いやあ、今日はいい天気だねぇ。遠くの対岸があんなにはっきり見えるなんて。三途の川を渡るにゃ絶好の日和だ。あんたもいいときに死んだね、日頃の行いってやつかね、ハハハ……おや、あんまりおかしくなかったかい。そいつは失敬。
……しっかしずいぶんと長い川幅だ。なかなか罪深い一生だったと見える。こんなに長い道程なんだし、どうだいここでひとつ、あんたの身の上話でもしちゃくれないかい?……なんだ、話したくないのかい。それじゃあ仕方ない。あたいは無理強いしない主義だからね。
……うん?あたいの話?……そうかい、そんなに長いこと河原で待っていたのかい。どの船頭も素通りか。なるほど、あたいがあんたを選んだ理由が知りたいんだね?……うん、それじゃあ僭越ながら冥土の旅の慰みに、罪深い霊を渡す変わり者の死神船頭、小野塚小町の話でもしようかね。
――あんたも体験したように、三途の川の船頭は善良そうな霊を、えー、つまりは川幅が短くて、渡し賃をたんまり持ってそうな霊を優先して運ぶように言われてるんだ。……うん?確かにこれも悪いことをした者への罰だって考えてるやつもいるにはいる。特に放っておかれたあんたはそう感じるかもしれないがね、実際はもっと簡単な話だ。何の事はない、ようは地獄を回すのにも金がいるのさ。まったく、金もないし、人手も足らない。地獄に勤めたっていいこたないよ、本当にさ。
えーっと何の話だったか。……そうそう、ともかく金がいるってんで、是非曲直庁、あー、地獄のお上は三途の川の死神船頭にも効率的に働けって迫ってきててさ。沢山渡すようなやつは確かに待遇が良くなるからね、あたいも昔はせっせと渡したもんだ。これでも新人のころは真面目で通っていたからね。
しかしまあ、霊にも限りがあるもんだから、これも競争になる。要領のいいやつはうまいこと見分けて優良霊魂をとっとと持っていくんだが、あたいはどうもこれが苦手でね。よく時間のかかるやつを捕まえちまったもんだ。あのときもそうだった。若い霊だから、そんなに罪もないだろうってそんな思惑で選んだのさ。そいつがとんだお門違いで、あたいの人生、いや、死神生まで変わっちまうような、とんでもないやつだったんだ。
その霊を舟に乗せて一息こぎ出して、ぎょっとした。川幅がぐぅんと伸びて対岸も見えなくなっちまってね。それによくよく見たら渡し賃も満足に持っていやしない。そこで、ああとんだもんを掴まされたと悟ったよ。そうやって嘆いてたって仕方ないと、とにかく舟を漕いだんだが、漕いでも漕いでも水平線。ここは海なんじゃないかって本気で疑ったくらいでね。これだけ罪深いのも珍しい。こいつはどれほどひどいやつなんだ、ここで聞き出さなきゃあたいもやってられない。いわば迷惑料として、なんとしてでも罪を告白させてやるって、段々そんな気持ちになってきた。そこで思いきって聞いたのさ。
「やい、そこな罪人。この川幅はお前の犯した罪の大きさに等しい。かような広き川幅を持つお前が犯した罪とはなにか、ここで申してみよ」……なんだい、その反応は。いいじゃないか、ちょっとくらい格好つけたって。本当にそういったのかって?まあ大体そんな感じのことを言ったのさ。細かいことはもう忘れたね。
ともかく、そいつはあたいにとって意外なことに、実に素直に答えた。「へえ、船頭さま。おらは農家の長男でございまして、下には九つ離れた弟がおったんでさ。数えで七つになったばかりのそりゃあかわいいやつでした」……もう小芝居は十分?ま、ま、いいから聞きなって。そんなに長い話じゃない。
「おらのお父は鬼みたいな男でして、酒を飲むとひどく殴るんでございます。その晩はひどく酔っぱらって、もう滅茶苦茶に暴れたのでございました。お父は何が気に食わなんだか、ともかく弟に殴りかかって、頭を何度も打ち据えたのでございます。おらが止めた時にゃ弟は倒れて、こう手足をビクビクさせておりやした。正直に申し上げますとそれを見た後はあんまり覚えておりませんで。気づいたらお父もおらの足元で動かなくなっておりました。お母には本当に悪いことをいたしました。それで、捕まる前に自分でかたをつけようと、身投げをしたのでございます」
とまあ、こんな具合だったかね。言葉にすれば簡単な話だ。 親殺しに自殺なんて、重罪に重罪を重ねてまぁ、こりゃ川幅も長くなろうってもんだ。……だが、そんなひどい話があるかい。字面だけ見れば地獄行きは確定だろうが、事情が事情だ。目の前で大事な兄弟を殺されて、平静でいる奴があるもんか。それにそいつは全く悪人には見えなかった。その事件が起きなけりゃあ、閻魔様だって笑顔で冥界行きを宣言するような、そんな素朴で正直なやつだったんだ。せめて渡し賃ぐらい、情状酌量で多目に見てやったっていいじゃあないか、そう思わないかい?
この話にはもう一つ、やっぱり気の滅入るような続きがある。弟がいたって言っただろう。数えで七つっていえば、まだ子供だ。もしやと思って、そいつを渡し終わった後に賽の河原に行ってみたんだ。――賽の河原は親より先に死んだ親不孝な子供が行く場所だ。
件の弟は、やっぱりそこにいた。すぐにわかったよ。普通は一つ積んでは父の為、二つ積んでは母の為って具合に父母の供養に石塔を積むんだが、その弟は、一つ積んでは兄の為、二つ積んでは母の為って、兄さんと母さんのために石を積んでたのさ。……仲のいい兄弟だったんだろうね。
なあ、あんた、どう思う?あいつの弟が何をしたっていうんだろうか。親に殺された子供が、どうして賽の河原で親のために石を積まなきゃならないんだ。……そして、あたいはどうしてそういうことに思い至らなかったんだ。この件であたいは心底思い知らされた。今まで船頭をしてきて渡した奴は数知れずだが、その人生をあたいは何一つ知っちゃいなかったってことをね。川幅の長い霊の犯した罪もその事情も、賽の河原の幼子たちがどうやって生きて、そして死んだのかも、あたいは何にも知らなかった。考えたこともなかった。
それからあたいはあくせくと働くのをやめたのさ。のんびり働くと余裕ができる。余裕ができると視野も広がる。効率化しか考えない死神連中の目にゃ入らない訳あり霊も沢山運ぶようになったのよ。そんでそういう霊たちの話を聞いてると、まあ本当に千差万別でね、中にはこいつは心底悪人だってやつもいたし、やむにやまれぬ事情を抱えたやつもいた。それぞれの人生の告白を聞きながらのんびり舟を漕いでやるのは、善良な霊を黙ってせっせと渡すよりずっと面白いんだ。それに、どうやらあたいはそっちのほうに才能があるみたいでね、早く渡せるのにはどうにも縁がないんだが、業の深いのはすぐに見つけられるんだ。きっと類は友を呼ぶって奴だろう。あたいもよくよく業が深いからね、いつかあたい自身がこの川を渡されるときは、職務怠慢の罪で長い長い船路になることだろうさ。そんときゃ、話を聞きながらのんびり漕いでくれる船頭にあたりたいもんだねぇ。
……ああ、やっと深いところに来た。ここらで半分ってところだろう。後もうしばらく、あたいの四方山話に付き合ってくれな。……ええ、なんだい、あんたも話す気になったって?そいつはうれしいねえ。……そんなこと言ったって、なにも出ないよ。やめてくれ、そんな立派なのじゃないったら。いいから、いいから。それじゃあ、聞かせておくれよ。あんたの話を、さ。
……しっかしずいぶんと長い川幅だ。なかなか罪深い一生だったと見える。こんなに長い道程なんだし、どうだいここでひとつ、あんたの身の上話でもしちゃくれないかい?……なんだ、話したくないのかい。それじゃあ仕方ない。あたいは無理強いしない主義だからね。
……うん?あたいの話?……そうかい、そんなに長いこと河原で待っていたのかい。どの船頭も素通りか。なるほど、あたいがあんたを選んだ理由が知りたいんだね?……うん、それじゃあ僭越ながら冥土の旅の慰みに、罪深い霊を渡す変わり者の死神船頭、小野塚小町の話でもしようかね。
――あんたも体験したように、三途の川の船頭は善良そうな霊を、えー、つまりは川幅が短くて、渡し賃をたんまり持ってそうな霊を優先して運ぶように言われてるんだ。……うん?確かにこれも悪いことをした者への罰だって考えてるやつもいるにはいる。特に放っておかれたあんたはそう感じるかもしれないがね、実際はもっと簡単な話だ。何の事はない、ようは地獄を回すのにも金がいるのさ。まったく、金もないし、人手も足らない。地獄に勤めたっていいこたないよ、本当にさ。
えーっと何の話だったか。……そうそう、ともかく金がいるってんで、是非曲直庁、あー、地獄のお上は三途の川の死神船頭にも効率的に働けって迫ってきててさ。沢山渡すようなやつは確かに待遇が良くなるからね、あたいも昔はせっせと渡したもんだ。これでも新人のころは真面目で通っていたからね。
しかしまあ、霊にも限りがあるもんだから、これも競争になる。要領のいいやつはうまいこと見分けて優良霊魂をとっとと持っていくんだが、あたいはどうもこれが苦手でね。よく時間のかかるやつを捕まえちまったもんだ。あのときもそうだった。若い霊だから、そんなに罪もないだろうってそんな思惑で選んだのさ。そいつがとんだお門違いで、あたいの人生、いや、死神生まで変わっちまうような、とんでもないやつだったんだ。
その霊を舟に乗せて一息こぎ出して、ぎょっとした。川幅がぐぅんと伸びて対岸も見えなくなっちまってね。それによくよく見たら渡し賃も満足に持っていやしない。そこで、ああとんだもんを掴まされたと悟ったよ。そうやって嘆いてたって仕方ないと、とにかく舟を漕いだんだが、漕いでも漕いでも水平線。ここは海なんじゃないかって本気で疑ったくらいでね。これだけ罪深いのも珍しい。こいつはどれほどひどいやつなんだ、ここで聞き出さなきゃあたいもやってられない。いわば迷惑料として、なんとしてでも罪を告白させてやるって、段々そんな気持ちになってきた。そこで思いきって聞いたのさ。
「やい、そこな罪人。この川幅はお前の犯した罪の大きさに等しい。かような広き川幅を持つお前が犯した罪とはなにか、ここで申してみよ」……なんだい、その反応は。いいじゃないか、ちょっとくらい格好つけたって。本当にそういったのかって?まあ大体そんな感じのことを言ったのさ。細かいことはもう忘れたね。
ともかく、そいつはあたいにとって意外なことに、実に素直に答えた。「へえ、船頭さま。おらは農家の長男でございまして、下には九つ離れた弟がおったんでさ。数えで七つになったばかりのそりゃあかわいいやつでした」……もう小芝居は十分?ま、ま、いいから聞きなって。そんなに長い話じゃない。
「おらのお父は鬼みたいな男でして、酒を飲むとひどく殴るんでございます。その晩はひどく酔っぱらって、もう滅茶苦茶に暴れたのでございました。お父は何が気に食わなんだか、ともかく弟に殴りかかって、頭を何度も打ち据えたのでございます。おらが止めた時にゃ弟は倒れて、こう手足をビクビクさせておりやした。正直に申し上げますとそれを見た後はあんまり覚えておりませんで。気づいたらお父もおらの足元で動かなくなっておりました。お母には本当に悪いことをいたしました。それで、捕まる前に自分でかたをつけようと、身投げをしたのでございます」
とまあ、こんな具合だったかね。言葉にすれば簡単な話だ。 親殺しに自殺なんて、重罪に重罪を重ねてまぁ、こりゃ川幅も長くなろうってもんだ。……だが、そんなひどい話があるかい。字面だけ見れば地獄行きは確定だろうが、事情が事情だ。目の前で大事な兄弟を殺されて、平静でいる奴があるもんか。それにそいつは全く悪人には見えなかった。その事件が起きなけりゃあ、閻魔様だって笑顔で冥界行きを宣言するような、そんな素朴で正直なやつだったんだ。せめて渡し賃ぐらい、情状酌量で多目に見てやったっていいじゃあないか、そう思わないかい?
この話にはもう一つ、やっぱり気の滅入るような続きがある。弟がいたって言っただろう。数えで七つっていえば、まだ子供だ。もしやと思って、そいつを渡し終わった後に賽の河原に行ってみたんだ。――賽の河原は親より先に死んだ親不孝な子供が行く場所だ。
件の弟は、やっぱりそこにいた。すぐにわかったよ。普通は一つ積んでは父の為、二つ積んでは母の為って具合に父母の供養に石塔を積むんだが、その弟は、一つ積んでは兄の為、二つ積んでは母の為って、兄さんと母さんのために石を積んでたのさ。……仲のいい兄弟だったんだろうね。
なあ、あんた、どう思う?あいつの弟が何をしたっていうんだろうか。親に殺された子供が、どうして賽の河原で親のために石を積まなきゃならないんだ。……そして、あたいはどうしてそういうことに思い至らなかったんだ。この件であたいは心底思い知らされた。今まで船頭をしてきて渡した奴は数知れずだが、その人生をあたいは何一つ知っちゃいなかったってことをね。川幅の長い霊の犯した罪もその事情も、賽の河原の幼子たちがどうやって生きて、そして死んだのかも、あたいは何にも知らなかった。考えたこともなかった。
それからあたいはあくせくと働くのをやめたのさ。のんびり働くと余裕ができる。余裕ができると視野も広がる。効率化しか考えない死神連中の目にゃ入らない訳あり霊も沢山運ぶようになったのよ。そんでそういう霊たちの話を聞いてると、まあ本当に千差万別でね、中にはこいつは心底悪人だってやつもいたし、やむにやまれぬ事情を抱えたやつもいた。それぞれの人生の告白を聞きながらのんびり舟を漕いでやるのは、善良な霊を黙ってせっせと渡すよりずっと面白いんだ。それに、どうやらあたいはそっちのほうに才能があるみたいでね、早く渡せるのにはどうにも縁がないんだが、業の深いのはすぐに見つけられるんだ。きっと類は友を呼ぶって奴だろう。あたいもよくよく業が深いからね、いつかあたい自身がこの川を渡されるときは、職務怠慢の罪で長い長い船路になることだろうさ。そんときゃ、話を聞きながらのんびり漕いでくれる船頭にあたりたいもんだねぇ。
……ああ、やっと深いところに来た。ここらで半分ってところだろう。後もうしばらく、あたいの四方山話に付き合ってくれな。……ええ、なんだい、あんたも話す気になったって?そいつはうれしいねえ。……そんなこと言ったって、なにも出ないよ。やめてくれ、そんな立派なのじゃないったら。いいから、いいから。それじゃあ、聞かせておくれよ。あんたの話を、さ。
ありきたりな内容でここから広げてどうにかってところで終わってしまった。
ただ何か見せ場のようなものが欲しかったです
小町のキャラが際立っていて良かったです
小町、要領悪いからサボり言われるのかなぁ、なんて考えたり。
読み終わった後に若干の物足りなさも。
情景の描写などが要所で挿まれていれば、個人的には
もっと深く楽しめたように感じました。