すべてのものごとを記憶する私の過去は、途切れることなく記憶で埋まっていて、いつのどんなことも思い出すことができる。それに比べて、未来というものがあまりにぽっかりと黒い淵を開いているということに、私は突然強い不安を覚えた。数日悩んでみたが、その淵の中で自分が何をするのかを、ある程度の確かさをもって決めることでしか、この不安を取り除くことはできないだろうと思えた。
過去のみを材料にして未来の予定を埋められるとすれば、それは、一見逆転するようだけれど、過去を思い出すということによってだろうと私は考えた。私の記憶力の確かさは、思い出をゆがめることが決してない。だから、現在の私がすでに経験した過去のある瞬間を未来の私が思い出している間、その私の心が映し出す光景は、当然だけれど現在の私が心に映し出す光景とまったく同じものだ。
このことを使えば私は自分の未来をある程度規定することができるはずだ。これは悪くない考えに思える。
ただ、そのときに思い出す記憶というのが、取るに足らないつまらないものであれば、未来の自分に自分の人生というものの不毛さを再度要約して言い聞かせるだけのことになるだろうし、もっと言えばそんなことはわざわざ思い出しもしないだろう。
こうした一連の考えの結論として、私は自分が死の床で思い出すに足る良質な記憶を作ることを思い立った。
「馬鹿すぎる」と小鈴は顔をしかめて言った。
けれど、彼女は私の自傷的な悪ふざけに付き合わされるのに本当はとっくに慣れきっていたし、彼女にしたって好奇心という刃物で自分の手首をずたずたに裂いていることでは人後に落ちないのだ。
彼女は私の書いた台本をぱらぱらとめくって読み、少し目をそらして曖昧に笑った。
「この一発ギャグ百連発って私がやるの?」
手作りのいかだで川を下るために、もう一人、寺子屋で暇そうにしている蓬莱人を連れてきた。人魚が乗ってきたので沈んだ。蝋で大きな羽根を作って飛ぼうとした。ない方がましだった。耳と尻尾を付けて一週間猫として生活した。家の端から端まで糸電話を繋いだ。色んな野草を乾かして吸ってみた。里の目抜き通りを三輪車で競走した。
そのようにして私は私の脳髄に記憶だけを材料にしたホスピスを作り上げた。私はひどく満足した。
実際に死の床に就いた時に、私はこうして撮りためた思い出を幾度となく再生するだろう。涙が出るほど笑うだろう。
ただ、その時に思い当たるのは、恐らく結局その思い出の良し悪しなどではない。
私はひとりきりで笑うことができない。
だから、望んだものが出来上がったというのに、ようやく未来の予定が立ったというのに、私はそのときの自分が、自分の愚かさの中に死ぬことに対する恐怖をうまく混ぜ込んで笑い飛ばすことができるのかについては、さっぱり自信を持てないままでいた。
過去のみを材料にして未来の予定を埋められるとすれば、それは、一見逆転するようだけれど、過去を思い出すということによってだろうと私は考えた。私の記憶力の確かさは、思い出をゆがめることが決してない。だから、現在の私がすでに経験した過去のある瞬間を未来の私が思い出している間、その私の心が映し出す光景は、当然だけれど現在の私が心に映し出す光景とまったく同じものだ。
このことを使えば私は自分の未来をある程度規定することができるはずだ。これは悪くない考えに思える。
ただ、そのときに思い出す記憶というのが、取るに足らないつまらないものであれば、未来の自分に自分の人生というものの不毛さを再度要約して言い聞かせるだけのことになるだろうし、もっと言えばそんなことはわざわざ思い出しもしないだろう。
こうした一連の考えの結論として、私は自分が死の床で思い出すに足る良質な記憶を作ることを思い立った。
「馬鹿すぎる」と小鈴は顔をしかめて言った。
けれど、彼女は私の自傷的な悪ふざけに付き合わされるのに本当はとっくに慣れきっていたし、彼女にしたって好奇心という刃物で自分の手首をずたずたに裂いていることでは人後に落ちないのだ。
彼女は私の書いた台本をぱらぱらとめくって読み、少し目をそらして曖昧に笑った。
「この一発ギャグ百連発って私がやるの?」
手作りのいかだで川を下るために、もう一人、寺子屋で暇そうにしている蓬莱人を連れてきた。人魚が乗ってきたので沈んだ。蝋で大きな羽根を作って飛ぼうとした。ない方がましだった。耳と尻尾を付けて一週間猫として生活した。家の端から端まで糸電話を繋いだ。色んな野草を乾かして吸ってみた。里の目抜き通りを三輪車で競走した。
そのようにして私は私の脳髄に記憶だけを材料にしたホスピスを作り上げた。私はひどく満足した。
実際に死の床に就いた時に、私はこうして撮りためた思い出を幾度となく再生するだろう。涙が出るほど笑うだろう。
ただ、その時に思い当たるのは、恐らく結局その思い出の良し悪しなどではない。
私はひとりきりで笑うことができない。
だから、望んだものが出来上がったというのに、ようやく未来の予定が立ったというのに、私はそのときの自分が、自分の愚かさの中に死ぬことに対する恐怖をうまく混ぜ込んで笑い飛ばすことができるのかについては、さっぱり自信を持てないままでいた。
一つ一つのエピソードを膨らませて場面にしてみれば面白くなりそうなのに。
発想がユニークでした。思い出づくりと言ってしまえばそれまでですが、阿求がそれをやると、絶対不変の記録の撮影になるのですね。ただ思うのは、録画した時体験した感情と、その後に思い返してみた時の感情と、死の床で流した時の感情は、きっと必ずしも一致しないだろうこと。その時は、親しい友人に布団の脇についてもらって、「あの時はバカをやったものだ」「それでも楽しかったよ」と、記憶のテープを見返しながら笑い合うのでしょうか。阿求と小鈴で、記憶の齟齬があるかも知れなくて、勝手に自分の活躍を美化してんじゃないよと、他人の変質したテープに苦笑することもできるかも知れません。
ただ望むのは、阿求の死の淵に小鈴がいてあげて、思い出を語らいながら、死の恐怖に抱かれることなく、静かに息をひきとることです。
的外れですいません。とても面白かったです。
少なくとももう少し重ねるべきだと思う
3倍にも5倍にも膨らませられる好い着目点、
それをしっかり伝える文章をしているのに、この長さ、この結末。
ものすごく尻切れトンボに感じてしまいました。
文章としては80点以上です。
でも、このレベルならもっと広げられるはず、しっかり広げた作品にしてほしい。
その期待を込めて、この点数で。