朝起きたら河城にとりは力士になっていた。一体どういう事か。中身がたっぷり詰まってそうな見事なアンコ腹と丸太ん棒のような太い腕、それでもトレードマークのツインテールは健在であるというミスマッチぶり。すっかり変わってしまった自分の姿を見て唖然とする。
一体何が起きたというのか。昨日、食べたちゃんこのせいか。寝る前に読んだ外の相撲本のせいか。とりあえず四股を踏む。四股は力士の基本である。ひざを曲げて背筋はそのままで股を開いて腰を深く落とす。膝に体重がかかり負荷がかかる。まさにその体はヘヴィ級だった。そしてよいしょと四股を踏んだら部屋の床がばりんと抜けた。彼女は力士だったのである。
彼女は相撲が好きだった。どうしてこんなに相撲が好きなのか自分でもよくわからないが相撲が好きだったのだ。河童という種族の特徴なのか。はじめはほんの軽い気持ちで始めた寝起きの四股はいつの間にか彼女の日課になっていた。それがまさかこんな事になろうとは。
昨日食べたちゃんこ鍋は塩がベースのソップ風エビちゃんこ。彼女は三度の飯よりちゃんこが好きだった。四股とちゃんこ、これをしっかりと毎日続けていればいつかは力士になれる。彼女はそう信じていた。流石に朝起きたら力士になっていたとは思いもよらなかったが。しかし力士のこころと肉体を兼ね備えた、彼女はまごうことなき力士なのだ。部屋に飾ってあった外の世界の力士の浴衣と下駄を履きからんころんと乾いた音を立てながら彼女は秋姉妹の家に向かった。この姿を二人に見てもらいたかったのだ。
家に着くなり出迎えた穣子はその彼女の姿を見て硬直してしまう。にとりは自慢げに腹をぼんぼんと叩いた。
「どうだ! 凄いだろー? 私は力士になったのだ!」
「た、たしかに、す、すごぃわね……い、ぃろんないみでぇ……」
驚きのあまりにたどたどしい言葉となってしまう穣子。
「あら、にとりったらすっかり立派な姿になってしまって」
そこへ静葉が乱入する。彼女はにとりの姿をみると一瞬だけ驚いたような表情を見せるがすぐにいつもの不敵な笑みを浮かべると穣子に告げた。
「そうだわ。穣子。あなた少しこの子の相手をしてあげなさい」
「はぁ!?」
◆
秋姉妹の家の庭に注連縄で作った土俵が姿を現す。その周りにはいつの間にか天狗やら厄神やら兎やらが集まっている。その土俵の中心には静葉の姿があり、脇にはさらしにまわし姿の穣子とにとりの姿があった。
「これより、にといずみ対みのりこのやまの相撲勝負をはじめるとする」
静葉がさっと腕を上げて号令を出すとギャラリーたちからは歓声が上がった。ふと穣子が口を開く。
「ちょっと姉さん!!」
「あらどうしたの?」
「もう少し格好いい四股名ないの? みのりこのやまなんて格好悪いわよ!」
「四股名なんて適当でいいじゃない」
「だめよ。私のイメージってのがあるでしょ!」
「あなたのイメージって?」
「ほら、私が好きなものとか!」
「あら、じゃああなたキノコ好きだからきのこの山にでもする?」
「もっとだめよそれ!?」
等と二人が言い合っている間ににとりは笑みを浮かべて四股を踏み入念に体を動かしている。
―――にといずみ、なんと佳い名前なのだろうか。いかにも相撲取りらしい風格ある名前だ。水辺に関係ある、いずみという言葉も河童である自分にとってうってつけである。それに自分の名前であるにとりをかけて、にといずみ。うん、完璧だ。非の打ち所がない。まさにパーフェクトハーモニーなのである。うれしさの余りに彼女は土俵に清めの塩をどばっと大量にばらまく。その様子はまさにソルトシェイカー。黒い土俵は一瞬にして白く染まった。それを見た穣子が声を上げた。
「ちょっと!? そんなに塩をまいたら地面が痩せちゃうでしょ!? 植物育たなくなるじゃないのよ!」
なるほど彼女はあくまで豊穣の神。土俵に塩をまく意味をあまりわかっていないようだ。力士は塩をまくものだ。塩をまかない力士などただのでぶなのである。そんなことを思いながらにとりは四股を踏み続けている。再び静葉が号令を出す。
「それでは気を取り直してにといずみ対いもりこの相撲勝負はじめるわ」
もう少しまともな名前はなかったものか。しかし当の穣子は案外やる気を見せている。なるほど彼女はいもりこなのだ。にとりはふっと目を閉じて、かっと見開くと仕切り線へと進んだ。続けて穣子も進む。そしてお互い蹲踞の姿勢をとる。緊張の立ち合いの瞬間はすぐそこまで来ている。静葉は土俵の前にあぐらをかくようにしてどかりと座り込むと二人に告げた。
「じゃ、お互いうまく息を合わせて立ち上がってね」
「えっ?」
にとりは思わず待ったとばかりにその場で立ち上がる。すると立ち合いと勘違いした穣子は彼女の腹にめり込んで、ぼーんとそのまま土俵の外に弾き飛ばされた。呆気にとられるギャラリーたち。
「今のはだめね。立ち会い不成立でやりなおしよ」
静葉がさっと手を挙げて二人に告げる。その表情は特に変わりない。一体何を考えているのか。気を取り直して再び二人は仕切り線の前まで進む。文字通り仕切り直しである。
それにしてもなんともはや行司はいないというのだ。外の世界の大相撲の映像をみる限り、いや祭事としての相撲を見ても必ず行司というものは存在するというのに。今この場において行司は存在していない。つまりこの場を取り仕切るものは誰もいないのである。
当の静葉も見物としゃれ込んでいる。困惑を隠せないにとりはとりあえず四股を踏んだ。四股は力士の基本なのである。四股を踏みながら彼女は精神を落ち着かせ感覚を研ぎ澄ました。
ここで動揺してはいけない。彼女は蹲踞の構えに入り相手を見据える。果たして穣子はどんな立ち合いをしてくるのか。当然初顔合わせなので取り組み傾向や相手の得意な型などわかるわけもない。まさに出たとこ勝負と言いたいところだが、彼女はああ見えても神。それなりに力は持っているはず。それに普段から農作業に勤しんでいるだけあって恐らく下半身は頑丈で腰も強い。生半可な立ち合いだともしかしたら歯が立たないかもしれない。にとりは拳にぐっと力を入れて土俵に手をつく。そして
辺りにごすんという二人の頭と頭が激しくぶつかり合う音が鳴り響いた。まもなく穣子が苦悶の表情で体を後ろへ下がらせる。
よし、立ち合いはこっちの勝ちだ! このまま一気に!
にとりは間髪を入れずに相手の上手まわしに手をかけようとする。しかしそのとき穣子は咄嗟に体を横にねじらせてそれを防ぐ。そればかりか横についたまま逆ににとりの下手まわしに手をかけたのだ。
これは迂闊だった。彼女は自分より体が小さい。つまりそれだけ俊敏性も兼ね備えているという事だ。思わぬ盲点だった。にとりは腰を振って相手のまわしを切ろうとするが、穣子も腰をしっかりと落としてまわしを強く掴み離そうとしない。やはり予想通り足腰はしっかりしているようだ。しかし彼女もそこから次の手がなかなか出ない。組んでみたもののそこからどうしていいのかわからない様子だ。
それならばこちらにもまだ勝機はある。にとりはそのままの体勢で穣子の左差しに手を伸ばすと穣子はすかさず嫌って体を動かす。その瞬間を狙って彼女は自分の体を半転させると彼女のまわしの手を切る事に成功した。
ここぞとばかりににとりは喉輪を穣子にお見舞いするとそのままの勢いで押し込んだ。体格で劣る穣子は彼女の圧倒的なパワーになすすべなく土俵際まで追いつめられる。
―――よし勝てる!
そう思った彼女がとどめの一撃を放とうと足を踏み込んだ瞬間である。踏み込んだ足の膝にびしっとまるで電気が走ったような鋭い痛みが襲いかかった。その巨体を支えきれず彼女の膝はついに悲鳴を上げたのだ。思わず目を強くつむり全身の力が抜けてしまう。
にとりの様子の異変を察知した穣子は勝機とばかりに逆に押し込んだ。にとりは必死で踏みとどまろうとするが踏ん張る度膝に痛みが走る。あまりの痛さに思わずその場で倒れ込みそうになるが、そこはなんとかこらえる。二人は再び土俵の中央に戻ってくるとお互いのまわしを引いていた。
その時、にとりの頭にはある外の世界の力士のエピソードが思い浮かんでいた。その力士は有り余るパワーと体格で相手を圧倒し土俵を席巻していた。その勢いは「黒船襲来」とまで言われていたほどだった。しかしある時、取り組み中に膝を折られてしまい持ち味のパワー相撲が取れなくなってしまったのだ。まさに今の自分じゃないか。そしてその力士が手負いの足をカバーするために取った戦法はどうだったか。
にとりは咄嗟に両手で下手まわしを差しにいく。いわゆるもろ差し狙いだ。そしてもろ差しの体勢になるとぐっと相手を自分の懐に引き寄せて胸を合わせた。がっちりと穣子を抱き抱えるように捕まえたにとりは、のっしのっしと土俵際まで寄っていく。巨体に捕まえられた穣子は必死にもがくも再び土俵際まで追いつめられてしまった。
―――よし今度こそ!
「聞きなさい穣子。相撲の基本は相手の重心をいかに崩すかよ」
静葉の言葉が聞こえたかと思うと、突如穣子の足がにとりの痛めている足をとらえた。蹴返しだ。思わぬ奇襲を受けた彼女は激痛で体をよろけさせる。しかし構わずそのまま強引に前に出ようとした。勝利はすぐ目の前だ。このまま一気に決めなければ! その焦りが一瞬の隙となった。出ようとした瞬間に穣子は体を反らせると、にとりはバランスを崩してつんのめってしまう。
―――まずい!
咄嗟に彼女は穣子の腕をつかんで踏みとどまろうとするが、彼女の体も既に宙を舞っている。そして次の瞬間二人は土俵の外へ飛び出すように倒れ込んだ。
辺りは騒然としている。いったいどっちが勝ったのか。砂埃を払いながら二人は肩で息をしながら立ち上がり、静葉へ視線を向ける。彼女はニヤリと笑みを浮かべると二人に告げた。
「両者同体と見て、取り直しとするわ。もう一丁よ」
彼女の言葉に辺りからは歓声と拍手が上がる。にとりは思わず天を仰いだ。痛めた膝が疼く。更にさっき地面に打ち付けたときに肩も痛めてしまったらしく右腕がしびれて上がらないのだ。右腕は彼女の利き手であり生命線だ。まさに今の彼女は満身創痍だった。穣子も両手を膝について大きく荒い息をしている。無理もない、自分の二倍はある体格の力士を相手にすれば相当体力は相当に消耗する。その二人の様子を見かねたのか静葉が口を開いた。
「文、あなた行司やりなさい」
記者稼業に勤しんでいた中で突然振られた文は、思わず手に持っていたカメラをぽろっと落としてしまう。慌てて拾い直しながら静葉に聞き返す。
「私が行司ですか?」
「ええ。二人とも疲れてるし行司がいたほうがきっと楽よ」
「それはわかりますが、なんで私が?」
「だってあなた軍配みたいなの持っているでしょう? ちょうど良いわ」
そう言って静葉は笑みを浮かべている。なんと適当な理由なことか。文は呆れた表情を見せつつも「やれやれ、仕方ないですねー」等と言いながら土俵へとやってくる。なんだかんだ言って彼女も付き合いがいいのである。
それはそうと行司がいるのはあり難い。立ち合いの呼吸を合わせるのは相当神経を使うのだ。行司がいるだけでもその負担が多少減る。彼女の計らいににとりは感謝し、思わず心の中で「ごっつぁんです」とつぶやいた。もっとも行司がいるのが当たり前なのだが。
三度二人は相見えることとなった。しかし今までと違い、今回はその脇には行司役の文がいる。彼女は軍配に見立てた天狗の団扇を構えていた。
「さあ、二人とも見合ってくださいねー」
彼女の声に合わせて二人は腰を落としお互いを見据える。
「ではー……はっけよいのこった!」
文はかけ声とともに団扇をぱっとひるがえす。すると次の瞬間、吹き上げるような大風が発生し二人の体はあっという間に空中へと舞い上がってしまった。
「あややや……ごめんなさい! 私としたことがついうっかり」
彼女は思わず舌をぺろっと出して苦笑いをする。団扇を翻した瞬間、彼女は癖で大風を起こしてしまったのだ。思わず静葉は目を閉じて首を横に振った。
一方、上空に巻き上げられた二人は困惑しながらも組み合っていた。
「ええい! こうなりゃヤケだ! 空中戦といこうじゃないか!」
「望むところよ! 意地でも勝ってやるわ!」
そのまま二人は空中にいるまま差し手争いを繰り広げる。もはや二人にとって地面があるかないかなど些細な問題だった。二人が相対する場所こそ土俵なのだ。
にとりにとって今の状況はむしろ好都合だ。空中ならば足に負担はかからない。彼女はその太い腕を伸ばして穣子の腕をたぐり寄せるとむんずと掴んでそのまま小手に振り強引にぶん投げる。穣子の体はバランスを崩して一回転するが体勢を整えると再び組みにかかる。それならばと、にとりは今度はその上手を引いてひっくり返すように投げ飛ばすが同じく一回転してまた同じように組みかかった。ここで初めて彼女は何かがおかしいことに気づく。そうだ。地面がないから投げが機能しないのだ。
「甘いわね! 空中相撲に投げは効かないのよ!」
そう言って穣子は体を放すと一気にぶちかましてくる。にとりはそれをがっちり受け止めて言い返す。
「なるほどね。地面に落ちた方が負けってことかい! やってやろうじゃないか!」
にとりは体を密着させたまま彼女の顔面に掌底を次々とかます。力士の掌底の破壊力は恐ろしいものがある。並の人間ならひとたまりもない。それこそ場合によっては首の骨が折れてしまうこともあるのだ。しかしこう見えても彼女は神。やはり体は頑丈なのである。歯を食いしばってにとりの猛攻をしのぐと中に入り込み、痛めている足に手をかけると持ち上げる。
「……にといずみ関、足を取られて苦しい体勢。苦悶の表情を浮かべる。いもりこ関そのまま彼女を地面に落とそうとするも体重差もあってうまくいかない。結局手は離れた」
地上に取り残された者たちは椛の実況で戦況を見守っていた。彼女の千里眼の能力で状況を説明してもらっているのだ。
「ここで、にといずみ関が両手で捕まえる。のしかかるようにしていもりこ関を地面に落とそうとしている。丁度鯖折りのような格好。しかしこれも不発に終わる。いったい勝利の女神はどちらに微笑むか」
椛の淡々としたトーンの実況に思わず吹き出しそうになるが本人は至って真面目なのである。
「く……このままでは埒があかないわね」
「奇遇だね。私もそう思っていたところだったよ!」
「ならば、次の一撃で沈めてあげるわ!」
「こっちこそ私の力士生命をかけた一撃をお見舞いしてやる!」
そう言い返したにとりの脳裏には引退の二文字が浮かび上がっていた。これまでの激戦を経てもう彼女の体は限界だったのだ。
二人はお互いに離れると気合いを高める。自然と二人の周りには青いオーラと紫のオーラが現れる。
「うぉおおおおお!! いくわよーーーっ!!」
「望むところだぁああー!!」
二人は勢いよくぶつかり合う。その瞬間辺りが、いや幻想境全体が揺れた。二人が突っ張りをかます度に意地と意地がひしめき合うかのように、空間に歪みが生じる。そして二人が組み合った瞬間、その衝撃の強さによって突如現れた時空の隙間に二人は飲み込まれていってしまった。
◆
時は西暦20XX年。舞台は東京両国国技館。秋場所千秋楽においての結びの一番。勝った方が優勝という、まさに決戦の時である。
行司の「時間です」の声に合わせて東西の力士が土俵の仕切り線までやってくる。東の青い髪の力士はその鮮やかな金色の締め込みを強く叩くと腰を落とした。その相手の金髪に赤紫色の締め込み姿の力士も同じように腰を深く落とす。そして両者とも蹲踞の構えをとると拳を土俵へ近づかせ相手を睨みつける。
立ち合い前の一瞬、館内が静まりかえる中、行司はお互いが土俵に拳をつけるのを見届けると威勢良くかけ声をあげた。
「発気揚揚! 残った!」
割れんばかりの歓声と共に青髪の力士は全身全霊を込めてその体を相手の力士にぶちかました。自らの力士人生をかけて。
一体何が起きたというのか。昨日、食べたちゃんこのせいか。寝る前に読んだ外の相撲本のせいか。とりあえず四股を踏む。四股は力士の基本である。ひざを曲げて背筋はそのままで股を開いて腰を深く落とす。膝に体重がかかり負荷がかかる。まさにその体はヘヴィ級だった。そしてよいしょと四股を踏んだら部屋の床がばりんと抜けた。彼女は力士だったのである。
彼女は相撲が好きだった。どうしてこんなに相撲が好きなのか自分でもよくわからないが相撲が好きだったのだ。河童という種族の特徴なのか。はじめはほんの軽い気持ちで始めた寝起きの四股はいつの間にか彼女の日課になっていた。それがまさかこんな事になろうとは。
昨日食べたちゃんこ鍋は塩がベースのソップ風エビちゃんこ。彼女は三度の飯よりちゃんこが好きだった。四股とちゃんこ、これをしっかりと毎日続けていればいつかは力士になれる。彼女はそう信じていた。流石に朝起きたら力士になっていたとは思いもよらなかったが。しかし力士のこころと肉体を兼ね備えた、彼女はまごうことなき力士なのだ。部屋に飾ってあった外の世界の力士の浴衣と下駄を履きからんころんと乾いた音を立てながら彼女は秋姉妹の家に向かった。この姿を二人に見てもらいたかったのだ。
家に着くなり出迎えた穣子はその彼女の姿を見て硬直してしまう。にとりは自慢げに腹をぼんぼんと叩いた。
「どうだ! 凄いだろー? 私は力士になったのだ!」
「た、たしかに、す、すごぃわね……い、ぃろんないみでぇ……」
驚きのあまりにたどたどしい言葉となってしまう穣子。
「あら、にとりったらすっかり立派な姿になってしまって」
そこへ静葉が乱入する。彼女はにとりの姿をみると一瞬だけ驚いたような表情を見せるがすぐにいつもの不敵な笑みを浮かべると穣子に告げた。
「そうだわ。穣子。あなた少しこの子の相手をしてあげなさい」
「はぁ!?」
◆
秋姉妹の家の庭に注連縄で作った土俵が姿を現す。その周りにはいつの間にか天狗やら厄神やら兎やらが集まっている。その土俵の中心には静葉の姿があり、脇にはさらしにまわし姿の穣子とにとりの姿があった。
「これより、にといずみ対みのりこのやまの相撲勝負をはじめるとする」
静葉がさっと腕を上げて号令を出すとギャラリーたちからは歓声が上がった。ふと穣子が口を開く。
「ちょっと姉さん!!」
「あらどうしたの?」
「もう少し格好いい四股名ないの? みのりこのやまなんて格好悪いわよ!」
「四股名なんて適当でいいじゃない」
「だめよ。私のイメージってのがあるでしょ!」
「あなたのイメージって?」
「ほら、私が好きなものとか!」
「あら、じゃああなたキノコ好きだからきのこの山にでもする?」
「もっとだめよそれ!?」
等と二人が言い合っている間ににとりは笑みを浮かべて四股を踏み入念に体を動かしている。
―――にといずみ、なんと佳い名前なのだろうか。いかにも相撲取りらしい風格ある名前だ。水辺に関係ある、いずみという言葉も河童である自分にとってうってつけである。それに自分の名前であるにとりをかけて、にといずみ。うん、完璧だ。非の打ち所がない。まさにパーフェクトハーモニーなのである。うれしさの余りに彼女は土俵に清めの塩をどばっと大量にばらまく。その様子はまさにソルトシェイカー。黒い土俵は一瞬にして白く染まった。それを見た穣子が声を上げた。
「ちょっと!? そんなに塩をまいたら地面が痩せちゃうでしょ!? 植物育たなくなるじゃないのよ!」
なるほど彼女はあくまで豊穣の神。土俵に塩をまく意味をあまりわかっていないようだ。力士は塩をまくものだ。塩をまかない力士などただのでぶなのである。そんなことを思いながらにとりは四股を踏み続けている。再び静葉が号令を出す。
「それでは気を取り直してにといずみ対いもりこの相撲勝負はじめるわ」
もう少しまともな名前はなかったものか。しかし当の穣子は案外やる気を見せている。なるほど彼女はいもりこなのだ。にとりはふっと目を閉じて、かっと見開くと仕切り線へと進んだ。続けて穣子も進む。そしてお互い蹲踞の姿勢をとる。緊張の立ち合いの瞬間はすぐそこまで来ている。静葉は土俵の前にあぐらをかくようにしてどかりと座り込むと二人に告げた。
「じゃ、お互いうまく息を合わせて立ち上がってね」
「えっ?」
にとりは思わず待ったとばかりにその場で立ち上がる。すると立ち合いと勘違いした穣子は彼女の腹にめり込んで、ぼーんとそのまま土俵の外に弾き飛ばされた。呆気にとられるギャラリーたち。
「今のはだめね。立ち会い不成立でやりなおしよ」
静葉がさっと手を挙げて二人に告げる。その表情は特に変わりない。一体何を考えているのか。気を取り直して再び二人は仕切り線の前まで進む。文字通り仕切り直しである。
それにしてもなんともはや行司はいないというのだ。外の世界の大相撲の映像をみる限り、いや祭事としての相撲を見ても必ず行司というものは存在するというのに。今この場において行司は存在していない。つまりこの場を取り仕切るものは誰もいないのである。
当の静葉も見物としゃれ込んでいる。困惑を隠せないにとりはとりあえず四股を踏んだ。四股は力士の基本なのである。四股を踏みながら彼女は精神を落ち着かせ感覚を研ぎ澄ました。
ここで動揺してはいけない。彼女は蹲踞の構えに入り相手を見据える。果たして穣子はどんな立ち合いをしてくるのか。当然初顔合わせなので取り組み傾向や相手の得意な型などわかるわけもない。まさに出たとこ勝負と言いたいところだが、彼女はああ見えても神。それなりに力は持っているはず。それに普段から農作業に勤しんでいるだけあって恐らく下半身は頑丈で腰も強い。生半可な立ち合いだともしかしたら歯が立たないかもしれない。にとりは拳にぐっと力を入れて土俵に手をつく。そして
辺りにごすんという二人の頭と頭が激しくぶつかり合う音が鳴り響いた。まもなく穣子が苦悶の表情で体を後ろへ下がらせる。
よし、立ち合いはこっちの勝ちだ! このまま一気に!
にとりは間髪を入れずに相手の上手まわしに手をかけようとする。しかしそのとき穣子は咄嗟に体を横にねじらせてそれを防ぐ。そればかりか横についたまま逆ににとりの下手まわしに手をかけたのだ。
これは迂闊だった。彼女は自分より体が小さい。つまりそれだけ俊敏性も兼ね備えているという事だ。思わぬ盲点だった。にとりは腰を振って相手のまわしを切ろうとするが、穣子も腰をしっかりと落としてまわしを強く掴み離そうとしない。やはり予想通り足腰はしっかりしているようだ。しかし彼女もそこから次の手がなかなか出ない。組んでみたもののそこからどうしていいのかわからない様子だ。
それならばこちらにもまだ勝機はある。にとりはそのままの体勢で穣子の左差しに手を伸ばすと穣子はすかさず嫌って体を動かす。その瞬間を狙って彼女は自分の体を半転させると彼女のまわしの手を切る事に成功した。
ここぞとばかりににとりは喉輪を穣子にお見舞いするとそのままの勢いで押し込んだ。体格で劣る穣子は彼女の圧倒的なパワーになすすべなく土俵際まで追いつめられる。
―――よし勝てる!
そう思った彼女がとどめの一撃を放とうと足を踏み込んだ瞬間である。踏み込んだ足の膝にびしっとまるで電気が走ったような鋭い痛みが襲いかかった。その巨体を支えきれず彼女の膝はついに悲鳴を上げたのだ。思わず目を強くつむり全身の力が抜けてしまう。
にとりの様子の異変を察知した穣子は勝機とばかりに逆に押し込んだ。にとりは必死で踏みとどまろうとするが踏ん張る度膝に痛みが走る。あまりの痛さに思わずその場で倒れ込みそうになるが、そこはなんとかこらえる。二人は再び土俵の中央に戻ってくるとお互いのまわしを引いていた。
その時、にとりの頭にはある外の世界の力士のエピソードが思い浮かんでいた。その力士は有り余るパワーと体格で相手を圧倒し土俵を席巻していた。その勢いは「黒船襲来」とまで言われていたほどだった。しかしある時、取り組み中に膝を折られてしまい持ち味のパワー相撲が取れなくなってしまったのだ。まさに今の自分じゃないか。そしてその力士が手負いの足をカバーするために取った戦法はどうだったか。
にとりは咄嗟に両手で下手まわしを差しにいく。いわゆるもろ差し狙いだ。そしてもろ差しの体勢になるとぐっと相手を自分の懐に引き寄せて胸を合わせた。がっちりと穣子を抱き抱えるように捕まえたにとりは、のっしのっしと土俵際まで寄っていく。巨体に捕まえられた穣子は必死にもがくも再び土俵際まで追いつめられてしまった。
―――よし今度こそ!
「聞きなさい穣子。相撲の基本は相手の重心をいかに崩すかよ」
静葉の言葉が聞こえたかと思うと、突如穣子の足がにとりの痛めている足をとらえた。蹴返しだ。思わぬ奇襲を受けた彼女は激痛で体をよろけさせる。しかし構わずそのまま強引に前に出ようとした。勝利はすぐ目の前だ。このまま一気に決めなければ! その焦りが一瞬の隙となった。出ようとした瞬間に穣子は体を反らせると、にとりはバランスを崩してつんのめってしまう。
―――まずい!
咄嗟に彼女は穣子の腕をつかんで踏みとどまろうとするが、彼女の体も既に宙を舞っている。そして次の瞬間二人は土俵の外へ飛び出すように倒れ込んだ。
辺りは騒然としている。いったいどっちが勝ったのか。砂埃を払いながら二人は肩で息をしながら立ち上がり、静葉へ視線を向ける。彼女はニヤリと笑みを浮かべると二人に告げた。
「両者同体と見て、取り直しとするわ。もう一丁よ」
彼女の言葉に辺りからは歓声と拍手が上がる。にとりは思わず天を仰いだ。痛めた膝が疼く。更にさっき地面に打ち付けたときに肩も痛めてしまったらしく右腕がしびれて上がらないのだ。右腕は彼女の利き手であり生命線だ。まさに今の彼女は満身創痍だった。穣子も両手を膝について大きく荒い息をしている。無理もない、自分の二倍はある体格の力士を相手にすれば相当体力は相当に消耗する。その二人の様子を見かねたのか静葉が口を開いた。
「文、あなた行司やりなさい」
記者稼業に勤しんでいた中で突然振られた文は、思わず手に持っていたカメラをぽろっと落としてしまう。慌てて拾い直しながら静葉に聞き返す。
「私が行司ですか?」
「ええ。二人とも疲れてるし行司がいたほうがきっと楽よ」
「それはわかりますが、なんで私が?」
「だってあなた軍配みたいなの持っているでしょう? ちょうど良いわ」
そう言って静葉は笑みを浮かべている。なんと適当な理由なことか。文は呆れた表情を見せつつも「やれやれ、仕方ないですねー」等と言いながら土俵へとやってくる。なんだかんだ言って彼女も付き合いがいいのである。
それはそうと行司がいるのはあり難い。立ち合いの呼吸を合わせるのは相当神経を使うのだ。行司がいるだけでもその負担が多少減る。彼女の計らいににとりは感謝し、思わず心の中で「ごっつぁんです」とつぶやいた。もっとも行司がいるのが当たり前なのだが。
三度二人は相見えることとなった。しかし今までと違い、今回はその脇には行司役の文がいる。彼女は軍配に見立てた天狗の団扇を構えていた。
「さあ、二人とも見合ってくださいねー」
彼女の声に合わせて二人は腰を落としお互いを見据える。
「ではー……はっけよいのこった!」
文はかけ声とともに団扇をぱっとひるがえす。すると次の瞬間、吹き上げるような大風が発生し二人の体はあっという間に空中へと舞い上がってしまった。
「あややや……ごめんなさい! 私としたことがついうっかり」
彼女は思わず舌をぺろっと出して苦笑いをする。団扇を翻した瞬間、彼女は癖で大風を起こしてしまったのだ。思わず静葉は目を閉じて首を横に振った。
一方、上空に巻き上げられた二人は困惑しながらも組み合っていた。
「ええい! こうなりゃヤケだ! 空中戦といこうじゃないか!」
「望むところよ! 意地でも勝ってやるわ!」
そのまま二人は空中にいるまま差し手争いを繰り広げる。もはや二人にとって地面があるかないかなど些細な問題だった。二人が相対する場所こそ土俵なのだ。
にとりにとって今の状況はむしろ好都合だ。空中ならば足に負担はかからない。彼女はその太い腕を伸ばして穣子の腕をたぐり寄せるとむんずと掴んでそのまま小手に振り強引にぶん投げる。穣子の体はバランスを崩して一回転するが体勢を整えると再び組みにかかる。それならばと、にとりは今度はその上手を引いてひっくり返すように投げ飛ばすが同じく一回転してまた同じように組みかかった。ここで初めて彼女は何かがおかしいことに気づく。そうだ。地面がないから投げが機能しないのだ。
「甘いわね! 空中相撲に投げは効かないのよ!」
そう言って穣子は体を放すと一気にぶちかましてくる。にとりはそれをがっちり受け止めて言い返す。
「なるほどね。地面に落ちた方が負けってことかい! やってやろうじゃないか!」
にとりは体を密着させたまま彼女の顔面に掌底を次々とかます。力士の掌底の破壊力は恐ろしいものがある。並の人間ならひとたまりもない。それこそ場合によっては首の骨が折れてしまうこともあるのだ。しかしこう見えても彼女は神。やはり体は頑丈なのである。歯を食いしばってにとりの猛攻をしのぐと中に入り込み、痛めている足に手をかけると持ち上げる。
「……にといずみ関、足を取られて苦しい体勢。苦悶の表情を浮かべる。いもりこ関そのまま彼女を地面に落とそうとするも体重差もあってうまくいかない。結局手は離れた」
地上に取り残された者たちは椛の実況で戦況を見守っていた。彼女の千里眼の能力で状況を説明してもらっているのだ。
「ここで、にといずみ関が両手で捕まえる。のしかかるようにしていもりこ関を地面に落とそうとしている。丁度鯖折りのような格好。しかしこれも不発に終わる。いったい勝利の女神はどちらに微笑むか」
椛の淡々としたトーンの実況に思わず吹き出しそうになるが本人は至って真面目なのである。
「く……このままでは埒があかないわね」
「奇遇だね。私もそう思っていたところだったよ!」
「ならば、次の一撃で沈めてあげるわ!」
「こっちこそ私の力士生命をかけた一撃をお見舞いしてやる!」
そう言い返したにとりの脳裏には引退の二文字が浮かび上がっていた。これまでの激戦を経てもう彼女の体は限界だったのだ。
二人はお互いに離れると気合いを高める。自然と二人の周りには青いオーラと紫のオーラが現れる。
「うぉおおおおお!! いくわよーーーっ!!」
「望むところだぁああー!!」
二人は勢いよくぶつかり合う。その瞬間辺りが、いや幻想境全体が揺れた。二人が突っ張りをかます度に意地と意地がひしめき合うかのように、空間に歪みが生じる。そして二人が組み合った瞬間、その衝撃の強さによって突如現れた時空の隙間に二人は飲み込まれていってしまった。
◆
時は西暦20XX年。舞台は東京両国国技館。秋場所千秋楽においての結びの一番。勝った方が優勝という、まさに決戦の時である。
行司の「時間です」の声に合わせて東西の力士が土俵の仕切り線までやってくる。東の青い髪の力士はその鮮やかな金色の締め込みを強く叩くと腰を落とした。その相手の金髪に赤紫色の締め込み姿の力士も同じように腰を深く落とす。そして両者とも蹲踞の構えをとると拳を土俵へ近づかせ相手を睨みつける。
立ち合い前の一瞬、館内が静まりかえる中、行司はお互いが土俵に拳をつけるのを見届けると威勢良くかけ声をあげた。
「発気揚揚! 残った!」
割れんばかりの歓声と共に青髪の力士は全身全霊を込めてその体を相手の力士にぶちかました。自らの力士人生をかけて。
良いじゃない!と思ったけど既に「空を舞う力士よ」って傑作があるから評価が辛いかも
ごめんね☆