Coolier - 新生・東方創想話

ありふれた、余りにもありふれた

2017/02/16 16:12:15
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 がちゃり、と耳馴染み深いある音を、私はまどろみの中で聞いた。それが夢か現実かは定かではないが。

 何分か、あるかは何十分かをベッドで過ごした後にようやく眼が覚めてきた。とろけきった頭が駆動を始め、弛緩し尽し若干痺れた四肢に充分な血液が通い始める。どんな時代でも冬の朝は寒いなあ、と感慨にふけりながら、誘惑を振り払うようにお布団を払いのける。
 傍らに友人がいなかった、ということはもう起きているということなのだろう、珍しいこともあるものだ。

「お早う」

 廊下と呼ぶにはいくらか長さの足りない、寝室とリビングの通用路を歩きながら言った。果たして返事はなかった。

「あれ、蓮子? どこー?」

 洗面所で顔を洗うついでに、お風呂場、台所、トイレも確認したがどこにもいなかった。いや、トイレにいたらちょっとした喧嘩になりそうだが――。

「――あ、そっか。ふうん、そういうことしちゃうんだ」

 喧嘩、である。
 あるいは仲違い、またあるいは前者の枕に痴話と付けてもよいかもしれない。先日の夕食時にほんのちょっとした諍いを始めて、それが大盛り上がりしてしまったのだ。理由は……皆目思い出せない。でも本当に瑣末な、わずかに優しくなれば喧嘩にはならなかったような下らないものだったと覚えている。
 そうか、ベッドで聞いた件の音は蓮子が扉を閉めた、あるいは鍵をかけた音だったか。いつもであれば私が彼女を起こし、朝御飯を作り、一緒かあるいは片方だけで大学へ行くのだが、今日はそれをも拒否する勢いで昨日のそれが尾を引いているらしい。私としては楽だからいいけれど。
 私は今日入っている講義がないので、その点気が楽だ。休日、何をして過ごそうかな。時刻は午前八時三十八分だ。

「ま、のんびり考えましょうかね」

 お天気もいいし、散歩にでも行こうかしら。そこいらで焼き鳥か肉まんでも買って、どこぞの公園やらで食べて。

「いいわね、そうしましょう」

 誰に言うでもなく、私は普段より大きな声でつぶやいていた。
 この部屋は、一人には少々広すぎた。

「おっとっと、そうだ――」

 財布を手に取り、着替えようとしたところで踵を返し、冷蔵庫へ向かう。週に何回か、不定期に飲みたがる蓮子が勝手にビールを数本冷やしていることに気が付き、ちょっとばかし拝借しようという算段だ。まああの子のことだから気付かないかもしれないし。冷蔵庫を開け、中を覗く――。
 
「……えー……」

 入っていたのはたった二本だった。なんというか、これだけなら無い方が侘しさを感じない分幸せってものだろう。ありがたく拝借し、鞄に詰める。そうして再び着替えるために引き出しへ向かった――が、よく考えたらシエスタしに行くのにめかし込む必要もないだろう。結局いつも通りの格好で落ち着いた。
 玄関に向かい、適当に靴を履き扉を開ける。晩冬らしく心地よい空気の冷たさを感じ、自分の輪郭が鮮明になったような快感を抱く。扉を閉め、鍵をかけ、私は家を出た。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

 こつこつと、コンクリートに靴が叩きつけられる。その定期的で小気味良い音は、歩くという行為をどことなく楽しくさせる一因ですらあるのかもしれない。時折北風が吹き、やや浅はかだった私を攻撃してくる。

「うひゃあ、まだ結構寒いなあ」

 顔が強張り、ふるりと犬のようにして身体が震えてしまう。陽は出ているから良いけれど、こう風に吹かれるとやはり冬は侮れないと思い入る。ナッポレオンに同情だ。
 家から十分ばかし歩くと、裏路地に入る道にぶつかった。科学の時代になっても街並みは表面的にしか変わらない、芯の方では酉京都が京都府だった時代を受け継いでいるのだろう。普段ならばおっかなくて行かないが、せっかくの冒険だ。発起して私は飛び込んでみることにした。
 中々に田舎くさく、悪くない雰囲気の路地を通ると、勝手気のままに営業、もとい暇つぶしをする商店街然とした場に出た。外観はうっすら汚れ、煙たいような香ばしいような匂いが立ち込めている。
 記録でしか知らないこの国の昔は、こんな景色であふれていたのかもしれないな、と私は不意に思った。
 眺めながらぶらついていると、ちょうど焼き鳥屋さんを見つけた。朝からやっている焼き鳥やなんて珍しいくって不安だが、香りに負けたか私のお腹の虫は既に耐えかねているようで、十二分に暴れていた。恥ずかしい。特に決めてもないしここでいいや。

「ごめんください」
「はい」

 店主と思しき初老の男性は、不快感を抱かせない溌剌さで迎えてくれた。品を見ると……うん、美味しそうだ。

「ええと、レバーと鶏皮――あ、あと軟骨を二本ずつ」
「味はどっちで?」
「じゃあ塩とたれ、それぞれ一本ずつお願いしようかしら」
「ようし、ちょっと待っててくださいね」

 鞄から財布を取り出しながら、特にすることもないので男性が懸命に焼く姿を眺める。何の気なしに、

(これが本当の炭に竹串なんかだったら風情があるんだろうなあ)

 なんて考えていた。もちろんそんな時代錯誤な行為はレトロ趣味なセレブでないとできないだろう。何十年か昔に石油精製菌が本格的に運用されて以来、ほとんどの物は石油由来合成物で代用されるようになった。ここだってプラスチックの串に電熱式の加熱器だ。便利になるのはいいことなんだろうけれど、ね。

「はい、お待ちどうさま。七百二十円ね」
「あ――はい、じゃあこれで」
「はいはい、ちょうどね。ありがとう」

 容器に詰められたそれが、じんわりとかじかんだ手を暖めてくれる。鞄に仕舞ってわずかに歩き出し、すぐにはたと足を停めた。

「あ、すみません。ここを真直ぐ行くとどこに出ますか」
「ん……そうだな、大学わかるでしょ、酉京大。あのすぐ近くだよ。川に向かう側だね」
「そうなんだ、ありがとうございます」

 割と長く住んでいると自負していたが、知らない道なんて沢山あるものだ。川というのはあの、鴨だか加古だか――いや、宇治だか久慈だかだったかな――のことだろう。そこなら土手があるし、都合もいい。
 目的地は決まった。あとはえっちら歩いていくだけだ。今は……午前九時二十五分だ。まだまだ休みは残っている。
 再び歩き出し、その川へ向かう。冷静になってみるとどこか可笑しさがこみ上げてくる。朝からお酒を飲むためにわざわざ冬の寒空の下、外に出てなおかつ知らないお店でつまみを買っていくだなんて。こういうのは片割れの役だと思うけれど、影響受けてるのかしら。
 そんなことを考えながら歩いていたら、見知った道に出た。わりかし広めの街道で、朝一の講義前は眠そうな顔をした大学生を多く見られる。
 ちょうど時間が講義の半ばほどにずれているせいか普段よりは人が少なく、不良行為をしている身分としては若干救われた。知り合いにでも会ったらせっかくの気分が台無しになってしまう。
 歩を早めて通り過ぎ、見慣れた風景を適当に流していたらすぐに川が見えた。さっき言われたナニガシ川だ。その周りは数メートルほど盛られており、この時代にはほとんど必要でなくなったが、一応は堤として機能している。普段は邪魔くさいと思っていたものの、お酒を飲むには存外に悪くないかもしれない。
 鬱陶しい傾斜を登りきり頂上に立つと、ちょっとだけ視点が高くなる。巨人の肩に乗れば何とやら、というやつである。
 そのまま地べたに座り込むと、土や草の感触、ひやりと伝わる冷感でまた身体を振るわせる。寒い寒い、と口にしながら鞄を漁り、ビールと焼き鳥を取り出した。ビールはまだわずかに冷やっこく、対して焼き鳥はほとんど冷めていなかった。
 ビールを開け、レバーを片手に本日最初の食事を始めた。

「いただきます」


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

「ふう、ごちそうさまでした」

 結局焼き鳥六本ではビールは一缶しか飲めず、もう片方は持ち出しただけ損になってしまった。でも、とても美味しかった。帰りに蓮子の分も買っていってあげようかな。
 いや、止めとこう。冷めちゃうと美味しくないだろうし、温め直すくらいなら自分で作った方がいいだろう。
 そうしよう、今日の夕御飯は焼き鳥にして、あといくつかおかずを作って小鉢形式にしよう。蓮子はレバー好きだったよね。

「――あ」

 もしかして、私がレバー買ったのって、蓮子の影響なのかも。そう考えたら途端に腑に落ちたような、なんとも優しい気分になった。向こうが私に頼りきってるように見えて、結構私も蓮子に刺激を貰ってるわけだ。
 
(そもそも、今は喧嘩中なんだっけ。このままだと面倒だしさっさと謝っちゃおうかな)

 いや、止めとこう。直接に言ったほうがお互い禍根を残さないだろう。

 蓮子。
 彼女と一緒に棲み始めてどのくらい経っただろう。数年という単位ではあるはずだ。
 でも、この生活っていつまで続くのだろう。まさかこの先ずっととはならないはずだし、そりゃあいつかはどちらかが、結婚なんていうことも充分あり得るだろう。そうなったとき、お互いの立ち位置はどうなる? こんな科学都市なんて退廃的な街で、どうやって一人で生きていこうと? そうしたら私も結婚――。

「……やめた、馬鹿みたい」

 いつかは考えなきゃいけないのかもしれないけれど、少なくともそれは今じゃあない、という逃げ、もとい結論に至り私は立ち上がった。軽くお尻に部分に付いた服の汚れを払い、鞄をもって巨人の肩を下りだす。形容しがたい不安を遠ざけるように、目下の課題を口にする。

「レバーなんて売ってるかしら」

 今考えなければいけないことは、やはりそこに尽きるのだ。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

「うー……重たい、ただいま」

 文字通り身重の身体でなんとか玄関を開ける。夕飯の食材を買ってきながら帰ってきたら、いつのまにかなんだか色々増えてしまった。勝手に飲んだ分のビールも補充しとかなきゃあいけないし。
 荷物をリビングの机に置き、どたりと床の上に寝そべる。これから夕飯の準備となると、もう多少の賃金の発生はやむを得ないのではないだろうか。蓮子が帰ってきたら冗談めかして訊いてみよう。

「はあ、下ごしらえだけ済ましちゃおう。ええと――煮物の煮汁、串打ち、お米研ぎ……」

 こういうときには下ごしらえ済みの食材とかが欲しいけれど、何でそういう欲しいものは出回らないのだろうか。科学世紀の科学はあまり重要でない方向に進化しているかもしれない。まずは面倒ごとの削減を優先して欲しいものだ。
 あらかた終わったときには、陽が中々に傾いていた。時計を見やると、午後二時三十三分と表示されていた。今日であれば蓮子が帰ってくるのは午後五時三十分くらいだから、一時間もあれば作れるだろうと踏み、ちょっとだけお昼寝を、とソファに腰掛けた。

 眼を覚ましたら、外はめっきり薄暗くなっていた。半ば寝呆けながら時計を見ると、午後四時四十五分ほどだった。
 
 (しまったなあ、もしかしたらちょっと待たせちゃうかも。でも帰ってきたら御飯が出てくるだけ充分よね)

 などと後悔と正当化を同時に行いながら調理を始める。三十分もしたら部屋の中は食欲を誘う香りで満たされてくる。なんとか間に合いそうで一安心といったところだ。

(今日は喧嘩にならないようにしたいな。蓮子の機嫌が悪かったら先に謝ればいいし、多少のへらず口は寛大に受け止めてあげよう)

 これが母性というやつか、はたまた功徳というやつかはわからないけれど、そう思ったのは確かに事実だった。
 完成したのは午後五時四十分ほどだった。蓮子が帰ってきたら盛り付けて、直ぐに食べられる。
 と、思っていたが一向に蓮子は帰ってこなかった。普段から時間にルーズではあるけれど、帰ってくるのにルーズもへったくれもないだろう。何か事件にでも巻き込まれたのかしら、と不安になったが結局私にはどうすることもできなく、待つことしかできないのを悟り、ひたすらに待つことしかできなかった。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

「ただいまー」

 声が聞こえたのは、午後六時をわずかに過ぎたくらいだった。慌てて玄関まで行くと、何食わぬ顔で靴を脱いでいる彼女がいた。

「お帰り――」
「うへー、今日も寒かったねえ」
「普段より遅かったじゃない、とうとう帰ってくるだけでも遅刻?」
「いやいや、きちんと連絡しようと思ったんだけど、想い人が電話に出てくれませんで」
「……電話してくれたの?」
「そりゃあするわよ。待たせるのも悪いから私は外で食べようかと思ったけど、行き違いなら大変だし『ちょっと遅くなるよー』って」
「――その、まあ、私も今日は忙しかったから、ごめんなさいね」
「怪しいなあ――まあいいや。それよりお腹空いちゃったよ、早く食べよう」

 同居人が一人帰ってきただけで、ここまでやかましくなるなんて。子供じゃないんだから。私は台所に向かい、盛り付けはじめた。
 
「お、今日は煮物に焼き鳥ときたか」
「蓮子、レバー好きでしょ」
「そうそう、よく覚えてたね。ありがとう」
「ちゃんと持っていくから、座って待ってて」
「はーい」

 まず蓮子の分を運び、続けて私の分を用意する。正面にはにこにこと笑顔を湛えた彼女が座っている。

「あ、ビールあったよね。こんなの飲めって言われてるようなメニューじゃない」
「冷蔵庫、入ってるわよ」

 彼女は冷蔵庫に向かい、ごとごとと音を立てながら缶を二つ持ってきた。

「二本も飲むの?」
「違うって。メリーも一緒に」
「いや、私は――」
「お祝いの日くらい一緒に飲もうよ」
「お祝い? 何か大学であったの?」
「もう忘れてるの? まあ、私が言えたものじゃあないけどさ」
「ハッピーアンバースデー、なんて言わないわよね?」
「そんなナンセンスなこと言わないって。ほら、喧嘩してたでしょ、一応。その仲直り記念ってこと」
「――ああ、それのこと」
「そう、それだよ」
「それなら、おいそれとは断れないわね。折角だし頂きますわ」

 乾杯、と缶ビールを当て合い、お互い一口飲む。不本意ながら缶から口を離すタイミングまで一緒になってしまった。どれから食べようか考えていたら、既に箸を進めている蓮子が私に尋ねてきた

「でも、私たちなんで喧嘩してたんだっけ?」
「――いや、私も覚えてないから訊こうと思ってたの」
「なんだ。じゃあ大したことなかったのかも――ん、この煮物美味しいわね」
「あ、わかる? 生姜をいつもより多めに入れてみたの」


 この部屋は二人だとちょっとばかし狭いけれど、これはこれで案外心地よいのかもしれない。
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コメント



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楽しめました。
4.90大根屋削除
のんびりとした空気が楽しめました
5.100南条削除
面白かったです
2人とも帰るときにただいまっていう所が良かったです
お邪魔しますじゃないんだなって
住んでるんだなって
6.80奇声を発する程度の能力削除
面白く良かったです
12.100名前が無い程度の能力削除
きっと蓮子も、お昼くらいには喧嘩してた気持ちなんて忘れてたんでしょうね。
二人の心が通い合っているのがよく分かる作品でした。
とても良かったです。