・風見幽香(かざみゆうか)
妖怪。花は好き。
・博麗霊夢(はくれいれいむ)
巫女。空は飛べる。
※
「――てぇかそもそも、アンタ、何で来たんだっけ?」
ちくちく、とげとげとした、機嫌の悪いのを隠そうともしていない起伏の激しい声だった。
霊夢はとつぜん手を止めて、不機嫌そうな顔のままそうたずねてきた。
当然、それは下にいる幽香に向けられたものである。
上から投げつけられたその何の脈絡も無い問いに、幽香は答える事も答えない事もできた。思わせぶりな微笑をうっすら浮かべて、そうねえ、と一度考え込むそぶりを見せる。
「花を見に来たのよ、もちろん」
「ふうん……。こんな冬に、ね。もういい。無理やり話させてやるから」
それは冬の博麗神社である。
秋も盛りを迎えんという巫女の肥える季節柄に、いきなり時季外れの雪がどっかり、どっさりと降ってきて、それは一晩のうちに秋の赤い景色をあらかた地面の下にしまい込んでしまったのだ。そのうえ、まだまだ足りぬとばかりに風は銀雪を運んできている。あわてて箪笥の奥からマフラーを引っ張り出して、霊夢はその一年前の古びた匂いにちょっとむっとしていた。
早いところ屋根の雪をおろしたものか、あるいは境内から参拝客が歩けるだけの道の分の雪かきが先か。楽園の素敵な巫女とて人の子である。寒くなれば部屋の中を暖めるものが必要だし、これから一冬を越すだけの火の用意もまだ済んでいない。
彼女は神社にやってきた妖怪を見てとって、神社を守る名目で妖怪退治にとりかかったが、それは妖怪にとってまったく身に覚えのない事だった。
境内の分厚い雪の上で今、四季の大妖怪、風見幽香は、大の字になって寝そべっていた。
彼女の上に馬乗りになって、霊夢は何度も何度も振り上げた拳を打ちつけていた。
当たるに任せて頬やこめかみをめちゃくちゃに叩いて抉って、頭を守るために腕を上げてガードを固めればすかさず脇腹に鋭いフックが飛んできて、しばらく一方的な展開になった。上にのしかかられると抜け出し難い上に、相手は自然とパンチに体重が乗って重くなる。幽香も果敢に抵抗したが、すでに左の鎖骨は巫女にへし折られていた。
その小さな手が、寒さか、あるいは幾度も大妖怪を叩いたためにか、酷く赤く染まっている。
彼女はマフラーが首筋にちくちくとする感触に戸惑ったのか、小さく身じろぎをした。
ぐいっと幽香の首根っこを持ち上げると、ほとんど鼻と鼻のくっつくぐらいの距離で間近にじろじろと遠慮なくにらみつけてきた。
「ねえ、霊夢」
「なによ。もう降参?」
「勝ったらなにしてくれるかしら」
彼女は困ったように眉根をよせた。
下から首にまわしてきた腕を払いのけて、再び相手を叩くのをはじめた。
霊夢が片腕を強引に被せて幽香の両腕をおさえ、残った右手で狂ったように殴りつけている間、だんだんと腰が幽香の胸のあたりにまであがってきた。
それを幽香は好機ととらえた。相手にお腹の上へ乗っかられて、下半身がまるで動けなくなっていたのだ。
霊夢がすっと息を吸った瞬間に、幽香は腰を跳ね上げて、自分の頭の方へと彼女を下からふっ飛ばした。しょせんは年相応の少女の体躯である。
幽香は勝利を確信し、すぐさま後ろから抱きしめて首を決めてやろうとしたのだが、霊夢は特に力に逆らわず、逆に浮いた膝をそのまま鼻面に叩き込んできた。幽香は文字通り「鼻を明かされる」事になった。
※
幽香は人生の勝利者の特権として神社の明け渡しを要求した。
今日の夜と明日の朝のご飯、そして自分の分の布団を出すまで帰らないというのだ。
「まあ、いいけどね。その代わり雪下ろしと雪かきを手伝ってよ」
「もちろんいやです」
「働かざるもの食うべからず、よ」
これに対し霊夢はあくまで妖怪に何するものぞとの強固な姿勢を崩さず、話し合いは平行線をたどると思われた。
しかし、幽香は彼女に卑劣な手段でもってかかったのだ。
持参した風呂敷包みをごそごそと解いて、菓子折りを突きつけ、たっぷりと力を込めると脅迫めいた事を言った。
「もなかです。余ったので差し上げます。いま食べてていいわよ」
「あらありがとう。……中身がいっこ無いわ」
「甘すぎたの」
己のためでなく、神社の、ひいては幻想郷全体の事を慮って、霊夢はこの脅迫を飲み込まざるをえなかった。
そうやって恐るべき方法で巫女を黙らせた幽香は、次なる目的のために神社の全域へとその魔の手を伸ばした。
脱ぎ散らかされた衣服をまとめて濯いで明日に間に合うようにして、済んだ分はしわにならないようきちんと畳んで箪笥にしまった。吊戸棚や窓や戸の建付けを確認して、隙間から風雪が入り込まないようにした。霊夢に商売道具の墨やお札や針の点検もさせて、屋根の雪を下し、薪を割って、倉庫のメイドロボに油をさしてやったりもした。
霊夢はそれを自分で淹れてきたお茶ともなかとで黙々眺めていたが、夕飯はお肉がいいだとか、お酒はいま切らしているだとか、口をはさむのは忘れなかった。
「えーと……これとこれはこっち? あと霊夢、これは何処に仕舞えばいいの」
「ああ、もう、それは置いといていいから。いちいちいいんだってのに」
「半纏があるじゃない。ほら、寒いから着ておきなさい。巫女が風邪ひいたらお笑い草よ。里中から見物が押し寄せるわ」
「いらない。火鉢があるから。……だから、いらないって!」
抵抗をやめない霊夢とのやりとりは色々とあったが、それらもやがてひと段落したところで、幽香は夕ご飯の支度にとりかかった。
持参したエプロンには、前のところにアップリケで黄色い大きな花があって、調理者の幽かな気持ちを集めて作ったものに込めたりする微妙な曲線を描いている。
博麗神社には驚くぐらい何もなかったが、幸いにも幽香は裏庭から食材を調達するすべに長けていた。
いまや、霊夢に毒を盛る事も、お砂糖と塩の加減を間違える事でさえ、彼女は簡単にできるのだった。
「嫌いなものはなかった筈ですね」
「うん……ない」
「熱いわよ、気をつけなさい」
幽香は白菜と豚肉を、クリームで煮込んだものを碗によそいながらいった。
巫女のさまの、座布団にちょこんと正座するのは、どこか借りてきた猫のようである。
食卓にはところ狭しと食器が並べられていて、幽香の側には、気を遣わせぬよう申し訳程度に盛られたシチューとスプーンがあるだけだったが、人間である霊夢は量を食べなければならないために、お箸を持って、山盛りのご飯を用意させて、それから「いただきます」と両手を合わせた。
そのほかには白菜とゆずに鷹の爪のお漬物、同じ小皿に高菜漬け。豆を炒ったものや、ほくほくと煮込んだかぼちゃの煮物。ちゃぶ台の傍らにはお櫃にしゃもじと、お茶入れと湯呑みが準備されていた。
しばらくは会話も何もなかった。昔に、お行儀が悪い、といってぶっ叩かれたりしたのかもしれない。
博麗の巫女は野菜の牛乳煮込みでご飯が食えるようだった。
幽香は味見程度にスプーンを運んでいたが、だんだん進まなくなって、そのまま置いた。食卓に身を乗り出すようにして、ひとしきり、霊夢のそうやって食べるのを眺めていた。
「なによ」霊夢はじろりと幽香をにらみつけた。「お肉が入ってるんなら、ご飯のおかずになるでしょ」
それには無言のままだった。にこにこと機嫌のよさそうに、やわらかな表情を浮かべていた。
あんがい、もうちょっとだけ太れば美味しく食べられそうだな、などと考えていたのかもしれない。
※
ゆったりとした緑と白のチェック柄のパジャマをまとい、その上から優雅にナイトガウンを羽織って、同じ色合いのナイトキャップまで被った大妖怪、風見幽香は、持参した枕を小脇に抱えて、霊夢の寝ている部屋の障子を開けた。
枕から顔を上げた霊夢の頬を、廊下から忍び寄る冷気が寒々と撫ぜていく。
驚いて目を細める彼女にむかって、幽香はありったけの大声でもって叫んだ。
「さ、寒くて――死んじゃうわ! こんな狭い神社で、火もついてないの!?」
「うわっ。なんだなんだ。……うわっ!」
言うが早いか、幽香は蛇のようにするすると布団の中に潜り込んできて、霊夢はとっさに蹴りを入れて追い出そうとした。
けれど、悲しいかな、彼女の薄っぺらい布団ではそんなに大きく動けばすぐに外気の侵入を許すだろう。幽香がそれを見越していたかは定かではないが、そうだとするならば、酷く狡猾、冷静で残忍な妖怪の本性の一旦だといえる。あっという間に霊夢に足を絡みつけて布団に根差してしまったのだ。
あと、幽香はマジで冷たかった。まるで死んでるみたいだった。
「すっごい冷たいから、やめてくんない」
「いやよ……」
「アンタ、昔からそんなだったっけ? 冷え性?」
「太陽……サイッコー……」
「聞きなさいよ」
出てないじゃん、太陽。
霊夢はそんなような事を言ったが、幽香は聞く耳を持たなかった。
腕の中でくたりと横たわる幽香の体は、重みこそあれど冷たく、身じろぎもしないために、霊夢はこっそり「ああ、本当にくさっぱなんだなあ」と妙な感心をしてしまったほどだ。庭にある、花の葉っぱをいらう時の感じに似ている。内の熱がなく、それでいてどこかざらざらしている。力をこめたら引き千切れたりしないのか。それこそ、火でもつけたらよく燃えそうだった。
ふと気になって、幽香のパジャマの上から二つ、ボタンを外した。ぼろんと出てきた胸元のところに、霊夢は耳を当てた。死んじゃってるかも、とか思いながら。
ぎゅうぎゅうと肌と肌を密着させていると、霊夢よりも手も長く背も高いそいつに全部をくるまれたみたいになって、しばらく、どこに耳を当てているのかもよくわからなくなった。触れ合っているのは幽香のはずだ。けれど、ぎゅうぎゅうと体のおもてをくっつけていて、隙間なんて出来ないぐらいぴったりしていて、まるで、二人の輪郭が闇に溶け込んだみたいだった。
半々ぐらいで混ざりこんでしまったかもしれない。幽香はまったく死んだようにされるがままだった。
どくんどくんと聞こえる音も、幽香が近過ぎて、それが自分のものなのか、区別ができない。それとも、幽香という葉っぱの中を水が通っていく音なのか。どくんどくんと音が聞こえる。今聞いているのは幽香の音だ。だんだんと大きくなる。その分だけ、霊夢は小さく、薄まっていく。
半分眠りこけながら、霊夢はふと、自分が本当に幽香の腕の中で抱きかかえられているのに気付いた。
ゆっくりと、何度も頭を撫でられているうちに、どんどんと瞼が重くなる。
「花を見に来たのよ」
「ふうん。そう。……ああ?」
※
次の日、霊夢は二日酔いで頭痛ががんがん響くような最悪の気分で目を覚ました。
魔理沙がいないので、飲み方がよくわからなかったのだ、という八つ当たりもすぐに違うと気づいて、何が違うのか、寝ぼけまなこで部屋の障子をずっと見つめていたけれど、やがて急に「がばり」と起き上がった。
……。…………。
……ゆうかぁ?
すでに辺りは明るかった。目の奥に飛び込んでくるような光と、しんしんと肌に染み込んでくる冷たさのツメあととが、どうにも不釣り合いだ。寝巻のままふらふらと歩き回って、台所で、水を飲んだ。甕を開けるとひしゃくがかつんと軽い音を立てた。霊夢はひしゃくでかつんと氷を割って、そのまま一口、二口と飲んだ。もう一度汲んで、顔を洗う。最後にあちこち跳ねたぼさぼさの髪を適当にとかすと、こきこきと首を回して、大きくのびをした。
窓から外を見た。
幽香という花があるであろうはずの大地は、雪化粧に厚く覆われていた。未だ花は咲かないだろう。
だから、空を見上げた。
痛いぐらいに透き通った青い空。
秋でも春でもない、それは冷たく凍える冬にしかない景色だった。
今日はいい天気になりそうだった。
妖怪。花は好き。
・博麗霊夢(はくれいれいむ)
巫女。空は飛べる。
※
「――てぇかそもそも、アンタ、何で来たんだっけ?」
ちくちく、とげとげとした、機嫌の悪いのを隠そうともしていない起伏の激しい声だった。
霊夢はとつぜん手を止めて、不機嫌そうな顔のままそうたずねてきた。
当然、それは下にいる幽香に向けられたものである。
上から投げつけられたその何の脈絡も無い問いに、幽香は答える事も答えない事もできた。思わせぶりな微笑をうっすら浮かべて、そうねえ、と一度考え込むそぶりを見せる。
「花を見に来たのよ、もちろん」
「ふうん……。こんな冬に、ね。もういい。無理やり話させてやるから」
それは冬の博麗神社である。
秋も盛りを迎えんという巫女の肥える季節柄に、いきなり時季外れの雪がどっかり、どっさりと降ってきて、それは一晩のうちに秋の赤い景色をあらかた地面の下にしまい込んでしまったのだ。そのうえ、まだまだ足りぬとばかりに風は銀雪を運んできている。あわてて箪笥の奥からマフラーを引っ張り出して、霊夢はその一年前の古びた匂いにちょっとむっとしていた。
早いところ屋根の雪をおろしたものか、あるいは境内から参拝客が歩けるだけの道の分の雪かきが先か。楽園の素敵な巫女とて人の子である。寒くなれば部屋の中を暖めるものが必要だし、これから一冬を越すだけの火の用意もまだ済んでいない。
彼女は神社にやってきた妖怪を見てとって、神社を守る名目で妖怪退治にとりかかったが、それは妖怪にとってまったく身に覚えのない事だった。
境内の分厚い雪の上で今、四季の大妖怪、風見幽香は、大の字になって寝そべっていた。
彼女の上に馬乗りになって、霊夢は何度も何度も振り上げた拳を打ちつけていた。
当たるに任せて頬やこめかみをめちゃくちゃに叩いて抉って、頭を守るために腕を上げてガードを固めればすかさず脇腹に鋭いフックが飛んできて、しばらく一方的な展開になった。上にのしかかられると抜け出し難い上に、相手は自然とパンチに体重が乗って重くなる。幽香も果敢に抵抗したが、すでに左の鎖骨は巫女にへし折られていた。
その小さな手が、寒さか、あるいは幾度も大妖怪を叩いたためにか、酷く赤く染まっている。
彼女はマフラーが首筋にちくちくとする感触に戸惑ったのか、小さく身じろぎをした。
ぐいっと幽香の首根っこを持ち上げると、ほとんど鼻と鼻のくっつくぐらいの距離で間近にじろじろと遠慮なくにらみつけてきた。
「ねえ、霊夢」
「なによ。もう降参?」
「勝ったらなにしてくれるかしら」
彼女は困ったように眉根をよせた。
下から首にまわしてきた腕を払いのけて、再び相手を叩くのをはじめた。
霊夢が片腕を強引に被せて幽香の両腕をおさえ、残った右手で狂ったように殴りつけている間、だんだんと腰が幽香の胸のあたりにまであがってきた。
それを幽香は好機ととらえた。相手にお腹の上へ乗っかられて、下半身がまるで動けなくなっていたのだ。
霊夢がすっと息を吸った瞬間に、幽香は腰を跳ね上げて、自分の頭の方へと彼女を下からふっ飛ばした。しょせんは年相応の少女の体躯である。
幽香は勝利を確信し、すぐさま後ろから抱きしめて首を決めてやろうとしたのだが、霊夢は特に力に逆らわず、逆に浮いた膝をそのまま鼻面に叩き込んできた。幽香は文字通り「鼻を明かされる」事になった。
※
幽香は人生の勝利者の特権として神社の明け渡しを要求した。
今日の夜と明日の朝のご飯、そして自分の分の布団を出すまで帰らないというのだ。
「まあ、いいけどね。その代わり雪下ろしと雪かきを手伝ってよ」
「もちろんいやです」
「働かざるもの食うべからず、よ」
これに対し霊夢はあくまで妖怪に何するものぞとの強固な姿勢を崩さず、話し合いは平行線をたどると思われた。
しかし、幽香は彼女に卑劣な手段でもってかかったのだ。
持参した風呂敷包みをごそごそと解いて、菓子折りを突きつけ、たっぷりと力を込めると脅迫めいた事を言った。
「もなかです。余ったので差し上げます。いま食べてていいわよ」
「あらありがとう。……中身がいっこ無いわ」
「甘すぎたの」
己のためでなく、神社の、ひいては幻想郷全体の事を慮って、霊夢はこの脅迫を飲み込まざるをえなかった。
そうやって恐るべき方法で巫女を黙らせた幽香は、次なる目的のために神社の全域へとその魔の手を伸ばした。
脱ぎ散らかされた衣服をまとめて濯いで明日に間に合うようにして、済んだ分はしわにならないようきちんと畳んで箪笥にしまった。吊戸棚や窓や戸の建付けを確認して、隙間から風雪が入り込まないようにした。霊夢に商売道具の墨やお札や針の点検もさせて、屋根の雪を下し、薪を割って、倉庫のメイドロボに油をさしてやったりもした。
霊夢はそれを自分で淹れてきたお茶ともなかとで黙々眺めていたが、夕飯はお肉がいいだとか、お酒はいま切らしているだとか、口をはさむのは忘れなかった。
「えーと……これとこれはこっち? あと霊夢、これは何処に仕舞えばいいの」
「ああ、もう、それは置いといていいから。いちいちいいんだってのに」
「半纏があるじゃない。ほら、寒いから着ておきなさい。巫女が風邪ひいたらお笑い草よ。里中から見物が押し寄せるわ」
「いらない。火鉢があるから。……だから、いらないって!」
抵抗をやめない霊夢とのやりとりは色々とあったが、それらもやがてひと段落したところで、幽香は夕ご飯の支度にとりかかった。
持参したエプロンには、前のところにアップリケで黄色い大きな花があって、調理者の幽かな気持ちを集めて作ったものに込めたりする微妙な曲線を描いている。
博麗神社には驚くぐらい何もなかったが、幸いにも幽香は裏庭から食材を調達するすべに長けていた。
いまや、霊夢に毒を盛る事も、お砂糖と塩の加減を間違える事でさえ、彼女は簡単にできるのだった。
「嫌いなものはなかった筈ですね」
「うん……ない」
「熱いわよ、気をつけなさい」
幽香は白菜と豚肉を、クリームで煮込んだものを碗によそいながらいった。
巫女のさまの、座布団にちょこんと正座するのは、どこか借りてきた猫のようである。
食卓にはところ狭しと食器が並べられていて、幽香の側には、気を遣わせぬよう申し訳程度に盛られたシチューとスプーンがあるだけだったが、人間である霊夢は量を食べなければならないために、お箸を持って、山盛りのご飯を用意させて、それから「いただきます」と両手を合わせた。
そのほかには白菜とゆずに鷹の爪のお漬物、同じ小皿に高菜漬け。豆を炒ったものや、ほくほくと煮込んだかぼちゃの煮物。ちゃぶ台の傍らにはお櫃にしゃもじと、お茶入れと湯呑みが準備されていた。
しばらくは会話も何もなかった。昔に、お行儀が悪い、といってぶっ叩かれたりしたのかもしれない。
博麗の巫女は野菜の牛乳煮込みでご飯が食えるようだった。
幽香は味見程度にスプーンを運んでいたが、だんだん進まなくなって、そのまま置いた。食卓に身を乗り出すようにして、ひとしきり、霊夢のそうやって食べるのを眺めていた。
「なによ」霊夢はじろりと幽香をにらみつけた。「お肉が入ってるんなら、ご飯のおかずになるでしょ」
それには無言のままだった。にこにこと機嫌のよさそうに、やわらかな表情を浮かべていた。
あんがい、もうちょっとだけ太れば美味しく食べられそうだな、などと考えていたのかもしれない。
※
ゆったりとした緑と白のチェック柄のパジャマをまとい、その上から優雅にナイトガウンを羽織って、同じ色合いのナイトキャップまで被った大妖怪、風見幽香は、持参した枕を小脇に抱えて、霊夢の寝ている部屋の障子を開けた。
枕から顔を上げた霊夢の頬を、廊下から忍び寄る冷気が寒々と撫ぜていく。
驚いて目を細める彼女にむかって、幽香はありったけの大声でもって叫んだ。
「さ、寒くて――死んじゃうわ! こんな狭い神社で、火もついてないの!?」
「うわっ。なんだなんだ。……うわっ!」
言うが早いか、幽香は蛇のようにするすると布団の中に潜り込んできて、霊夢はとっさに蹴りを入れて追い出そうとした。
けれど、悲しいかな、彼女の薄っぺらい布団ではそんなに大きく動けばすぐに外気の侵入を許すだろう。幽香がそれを見越していたかは定かではないが、そうだとするならば、酷く狡猾、冷静で残忍な妖怪の本性の一旦だといえる。あっという間に霊夢に足を絡みつけて布団に根差してしまったのだ。
あと、幽香はマジで冷たかった。まるで死んでるみたいだった。
「すっごい冷たいから、やめてくんない」
「いやよ……」
「アンタ、昔からそんなだったっけ? 冷え性?」
「太陽……サイッコー……」
「聞きなさいよ」
出てないじゃん、太陽。
霊夢はそんなような事を言ったが、幽香は聞く耳を持たなかった。
腕の中でくたりと横たわる幽香の体は、重みこそあれど冷たく、身じろぎもしないために、霊夢はこっそり「ああ、本当にくさっぱなんだなあ」と妙な感心をしてしまったほどだ。庭にある、花の葉っぱをいらう時の感じに似ている。内の熱がなく、それでいてどこかざらざらしている。力をこめたら引き千切れたりしないのか。それこそ、火でもつけたらよく燃えそうだった。
ふと気になって、幽香のパジャマの上から二つ、ボタンを外した。ぼろんと出てきた胸元のところに、霊夢は耳を当てた。死んじゃってるかも、とか思いながら。
ぎゅうぎゅうと肌と肌を密着させていると、霊夢よりも手も長く背も高いそいつに全部をくるまれたみたいになって、しばらく、どこに耳を当てているのかもよくわからなくなった。触れ合っているのは幽香のはずだ。けれど、ぎゅうぎゅうと体のおもてをくっつけていて、隙間なんて出来ないぐらいぴったりしていて、まるで、二人の輪郭が闇に溶け込んだみたいだった。
半々ぐらいで混ざりこんでしまったかもしれない。幽香はまったく死んだようにされるがままだった。
どくんどくんと聞こえる音も、幽香が近過ぎて、それが自分のものなのか、区別ができない。それとも、幽香という葉っぱの中を水が通っていく音なのか。どくんどくんと音が聞こえる。今聞いているのは幽香の音だ。だんだんと大きくなる。その分だけ、霊夢は小さく、薄まっていく。
半分眠りこけながら、霊夢はふと、自分が本当に幽香の腕の中で抱きかかえられているのに気付いた。
ゆっくりと、何度も頭を撫でられているうちに、どんどんと瞼が重くなる。
「花を見に来たのよ」
「ふうん。そう。……ああ?」
※
次の日、霊夢は二日酔いで頭痛ががんがん響くような最悪の気分で目を覚ました。
魔理沙がいないので、飲み方がよくわからなかったのだ、という八つ当たりもすぐに違うと気づいて、何が違うのか、寝ぼけまなこで部屋の障子をずっと見つめていたけれど、やがて急に「がばり」と起き上がった。
……。…………。
……ゆうかぁ?
すでに辺りは明るかった。目の奥に飛び込んでくるような光と、しんしんと肌に染み込んでくる冷たさのツメあととが、どうにも不釣り合いだ。寝巻のままふらふらと歩き回って、台所で、水を飲んだ。甕を開けるとひしゃくがかつんと軽い音を立てた。霊夢はひしゃくでかつんと氷を割って、そのまま一口、二口と飲んだ。もう一度汲んで、顔を洗う。最後にあちこち跳ねたぼさぼさの髪を適当にとかすと、こきこきと首を回して、大きくのびをした。
窓から外を見た。
幽香という花があるであろうはずの大地は、雪化粧に厚く覆われていた。未だ花は咲かないだろう。
だから、空を見上げた。
痛いぐらいに透き通った青い空。
秋でも春でもない、それは冷たく凍える冬にしかない景色だった。
今日はいい天気になりそうだった。
もっとみんな書くべき
幽香が過保護気味なところが良かったです
いい感じです