気がつくと、私はパフェの上に立っていた。
足元の巨大なアイスクリームは冷気を放っていてまだまだ硬く溶けそうに無く、はるか遠くに見えるチョコスティックは摩天楼の様にどこまでも高くそびえ立ち、空を二つに分断していた。それを眺めながら果汁したたるカットフルーツのジャングルを進んでいると、甘い匂いにアテられて無性にお腹が減ってくる。
「私はプリンが好きなんだけどな」
我慢できず、たまたまそばにあった美味しそうなぶどうの岩に噛り付こうとした時、ふと声が聞こえる。
「失望したわ、フラン」
「お姉さま?」
そこには、いちごをくり抜いて作られた立派な玉座に威風堂々と座る、お姉様の姿があった。
「偉大な紅魔館の主の妹たるものが、道端の岩で腹を満たそうだなんて、嘆かわしいわ」
「だってお腹すいちゃったんだもん。どうすればいいの?」
お姉様は黙って右のほうを真っ直ぐに指差す。
「その道の先に、あなたに相応しいものを用意しておいたわ。急ぎなさい”さめてしまう”から」
「ありがとう! お姉さま」
私は一目散に言われた道を走った。すると目の前にはウエハースの飛び降り台が姿を現し、その遥か下にはホイップクリームの島や色とりどりのフルーツの船が浮かぶ、広大なプリンアラモードの海が広がっていた。その光景に感嘆の声をあげた次の瞬間、私はいつの間にか水着姿になっていて、でもその事には特に何も思わないで、そのまま何の躊躇も無く飛び降り台からこの身を投げ出し、空に、重力に、自分の全てを委ねた。
三十メートル、二十メートル。目下の淡い黄色の海がどんどんと迫ってくる。
十メートル、九メートル。甘ったるい香りが、まるで質量を持っているかの様に私の肌をなで上げる。
五メートル、四メートル。これから全身を襲うであろう柔らかで幸せな衝撃を想像し、うっとりと瞳を閉じる。
二メートル、一メートル。ゼロ。
ゴンという鈍い衝撃音。何が起こったのかすぐには理解できなかった。だけど、少なくとも今目の前にあるのはプリンではなく、ただの床だということは瞬時にして分かった。
「んぁ、ゆめ……?」
いつもの寝室。夜になるにはまだ早いみたいで、閉め切られた分厚いカーテンからは昼間の明かりがうっすらとこぼれている。そして私はベッドの足元。ひんやりとした床の感触が心地いい。
「ああ、ぶどうだけでも食べておけばよかった」
床に打ち付けた額の痛みはすぐに無くなり、あんなにもすばらしい場所にいながら何も口にしなかった夢の中の行いをただただ悔やんだ。体を起こそうとすると、道連れにしていたシーツが手や足に絡みついて激しく抵抗してくる。しばらくそれと格闘してからようやく立ち上がると、今度は中途半端に開いていたカーテンの隙間から射す外の光の襲撃に遭う。今朝は日が昇る前に寝室に入ったから、カーテンがちゃんと閉まって無い事に気付かなかったのかな。
散々だ、と短くため息をつきながら、だらしがないカーテンを閉めようと窓に近づく。すると窓の外から聞きなれない音がしている事に気がついた。その音は眠っていれば、いや起きていてもちょっとした生活音でかき消されて気付けない程の、本当に小さな音。普段の私なら昼間という時間帯や寝起きという状況が手伝って、後で咲夜かお姉さまに聞けばいいか。とベッドに戻る所なのだけど、先ほどの夢の後悔がそうさせたのか、私はどうしてもその音の正体を確かめてみたいという衝動に逆らえなかった。
全てのカーテンを開け放って明るさに目を慣れさせつつ、着替えを済ませて窓から外に出る。音は広い広い庭の先、ちょうど館の正門のあたりから聞こえているみたい。
正直怖かった。たぶん人間が暗がりを怖がるのはこんな感覚なのかな。明るい日差しを浴びるだけで漠然とした不安に襲われる。しかも目指すは正体不明の、言わば怪奇音。私は押しつぶされそうな心を奮い立たせ、慎重に正門へと向かった。
壁伝いに進んで、ようやく門から目と鼻の先ほどの距離。どうやら音の正体は門のまん前にいるらしく、私と壁一枚を挟んですぐそばで鳴っていた。何かを短く引っかくような、聞いた事の無い音。未知の存在に対する恐怖が心臓を高鳴らせる。こんなに怖いならやっぱり来るんじゃなかったという後悔も一瞬よぎったけど、それ以上に私は、またぶどうを食べ損ねる様な後悔を二度もしたくはないと思っていた。
どうにでもなれ。半ば投げやりな気持ちで門から顔を出す。
思いがけないほどの近距離で、いきなり目が合った。
「きゃ!」「わ!」
短い悲鳴と一緒に、ギュンという耳をつんざく酷い音がして、その後すぐに音の正体が椅子から転げ落ちる音が重なる。
「めーりん!?」「妹様!?」
「てっきりまた寝てるのかと」「てっきりまだお休み中かと」
「え?」「え?」
二語三語と言葉が重なる。目の前には地面に倒れこんでこちらを見上げる美鈴の姿があって、その手には見慣れない道具を持っていた。美鈴が起き上がるのを待ってから、手に持っているものが何なのかを聞いてみると、美鈴はとてもばつの悪い顔をした。
「アイヤー、もしかして、この音聞こえてました?」
「よくはわからないけど、たぶんそう。たまたま起きちゃって、音に気付いて来てみたの。ねえ、それ何なの?」
「そうでしたか…… これは二胡という楽器の一種で、さっきまでは弦の張りを調整して試し弾きをしていた所だったんですよ」
美鈴が二胡と呼ぶ楽器はバイオリンを細長くよりシンプルにしたような見た目のもので、今まで見たことも、名前を聞いたこともないものだった。
「あの、妹様」
「なあに?」
「この楽器のことは、お嬢様には内緒にしていただけませんか?」
普段門番の仕事をサボって昼寝をしていて、それがバレても平気な顔をしている美鈴が、この楽器を持っていた事に関してはかなり焦っている様子だった。それを見てとっさに意地悪な発想をしちゃうあたり、私もお姉さまと同じ血が流れているんだなと、思わず自覚せずにはいられなかった。
「うーん、別にいいけど、タダでは無理かなー」
「ぐ……。わかりました。何でもしますから、こればっかりは本当にお願いします」
頭を深々と下げる美鈴。まいったな、意地悪言ってみたのはいいけど、そっから先は何も考えて無かった。同じ血を引いてても、やっぱりお姉さまには敵いそうもないや。それに、美鈴がこんなにも必死になるだなんて思ってもみなかった。どうしよう。
「えーっと、じゃあー。そうだ、何でそんなにお姉さまにこの楽器の事知られたくないのか、教えてくれたら黙っててあげる」
適当な思い付きだった。ただの思いつきながらも、美鈴をそこまで困らせないように少し配慮して言った言葉だった。たぶんその楽器を取り上げられるのが嫌だとか、実は咲夜の財布から抜き取ったお金で買ったものだったとか、私にとってはいい笑い話が聞けるだろうと思ってた。
「……分かりました。私、嘘は下手なので包み隠さずお話します。その代り」「わかってるよ。楽器をひいてたことも、知られたくない理由の事も、誰にも言わないよ」
私の言葉を聞いて、美鈴は少し黙ったあと、さっきまで自分が座っていた椅子を起こして私に勧める。一体どれだけ長話するつもりなんだろう。
「あれは、私がまだここで働く前、ずっとっずっと前の、私がただの人間だった頃の話です」
「え!? 人間だったの!?」
※※※
「おーい、美鈴。早くこっちのカゴを運んでくれー」
「はーいお父様、こっちのを収穫し終えたらすぐ行きまーす」
「めーちゃん、こっちも後で頼むわ」
「もう、みんな私ばっかりに頼らないでくださいよ」
私がその昔、ここから遠く離れた国の生まれ故郷で両親と生活していた頃の話です。
私が住んでいたのは農業を生業としている山奥の小さな村で、村の中でも外でも大きな争いは無く、皆平穏に暮らしていました。
「はぁ、収穫の時期は老体には堪えるな」
「ねえ美鈴、またあの曲を聴かしておくれよ」
「えー、私だって疲れてるのに勘弁してくださいよ。でもまあ、ちょっとだけなら」
自分で言うのも何ですが、村の中で私は少し周りと違っていました。村のほぼ全員が村の外に出ようとしない中で、私は山のふもとにある大きな町に頻繁に出入りをしていたんです。
大きな町には人が集まり、自ずと物が集まり、知識も集まります。私はそういった、自分や自分の村には無いものに触れる事がたまらなく好きで、この二胡という楽器もそこで手に入れ、弾き方を教わりました。初めは外から持ち込まれた楽器を村の人たちは嫌煙しましたが、いつの間にやら皆仕事の後には必ずといっていいほど私に演奏を頼みに来るようになっていて、やがて手拍子が生まれ、歌詞が生まれ、そうやって私たちだけの故郷の歌が生まれたのです。
そうした日々が何年も続いたある日、事件が起こりました。
「おい、起きろ! ふもとの町が燃えてるぞ」
村は深夜にもかかわらず騒然としました。村からはふもとの町がよく見下ろせたので、皆外に出て町の様子をただただ傍観していました。燃え盛る炎。逃げ惑う人々。そして、町を飲み込んでゆく謎の黒い影。私もその全てを目の当たりにしました。そしてそれを見た上で、私はただ一人町の方へと走りました。頻繁に出入りをしていた町なので、当然知り合いもたくさんいましたし、思い出もたくさんある場所でしたからね。
しかし、私はその時には町にはたどり着けませんでした。いえ、行かなかったというべきでしょうか。
長い山道をほとんど下った時、私の頭上をあの黒い影がものすごい勢いで通り過ぎていったのです。その影が向かった方角は、今まで必死に下ってきた道の方。私の村がある場所でした。
私は急いできた道を引き返しましたが、先ほどまで全力で道を下っていた私が、再び村に戻るにはかなりの時間を要しました。からがらたどり着いて目の前にしたのは、道中一番想像したくないと思っていた光景そのものでした。
燃え盛る家々、赤や黒に染まって横たわる見慣れた顔、充満する異臭。途方に暮れ、涙さえ出ませんでした。どうしていいか分からず、私は散歩でもするかのように村中を歩き回りました。そうして最後にたどり着いたのは自分の家。があった場所。
足元に転がっている二つの炭が誰なのかは一目瞭然でした。その炭は、私が大事にしていた二胡を守るように覆いかぶさり、息絶えていたのです。私は、流れない涙の代わりにその二胡を弾きました。あふれ出ない絶叫の代わりに故郷の歌を歌いました。
「あら、まだ生き残りがいたのね」
「……」
「振り返りもしないのね、いい度胸だわ」
「あなたが誰でどんな顔をしているかなんて興味は無い。何をしたのかも聞きたくない。これから何をするのかもそうです。でも今は邪魔をしないで。私はみんなの涙を弾く、みんなの叫びを歌う。私はそういう運命に選ばれた」
「運命に選ばれた、か」
私は村人の数だけ何度も歌を弾き続けました。その間、後ろにいる声の主は静寂を守り続けました。でも、そこから放たれる強大なオーラはひしひしと私の背中を襲い、演奏が終わると一気にその恐怖に屈しそうになりました。
「気は済んだかしら?」
「いいえ……私にはまだ、あなたという咎が残ってる」
「ふふ、そんなに小刻みに震えちゃっているのに、その割りにずいぶんと大口叩いてくれるじゃない」
時間とともに、恐怖を上回る怒りがこみ上げ、私は叫びました。叫びながら、その怒りの矛先を背後の声に向けようと振り返った瞬間、胸の痛みと共に、視界が赤に染まりました。
「ぐ……う……」
「心臓を貫いても死なない。まさか、病に順応している……? 面白い、どうやらあなたはまだ死ねない運命にあるようね。興味ないなんて言われちゃったけど、あなたの事が気に入っちゃったから勝手に名乗らせてもらうわ。私の名はレミリア。レミリア・スカーレット。よく覚えておきなさい」
「れ……り……ぁ……」
「また会いましょう。その気になれば、運命があなたを導いてくれるはずだわ」
※※※
「という事がありまして、どうしてもお嬢様には知られたくないという訳ですよ」
どうしよう、すごい話を聞いちゃった。それに、私は同情して泣くべきなのか、それとも身内の不祥事を謝るべきなのか、はたまた色々とツっこむべきなのか、どうしていいのか全然分からない。
しばらく悩んだ後、私は話を聞いてどうしても気になる事があったので、それを聞くという四つ目の選択肢を選ぶ事にした。
「でも、そんな事があったのに何で今はお姉さまの元で働いてるの?」
「あー、それが、話せばまた長くなっちゃうんですけど、あの後私は気を失って、目が覚めた時には傷が完全に治っている事に気づき、酷く自分を呪ったんです。皆を差し置いて一人生き延びてしまった事を。そして散々泣きわめいた後、考え方を変えて、この命を皆の敵を討つために捧げようと決めたんです。強くなるためなら何でもやりました。ありとあらゆる武術を習得し、見よう見真似で妖術もある程度使えるようになり、そのおかげで立ち仕事をしながら寝られるようにまでもなりました」
「ん?」
「それでも、私の記憶にあるお嬢様は果てしなくお強く、いつしか私の中の目標はお嬢様の力に追い付く事へと変わっていきました」
「張本人の妹の私が言うのも変だけど、身内をたくさん殺されたのに、それってなんだか白状じゃない?」
「もちろん、お嬢様を憎む気持ちは常に持っていましたよ。でも、ある噂を耳にしてから、それは変わりました」
「うわさ?」
「ふもとの町や私の村が襲われる前、私の知らない遠くの村で、ある病が流行っていたそうなのです。その病は感染してもしばらくは症状を表さず、本人の気付かないまま体の中で増え続け、周囲の者に散々菌を撒き散らした頃に、まるで体に火を点けられたかのような痛みと苦しみを与え、そのまま命を奪うという恐ろしい病でした。それだけでも十分恐ろしいのですが、その病は殺した人間を生き返らせ、生き残った人間を襲うバケモノへと変貌させるという悪魔のような病だったのです」
私はそれを聞いてはっとした。そういえばずいぶん昔に、遠い国にいる友人が、厄介な事が自分の領地で起きて困っていると言っていて、お姉さまがそれを助けるためにと館を何日も留守にした事があった。その時は私もついて行きたいと言ったのに、お姉さまは頑なにそれを許してくれず、私はお姉さまが留守の間ずっと不機嫌になってたんだっけ。それで、帰ってきたら散々文句をいってやろうと思っていたのに、帰ってきたお姉さまは意気消沈といった感じで、とても文句なんて言えるような状態じゃ無かった。落ち込んでる理由を聞いてもまともには答えてくれず、代わりにぶつぶつと独り言を言うばかり。
「たくさんの人を殺めてしまった」
「私の行いは正しかったのだろうか」
「あの娘は一体どうしただろうか」
今までその時のお姉さまが言っていた言葉の意味を理解する事はできなかったけど、美鈴の話を聞いていると、何かがつながったような気がした。
「もしかして、お姉さまはその病気を止めるために、ふもとの町を襲ったの?」
「流石妹様、その通りです。遠い町が病の壊滅的な被害を受け、その町との行き来が盛んだったふもとの町が同じ事になるのは時間の問題でした。そして、その悪魔の潜む町に出入りしていたのは村の中で私ただ一人、私は知らず知らずのうちにその病を村に持ち込んでいて、危うく村の人全てを恐ろしいバケモノに変える所だったのです。お嬢様がその時町で生かしておいた人間は、皆病には感染していなかったそうですから、皆殺しに遭った私の村は本当に手遅れだったのでしょう。絶望と後悔しかありませんでした。私の両親、私の故郷の人たちを殺したのは、お嬢様ではなく、実は私自身だったんですから。しかし、悔やむ気持ちと同時に、私は村の人たちを苦しませる事無く人間のままで死なせてくれたお嬢様に感謝の気持ちを抱くようになりました。その後、あの手この手でお嬢様の居場所をつきとめ、今ではこうして微力ながらに仕えさせていただいているという分けです。そうする事が、お嬢様への感謝の印でもあり、私が故郷の人々に行った罪の償いでもあると、今でもそう思っています」
遠くを見据えて語る美鈴の瞳には光るものが有って、悔しくも私はもらい泣きしそうになってしまう。思いがけない話を聞いて少しびっくりしちゃったけど、そのおかげで今までより美鈴のことが好きになれた気がして、私は嬉しかった。
「ねえ、めーりんの演奏私も聞いてみたいな」
「え、それは…… あの日以来、人前で演奏することがまったく無かったので、恥ずかしいというか、緊張しちゃいます。でもまあ、ちょっとだけなら」
そういって、美鈴は地べたに腰掛けて二胡を弾き始める。ピンと張った弦はたったの二本しか無いというのに、表情豊かな力強い音色を響かせる。私の知らない言葉で歌う美鈴の透き通った声は悲しげで、それだというのに、その顔はまるで居眠りでもしているかのように安らかな表情をしていた。
ちょびっと意地悪なスカーレット姉妹が可愛かったです。
やっぱり美鈴とフランドールの組み合わせはいい……。いいぞ……。
伝承どおりガチクリスチャンで教会で懺悔でもしてそうなお嬢様は初めて見たかもしれない