(例えば、病気除隊の夢、彼女の書いたこの夢のスケッチのような話を、私は秘封倶楽部の博物誌には掲載しなかった。メリーの書いてくれた原稿は他にも何点かあるが、どれもあまりに内容が一人称的過ぎているようだった)
どうやら、大学祭の開催期間中であるらしかった。秋の晴れた空模様で、校内には通路沿いに色とりどりのテントが建てられ、焼きそばやソーセージの屋台が出ている。行きかう人の数は多く、私の通る道を配慮してくれる人は、この中に一人もいないような気がした。私はガスで浮かぶ青い風船を右手首に糸で結びつけた格好。人ごみの中、落ち着かない気分で早歩きしていた。どこか後ろの方で甲高い警笛が吹かれて、ついまた足を速めた。
元はと言えば、バルーンアートを作るサークルのテントに立ち寄ったのが悪かった。受付の女子部員から「ハーンさん、ちょっと」と名前を呼ばれたので、つい足を止めてしまった。私はどうしてその部員が自分の名前を知っていたのか気にかかり、何度も問いただそうとしたが、彼女は風船をねじるギュムギュムという摩擦音で人の声を踏みにじるやり口にはよく慣れているらしく、まるで相手にならないのだった。
女子部員の態度こそ明るく好意的ではあったが、そのサークルは、展示品としている店先の風船ウサギに、偽物の長風船を用いていた。その証明には、試みに吐息を吹きかけて湿らせながらウサギの背中を爪で掻くと、表面のゴム質はふやけて剥がれ落ちる。そうしてかばい難いことには、粗悪な発泡スチロールまでが露出してしまった。私は以前端末で見たニュース記事で、その鑑定法を知り覚えていたのだった。女子部員は白々しく驚いたような表情で、私の暴いた不正を何の間違いだろうかなどと不思議がったが、そのくせ不正の現物はすばやく私の手から奪い取り、代わりに口止めのための品を握らせた。青い風船だった。
「これなら文句はつけようがない本物の風船」
女子部員はそう言っていた。なるほど、確かにこれは表面のゴムの張り具合も平凡なものと違っている。固く詰まっていながらも、急に弾けるといったような不安は不思議と感じられない。ヘリウムによる浮上も、心なしか勢いよくまっすぐ上を向いている。膨らんだ丸みは、ちょうど鶏卵を上下逆さまにしたようで、この形が何よりも人間の目に馴染んで安心感を抱かせるのだという。私は取引に満足してその場を去った。
しかし、そこからしばらく歩いていくと、私の右手につながれて宙を漂っていた風船は、だんだんと私の耳元に寄って来たがり、そこである重大らしい秘密を打ち明けようとするのだった。私は戸惑ってしまった。そんなことをされたところで、今の私には聞いた秘密を落ち着いて覚えていられるだけの脳細胞の余白は無く、つい先日も、自分がマンホールに転落した春先の事故をさえ忘れていたくらいなのである。
一部の大手銀行では、記憶を安全に預け入れておける新口座の開設をすでに始めているという話は聞いたことがあったが、銀行名すらも覚えていない私は、端末から口座開設の手順を検索することができないかもしれない。旧時代の検索機関のように、見当違いなキーワードへアクセスして時間を余計に費やしてしまうくらいなら、どこかに隠れて聞いた情報をゆっくりと記憶に沁み込ませる方が都合がいい。視界の外からこちらを覗いていた蓮子も「当たり前である」と注書きを持ち出して見せた。「うるさいわね」
迷いながら歩いている間にも、風船は急かすかのように私の右頬に何度も体をぶつけてくる。風船は人のいるところでは決して喋ろうとしない。しかし、繰り返す体当たりは無言のうちに私を非難している。だとすると、私の今居るこの学祭という場所も、そんな重大な秘密を受け取るには場違いに違いないのでは。私は赤面して地団駄を踏んだが、「ああ私も月へ行きたかったなあ」なんて、意味ないことだろうか。
大学で落ち着ける隠れ場所を見つけるのは案外に難しい。何故と言って、どの場所も用途があって用意されているのだから、そこに人が居合わせるのは仕方が無い道理だった。第一、いったいどんな建築家が教育施設の中に「人が来ない場所」などを残しておいてくれるだろう。それに、考えれば問題はもっと複雑である。例えどこか目立たない暗い場所にしゃがみこんで風船から秘密を打ち明けられたとして、そこへ入っていく姿、あるいはそこから出てくる姿を人に見られていたら弁解することは難しくなる。風船のくれる秘密とはどれほどなものか分からないが、場合によっては私が守らなければならないものだろう。そのためにも、必要なのは出来るだけ人目につかない場所、そうして、例え見つかっても不審がられない場所ということになる。昔、森の木のうろに住む老狩人から受けた教えの一つに、「学校で身を潜めるときは、手洗い場へ入れば大きな後悔を招くことになる」という話があった。私はその意味を今日はじめて理解した。
結局、私が選んだのは、とある校舎の、三階と四階の間の階段であった。私は階段折返しの踊り場に立ち、掲示板に多く張られたチラシを眺めている風を装った。この選択には遠く離れたあの老狩人も「そうだ、それで良い」と満足げに頷いてくれた。
冷や冷やとした窓の白光を左から受けながら、掲示板に貼られた演劇部の公演チラシを注視する。「管制塔はいつ出来る? 今問いかける究極の……」チラシはなんだかそんなことを書いて大袈裟な色で強調していた。
やがて、右手の風船がゆっくりと後ろから私の耳元に近づく気配がした。そうして、思いのほか切羽詰まった、泣き出しそうな男の声で短く伝えた。
「戦争が始まります。早く! 今すぐに!」
それだけ言うと、風船は自らの身を痛々しく捻って、まさかこれほどと思うほどの大きな音を立てて破裂してしまった。私の右手首に、糸と破れた青いゴム片が哀しげに垂れ下がった。私はぞっとして手に結びついた糸を引きちぎり捨てた。よく見るとその糸は、女の黒髪を撚り合わせて炙ったものであった。風船の言った「早く! 今すぐに!」とは、ここから逃げるべきことを警告されたのであると、自然に理解出来た。
私はとっさに窓辺へ駆け寄って外を見た。道にあれほど溢れかえっていた学生たちが、いつの間にかすっかりと居なくなり、無人となったいくつかの屋台では放置された鉄板の上で料理が焦げて黒い煤を上げている。そこへ、道中何度か耳にしたあの癇癪めいた警笛の音が聴こえ、それにつられて私のいる校舎からも何人かの学生が走り出ていった。その向かう先から察するに、学生たちは大講堂へ集められているらしい。すぐに私も彼らに続いて大講堂へ向かった。後には無惨な姿となった風船が床に伸びていたが、私の心は六歳の子供に戻ったかのようで、別に哀れともすまないとも感じなかった。
果たして、大講堂には既に数え切れない学生たちが整列していた。到着してすぐに私は入り口に立つ警備員から専攻学科を尋ねられたが、どういうわけか「超統一物理学です」、とっさに私は嘘を吐いていた。視界の外で蓮子が手を挙げて怒っているが、「しょうがないじゃない。蓮子の顔が最初に浮かんだのよ」続いて学生登録番号の提示を求められたが、答えられない私は油をかぶって昔蓮子に教わった太極拳をおぼつかなく模倣して見せるしかなかった。
警備員は私に整列するようにと指示したものの、すれ違いざまに疑い深い目を向けて、大学という機関が如何に恐ろしいジャーナリズムを持っているかについて警告したので、私も同意した。
身をかがめながらそそくさと集団の後方へ回り、周囲に倣って背筋を伸ばして立った。このときはじめて気がついたことだったが、壇上では既に威厳ありげな教授が立って生徒たちに大声で何か語りかけていた。しかし、ここからでは離れすぎていて、何を話しているのだかほとんど聞き取れない。
壇上からの話が終わると、学生たちが一斉に銀の胸章を取り出し、服の左胸に見えるよう、針で留めた。彼らの動作に倣うことの出来ない私は、自分にも後から同じ胸章が支給されるのだろうかと考えて、不安を覚えた。
このような訳の分からない形で、日本は戦争をすることになったわけである。
後に私も大学徴兵され、結局皆と同じ胸章を付けることとなったが、これは不安が的中した形になるのか、それとも解消された形になるのか、自分ながらよくわからない。
ともかくそれからは毎日大学の体育館で他の学生らと寝袋を並べて眠り、夜が明けると表に並ばされて「警戒」の任務に就く。警戒とは文字通り、危機に備えて注意を張り巡らせるということで、具体的に何をすればいいか解らない学生たちは、ただうろうろと学内を見回りして歩いた。
胸章の他に私たちが与えられた装備といえば、揃いの軍服と、単発式の拳銃が一丁のみである。この拳銃は妙なもので、いかにも量産性のみに特化した簡素な設計をしている。玩具のような白いプラスチック製で、銃筒に握りと引き金を付けた、という以上は外見を説明しようがない。訓練教官の兵隊はこれを「必要十分な武装」と言った。なんでも、この銃は遠距離から撃つことは想定しておらず、狙い撃ちをするときは銃口の裏から標的を覗いて、角度を定めたうえで弾丸を込め、撃つのだという。大学内での戦闘は、九分九厘突発的な遭遇戦になる。何の戦闘訓練も受けていない学生は、目の前の敵に対し瞬発的に自己防衛本能で発砲する以上の働きは期待されておらず、その場合必要となるのは整備しやすく信頼性の高い単純さであるという話であった。また同士討ちや反乱を防ぐ意味でも、予備の弾丸は与えられていない。「私たちが弾なのよ」と右隣の寝袋で寝ている女生徒がよく言っていた。私はその銃を納めたホルスターを腰の右に提げて、ときどき中身を確かめるためにポンポンと手で叩いたりした。
戦争は、当初私が想像していたよりも随分事務的な物だった。開戦から三週間近く経過しても、学内で一発の銃声も鳴ることは無かった。警戒している危機はいつまでも訪れず、その予兆すら見えない。私は毎日体育館の寝袋で夜を過ごし、機械的に学内を見回った。食事は兵隊からの配給制となり、学祭に使われていたテントがそのまま食料の受け渡し場として使われていた。その配給の列に並ぶ規則も、習慣となってからはさほど異様な感じを受けなくなった。あの青い風船が警告した戦争とは、少なくとも戦闘が無い状態ではありふれた公共事業の類型のようだった。
そんなある日、私は見回りの途中で拳銃をなくしてしまったことに気が付いた。ホルスターを叩いて確かめても、固い物は一向に手に応えない。
私は気まずい思いで作戦室を尋ねた。その部屋は少人数教室の一つを改装したもので、中央に軍卓が置かれ、その奥に帽子を被った髭面の軍曹が腰かけていた。私はうつむいて軍曹の顔を見ないようにしながら拳銃紛失の件を報告した。まず二三言の叱責が発せられ、次に軍曹は何処かへ電話を掛けはじめた。口調から察するに、誰かしら管轄の尉官に報告をしているらしかった。電話を切ると、軍曹の態度はより厳しいものへと変わっていた。
「なぜ拳銃を紛失したのか?」
「理由は分かりません。私の不注意です」
「普段から銃はホルスターに収納していたのか?」
「はい、入れていました」
「ならば紛失するはずはない。そのためにホルスターが与えられているのだ。なら、いつどんな状況で紛失したのか?」
「状況は分かりません。気が付いたときにはありませんでした」
ここまで軍曹の質問に答えるうちに、私は変に堂々としてきた。叱責を受けるべきなのは私の注意機能の方であって、私自身ではない、とでもいうような、頑固な柔軟さが自分をかばった。
「ではなぜ銃が紛失したことに気付いた? 何かきっかけがあったのではないか? 銃が床に落ちる音を聴いたとか、誰かがホルスターから銃を盗んでいくのを見たとか」
「何気なく手で探ったら、ありませんでした」
「ありえないことだ。銃は一人でに逃げ出したりはしない」
「はい」
「残る可能性は、君が自ら銃を紛失するような行動をとったという以外にないと思う。冷静に状況を分析すればそうなるのだ。何か反論はあるか」
「私の目が悪いのです」
軍曹の言い様があんまり不利すぎるようなので、私はついにそう言ってしまった。軍曹は驚いた顔をしていた。
「私の目は人と少し変わっているものでして、だから敵も発見出来ず、拳銃も紛失するのだと思います」
「では、君は病気だ」
軍曹は最後にそれだけ言うと、軍卓の下から書類を一枚探り出して判を押し、私に受け取らせた。書類には「病気除隊」と書かれていた。
私は一礼して部屋を出て行こうとしたが、その前に軍曹が怖ろしい顔で私の腕をつかんで引き寄せ、胸章をもぎ取った。侮辱を感じた私は軍曹に飛びかかり、手から胸章を取り返すと、すぐに部屋の窓から投げ捨てた。軍曹はしかし、これにはもう激昂しなかった。
作戦室を出て、廊下を歩いていくとき、しばらく私は誇らしい気分だった。しかし、その気分もすぐに不安な色に変わった。私が除隊処分を受けたことは、既に大学中に知れ渡っているらしく、途中何人かの友人が声をかけてきた。それは、病気と言うことになっている私をいたわる言葉であったり、配給を受けられなくなった私を案じる言葉であったりした。しかしながら、私にはそのどれもが何かしら見くびりのような響きを奥に秘めているように思われた。
その理由は、おそらく、私以外の学生たちの腰に提げられているあの些細な拳銃であったのだろう。私たちははじめ、一律に武装させられたが、除隊となった私はこの学内でたった一人素手なのだった。そう気づいたとき、友人たちが皆私のいないところでは鳥のように鋭い目をしていたということを私は豁然とさとった。
私はもう、学内にいることは相応しくないと思った。そうしてふと、蓮子の下宿を尋ねようと閃いた。戦争が始まってからというもの、私は蓮子のことをすっかりと忘れていた。視界の外で蓮子が泣いたふりをしながら「ひどいよ」という注書きを挿し入れている。彼女はあの学祭の日も大講堂へは来ていなかったのだから、徴兵もされず今も下宿で寝ているに違いない。
さっそく市バスに乗り込む。バス内では後ろの席に座っていた獏が何やらぶつぶつと文句を言っていたが、ひたすら無視を決め込んだ。蓮子に会ってどうしようなどという具体的な考えは無かった。ただ、この私の現状について訊かなければならないことが何かあるような気がした。やがて乗り物は動きだし、私は戦争を後にした。
どうやら、大学祭の開催期間中であるらしかった。秋の晴れた空模様で、校内には通路沿いに色とりどりのテントが建てられ、焼きそばやソーセージの屋台が出ている。行きかう人の数は多く、私の通る道を配慮してくれる人は、この中に一人もいないような気がした。私はガスで浮かぶ青い風船を右手首に糸で結びつけた格好。人ごみの中、落ち着かない気分で早歩きしていた。どこか後ろの方で甲高い警笛が吹かれて、ついまた足を速めた。
元はと言えば、バルーンアートを作るサークルのテントに立ち寄ったのが悪かった。受付の女子部員から「ハーンさん、ちょっと」と名前を呼ばれたので、つい足を止めてしまった。私はどうしてその部員が自分の名前を知っていたのか気にかかり、何度も問いただそうとしたが、彼女は風船をねじるギュムギュムという摩擦音で人の声を踏みにじるやり口にはよく慣れているらしく、まるで相手にならないのだった。
女子部員の態度こそ明るく好意的ではあったが、そのサークルは、展示品としている店先の風船ウサギに、偽物の長風船を用いていた。その証明には、試みに吐息を吹きかけて湿らせながらウサギの背中を爪で掻くと、表面のゴム質はふやけて剥がれ落ちる。そうしてかばい難いことには、粗悪な発泡スチロールまでが露出してしまった。私は以前端末で見たニュース記事で、その鑑定法を知り覚えていたのだった。女子部員は白々しく驚いたような表情で、私の暴いた不正を何の間違いだろうかなどと不思議がったが、そのくせ不正の現物はすばやく私の手から奪い取り、代わりに口止めのための品を握らせた。青い風船だった。
「これなら文句はつけようがない本物の風船」
女子部員はそう言っていた。なるほど、確かにこれは表面のゴムの張り具合も平凡なものと違っている。固く詰まっていながらも、急に弾けるといったような不安は不思議と感じられない。ヘリウムによる浮上も、心なしか勢いよくまっすぐ上を向いている。膨らんだ丸みは、ちょうど鶏卵を上下逆さまにしたようで、この形が何よりも人間の目に馴染んで安心感を抱かせるのだという。私は取引に満足してその場を去った。
しかし、そこからしばらく歩いていくと、私の右手につながれて宙を漂っていた風船は、だんだんと私の耳元に寄って来たがり、そこである重大らしい秘密を打ち明けようとするのだった。私は戸惑ってしまった。そんなことをされたところで、今の私には聞いた秘密を落ち着いて覚えていられるだけの脳細胞の余白は無く、つい先日も、自分がマンホールに転落した春先の事故をさえ忘れていたくらいなのである。
一部の大手銀行では、記憶を安全に預け入れておける新口座の開設をすでに始めているという話は聞いたことがあったが、銀行名すらも覚えていない私は、端末から口座開設の手順を検索することができないかもしれない。旧時代の検索機関のように、見当違いなキーワードへアクセスして時間を余計に費やしてしまうくらいなら、どこかに隠れて聞いた情報をゆっくりと記憶に沁み込ませる方が都合がいい。視界の外からこちらを覗いていた蓮子も「当たり前である」と注書きを持ち出して見せた。「うるさいわね」
迷いながら歩いている間にも、風船は急かすかのように私の右頬に何度も体をぶつけてくる。風船は人のいるところでは決して喋ろうとしない。しかし、繰り返す体当たりは無言のうちに私を非難している。だとすると、私の今居るこの学祭という場所も、そんな重大な秘密を受け取るには場違いに違いないのでは。私は赤面して地団駄を踏んだが、「ああ私も月へ行きたかったなあ」なんて、意味ないことだろうか。
大学で落ち着ける隠れ場所を見つけるのは案外に難しい。何故と言って、どの場所も用途があって用意されているのだから、そこに人が居合わせるのは仕方が無い道理だった。第一、いったいどんな建築家が教育施設の中に「人が来ない場所」などを残しておいてくれるだろう。それに、考えれば問題はもっと複雑である。例えどこか目立たない暗い場所にしゃがみこんで風船から秘密を打ち明けられたとして、そこへ入っていく姿、あるいはそこから出てくる姿を人に見られていたら弁解することは難しくなる。風船のくれる秘密とはどれほどなものか分からないが、場合によっては私が守らなければならないものだろう。そのためにも、必要なのは出来るだけ人目につかない場所、そうして、例え見つかっても不審がられない場所ということになる。昔、森の木のうろに住む老狩人から受けた教えの一つに、「学校で身を潜めるときは、手洗い場へ入れば大きな後悔を招くことになる」という話があった。私はその意味を今日はじめて理解した。
結局、私が選んだのは、とある校舎の、三階と四階の間の階段であった。私は階段折返しの踊り場に立ち、掲示板に多く張られたチラシを眺めている風を装った。この選択には遠く離れたあの老狩人も「そうだ、それで良い」と満足げに頷いてくれた。
冷や冷やとした窓の白光を左から受けながら、掲示板に貼られた演劇部の公演チラシを注視する。「管制塔はいつ出来る? 今問いかける究極の……」チラシはなんだかそんなことを書いて大袈裟な色で強調していた。
やがて、右手の風船がゆっくりと後ろから私の耳元に近づく気配がした。そうして、思いのほか切羽詰まった、泣き出しそうな男の声で短く伝えた。
「戦争が始まります。早く! 今すぐに!」
それだけ言うと、風船は自らの身を痛々しく捻って、まさかこれほどと思うほどの大きな音を立てて破裂してしまった。私の右手首に、糸と破れた青いゴム片が哀しげに垂れ下がった。私はぞっとして手に結びついた糸を引きちぎり捨てた。よく見るとその糸は、女の黒髪を撚り合わせて炙ったものであった。風船の言った「早く! 今すぐに!」とは、ここから逃げるべきことを警告されたのであると、自然に理解出来た。
私はとっさに窓辺へ駆け寄って外を見た。道にあれほど溢れかえっていた学生たちが、いつの間にかすっかりと居なくなり、無人となったいくつかの屋台では放置された鉄板の上で料理が焦げて黒い煤を上げている。そこへ、道中何度か耳にしたあの癇癪めいた警笛の音が聴こえ、それにつられて私のいる校舎からも何人かの学生が走り出ていった。その向かう先から察するに、学生たちは大講堂へ集められているらしい。すぐに私も彼らに続いて大講堂へ向かった。後には無惨な姿となった風船が床に伸びていたが、私の心は六歳の子供に戻ったかのようで、別に哀れともすまないとも感じなかった。
果たして、大講堂には既に数え切れない学生たちが整列していた。到着してすぐに私は入り口に立つ警備員から専攻学科を尋ねられたが、どういうわけか「超統一物理学です」、とっさに私は嘘を吐いていた。視界の外で蓮子が手を挙げて怒っているが、「しょうがないじゃない。蓮子の顔が最初に浮かんだのよ」続いて学生登録番号の提示を求められたが、答えられない私は油をかぶって昔蓮子に教わった太極拳をおぼつかなく模倣して見せるしかなかった。
警備員は私に整列するようにと指示したものの、すれ違いざまに疑い深い目を向けて、大学という機関が如何に恐ろしいジャーナリズムを持っているかについて警告したので、私も同意した。
身をかがめながらそそくさと集団の後方へ回り、周囲に倣って背筋を伸ばして立った。このときはじめて気がついたことだったが、壇上では既に威厳ありげな教授が立って生徒たちに大声で何か語りかけていた。しかし、ここからでは離れすぎていて、何を話しているのだかほとんど聞き取れない。
壇上からの話が終わると、学生たちが一斉に銀の胸章を取り出し、服の左胸に見えるよう、針で留めた。彼らの動作に倣うことの出来ない私は、自分にも後から同じ胸章が支給されるのだろうかと考えて、不安を覚えた。
このような訳の分からない形で、日本は戦争をすることになったわけである。
後に私も大学徴兵され、結局皆と同じ胸章を付けることとなったが、これは不安が的中した形になるのか、それとも解消された形になるのか、自分ながらよくわからない。
ともかくそれからは毎日大学の体育館で他の学生らと寝袋を並べて眠り、夜が明けると表に並ばされて「警戒」の任務に就く。警戒とは文字通り、危機に備えて注意を張り巡らせるということで、具体的に何をすればいいか解らない学生たちは、ただうろうろと学内を見回りして歩いた。
胸章の他に私たちが与えられた装備といえば、揃いの軍服と、単発式の拳銃が一丁のみである。この拳銃は妙なもので、いかにも量産性のみに特化した簡素な設計をしている。玩具のような白いプラスチック製で、銃筒に握りと引き金を付けた、という以上は外見を説明しようがない。訓練教官の兵隊はこれを「必要十分な武装」と言った。なんでも、この銃は遠距離から撃つことは想定しておらず、狙い撃ちをするときは銃口の裏から標的を覗いて、角度を定めたうえで弾丸を込め、撃つのだという。大学内での戦闘は、九分九厘突発的な遭遇戦になる。何の戦闘訓練も受けていない学生は、目の前の敵に対し瞬発的に自己防衛本能で発砲する以上の働きは期待されておらず、その場合必要となるのは整備しやすく信頼性の高い単純さであるという話であった。また同士討ちや反乱を防ぐ意味でも、予備の弾丸は与えられていない。「私たちが弾なのよ」と右隣の寝袋で寝ている女生徒がよく言っていた。私はその銃を納めたホルスターを腰の右に提げて、ときどき中身を確かめるためにポンポンと手で叩いたりした。
戦争は、当初私が想像していたよりも随分事務的な物だった。開戦から三週間近く経過しても、学内で一発の銃声も鳴ることは無かった。警戒している危機はいつまでも訪れず、その予兆すら見えない。私は毎日体育館の寝袋で夜を過ごし、機械的に学内を見回った。食事は兵隊からの配給制となり、学祭に使われていたテントがそのまま食料の受け渡し場として使われていた。その配給の列に並ぶ規則も、習慣となってからはさほど異様な感じを受けなくなった。あの青い風船が警告した戦争とは、少なくとも戦闘が無い状態ではありふれた公共事業の類型のようだった。
そんなある日、私は見回りの途中で拳銃をなくしてしまったことに気が付いた。ホルスターを叩いて確かめても、固い物は一向に手に応えない。
私は気まずい思いで作戦室を尋ねた。その部屋は少人数教室の一つを改装したもので、中央に軍卓が置かれ、その奥に帽子を被った髭面の軍曹が腰かけていた。私はうつむいて軍曹の顔を見ないようにしながら拳銃紛失の件を報告した。まず二三言の叱責が発せられ、次に軍曹は何処かへ電話を掛けはじめた。口調から察するに、誰かしら管轄の尉官に報告をしているらしかった。電話を切ると、軍曹の態度はより厳しいものへと変わっていた。
「なぜ拳銃を紛失したのか?」
「理由は分かりません。私の不注意です」
「普段から銃はホルスターに収納していたのか?」
「はい、入れていました」
「ならば紛失するはずはない。そのためにホルスターが与えられているのだ。なら、いつどんな状況で紛失したのか?」
「状況は分かりません。気が付いたときにはありませんでした」
ここまで軍曹の質問に答えるうちに、私は変に堂々としてきた。叱責を受けるべきなのは私の注意機能の方であって、私自身ではない、とでもいうような、頑固な柔軟さが自分をかばった。
「ではなぜ銃が紛失したことに気付いた? 何かきっかけがあったのではないか? 銃が床に落ちる音を聴いたとか、誰かがホルスターから銃を盗んでいくのを見たとか」
「何気なく手で探ったら、ありませんでした」
「ありえないことだ。銃は一人でに逃げ出したりはしない」
「はい」
「残る可能性は、君が自ら銃を紛失するような行動をとったという以外にないと思う。冷静に状況を分析すればそうなるのだ。何か反論はあるか」
「私の目が悪いのです」
軍曹の言い様があんまり不利すぎるようなので、私はついにそう言ってしまった。軍曹は驚いた顔をしていた。
「私の目は人と少し変わっているものでして、だから敵も発見出来ず、拳銃も紛失するのだと思います」
「では、君は病気だ」
軍曹は最後にそれだけ言うと、軍卓の下から書類を一枚探り出して判を押し、私に受け取らせた。書類には「病気除隊」と書かれていた。
私は一礼して部屋を出て行こうとしたが、その前に軍曹が怖ろしい顔で私の腕をつかんで引き寄せ、胸章をもぎ取った。侮辱を感じた私は軍曹に飛びかかり、手から胸章を取り返すと、すぐに部屋の窓から投げ捨てた。軍曹はしかし、これにはもう激昂しなかった。
作戦室を出て、廊下を歩いていくとき、しばらく私は誇らしい気分だった。しかし、その気分もすぐに不安な色に変わった。私が除隊処分を受けたことは、既に大学中に知れ渡っているらしく、途中何人かの友人が声をかけてきた。それは、病気と言うことになっている私をいたわる言葉であったり、配給を受けられなくなった私を案じる言葉であったりした。しかしながら、私にはそのどれもが何かしら見くびりのような響きを奥に秘めているように思われた。
その理由は、おそらく、私以外の学生たちの腰に提げられているあの些細な拳銃であったのだろう。私たちははじめ、一律に武装させられたが、除隊となった私はこの学内でたった一人素手なのだった。そう気づいたとき、友人たちが皆私のいないところでは鳥のように鋭い目をしていたということを私は豁然とさとった。
私はもう、学内にいることは相応しくないと思った。そうしてふと、蓮子の下宿を尋ねようと閃いた。戦争が始まってからというもの、私は蓮子のことをすっかりと忘れていた。視界の外で蓮子が泣いたふりをしながら「ひどいよ」という注書きを挿し入れている。彼女はあの学祭の日も大講堂へは来ていなかったのだから、徴兵もされず今も下宿で寝ているに違いない。
さっそく市バスに乗り込む。バス内では後ろの席に座っていた獏が何やらぶつぶつと文句を言っていたが、ひたすら無視を決め込んだ。蓮子に会ってどうしようなどという具体的な考えは無かった。ただ、この私の現状について訊かなければならないことが何かあるような気がした。やがて乗り物は動きだし、私は戦争を後にした。
私の目が悪いのです、非常にメリーでした
さいごはほっとしました。
とても上手いものを読ませていただきました。ありがとうございます