二年前の大学四年の夏。
秘封倶楽部の活動頻度は減少しつつあった。私は卒業研究と院試の勉強。メリーは就職活動。お互いに忙しい時期であったため、仕方ないとは思っていたけれど、私は寂しさを感じていた。
私がキャンパスで時々見かけるメリーは、リクルートスーツに身を包み、就職活動を共にする友人と歩いていた。食堂で就職活動の仲間内で談義をしている姿も見かけた。声を掛けようと思ったけれど、私には就職活動の話は分らないので、その集団に入るきっかけが作れず、諦めて立ち去るしかなかった。
ようやく、お互いの都合が合い、大学のカフェテラスで近況報告をかねて会える日ができた。私はとても嬉しくて、遅刻しないように三十分前から待ち合わせの席で待っていた。けれど、メリーは数分ほど遅れてやってきた。
「ごめんね、蓮子。遅くなって。待たせちゃったよね」
「ううん。いいよ。私だって散々メリーのこと待たせたのだから、これくらい」
「まあ、蓮子がそう言うのなら……」
メリーはテーブルフックを取り出し、カバンを掛けて向かいの席に座った。
「最近蓮子と会えていなかったらから話したいことたくさんあるの」
「えっと、どんな話……?」
「決まってるじゃない。夢の話よ」
就職活動の話かと思ったのに、いつも通り夢の話だった。私には就職活動の話をしてくれないのだろうか。私は、メリーが理不尽な目に遭っていたら一緒に怒りたいし、落ち込んでいたら励ましてあげたい。
「そうね……。メリーといえば夢の話だったわね」
「ねえ。聴いてくれるかしら」
「……うん」
今まで、長く一緒に居たというのに進路に関わる大事な話を私にしてくれないなんて。除け者にされて、寂しくて、悲しくて、どうにかなりそう。
「――それでね、髪の毛教の教祖に会ったの。予想に反して意外にも頭部は豊かだったわ」
「ふぅん、そうなのね……」
メリーはとても楽しそうに夢の話をしている。私はますます悲しくなって、ひたすらコーヒーが注がれたカップに視線を落とした。
「ねぇ……蓮子。もしかして退屈かしら?」
「別に。そうじゃないけれど」
「でも、蓮子つまらなそうにしてるから……」
「そうじゃないって! ただ、メリーっていつも通りなんだなぁって」
「どういうことかしら。ごめんなさい、教えてくれる?」
「だって。久しぶりに会ったのよ? その間何をしていた、とか。就職活動はどれくらい進んでる、とか。もっと日常的な話をしてくれたっていいじゃない」
「ごめんなさい、蓮子。わたし、貴女と会えたのが久しぶりで、倶楽部の活動も少なかったから。つい話したくなって……」
私の気持ちを考えてくれないメリーの言葉に、声を荒げてしまった。
「私も、メリーも! 進路を決めなきゃいけない大事な時期なのよ!! 倶楽部の話なんて、落ち着いてからでもいいじゃない!」
「そうかもしれないけれど……。でも“倶楽部の話なんて”という言い方はちょっと酷くないかしら。四年間続けてきた活動なのに……あまりにも軽い扱いだと思うわ」
「でも!! 進路も決まっていないのにそんな話できるわけないじゃない! メリーはどうなの。ちゃんと就活してるの!?」
「それは……うん。頑張ってはいるけれど」
「頑張っている、だけじゃどうしようもないのよ! 結果が出なきゃ意味なんてないんだから!!」
「分かっているわ……。ごめんなさい」
「――違う。メリーは全然分かってない!!」
苛立ちが頂点に達し、私はテーブルを叩き、大声を上げていた。あたりは静まり返り、その場に居合わせた学生らは、私たちのやりとりに注目していた。こちらを見ないで欲しい。見世物じゃないのだから。
「ねぇ……蓮子。落ち着いて。みんな、困惑してるわよ」
「――もういい」
「えっ……」
「メリーなんて知らない!! 知らないんだから!!」
私は雑に椅子を引き、足元に置いていたカバンを乱暴に掴む。メリーに背を向け立ち去ろうとした。
「ねえ、蓮子っ! お願いだから、待って」
目を見開き、驚いた様子のメリーは立ちあがって私の腕を引っ張った。
今更引き留めたって、そんなの知らないんだから。私はメリーの手を振り払い、全力でカフェテラスから走り去った。
その日の夜。私は自室でベッドに潜り、一人で泣いていた。感情を抑えたいのに抑えきれない。メリーへの寂しさと苛立ち、感情的になったしまった自己嫌悪で心が滅茶苦茶になって、どうしようもなかった。
せっかく、久しぶりに、メリーに会えたのに。全然楽しくなかった。嬉しくなかった。私の気持ちを考えてくれないメリーに腹を立てたけれど、あんなに酷く言わなければ良かった。どうやって謝ればいいのか分からない。そもそも、メリーは許してくれるだろうか。力いっぱいにメリーの手を振り払ってしまったのに、もう一度私に手を差し伸べてくれるのだろうか。
心の整理がつかず、自問自答を繰り返していると突如、携帯端末の通知音が鳴った。涙を拭い、視界をはっきりさせて画面を見ると、メールが届いているのが分かった。メリーからだった。
開封するのが怖くて、私はそのまま端末の画面を眺めている。きっとお別れの言葉に違いない。そう思うと、一度拭った涙はまた溢れだし、嗚咽が止まらなくなってしまった。
私は携帯端末をベッドの隅に放り投げ、頭まで布団を被った。何故、メリーと喧嘩してしまったのだろう。何故、感情的に言ってしまったのだろう。答えの出せない私は一人で泣き続ける事しかできなかった。
携帯端末は沈黙を続け、部屋には私のしゃくり上げる声だけが響いていた。
カフェテラスを眺めていると、二年前の出来事が昨日の様に思い出される。歳月が経てば私の心にも整理が付くかと思ったけれど、そう上手く行くものではなかった。カフェテラスに立ち寄るか、とても悩んでしまう。でも、素通りすると心残りになりそうで。
意を決し、カフェテラスの扉を開ける。内装は当時と何一つ変わっていなかった。もちろん、メリーと最後に話したテーブルも同じ位置にある。私はコーヒーを注文し、二年前と同じ席に座る。目の前の席にメリーは居ない。
あの日を最後に私はメリーと連絡を取らなかった。メールにも返信していない。お互い交わることなく、大学を卒業した。
メリーはあれから就職活動を成功させ、今では職場で大活躍している。私は第一希望の大学院に進学し、この二年間で境界分野の最先端の研究者と呼ばれるようになった。私とメリー。第三者がそれぞれの活躍を見ると、羨ましがるかもしれない。だけれども、私にはそれが良いことなのか分らない。私にはこの選択肢しかなかったのだから。
壁面に設置してある液晶から、国営放送のバラエティー番組の騒ぎ声が聞こえてくる。司会の女性アナウンサーはとても陽気にスタジオを盛り上げている。コーヒーを飲んで気持ちを整理したかったのに、これでは全く落ち着く事が出来ない。メリーとの最後の思い出の場所で過去を清算したかったのに。当時の記憶が鮮やかになるばかりで、辛くなる一方だ。
涙が出て止まらなくなる前にカフェテラスを抜け出してきた。これ以上大学に居てもメリーとの思い出が私を苦しめるだけ。身体も疲れていることだし、今日はもうビジネスホテルに泊まって休みたい。
すっかり暗くなってしまった京都の町並み。人混みが増し、帰宅をする会社員達に時々ぶつりかりそうになってしまう。気の所為か、キャリーケースとビジネスバッグが昼間よりも重く感じられる。二年ぶりに訪れた京都も、大学も何一つ変わることはなかった。私の瞳には当時のまま映しだされている。一つだけ変わったこと、と言えば。
「午後八時四十五分。お天気のコーナーです」
一際、大きくそびえ立つビルに設置された大型モニターに国営放送のニュースが映し出され、見慣れた女性アナウンサーが原稿を読み上げている。私は人混みを避けようと歩道の端に寄って、携帯端末のメールの画面を見る。受信ボックスから履歴を探り、目当てのメールを見つけ開く。
「蓮子。ごめんなさい、わたしの話ばかりをして。もし蓮子が許してくれるなら、次は貴女の話を聞かせて。 Maribel Hearn」
メリーからの最後のメール。勝手な思い込みの所為で、返信をするタイミングを失い私は今でも後悔している。メリーは別れを告げていなかったのだから。でも、私にはもうメリーにメールを送ることは出来ない。彼女は私にとって遠い存在になってしまったから。
「明日の京都地区、午前中は晴れ、午後から雨模様でしょう。予測される結界指数は一・七。境界の綻びは心配されません」
再び目線をビルの大型モニターに向ける。凛々しい表情の女性アナウンサー、いえ、メリーが慣れた様子でニュースを読み上げている。最初の内はたどたどしかったのに、今ではもう立派なアナウンサーだ。
「メリー……」
絞り出されるように声が漏れる。私にだけ向けられていた笑顔は、今では全国に向けられている。私がよく知る、秘封倶楽部としてのメリーはもういない。そうさせたのは他でもない私だ。夢の話をするメリーを、秘封倶楽部の活動を、否定して耳を傾けなかった私の所為だ。
「――マエリベリー・ハーンが本日のニュースをお伝えしました。それでは皆さん、また明日お会いしましょう。おやすみなさい」
京都の町並みも、大学の景色も二年前と変わらず見えたのは、全て私の時間が止まってしまったから。私の瞳はメリーと共に過ごした時間しか映すことができず、現在の時を知れずにいる。
きっと、メリーの瞳には私は映っていないだろう。夢を見ることがなくなった彼女の瞳は何を映しているのだろう。でも、それは永遠に知ることが出来ない。過去に囚われた私が、今のメリーを知るすべを持つわけがない。
――了
疎遠になった友人の現在を知るのは、どうも辛いというか歯がゆいというか、よくわからない感情がありますよね。
別れのシーンが少し強引な印象がありました。もう少し丁寧だったら、より感情移入できたと思います。切ない。
読んでいてかなり心苦しかったです。
メリーの意識が変わってアナウンサーになれたんだろうね
これはこれで悪くない結末なのかも
ありえそうな別れ方がなおのこと、心苦しさを感じさせられました。さびしい。
概ね人生上手くいっているのに肝心なところでボタンを掛け違えている
そんな苦み走った未来の秘封が良かったです
これから二人はどうなるかってことも想像できてとてもよかったです
こういう秘封倶楽部すごく新鮮