の歌詞を簡潔に言えば男女の別れ、そして別れた女性を今でも愛しているという男の心境を綴った歌だ。
 しかし、不思議なことに曲と共に今までの日本の戦いの映像が蘇る。見方によっては失恋した男の未練がましい、女々しい歌詞なのにそれが様々な困難にぶち当たり一度は絶望のどん底まで叩き落された日本の姿と重なる。勝利に恋い焦がれ続けた男達の姿だ。
 理不尽な仕打ちを受け距離を離され、一度は完全に見離された。しかしかつては恋のライバルとして争った相手が道を作ってくれ、ようやく背中が見えるところまできた。
 気づけば勝利の女神の前に立つのは二人。どちらかが差し伸べた手を彼女は握る。そう考えると、この曲ほどWBCで戦った日本を表すものはないと誰もが思った。

 そしてこの曲は数年後、地底のとある姉妹も救うことになる。心を閉ざした妹を思う姉。世界がどうなっても自分だけは彼女の側にいるという思いをこの曲に込めて妹の前で歌い、妹が嬉し涙を流した。

 忘れられた者達が集う幻想郷。しかしみんなもそれぞれ思うものや人がいる。みんなの魂の叫びをこの曲は代弁してくれる。
 このSeparate Waysは幻想郷で最も有名な曲となり、後にミスティアは響子とプリズムリバー3姉妹、そして九十九姉妹と雷鼓を加えた8人でグループを結成しコンサートや宴会で披露するようになる。



   最終話「頂点」
 最初はお世辞にも盛り上がっていたわけではなかったWBC。しかし一流の選手達がたったひとつの目標のために泥臭く戦い
人間臭く感情を剥き出しにする姿はいつしか多くの人々を惹きつけていた。孤高のヒーローと思われたイチローは誰よりも感情的に
この大会に臨んでいた。トレードされたばかりでアピールしないといけないはずの大塚も自ら進んでチームに加わり日本の守護神となった。
 メジャーリーガーで残ったのはこの二人だけ。
 良い所も悪いところもたくさん出た第一回目のWBCだったがそれも今日で終わる。
 団結し、侍となった日本は最後の試合へと臨んだ――。




3月20日 2006年WBC決勝 ペトコ・パーク 観客数:42696人



   先攻:日本


   1番(遊)川崎  (福岡ソフトバンクホークス)
   2番(二)西岡  (千葉ロッテマリーンズ)
   3番(右)イチロー(シアトル・マリナーズ)
   4番(指)松中  (福岡ソフトバンクホークス)
   5番(左)多村  (横浜ベイスターズ)
   6番(捕)里崎  (千葉ロッテマリーンズ)
   7番(一)小笠原 (北海道日本ハムファイターズ)
   8番(三)今江  (千葉ロッテマリーンズ)
   9番(中)青木  (東京ヤクルトスワローズ)
     (投)松坂  (西武ライオンズ)



   後攻:キューバ


   1番(遊)パレ
   2番(三)エンリケス
   3番(二)グリエル
   4番(一)ボレロ
   5番(左)セペダ
   6番(右)ウルティア
   7番(指)ガルロボ
   8番(捕)ペスタノ
   9番(中)ラミレス
     (投)ロメロ



 赤いユニフォームに身を包み、「赤い稲妻」とも呼ばれるキューバの選手達。「キューバの至宝」と呼ばれるセペダ、メジャーも注目する期待の大器・グリエルといった強力打線に対し日本は1番~3番を俊足で並べ、松坂が先発。キューバは準決勝のドミニカ戦で投手の主力を駆使したため一部の投手が大会ルールで出場できず、投手陣では日本に分がある。先発・松坂を始めとする日本の投手陣がキューバの打線をどこまで抑えられるかが鍵と見られていた。しかしここまで来たら理論も何もない、戦ってきた戦士達を信じるだけである。

 運命の試合は初回から動く。
 1番川崎はピッチャーゴロで倒れるが、2番の西岡。フルカウントから三遊間へ転がし、ショートが捕球し素早く送球するもそこは俊足の西岡、既に一塁を駆け抜け内野安打とする。天然芝で打球の勢いが死んだのもあり悠々セーフ。
 この日の為に12球団全てのマスコット人形を作り上げたアリスがメディスン、幽香、人形達と一緒に拍手で湧かせる。

 3番・イチロー。当然その名はキューバも知っており先発のロメロも慎重になる。また、一塁の西岡のリードにもやや焦っているように見えた。
 「あの顔は狙ってますね」
 文がそう思っていた2ボール1ストライクからであった。パ・リーグ盗塁王に輝いた西岡だが、スタートは少し遅れた。ペスタノの送球はワンバウンドでセカンド・グリエルのミットに収まりタッチへ。際どいタイミングであったが判定はセーフ。気落ちしたのかロメロはイチローをフルカウントまでしながら結局四球で出塁を許してしまう。
 ここで準決勝で福留の一発の幕開けとなる二塁打を打った松中へ。ノースリーからフルカウントまで追いつめられるも、この間も西岡は果敢に三塁まで走ろうとしたりしてバッテリーに、守備にプレッシャーをかけ続ける。
 ロメロの22球目、ここでランナーが一斉に走り出す。コースは左に外れたボール球だったが、松中は腕を伸ばして三遊間へ打つ。転がったボールの勢いは死に、ショートのパレットが捕球した時は全てのランナーが塁に到達し、1アウト満塁のチャンス。
 「あそこに器用に打ったのは凄いとしか言いようがないです」
 半ば呆れたように美鈴が言った。
 
 1アウト満塁となったところでキューバが先発ロメロを早々に降ろし、2番手のオデリンを送った。すぐに切り替えていくあたりキューバのこの試合に懸ける思いも本物だ。
 5番・多村はこの広いペトコ・パークの最深部にホームランを打っている。三振のリスクもあるがそれを補って余りあるほどに魅力的な強打者だ。あわよくば
犠牲フライで……と思う声もあったが、肘にボールが当たり押し出し死球という形で日本が先制。意外な形で先制したが、1点は1点である。
 多村が怪我をしていないと思いつつ全員が拍手を送る。
 続く里崎は三振で倒れ、二死満塁で小笠原。最後の試合である。この試合だけは何点あっても困らないし、何点取っても気が抜けない。つまり追加点が欲しい。そして、点の形は何でもいい。
 一人はチームのために、小笠原もフルカウントからの外のやや高め、打ちたくもなるコースだが見送って押し出し四球。堅実に追加点を奪う。豪快なフルスイングで知られる小笠原だが、冷静にボール球を選んだ。その目つきはやはり侍、妖夢は何度も頷いていた。
 そして福留とはまた違う形で地獄を味わった男が魅せた。第2ラウンド、全てが終わったかと思った敗戦。決勝点のきっかけとなるエラーを喫し「日本に帰れないと思った」とまで思いつめていた男に挽回のチャンス。
 甘く入った高めのボールを綺麗にセンター前へ。一人還り、センターのラミレスもバックホームを諦めもう一人生還。挽回どころか倍返しのタイムリーヒット。初回、日本は一気に4点を先制する。 

 しかし相手はドミニカ等の強豪国ひしめくグループを勝ち上がってきたキューバ。赤い稲妻はすぐに雷鳴を響かせる。先頭打者のパレが甘く入った変化球を振り抜きレフトスタンドへ叩き込む。先頭打者弾で早くも1点を返された。その後は3人で抑えたが、キューバ打線の恐ろしさの片鱗を見せつけられた初回。
 「アメリカが全てを力づくで戦斧で薙ぎ払うならキューバは剣で一点を集中し両断するようなスイング。日本の刀よりも大きい両手剣のような……ただしそれを片手で振り抜く怪力」
 レミリアはキューバ打者のスイングをそう評する。しかし、日本の刀は力だけで相手を切るわけではない。一太刀で致命傷は与えられずとも何度も切りつけて致命傷にしていくこともできるし技そのもので一刀両断することもできる。初回、日本は少しずつ溜めたランナーを着実に返し4点、キューバは豪快なホームランを見せつけるが結局その1点で終わった。

 松坂は変化球が浮きやすかったがその分ストレートは走っていた。ランナーを出すもその剛球でバットを空に切らせ、または力で抑え込む。キューバの全力で振り切るスイングにも引けを取らない。
 「上原さんと松坂さんがいてよかった」と橙も喜ぶ。

 5回の表、この回はイチローからのクリーンナップ。ここで追加点が欲しいところだ。キューバのマウンドには既に3人目となる左腕のゴンザレス。左対左であれば投手有利というセオリーだが100%抑えられるわけでもない。中にはむしろ左投手の方を得意にする左打者もいるし左右関係なく打ちまくる選手もいる。
 イチローは? 左右もどんな球種を持つ投手でも打つ世界に誇るべきバッターだ。芸術的ともいえる流し打ちでサードの頭を越えて打球がレフト線へ転がる。レフトのセペダが打球の処理に戸惑っている間に3塁を狙いかけるも全力の送球により二塁に留まる。それでも充分すぎる二塁打だった。
 霊夢はもちろん、幻想郷の住人全員がその職人芸に等しい打撃に酔いしれる。更に松中もライト前ヒットで無死1・3塁。松中はここまでで3打数3安打と三冠王の実力を見せつける。イチローだけではない、日本のバッターも充分世界と戦えるのだ。右の多村を迎えた所でキューバも19歳の若手右腕、ペドロソに交代する。昨季のキューバ国内リーグ新人王。しかし多村も横浜を引っ張り続けた実績充分の強打者。準決勝の韓国戦では大飛球をフェンスにぶつかりながらもキャッチした闘志を秘めた男だ。
 フルカウントから鋭い打球をサードへ打ち、あわや抜けるかと思ったがサード・エンリケスが飛びつきこれを阻止。しかしホームへ走るイチローに気を取られたのか、送球が遅れて結果的には内野安打となり5点目が入る。多村は全力疾走し一塁を駆け抜け、セーフ。
 走り抜ける多村の姿が魔理沙には流星のように見えたという。
 この後里崎がピッチャー前に打球が死んだいいバントでランナーを2・3塁に進めて7番・小笠原。日本ハムでは不動の3番の彼でさえも7番というこの日本の層の厚さ。しかし打順に関係なく己の役目を黙々と全うする彼の姿はまさしく侍。キューバも最後の試合とだけあって全てを出してくる。5番手の左腕パルマ。
 小笠原の打った打球はレフトへ伸び、セペダが捕球。3塁ランナー松中が走り出す。セペダも鋭いバックホームを見せる。なりふり構わずホームへ突進し滑り込む。セーフ。6点目だ。実績だとかベテランだとかは関係ない、選手達は負けず嫌いの野球少年達の様に勝利を追い続ける。出番のないベンチの選手も声を上げ盛り上げ、イチローも彼らと共に喜ぶ。完全に日本というひとつのチームとしてまとまっている。

 6対1。完全に流れは日本にあると誰もが確信していた。中には既に勝利も確信した者もいただろう。しかし日本もまとまっているならそれは相手のキューバにも当てはまり、野球に人生を懸ける者の集団は再び空から赤い稲妻を落とす。

 5回裏、マウンドに立ったのは松坂ではなく渡辺。早めの継投にどよめく。しかし最後の試合であり選手を温存する必要はない。韓国戦に2度先発し2度とも好投した渡辺を送るのも奇策というほどではなかった。強いて言うならば本来の役割とは違うリリーフで渡辺が普段通りのピッチングができるかだ。
 先頭のペスタノを3球三振で切り、まずは上々。次のラミレスの打球がセンターへ伸びるが回り込んでいた川崎が好捕し2アウト。守備も盛り上げる。1番のパレも空振り三振で三者凡退。好リリーフを見せる。渡辺は6回もマウンドに上がった。なお、この回からセンターは青木から金城に。

 ロングリリーフというのも難しい。前の回に全てを出し尽くして抑えたとして、続けてまたマウンドに上がって同じような、もしくはそれ以上の投球ができるのか? これは本職の中継ぎ投手でも永遠の課題のようなものだ。この回の先頭エンリケスが1、2塁間に鋭い打球を飛ばすが一塁・小笠原がこれを横っ飛びし抜けるのを阻止、一塁に走り込む渡辺に送球しホームを踏みアウト。渡辺が笑顔で小笠原とタッチする。本来はパ・リーグで違うチームなので敵同士だが、今、このチームにおいては互いに信頼する仲間だ。小笠原は本来はサード、しかし全力以上のものを出している。
 しかし戦う選手は人間だ。プロであってもミスはする。
 3番・グリエルの本来ならばショートゴロの打球を川崎がまさかの失策。一度グラブに入ったボールが落ち、慌てて送球するも間に合わず。好守が続いた日本にここでミスが生じ、そのミスで空いた穴にキューバの稲妻が突き刺さる。
 4番・ボレロが三遊間を抜けるヒットで1、2塁。内野手が集まり一呼吸を置く。

 「松坂に合ってなかった分、渡辺のボールの方が合いやすくなっているのかもしれない」
 妹紅と共に永遠亭で観戦する慧音が唇を噛む。それまで抑えられていた投手から代わった投手が不思議と打ち込まれて失点を重ね、「もしも続投させていたら……」というたらればを巻き起こすのも野球の現象のひとつだ。

 ここでセペダが立ちはだかる。
 『野球の勝敗は選手の年俸で決まるわけでは無い。ハートの勝負だ』
 力強く言い放ったキューバの至宝。その言葉通り、彼のバットから紫電が放たれたかと錯覚するような打球が三塁線を抜けた。今江も必死に飛びついたが届かず、レフトの深くへ。ランナーが一人還り6対2。なおも1死2,3塁。ファールと紙一重のタイムリーツーベースヒットはまさに彼のハートが生み出したものであった。

 「……強い……」
 霊夢が自分でも驚くほど、素直に言葉に出した。みんなも否定の声を上げることはない。続くウルティアもセンター前へのタイムリーヒットを打ったことによりますます真実味を帯びる。じわり、じわりと点差が縮まっていく。キューバの不気味さに萃香でさえも肩を震わせた。
 7番ガルロボ。これ以上の失点は完全にキューバに流れを渡してしまう。彼も鋭いスイングで打ち返したがセカンド・西岡が捕球しダブルプレーでギリギリ踏みとどまった。しかし7回表の日本の攻撃は三者凡退で終わり、やはり流れはキューバに傾いている。
 7回裏も渡辺が続投、ひとつひとう確実にアウトにしていきたい中での先頭打者、ペスタノ。サード方向へ打った球がバウンド、サード今江は届かずショート、川崎へ。ミットに収め、送球するはずだった。しかし、ボールは零れて地面に。名手である川崎がまさかの連続エラー。元気印の彼の表情が青ざめている。そこに西岡が何か言葉をかけ、軽くお尻を叩く。本来は年下であるが、今は共に戦う仲間であり年齢等そういったものを越えた結束の片鱗を垣間見た。そしてそれはすぐに効果を発揮。
 エラーでのランナー、ここでラストバッターのラミレス。こういう時、「来るな」と思えば思うほど自分の元へ来るのだろうか。再び打球は川崎へ転がる。少しおぼつかない動きだったが二塁西岡へ送り1アウト、西岡が一塁へ送球し2アウト。ダブルプレーでミスが帳消しになり川崎もほんの少しだけ頬を緩ませ、西岡と力強くハイタッチ。
 しかし、勝利の女神は最後まで両者を焦らして楽しむ趣味を持っているらしい。1番パレの何でもないゴロ。一塁・小笠原が捕球しカバーに入る渡辺へ送るも渡辺のグラブからボールが落ち、再びエラーでのランナーが出る。

 幽香が両手を合わせて祈りに近い表情を浮かべ、メディスンがオロオロしながらも幽香の肩に手をかける。十二球団マスコット達も手を握り合い仁王立ち。アリスも持っていたカップの中の紅茶が冷めているのを忘れ行方を見守る。

 2番エンリケスの打球はライトへ力なく伸び、イチローが難なくキャッチし結果的には無得点で抑える。ここでベンチに下がる川崎をコーチに選手達が総出で迎え、励ます。前の試合で快投した上原や、出番のない選手達も胸を叩いたり尻を叩いたり。頭をポンポンと叩いたり。そしてイチローがさりげなくしかし優し気に背中を叩いていた。

 「……」 
 その様子を涙ぐみながら慧音は見つめていた。決勝の日ということで寺子屋は特別に休みとなり、子供達も家族と一緒にこの試合を見ているはずである。言葉で言うだけでは教えることができないことを、このWBC日本代表は見せてくれる。子供達だけでなく、大人に妖怪達にも学ぶべきことはいっぱいだ。ベンチの選手達の行動を真似するかのように妹紅が頭を撫でたと思えばてゐが背中をさすり、おどけた顔でこっちを見ていた。

 8回も日本は無得点、なおも渡辺がマウンドに。この回先頭のグリエルのピッチャー前の高いバウンドが日本にとっては不運な内野安打となり、左バッターのボレロを迎えた所で渡辺と同じロッテ所属の藤田に交代。ボレロをフルカウントで苦しみながらもレフトフライに打ち取る。
 しかしここで前の打席タイムリーを打ったセペダを迎える。初球からフルスイングで立ち向かってくる。一球、二球続けて三塁線へのファール。
3球目に外して様子を見るも全く動じていない。そして4球目、少し高めに甘く入ったかもしれない。しかしハートと集中力を研ぎ澄ませたセペダは見逃してくれなかった。
 打球はレフトへ伸び、多村も見上げてしまう。2ランホームラン。6対5、リードは僅かに1点となった。

 「あ、ああぁ……」
 レミリアが肩を落とす。
 
 「どうすんだ、おい、どうすんだよ!?」
 魔理沙が今にも泣きそうな顔で周囲に喚き散らす。もちろん誰も答えようがない。みんなの顔も強張っていた。「野球は恐ろしい」とよく聞く言葉が今日ほど身に染みる日は無い。赤い稲妻に切り裂かれそうになった、その時。

 球場に大歓声が巻き起こる。その歓声を浴び、一人の男がマウンドへ静かに向かう昨年までパドレスに所属し、この球場で、マウンドで投げてきた日本の守護神・大塚昌則だ。今はレンジャース所属となっているが、球場内に流れる音楽はパドレス時代に大塚がマウンドに立つときに流れていたのと同じ音楽。粋な計らいだった。
 サンディエゴの夜空の下、かつてここでプレーし今は日本代表のユニフォームに身を包み、世界の頂点をかけたマウンドに立つ。もう、マウンドを任せられるのは彼しかいない。
 
 6番ウルティアに対し初球。ピッチャーへの決して悪くない打球を腰を落としてしっかりと捕球し、一塁へ、アウト。続くガルロボを2ストライク追い込んでからのライトフライ。4球で仕留めた。弱気になっていた幻想郷が球場に負けないぐらい歓声を上げる。
 世界一まで、あとアウトは3つ。
 
 9回表。是が非でも追加点が欲しい。先頭の金城だったがあっさり2ストライクまで追い込められ、泳いだバッティングでサードゴロ……と思われた。サード、エンリケスの送球をファースト、ボレロが捕球できず落としてしまい何と今度はこっちがエラーで出塁。キューバの選手達もまた人間である。
 ここで1番、川崎。ここはバントしかない。しかし先ほどのエラーしたエンリケスが猛チャージを仕掛けこれを捕ると二塁へ送球しアウト。まさかの送りバント失敗だ。相手の執念が上だと認めるしかない。
 自分で自分のミスを取り返すプレーもあれば、仲間のミスを助けるプレーもある。
 2番西岡が初球からプッシュバントを仕掛けピッチャーの合間を抜けセカンドへ。内野安打となり1死1,2塁。そして――。

 
 今大会、日本代表の象徴。不可能が可能、限界が限界ではない――プレーによってそれを体現し続けてメジャーも認めるバッター。
 ――イチローがバットを刀の様に構え、じっと一線を見据える。どんな場面でも、この構えは変わらない。

 「――っ!!」

 幻想郷の実力者達はこの場面のイチローを見て、一瞬全身が凍り付いた。今、打席に立っている彼からはあらゆる攻めが通用しないように感じた。それは完全に彼の世界がその場を支配している。ストライクゾーンならどんなボールも絶対にヒットにできる確信。
どこかで見たような気がした。

 神社の居間でに集まった者全員の視線が霊夢に集中する。あらゆるものから浮き、捉えることができない。
 「……夢想天生」
 魔理沙が呟く。霊夢が首を振った。
 「――それ以上、よ」
 仮にイチローと対峙することがあり、夢想天生を発動させたとしても。
 きっと彼は、自分よりも遥か高い場所にいるので、破られてしまうだろう。
 想像して、何だか可笑しくなり口元緩む。

 ボール球をあっさりと見送った次だった。1.2塁間を綺麗に打球が抜け、大歓声が響く。川崎は迷わず3塁へ。ライトのウルティアも絶妙なバックホームを見せる。キャッチャーがタッチするのと滑り込みのが殆ど同じタイミングに見えた。
 球審は力強く両手を広げ、セーフ。……丁度、映姫も同じように手を広げていた。
 キャッチャーのペスタノはコースを完全にブロックしていたが、川崎の右手はホームベースに触れていた。
 「……最後の最後で」
 映姫が背中を向けた。
 「素晴らしいジャッジをしてくれました……トム・ハリオン」
 声は上ずり、小町は泣いているんだなと思い、頷くだけにした。
 今大会、審判の判定に物議を醸されることが多かったが最後の最後に本物の判定を見ることができた。

 イチロー。そして最高の生還を見せてくれた川崎による1点。完全に日本打線が蘇った。続く松中を敬遠で
満塁とするとそこで代打・福留。蘇った男はここでも2点タイムリーを放ち、代打宮本(東京ヤクルトスワローズ)
のタイムリー。更には小笠原の今日2回目の、妖夢を涙ぐませる素晴らしい自己犠牲に満ちた犠牲フライ。10対5と一気に突き放した。
 
 第2回のWBC、イチローは決勝で延長で勝ち越しのタイムリーを打ち、日本の優勝に貢献した。この時のイチローは今以上の
オーラを放ち、永琳が「地獄の女神さえも圧倒する」と評した。
 この時のイチローと真っ向から勝負をした韓国の投手・林昌勇もまた誇るべき名投手である。

 9回も当然大塚がマウンドへ。しかし相手も野球王国・キューバ。ペスタノが2塁打を放ち、1アウト後にパレがタイムリーを
打ち意地を見せる。イチローから始まった追加点が無ければ追いつかれていた。点差は10対6だが実際には薄氷の差だ。
 エンリケスを空振り三振で2アウト、ここで王監督が自らマウンドへ向かい、選手達に声をかけ下がっていく。ベンチからは選手達が
総立ちでその瞬間を待ち焦がれている。
 ここで3番グリエル。全身全霊をかけてスイングをしてくる。2ストライク。ここでストレートが外れてボール。

 23球目。大塚が決め球にしている縦に落ちるスライダー。
 グリエルのバットが空を切り、里崎のミットがしっかりとボールを収めた。

 里崎、大塚がガッツポーズをし、抱き合い、次々と日本の選手達がなだれ込む。ベースボールの国、アメリカの大地で日本の
野球が世界一に輝いた。

 幻想郷の住人達も抱き合い、ガッツポーズをし、雄叫びを挙げる。紅魔館ではレミリアとフランが胴上げされ、永遠亭では
妹紅と輝夜が抱き合って喜ぶ姿に慧音に永琳、鈴仙とてゐがもらい泣き。
 アリス邸では人形達が輪を作り、幽香が号泣しながらアリスとメディスンを抱きしめる。
 白玉楼では妖夢が幽々子の、映姫が小町の胸に抱き着き喜びの嗚咽。
 
 王監督の胴上げが終わるのと同時に下を向く紫の肩に霊夢が手を置く。
 「……さあ、紫。もうすぐあっちこっちから大勢来るわ。大宴会よ」
 声を殺し泣いていた紫が黙って頷く。きっと自分も泣いているなと霊夢は思った。
 「シャンパン! シャンパンファイトやろうぜ!」
 「私もシャンパンファイトやりたいです、藍様、紫様!」
 「……さあ、行きましょう」
 魔理沙も藍も橙も喜びながら泣いている。もうじき、博麗神社は幻想郷史上一番賑やかで長い宴会の会場となるだろう。
この宴会が終わったらまずは魔理沙や紫達ともキャッチボールをしよう。
 歓喜に湧く日本、そして屈託なく笑うイチローを見て、うれし涙を拭いた。



 優勝の余韻に酒を飲んで浸りながら、易者は目を閉じた。それは占術ではなく、夢。しかし、実際に訪れるであろう未来の光景が浮かぶ。
 人間も妖怪も笑顔でキャッチボールをし、野球の練習に励む。幻想郷にペトコ・パークのような球場ができ、博麗の巫女や妖が
幻想郷一を決める野球大会に身を投じるのも。
 このWBCが終わって時が流れても、こう口々に言うだろうと。

 『今でも野球を愛している。本当に愛しているんだ』

 
イチローの幻想入り話を考えてたらいつの間にかこんなお話になっていた。後悔はしていない。
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コメント



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1.無評価名前が無い程度の能力削除
せめて野球させようよ
なんで見てるだけで終わるんだよ
2.70名前が無い程度の能力削除
結構面白かったです。
3.10名前が無い程度の能力削除
なんだこれ。どの方向から見ても半端でつまらない。
7.無評価名前が無い程度の能力削除
中途半端なのはそうだが、それ以上にコメントが的外れで酷い。野球させろってなんなんだよ。このタイトルの何処にそんな要素あんだよ。最近書き手も書き手だが読み手も読み手だわ。
9.10名前が無い程度の能力削除
なんつーか、とりあえず、野球させようって意見は正しいと思うよ、俺は
この評価見りゃ分かっと思うけど、霊夢達の反応が稚拙で下らなくて、たぶんスポーツ観戦しているキャラを見せて楽しませるって、そういう力が君にはまだ無いんだよ、俺から見ると
だから素直に野球させとけば、稚拙でも稚拙なりに、まだ見られる作品になれたかも知れない
その意味で、俺も野球させとけば良かったと思う

あと、これは俺の個人的な趣向だけど、自チームの選手が凡退した時に土下座したり謝罪したりするマスコットなんていないと思う
何故ならそれは選手に対する何よりの侮辱だからだよ
そういう描写を平気でさせちゃう君を、俺は、同じ野球ファンとは思えない
とても残念な気持ちになったよ