フランドールが図書館に行くと、パチュリーはめずらしく本を読まずに、なにやらごそごそと作業していた。クルミでできた大きな読書机の上に、小さな箱があり、覗き込むと箱の中に土があって、たくさんの小さな木が生えており、小さなミニチュアの神社がその中央に建っていた。
「ジオラマというのよ」とパチュリーが言った。
「アリスに教わってね、博麗神社の模型をつくってるの。なかなかハマる」
「ふうん」
博麗神社はフランドールが両手のひらを合わせたくらいの大きさで、虫が住むのならちょうどいいだろう、と思うくらいだった。小さな木はほんものの小枝を使っているようで、幹の太さに対して葉のサイズが大きすぎるものの、しっかり土に根付いて生えているように見えた。それが百本どころではなく、もしかすると千本も植えられていて、林になって神社をとりかこんでいる。
「すごい。これ、ぜんぶパチュリーが作ったの? めんどくない?」
「めんどい。でもハマる」
「すごい」
「ふふん。模型とか、ミニチュアというのは、魔術的にはごにょごにょ……なのよ」パチュリーがむずかしいことを話すが、フランドールにはわからない。
一時的にではあるのだろうけど、パチュリーが読書以外のことをやり始めるなんて、たいしたものだと感心した。魔法の灯りに照らされて、箱の中の神社は小ぎれいに輝いていた。ひとつひとつの屋根瓦の大きさは、トウモロコシの粒くらいだ。
現実の神社よりも新品だから、もしも霊夢が小さくなったらここに住めばいいんじゃない、とパチュリーに言うと、
「いいけど、食べものがないわねえ……ふむ。でも」
と考え込みはじめた。会話はそれで終わり、フランドールが声をかけても、パチュリーは返事をしなくなってしまった。で、フランドールはそのへんにあった本をてきとうに読みはじめた。咲夜がやってきた。
「レミリアお嬢様がお呼びです」
と言う。フランドールは「ふうん」と返事をし、そのまま本を読みつづけた。すると周りの景色がぱっと変わって、いつのまにか、フランドールはレミリアの寝室にいるのだった。
姉の部屋に来るのはひさしぶりだった。いつもはレミリアのほうが、フランドールのいる地下室に来る。
テーブルやたんすや椅子があり、地下室とはちがい、窓があるし、カーテンもある。紅いカーテンを透かした強い日差しがそれぞれの家具の影を作り、床に伸びる影がとても濃く見えた。それで今は昼で、季節はたぶん夏なんだと思った。部屋の持ち主はというと、ベッドの真ん中で横向きになって体を丸め、うんうんうなっている。
フランドールは焦った。咲夜はいない。時間を止めて勝手に連れてこられるのは、面白いところもあるものの、こんな姉とふたりきりにされるのは困ってしまう。どうしていいかわからない。
おそるおそる、
「お姉さま、かわいい妹が来たよ。どうしたの」
と声をかけた。レミリアは薄目を開けて、睨むような目つきをして「今夜、博麗神社で宴会があるの。あんたが行ってきて」と言った。
「私が? やだよ。お姉さまどうしたの」
「お腹が痛いのよ。見ればわかるでしょ」
とレミリアはうるさそうに言った。フランドールはむむうとうなり、宴会なんて別に欠席でいいじゃん、とか、咲夜かパチュリーが行けばいいでしょ、とか、あれこれ言ったものの、レミリアは譲らず、キルト地の薄がけの下からのぞく目が、海のなかの珊瑚のように恨みがましく濁って見えた。経験上、こういうときの姉はフランドールがなにを言っても聞かない。それにきっと、お姉さまは私に自分のかわりをしてほしいのだ、とも思った。で、けっきょくのところ、しぶしぶながらもフランドールはうなずき、それから姉を心配するフェイズに入った。吸血鬼がお腹イタイイタイなんて、かっこわるいね、なっさけない、と憎まれ口を叩くと、「生理なのよ、馬鹿」と返ってきて、フランドールはどぎまぎしてしまった。
◆
咲夜と話したり、いろいろ準備をしているうちに、夜になった。フランドールが博麗神社に着くと、すでに多くの人妖が集まっており、参道の横に大きな敷布をいくつもひいて、市場の野菜みたいにごろごろしていた。咲夜が何かに気づいたように、「おや、ふだんと違いますね」と言った。
「違うって、何が?」
「あれです」と咲夜が指さした。人里の物見櫓のような、木で組まれた高い台がみんなの真ん中にあって、命蓮寺の面々と尸解仙の豪族連中がその周りに陣取っている。
「あんなの、いつもはないんです。きっと今夜の余興に使うんですね」
「余興って、そんなのやってるんだ」
「ええ、毎回誰かが何かの芸をします。前回は阿求と小鈴がユニゾン合体したんですよ。妹様も、もっとちょくちょくくればいいのに」
「だって、私は何もできないよ」
「そんなことないですよ」
宴会にくるどころか、ほとんど外出をしないので、知らない顔も多い。あそこでイカを食べているのが茨木華扇で、寝転がって月を見ているのが妖精のクラウンピース、その横のでっかいチュッパチャップスみたいなのを頭に乗せてる奴がヘカーティア・ラピスラズリだ、と咲夜に教えてもらった。じゃ、食べものもってきますわね、と言って咲夜が行ってしまうと、フランドールはひとりぼっちになってしまった。
夜になったばかりで、むっとするような夏の夕方がまだあたりに残っているくらいなのに、もうみんな酔っ払っているみたいで、とてもうるさい。向こうで誰かが大声を上げて、それに答えて別の誰かが大声で返事をして、するとまた他の誰かが大声で……というふうに、酔っぱらいの適当な話が、ボールみたいにぽんぽん跳ねてみんなのあいだを渡っていく。霊夢はどこにいるのかな、と目で探すと、フランドールから一番遠いところ、神社の建物の近くにいて八雲紫と談笑していた。遠いところにいるからとても小さくて、指でつまんで持ち上げられそうに見えた。
なんだか退屈で、眠くなってしまったけど眠ることもできず、川の底で目を開けて夢を見ているような気分だった。魔理沙はどこだろう。酔っぱらいの胴間声の隙間を抜けて、お面を頭につけた女の子がこちらに歩いてきた。
女の子はきょろきょろあたりを見回すと、やがてフランドールの隣に座った。つまり、いちばん静かで、誰からもかまわれないところを選んだのだ。自分と同じで、こういうところが苦手なのかな、と思った。横目で彼女を観察すると、かぶっているお面と同じようにきれいな顔をした子で、髪はピンク色、緑色のチェック模様の服に、ハロウィンのかぼちゃみたいな変なスカートをはいていた。それがぺたんと座って、お酒も飲まずにじっとしている。フランドールは勇気をふるって、手近にあったお酒を「どうぞ」とすすめた。
「ありがとう」と少女は言って、コップに注がれたお酒を飲んだ。人形みたいな顔をして、お面みたいに表情が変わらなかったから、飲み食いできないタイプの妖怪かな、と思ったけど、そんなこともないようだった。
「あの、フランドールだよ。紅魔館から来たの……今日は、お姉さまのかわり。はじめまして」
「私は秦こころ。面霊気」
ぼつぼつ話をつづけると、やっぱりこころはお面の妖怪で、感情を操る能力をもつのだという。自我を手に入れるために、新しい希望の仮面の力を使いこなす必要があり、そのためにこういう宴会の場に来て練習をするのだ、というようなことをこころは喋ったが、フランドールにはよくわからない。ただ、自分とは別の意味で、なにかがしっかりしていない、不安定な少女なのだということはわかった。
だからフランドールは、自分にできる精一杯の努力でこころと話しつづけた。こころもまたそれに応えて喋った。ふたりとも、相手を練習台にして会話に慣れていく必要があった。……フランドールは他人に、こころは自分に慣れていく必要があった。
そのうち咲夜が戻ってきた。フランドールの隣のこころを見て、咲夜はあら、という顔をし、手に食べものをもったまま、瀟洒にお辞儀をした。
「それでね、魔理沙が自らドロワーズをビリビリに引き裂いて……あ、おかえり咲夜」
「お話が弾んでいるようですね。こころさん、おひさしぶりです」
「ひさしぶり。ええっと……メイド」
「はい、メイドですよ。ヤキソバと、ウナギをゼリーにしたものをもってきました。妹様お好きでしたよね、これ」
「どうだろうか」
フランドールとこころの会話に、咲夜はあまり入ってこなかったけれど、二人がちょっと方向を見失って、口が重くなってしまうときには、適当に接ぎ穂をして二人に手がかりを与えてくれた。それでフランドールは、この一ヶ月で喋った総量と同じくらいの言葉を、こころを相手に話すことができた。こころはこころで、そういうたどたどしい会話が楽しいみたいだった。というのは、表情はまったくかわらないけれど、頭にかぶっているお面がずっと喜びのままだったから、そうわかるのだった。
それでもそのうち、話すことがなくなってしまった。自分たちが静かになると、周りの酔っぱらいの声にまぎれて、後の林から虫の声が聞こえてくる。ジジジジジ、といううざったい声はケラで、それよりかん高く、耳に残るような声はクビキリギリスだ。空を見上げると、澄んだ空気のずっと上のほうに、月や星がよく輝いて見えた。
いままでずっと話していたから、その調子で、フランドールは月がきれいだね、とか、虫が鳴いてるね、とか話そうとした。でもそれが口をついて出てくる前に気が変わって、やっぱり黙っていることにした。
夜になって、ここに座ってから、どれだけ時間が経つだろう? お姉さまは元気になっただろうか? 黙っていると、忘れていた眠気がやってきて、でも寝てしまうのはこころに失礼だと思ったから、フランドールは片目だけを閉じた。瞑った目のほうだけで、フランドールは夢を見た。
星の天幕を切り裂いて、パチュリーの指が空から振ってきた。巨大なもやしのような指が博麗神社の屋根を撫でると、瓦ががらがらくずれて、八雲紫が下敷きになってぺしゃんこになってしまった。
のっそり動いた指が、霊夢をつまみ上げ、空のどこかへ隠してしまった。森の葉が大きくなり、フランドールの体くらいの大きさになった。鳴いていた虫たちも、同じように大きくなり、ジジジジジという声も、かん高い耳に残るような声も、耐えきれないくらいうるさくなって、フランドールは耳をふさいだ。八雲紫が潰れる直前に、スキマを開いて呼び出した電車が境内を走りまわり、多くの人妖が撥ねられたり轢かれたりした。フランドールとこころははしっこのほうからその様子を見ていて、びっくりして顔を見合わせる。身内のものが起こした惨劇に、フランドールはすまなそうな顔をした。こころは無表情のまま、「大きな人だね」と言った。
夢からさめて、閉じていた片目をあけると、夜空が二倍の広さになった。フランドールもこころも、夢を見る前とまったく同じように黙って座っている。そのうち、みんながこころを呼ぶ声がした。こころは黙ったまま立ち上がると、フランドールと咲夜にぺこりとお辞儀をして、みんなのほうへ向かった。灯りが集まって、咲夜が見つけた木の台を赤橙に照らしだした。こころがその台に上り、扇を広げてポーズをとると、命蓮寺と豪族の面々がきゃあきゃあ、ぴいぴい歓声をあげた。
「そうか、能をやるのね」と咲夜がフランドールに聞かせるようにつぶやいた。
◆
「それで、どうしたの」
朝になって、家に帰ると、パチュリーはまだなんだかんだ作業していた。慣れない外出でフランドールは疲れてしまって、読書机にあごを乗せてぐったりしたまま喋った。
「夢みたいだったよ」
「夢?」
「うん。最初はふわふわ、ひらひら、布みたいに柔らかく踊ってたの。それがそのうち、手がこう、ブンブン、ビュバーッて、刀みたいになるの。太鼓と笛が、ぽん、ぽん、ぴー、ぴーって鳴って」
「そう。ラジオ体操みたいなものかしらね。……よかったじゃない、楽しかったんでしょ」
フランドールはこくりとうなずいた。出かける前は不安だったけれど、行ってみれば楽しいことがたくさんあった。ヤキソバはおいしかったし、こころに出会えたし、能はとてもきれいだったし……。
それでね、と話をつづけようとすると、パチュリーがちょっと待って、と制した。
「おもしろいことができるかも」
と言って、フランドールの額に指を当てた。すると、指が触れた部分に黒い小さな、穴みたいな点がついた。そこから、秦こころが飛び出してきた。
能楽師の大きさはクビキリギリスくらいで、パチュリーのミニチュアの神社にぴったりのサイズだった。虫みたいなこころが模型の境内に降り立ち、くるくる、ひらひら踊りはじめた。フランドールが見た踊りと、そっくりそのまま同じだった。
太鼓と笛の音も、フランドールの額の穴から流れだした。静かな図書館にぽん、ぽん、ぴー、ぴー、という音が響きわたり、糸が通るように空間を満たした。ミニチュアのこころの周りに灯りができて、踊る少女を照らしだし、するといつのまにか、図書館の大きな読書机の、小さな箱の周りに夜ができているのだった。
能の音楽のほかにもかすかに、虫の鳴き声も聞こえる。それから次々と、額の穴からたくさんのものが飛び出して、いつしかジオラマの博麗神社で、昨夜と同じ宴会がはじめられていた。霊夢がいて、魔理沙がいて、鬼と橋姫のカップルがいて、八雲紫が隙間から、小さな電車を取り出している。フランドールと咲夜が、数十センチ離れた遠くからそれを見ていた。手にヤキソバと、ウナギをゼリーにしたものを持っている。フランドールも咲夜も、目を輝かせて踊りを見ている……その小さな二人を、机のそばのフランドールとパチュリーが見ている。
夜も灯りも音も、穴から流れ出て止まらなかった。そのうちフランドールの額から、パチュリーのもやしのような指が生えてきた。それを見ると、パチュリーが「はい、ここまで」と言ってもう一度額に触り、指で蓋をした。するとぴたりと音が止まり、虫の鳴き声も、酔っぱらいの胴間声も、どこかへ行ってしまった。パチュリーが言った。「妹様の夢の重みで、私の模型が潰れてしまうわ」
夜が徐々に薄れ、灯りが消えて読書灯の光と混ざり、布のように刀のように踊っていた秦こころが動きを止めた。小さなこころが、下からじっとフランドールを見上げている。フランドールはあわてて、ぱちぱちぱち、と拍手をした。こころは踊りをはじめたときと同じように、ぺこりとお辞儀をすると、図書館の空気に溶けるようにして消えていった。
童話的で、メルヒェンでした。
>>自分とは別の意味で、なにかがしっかりしていない、不安定な少女なのだ〜〜
フランがこころに対して同族意識を持ち、打ち解けていく様が好きです。ありがとうございました。
勇気を振り絞ってこころに話かけるシーンが特に好きです
きっとフランはジオラマなんて軽々と押しつぶすほどの思い出を得られたのでしょう
2人で並んで座っている姿が目に浮かぶようでした
私たちの社会ではえてして忘れ、捨てられがちだけど
純粋さは視えなくなったらいけないものだと思う。それこそ一生
さくしゃさん頑張って