「咲夜ー」
薄紅色のベッドから身を起こした幼い姿をした少女――レミリア・スカーレットは一度伸びをした後にそう呼びかける。背中の蝙蝠のような漆黒の翼は、彼女の中に残る眠気を示すようにゆったりと揺れている。
「お嬢様、おはようございます」
レミリアの呼びかけからそう待たずして、メイド服姿の銀髪少女――十六夜咲夜が部屋の中へと現れる。彼女の顔には、爽やかな笑顔が浮かんでいる。きっとその表情を見たことがあるのは、彼女の主であるレミリアくらいだろう。
「ではお嬢様、お着替えをさせて頂きますので立ち上がっていただいてよろしいですか?」
「はいはい」
レミリアは返事は適当ながらも、従者の言葉に素直に従ってベッドから立ち上がり、スリッパに足を通して咲夜の傍へと寄って行く。
「自分で着替えられるって言ってるのに、貴女は全然聞いてくれないわよね」
咲夜は薄い生地の寝間着を手早く脱がせていく。ボタンを外され開いた隙間からは真っ白な肌が覗いている。
「主自身に着替えをさせるなど、忠臣の身ではとてもとても出来ませんわ」
レミリアは従者の着替えに合わせて腕を動かす。寝間着の袖がするりと腕から滑り落ち、無防備な姿を晒す。
「と言っても、そんなことを気にするのは貴女だけくらいのものでしょう?」
すっかり寝間着は脱がされ、下着だけの姿となる。そのような格好となっても、どこか堂々とした態度はそのままだ。
「嘆かわしい限りです」
咲夜はいつの間にか手元に出現させた薄紅色の軽装のドレスをレミリアに着せていく。
「出来ることを奪われていくことのほうが嘆かわしいと思うのだけれど」
レミリアは再度咲夜の動きに合わせて、腕を動かす。晒されていた柔肌は覆い隠されていく。
「主のお仕事は玉座でふんぞり返っていることです」
服を着せられたレミリアはベッドに腰掛けて、スリッパを脱ぐと足を上げる。細くしなやかな足の奥が咲夜から見えてしまっているが、彼女は気にした様子もない。そもそも、裸に近い姿を見られているのだから、今更なのかもしれない。
「それは退屈で死にそうな仕事ね」
咲夜は服と同様に何処かから白いニーソックスを取り出すと、主の足へと履かせていく。その感触がくすぐったいのか、レミリアは少し身体を揺らしている。
「死んでしまわないよう、私がお世話いたしますので大丈夫ですよ」
咲夜は例によって紅色のローファーを取り出して、片足ずつ履かせていく。
「なんというかペットと飼い主の関係みたいね」
レミリアは立ち上がって、爪先で床を叩く。音は紅い絨毯に吸い込まれる。
「本日は首輪もお付けになられますか? 当然、私の名前入りのもので」
その隙に咲夜は背後に回って、真昼の月ような髪に櫛を通す。そうしながら、さり気ない様子で頭を撫でている。
「嫌に決まってるじゃない」
咲夜は主から一歩離れて、その姿を確かめると満足したように頷く。レミリアは微笑を浮かべてそれに応える。朝から下らない会話を繰り広げながらも、この二人は時折心が繋がっているかのようなやり取りを行う。
「さてと、今日はどんな一日になるのかしらね」
そう告げて、レミリアはマホガニーの赤色の扉を開いた。
◆
「パチェー」
朝食を摂り終えたレミリアは館の大図書館へと訪れる。友人の名を呼びながら、人の背の何倍もあるような本棚の森を進んで行く。
ここは一度奥へと入り込んで迷ってしまえば、一生出てこられなくなりそうな様相を呈している。しかし、レミリアが進むのは出入り口である大扉から真っ直ぐに伸びていく道なので迷いようはない。
その道の先にはうず高く積まれた本の山がある。この図書館を知るものはそこに大きな書物机が埋まっているのを知っている。
「パチェー?」
本の山へと近づいた彼女は、山の中を覗き込みながら呼びかける。
「ん? ああ、レミィね。……こんばんは、かしら?」
書物机に大きな本を広げて読んでいた少女――パチュリー・ノーレッジは間近で呼ばれてようやくレミリアの来訪に気づいたようだった。その机の上だけはぽっかりと空間が出来ていて、本一冊を広げてもまだ余裕がある。
「残念。もう、朝よ。というわけでおはよう、パチェ」
笑顔でそう言いながら、埋もれそうになっている椅子の上から本をどけてパチュリーの横に座る。
「ん。おはよう、レミィ」
顔を上げてそう答えたパチュリーは、眠たげなラピスラズリの瞳でレミリアを見つめたまま止まる。
「パチェ、調子はどう?」
レミリアは身体を乗り出して友人の顔を覗き込む。
「ん、もう少しで新しい魔法が完成しそうだわ」
パチュリーの声が少し上がり調子となる。レミリアの紅い瞳を見返し、口を開――
「いやちょっと待って、私が聞きたいのは貴女の研究の進み具合じゃなくて、体調の方だから」
レミリアは慌てて口を挟む。彼女は魔法に関する興味を一切持っていないのである。
「そう……。体調の方は悪くないわ」
少し気落ちしたような声の後、淡々とした様子で答える。長年の付き合いからパチュリーも友人のことをよく知るはずだが、好きなこととなると我を忘れてこういったことになることが多々ある。
「ふふ、それは良いことだわ」
友人が良く体調を崩すことを知るレミリアは嬉しげに笑む。慣れているので、気落ちしている様子は気にしていない。
レミリアの漆黒の翼は、友人の体調が良い事を喜ぶように揺れているが、周りを本で囲まれているこの場所では少々危なっかしい。
「あっ、レミリアさん。おはようございます」
本の隙間から美味しそうな匂いを纏って、赤紫色の髪を揺らす少女――小悪魔が現れる。機嫌が良いのか、頭の小さな黒い翼がぱたぱたと揺れている。
「パチュリー様、朝食をお持ちしました! 今すぐ並べますので、間違えても本を読み始めたりしないでくださいね」
「分かってるわ」
「ほんとですかねー」
小悪魔は疑わしげな声で答えながら準備を始める。傍までワゴン車を持ってこれないので、本に囲まれた空間から何度も出たり入ったりと忙しそうだ。
「あんまり小悪魔に意地悪するんじゃないわよ?」
レミリアはあっちへこっちへと動く小悪魔の姿を眺めながらそう言う。口にはしたものの、大きな問題だと思っていないのか、重い口調ではない。
「意地悪をしているつもりはないわ。むしろ、意地悪されているのは私の方よ」
「ふぅん?」
先を促すように頷く。小悪魔も何を言うつもりなのかと興味を持つように、頭の小さな翼が二人の方へと向いている。
「今日みたいに朝食の準備をしている時にちょっとうっかり本を読んじゃっただけで、その後やたらと抱きついてきて本を読む邪魔をしてきたのよ。だから膝枕をして、横顔を机代わりにして身動きが出来なくしてやったわ」
少し早口に捲し立てる。ただそこに、小悪魔に対する嫌悪と言ったものは一切見られない。というよりも――
「……相変わらず仲良さそうね」
レミリアは呆れたように返す。
「ふっふっふー、私たちは仲良いに決まってるじゃないですか! ねー、パチュリー様ー」
朝食の用意をすませた小悪魔が背後から主に抱きつく。
「まあ、悪くはないわね」
パチュリーは対象的に淡々とした様子で返す。突然のことにも動じた様子はない。
「相変わらず素直じゃないですねぇ。まあ、こうして大人しくしてくださることこそが、親愛の証だと信じてますが」
腕にぎゅーっと力が込められる。傍から見れば、主に対する態度からは程遠い。
「パチェ、私がいるとお邪魔みたいだし、そろそろ行くわね。こあ、食事の邪魔しないようにちゃんと離してあげるのよ」
レミリアは立ち上がって、本の山の中から出ていく。
「はーい」
その背中を見送るのは、パチュリーから離れた小悪魔の名残惜しそうな声だった。
◆
「美鈴ー」
日傘を手にしたレミリアは門の前へとやって来ていた。吸血鬼にとって天敵である太陽は青空の中で元気に輝いているが、それを忌避した様子はない。
「おはよう。今日も良い天気ね」
何処か澄ました様子の微笑。
それに反して、日傘をくるくる。翼をぱたぱた。
見るからに機嫌が良いというのを全身で表している。
「おはようございます!」
赤毛の少女――紅美鈴は、満面の笑顔で挨拶を返す。
「今日も何処かにお出掛けになられる予定ですか?」
首を傾げながら問い掛ける。
「ええ、神社にでも行ってこようと思ってるわ」
レミリアは美鈴の隣に佇む。今ではもう気にする者はいなくなってしまったが、守られるべき主が門を守るような位置にいる。そんな光景である。
「相変わらずお好きですねぇ」
美鈴の視界の先に妖精が現れる。美鈴が小さく手を振ると、ぶんすかと手を振り回し返す。
「あそこは面白いことが色々と起きるもの。それに、しょっちゅう顔を合わせないと忘れられちゃうしね」
レミリアが美鈴と同じように小さく手を振ると、妖精は一瞬身体を強張らせる。それから、美鈴の少し困ったような笑顔を見ると、小さく手を振って何処かへと飛んで行ってしまう。
「私ってそんなに怯えられるような存在かしらね?」
飛び去る小さな背中を見送りながら、不思議そうに首を傾げる。聞く人が聞けば気付く程度だが、彼女の声には哀愁が漂っている。
「妖精は自分以外の力に敏感ですからねぇ。お嬢様そのものと言うよりは、その大きな力が怖いのではないかと」
美鈴は主の感情に気付いているのいないのか、少しばかりのんびりとした口調で疑問に答える。
「そうでなければ、そもそもお嬢様の姿を見た時点で逃げていたでしょうし」
美鈴は何かに気付いたのか、門の内側を覗き込む。そこには、赤い如雨露を両手で支えて、花壇の花に水をやっている妖精メイドがいる。
「そういうものかしらね?」
美鈴が手招きをすると、妖精メイドは首を傾げながらも如雨露を地面に置いて、二人の方へと駆け寄る。レミリアはちらりと振り返って、二人のやり取りを眺めるだけである。
「そういうものです」
二人の会話が一段落付いた所で、妖精メイドは二人の傍まで近づいてきていた。
「美鈴さん、何か用ですか?」
「お嬢様が野良の妖精に逃げられちゃって落ち込んでるから、元気付けてあげてちょうだい」
美鈴は悪戯っぽい笑みを浮かべながらそう告げる。
「いや、別に落ち込んではいないわよ」
「了解です! 少々お待ち下さいね!」
妖精メイドは美鈴と同じような表情を浮かべて館の方へと飛んでゆく。
「貴女たち、私の従者のくせに全く言うことを聞かないわね」
残った美鈴へと愚痴を言う。けれど、その語調は怒っているというよりも呆れているという感じだった。
「言うことだけを聞く従者なんて詰まらないとは思いませんか?」
美鈴は茶目っ気を出すようにウィンクをする。
「……少なくとも貴女たち従者が勝手に決めるものではないわね」
レミリアはそんな従者の姿を見上げて、存分に呆れているようである。
「あっはっはっ、かもしれませんね」
わざとらしい笑い声は、主の言葉に同意はしながらも聞き入れる気はないということを示していた。そう言った態度は今更なので、特別咎めたりしようとはしない。
「おじょーさまーっ!」
妖精メイドが声を張り上げながら、駆け足で戻ってくる。そんな彼女の傍には、三人の妖精メイドがいた。
「お待たせいたしました。あ、美鈴さん美鈴さん、事に及ぶ前に確認したいことがあるんですけど、今回のことの責任は負ってもらえるんですよね」
「お嬢様に危害を加えるようなことでなければ、好きにやっちゃっていいわよ」
「わーい、ありがとうございます! というわけで、皆、お嬢様のことをかこめーっ!」
その号令と共に、「わーっ!」と声を上げながら、四人の妖精メイドがレミリアを囲む。
そんな状況でもレミリアは冷静そうに、けれど何が起こるのか興味深げに周囲を見回す。それだけでも、普通の妖精であれば多少たじろいでしまうのだが、集まったのは精鋭たちだったようだ。
「抱き着けー!」
視線に怯えることなく、一斉にレミリアへと抱きついた。レミリア含めて全員体型がさほど変わらないので、中央のレミリアは埋もれるようになっている。
「で、これはどういうつもりかしら?」
身動きが取れなくなりながらも動じない。
「ふっふっふー、逃げられて落ち込んだというのなら、これ以上ないくらいくっつくことが慰めにはなりませんかね?」
この状況を作り出した首謀者は、不敵に楽しげな笑顔で答える。
「落ち込んでないって言ってるでしょうが」
「そうですかー? まあ、私たちがくっつきたいので振り払われるまでくっつきますけどね! というわけでぎゅーっ!」
レミリアが妖精メイドたちに押し潰されていく。
そんな状態なので、美鈴のところからは上機嫌に揺れる主の翼しか確認することができなかった。
◆
「フラーン」
長い下り階段のその終点。そこにある重そうな木の扉を軽々と開けたレミリアは、妹の名前を呼ぶ。
「お姉様っ!」
フランドールは片側だけを結わえた金髪と、宝石のような羽を垂らした翼を揺らしながら姉の方へと近づく。けど、抱きつくかのような勢いを見せながら、目の前で足を止めると鼻を動かしてにおいを嗅ぎ始める。
「……む。もしかして、霊夢のところに行ってた?」
少し不機嫌そうな表情を浮かべ、紅色の瞳で姉を睨みつける。どうにも可愛らしい雰囲気が抜けていないのは、本気で不機嫌になっていないということなのだろう。
「確かにその通りだけど、貴女の嗅覚は相変わらず異常ね」
呆れたように言いながら、妹の頭を撫でる。それだけで、フランドールの表情は緩む。
「で、本物はそこでこそこそと何をしているのかしら?」
レミリアは扉の方へと視線を向ける。そこには閉じられた扉があるだけで、誰もいないはずである。
「お姉様? 何言ってるの? 私はここにいるよ?」
そう言ってフランドールは姉の視界を遮る。こっちだけを見ろとでも言わんばかりである。
「多分、疲れてるからそんなこと感じるんだよ。ベッドでも椅子でも好きな方に座って?」
レミリアは妹の言葉を無視して、身体から赤みを帯びた霧を生み出す。
それは、彼女の身体の一部であり自在に動かすことが出来る。それを彼女がじっと見つめている方へと飛ばす。
霧が扉の前へと辿り着くが何も起こらない。けれど、その場の空気をかき混ぜるように流動させると――
「あっ、ちょ、ちょっと待って! ダメなとこで動いてる! ダメな所で動いてるからっ!」
霧のある辺りから、悲鳴じみた声が上がる。それからしばらくして、レミリアの横に立っていたフランドールが消え、代わりに扉の前に霧を振り払うように手を振り回すフランドールが現れる。
レミリアが霧を自分の身体へと戻すと、フランドールはぐったりとしたようにその場に座り込む。心なしか顔が赤くなっている。
「……お姉様が、こんな変態だったなんて……っ」
「馬鹿おっしゃい」
言葉とは裏腹に若干上擦った声の妹に姉として全力で呆れきった声を返す。
「で? 何の真似かしら?」
「この部屋を完全に外と切り離そうかなって。それで完璧に二人きりなれるの。素敵でしょ?」
夢でも語るような笑顔で告げる。
「だから、お姉様はその準備が終わるまで今日あったことをゆっくりと話してて。私はちゃんと聞いてるから」
「却下よ、却下」
「むぅ……」
レミリアはひょいとフランドールを担ぎ上げる。諦めているのか、逃げ出そうとする素振りは見せない。
「でも、なんであれが偽物だって気づいたの? 分身に纏わせてた雰囲気は紛れもなく私のものだったのに」
フランドールは、姉の肩の上で不思議そうに首を傾げる。彼女の視線の先ではレミリアが片手で椅子を引いている所だった。
「直感としか言いようがないわね」
妹を椅子に座らせたレミリアは対面の席に腰を下ろす。
「むむむ……」
フランドールは難しい顔をして考え込む。次なる手を考えようとしているようだが、姉の答えはなんの参考にもならなかったようで、いきなり壁にぶち当たっている。
パチュリーには天才的な魔法の素養があるなんて言われているが、彼女はこういうことにしかその才能を使おうとしない。
「それにしても、いくらでも時間があったのに、なんで目の前で準備するなんて悠長な手段を取ったの?」
レミリアは少し首を傾げる。
「部屋ごと、それも吸血鬼二人を纏めて空間的に閉じ込めるのってかなり繊細な作業なんだよ? 誰かが出入りするたびに一からやり直しになるし」
「ふぅん?」
フランドールは指先でテーブルの上に何かを描くような仕草をしていたかと思うと、途端にそれを払うように手のひらを動かす。それから直ぐに再び、文様を描くように指先を動かす。
「お姉様を封じるだけなら、事前に準備出来るんだけどそんなことしても意味ないし。私たちを封じるのも同じくらい簡単。でも、折角ならこうやってぐだぐだ話す環境も残しときたい」
「うんうん」
興味がないのか、レミリアは適当な相槌を打つだけである。
「精神操作も考えたことはあるんだけど――」
途中で言葉を区切り、適当に宙で指を振るう。
「――それならこれでいい」
フランドールの背後にレミリアそっくりのものが現れる。ぼんやりとした様子で話を聞いていたレミリアも流石に驚きを露わにする。
「へぇ、こんなのまで作れるのね」
レミリアは椅子から立ち上がって自分の分身へと近づくと、その頬を人差し指でつつく。返ってくるのは柔らかな弾力で、彼女は思わず自らの頬にも触れて、その違いを確かめてしまう。そして、感心したようなため息を吐く。
「まだ未完成だけどね。だから、お姉様」
フランドールも立ち上がるとレミリアの背後に立つ。腰のリボンを解こうとするが、翼に振り払われてしまう。
「何するの」
フランドールの不満そうな声。
「それはこっちの台詞よ」
レミリアは振り返り、警戒するように妹から距離を取る。
「お姉様の生まれたままの姿って見たことがないから、見せてほしいなぁって。お姉様の分身を完璧なものにするためにも見せて?」
甘えた声でねだる。
「嫌よ」
「そっか、残念」
短い否定に軽い調子で返すと、席へと戻っていく。それに倣って、レミリアも自らの席に戻る。
「……妹と話をしにきただけなのに、なんでこんなにどっと疲れないといけないのかしらね?」
今にもため息を吐きそうであった。
「お姉様が私の願いを聞いてくれないから、かな?」
軽く睨んでくる姉に悪びれた様子もなく返す。
「まあ、お姉様は狭い世界で生きていけないくらい寂しがり屋なのは知ってるから、聞いてくれないだろうっていうのは分かってるんだけどね」
「私は寂しがりなんかじゃないわよ」
レミリアは何を言っているんだと言うような表情を浮かべる。
「うん、そうだね」
フランドールは姉の言葉に頷きを返すが、どちらかと言うと聞き流している様子だ。
「それじゃあいつも通り、起きてからのことを話して?」
「なんだか納得がいかないわね……」
「いいからいいから」
フランドールはにこにこと笑顔を浮かべて、釈然としない様子のレミリアに話をせがむ。
「……まあ、いいわ」
考えることを面倒臭がる彼女は早々に諦めた。その代わり、妹の要求に応えて朝からの出来事をゆっくりと話し始める。
フランドールは笑顔のまま、穏やかな姉の顔を眺め続けているのだった。
◆
一日の終わりが近づく。
咲夜の手により寝間着へと着替えさせられたレミリアは、ベッドで横になっている。
思い出すのは今日一日の出来事。特別騒がしくもない平々凡々な日常であった。けれど、一人になるような時間はほとんどなかった。
一人切りで静かな部屋の中は彼女にとって物足りない。だから、また明日、大好きな人たちと顔を合わせるため、大人しく眠りに付くのだった。
薄紅色のベッドから身を起こした幼い姿をした少女――レミリア・スカーレットは一度伸びをした後にそう呼びかける。背中の蝙蝠のような漆黒の翼は、彼女の中に残る眠気を示すようにゆったりと揺れている。
「お嬢様、おはようございます」
レミリアの呼びかけからそう待たずして、メイド服姿の銀髪少女――十六夜咲夜が部屋の中へと現れる。彼女の顔には、爽やかな笑顔が浮かんでいる。きっとその表情を見たことがあるのは、彼女の主であるレミリアくらいだろう。
「ではお嬢様、お着替えをさせて頂きますので立ち上がっていただいてよろしいですか?」
「はいはい」
レミリアは返事は適当ながらも、従者の言葉に素直に従ってベッドから立ち上がり、スリッパに足を通して咲夜の傍へと寄って行く。
「自分で着替えられるって言ってるのに、貴女は全然聞いてくれないわよね」
咲夜は薄い生地の寝間着を手早く脱がせていく。ボタンを外され開いた隙間からは真っ白な肌が覗いている。
「主自身に着替えをさせるなど、忠臣の身ではとてもとても出来ませんわ」
レミリアは従者の着替えに合わせて腕を動かす。寝間着の袖がするりと腕から滑り落ち、無防備な姿を晒す。
「と言っても、そんなことを気にするのは貴女だけくらいのものでしょう?」
すっかり寝間着は脱がされ、下着だけの姿となる。そのような格好となっても、どこか堂々とした態度はそのままだ。
「嘆かわしい限りです」
咲夜はいつの間にか手元に出現させた薄紅色の軽装のドレスをレミリアに着せていく。
「出来ることを奪われていくことのほうが嘆かわしいと思うのだけれど」
レミリアは再度咲夜の動きに合わせて、腕を動かす。晒されていた柔肌は覆い隠されていく。
「主のお仕事は玉座でふんぞり返っていることです」
服を着せられたレミリアはベッドに腰掛けて、スリッパを脱ぐと足を上げる。細くしなやかな足の奥が咲夜から見えてしまっているが、彼女は気にした様子もない。そもそも、裸に近い姿を見られているのだから、今更なのかもしれない。
「それは退屈で死にそうな仕事ね」
咲夜は服と同様に何処かから白いニーソックスを取り出すと、主の足へと履かせていく。その感触がくすぐったいのか、レミリアは少し身体を揺らしている。
「死んでしまわないよう、私がお世話いたしますので大丈夫ですよ」
咲夜は例によって紅色のローファーを取り出して、片足ずつ履かせていく。
「なんというかペットと飼い主の関係みたいね」
レミリアは立ち上がって、爪先で床を叩く。音は紅い絨毯に吸い込まれる。
「本日は首輪もお付けになられますか? 当然、私の名前入りのもので」
その隙に咲夜は背後に回って、真昼の月ような髪に櫛を通す。そうしながら、さり気ない様子で頭を撫でている。
「嫌に決まってるじゃない」
咲夜は主から一歩離れて、その姿を確かめると満足したように頷く。レミリアは微笑を浮かべてそれに応える。朝から下らない会話を繰り広げながらも、この二人は時折心が繋がっているかのようなやり取りを行う。
「さてと、今日はどんな一日になるのかしらね」
そう告げて、レミリアはマホガニーの赤色の扉を開いた。
◆
「パチェー」
朝食を摂り終えたレミリアは館の大図書館へと訪れる。友人の名を呼びながら、人の背の何倍もあるような本棚の森を進んで行く。
ここは一度奥へと入り込んで迷ってしまえば、一生出てこられなくなりそうな様相を呈している。しかし、レミリアが進むのは出入り口である大扉から真っ直ぐに伸びていく道なので迷いようはない。
その道の先にはうず高く積まれた本の山がある。この図書館を知るものはそこに大きな書物机が埋まっているのを知っている。
「パチェー?」
本の山へと近づいた彼女は、山の中を覗き込みながら呼びかける。
「ん? ああ、レミィね。……こんばんは、かしら?」
書物机に大きな本を広げて読んでいた少女――パチュリー・ノーレッジは間近で呼ばれてようやくレミリアの来訪に気づいたようだった。その机の上だけはぽっかりと空間が出来ていて、本一冊を広げてもまだ余裕がある。
「残念。もう、朝よ。というわけでおはよう、パチェ」
笑顔でそう言いながら、埋もれそうになっている椅子の上から本をどけてパチュリーの横に座る。
「ん。おはよう、レミィ」
顔を上げてそう答えたパチュリーは、眠たげなラピスラズリの瞳でレミリアを見つめたまま止まる。
「パチェ、調子はどう?」
レミリアは身体を乗り出して友人の顔を覗き込む。
「ん、もう少しで新しい魔法が完成しそうだわ」
パチュリーの声が少し上がり調子となる。レミリアの紅い瞳を見返し、口を開――
「いやちょっと待って、私が聞きたいのは貴女の研究の進み具合じゃなくて、体調の方だから」
レミリアは慌てて口を挟む。彼女は魔法に関する興味を一切持っていないのである。
「そう……。体調の方は悪くないわ」
少し気落ちしたような声の後、淡々とした様子で答える。長年の付き合いからパチュリーも友人のことをよく知るはずだが、好きなこととなると我を忘れてこういったことになることが多々ある。
「ふふ、それは良いことだわ」
友人が良く体調を崩すことを知るレミリアは嬉しげに笑む。慣れているので、気落ちしている様子は気にしていない。
レミリアの漆黒の翼は、友人の体調が良い事を喜ぶように揺れているが、周りを本で囲まれているこの場所では少々危なっかしい。
「あっ、レミリアさん。おはようございます」
本の隙間から美味しそうな匂いを纏って、赤紫色の髪を揺らす少女――小悪魔が現れる。機嫌が良いのか、頭の小さな黒い翼がぱたぱたと揺れている。
「パチュリー様、朝食をお持ちしました! 今すぐ並べますので、間違えても本を読み始めたりしないでくださいね」
「分かってるわ」
「ほんとですかねー」
小悪魔は疑わしげな声で答えながら準備を始める。傍までワゴン車を持ってこれないので、本に囲まれた空間から何度も出たり入ったりと忙しそうだ。
「あんまり小悪魔に意地悪するんじゃないわよ?」
レミリアはあっちへこっちへと動く小悪魔の姿を眺めながらそう言う。口にはしたものの、大きな問題だと思っていないのか、重い口調ではない。
「意地悪をしているつもりはないわ。むしろ、意地悪されているのは私の方よ」
「ふぅん?」
先を促すように頷く。小悪魔も何を言うつもりなのかと興味を持つように、頭の小さな翼が二人の方へと向いている。
「今日みたいに朝食の準備をしている時にちょっとうっかり本を読んじゃっただけで、その後やたらと抱きついてきて本を読む邪魔をしてきたのよ。だから膝枕をして、横顔を机代わりにして身動きが出来なくしてやったわ」
少し早口に捲し立てる。ただそこに、小悪魔に対する嫌悪と言ったものは一切見られない。というよりも――
「……相変わらず仲良さそうね」
レミリアは呆れたように返す。
「ふっふっふー、私たちは仲良いに決まってるじゃないですか! ねー、パチュリー様ー」
朝食の用意をすませた小悪魔が背後から主に抱きつく。
「まあ、悪くはないわね」
パチュリーは対象的に淡々とした様子で返す。突然のことにも動じた様子はない。
「相変わらず素直じゃないですねぇ。まあ、こうして大人しくしてくださることこそが、親愛の証だと信じてますが」
腕にぎゅーっと力が込められる。傍から見れば、主に対する態度からは程遠い。
「パチェ、私がいるとお邪魔みたいだし、そろそろ行くわね。こあ、食事の邪魔しないようにちゃんと離してあげるのよ」
レミリアは立ち上がって、本の山の中から出ていく。
「はーい」
その背中を見送るのは、パチュリーから離れた小悪魔の名残惜しそうな声だった。
◆
「美鈴ー」
日傘を手にしたレミリアは門の前へとやって来ていた。吸血鬼にとって天敵である太陽は青空の中で元気に輝いているが、それを忌避した様子はない。
「おはよう。今日も良い天気ね」
何処か澄ました様子の微笑。
それに反して、日傘をくるくる。翼をぱたぱた。
見るからに機嫌が良いというのを全身で表している。
「おはようございます!」
赤毛の少女――紅美鈴は、満面の笑顔で挨拶を返す。
「今日も何処かにお出掛けになられる予定ですか?」
首を傾げながら問い掛ける。
「ええ、神社にでも行ってこようと思ってるわ」
レミリアは美鈴の隣に佇む。今ではもう気にする者はいなくなってしまったが、守られるべき主が門を守るような位置にいる。そんな光景である。
「相変わらずお好きですねぇ」
美鈴の視界の先に妖精が現れる。美鈴が小さく手を振ると、ぶんすかと手を振り回し返す。
「あそこは面白いことが色々と起きるもの。それに、しょっちゅう顔を合わせないと忘れられちゃうしね」
レミリアが美鈴と同じように小さく手を振ると、妖精は一瞬身体を強張らせる。それから、美鈴の少し困ったような笑顔を見ると、小さく手を振って何処かへと飛んで行ってしまう。
「私ってそんなに怯えられるような存在かしらね?」
飛び去る小さな背中を見送りながら、不思議そうに首を傾げる。聞く人が聞けば気付く程度だが、彼女の声には哀愁が漂っている。
「妖精は自分以外の力に敏感ですからねぇ。お嬢様そのものと言うよりは、その大きな力が怖いのではないかと」
美鈴は主の感情に気付いているのいないのか、少しばかりのんびりとした口調で疑問に答える。
「そうでなければ、そもそもお嬢様の姿を見た時点で逃げていたでしょうし」
美鈴は何かに気付いたのか、門の内側を覗き込む。そこには、赤い如雨露を両手で支えて、花壇の花に水をやっている妖精メイドがいる。
「そういうものかしらね?」
美鈴が手招きをすると、妖精メイドは首を傾げながらも如雨露を地面に置いて、二人の方へと駆け寄る。レミリアはちらりと振り返って、二人のやり取りを眺めるだけである。
「そういうものです」
二人の会話が一段落付いた所で、妖精メイドは二人の傍まで近づいてきていた。
「美鈴さん、何か用ですか?」
「お嬢様が野良の妖精に逃げられちゃって落ち込んでるから、元気付けてあげてちょうだい」
美鈴は悪戯っぽい笑みを浮かべながらそう告げる。
「いや、別に落ち込んではいないわよ」
「了解です! 少々お待ち下さいね!」
妖精メイドは美鈴と同じような表情を浮かべて館の方へと飛んでゆく。
「貴女たち、私の従者のくせに全く言うことを聞かないわね」
残った美鈴へと愚痴を言う。けれど、その語調は怒っているというよりも呆れているという感じだった。
「言うことだけを聞く従者なんて詰まらないとは思いませんか?」
美鈴は茶目っ気を出すようにウィンクをする。
「……少なくとも貴女たち従者が勝手に決めるものではないわね」
レミリアはそんな従者の姿を見上げて、存分に呆れているようである。
「あっはっはっ、かもしれませんね」
わざとらしい笑い声は、主の言葉に同意はしながらも聞き入れる気はないということを示していた。そう言った態度は今更なので、特別咎めたりしようとはしない。
「おじょーさまーっ!」
妖精メイドが声を張り上げながら、駆け足で戻ってくる。そんな彼女の傍には、三人の妖精メイドがいた。
「お待たせいたしました。あ、美鈴さん美鈴さん、事に及ぶ前に確認したいことがあるんですけど、今回のことの責任は負ってもらえるんですよね」
「お嬢様に危害を加えるようなことでなければ、好きにやっちゃっていいわよ」
「わーい、ありがとうございます! というわけで、皆、お嬢様のことをかこめーっ!」
その号令と共に、「わーっ!」と声を上げながら、四人の妖精メイドがレミリアを囲む。
そんな状況でもレミリアは冷静そうに、けれど何が起こるのか興味深げに周囲を見回す。それだけでも、普通の妖精であれば多少たじろいでしまうのだが、集まったのは精鋭たちだったようだ。
「抱き着けー!」
視線に怯えることなく、一斉にレミリアへと抱きついた。レミリア含めて全員体型がさほど変わらないので、中央のレミリアは埋もれるようになっている。
「で、これはどういうつもりかしら?」
身動きが取れなくなりながらも動じない。
「ふっふっふー、逃げられて落ち込んだというのなら、これ以上ないくらいくっつくことが慰めにはなりませんかね?」
この状況を作り出した首謀者は、不敵に楽しげな笑顔で答える。
「落ち込んでないって言ってるでしょうが」
「そうですかー? まあ、私たちがくっつきたいので振り払われるまでくっつきますけどね! というわけでぎゅーっ!」
レミリアが妖精メイドたちに押し潰されていく。
そんな状態なので、美鈴のところからは上機嫌に揺れる主の翼しか確認することができなかった。
◆
「フラーン」
長い下り階段のその終点。そこにある重そうな木の扉を軽々と開けたレミリアは、妹の名前を呼ぶ。
「お姉様っ!」
フランドールは片側だけを結わえた金髪と、宝石のような羽を垂らした翼を揺らしながら姉の方へと近づく。けど、抱きつくかのような勢いを見せながら、目の前で足を止めると鼻を動かしてにおいを嗅ぎ始める。
「……む。もしかして、霊夢のところに行ってた?」
少し不機嫌そうな表情を浮かべ、紅色の瞳で姉を睨みつける。どうにも可愛らしい雰囲気が抜けていないのは、本気で不機嫌になっていないということなのだろう。
「確かにその通りだけど、貴女の嗅覚は相変わらず異常ね」
呆れたように言いながら、妹の頭を撫でる。それだけで、フランドールの表情は緩む。
「で、本物はそこでこそこそと何をしているのかしら?」
レミリアは扉の方へと視線を向ける。そこには閉じられた扉があるだけで、誰もいないはずである。
「お姉様? 何言ってるの? 私はここにいるよ?」
そう言ってフランドールは姉の視界を遮る。こっちだけを見ろとでも言わんばかりである。
「多分、疲れてるからそんなこと感じるんだよ。ベッドでも椅子でも好きな方に座って?」
レミリアは妹の言葉を無視して、身体から赤みを帯びた霧を生み出す。
それは、彼女の身体の一部であり自在に動かすことが出来る。それを彼女がじっと見つめている方へと飛ばす。
霧が扉の前へと辿り着くが何も起こらない。けれど、その場の空気をかき混ぜるように流動させると――
「あっ、ちょ、ちょっと待って! ダメなとこで動いてる! ダメな所で動いてるからっ!」
霧のある辺りから、悲鳴じみた声が上がる。それからしばらくして、レミリアの横に立っていたフランドールが消え、代わりに扉の前に霧を振り払うように手を振り回すフランドールが現れる。
レミリアが霧を自分の身体へと戻すと、フランドールはぐったりとしたようにその場に座り込む。心なしか顔が赤くなっている。
「……お姉様が、こんな変態だったなんて……っ」
「馬鹿おっしゃい」
言葉とは裏腹に若干上擦った声の妹に姉として全力で呆れきった声を返す。
「で? 何の真似かしら?」
「この部屋を完全に外と切り離そうかなって。それで完璧に二人きりなれるの。素敵でしょ?」
夢でも語るような笑顔で告げる。
「だから、お姉様はその準備が終わるまで今日あったことをゆっくりと話してて。私はちゃんと聞いてるから」
「却下よ、却下」
「むぅ……」
レミリアはひょいとフランドールを担ぎ上げる。諦めているのか、逃げ出そうとする素振りは見せない。
「でも、なんであれが偽物だって気づいたの? 分身に纏わせてた雰囲気は紛れもなく私のものだったのに」
フランドールは、姉の肩の上で不思議そうに首を傾げる。彼女の視線の先ではレミリアが片手で椅子を引いている所だった。
「直感としか言いようがないわね」
妹を椅子に座らせたレミリアは対面の席に腰を下ろす。
「むむむ……」
フランドールは難しい顔をして考え込む。次なる手を考えようとしているようだが、姉の答えはなんの参考にもならなかったようで、いきなり壁にぶち当たっている。
パチュリーには天才的な魔法の素養があるなんて言われているが、彼女はこういうことにしかその才能を使おうとしない。
「それにしても、いくらでも時間があったのに、なんで目の前で準備するなんて悠長な手段を取ったの?」
レミリアは少し首を傾げる。
「部屋ごと、それも吸血鬼二人を纏めて空間的に閉じ込めるのってかなり繊細な作業なんだよ? 誰かが出入りするたびに一からやり直しになるし」
「ふぅん?」
フランドールは指先でテーブルの上に何かを描くような仕草をしていたかと思うと、途端にそれを払うように手のひらを動かす。それから直ぐに再び、文様を描くように指先を動かす。
「お姉様を封じるだけなら、事前に準備出来るんだけどそんなことしても意味ないし。私たちを封じるのも同じくらい簡単。でも、折角ならこうやってぐだぐだ話す環境も残しときたい」
「うんうん」
興味がないのか、レミリアは適当な相槌を打つだけである。
「精神操作も考えたことはあるんだけど――」
途中で言葉を区切り、適当に宙で指を振るう。
「――それならこれでいい」
フランドールの背後にレミリアそっくりのものが現れる。ぼんやりとした様子で話を聞いていたレミリアも流石に驚きを露わにする。
「へぇ、こんなのまで作れるのね」
レミリアは椅子から立ち上がって自分の分身へと近づくと、その頬を人差し指でつつく。返ってくるのは柔らかな弾力で、彼女は思わず自らの頬にも触れて、その違いを確かめてしまう。そして、感心したようなため息を吐く。
「まだ未完成だけどね。だから、お姉様」
フランドールも立ち上がるとレミリアの背後に立つ。腰のリボンを解こうとするが、翼に振り払われてしまう。
「何するの」
フランドールの不満そうな声。
「それはこっちの台詞よ」
レミリアは振り返り、警戒するように妹から距離を取る。
「お姉様の生まれたままの姿って見たことがないから、見せてほしいなぁって。お姉様の分身を完璧なものにするためにも見せて?」
甘えた声でねだる。
「嫌よ」
「そっか、残念」
短い否定に軽い調子で返すと、席へと戻っていく。それに倣って、レミリアも自らの席に戻る。
「……妹と話をしにきただけなのに、なんでこんなにどっと疲れないといけないのかしらね?」
今にもため息を吐きそうであった。
「お姉様が私の願いを聞いてくれないから、かな?」
軽く睨んでくる姉に悪びれた様子もなく返す。
「まあ、お姉様は狭い世界で生きていけないくらい寂しがり屋なのは知ってるから、聞いてくれないだろうっていうのは分かってるんだけどね」
「私は寂しがりなんかじゃないわよ」
レミリアは何を言っているんだと言うような表情を浮かべる。
「うん、そうだね」
フランドールは姉の言葉に頷きを返すが、どちらかと言うと聞き流している様子だ。
「それじゃあいつも通り、起きてからのことを話して?」
「なんだか納得がいかないわね……」
「いいからいいから」
フランドールはにこにこと笑顔を浮かべて、釈然としない様子のレミリアに話をせがむ。
「……まあ、いいわ」
考えることを面倒臭がる彼女は早々に諦めた。その代わり、妹の要求に応えて朝からの出来事をゆっくりと話し始める。
フランドールは笑顔のまま、穏やかな姉の顔を眺め続けているのだった。
◆
一日の終わりが近づく。
咲夜の手により寝間着へと着替えさせられたレミリアは、ベッドで横になっている。
思い出すのは今日一日の出来事。特別騒がしくもない平々凡々な日常であった。けれど、一人になるような時間はほとんどなかった。
一人切りで静かな部屋の中は彼女にとって物足りない。だから、また明日、大好きな人たちと顔を合わせるため、大人しく眠りに付くのだった。
劇場アニメのキャラ紹介シーンを見ているようなイメージでした。暖かく、柔らかでした。
だれも言うことを聞いてくれないのにだれよりも愛されているお嬢様が良かったです