Coolier - 新生・東方創想話

月影

2017/05/26 16:22:29
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 月が怖い。
 そんな事を言ったら、多分笑われてしまうだろう。狼のくせに、妖怪のくせに、と。

 まだほんの小さな頃、初めて満月を見た時には、なんて綺麗なんだろうと思った。
 夜空にまん丸く輝くお月さまは、まるで王様みたいだった。大小様々に輝く星、優しく広がって空を覆う雲、その全てが満月の引き立て役みたいに見えたのだ。

 けれど、そんな風に有難がっていられたのは最初だけ。
 月の光は妖の気が強く、良くないものを呼び寄せる性質が強いのだと、群れの仲間は教えてくれた。
 夜に移動しなければならない時、遠吠えで仲間の居場所を確かめながら行くのだけれど、合流した時に何匹か居なくなっている事は往々にしてあった。

 きっと月に食べられてしまったんだ、と、当時の私は固く信じた。
 満月の夜はいつも誰かに引っ付いて移動する私を、みんなは呆れたように眺めていたものだ。

 怖くなくなったのは、いつからだっただろう。
 一匹で歩けるようになったのは。

 明るいうちの方が、よっぽど怖いのだと知ってからだろうか。
 夜の暗闇を歩くより、人に追われることの方が、ずっと危険だと知ってからだろうか。


 ――アオォォーーー……ン……――


 遠く、遠く、吠える。
 かつて、仲間たちに自分の居場所を知らせた時のように。

 多分誰にも届かないし、届いてしまっては困る。
 こんな夜に妖怪の鳴き声を聞き届けるのは、凶暴な巫女や魔法使い、メイドくらいのものだろうから。





 満月の夜は、誰とも会わないようにしている。
 気分が高揚して暴れる事があるから、と、みんなには説明している。

 わかさぎ姫が変な勘ぐりをして様子を見に来た事があったが、寝ぼけたフリをして尾ビレに歯型をつけてやってからは、それもなくなった。
 一週間ほど痕が取れなかったのは、少しやり過ぎだったと反省したけど。

 まっすぐ、月を見つめる。

 月の光は狂いの光。長く見つめれば精神に狂いを生ずる事もある。
 けれど、私にとっては見慣れた月だ。

 誰かの側にくっついておっかなびっくり歩いた夜も。

 遠吠えを響かせて仲間とともに進んだ夜も。

 誰とも顔を合わせず、一人佇む夜も。

 いつだって変わらない。
 月はいつもそこにある。

 変わってしまうのは、私だけだ。

 届かない遠吠え。
 音のない夜。
 光だけが、どこまでも強い。

 小さく、吠える。
 人の姿から、四足の獣の姿へと変ずる。

 丘を駆けると、強い光が色濃い影を地面に映し出す。
 風になびく毛を、小さくとも鋭く尖る牙を。

 影がしなやかに跳ねる。闇が大地を切り裂くように。

 影狼と、その姿を誰かが呼んだのだ。
 誰か……誰だっけ? 確か、人間の男だったと思う。どこの誰かは知らない。妖怪のはびこる夜を一人で行くような迂闊な人間だし、多分もう生きてはいないだろう。そもそもはるか昔の話だ。

 だけど、その呼び名は気に入った。月に照らされる私に向けられた、その呼び名を。

 その日から、私は影狼になった。

 群れの仲間に引っ付いて歩く臆病者でもなく、吠えて仲間を率いる首領でもない。

 ただの影。
 強い光に照らされて、孤独に走って、それでようやく狼となれる。

 月を見るたびに思い出す。
 私が狼である事を。





 遠くに灯りの集まりを見つける。
 あれは人里だ。妖怪たちから身を守るために、里のあちこちで明かりを絶やさぬようにしている。

 里から遠く離れ、道と呼ぶには頼りない道の先には、竹林が広がっている。
 その奥には人々が頼りにする医者がいる。
 たまにたけのこをご馳走になる案内人が、竹林の側でひっそり暮らしている。

 竹林の反対に目を向ければ、森が広がっている。
 不気味な森だけれど、その向こうには豪奢な洋館が建ち、その手前の湖には私の友達もいる。
 森の中には、時々きのこ狩りを手伝わされる魔法使いも住んでいる。

 そのどれをも、夜が優しく包み、月が刺すように照らす。

 本当は、今も夜は怖い。
 夜は眠らなくてはいけないから。

 忘れたいとも、忘れたくないとも思っている。
 朝、目を覚ました時、大切な誰かが隣にいなかった時のことを。
 火薬の弾ける音に、眠りを覚まされた時のことを。

 眠らなくては生きていけないのに、眠るのは怖くて、目を覚ますのはもっと怖い。

 今はもう、そんなことは起こらない。
 鉄砲を持った男たちに追われることはない。
 大切な仲間たちを抱きしめて眠ることも、ない。

 ……いや、酔った蛮奇に抱きすくめられたまま眠ったこともあったっけか。
 身体は私の腰を抱きしめているのに、頭だけが横にあってえらく心臓に悪い絵面だった。

 そういえば、私の方が酔ってわかさぎ姫に抱きついて眠ったこともあった。
 起きた時に髪や服がだいぶ湿っていて、文句を言ったら殴られた。

 彼女たちとは、普段から寝食を共にしているわけじゃない。
 それでも、そんなことを繰り返す内に、怖いって思いも、忘れてしまうのかもしれない。
 いつの間にか。





 ここに来て、どれくらいだろう。

 もう、鉄や火薬の匂いに神経を巡らせる事はしなくなった。
 妖怪の山や竹林には、寝床も食べ物も探すのに苦労はないし、人に紛れて里に入り込んでもさほど問題は起きない。
 美味しいお酒があり、よく遊ぶ友だちがいる。
 たまには調子に乗って、怖い巫女やらに成敗されたりもする。

 だけど、満月の夜だけ、私はそのどれからも離れていたいと思う。

 ――アオォォーーーーーー……ン……――

 もう一度、遠吠えを響かせる。
 誰も聞かない、誰にも聞かせたくない声を。

 かつて、この声が絆だった。
 守りたかったものも、守れなかったものも、大切だったものも、そうでなかったものも、全部、全部、この声と共にあった。

 寂しいとは思わない。友だちがいる。

 悲しいとは思わない。生きるのは楽しい。

 怖いとは思わない。明日の心配がない日々は気楽だ。

 苦しいとは思わない。何も、苦しいとは。



 ただ、少しだけ、乾いていると思う。



 私は変わっていくし、私の周りもみんなそうだ。
 かつてあったものは、今はもうここにはないし、かつてなかった大切なものが、今はここにある。
 それもやがて失われるし、その時、新しい何かがまたそこにあるだろう。

 月だけが、ただそこにある。
 かつても、今も、いつかの未来も変わらずに。

 だから、時々思い出したくなる。
 今はもういない私を。記憶の中で、思い出だけに残る私を。
 あの影の狼を。





 ――アオォォーーーーーー………………――

 長く、遠く、吠える。
 久しぶり。会いに来たよ。まだ、そこにいるよね。

 どれだけ頑張っても、ほんの一秒前の過去にも届かないけれど。
 届いてなくても、聞こえてなくても、そこにいることはわかるから。

 いつの間にか、東の空が白みだしていた。
 そろそろ帰って一眠りしなければ。

 起きたら人里で蛮奇を誘って、霧の湖に行ってみよう。
 川魚でも捕まえて、赤い館のメイド長に料理してもらおう。わかさぎ姫は文句を言うかもしれないけれど。

 明日を思う私。
 かつて、どこかの空の下にいた私。
 月だけが見ていた私。

 どれも同じ私。
 でもやっぱり、満月の光を浴びる私は、きっと違う私だ。

 かつてそこにいた狼。
 影を残して走っていた貴女。

 さようなら。
 おやすみなさい。

 また、来月。
ご読了に感謝いたします。ご批評をお聞かせ願えれば幸いに存じます。
仲村アペンド
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コメント



0.80簡易評価
1.40名前が無い程度の能力削除
悪くはないけど明日には忘れてるような、文章にも内容にも力のない作品でした。
2.80怠惰流波削除
影狼が月に詠んだ詩というイメージでした。彼女が満月をずっと見つめながら、目を細めている映像が浮かびました
3.90南条削除
おもしろかったです
人に歴史ありってやつでしょうか、影狼だけでなく誰しもに過去はあるのだろうと思いました
4.80奇声を発する程度の能力削除
雰囲気が良かったです
5.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです
7.90名前が無い程度の能力削除
いい感じに切なくて、でも平穏なんだなあと感じられて、個人的には好きです