Coolier - 新生・東方創想話

古明地こいしの嫉妬録

2017/05/14 22:50:17
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 嫉妬、というものを私は今までした事がなかった。
 私と他の人間や妖怪は別の生き物だ。だから私が出来ない事ができる誰かがいるのも、私ができることを、もっと上手くできる何者かがいるのも当たり前だ。
 当然私だって誰かが出来ない事ができる。まあ、私は結構飽き性だから、誰かが出来る事を、もっと上手く出来た事はあまり無いけど。
 とにかく、私にとっては、自分とそれ以外の誰かは、優劣をつけたり競い合ったりするようなものでは無かった。
 勝負に勝って嬉しいとか、負けて悔しいとかはあるけど、そこでお終い。相手に対しては特に何の感情も沸かない。自分でも冷めていると思うけど、それが私なんだから仕方がない。そう思っていたんだけど。

「む、古明地こいし。この間は助かったぞ」
「いえいえ〜それほどでも」

 ピンクの長いストレートと、右手によくわからないお面。ほとんど棒読みの口調に動かない表情。
 そこそこに忘れっぽいと自負する私が、名前を覚えているくらいには親交のある彼女は、お面の喪付神、通称面霊気こと秦こころ。よくわからないけど、人里で闘うのが流行っていた時に、お面を返せと絡まれたのが、私が覚えている限りの彼女との出会い。それからは、会うたびに話し掛けられ、時には決闘を申し込まれたりもした。そして、そんな事を繰り返しているうちに、こうして仲良くなった。
 なんだかんだ言いたい事はあるけど、私も彼女と会えば嬉しいし、悪い気はしない。いや、ついこの間まではしなかった。が正しい。
 何を隠そう私は今、この秦こころという数少ない友達の一人に、嫉妬をしている。

 その感情の始まりは、彼女の能だか舞だかよくわからないけど、とにかく人里で、舞台に立って、踊っているのを見た時。
 私は彼女から、踊りの最後に紙吹雪を降らせる役をやってくれないかと頼まれた。別に断る理由も思いつかなかったし、その時は快く引き受けた。でも、初めて彼女の踊りを間近で見て、観客たちに祝福される姿を見て、なんだか彼女が私の知らない世界に旅立ってしまうような、そんな感覚に囚われた。
 最初は流れ星みたいな、どこか遠くで綺麗に輝いているよくわからない感情だった。だけど忘れっぽいはずの私が、踊っていた時の彼女と、その流れ星だけは何故か忘れられなかった。そして、唐突に気づいた。その流れ星は、大きな大きな隕石だったと。
 あんなに人に囲まれて、あんなに楽しそうに踊って、終わった後には拍手や感謝の声が飛び交って、その時の彼女は無表情のくせにどこか満足気で。
 ああ、羨ましいな。あんなに注目されて。
 その言葉を引き金に、隕石は私の心に着弾し、嫉妬という名のどでかいクレーターを開けた。
 その感覚は、まるで自分が知らなかった感情を、無理矢理刻み付けられたみたいな、心が私の知らない形に変形するような、良くない感覚だった。

 思えば私は、今まで対等な友達というのは居なかったように思う。お空やお燐はペットだし、フランちゃんは友達だけど、向こうは吸血鬼だ。私とは色々違う。だから私は、自分は自分、他者は他者という考えが出来たんだと思う。
 こころちゃんは、私にとっては初めての、近い目線をもった友達なのだ。腕っぷしもあんまり強くなくて、弾幕ごっこの実力も同じくらい、そしてなにより、彼女はまだ生まれたばかりで、あまり感情というものを知らないと言っていた。
 私は、別に感情を知らないわけじゃないけど、昔なにもかも嫌になって心を閉ざしたことがある。そんな自分と、どこかで彼女を重ねていたんだ。だから、そのこころちゃんがあんなに人気になって、自分もそうなれたらって、思ってしまったんだ。
 きっとこれは、誰もかもに訪れる、ありふれた感情なのだろう。ただ私には、それが訪れる機会が、今の今までなかったというだけのこと。
 嫉妬なんて今まで自分には縁がない感情だと思っていたけど、ちっともそんなことなかった。
 
 「また次もお願いしてもいいか?」
 「いいよ!今度はハート型の紙吹雪なんてどう?」

 自分の中にある黒い感情を必死で無視してそう答える。
 ああ、ダメだ。これが嫉妬だと知ってしまったら、もうこころちゃんの前ではいつもの私でいることはできない。
 口は今にも「私も一緒に踊ってもいいかな?」なんて問いを発しようとしている。
 普段私は、いったいどんな顔して、どんなことを考えてこころちゃんと話していたのかもう思い出せない。
 
 「お前、なんだか今日はやけに元気じゃないか」

 ギクリ、と一瞬体が硬直したことを、果たしてこころちゃんに見破られずに済んだだろうか。
 私は平静を装いつつ「そんなことないよ!いつも通りいつも通り」となんとか返す。
 私としては、なんとか記憶の欠片を集めて、こころちゃんの前でのいつも通りを再現したつもりだったのに、一体なにが不自然だったのか。
 しかし言われてみれば、私は彼女といるとき、こんなにテンション高く会話をしてはいなかったような気もする。

「怪しいな、なんだ、何かいいこと、もしくは悪いことでもあったのか?」
「あはは、元気なのに、どうして悪いことがあるのさ」
「知っているか?世の中には空元気という言葉があるそうだ」
「……知ってる、けど」

 わからない。何も思い出せない。もう嫉妬を知る前の私には戻れない。
 私はただひたすらに、目の前の友人が怖かった。
 私の精神状態を簡潔に言い当てられたのもそうだし、なによりこころちゃんの知っている私は、嫉妬を知る前の私で、今の私は、こころちゃんの中にいる私とはもう違っていて、なんだかよくわからないけど、このままじゃ嫌われちゃうんじゃないかって、怖かった。
 それだけでもダメなのに、こころちゃんが私に鋭い一言を浴びせてくるたびに、私の内にある嫉妬の感情は、どんどんその黒さを増していった。
 
「む、もしかして図星か?」

 こころちゃんが私に1歩詰め寄る。そしてそのまま、2歩目を踏み出そうとしている。

「来ないで!」

 もう限界だった。これ以上会話を続けるとおかしくなってしまいそうだった。いや、もうすでにおかしいのかもしれないけど。
 とにかく、これ以上続けると、きっと私はこころちゃんにとっても理不尽なひどいことを言ってしまう。本当に嫌われてしまう。それだけはどうしても嫌だった。
 こんなにもどず黒い感情を抱えて、それでもこころちゃんと友達でいたいと思う私は、嫌われたくないなんて思う私は、やっぱりどこかおかしいのだろうか。

「おい!待て!いったいどうし――

 こころちゃんの声が遠ざかる。気づけば私は駆け出していた。
 当然こころちゃんは私を追いかけてくる。走る速さは同じくらい。普通ならそう簡単には逃げられない。
 でも私には、こんな時に使える秘策がある。私だけが逃げ込むことを許された、私のためだけの最後の隠れ家が。
 私にピタリついてきていたこころちゃんの足音が、だんだんと小さくなる。
 別に彼女が私を追うのを諦めたわけじゃない。いや、私は後ろを振り返っていないから絶対違うとは言い切れないけど。でももうどっちでも関係ない。こころちゃんはもう、私を認識できないのだから。

 私だけの最後の隠れ家、それは無意識。私が心を閉ざして手に入れた力。
 この力を使えば、誰も私を認識できなくなる。たった今吹いたそよ風を、誰も気に留めないように、すれ違う赤の他人の顔を、長くは覚えていないように。
 だからもし今、私がこころちゃんの目の前を通ったとしても、彼女が私に気付くことはない。
 現に、私を見失ったこころちゃんの、私を探し回る声がうっすら聞こえる。
 ああ、あんなに一方的に逃げちゃったのに、それでも必死になって探してくれるんだって、そのことがとても嬉しくて、どうしようもなく妬ましかった。


 
 ここは無意識の世界。私だけが入門できる世界。私のためだけの楽園。
 別世界ってわけじゃないけど、私にとっては似たようなもの。
 ここにいる私には誰も気づかない。気にかけない。
 この世界にいる間、私は一人で、唯一だ。けれど孤独だと思ったことはない。
 私にもわからないけど、ここは静けさと優しさに満ちている。色で例えるならば、真っ黒の中に一筋の水色があるみたいな。

 音は聞こえない。体の重さも感じられない。この世界に私がいるときの感覚を言い表すのは難しい。
 それでもあえて例えるならば、生まれる前の胎児に戻ったような、天の川の上を歩いている夢を見ているような、そんな感覚。
 まあ、要するに現実感がないってこと。
 それでも私にとっては、あんなどす黒い感情を持って帰れる唯一の場所なのだ。
 私をすべてから切り離してくれるこの世界だけが、今の私の救いだった。
 ここにいる間、私は自分の行動をうまく制御することができない。自分の無意識に行動をゆだねることになるからだ。夢の中の自分をうまく制御できないのと似ている。
 だから私が今からどこに行くのかなんて、なにをするかなんて、私自身にもわからない。
 一応、この無意識状態は、私の意志でオンオフはできるけど、今はとてもオフにする気にはなれなかった。
 今は、少しでもどこか遠くへ、この感情を忘れてしまうまで、ずっとこの夢の中で

「ん~?珍しい客がいるじゃない」

 そんなことを、思っていたのに。
 最初は、聞き間違いか、あるいは私じゃない別の誰かに向けた言葉なのだと思った。
 しかし、その光り輝く緑眼は、私をとらえて離さない。
 
「なんで気づいたのって顔してるね、貴方私の能力が何か忘れたわけ?」

 私は、その言葉で、心地よい夢からたたき起こされた。
 金髪緑眼にとんがった両耳、オレンジ色の法被の隙間からは、黒いシャツやスカートが見え隠れする。
 私の楽園をきれいに壊してくれたこの妖怪の名前は、水橋パルスィ。他ならぬ嫉妬を操る妖怪である。
 彼女はいつも、旧都に続く橋の見張りみたいなことをしている。つまり、私の現在位置も必然的にそこということになる。
 普段であればこの状態の私に気付けるわけはないのだけれど、私は今絶賛嫉妬中なわけで。
 私ではなく、私の嫉妬を彼女は感知したのだろう。だから、気づかれてしまった。今は絶対に誰にも会いたくなかったのに。
 近寄るなという表情を作ったつもりの私を無視して、パルスィはいかにも楽しそうににやけ面を浮かべてこちらに歩み寄ってくる。

「貴方の能力は、私はよく知らないけどね、この橋を誰かが通ると私にはわかるようになっているの。そして、貴方の持っているその嫉妬。貴方は私のセンサーに二重で引っかかったわけよ。これならさすがに気付くなってほうが無理でしょ」
「来ないで」

 自分で聞いててもわかるくらい、私の声は弱弱しかった。なんだか今のパルスィには、私のすべてを見透かされているような怖さがある。
 私はただ、悪いことをしたのが親にバレた子供みたいにビクビクするしかできなかった。
 能力を使って逃げれば、おそらく逃げ切ることができたとは思うけど、何故だか足はちっとも動かなかった。

「そんなに怯えられると、逆に調子が狂うんだけど」

 戸惑った表情でパルスィが言う。どうやら彼女は別に私を怖がらせたいわけではないらしい。
 でも私からすれば、今まで私だけのものだったはずの世界を、いろいろな要因が重なったとはいえぶち壊され、あまつさえ弱みまで握られた相手である。
 そんな人がにやけ面で迫ってきたら、誰だってこうなるものだと思う。
 しかし、彼女の戸惑いを見て、私の頭は少しずつ冷静さを取り戻してきた。そして、一つの結論に至る。
 別に逃げなくてもいいんじゃないか、と。

 さっきは弱みという表現をしたが、私が嫉妬していることがパルスィにバレたからと言って、別段私は困らない。
 彼女自身が私になにか悪さをしたいわけではないようだし、私自身のうしろめたさみたいなのはあるけど、それは今ここで逃げたからと言ってどうにかなるものではない。
 私の嫉妬している相手が、彼女との共通の知人であるならば、例えば告げ口をされるなどのリスクがあるかもしれない。
 しかし、どう贔屓目に見ても、パルスィとこころちゃんに接点があるとは思えない。そしてこれからできるとも思えない。
 だったら別に、今ここで怯えたり逃げたりしなくてもいいんじゃないか。
 一種の開き直りだが、少なくとも怯えるよりはいいだろう。
 
「……私だって、嫉妬くらいするの。だから放っておいてくれない?」
「そんなに睨まないで頂戴。別に貴方に意地悪するために声を掛けたわけじゃないから」

 そんなことはわかっている。しかし、私からすれば、彼女が話しかけてきた時点でそれはもう大層な意地悪である。
 だからこそ、意地悪する気がないというなら、私が彼女に求めることはただ一つだった。

「じゃあやっぱり放っておいてよ」
「別に放っておいてもいいのだけれど、その嫉妬、ここで私に話していく気はない?」
「嫌」

 いきなり何を言い出すんだろう。誰にも聞かれたくないからこそ能力まで使ってこころちゃんから逃げたのに。
 私は頭で考えるより先に口を動かしていた。私の知る限り最も短く端的に拒絶の意を表すその言葉は、しかし相手も予想していたようで、

「別にからかいや冗談で言っているわけではないのよ。こういうのはね、自分の心の許容量を越えちゃう前に誰かに話しちゃう方がいいの」

 「私は貴方の嫉妬に興味があるし、貴方は心が軽くなる。ほら、どっちにとってもいいと思わない?」と彼女は続ける。
 この感情を誰かに話すなんて、私には考えもしないことだった。こんなにも真っ黒な感情を、感覚だけでよくないと断じれる感情を、他の誰かにさらけ出そうなんて思えなかった。
 それに、悩みを誰かに話すと心が軽くなるなんていうけれど、私はそれを実行したことは今までなかった。
 というのも、昔は、言葉になんかしなくたって私の悩みはお姉ちゃんには筒抜けだったし、瞳を閉ざしてからはそんな悩みとは無縁だったからだ。
 だから、みんなが口をそろえて言うそれを、私は知らない。
 誰かに話したからといって、本当に楽になったりするのだろうか。

 と、そこまで考えたところで、あれほど誰にも見られたくなかった感情を言葉にして話そうとしている自分に気がついた。
 あわてて開きそうになっていた口を閉じる。そして、別の言葉を吐き出した。

「……誰かっていうなら、別に貴方じゃなくてもいいじゃない。パルスィ」
「へぇ、私以外に話せる相手がいるの?貴方に」

 一瞬言葉に詰まった。パルスィにそう言われて、思い当たる相手が出てこなかったからだ。
 それでも、ここで黙ったらなんとなく負けのような気がして、何とか言葉を搾り出す。

「……お空とか、お燐とか、いるもん」
「その二人はどっちかというとさとりの陣営じゃないの?」
「それがなんなのさ」
「んん?」

 私の返答を聞いたパルスィは、なにやら考え込むような仕草を見せた。
 首をほんの少し傾け、右手を顎の位置まで持ってきている。
 私としても、先ほどのやり取りには違和感があった。
 どうしてお空とお燐がお姉ちゃんの味方だと問題なのだろうか。

「ねえ」
「何」
「貴方の嫉妬している相手って、さとりの奴じゃないの?」

 その疑問を聞いて私は納得した。
 パルスィは私がお姉ちゃんに嫉妬していると思っていたようだ。
 確かにその場合、お燐もお空もお姉ちゃんの味方をするだろうから、話す相手としては適さないだろう。
 しかし、その推測は完全に的外れである。私は、今日やられっぱなしの彼女から、ようやく一本を取ったような気分だった。

「違うよ。地底には多分来たことないと思うから、パルスィもお姉ちゃんも見たことないんじゃない?」
「へえ、貴方にも友達がいたのね」
「……友達、なのかな」

 いつもの私ならば、パルスィの言い方に食って掛かるところだが、今回はこころちゃんを友達と呼んでもいいのかという疑問が勝った。
 
「違うの?」
「わかんない。でも逃げちゃったし、向こうはもう友達と思ってないかも」

 いつの間にかパルスィに私の悩みを相談するという形になってしまっていた。
 彼女の、私がお姉ちゃんに嫉妬しているという勘違いのせいで、少し気が緩んでしまったのかもしれない。
 私は何とか口を閉じようとしたけれど、溢れる言葉が止まることはなかった。

「一生懸命、追いかけてきてくれたのに、私、嫌われちゃうかもって、怖くなっちゃって、それで」

 溢れるままに発した言葉は、 荒唐無稽もいいところだった。
 本当はもっとうまく説明したいのに、私の言葉には、ぶつ切りになった感情が、ただただ雑に乗っかるばかり。
 おそらくパルスィにはほとんど何も伝わっていないだろう。だというのに彼女は私の言葉を聞いて、どこか楽しそうな表情を見せた。

「そいつがどこの誰かは知らないけど、そいつに対してもう二度と会いたくないとか、この世から消えちゃえばいいのにとか思う?」
「思わない」
「ちっとも?」
「うん」

 私は素直に答えた。気がつけば、私の中にあったどす黒い感情は、ずいぶんとその色を薄めていた。
 私の答えを聞いて、パルスィはやはりどこか楽しそうな顔をし、人差し指を立ててこう言った

「そ、じゃあ貴方にとっておきの魔法を教えてあげる」

 邪法に通じた魔女のような、もしくはいたずらを仕掛ける子供のような表情。
 私には、いつものしかめっ面のパルスィよりも、なんだからしく見えた。
 
「魔法?」
「そう、貴方とそいつが仲直りできる魔法」
「……どうすればいいの?」

 そんなことができるのかという疑問を飲み込んで、半信半疑で問いかける。
 するとパルスィは先ほど立てた人差し指でこちらを指差しこう言った。
 
「貴方のその嫉妬を、そいつにぶつけてやんなさい。思いっきりね」

 私は戸惑いを隠せなかった。どうして私の嫉妬をこころちゃんにぶつけることが仲直りにつながるのかわからなかったからだ。
 第一、それをすると嫌われてしまうと思ったからここまで逃げてきたのに。

「そんなことしたら、私嫌われちゃうよ」
「立場が逆ならどう?貴方が嫉妬される側だったとして、嫌いになる?」
「……わかんないけど、たぶんならない」
「相手だって同じよ」
「そうかなあ」
「そうよ」

 今だに半信半疑だが、他ならぬ嫉妬を操る妖怪であるパルスィがいうと、本当のことのように聞こえてくる。
 こころちゃんから逃げた当初は絶対に本人には言えないと思っていたが、今ではそうでもないような気がする。
 私の心もずいぶんと軽くなったし、今ならすんなりとこころちゃんばっかり人気になってうらやましかったと言える気がする。
 でもやっぱり、ついさっきあんな別れ方をしたこころちゃんにまた会いに行くのは気後れする。
 そんなこんなでうんうんうなっていると、ふと魔法うんぬんいっていたときのパルスィの顔を思い出した。

「ねえ、パルスィってさ、いつも嫉妬してるじゃん」
「別にいつもじゃないんだけど」
「なのにどうしてそんなに楽しそうなの?」

 私の心をここまでめちゃくちゃにした嫉妬という感情。それをいつも抱えているにもかかわらず、なぜ彼女はあんな表情ができるのかずっと疑問だった。
 私の問いを聞いた彼女は、やはり私に魔法を授けたときと同じ表情で答えた。

「嫉妬という感情は、とっても奥が深いものなのよ。貴方にも、わかる日がくるといいね」

 その言葉と表情を見て、何故だか私はこの嫉妬をこころちゃんにぶつけてみようという気になった。
 もしかしたらこの感情は、そんなに悪くないものなんじゃないかって、パルスィを見ていたら思えたからかもしれない。



 私が地上に出てこころちゃんを探し始めたのは、それから2週間近くたってからのことだった。
 パルスィとの一件で、自分の気持ちをぶつける気にはなったのだけど、でもやっぱりなんだか怖くて、気づいたらそれくらい時間がたってしまっていた。
 別に何かきっかけがあった訳じゃない。この感情をこころちゃんに言えないまま抱えていることに、そろそろ限界がきたってことじゃないだろうか。
 今でもこころちゃんに会うのは少し怖いけれど、それ以上にこのまま会わないままなのは寂しい。
 2週間ほどたって、ようやく私はそう思えるようになった。
 思えば、今まで人里を適当に歩いていてたまたま会うことはあったけれど、自分からこころちゃんを探したことはなかった。
 だから私は、彼女が普段いったいどこで暮らしているのか全く知らない。

 あてもなく探していると、少し大きな人混みが見えてきた。
 私は、この人混みに見覚えがあった。私がこころちゃんに嫉妬するきっかけになった、彼女の踊りを披露する舞台と同じものが人混みの中心にあったからだ。
 そういえばこころちゃんから逃げたあの日、紙吹雪の役をまた今度お願いしてもいいかと頼まれていたのを思い出す。
 もしかして、今日がその今度の日だったのだろうか。半ば確信に近い疑念を持って、その人ごみの中を私は探し回った。
 しかし、その人ごみの中にこころちゃんを見つけることはできなかった。そんなに大きくない人混みだし、おそらく本当にいないのだろう。
 というか、よく考えれば彼女は舞台に立つ側である。普通なら舞台裏とか控室みたいなところにいるんじゃないだろうか。
 見れば、舞台の裏に入れないように、立ち入り禁止を意味するであろう縄をが張られ、それを守るように強そうな人たちが立っていた。

 観客たちの様子を見るに、舞台が開始されるのにはもう少し時間があるらしい。
 今しかない、と私は思った。私からすれば、立ち入り禁止をただ示すだけの縄も、それを見張っている人たちも全く問題ではない。
 普通に考えてみれば、舞台が終わった後でもこころちゃんと話す機会はあるのだけど、この時の私は今じゃないといけないと思っていた。
 私がこころちゃんに嫉妬するきっかけになったこの舞台を、もう一度見てしまうと、私が2週間かけて絞り出したなけなしの勇気を粉々にされるような気がしたからだ。
 それに、舞台が始まってしまえば、こころちゃんは私を見つけるだろう。そして、あの日の別れを思い出しながら、この舞台で踊るのではないだろうか。
 言葉にするのは難しいが、それはなんだかとてもよくないことのように思えた。

 だから、今しかないのだ。一度はこころちゃんから逃げるために使ったこの力を、今度はこころちゃんに会うために使うんだ。
 無造作に縄をくぐる私に気付く人は観客の中に一人もいない。前にも言ったけど、能力を使っている状態だと、私は自分の行動をうまく制御できない。
 だから少し不安だったんだけど、どうやら私の無意識もこころちゃんに会いたいらしい。
 そうしてたどりついた舞台裏に、彼女を見つけた。
 相変わらずの無表情に、ほんの少しだけ悲しさを見つけた気がしたのは、私の思い過ごしだろうか。

「ねえ、こころちゃん、今から踊るの?」

 私はなんと話しかけていいかいまいちわからず、なんだかぎこちない感じになってしまった。
 私の声を聴いたこころちゃんは、無表情のままこちらを振り向いて、体を大の字にした。たぶんだけど、驚いたってジェスチャーだろう。

「古明地こいし、来ていたのか。驚いたぞ」

 先ほどのジェスチャーがなければ、驚いたなんて到底信じられないような口調と表情で彼女は言う。
 その姿を見た私は少し安心した。開口一番帰れなんて言われなかったこともそうだが、私の知る限りいつも通りのこころちゃんがそこにいたからだ。
 同時に、もしかしてこのまま黙っていれば、またいつも通りに戻れるんじゃないかという考えが私の中に現れた。

「あの後、探してもちっとも見つからなかったぞ、いったいどこに行っていたんだ」

 そんな私の生ぬるい考えは、やはりこころちゃんの一言によって砕かれた。
 雰囲気があまりにいつも通りだから、もしかしてこの前のことを忘れてしまったんじゃないかとほんの少し疑っていたけど、そんなことはなかったらしい。
 舞台の開演が迫っている今、だらだらと話している時間はないだろう。私は、自分の抱いている嫉妬を、こころちゃんにぶつける覚悟を決めた。

「ねえ、聞いて、私こころちゃんに言いたいことがあってきたの」

 心臓の跳ねる音がする。血液の流れる速度が倍になるみたいな感覚が全身をめぐる。時間がとてもゆっくり流れているのに、どこか急かされているような気分になる。
 こころちゃんは何も言わず、ただ私を見つめている。
 10秒くらいたったような、もしかして1秒もたっていないかもしれないような沈黙。
 こころちゃんに会う前に、どんな風に話を切り出そうか少しくらいは考えてきたのに、いざその時になると私の頭は真っ白だった。
 
「この前、こころちゃんの踊りの最後、紙吹雪を降らせる役をやったでしょ」

 とにかく何か話さなければ始まらないという思いから、私は何とか言葉を絞り出す。
 次の言葉を必死に考える私をよそに、

「古明地こいし、あれは踊りではなく能といってだな」

 とこころちゃんが口をはさんできた。
 そんなこと言われたって、私には踊りと区別なんかつかないし、重要なのはそこじゃない。

「私にはどっちでも一緒よ。とにかく、こころちゃんの踊りを見た時、私ね」

 こころちゃんに調子を外されて、なんだか緊張がほぐれてきた。
 この後に能とやらが控えているというにも関わらず自然体な彼女を見ていると、緊張しているこっちがなんだかおかしく見えてくる。
 気づけば私は、その言葉を言う勇気を絞り出すのに二週間もかかったとは到底思えぬほど、すんなりと口を開いていた。

「私ね、とってもあなたが羨ましかったの。だってあんなにいっぱい拍手されて、こころちゃんだって楽しそうで、私も、紙吹雪なんか降らせてないでこころちゃんと一緒に踊りたいなって思っちゃった。でもね、羨ましいっていうのと同じくらい、ううん、きっとそれ以上になんでこころちゃんばっかりって、僻んじゃったんだ。私。だからね、この前はこのまま話したらきっと嫌われると思って、逃げちゃった。ごめんね、卑怯な事したよね。でも私、どうすればいいかわからなかったんだ。ううん、今でもわかんないんだ。今だって私、こころちゃんを妬ましいって思ってる。だからずっと、こんな思いを抱えたまま、こころちゃんに会うのが怖かった。でもずっと会いたかったの。会ってお話ししたかった。この気持ちを、誰よりあなたに聞いてほしかった。ねえ、ダメかな?」
 
 開いた口は止まらず、言い切った後は軽く息継ぎが必要になるほどだった。
 私は、私の告白をずっと無表情で聞いていたこころちゃんを見つめる。
 私自身、途中から言っていることがよくわからなくなった。けれど、まぎれもなく本心からの言葉だと言い切れる。言いたかったことは、ちゃんと彼女に届いただろうか。
 長い長い沈黙。少なくとも私にはそう感じられた時を経て、こころちゃんは口を開いた。

「よくわからんが、たとえお前が私に嫉妬していたとしても、こうして会いに来てくれたことは嬉しいし、私はお前のことを友達だと思っているぞ。だから、ダメじゃないと思う。これで答えになっているか?」

 きっと、私の言いたかったことの半分も伝わってないくせに、こころちゃんは私が一番ほしかった言葉をくれた。
 その言葉を聞いた時、あんなに真っ黒に思えた感情が、なんだかとっても暖かいものに変わった。
 私の嫉妬を、正面からダメじゃないって言ってくれたことが、とっても嬉しかった。
 ずっとここでこのまま、この嬉しさに包まれていたい気分だった。

「古明地こいし、悪いがもう時間だ。続きは終わった後で頼む」

 だというのに、こころちゃんのその言葉で一気に目が覚めた。
 また始まるのだ、私がこころちゃんに嫉妬するきっかけになったあの踊りが。
 脳裏に蘇るのは、観客たちの拍手の音、賛美の声、そしてそれを受けながら踊るこころちゃんの姿。
 折角勇気をだしてここまで来たのに、またこころちゃんだけ私を置いて人気になって、遠くに行ってしまうんだと思うと、心が締め付けられる思いだった。

「ねえ、こころちゃん、私が舞台に立つのなんかやめてって言ったら、どうする?」

 気づけば私は、そんなことを口にしていた。
 言った後で何を言っているんだと思ったが、それでも、その言葉を撤回する気にはなれなかった。
 こころちゃんが舞台をやめれば、私がこころちゃんに嫉妬する理由もなくなる。
 こころちゃんは、私を友達だって言ってくれた。そのこころちゃんなら、もしかして舞台よりも私を選んでくれるんじゃないか。
 そんな儚い幻想に、私は縋りついたんだ。こころちゃんと友達でいたいけど、この抱えた嫉妬をどうにもできない。そんな私の、最後の希望。一生のお願い。
 
「それはできない。能は私にとっては大事な儀式みたいなものだからな」

 それを、一切の容赦なく、こころちゃんは打ち砕いた。
 こうなることはわかりきっていた。彼女が踊りをやめれば嫉妬しなくて済むなんて、完全に私のわがままでしかない。
 こころちゃんは、無表情で少しわかりにくいけど、結構我が強い。自分がこうと決めたら、なかなかそれを曲げない性格をしている。
 そんな彼女が、私のわがままを受け入れるはずはないのだ。この舞台は、詳しくは知らないけど、おそらく彼女自身がやると決めたものだから。
 私はこころちゃんの返答に、俯いて膝をつくしかなかった。今度こそ、嫌われただろうか。
 そう考える私の耳に2歩分の足音が聞こえた。足音の主はうなだれる私の肩に手を乗せて、それに、と言葉をつづけた。

「私の能を見て、お前は嫉妬したのだろう?少し不謹慎かもしれないが、嬉しかった。私の能は、お前が嫉妬するくらい素晴らしいということだからな。そんなものをやめる気にはなれない。悪いな」

 なんてずるい言葉なのだろう。私の嫉妬も、さっきのわがままも、全部まとめてポジティブに返された。
 こんなの、黙るしかないじゃないか。何も言えなくなるに決まっているじゃないか。
 呆然と立ち尽くすことしかできない私、舞台の入り口に向き直るこころちゃん。
 ああ、行っちゃうんだなって思う私に、こころちゃんが背中で話しかけてくる。

「この流れでなんだが、良かったら私の能を見ていかないか?」

 こころちゃんに話しかけた当初は、たとえまた僻むことになってもこころちゃんの踊りを見ていくつもりでいた。
 そうすることが、私のこころちゃんに対する嫉妬に向き合うことになると思ったから。
 でも不意に口にしてしまったとはいえ、私のあのわがままを断られた後になっては、どうしてもそんな気にはなれなかった。
 私は言ってしまったのだ。私か舞台かどちらか選べと。選ばれなかった私がここに残るのは、なんだかとても惨めな気がした。
 それなのにこころちゃんは、そんな私に見ていかないかという。

「……ごめんね。こころちゃんのあの踊りをみたら、私、またこころちゃんが羨ましくなっちゃう。また会うのが怖くなっちゃう。今もそうだけど、きっと今以上に、だから――

 ごめんね、見にはいけない。そう続けようとした私を、背中を向けたままのこころちゃんがさえぎる。

「お前が初めてなんだ。私の舞台の感想を、面と向かって話してくれたのは。だから、そんなお前に見てほしい。」

 そう言ってこころちゃんは、舞台の表に歩を進めていった。私は、そんな彼女をなんとか呼び止めようとしたけれど、結局なにも言えないまま、彼女が私の声の届かない場所に行ってしまうのをただ見ているだけだった。
 ほどなくして歓声が響く。舞台が始まったのだろう。こんなにたくさんの人が見てくれているのに、どうしてこころちゃんは私に見てほしいなんて言ったのか、私にはわからなかった。
 舞台をはさんだ向こう側から聞こえる歓声が、とても妬ましくて、そして寂しかった。光の差さない場所に、私だけ取り残されて、こころちゃんは遠い場所で輝いている。
 ただそう思うだけで、とても胸が苦しかった。こんな気持ちで、こころちゃんの舞台を見る気には到底なれなかった。
 静かに踵を返す私の脳裏に浮かぶのは、さっきのこころちゃんの言葉。
 頭の中で、何度もリフレインして、私の心を締め付ける。その言葉が響くたび、ごめんねと謝ることが、私にできる唯一のことだった。



 私は結局、こころちゃんの舞台を見ることなくあの場から離れた。舞台から一歩一歩遠ざかるたび、心に小さなトゲが刺さるような痛みが走った。
 思い出すのは、2週間ほど前、こころちゃんから逃げたあの日のこと。あの日と違って、能力を使って逃げる気にはならなかった。
 また逃げたんだっていう、この痛みからも逃げてしまったら、今度こそもう二度とこころちゃんには会えない気がしたから。
 心に刺さったとげが、時間とともに少しずつ抜けていって、一番最初に感じたのは、どうしようもない寂しさだった。
 お腹に小さな風穴があいたような、暗闇の中を落下していくような、そんな寂しさに襲われて、それでも私は、道を引き返しはしなかった。

 気づけば日はほとんど沈んでいて、暗い空に月が浮かんでいた。
 私は、基本的に昼よりも夜のほうが好きだ。燦々とでたらめな明るさをふりまく太陽よりも、煌々と優しく光る月のほうが、私は好きだからだ。
 しかし今日この時に限っては、自分の周りからどんどん光が消えていくことに、恐怖にも似た心細さを感じずにはいられなかった。
 そうして真っ暗な寂しさの中に取り残されていくばかりと思ったその時、その寂しさを、ほんの少しだけ和らげてくれる光に気が付いた。
 それは、今までのお姉ちゃんとの記憶。私が瞳を閉ざすより前も後も、笑ったことも泣いたことも含めた、それはもう色とりどりの記憶。
 こんなに寂しくなって、こんなに真っ暗になってやっと見えたそれは、ちょうど今点々と夜空に現れ始めた星と、とてもよく似ているように思えた。

 触れられずとも、確かな暖かさを持ったそれは、私を地上と地底を繋ぐ洞穴へと誘った。
 正直少し泣きかけたけど、それよりも早く地霊殿に、お姉ちゃんの待つ場所に帰りたかった。
 洞穴を飛ぶ。夜風がやけに冷たく体をなでる。洞穴を抜けるまでのさして長くない道が、いつもよりも長く感じる。
 そうして旧都までたどりついた私は、そこから小さく見える地霊殿に向けて、一直線に飛ぶ。
 地上はあんなにも風が冷たい夜だというのに、旧都は変わらずにぎやかだった。

 しかし、そのにぎやかさは地霊殿までは続いておらず、私が地霊殿に近づくにつれ、少しずつその喧騒は聞こえなくなっていった。
 そしてたどり着くころには、完全に彼方に消え去り、私の耳には、ただ風の音が響くばかり。
 だというのに、私はそれに対して心細さを感じなかった。むしろその風の音が聞こえるたび、私の中に安らかな何かが満ちていく。
 私はいつも、地霊殿の玄関の扉を開けるとき、ほんの少しだけ覚悟を決める。
 それは雨粒の一つほどの、本当にわずかなもの。だけれどそれは、きっと必要なことだった。

 しかし今日に限っては、その覚悟を決めずに扉を開いてしまった。その大事な儀式を、寂しさのせいで忘れてしまった。
 しかし今の私には、それに気づく余裕なんてない。ただひたすら、お姉ちゃんがいるであろう広間か自室を目指して駆ける。
 広間のほうには誰もいなかった。そのまま階段を駆け上がり、お姉ちゃんの自室へ急ぐ。
 そしてその扉に手をかけたまさにその時、私は玄関の扉を開ける前の覚悟を決め忘れたことを思い出した。
 扉を開ける手が止まる。思い出すのは、瞳を閉じたときの記憶。私とお姉ちゃんが道を違えた、あの時の記憶。
 人の心から逃げた私と、そうしなかったお姉ちゃん。
 今でも私は、自分のしたことを間違いだとは思っていない。それでもその時の記憶は、ドアノブにかけた私の右手を凍り付かせた。
 私が玄関でしなければならなかった覚悟とは、その時の記憶に鍵をかけること。
 別に忘れるわけではなく、逆にほんの少しだけその時の記憶を呼び起こして、大丈夫、と唱えてもう一度しまう。そういう儀式。
 それをせずにここまで来てしまった私は、なんとか今ここでその覚悟を決めようとする。

 しかし、一度漏れ出した記憶は、そう簡単にはしまい込めなかった。
 そうこうしている内に、カチャリという音とともに扉が開く。
 扉の向こうにいたのは、もちろん私のお姉ちゃん。
 私は走ってここまで来たから、きっとその足音を聞かれていたのだろう。
 お姉ちゃんは私を見るなり、声を上げた。

「あらこいし、お帰りなさい。さっきの足音はあなただったのね。お燐やお空が何か厄介ごとを持ってきたのかと思ってしまいました」

 口に手を添えて、驚きましたのポーズをするお姉ちゃん。でも口調からは特にそれは感じられない。
 そんな一幕が、一瞬こころちゃんと重なる。

「うん。ねえ、入ってもいいかな」

 私は自然とそう口にしていた。
 私はときどき、お姉ちゃんの部屋に入るときそう尋ねることがある。
 私の記憶上ただの一度もダメと言われたことのないその問いは、けれど決して無意味ではない。
 入るのと入れてもらうのは違う。私はお姉ちゃんの部屋に入れてもらうという、その感覚が結構好きだった。
 
「ええ、もちろん。飲み物は紅茶でいい?」
「うん」

 扉を一番奥まで開けて、どうぞの意を示すお姉ちゃん。そして、それに従う私。
 心なしかいつもより嬉しそうに見えるお姉ちゃんの横を通り過ぎると、お姉ちゃんが扉を閉める。
 お姉ちゃんはそれから棚からティーカップを2つ取り出して、紅茶を入れる準備を始めた。
 
「こいし、あんなに慌てていったい今日はどうしたの?」

 急須でティーカップに紅茶を注ぎつつ、お姉ちゃんが問いかける。
 一瞬、どう答えようか迷ったけれど、私は素直に言うことにした。

「久しぶりにお姉ちゃんの声が聞きたいなって、急いで戻ってきたの」

 お姉ちゃんから顔少しをそらしつつそう言うと、お姉ちゃんは紅茶を入れる手を止めて二度瞬きをした。
 まるで、世にも珍しいものを見る様に。

「そんな顔しなくたっていいじゃん」
「こいしがそんなこと言うなんて珍しいから、つい」

 私の追及を笑顔でかわすお姉ちゃん。
 その仕草に、私は少し違和感を覚えた。
 お姉ちゃんの笑顔なんて、いったいいつぶりに見ただろうか。いつもこんな風に優しいけれど、私の知っているお姉ちゃんは滅多に笑わなかった。
 なぜだろうと思いを巡らせていると、コトッという音とともに紅茶の入ったティーカップが私の目の前に置かれる。

「私の声が聴きたいなら、久しぶりにお話しましょう?こいし」

 嬉しそうな顔でそういうお姉ちゃんをみて、私はなんだか妙に戸惑った。
 やっぱり、なんだかいつもと違う。
 今日のお姉ちゃんは、なんだか明るい顔が多い。
 私の記憶の中のお姉ちゃんはほとんどはしかめっ面をしているから、とても新鮮だった。

「お姉ちゃん、なんだか今日は元気だよね。何かあったの?」
 
 きっとそうだろうという予測を込めて聞いてみると、お姉ちゃんは不思議そうな顔をした。

「そう?特になにもなかったけれど」
「じゃあなんでそんなに嬉しそうなのさ、いつもはしかめっ面ばっかりしてるのに」
「……私、いつもそんな顔しているの?」

 どうやら自覚がなかったらしい。

「そうだよ。だから、今日は何かあったんじゃないかって思ったの。違うの?」

 再び問い直す。するとお姉ちゃんは考えこむ仕草を5秒ほど見せた。

「そうねえ、今日は何もなかったけれど、心あたりならあるかも」
「何それ、気になる。聞かせてよ」

 私はお姉ちゃんのめずらしく少し曖昧な返答に飛びついた。
 あのお姉ちゃんが、こんなに明るくなる出来事なんて、私には想像できなかったからだ。
 私は自分の紅茶が冷めてしまうことなど忘れて、その話に耳を傾けた。

「詳しく説明するのは難しいし、なんだか恥ずかしいから言わないけれど、少し前、お燐が私に、とても嬉しいことを言ってくれたの。私は心が読めるから、お燐がなんと言うかも分かっていたけれど、それでも嬉しかった。それで気づいたの。心を読むだけじゃわからないこともあるって。言葉を聞くことでしかわからないことがあるんだって。それから私、誰かとお話するのが少し楽しくなったの。だから、私が明るくなったっていうなら、きっとそれが原因」

 ゆっくりとそう語るお姉ちゃんを見ていると、舞台で踊っていたこころちゃんを思い出す。
 思えば私は、こうしてお姉ちゃんとテーブルをはさんで話したことなんて久しぶりだった。
 久しぶりに話したお姉ちゃんは、私が知っているお姉ちゃんよりもずっと楽しそうで。
 本来なら喜ぶべきはずのそれは、私の心にこころちゃんの踊りを見た時と同じ小さな流れ星を飛来させた。

「私はずっと、この目のことが嫌いだったけど、その出来事があってからは、そうでもないかもって思えるようになったの」

 そしてその一言が、決定的だった。
 頭の片隅に追いやられていた昔の記憶が呼び覚まされる。
 第三の目が開いていたころは、私も前までのお姉ちゃんと同じで、ほとんど笑うことはなかったと思う。
 だけど、第三の目を閉ざしてからは、それなりに楽しく笑えるようになった。
 だから私はその選択を後悔することはなかった。
 人の心を読めたって、いいことなんか何もない。

 笑えるようになった私と、余計に笑わなくなったお姉ちゃん
 お姉ちゃんとの道が分かれたあの日、正しいのは自分だと思っていた。
 けれど今、笑っているのはお姉ちゃんで、あまつさえ私があれだけ嫌った第三の目のこと、悪くないかもって、そう言ったのだ。
 第三の目を閉ざした私では、決してたどり着けない笑顔でそう言ったのだ。
 羨ましいと、思わずにはいられなかった。
 もしあの時、私がお姉ちゃんと同じ選択をしていたらって、思わずにはいられなかった。
 その思いは、とっても理不尽で、身勝手なものだと思う。それでもとめどなくあふれてくるこの感情は、私がこころちゃんの踊りを見た時に感じたものと同じ名前の、ほんの少しだけ違うもの。
 こころちゃんへのそれを突然飛来した隕石と例えるなら、お姉ちゃんへのそれは長年熱を蓄え続けた溶岩のようだった。

「嫌いだったなら、どうして私みたいに目を閉じなかったの?」

 自分でも、一気に声のトーンが落ちたことが分かった。こころちゃんの時と同じだ。自覚してしまったら、もう今までの自分じゃいられない。
 あの時と違うのは、逃げる気にはならなかったということ。自分のこの思いが、見るに堪えないどす黒さを纏っていると気づく冷静ささえ失っていたということ。
 私の声に、一瞬お姉ちゃんがビクついた。私の機嫌が一気に悪くなったことを察したのだろう。
 私は、お姉ちゃんと話す、この時間の終わりを予感する。きっとこの後お姉ちゃんは、突然不機嫌になってしまった私を、ヒビの入ったコップみたいに扱ってくれるんだろう。
 私をこれ以上不機嫌にしないように、慎重に言葉を選んで話してくれるんだろう。そして、まるで自分が悪いみたいに、原因もわからないままにごめんなさいと謝るのだろう。
 そしてそんなお姉ちゃんに私は何も言えなくなって、お話なんてできるような雰囲気じゃなくなるんだ。

「その質問に答える代わりに、私からの質問にも答えて頂戴」

 なんて思っていたのに。
 次にお姉ちゃんが言うことは、私の質問に対する弱弱しい回答か、謝罪の言葉のどちらかだと、思っていたのに。
 実際に返ってきた言葉は、そのどちらでもなく、等価交換の挑戦状。自分の質問に答えなければ、私の質問にも答えないという宣戦布告に近い返答。
 私の知っているお姉ちゃんは、不機嫌な私に対して、決してそのようなことはしなかった。
 
「嫌だって言ったら?」

 相変わらずの声のトーンで尋ねる。するとお姉ちゃんもどこか拗ねたような声で返してきた。

「それじゃあ私も、こいしの質問には答えません。いいじゃない、貴方とこうして話せる機会なんてあまりないのだし、質問くらい許してちょうだい」
 
 私はあまりの驚きに開いた口がふさがらなかった。
 目の前にいるのは、本当にあのお姉ちゃんなのだろうか。

「……私がいない間に、ずいぶん図々しくなったね」
「あなたこそ、私がいない間に、ずいぶん暗い顔をするようになったじゃない」

 さらに一歩踏み込んできたお姉ちゃんの言葉に、奥歯をかみしめる。
 この時すでに、一人ぼっちの寂しさに追われて地霊殿に帰ってきたことなど忘れていた。
 この胸の中には、ただただ溶岩が煮えたぎるばかり。

「ほっといてよ!私だってたまにはそういうこともあるんだから!」

 ほっといてほしくなかったからここに帰ってきたことなど忘れ、声を荒らげる私。
 もしかして、お姉ちゃんにこんな風に怒鳴ったのは、瞳を閉じたあの時以来ではないだろうか。

「ほっときません!私気づいたんです。こいしはただ一人の妹だというのに、私あなたのこと何も知らないって。だからもし、今度話す機会があったら、少しずつ教えてもらおうって決めたの!今日はなにかよくないことがあったんでしょう?だからそんな顔をしているんでしょう?せめてなにがあったのかくらいは、教えてほしい、話してほしい。私はあなたの心だけは読めないし、たとえ読めたとしても、あなたの言葉で伝えてほしい。私の声が聴きたくて帰ってきたって言ってくれて、私とても嬉しかった。そんな風に、態度だけじゃなくて、ちゃんと言葉にしてほしい」

 私の怒鳴り声に怖気づくことなく、逆に私以上の剣幕でそう返すお姉ちゃんに、私は今度こそ完全に絶句した。
 お姉ちゃんが声を荒らげるところなんて、生まれて初めて見たんじゃないだろうか。少なくとも私の記憶にはただの一度も例がない。
 だからだろうか、私は完全にお姉ちゃんに気圧されてしまった。
 あれほどまでに煮えたぎっていた胸の内は、ほぼ完全にその熱を失い、私はただ、口を開け固まるばかり。

「というわけで質問よこいし。今日は何があったの?」

 紅茶を飲み干してから、お姉ちゃんは私に問いかける。
 その言葉でようやく我に返った私は、今日の、そして2週間前のこころちゃんとの出来事を思い返した。
 そしてそのついでとばかりに思い出したのは、パルスィに言われたあの魔法のこと。
 もしかして、今がまさにその時なのではないだろうか。

 一度こころちゃんにぶつけてみて、結果としてうまくはいかなかったけれど、あれは結局私が逃げただけであって、こころちゃんはちゃんと、私の嫉妬を受け止めてくれた。
 お姉ちゃんはどうなのかわからないけど、少なくとも私に話してほしいと言ったのだ。あんなに大きく声を上げてまで。
 だからお姉ちゃんももしかして、こころちゃんと同じように、私のこの理不尽な嫉妬を受け止めてくれるんじゃないだろうか。
 私は、お姉ちゃんと同じように紅茶をごくごくと飲み干した。お姉ちゃんが、きっと心をこめて入れてくれたであろうそれは、すでにぬるくなってしまっていたけれど、私にひとかけらの暖かさをくれた。
 今度はきっと、逃げたりしない。そう決心をして、私は口を開いた。

「……私、地上に友達ができたんだ。力の強さとか背丈とか、実は結構わがままなところとか、私と共通点が多くて、でも違うところはきっともっと多い、そんな友達。その友達はね、踊りがすごく上手なの。それをみた観客みんなが声を上げて拍手するくらい。それを見て私、とても羨ましいって思った。そして、なんで私には同じことができないのって、嫉妬しちゃったの。それでその感情がバレないように、その友達から逃げちゃったんだ。そして今日、勇気を出してその思いをぶつけてみたの。そしたらその友達は自分の踊りに嫉妬してくれて嬉しいなんて言うの。その時は、私の嫉妬を受け止めてくれたんだって嬉しかったんだけど、その友達に舞台を見ていかないかって言われて、でも私、また嫉妬しちゃうと思って、結局見に行けなくて。今度こそ嫌われたかもって思ったら寂しくなって、気づいたらここに向かってたの」

 お姉ちゃんは、ところどころ言葉に詰まりながらの私の告白を、口をはさむことなく黙って聞いていた。そして、私の話が終わったと見ると、「そう、そんなことがあったのね」と優しい声で言う。

「私、こいしのこと誤解していました。あなたって結構臆病で繊細なのね」
「……お姉ちゃんには言われたくない」
「そう拗ねないで頂戴。少し不謹慎かもしれないけれど、あなたが寂しいと感じて、一番最初にここに帰ってきてくれたこと、そして真っ先に私のところに来てくれたこと、とっても嬉しい」

 そう言われて私は少しだけ恥ずかしくなった。いつもならここで、私の素直じゃない頭は話題を変える方法かごまかしの言葉を探すのだけれど、お姉ちゃんが本当にうれしそうにそういうものだから、釣られて私も素直になってしまう。

「寂しさで目の前が真っ暗になりかけた時、真っ先にお姉ちゃんの顔が浮かんだの。会いたいなって思ったの。そして地霊殿についた時、周りはとっても静かで、地上とおんなじくらい風が冷たかったのに、なんだか安心したんだ。どれだけ長い間地上にいても、やっぱり私の帰る場所はここなんだなって、思った」

 さすがに面と向かって言うのは恥ずかしかったから、言い終わるまで私はお姉ちゃんから視線をそらしていた。
 ちゃんと伝わったかなとお姉ちゃんのほうに視線を戻すと、お姉ちゃんは両目にほんの少しだけ涙を湛えていた。
 
「だったら、次からはもっと頻繁に帰ってきて、顔を見せて頂戴。じゃないと、私だって、寂しいの」

 最後のほうにはほんの少しだけ嗚咽が混じっていた。
 あんなに図々しくなったのに、そういうところは変わっていないんだって思うと、やっぱりどれだけ変わってもお姉ちゃんはお姉ちゃんだなって、なんだか安心した。

「うん、お姉ちゃんの顔が見たくなったらちゃんと帰ってくるから」
「約束よ」
「うん」

 気づけば私の心は、寂しさとはかけ離れた暖かい何かで満たされていた。
 このままずっと、こんな暖かいやり取りをお姉ちゃんと続けていたかった。
 でも、それはできない。なぜなら私の告白は、まだ半分しか終わっていないのだから。
 
「それでね、まだ話は終わってないの」
「あらごめんなさい、てっきりあれで終わりかと」

 お姉ちゃんは案の定意外そうに答えた。終わったと思ったから口をはさんできたのだろうし、事実ここに来るまでは私が話すことはあそこで終わっていた。
 でも今はそうじゃない。むしろここからが本番なのだ。
 私は勇気を絞り出す。しかし、今この場に満ちている穏やかさと決別することが、どうしてもできなかった。
 気が付けば、私は飲み終わったはずの紅茶のティーカップに手を伸ばしていた。それを口までもっていこうと持ち上げたところで、そういえば空だったと思い出す。

「紅茶、もう一杯いる?」
「……うんん、いらない」

 決意を固める最後の後押しをしてくれるものというのは、驚くほど以外で些細なことだったりする。
 こころちゃんに嫉妬をぶつけてみたいと思ったきっかけが、パルスィのどこか楽しそうな表情と言葉だったように。
 今回、私が再度決意を固めることができたきっかけというのは、お姉ちゃんとのこのやり取りだった。

「私が嫉妬している相手ってね、その友達だけじゃないの。ねえ、私が瞳を閉じたとき、同じようにしなかったお姉ちゃんのこと、どう思っていたと思う?ああ馬鹿だなって、こんなもの持っていても何もいいことなんてないのにって思っていたの。でも今日、お姉ちゃん言ったよね?この目のこと、嫌いじゃないかもって。今日地霊殿にたどりついて、お姉ちゃんに会えて、最初はとても安心した。ああ、帰ってきたんだって思った。お姉ちゃんもいつもより明るくて、釣られて私も元気になっていくのを感じたの。でもその言葉を聞いて、楽しそうにしているお姉ちゃんを見て、あの時間違っていたのは私なんじゃないかって思っちゃった。それでね、お姉ちゃんばっかりずるい、私もそんな風になりたかったって、思ったんだ。きっとこれは、昨日今日始まったものじゃなくて、瞳を閉じちゃったあの日からずっと、心の奥ではお姉ちゃんを妬んでいたんだ。私だってホントは、瞳なんか閉じたくなかった。でも私にはお姉ちゃんみたいな生き方はできなかった。今までは、お姉ちゃんがしかめっ面ばっかりしていたから、正しいのは私のほうだったって、言い聞かせてこれたけど、今日、明るくなったお姉ちゃんを見て、それもできなくなっちゃって。だから今、私お姉ちゃんのこと、すごく羨ましいって思ってる。すごく妬ましいって僻んでる。でも、お姉ちゃんのこと、大好きなのも本当。今だって、嫌われたくないって思ってる。お姉ちゃんにはこれからもずっと、私のお姉ちゃんでいてほしいと思ってる。でもやっぱり、さっき話した嫉妬も本当。ねえ、私、どうすればいいの?どうすればお姉ちゃんみたいに笑えるの?」

 私の二度目の告白は、お姉ちゃんにはどう映っただろうか。
 私は、今度こそ本当に終わったと口を噤み、返答を待った。

「なんで瞳を閉じなかったのかって、そう聞きましたよね。私の質問に答えたら、こいしの質問にも答える約束ですし、今答えます」

 お姉ちゃんの返答は、私を突き放すものでもなく、かといって受け入れるものでもなく、私から見ればごまかされたように感じるものだった
 しかし、その答えには私も気になっていた。だから、とりあえずは耳を傾けることにした。

「その答えは、瞳を閉ざしたあなたを見ていたからよ。瞳を閉じてからのあなたは、とても不安定に見えた。よく笑うようにはなったけれど、その笑顔は私には、とても無機質なものに見えた。そんなあなたを見ていて、私までこいしみたいになってしまったら、もう私たちは姉妹には戻れなくなるって思ったの。だから、私がしっかりと守ってあげなきゃって思ったのが、私が瞳を閉じなかった理由。いいえ、閉じずに生きてこられた理由」
「不安定とか無機質とか、言いたい放題言ってくれるねお姉ちゃん」
「当時の話よ、今はそんなこと思ってないから、許してちょうだい」

 確かに瞳を閉じた当時は、無意識の能力を今ほどは扱えておらず、暴走に近いことをしていたような気がする。
 だからお姉ちゃんからすれば、そんなふうに見えたのかもしれない。

「こいし、私のこと、羨ましいって言いましたよね。私もあなたのこと、羨ましいと思っていました」

 数秒の沈黙の後、お姉ちゃんはいきなりこんなことを言い出した。
 私はその言葉をうまく理解できなかった。
 もしかして今、お姉ちゃんは私に嫉妬していると、そう言ったのだろうか。

「瞳を閉じてからのあなたは、とても楽しそうだったから。最初は無機質だと思った笑顔も、そうじゃないって気づいたから。だから実は、私もこいしみたいに瞳を閉じてみようって、なんども思ったのよ。でもそのたび、私は不安になったの。瞳を閉じたら、きっと私は変わってしまう、その状態で、あなたと同じように笑えるのかってね。実はさっき話した理由は半分嘘で半分本当。当時は本気でそう思っていたけど、少し時間がたってからは、その不安が理由。単純に私は怖かっただけなの。だから、私にはできない選択をして、楽しそうにしているあなたが、とっても羨ましかった」

 ちょうど、今のあなたと同じね、とお姉ちゃんが笑う。
 私は、とても不思議な気分に包まれていた。私が羨ましいと思っていたはずのお姉ちゃんが、実は私のことを羨ましいと思っていて、私たち姉妹は、互いに嫉妬しあっていたんだって知って、自分の中にあったあんなにも醜いと思っていた嫉妬が、暖かい別の何かに変わっていくような感覚を覚えた。
 熱々と煮えたぎる溶岩は、今となってはお風呂くらいの温度になって、私の心を暖めていた。
 ふと、パルスィが最後に言っていたことを思い出す。嫉妬はとても奥深い感情だと彼女は言った。あれはこういうことだったのだろうか。
 人に言葉にしてぶつけたそれは、受け入れてもらえたそれは、受け入れてくれた嬉しさと混ざって、全く別の何かに変わる。

 私は、ここにきて初めて、嫉妬してみるのも悪くないなと思えるようになった。
 こうしてお姉ちゃんとの過去を清算できたのは、間違いなくこの感情があったからなのだから。

「だからこいし、大丈夫よ。あなたと同じ思いをした私が、今こうして笑えているのだから。きっとあなたもそうなれる。ひとまずは、お友達にごめんなさいするところから始めたら?」

 お姉ちゃんのその言葉は私にとってはこれ以上ない先ほどの質問の答えだった。
 そして何より最大級の激励だった。
 私は早速うん、行ってくるといってこころちゃんを探しに行こうとしたが、今日はもう遅いから明日にしなさいとお姉ちゃんに止められる。
 そういうえばそうだっけという私に、やっぱりこいしは私がいないとダメね、なんて笑うお姉ちゃん。

 今はまだ無理かもしれないけれど、いつかきっと、こころちゃんともこんなやり取りをしてみたい。
 ひょっとしたら、二度も逃げた私を向こうは嫌っているかもしれない。
 それでも私はあきらめない。これからどれだけ彼女に嫉妬することになったとしても、もう逃げたりしない。何度だってぶつけてやるんだ。
 そうすればきっと、この感情を抱えたままでも、胸を張って友達だって言える時が来る。
 こんなところで、仲違いなんてしてやるものか、私の嫉妬禄は、まだまだ始まったばかりなのだから。
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コメント



0.200簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
こころちゃんとこいしちゃんだから100点や。だけど、こころちゃんて無表情なだけで感情はちゃんとあるから口調は普通なイメージだった
4.100名前が無い程度の能力削除
こいしとこころの友情は良いですね、少女っぽくて。
文章も読みやすかったのですが、ちょっとばかり冒頭が性急過ぎる気がしましたので、もっと丹念な描写を挟むと良いと思います。
5.90奇声を発する程度の能力削除
この二人は良いですね
6.100名前が無い程度の能力削除
さとりがお姉ちゃんしててほんわかした良い作品でした。ありがとうございます
7.100名前が無い程度の能力削除
感情をぶつけるタイプの作品には涙腺が弱い。このメンツなら尚更だ