東風谷早苗は負けた。
異変を解決するべく動いた巫女、博麗霊夢に。
それはもう完膚無きまでに、コテンパンに負けた。
あれほど圧倒的な力を持っているのに、どうして信仰を得られていないのかと疑問に思う程、彼女は強かった。
その巫女は「悪い事する神様を懲らしめる」と言っていた。十中八九、八坂様のもとへと向かったのだろう。
助けに行かなければ、と早苗は考えるものの、彼女の意思に反して、体は思うように動かない。
先程までの弾幕ごっこによる疲労も影響しているのだろう。だが、何より彼女は、今の自分が行っても足手まといになるだけ、と心の何処かで無意識に諦めていたのだ。
故に、彼女は動けなかった。
もう、彼女にはどうすることもできなかった。
ただただ、あの巫女が全てを解決してしまうまで、参道で倒れていることしか出来ない。
……はぁと大きく息をついて、早苗は空を見上げる。
太陽はかなり傾いていた。西の空はあの巫女のように真っ赤に、東の空は闇夜が迫り、星がちらほらと顔を見せ始めていた。
夜が降りてくる。
紅葉がはらはらと舞い落ちる。
言葉にし尽くせない、幻想的な風景。
けれど、現人神としての、特別な存在としての自信を粉々に砕かれてしまった彼女の心には、何も響いてこなくて。
ただただ景色を見ているだけというのにも飽きた早苗は、静かに瞼を閉じた。
そうしているうちに疲労がトロリと睡魔に変わっていき、意識がゆるゆると遠のいていく。
目が醒めたら、八坂様に不甲斐ない自分を叱ってもらって、それでも良く頑張ったねと褒めてもらいたいな、と甘えたことを思いながら、微睡みに落ちかけて、
「派手にやられましたねぇ」
そんな早苗に、声をかける者がいた。
彼女を気遣うような、優しい声。けれど早苗は、先程までは誰もいなかったはずなのにいきなり声をかけられたという事実に驚き、思わず目を見開いた。
そこには、不思議な紋様で彩られた服を着て、頭から角を生やした髪の長い何者かが、早苗のそばにしゃがみ、彼女を上から覗き込んでいた。
突然現れたソイツに、早苗は一定の警戒心を持ちながら、声をかける。
「貴方は……?」
「おっと、挨拶が遅れました。私はコマ犬の高麗野あうんといいます。……と言っても、あなたが考えているような、いつも定住しているようなものではなく、神仏が宿っていそうな所を転々と居候している感じなんですけどね。普段は人前には姿を見せないんですけど」
コマ犬だという彼女は、両の手をゆるりと動かしながらそう答えた。
早苗は、コマ犬だと名乗る存在の登場に些か驚いたものの、そもそも妖精や天狗や河童が当たり前のように存在している場所なのだ、コマ犬もひとりでに歩き回るのだろう、と半ば思考を放棄するように、自分を無理やり納得させていた。
……けれど、分からない事が一つあった。
「コマ犬の高麗野さんが、私に一体何の用ですか。負けた様を、嘲笑いに来たのですか」
普段の彼女ならもっと冷静に応対する事ができたかもしれないが、博麗霊夢との一戦の後だからか、如何せん対応がぶっきらぼうになっていた。
けれどあうんは、そんな態度は気にも留めていないのか、早苗の疑問を聞くと、目をぱちくりとさせながらバツが悪そうに口を開いた。
「いやー、新しく神社ができたと聞き、居ても立ってもいられなくなって様子を見に来たわけです。あなたが霊夢さんにやられていた時だったのは、偶然です。……ホントですよ!」
霊夢さん、という単語に早苗の意識は過敏に反応した。もしかすると、目の前のコマ犬はあの巫女の仲間で、本当は私を始末するためにここへとやってきたのではないか?
普段の、あの巫女と戦う前の早苗であれば、妖怪とやりあえるほどの神力も精神力もあっただろう。が、彼女はいま満身創痍。戦えば、負けてしまうのは火を見るよりも明らか。
嗚呼、人生苦節十数年。八坂様のお力にも慣れず、ここで散ってしまうのか。
いよいよ悲壮感が増してきた彼女。八坂様に対する申し訳の無さで涙が流れてきそうになったその時、あうんはすくっと立ち上がり、境内をゆるりと見渡しながら、静かに口を開いた。
「それにしても、八坂神奈子様と洩矢諏訪子様の神社ですか……懐かしいですね」
そよ風のように、ふわりとこぼれ落ちたような、何気ない言葉。
けれど早苗は、それに激しく動揺させられ、勢い良く上半身を起こすこととなった。
守矢神社がこちらに引っ越してから、まだ数日ほどしか経っていない。本格的な布教活動も行っていないから、故に八坂様と洩矢様の名前は知れ渡っていないはず。仮に彼女が博麗神社の手先だとしても、以前私が訪れたときには八坂様の名前は出さなかった。それなのに、突然現れたこのコマ犬は、どうして八坂様と洩矢様のことを知っているのだろう?
……いや、それ以上に気になることがあった。
「懐かしいって、どういうことですか? その言い方だとまるで……」
「ええ。早苗さんが考えている通りです。私は、守矢の神社に参拝しに行ったことがあるんですよ。といっても、数百年も前の事ですけどね」
あうんは、早苗の方にゆるりと視線を移してから、どこか遠い場所を眺めているような瞳を湛えつつ、そう言った。
早苗はその瞳を知っていた。あれは、八坂様が昔のお話をしてくれる時にみせるものと、同じ瞳。
人間が到底体験することの出来ないほど、長い時を遡り思い出す際に見せる瞳。
だからこそ早苗は、彼女の言葉を疑わず、警戒心を何処かに吹き飛ばして、聞き返した。
「その時のことを、教えてもらえませんか?」
彼女の言葉を聞くと、あうんは数回頷き、瞼を閉じて静かに語りだした。
「……まだ幻想郷へとやってくる随分と前、全国の様々な神社仏閣を転々としていた私ですが、その時は信州にいました。とあるお寺で休んでいたのですが、ぞろぞろと人妖が同じ方向へと歩いて移動していたのです。興味を持った私は、その流れについていきました。その先が、守矢の神社だったのです。……その日は、ちょうどお祭りの日でした。多くの氏子や参拝者が入り乱れた境内、祭りを取り仕切る風祝、それを見て楽しそうに笑う八坂様、そして奥でひっそりと微笑みながらその様子を見ていた洩矢様のことは、今でも鮮明に覚えています」
優しく、まるで母が子にお伽話を語るような彼女の言葉に耳を傾けながら、早苗は想像した。
守矢の神社が、人々の笑顔に、人々の想いに、人々の信仰心に溢れている様を。
八坂様も、洩矢様も、風祝も、幸せそうにしている様子を。
八坂様が教えてくださった過去のお話は本当なのだという確信を今一度してから、守矢神社の現状を、そして、戦いに負けた自分自身のことを思い出し、少し悲しくなってしまった。
「昔の神社は……風祝は、とても立派だったのでしょうね……私なんか、まだまだ……」
外の世界でこそ信仰は得られなかったが、仮にも現人神なのだ。幻想郷でも強い部類にいるはず。という早苗の考えは、霊夢によって早々に打ち砕かれてしまった。
もしかすると、私の想像以上に、あの巫女のような強い存在がゴロゴロ存在しているのかもしれない。
だとすれば、こんな弱い私が、果たして八坂様のお役に立つことが出来るのだろうか?
再び肩を落としうなだれかけた早苗に、慰めるような口調であうんは声をかける。
「早苗さんは、あの時みた風祝と同じくらい……いえ、それ以上の存在になることが出来る可能性は秘めていますよ」
「本当、ですか?」
「ええ。だって私は"神仏を見つける程度の能力"ですから。だからこそ私はあの時、直に言葉をかわさずとも、八坂様と洩矢様のお名前を知ることが出来たのです。……それと、見つけるというのは、すなわち宿っている神力の種類や質なども大体分かるという事なのです」
あうんはそう言うと、コホンと咳払いを一つしてから、人差し指をピンとたてて、口を開いた。
「私には、早苗さんは何かしらの『しがらみ』に囚われているように見えます。具体的に何か、までは分かりませんが……きっと、これから幻想郷で日々を過ごしていくことで、自ずと分かってくるでしょう。厄介で、面倒で、自分勝手極まりない……けれど楽しく笑顔で過ごしている人妖が住まう、この楽園ならきっと……ね。だから、自信を持ってください」
そう言い終えると、彼女は微笑みながら早苗に手を差し伸べた。
毒気も嫌味も敵意も無い、ただただ早苗のことを気遣う優しさだけが込められた、あうんの言葉。早苗は心の中で疑っていたことを恥じながら、僅かな時間、考える。
……いつまでも、一戦負けただけでウジウジしていてはダメだ。このままでは、これから先、本当に八坂様のお力になることは出来ないだろう。
だからこそ、変わらなければ。特別な存在でも何でも無く、私は私だと立ち直り、強くならなければ。
瞼を刹那だけ閉じて、見開く。
その瞳には、確固たる意志が宿っていた。
早苗は、差し伸べられた手に応え、ぎゅっと握りしめる。途端にぐいと引っ張られ、彼女は立ち上がった。
「ありがとうございます。お陰様で、立ち直れました。なんとお礼を言ったらいいか……」
「いいんですよ、お礼なんて。私は神様が大好きなのですから。気付かれないように守護するのが楽しいのですが、神様のお助けできるのなら……励みになるのなら、幾らでも人前に出てきますよ」
にっこりと、飛び切りの笑顔で答えるあうん。そんな彼女に心を打たれながら、早苗は決意を口にする。
「今の私に出来ること……今の私がしなければいけないことを、してきます」
きっと、霊夢と八坂様の戦いは既に終盤に差し掛かっているだろう。助太刀することは出来なくとも、その戦いを見届けなければ。そうすることで、新たな道が拓けるはずだと、そう思ったのだ。
「高麗野さんはどうされますか?」
「私は一旦、博麗神社に戻ります。長く空けてると、妖精や妖怪が溜まってしまうので」
出来れば本当は一緒に行かないかと誘おうとしたものの、彼女には彼女の事情があるのだろう。高麗野さんの意見を尊重しなければ。
……それでも、これっきりでは哀しいと感じた早苗は、あうんに問うた。
「また、守矢神社に来てくれますか?」
「ええ。すぐに、とはいきませんが、必ず。それと、次からはあうんって呼んで下さいね」
「分かりました。……それでは、あうんさん。また逢いましょう。次は、しっかりおもてなしします」
あうんはその言葉を聞くと、ニッコリと微笑みながら、麓の方へぴょこんと歩いていった。
その背中に向かって早苗は手を振り、後ろ姿が見えなくなってから、風を纏って空へと飛んだ。
グンと高度を上げてから、視線をチラリと下へ移す。
燃えるように紅く色づいている妖怪の山。周りを囲うように広がる樹海。その先にある人里。それら全てを包み込む山々。……幻想郷。
まだまだ足を運んだことのない場所に思いを馳せながら、彼女は考える。
きっとこれから、色々な存在に出くわすだろう。様々な経験をするだろう。それらを通じて成長し、現人神として……風祝として、立派にならなければ。
八坂様の為に。洩矢様の為に。……そして、再びあうんさんに、栄えている守矢神社を見せてあげる為に。
早苗はそう心に強く誓い、一路湖へと向かった。
……霊山に、守矢の神社に、風が吹く。誰かにかき消されようとも、先程よりも強く、逞しい風が。
異変を解決するべく動いた巫女、博麗霊夢に。
それはもう完膚無きまでに、コテンパンに負けた。
あれほど圧倒的な力を持っているのに、どうして信仰を得られていないのかと疑問に思う程、彼女は強かった。
その巫女は「悪い事する神様を懲らしめる」と言っていた。十中八九、八坂様のもとへと向かったのだろう。
助けに行かなければ、と早苗は考えるものの、彼女の意思に反して、体は思うように動かない。
先程までの弾幕ごっこによる疲労も影響しているのだろう。だが、何より彼女は、今の自分が行っても足手まといになるだけ、と心の何処かで無意識に諦めていたのだ。
故に、彼女は動けなかった。
もう、彼女にはどうすることもできなかった。
ただただ、あの巫女が全てを解決してしまうまで、参道で倒れていることしか出来ない。
……はぁと大きく息をついて、早苗は空を見上げる。
太陽はかなり傾いていた。西の空はあの巫女のように真っ赤に、東の空は闇夜が迫り、星がちらほらと顔を見せ始めていた。
夜が降りてくる。
紅葉がはらはらと舞い落ちる。
言葉にし尽くせない、幻想的な風景。
けれど、現人神としての、特別な存在としての自信を粉々に砕かれてしまった彼女の心には、何も響いてこなくて。
ただただ景色を見ているだけというのにも飽きた早苗は、静かに瞼を閉じた。
そうしているうちに疲労がトロリと睡魔に変わっていき、意識がゆるゆると遠のいていく。
目が醒めたら、八坂様に不甲斐ない自分を叱ってもらって、それでも良く頑張ったねと褒めてもらいたいな、と甘えたことを思いながら、微睡みに落ちかけて、
「派手にやられましたねぇ」
そんな早苗に、声をかける者がいた。
彼女を気遣うような、優しい声。けれど早苗は、先程までは誰もいなかったはずなのにいきなり声をかけられたという事実に驚き、思わず目を見開いた。
そこには、不思議な紋様で彩られた服を着て、頭から角を生やした髪の長い何者かが、早苗のそばにしゃがみ、彼女を上から覗き込んでいた。
突然現れたソイツに、早苗は一定の警戒心を持ちながら、声をかける。
「貴方は……?」
「おっと、挨拶が遅れました。私はコマ犬の高麗野あうんといいます。……と言っても、あなたが考えているような、いつも定住しているようなものではなく、神仏が宿っていそうな所を転々と居候している感じなんですけどね。普段は人前には姿を見せないんですけど」
コマ犬だという彼女は、両の手をゆるりと動かしながらそう答えた。
早苗は、コマ犬だと名乗る存在の登場に些か驚いたものの、そもそも妖精や天狗や河童が当たり前のように存在している場所なのだ、コマ犬もひとりでに歩き回るのだろう、と半ば思考を放棄するように、自分を無理やり納得させていた。
……けれど、分からない事が一つあった。
「コマ犬の高麗野さんが、私に一体何の用ですか。負けた様を、嘲笑いに来たのですか」
普段の彼女ならもっと冷静に応対する事ができたかもしれないが、博麗霊夢との一戦の後だからか、如何せん対応がぶっきらぼうになっていた。
けれどあうんは、そんな態度は気にも留めていないのか、早苗の疑問を聞くと、目をぱちくりとさせながらバツが悪そうに口を開いた。
「いやー、新しく神社ができたと聞き、居ても立ってもいられなくなって様子を見に来たわけです。あなたが霊夢さんにやられていた時だったのは、偶然です。……ホントですよ!」
霊夢さん、という単語に早苗の意識は過敏に反応した。もしかすると、目の前のコマ犬はあの巫女の仲間で、本当は私を始末するためにここへとやってきたのではないか?
普段の、あの巫女と戦う前の早苗であれば、妖怪とやりあえるほどの神力も精神力もあっただろう。が、彼女はいま満身創痍。戦えば、負けてしまうのは火を見るよりも明らか。
嗚呼、人生苦節十数年。八坂様のお力にも慣れず、ここで散ってしまうのか。
いよいよ悲壮感が増してきた彼女。八坂様に対する申し訳の無さで涙が流れてきそうになったその時、あうんはすくっと立ち上がり、境内をゆるりと見渡しながら、静かに口を開いた。
「それにしても、八坂神奈子様と洩矢諏訪子様の神社ですか……懐かしいですね」
そよ風のように、ふわりとこぼれ落ちたような、何気ない言葉。
けれど早苗は、それに激しく動揺させられ、勢い良く上半身を起こすこととなった。
守矢神社がこちらに引っ越してから、まだ数日ほどしか経っていない。本格的な布教活動も行っていないから、故に八坂様と洩矢様の名前は知れ渡っていないはず。仮に彼女が博麗神社の手先だとしても、以前私が訪れたときには八坂様の名前は出さなかった。それなのに、突然現れたこのコマ犬は、どうして八坂様と洩矢様のことを知っているのだろう?
……いや、それ以上に気になることがあった。
「懐かしいって、どういうことですか? その言い方だとまるで……」
「ええ。早苗さんが考えている通りです。私は、守矢の神社に参拝しに行ったことがあるんですよ。といっても、数百年も前の事ですけどね」
あうんは、早苗の方にゆるりと視線を移してから、どこか遠い場所を眺めているような瞳を湛えつつ、そう言った。
早苗はその瞳を知っていた。あれは、八坂様が昔のお話をしてくれる時にみせるものと、同じ瞳。
人間が到底体験することの出来ないほど、長い時を遡り思い出す際に見せる瞳。
だからこそ早苗は、彼女の言葉を疑わず、警戒心を何処かに吹き飛ばして、聞き返した。
「その時のことを、教えてもらえませんか?」
彼女の言葉を聞くと、あうんは数回頷き、瞼を閉じて静かに語りだした。
「……まだ幻想郷へとやってくる随分と前、全国の様々な神社仏閣を転々としていた私ですが、その時は信州にいました。とあるお寺で休んでいたのですが、ぞろぞろと人妖が同じ方向へと歩いて移動していたのです。興味を持った私は、その流れについていきました。その先が、守矢の神社だったのです。……その日は、ちょうどお祭りの日でした。多くの氏子や参拝者が入り乱れた境内、祭りを取り仕切る風祝、それを見て楽しそうに笑う八坂様、そして奥でひっそりと微笑みながらその様子を見ていた洩矢様のことは、今でも鮮明に覚えています」
優しく、まるで母が子にお伽話を語るような彼女の言葉に耳を傾けながら、早苗は想像した。
守矢の神社が、人々の笑顔に、人々の想いに、人々の信仰心に溢れている様を。
八坂様も、洩矢様も、風祝も、幸せそうにしている様子を。
八坂様が教えてくださった過去のお話は本当なのだという確信を今一度してから、守矢神社の現状を、そして、戦いに負けた自分自身のことを思い出し、少し悲しくなってしまった。
「昔の神社は……風祝は、とても立派だったのでしょうね……私なんか、まだまだ……」
外の世界でこそ信仰は得られなかったが、仮にも現人神なのだ。幻想郷でも強い部類にいるはず。という早苗の考えは、霊夢によって早々に打ち砕かれてしまった。
もしかすると、私の想像以上に、あの巫女のような強い存在がゴロゴロ存在しているのかもしれない。
だとすれば、こんな弱い私が、果たして八坂様のお役に立つことが出来るのだろうか?
再び肩を落としうなだれかけた早苗に、慰めるような口調であうんは声をかける。
「早苗さんは、あの時みた風祝と同じくらい……いえ、それ以上の存在になることが出来る可能性は秘めていますよ」
「本当、ですか?」
「ええ。だって私は"神仏を見つける程度の能力"ですから。だからこそ私はあの時、直に言葉をかわさずとも、八坂様と洩矢様のお名前を知ることが出来たのです。……それと、見つけるというのは、すなわち宿っている神力の種類や質なども大体分かるという事なのです」
あうんはそう言うと、コホンと咳払いを一つしてから、人差し指をピンとたてて、口を開いた。
「私には、早苗さんは何かしらの『しがらみ』に囚われているように見えます。具体的に何か、までは分かりませんが……きっと、これから幻想郷で日々を過ごしていくことで、自ずと分かってくるでしょう。厄介で、面倒で、自分勝手極まりない……けれど楽しく笑顔で過ごしている人妖が住まう、この楽園ならきっと……ね。だから、自信を持ってください」
そう言い終えると、彼女は微笑みながら早苗に手を差し伸べた。
毒気も嫌味も敵意も無い、ただただ早苗のことを気遣う優しさだけが込められた、あうんの言葉。早苗は心の中で疑っていたことを恥じながら、僅かな時間、考える。
……いつまでも、一戦負けただけでウジウジしていてはダメだ。このままでは、これから先、本当に八坂様のお力になることは出来ないだろう。
だからこそ、変わらなければ。特別な存在でも何でも無く、私は私だと立ち直り、強くならなければ。
瞼を刹那だけ閉じて、見開く。
その瞳には、確固たる意志が宿っていた。
早苗は、差し伸べられた手に応え、ぎゅっと握りしめる。途端にぐいと引っ張られ、彼女は立ち上がった。
「ありがとうございます。お陰様で、立ち直れました。なんとお礼を言ったらいいか……」
「いいんですよ、お礼なんて。私は神様が大好きなのですから。気付かれないように守護するのが楽しいのですが、神様のお助けできるのなら……励みになるのなら、幾らでも人前に出てきますよ」
にっこりと、飛び切りの笑顔で答えるあうん。そんな彼女に心を打たれながら、早苗は決意を口にする。
「今の私に出来ること……今の私がしなければいけないことを、してきます」
きっと、霊夢と八坂様の戦いは既に終盤に差し掛かっているだろう。助太刀することは出来なくとも、その戦いを見届けなければ。そうすることで、新たな道が拓けるはずだと、そう思ったのだ。
「高麗野さんはどうされますか?」
「私は一旦、博麗神社に戻ります。長く空けてると、妖精や妖怪が溜まってしまうので」
出来れば本当は一緒に行かないかと誘おうとしたものの、彼女には彼女の事情があるのだろう。高麗野さんの意見を尊重しなければ。
……それでも、これっきりでは哀しいと感じた早苗は、あうんに問うた。
「また、守矢神社に来てくれますか?」
「ええ。すぐに、とはいきませんが、必ず。それと、次からはあうんって呼んで下さいね」
「分かりました。……それでは、あうんさん。また逢いましょう。次は、しっかりおもてなしします」
あうんはその言葉を聞くと、ニッコリと微笑みながら、麓の方へぴょこんと歩いていった。
その背中に向かって早苗は手を振り、後ろ姿が見えなくなってから、風を纏って空へと飛んだ。
グンと高度を上げてから、視線をチラリと下へ移す。
燃えるように紅く色づいている妖怪の山。周りを囲うように広がる樹海。その先にある人里。それら全てを包み込む山々。……幻想郷。
まだまだ足を運んだことのない場所に思いを馳せながら、彼女は考える。
きっとこれから、色々な存在に出くわすだろう。様々な経験をするだろう。それらを通じて成長し、現人神として……風祝として、立派にならなければ。
八坂様の為に。洩矢様の為に。……そして、再びあうんさんに、栄えている守矢神社を見せてあげる為に。
早苗はそう心に強く誓い、一路湖へと向かった。
……霊山に、守矢の神社に、風が吹く。誰かにかき消されようとも、先程よりも強く、逞しい風が。