「あなたが本当に何かを書きたいのなら、」と彼女は言う。「それはあなたにしか書き得ないものでならなくてはいけないのよ。」
そう言って彼女は、紅茶を飲みながら庭に植えられている桜の木に止まっている鳥を、慈しむように見つめる。空は焼き付くほどの青空だった。
「でも私は私に何ができるのか、何を為し得るのか、まったくもって分からないのよ。」
「あなた自身にも分からないことを、あなたでない私が分かるはずもないのだけれど、強いて言わせてもらえば、あなたは私が見てきた人々の中で、少なくとも私が記憶している人の中で、一番平凡な女の子だったわ。」
彼女は庭の桜から目を離し、私を見つめてクスクスと笑う。私も釣られて笑ってしまう。
「その平凡さ。それこそがあなたにしか書き得ないものを与えてくれる、いわば源泉だと思うの。」
風が吹き地面散らばっていた桜の花びらが渦を巻きながら集まり、つむじとなって青に溶けて消えていく。
「こんな偉そうなことをあなたに言っているけど、私たち同い年なのよね。」
「でも文章を書く事についてはあなたのほうが先輩じゃない。それも年齢以上に。」
桜の枝に止まっていた鳥が高い鳴き声を発しながら飛び立つ。それに合わせてその鳥が止まっていた枝の先に咲いていた花が、花びらとなって地面へと落ちていった。
「ねぇ、少し散歩に行きましょう。こんなに天気が良いのだから、外に出ないと罰が当たってしまうわ。」
「体の調子は大丈夫なの?具合、良くないのでしょう。」
「こうして家の中に籠っていると、もっと具合が悪くなってしまうわ。果報は寝て待て、なんてもう古いわよ。自分から掴みに行かないと。」
縁側に置いてある草履を履き、彼女は裏口の方から外へ出ようとする。
「ここで待っているから、早く靴を履いてきて。」
私は立ち上がり、玄関へと向かう。私が歩くたびに、廊下の古くなった床板の軋みが、だんだんと私から離れていくように余韻を残して響き、そして消えていく。
私は靴を履いて裏口へ向かった。
彼女は裏口の塀にもたれて空を見上げていた。空はやはり清々しく、痛いほど青かった。
「庭に植えられた桜も風情があって良いけれど、やっぱり少し物足りないわ。せっかくだから紫の桜を見に行きましょう。」
「無縁塚まで行くの?本当に体調は大丈夫なのかしら。」
「ええ、もちろんよ。それに倒れたとしても、あなたがいるから、私には何も心配はないわ。」
私は彼女からの信頼の言葉で顔を赤くなっていくのを感じたが、彼女は当然といった感じで歩き出す。
「ねぇ、さっき庭の桜に止まっていた鳥。あの鳥の名前はなんていうのかしら?」
「あなたに分からないことは、どうしたって私に分かるはずがないわ。あなたはどんなことでも絶対に忘れないのだから。」
「それはきっと違うわ。私にだって分からないことはあるし、あなたにしか分からないことだってきっとあるわ。それに散歩が終わったあと私より早く、あなたがあの鳥の名前を調べれば良いのよ。」
彼女は、屈託なく私に笑いかける。私は彼女を羨ましく思った。
森の中の道の中腹あたりで、彼女は立ち止まり、振り返った。
「そういえばあなたはどうして何かを書こうと思い立ったのかしら。理由を聞いてなかったわ。」
私は突然聞かれたので戸惑ってしまった。私からすれば、その理由は余りにも明白なものであったし、誰の目から見ても分かると思っていたからだ。
「もちろん、あなたに憧れたからよ。あなたがいろんな記録を編纂していくのを近くで見てきて、そして憧れたの。そうやって間接的でも、自分というものを自分以外のものに主張することに。」
私は大真面目に答えた。少なくともそのつもりだった。しかし、彼女はその理由を聞いて笑いだした。
「私に憧れて、それで、何か書いてみようと、そう思ったの?」
「えぇ、そうよ。何もおかしいことなんてないじゃない。」
私は腹から、自分の体が少しずつ熱くなっていくのを感じた。
「いえ、決してあなたを馬鹿にしているわけじゃないのよ。ただ、あなたは、勘違いをしているわ。」
「勘違いって、何を?」
「私は、書きたいから書いているわけじゃないの。自分が書かなければいけないから、書いているのよ。あなたが憧れているものと私は全然、別物なのよ。」
私は、申し訳なく思った。
「いいのよ、気にかけなくても。誰も悪くないのだから。私は稗田家に生まれて、あなたは自分を表現することに憧れた。ただそれだけなのだから。」
彼女は私の気持ちを感じ取ったのか、そう言って、少し微笑んだ。
「本当にごめんなさい。そんなつもりで言ったわけではないのよ。」
「もちろん、分かっているわ。でも、私も憧れるわ。そんな生き方ができたら、どんなに楽しいのだろうかってね。」
彼女はまえを向いて、また道を歩き始める。
それから私は、彼女に声をかけることができなかった。彼女の方も、私に声をかけることなく、私たちは歩き続けた。そうして結局は一言も言葉を交わすことなく、無縁塚までたどり着いた。
「少し長い道のりだったけれど、ここまで来て、やっぱり正解だったわ。こんなに桜が綺麗だもの。」
紫の花びらをつけた桜に囲まれ、彼女は紫のカーペットの上に立ち桜を見つめている。
確かにその桜は、この世のものとは思えない幻想的な美しさをしており、私はここまで歩いてきた足の疲れや、先ほどの気まずさなども全て忘れて呆然と見惚れていた。
「ねぇ、あなたもこっちに来たほうがいいわ。中心で見たほうが、もっと綺麗よ。」
彼女は手招きをして私を呼ぶ。私は、彼女の所へと歩き出す。
「あなたとは、毎年一緒に桜を見ているけれど、ここ桜は今までで一番綺麗ね。もっと早く来れば良かったわ。」
「本当に。来年の花見は、また、ここに来ましょう。」
私たちは、長いあいだ紫の桜を見つめていた。それはものの数分であったかもしれないし、もしかしたら何日も見続けていたのではないかと思うほど。
「ねぇ、私の唯一の友達であるあなたに、お願いがあるの。」
「あなたのお願いだったら、できる限りなんでも。」
「あなたは、私に憧れて、何かものを書きたいと言ったけれど、それを成し遂げるには、やっぱりあなたは平凡すぎるわ。だから、あなたはこの世界を文章で表現するのではなくて、この世界自体を変えていったほうがいいわ。」
「この世界自体を?」
「えぇ、この世界自体を。私は稗田家に生まれて、その血の運命でこの世界を記録しているけれど、正直に言って何も楽しくなかったわ。この世界は、余りにも陳腐なものだったわ。だからこそ私は、あなたが作った世界を、平凡なあなたが作るからこそ突飛な世界を、記録したいの。でなければ、次の阿礼乙女が救われないもの。」
彼女は立ち上がり、花びらが散る速度と同じ速度で歩いてゆく。私は彼女に手を伸ばしたが、紫の吹雪が私の世界と彼女の世界を遮る。
視界が開けた時には、もう彼女はいなかった。
家に帰りつくと私はすぐに桜に止まっていた鳥の名前を調べたが、名前は分からなかった。彼女のように、あの鳥の細部まで記憶することは、私にはできなかったのだ。
そうして私は結界を張り、幻想郷を創った。
すべての幻想のために。
彼女のために。
そう言って彼女は、紅茶を飲みながら庭に植えられている桜の木に止まっている鳥を、慈しむように見つめる。空は焼き付くほどの青空だった。
「でも私は私に何ができるのか、何を為し得るのか、まったくもって分からないのよ。」
「あなた自身にも分からないことを、あなたでない私が分かるはずもないのだけれど、強いて言わせてもらえば、あなたは私が見てきた人々の中で、少なくとも私が記憶している人の中で、一番平凡な女の子だったわ。」
彼女は庭の桜から目を離し、私を見つめてクスクスと笑う。私も釣られて笑ってしまう。
「その平凡さ。それこそがあなたにしか書き得ないものを与えてくれる、いわば源泉だと思うの。」
風が吹き地面散らばっていた桜の花びらが渦を巻きながら集まり、つむじとなって青に溶けて消えていく。
「こんな偉そうなことをあなたに言っているけど、私たち同い年なのよね。」
「でも文章を書く事についてはあなたのほうが先輩じゃない。それも年齢以上に。」
桜の枝に止まっていた鳥が高い鳴き声を発しながら飛び立つ。それに合わせてその鳥が止まっていた枝の先に咲いていた花が、花びらとなって地面へと落ちていった。
「ねぇ、少し散歩に行きましょう。こんなに天気が良いのだから、外に出ないと罰が当たってしまうわ。」
「体の調子は大丈夫なの?具合、良くないのでしょう。」
「こうして家の中に籠っていると、もっと具合が悪くなってしまうわ。果報は寝て待て、なんてもう古いわよ。自分から掴みに行かないと。」
縁側に置いてある草履を履き、彼女は裏口の方から外へ出ようとする。
「ここで待っているから、早く靴を履いてきて。」
私は立ち上がり、玄関へと向かう。私が歩くたびに、廊下の古くなった床板の軋みが、だんだんと私から離れていくように余韻を残して響き、そして消えていく。
私は靴を履いて裏口へ向かった。
彼女は裏口の塀にもたれて空を見上げていた。空はやはり清々しく、痛いほど青かった。
「庭に植えられた桜も風情があって良いけれど、やっぱり少し物足りないわ。せっかくだから紫の桜を見に行きましょう。」
「無縁塚まで行くの?本当に体調は大丈夫なのかしら。」
「ええ、もちろんよ。それに倒れたとしても、あなたがいるから、私には何も心配はないわ。」
私は彼女からの信頼の言葉で顔を赤くなっていくのを感じたが、彼女は当然といった感じで歩き出す。
「ねぇ、さっき庭の桜に止まっていた鳥。あの鳥の名前はなんていうのかしら?」
「あなたに分からないことは、どうしたって私に分かるはずがないわ。あなたはどんなことでも絶対に忘れないのだから。」
「それはきっと違うわ。私にだって分からないことはあるし、あなたにしか分からないことだってきっとあるわ。それに散歩が終わったあと私より早く、あなたがあの鳥の名前を調べれば良いのよ。」
彼女は、屈託なく私に笑いかける。私は彼女を羨ましく思った。
森の中の道の中腹あたりで、彼女は立ち止まり、振り返った。
「そういえばあなたはどうして何かを書こうと思い立ったのかしら。理由を聞いてなかったわ。」
私は突然聞かれたので戸惑ってしまった。私からすれば、その理由は余りにも明白なものであったし、誰の目から見ても分かると思っていたからだ。
「もちろん、あなたに憧れたからよ。あなたがいろんな記録を編纂していくのを近くで見てきて、そして憧れたの。そうやって間接的でも、自分というものを自分以外のものに主張することに。」
私は大真面目に答えた。少なくともそのつもりだった。しかし、彼女はその理由を聞いて笑いだした。
「私に憧れて、それで、何か書いてみようと、そう思ったの?」
「えぇ、そうよ。何もおかしいことなんてないじゃない。」
私は腹から、自分の体が少しずつ熱くなっていくのを感じた。
「いえ、決してあなたを馬鹿にしているわけじゃないのよ。ただ、あなたは、勘違いをしているわ。」
「勘違いって、何を?」
「私は、書きたいから書いているわけじゃないの。自分が書かなければいけないから、書いているのよ。あなたが憧れているものと私は全然、別物なのよ。」
私は、申し訳なく思った。
「いいのよ、気にかけなくても。誰も悪くないのだから。私は稗田家に生まれて、あなたは自分を表現することに憧れた。ただそれだけなのだから。」
彼女は私の気持ちを感じ取ったのか、そう言って、少し微笑んだ。
「本当にごめんなさい。そんなつもりで言ったわけではないのよ。」
「もちろん、分かっているわ。でも、私も憧れるわ。そんな生き方ができたら、どんなに楽しいのだろうかってね。」
彼女はまえを向いて、また道を歩き始める。
それから私は、彼女に声をかけることができなかった。彼女の方も、私に声をかけることなく、私たちは歩き続けた。そうして結局は一言も言葉を交わすことなく、無縁塚までたどり着いた。
「少し長い道のりだったけれど、ここまで来て、やっぱり正解だったわ。こんなに桜が綺麗だもの。」
紫の花びらをつけた桜に囲まれ、彼女は紫のカーペットの上に立ち桜を見つめている。
確かにその桜は、この世のものとは思えない幻想的な美しさをしており、私はここまで歩いてきた足の疲れや、先ほどの気まずさなども全て忘れて呆然と見惚れていた。
「ねぇ、あなたもこっちに来たほうがいいわ。中心で見たほうが、もっと綺麗よ。」
彼女は手招きをして私を呼ぶ。私は、彼女の所へと歩き出す。
「あなたとは、毎年一緒に桜を見ているけれど、ここ桜は今までで一番綺麗ね。もっと早く来れば良かったわ。」
「本当に。来年の花見は、また、ここに来ましょう。」
私たちは、長いあいだ紫の桜を見つめていた。それはものの数分であったかもしれないし、もしかしたら何日も見続けていたのではないかと思うほど。
「ねぇ、私の唯一の友達であるあなたに、お願いがあるの。」
「あなたのお願いだったら、できる限りなんでも。」
「あなたは、私に憧れて、何かものを書きたいと言ったけれど、それを成し遂げるには、やっぱりあなたは平凡すぎるわ。だから、あなたはこの世界を文章で表現するのではなくて、この世界自体を変えていったほうがいいわ。」
「この世界自体を?」
「えぇ、この世界自体を。私は稗田家に生まれて、その血の運命でこの世界を記録しているけれど、正直に言って何も楽しくなかったわ。この世界は、余りにも陳腐なものだったわ。だからこそ私は、あなたが作った世界を、平凡なあなたが作るからこそ突飛な世界を、記録したいの。でなければ、次の阿礼乙女が救われないもの。」
彼女は立ち上がり、花びらが散る速度と同じ速度で歩いてゆく。私は彼女に手を伸ばしたが、紫の吹雪が私の世界と彼女の世界を遮る。
視界が開けた時には、もう彼女はいなかった。
家に帰りつくと私はすぐに桜に止まっていた鳥の名前を調べたが、名前は分からなかった。彼女のように、あの鳥の細部まで記憶することは、私にはできなかったのだ。
そうして私は結界を張り、幻想郷を創った。
すべての幻想のために。
彼女のために。
次の投稿お待ちしております。
ただ2人とも言い回しが似ていて、どっちのセリフなのかわかり辛いものがあった気がします
稗田のために退屈しない世界を創ろうとするところはすごくよかったです