「七夕よー」
いつものカフェでコーヒーを飲んでいると、どこからか二枚の短冊をもらってきたメリーがやってきて、向かいの席に座った。マスターにハーブティーと本日のおすすめケーキを注文し、それから短冊をこちらへと見せつけてきた。
「蓮子、七夕よ!」
「知ってるわよ」
「知ってるなら話が早いわ! ささ、書きましょ書きましょ!」
そう言って二枚あるうちの一枚をこちらに押しつけると、メリーはバッグの中からペンを取り出し、まるで原稿がすすまない小説家みたいにうんうんと唸りはじめた。私は受け取った短冊に目をやった。色紙を長方形にカットしたもので、上には丸い穴があいていて、そこに短冊を吊るすための紐が通してあった。
そういえば大学生協の前に笹が飾られていたが、もしかしたらそこで配布していたものなのかもしれない。もしくは七夕同好会とかそんな感じの奇妙なサークルが、道行く学生たちに配布している可能性も捨てきれない。そして集めた願い事をデータにして、なにか良からぬことをたくらむのだ。願い事成就の徹底的な阻止とか、そんな感じの。
マスターがハーブティーと、イチゴのショートケーキをもってきた。メリーは短冊をほっぽりだしてケーキに夢中になっている。上にまるまるひと粒鎮座しているいちごを、皿の上に下ろしてから食べはじめた。その時、私は嫌な予感がしていた。その悲劇は、遠くない未来に私たち……とりわけメリーに襲いかかることになった。
「……ねえ、メリー」
「あによ。あ、あげないわよ?」
メリーは疑うような眼差しでこちらをにらみながら、食べていたショートケーキを腕でかばった。
「ローソクもらいって知ってる? 北海道の函館にある七夕の風習なんだけど。面白いのよ、これ」
「あ、出たわね。ウサミペディア」
「なにて?」
「急にうんちくを垂れ流すあなたの癖よ。まったく、どこからそんな情報を引っ張り出してくるんだか。で、ローソクもらい? なあにそれ」
まあまあ慌てなさるな、と私はコーヒーをひと口飲んだ。
「ローソクもらいはね、七夕の日になると子どもたちが六人から八人くらいの集団になって、提灯を手に家々を訪ね歩くものなの。それで、家の人にこう歌うの。『竹に短冊七夕祭り おーいやいやよ ローソク一本頂戴なー ローソクけなきゃ かっちゃくぞー』って」
「けなきゃ……?」
「“けなきゃ”は“くれなきゃ”、“かっちゃく”は“ひっかく”っていう北海道弁ね。で、家の人は子どもたちにお菓子をあげるの」
「あれ? ローソクは?」
「あげると子どもたちががっかりする」
なにそれ、とメリーは不思議そうな顔をしていた。
「あれ、でもそれって、なんだかハロウィンみたいね」
「そうなのよ。でも、この風習は日本にハロウィンの文化が伝わるずっとずっと昔からあったものなの。面白いわよね。国も言葉も文化も違うのに、そっくりな風習が生まれる。きっとあらゆる人間の遺伝子にあらかじめ組み込まれているんだわ」
「お菓子をもらうのが?」
「誰だってお菓子をもらえたら嬉しいでしょう?」
「一理ある」
メリーはショートケーキの端っこをフォークですくい取ると、あーん、と言いながらこちらに差し出してきた。食べると、見事にスポンジとクリームだけでいちごが入っていない部分だった。
「由来は正確には判明していないのだけれど、青森のねぶた祭でも、かつては祭りの前に家々を回ってローソクをもらっていたそうよ。また、お盆に死者の魂をあの世へと送り届ける灯篭流しに使うローソクをもらっていたんじゃないかって説もある。函館とその周辺では、ローソクもらいは七月七日に行われるのだけれど、他の地域では八月七日に行われることが多いのよ」
「あら、一ヶ月も間があいているじゃない」
「灯篭流しをするお盆は八月十五日。かつては旧暦の七月十五日よ。どちらもローソクもらいの数日後じゃない? それと、七夕は棚幡とも書いて、故人の魂をお迎えする精霊棚と幡を七日の夕方に用意したことから、転じて七夕と表記されるようになった、とも言われているわ。私は灯篭流しの説を支持するわね。その方がなんだか素敵だもの」
「ふーん」
メリーはあまり興味がなさそうに話を聞いていたが、やがてまったく興味がなくなってしまったのか、ふたたびペンを手にうんうんと唸りはじめてしまった。というか、ショートケーキがまだ食べかけである上に、まるまるひと粒のいちごがまだ残っている。これはあの妖怪が召喚されるのではないかと、私は密かに危惧していた。
と、その時だった。ゆらり、とした足取りで、私たちが座るボックス席の前に立つ人影があらわれた。その人影は、恐ろしいほどの美しい声で、あの歌を歌ったのだ。
「竹に短冊七夕祭り おーいやいやよ ローソク一本頂戴なー ローソクけなきゃ かっちゃくぞー」
ぬうっ、と人影の腕が伸びる。短冊に夢中になっていたメリーがようやくその存在に気づき、そして小さく悲鳴をあげた。その腕はまっすぐにメリーへと伸びていき……彼女の前にある皿の上の、ひと粒のいちごをちょこんとつまんで持ち上げた。そして、ひょい、ぱく、といった驚くほどに美しい流れで、そのいちごはその人物の口の中へと消えていった。
「あああああ! せっかくとっておいたいちごが!」
メリーが叫ぶが、その人影はあっけらかんとした様子で言い放った。
「あら、嫌いだからよけているのかとおもったわ。ごちそうさま」
そして、まるでなにごともなかったかのように、そのいちごのように真っ赤な髪と服を着た女性、私が専攻している物理学の教授は、カフェを出ていってしまった。あーあ、と私はため息をついた。メリーはいちごがなくなったショートケーキを見つめて呆然としている。見ていられない悲壮感であった。
「……メリー、知らなかったの? この大学においていちごを食べずにおいておくのはタブー中のタブーよ。どこからかいちごの匂いを嗅ぎつけたあの教授が音もなくあらわれては、そのいちごをさらっていってしまうのよ。それでついた彼女のあだ名が『いちごの危機 』」
が、メリーは私の話を聞いていなかった。メリーはペンを手に短冊に願い事を記しており、のぞき込むと『いちごがお腹いっぱい食べられますように』と書かれていた。そんなんでいいのか、とか、それくらい自分で買って食べればいいじゃないか、とか思いながら、私は自分の短冊に『お金ください』と書いておいた。
生協前の笹に短冊を吊るし、あとで見てみるとメリーの短冊に連名で教授の名前も書き足されていた。後日、教授に同志と認定されたメリーは研究室に呼ばれ、しこたまいちごを延々と食わされ続けて、カフェで「もういちごは食べたくない」といちごのフルーティーな香りを漂わせながら泣いているところを私によって発見された。私のところにもお金をくれる教授が来てくれないものだろうかとそわそわしながら待ち続けているが、いまだにお金をくれる教授の姿は確認されていない。
いつものカフェでコーヒーを飲んでいると、どこからか二枚の短冊をもらってきたメリーがやってきて、向かいの席に座った。マスターにハーブティーと本日のおすすめケーキを注文し、それから短冊をこちらへと見せつけてきた。
「蓮子、七夕よ!」
「知ってるわよ」
「知ってるなら話が早いわ! ささ、書きましょ書きましょ!」
そう言って二枚あるうちの一枚をこちらに押しつけると、メリーはバッグの中からペンを取り出し、まるで原稿がすすまない小説家みたいにうんうんと唸りはじめた。私は受け取った短冊に目をやった。色紙を長方形にカットしたもので、上には丸い穴があいていて、そこに短冊を吊るすための紐が通してあった。
そういえば大学生協の前に笹が飾られていたが、もしかしたらそこで配布していたものなのかもしれない。もしくは七夕同好会とかそんな感じの奇妙なサークルが、道行く学生たちに配布している可能性も捨てきれない。そして集めた願い事をデータにして、なにか良からぬことをたくらむのだ。願い事成就の徹底的な阻止とか、そんな感じの。
マスターがハーブティーと、イチゴのショートケーキをもってきた。メリーは短冊をほっぽりだしてケーキに夢中になっている。上にまるまるひと粒鎮座しているいちごを、皿の上に下ろしてから食べはじめた。その時、私は嫌な予感がしていた。その悲劇は、遠くない未来に私たち……とりわけメリーに襲いかかることになった。
「……ねえ、メリー」
「あによ。あ、あげないわよ?」
メリーは疑うような眼差しでこちらをにらみながら、食べていたショートケーキを腕でかばった。
「ローソクもらいって知ってる? 北海道の函館にある七夕の風習なんだけど。面白いのよ、これ」
「あ、出たわね。ウサミペディア」
「なにて?」
「急にうんちくを垂れ流すあなたの癖よ。まったく、どこからそんな情報を引っ張り出してくるんだか。で、ローソクもらい? なあにそれ」
まあまあ慌てなさるな、と私はコーヒーをひと口飲んだ。
「ローソクもらいはね、七夕の日になると子どもたちが六人から八人くらいの集団になって、提灯を手に家々を訪ね歩くものなの。それで、家の人にこう歌うの。『竹に短冊七夕祭り おーいやいやよ ローソク一本頂戴なー ローソクけなきゃ かっちゃくぞー』って」
「けなきゃ……?」
「“けなきゃ”は“くれなきゃ”、“かっちゃく”は“ひっかく”っていう北海道弁ね。で、家の人は子どもたちにお菓子をあげるの」
「あれ? ローソクは?」
「あげると子どもたちががっかりする」
なにそれ、とメリーは不思議そうな顔をしていた。
「あれ、でもそれって、なんだかハロウィンみたいね」
「そうなのよ。でも、この風習は日本にハロウィンの文化が伝わるずっとずっと昔からあったものなの。面白いわよね。国も言葉も文化も違うのに、そっくりな風習が生まれる。きっとあらゆる人間の遺伝子にあらかじめ組み込まれているんだわ」
「お菓子をもらうのが?」
「誰だってお菓子をもらえたら嬉しいでしょう?」
「一理ある」
メリーはショートケーキの端っこをフォークですくい取ると、あーん、と言いながらこちらに差し出してきた。食べると、見事にスポンジとクリームだけでいちごが入っていない部分だった。
「由来は正確には判明していないのだけれど、青森のねぶた祭でも、かつては祭りの前に家々を回ってローソクをもらっていたそうよ。また、お盆に死者の魂をあの世へと送り届ける灯篭流しに使うローソクをもらっていたんじゃないかって説もある。函館とその周辺では、ローソクもらいは七月七日に行われるのだけれど、他の地域では八月七日に行われることが多いのよ」
「あら、一ヶ月も間があいているじゃない」
「灯篭流しをするお盆は八月十五日。かつては旧暦の七月十五日よ。どちらもローソクもらいの数日後じゃない? それと、七夕は棚幡とも書いて、故人の魂をお迎えする精霊棚と幡を七日の夕方に用意したことから、転じて七夕と表記されるようになった、とも言われているわ。私は灯篭流しの説を支持するわね。その方がなんだか素敵だもの」
「ふーん」
メリーはあまり興味がなさそうに話を聞いていたが、やがてまったく興味がなくなってしまったのか、ふたたびペンを手にうんうんと唸りはじめてしまった。というか、ショートケーキがまだ食べかけである上に、まるまるひと粒のいちごがまだ残っている。これはあの妖怪が召喚されるのではないかと、私は密かに危惧していた。
と、その時だった。ゆらり、とした足取りで、私たちが座るボックス席の前に立つ人影があらわれた。その人影は、恐ろしいほどの美しい声で、あの歌を歌ったのだ。
「竹に短冊七夕祭り おーいやいやよ ローソク一本頂戴なー ローソクけなきゃ かっちゃくぞー」
ぬうっ、と人影の腕が伸びる。短冊に夢中になっていたメリーがようやくその存在に気づき、そして小さく悲鳴をあげた。その腕はまっすぐにメリーへと伸びていき……彼女の前にある皿の上の、ひと粒のいちごをちょこんとつまんで持ち上げた。そして、ひょい、ぱく、といった驚くほどに美しい流れで、そのいちごはその人物の口の中へと消えていった。
「あああああ! せっかくとっておいたいちごが!」
メリーが叫ぶが、その人影はあっけらかんとした様子で言い放った。
「あら、嫌いだからよけているのかとおもったわ。ごちそうさま」
そして、まるでなにごともなかったかのように、そのいちごのように真っ赤な髪と服を着た女性、私が専攻している物理学の教授は、カフェを出ていってしまった。あーあ、と私はため息をついた。メリーはいちごがなくなったショートケーキを見つめて呆然としている。見ていられない悲壮感であった。
「……メリー、知らなかったの? この大学においていちごを食べずにおいておくのはタブー中のタブーよ。どこからかいちごの匂いを嗅ぎつけたあの教授が音もなくあらわれては、そのいちごをさらっていってしまうのよ。それでついた彼女のあだ名が『
が、メリーは私の話を聞いていなかった。メリーはペンを手に短冊に願い事を記しており、のぞき込むと『いちごがお腹いっぱい食べられますように』と書かれていた。そんなんでいいのか、とか、それくらい自分で買って食べればいいじゃないか、とか思いながら、私は自分の短冊に『お金ください』と書いておいた。
生協前の笹に短冊を吊るし、あとで見てみるとメリーの短冊に連名で教授の名前も書き足されていた。後日、教授に同志と認定されたメリーは研究室に呼ばれ、しこたまいちごを延々と食わされ続けて、カフェで「もういちごは食べたくない」といちごのフルーティーな香りを漂わせながら泣いているところを私によって発見された。私のところにもお金をくれる教授が来てくれないものだろうかとそわそわしながら待ち続けているが、いまだにお金をくれる教授の姿は確認されていない。