始めに鳥の声が聞こえた。
短く小刻みに聞こえてくる甲高いその声は、まるでたくさんの子供達が楽しく騒いでいるかの様に、賑やかに近くで響いている。
その声を聞いていると、徐々によれよれのパジャマを着た自分の腕と、顔に絡みついた金色の長い髪がぼんやりとした視界に入って来た。
その向こうには、まるで荒らされた物置かの様に散らかった寝室が薄暗く横向きに見えている。
次に匂いを感じた。
お気に入りのシャンプーの香りが残る髪の匂い。嗅ぎ慣れた部屋のほこりっぽい匂いと、ぐしゃぐしゃになって辛うじて体を包んでいるシーツの清潔感のある匂いは、どこか心が落ち着く。
「朝か……」
ベットの上からポツリと聞こえて来たのは、魔理沙の声だった。
顔に絡みついた髪を無造作にかき上げながら、気だるそうにゆっくりと体を起こすと、カーテンの隙間から射してきた眩い朝の日の光が魔理沙の顔面を一直線に襲った。
そのあまりに強い光に目を晦ませて、とっさに手で顔を覆う。
それでも手の隙間を通り抜けてくる光はあまりにも強烈で、魔理沙はついに耐え切れられなくなって、そこから追い出されるかの様にベットからもぞもぞと抜け出した。
パジャマの上から脇腹を掻きつつ、ふらふらと寝室からキッチンへ向かうと、散らかったテーブルの上から小さな白いケトルを見つけて手に取る。
中に水を入れて、それをコンロに置くと、徐ろに火を調整するノブに手をかける。
普通ならこのノブをいっぱいまで回せば火が点くものなのだが、このコンロにはガスを引いていないので、それで火が着く事は無い。
しかし、魔理沙はそれを承知の上で構わずコンロのノブを回す。
やはりそれで火が着く事は無かったのだが、ノブを回しながらコンロに向かって短く息を吹き掛けると、コンロの噴き出し孔から途端に青い炎がボッと音を立てて現れ、その炎は安定した火力でそのまま燃え続けた。
この程度の魔法は魔理沙にとっては朝飯前なのだった。
ケトルに炎がまんべんなく当たるよう位置を直し、コンロのノブをいじって火力を調整する。
本来ならノブをいじらなくとも火力は調整できるのだったが、魔理沙はいつもクセでそうしていた。
ゆらゆらと燃える青い炎をぼーっと見つめていると、自然と大きなあくびが出る。
ケトルはそのままにしてキッチンから離れると、今度は洗面台の前に立ち、髪を後ろにまとめてから桶に水を張って顔を洗う。
冷たい水で顔を洗うと眠気は嘘のようにすっかり無くなり、頭の回転も徐々に戻ってくる。
顔を拭き、髪を整え直して軽く身支度を済ませると、今度は家中の閉めきられた分厚いカーテンを開けて回る。
カーテンを開けると、窓いっぱいに入ってきた日の光が、木でできた部屋の壁や床にぶつかってやわらかく散らばり、部屋中を優しく照らした。
起き掛けには目が眩むほど強烈に感じた日の光が、今ではとてもあたかかく心地よく感じられる。
窓の外では相変わらず小鳥達が騒がしく、すぐ傍で鳴いていた。
次にキッチンに戻って来ると、ケトルは既にぐらぐらとお湯が沸騰している音を立てながら、細い注ぎ口から熱い蒸気を勢い良く吐き出していた。
魔理沙は慌ててコンロに駈け寄り火を消し、ほっと胸をなでおろす。
一先ずそのお湯はそのままにして、今度は玄関へと向かう。
木製の少し重たい玄関の扉を開けると、錆付いた蝶番のこすれるキーという音が、朝のひんやりとした外の空気に響き渡る。
扉の向こうに見えるのはいつもと変わらない見慣れた景色だ。
家のすぐ周りには木が疎らに立っていて、頭上には朝の澄んだ青空が広く見えていた。その空からは眩いばかりの日の光が届いていて、それが手入れの行き届いた庭の植物達に燦々と当たって輝いている。
そして、目の前には土を踏み固めただけの細く頼りない道が庭を二つに分ける様にして延びていて、その道を辿って視線を遠くにやると、家のすぐ周辺とは対照的に、魔理沙の家よりもはるかに高く伸びた木々が鬱蒼と立ち並んでいる深い森が、家の周りを囲む様にどこまでも広がっていた。
ここは幻想郷の人々から魔法の森と呼ばれている場所で、人間はおろか、妖怪達でさえ滅多に立ち入る事の無い、寂しく静かな森だった。
魔理沙の家はそんな森の中程にぽつんと建っているのだった。
森の地表にはまだうっすらと朝のもやがかかっていて、木々の葉の間から僅かに差し込んだ日の光がもやに反射して幻想的な淡いセピア色の光の帯を造り出している。
魔理沙は玄関から見えるこの景色がお気に入りだった。特に今日のようにすっきりと晴れた日の朝は格別だ。
そんな景色を眺めつつ、魔理沙はパジャマ姿のまま庭に出て、そこに植えてあるハーブの葉をいくつか摘み取る。
片手に収まるほどの量を摘み終えると、それを持ったまま玄関から再び家の中へ入りキッチンへと戻る。
摘み取ったハーブを軽く水洗いした後、テーブルの上に置いてあったガラスでできたポットに入れて、先ほど沸かしたお湯をケトルから注ぐ。
するとポットからは白い湯気が勢い良く立ち上り、それと共にあふれ出たハーブの新鮮で表情豊かな香りが顔を包み込んだ。
次にテーブルの上のポットの周りだけを軽く片付けると、愛用のティーカップと、甘い香りのする赤い一口大の小さな木の実が沢山入った皿を棚から取り出して、ポットの傍らに置く。
そしてテーブルの脇に置いてあった椅子に座って、淡く色の出たハーブティーをカップに注いでから木の実1つを手に取り、鼻に近づけて少し香りを楽しんだ後にそれをゆっくりと食べ始めた。
誰にも邪魔される事の無い、自分だけのゆったりとした時間の流れる静かな朝。
魔理沙の一日はいつもそうやって始まるのだった。
木の実をいくつか食べ終え、ハーブティーも飲み終えると、魔理沙はしばらく目を閉じて香りの余波を楽しんだ。
いつもならこの後も昼までは読書をしたりしてのんびりと過ごしているのだが、今日は違った。
少しして目を開けた魔理沙は「よしっ」と言って立ち上がり、まるでそこでスイッチが切り替わったかの様にそそくさと今使った食器を片付け始めた。
片づけを終えると、また玄関から外に出て、そこから今度は家の裏へと回り込む。
家の裏には、狭いながらも裏庭として使っているスペースがあり、そこは北の方角に面しているため、一日中家の影に覆われて日陰になっていて、おまけに森から流れて来る湿気が溜まってかなりジメジメしていた。
そんな裏庭には黒い網目状のシートで覆われた四角い箱が、家の外壁に沿うように幾つか規則正しく地面に並べられている。
その中の1つに近づいてシートをめくると、中には黒い土が入っていて、その上には可愛らしく丸く膨らんだ、茶色いブラウンマッシュルームの頭が沢山覗いていた。
日の光が直接当たらず、湿度の高い裏庭はこういったきのこを栽培するには最適な場所だ。
「お、ちょうど頃合いだな」
そう言いながら魔理沙は箱の中に手を伸ばし、大きな物から順にそれを5つほど収穫すると、シートを元に戻して再び表へと向かう。
途中で庭のバジルの葉も数枚摘んで、玄関から再びキッチンまで戻ると、魔理沙は作業台にまな板を置いてからフライパンに油を引いて、それを魔法で着けたコンロの火にかけた。
そして収穫したばかりのマッシュルームを慣れた手つきで薄くスライスすると、フライパンが充分温まるのを待ってからその中に投入する。
その途端、フライパンからはジュワーっという音が、油をそこら中に飛び散らせながらけたたましく鳴り響き、静かだったキッチンを一気に騒がしくした。
「あちっ!」
思った以上に跳ねた油が顔にまで飛んできて、魔理沙は思わず身を引いてしまう。
距離を保ったまま、おっかなびっくりで手だけを取っ手に伸ばし、フライパンを何度か煽ってみると、油の跳ねはすぐに収まった。
香ばしい焼き目がつくまでしっかり炒めたら、塩と胡椒で味をつけてから中身を一旦皿に移す。
この時、魔理沙は必ず塩と胡椒は多めに振るようにしていた。
次に、今度は別の新しいフライパンにまた油を引いて、同じように火にかける。
「えーっと、あれはどこにやったっけ」
魔理沙はそう言いながら、近くにあった棚の中を漁る。
棚の中には小さなガラスビンが幾つも置かれていて、その一つ一つには様々な香草やスパイスが入れられていて、側面にはその中身の名前を書いた手書きのシールが貼られていた。
魔理沙はその中から「クミン」と書かれたビンを見つけ出し、中に入っている乾燥した植物の種子をひとつまみ取り出してフライパンの中に入れる。
種子が焦げない様中を軽くかき混ぜると、フライパンからは食欲をそそる刺激のある香りが炎の熱に連れられて勢い良く舞い上がり始めた。
そこにミルクと一緒に溶いた卵を加えて、固くならないよう素早くかき混ぜると、あっという間にクミンが香る、ふわふわとしたスクランブルエッグが出来上がった。
そしてそれを先ほどのマッシュルームと共に、切れ目を入れたクロワッサンにたっぷりと詰めて、最後にその上に手で千切ったバジルの葉を散らして彩を添える。欲を言えば赤いトマトなども入れたい所だが、この時期に収穫できるトマトはどれも水分が多く、パンとの相性が悪いため、これ以上は何も盛り付けずに料理はこれにて完成となった。
これはマッシュルームが収穫できる時期になるとよく作る、魔理沙の得意料理なのだった。
クロワッサンは大き目なものを使っているので1つでもなかなかボリュームがあるのだが、魔理沙は同じものを2つ作って、それを1つずつ紙で全体が隠れる様丁寧に包んでから、柄のついた編み籠の中に入れる。
片付けを簡単に済ませ、服をパジャマから着替えると、髪をいつものように片方だけ三つ編みにした。
そして大きなツバの内側にフリルがついた黒いとんがり帽子を被ると、先ほどの籠に新たに小さなランタンと二冊の本を入れ、白い布を上に被せてから、それを手に提げてそのまま外に出た。
見ると、森に出ていた朝もやはもうすっかりと晴れていた。
魔理沙は玄関に鍵をかけてから森の方に向き直ると、森の奥へと続く目の前の道を小走りで進み始めた。
その時の魔理沙の顔は、まるでこれから遊園地にでも向かう無邪気な子供かの様な、明るく幸せに満ちた表情だった。
空には登った太陽と共に、小鳥達の騒がしい声が高い所から聞こえていた。
森に入ってしばらく進むと、周りは冷たく湿った空気で満ちていた。
そこは外の景色とは打って変わって、上を見上げても空は全く見えず、辺りはまるで既に日が沈んでしまったかの様に薄暗い。
魔理沙は籠から早速ランタンを取り出すと、明かりを灯して前に続く道を照らしながら、更に先へと進んだ。
そうやってしばらくは順調に道を歩く事が出来たのだが、程なくして魔理沙は不意に足を止め、道の脇に立っている木々達の根元を照らした。
「化け物茸め、もうこんな所にまで……」
魔理沙が照らす先には奇妙な形や色をした大小様々なきのこが、木と木の間を埋め尽くす様にひしめき合って生えている。
この辺りにはこの森にしか生息していない珍しいきのこが群生していて、魔理沙はそれらをまとめて化け物茸と呼んでいた。
そのきのこには強烈な毒があり、その成分が少しでも体の中に入ると、まるで魔法をかけられたかのような強い幻覚を見せると言われていた。
それはこの森が魔法の森と呼ばれる所以になるほどの危険なものなのだったが、魔理沙はその特性を利用して、自身の魔法の原料にしていたりもしていた。
しかし、毒の成分はその胞子にまで含まれているため、うっかり本体を踏んで胞子を激しく飛び散らせる等しまえば、魔理沙と言えどひとたまりも無い。
そうでなくても、きのこは常に胞子をそこら中にばら撒いていて、風の吹かないこの辺りの地表全体には目に見えないほどうっすらではあるが、既に胞子が積もっているのだった。
そんな場所で走る等して風を立てれば、途端に胞子は舞い上がり、口や鼻から体内に入り込んでその毒の餌食となってしまうのがオチだろう。
魔理沙はランタンの光に不気味に浮かび上がる無数のきのこ達を尻目に、息を潜めながら足元に神経を集中させて、再びゆっくりと歩き続けた。
そうやって普段よりも長い時間をかけ、無事にきのこの群生地帯を抜けると思わず安堵のため息が出る。
危険を冒してここまで進んできた魔理沙だったが、本来ならこの様な危険な場所をわざわざ歩いて通る必要は無い。
自慢の箒で空を飛んで目的地まで行けばそれで済む話だったからだ。
しかし目的地が森の中にある時は、余程の事が無い限り魔理沙は空路を使う事は無い。
それは魔法で使用する素材を森の資源に頼っている魔理沙にとって、森は自身の魔法その物と言っても過言ではなく、その森の状態を常に把握しておきたいという思いが強く有ったからなのだった。
周りからはよく阿呆らしいと散々に言われたりするのだが、当の魔理沙自身はとても真剣だ。それに、今日向かおうとしている場所は箒を使わなければならない程遠くはなく、引き続き辺りを見回しながらしばらく歩くと、十数分もしない内に目的地に着いてしまったのだった。
たどり着いたそこには森の中にぽつんと白い壁に青い屋根の小さな洋館が一軒建っていた。
周りの木はその洋館に遠慮するかの様に距離を空けて立っていて、その光景はまるで森という天井に大きな穴を空けた様で、真っ暗だった森に突如射し込んだ光がスポットライトの様にその洋館を照らしている。
明かりを反射している洋館のまっ白い壁は所々ツタに覆われ、周りの庭には綺麗に手入れされた色取り取りの花が植えられていて、魔理沙が立っている道の先がその花達をかき分けるようにして伸び、そして洋館のドアの前で途切れていた。
魔理沙は必要の無くなったランタンをしまって最後の道のりを走って進むと、ドアの前で少し息を整えてからドアをノックした。
中から微かに物音がした後、ドアが静かに開く。
そこに立っていたのは魔理沙の友人であり、この洋館に一人住んでいる魔法使いのアリスだった。
「来たぜ、アリス」
「いらっしゃい魔理沙、思ってたより遅かったわね」
「悪い悪い、化け物茸が広がって来るのが思いのほか早くてな、ゆっくり歩いてたら遅くなってしまったぜ」
「ああ、やっぱり歩いて来たのね……。 まあいいわ、さあ入って入って」
呆れた様に言うアリスに促されるまま、魔理沙はアリスの家の中に入る。
アリスの家は扉の先がすぐにダイニングになっていて、広い板張りの部屋の真ん中には白いレースで飾られたテーブル、その横には立派な本棚があり、奥には綺麗に整理されたキッチン台とコンロが据え付けられていた。
「ほら、帽子預かるわ」
「サンキュー」
魔理沙は帽子を脱いでアリスに手渡し、アリスはそれを壁に取り付けられていたフックに掛けた。
「ほい、これ借りてた本」
次に魔理沙は早速籠の中から本を取り出して、アリスに渡す。
魔理沙はよくアリスから本を借りていて、何処かの図書館の本とは違って、一冊読み終わるごとに律儀に返してはまた次の本を借りていた。
「今回の本はどうだった?」
「んー、普通だったぜ」
アリスは「そう」と短く返事をして返された本を本棚に戻す。
魔理沙は感想を聞かれてもそうやって毎回同じ返事をして、アリスも決まって「そう」と返すのだった。
「それからこれ、今日のおまちかね」
続けて魔理沙はそう言いながら先ほど作った料理の二つの包みをアリスに手渡す。
するとアリスはそれを受け取るなり顔をぱーっと明るくさせて、受け取ったそれを顔に近づけ深呼吸をするように大きく息を吸って匂いを嗅いだ。
「わ、いい匂い。今日のは相性が良さそうね」
「だろ? 家に入った時から『この匂いは当たりだ』って思ってたんだ」
魔理沙の言う「この匂い」とはキッチン台の横にあるコンロに置かれていた鍋から漂うスープの香りだった。
魔理沙とアリスは会うときはいつもランチを共にしていて、毎回お互いに料理を作って持ち寄るようにしていた。
最近では料理の詳しい内容は打ち合わせずに、事前にどちらがメインを作るか、スープを作るか、だけを決めてそれぞれの料理を当日に披露して、組み合わせが良いとか悪いとか、量が多いとか少ないとか言って盛り上がるのが二人の間で流行っていた。
「この前みたくならなくて良かったな」
「あれは魔理沙がスープ担当なのにカレーなんて作るから悪いんでしょ?」
「いやいや、あれはれっきとしたカレースープだぜ。ちょーっと濃厚だったかもしれないけどな。それにアリスだっていつもあっさりしたもんばっかり作るくせに、珍しくカレーパンなんて作って来たのも悪いんだぜ?」
「そ、それはその前に魔理沙がカレーが食べたいって言ってたからで」
「まぁいいじゃん。その日もお互い何だかんだ言いながら、結局スープもパンもペロリと完食しちゃっただろ?」
「それも、そうね」
そう言って二人は何だか可笑しくなって、笑い合った。
こうしてとても息の合った仲の良い二人だったが、初めからそうだった訳では無かった。
生まれ付き、もしくはアリスのように人間の身を捨てて魔女になった者達にとって、人間の身体のまま魔法を使いこなしてしまう魔理沙はとても目障りな存在だった。
アリス自身も例外無く魔理沙の事を昔は忌み嫌っていて、お互いにいがみ合っていた。しかし『仕方なく』という理由で何度か異変の解決を依頼したり、自身もそれに同行するなどして行動を共にしている間に、いつの間にか意気投合するようになり、今ではこうしてお互いの家を行き来する様な仲にまでなっていたのだった。
「そんな事より、お昼まではまだ時間もあるから、あれを先に始めちゃいましょ」
「そうだな、しっかりレクチャーしてくださいよ? アリス先生」
戯けて言う魔理沙にアリスはくすっと笑って、手に持っていた包みをテーブルに置くと、そのままダイニングの奥にある別の部屋へと移動して、魔理沙もそれに続く。
二人が入ったその部屋はしっかりとした石造りの床になっていて、その部屋の中央には大きな作業机とその両側に椅子が置かれ、ドアの正面には大きな窓があった。
ドアと窓以外の壁は棚や引き出し等で全面が埋められていて、その棚にはアリスが今まで作ったお気に入りの人形達がずらりと並べられていた。
棚の人形達を見ると、丸くデフォルメされたデザインの人形は、絵の中からそのまま出てきたかの様にとても可愛らしく、逆に人の姿に似せて精巧に作られた人形は、今にも動き出しそうに見え、まるで命を宿していているかの様にさえ感じられた。
ここはアリスが普段人形などを作るためのアトリエとして使っている部屋だった。
今日魔理沙がアリスの家を訪れ、そしてこのアトリエに通されたのは、アリスの人形造りの手伝いをしに来たからなのだった。
アリスは里で祭りがある時には昔から人形劇を披露していて、その傍らで小さな人形を並べてはそれを売っていて、今日作る人形はその祭りの日に売るための簡易的な作りの人形だ。
いつもはその人形もアリス自らが作っていたのだが、毎回その時期に忙しそうにしているアリスを気遣い、突然魔理沙が自分も手伝いたいと言い出して今に至るのだった。
「じゃ、説明するからそこに座って」
アリスはそう言って魔理沙を作業机の椅子に促すと、棚から必要な道具と材料を入れた大きな箱を取り出して、自分も魔理沙の横に座る。
箱の中に入っていたのは色取り取りの毛糸と、森で集めた細い木の枝やワラ等を組み合わせてアリスが事前に作っていた人間の形をした小さな人形の骨組みだった。
「まずは私が作って見せるからざっくり流れを覚えてね。 細かい所はやりながら後で教えるわ」
「あいあいさー」
アリスは早速人形の骨組みを片手に取ると、反対の手に黒い毛糸を持って、それを人形の骨組みにどんどん巻き付けていく。
「ここはこの向きで」
「ほどけない様にここは編み込むように」
「色を変える時はこうやって」
「目の部分はこうして」
「最後に頭にストラップのヒモを取り付けて」
簡単な説明を交えながら、場所によって色を変えつつ器用に毛糸を巻き付け続けると、先ほどまで木やワラを束ねただけだった人形の骨組みが、あっという間に可愛らしいマスコット人形へと姿を変えた。
素朴ながらも毛糸の手触りが暖かなその人形は、髪や胴体の色合いが魔理沙によく似ている。
「ね、簡単でしょ?」
「いやいやいやいや! めーっちゃくちゃ難しいぜ!」
幾つもの難しい作業を容易にやって見せ、挙句それを簡単だと言うアリスに、魔理沙はやや怒る様に言いながら頭を抱える。
「冗談よ。今みたいに色を沢山使うのはかなり難しいから、魔理沙には一色だけの簡単にできるのをやってもらうわ」
「な…… 初めからそっちを教えてくれよな」
「ごめんごめん。今作ったのは私からのプレゼントよ」
「う、うー……」
アリスにうまくしてやられた魔理沙は少しふてくされながらも、突然プレゼントされた自分によく似た人形を大切そうに持って満更でも無い様子だった。
「それじゃ、気を取り直して」
そう言ってアリスは再び毛糸と骨組みを手にして、魔理沙に説明を始める。
そうして出来上がった人形はアリスが先程言った様に、普段人形などを作らない魔理沙にも作れそうな程シンプルな作りの人形だった。
「お、これならなんとか」
そう言って魔理沙はほっとした表情を見せると、早速自身も人形の骨組みを手に取り、先ほどアリスがやって見せた様に毛糸を巻き付け始める。
「あ、そこはこっちから」
「それ逆」
「そこはさっき言ったでしょ」
「ちょっと、もう少し丁寧にやりなさいよ!」
すんなり事が運ぶかに思えた人形作りだったが、魔理沙は思いがけず苦戦した。
アリスもそれに少し焦りを感じ、言葉にも思わず力が入る。
そうしてようやく完成した人形はアリスの指導も虚しく、酷すぎて目も当てられない程に大変残念な仕上がりとなってしまった。
「うーん、80点だな」
「問答無用で0点よ」
アリスは落胆してため息をつき、それに対して魔理沙は「そうか?」と首をかしげた。
本来、魔理沙は普段から何事もそつなくこなす事ができる器用な人間だ。
時々危なっかしかったりはするが、アリスも魔理沙のその器用さには一目置いていた。
しかし、人間にはやはり向き不向きがある様で、魔理沙は人形作りに措いては途方も無く不向きな様だった。
「これは、練習あるのみね」
「なかなかいいと思うんだけどな」
器用さ以前にセンス自体を疑う必要がありそうではあったが、アリスはその後も魔理沙の指導に奮闘し、魔理沙がようやくまともな物が作れる様になったのは、二人がいつもランチを食べている時間を大きく過ぎてからの事だった。
「こ、これでどうだぜ……」
「うん、ここまで出来れば売り物にしても大丈夫そうね」
アリスのその言葉に、魔理沙は今日一番の笑顔を見せて声を上げて喜び、アリスもそんな魔理沙の様子を見て嬉しくなり、二人は笑顔でハイタッチを交わした。
「さて、やっと軌道に乗って来た所で何だけど、そろそろお昼にしましょうか」
「あれ、もうそんな時間か。 あー、気を抜いたら急にお腹が減ってきたぜ」
「私もよ、さあ行きましょ」
アリスはそう言って立ち上がり、魔理沙もそれに続いてアトリエからダイニングへと戻る。
そのまま二人は慣れた様に作業を分担してテーブルの上に食事の準備をした。
白い二つの皿の上にはまだ開かれていない魔理沙の作った包みがそれぞれ置かれ、その横にはアリスが作ったスープが置かれた。
スープは淡く透き通ったコンソメスープで、細かく切られた玉ねぎや人参、ベーコンがそのスープの中を優雅に舞っている。
控え目に入れられていたベーコンからは旨みたっぷりの油が程よく染み出して、スープの香りにより一層の深みを持たせていた。
魔理沙がそのスープを美味しそうだと褒めると、アリスは嬉しそうにはにかみながら、自分も早く魔理沙の料理が見たい。と言って、魔理沙をテーブルに急かして自身も向かい合って椅子に座る。
「じゃあ開けるわね」
「ええ、つまらないものですがどうぞ召し上がって下さいまし」
「まぁ、恐れ入りますわ」
二人で戯け合いながら互いに包みを開いていくと、魔理沙よりも少し早く包みを開けたアリスは、中を見た途端に表情を明るくして魔理沙に向き直った。
「これ! ずいぶん前に作ってくれて、私がまた食べたいって言ってたやつ」
「ああ、最近やっとマッシュルームが収穫できる時期になったからな。今期の初物だぜ」
「嬉しい。それじゃあさっそくいただきましょ」
「よっしゃ、待ってました」
「いただきます」「いっただきまーす」
二人は声をそろえて言って、アリスは普段からの振る舞いからは想像出来ない、大きな一口でパンを頬張り、魔理沙はニヤニヤとそれを見届けてから自分も負けじとパンにかじりつく。
しゃべる事ができない程に口いっぱいにパンを入れた二人は、言葉の代わりに目を合わせて「んーっ」とうなりながら笑顔で気持ちを交わした。
アリスはこの魔理沙の作るマッシュルームとたまごを使ったクロワッサンサンドがとてもお気に入りだった。
パンは焼き立てではなくてもサクサクとしていて香ばしく、中に挟まれているたまごの甘みとマッシュルームの旨み、そして風味付けに入れられたクミンの香りも相まって、そのシンプルさを感じさせない芳醇な味わいを醸し出していた。
そしてマッシュルームに振られた多めの塩と胡椒は、あえてあまり味を付けていないたまごと口の中で混ざり合い、アクセントの効いた程よい塩気となって、食べれば食べる程に食欲をそそった。
アリスの作ったスープも期待を裏切らない絶品で、クロワッサンサンドとの相性も抜群だ。
美味しい料理に会話も弾んで、二人はしばし楽しいランチタイムを過ごした。
食事を終えると、二人は再び作業を分担して手早に片付けを済ませると、すぐにアトリエへと向かった。
今日はあくまで人形を作るために集まっているので、のんびりお茶でも、という訳にはいかない。
魔理沙は先ほどの席に、アリスは今度は机を挟んで魔理沙の向かい側にそれぞれ座って作業を再開した。
アリスは慣れた手つきで次々と手順をこなし、魔理沙もぎこちないながらも格段に上達した手つきでアリスに続く。
出来上がっていく人形は、手作りならではの暖かな質感で、どれも表情が少しずつ違い、それぞれに個性が感じられた。
ニ人は先ほどまでおしゃべりに花を咲かせていたのがまるで嘘の様に黙り込んで作業に集中して、部屋の中は二人が机の上で立てる小さな音と、壁に掛けられている時計から発せられる針の短く乾いた音だけで満たされ、その音はそのまま数百、数千とひたすら鳴り続いた。
「いてっ!」
長い長い静寂のさ中、作業に没頭していた魔理沙は、突然左腕に激しい痛みを感じて大きな声を上げた。
その痛みは何かを突き立てられたかの様な鋭い痛みで、魔理沙は何が起こったのか分からず、痛みを感じる部分を強く押さえながらうずくまって身悶えした。
そんな魔理沙にアリスは思わず身を乗り出して「大丈夫!?」と声をかける。
魔理沙はすぐに返事をする事ができなかったが、しばらくすると、右手で腕をこすりながらうずくまっていた体勢からゆっくりと体を起こし、1度深呼吸をして平静を取り戻してようやく返事をした。
「ああ。何か、急にちくっと来てな……」
「虫か、何か?」
「いや、そんなのより遥かに痛かったぜ。でも大丈夫。何ともなってないし、今はもう痛く無い」
そう言って魔理沙は左腕をアリスに見えるように差し出す。
見ると、魔理沙の言った通り、腕には何かに刺された様な跡も、腫れていたりする様子も全く無く、強いて言えば右手で強く押さえていた指の跡が赤くうっすらと残っている程度だった。
「魔理沙……。あなた、実は腕がツったんでしょ」
アリスはホッとした顔を見せたのもつかの間、今度は少し意地悪そうな顔をして魔理沙にそう言った。
「ち、違うぜ! 人形作り如きで腕がツるなんて、そんなみっともない事にはならないぜ!」
「あらあら、ムキになっちゃって。分かったわ、そう言う事にしといたげる」
「ホントに違うんだって……」
依然物言いたげな魔理沙だったが、こちらをからかう姿勢を崩しそうにないアリスを見て、魔理沙は大きなため息をついてそれ以上の反論をあきらめた。
そしてアリスも引き所は心得ている様で、もう一度くすっと笑って見せた後はもうその事については何も言う事は無かった。
そして二人はそのまま自然と作業に戻ったのだが、この一件がきっかけで集中力を欠いてしまい、それ以降は会話を挟みながら作業をする様になったのだった。
「なあ、これどのくらい作るんだ?」
魔理沙は毛糸を巻き続けながら、ふと思いついた様にアリスに尋ねる。
「うーん、数は明確に決めてないけど、今机に乗ってるのと、あとはあそこにある箱全部ね」
そう言うアリスの目線は魔理沙の背後に向けられ、その目線を辿って振り向いた先には、大人が膝を折ればすっぽりと収まってしまいそうな程の大きな箱が床に六つも積まれていた。
「げ、あれ全部か」
「そうよ、里のお祭りが二週間後だから、それまでに」
「間に合うのか?」
「あら、それが心配で手伝いに来てくれたんじゃなかったかしら?」
「そりゃ、そうだけどさぁ……」
そう言って魔理沙は途方に暮れて肩を落とした。
今作っているアリスの人形は里の人達にとても人気があった。
始めこそは売れ行きもそれ程では無かったのだが、ある年を境に突然爆発的に売れる様になったのだった。
アリスは何故そこまで急にその人形が売れる様になったのかが分からず、ある時人形を買い求めて来た一人の客に人形を買う理由を聞いた事があった。
その客は、鮮やかな青い髪が印象的な青年で、黒や茶色の髪が殆どである里の人間にしてはとても珍しかったので、アリスの記憶に今でも強く残っていた。
その青い髪の青年は人形を売っているアリス本人からそんな質問をされて少し驚きながらも、その質問に答えてくれた。
青年曰く、この人形は里の皆から、『幸せの身代わり人形』と呼ばれていて、何か悪い事が自分の身にふりかかろうとした時、この人形を身に付けていると人形が身代わりになって持ち主を守ってくれる。という噂が広がり、皆こぞってそれを欲しがっているというのだった。
特に最近では、少しずつ表情の違う人形の中から恋人や親しい人に似た人形を見つけ、それを交換し合うというのが流行っているらしく、青年も想いを寄せる相手に似た人形を買い求めに来たという事だった。
所謂、お守りやラッキーアイテムといった扱いだ。
「しっかし、毎回こんなに売ってんならもう里の人間全員に行き渡ってても不思議じゃないぜ。確か、幸せの身代わり人形とか何とか言って流行ってるんだったっけ?」
「よく知ってるわね。でもそれがね、みんなこの人形をすぐぼろぼろにしたり、失くしたりしてしまって、同じ人が何度も買いに来てるみたいなのよ」
「ん? 里の奴らって、そんなおっちょこちょいなのばかりだったか?」
怪訝そうに聞く魔理沙に、アリスは手元に視線を向けたまま、作業の手は止めずに更に続けた。
「これを欲しがる人達の間ではね『人形が身代わりになる度に、それは人形の表面の汚れとなって現れて、そしてこの人形を落として失くした時は、この人形が命に関わる程の大きな災いの身代わりになってくれた証拠なんだ』って言われてるらしいのよ」
「何だそりゃ」
「おかしな話よね。作り手はそんな事思ってもみないのに、そうやって人形を汚れたまま粗末に扱って、挙げ句人形を失くしたら『命拾いしました』って勝手に喜んで、失くした人形を探しもせずにまた新しいのを買いに来るんだから」
アリスはそう言いながら、たった今完成させた人形を両手で包む様にして持ち、哀しそうな目でそれをじっと見つめた。
「なぁ、もうこれ売るのやめたらどうだ? そんなのアリスにとっても人形達にとっても不本意なんだろ?」
魔理沙はアリスの話に憤慨してそう言った。
それに対しアリスは少し考えるようにした後、言葉を選ぶ様にゆっくりと返事をした。
「うーん、私も始めはそうしようとしたわ。何度も頻繁に買いに来る所を見ると『わざと汚れたり、失くなりやすい様に乱暴に扱われてるんじゃないか? そんな事ならもう』って。でもそう思う度に何だか胸騒ぎがしてしまうの。まるで人形達が『自分達を作ってくれ、私達はそれを望んでいる』って訴え掛けて来ているような感覚」
「……」
「それにね、そうやって胸騒ぎがする様になった頃から、何だか本当にこの子達がみんなの身代わりになって役に立ってるんじゃないか、って思える様になって来たの。最近じゃ『しっかり頑張るのよ』って思いを込めながら作ってたりなんかして……」
少し気まずそうな、照れくさそうな顔で言うアリスに、魔理沙は硬い表情のまま顔色を変えずに「そうか」とだけ短く相づちを打つ。
「でも、やっぱり変よね? ……決めた。ずっと迷ってたんだけど、今魔理沙に話してて心の整理がついたわ。もうこの人形は今回限りでや――」「いいや、やめない方がいい」
愁然とした顔で迷いながらも決心して言おうとするアリスに、魔理沙は突然先ほどとは真逆の言葉を被せる様に言い放ち、アリスは困惑した。
「いや、ころころ違う事言って悪い。でもな、今のアリスの話を聞いて安心したんだ」
「安心?」
「ああ、以前みたいにアリスが思ってもない事が噂で広まるまま一人歩きして、買った奴らが勝手に有り難がってそれを粗末に扱ってるってんなら辞めた方が良いと思った。でも今はアリス自身も人形達にそういう気持ちを込めながら作ってるんだろ?」
そう言われたアリスはきょとんとして「ええ」とだけ言って小さく頷く。
すると魔理沙はそれを見てニッと笑って更に続けた。
「なら安心だ。そう言うのは作り手が思いを込めてこそだからな。きっと人形達もしっかり活躍してる事だろうぜ」
「本当に、そう思う?」
アリスの短い質問に、魔理沙は胸を張って「ああ、きっと喜んでるに違いない」と返した。
すると突然、一筋の雫がアリスの頬を伝って流れ落ち、更に続けて二つ三つと左右の眼から大粒の雫が溢れて流れ始めた。
「な! え? 私、そんな良いこと言ったか!? ぁ、いや、悪い事だったか!?」
突然のアリスの涙に魔理沙はパニックになる。
魔理沙は今までアリスが泣いている所など一度も見たことが無かった。しかも今の流れを考えると、アリスが泣き始めた原因はどう考えても自分の言動によるものだ。しかし、自分が放った言葉をどう思い返してみても、アリスが泣いてしまうような事は見当たらない。
魔理沙はどうしていいか分からず、かける声も思い付かないでただただ慌てふためくしかなかった。
「あ、えっと。う、うーん?」
「違うの。そう思ってくれて、そう言ってくれたのがあんまり嬉しくて、我慢出来なくて」
次々と流れる涙を手で拭いながらアリスはそう言ったが、魔理沙はそれを聞いてもなお腑に落ちない。
確かにアリスの考えや思いを肯定する事は言った。ただ、大した言葉で言ったわけでも、アリスがその事で死ぬほど悩んでいた様でも無いのに、その程度でアリスが泣き出すなど到底考えなれない。
そもそもアリスの言う様に本当に喜んで泣いているのかさえも疑問だ。
「えーっと、嬉しかったってのは、何がそん――」「ううん気にしないで。こっちの話し」
アリスの声が魔理沙の声を遮って、そのまま二人は何も言えなくなってしまった。
しばらくの沈黙の後、アリスはしばらくして少しずつ落ち着き始め、涙ももう流さなくなったが、部屋には気まずい空気が、尚も漂い続けた。
しかし、そんな空気を変えるきっかけを作ったのは意外にも、依然鼻をすすりながら下を俯いたままでいるアリス自身の方だった。
「ぷっ……」
「へ?」
アリスは突然、俯いたまま手を口に当てて笑い始め、その豹変ぶりに魔理沙は思わず間の抜けた声をあげる。
アリスは構わずにほんの短い間だけクスクスと笑った後、顔を上げて魔理沙と目を合わせた。
「ごめんなさい。私ったら、ちょっと疲れてたみたいで、魔理沙なんかの言葉にまさか泣かされちゃうなんてね」
「な、なんかとは何だよ」
「なんかはなんかよ」
そう言ってアリスはまた笑って、それを見た魔理沙は返す言葉が見つからずに苦笑いで返すしかなかった。
『うやむやにするとは正にこの事だ』と魔理沙はよっぽど思ったが、兎にも角にも、気まずい空気を払拭する事ができて、魔理沙は一先ずそれで良しとして安堵した。
「さて、日も落ちかけて来てるし、ラストスパートかけるわよ」
「よっしゃ、望む所だぜ」
そう言って二人は何事も無かったかの様に再び意気揚々と作業を再開する。
気がつけば、窓の外では半日をかけて進んだ太陽が西の空を徐々に赤く染めながら、森の木々の陰に向かってゆっくりと降りて来ている。
その夕暮れというには少し早い、曖昧な色合いの空からは、朝聞こえていた小鳥達の声の代わりに、大きな黒い鳥の、太くかすれた声が遠くから響いて聞こえていた。
作業を再開してまた更に時間が経過し、空を赤く染めていた太陽は随分前に沈んで、辺りは黒に染まっていた。
しかし空が灯りを失ってもなお、二人は魔法によって部屋に明かりを灯して、依然作業を続けていた。
机の上には出来上がった人形が無造作に山のように積まれていて、それは向かい合う互いの手元が全く見えなくなる程の量になっていた。
相変わらず手元に集中して黙々と人形を作り続けている二人だったが、魔理沙が突然、部屋の静けさを引き裂く様な大きな声で「できた!」と叫び、椅子を吹き飛ばすような勢いで立ち上がって、たった今完成させた人形を掲げ始めた。
何事か、という表情でアリスが顔を上げると、今まで1体につき1色の毛糸のみを使って人形を作っていた魔理沙の手に、青や黄色、赤といった複数の色を組み合わせて作られた人形があるのが見えた。
「ほらこれ! 私からのプレゼントだぜ」
そう言って魔理沙はテーブルの向かいから手を伸ばして人形をアリスに手渡す。
それを黙って受け取り、その人形を間近に見たアリスは、思わず息を呑んだ。
「……魔理沙。これは、私?」
「へへ、最初に見せてもらったやり方を見よう見まねでやってみたんだ。確か親しい相手に似た人形を交換しあうのが流行りなんだろ?」
胸を張り、鼻を高らかにして言う魔理沙だったが、その人形の出来は、魔理沙が一番初めに作った人形を遥かに凌ぐほどの酷い出来栄えだった。
胴体には青い毛糸、髪の部分には黄色い毛糸を使っているあたり、アリスを模して作られている事は辛うじて把握できるのだが、リボンを再現しようとしたのであろう赤い毛糸は、胴体や髪、顔の毛糸の間から不必要にはみ出していて、まるで返り血を浴びているかの様に見えた。
顔の部分を見ると、左右の目は不揃いにあらぬ方向を向いていて、裂けるようにぽっかりと開いた口は、口角をいびつに引きつらせて不気味な笑みを浮かべている様に見える。
「なんだか、人形が本来発してはいけない、禍々しい何かを感じるわ……」
「そうか? 自分としては70点ぐらいの良い出来栄えだと思うんだけどなー」
「ちょっと待って、あなた一番最初に作った人形に何点付けてたかしら?」
「あー、確か80点」
「で、これは?」
「70点だぜ」
「もっとがんばりなさいよ!」
魔理沙は1色の毛糸で作る人形に関しては、アリスの作った人形と比べても遜色の無い物を作るほどの上達を見せていた。
しかし一度応用を求められると、今日一日で物にした技術も途端に基礎レベルから崩壊してしまっているのだった。
「ちゃんとアリスを守ってくれるように思いを込めて作ったんだぜ? ちゃんと身に着けてくれよな」
「う、考えておくわ……」
アリスは魔理沙の作った人形を机の上に置いて、頭を抱えながらうな垂れる。
対する魔理沙は、始めにアリスからもらった人形を身に付けて見せ、とても満足そうにした後、一仕事を終えたといった感じに椅子にすわり直して、背もたれに体を預けてのびをした。
「あ゛ー、それにしても疲れた。体中凝り固まったのか、異常なぐらい節々が痛むぜ」
「お疲れ様。もう時間も時間だし、今日はこれぐらいにしときましょうか」
「そうだな、腹もへって来た所だしな」
そう言って二人は椅子から立ち上がり、それぞれの道具と完成させた人形を次々と箱の中に片付けていく。
人形は元の箱に収めてみると、一箱と半分程の量になった。
残り五箱と半分。まだまだ先は長いが、アリスがこれを初めから1人で作っていればニ週間ぎりぎりまでかかっていただろう。
一通り片づけが終わって、アリスは改めて魔理沙のお陰で余裕ができたと礼を言うと、魔理沙は少し照れくさそうにした。
「夕飯食べていく? っていうか、今日も泊まっていくでしょ?」
「ああ、そうさせてもらうぜ」
魔理沙はアリスの家に来るとそのまま帰らずに泊っていく事が頻繁にあった。
あまり頻繁にあるので、アリスの家にはいつの間にか魔理沙の服や身支度品等が揃ってしまっていて、大した用意をして来なくとも気まぐれでいつでも泊まれる様になっていた。
極めつけは、寝室のアリスが今まで使っていたベッドの横に魔理沙専用のベッドが新たに設けられてしまう程の有様だ。
アトリエからダイニングへ戻ると、長い間誰もいなかった部屋はひんやりとしてとても肌寒く感じ、寒がる魔理沙に言われてアリスは部屋の角に据えられていた古びた薪ストーブに魔法で火を灯した。
「そういえば、食べる物あるのか? コンロにはスープの鍋1つしか見えなかったし、今から作ってたら結構遅くなるぜ?」
早速ストーブの火で暖を取りながら魔理沙が聞くと、アリスはその横で得意げに笑って見せる。
「それなら心配ないわ。あの鍋には秘密があるの」
そう言って、アリスは鍋が置かれているコンロの方へ向かい、魔理沙はストーブの温もりに名残惜しさを感じつつ、急いでアリスの後に続く。
アリスが鍋の蓋を取って、魔理沙が中を覗き込むと、昼間に飲んだコンソメスープがまだ十分に残っていて、その底には昼間には見られなかった、小さく可愛らしいキャベツの塊が幾つか沈んでいるのが見えた。
「わ、ロールキャベツじゃん!」
「ご名答。多分こうなるだろうと思って、ちゃんと用意しといたの」
アリスはそのままコンロに火を付けて再びスープを温め始めると、次に傍らにあったフリーザーの扉を開けて、中からガラスのタンブラーを取り出した。
「ただ、昼間と同じ味じゃつまらないから、ここに生クリームを入れまーす」
タンブラーの中には生クリームがなみなみと入っていて、アリスはそれを惜しげもなく鍋の中にたっぷりと注ぐ。
コンソメの琥珀色に輝くスープが、真っ白な生クリームと混ざり合っていく光景に、魔理沙はうっとりとした表情を見せて、思わず感嘆のため息をつく。
スープを温めながら、アリスは更に塩を入れて味を整え直し、バターも新たに加えて芳醇な風味をつけた。
次にボウルに小麦粉と少量の水を入れ、ダマが無くなるまでしっかり混ぜると、スープが十分に煮立ってからそれを鍋の中へと少しずつ投入する。
すると先ほどまでさらさらの状態だったスープにはとろみが生まれ、ロールキャベツにもしっかりと絡む濃厚なホワイトソースがあっと言う間に完成した。
「はー、見事なもんだな。さっきまでただのコンソメスープだったのに」
「ただのとは失礼ね。さ、見てないで他の準備頼んだわよ」
「よし、お安い御用だぜ」
しばらくソースを煮込んだ後は火を止めて、アリスは魔理沙の用意した皿にロールキャベツを二つずつとたっぷりのソースを注いでから、乾燥させてフレーク状にしていたパセリを一つまみ飾り入れた。
テーブルの上にはその皿の他に、切り分けられたバゲットと、うっすらと緑色に透き通ったボトルに入った白ワイン、そしてアリスの漬けた色取り豊かな野菜のピクルスがそれぞれ置かれ、二人はまた向かい合って椅子に座る。
「そんじゃ、本日二度目の」
「いっただきまーす」「いただきます」
魔理沙は早速ロ-ルキャベツにフォークを刺し、そのすぐ横にナイフを宛がう。ロ-ルキャベツはコンソメス-プの時点で長い間煮込まれていたためとても柔らかく、ナイフに力を入れると、切れるというよりは半ば潰れる様にして二つに分かれた。
フォークからも抜け落ちてしまいそうなロールキャベツを器用に皿の上で動かして、ソースをたっぷり絡めてそれを口に運ぶと、途端にキャベツからは一体どこに隠れていたのか、と思う程大量のスープが染み出して来て、それを噛み締める以前からキャベツの繊維一本一本がほどける様にして舌の上で溶けていった。
そして溶けたキャベツは濃厚なホワイトソースと、中に包まれていた甘みのある挽肉と絡み合って味覚をやさしく刺激し、それをかみ締めていくと今度はバターの赴きある風味が口から鼻へと突き抜けて、飲み込んだ後には生クリームの滑らかな舌触りが口の中に残ってその余波を感じさせた。
「う、うまい! アリス! これはそこらの家とか飲食店で食べられる様なレベルじゃないぜ! まるで一流シェフかなんかが、いやそれ以上の何かが作った様な、何ていうか、とても高貴なものを感じるぜ!」
「大げさね、ただのロ-ルキャベツよ」
アリスは口では謙遜してそう言ったものの、顔は嬉しい気持ちを隠し切れずにニヤケ顔になっていた。
ロールキャベツも去る事ながら、アリスの漬けた野菜のピクルスも赤や黄色、緑等の色野菜がふんだんに使われていて、ただ並べ置かれているだけでテーブルの上を華やかに彩っていた。もちろん見た目だけで無く、その適度な酸味や甘み、パリパリとした歯ごたえは、濃厚なホワイトソースを食べた後の口直しにはぴったりで、おまけに白ワインとの相性もとても良かった。
二人はあっと言う間にロ-ルキャベツを平らげて、残ったソースはバゲットで拭う様にすくい取り、皿の隅まで残さずに食べ切った。
その後も、ピクルスと弾む会話を肴に夜が更け込むまでワインが進み、気がつけば二人でボトルを2本も空けてしまっていた。
「あー、しあわせだぁ。まるで魔法でもかけられたのかと思うぐらいすっごく幸せだぜェ。うー」
「ちよっと。あなたぁぃくらなんでも飲みすぎよぉ。うふふ」
二人は言うまでも無く、完全に出来上がっていた。
魔理沙は浮遊感に浸り、アリスは呂律がかなり怪しくなっている。
「アリスだって同じペースで飲んでただろぉ?」
「飲んでたけど、わたしわあなたょりもぉさけはつよぃのよ」
「ほぉー? じゃぁ今からでも飲み比べいっとくかぁー?」
「また宴会のときにでもねぇ。きょうはもうぉそいし、それになんぁか疲れてねむぃわ」
「あー、泣くと結構体力使いますからねぇー」
「……。あなた、酔ってるからってあんまり余計な事言うと、今度はその口がツるわよ?」
魔理沙の悪い冗談に、アリスは途端に酔いが覚めたかのように呂律を回復させて、冷たく淡々と言い返した。
素面ならばそんな冗談は言わないであろう魔理沙は、相変わらずへらへらと笑っていて、目くじらを立てていたアリスもそんな魔理沙の雰囲気にあっと言う間に流されてしまい、そのまま二人はしばらく笑い合った。
その後、酔いや眠気が限界まで来ていた二人は、食器を適当に流しに放り込み、シャワーは浴びずに服だけを着替えてすぐに寝室へと向かった。
アリスの家の寝室は全面が木目のログハウス風に作られていて、やわらかな質感の柱や壁からは木のぬくもりが感じられ、窓には淡いく暖かいオレンジ色のカーテンがかかっていた。しかし、間取りとしては元々1人で利用するように作られていたのでとても狭く、2脚のベッドは両端の壁ぎりぎりにまで寄せられて、無理やりなんとかそこに収まってるという状態だった。
その間にはベッドの高さに合わせて作られた低い棚が据えられていて、その上にはスタンドタイプの小さな照明が1つだけぽつんと置かれていた。
アリスがその照明以外の全ての明かりを消して周ると、そのまま二人はそれぞれのベットに入って横になった。
「なぁアリス。明日も人形作り続けるのか?」
二人の間にある照明の淡い光にうっすらと照らされる寝室の中、魔理沙はベッドから天井を見上げたままアリスに聞く。
「うーん、それもしなくちゃなんだけど、早朝のうちは森に人形の骨組みの素材を取りに行くつもりよ」
「は? まだ数増やすのかよ。しかも早朝?」
魔理沙は思わず体を起こしてアリスの方へ向き直ってそう言い、アリスは顔だけをこちらに向けて続けた。
「ええ、このペースなら、あともう1箱は作れそうな気がしてきてね。残り2週間、最後まで毎日手伝ってくれるんでしょ?」
「そ、それは流石に――」
「冗談。ただ、残りを1人でやってもあと1箱ぐらいは本当に増やせそうだから、明日森に行くのは本気よ」
「うーん、ただ早朝ってのはちょっとなぁ」
「あら、手伝ってもらうのは冗談だって言ったのに、やっぱり手伝ってくれるの? 優しいのね」
「なっ! はめたな!?」
「魔理沙が勝手に言い出したんでしょ? 自分から言ったんだから、しっかり頼んだわよ」
「う、朝だけはゆっくり寝て、起きた所から、合流させてもらうぜ」
「それでいいわ。魔理沙って人に起こされるとかなり機嫌悪くなるものね。そんなので付いて来られても、かえって迷惑だし」
「へいへい、よくご存知で。じゃあ極力迷惑にならない様に、私はそろそろ寝るとするかな」
「そうね、私も寝るわ。おやすみ魔理沙」
「ああ、おやすみ」
そう言って魔理沙は照明のスイッチを落とす。
しばらくすると、真っ暗になった寝室からは二人分の整った寝息の音だけが、静かに聞こえてくるばかりになった。
その日 魔理沙は夢を見た。しかし、楽しく充実した一日を過ごして、幸せな気分で眠りに付いた割りに、その夢は少なくとも良い夢とは言えなかった。
真っ暗な視界の中、誰かの声だけが聞こえていた。
その声はとても切羽詰った様子で、叫び声とも取れるほどの悲痛な声だった。
その声を聞いていると、真っ暗だった視界に徐々に明かりが見え始める。
しかし、その明かりは僅かな物で、焦点もはっきりせずにぼやけていた。
そんな視界の中、声の主であろう誰かの顔が、こちらに向いているを感じた。
声は相変わらず叫ぶように聞こえていて、次第にその声の主に肩を激しく揺さぶられている事に気づく。
抵抗しようとしても体には力が入らず、その代わりに全身を激しい痛みが襲い、更には呼吸も出来ず、元々はっきりしていない意識がまた遠のいていって、視界もまた暗闇へと転じる。
夢はそこで終わっていた。
ふと目を覚ます。
始めに感じたのは音だった。
大きな黒い鳥の、太くかすれた声が遠くから響いて聞こえている。
その声を聞いていると、起き掛けのぼやけた視界には、顔に絡みついた金色の髪と、その向こうにある窓に掛けられた無機質なスチール製のブラインド、そしてそこから射して来た太陽の、ややオレンジ色がかった眩しい光が、コンクリートでできた冷たく真っ白な壁に反射ているのが見えた。
次に匂いを感じる。
顔に絡みつく髪からは泥のような臭いがして、ひんやりとした部屋には薬品の様な独特な匂いが立ち込めている。
「……?」
体はひどく重たく、言う事を聞かない、頭は目が覚めているにも拘らず中々ハッキリとせず朦朧としていて、体の節々も異常なほど痛む。
どうやら自分はベッドに寝ている様だが、ここが何処なのか、何故こんな所に居るのか、全く思い出せない。
困惑する中、顔に絡みついた髪を直そうと左手を顔にやろうとする。
僅かに腕が動いた瞬間、左腕にズキッとした痛みを感じ、次にガシャンという、何かが床に倒れる大きな音がベッドのすぐ脇で鳴り響いた。
その直後、誰かが硬い床を走っている音が遠くから聞こえ始め、それはどんどんとこちらに近づいてきて、鉄や樹脂で出来ている扉を開けるギーという音と共に、その足音は部屋の中へと入ってきた。
「気がついたのね」
深刻な表情でこちらに駆け寄って顔を覗き込んで来たのは、迷いの竹林の永遠亭に住む凄腕の薬師、そして医師としても名高い八意永琳その人だった。
永琳はすぐにベッドの脇にしゃがんで、銀色の長いポールをベッドのすぐ脇に立てる。
ポールの先端には、細い管の付いた液体の入った袋が取り付けられていて、そこから垂れ下がっている細長い管を目で辿っていくと、それが先ほど痛みを感じた自分の左腕と繋がっていたのが分かった。
永琳は管の長さがどうだの、安定性がどうだの、とぶつぶつと何か文句を言っているようだった。
次に永琳はこちらの手首を触ったり、目に光を当てるなどしながらこちらに何かを話しかけてきていた。
しかし、依然意識は朦朧としていて、少しでも長く喋られるとそれに頭が付いて行かず、なんと言っているのかは、はっきりと理解できない。
「 もり て ここ
あぶな は が よ。
ス? る? アリス?」
アリス。今、永琳にそう呼ばれた気がした。
思いがけない名前で呼ばれ、それに驚きと違和感を覚えると、朦朧としていた頭に血が巡り始めて、意識が次第にはっきりとしてくる。
「あり、す・・・?」
「そうよアリス、しっかりしなさい」
「ちが、違うわよ……。わたしは、私はまりさ。霧雨魔理沙よ!」
全身に感じる痛みをなんとか堪えながら上半身をふらふらと起こし、息を絶え絶えにしてそう言い放つと、永琳は途端に顔を強張らせて、そのまま押し黙ってしまった。
そして永琳はそのまま立ち上がり、部屋の隅にあった棚から何かを取り出して、それをこちらにゆっくりと差し出してきた。
「落ち着いて中を見て。そこに映っているのは誰かしら?」
永琳の手にあったのは折りたたみ式の小さな手鏡だった。
言われるまま、言う事をきかない腕をなんとか動かしてそれを受け取ると、折り畳まれていた鏡を開いて、中を覗き込もうとする。
しかし、そこに何が映るのかが恐ろしくなって、思わず躊躇してしまう。
永琳は何も言わずにただこちらを見ているばかりで表情も重苦しく強張ったままだ。
いつまでもこうしている訳にもいかず、意を決して鏡を覗き込む。
するとそこには、所々に泥が付いた金色の髪をした、まるで人形のように白く透き通った肌の、不安な気持ちに今にも押しつぶされそうな弱々しい表情をした顔が、鏡いっぱいに映っていた。
その顔は紛れも無く魔理沙のものではなく、永琳の言う通りアリスの顔そのものだった。
「こんなのって……」
「落ち着いて聞いてね。多分、今は何もかも信じられないでしょうけど、貴女は昨日、森で倒れているところを見つけられて、この里の病院まで運んでこられたの。貴女は森のきのこの毒にやられて昏睡状態に陥ってたのよ。あんまり重症で、里の医者では手が付けられない程だったんで、私が呼ばれたって訳」
「……」
永琳にそう言われたものの、やはりそれをすぐに信じることはできない。
目が覚めるその直前まで、自分は確かに魔理沙だった。きっとこれは何かの間違いだ。そうとしか信じられなかった。
「さっき、貴女自分のことを魔理沙だって言ったわよね」
「そうよ! そう、私は、魔理沙よ……」
「そう……。じゃあ、問診に移るわ」
そう言って永琳はノートとペンを持ち出して、ベッドの横にあった椅子に座る。
「話して頂戴。出来るだけ古い記憶から順に、覚えている限り、魔理沙として過ごしていた日々を」
『魔理沙として』という言葉にいささか憤りを覚えつつも、その事には目をつぶって、言われたままに覚えている限りの事を話し始める。
朝、鳥の声で目が覚めた事、起きてすぐハーブティーを煎れた事、料理を作ったこと、そして、アリスと会った事。
それらをまるで今その光景がそこに見えているかの様に細部に渡って話して見せると、
永琳はそれをつぶさにノートに素早く記録していく。
しかし、しばらくすると、永琳の手がぴたりと止まる。
話す声が止まってしまったからだ。
話すの声の代わりに聞こえてきたのは、言われなければ気付く事が出来ない程の、かすかな音だけだった。
何かに耐えるようにして振るわせている肩が揺らす、ベッドの軋む音。
頬をつたって、強くシーツを握り締めた手の上に落ちる涙の音。
悲しみに耐えきれられなくなった口から漏れ出した吐息。
「私ったら……何て夢を……。私が魔理沙だなんて……」
大粒の涙を流し、声を振るわせながら絶え絶えに放たれる言葉を、永琳は目を閉じてうつむき、何も言わずに聞き続ける。
「思い出したわ……。私はアリス。私は、魔理沙じゃない。だって魔理沙は…………! 魔理沙はもう、何年も、前に………………」
アリスはそこから先を言う事が出来なかった。
幸せな夢から覚めて、突然舞い降りてくる忌々しい記憶。
言おうとすればするほど、胸が押し潰されそうになり、心が壊れそうになった。
そこへ永琳の冷たい言葉が響く。
「死んだ……?」
その一言はアリスが最も言いたくない言葉、聞きたくない言葉、そして認めたくない言葉だった。
アリスはそんな言葉を易々と放った永琳に激しく怒りを覚え、それを超えて殺意さえ湧き上がってくる。
しかしその感情はすぐに何処かへ消えて無くなった。そんな怒り等どうでもよく感じる程の悲しみがアリスを襲ったからだ。
アリスは頭を抱え、大声を上げて泣き叫ぶ。
自分の泣く声だけが頭に響き、何も聞こえず、何も見えなくなった。
行き場を無くした激しい感情が、無意味に体を暴れさせた。
不意に、誰かに強い力で肩を掴まれる。
アリスはそれがただただ不快で、必死にそれを振りほどこうとする。
しかしその肩を掴む手は全く離れようとしないどころか、激しくこちらを揺さぶって来る。
アリスは完全に取り乱し、口からは叫び声と共にでたらめな魔法が飛び出して、部屋の中をめちゃくちゃにしていった。
それでも肩を掴む手は一向に離れようとせず、アリスはその手の主が居るであろう方向へ魔法を何度も放った。
そこまでして、その手はようやく肩から離れる。
しかし、離れたかと思ったその刹那、今度はその手が首の後ろと背中に回り込み、アリスはそのまま誰かに強く抱き締められた。
抱き締められた瞬間、アリスの鼻を心地良い香りが襲った。
あの夢で感じた、シャンプーの香り。ほこりっぽい、あの散らかった部屋の落ち着く香り。
「落ち着け! アリス、落ち着いてくれ!」
はっと我に返ったアリスの耳を、今度は聞き慣れた声が襲う。
その声を聞いた瞬間、アリスの心をめちゃくちゃにしていた感情が一瞬にして消え去って、涙も、叫び声も、でたらめな魔法ももはや無くなった。
抱きしめていた手が解かれ、夢にまで見たあの顔が、アリスの前に現れた。
「命の恩人を勝手に殺すだなんて、恩知らずにも程があるぜ? アリス」
「魔理沙…………な、なんで……?」
「幻覚でも見てるって感じだな。よく見ろよ、私はここに居るぜ?」
そこには何年も前に死んだと思っていた魔理沙の姿が確かにあった。
しかし魔理沙の体は傷だらけのずたぼろになっていて、立っているのがやっとといった状態だった。
そんな状態であるにも関わらず、魔理沙はアリスの顔をじっと見つめて微笑み続けている。
魔理沙の傷が、先ほどの自分の魔法のせいだと気付くのに時間はかからなかった。
「魔理沙……。ごめんなさい。ごめんなさい! 私……!」
「気にすんなって。それより、アリスが無事で本当に何よりだぜ」
魔理沙が更ににっと笑ってそう言うと、アリスの瞳からは再び涙がこぼれ落ち始めた。
その涙は悲しみの涙ではなく、喜びと安堵に満ちた、幸せな涙だった。
「でも、魔理沙、どうして。あなたはもう、何年も前に……」
「きのこの毒のせいよ」
依然混乱しているアリスに、遠くから永琳の声が浴びせられる。
声のする方へと視線をやると、部屋の奥から、めちゃくちゃになった部屋の瓦礫をかき分けながら永琳がこちらに近づいて来るのが見えた。
先ほどのアリスの魔法に、永琳も無事では居られなかった様で、足を少し引きずっている。
「さあ、貴女はいい加減横にならないと、何年も経つ前に本当に死んじゃうわよ?」
「いでででっ! もっと優しくたのむぜ永琳先生よぉ」
「無駄口叩かない。第一、目を覚ましてすぐは酷い錯乱状態に陥りやすいから入って来ないようにって言ったのに、構わず飛び込んで来た貴女が悪いんでしょ」
永琳は傷だらけの魔理沙をアリスから引き離し、隣にあった別のベッドへ乱暴に横たえると、アリスの方へ向き直って説明を始めた。
「アリス。森で倒れていた貴女を発見してここへ連れて来たのはそこに居る、まだ相変わらず死なずにピンピンしてる魔理沙よ」
「随分な言いぐさだぜ」
「いい? 魔法の森のきのこは毒を吸った者に三つの幻覚を観せるわ。一つは記憶に新しい、最も幸せだった時間を切り取って夢の様に観せる幸幻。もう一つは心の奥底に潜む恐れやトラウトを具現化した様に観せて信じ込ませる恐幻。そして、幸幻と恐幻に散々翻弄された挙げ句、周りの人間から告げられる現実は、本人にとってはもう幻覚その物。それが三つ目。そして毒が完全に抜けて、現実と幻覚の区別が付くと、皆口を揃えて同じ事を言うわ『まるで魔法をかけられたかの様だった』とね。典型的な症状よ」
説明を聞いて、アリスは毒が抜け切らずに依然混乱しつつも、自分がどの様な状況に置かれているのかは把握できた様で、表情は少しずつ穏やかなものへと変わっていった。
「少しずつ、思い出したわ。私は昨日、夢で見た通り、家に泊まってた魔理沙を朝起こさずに森に行って、きのこの浸食が例年より早く広がってるのに気が付かずいつの間にか胞子を吸って……」
「そこへ後から起きた私が倒れていたアリスを見つけて、急いでここへ運んだって訳だぜ」
「そうね。ただ、貴女の場合、ちょっと変わった症状が出ていた様ね」
「え?」
「本来、幸幻は自分の記憶を切り取って再現する幻覚。だから自分が見て体験した事だけに基づいた、自分視点の幻覚を観るはずなの。なのに貴女は魔理沙、つまり他人になって自分に会っていた。でもそのお陰で貴女は恐幻の記憶に襲われながらに幸幻の記憶を夢だと言ってのける事ができた。これは過去に症例が一度あるだけの珍しいパターンね」
「ふーん、その過去の珍しいパターンだった奴って、どんな奴だったんだ?」
「あんまり患者の情報をベラベラ話す訳にはいかないけど、確か、人間の青年で、里の人間には珍しく鮮やかな青い髪をしていたはずよ。彼は幸幻の中で互いに思いを寄せ合っている相手と入れ替わっていたと話していたわ」
「それって、もしかしてあの時の……」
そう言った後、アリスは自分の服の腰の部分を見る。
そこには一本の細いストラップのヒモが付いていて、ヒモの先は途中からちぎれて無くなってしまっていた。
「…………」
「どうかしたの?」
「ううん、何でも無いわ。ただ、夢の中で私が魔理沙だったのなら、その魔理沙と会っていたアリスは一体誰だったんだろう。って、そう思っただけよ」
「詩的な事を考えるのね。でも、そればっかりは私の薬の能力では解明し得ない話しね。私も興味深くはあるのだけれど」
「そうね………… ありがとう……。 」
「んー? 何の話しだ?」
アリスは魔理沙の問いに応えず、そのまま何も言わずに窓から見える空を仰ぎ見る。
空に浮かぶ太陽は既に西に沈みかけていて、空を真っ赤に染めながら、依然眩く輝いていた。
幻想郷の全てが赤に染まり、人間の里にも、妖怪の山にも、竹林にも湖にも神社にも夕暮れが訪れる。
魔法の森にも夕暮れは訪れて、その薄暗い森の片隅には、あらぬ方向を見つめる2つの目を持ち、裂ける様にぽっかりと開いた口をいびつに引きつらせて、酷く不気味に微笑でいる人形が一つ、持ち主の手元から離れて、どこか誇らしげな様子で横たわっていた。
短く小刻みに聞こえてくる甲高いその声は、まるでたくさんの子供達が楽しく騒いでいるかの様に、賑やかに近くで響いている。
その声を聞いていると、徐々によれよれのパジャマを着た自分の腕と、顔に絡みついた金色の長い髪がぼんやりとした視界に入って来た。
その向こうには、まるで荒らされた物置かの様に散らかった寝室が薄暗く横向きに見えている。
次に匂いを感じた。
お気に入りのシャンプーの香りが残る髪の匂い。嗅ぎ慣れた部屋のほこりっぽい匂いと、ぐしゃぐしゃになって辛うじて体を包んでいるシーツの清潔感のある匂いは、どこか心が落ち着く。
「朝か……」
ベットの上からポツリと聞こえて来たのは、魔理沙の声だった。
顔に絡みついた髪を無造作にかき上げながら、気だるそうにゆっくりと体を起こすと、カーテンの隙間から射してきた眩い朝の日の光が魔理沙の顔面を一直線に襲った。
そのあまりに強い光に目を晦ませて、とっさに手で顔を覆う。
それでも手の隙間を通り抜けてくる光はあまりにも強烈で、魔理沙はついに耐え切れられなくなって、そこから追い出されるかの様にベットからもぞもぞと抜け出した。
パジャマの上から脇腹を掻きつつ、ふらふらと寝室からキッチンへ向かうと、散らかったテーブルの上から小さな白いケトルを見つけて手に取る。
中に水を入れて、それをコンロに置くと、徐ろに火を調整するノブに手をかける。
普通ならこのノブをいっぱいまで回せば火が点くものなのだが、このコンロにはガスを引いていないので、それで火が着く事は無い。
しかし、魔理沙はそれを承知の上で構わずコンロのノブを回す。
やはりそれで火が着く事は無かったのだが、ノブを回しながらコンロに向かって短く息を吹き掛けると、コンロの噴き出し孔から途端に青い炎がボッと音を立てて現れ、その炎は安定した火力でそのまま燃え続けた。
この程度の魔法は魔理沙にとっては朝飯前なのだった。
ケトルに炎がまんべんなく当たるよう位置を直し、コンロのノブをいじって火力を調整する。
本来ならノブをいじらなくとも火力は調整できるのだったが、魔理沙はいつもクセでそうしていた。
ゆらゆらと燃える青い炎をぼーっと見つめていると、自然と大きなあくびが出る。
ケトルはそのままにしてキッチンから離れると、今度は洗面台の前に立ち、髪を後ろにまとめてから桶に水を張って顔を洗う。
冷たい水で顔を洗うと眠気は嘘のようにすっかり無くなり、頭の回転も徐々に戻ってくる。
顔を拭き、髪を整え直して軽く身支度を済ませると、今度は家中の閉めきられた分厚いカーテンを開けて回る。
カーテンを開けると、窓いっぱいに入ってきた日の光が、木でできた部屋の壁や床にぶつかってやわらかく散らばり、部屋中を優しく照らした。
起き掛けには目が眩むほど強烈に感じた日の光が、今ではとてもあたかかく心地よく感じられる。
窓の外では相変わらず小鳥達が騒がしく、すぐ傍で鳴いていた。
次にキッチンに戻って来ると、ケトルは既にぐらぐらとお湯が沸騰している音を立てながら、細い注ぎ口から熱い蒸気を勢い良く吐き出していた。
魔理沙は慌ててコンロに駈け寄り火を消し、ほっと胸をなでおろす。
一先ずそのお湯はそのままにして、今度は玄関へと向かう。
木製の少し重たい玄関の扉を開けると、錆付いた蝶番のこすれるキーという音が、朝のひんやりとした外の空気に響き渡る。
扉の向こうに見えるのはいつもと変わらない見慣れた景色だ。
家のすぐ周りには木が疎らに立っていて、頭上には朝の澄んだ青空が広く見えていた。その空からは眩いばかりの日の光が届いていて、それが手入れの行き届いた庭の植物達に燦々と当たって輝いている。
そして、目の前には土を踏み固めただけの細く頼りない道が庭を二つに分ける様にして延びていて、その道を辿って視線を遠くにやると、家のすぐ周辺とは対照的に、魔理沙の家よりもはるかに高く伸びた木々が鬱蒼と立ち並んでいる深い森が、家の周りを囲む様にどこまでも広がっていた。
ここは幻想郷の人々から魔法の森と呼ばれている場所で、人間はおろか、妖怪達でさえ滅多に立ち入る事の無い、寂しく静かな森だった。
魔理沙の家はそんな森の中程にぽつんと建っているのだった。
森の地表にはまだうっすらと朝のもやがかかっていて、木々の葉の間から僅かに差し込んだ日の光がもやに反射して幻想的な淡いセピア色の光の帯を造り出している。
魔理沙は玄関から見えるこの景色がお気に入りだった。特に今日のようにすっきりと晴れた日の朝は格別だ。
そんな景色を眺めつつ、魔理沙はパジャマ姿のまま庭に出て、そこに植えてあるハーブの葉をいくつか摘み取る。
片手に収まるほどの量を摘み終えると、それを持ったまま玄関から再び家の中へ入りキッチンへと戻る。
摘み取ったハーブを軽く水洗いした後、テーブルの上に置いてあったガラスでできたポットに入れて、先ほど沸かしたお湯をケトルから注ぐ。
するとポットからは白い湯気が勢い良く立ち上り、それと共にあふれ出たハーブの新鮮で表情豊かな香りが顔を包み込んだ。
次にテーブルの上のポットの周りだけを軽く片付けると、愛用のティーカップと、甘い香りのする赤い一口大の小さな木の実が沢山入った皿を棚から取り出して、ポットの傍らに置く。
そしてテーブルの脇に置いてあった椅子に座って、淡く色の出たハーブティーをカップに注いでから木の実1つを手に取り、鼻に近づけて少し香りを楽しんだ後にそれをゆっくりと食べ始めた。
誰にも邪魔される事の無い、自分だけのゆったりとした時間の流れる静かな朝。
魔理沙の一日はいつもそうやって始まるのだった。
木の実をいくつか食べ終え、ハーブティーも飲み終えると、魔理沙はしばらく目を閉じて香りの余波を楽しんだ。
いつもならこの後も昼までは読書をしたりしてのんびりと過ごしているのだが、今日は違った。
少しして目を開けた魔理沙は「よしっ」と言って立ち上がり、まるでそこでスイッチが切り替わったかの様にそそくさと今使った食器を片付け始めた。
片づけを終えると、また玄関から外に出て、そこから今度は家の裏へと回り込む。
家の裏には、狭いながらも裏庭として使っているスペースがあり、そこは北の方角に面しているため、一日中家の影に覆われて日陰になっていて、おまけに森から流れて来る湿気が溜まってかなりジメジメしていた。
そんな裏庭には黒い網目状のシートで覆われた四角い箱が、家の外壁に沿うように幾つか規則正しく地面に並べられている。
その中の1つに近づいてシートをめくると、中には黒い土が入っていて、その上には可愛らしく丸く膨らんだ、茶色いブラウンマッシュルームの頭が沢山覗いていた。
日の光が直接当たらず、湿度の高い裏庭はこういったきのこを栽培するには最適な場所だ。
「お、ちょうど頃合いだな」
そう言いながら魔理沙は箱の中に手を伸ばし、大きな物から順にそれを5つほど収穫すると、シートを元に戻して再び表へと向かう。
途中で庭のバジルの葉も数枚摘んで、玄関から再びキッチンまで戻ると、魔理沙は作業台にまな板を置いてからフライパンに油を引いて、それを魔法で着けたコンロの火にかけた。
そして収穫したばかりのマッシュルームを慣れた手つきで薄くスライスすると、フライパンが充分温まるのを待ってからその中に投入する。
その途端、フライパンからはジュワーっという音が、油をそこら中に飛び散らせながらけたたましく鳴り響き、静かだったキッチンを一気に騒がしくした。
「あちっ!」
思った以上に跳ねた油が顔にまで飛んできて、魔理沙は思わず身を引いてしまう。
距離を保ったまま、おっかなびっくりで手だけを取っ手に伸ばし、フライパンを何度か煽ってみると、油の跳ねはすぐに収まった。
香ばしい焼き目がつくまでしっかり炒めたら、塩と胡椒で味をつけてから中身を一旦皿に移す。
この時、魔理沙は必ず塩と胡椒は多めに振るようにしていた。
次に、今度は別の新しいフライパンにまた油を引いて、同じように火にかける。
「えーっと、あれはどこにやったっけ」
魔理沙はそう言いながら、近くにあった棚の中を漁る。
棚の中には小さなガラスビンが幾つも置かれていて、その一つ一つには様々な香草やスパイスが入れられていて、側面にはその中身の名前を書いた手書きのシールが貼られていた。
魔理沙はその中から「クミン」と書かれたビンを見つけ出し、中に入っている乾燥した植物の種子をひとつまみ取り出してフライパンの中に入れる。
種子が焦げない様中を軽くかき混ぜると、フライパンからは食欲をそそる刺激のある香りが炎の熱に連れられて勢い良く舞い上がり始めた。
そこにミルクと一緒に溶いた卵を加えて、固くならないよう素早くかき混ぜると、あっという間にクミンが香る、ふわふわとしたスクランブルエッグが出来上がった。
そしてそれを先ほどのマッシュルームと共に、切れ目を入れたクロワッサンにたっぷりと詰めて、最後にその上に手で千切ったバジルの葉を散らして彩を添える。欲を言えば赤いトマトなども入れたい所だが、この時期に収穫できるトマトはどれも水分が多く、パンとの相性が悪いため、これ以上は何も盛り付けずに料理はこれにて完成となった。
これはマッシュルームが収穫できる時期になるとよく作る、魔理沙の得意料理なのだった。
クロワッサンは大き目なものを使っているので1つでもなかなかボリュームがあるのだが、魔理沙は同じものを2つ作って、それを1つずつ紙で全体が隠れる様丁寧に包んでから、柄のついた編み籠の中に入れる。
片付けを簡単に済ませ、服をパジャマから着替えると、髪をいつものように片方だけ三つ編みにした。
そして大きなツバの内側にフリルがついた黒いとんがり帽子を被ると、先ほどの籠に新たに小さなランタンと二冊の本を入れ、白い布を上に被せてから、それを手に提げてそのまま外に出た。
見ると、森に出ていた朝もやはもうすっかりと晴れていた。
魔理沙は玄関に鍵をかけてから森の方に向き直ると、森の奥へと続く目の前の道を小走りで進み始めた。
その時の魔理沙の顔は、まるでこれから遊園地にでも向かう無邪気な子供かの様な、明るく幸せに満ちた表情だった。
空には登った太陽と共に、小鳥達の騒がしい声が高い所から聞こえていた。
森に入ってしばらく進むと、周りは冷たく湿った空気で満ちていた。
そこは外の景色とは打って変わって、上を見上げても空は全く見えず、辺りはまるで既に日が沈んでしまったかの様に薄暗い。
魔理沙は籠から早速ランタンを取り出すと、明かりを灯して前に続く道を照らしながら、更に先へと進んだ。
そうやってしばらくは順調に道を歩く事が出来たのだが、程なくして魔理沙は不意に足を止め、道の脇に立っている木々達の根元を照らした。
「化け物茸め、もうこんな所にまで……」
魔理沙が照らす先には奇妙な形や色をした大小様々なきのこが、木と木の間を埋め尽くす様にひしめき合って生えている。
この辺りにはこの森にしか生息していない珍しいきのこが群生していて、魔理沙はそれらをまとめて化け物茸と呼んでいた。
そのきのこには強烈な毒があり、その成分が少しでも体の中に入ると、まるで魔法をかけられたかのような強い幻覚を見せると言われていた。
それはこの森が魔法の森と呼ばれる所以になるほどの危険なものなのだったが、魔理沙はその特性を利用して、自身の魔法の原料にしていたりもしていた。
しかし、毒の成分はその胞子にまで含まれているため、うっかり本体を踏んで胞子を激しく飛び散らせる等しまえば、魔理沙と言えどひとたまりも無い。
そうでなくても、きのこは常に胞子をそこら中にばら撒いていて、風の吹かないこの辺りの地表全体には目に見えないほどうっすらではあるが、既に胞子が積もっているのだった。
そんな場所で走る等して風を立てれば、途端に胞子は舞い上がり、口や鼻から体内に入り込んでその毒の餌食となってしまうのがオチだろう。
魔理沙はランタンの光に不気味に浮かび上がる無数のきのこ達を尻目に、息を潜めながら足元に神経を集中させて、再びゆっくりと歩き続けた。
そうやって普段よりも長い時間をかけ、無事にきのこの群生地帯を抜けると思わず安堵のため息が出る。
危険を冒してここまで進んできた魔理沙だったが、本来ならこの様な危険な場所をわざわざ歩いて通る必要は無い。
自慢の箒で空を飛んで目的地まで行けばそれで済む話だったからだ。
しかし目的地が森の中にある時は、余程の事が無い限り魔理沙は空路を使う事は無い。
それは魔法で使用する素材を森の資源に頼っている魔理沙にとって、森は自身の魔法その物と言っても過言ではなく、その森の状態を常に把握しておきたいという思いが強く有ったからなのだった。
周りからはよく阿呆らしいと散々に言われたりするのだが、当の魔理沙自身はとても真剣だ。それに、今日向かおうとしている場所は箒を使わなければならない程遠くはなく、引き続き辺りを見回しながらしばらく歩くと、十数分もしない内に目的地に着いてしまったのだった。
たどり着いたそこには森の中にぽつんと白い壁に青い屋根の小さな洋館が一軒建っていた。
周りの木はその洋館に遠慮するかの様に距離を空けて立っていて、その光景はまるで森という天井に大きな穴を空けた様で、真っ暗だった森に突如射し込んだ光がスポットライトの様にその洋館を照らしている。
明かりを反射している洋館のまっ白い壁は所々ツタに覆われ、周りの庭には綺麗に手入れされた色取り取りの花が植えられていて、魔理沙が立っている道の先がその花達をかき分けるようにして伸び、そして洋館のドアの前で途切れていた。
魔理沙は必要の無くなったランタンをしまって最後の道のりを走って進むと、ドアの前で少し息を整えてからドアをノックした。
中から微かに物音がした後、ドアが静かに開く。
そこに立っていたのは魔理沙の友人であり、この洋館に一人住んでいる魔法使いのアリスだった。
「来たぜ、アリス」
「いらっしゃい魔理沙、思ってたより遅かったわね」
「悪い悪い、化け物茸が広がって来るのが思いのほか早くてな、ゆっくり歩いてたら遅くなってしまったぜ」
「ああ、やっぱり歩いて来たのね……。 まあいいわ、さあ入って入って」
呆れた様に言うアリスに促されるまま、魔理沙はアリスの家の中に入る。
アリスの家は扉の先がすぐにダイニングになっていて、広い板張りの部屋の真ん中には白いレースで飾られたテーブル、その横には立派な本棚があり、奥には綺麗に整理されたキッチン台とコンロが据え付けられていた。
「ほら、帽子預かるわ」
「サンキュー」
魔理沙は帽子を脱いでアリスに手渡し、アリスはそれを壁に取り付けられていたフックに掛けた。
「ほい、これ借りてた本」
次に魔理沙は早速籠の中から本を取り出して、アリスに渡す。
魔理沙はよくアリスから本を借りていて、何処かの図書館の本とは違って、一冊読み終わるごとに律儀に返してはまた次の本を借りていた。
「今回の本はどうだった?」
「んー、普通だったぜ」
アリスは「そう」と短く返事をして返された本を本棚に戻す。
魔理沙は感想を聞かれてもそうやって毎回同じ返事をして、アリスも決まって「そう」と返すのだった。
「それからこれ、今日のおまちかね」
続けて魔理沙はそう言いながら先ほど作った料理の二つの包みをアリスに手渡す。
するとアリスはそれを受け取るなり顔をぱーっと明るくさせて、受け取ったそれを顔に近づけ深呼吸をするように大きく息を吸って匂いを嗅いだ。
「わ、いい匂い。今日のは相性が良さそうね」
「だろ? 家に入った時から『この匂いは当たりだ』って思ってたんだ」
魔理沙の言う「この匂い」とはキッチン台の横にあるコンロに置かれていた鍋から漂うスープの香りだった。
魔理沙とアリスは会うときはいつもランチを共にしていて、毎回お互いに料理を作って持ち寄るようにしていた。
最近では料理の詳しい内容は打ち合わせずに、事前にどちらがメインを作るか、スープを作るか、だけを決めてそれぞれの料理を当日に披露して、組み合わせが良いとか悪いとか、量が多いとか少ないとか言って盛り上がるのが二人の間で流行っていた。
「この前みたくならなくて良かったな」
「あれは魔理沙がスープ担当なのにカレーなんて作るから悪いんでしょ?」
「いやいや、あれはれっきとしたカレースープだぜ。ちょーっと濃厚だったかもしれないけどな。それにアリスだっていつもあっさりしたもんばっかり作るくせに、珍しくカレーパンなんて作って来たのも悪いんだぜ?」
「そ、それはその前に魔理沙がカレーが食べたいって言ってたからで」
「まぁいいじゃん。その日もお互い何だかんだ言いながら、結局スープもパンもペロリと完食しちゃっただろ?」
「それも、そうね」
そう言って二人は何だか可笑しくなって、笑い合った。
こうしてとても息の合った仲の良い二人だったが、初めからそうだった訳では無かった。
生まれ付き、もしくはアリスのように人間の身を捨てて魔女になった者達にとって、人間の身体のまま魔法を使いこなしてしまう魔理沙はとても目障りな存在だった。
アリス自身も例外無く魔理沙の事を昔は忌み嫌っていて、お互いにいがみ合っていた。しかし『仕方なく』という理由で何度か異変の解決を依頼したり、自身もそれに同行するなどして行動を共にしている間に、いつの間にか意気投合するようになり、今ではこうしてお互いの家を行き来する様な仲にまでなっていたのだった。
「そんな事より、お昼まではまだ時間もあるから、あれを先に始めちゃいましょ」
「そうだな、しっかりレクチャーしてくださいよ? アリス先生」
戯けて言う魔理沙にアリスはくすっと笑って、手に持っていた包みをテーブルに置くと、そのままダイニングの奥にある別の部屋へと移動して、魔理沙もそれに続く。
二人が入ったその部屋はしっかりとした石造りの床になっていて、その部屋の中央には大きな作業机とその両側に椅子が置かれ、ドアの正面には大きな窓があった。
ドアと窓以外の壁は棚や引き出し等で全面が埋められていて、その棚にはアリスが今まで作ったお気に入りの人形達がずらりと並べられていた。
棚の人形達を見ると、丸くデフォルメされたデザインの人形は、絵の中からそのまま出てきたかの様にとても可愛らしく、逆に人の姿に似せて精巧に作られた人形は、今にも動き出しそうに見え、まるで命を宿していているかの様にさえ感じられた。
ここはアリスが普段人形などを作るためのアトリエとして使っている部屋だった。
今日魔理沙がアリスの家を訪れ、そしてこのアトリエに通されたのは、アリスの人形造りの手伝いをしに来たからなのだった。
アリスは里で祭りがある時には昔から人形劇を披露していて、その傍らで小さな人形を並べてはそれを売っていて、今日作る人形はその祭りの日に売るための簡易的な作りの人形だ。
いつもはその人形もアリス自らが作っていたのだが、毎回その時期に忙しそうにしているアリスを気遣い、突然魔理沙が自分も手伝いたいと言い出して今に至るのだった。
「じゃ、説明するからそこに座って」
アリスはそう言って魔理沙を作業机の椅子に促すと、棚から必要な道具と材料を入れた大きな箱を取り出して、自分も魔理沙の横に座る。
箱の中に入っていたのは色取り取りの毛糸と、森で集めた細い木の枝やワラ等を組み合わせてアリスが事前に作っていた人間の形をした小さな人形の骨組みだった。
「まずは私が作って見せるからざっくり流れを覚えてね。 細かい所はやりながら後で教えるわ」
「あいあいさー」
アリスは早速人形の骨組みを片手に取ると、反対の手に黒い毛糸を持って、それを人形の骨組みにどんどん巻き付けていく。
「ここはこの向きで」
「ほどけない様にここは編み込むように」
「色を変える時はこうやって」
「目の部分はこうして」
「最後に頭にストラップのヒモを取り付けて」
簡単な説明を交えながら、場所によって色を変えつつ器用に毛糸を巻き付け続けると、先ほどまで木やワラを束ねただけだった人形の骨組みが、あっという間に可愛らしいマスコット人形へと姿を変えた。
素朴ながらも毛糸の手触りが暖かなその人形は、髪や胴体の色合いが魔理沙によく似ている。
「ね、簡単でしょ?」
「いやいやいやいや! めーっちゃくちゃ難しいぜ!」
幾つもの難しい作業を容易にやって見せ、挙句それを簡単だと言うアリスに、魔理沙はやや怒る様に言いながら頭を抱える。
「冗談よ。今みたいに色を沢山使うのはかなり難しいから、魔理沙には一色だけの簡単にできるのをやってもらうわ」
「な…… 初めからそっちを教えてくれよな」
「ごめんごめん。今作ったのは私からのプレゼントよ」
「う、うー……」
アリスにうまくしてやられた魔理沙は少しふてくされながらも、突然プレゼントされた自分によく似た人形を大切そうに持って満更でも無い様子だった。
「それじゃ、気を取り直して」
そう言ってアリスは再び毛糸と骨組みを手にして、魔理沙に説明を始める。
そうして出来上がった人形はアリスが先程言った様に、普段人形などを作らない魔理沙にも作れそうな程シンプルな作りの人形だった。
「お、これならなんとか」
そう言って魔理沙はほっとした表情を見せると、早速自身も人形の骨組みを手に取り、先ほどアリスがやって見せた様に毛糸を巻き付け始める。
「あ、そこはこっちから」
「それ逆」
「そこはさっき言ったでしょ」
「ちょっと、もう少し丁寧にやりなさいよ!」
すんなり事が運ぶかに思えた人形作りだったが、魔理沙は思いがけず苦戦した。
アリスもそれに少し焦りを感じ、言葉にも思わず力が入る。
そうしてようやく完成した人形はアリスの指導も虚しく、酷すぎて目も当てられない程に大変残念な仕上がりとなってしまった。
「うーん、80点だな」
「問答無用で0点よ」
アリスは落胆してため息をつき、それに対して魔理沙は「そうか?」と首をかしげた。
本来、魔理沙は普段から何事もそつなくこなす事ができる器用な人間だ。
時々危なっかしかったりはするが、アリスも魔理沙のその器用さには一目置いていた。
しかし、人間にはやはり向き不向きがある様で、魔理沙は人形作りに措いては途方も無く不向きな様だった。
「これは、練習あるのみね」
「なかなかいいと思うんだけどな」
器用さ以前にセンス自体を疑う必要がありそうではあったが、アリスはその後も魔理沙の指導に奮闘し、魔理沙がようやくまともな物が作れる様になったのは、二人がいつもランチを食べている時間を大きく過ぎてからの事だった。
「こ、これでどうだぜ……」
「うん、ここまで出来れば売り物にしても大丈夫そうね」
アリスのその言葉に、魔理沙は今日一番の笑顔を見せて声を上げて喜び、アリスもそんな魔理沙の様子を見て嬉しくなり、二人は笑顔でハイタッチを交わした。
「さて、やっと軌道に乗って来た所で何だけど、そろそろお昼にしましょうか」
「あれ、もうそんな時間か。 あー、気を抜いたら急にお腹が減ってきたぜ」
「私もよ、さあ行きましょ」
アリスはそう言って立ち上がり、魔理沙もそれに続いてアトリエからダイニングへと戻る。
そのまま二人は慣れた様に作業を分担してテーブルの上に食事の準備をした。
白い二つの皿の上にはまだ開かれていない魔理沙の作った包みがそれぞれ置かれ、その横にはアリスが作ったスープが置かれた。
スープは淡く透き通ったコンソメスープで、細かく切られた玉ねぎや人参、ベーコンがそのスープの中を優雅に舞っている。
控え目に入れられていたベーコンからは旨みたっぷりの油が程よく染み出して、スープの香りにより一層の深みを持たせていた。
魔理沙がそのスープを美味しそうだと褒めると、アリスは嬉しそうにはにかみながら、自分も早く魔理沙の料理が見たい。と言って、魔理沙をテーブルに急かして自身も向かい合って椅子に座る。
「じゃあ開けるわね」
「ええ、つまらないものですがどうぞ召し上がって下さいまし」
「まぁ、恐れ入りますわ」
二人で戯け合いながら互いに包みを開いていくと、魔理沙よりも少し早く包みを開けたアリスは、中を見た途端に表情を明るくして魔理沙に向き直った。
「これ! ずいぶん前に作ってくれて、私がまた食べたいって言ってたやつ」
「ああ、最近やっとマッシュルームが収穫できる時期になったからな。今期の初物だぜ」
「嬉しい。それじゃあさっそくいただきましょ」
「よっしゃ、待ってました」
「いただきます」「いっただきまーす」
二人は声をそろえて言って、アリスは普段からの振る舞いからは想像出来ない、大きな一口でパンを頬張り、魔理沙はニヤニヤとそれを見届けてから自分も負けじとパンにかじりつく。
しゃべる事ができない程に口いっぱいにパンを入れた二人は、言葉の代わりに目を合わせて「んーっ」とうなりながら笑顔で気持ちを交わした。
アリスはこの魔理沙の作るマッシュルームとたまごを使ったクロワッサンサンドがとてもお気に入りだった。
パンは焼き立てではなくてもサクサクとしていて香ばしく、中に挟まれているたまごの甘みとマッシュルームの旨み、そして風味付けに入れられたクミンの香りも相まって、そのシンプルさを感じさせない芳醇な味わいを醸し出していた。
そしてマッシュルームに振られた多めの塩と胡椒は、あえてあまり味を付けていないたまごと口の中で混ざり合い、アクセントの効いた程よい塩気となって、食べれば食べる程に食欲をそそった。
アリスの作ったスープも期待を裏切らない絶品で、クロワッサンサンドとの相性も抜群だ。
美味しい料理に会話も弾んで、二人はしばし楽しいランチタイムを過ごした。
食事を終えると、二人は再び作業を分担して手早に片付けを済ませると、すぐにアトリエへと向かった。
今日はあくまで人形を作るために集まっているので、のんびりお茶でも、という訳にはいかない。
魔理沙は先ほどの席に、アリスは今度は机を挟んで魔理沙の向かい側にそれぞれ座って作業を再開した。
アリスは慣れた手つきで次々と手順をこなし、魔理沙もぎこちないながらも格段に上達した手つきでアリスに続く。
出来上がっていく人形は、手作りならではの暖かな質感で、どれも表情が少しずつ違い、それぞれに個性が感じられた。
ニ人は先ほどまでおしゃべりに花を咲かせていたのがまるで嘘の様に黙り込んで作業に集中して、部屋の中は二人が机の上で立てる小さな音と、壁に掛けられている時計から発せられる針の短く乾いた音だけで満たされ、その音はそのまま数百、数千とひたすら鳴り続いた。
「いてっ!」
長い長い静寂のさ中、作業に没頭していた魔理沙は、突然左腕に激しい痛みを感じて大きな声を上げた。
その痛みは何かを突き立てられたかの様な鋭い痛みで、魔理沙は何が起こったのか分からず、痛みを感じる部分を強く押さえながらうずくまって身悶えした。
そんな魔理沙にアリスは思わず身を乗り出して「大丈夫!?」と声をかける。
魔理沙はすぐに返事をする事ができなかったが、しばらくすると、右手で腕をこすりながらうずくまっていた体勢からゆっくりと体を起こし、1度深呼吸をして平静を取り戻してようやく返事をした。
「ああ。何か、急にちくっと来てな……」
「虫か、何か?」
「いや、そんなのより遥かに痛かったぜ。でも大丈夫。何ともなってないし、今はもう痛く無い」
そう言って魔理沙は左腕をアリスに見えるように差し出す。
見ると、魔理沙の言った通り、腕には何かに刺された様な跡も、腫れていたりする様子も全く無く、強いて言えば右手で強く押さえていた指の跡が赤くうっすらと残っている程度だった。
「魔理沙……。あなた、実は腕がツったんでしょ」
アリスはホッとした顔を見せたのもつかの間、今度は少し意地悪そうな顔をして魔理沙にそう言った。
「ち、違うぜ! 人形作り如きで腕がツるなんて、そんなみっともない事にはならないぜ!」
「あらあら、ムキになっちゃって。分かったわ、そう言う事にしといたげる」
「ホントに違うんだって……」
依然物言いたげな魔理沙だったが、こちらをからかう姿勢を崩しそうにないアリスを見て、魔理沙は大きなため息をついてそれ以上の反論をあきらめた。
そしてアリスも引き所は心得ている様で、もう一度くすっと笑って見せた後はもうその事については何も言う事は無かった。
そして二人はそのまま自然と作業に戻ったのだが、この一件がきっかけで集中力を欠いてしまい、それ以降は会話を挟みながら作業をする様になったのだった。
「なあ、これどのくらい作るんだ?」
魔理沙は毛糸を巻き続けながら、ふと思いついた様にアリスに尋ねる。
「うーん、数は明確に決めてないけど、今机に乗ってるのと、あとはあそこにある箱全部ね」
そう言うアリスの目線は魔理沙の背後に向けられ、その目線を辿って振り向いた先には、大人が膝を折ればすっぽりと収まってしまいそうな程の大きな箱が床に六つも積まれていた。
「げ、あれ全部か」
「そうよ、里のお祭りが二週間後だから、それまでに」
「間に合うのか?」
「あら、それが心配で手伝いに来てくれたんじゃなかったかしら?」
「そりゃ、そうだけどさぁ……」
そう言って魔理沙は途方に暮れて肩を落とした。
今作っているアリスの人形は里の人達にとても人気があった。
始めこそは売れ行きもそれ程では無かったのだが、ある年を境に突然爆発的に売れる様になったのだった。
アリスは何故そこまで急にその人形が売れる様になったのかが分からず、ある時人形を買い求めて来た一人の客に人形を買う理由を聞いた事があった。
その客は、鮮やかな青い髪が印象的な青年で、黒や茶色の髪が殆どである里の人間にしてはとても珍しかったので、アリスの記憶に今でも強く残っていた。
その青い髪の青年は人形を売っているアリス本人からそんな質問をされて少し驚きながらも、その質問に答えてくれた。
青年曰く、この人形は里の皆から、『幸せの身代わり人形』と呼ばれていて、何か悪い事が自分の身にふりかかろうとした時、この人形を身に付けていると人形が身代わりになって持ち主を守ってくれる。という噂が広がり、皆こぞってそれを欲しがっているというのだった。
特に最近では、少しずつ表情の違う人形の中から恋人や親しい人に似た人形を見つけ、それを交換し合うというのが流行っているらしく、青年も想いを寄せる相手に似た人形を買い求めに来たという事だった。
所謂、お守りやラッキーアイテムといった扱いだ。
「しっかし、毎回こんなに売ってんならもう里の人間全員に行き渡ってても不思議じゃないぜ。確か、幸せの身代わり人形とか何とか言って流行ってるんだったっけ?」
「よく知ってるわね。でもそれがね、みんなこの人形をすぐぼろぼろにしたり、失くしたりしてしまって、同じ人が何度も買いに来てるみたいなのよ」
「ん? 里の奴らって、そんなおっちょこちょいなのばかりだったか?」
怪訝そうに聞く魔理沙に、アリスは手元に視線を向けたまま、作業の手は止めずに更に続けた。
「これを欲しがる人達の間ではね『人形が身代わりになる度に、それは人形の表面の汚れとなって現れて、そしてこの人形を落として失くした時は、この人形が命に関わる程の大きな災いの身代わりになってくれた証拠なんだ』って言われてるらしいのよ」
「何だそりゃ」
「おかしな話よね。作り手はそんな事思ってもみないのに、そうやって人形を汚れたまま粗末に扱って、挙げ句人形を失くしたら『命拾いしました』って勝手に喜んで、失くした人形を探しもせずにまた新しいのを買いに来るんだから」
アリスはそう言いながら、たった今完成させた人形を両手で包む様にして持ち、哀しそうな目でそれをじっと見つめた。
「なぁ、もうこれ売るのやめたらどうだ? そんなのアリスにとっても人形達にとっても不本意なんだろ?」
魔理沙はアリスの話に憤慨してそう言った。
それに対しアリスは少し考えるようにした後、言葉を選ぶ様にゆっくりと返事をした。
「うーん、私も始めはそうしようとしたわ。何度も頻繁に買いに来る所を見ると『わざと汚れたり、失くなりやすい様に乱暴に扱われてるんじゃないか? そんな事ならもう』って。でもそう思う度に何だか胸騒ぎがしてしまうの。まるで人形達が『自分達を作ってくれ、私達はそれを望んでいる』って訴え掛けて来ているような感覚」
「……」
「それにね、そうやって胸騒ぎがする様になった頃から、何だか本当にこの子達がみんなの身代わりになって役に立ってるんじゃないか、って思える様になって来たの。最近じゃ『しっかり頑張るのよ』って思いを込めながら作ってたりなんかして……」
少し気まずそうな、照れくさそうな顔で言うアリスに、魔理沙は硬い表情のまま顔色を変えずに「そうか」とだけ短く相づちを打つ。
「でも、やっぱり変よね? ……決めた。ずっと迷ってたんだけど、今魔理沙に話してて心の整理がついたわ。もうこの人形は今回限りでや――」「いいや、やめない方がいい」
愁然とした顔で迷いながらも決心して言おうとするアリスに、魔理沙は突然先ほどとは真逆の言葉を被せる様に言い放ち、アリスは困惑した。
「いや、ころころ違う事言って悪い。でもな、今のアリスの話を聞いて安心したんだ」
「安心?」
「ああ、以前みたいにアリスが思ってもない事が噂で広まるまま一人歩きして、買った奴らが勝手に有り難がってそれを粗末に扱ってるってんなら辞めた方が良いと思った。でも今はアリス自身も人形達にそういう気持ちを込めながら作ってるんだろ?」
そう言われたアリスはきょとんとして「ええ」とだけ言って小さく頷く。
すると魔理沙はそれを見てニッと笑って更に続けた。
「なら安心だ。そう言うのは作り手が思いを込めてこそだからな。きっと人形達もしっかり活躍してる事だろうぜ」
「本当に、そう思う?」
アリスの短い質問に、魔理沙は胸を張って「ああ、きっと喜んでるに違いない」と返した。
すると突然、一筋の雫がアリスの頬を伝って流れ落ち、更に続けて二つ三つと左右の眼から大粒の雫が溢れて流れ始めた。
「な! え? 私、そんな良いこと言ったか!? ぁ、いや、悪い事だったか!?」
突然のアリスの涙に魔理沙はパニックになる。
魔理沙は今までアリスが泣いている所など一度も見たことが無かった。しかも今の流れを考えると、アリスが泣き始めた原因はどう考えても自分の言動によるものだ。しかし、自分が放った言葉をどう思い返してみても、アリスが泣いてしまうような事は見当たらない。
魔理沙はどうしていいか分からず、かける声も思い付かないでただただ慌てふためくしかなかった。
「あ、えっと。う、うーん?」
「違うの。そう思ってくれて、そう言ってくれたのがあんまり嬉しくて、我慢出来なくて」
次々と流れる涙を手で拭いながらアリスはそう言ったが、魔理沙はそれを聞いてもなお腑に落ちない。
確かにアリスの考えや思いを肯定する事は言った。ただ、大した言葉で言ったわけでも、アリスがその事で死ぬほど悩んでいた様でも無いのに、その程度でアリスが泣き出すなど到底考えなれない。
そもそもアリスの言う様に本当に喜んで泣いているのかさえも疑問だ。
「えーっと、嬉しかったってのは、何がそん――」「ううん気にしないで。こっちの話し」
アリスの声が魔理沙の声を遮って、そのまま二人は何も言えなくなってしまった。
しばらくの沈黙の後、アリスはしばらくして少しずつ落ち着き始め、涙ももう流さなくなったが、部屋には気まずい空気が、尚も漂い続けた。
しかし、そんな空気を変えるきっかけを作ったのは意外にも、依然鼻をすすりながら下を俯いたままでいるアリス自身の方だった。
「ぷっ……」
「へ?」
アリスは突然、俯いたまま手を口に当てて笑い始め、その豹変ぶりに魔理沙は思わず間の抜けた声をあげる。
アリスは構わずにほんの短い間だけクスクスと笑った後、顔を上げて魔理沙と目を合わせた。
「ごめんなさい。私ったら、ちょっと疲れてたみたいで、魔理沙なんかの言葉にまさか泣かされちゃうなんてね」
「な、なんかとは何だよ」
「なんかはなんかよ」
そう言ってアリスはまた笑って、それを見た魔理沙は返す言葉が見つからずに苦笑いで返すしかなかった。
『うやむやにするとは正にこの事だ』と魔理沙はよっぽど思ったが、兎にも角にも、気まずい空気を払拭する事ができて、魔理沙は一先ずそれで良しとして安堵した。
「さて、日も落ちかけて来てるし、ラストスパートかけるわよ」
「よっしゃ、望む所だぜ」
そう言って二人は何事も無かったかの様に再び意気揚々と作業を再開する。
気がつけば、窓の外では半日をかけて進んだ太陽が西の空を徐々に赤く染めながら、森の木々の陰に向かってゆっくりと降りて来ている。
その夕暮れというには少し早い、曖昧な色合いの空からは、朝聞こえていた小鳥達の声の代わりに、大きな黒い鳥の、太くかすれた声が遠くから響いて聞こえていた。
作業を再開してまた更に時間が経過し、空を赤く染めていた太陽は随分前に沈んで、辺りは黒に染まっていた。
しかし空が灯りを失ってもなお、二人は魔法によって部屋に明かりを灯して、依然作業を続けていた。
机の上には出来上がった人形が無造作に山のように積まれていて、それは向かい合う互いの手元が全く見えなくなる程の量になっていた。
相変わらず手元に集中して黙々と人形を作り続けている二人だったが、魔理沙が突然、部屋の静けさを引き裂く様な大きな声で「できた!」と叫び、椅子を吹き飛ばすような勢いで立ち上がって、たった今完成させた人形を掲げ始めた。
何事か、という表情でアリスが顔を上げると、今まで1体につき1色の毛糸のみを使って人形を作っていた魔理沙の手に、青や黄色、赤といった複数の色を組み合わせて作られた人形があるのが見えた。
「ほらこれ! 私からのプレゼントだぜ」
そう言って魔理沙はテーブルの向かいから手を伸ばして人形をアリスに手渡す。
それを黙って受け取り、その人形を間近に見たアリスは、思わず息を呑んだ。
「……魔理沙。これは、私?」
「へへ、最初に見せてもらったやり方を見よう見まねでやってみたんだ。確か親しい相手に似た人形を交換しあうのが流行りなんだろ?」
胸を張り、鼻を高らかにして言う魔理沙だったが、その人形の出来は、魔理沙が一番初めに作った人形を遥かに凌ぐほどの酷い出来栄えだった。
胴体には青い毛糸、髪の部分には黄色い毛糸を使っているあたり、アリスを模して作られている事は辛うじて把握できるのだが、リボンを再現しようとしたのであろう赤い毛糸は、胴体や髪、顔の毛糸の間から不必要にはみ出していて、まるで返り血を浴びているかの様に見えた。
顔の部分を見ると、左右の目は不揃いにあらぬ方向を向いていて、裂けるようにぽっかりと開いた口は、口角をいびつに引きつらせて不気味な笑みを浮かべている様に見える。
「なんだか、人形が本来発してはいけない、禍々しい何かを感じるわ……」
「そうか? 自分としては70点ぐらいの良い出来栄えだと思うんだけどなー」
「ちょっと待って、あなた一番最初に作った人形に何点付けてたかしら?」
「あー、確か80点」
「で、これは?」
「70点だぜ」
「もっとがんばりなさいよ!」
魔理沙は1色の毛糸で作る人形に関しては、アリスの作った人形と比べても遜色の無い物を作るほどの上達を見せていた。
しかし一度応用を求められると、今日一日で物にした技術も途端に基礎レベルから崩壊してしまっているのだった。
「ちゃんとアリスを守ってくれるように思いを込めて作ったんだぜ? ちゃんと身に着けてくれよな」
「う、考えておくわ……」
アリスは魔理沙の作った人形を机の上に置いて、頭を抱えながらうな垂れる。
対する魔理沙は、始めにアリスからもらった人形を身に付けて見せ、とても満足そうにした後、一仕事を終えたといった感じに椅子にすわり直して、背もたれに体を預けてのびをした。
「あ゛ー、それにしても疲れた。体中凝り固まったのか、異常なぐらい節々が痛むぜ」
「お疲れ様。もう時間も時間だし、今日はこれぐらいにしときましょうか」
「そうだな、腹もへって来た所だしな」
そう言って二人は椅子から立ち上がり、それぞれの道具と完成させた人形を次々と箱の中に片付けていく。
人形は元の箱に収めてみると、一箱と半分程の量になった。
残り五箱と半分。まだまだ先は長いが、アリスがこれを初めから1人で作っていればニ週間ぎりぎりまでかかっていただろう。
一通り片づけが終わって、アリスは改めて魔理沙のお陰で余裕ができたと礼を言うと、魔理沙は少し照れくさそうにした。
「夕飯食べていく? っていうか、今日も泊まっていくでしょ?」
「ああ、そうさせてもらうぜ」
魔理沙はアリスの家に来るとそのまま帰らずに泊っていく事が頻繁にあった。
あまり頻繁にあるので、アリスの家にはいつの間にか魔理沙の服や身支度品等が揃ってしまっていて、大した用意をして来なくとも気まぐれでいつでも泊まれる様になっていた。
極めつけは、寝室のアリスが今まで使っていたベッドの横に魔理沙専用のベッドが新たに設けられてしまう程の有様だ。
アトリエからダイニングへ戻ると、長い間誰もいなかった部屋はひんやりとしてとても肌寒く感じ、寒がる魔理沙に言われてアリスは部屋の角に据えられていた古びた薪ストーブに魔法で火を灯した。
「そういえば、食べる物あるのか? コンロにはスープの鍋1つしか見えなかったし、今から作ってたら結構遅くなるぜ?」
早速ストーブの火で暖を取りながら魔理沙が聞くと、アリスはその横で得意げに笑って見せる。
「それなら心配ないわ。あの鍋には秘密があるの」
そう言って、アリスは鍋が置かれているコンロの方へ向かい、魔理沙はストーブの温もりに名残惜しさを感じつつ、急いでアリスの後に続く。
アリスが鍋の蓋を取って、魔理沙が中を覗き込むと、昼間に飲んだコンソメスープがまだ十分に残っていて、その底には昼間には見られなかった、小さく可愛らしいキャベツの塊が幾つか沈んでいるのが見えた。
「わ、ロールキャベツじゃん!」
「ご名答。多分こうなるだろうと思って、ちゃんと用意しといたの」
アリスはそのままコンロに火を付けて再びスープを温め始めると、次に傍らにあったフリーザーの扉を開けて、中からガラスのタンブラーを取り出した。
「ただ、昼間と同じ味じゃつまらないから、ここに生クリームを入れまーす」
タンブラーの中には生クリームがなみなみと入っていて、アリスはそれを惜しげもなく鍋の中にたっぷりと注ぐ。
コンソメの琥珀色に輝くスープが、真っ白な生クリームと混ざり合っていく光景に、魔理沙はうっとりとした表情を見せて、思わず感嘆のため息をつく。
スープを温めながら、アリスは更に塩を入れて味を整え直し、バターも新たに加えて芳醇な風味をつけた。
次にボウルに小麦粉と少量の水を入れ、ダマが無くなるまでしっかり混ぜると、スープが十分に煮立ってからそれを鍋の中へと少しずつ投入する。
すると先ほどまでさらさらの状態だったスープにはとろみが生まれ、ロールキャベツにもしっかりと絡む濃厚なホワイトソースがあっと言う間に完成した。
「はー、見事なもんだな。さっきまでただのコンソメスープだったのに」
「ただのとは失礼ね。さ、見てないで他の準備頼んだわよ」
「よし、お安い御用だぜ」
しばらくソースを煮込んだ後は火を止めて、アリスは魔理沙の用意した皿にロールキャベツを二つずつとたっぷりのソースを注いでから、乾燥させてフレーク状にしていたパセリを一つまみ飾り入れた。
テーブルの上にはその皿の他に、切り分けられたバゲットと、うっすらと緑色に透き通ったボトルに入った白ワイン、そしてアリスの漬けた色取り豊かな野菜のピクルスがそれぞれ置かれ、二人はまた向かい合って椅子に座る。
「そんじゃ、本日二度目の」
「いっただきまーす」「いただきます」
魔理沙は早速ロ-ルキャベツにフォークを刺し、そのすぐ横にナイフを宛がう。ロ-ルキャベツはコンソメス-プの時点で長い間煮込まれていたためとても柔らかく、ナイフに力を入れると、切れるというよりは半ば潰れる様にして二つに分かれた。
フォークからも抜け落ちてしまいそうなロールキャベツを器用に皿の上で動かして、ソースをたっぷり絡めてそれを口に運ぶと、途端にキャベツからは一体どこに隠れていたのか、と思う程大量のスープが染み出して来て、それを噛み締める以前からキャベツの繊維一本一本がほどける様にして舌の上で溶けていった。
そして溶けたキャベツは濃厚なホワイトソースと、中に包まれていた甘みのある挽肉と絡み合って味覚をやさしく刺激し、それをかみ締めていくと今度はバターの赴きある風味が口から鼻へと突き抜けて、飲み込んだ後には生クリームの滑らかな舌触りが口の中に残ってその余波を感じさせた。
「う、うまい! アリス! これはそこらの家とか飲食店で食べられる様なレベルじゃないぜ! まるで一流シェフかなんかが、いやそれ以上の何かが作った様な、何ていうか、とても高貴なものを感じるぜ!」
「大げさね、ただのロ-ルキャベツよ」
アリスは口では謙遜してそう言ったものの、顔は嬉しい気持ちを隠し切れずにニヤケ顔になっていた。
ロールキャベツも去る事ながら、アリスの漬けた野菜のピクルスも赤や黄色、緑等の色野菜がふんだんに使われていて、ただ並べ置かれているだけでテーブルの上を華やかに彩っていた。もちろん見た目だけで無く、その適度な酸味や甘み、パリパリとした歯ごたえは、濃厚なホワイトソースを食べた後の口直しにはぴったりで、おまけに白ワインとの相性もとても良かった。
二人はあっと言う間にロ-ルキャベツを平らげて、残ったソースはバゲットで拭う様にすくい取り、皿の隅まで残さずに食べ切った。
その後も、ピクルスと弾む会話を肴に夜が更け込むまでワインが進み、気がつけば二人でボトルを2本も空けてしまっていた。
「あー、しあわせだぁ。まるで魔法でもかけられたのかと思うぐらいすっごく幸せだぜェ。うー」
「ちよっと。あなたぁぃくらなんでも飲みすぎよぉ。うふふ」
二人は言うまでも無く、完全に出来上がっていた。
魔理沙は浮遊感に浸り、アリスは呂律がかなり怪しくなっている。
「アリスだって同じペースで飲んでただろぉ?」
「飲んでたけど、わたしわあなたょりもぉさけはつよぃのよ」
「ほぉー? じゃぁ今からでも飲み比べいっとくかぁー?」
「また宴会のときにでもねぇ。きょうはもうぉそいし、それになんぁか疲れてねむぃわ」
「あー、泣くと結構体力使いますからねぇー」
「……。あなた、酔ってるからってあんまり余計な事言うと、今度はその口がツるわよ?」
魔理沙の悪い冗談に、アリスは途端に酔いが覚めたかのように呂律を回復させて、冷たく淡々と言い返した。
素面ならばそんな冗談は言わないであろう魔理沙は、相変わらずへらへらと笑っていて、目くじらを立てていたアリスもそんな魔理沙の雰囲気にあっと言う間に流されてしまい、そのまま二人はしばらく笑い合った。
その後、酔いや眠気が限界まで来ていた二人は、食器を適当に流しに放り込み、シャワーは浴びずに服だけを着替えてすぐに寝室へと向かった。
アリスの家の寝室は全面が木目のログハウス風に作られていて、やわらかな質感の柱や壁からは木のぬくもりが感じられ、窓には淡いく暖かいオレンジ色のカーテンがかかっていた。しかし、間取りとしては元々1人で利用するように作られていたのでとても狭く、2脚のベッドは両端の壁ぎりぎりにまで寄せられて、無理やりなんとかそこに収まってるという状態だった。
その間にはベッドの高さに合わせて作られた低い棚が据えられていて、その上にはスタンドタイプの小さな照明が1つだけぽつんと置かれていた。
アリスがその照明以外の全ての明かりを消して周ると、そのまま二人はそれぞれのベットに入って横になった。
「なぁアリス。明日も人形作り続けるのか?」
二人の間にある照明の淡い光にうっすらと照らされる寝室の中、魔理沙はベッドから天井を見上げたままアリスに聞く。
「うーん、それもしなくちゃなんだけど、早朝のうちは森に人形の骨組みの素材を取りに行くつもりよ」
「は? まだ数増やすのかよ。しかも早朝?」
魔理沙は思わず体を起こしてアリスの方へ向き直ってそう言い、アリスは顔だけをこちらに向けて続けた。
「ええ、このペースなら、あともう1箱は作れそうな気がしてきてね。残り2週間、最後まで毎日手伝ってくれるんでしょ?」
「そ、それは流石に――」
「冗談。ただ、残りを1人でやってもあと1箱ぐらいは本当に増やせそうだから、明日森に行くのは本気よ」
「うーん、ただ早朝ってのはちょっとなぁ」
「あら、手伝ってもらうのは冗談だって言ったのに、やっぱり手伝ってくれるの? 優しいのね」
「なっ! はめたな!?」
「魔理沙が勝手に言い出したんでしょ? 自分から言ったんだから、しっかり頼んだわよ」
「う、朝だけはゆっくり寝て、起きた所から、合流させてもらうぜ」
「それでいいわ。魔理沙って人に起こされるとかなり機嫌悪くなるものね。そんなので付いて来られても、かえって迷惑だし」
「へいへい、よくご存知で。じゃあ極力迷惑にならない様に、私はそろそろ寝るとするかな」
「そうね、私も寝るわ。おやすみ魔理沙」
「ああ、おやすみ」
そう言って魔理沙は照明のスイッチを落とす。
しばらくすると、真っ暗になった寝室からは二人分の整った寝息の音だけが、静かに聞こえてくるばかりになった。
その日 魔理沙は夢を見た。しかし、楽しく充実した一日を過ごして、幸せな気分で眠りに付いた割りに、その夢は少なくとも良い夢とは言えなかった。
真っ暗な視界の中、誰かの声だけが聞こえていた。
その声はとても切羽詰った様子で、叫び声とも取れるほどの悲痛な声だった。
その声を聞いていると、真っ暗だった視界に徐々に明かりが見え始める。
しかし、その明かりは僅かな物で、焦点もはっきりせずにぼやけていた。
そんな視界の中、声の主であろう誰かの顔が、こちらに向いているを感じた。
声は相変わらず叫ぶように聞こえていて、次第にその声の主に肩を激しく揺さぶられている事に気づく。
抵抗しようとしても体には力が入らず、その代わりに全身を激しい痛みが襲い、更には呼吸も出来ず、元々はっきりしていない意識がまた遠のいていって、視界もまた暗闇へと転じる。
夢はそこで終わっていた。
ふと目を覚ます。
始めに感じたのは音だった。
大きな黒い鳥の、太くかすれた声が遠くから響いて聞こえている。
その声を聞いていると、起き掛けのぼやけた視界には、顔に絡みついた金色の髪と、その向こうにある窓に掛けられた無機質なスチール製のブラインド、そしてそこから射して来た太陽の、ややオレンジ色がかった眩しい光が、コンクリートでできた冷たく真っ白な壁に反射ているのが見えた。
次に匂いを感じる。
顔に絡みつく髪からは泥のような臭いがして、ひんやりとした部屋には薬品の様な独特な匂いが立ち込めている。
「……?」
体はひどく重たく、言う事を聞かない、頭は目が覚めているにも拘らず中々ハッキリとせず朦朧としていて、体の節々も異常なほど痛む。
どうやら自分はベッドに寝ている様だが、ここが何処なのか、何故こんな所に居るのか、全く思い出せない。
困惑する中、顔に絡みついた髪を直そうと左手を顔にやろうとする。
僅かに腕が動いた瞬間、左腕にズキッとした痛みを感じ、次にガシャンという、何かが床に倒れる大きな音がベッドのすぐ脇で鳴り響いた。
その直後、誰かが硬い床を走っている音が遠くから聞こえ始め、それはどんどんとこちらに近づいてきて、鉄や樹脂で出来ている扉を開けるギーという音と共に、その足音は部屋の中へと入ってきた。
「気がついたのね」
深刻な表情でこちらに駆け寄って顔を覗き込んで来たのは、迷いの竹林の永遠亭に住む凄腕の薬師、そして医師としても名高い八意永琳その人だった。
永琳はすぐにベッドの脇にしゃがんで、銀色の長いポールをベッドのすぐ脇に立てる。
ポールの先端には、細い管の付いた液体の入った袋が取り付けられていて、そこから垂れ下がっている細長い管を目で辿っていくと、それが先ほど痛みを感じた自分の左腕と繋がっていたのが分かった。
永琳は管の長さがどうだの、安定性がどうだの、とぶつぶつと何か文句を言っているようだった。
次に永琳はこちらの手首を触ったり、目に光を当てるなどしながらこちらに何かを話しかけてきていた。
しかし、依然意識は朦朧としていて、少しでも長く喋られるとそれに頭が付いて行かず、なんと言っているのかは、はっきりと理解できない。
「 もり て ここ
あぶな は が よ。
ス? る? アリス?」
アリス。今、永琳にそう呼ばれた気がした。
思いがけない名前で呼ばれ、それに驚きと違和感を覚えると、朦朧としていた頭に血が巡り始めて、意識が次第にはっきりとしてくる。
「あり、す・・・?」
「そうよアリス、しっかりしなさい」
「ちが、違うわよ……。わたしは、私はまりさ。霧雨魔理沙よ!」
全身に感じる痛みをなんとか堪えながら上半身をふらふらと起こし、息を絶え絶えにしてそう言い放つと、永琳は途端に顔を強張らせて、そのまま押し黙ってしまった。
そして永琳はそのまま立ち上がり、部屋の隅にあった棚から何かを取り出して、それをこちらにゆっくりと差し出してきた。
「落ち着いて中を見て。そこに映っているのは誰かしら?」
永琳の手にあったのは折りたたみ式の小さな手鏡だった。
言われるまま、言う事をきかない腕をなんとか動かしてそれを受け取ると、折り畳まれていた鏡を開いて、中を覗き込もうとする。
しかし、そこに何が映るのかが恐ろしくなって、思わず躊躇してしまう。
永琳は何も言わずにただこちらを見ているばかりで表情も重苦しく強張ったままだ。
いつまでもこうしている訳にもいかず、意を決して鏡を覗き込む。
するとそこには、所々に泥が付いた金色の髪をした、まるで人形のように白く透き通った肌の、不安な気持ちに今にも押しつぶされそうな弱々しい表情をした顔が、鏡いっぱいに映っていた。
その顔は紛れも無く魔理沙のものではなく、永琳の言う通りアリスの顔そのものだった。
「こんなのって……」
「落ち着いて聞いてね。多分、今は何もかも信じられないでしょうけど、貴女は昨日、森で倒れているところを見つけられて、この里の病院まで運んでこられたの。貴女は森のきのこの毒にやられて昏睡状態に陥ってたのよ。あんまり重症で、里の医者では手が付けられない程だったんで、私が呼ばれたって訳」
「……」
永琳にそう言われたものの、やはりそれをすぐに信じることはできない。
目が覚めるその直前まで、自分は確かに魔理沙だった。きっとこれは何かの間違いだ。そうとしか信じられなかった。
「さっき、貴女自分のことを魔理沙だって言ったわよね」
「そうよ! そう、私は、魔理沙よ……」
「そう……。じゃあ、問診に移るわ」
そう言って永琳はノートとペンを持ち出して、ベッドの横にあった椅子に座る。
「話して頂戴。出来るだけ古い記憶から順に、覚えている限り、魔理沙として過ごしていた日々を」
『魔理沙として』という言葉にいささか憤りを覚えつつも、その事には目をつぶって、言われたままに覚えている限りの事を話し始める。
朝、鳥の声で目が覚めた事、起きてすぐハーブティーを煎れた事、料理を作ったこと、そして、アリスと会った事。
それらをまるで今その光景がそこに見えているかの様に細部に渡って話して見せると、
永琳はそれをつぶさにノートに素早く記録していく。
しかし、しばらくすると、永琳の手がぴたりと止まる。
話す声が止まってしまったからだ。
話すの声の代わりに聞こえてきたのは、言われなければ気付く事が出来ない程の、かすかな音だけだった。
何かに耐えるようにして振るわせている肩が揺らす、ベッドの軋む音。
頬をつたって、強くシーツを握り締めた手の上に落ちる涙の音。
悲しみに耐えきれられなくなった口から漏れ出した吐息。
「私ったら……何て夢を……。私が魔理沙だなんて……」
大粒の涙を流し、声を振るわせながら絶え絶えに放たれる言葉を、永琳は目を閉じてうつむき、何も言わずに聞き続ける。
「思い出したわ……。私はアリス。私は、魔理沙じゃない。だって魔理沙は…………! 魔理沙はもう、何年も、前に………………」
アリスはそこから先を言う事が出来なかった。
幸せな夢から覚めて、突然舞い降りてくる忌々しい記憶。
言おうとすればするほど、胸が押し潰されそうになり、心が壊れそうになった。
そこへ永琳の冷たい言葉が響く。
「死んだ……?」
その一言はアリスが最も言いたくない言葉、聞きたくない言葉、そして認めたくない言葉だった。
アリスはそんな言葉を易々と放った永琳に激しく怒りを覚え、それを超えて殺意さえ湧き上がってくる。
しかしその感情はすぐに何処かへ消えて無くなった。そんな怒り等どうでもよく感じる程の悲しみがアリスを襲ったからだ。
アリスは頭を抱え、大声を上げて泣き叫ぶ。
自分の泣く声だけが頭に響き、何も聞こえず、何も見えなくなった。
行き場を無くした激しい感情が、無意味に体を暴れさせた。
不意に、誰かに強い力で肩を掴まれる。
アリスはそれがただただ不快で、必死にそれを振りほどこうとする。
しかしその肩を掴む手は全く離れようとしないどころか、激しくこちらを揺さぶって来る。
アリスは完全に取り乱し、口からは叫び声と共にでたらめな魔法が飛び出して、部屋の中をめちゃくちゃにしていった。
それでも肩を掴む手は一向に離れようとせず、アリスはその手の主が居るであろう方向へ魔法を何度も放った。
そこまでして、その手はようやく肩から離れる。
しかし、離れたかと思ったその刹那、今度はその手が首の後ろと背中に回り込み、アリスはそのまま誰かに強く抱き締められた。
抱き締められた瞬間、アリスの鼻を心地良い香りが襲った。
あの夢で感じた、シャンプーの香り。ほこりっぽい、あの散らかった部屋の落ち着く香り。
「落ち着け! アリス、落ち着いてくれ!」
はっと我に返ったアリスの耳を、今度は聞き慣れた声が襲う。
その声を聞いた瞬間、アリスの心をめちゃくちゃにしていた感情が一瞬にして消え去って、涙も、叫び声も、でたらめな魔法ももはや無くなった。
抱きしめていた手が解かれ、夢にまで見たあの顔が、アリスの前に現れた。
「命の恩人を勝手に殺すだなんて、恩知らずにも程があるぜ? アリス」
「魔理沙…………な、なんで……?」
「幻覚でも見てるって感じだな。よく見ろよ、私はここに居るぜ?」
そこには何年も前に死んだと思っていた魔理沙の姿が確かにあった。
しかし魔理沙の体は傷だらけのずたぼろになっていて、立っているのがやっとといった状態だった。
そんな状態であるにも関わらず、魔理沙はアリスの顔をじっと見つめて微笑み続けている。
魔理沙の傷が、先ほどの自分の魔法のせいだと気付くのに時間はかからなかった。
「魔理沙……。ごめんなさい。ごめんなさい! 私……!」
「気にすんなって。それより、アリスが無事で本当に何よりだぜ」
魔理沙が更ににっと笑ってそう言うと、アリスの瞳からは再び涙がこぼれ落ち始めた。
その涙は悲しみの涙ではなく、喜びと安堵に満ちた、幸せな涙だった。
「でも、魔理沙、どうして。あなたはもう、何年も前に……」
「きのこの毒のせいよ」
依然混乱しているアリスに、遠くから永琳の声が浴びせられる。
声のする方へと視線をやると、部屋の奥から、めちゃくちゃになった部屋の瓦礫をかき分けながら永琳がこちらに近づいて来るのが見えた。
先ほどのアリスの魔法に、永琳も無事では居られなかった様で、足を少し引きずっている。
「さあ、貴女はいい加減横にならないと、何年も経つ前に本当に死んじゃうわよ?」
「いでででっ! もっと優しくたのむぜ永琳先生よぉ」
「無駄口叩かない。第一、目を覚ましてすぐは酷い錯乱状態に陥りやすいから入って来ないようにって言ったのに、構わず飛び込んで来た貴女が悪いんでしょ」
永琳は傷だらけの魔理沙をアリスから引き離し、隣にあった別のベッドへ乱暴に横たえると、アリスの方へ向き直って説明を始めた。
「アリス。森で倒れていた貴女を発見してここへ連れて来たのはそこに居る、まだ相変わらず死なずにピンピンしてる魔理沙よ」
「随分な言いぐさだぜ」
「いい? 魔法の森のきのこは毒を吸った者に三つの幻覚を観せるわ。一つは記憶に新しい、最も幸せだった時間を切り取って夢の様に観せる幸幻。もう一つは心の奥底に潜む恐れやトラウトを具現化した様に観せて信じ込ませる恐幻。そして、幸幻と恐幻に散々翻弄された挙げ句、周りの人間から告げられる現実は、本人にとってはもう幻覚その物。それが三つ目。そして毒が完全に抜けて、現実と幻覚の区別が付くと、皆口を揃えて同じ事を言うわ『まるで魔法をかけられたかの様だった』とね。典型的な症状よ」
説明を聞いて、アリスは毒が抜け切らずに依然混乱しつつも、自分がどの様な状況に置かれているのかは把握できた様で、表情は少しずつ穏やかなものへと変わっていった。
「少しずつ、思い出したわ。私は昨日、夢で見た通り、家に泊まってた魔理沙を朝起こさずに森に行って、きのこの浸食が例年より早く広がってるのに気が付かずいつの間にか胞子を吸って……」
「そこへ後から起きた私が倒れていたアリスを見つけて、急いでここへ運んだって訳だぜ」
「そうね。ただ、貴女の場合、ちょっと変わった症状が出ていた様ね」
「え?」
「本来、幸幻は自分の記憶を切り取って再現する幻覚。だから自分が見て体験した事だけに基づいた、自分視点の幻覚を観るはずなの。なのに貴女は魔理沙、つまり他人になって自分に会っていた。でもそのお陰で貴女は恐幻の記憶に襲われながらに幸幻の記憶を夢だと言ってのける事ができた。これは過去に症例が一度あるだけの珍しいパターンね」
「ふーん、その過去の珍しいパターンだった奴って、どんな奴だったんだ?」
「あんまり患者の情報をベラベラ話す訳にはいかないけど、確か、人間の青年で、里の人間には珍しく鮮やかな青い髪をしていたはずよ。彼は幸幻の中で互いに思いを寄せ合っている相手と入れ替わっていたと話していたわ」
「それって、もしかしてあの時の……」
そう言った後、アリスは自分の服の腰の部分を見る。
そこには一本の細いストラップのヒモが付いていて、ヒモの先は途中からちぎれて無くなってしまっていた。
「…………」
「どうかしたの?」
「ううん、何でも無いわ。ただ、夢の中で私が魔理沙だったのなら、その魔理沙と会っていたアリスは一体誰だったんだろう。って、そう思っただけよ」
「詩的な事を考えるのね。でも、そればっかりは私の薬の能力では解明し得ない話しね。私も興味深くはあるのだけれど」
「そうね………… ありがとう……。 」
「んー? 何の話しだ?」
アリスは魔理沙の問いに応えず、そのまま何も言わずに窓から見える空を仰ぎ見る。
空に浮かぶ太陽は既に西に沈みかけていて、空を真っ赤に染めながら、依然眩く輝いていた。
幻想郷の全てが赤に染まり、人間の里にも、妖怪の山にも、竹林にも湖にも神社にも夕暮れが訪れる。
魔法の森にも夕暮れは訪れて、その薄暗い森の片隅には、あらぬ方向を見つめる2つの目を持ち、裂ける様にぽっかりと開いた口をいびつに引きつらせて、酷く不気味に微笑でいる人形が一つ、持ち主の手元から離れて、どこか誇らしげな様子で横たわっていた。
それにしてもロールキャベツが食べたくなりますね。