宇佐見蓮子が死んだ。
その報せは、私が入居している有料老人ホームの一室で小説を読んでいる時に入ってきた。ここは個室で日当たりが良く、その日差しを受けながらベッドの上で本を読むのがここに来てからの楽しみの一つだった。
蓮子が亡くなったというニュースを持ってきた私の孫は、特段慌てるわけでもなく静かに部屋に入ってきた。
私は孫の顔を見る度に思う。娘は大して私には似ていなかったのに、孫はなぜだか昔の私によく似ている。私の夫の血も、娘の夫の血も混ざっているはずなのに、それが不思議なのだ。こういうのを隔世遺伝というのだろうか。
孫はベッドの横に備え付けられている椅子に腰掛けると、蓮子が息を引き取った時の状況を語り始めた。亡くなった時刻、死因、最後は家族に見守られながら旅立ったこと、消える前に一瞬だけ強くなる火のように、少しだけ意識を取り戻したり、何か言葉を残したりはしなかったこと、蓮子の家族から別れ際感謝され、マエリベリーさんによろしくお伝え下さいと言われたこと。
私はただ黙って聞いていた。孫は思い出して泣きそうになったのか、少し目が潤んでいるように見えた。しかし涙はこぼさなかった。ひょっとしたら、一番悲しむであろう私に気を使っているのかもしれない。孫は私と蓮子の過去のことは知っていたし、仲の良さも知っているからだ。
だが私は、蓮子との仲だからこそ、蓮子が死んだことに「そうか」と思うだけであった。
私もそうだがどうせもう寿命が長くないことなどわかっていたというのもあるし、不思議でもなんでもなく、蓮子が亡くなったことに悲しさも寂しさもあまり感じていなかった。
孫は私が平然としていることを意外に思ったらしい。しきりに「大丈夫?」と声をかけてきたが、大丈夫なものは大丈夫なので、私は何度も気にしないでと返事をした。
その後は少しの間、孫と蓮子との思い出話や世間話をしていたが、大学生活も終盤に差し掛かり、色々やることがあるせいで日頃の疲労が溜まっていたのであろう、それと日差しの暖かさも相まってか、孫は壁にもたれかかって寝てしまった。
開け放してある窓の外から聞こえてくる草木のざわめきと、遠くに聞こえる職員や他の入居者達の生活音と、孫の寝息だけが聞こえていた。
平和だと思う。
私も背上げをしてある電動ベッドにゆっくりと上半身を倒した。
軽く瞼を閉じると、その途端に蓮子と過ごした日々が次々に思い出された。
蓮子と親しくなったきっかけは、今となってはよく憶えていない。しかし、オカルトサークル「秘封倶楽部」の一員として蓮子と共に駆け抜けたあの日々は、輝かしい記憶として私の脳にしまわれている。
日本中の結界を暴いて回った。時には危険な目にも遭った。それでも冒険を止めることはなかった。蓮子といくつもの議論を重ね、道なき道を進み、この世ならざるものを求めて幻想の中へと飛び込んでいった。若さと探究心溢れるあの頃の私達にとって、それはあまりにも刺激的で興奮できる日々だった。この老いさらばえた身体でも、今思い出しても少し胸が高鳴るほどの熱い経験だ。
いつも蓮子と一緒だった。素晴らしき大学生時代。
しかし、経験を経れば経るほど、時間というものもやはり経るものだ。
特別な存在と思われた秘封倶楽部にも、就職という二文字が差し迫った。働かなければ飯は食えないので、当然秘封倶楽部の活動よりも就職活動の方に重点が置かれた。勿論いずれはそういう時が来ることはわかっていたから、蓮子とは都合が合えば少しの時間だけでも秘封倶楽部としての活動をしたし、これからもそうしていこうと約束をしたのだ。
だが、秘封倶楽部の活動間隔は開いていくばかりだった。
蓮子は研究職に就いた。頭が良かったし成績も優秀だったから、就職するのに苦労しているようにはあまり見受けられなかった。一方の私も、蓮子ほどではないが人並みに苦労して無事に仕事が決まった。
私達はそれぞれ別の道に進み始めた。私は仕事をしていても秘封倶楽部の事が頭から離れたことなどほとんどないし、それはきっと蓮子もそうであっただろうと思う。実際、たまの活動では秘封倶楽部はやはり面白いと、再確認しあったこともある。だがそれでも、学生時代のような積極性は確実に失われていった。不思議に思いながらも、心の中で何かがひっかかって私達が秘封倶楽部になることを妨げていた。
今にして思えば、あれが大人になるということだったのではないか。
そんな気がしている。
仕事に不満はなかったし、社会に出て私は色々な人達と出会った。蓮子も私の知らない色々な人達と出会っていた。
私には私の恋人がいたし、蓮子には蓮子の恋人がいた。
先に結婚したのは私の方だった。その時蓮子には「メリーはいつも私より先に行っててずるい」とかなんとかそんな意味不明な文句を言われたが、私は遅刻するほうが悪いのよと返しておいた。
後から蓮子も結婚をして、私が先に子供を産んで、蓮子がまた後から子供を産んだ。
私は仕事を辞めて家庭に入った。蓮子は必要不可欠な人材だったから、多少時間を見繕ってもらう程度で仕事は続けていた。
私達が会って話す時は、仕事や家庭の話題がほとんどになった。
そして、その頃には私はもう既にわかっていた。
結界の境界が見えなくなっていることに。
しかし、蓮子の能力はまだ残っているようだった。が、蓮子はもう自分の能力を使うことはほとんどないと言っていた。私以外の前で能力を無闇矢鱈に使うのは気味悪がられるから使いたくないし、秘封倶楽部の活動以外で能力を使う場面などあまりないからとのことだった。私も蓮子の能力を気持ち悪いと思っていたんですけどと言うと、メリーは別にいいのよと蓮子は悪びれることもなく返してきた。
能力を使えない、使わなくなる、それはすなわち、私達が気づいてしまったということを意味していた。
普遍的な日常の幸せに。
特殊な能力など、もう必要ないのだということに。
もうあの頃の秘封倶楽部は戻ってこないのだということに。
それでも、蓮子との関係が断たれることは一切なかった。
私達は時々会って自由に会話をする緩い付き合いを続けた。それを秘封倶楽部の活動だと称して、細々と、しかしいつまでも私達は秘封倶楽部であり続けた。それで十分だった。たまには、お互いの家族も含めて遊ぶこともあった。ふと、秘封倶楽部全盛期のエネルギーが蘇ったかのように、オカルト談義で盛り上がることも珍しくなかった。
ただ、二人だけで冒険をすることがなくなっただけだ。
それでも私達は幸せだった。
そんな日々がいつまでも続いていた。
目を開けた。
少し眠ってしまったような気がするが、それほど時間は経っていなかった。ウェアラブル端末を起動すると、エアレーザーフィールドが私の心拍数と血圧と体温を表示し、その左上に現時刻がカウントされていた。三十分ほどの睡眠だったようだ。
横を見ると、相変わらず孫は眠ったままだ。そういえば、孫はかつての私のように何か見えないはずのものが見えるということはあるのだろうか。娘にはそれとなく尋ねてみたことがあるのだが、娘は首を横に振るばかりだったし、実際それっぽい行動をしたのを見た記憶はない。だからあの能力はもう受け継がれないものだと思っていたのだが、さっきの隔世遺伝のこともあって、急に疑念が湧き出てきた。私は娘と同じように孫のことを長く見られるわけではないし、娘はあの能力のことをわかってはいないから、孫に何かあったとしても気づきにくい――。
まぁ、それでも別にいいか。
私は視線を正面に戻した。
もし孫が私と同じような能力を持ったとして、それが一体なんだというのだろう。あの能力のせいで孫に何か良くない事態が起こることは――、あるかもしれない。しかし、危ない橋を渡っていたのはあの頃の私も同じだ。そして、私はあの能力を持ったことを嫌だと思ったことは一度もない。結界の境界を見る能力は、それだけ私に素晴らしいものを齎してくれたのだ。孫に能力が宿ったからといって、それで私が言えることは何一つない。ただ私のように素敵な体験をしてくれることを願う、それしかないのだ。
私はふと、お腹のあたりに重さを感じた。
そういえば、私は孫が来るまで小説を読んでいたのだった。それを今の今まで忘れてしまっていた。
文庫本を持ち上げて、顔の前でかざしてみる。
猫と人型ロボットが表紙に描かれている。それほど有名というわけではなく、しかも今となってはほとんど滅んでしまった紙媒体の小説を、こうして手に入れられたのは本当に奇跡だったと思う。実は私はこの本をもうずっと前に既に読み終えていたのだが、とても気に入っているので何度も読み直しているのだ。
ぼんやりと表紙を眺めていると、私の心の中にある思いが生じてきた。
この小説の物語は、最終的にはドラマティックなエンドを迎える。その中には、キャラクターの死という要素も含まれている。この作品だけに限らず、登場人物の不幸によってストーリーの魅力を引き立たせるものは少なくない。
私は秘封倶楽部として活動していた頃よく感じたことがあって、それは、私達はまるで何かの作品の登場人物のようだ、ということであった。
それはそうだろうと、私は自分の感覚に自分で納得してしまう。当然だ、蓮子と二人で、他の誰も持ち得ない特殊な能力を駆使し、現実の世界もそうではない世界も飛び回って冒険をした、まさに創作物のような出来事を私達は実際に体験をしたのだから。
だが、もし――、例えばの話で、本当に私達が創作物に登場するキャラクターだったとして、変な言い方をすると、このような“普通の終わり方”をすることを、それを見ている側の者達がいるとしたらどう思うだろうか?
私が見ている側だったら、もしかしたらがっかりするかもしれない。なぜなら、この猫と人型ロボットの小説が途中の激しい展開にもかかわらず、最後は何事もなく、何の目的も成さず、誰も死なずに終わったら、私はきっと拍子抜けしてしまうだろうと思うからだ。
つまり私は、この小説の登場キャラクター達に何か重大な出来事が起こるのを期待していたのだ。それがたとえそのキャラクターにとって不幸なことであっても。
だが、キャラクターの不幸を望んだからといって、私が誰に責められることもないだろう。それは当たり前の話で、創作物の物語はフィクションであって実際に起こったものではない、架空の話で誰が不幸になろうとその不幸も架空なのだから。作り話というのは、現実にいる我々を楽しませるためだけに存在しているのだから。喜ぼうが怒ろうが悲しもうが楽しもうが、キャラクター達はそれら全てが見る者のためにただ演じているにすぎないのだ。
しかし、もしその登場キャラクター達に魂が宿っていたとしたらどうだろうか?
自分達が不幸になることを願う存在がいたとしたらどう思うだろうか?
恐らく確実に「そんな願いなど知ったことではない」と思うだろう。
たとえシナリオという運命に結末を決定づけられたキャラクターでも、それまでは必死に生きようとしている者がほとんどだ。その精一杯生きるという気持ちを蔑ろにされたら、誰だって反発したくなるのが常だろう。
そしてそれは、私達秘封倶楽部も同じだ。
秘封倶楽部は確かに作り話のような出来事を何度も体験してきた。作り話なのであれば、それを見た者に期待させた分だけそれ相応のフィナーレを用意しなければならない。だがやはり、私にとってもそんなもん知ったこっちゃあないだし、間違いなく蓮子も同じことを言うだろう。ひょっとしたら秘封倶楽部は不幸ではなく、何かとても大きなサクセスを手に入れたかもしれない。だが、そんなものはどうでもいい。平穏無事に日々を過ごせれば、それでいい。それが一番だ。
だから、私達はもう、普通に生きて、普通に死ぬ。
蓮子は死んだ。蓮子は死ぬ間際、どんな気持ちを抱いていたのだろうか。
私は死ぬことが怖くない――、と言ったら、それは嘘になる。私は私の人生に満足しているし、たった今平穏無事な日々と終末さえあればそれで十分だと言ったばかりだが、しかし、まだ生きている者にとってやはり死というのは正体不明のものでしかない。死後のことは、死んでからでないとわからない。もしかしたら、死んだ後に何か絶望するようなものが待っているかもしれない。そう遠くない未来に潰えるこの命に、そういう恐怖が常について回っていることは確かなのだ。きっと蓮子も、そういった気持ちを感じていたことはあるに違いない。
だがもし蓮子が私と同じ気持ちであったのなら、死への恐怖が他の誰よりも軽減されていたことも確かなはずなのだ。
何故そう思えるのか。
私は思い出す。私の死への恐怖を減らしてくれた、秘封倶楽部としてのあの日あの時の出来事。私を連れ出してくれたのはやはり蓮子だった。薄ら寒かった蓮台野の秋の夜と彼岸花。まさか墓荒らしの真似をさせられるとは思っていなかった。呆れ返りながらも私は墓石を四分の一回転させた。忘れもしない。その瞬間に蓮子が放った言葉。
「二時三十分ジャスト!」
その時私は確かに、あの世を見たと思うのだ。
私が見たあの世は、桜が咲き誇り、穏やかな時間が流れ、死の恐怖など微塵も感じさせないような場所であった。
その光景を眺めていられたのは、ほんの僅かな時間でしかない。しかしその一瞬の出来事が、私を死の恐怖から救い出してくれた。別に、死んだ後にあの時見た世界にいけるという保証などどこにもありはしないし、あの時見た世界が本当に死後の世界であったと根拠を持って言うことはできない。しかし、なぜだか私には死んだらあの世界へと旅立てるという確信に似た気持ちがあるのだ。あの世界がこの世と同じように素晴らしい場所であると、わけもなくそう思えるのだ。あの頃の私の心は、理屈を超越した何か不可思議なものへの感度が鋭かったから、その気持ちはきっと正しいはずだと思う。そして、その気持ちが何よりも私の心を強くしてくれるのだ。
蓮子も秘封倶楽部だから、あの時私と同じものを見て、同じものを感じたはずだ。
だから、蓮子も少しでも死の恐怖から救い出されていると私は思いたかった。
だから、私は蓮子の死に対してそこまで辛さを感じていなかったのだ。秘封倶楽部は今まで二人で共に困難を乗り越えてきたのだから、今度もきっとそうなるはずだと信じているのだ。
秘封倶楽部は、人一倍幸せに終わっていけるはずだ。
もし秘封倶楽部を遠くから眺めている何者かがいるのだとしたら、このように幸せに終わっていくことをつまらなく思い、バッドエンドだと感じるのかもしれない。
その時、窓の外からざあっと草木が騒ぐ音が聞こえてきて、遅れて少し強めの風がカーテンを膨らませながら部屋に流れ込んできた。
午後の日差しは傾いて、そろそろオレンジに染まり始める頃だ。隣を見ると、相変わらず孫が寝息を立てている。しかし、寝るならちゃんと家に帰ってしっかり休んだほうがいいから、もう起こそうと思う。
最後に私はもう一度、窓の外を見やった。空はどこまでも遠く澄み渡って、今、蓮子のいる何処かの世界へと繋がっているのかもしれなかった。
思う。
秘封倶楽部は、これで良かったのだ。
秘封倶楽部が手に入れたこのかけがえのない瞬間は、誰にも否定することはできない。
秘封倶楽部は、何者にも侵されない。
私達がこれでいいと思うのなら、それでいいのだ。
そうだよね、蓮子?
私はそう心の中で語りかけた。
蓮子がどこかで頷いたような気がした。
やたら悲劇的に終わらされがちな秘封ですがこういうのもいいと思いました。