私がここで眠りについてからどの位の月日が経ったのだろうか。
火薬に塗れ、爆炎に包まれた空を飛び、どれ程の命を奪ってきたか。
そしてあの時、私は破壊されていてもおかしくなかった。
主と共に戦空に散っていてもおかしくなかった。
鉛の弾丸を吐き出し、命を奪う『殺戮の翼』である私。
その私が、何故ここでこう存在しているのか。
私は……、私は一体何を見届けなければならないのだろうか?。
運命という物が在るのなら、歴史は私に何をせよと言うのだろうか?。
分からない。
私は、分からないまま朽ちる事も無くここにいる。
今日もあっぱれ幻想郷。
春風がそよそよと吹き抜ける中、その一画、魔法の森の古道具屋で。
「おいおい、こーりん。素直に吐かねーか、ここにお宝があるってよう!!」
「君の行動は、ある程度に把握していると思ったが今度は何だい?」
胸ぐらを黒い魔法使いに握られたまま、椅子に座りながら冷静に店主は答えた。
魔理沙はスカートの中から黒皮の手帳を引きずり出す。
店主の目が光る。
これは外界で作られた物、製作されてから60年は経つ物だ。
「この前、家の掃除してたら出てきたんだ。私の死んだじいちゃんの日記だ。これによると……、ここの倉庫に『ひこーき』って物があるらしいな。な、あるんだろ」
「やれやれ……、あれを嗅ぎ付けたか。流石……と言いたいところだが、『あれ』は条件が満たされた時にしか渡せない。この店の前の主。この建物を僕に譲ってくれた人との約束だ。だから、君だからといって渡す事は出来ない」
ずれた眼鏡をゆっくりと戻し、霖之助は答えた。
黒い魔法使い、魔理沙は手の力を弱め、霖之助の服を手放す。
「すまん、ちと興奮してた。いや……、その……、外界の人間が空を飛ぶ『ひこーき』ってなんだろなって思って……」
彼女は赤くなった顔を横に向け、明後日の方向を眺める。見た事も無い飛行機という存在が、探求心旺盛な彼女の心の琴線に触れたのだろう。
霖之助は、そんな魔理沙を見つめ小さく微笑した。霧雨家で働いていた頃から、実に彼女は変わらない。そういえば、彼女の祖父。自分が働いていた頃の隠居した大旦那。あの人も、僕が半妖怪と知りながら偏見無く、僕を見守ってくれたな。
「まぁ、見るだけならかまわないだろうね。ついてくるといい」
椅子から立ち上がり、店の裏手に歩き出す店主。
「おーい、まてよー!!」
魔理沙は箒を掴み、その後ろ姿を追いかける。
それは、まだ彼女が小さかった時の風景に似ていた。
魔法の森の木々に隠される様にその倉庫はあった。
横幅は20メートルを超える程の巨大な倉庫だ。
ただ、上空からは木々に隠されている為に、発見する事は困難だった。
霖之助は懐から鍵の束を取り出して魔理沙に見せる。
「この倉庫には、先代、ってもいいのかな?彼が集めた収集品が収められている。彼は僕に言ったよ。『使い手が現れたなら無償で手渡してくれ』って」
そして彼は魔理沙の目を見つめながら言った。
「だけど、これから君に見せる物は使い手以外に条件が一つ在ってね」
「条件?」
「うん、元の乗り手との約束らしいよ。『もしも、この世界が平和なら』ってさ。……よし、開いた」
倉庫に掛けられた鍵を外し、霖之助はその細身からは信じられない様な動作で勢いよく大扉を開いた。大の大人でも手こずりそうな大扉をだ。
大倉庫の中に、温かな日差しが流れ込む。
それは久方ぶりの光で収集物達を照らした。
黄色く染められたバイク。
曇りない十字槍。
色鮮やかな打掛。
そして。
その中でも異様な程の巨体を誇る影があった。
三枚のプロペラ。機体の先端を黄色く染め、それ以外を緑がかった迷彩模様に身を包んだ塗装。
幾ばくかの埃に包まれながらも、流線形の体に鉄の翼を大きく伸ばす鋼の鳥がそこにあった。
「これが、メッサーシュミット……。グスタフ。じいちゃんの残した言葉は、法螺話じゃなく本当だったんだ……」
大きく溜息を吐く魔理沙。
その姿を見ながら霖之助が言葉を続ける。
「満足したかい?でもこれ、どこも壊れていないらしいけど『燃料』が少ないから少ししか飛べないらしいよ。まぁ、河童の沢に行けば燃料の代わりになる物があるかもね。ん、どうしたんだい、魔理沙?」
肩を震わせる少女を、彼は見下ろした。
「いや、ちょっと感動しちゃって……。じいちゃんの日記にはこう書かれてるんだ。え~と……」
声を震わせながら、黄ばんだ紙にドイツ語で書かれた日記に目を落とし、少女は呟いた。
「あの紫色の魔女を捕まえそこねた翌日から……」
○月×日
実験機小隊基地にて。
あのまるで童話の世界の様な非現実の夜をすごし、私は実験機小隊から最前線へと強制的に異動になった。獲物を捕り逃したとはいえ、ジェット機であるMe262から降りるのはなごり惜しい。だが今は祖国の空を守るのが私の仕事だ。それにまだ、私の愛機が今も基地に残っていると聞いた。急がねばなるまい。
○月×日
前線基地にて。
祖国には連日の様に爆撃機が現れる様になった。満足な補給も無く、ギリギリの状態で私は愛機と共に空を舞う。今日、撃墜した機体に乗っていた搭乗員は少年と言えるほど若かった。致命傷を与え墜落していく、その機体に乗っていた彼のその目に、涙が浮かんでいるのが見えた。死にたくない、私にはそう見えた。
あの様な少年まで徴兵される。
敵も苦しいのだ。
だが。
敵とは言え未来ある若者の命を奪った。
わたしは、私がやっている事は本当に正しいのか?
私は今まで考えた事も無い事を自問自答する。
○月×日
基地の宿舎にて。
「隊長……、この戦争は……、我々の負けで決まりではないですか」
私の下で一番長く飛んでくれた部下が言った。
その言葉が、私の心に重くのしかかる。
それは、皆が考えている事だ。だが、決して口に出してはいけない言葉だ。
それを彼は、皆の思いをを代表して口にした。
長く共に空を飛んでくれた彼が、それを私に伝えた。
彼の気持ちは痛いほど分かる。それに、無駄に若い命を散らす事は無い。敵も味方もだ。
その為には。
「そうだな……。明日、作戦本部に進言してみる。若手を前線から外す様にと、な。聞き入れてくれる可能性はゼロだがな」
○月×日
基地滑走路にて。
天を眺めた。
祖国の空が青く高く澄み渡っている。これだけ沢山の命を散らしても空はこんなにも青いのか。
空を見上げ続ける私に部下が叫ぶ。
「何故隊長だけが、この激戦区に残らなければならないんです!!」
ほーらな、何かを成し遂げるには何かの代償が必要なんだ。
お前達を前線から外す為には、年寄りが責任を取るしかないだろう?
「それ以上言うな。お前の言いたい事は分かっているし、それを口に出す事は許さん。お前は、いやお前達は、この戦いを生き延び未来を残せ。過去を見据え、過ちを伝え、この国を建て直すんだ。いいな!!」
彼の様な若者を生き残らせる。それが、私の決意だ。
○月×日
基地格納庫にて。
とうとう来るべきこの日がやって来た。
いや、この日が来るのは分かっていた筈だ。
「西から連合軍の大編隊が来ます!!爆撃機、戦闘機、把握しきれない程の数です……。大尉、どうやらこれでお別れです」
私は無理に彼に笑顔を浮かべた。今考えると多少引きつっていたかもしれない。
「そうだな……。今までよくやってくれた……。整備長、あの世があるのなら、ゆっくりと、今度はゆっくりと歩こうや。な?」
私は今まで私の愛機を手塩にかけて整備してくれた男に声かけた。
彼がいなかったら、ここまで飛べなかったかもしれない。
「はい、喜んで!!」
整備長が声を上げる。彼も笑顔を浮かべていた。
エンジンの回転数が上がり、排気管の唸りが増す。
基地の皆が手を振り、そして敬礼で私達を見送ってくれた。
決して帰る事の無い翼達を。
「行くか、相棒。これが、最後の飛行だ!!」
私はスロットルを開け、愛機に呟いた。
○月×日
阿鼻叫喚の狭間にて。
硝煙の中、私の機体は沢山の敵の編隊の中にいた。
戦術も糞も全くない。
目の前の敵を落とす。ただそれだけだ。
敵を狙いトリガーを引く。
また一機、黒煙をあげながら地上へと落ちていった。
それを見ながら私は思う。
くそっ、この戦争さえ無ければ、酒場でビールを飲み交わす友達になれたかもしれないのに。
一瞬の油断。
一機のP-51マスタングが私の後ろにつく。
逃げるタイミングは無かった。
もう、よそう。これ以上、命を奪い続けて何になるんだ。
私は目を閉じ、操縦桿から手を放した。
「すまない、相棒。こんな事に付き合わせてしまって……。もし、お前に来世があるのなら平和な空を飛んでくれ」
重く響く機銃の唸り声が聞こえた。
○月×日
遠くの何処かにて。
風が私の頬を撫でる。
私は目を開いた。
そこに映るのは、私を心配そうに見つめる長い黒髪の少女。
体中が痛む。だが、ここはどこだ。あの世なのか?
私は死んだのではなかったのか?
「教えてくれ、ここはどこだ?」
少女の肩をゆする、私のドイツ語の質問に驚きながら、彼女は、異国の少女は教えてくれた。
「ここは幻想郷っていうところなの。あなたは時々空にできるスキマ様から落ちてきた。あの鉄の鳥に乗って」
私の愛機を指さしながら、そして少女は私に問いかけてきた。
「ねえ、あなたは一体どこの国の人?」
○月×日
霧の湖の近くにて。
少女は『霧雨まち』と名乗った。
時々いるらしい。『外』からこちら側の世界に来てしまう人間が。
私は、何故かこの世界に放り出され、半分気を失いながら着陸に成功したようだ。
偶然それを見ていた彼女に、私は機体の外に引きずり出されたらしい。
誰にも見つからなかったら、妖怪に喰われていたかもしれないと。
妖怪?
喰われる?
私にはそれを理解する事は出来なかった。
ああ、それにしても……。
なんて蒼いんだこの世界の空は。
私の目から流れる涙が止まらない。
「あなた、これから先どうするの。行く処ないんでしょ?よかったら私の家にいらっしゃい」
少女は、笑顔でほほ笑んだ。
○月×日
人間の里にて。
そうして、私は霧雨家の居候になった。
まちの家は商人で、古道具などを主に扱う店だった。
私はそこで働き、仕事を覚える毎日が続いた。
金髪の異国人である私を、この家は偏見なく受け入れてくれた。
言葉も不十分にしか通じず、慣れない仕事も楽ではなかったが楽しい日々が続く。
霧雨家は、まるで私を自分の家族の様に扱ってくれた。
そうだ、忘れてはいけない。
相棒をあのままにしておく訳にはいかない。
明日、まちに相談してみよう。
○月×日
魔法の森の古道具屋にて。
森の中にある大倉庫。
その中に私の愛機がしまい込まれた。
「この倉庫は特殊での、一度入ったらそこでその道具は時を止め『眠り』に入る。朽ちる事無く、次の使い手が現れるまでな」
白髪の、だが偉丈夫な古道具屋の主人が言った。彼は腰から双剣をぶら下げていた。
「わしも、こんな物を手に入れる事になるとは思わなんだ。魔女の箒に続いて飛行機とはな。頭の固い孫に見せてやりたいわ」
「もし、次の乗り手が現れるのなら……条件が一つあるんだが……」
続く私の言葉に、主人は最初驚きそして髭を撫でながら笑みを浮かべた。
「よかろうよ。しかし、おぬしもまぁ、変わり者じゃのう。わっはっは!!」
主人は豪快に笑う。
これでもう、何も思い残す事は無い。
この世界で生きよう。
生きていこう。
私が戦いの中で奪っていった命達への贖罪の為に。
○月×日
霧雨古道具店大座敷にて。
私が霧雨家で働き始め、10年が経つ頃。
私はまちの父親。店の大旦那に呼びつけられた。
私に伝えられた、その言葉は驚くべき物だった。
「私が、この店の跡取りに?」
「どうだろう、お前さえ良ければな?」
大旦那は続ける。
「お前の仕事ぶりを見続けた。お前は心に揺ぎ無い骨を持っている。それにわしは惚れた」
そして続ける。
「それに、娘のまちもお前の事を好いとるようじゃし。なぁ」
大旦那の隣で、美しく成長したまちが、赤い顔でこくりとうなずいた。
彼女は、少女の時から私に言葉やこの世界のルールを教えてくれた。
私を救ってくれた恩人でもある。
「いいのか?私の様な異国人でも?」
「はい。これからは、私と共に時間を過ごしてくれませんか?西の国のパイロットさん」
そして。
○月×日
霧雨古道具店にて。
この世界で生き続けて、どの位の時が経ったのだろう。
私とまちの孫が生まれた。
コロコロとした可愛い金髪の女の子だ。どうやら私の持つ血が受け継がれたらしい。
私はあの時、あの空で死んでいたはずだった。
だが、何の因果なのかこうして未来を残す事ができた。
今は信じて祈ろう。
この子が生きる未来に平和な空が在る事を。
黒皮の手帳を閉じて魔理沙は呟く。
「じいちゃんは金髪で法螺を吹くのがうまかった。面白い人だったし、死んだ時もあっさりと逝ったよ」
「ふーん。で、これ持って帰るのかい?君にはもう箒があるだろう」
霖之助の言葉に、埃に塗れたメッサーシュミット。祖父の愛機を眺めながら彼女は答えた。
「いや、今はまだここで眠らせよう。幻想郷も何だかんだ物騒だからな」
そして彼女は、鉄の鳥に話しかけた。
「よぅ、お前の主人の孫娘だ!!私の孫が出来る頃には、今よりもうちょいましな世界になってるだろう。だから……」
真顔になり真摯な言葉を紡ぐ。
願いが叶います様にと。
「夢見て、眠りな。お前が飛べる未来は必ず訪れる。きっと」
鉄の鳥は、目の前の主人の孫だという少女を見て思う。
主よ、あなたは未来を残せたのか。
絶望を乗り越え、そして未来を手に勝ち取ったのか。
私がここで眠りについたのは、この為だったのか。
ならば、私も希望を胸に抱き今は眠ろう。
この世界が。
この世界が平和に満ち溢れ、誰一人傷つける事無く空を飛ぶ事が出来る未来を。
私は信じる。
(終わり)
火薬に塗れ、爆炎に包まれた空を飛び、どれ程の命を奪ってきたか。
そしてあの時、私は破壊されていてもおかしくなかった。
主と共に戦空に散っていてもおかしくなかった。
鉛の弾丸を吐き出し、命を奪う『殺戮の翼』である私。
その私が、何故ここでこう存在しているのか。
私は……、私は一体何を見届けなければならないのだろうか?。
運命という物が在るのなら、歴史は私に何をせよと言うのだろうか?。
分からない。
私は、分からないまま朽ちる事も無くここにいる。
今日もあっぱれ幻想郷。
春風がそよそよと吹き抜ける中、その一画、魔法の森の古道具屋で。
「おいおい、こーりん。素直に吐かねーか、ここにお宝があるってよう!!」
「君の行動は、ある程度に把握していると思ったが今度は何だい?」
胸ぐらを黒い魔法使いに握られたまま、椅子に座りながら冷静に店主は答えた。
魔理沙はスカートの中から黒皮の手帳を引きずり出す。
店主の目が光る。
これは外界で作られた物、製作されてから60年は経つ物だ。
「この前、家の掃除してたら出てきたんだ。私の死んだじいちゃんの日記だ。これによると……、ここの倉庫に『ひこーき』って物があるらしいな。な、あるんだろ」
「やれやれ……、あれを嗅ぎ付けたか。流石……と言いたいところだが、『あれ』は条件が満たされた時にしか渡せない。この店の前の主。この建物を僕に譲ってくれた人との約束だ。だから、君だからといって渡す事は出来ない」
ずれた眼鏡をゆっくりと戻し、霖之助は答えた。
黒い魔法使い、魔理沙は手の力を弱め、霖之助の服を手放す。
「すまん、ちと興奮してた。いや……、その……、外界の人間が空を飛ぶ『ひこーき』ってなんだろなって思って……」
彼女は赤くなった顔を横に向け、明後日の方向を眺める。見た事も無い飛行機という存在が、探求心旺盛な彼女の心の琴線に触れたのだろう。
霖之助は、そんな魔理沙を見つめ小さく微笑した。霧雨家で働いていた頃から、実に彼女は変わらない。そういえば、彼女の祖父。自分が働いていた頃の隠居した大旦那。あの人も、僕が半妖怪と知りながら偏見無く、僕を見守ってくれたな。
「まぁ、見るだけならかまわないだろうね。ついてくるといい」
椅子から立ち上がり、店の裏手に歩き出す店主。
「おーい、まてよー!!」
魔理沙は箒を掴み、その後ろ姿を追いかける。
それは、まだ彼女が小さかった時の風景に似ていた。
魔法の森の木々に隠される様にその倉庫はあった。
横幅は20メートルを超える程の巨大な倉庫だ。
ただ、上空からは木々に隠されている為に、発見する事は困難だった。
霖之助は懐から鍵の束を取り出して魔理沙に見せる。
「この倉庫には、先代、ってもいいのかな?彼が集めた収集品が収められている。彼は僕に言ったよ。『使い手が現れたなら無償で手渡してくれ』って」
そして彼は魔理沙の目を見つめながら言った。
「だけど、これから君に見せる物は使い手以外に条件が一つ在ってね」
「条件?」
「うん、元の乗り手との約束らしいよ。『もしも、この世界が平和なら』ってさ。……よし、開いた」
倉庫に掛けられた鍵を外し、霖之助はその細身からは信じられない様な動作で勢いよく大扉を開いた。大の大人でも手こずりそうな大扉をだ。
大倉庫の中に、温かな日差しが流れ込む。
それは久方ぶりの光で収集物達を照らした。
黄色く染められたバイク。
曇りない十字槍。
色鮮やかな打掛。
そして。
その中でも異様な程の巨体を誇る影があった。
三枚のプロペラ。機体の先端を黄色く染め、それ以外を緑がかった迷彩模様に身を包んだ塗装。
幾ばくかの埃に包まれながらも、流線形の体に鉄の翼を大きく伸ばす鋼の鳥がそこにあった。
「これが、メッサーシュミット……。グスタフ。じいちゃんの残した言葉は、法螺話じゃなく本当だったんだ……」
大きく溜息を吐く魔理沙。
その姿を見ながら霖之助が言葉を続ける。
「満足したかい?でもこれ、どこも壊れていないらしいけど『燃料』が少ないから少ししか飛べないらしいよ。まぁ、河童の沢に行けば燃料の代わりになる物があるかもね。ん、どうしたんだい、魔理沙?」
肩を震わせる少女を、彼は見下ろした。
「いや、ちょっと感動しちゃって……。じいちゃんの日記にはこう書かれてるんだ。え~と……」
声を震わせながら、黄ばんだ紙にドイツ語で書かれた日記に目を落とし、少女は呟いた。
「あの紫色の魔女を捕まえそこねた翌日から……」
○月×日
実験機小隊基地にて。
あのまるで童話の世界の様な非現実の夜をすごし、私は実験機小隊から最前線へと強制的に異動になった。獲物を捕り逃したとはいえ、ジェット機であるMe262から降りるのはなごり惜しい。だが今は祖国の空を守るのが私の仕事だ。それにまだ、私の愛機が今も基地に残っていると聞いた。急がねばなるまい。
○月×日
前線基地にて。
祖国には連日の様に爆撃機が現れる様になった。満足な補給も無く、ギリギリの状態で私は愛機と共に空を舞う。今日、撃墜した機体に乗っていた搭乗員は少年と言えるほど若かった。致命傷を与え墜落していく、その機体に乗っていた彼のその目に、涙が浮かんでいるのが見えた。死にたくない、私にはそう見えた。
あの様な少年まで徴兵される。
敵も苦しいのだ。
だが。
敵とは言え未来ある若者の命を奪った。
わたしは、私がやっている事は本当に正しいのか?
私は今まで考えた事も無い事を自問自答する。
○月×日
基地の宿舎にて。
「隊長……、この戦争は……、我々の負けで決まりではないですか」
私の下で一番長く飛んでくれた部下が言った。
その言葉が、私の心に重くのしかかる。
それは、皆が考えている事だ。だが、決して口に出してはいけない言葉だ。
それを彼は、皆の思いをを代表して口にした。
長く共に空を飛んでくれた彼が、それを私に伝えた。
彼の気持ちは痛いほど分かる。それに、無駄に若い命を散らす事は無い。敵も味方もだ。
その為には。
「そうだな……。明日、作戦本部に進言してみる。若手を前線から外す様にと、な。聞き入れてくれる可能性はゼロだがな」
○月×日
基地滑走路にて。
天を眺めた。
祖国の空が青く高く澄み渡っている。これだけ沢山の命を散らしても空はこんなにも青いのか。
空を見上げ続ける私に部下が叫ぶ。
「何故隊長だけが、この激戦区に残らなければならないんです!!」
ほーらな、何かを成し遂げるには何かの代償が必要なんだ。
お前達を前線から外す為には、年寄りが責任を取るしかないだろう?
「それ以上言うな。お前の言いたい事は分かっているし、それを口に出す事は許さん。お前は、いやお前達は、この戦いを生き延び未来を残せ。過去を見据え、過ちを伝え、この国を建て直すんだ。いいな!!」
彼の様な若者を生き残らせる。それが、私の決意だ。
○月×日
基地格納庫にて。
とうとう来るべきこの日がやって来た。
いや、この日が来るのは分かっていた筈だ。
「西から連合軍の大編隊が来ます!!爆撃機、戦闘機、把握しきれない程の数です……。大尉、どうやらこれでお別れです」
私は無理に彼に笑顔を浮かべた。今考えると多少引きつっていたかもしれない。
「そうだな……。今までよくやってくれた……。整備長、あの世があるのなら、ゆっくりと、今度はゆっくりと歩こうや。な?」
私は今まで私の愛機を手塩にかけて整備してくれた男に声かけた。
彼がいなかったら、ここまで飛べなかったかもしれない。
「はい、喜んで!!」
整備長が声を上げる。彼も笑顔を浮かべていた。
エンジンの回転数が上がり、排気管の唸りが増す。
基地の皆が手を振り、そして敬礼で私達を見送ってくれた。
決して帰る事の無い翼達を。
「行くか、相棒。これが、最後の飛行だ!!」
私はスロットルを開け、愛機に呟いた。
○月×日
阿鼻叫喚の狭間にて。
硝煙の中、私の機体は沢山の敵の編隊の中にいた。
戦術も糞も全くない。
目の前の敵を落とす。ただそれだけだ。
敵を狙いトリガーを引く。
また一機、黒煙をあげながら地上へと落ちていった。
それを見ながら私は思う。
くそっ、この戦争さえ無ければ、酒場でビールを飲み交わす友達になれたかもしれないのに。
一瞬の油断。
一機のP-51マスタングが私の後ろにつく。
逃げるタイミングは無かった。
もう、よそう。これ以上、命を奪い続けて何になるんだ。
私は目を閉じ、操縦桿から手を放した。
「すまない、相棒。こんな事に付き合わせてしまって……。もし、お前に来世があるのなら平和な空を飛んでくれ」
重く響く機銃の唸り声が聞こえた。
○月×日
遠くの何処かにて。
風が私の頬を撫でる。
私は目を開いた。
そこに映るのは、私を心配そうに見つめる長い黒髪の少女。
体中が痛む。だが、ここはどこだ。あの世なのか?
私は死んだのではなかったのか?
「教えてくれ、ここはどこだ?」
少女の肩をゆする、私のドイツ語の質問に驚きながら、彼女は、異国の少女は教えてくれた。
「ここは幻想郷っていうところなの。あなたは時々空にできるスキマ様から落ちてきた。あの鉄の鳥に乗って」
私の愛機を指さしながら、そして少女は私に問いかけてきた。
「ねえ、あなたは一体どこの国の人?」
○月×日
霧の湖の近くにて。
少女は『霧雨まち』と名乗った。
時々いるらしい。『外』からこちら側の世界に来てしまう人間が。
私は、何故かこの世界に放り出され、半分気を失いながら着陸に成功したようだ。
偶然それを見ていた彼女に、私は機体の外に引きずり出されたらしい。
誰にも見つからなかったら、妖怪に喰われていたかもしれないと。
妖怪?
喰われる?
私にはそれを理解する事は出来なかった。
ああ、それにしても……。
なんて蒼いんだこの世界の空は。
私の目から流れる涙が止まらない。
「あなた、これから先どうするの。行く処ないんでしょ?よかったら私の家にいらっしゃい」
少女は、笑顔でほほ笑んだ。
○月×日
人間の里にて。
そうして、私は霧雨家の居候になった。
まちの家は商人で、古道具などを主に扱う店だった。
私はそこで働き、仕事を覚える毎日が続いた。
金髪の異国人である私を、この家は偏見なく受け入れてくれた。
言葉も不十分にしか通じず、慣れない仕事も楽ではなかったが楽しい日々が続く。
霧雨家は、まるで私を自分の家族の様に扱ってくれた。
そうだ、忘れてはいけない。
相棒をあのままにしておく訳にはいかない。
明日、まちに相談してみよう。
○月×日
魔法の森の古道具屋にて。
森の中にある大倉庫。
その中に私の愛機がしまい込まれた。
「この倉庫は特殊での、一度入ったらそこでその道具は時を止め『眠り』に入る。朽ちる事無く、次の使い手が現れるまでな」
白髪の、だが偉丈夫な古道具屋の主人が言った。彼は腰から双剣をぶら下げていた。
「わしも、こんな物を手に入れる事になるとは思わなんだ。魔女の箒に続いて飛行機とはな。頭の固い孫に見せてやりたいわ」
「もし、次の乗り手が現れるのなら……条件が一つあるんだが……」
続く私の言葉に、主人は最初驚きそして髭を撫でながら笑みを浮かべた。
「よかろうよ。しかし、おぬしもまぁ、変わり者じゃのう。わっはっは!!」
主人は豪快に笑う。
これでもう、何も思い残す事は無い。
この世界で生きよう。
生きていこう。
私が戦いの中で奪っていった命達への贖罪の為に。
○月×日
霧雨古道具店大座敷にて。
私が霧雨家で働き始め、10年が経つ頃。
私はまちの父親。店の大旦那に呼びつけられた。
私に伝えられた、その言葉は驚くべき物だった。
「私が、この店の跡取りに?」
「どうだろう、お前さえ良ければな?」
大旦那は続ける。
「お前の仕事ぶりを見続けた。お前は心に揺ぎ無い骨を持っている。それにわしは惚れた」
そして続ける。
「それに、娘のまちもお前の事を好いとるようじゃし。なぁ」
大旦那の隣で、美しく成長したまちが、赤い顔でこくりとうなずいた。
彼女は、少女の時から私に言葉やこの世界のルールを教えてくれた。
私を救ってくれた恩人でもある。
「いいのか?私の様な異国人でも?」
「はい。これからは、私と共に時間を過ごしてくれませんか?西の国のパイロットさん」
そして。
○月×日
霧雨古道具店にて。
この世界で生き続けて、どの位の時が経ったのだろう。
私とまちの孫が生まれた。
コロコロとした可愛い金髪の女の子だ。どうやら私の持つ血が受け継がれたらしい。
私はあの時、あの空で死んでいたはずだった。
だが、何の因果なのかこうして未来を残す事ができた。
今は信じて祈ろう。
この子が生きる未来に平和な空が在る事を。
黒皮の手帳を閉じて魔理沙は呟く。
「じいちゃんは金髪で法螺を吹くのがうまかった。面白い人だったし、死んだ時もあっさりと逝ったよ」
「ふーん。で、これ持って帰るのかい?君にはもう箒があるだろう」
霖之助の言葉に、埃に塗れたメッサーシュミット。祖父の愛機を眺めながら彼女は答えた。
「いや、今はまだここで眠らせよう。幻想郷も何だかんだ物騒だからな」
そして彼女は、鉄の鳥に話しかけた。
「よぅ、お前の主人の孫娘だ!!私の孫が出来る頃には、今よりもうちょいましな世界になってるだろう。だから……」
真顔になり真摯な言葉を紡ぐ。
願いが叶います様にと。
「夢見て、眠りな。お前が飛べる未来は必ず訪れる。きっと」
鉄の鳥は、目の前の主人の孫だという少女を見て思う。
主よ、あなたは未来を残せたのか。
絶望を乗り越え、そして未来を手に勝ち取ったのか。
私がここで眠りについたのは、この為だったのか。
ならば、私も希望を胸に抱き今は眠ろう。
この世界が。
この世界が平和に満ち溢れ、誰一人傷つける事無く空を飛ぶ事が出来る未来を。
私は信じる。
(終わり)
ただわがままを言えば、シュバルベ?が倉庫で埃をかむっている様を文章に起こしてくれれば良かったなぁと。魔理沙の祖父が外来人であるというのは、真新しい設定に思いましたし、魔理沙が金髪を持つ理由にもつながっていて、うまいなと思いました。
なんて言っちゃダメね。
ただちょっと視点がコロコロ変わっていてわかり辛かったです
沙門さんの得意分野と、東方Projectの世界観がうまくマッチしている作品でした。
銀翼が再び空を飛ぶ日は、きっと来るのでしょう。
魔理沙の出生の謎に迫り、祖父の代に幻想入りしたという発想は驚きました。
魔理沙の祖父が魔理沙に託した思いが受け継がれている様はとても良かったです。