酒を飲まない者が言う。大きな声で私は絶対に正しいと口にする。
なぜあんな有害な物を飲むのかと。
頭がおかしいのかと。
飲んだ次の日は必ず頭が痛くなり、自分がやるべき仕事が満足に出来ない。出来る事がない。
二日酔いで寝込むなど最悪だと。
そんな多くのデメリットがあるのに、酒を愛する者は飲む。とにかく飲む。とことん飲む。兎角アルコールを口にして体に満たす。
好きな者は毎晩の晩酌。酷い者は朝から酒を口にする。自由気ままな鬼あたりは日がな一日飲んでいるそうだ。
何故にこの様に酒を飲むのか?
酒を飲まない、または酒が嫌いな者には分かるまい。
分かるはずも無いだろう。
舌をしびらせるピリピリとした刺激感。
嚥下する液体が喉を熱くする高揚感。
体の中に無いアルコールという異物が、まるで体中の神経の先々までを洗い流すような快感。
体中の細胞が全てリセットされ、生まれ変わる様な回復感。
これが無いと一日が終わらないと思う者もいる。実際酒を飲む事でやっと一日が終わったと思う者もいる。
ただあまりにも度がすぎると、その先には『アルコール中毒』という墓穴が待っているが。
さてと。
うーむ、酒とは一体何だろう?何なんだろう?何の為にあるのだろう。
ここまで考えて、私は自分でも何をしているのだろうと一周回って思い直している事に気がついた。こんな時。父上は原点に戻れと教えてくれました。でも今の私は、自分の尾を追いかけクルクル回る犬のようです。
私は考える。
酒。酒。酒か~。何で私は酒を飲むのかなぁ~。
私、犬走椛は深く考える。
私は何故に今、酒を飲んでいるのかと。何故に大事な友達との将棋の最中に徳利などぶら下げて、『白狼の涙』などと言う酒を飲んでいるのかと。
一つ。仕事を終えた務めから、ルーチンワークから逃げられた為に飲むのか。
うーん、ないない。それは無い。と思う。それ程私もストレスを溜めてないよ。
だって、ねぇ。
私達『白狼天狗』の仕事って上の天狗達から見たら大した事無い。
下っ端の天狗の仕事って、他所から見れば「大した事ないじゃない」って思われる。思われている。私がそう思っているだけかもしれないけど。できれば、そうだと思いたい。
やる事といえば、妖怪の山への侵入者の監視やら、(最近、侵入してきたのは何時だったかな)山の上の神社への索道の監視やら。(これは、山の神社の巫女がやればいいじゃんという意見が多い)とかく見回りや雑用が多い。多い気がする。
うーむ。
確かにそうだ。そうだよね。
私のしてる事って……。ぶっちゃけ誰にでも出来る仕事。
私の仕事って、いったい何になってるのかなぁ?何か意味があるのかなぁ。
やめよう、嫌な気分になってきた。
考えれば考えるほどグルグルと心が落ちていく。
酒が私の心をネガティブに変えていく。
私ってこんな性格だったっけ?
河童の澤。夕日を浴び、流れ落ちる滝が日光を受け虹色に輝く近くにて、私は河童のにとりと大将棋に興じていた。
「で、何でお前さんは徳利片手に将棋を打つんだい?」
にとりがふと軽く私に呟いた。
拮抗しているように見える、大将棋の盤面を眺めながら私は答える。
「たまには良いだろう?ほろ酔い天狗の愚痴につきあってもらっても」
長い付き合いの盟友。にとりは一度自分の水色の髪をすくい、呆れながら駒をパチリと動かした。
もももっ、これはきつい一撃だ。これでは私の詰みが確定となる。
酔いの回りはじめた頭でも、これは防ぐべきだったと警鐘を鳴らしているが、後の祭りだ。
どーする。
どーしよう。
どうしようかしら。
テンパる頭の中に音楽がゆっくりと流れ始めた。
ほーたーるのひーかーりー。あなたは負けました。以上。
「まっ、数手先を考えたら今回は椛の詰みだね。しかしまぁ、将棋中に酒を飲むは、悪手は多いは何だか今日は心が上の空だね~。何か嫌な事でもあったの?」
流石に長年の将棋仲間。駒の動かし方から、私の考えている事まで読み取っている。
自分の醜態が、それだけあからさまに見えるのだろうな。
「実は、まぁ、今日つまらない事で仕事に失敗してしまって……」
私は思い出す。大天狗様達の会合でのミス。気を付けていれば防げた様な、何であんなつまらないミスをしてしまったのかと。
私自身、内心で『この様な仕事をさせてくれるとは。ひょっとして上の者達は私を高く評価しているのでは?」などと増上慢になっていたのだ。
モタモタとした仕事の段取りで、私は大天狗様達に迷惑を掛けてしまった。
今も思う。私は新米天狗なのかと。思い出しても自分に腹が立つ。
この想いが胸の中でモヤモヤと私をいら立たせる。
「仕事の愚痴ならきかないよ~ん。ほい、王手」
またパチリと駒の音が響く。
あちゃ~、しまった。ほんとならもう少し先で巻き返すはずだったのに。
しかし酒を飲み冷静では無い私が、にとりに勝てる訳が無い。頭の中でもう一人の私が警鐘を鳴らす。
おい、白狼。犬走椛、しっかりしろよと。
「参りました」
「はいはい、これで終局と。で。」
珍しい眼つきで私を見ながら、にとりは呟いた。
「椛、嫌な気分なら将棋なんて打ってないで何処かで発散してきな。正直、今のお前さんとは本気の勝負ができないよ」
盟友がスッパリと言う。
う~、痛い処をつかれたな。
確かに今の私は本調子ではない。本調子になる訳無い。こんなんでにとりに勝てる訳があるはずがない。相手にとっても失礼だ。
失礼だと分かっていながら、私は徳利の中の酒を勢いよく喉に流し込む。
安いが、熱く感じる喉ごしが売りの酒だ。
胃の中がカァーと温まる。
「ごめん、にとり。こんな私の情けない姿を見せてしまって……」
それに対して、友達は面白そうにケラケラと笑う。
「いいさ、どうでもいい理由で将棋を指すのも。私も椛も暇というご褒美を受けながら一時を楽しむ。時には胸に悩みを抱えて、酒に酔いながら指すのもいい。椛が何を悩んでるのかしれないけど、それを私は追及はしない。じゃ、またね」
私の長い将棋友達は、ささっと素早く駒と盤をかたずけると工房へと帰って行った。
その後ろ姿を眺め、私は考える。
仕事のミスでくさくさしててもしょうがない。
どれ、私も帰るか。でも、帰る前に何か飲み足らない。何か飲みたい気分だ。
「なやんでなやんで、それでも答えが出ないなら。またくるといいよ。私は何時でも将棋相手になるからさ」
身を翻す、去り際に。そんなにとりの声が聞こえたような気がした。
「はぃおまちぃ~、八目の白焼きだよっ!!」
夕暮れ時、妖怪の山の麓まで出張してきた屋台の女将のミスティアが威勢よく皿を出してきた。
白磁の皿に乗せられた白焼きが輝く。今夜のおススメの一品だ。
よく焼きあがっていて旨そう。というか食欲をそそる匂いが鼻に飛び込んでくる。思わず腹がく~と鳴る。
「ありがとう、いただきまーす!!」
私は手を合わせ、皿を受け取り箸を手に取った。
そして醤油の小瓶を持ち上げ、焼きあがったアツアツの白身にふりかける。
焼きたての身からこうばしい香りが周囲に漂う。あぁ、ホントに旨そうだ。
私はそれに齧り付いた。モクモクモク、自分で考えていた以上の旨さだ。
「して、お客さん。そろそろ飲み物もいるんだろう?」
ミスティアがニヤニヤと問いかけてきた。
まいったな。女将は私の好みまで熟知してる。それだからの女将か。
「鴉殺しを一つ。お猪口で」
「おやおや、珍しいね。椛がこんな強いだけの酒を頼むなんて。何かあったのかい?」
「山の天狗も酔い殺す酒が飲みたい。そんな気分なんだ」
私の言葉を聞き、女将が眉毛を八の字にしながら困った顔をした。
「私の店では、美味しい物を食べてもらって、美味しい酒を飲んで、楽しい気分で帰ってもらう。それが基本方針なんだ」
右手の人差し指をクルクルと回す女将。
「でも」
「椛に何があったか知らないけど、今日はこの位にしときな。悪酔いは体に毒だよ。酒は百薬の長とも呼ばれるけど、度が過ぎると毒になる。そこで!!」
そしてカウンターに見た事も無い一升瓶を乗せた。
「これ『自由への解放』って名前のお酒。人里の鋼黒さんから仕入れた初物さ。味は保証するよ。優しい飲み応えが自慢のお酒」
そして、ミスティアが微笑みを浮かべながら私に話しかけた。
「何、長年の常連が浮かない顔してると、おせっかいの一つや二つ焼きたくなるもんさ。ささ、椛よのめのめ」
私はお猪口をを差し出しながら、女将に頭を下げる。
「ありがとう」
トクトクと酒を注ぎながら女将は言葉を続けた。
「くさくさした空気は、私の店ではお断りだよっ!!はいはい、お酒はたのしくのも~ね。何があったか聞かないけどさ」
女将の笑顔が私の心を癒してくれる。
そうだな、酒は楽しく飲む物だ。そうあるべきだ。決して嫌な気分を紛らわす物では無い。
私は小さな器の、無色透明な酒をゆっくりと飲み干した。
優しくも、どこかに切れ味を隠した液体が私の喉を通過していった。
私は自分の家へ、千鳥足でふらつきながら帰りゆく。
遠くに見える私の家。愛すべきボロ小屋。
あれ、何だか私の家に灯りがついているような……。
目をこすり再び眺め直した。
私の千里眼が伝える。
やはり私の家に灯りが灯っている。一体誰が?誰がいる?
私は背にかけた刀を握り、気配を殺しながら扉を大きく開いた。
「なにものぞっ!!」
私の声を聴き、家の中の影が上ずった声をあげた。
「あやややややややややっ!!」
それは、見知った鴉天狗。見知りたくも無い射命丸文。
「も~、椛。脅かすものではないですよ」
貴女が、勝手に私の家にいるのが悪いんですよ。
そんな事を思いながら、こちらも付き合いの長い天狗が、緑地に黒いタータンチェックのエプロンを着け、私の家の台所で何かをしている。この人は何をしているんだ?
「遅くなっちゃったけど、ご飯にする。お風呂にする?それとも……」
私は、わざと頬を赤く染める鴉天狗の、ふざけた言葉を皆まで言わせず口にした。
「帰ってください!!」
私の目の前の鴉天狗は突然かんらかんらと笑う。
「声に張りがありますね。よきかなよきかな。それでこそ椛、それでこそ白狼。仕事の失態でくさっているかと思いましたが余計な心配でしたね」
「?」
どうゆう事だ。私の仕事の失敗をどうして文が知っている。
「実は、今日。椛が仕事でミスった件。元々の原因はわたしなんですよ~」
鴉天狗は悪びれた様子もなく私に語る。
「私の命じた白狼の『格上の誰かがやればいい仕事』が『椛がやる仕事』と誤って伝わってしまいましてね。それで椛が仕事に失敗して叱られたと聞いて急いで帰ってきたんですよ」
私は頭をガーンとやられた。
またか、またこの人か。
仕事のミスのおおもとの原因は分かった。でなければ、私に格上の天狗の仕事が回ってくるはずが無い。
しかし……。
なんでこの人は、ただの白狼天狗の私相手にこんな風に頭を突っ込むんだろう。
気にしなくてもいいのに、不思議でしょうがない。
そんな私の前で、彼女は言葉を続ける。
「でも椛が平気そうで良かったです」
「お言葉ですが、自分の仕事のミスは自分のせいです。それが普段しない様な仕事であっても。だから貴女が気にする事ではありません」
私の言葉を受けて、一瞬。文は悲しそうな顔を浮かべた。
「椛」
「?」
「貴女はマゾですか?」
いきなりの言葉に私はずりこけそうになった。
鴉天狗はそんな私を見て口角を上げる。小憎らしい。そして語り始めた。
「貴女が嫌な思いを抱いている時、こんな風に傍にいる大先輩に愚痴ってもいいんですよ。ふふっ、椛が元気でないと私も何だか気分が悪い。明日の新聞の発行に支障がでるんですよ」
何を言ってるんだと思ったが。彼女の口からもれる、その言葉に嘘は感じられ無かった。
この人は、ほんとに私を心配していたのか……?。
白狼よりも格の高い鴉天狗が。
「さて、椛がくさってないと分かれば心配ないです。ささっ、今夜は飲みましょう!!肴も沢山作りましたよ」」
台所にあった、文が作った肴の小皿を並べ、そして鴉天狗が懐からえいっと取り出した物は……。
「禁酒、天狗殺し!!今夜は朝まで眠らせませんよ」
酒豪の天狗すら酔い殺すと呼ばれる逸品だ。だが。
明日は非番。仕事は無い。いくら二日酔いしても、寝ていようが関係無い。
そして、私もそれが飲みたいと心に思う。
「いいでしょう、文様。今夜は飲みましょう!!」
「よしよし、今夜はパーッといきましょう!!」
目の前の、笑顔を浮かべる鴉天狗を肴に酒を飲む。
ああぁ、これ以上の贅沢は無い。無いだろう。
今、この私だけが独り占めできる贅沢なのだ。
私の胸の中のモヤモヤなぞ、いつの間にかどこかへ吹き飛んでしまった。
「「乾杯!!」」
酒を注ぎ入れた盃をお互いぶつけ合う。何だか今夜は楽しい夜になりそうだ。
その翌々日。
滝の裏の職場に顔を出した私に、上司が言った。
「椛。そのぅ~、この前は悪かったね。まさか伝達にミスがあって。本来なら私達の様な上司の仕事をまかせて。しかも、そうとは知らず貴女の失敗を叱責してしまった。ごめんね」
上司が私の前で体を小さくする。
「射命丸様からも、椛に失点は無いと言われました」
文が上司に諫言したようだ。
私は思う。ああぁ、上司のこの人もかわいいところがあるんだなぁ。
でも。
今はそもそもの失敗の原因は分かってるし、もう私の心のどこにもモヤモヤは無い。
先日の楽しい酒が全てを吹き飛ばしてくれた。
さて。
頑張れ、犬走椛。今日も山の監視に力を入れよう。
そんな私を不思議そうに眺める上司。
「なんとも思ってないの、椛?」
私は自分でできるだけの笑顔を浮かべ口を開いた。
「ええぇ、酒は百薬の長です。では、これにてご免!!」
ポカ~ンとした表情の上司に背を向けて、私は愛刀と盾を握り外に飛び出した。
今日も良い日になるだろう。そうしたら、帰って今日という日に祝杯だ。
妖怪の山全体を新緑が包む。柔らかい日差しが照り付ける。その暖かな初夏の香りを大きく吸い込んで私は叫んだ。
「酒が酒が飲めるぞぉ~、さけがのめるぞぉ~!!」
「お終い」
なぜあんな有害な物を飲むのかと。
頭がおかしいのかと。
飲んだ次の日は必ず頭が痛くなり、自分がやるべき仕事が満足に出来ない。出来る事がない。
二日酔いで寝込むなど最悪だと。
そんな多くのデメリットがあるのに、酒を愛する者は飲む。とにかく飲む。とことん飲む。兎角アルコールを口にして体に満たす。
好きな者は毎晩の晩酌。酷い者は朝から酒を口にする。自由気ままな鬼あたりは日がな一日飲んでいるそうだ。
何故にこの様に酒を飲むのか?
酒を飲まない、または酒が嫌いな者には分かるまい。
分かるはずも無いだろう。
舌をしびらせるピリピリとした刺激感。
嚥下する液体が喉を熱くする高揚感。
体の中に無いアルコールという異物が、まるで体中の神経の先々までを洗い流すような快感。
体中の細胞が全てリセットされ、生まれ変わる様な回復感。
これが無いと一日が終わらないと思う者もいる。実際酒を飲む事でやっと一日が終わったと思う者もいる。
ただあまりにも度がすぎると、その先には『アルコール中毒』という墓穴が待っているが。
さてと。
うーむ、酒とは一体何だろう?何なんだろう?何の為にあるのだろう。
ここまで考えて、私は自分でも何をしているのだろうと一周回って思い直している事に気がついた。こんな時。父上は原点に戻れと教えてくれました。でも今の私は、自分の尾を追いかけクルクル回る犬のようです。
私は考える。
酒。酒。酒か~。何で私は酒を飲むのかなぁ~。
私、犬走椛は深く考える。
私は何故に今、酒を飲んでいるのかと。何故に大事な友達との将棋の最中に徳利などぶら下げて、『白狼の涙』などと言う酒を飲んでいるのかと。
一つ。仕事を終えた務めから、ルーチンワークから逃げられた為に飲むのか。
うーん、ないない。それは無い。と思う。それ程私もストレスを溜めてないよ。
だって、ねぇ。
私達『白狼天狗』の仕事って上の天狗達から見たら大した事無い。
下っ端の天狗の仕事って、他所から見れば「大した事ないじゃない」って思われる。思われている。私がそう思っているだけかもしれないけど。できれば、そうだと思いたい。
やる事といえば、妖怪の山への侵入者の監視やら、(最近、侵入してきたのは何時だったかな)山の上の神社への索道の監視やら。(これは、山の神社の巫女がやればいいじゃんという意見が多い)とかく見回りや雑用が多い。多い気がする。
うーむ。
確かにそうだ。そうだよね。
私のしてる事って……。ぶっちゃけ誰にでも出来る仕事。
私の仕事って、いったい何になってるのかなぁ?何か意味があるのかなぁ。
やめよう、嫌な気分になってきた。
考えれば考えるほどグルグルと心が落ちていく。
酒が私の心をネガティブに変えていく。
私ってこんな性格だったっけ?
河童の澤。夕日を浴び、流れ落ちる滝が日光を受け虹色に輝く近くにて、私は河童のにとりと大将棋に興じていた。
「で、何でお前さんは徳利片手に将棋を打つんだい?」
にとりがふと軽く私に呟いた。
拮抗しているように見える、大将棋の盤面を眺めながら私は答える。
「たまには良いだろう?ほろ酔い天狗の愚痴につきあってもらっても」
長い付き合いの盟友。にとりは一度自分の水色の髪をすくい、呆れながら駒をパチリと動かした。
もももっ、これはきつい一撃だ。これでは私の詰みが確定となる。
酔いの回りはじめた頭でも、これは防ぐべきだったと警鐘を鳴らしているが、後の祭りだ。
どーする。
どーしよう。
どうしようかしら。
テンパる頭の中に音楽がゆっくりと流れ始めた。
ほーたーるのひーかーりー。あなたは負けました。以上。
「まっ、数手先を考えたら今回は椛の詰みだね。しかしまぁ、将棋中に酒を飲むは、悪手は多いは何だか今日は心が上の空だね~。何か嫌な事でもあったの?」
流石に長年の将棋仲間。駒の動かし方から、私の考えている事まで読み取っている。
自分の醜態が、それだけあからさまに見えるのだろうな。
「実は、まぁ、今日つまらない事で仕事に失敗してしまって……」
私は思い出す。大天狗様達の会合でのミス。気を付けていれば防げた様な、何であんなつまらないミスをしてしまったのかと。
私自身、内心で『この様な仕事をさせてくれるとは。ひょっとして上の者達は私を高く評価しているのでは?」などと増上慢になっていたのだ。
モタモタとした仕事の段取りで、私は大天狗様達に迷惑を掛けてしまった。
今も思う。私は新米天狗なのかと。思い出しても自分に腹が立つ。
この想いが胸の中でモヤモヤと私をいら立たせる。
「仕事の愚痴ならきかないよ~ん。ほい、王手」
またパチリと駒の音が響く。
あちゃ~、しまった。ほんとならもう少し先で巻き返すはずだったのに。
しかし酒を飲み冷静では無い私が、にとりに勝てる訳が無い。頭の中でもう一人の私が警鐘を鳴らす。
おい、白狼。犬走椛、しっかりしろよと。
「参りました」
「はいはい、これで終局と。で。」
珍しい眼つきで私を見ながら、にとりは呟いた。
「椛、嫌な気分なら将棋なんて打ってないで何処かで発散してきな。正直、今のお前さんとは本気の勝負ができないよ」
盟友がスッパリと言う。
う~、痛い処をつかれたな。
確かに今の私は本調子ではない。本調子になる訳無い。こんなんでにとりに勝てる訳があるはずがない。相手にとっても失礼だ。
失礼だと分かっていながら、私は徳利の中の酒を勢いよく喉に流し込む。
安いが、熱く感じる喉ごしが売りの酒だ。
胃の中がカァーと温まる。
「ごめん、にとり。こんな私の情けない姿を見せてしまって……」
それに対して、友達は面白そうにケラケラと笑う。
「いいさ、どうでもいい理由で将棋を指すのも。私も椛も暇というご褒美を受けながら一時を楽しむ。時には胸に悩みを抱えて、酒に酔いながら指すのもいい。椛が何を悩んでるのかしれないけど、それを私は追及はしない。じゃ、またね」
私の長い将棋友達は、ささっと素早く駒と盤をかたずけると工房へと帰って行った。
その後ろ姿を眺め、私は考える。
仕事のミスでくさくさしててもしょうがない。
どれ、私も帰るか。でも、帰る前に何か飲み足らない。何か飲みたい気分だ。
「なやんでなやんで、それでも答えが出ないなら。またくるといいよ。私は何時でも将棋相手になるからさ」
身を翻す、去り際に。そんなにとりの声が聞こえたような気がした。
「はぃおまちぃ~、八目の白焼きだよっ!!」
夕暮れ時、妖怪の山の麓まで出張してきた屋台の女将のミスティアが威勢よく皿を出してきた。
白磁の皿に乗せられた白焼きが輝く。今夜のおススメの一品だ。
よく焼きあがっていて旨そう。というか食欲をそそる匂いが鼻に飛び込んでくる。思わず腹がく~と鳴る。
「ありがとう、いただきまーす!!」
私は手を合わせ、皿を受け取り箸を手に取った。
そして醤油の小瓶を持ち上げ、焼きあがったアツアツの白身にふりかける。
焼きたての身からこうばしい香りが周囲に漂う。あぁ、ホントに旨そうだ。
私はそれに齧り付いた。モクモクモク、自分で考えていた以上の旨さだ。
「して、お客さん。そろそろ飲み物もいるんだろう?」
ミスティアがニヤニヤと問いかけてきた。
まいったな。女将は私の好みまで熟知してる。それだからの女将か。
「鴉殺しを一つ。お猪口で」
「おやおや、珍しいね。椛がこんな強いだけの酒を頼むなんて。何かあったのかい?」
「山の天狗も酔い殺す酒が飲みたい。そんな気分なんだ」
私の言葉を聞き、女将が眉毛を八の字にしながら困った顔をした。
「私の店では、美味しい物を食べてもらって、美味しい酒を飲んで、楽しい気分で帰ってもらう。それが基本方針なんだ」
右手の人差し指をクルクルと回す女将。
「でも」
「椛に何があったか知らないけど、今日はこの位にしときな。悪酔いは体に毒だよ。酒は百薬の長とも呼ばれるけど、度が過ぎると毒になる。そこで!!」
そしてカウンターに見た事も無い一升瓶を乗せた。
「これ『自由への解放』って名前のお酒。人里の鋼黒さんから仕入れた初物さ。味は保証するよ。優しい飲み応えが自慢のお酒」
そして、ミスティアが微笑みを浮かべながら私に話しかけた。
「何、長年の常連が浮かない顔してると、おせっかいの一つや二つ焼きたくなるもんさ。ささ、椛よのめのめ」
私はお猪口をを差し出しながら、女将に頭を下げる。
「ありがとう」
トクトクと酒を注ぎながら女将は言葉を続けた。
「くさくさした空気は、私の店ではお断りだよっ!!はいはい、お酒はたのしくのも~ね。何があったか聞かないけどさ」
女将の笑顔が私の心を癒してくれる。
そうだな、酒は楽しく飲む物だ。そうあるべきだ。決して嫌な気分を紛らわす物では無い。
私は小さな器の、無色透明な酒をゆっくりと飲み干した。
優しくも、どこかに切れ味を隠した液体が私の喉を通過していった。
私は自分の家へ、千鳥足でふらつきながら帰りゆく。
遠くに見える私の家。愛すべきボロ小屋。
あれ、何だか私の家に灯りがついているような……。
目をこすり再び眺め直した。
私の千里眼が伝える。
やはり私の家に灯りが灯っている。一体誰が?誰がいる?
私は背にかけた刀を握り、気配を殺しながら扉を大きく開いた。
「なにものぞっ!!」
私の声を聴き、家の中の影が上ずった声をあげた。
「あやややややややややっ!!」
それは、見知った鴉天狗。見知りたくも無い射命丸文。
「も~、椛。脅かすものではないですよ」
貴女が、勝手に私の家にいるのが悪いんですよ。
そんな事を思いながら、こちらも付き合いの長い天狗が、緑地に黒いタータンチェックのエプロンを着け、私の家の台所で何かをしている。この人は何をしているんだ?
「遅くなっちゃったけど、ご飯にする。お風呂にする?それとも……」
私は、わざと頬を赤く染める鴉天狗の、ふざけた言葉を皆まで言わせず口にした。
「帰ってください!!」
私の目の前の鴉天狗は突然かんらかんらと笑う。
「声に張りがありますね。よきかなよきかな。それでこそ椛、それでこそ白狼。仕事の失態でくさっているかと思いましたが余計な心配でしたね」
「?」
どうゆう事だ。私の仕事の失敗をどうして文が知っている。
「実は、今日。椛が仕事でミスった件。元々の原因はわたしなんですよ~」
鴉天狗は悪びれた様子もなく私に語る。
「私の命じた白狼の『格上の誰かがやればいい仕事』が『椛がやる仕事』と誤って伝わってしまいましてね。それで椛が仕事に失敗して叱られたと聞いて急いで帰ってきたんですよ」
私は頭をガーンとやられた。
またか、またこの人か。
仕事のミスのおおもとの原因は分かった。でなければ、私に格上の天狗の仕事が回ってくるはずが無い。
しかし……。
なんでこの人は、ただの白狼天狗の私相手にこんな風に頭を突っ込むんだろう。
気にしなくてもいいのに、不思議でしょうがない。
そんな私の前で、彼女は言葉を続ける。
「でも椛が平気そうで良かったです」
「お言葉ですが、自分の仕事のミスは自分のせいです。それが普段しない様な仕事であっても。だから貴女が気にする事ではありません」
私の言葉を受けて、一瞬。文は悲しそうな顔を浮かべた。
「椛」
「?」
「貴女はマゾですか?」
いきなりの言葉に私はずりこけそうになった。
鴉天狗はそんな私を見て口角を上げる。小憎らしい。そして語り始めた。
「貴女が嫌な思いを抱いている時、こんな風に傍にいる大先輩に愚痴ってもいいんですよ。ふふっ、椛が元気でないと私も何だか気分が悪い。明日の新聞の発行に支障がでるんですよ」
何を言ってるんだと思ったが。彼女の口からもれる、その言葉に嘘は感じられ無かった。
この人は、ほんとに私を心配していたのか……?。
白狼よりも格の高い鴉天狗が。
「さて、椛がくさってないと分かれば心配ないです。ささっ、今夜は飲みましょう!!肴も沢山作りましたよ」」
台所にあった、文が作った肴の小皿を並べ、そして鴉天狗が懐からえいっと取り出した物は……。
「禁酒、天狗殺し!!今夜は朝まで眠らせませんよ」
酒豪の天狗すら酔い殺すと呼ばれる逸品だ。だが。
明日は非番。仕事は無い。いくら二日酔いしても、寝ていようが関係無い。
そして、私もそれが飲みたいと心に思う。
「いいでしょう、文様。今夜は飲みましょう!!」
「よしよし、今夜はパーッといきましょう!!」
目の前の、笑顔を浮かべる鴉天狗を肴に酒を飲む。
ああぁ、これ以上の贅沢は無い。無いだろう。
今、この私だけが独り占めできる贅沢なのだ。
私の胸の中のモヤモヤなぞ、いつの間にかどこかへ吹き飛んでしまった。
「「乾杯!!」」
酒を注ぎ入れた盃をお互いぶつけ合う。何だか今夜は楽しい夜になりそうだ。
その翌々日。
滝の裏の職場に顔を出した私に、上司が言った。
「椛。そのぅ~、この前は悪かったね。まさか伝達にミスがあって。本来なら私達の様な上司の仕事をまかせて。しかも、そうとは知らず貴女の失敗を叱責してしまった。ごめんね」
上司が私の前で体を小さくする。
「射命丸様からも、椛に失点は無いと言われました」
文が上司に諫言したようだ。
私は思う。ああぁ、上司のこの人もかわいいところがあるんだなぁ。
でも。
今はそもそもの失敗の原因は分かってるし、もう私の心のどこにもモヤモヤは無い。
先日の楽しい酒が全てを吹き飛ばしてくれた。
さて。
頑張れ、犬走椛。今日も山の監視に力を入れよう。
そんな私を不思議そうに眺める上司。
「なんとも思ってないの、椛?」
私は自分でできるだけの笑顔を浮かべ口を開いた。
「ええぇ、酒は百薬の長です。では、これにてご免!!」
ポカ~ンとした表情の上司に背を向けて、私は愛刀と盾を握り外に飛び出した。
今日も良い日になるだろう。そうしたら、帰って今日という日に祝杯だ。
妖怪の山全体を新緑が包む。柔らかい日差しが照り付ける。その暖かな初夏の香りを大きく吸い込んで私は叫んだ。
「酒が酒が飲めるぞぉ~、さけがのめるぞぉ~!!」
「お終い」
未成年も見ているという考慮に欠けている。
この椛自身が将棋という頭を使うゲームで飲酒していて相手に失礼だ。
また、女将の配慮は無視されている。
結局、二日酔いで仕事に遅刻するなんてのは腐っていると思う。
ここカワイイ