Coolier - 新生・東方創想話

死者を求むこと

2017/03/28 20:37:49
最終更新
サイズ
48.88KB
ページ数
1
閲覧数
1570
評価数
5/12
POINT
620
Rate
9.92

分類タグ

 木に寄り掛かるようにして死んでいる男の人がいた。
 彼の背後には木が生い茂っているけど、それを除けば周りは開けている。すぐそこに踏み固められただけの簡単な道が見えるほどだ。誰かに拾われる前にこうして見つけられたのは、運が良かったのかもしれない。例え死んでいても、行き場に困らない程度には需要があるから。
 彼は血をたくさん流していて、周辺には赤い水たまりが出来上がっている。それだけで、傷の深さがよくわかる。
 一応確認のつもりでほっぺたをつっついてみる。反応なし。
 口元に手を当てる。冷たい。
 最後に胸に耳を当てる。静かだ。
 やっぱり死んでしまっている。
 彼の傍らには、刀の柄の部分だけが転がっている。さっきお腹の辺りから刃を生やして絶命している獣っぽい姿の妖怪を見かけたから、あれとやりあって同士討ちとなったのだろう。

「なんで貴方はこんな所で一人でいるんですか?」

 幻想郷において、人間が里の外に出るというのは自殺行為に他ならない。お腹を空かせた凶暴な動物や思考が動物と変わらない低級の妖怪、手加減を知らない悪戯好きの妖精、それに理性的な妖怪だってデメリットが見当たらなければ襲うだろう。死因となるものなんて、いくらでも転がっている。
 それでもこんな所に来ているのは、里から追放されたのか、それとも何か欲しいものがあったのか、はたまたただの命知らずか。

「良かったら、家族の所に連れて帰ってあげましょうか? それとも、私の所に来ます?」

 返答はない。だから、私の好きにしていいということだろう。

「ではでは、私のおうちに招待してあげますね。性悪な姉が一人いますけど、私がちゃんと守りますよ」

 彼の傍らに落ちていた柄を第三の目から伸びる管にどうにかして引っ掛ける。私がサトリであるという証の名残だけど、本来の用途からかけ離れて役に立ってくれている。引き千切れるものなら引き千切ってやりたいところだけど、切っても切っても後から生えてくるからもう諦めた。
 柄が落ちそうにないことを確認してから、彼を背負い上げる。生ぬるい感触が背中に張り付いてくる。結構な量の血を流しているけど、まだまだずっしりと重い。
 歩き出そうとしてバランスを崩す。そこらの人間より力はあるつもりだけど、体格差をどうにか出来るほど規格外というわけでもない。中途半端な存在である。

「ふんぬおー」

 それでも、捨て置くという選択肢はない。だらりと下がる両足と滴り落ちる血とで道程を刻みながら、我が家を目指すのだった。





「たっだいまー」

 帰宅を告げる声を上げるけど、返答はない。傍を歩いていたペットがびくりと身体を震わせて、不思議そうに辺りを見回すくらいだ。

「もうちょっとで着くから、もうしばらくがんばってね」

 ぐったりと寄りかかってくる身体へとそう言う。同じ道を進んだ者同士、敬語はもう必要ないだろう。
 がんばってと声を掛けたけど、ほんとにがんばらないといけないのは私の方だ。地上からここまでの道は長く険しいもので辛かった。でもそれも、あと少しだ。

「ずーりずーり」

 そのあと少しというのも、結構長い。終わりが見える分、疲労がずっしり乗りかかってくる。
 とりあえず、なんでうちは無駄に広いのかという文句を口にしたい。寝ようとしてるペットの姿が見えたから、やめておくけど。




「よーいしょっと」

 死体を自室の床の上へどさりと降ろした。か弱い女の子がここまでがんばったんだから、最後が雑なのは許してほしい。
 とは言え、無造作に投げ出したままというのも可哀想だから、最後の力を振り絞って壁に寄り掛からせてあげる。物で溢れかえってる部屋だけど、お姉ちゃんのおかげで床が埋まっているということはない。私が何処かで拾ってきた物たちは理路整然と棚に片付けられている。子供の面、手のひらサイズの黒い板、なんてことのない石ころに誰かが忘れた遊び道具。
 そんな夢溢れる部屋に死体がある光景を前にして、私は満足を込めて頷く。そうした所で、全ての気力が尽き果てた。そのまま自分の身体を床に投げ出して、目を瞑る。




 一休みして動く元気を取り戻した所で、包帯やらなんやらを取ってきた。ここに来るまでの間に血は流れきってしまったみたいだけど、放置していていいというものでもない。
 ぼろぼろになっていた服はハサミで切りながらむりやり剥ぎ取る。色彩的な意味で色気満載である。土気色の肌に赤色が映えている。さすがにこれが素敵だと思えるような感性は持ち合わせていない。
 血の量から分かっていたけど、酷い有様だ。多分、一方的に攻撃を受け続けて、最後に一矢報いたのだろう。よく相討ちに持っていけたものだと思う。
 そんなことを考えながら、身体を拭いていく。真っ赤になってしまったタオルはもう使い物にならないけど、そんな頻繁に使い潰すわけじゃないから別にいいだろう。ペットたちの方がよっぽどひどい。遊び道具にされて、ボロ布と化してしまったものをよく見かける。
 一通り身体を拭き終えた。真っ赤になったタオルは適当に投げ出して、包帯とハサミを手に取る。
 傷口を覆う事だけを考えて、雑に包帯を巻いていく。痛々しさを隠してしまいたいだけだから、これで問題はない。どうせ不器用だし。
 怪我人として相応しい姿となったら、服を着せていく。死体とはいえ、礼節は保ってもらわないと。

「……うん、よし」

 最後に一通り確認をして、問題無しと結論付ける。化粧とかすれば顔色もまともになるのかもしれないけど、男の人にとっては屈辱かもしれないからやめておいた。勝手に着替えさせたじゃないかという余計なことは気にしない。
 ずたずたになった服と血塗れタオルを捨ててきて、後は私のことだけだ。

「じゃあ私、お風呂入ってくるから、しばらく待っててね」

 着ている服で念入りに手を拭いて、適当に着替えを掻き集める。
 そして、彼に手を振りながら部屋を後にした。




 お風呂のお湯からお裾分けしてもらった熱気で湯気を上げながら、自室に戻る。今日はもうどこに行く気もないから、寝間着姿である。

「おっ待たせー!」

 自覚出来るほどに元気よく扉を開け放つ。壁に傷が残りそうなほどの大音量が響くけど、まあ気にしない。

「じゃあ、早速あなたのことを教えて? あ、その前に自己紹介か。私は古明地こいし」

 彼の前に座布団を敷いてその上に座る。彼はこっちを見ていない。恥ずかしいから、では決してない。
 何にせよ、こっちの一方的な名乗りになってしまうけど、そこは仕方ない。

「それでそれで、あなたはなんであんなところにいたの?」

 返事はない。

「相打ちとは言え、妖怪とやり合って殺せるなんて、結構なやり手なんだね」

 反応もない。

「ねえねえ、私の友達になってくれる? うん、心配しなくてもだいじょうぶ。死体の一人や二人匿うくらいの余裕はあるし、あなたがお姉ちゃんに手を出されることはないから」

 私の声だけが響く。そのことに安堵する。

「うんうん、だいじょうぶ。焦らないで、気が向いた時に答えてくれればいいからね」

 待つのは構わない。いくらでも待つことはできる。無意識に意識を委ねることのできる私に主観的な時間なんて、いくらでも短縮できる。

「……あなたは私の傍にいる。ただそれだけでいいの」

 そんな呟きにも返答はなかった。





 それから幾日か、私は彼との逢瀬を楽しんだ。
 やってることは、私が一方的にあれこれ聞いたり話したりとそんな感じだ。それでも充実はしていた。怯える必要がないのは、とても素晴らしい。
 でも、残念ながらそんな素敵な時間も長続きすることはない。別れの時はすぐにやってきてしまう。
 地上から摘んできた香草やらでなんとかしようとしたけど、そんなもので誤魔化しきれるものじゃなかった。肌の色が人外に足を踏み入れているのは気にしないように出来るけど、それ以外はかなりキツイ。

「もうお別れのときみたい。ごめんね、勝手にこんな所に連れ込んじゃった挙句、ワガママで捨てるような真似しちゃって。あなたの形見は家族に届けといた方がいい?」

 今更返事が来ることはない。私が忘れるのと家族を見つけるのとどっちが先になるかは分からないけど、預かっておくことにしよう。忘れたら夢の跡地に仲間が増えるだけだ。

「よっこいせっと」

 彼を担ぎ上げる。その瞬間にぞわりと全身に鳥肌が立った。ついでに、吐き気も自己主張を始める。涙目になりつつあるのが分かるけど、私の責任だから捨てたりはしない。

「じゃあ、行こっか」

 油断したら胃の中身をぶち撒けてしまいそうになりながら、自室を後にした。




 ぼこっ、ぼこっという音が断続的に聞こえてくる。
 さほど大きな音ではないけれど、他にあるのは風の音くらいだから、やたらと耳につく。霊の声が聞こえるとそっちが騒がしいくらいらしいけど、私の耳には聞こえてこない。
 地霊殿の存在価値を支えるこの場所は、いつものように暑く赤い。

「相変わらずここはあっついねぇ。あなたはだいじょうぶ?」

 汗を拭いながら、彼の方を見る。彼の身体はいったん地面の上に置かせてもらっている。
 以前は温かいくらいだったけど、あの日を境にすっかり過酷な環境となってしまった。生身の人間とさほど変わらない私には辛い。

「ここ、元々地獄だっただけあって向こう側とはすごい近いらしいよ。今のあなたが空っぽなのか中身があるのかは分かんないけど、よっぽど現世に執着がない限り迷うことはないから安心して。辿り着いた後のことは知らないけど」

 結局今回もまた何も知ることはなかった。それが幸なのか不幸なのか私には知る由もないし、短い期間だったことを除けば満足している。
 どっこいせと声を出しながら、彼を担ぎ上げる。鼻に付く臭いのせいで、感動的とは言い難いけどいつものことだ。しょうがないしょうがない。
 彼の足をずりずりと引きずりながら火口に近づく。
 巨大な穴を覗き込むと真っ赤な溶岩が泡立っているのが見える。ここまで近づくと、吹き付けてくる熱気と併せて、暑いを通り越して熱い。

「あなたとは一週間も一緒にいられなかったけど、なかなか楽しかったよ。もう会うことはないけど。さようなら」

 そんなしんみりとした言葉の後に続くのは、「でりゃー」というあれこれとぶち壊しな掛け声だ。人間って重いからね。
 彼は真っ逆さまになって落ちていく。何かの悪戯で生き返ることもなければ、誰かが乗っ取るために掻っ攫うということもない。
 とぷんと音を立て、煙を上げながら沈んでいく。その姿が全く見えなくなるのに時間はいらなかった。
 微かに肉が焦げる臭いを感じたけれど、すぐに熱波の中に溶け込む。

「……おやすみなさい」

 静かにそう告げて、しばらくその場に佇んでいた。





「あらこいし……って、あんたなんだか臭いわね」

 灼熱地獄を後にして、ふらーっと歩いているとお姉ちゃんに声を掛けられた。鼻を押さえながら一歩引くという酷い行動を伴って。

「妹に向かって一言目がそれは常識がなってないと思う」
「あんただって唐突に非常識なことを言うことがあるじゃない」

 頬を膨らませながら文句を言うと淡々と答えが返ってくる。お姉ちゃんは基本的に淡白なのだ。偶に暴走することもあるけど。

「うちはうち、よそはよそ」
「……まあ、いいけど。それより、そのままだと迷惑だから、お風呂に入るわよ」
「えー、気にするのってお姉ちゃんくらいじゃない?」

 私たち姉妹以外にはペットしかいないけど、そのほとんどが死体漁りで生き延びていたらしい。だから私が死臭を香水代わりに付けていた所で気にしないはずだ。

「いいから」

 お姉ちゃんが私の腕を掴んで引っ張り始める。大人しそうに見えて、結構強引なのだ。私に対してだけのような気もするけど。

「着替えは?」
「途中で適当な子に頼むわ」

 廊下を歩いてたら、大体誰かとすれ違うのだから、便利なものである。ただ残念なことに、私の言うことは全然聞いてくれない。




 マイペースに服を脱いでいると、さっさと済ませたお姉ちゃんにひん剥かれた。冗談混じりに文句を言おうとしたら、有無を言わせず風呂場に引っ張り込まれる。
 この時点で何を言っても聞き入れられないと察して、今は大人しく椅子に座らされている。

「こいし、あんたまた何か拾ってきたでしょ」

 頭からお湯を被せてから、そう聞いてくる。

「よくわかったね?」
「その臭いを自然発生させてるんなら、あんたとは全力で距離を取らせてもらうわ」
「そりゃ酷い」

 お姉ちゃんが私の頭をわしわしと洗い始める。キメの細かい泡が落ちて来たから、目を閉じる。

「ペットたちでは物足りない?」
「うん」

 お姉ちゃんの手の動きが細かくなってくる。私の心を読めないとか言ってるくせに、非常に的確で心地良い。目を閉じているのと相まって、このまま寝入ってしまいそうになる。

「私は現状で満足してるんだから、放っといてくれて大丈夫だよ?」

 いつもなら、こう言えばお姉ちゃんは口を噤んだ。そこで黙る理由は分からないけど、今回もそうなるだろうと確信もなく決めつけていた。

「……だったら、泣きそうな顔して私の前に現れるんじゃないわよ」
「え……?」

 予想外の言葉。
 思わず、自分の頬に触れてしまう。
 その瞬間、頭からお湯を掛けられた。





 お姉ちゃんからあんなことを言われてから一月くらいが経った。季節の流れからして、それくらいだと思う。

「私ってお別れのとき泣きそうになってるらしいけど、あなたはどう思います?」

 初対面の人にそんなことを聞いてみる。いつものように返事はない。
 その人は身投げしたのか、はたまた足を滑らせたのか、崖下に横たわっていた。腕やら足やらありえない方向に曲がっている。

「でも、言われてみればそう言うこともあるのかもしれませんね。仲良くなる前にお別れが来ちゃうわけですし」

 今日この時まで全然納得ができなかったと言うのに、少し話をしただけでなるほどと思えてしまった。考えを纏めたい時は誰かに話すのがいいというのは本当のことだったらしい。

「永遠に腐らない死体とかないかなぁ」

 外の世界だと防腐処理を施して長持ちさせることはできるらしいけど、この辺境の地にそれをするための設備も薬剤もない。永遠亭なら何かありそうだけど、無償で貰えるとは思えない。盗むのは造作ないけど、どれを持っていってどう使えばいいのかがわからない。

「うーむー」

 私の願いを叶えてくれるものはないだろうかと考え込む。こういうのは、浮気に入るのだろうか。

「お前、そこで何をしている」

 ちょっと脱線した思考の只中を漂っていると、首筋にひやりとした物が触れた。低く敵意に満ちた声は聞き覚えのあるものだ。

「動くなっ!」

 鋭い声を向けられるけど、無視して振り向く。

「私が素直に聞くと思う?」

 後ろにいたのは、無表情にこちらを見据える少女――秦こころだった。頭には狐の面が見えるから、伊達や酔狂で薙刀の切っ先をこっちに向けてるわけではないらしい。

「古明地こいし、もう一度問う。お前はここで何をしている?」

 何故か知らないけど、彼女は私に声を掛けることができる。お姉ちゃんでも、毎度毎度私を見つけられるわけではないのに。
 最初の頃はそのことに驚いてたりしたけど、今では驚くことはなくなった。いまだに納得はできないけど。

「出会いを求めて道を踏み外し中。で、さっきそこの人と知り合って、交流を深めようとしてるとこ」

 ふざけたらぐさりと一突きされそうだから、正直に答えておく。

「……死んでるじゃないか」

 思いっ切り不審な声が返ってきた。こっちは真面目なのに解せない。

「まあ、これで生きてたら地獄のような苦しみを感じることになるだろうねぇ」

 まさに生き地獄。そんなものを見つけたらちゃんと殺してあげないといけない。私には首を絞めるか刃物を突き立てるくらいしかできないけど、それでちゃんと目的は果たせるのやら。

「それで、こころはこんな所で何やってんの?」
「人里で行方不明者が出たから探している。……いや、いた」

 こころの視線が死体の方へと向く。どうやら、私が見つけたこの人が探し人のようだ。

「行方不明者を発見したから、これで一見落着?」

 無邪気を装うように首を傾げてみる。

「そんなわけがないだろう」

 面の隙間から射殺さんばかりの視線が向けられる。それに併せて、薙刀の切っ先も鋭くなっているかのようだ。
 真面目な性格であれば、当然の反応。

「……古明地こいし。お前が、殺したのか?」
「そんなことして私に何の益があるの?」

 私の手で殺めることによって、永遠の関係となれるならともかく。

「それはわからない。でも、お前は死体と話をしていた。それだけで十分に怪しい」
「ふむふむ。確かにそれは一理ある」

 こっちが何を考えていようと、それを伝えられなければ証拠としては何の効力もない。

「でまあ、私が容疑者だとしてどうするつもり? 里の中ならともかく、外だからこの人の自己責任だよね?」
「里から連れ出した可能性も捨てきれない。私と来てもらおう。里に過去の行動を読み解くことが出来る人がいるから、その人に見てもらう」

 そう言えば、そんなことができる半妖がいるということを聞いたことがある。

「ほいほい、それじゃあ案内よろしく」

 抵抗する理由もないし、大人しく従う。逃げるつもりはないと証明するように、薙刀を握る拳の上に手を重ねる。

「……何か企んでるのか?」

 何故かそんな警戒を抱かれた。
 やっぱり解せない。





 人里の寺子屋の裏手。
 この辺りには誰もいない。建物の陰になって薄暗い感じはあるけど、地底のような鬱屈とした雰囲気はない。その場に住む者の気質もあるんだろうけど、何よりも頭上に広がる青空が空気を滞らせないからなのかもしれない。

「疑って悪かった……」

 こころが私に向かって頭を下げる。人里に住む半妖によって、私はただの通りすがりだと断言されたのだ。

「いいよいいよ」

 こころの謝罪に対して、ひらひらと手を振る。あの場で疑うなという方が無理な話だ。

「この埋め合わせは今度させてくれ」
「この後すぐじゃないの?」
「あの死体を運ばなくてはいけないからな」

 さもありなん。まあ、今度と言っているから、その時に好きなだけたかってやろう。

「私にくれない?」
「駄目に決まっているだろう。家族に返すべきものなのだから」

 そう言われてしまえば、私からは何も言い返せない。しょうがない。今回は諦めるとしよう。

「そもそも、お前はなんで死体をそんなに欲しがるんだ?」
「お友達になりたいから」
「……お前は何を言ってるんだ?」

 不可解だというのが声にしっかりと滲んでいた。

「まあ、分かんない方がいいと思うよ?」

 理由を説明しようと思えばできるけど、面倒くさい。今のこころに理解ができるかもわからない。
 それにどうせ私は訳の分からない存在だ。こういう態度を取っておけば、追求されることもないだろう。

「ふうん?」
「まあ、あの人に帰る場所があるなら、奪ったりはしないよ。でも里に連れて帰るまでは私の好きにしていい? 私が運ぶからさ」

 私の頼みを聞くとこころが考え込み始める。火男の面があるから、本気で悩んでいるようだ。無表情なのに、それ以外の部分で感情がだだ漏れなのは動物っぽい印象がある。

「……まあいいだろう。ただし、私がお前の監視をする」
「どうぞどうぞ」

 見られて困ることをするわけではないから、邪魔さえしないのであれば好きにすればいい。




「あなたはなんでこんな所にいるんですか?」

 崖下まで戻り、死体となっていた人を背負い上げると、いつもの問いを口にする。人里の中から拾ってくることは出来ないから、定形のものとなってしまっている。

「一月前からその人の恋人が行方不明になってたから、探しに行くために里から出たんじゃないかと思う」

 ただし、いつもと違ってこころから返答があった。視界の端に映る女性に向いていた視線が、自然とこころの方へと向かう。

「知り合いなの?」
「そうだ。時々私の能を見に来てくれて、感想を言ってくれるくらいの間柄だが」

 こころは憂いの面を被り、無表情に陰を落とす。

「一月程前、その人は病気を患った。苦しんで、今にも死にそうになっているのを見て、恋人が居ても立ってもいられなくなったらしい。……でも、永遠亭に一人で向かってそのまま帰ってこなかった」

 こころの視線がちらりと私の背後へと向かう。表情一つ動いていないのに、ちゃんと悲しそうに見える。

「その数日後に、永遠亭の人が里を訪ねてその人は一命を取り留めた。……けれど、体力が回復して動けるようになったとき、行方をくらましてしまった」

 よくありそうと言えばよくありそうな話だ。でも、生前のことを聞くことができたということ自体が初めてだった。

「その恋人さんって、どういう人だったの?」
「農家の息子だったらしいが、武術にも長けていて、里の警備隊の中でも一目置かれていた」
「妖怪に勝てるくらい強かったの?」

 ふと、一本の折れた刀のことを思い出していた。

「さあ……。少なくとも、酔っぱらいなら軽々といなせていたが……、突然どうしたんだ?」
「いや、一月前くらいに拾ったのが妖怪と相打ちしてる人だったから、その人が恋人さんだったのかなぁって」

 武に長けていそうということくらいしか合ってないけど、里の行方不明者なんてそう何人もいないはずだ。

「……そうか。それで、その人はどうしたんだ?」
「何日か話し相手になってもらって、今はもう火葬しちゃった。残しといたほうが良かった?」
「いや、一月も前のことだ。残していたとしても、とても見れたものではなかっただろう」

 死体にとって一月というのは、どれほどのものなんだろうか。完全に肉が削げ落ちてしまうのか、それとも中途半端でぐじゅぐじゅの状態なんだろうか。少なくとも、鼻には優しくない状態になっていそうだ。

「ごめんね、あなたの恋人さんを奪うような真似をしちゃって。でも、安心していいよ。友達にはなったけど、それ以上の仲にはなってないから」

 反応なし。

「なあ、こいし。どうしてお前は死体に話しかけているんだ?」
「お友達になりたいから」
「それだったら、生きてる人となればいいんじゃないか?」

 私の行動が理解できないとでも言うような様子だ。こころは妖怪のくせに考えが普通の人間にかなり近い。
 私もお姉ちゃんにそう評されたことがあるけど、まともからは程遠いと思う。だから、彼女が全く理解できない行動を必要としてしまう。

「私って生きてる人にはすぐ忘れられちゃうから」

 でもそれは、結果から連鎖して生まれた新たな結果でしかない。

「反応がないなんてつまらなくないか?」
「全然?」

 嘘だ。

「そうなのか」

 こころが考え込み始める。今の会話から何か得られることでもあったんだろうか。知らないことが致命的になって欲しくないから教えて欲しい。

「……あれ? でも、私はお前のことを忘れたことなんてないぞ?」
「実は死んでるんじゃない?」
「なんとっ! 私は死んでいたのかっ?!」

 適当に言ったら真に受けられてしまった。
 彼女がこんな性格だから、横に居続けられるのかもしれない。




「こいし、帰る前に着替えたほうがいいんじゃないか?」

 半妖の所に無事死体を届け終えたので、そっと姿をくらませようとしたらこころに腕を掴まれた。ほんとになんで、私を見落とさないんだろうか。

「いいよ別に。いつものことだし」
「私が気になる。服なら、私のを貸す」
「いやいや」

 この子は私たちの身長差がわかってるんだろうか。頭一つではすまないくらい差がある。

「いいからいいから」

 こっちの意志なんて関係ないらしく、ぐいぐいと引っ張られる。腕力ではそう大差ないはずだけど、不思議とこちらの力が打ち消されているような感じがする。これが常日頃から能を舞っている者の足捌きというものなのか。
 そんなわけで、禄な抵抗も出来ず連れ去られてしまうことになるのだった。




 こころが鼻歌を奏でながら、私に着せた服の袖を折っていく。
 こころの家へと連れ込まれた私は、無理やり服を着替えさせられた。この前、あの死体と別れたときもこんな感じだった気がする。
 肝心の服の方だけど、私の予想通り大きかった。袖は大いに余って完全に私の手を隠してしまうし、スカートの裾は床面ぎりぎりの所で揺れている。

「……よし」

 両手が日の目を見た所で、こころが私から一歩離れて満足そうに頷く。それから、そそくさと部屋から出て行く。
 こころを視線で追うついでに部屋の中を見てみる。部屋にはいくつもの扇子が飾られており、色鮮やかな様相を呈している。後、能をする際に着ける飾りなのか、あまり見慣れないものも置かれている。
 様々な場所で舞うことでためたお金で建てたらしいけど、よく人里の傍に建ててもらえたものだ。人間と寄り添う必要がある付喪神だからこその特例もあるのだろう。

「どうだっ」

 ちょっと考え事をしている間に戻ってきていたようだ。いつの間にやら目の前に姿見が置かれていた。
 その隣に立つこころの無表情から、したり顔が透けて見える。

「……同じ服、いくつ持ってるの?」

 着替えさせられている最中に思っていたことを口にした。私に着せられているのは、こころがよく着ている服だ。ついでに言うと、今も着ているから、ペアルックとなっている。

「同じではないぞっ。ほらスカートの部分をよく見てみろ。全部笑ってるじゃないか」

 そう言って、顔の形になっている切れ込みを嬉しそうに指差す。確かに全部笑顔に見えるけど、なんでそんなテンションになれるのかさっぱりわからない。変な子である。

「それにしても、なんで突然私に世話を焼き始めたの?」

 私たちはそれほど親しい間柄でもない。少なくとも、無理やり引っ張り込まれて、服を着替えさせられるような関係では絶対にない。

「捨て置けない雰囲気だったからだ」
「それは、私が可愛くて可愛くて仕方ないってこと?」
「……まあ、間違ってはない」

 何故か妙な間が伴っていた。
 ちなみに、可愛いには可哀想とかいう意味もあったはずだ。鏡を見ても特にこれと言った感情は見えないはずだけど。

「私がとやかく言うことでもないだろうから、何も言わない。でも、気にはなるから放っておかない」

 桜色の瞳でじぃっとこっちを見つめてくる。無表情なくせに、その瞳には強い意志が込められている。
 私は居心地の悪さを感じて、逃げ出そうとする。

「帰るのか? じゃあ、気をつけて」

 見送られるという形になって、逃走は失敗してしまうのだった。





 その翌日、自室の棚から形見である刀の柄を取り出す。
 彼の家族の居場所はいまだに分からないままだけど、近しい存在は見つけた。だったら、私が持っていても仕方がない。忘れっぽいという自覚があるし。
 家の場所は聞いてないけど、その内お葬式をするかもしれないという聞いている。だから、数日の間里にいれば見つけることができるだろう。




 人里の中で意識を投げやると、気が付いたときには周りに比べてどことなく重く暗い印象を纏う建物の前に立っていた。建物自体は里の中でも特に珍しくもない質素な木造建築だ。ただ、大きさだけはそこら辺の家の二、三軒分くらいある。ここは確か、集会所だったはずだ。
 そっと中を覗いてみる。中は大きな一部屋だけで構成されていて、白い喪服を身に纏った人がたくさんいる。
 そんな白と黒の人物しかいないところに鮮やかな桜色が見える。明らかに場違いだけど、受け入れられているようで浮いている様子はない。
 こころがいるなら、ここが彼女さんの葬儀会場ということで間違いないだろう。
 それだけ確認すると中には入らず、柄を入り口の傍に置いて離れる。私は受け入れられることのない妖怪だ。普段なら気付かれることなく入り込むこともできるけど、こころがいるからやめておく。見つかって面倒なことになるのも嫌だし。
 積み重ねられた荷物の陰に隠れて、地面の上にぽつりと佇む柄を見守る。
 拾ってくれる人はいると思う。でも、それが誰のものか分かってもらえるかとなれば何とも言えない。もし誰のものなのか気づいてもらえずに放っておかれてしまうなら、そっと回収しておくとしよう。




 しばらく物陰に屈み込んでいると、こころが集会所から出てきた。一歩後ろを付いて歩く人と話をしていたみたいだけど、すぐに足元のものに気づく。
 彼女はそれを拾い上げると首を傾げる。後ろについて歩いていた女性も同様だ。
 さてさて気付く人がいるのやら。そう思って様子を窺っていると――

「それは――の刀じゃないかっ!」

 驚愕と怒りの込められた男の声が聞こえてきた。
 びくりと身体が震えると同時に、恐怖でその場に縛り付けられる。

「オレの息子を殺した野郎がそこにいるんだろうっ?! こそこそとしてないで、出て来やがれっ!」

 私がやったことではない。でも、感情が読めずとも伝わってくる激情に心が竦む。
 続けて出てきた人たちも一番強い感情に引っ張られていく。彼を殺した存在に対する怒りが蔓延していく。
 考えてみれば、こうなるのも当然の成り行きだ。なんで私は暢気に知り合いに返すことができるだなんて考えてしまったのだろうか。

「ちょっといいですか?」

 思いが一点に固まりつつあるところにマイペースな声が響いた。

「多分それは、私の知り合いが置いていったものだと思います」

 こころの言葉に場の雰囲気が変わる。

「……こころさんは、私たちの息子を殺したやつと知り合いだって言うんですか?」

 女性の強張った声。行き場のなかった感情が一点へと集まりつつある。それに気づいているのかいないのか、こころの態度が変わることはない。

「あいつは殺していません。慧音さんがそいつの過去を見たから間違いないです」
「だったら! 誰が俺たちの息子を殺したっていうんだ!」

 感情に任せて男性がこころへと詰め寄る。それでも彼女は一歩もひかず、毅然とした態度を崩さない。

「そいつの証言では、妖怪になりかかっている獣に殺されたそうです。相打ち、だったそうです。……ごめんなさい。もっと早くに喋っておくべきでした。落ち着いてからでいいと思っていたら、こんなタイミングになってしまいました」

 こころは深く頭を下げる。

「……いや、俺の方こそ取り乱してしまって悪かった。顔を、上げてくれ」

 男性は落ち着いた様子のこころと話す内に冷静になったのか、彼女の言葉に納得し、素直に謝罪する。それに続くように周りの人たちもこころの言葉を信じたようで、緊迫感が薄れていくのがわかる。
 突っかかる人はいなくなり、代わりに居心地の悪いような雰囲気が場を支配する。

「……そうだ、こころさん。私たちの代わりにお礼を言っておいてくれませんか?」
「それは構いませんが……、こっそり連れて来ることも出来ますよ?」

 他の人に聞かれないようにするためか、声を潜める。

「……いえ、こころさんがいれば大丈夫だろうとは思いますけど、やっぱり外の妖怪は怖いんです。そのせいで、失礼な態度を取ってしまうかもしれませんし」
「わかりました。伝えておきます」

 こころのその言葉を聞いて、自分の身体が動くようになっていたことに気付く。ちゃんと拾われたことも見届けられたことだから、この場にいる理由もないということでさっさと離れてしまうことにした。




「こいし、こんな所にいたんだな」

 里の外をのんびりふらふらと歩いていると、こころに捕まった。私の腕を掴んで、逃すまいとしている。

「……なんで私がいる場所がわかったの?」

 今は見つからないつもりで歩いてたのに。

「近くにいるだろうと思って探したら見つけただけだ。さすがに居場所まではわからない」
「居場所以外はわかるような言い方」
「お前は我らだった希望の面の持ち主だからな。お前の希望がどうなっているかくらいはわかる」

 当然のことを聞くなとでも言うような語調だった。知らない所で一部だけとは言え、私のプライバシーはだだ漏れだったらしい。もしかすると、彼女が私に気付くことが出来るのはその繋がりのせいなのかもしれない。
 それにしても希望、か。今更私がなんの希望を抱いているというのだろうか。

「で、何の用?」
「特に用といった用もないが、別に一緒にいても構わないだろう?」
「それは腕を掴みながらする質問じゃないんじゃない?」

 振り払うために腕を振り回そうとするけど、全く振り払える気配がない。びくともしないわけではなく、こっちの腕の動きに合わせて受け流されてしまっている。無駄に器用な真似を。
ならばと逃げようとすれば追いかけられ、逆に迫ってみれば距離を取られる。
 意地になって数十分ほど続けてみたけど、私の方が先にバテてしまった。

「あー、もうっ! なん、なのっ! ……はあ」

 一息に文句を言ってやろうと思ったけど、息が続かなかった。

「ふっふっふ、私の専門は能だが、その延長で社交ダンスも嗜んでいてな。見知らぬ他人が相手でも足を合わせる自信があるぞ」

 どうやら生まれ持った技能でもって、私の動きに合わせてきていたようだ。私には、何の役にも立たない読心の力しかないというのに不公平だ。
 私が天から押し付けられたものは、他人を遠ざけることしかできない。

「……じゃあ、あなたの才能ちょうだい」
「ああ、いいだろう」

 一蹴されると思っていたのに、受け入れられてしまった。あまりにもあっさり頷かれるものだから、こっちはどう判断していいかわからない。

「とはいえ、一朝一夕で渡せるものでもないがな。というわけで、さっそく――」

 私の腕を離して、一歩分の距離を取る。

「――私と踊ってくれませんか?」

 そういうことかと呆れながらも、なぜだか私は差し出された手を握っていたのだった。




「お前は体力がないんだな」

 地面に身体を投げ出した私に向けてこころがそんなことを言い放つ。言い返してやりたいところだけど、そうするだけの元気も空気もない。なんで私が動けなくなるまで放してくれなかったのか。そして、私も私でなんでこんなになるまで動いてしまったのか。

「動けないみたいだし、私が家まで送っていってやろう」

 返事を持つ素振りさえ見せず、勝手に私を背負う。小柄な方だという自覚はあるけど、それでもあれだけ動いて安定感が失われないというのは意味がわからない。

「お前の家の場所はちゃんと覚えているから寝ててもいいぞ」

 そう言われる前から私の意識は寝る体勢に入っていた。





 目を覚ますと私の手が誰かの手を握っているのが見えた。寝てる間にお姉ちゃんを捕まえてしまったのだろうか。そう思ったけど、次に私の意識に入ってきたのは全く別の人物だった。

「おお、目を覚ましたか」
「……なんでこんなとこにいるの?」

 横になっている私を見下ろしているのはこころだった。視界に入ってきているものから判断するに、ここは私の部屋で間違いない。

「さとりにお前を引き渡したらそのまま帰るつもりだったんだが、ベッドに降ろした時に手を掴まれてしまってな。振り払う程でもないから、こうしてお前の寝顔を眺めていた」
「ふーん」

 手を放して帰ってもらおうとしたけど、なぜだか出来ない。

「帰らないの?」
「夕食を頂くことになっている」
「ふーん」

 私がぶった切るから会話は続かない。だというのに、追い出すことはできないでいる。なあなあに中途半端な状態を続けようとしている。
 私の傍にいることを積極的に選んでいるらしいこころに対して、どうしていいかがわからないのだと思う。

「こちらから干渉する気はあまりないのだが、一つ良い事を教えてやろう」

 しばらく黙っていると、こころの方から話しかけてきた。私は反応しない。

「私はいつでもお前と踊ってやれるぞ?」

 どうやら、私が手を放さないのは別れるのが嫌だからと思われてしまっているようだ。

「……あなと踊ると死にかけるからやだ」
「……そうか」

 表情は動いてないのに、残念がっているのが声からこれでもかというくらい感じ取れる。
 そのまま二人して黙ってしまうから、若干居心地の悪い静寂が場を支配してしまう。逃げようかと思ったけど、この手が握られている限りきっと逃げられはしないだろう。
 ……それを嫌がっていない私がいる。

「……ねえ」
「なんだ?」
「……なんでもない」
「む? そうか?」

 私はこころに言いたいことがあるのだと気づいてしまった。でも、言えないでいる。拒絶されることはないと思うけど、それでも怖いものは怖い。

「難しい顔をしてるな」

 顔を近づけて覗き込んできた。

「私ほど単純なのなんていないと思うけど」
「何か悩んでるなら聞くぞ?」
「……あなたがなんで私にここまで付き纏ってくるのかわかんない」

 核心には迫らず、外側から探ってみる。何か安心できる材料が欲しかった。

「それはお前が友達? だからな」
「……なんでそこ疑問系なの」

 今まで歯切れが良かっただけに余計に目立つ。実はただお情けでそう言ってくれてるだけなんじゃないかと不安になってしまう。
 私は鬱陶しくて煩わしくて顔も見たくない存在で……。

「私にもよくわからないからだ。以前はライバルだと思っていたのだが、こんな腑抜けたやつでは張り合いにならない。だから、最近はお前のことなどどうでも良くなっていた。まあ、ちょくちょくとお前の希望の動向が伝わってきていたから、忘れることはなかったのだがな。だが、死体と話すお前を見てからはやたらと気になってしょうがない。しかも、こうして一緒にいてみても悪くはないと思える。この距離感を示す関係はなんなのだろうな? 私は友達でもいいんじゃないかと思っているのだが」

 ……私にそんな疑問を振らないで欲しい。

「いや、もういっそのこと、お互いにそうであるとこの場で宣言してしまおう。古明地こいし。私と友達になってはくれないか?」

 その声には、どこかたどたどしさがあった。
 きっとこころは、その言葉を口にしたことがなかったのだろう。でも、いつだって彼女は誰かと友達と呼べるような近しい距離感を作り上げてしまう。だから、私とは正反対にあの異変の後も人気者であり続ける彼女は、それをわざわざ声にする必要がなかったのだと思う。

 私は嫌われものだった。
 こちらから入っていかなければ輪に近づくことさえ出来なかった。
 がんばって近づいても、結局最後には見捨てられてた。
 そんな私には無縁の環境だ。

 そんな恵まれた環境にいて、私程度に断られた所でなんの損害もないはずなのに、どうして不安そうな面を被っているのか。
 こんな場面でも、素直になる気概も安堵する度胸もなくて、そっぽを向いてしまう。こころが手を放してくれないから、無茶な体勢になる。

「……嫌なのか?」

 不安げな声が聞こえてくる。無表情しか見たことがないのに、うるうると瞳を湿らせる姿が鮮明に浮かんできてしまう。
 こころが表情を手に入れた暁にはもっともっと人気者になるんだろうなぁ……。きっとその傍に私なんかがいる隙間はない。

「……別に友達なんていくらでもいるでしょ?」
「少ない、とは思っていないが、それが今なんの関係があるんだ?」
「そんなにいるなら、そこまで必死になるものでもないでしょ。ましてや、私なんかために」
「友達は選り好むものではないだろう? なりたいと思ったらなる、そういうものではないのか? 道具であった我らも知っていることだぞ?」

 力強くそう言い切ってくる。
 そこまで言われても、私は首を縦に振ることはできない。縮こまって耳を塞ぐように何も答えないだけだ。

「……ふむ、そうか。わかった、この話はここで終わるとしよう」

 こころは何かに納得したような反応をしたかと思うと、私の手を放す。中途半端な状態で留まるための支えがなくなったから、背を向ける形になる。
 ついに私の態度に愛想が尽きてしまったのだろうか。
 それならそれで構わない。信じてから裏切られるよりはよっぽどましだ。突き放すための努力をしたのだ。見放されてしまって当然なのだ。
 後は離れていくだけ。そう思って、扉の音が響くのを待っていたと言うのに、全く予想していなかった感触に襲われて身体が震える。

「……何してるの」

 背後で行われていることだから詳細はわからないけど、ベッドに潜り込んで背中から私を抱きしめているようだった。

「一度くらいベッドで横になってみたかったのだ。良い機会だし邪魔させてもらうぞ」

 全く遠慮がない。腕を回すだけでなく、足も絡めて完全に私を拘束してきている。
 確かにこころの家は幻想郷でもありきたりな日本家屋で、ベッドは見当たらなかった。でも、横になるために私を抱く必要はないはずだ。二人寝ても多少の余裕がある程度には広いのだから。

「ひゃ……っ」

 耳に息を吹きかけられた。流石に身の危険を感じて逃げ出そうとするけど、時すでに遅く全く身動きが取れない。体格が同じなら何とかなりそうなのに!

「な、なにするのっ!」
「お前が色々と面倒くさいから、私も面倒くさくなった! はむっ」

 耳を唇で挟まれて、しかもそれがもぞもぞと動いている。全身に鳥肌が立つのを感じるけど、身悶えるのも許してくれない。

「私の友達になってほしいという問いに答えてくれたら放してやろう」
「やだっ」
「それは何が嫌なのだ?」
「答えるのがっ」

 そう答えたら首筋を生暖かい感触が触れた。色々と耐えきれなくなってきていて涙目になりつつある。
 それでも私は往生際悪く、首を縦にも横にも振ってやらない。

「ひぅっ」

 今度は首筋を甘噛みされた。

「変態変態変態っ!」
「へんひゃいやにゃいっ」
「そ、そのまま喋んないでっ!」

 そんな騒ぎがしばらく続くことになってしまうのだった。




「こいし、こころさーん……? あ、ごめんなさい、失礼しましたっ!」
「お姉ちゃん待って! 失礼してないから助けてぇ……っ!」

 逃げる気力は完全に失せて、為すがままとなっていた所に入ってきた第三者に全力で助けを求める。
 私の助けの声はしっかりと聞き入れられたようで、部屋から出ていこうとしていたお姉ちゃんが戻ってくる。

「……こころさん。素直じゃないからってあんまり妹をイジメないであげてくださいね」
「嫌われる覚悟もあります」

 ようやく解放されたことに安堵して、ベッドの上で脱力していたけど、再び身の危険を感じて、全力でお姉ちゃんの背中に逃げた。移動の最中にふらついたところから、こころの所業を察して欲しい。

「こいしも何でもいいから答えてあげたら? 面倒なら突き放してしまっても構わないのだし」

 こっちに振り向いてきたお姉ちゃんに対して、首を横に振って答えとする。
 お姉ちゃんはお姉ちゃんで独りでいても平気だから、そんなことを気軽に言えるのだ。

「……とりあえず、お風呂に入ってきたら?」

 困ったような表情でこちらを見ていると思ったら、結局毒にも薬にもならないことを言ってきた。お姉ちゃんのこの距離感は居心地がいい。

「……うん、そうする」
「私も一緒に行こう」

 逆にこころはこれでもかというくらい距離を詰めようとしてくる。本当、理解ができない。

「来ないでっ!」

 とにもかくにも今は彼女の傍にいたくはない。
 捕まりさえしなければどうとでもなるけど、それでは心が休まらない。自業自得とは言え、少しくらい休憩したい。

「こころさんは食堂で待っていてくれませんか? お茶をお出ししますので」
「ふむ。まあ、一人で考える時間も必要ですね」

 あっさりと身を引いてくれた。厄介なのは、私をからかいたいわけでも、私といちゃつきたいわけでもなく、答えを聞くために手段を選ばなくなりつつあるということだと思う。何をどこまで知っているかも分からないから、このまま放置していいのかも悩む。ただ、諦めさせるには答えを口にするしかないわけで。
 八方塞がりという言葉が浮かんだけど、見なかったことにする。問題の先延ばしと逃避は私の得意とするところだ。
 あ、そっか。しばらく逃げればいいのか。
 そうとなれば、実行するしかない。お姉ちゃんには悪いけど。




「こいし? どこへ行くつもりだ?」

 お風呂から出て早速逃げ出そうとしたら、出口の傍でこころに見つかった。食堂で大人しく待ってると思ってたのに。首元が気持ち悪いからって素直にお風呂に入ったのは失敗だったかもしれない。

「ちょっとのぼせちゃったから、涼みに行こうかなぁと」
「なら私も一緒に行かせてもらおう」
「一人で行きたいなぁ」

 一縷の望みに賭けてそう言ってみる。

「許すと思うか?」

 うんまあわかってた。所詮一縷は一縷だった。




 こころを伴って、地霊殿の裏の方へと向かう。この近辺はどこに行っても涼しくはない。でも、多少は風通しのいい場所もあるのである。
 私が向かった場所もその一つだ。どこかに地上まで続く小さな穴でも空いているのか、常に風が吹いている。
 適当な岩の上に腰掛けると、こころが隣に座ってきた。私は思わず距離を空けてしまう。

「さすがに二度手間をかけさせるようなことはしない」

 寂しそうな表情の面を浮かべている。嘘ではないんだろうけど、あそこまでされた後に無防備に隣に座っていられるほど他人を信頼はしていない。だから、私たちの距離はそのままだ。

「……すまない。少々意地になりすぎていた」

 このまま二人して黙ってるのかなと思っていたら、こころがぽつりと喋り始めた。

「私は強引にすることしか知らなくてな。さとりに少し説教をされてしまった。でも、私が完全に間違えているとも思っていない」

 謝罪しているのやら開き直っているのやらよくわからない。何にせよ、彼女の傍での平穏は失われてしまったようだ。まあ、元々そういう関係でもなかったけど。
 彼女が言っていたように、私たちは宿敵のような関係だった。でも、私たちを繋いでいたお面から力が失われてしまえば、争う理由もなくなってしまう。そうなれば、ただの知り合いに成り下がって関係も希薄になる。

「たまに私が催促するから、そのうち答えてくれればいい」
「……催促ってまた同じようなことするつもり?」
「今のところはそのつもりだが、また何か別の手段が思い浮かべばそれも試してみる」

 希薄だったはずだった。だというのに、なんで私にここまでするんだろうか。
 希望の面による薄い繋がり、死体と話す私の姿。多分、この辺りが関係しているのだろう。そして、彼女が私に向ける感情は決して悪いものではない。更に言えば、彼女は決して悪人ではないことを知っている。
 ……そこまで飲み込めても、やっぱり彼女の好意を受け入れることはできない。
 心は常に移ろいゆくもの。いつまでも彼女が私を拒絶しないということはありえない。
 そう、例えば再び私の目が開いてしまって、それをきっかけに気持ち悪がられるようになってしまったり。

「そりゃまた熱心なことで」
「ふっふっふっ、諦めは悪いからな」

 こころの心をこのまま止めることができるならどんなに素敵なことだろうか。
 私はそのための方法を一つだけ知っている。殺してしまえば、その瞬間に彼女の心は止まる。
 でも、死体はいつか腐って私の方が忘れてい、く……?

「……こころ、お腹空いたしそろそろ戻ろっか」

 私はあることに気がついてしまった。

「む、そうか。そうするか」

 こころが立ち上がって私に背を向ける。その背中はひどく無防備で全くの警戒を抱いていないことがわかる。
 私はその背中へと駆け寄って――

「こいし? 何のつもりだ?」

 首へと突き立てるつもりだったいつも持ち歩いている包丁は、あっさりと避けられてしまう。
 不意打ちの一撃が避けられて焦った私は、距離を詰めるようにしながら続けて凶器を振るう。でも、その尽くが後退しながら青白く光る薙刀によって弾かれてしまう。

「なんで当たってくれないのっ?!」
「刃物を向けられて大人しく切られるやつなどいるはずないだろ!」

 どうしよう、どうしよう、どうしよう!
 殺すことができなかった!
 殺意がばれてしまった!
 嫌われる、嫌われてしまう!
 早く。早く殺さないと!

 逃げ場を塞ぐように弾幕を展開する。サトリが相手の息の根を止める手段は普通の人間と変わらない。
 殺意を込めて腕を振るう。受け流される。
 幻想の蔦で足を絡めようとする。踊るようなステップで躱され、薙刀で振り払われる。
 不可視の機雷を撒く。開いた花弁が当たる。

「ぐ……っ」

 よろめいた所を狙って、今度こそ仕留めようと包丁を振るう。

「あ……が……っ」

 でも、近づこうとした所を蹴り飛ばされた。反撃が来るとは思っていなかったから、衝撃を受け流すことも出来ない。致命傷を与えられる隙が全く見当たらない。
 それどころか、私の方が付け入る隙を見せてしまっている。
 こころが怒りの表情の面を掲げると蜘蛛の糸がこちらに伸びてくる。それを避けるために動こうとするけど、痛みのせいで思ったほど移動できず、足に白い糸が絡みついてしまう。
 そのまま足を引っ張られる。振り解こうとしてバランスを崩していた私は、顔を打つように転ばされる。思わず包丁も手放してしまう。
 拾うには遠い。離れた所のものを引き寄せることはできるけど、それは致命的な隙になる。
 だから、先に牽制の弾幕をばら撒く。こちらに近づいてきていたこころの足音のリズムが崩れる。
 私はその間に第三の目の管を伸ばして包丁を拾い、足を拘束する糸を切る。そして、立ち上がってこころとの距離を取る。

「……もう一度聞こう。何の、つもりだ?」

 白狐の面でこちらを睨み付け、薙刀を構えた状態で問うてくる。完全に私を敵と見なしているようで、油断は一切見当たらない。

 怖い。

 自業自得とは言え、そんな目で見られて身体が竦む。でももう、道を踏み外した私に立ち止まることも戻ることも許されない。

「ごめんなさい、大人しく私に殺されて」
「嫌に決まっているだろう」

 当たり前の答え。だから私は一層殺意を強めるように包丁を強く握る。私の中に巣食う小さな怪異を呼び起こす。
 そして、駆ける。そんな私を見てか、こころがため息を吐く。

「……こいし、一つ取引をしようじゃないか」

 私の振りかざす凶器を捌きながら、何かを言ってくる。

「お前が私に勝てたら、生殺与奪以外の権利をくれてやろう」

 防がれ、避けられ、いなされる。

「いらっ、ない……っ!」

 意識を完全に消失させなければ意味がない。このまま生かしておけば、例えこころを好きにできるのだとしても、嫌われることに変わりはない。嫌悪がこれ以上強まる前に止めなければいけない。

「そうか。……なら逆に、私がお前に勝った場合は、……私の願いを三つ何でも叶えてくれるか?」
「どうせっ、あなたはっ、私に殺されるんだからっ、好きにすればっ!?」
「ふふ……、言質は取ったぞ! なら、お前が勝ったら私を好きにすればいい! まあ、私は必ずやお前に勝ってみせるのだがなっ!」

 こころが不敵に笑いながら、高らかに告げる。それと同時に、複数のお面が彼女の周りに現れる。
 防戦一方だったこころが、薙刀を振り被ってこちらに向かってくる。その行動は私にとって好都合だった。

『今、あなたの後ろにいるの』

 そう呟いた瞬間、けたたましいベルの音が響く。それと同時に目の前にこころの無防備な背中が現れる。そこに包丁を突き立てようとして――
 こころが身体を思いっ切り捻りながら前に飛ぶ。刃は肩に届いて血が飛ぶのが見えたけど、致命傷には程遠い。
 こころの周囲に浮いていたお面が襲い掛かってくる。包丁で振り払おうとするけど、多勢に無勢。だから、纏めて弾幕で吹き飛ばす。
 そんなことをしている間に、体勢を整えたこころが弾の隙間を縫って迫って来ている。
 凶器を振るい薙刀の刃を退ける。小さな怪異に助けを求める瞬間を探すけど、こころの周りには今も複数のお面が浮いている。ほんとずるい。
 純粋な武術だけでは絶対に勝てない。弾幕を織り交ぜて、動きを縛りながら、必殺の瞬間を待つ。
 刃同士がぶつかる音が響く。
 私は薙刀を打払い、切りつけ、間を詰め、でも避けるために距離を取る。
 こころは包丁を受け流し、なぎ払い、弾を避け、私の動きを追う。
 こっちは必死だと言うのに、こころは舞うかのように楽しげだった。
 そんな姿に釣られるように、私はだんだん何のために包丁を振るっているのかわからなくなってくる。
 得物をぶつけ合い、互いに間合いを推し量り、次に相手がどう動くかを考える。
 こころの動きは単純で読みやすい。でも、それを補うようにこちらの搦手を的確に見抜いてくるから、決してこちらが有利ということもない。
 払い、振るい、かわす。
 思考は単純化してきて、ただこの時間を楽しんでいる。
 踊り、舞い、遊ぶ。
 互いに凶器をぶつけあっているというのに、そこに殺意は一切存在していない。
 いつまでもこの時間が続けばいいのに。
 死体とは決して共有することのできないこの瞬間が終わらなければいいのに。

「……あっ」

 ふと抱いてしまった願いが誰かの元に届いてしまったのか、私は足を縺れさせてバランスを崩してしまう。体勢を立て直そうとするけど、思ったほど力が入らなくてそのまま転ぶ。
 もはや体力の限界だった。一度止まってしまえば、身体は休みたいと訴えてこちらの言う事を聞いてはくれない。
 これでもう終わり、か。
 でも、これが最後なら悪くはないかもしれない。
 そんな諦念とは対象的に、私の身体はみっともなく泣くことを選んでいた。嗚咽を止めようとしても、ちっとも止まろうとしてくれない。

「こ、こいし! 大丈夫か!? 打ち所が悪かったのか!?」

 私に殺されかけたというのに、こころは声に心配の色を滲ませながら駆け寄ってくる。
 ……未来がどうなるか分からないのに、希望を抱かせないで欲しい。

「ええと、ええっと、と、とにかく泣き止んでくれないか?」

 こころは私を抱き起こして、零れ落ちていく涙を拭う。でも、私にとってはその優しさが辛い。だからか、勝手に零れる涙と嗚咽はなかなかおさまってはくれなかった。




「……すまない。私に迫られるのがそんなに嫌だったのだな……」

 ようやく落ち着いてきた所で、こころが謝ってきた。
 この子は何を言ってるんだろうか。私が喋れなくなっている間に、一人で思考が明後日の方に向かっていってしまったらしい。
 とはいえ、完全に間違っているというわけでもない。

「嫌だったのは確かだけど、その程度で泣くと思う?」
「では、何故泣いていたのだ?」

 こころは首を傾げてなんでもないことのようにそう聞いてくる。
 私にとっては物凄く答えづらいことなんだけど、桜色の瞳からはこちらが答えるまで逃さないという意思が感じられる。それが分かっても、私は視線を逸らして逃げようとして――

「こいし。それでは、一つ目の願いを叶えてもらおう。私の質問にちゃんと答えてくれ」
「……ずるい」
「何がずるいものか。お前は好きにしろと言ったではないか」

 完全に殺すつもりでいたから、負けたときのことなんて何にも考えていなかったのだ。

「……はぁ」

 ……約束してしまったものは仕方ない。

「最初は、あなたに負けちゃって全部終わっちゃったんだなぁって思うと、私の意思と関係なく泣き出してた」

 それだけなら、多分もっと早く泣き止むことができていただろう。

「……でも、あなたが私に駆け寄ってきてくれてからは変わった。今のあなたなら、あんなことをしでかした私でも見捨てないんだって理解した。……だから、見捨てられたときのことを考えて、もっと辛くなった」
「お前は言動以外も面倒くさいやつなんだな」

 心底呆れたようにそう言ってきた。でもまあ、そうなのかもしれない。

「ふむ……」

 かと思えば考え込み始めた。なんとなーく、無防備な頬を指で突く。

「……何をしている」

 指を掴まれてしまった。

「つつきやすそうだったからつい」
「……お前は深刻なのかそうじゃないのかよくわからないな」

 何故か若干疲れたような様子だった。

「まあ、なんにせよ、お前が何を怖がっているかはわかった。焦っても仕方がないし、のんびりやっていくことにする」
「……それで、私をもっと傷付けることになっても?」

 ここまで素直になれる機会は滅多にないだろうから、聞きたいことは聞いてしまうことにする。

「そうならない可能性だって十分にある。どうせ、先のことなんて分かりはしないのだから、今ここで考えるだけ無駄だろう?」

 そう割り切ることができるなら、ここまで面倒なことにはなっていなかったはずだ。
 そんな野暮なことを言っても、こころは切り捨てて私を引っ張り回すのだろう。

「さてと、さとりを待たせてしまっているし、戻るとしようか。いや、それともお前をもう一度風呂に入れてくるべきか?」

 そう言いながら、私の顔や服に付いた砂やらを払い始める。その姿はどことなく楽しげだ。
 もしかすると、私に世話を焼くのが楽しくてここまで絡んでくるのかな。




 こころに手を引かれて取りあえず食堂に向かうと、心配しながら待っていたお姉ちゃんにもう一度お風呂に入ってこいと言われた。それ自体は別にいいんだけど、こころも付いてくると言ってきたから拒否したんだけど、願い事として押し切られてしまった。
 そんな使い方でいいのか。

「ねえ、三つのお願いって何か意味あるの?」

 二人で湯船へと浸かったところでそう聞く。
 ちなみに、なんで今になってこんなことを聞くのかというと、こころは他人の身体を洗うのが初めてだったようで、力加減を間違えられて摩り下ろされそうになった。そのせいで、今の今まで聞く余裕がなかったのだ。
 道具を掃除するにしたってもっと手加減するものだろうに。一体何を見てきたのやら。

「こちらが聞いて欲しいのは一つだけだったんだが、願いが不適当でお前にはぐらかされたときの保険だな」
「そんな予防線張るくらいなら、いくらでも言う事を聞くようにさせればよかったのに」

 それくらいでも、私が望んだこととの釣り合いは取れるはずだ。

「そんな関係は詰まらないだろう?」

 まあ、同意はできる。私の場合はそれ以上に、結局心の中では何を考えているか分からないというのが大きいけれど。いくら言う事を聞いてくれようとも、そこに埋めようのない溝や壁があっては意味がない。それならいっそ、空っぽでいい。
 多分、こころが私に願おうとしていたのは別のことだったのだと思う。でも、私はそれをわざわざ指摘しようとは思わない。向こうから言ってくれば適当にはぐらかすだけだ。

「最後の一個は何に使うつもり?」
「こういうのはさっさと使ってしまうのがいいのだろうが……、今は何も思い浮かばない。やはり一番の願いは自分の力で叶えるべきだしな」

 使う気はあんまりないようだ。

「取り敢えず、今の目標はお前を死体から引き摺り放す事だ。観念するがいい!」

 お湯を辺りに撒き散らしなが勢い良く立ち上がる。
 なんか無駄にやる気になっている。

「まあ、お好きにどうぞ?」

 色々と溢れ出しそうになったけど、不敵な笑みを浮かべることで誤魔化す。

 またいつか殺したいと願ってしまうこともあるかもしれない。
 だけど、今だけは彼女のことを信じることにする。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
紅雨 霽月
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.270簡易評価
3.10名前が無い程度の能力削除
この1年で一体何が起きたの?
これは酷い内容
4.無評価名前が無い程度の能力削除
キの字としか
6.70名前が無い程度の能力削除
こいしちゃんとこころちゃんなら大体オッケーね
8.90名前が無い程度の能力削除
よかったです
10.90大豆まめ削除
よいこいここでした。
ただ、文章量の割には死体を友達にするっていうこいしの奇怪な行動や気持ちに対するオチや解決策がふわっとしていて、あんまり肚落ちしない感。
こころがこいしに構う理由にわかりやすい必然性も欲しかった。
11.90仲村アペンド削除
2人のお互い必死な感じがとても良いです。
関係のオチとしては少し弱いようにも思えるので、欲を言えば続きを読みたいところではありますね。