自分が決して善人などではないと気づいたのは、どれくらい前のことだっただろうか。
透明な川の流れに紅葉の色が混じる光景を眺め歩きながら、ふとそんなことを考える。
もはやほとんど記憶がないが、幼いころは、みんなに優しくできるようになりたいなんて思っていた気がする。
いつからだろうか、ありがとうやごめんなさいを、本心から言えなくなったのは。
きっとその時にはすでに、私のその儚い夢は終わりを告げたのだと思う。
これは成長だろうか、それとも、そう呼ばれるべきではない何かなのだろうか。
そこまで考えたところで、不意に足が止まる。
紅く染まりきった木の葉の下で、妖精達4人ほど集まり妙なことをしていた。
4人の妖精たちの真ん中には、大きく広げられた私の代名詞、文々。新聞。
しかし、どう見ても4人で新聞を読み合っているような雰囲気ではない。なにやら遊んでいるような、そんな雰囲気だった。
気になって近づいてみると、そこにあったのは実に無残な文々。新聞の姿。
新聞の記事の上には紅葉の葉っぱがかぶせられ、おそらく風などで飛ばないように上に小さな石ころが置かれていた。
そして妖精たちは、とても楽しそうにサイコロを振っている。
私は理解した。妖精たちがやっているのは双六であり、この紅葉はおそらくマス目だということ、そして私の文々。新聞が、新聞としてではなくただの紙として使用されているということを。
私はそのことにほんの少しの怒りとやるせなさを覚えた。私が情報を集めるために東奔西走し、精魂込めて書き上げた文々。新聞は、それがなくとも、いや、むしろないほうがありがたいただの紙の代わりとしてしか使われないのかと。
しかし、それを表に出したりはしない。この光景はネタになると勘が告げていたからだ。
話を聞こうと近づいてみると、その妖精たちは4人ともペンを持っていた。
私の頭を疑問が埋め尽くす。何故ペンを持っているのか、そしてどこから手に入れたのか。
改めてよく考えれば、サイコロだってそうだ。どちらも人里で売ってはいるのだが、お金を持たないであろう妖精たちがそれを持っているというのはおかしい。
いや、紅魔館には妖精メイドというのがいるし、給金という形でお金をもらっていてもおかしくないのか。
いろいろ疑問が浮かんだが、私は考えるのを即座に打ち切った。目の前に答えを知るであろう者がいるのだから、聞いたほうが断然早い。
「ずいぶんと楽しそうですね、何をしているんです?」
私の問いかけに、4人全員がこっちを向き、各々勝手にしゃべり始めた。
聖徳太子ではない私に、当然その内容を理解することはできない。
しかし、これでも私は妖精の扱いに関してはなれている。
この幻想郷で、一番面白いことをするのが妖精だと思っている私は、妖精に対して取材をすることもそこそこに多い。
なのでこういう時は、慌ててすべてを聞き取る必要はないことを知っている。
聞き取れなかったところはまた同じ質問をすればいい。人間相手なら怒られるかもしれないが、妖精はそんなことに腹を立てたりしない。
そうして私は、妖精たちがやっている双六について、いくつかのルールや情報を聞き出した。
聞き出したことは大きく分けて3つ。
1つ目は、この双六は25マスで行われ、普通の双六通り6面体を振り、一番最初にゴールにたどり着いたものが勝ちであること。
2つ目は、ゴールを除いた24個のマスは、自分たちで好きにイベントを書いていいということ。2人の場合は先手が奇数、後手が偶数のマスのイベントを、4人の場合は1番手が1,5,9番目、2番手が2,6,10番目のマスのイベントを決めていく。そして最後にほかの者に見えないように紅葉で隠す。そのマスに止まれば当然そのイベントが発生する。
3つ目は、このペンやサイコロは、霧の湖でチルノさんにもらったもので、このゲーム自体も彼女からルールを聞いたということ。
私は2つ目の、マスのイベントに何を書いてもいい、というところが引っかかった。みんなが好き勝手にイベントを書いたなら、それはもう双六として成り立たないのではないかと思うからだ。
しかし、それ以上に私の関心を引いたのは、このゲームを作ったのがチルノさんであるということ。
妖精たちはチルノさんからルールを教わったとしか言っていないが、私の推測が正しければこのゲームの開発者はチルノさんだ。
マス隠しとして葉っぱを利用するという文明的ではない発想に、なによりイベントに何を書いてもいいというルールの甘さ。ほぼ間違いないだろう。
私は妖精たちに情報提供のお礼を言うと、チルノさんがいるであろう霧の湖へと飛び立った。
「ふふん、つまりこのゲームの開発者であるあたいに勝負を挑みに来たってことね!」
霧の湖で早々にチルノさんを見つけた私は、妖精たちから聞いた情報をチルノさんに確認を取った。いや、取ろうとした。
その際の彼女の答えがこれである。相も変わらず頭の中が独創的でいらっしゃるが、そんな彼女のことが、私は決して嫌いではなかった。
このように話が多少通じないこともあるが、いつ見ても元気で裏表のない彼女を見ていると、なんだか色々なことが馬鹿らしく思えてくる。
それに彼女はただでさえ騒がしい妖精の中でも指折りのトラブルメーカーであり、時々記事のネタにもなる。そんなこんなが重なり、たまには記事云々は関係なく彼女のもとを訪れるくらいには私は彼女のことを気に入っていた。
だからこそ、今回の彼女の盛大な勘違いに乗ってやろうと思った。それに、チルノさんが考えたというこのゲームがどんなものか、私も興味があった。
……というのは半分建前で、文々。新聞をただの紙として扱うような遊びを広めた彼女を懲らしめてやろうというのが、もう半分の理由である。
「いいでしょう。受けて立ちます。ただしイベントを書く紙には、文々。新聞ではなく私の手帖をちぎって使ってください」
そこだけは譲れない。何が悲しくて自分で精魂込めて書いた記事に自分で落書きをしなければならないのか。
このルールにチルノさんも特に不服は無いようで、ちょうどよくそばにあった二人が向かい合って座れるくらいの大きさの切り株の上で、勝負を行うことになった。
「そういえば、そのペンとサイコロはどうしたんですか?」
私はそこがずっと地味に引っかかっていた。チルノさんは紅魔館で妖精メイドなどしていないはずだから人里で買うことはできないし、ましてや妖精がこんなものを作れるとも思えない。
「レミリアに双六やりたいから貸してって頼んだらくれた」
私はチルノさんからでたその名前に驚きを禁じ得なかった。
しかしよくよく見てみれば、サイコロは一の目のところに目の代わりに赤い蝙蝠が描かれ、ペンの色は血を模したような紅色。
なるほど確かにこれをデザインしたのは間違いなくレミリアさんだろう。
「よく貸してくれましたね」
「貸したんじゃなくてくれたの、この遊びのルールを説明したら、面白そうだから持ってけって」
面白そうだから、とはいかにもレミリアさんらしい動機である。
しかしながら、その感性には疑問が残る。
というのも、私が当初このゲームのルールを聞いた時、あまり面白そうには思えなかったからだ。
イベントをプレイヤーが考える双六という発想自体は悪くないが、制限を設けないという点が致命的だ。
何を書いてもいいならば、例えば「自分が止まった時だけゴールに進む、それ以外はスタートに戻る」なんてことも許されてしまう。
これを自分の担当するすべてのマスに置けば、簡単に勝ててしまうではないか。
さすがにそこまで露骨ではないにしろ、普通にやればこのゲームは自分に有利なイベントの書きあいになるのではないか。
それを面白そうと思う感性は私にはない。
だからこそ、このゲームを面白そうといい、あまつさえ道具まで用意したレミリアさんの感性が、私にはわからなかった。
「文!始めるよ!準備はいい?」
チルノさんが声高らかに宣言する。
事前に決めた手番は、私が先手、チルノさんが後手
すでにすべてのイベントを書き終えていた私は、「いいですよ、始めましょうか」とマスを並べ、サイコロを手に取った。
そして私は無造作にサイコロを転がす。転がったサイコロは徐々に回転を弱め、まさに止まるというその瞬間、私はサイコロの周りだけに突風を吹かせた。
何もしなければ一の目を出したであろうサイコロは、余計に二回ほど転がり、その目は六。
風を操ることのできる私にとって、賽の目を操ることなどお茶の子さいさいである。
もともと半分は、文々。新聞をぞんざいに扱った彼女へのお仕置きが目的なのだ。
彼女はとても負けず嫌いだから、完膚無きまでに叩きのめしてやれば、きっと面白い反応が見られる。それで十分なお仕置きだろう。
「あれ?なんか今サイコロが変な転がり方をしたような」
「気のせいですよ、もしくは切り株が傾いていたんでしょう。とにかく、私の目は六ですね」
不思議がるチルノさんを軽く流し、私は自分の駒を六マス進める。このゲームに使う駒は、それが自分のものだとわかるものであれば何でもよく、私は自分愛用のペンを、チルノさんは能力で凍らせた落ち葉をそれぞれ使用している。
六マス駒を進めた私は、紅葉をめくり、イベントを確認する。六は偶数。よってこのイベントを書いたのはチルノさん。あえて最初に留まるマスに彼女のマスを選んだのは、彼女の書くイベントに興味があったからだ。
六マス目の紙にはこう書かれていた。『あたいのさいきょうパワーで氷づけ!一回休み』
「……これ、チルノさんが止まったらどうするつもりだったんですか?」
「最強のパワーというのは、時に自分さえも傷つけるものなのよ」
「意味わかって言ってます?」
返答はいまいち要領を得ないものの、どうやらチルノさん自身が止まっても、一回休みになるイベントらしい。
いきなり不利なイベントを踏んでしまった私に、しかし焦りはみじんもない。
これからは自分の書いたイベントに留まり続ければいいのだ。一回休みとは言え、私の目は常に最善、対してチルノさんは運頼み。一回休みなど、ハンデとしてはまるで足りない。
そう考えているうち、チルノさんが賽を振る。出た目は五。
私が五マス目に書いたイベントは『霧の湖一周レース。勝ったほうが三マス進む』である。
当然チルノさんは私には勝てない。幻想郷最速は伊達ではない。
しかし、文句の一つも言われるだろうと思っていたのに、それをせずにやけに楽しそうに悔しがる彼女が、なんだか印象に残った。
当然、その勝負は私が勝った。期待通りチルノさんは大層悔しがり、もう一回、と再戦を要求してきた。
一回やったら帰ろうと思っていた私は、しかし特に断る理由が思いつかず、彼女の要求に答えた。
チルノさんにお仕置きするという目的を果たしていた私は、しかしサイコロの目を操ることをやめなかった。
というのも、彼女があまりにも悔しがり、一生懸命プレイするものだから、つられて私も負けたくないなんて思ってしまったのだ。
私が勝つたび、チルノさんがもう一回と騒ぐ。付き合っている内に、私は記事のネタを求めてここに来たことなど忘れていた。
気が付けば、あんなに高かった日は落ち、あと半刻立たずで日の入りという時間になった。
そしてそれと同時に、私の手帖のページも残りわずかとなる。
「次が、最後の一回ですよ」
もうすぐページが切れる手帖を見せながらそういう私に対して、チルノさんはお決まりの一言で返した。
「次こそは負けないんだからね!」
最初は嫌々付き合っていた私だが、これで最後と思うとなんだか一抹の寂しさを覚えた。
案外私は、この馬鹿らしい遊びを楽しんでいたのかも知れない。
などとらしくもない感傷に浸っていると、私の頭を一つの疑問が横切った。
「チルノさんはどうして、このゲーム作ろうと思ったんですか?」
別にこんな遊びなんかなくたって、彼女はいつも楽しそうにしている。
そんな彼女が、わざわざ新しい遊びを開発する必要があったのだろうか。
それも、わざわざレミリアさんに道具を貸してと頼んでまで。
「あたいたちの遊びと言えば、弾幕ごっことかいたずらとか、そういう体を動かすものが多いんだ。でもそういうの得意じゃないとか、好きじゃないとか言う妖精もいる。そんなみんなとも一緒に楽しく遊べる遊びがあれば、みんなもあたいも、もっと楽しくなれると思ったんだ。だから、頑張って考えた」
私の問いに対して、いつもの元気な口調ではなく、どこか穏やかな口調で彼女は答えた。
その言葉を聞いて、私はハッとなる。思い出すのは、この双六のイベントマスは全部で24マスあるというルール。
双六をするには少し少ない数であるそれはしかし、非常にたくさんの数で割り切れる数字である。
イベントを書く数が同じでなくてもいいならば、合計マスを人数で割り切れなくてもゲームはできる。
しかし、そんな不平等を彼女は嫌ったのではないか。
この24という数字には、みんなで楽しく遊びたいという彼女の思いがこもっているのではないか。
「……楽しく遊びたいというなら、なぜイベントに制限を設けなかったんですか?例えば『自分だけゴールに行く』なんてことばかり書かれたら、ゲームになりませんよ」
だからこそ、私にはそれが余計に引っかかった。最初はチルノさんのルール整備の甘さが原因だと思っていたが、マスの数にまで気を配れる彼女が、果たしてそんなミスをするだろうか。
「そんな奴は、いないよ」
一切のためらいなくそう返す彼女に、私は一瞬言葉を失った。
「あたいがそう思ってるみたいに、みんなだって仲良く楽しく遊びたいって思ってる。だから、制限なんてしなくっても、そんなつまんないことを書く奴は誰もいない。少なくともあたいは知らない。文の周りのみんなは、そうじゃないの?」
真っすぐな瞳で彼女は言う。
思えば私だって、思い付きはしたもののさすがにつまらないと思って、自分だけゴールに行くなどということはただの一度も書いていない。
私はまんまとこのゲームを考えた時のチルノさんの思惑通りに動いていたのだ。
そこまで考えて、何故レミリアさんがこの遊びを面白そうだと言ったのかが理解できた。
きっと彼女は、チルノさんの意図をすべてわかっていたのだろう。だからこそ、サイコロとペンを譲渡したのだ。
私は今までの行いを恥じた。最初はチルノさんに文々。新聞を踏みにじられたと思っていたが、全くの逆だった。
チルノさんのこのゲームに込めた思いを、お仕置きだなんて言って踏みにじっていたのは私のほうだったのだ。
「私の周りは、そうですね、きっとみんな自分に有利なイベントを書きまくって、めちゃくちゃになりますよ」
「それはそれで楽しそうだね」
私は一つの誓いを立てる。この最終戦は、ズルなどしないと。
それはチルノさんの思いを踏みにじってしまった罪悪感からの誓いではない。私はそんな殊勝な性格はしていない。
私はただ、チルノさんが思いを込めたこのゲームに、真剣勝負で勝ちたいと、勝ったらきっと嬉しいだろうなと思っただけだ。
「さて、最終戦を始めましょう」
すべてのマスを並べ終え、向き合う私とチルノさん。
チルノさんの顔には、ほんの少しの哀愁が漂っているように見えた。もしかして私も、同じ顔をしているのだろうか。
チルノさんが賽を振る。続いて私も賽を振る。今まではいいイベントと悪いイベントが半々くらいだったチルノさんのマスは、今回に限って悪いイベントが多い気がした。
一つ一つのイベントに、少しでも長くこのゲームをしていたいという、チルノさんの声が聞こえた気がした。
ああ、そうか、これはこういうゲームでもあるんだ。
賽を振りながら相手と通じ合える、イベントに乗せた思いは、時に言葉よりも深く相手に届く。
最終戦、そこに言葉はなくとも、私たちは確かに会話をしていた。
しかし、そんな時間も長くは続かない。
ゴールまで、チルノさんが残り五マス、私が残り六マス。
互いにゴールを射程距離に入れ、賽を持つのは私。
賽の目は五、惜しくもゴールに届かない。しかし、私が最後のマスに書いたイベントは、『もう一度サイコロを振る』である。まだ私の手番は終わっていない。
もう一度サイコロを振るとき、柄にもなく神様に祈ったりもした。しかし、無情にも出た目は三。一瞬だけゴールにたどり着いて、元の位置より後ろに戻る。続いてチルノさんの手番。
出た目は三、ゴールまで残り二マスのその場所は、彼女が最後にイベントを書いたマスである。
「気が合うね、あたいたち」
最終戦で初めて、チルノさんが口を開いた。その言葉の意味は、チルノさん最後のイベントが教えてくれた。内容は、『もう一度サイコロを振る』。
今回バッドイベントばかりだった彼女のマスの、初めてのプラスイベント。
思わず私は笑ってしまった。そのイベントに込められたチルノさんの意志が、手に取るように分かったから。
終わらせたくなくたって、いつか必ず終わってしまうなら、最後は絶対に勝ちたい。彼女はそう思ったのだろう。私と同じように。
二度目の賽が振られる。直後に吹いた優しいそよ風が、賽の目より先に私に結果を届けたような気がした。
「あたいの勝ちだね」
笑みを浮かべてチルノさんが言う。彼女の傍らに転がった賽の目は、見事に二。
ああ、そうだ。よく考えてみれば、この結果は必然じゃないか。
今までズルばかりしてきたひねくれ者の私と、いつも真っすぐで一生懸命なチルノさん。
神様がどちらを選ぶのかなんて、火を見るよりも明らかじゃないか。
「ええ、完敗です。お強いですね、チルノさんは」
本心からの言葉を口にする。すると彼女は、今日一番の笑顔を浮かべてこう言った。
「うん!今日はホントに楽しかった!ありがとう文!また遊ぼう!」
真っ赤な紅葉が降り注ぎ、さらにその後ろを真っ赤な夕日が照らす。
そんな中にあるチルノさんの青色は、傍から見れば少し不釣り合いかもしれない。
それでも私には、その景色が何よりも鮮明に焼き付いた。
『ありがとう』なんて、言われたのはいったいいつぶりだろうか。
「ええ、必ず、次は負けませんからね!チルノさん」
その言葉が頭の中で反響するたび、私の中の冷たい何かが解けていく。
私なんかには不釣り合いなこの暖かさは、きっと言葉と一緒にチルノさんがくれたもの。
なんだか今日からは、とても優しく生きていけるような気がする。
とりあえずは、次こそは負けないように、明日からはチルノさんからもらったこの優しさを、周りのみなにほんの少しだけふりまくことにしよう。
さよなら、と元気に手を振るチルノさんに背を向け空に飛び立つ最中、私はそんな決意を固めるのだった。
透明な川の流れに紅葉の色が混じる光景を眺め歩きながら、ふとそんなことを考える。
もはやほとんど記憶がないが、幼いころは、みんなに優しくできるようになりたいなんて思っていた気がする。
いつからだろうか、ありがとうやごめんなさいを、本心から言えなくなったのは。
きっとその時にはすでに、私のその儚い夢は終わりを告げたのだと思う。
これは成長だろうか、それとも、そう呼ばれるべきではない何かなのだろうか。
そこまで考えたところで、不意に足が止まる。
紅く染まりきった木の葉の下で、妖精達4人ほど集まり妙なことをしていた。
4人の妖精たちの真ん中には、大きく広げられた私の代名詞、文々。新聞。
しかし、どう見ても4人で新聞を読み合っているような雰囲気ではない。なにやら遊んでいるような、そんな雰囲気だった。
気になって近づいてみると、そこにあったのは実に無残な文々。新聞の姿。
新聞の記事の上には紅葉の葉っぱがかぶせられ、おそらく風などで飛ばないように上に小さな石ころが置かれていた。
そして妖精たちは、とても楽しそうにサイコロを振っている。
私は理解した。妖精たちがやっているのは双六であり、この紅葉はおそらくマス目だということ、そして私の文々。新聞が、新聞としてではなくただの紙として使用されているということを。
私はそのことにほんの少しの怒りとやるせなさを覚えた。私が情報を集めるために東奔西走し、精魂込めて書き上げた文々。新聞は、それがなくとも、いや、むしろないほうがありがたいただの紙の代わりとしてしか使われないのかと。
しかし、それを表に出したりはしない。この光景はネタになると勘が告げていたからだ。
話を聞こうと近づいてみると、その妖精たちは4人ともペンを持っていた。
私の頭を疑問が埋め尽くす。何故ペンを持っているのか、そしてどこから手に入れたのか。
改めてよく考えれば、サイコロだってそうだ。どちらも人里で売ってはいるのだが、お金を持たないであろう妖精たちがそれを持っているというのはおかしい。
いや、紅魔館には妖精メイドというのがいるし、給金という形でお金をもらっていてもおかしくないのか。
いろいろ疑問が浮かんだが、私は考えるのを即座に打ち切った。目の前に答えを知るであろう者がいるのだから、聞いたほうが断然早い。
「ずいぶんと楽しそうですね、何をしているんです?」
私の問いかけに、4人全員がこっちを向き、各々勝手にしゃべり始めた。
聖徳太子ではない私に、当然その内容を理解することはできない。
しかし、これでも私は妖精の扱いに関してはなれている。
この幻想郷で、一番面白いことをするのが妖精だと思っている私は、妖精に対して取材をすることもそこそこに多い。
なのでこういう時は、慌ててすべてを聞き取る必要はないことを知っている。
聞き取れなかったところはまた同じ質問をすればいい。人間相手なら怒られるかもしれないが、妖精はそんなことに腹を立てたりしない。
そうして私は、妖精たちがやっている双六について、いくつかのルールや情報を聞き出した。
聞き出したことは大きく分けて3つ。
1つ目は、この双六は25マスで行われ、普通の双六通り6面体を振り、一番最初にゴールにたどり着いたものが勝ちであること。
2つ目は、ゴールを除いた24個のマスは、自分たちで好きにイベントを書いていいということ。2人の場合は先手が奇数、後手が偶数のマスのイベントを、4人の場合は1番手が1,5,9番目、2番手が2,6,10番目のマスのイベントを決めていく。そして最後にほかの者に見えないように紅葉で隠す。そのマスに止まれば当然そのイベントが発生する。
3つ目は、このペンやサイコロは、霧の湖でチルノさんにもらったもので、このゲーム自体も彼女からルールを聞いたということ。
私は2つ目の、マスのイベントに何を書いてもいい、というところが引っかかった。みんなが好き勝手にイベントを書いたなら、それはもう双六として成り立たないのではないかと思うからだ。
しかし、それ以上に私の関心を引いたのは、このゲームを作ったのがチルノさんであるということ。
妖精たちはチルノさんからルールを教わったとしか言っていないが、私の推測が正しければこのゲームの開発者はチルノさんだ。
マス隠しとして葉っぱを利用するという文明的ではない発想に、なによりイベントに何を書いてもいいというルールの甘さ。ほぼ間違いないだろう。
私は妖精たちに情報提供のお礼を言うと、チルノさんがいるであろう霧の湖へと飛び立った。
「ふふん、つまりこのゲームの開発者であるあたいに勝負を挑みに来たってことね!」
霧の湖で早々にチルノさんを見つけた私は、妖精たちから聞いた情報をチルノさんに確認を取った。いや、取ろうとした。
その際の彼女の答えがこれである。相も変わらず頭の中が独創的でいらっしゃるが、そんな彼女のことが、私は決して嫌いではなかった。
このように話が多少通じないこともあるが、いつ見ても元気で裏表のない彼女を見ていると、なんだか色々なことが馬鹿らしく思えてくる。
それに彼女はただでさえ騒がしい妖精の中でも指折りのトラブルメーカーであり、時々記事のネタにもなる。そんなこんなが重なり、たまには記事云々は関係なく彼女のもとを訪れるくらいには私は彼女のことを気に入っていた。
だからこそ、今回の彼女の盛大な勘違いに乗ってやろうと思った。それに、チルノさんが考えたというこのゲームがどんなものか、私も興味があった。
……というのは半分建前で、文々。新聞をただの紙として扱うような遊びを広めた彼女を懲らしめてやろうというのが、もう半分の理由である。
「いいでしょう。受けて立ちます。ただしイベントを書く紙には、文々。新聞ではなく私の手帖をちぎって使ってください」
そこだけは譲れない。何が悲しくて自分で精魂込めて書いた記事に自分で落書きをしなければならないのか。
このルールにチルノさんも特に不服は無いようで、ちょうどよくそばにあった二人が向かい合って座れるくらいの大きさの切り株の上で、勝負を行うことになった。
「そういえば、そのペンとサイコロはどうしたんですか?」
私はそこがずっと地味に引っかかっていた。チルノさんは紅魔館で妖精メイドなどしていないはずだから人里で買うことはできないし、ましてや妖精がこんなものを作れるとも思えない。
「レミリアに双六やりたいから貸してって頼んだらくれた」
私はチルノさんからでたその名前に驚きを禁じ得なかった。
しかしよくよく見てみれば、サイコロは一の目のところに目の代わりに赤い蝙蝠が描かれ、ペンの色は血を模したような紅色。
なるほど確かにこれをデザインしたのは間違いなくレミリアさんだろう。
「よく貸してくれましたね」
「貸したんじゃなくてくれたの、この遊びのルールを説明したら、面白そうだから持ってけって」
面白そうだから、とはいかにもレミリアさんらしい動機である。
しかしながら、その感性には疑問が残る。
というのも、私が当初このゲームのルールを聞いた時、あまり面白そうには思えなかったからだ。
イベントをプレイヤーが考える双六という発想自体は悪くないが、制限を設けないという点が致命的だ。
何を書いてもいいならば、例えば「自分が止まった時だけゴールに進む、それ以外はスタートに戻る」なんてことも許されてしまう。
これを自分の担当するすべてのマスに置けば、簡単に勝ててしまうではないか。
さすがにそこまで露骨ではないにしろ、普通にやればこのゲームは自分に有利なイベントの書きあいになるのではないか。
それを面白そうと思う感性は私にはない。
だからこそ、このゲームを面白そうといい、あまつさえ道具まで用意したレミリアさんの感性が、私にはわからなかった。
「文!始めるよ!準備はいい?」
チルノさんが声高らかに宣言する。
事前に決めた手番は、私が先手、チルノさんが後手
すでにすべてのイベントを書き終えていた私は、「いいですよ、始めましょうか」とマスを並べ、サイコロを手に取った。
そして私は無造作にサイコロを転がす。転がったサイコロは徐々に回転を弱め、まさに止まるというその瞬間、私はサイコロの周りだけに突風を吹かせた。
何もしなければ一の目を出したであろうサイコロは、余計に二回ほど転がり、その目は六。
風を操ることのできる私にとって、賽の目を操ることなどお茶の子さいさいである。
もともと半分は、文々。新聞をぞんざいに扱った彼女へのお仕置きが目的なのだ。
彼女はとても負けず嫌いだから、完膚無きまでに叩きのめしてやれば、きっと面白い反応が見られる。それで十分なお仕置きだろう。
「あれ?なんか今サイコロが変な転がり方をしたような」
「気のせいですよ、もしくは切り株が傾いていたんでしょう。とにかく、私の目は六ですね」
不思議がるチルノさんを軽く流し、私は自分の駒を六マス進める。このゲームに使う駒は、それが自分のものだとわかるものであれば何でもよく、私は自分愛用のペンを、チルノさんは能力で凍らせた落ち葉をそれぞれ使用している。
六マス駒を進めた私は、紅葉をめくり、イベントを確認する。六は偶数。よってこのイベントを書いたのはチルノさん。あえて最初に留まるマスに彼女のマスを選んだのは、彼女の書くイベントに興味があったからだ。
六マス目の紙にはこう書かれていた。『あたいのさいきょうパワーで氷づけ!一回休み』
「……これ、チルノさんが止まったらどうするつもりだったんですか?」
「最強のパワーというのは、時に自分さえも傷つけるものなのよ」
「意味わかって言ってます?」
返答はいまいち要領を得ないものの、どうやらチルノさん自身が止まっても、一回休みになるイベントらしい。
いきなり不利なイベントを踏んでしまった私に、しかし焦りはみじんもない。
これからは自分の書いたイベントに留まり続ければいいのだ。一回休みとは言え、私の目は常に最善、対してチルノさんは運頼み。一回休みなど、ハンデとしてはまるで足りない。
そう考えているうち、チルノさんが賽を振る。出た目は五。
私が五マス目に書いたイベントは『霧の湖一周レース。勝ったほうが三マス進む』である。
当然チルノさんは私には勝てない。幻想郷最速は伊達ではない。
しかし、文句の一つも言われるだろうと思っていたのに、それをせずにやけに楽しそうに悔しがる彼女が、なんだか印象に残った。
当然、その勝負は私が勝った。期待通りチルノさんは大層悔しがり、もう一回、と再戦を要求してきた。
一回やったら帰ろうと思っていた私は、しかし特に断る理由が思いつかず、彼女の要求に答えた。
チルノさんにお仕置きするという目的を果たしていた私は、しかしサイコロの目を操ることをやめなかった。
というのも、彼女があまりにも悔しがり、一生懸命プレイするものだから、つられて私も負けたくないなんて思ってしまったのだ。
私が勝つたび、チルノさんがもう一回と騒ぐ。付き合っている内に、私は記事のネタを求めてここに来たことなど忘れていた。
気が付けば、あんなに高かった日は落ち、あと半刻立たずで日の入りという時間になった。
そしてそれと同時に、私の手帖のページも残りわずかとなる。
「次が、最後の一回ですよ」
もうすぐページが切れる手帖を見せながらそういう私に対して、チルノさんはお決まりの一言で返した。
「次こそは負けないんだからね!」
最初は嫌々付き合っていた私だが、これで最後と思うとなんだか一抹の寂しさを覚えた。
案外私は、この馬鹿らしい遊びを楽しんでいたのかも知れない。
などとらしくもない感傷に浸っていると、私の頭を一つの疑問が横切った。
「チルノさんはどうして、このゲーム作ろうと思ったんですか?」
別にこんな遊びなんかなくたって、彼女はいつも楽しそうにしている。
そんな彼女が、わざわざ新しい遊びを開発する必要があったのだろうか。
それも、わざわざレミリアさんに道具を貸してと頼んでまで。
「あたいたちの遊びと言えば、弾幕ごっことかいたずらとか、そういう体を動かすものが多いんだ。でもそういうの得意じゃないとか、好きじゃないとか言う妖精もいる。そんなみんなとも一緒に楽しく遊べる遊びがあれば、みんなもあたいも、もっと楽しくなれると思ったんだ。だから、頑張って考えた」
私の問いに対して、いつもの元気な口調ではなく、どこか穏やかな口調で彼女は答えた。
その言葉を聞いて、私はハッとなる。思い出すのは、この双六のイベントマスは全部で24マスあるというルール。
双六をするには少し少ない数であるそれはしかし、非常にたくさんの数で割り切れる数字である。
イベントを書く数が同じでなくてもいいならば、合計マスを人数で割り切れなくてもゲームはできる。
しかし、そんな不平等を彼女は嫌ったのではないか。
この24という数字には、みんなで楽しく遊びたいという彼女の思いがこもっているのではないか。
「……楽しく遊びたいというなら、なぜイベントに制限を設けなかったんですか?例えば『自分だけゴールに行く』なんてことばかり書かれたら、ゲームになりませんよ」
だからこそ、私にはそれが余計に引っかかった。最初はチルノさんのルール整備の甘さが原因だと思っていたが、マスの数にまで気を配れる彼女が、果たしてそんなミスをするだろうか。
「そんな奴は、いないよ」
一切のためらいなくそう返す彼女に、私は一瞬言葉を失った。
「あたいがそう思ってるみたいに、みんなだって仲良く楽しく遊びたいって思ってる。だから、制限なんてしなくっても、そんなつまんないことを書く奴は誰もいない。少なくともあたいは知らない。文の周りのみんなは、そうじゃないの?」
真っすぐな瞳で彼女は言う。
思えば私だって、思い付きはしたもののさすがにつまらないと思って、自分だけゴールに行くなどということはただの一度も書いていない。
私はまんまとこのゲームを考えた時のチルノさんの思惑通りに動いていたのだ。
そこまで考えて、何故レミリアさんがこの遊びを面白そうだと言ったのかが理解できた。
きっと彼女は、チルノさんの意図をすべてわかっていたのだろう。だからこそ、サイコロとペンを譲渡したのだ。
私は今までの行いを恥じた。最初はチルノさんに文々。新聞を踏みにじられたと思っていたが、全くの逆だった。
チルノさんのこのゲームに込めた思いを、お仕置きだなんて言って踏みにじっていたのは私のほうだったのだ。
「私の周りは、そうですね、きっとみんな自分に有利なイベントを書きまくって、めちゃくちゃになりますよ」
「それはそれで楽しそうだね」
私は一つの誓いを立てる。この最終戦は、ズルなどしないと。
それはチルノさんの思いを踏みにじってしまった罪悪感からの誓いではない。私はそんな殊勝な性格はしていない。
私はただ、チルノさんが思いを込めたこのゲームに、真剣勝負で勝ちたいと、勝ったらきっと嬉しいだろうなと思っただけだ。
「さて、最終戦を始めましょう」
すべてのマスを並べ終え、向き合う私とチルノさん。
チルノさんの顔には、ほんの少しの哀愁が漂っているように見えた。もしかして私も、同じ顔をしているのだろうか。
チルノさんが賽を振る。続いて私も賽を振る。今まではいいイベントと悪いイベントが半々くらいだったチルノさんのマスは、今回に限って悪いイベントが多い気がした。
一つ一つのイベントに、少しでも長くこのゲームをしていたいという、チルノさんの声が聞こえた気がした。
ああ、そうか、これはこういうゲームでもあるんだ。
賽を振りながら相手と通じ合える、イベントに乗せた思いは、時に言葉よりも深く相手に届く。
最終戦、そこに言葉はなくとも、私たちは確かに会話をしていた。
しかし、そんな時間も長くは続かない。
ゴールまで、チルノさんが残り五マス、私が残り六マス。
互いにゴールを射程距離に入れ、賽を持つのは私。
賽の目は五、惜しくもゴールに届かない。しかし、私が最後のマスに書いたイベントは、『もう一度サイコロを振る』である。まだ私の手番は終わっていない。
もう一度サイコロを振るとき、柄にもなく神様に祈ったりもした。しかし、無情にも出た目は三。一瞬だけゴールにたどり着いて、元の位置より後ろに戻る。続いてチルノさんの手番。
出た目は三、ゴールまで残り二マスのその場所は、彼女が最後にイベントを書いたマスである。
「気が合うね、あたいたち」
最終戦で初めて、チルノさんが口を開いた。その言葉の意味は、チルノさん最後のイベントが教えてくれた。内容は、『もう一度サイコロを振る』。
今回バッドイベントばかりだった彼女のマスの、初めてのプラスイベント。
思わず私は笑ってしまった。そのイベントに込められたチルノさんの意志が、手に取るように分かったから。
終わらせたくなくたって、いつか必ず終わってしまうなら、最後は絶対に勝ちたい。彼女はそう思ったのだろう。私と同じように。
二度目の賽が振られる。直後に吹いた優しいそよ風が、賽の目より先に私に結果を届けたような気がした。
「あたいの勝ちだね」
笑みを浮かべてチルノさんが言う。彼女の傍らに転がった賽の目は、見事に二。
ああ、そうだ。よく考えてみれば、この結果は必然じゃないか。
今までズルばかりしてきたひねくれ者の私と、いつも真っすぐで一生懸命なチルノさん。
神様がどちらを選ぶのかなんて、火を見るよりも明らかじゃないか。
「ええ、完敗です。お強いですね、チルノさんは」
本心からの言葉を口にする。すると彼女は、今日一番の笑顔を浮かべてこう言った。
「うん!今日はホントに楽しかった!ありがとう文!また遊ぼう!」
真っ赤な紅葉が降り注ぎ、さらにその後ろを真っ赤な夕日が照らす。
そんな中にあるチルノさんの青色は、傍から見れば少し不釣り合いかもしれない。
それでも私には、その景色が何よりも鮮明に焼き付いた。
『ありがとう』なんて、言われたのはいったいいつぶりだろうか。
「ええ、必ず、次は負けませんからね!チルノさん」
その言葉が頭の中で反響するたび、私の中の冷たい何かが解けていく。
私なんかには不釣り合いなこの暖かさは、きっと言葉と一緒にチルノさんがくれたもの。
なんだか今日からは、とても優しく生きていけるような気がする。
とりあえずは、次こそは負けないように、明日からはチルノさんからもらったこの優しさを、周りのみなにほんの少しだけふりまくことにしよう。
さよなら、と元気に手を振るチルノさんに背を向け空に飛び立つ最中、私はそんな決意を固めるのだった。
でも、文は妖精にさん付けなさそう…。
霊夢呼び捨てでしたし…。
ごちそうさまでした。
癒やされました
ほんと優しい気持ちにさせてくれるお話でした。
しかし歳なんだろうな
チルノの真っ直ぐさが眩しい…
ここが大好きです。
約数の数が多いからと言う理由で24マスにするという発想がすごく素敵でした
いい勝負でした