Coolier - 新生・東方創想話

烏獣戯文

2017/05/28 13:26:50
最終更新
サイズ
21.45KB
ページ数
1
閲覧数
1146
評価数
2/5
POINT
330
Rate
11.83

分類タグ

……重たい。紙の束は、夕暮れ、鉛の束になっていた。
間にあってますんで、の一言はこうも残酷なものか。

新聞を書くのは、何のためだったか。
……好きだから。単純なはずの理由は、自己顕示欲やら何やら、固い言葉で覆われてしまっていた。


……不幸だ。


本当は違う、この程度では。そう分かっていても、思ってしまう。

ペンが銃より重くなることが予想できた私は、家にすぐには戻らず、気晴らしの寄り道をすることにした。
確か、竹林には炎を操る奴がいたはずだ。
手元の、可燃性の鉄板たちをまとめて焼き払う。力強く、優雅に。後に残る、灰色の桜吹雪は幽かな寂しさとともに、
それが芸術であったことを確かにする。そんな姿を、真剣に見たことなど一度もなかったはずだが、容易に想像できた。
長く新聞を書いてきた賜物だろうか。それとも、私が落ちぶれてきて、理想を描いて……

考えを巡らすうちに、竹林の上空にたどり着いた。ただ、広い。降りる場所を定めようと低空飛行に切り替えただけで
迷いこんでしまったように感じられた。風情を見出そうにも、散々生い茂っている緑には不似合いな、荒涼といった言葉さえ浮かんだ。

……刹那、ガサッという音がした。本能的に最速をもって、音の主を探す。竹林の道なき道を、ピンク色の影が
縫っていくのが見えた。追う。取材とは、最速であるべきだ。私のポリシーがうなりを上げ、後に考えはいらなかった。
こちらが飛んでいるのに対して、向こうは地面を駆け抜けている。
速度的にこちらが絶対有利なはずなのに、竹が阻み、目の前に降り立ち勝利宣言、もとい取材をすることができない。
地形を知り尽くしているようで、影はいつまでも影としか捉えられなかった。

突然、その影が消えた。私は戸惑うことなく、竹林にめり込む。疲れて足を止めたのだろう。偶然、近くにあった古い竹の
束を踏み抜いてやる。大きな音を立てれば、多少なり反応があるだろう。バキィッと竹が鳴くのを聞きながら、反応を待った。
……待ってしまった。次に感じられたのは背中に発生した重い痛みで、慢心が招いた変えようのない
敗北の刻印だった。音を頼りに、タケノコを投げつけられたのだ。

「ピチューンて感じ?」

痛みから背中を丸めていると、ちょうど目線の高さになった折れた竹の檻の中から、影の正体が出てきた。
兎だ。誇りとも、蔑みともとれる笑みを浮かべ、崩れかけた竹の束の上に乗り私を見下ろす。
私の思う、理想の勝利宣言をしてきた彼女をいつの間にか輝きを増した月が照らしだした。

……これは!落ち着いた艶のある黒髪、そこから生える白くて大きな耳。コントラストが、小さくも整った顔のパーツを
きれいにまとめる。ピンク色の影として写っていたワンピースは、線を曖昧にして、違和感のない幼さから可愛さを導く。裸足であることは、
無垢の象徴とも、たくましさとも見えた。

まさしく、アトラクティブな取材対象。敗北で終えるわけにはいかない。

「やられました。ですが……」
「ああ、なになに新聞ならお断りだよ」

話す間もなく、斬り捨てられてしまった。……いや、私の目的は取材だ。購読してもらえなくても、取材だけで十分な価値になる。

「いえいえ、購読はもう少し考えてからでも良いのですが、少しばかり取材を……」
「とらぬ兎の皮算用はやめるんだね。それだけ」

返事に戸惑う私を見た彼女は、何かを顔の前で構えるような仕草をした。とらぬ……撮らぬ!
気づいた時にはもう遅く、彼女は竹林の闇に紛れて、遠くに消えかかっていた。カメラで追うにも、フラッシュを焚く間に見失ってしまうだろう。

疲れた私は手帳に、撮らぬ兎の皮算用はするべからず、とだけ書いてその日を終えた。



翌日。
眠りから覚めた私の頭は、先日発行した新聞の評価のことでなく、あの兎のことで埋まっていた。
しかし、記憶はほとんどあのいたずらな微笑のみで、彼女が白兎だったか、黒兎だったかはおろか、名前さえ分からなかった。

大きな事件もないので、私はまた、なんとなく竹林に足を運んだ。
なんとなく。悔しさと呼べるほどの大きな理由はない。記者の勘、と呼ぶべきだろうか。それにしては鈍すぎるような。

あの兎の情報を得るため永遠亭に降りると、意外にも永遠亭から出てきた彼女と鉢合わせになった。

「昨日の天狗じゃん。ここに何の用?」
「ああ、ええっとですね、新聞のネタを探しに……」

あなたの情報を聞きに、とは言えなかった。あくまでもなんとなく来たことを思い出し反芻する。

「で、さっそくあなたに協力願いたいのですが」
「残念ね。わたしゃ今から兎たちに薬を渡さなきゃならんのさ。上に立つ者はつらいのよ」
「上に立つ……となるとその兎たちはあなたの部下ですか。でも、何故薬を?」
「ここは竹ばかりだからね。同じものを食べ続けるのは体に悪いのさ」
「つまりはサプリということですか。で、その兎たちはどちらに?」

止めどなく質問を投げれば、取材は続いてくれるのだ。向こうこそ、なんとなく。そう思った矢先、

「なんとなく、が本当になんとなくであるときには記憶にも記録にも残らないから、もう終わりでよさそうね」

彼女はそう残し、竹林に消えていってしまった。

……やってしまった。確かに、残ったのは失敗という単純な事実のみだ。
思えば、写真も撮れていない。写真だけでも、と思う私はろくに手帳も開かず彼女を探しに飛び立った。

永遠亭から少し飛ぶと、開けた場所に兎たちが集まっているのが見えた。兎は本来、一匹で暮らす生き物だ。
その兎がこうも集まっているというだけで小さな記事になるはずなのに、私の目はその中心にいる少女に釘付けになった。

あの微笑。間違いなく、彼女だ。周りの兎たちは沈黙しているが、その沈黙こそが彼女への敬意なのだと雰囲気から分かる。
彼女が薬を与えると、多くの兎たちはそれをその場で飲んだ。臆病な兎が、他人からもらったものをすぐに飲むとは。

一言でいえばカリスマ。少し客観視を試みると、いやな劣等感のようなものが押し寄せて、この場から去りたくなった。
結局、写真を降りることなく撮り、そそくさとその場を後にした。

夜。昨日の続きにまた一言のみ、なんとなくが本当になんとなくであるとき、それは記憶にも記録にも残らない、と書き残すと、
彼女の言葉が時間差で私をチクチクと刺した。思えば、今日の行動、というより新聞を書くこと自体が「なんとなく」になっていないだろうか。
幻想郷に、惰性という言葉は付き物だ。しかし、新聞まで惰性に蝕まれてはただの紙とインクに成り下がるのは明白だった。
考え、私は「なんとなくに、なんとなくであるべからず」と改め、眠りについた。



翌朝。今日は明確に、あの兎の名前を知る、という目的をもって出かけることにした。
再び永遠亭に降りた私はその庭先で、別な兎に出くわした。昨日見た兎の集団の中にはいなかった、紫色の髪をした兎。
紅が差した目が、確実にただ者でないことを匂わせている。少し話しかけるのに躊躇していると、

「あなた、変な兎を見なかった?あ、私以外で」
「変な?不思議ですね、私もある兎を探しているのですよ」

向こうから話しかけてきたこと以上に、同じく兎を探していることに驚く。

「奇遇ね。ちなみに、その兎って因幡てゐだったりする?」
「……ええ、そうですよ。」

本当は分からないが、因幡てゐとかいう兎はあの兎のことを知っているかもしれない。

「なら、本当に丁度いいわ。あなたなら私より早く飛んで探せるはず。お師匠様は今忙しいし、すぐに会うことは難しいから……」
「あの、どこに行ったか見当は付いているんですか?」
「残念だけど、分からないの。でもそのやる気ならすぐに見つかると思うわ」

そう、やる気。なんとなくではないのだ。しかし、探すにも昨日の開けた場所しか思いつかない。

「では、私は一か所だけ思いつくところがあるので行ってきますね」
「いってらっしゃーい」

唐突な抜けた声に振り向くと、あの兎が茂みから出てきた。

「あっ、てゐ!今日はお師匠様の代わりに里に行くことになってたでしょ!」
「だから来たんじゃん、時間は知らないけど」

彼女が因幡てゐだったのか。そう意外でもなかった。どこか懐かしさを感じさせるようなその名前が、彼女のものである気がしていたのも事実だ。
目的は、達成された。が、ここで引いては損するに違いない。貪欲であることが次の行動の理由でいいだろう。

「あの、てゐさん。今日はもう少しあなたの仕事ぶりを取材したいと思いまして……」
「ふーん、鈴仙、この天狗が手伝ってくれるらしいよ。そんでもってあたしはいらなくなった」
「そんな訳ないでしょ!あ、もう手伝ってくれてるからてゐのことで……」

いつの間にか人探しから里に使いに行くことになっている?……あの微笑は。

「利用しようとするものは利用されることを肝に銘じるんだね」

予想通り、予想と同時に彼女は竹の中へ突っ込んでいってしまった。

「「あーあ……」」

追っていてはいよいよ時間がないらしく、仕方なく鈴仙と呼ばれた兎と私は里に出かけた。

彼女の頼まれていたことは、新しい薬の販売だった。薬を売りつつ、鈴仙に因幡てゐのことを訊ねてみる。

「てゐはあんな余裕そうな顔をしてるけど、本当は臆病で……」

性格や永遠亭の面々との関係など色々訊いてみたが、少し変わったところはあれど、思いのほか、普通の兎といった印象にとどまってしまった。
しかし、気になることが一つあった。彼女はどうやら悪戯好きらしい。
報復を恐れるほど臆病ではないのだろう。初対面の私にいきなりタケノコを投げつけてくるあたり、合点がいった。

「あなたも騙されないように気をつけなね。気づいた時には遅いことが大半だから」
「ありがとうございました。てゐさんの情報が得られただけでも十分な収穫でした」
「お礼を言うのはこっちの方よ。てゐの代わりにありがとう」


気づけば、昼が過ぎていた。彼女と別れた後、里でゆっくりと食事をとっていると、次第に感謝された嬉しさが薄まってきて、
損をしたのではないか、なんていう気分になった。
思い出したのは、利用しようとするものは利用される、というてゐの言葉だった。
……私は、何を利用しようとしたのだろう。利用されようとして利用されたような。
……ひょっとしたら、てゐ自身を利用しようとしていたのかもしれない。いや、そうだ。

取材記事は、相手の協力があってこそだ。けれど私は、協力という強力に、かまけてしまっていたようだ。
鈴仙の情報は有益だった。が、そのまま手帳に書いては無益である。
私の新聞が読まれる、利用される。それは即ち、私の文才が利用されるということだ。
それならば、私の文才を利用しよう。
やはり必要なのは、てゐの、利用しようとするものは利用されるという言葉だけだった。



次の日。てゐに会うべく、私の足は自然と竹林へ運ばれた。
鈴仙に言われた、騙されないように、という言葉はさほど引っかからなかった。協力を仰ぐだけで騙されるようでは、記者の名が廃る。
何より、てゐが残す格言のような、当たり前のような言葉をもう少し聞きたかったのだ。

下手に使役されないように、永遠亭には寄らず、一昨日彼女の姿を見た開けた場所に行ってみる。
間もなく見えたのは、邪魔をしてはいけない空気を作り出し、薬を配っているてゐの姿だった。

カリスマ。一昨日はそう感じたが、少し彼女の内面を知ったためか、今は少し違うように見えた。
孤高。彼女は、ここではないどこかでは、普通の兎なのだ。
そんな彼女は、ここではある意味孤独で……私に重なった。

新聞を書く天狗は多いが、真剣に取材をする天狗は私ぐらいだ。
天狗こそ、孤高で、他の種族を一方的に導くのが神代からの習わしのはずだ。
憧れは、似た者同士の象徴だ。なんて言葉が彼女の口から出たら、私は嬉しいだろうか。

薄っぺらい気がして頭を切り替えると、彼女の処方も終わったようだった。
周りの兎たちが散りしだい、私はすぐにてゐの隣に降りた。

「あれ。なになに新聞ならお断りだよ」
「そんなの分かってますよ。ちなみに文々。新聞っていうんですよ、寂しい兎さん」

大きく出たと思うが、失言とは思わない。頭がまだ曇っているのも事実だった。

「……似た者同士だなんて思うなら、そいつに憧れている証だよ」

珍しく、てゐの表情が曇った。生まれた間は、終わってみて初めて須臾だと分かった。

彼女はまたすぐに去ってしまったが、やってしまったとは思わなかった。
心を見透かしたような彼女の言葉も、それを望んでいた節があったためか、すんなりと受け止めることができた。

それより、あの表情には見覚えがあった。……鏡の中に。
身だしなみを整えようと覗いているうちに、自分の容姿どころか、鏡では見えないはずの内面さえ、憎らしくなってきてしまう。
そんなときに、浮かべてしまう表情。てゐもまた、自分の内面を憎らしく思ったりするのだろうか。

……他人の思案など、深く考えても分かるはずがなかった。ただ、彼女にまた会いに行けばいいというのが私にとっての正解だった。



翌朝。布団に差し込まれた寒さが、私を起こした。今日は雨が降っているようだ。
こんなとき、てゐはどう雨を凌ぐのだろう。永遠亭で雨宿りでもしているのだろうか。
……何故私は、てゐのことを真っ先に考えているのだろう。
……取材対象だから。何か、もっと感情的な理由を抑えて、そう結論付けた。

今日は風もある。傘をさして飛んでも竹林に着く頃にはびしょ濡れになってしまうだろう。
また会いに行くと決めたそばから挫折してどうするんだ、とも思うが、風邪をひいては元も子もない。
仕方なく、てゐのことをあきらめる。代わりに次の新聞のための記事をまとめることにした私は、真っ先にてゐの記事に取り掛かった。

手帳には

撮らぬ兎の皮算用はするべからず

なんとなくに、なんとなくであるべからず

利用しようとするものは利用される

似た者同士だなんて思うなら、そいつに憧れている証だ

と並べてあって、その横に「カリスマ悪戯兎の素顔とは……」などと鈴仙から得た情報が適当に綴ってあるだけだった。
改めて見ると、情報の少なさに不安を感じる。かれこれ四回も会っているというのに、これでは……いや、周りに後れを取るということはないはずだ。
……何が不安なのだろう。もやもやは、記事作りを最後まで邪魔し続けた。


次の日、私は雨があがった空を見るのと同時に出かけた。
行先はもちろん竹林だ。件の開けた場所で、てゐを見つけた。

前より時間が早いせいか、まだ部下兎たちは来ていないようだ。時間にルーズなように見えるてゐが、誰よりも先に来ていることは意外だった。
私を、待っていた……なんてことは、ないか。

昨日からのもやもやを取り払うべく、すぐにてゐの隣に降りた。
会えばどうでもよくなる、なんていう希望のような考えは正しかったようだ。てゐの顔がつまらなそうなものから例の微笑に変わるのを見て、確信した。

「昨日はどうされていたんですか?」
「雨じゃ退屈だからね。鈴仙のところで遊んでたよ」

他愛のない会話の中に鈴仙が登場すると、私の胸は一瞬、痛んだ。
嫉妬をしているつもりはないし、する暇があったら会話を楽しみたい。はずだった。

てゐは昨日をなんだかんだ楽しく過ごしたようだった。私とは違って、永遠亭の人たちに囲まれて。

「……てゐさんはいいですね。そうやって人と雨を過ごせて」

思いが募って、詰まって、結局言ってしまった。

「会えない孤独は会うと毒、なんてね」
「……?まあ、確かにてゐさんのおかげで孤独は退きましたけど……」

寂しかったとは口にしてないが、もう言ってしまったも同然になってしまった。
恥ずかしさがこみ上げてうつむくと、てゐは私の顔、ではなく手にしていた手帳をのぞき込んできた。

「ふふ、よく書いてるねー。今のもしっかり書いといてね」
「え、あ、なんて言いましたっけ?」

返事に少し期待していたはずなのに、恥ずかしさばかりが残って、変に頭を揺さぶっていたせいだ。
てゐの言ったことは頭に入っていなかった。

「明日には明日の風が吹く。操る者、摂理を忘れるべからず」
「ああ、そうでしたっけ……?」
「そうだよ、忘れないために手帳に書くんでしょうに。あと、なになに新聞はお断りって付け足しといて」
「それは流石にいらないですね」
「いる」

即答した後、ペンを止めた私の手を凝視するてゐ。その微笑が解かれているのを見て、私は無心で手帳になになに新聞はお断り、と書き足した。
それを見るとてゐは、再び微笑をたたえ、満足そうに帰っていった。
……ふと、てゐがまだ薬配りをしていないことに気づく。
……心の隅で、てゐの怠惰を望んだ。



情報が足りない。その事実ばかりは、日をまたいでもまたいでも変わっていない。
手帳に何かを書けば、そのことを記事にしたくなるのは自然なことだった。そしてそれは、手帳を書かされた場合でも同じであった。

てゐを記事にして見せてやりたい。

そんな思いが、また急激に強まった。同時に浮き彫りになる情報の不足。

……理由はそんなところだが、会いたいと思う気持ちがなにより強いのも事実だ。
最速を選ぶという私のポリシーには理由も感情も関係ない、と巡る思考に終止符を打ち、今日もてゐのもとへ飛び立った。

例の開けた場所に行ってみると、昨日と同じく一人退屈そうにしているてゐが、上空の私に手を振ってきた。
意外……ではない。知り合いを見かけたら手を振ることくらい何らおかしくはない。
変ににやけそうになった自分に言い聞かせながら、てゐの隣に降り立った。

「わざわざ降りてくるなんてやっぱり暇なんだねー」
「いえいえ、仕事の真っ最中ですよ。てゐさんの取材っていう仕事の」
「密着取材ならアポぐらい取ってからやるべきでしょ」
「相手が取材OKな状態に見えたらそれが私にとってのアポなんですよ」

自分で言っといて難だが、横暴だ。けれど、自覚したところで気分は良いままだった。

「そっか、やっぱり密着、取材だったんだ。ならちょっと密着が足りないんじゃないの?」
「あ、いや、ただの取材なんで情報は足りているんですよ、十分なんです」

いやに密着という言葉を強調されて、思わず真逆のことを言ってしまった。

「あれ、じゃあなんでまだ取材してんの?」
「あー、えーっとですね、それは……」
「ふふ、足りない頭に必要なのは足りないと思う心だからね、合ってるよ」
「……今に私の頭が足りなくないことを証明して見せますよ」
「がんばれー。あ、今のも手帳に書いてくれた?」
「ええ。言われなくても書きましたよ」
「ふむ、それでよし。じゃあ最後に一言だけ、今の言葉の下に"またその逆も然り"って書いてね」
「てゐさんのしたいことが分かったような分からないような……ま、そのまま書くのが良さそうですね」
「ふふん、分かってんじゃん」

てゐは最後、昨日にも増して満足気な顔をして帰っていった。
その一仕事終えたというようなその表情は、私の物書き魂をいよいよ強く揺さぶった。

家に戻り、手帳の言葉を見る。


 撮らぬ兎の皮算用はするべからず

 なんとなくに、なんとなくであるべからず

 利用しようとするものは利用される

 似た者同士だなんて思うなら、そいつに憧れている証だ

 操る者、摂理を忘れるべからず

 なになに新聞はお断り

 足りない頭に必要なのは足りないと思う心

 またその逆も然り


最後の言葉はつまり、"足りないと思う心に必要なのは足りない頭"ということだろう。
……八つしかない言葉から記事を書くなんてことは、足りない頭では不可能に思える。

思うに、てゐはこれらの言葉を通して私に何かを伝えようとしているのであろう。
また、手帳に書くことをわざわざ指示してくるということは、どの言葉も必要不可欠なはずだ。

文学や歌からの引用だろうか。だとしたら、それらをあまり嗜まない私には理解が難しい。
……てゐは、わざわざそんなことをするだろうか。頭が足りないと思うやつに、当然知らないであろう文句を使うような愚行を、
あのてゐがする訳がない。……少なくとも、して欲しくなかった。

……思いつかない。やはり、頭が足りないのだろうか。
絵の才能や歌の才能はそれ自身がそれ以外の何物でもないことが自明だ。
しかし一方、文才や推理力は、結局地頭の良さだったりするんじゃないだろうか。
そう思うと今、私のペンが止まっていることが直接、私自身や人生のだめっぷりを表しているような気がして……

頭のせいにしてはいけない。そんなことは分かっている。甘えというか、努力が足りないだけだ。
けれど、頭の良し悪しはそういう問題ではなくて……

変に思考が乱れて嫌になった私は、横になって考えるのをやめてしまった。
半分虚ろな頭で、手帳の言葉たちを眺める。
昔、私がほかの天狗同様取材なしで新聞を書いていた頃。貸本屋で足りない情報を埋めようとして借りる本の中には、
どうしても私の頭では理解できないものがあった。そんな時、私は……

「と・な・り・に……」

縦読みが偶然でなさそうな文字列を示して、頭が再起動する。

……隣にあなたま……つ?

「つ」の文字は私が足してしまったが、明らかに言葉になった。そしてその内容が、私の頭を、体を完全に起こした。

隣にあなた待つ!

あの微笑が瞬時に想起されて、てゐが私に会うことを楽しみにしている様子が鮮明に浮かんだ。
それは、私がてゐに会うことを楽しみにしているのとそっくりだった。
てゐに今すぐ、メッセージが分かったことを、私こそ会うことを楽しみにしていたことを伝えたい。
まだ日は落ちていない。ほとんど何も持たずに、竹林に直行する。


竹林に着くと、すでに夜になっていた。
利かなくなってきた目で、てゐの姿を探す。
……刹那、ガサッという音がした。本能的に最速をもって、音の主を探す。竹林の道なき道を、ピンク色の影が
縫っていくのが見えた。追う。いつかと同じだ、などという気づきも一瞬で置き去りにして、最速で。

やがて、影は止まった。静かに傍に降り立つ。そして周囲の闇の、最も深い部分に目を凝らす。
わずかにピンクが覗けた。一瞬、よそ見をするふりをして、胸ポケットに差してあったペンを闇に向けて飛ばす。

「痛っ」
「ピチューンって感じですか?」

やはり、てゐの声だった。
勝利宣言した私に向けられた顔は、赤面していた。息を切らしているのか、それとも……

「てゐさんのメッセージが分かりました。つまり、あなたは」
「つまりなんてまとめちゃうなら、新聞は本当にいらない!」

私の言葉を遮るように吐き捨てると、てゐは竹林に突っ込んでいってしまった。
バキバキと、前はすぐ傍で聞いた大きな音が、てゐの行ったであろう方角からしばらく響いていた。

やがて静けさが戻ると、夜の空気が冷静を誘い、私の本懐を呼び起こした。

てゐを記事にして見せてやりたい。

そう、つまりなんて言葉は、新聞記者には不要なのだ。
家に戻るや否や、すぐにペンを握り、机に向かう。気づけば最後の文字、「つ」は巧みに満たされていた。

「竹林に住む兎たちのリーダー、因幡てゐは一見カリスマ的存在であるが……ふふふ」

てゐの言葉が私を押して、ペンを進めていく。偏向報道やトラブルメーカーとして大天狗、例え閻魔に怒られようが、今はどうでもよかった。
童心に帰り、私が感じたことを、書きたいことをそのまま書く。ぶつけるように、力強く。
足りないと思う心に必要なのは足りない頭だ。その意味が、今なら分かる。
大好きな新聞を書きたいという思いが、加速装置になって最速の道を光のように選び突き進む。


……幸せだ。


軽々しいかもしれない、この程度では。そう思っても、思わずにはいられない。



記事を書き終えると、もう日の出間近だった。
書き上げた記事はたった一つだが、眠気の対価としては十分過ぎるくらいだ。
印刷屋の前で待ち、開くと同時に依頼して、すぐさま五十枚ほどの束に変えてもらう。

てゐに真っ先に読んでほしい。その気持ちは強かったが、一人でも多くの人に早く読んでもらってこその新聞だ。
先に人里に向かうことにする。

「号外でーす!」

里を回りながら、思うがままに記事をばらまく。重たい眠気を吹き飛ばすほどに、軽快に。

記事が残り一枚になったことを確認して、竹林に向かう。
てゐはいつもの開けた場所にいた。私を待っていた。今なら確信が持てる。

「ふふ、私が昼にもなってここで何してるか、もう分かるでしょ」
「ええ。隣にあなた待つ。昨日のてゐさんの"つまりなんて言葉は新聞にはいらない"という助言をもってようやく完成しました。
私のことを待っていたんですね」
「うん、お見事、不正解!」
「へ?」

予想外の返答に、思考が停止する。そんな、間違っているはずがない。

「いや、待っていたのはまあ正解。でも、なになに新聞はお断り、てのを忘れてたみたいだね」
「……どういうことでしょうか。まだ言葉が足りなかったのですか?」
「残念、多かったね、それじゃあ」

てゐは力が抜けかけた私の手から記事をするりと抜き取ると、私がわざわざ頭文字を強調して書き出した言葉の一覧を指さした。

「分かりやすくていいねーこれ。じゃ、改めて、なになに新聞はお断りだよ」

そう言うとてゐは近くに落ちていた折れた竹を鋭く割り、その先で新聞に穴を開け始めた。
その音に、停止していた頭が醒めた。

「な、何するんですか!」
「さて、これで"なに"は無くなった……残ってるのを読んでみなー」

強調された頭文字が、五文字を残して穴で消されていた。

「と・り・あ・た・ま……ああっ!」
「ふふ、野暮な解説はもうしないよ。つまり、なんて言葉は不要なのさ」

呆気にとられる私にいつもの微笑を向けると、てゐは踊るように跳ねて去ってしまった。
その手に、私が書いた記事をしっかりと握って。

……やられた。里にばらまいた分から、隠された真の言葉に気づく者もいるかもしれない。
頭の足りなさが本当に露呈してしまった……ああ、眠気も重くなってきた。

けれど、幸せな気持ちは依然変わらなかった。てゐが私の記事を読んでくれたという事実が、なにより嬉しい。


紙の束は、夕暮れ、無くなっていた。


文花帖のてゐのシーンの背景が、鳥獣戯画だったり。
ランカ
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.130簡易評価
4.100名前が無い程度の能力削除
とりあたま か……てゐに完敗です。
5.100名前が無い程度の能力削除
答えは隣にあなたといるべからずではないのでしょうか?
逆も然りってことは。