Coolier - 新生・東方創想話

穴掘りの歌

2017/03/14 02:06:05
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 鳥船遺跡へ遊びに行って腕に怪我をした夜から、メリーの具合がどうもいけなくなった。昼間はいつも以上にぼんやりとして、空中を眺めていることが多い。夜寝ているときも、知らぬ間に歩き回っておかしな場所で目が覚めるという。幻覚と幻聴の症状もあるらしい。
 当のメリーは何でもないと言っていたが、傍で見ている私は流石に気になった。
「傷口から妙なウイルスでも入っているのかもしれないわよ」
 脅かすようなことを言って、無理に病院へ連れて行った。検査を受けさせてもらうと、結果は原因不明とされたまま、いきなり二週間の入院を言い渡された。
 今どき二週間も入院させられるというのは何だか大袈裟なようだったが、このまま夢遊病が悪化してまた怪我でもしないだろうかと考えると、落ち着くまでは病院で面倒を見てもらった方が良いようにも思える。メリーは不満らしかったが、ともかく医者の命令だから、その夜から病院のベッドで眠ることになった。
 奇妙だったのは、案内された病室が、本館から渡り廊下を越えた別館の三階にあり、案内板の表示が「神経科」となっていたことである。先に立って歩く看護師に訳を尋ねてみたが、回診の順路と患者の数が関係するのだとか、なんだか要領を得ない話でごまかされてしまった。
 病室は、四人使いの広いものだった。が、四台設置されたベッドはそのどれも空っぽうで、使われていない。付き添いで来た私は首を傾げてばかりいたが、当人メリーはさっさと窓際のベッドを選んで潜り込んだ。そうして、天井の一点を見つめながら、「きっと隔離されたのね、私」とことも無げに言った。
「出来るだけお見舞いに来るよ」
 そうメリーと約束して、私は病室を後にした。寂しい所へ一人置き去りにしていくような気がして、メリーにすまなかった。
 翌日から、毎日大学の授業が終わるとメリーの居る病室へ足を運んだ。
 初めの三日か四日のうち、メリーは私の顔を見るたびに退屈退屈と言った。聞けば、朝昼夕に薬をもらって症状を訊かれる以外は、病院内で休養を命じられているばかりで何もすることが無いらしい。
 私はベッドの脇に椅子を置いて座り、日暮れまでメリーのおしゃべりにつきあったり、読書をして過ごした。メリーは病院生活の不満をまさに限りなく、いくらでも語り、やがてそれにひと段落つくと、見舞いに来た私のことなどは気にもならないという様子でクウクウ寝息をたて始めた。そうしてたまに目を覚ますと、相変わらず夢の中で見た世界のことなどをむにゃむにゃととりとめなく話した。
 退屈を感じるのは私も同じことだった。冷房が好きでないメリーのために、病室の窓はいつも開けられていたが、ベッドから見える景色は、向かい側に建つ本館の非常用外階段と、その屋上の給水タンクに遮られたわずかな空、というばかりで、気の紛れる風物は何もない。窓際に立って見下ろしたところで、あるのは掃除もろくにされず枯草を掃き溜められた中庭だけという、その陰気さもまたメリーの不満だった。

 入院六日目の昼下がり、病室を訪ねてみると、室内は無人であった。おやと思いながら例の窓際へ寄っていくと、下の方で動く者の気配がある。どういうつもりなのか、大きなショベルを持ったメリーが中庭の土を掘り返しているのだった。
 下へ降りて確かめると、穴は三階の窓から見下ろすよりも深く見えた。既に穴の底に立つメリーは、膝のあたりまでが地下へ低まっている。
「ああ蓮子、来てくれてありがとう」
「どうしたのよ、この穴」
 言いながら私は周囲の人の目を恐れて見回した。普段から日の当たらないせいか、誰も通りがかる人の気配はない。位置が渡り廊下のほぼ真下にあたり、上階からの視線にも大きな死角を作っているらしかった。
「私が掘ったのよ。ショベルはあっちの隅に転がってたわ」
 メリーは淡々としていた。汗ばんだ額を指で拭い、また何気ない顔でショベルを構えて土をすくい出す。
「寝てなくて大丈夫なの?」
「運動もしたほうが良いって先生が言ったんだもの。そもそも私、病人じゃなくってよ」
「でも、穴なんか掘って、どうするのよ」
「どうもしないわ。穴が掘りたいの」
「どこまで掘るつもりよ」
「ううん、気が済むか、温泉が湧くまで」
 メリーは、淡々としていた。
「時期に見つかって怒られるよ」
 そう言う私の忠告にも、メリーは表情変えず、「いいわよ。私、譫妄状態なんだから」などと、当てつけるような開き直るようなことを言って平気でいる。
 七階建ての本館と、五階建ての別館とに挟まれた深い谷底のような中庭に、サックサックと土をすくう音ばかりが聴こえていた。
 私はしばし腕組みをして、一心に穴を掘るメリーの背中と、その上に覆いかぶさるように影を作っている渡り廊下との間に視線を往復させた。
 私は肩のかばんをその場に降ろし、「私も掘りたい」と言った。意味は無かった。
 メリーは左手で中庭の角の藪を指さした。そこにメリーのものと同じショベルが転がっている。拾い上げてみると、木製の柄は意外に重く、これで地面を掘り深めるというのは医者の言う「運動」以上のものだと思った。
 ひとまずメリーの対面に立ち、先端を土に突き刺してみる。細かくすくい易い土で敷かれた層は既に過ぎていた。大小混在する砂利の抵抗が手に伝わり、ショベルは十センチも潜り込まないうちに行き詰ってしまう。そこから柄に体重をかけて倒すと、梃子の要領で上の土が剥がれた。それをすくい上げ、穴の縁へ移す。また視線を足元へ戻すも、私の働いたひとすくい分の穴が深くなったという気はしなかった。
「ねえメリー、これ楽しいかな?」
 私の質問に、メリーは「どうかな」と聞こえたような微妙な音声を発しただけで、もうそれ以上は答えなかった。
 それから一時間ほど掘り続けて、ようやくメリーが「やめよう」と言った。穴の深さは私が加わったときからほとんど変わっていないように見えた。ショベルを置いて腕を垂れると、鎖でも巻かれたように重くなっていた。既にヒグラシの鳴きはじめる時間帯で、穴から這い出すと風が涼しく吹いた。
 私もメリーも随分汗をかいていた。「じゃあまた明日ね」と言って別館の階段前で別れ、メリーはシャワー室へ歩いて行った。私は病院からほど近い銭湯を見つけ、汗を洗ってから帰った。

 翌日も、メリーは中庭で穴を掘っていた。聞くと、昨夕から午前中までは大人しく病室で寝たり起きたりしていたものの、医者や看護師らは誰もまだ中庭の穴を知らないらしい。
 私はまた昨日と同じようにショベルを拾って穴掘りに加わった。穴の底は一晩経って湿り気が飛んでしまったのか、多少固くなって動かしにくくなったようだった。腕に疲労の残っていた私は、こんな目的も無い労働を頑張る理由も無く、急がないつもりで浅く掘るようにした。メリーの様子も同じらしく、明らかに昨日よりゆるゆるとしている。
 この調子で穴の底を掻き続けるのはつまらないと思ったので「何か歌おうか」と私が言い出した。
「楽しくなるわね。何を歌うの?」
 メリーが手を止めて顔を上げた。私はすぐに「炭坑節」を候補に挙げようとしたが、肝心の歌詞を覚えていなかった。歌い易ければ何でも構わないと思ったので、思い付き任せに童謡の「兎と亀」を歌うことにした。
「もしもし亀よ、亀さんよ」と私が歌いながらショベルで土を掻き出すと、メリーは心底可笑しそうに笑った。この歌にしたところで、歌詞を覚えていて歌えるのは一番だけだった。そういったことで、メリーと二人「兎と亀」の一番ばかりひたすら繰り返して歌いながら穴を掘ることになった。
 歌詞の意地悪い内容と反して、「兎と亀」はショベルを持つ手を大いに励ました。二人で掘る作業の呼吸もそろうようになり、捗った。
 また不思議なことには、わずかにとは言え黙々と掘っていたときには感じていた奇行に対する後ろめたさのような気持ちが、この歌を歌うことでついに完全に消えてしまうのだった。
 三十分ほど掘った頃、男性が一人中庭へやってきた。別館から出て来たことから察して、メリーと同じ神経科の入院者らしい。窓を開けたら歌が聞こえたので降りて来たのだという。穴を掘っている理由を問われたのでメリーの代わりに私が答えた。男性は頷いて帰って行った。

 入院八日目。用意しておいた軍手と手ぬぐいを鞄から引っ張りつつ中庭へ出てくると、メリーの他にもう二人、昨日の男性と、白髪の目立つ中年女性が居て、それぞれ持参のショベルで穴を掘っていた。三人とも表情は笑うでも勇むでもなく淡々として、例の「兎と亀」一番をひたすら歌っている。中庭の光景はいよいよ奇観だったが、自分も加わって掘りはじめると、考えることは掘っても掘っても深まらない穴のことばかりになった。この穴は深さを一メートル半ほど掘ったあたりから、小石ばかりで固い一方で非常に崩れやすく、埋まりやすい。
 夕方、メリーに頼まれて持って来ていた着替えの服を病室に置いて帰ろうとすると、廊下の奥から女の声が三人で、「もしもし亀よ」と歌っているのが響いて聞こえた。

 九日目、中庭の穴掘り人はさらに増え、十人にもなっていた。相変わらず皆揃って「兎と亀」一番を歌っているが、今日は人が庭の方々へ散らばって立ち、各々の穴を掘っている。私はそれらの中央の、最も大きく深い穴へ行って覗き込んだ。穴の深さはとうとう二メートル以上にもなっており、底にはメリーが一人しゃがみこんでこっちを見上げていた。
「蓮子、来てくれてありがとう」
「この人たち、どうしたの?」
「知らないわ。午前中から掘っていた人もいるみたい。でも、おかげでこんなに深くなった」
 私はメリーに下から支えてもらいながら、自分たちの掘った穴の底へと急な斜面を滑り降りた。そうしてメリーに倣ってしゃがみこんでみた。見上げると、地上から見るより二メートルだけ高くなった空に、白バラに似た入道雲が浮かんでいた。聞こえてくる「もしもし亀よ」もどこか一段遠いところで歌われているように感じられた。
 メリーが私の横に立って、もう一度綺麗な声で「兎と亀」を歌い始めた。私も声を合わせて歌った。

 もしもし かめよ かめさんよ
 せかいのうちで おまえほど
 あゆみの のろい ものはない
 どうして そんなに のろいのか

 自分たちの手で掘った穴は、ひどく落ち着いて気の休まる個室のようだった。ただそれも、静かさの中に少し耳を澄ましてじっとしていると、穴の周囲から落ち込んだ中央へ向かってサラサラと土がこぼれて崩れようとしている微かな音が聞こえていた。
「こんなに大勢で騒がしくしてるとさすがに見つかりそうだね」
「私、譫妄状態だからいいけど、喉が渇いたから戻りましょう」
 降りる時とは逆に、今度は私がメリーを支えて穴の上まで先に押し上げた。
 大合唱の中庭を出て、ちょうどそこから別館の階段を上がっていこうとしたところで、渡り廊下の上から看護師らしき数人の何やら叫ぶ声が聞こえた。秘封倶楽部は逃げ足を発揮して後のことは見なかったが、翌日から中庭は使用禁止にされてしまった。
 私たちの掘った穴も数日を経ず工事業者がやってきて平らに埋め直してしまったが、病院内ではしばらく「兎と亀」一番がはやり続けていた。
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うぶわらい
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コメント



0.1190簡易評価
3.100名前が無い程度の能力削除
歩みの速い世界に笑われることを恐れず、のんびりと自分たちの世界を広げていくメリーと蓮子が良かったです。
世界に穴をあけるのは大変で、せっかく開けた穴も静かに崩れていきますが、それでもそうした歩みには意味があったような、意味があると願いたいような不思議な気持ちになりました。なんとなく、前作ともつながっているような雰囲気もあり、とても楽しめました
5.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
6.100名前が無い程度の能力削除
どことなく退廃的で、静かに狂っているような彼女らの日常がとても美しく描かれていました。とても面白かったです。
11.100名前が無い程度の能力削除
秘封倶楽部らしい無邪気さと若干の狂気を含んだ作品。
後を引く終わりも、とても良かったです。
15.100名前が無い程度の能力削除
意味もなく穴を掘り続けるのはなぜか楽しいですよね
16.100名前が無い程度の能力削除
狂気を感じました。どこか牧歌的な空気も感じました。いつもの蓮子とメリーだなとも思いました。
17.100名前が無い程度の能力削除
愉快さや滑稽さの中にエネルギーを感じさせられました。
18.100南条削除
面白かったです
ある種の集団ヒステリーのような狂気が迸っていました
これを光景を目の当たりにした看護師たちが叫び声をあげるのもわかります
19.100名前が無い程度の能力削除
傍から見れば狂気的な、けれど何処までも人間らしさといったものを覚えました。
狂気と云うものについて、一度真剣に考えてみたいです。面白い作品でした。
24.90名前が無い程度の能力削除
病院の“ひずみ”に患者(と診断された人々)が集い、
自分たちのテリトリーを拡げていく様は中々、背筋に来るものがありますね。
亀には亀の世界がある。兎はその事に気づけず敗北した訳ですが、
理解できないからと目を背けていると、案外容易く……?

あとこれは誤字かどうか確信が持てなかったのですが一応。
(単に私の無知なら鼻で笑ってお許しを)
×時期に
○直に(?)
34.無評価名無しさん削除
メリーの持つ力が深化していく過程 その描写を見ることができました。
35.90名前が無い程度の能力削除
原作でも展開されている、メリーを起点にだんだんとアウトサイダーたちの世界が広がっていく様子、
それをメリー視点で見ている読者として感じるワクワク感と、常識で動いている人間として感じる不気味さの両面がよく現れているように思いました。