Coolier - 新生・東方創想話

不完全な存在 上

2017/02/08 21:03:04
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〈私が地上に…ですか〉
「うむ」

 稀神サグメは困惑していた。先の異変の混乱がようやく収束し、日常に戻れると思った矢先の上司からの指令である。

〈人選ミスではないかと〉
「しかし、八意殿の使者と直接手合わせしたのは君だ。正式な謝礼を行うにあたり、君以上の適任者は居ないとの判断だよ」
「……」

 確かに言うとおりだ。先の異変を解決しにやってきた4人の地上の使者。サグメは彼らの力を測り、そして「運命」を反転させた。これは月の都の方針に反することではあったが、結果彼女たちは都を救ったのである。

「行ってくれるかね」
〈わかりました〉

 もとより「上」からの指令を拒否することはできない。表向きは依頼という形を取っているが、実際は既に決定事項となっているはずだ。
 また、永琳や彼女たちに直接礼を言いたいという思いもないわけではなかった。
 …サグメの「能力」さえなければ。

「出立は明日。地上時間正午に到着予定。降下予定座標は博麗神社付近。滞在期間は最長7日間だが、任務完了次第帰還してよい。正式な親書、及び礼の品は出発前に渡す」
〈了解しました〉
「よろしく頼むよ」

◆     ◆     ◆

(…やっぱり、人選ミスだと思うのだけれど)

 翌朝の出発に向け準備を進めながら、サグメは心中でぼやいていた。

(自分の口での会話が制限される「返礼の使者」、なんてね)

 「舌禍をもたらす女神」。それが稀神サグメの通り名である。
 彼女が物事について語ると、その運命は反転する。良き運命は悪しき運命に、悪しき運命は予期運命に。
 厄介なことに、この能力は彼女自身にも制御不能なものである。迂闊に未確定の事象に言及したら最後、その事象は全て真逆の方向に転がっていく。
 いわば言葉ひとつで世界をひっくり返す、あまりに大きすぎる力。

 だからこそ、サグメは多くを語らない。普段は言葉に出さず意思を伝えられる端末(デバイス)を携行し、無用な発言をそもそも行わないことで、擬似的に能力を制御している。

(こんなものに頼らずに言葉を伝えられる人材はいくらでもいるのに)

 もっとも、地上の使者たちと対峙したときは月の都が凍結されており、エネルギー供給も絶たれていたために端末を使用できなかったのだが。
 あのとき、とても久しぶりに「会話」をした気がした。

(どう思っても決定事項は決定事項。だけど…なんだかね…)

 地上ではこの端末の稼働時間は限られている。礼を済ませたら速やかに帰らなければならない。

(これで準備はいいかしらね…。足りないものは…なしと)

 準備を済ませたサグメはベッドに潜った。月の民といえど睡眠は欠かせない。

(…そういえば、地上にいた時代は普通に会話をしていた気がするのに、いつからこんな能力になったのかしら)

 遥か遠い記憶を探るも、答えは何もない。
 そのまま、サグメは眠りの淵に落ちて行った。

◆     ◆     ◆

 地上――月の民が捨て去った「穢れ」に満ちた、生と死が満ちる世界。
 月の民が地上に降り立つことはよほどのことがなければあり得ない。滞在時間はごく短時間とはいえど、その時間でも穢れは自己に蓄積する。月に戻ると穢れ払いの儀式を行わなければならない。
 月から地上に行くのは通常は兎たちの役目で、月の民は穢れを避けるため、月で高みの見物を決め込むのが通例になっている。

 そんな世界に、幾星霜を経て再びサグメは降り立った。

(到着時間…午前11時52分。座標誤差…4300? かなり離れた場所に降りてきてしまったみたいね。
 これは誤差というよりは座標の入力ミスでもしたのかしら)

 手持ちの幻想郷の地図を見ると、幻想郷の端にある博麗神社とは真逆の端に降り立ってしまったようだ。
 もともと月の民は滅多なことでは地上に降りないため、この手のイージーミスを犯してもおかしくはなかった。

(しかし…ここは穢れが濃い)

 無縁塚。死の臭いが強く漂い、現世と冥界、外の世界との結界が入り交じる、幻想郷でも屈指の危険地帯。
 季節が季節なら彼岸花やら妖怪桜やらで賑わう花の名所でもあるのだが、この寒空ではそんな花々の歓迎も望めない。

(長時間留まっていては、穢れが蓄積してしまう。
 こんなところ、とっとと離れないと。博麗神社まで…30分は掛かりそうね)

 遅刻か、とため息を吐きながら、サグメは片翼を羽ばたかせ、空に舞い上がろうとした。

 その時だった。

「アンタ、こんなところでなにやってるんだ?」

◆     ◆     ◆

 時は少し遡り――

 無縁塚周辺。こそこそと歩を進める者がいた。
 黒髪に赤と白のメッシュが入った髪にあどけなさを感じさせる顔。白をベースとした、奇妙な矢印模様の入ったワンピースに青いリボンを逆さまに付けている。
 一見年端もゆかぬ少女のようだが、頭部に生える小さな一対の角が、彼女を人ならぬ者であることを示す。
 その正体は、かつて幻想郷の強弱をひっくり返し、自身を頂点とした弱者の天国を作り上げようと画策したお尋ね者の天邪鬼。名は鬼人正邪。

「全く、いつまでこんな生活続けてればいいのかねぇ」

 お尋ね者として追われていたころは、それはもうスリル溢れる毎日だったが、いつの間にか追手も姿を見せなくなり、単に放浪生活を送っているだけになっていた。
 再起を図ろうにも彼女自身の妖力は弱く、単独では大したことはできない。自慢の「何でもひっくり返す程度の能力」も、それを運用する妖力が低くては意味がない。利用する他者がなければ何もできない「弱者」でしかないのだ。

 だが、かつて引き起こした異変でお尋ね者となり、有名になりすぎたせいか、他者を利用しようにもできない状態が長く続いている。
 挙句の果てにはこの無縁塚周辺在住のネズミの妖怪に気に入られて施しを押し付けられる有様。最近は衣食住を求めて自分から入り浸るようになっていた。その代償としていろいろと家事をやらされていたのだが。

「ったくナズの奴、ひとを家政婦扱いしやがって。わたしをなんだと思っているんだ」

 悪態をつきながらも、ふと嫌になって彼女の家を飛び出して、しかし気づいたらこうやって無縁塚に戻ってきてしまうあたり、餌付けされていると自覚して情けなくなる。
 正邪が求めているのは衣食住を提供してくれる存在(飼い主とも言う)ではなく、自身の野望に協力してくれる同志だった…はずだ。

「このまま牙を抜かれて、気づいたらあの妖怪寺の信者にでもされてるのかなぁ。…ナズの目当ては案外それだったりして」

 正直、それも悪くないかと思ってしまうくらいには彼女の精神は弱っていた。具体的な下剋上の計画は何もなし、協力者はゼロ、日々の生きる糧を手に入れるので精一杯。
 かつて小人のお姫様と打ち出の小槌を利用するためにいろいろ画策していた頃は、なんというか今よりギラギラしていた気がする。今の比ではないくらい毎日が苦しかったのに、希望を掴み取るために何だってしていた。

「あの頃のわたしはもっと輝いていたぞ…。全く、こんなんじゃ満足できないぜ、なんてな」

 正邪は飢えていた。今のぬるま湯のような生活から脱却できる何かに。かつての苦しくも輝いていたあの日々に戻るための何かに。
 そうでないと、変わっていく自分に溺れてしまいそうだったから。

 そんなことを考えていたとき。

「…何だ? この気配は…」

 無縁塚の中央付近に、突如何者かの気配が生じたのを感じた。

「あの面倒な閻魔か?」

 無縁塚は冥界と繋がっている。説教のために地獄の閻魔がたびたび地上に上がってくるのだが、その通過点としてこの無縁塚に現れる。
 この閻魔の説教がまた長いので絡まれるのは勘弁願いたいのだが…どうも様子が違う。

「いや…冥界から現れたというよりは天から降ってきたような…?」

 この無縁塚に好んで立ち寄るものなどごく限られている。正邪自身以外では例の閻魔、飼い主ネズミ、古道具店の店主くらいしか知らない。

「…行ってみるか」

 もしかしたら…今の自分を変えてくれる何かがそこにあるかもしれない。
 根拠のない直感に突き動かされながら、正邪は歩を進める。

 無縁塚中央部。そこに在ったのは、銀髪の片翼の女性。
(…こんな奴、見たことがない…はずだよな)

 正邪より些か大人びた、地上の者とは思えぬ美しい容貌。その瞳には正邪と同じ真紅を湛えている。
 しかし、その片翼のアンバランスな姿はどことなく…不完全な存在に見えた。

(…なんで私は容姿の観察なんかしているんだ。一目惚れなんざするほど焼きは回っちゃあいないだろう)

 だが、何処か彼女には正邪の興味を引きつけるものがあった。
 考えた末、正邪は彼女に声を掛けてみることにした。

「アンタ、こんなところでなにやってるんだ?」

◆     ◆     ◆

 サグメは固まっていた。何故固まっているのか自分にもわからない。
 端末の起動すら失念し、やっとのことで声を絞り出す。

「…あなたは…誰?」

「…名乗るときは自分から名乗るものだろう。
 まあいい、わたしは全てをひっくり返す天下の天邪鬼、鬼人正邪様だ」

 若干の虚勢を込めながら正邪は答えた。

「……」

「おいおい、このわたしが名乗ってやったんだ。アンタも名乗るべきじゃないのか」

「…稀神、サグメ」

 サグメの緊張は解けない。呼吸の速度も上がっている。

(なんで、なんでこんなに私の胸は高鳴っているの?)

「あなたは…何者なの?」

「あん? そりゃわたしのセリフだよ。サグメ、アンタ一体ここに何しに来たんだ」

「…道を間違えただけよ」

「道を間違えたねぇ…。突然現れたとは思えない言い草だ。案外本当にお空から現れた女神様ってか?」

「…答えて」

「あ?」

「私の質問。正邪、あなたは何者なの?」

「さっき話した通りだよ。わたしは全てをひっくり返す天邪鬼さ…こんな風にな」

 正邪は能力を操り、近くに建っていた墓石を上下逆にひっくり返してみせた。妖力が低いといってもこれくらいのことはできる。
 実に罰当たりな行動だが、天邪鬼は祟りなど気にしないのだ。

「……!?」

 一方のサグメは、彼女の能力を見て驚愕していた。

(今の…勘違いじゃなければ…)

「…もう一度」

「ん?」

「もう一度、見せて」

「この能力をか?」

「そう…。いいえ、違うわ」

「何?」

「使って。私に対して」

「…は? 何言ってるんだ?」

「その能力を、私に対して、使ってほしいの」

「…飛んだ物好きだな。自ら能力を受けたがるなんて」

 あまりの申し出に今度は正邪が驚愕する番になった。
 とはいえ、正邪には応じる理由こそあれど、断る理由はない。

(このサグメとやらはわたしの能力に興味があるらしいな。上手くやれば味方に引き込めるかもしれないぞ)

「…同じようにひっくり返すから、両手、上に挙げてろ」

「分かったわ」

 言われた通りに両手を上に挙げるサグメ。傍から見ると実に間抜けな光景だが、大真面目である。

「よしよし。それじゃあ、ひっくり返れ!」

「!」

 くるりんと上下ひっくり返り、逆立ち状態になるサグメ。ますます間抜けな光景である。
 

「へへっ、どんな気分さ」

「……」

「…おい!?」

 ぐらりとサグメの身体が揺らぎ、無言のまま、受け身も取らずにうつ伏せに倒れた。

「おいおい、受け身くらい取れよ!」

「……」

 返事はない。正邪はますます変なやつだと頭を抱えるだけだが、サグメはそれどころではなかった。

(彼女から発された妖力…。そんな馬鹿なと思ったけど…間違いない。間違えようもない)

「ったく、サグメ、アンタは本当に変なやつだな。おーい、起きろよ」


(あの妖力は……

 私が持っている霊力そのものだったのだから)


 その刹那――
 サグメの脳内で、過去の記憶が急速に像を結び始めた。

◆     ◆     ◆

――遷都計画、ですか?――

――穢れた大地から穢れなき天上の星へ――

(これは…私の記憶?)

――私の力が役に立てばいいのですが――

――月に穢れを持ち込まぬために、今我々に蓄積した穢れは取り除かねばならぬ――

――私は反対します。その方法では――

(そんな、今まで、全然思い出せなかったのに)

――さあ、サグメよ、お前も――

――穢れは切り離された。切り離された穢れは大地に棄てられる――

――しかし、代償は大きかったな――

◆     ◆     ◆

(…馬鹿な。あの記憶が本当に私の記憶なら…)

 サグメは戦慄していた。永く失われていた記憶。その記憶が導く答えは。目の前の彼女との奇妙な一致は。

 サグメの思考がその解答に辿り着いた瞬間――

『取り戻せ』

「!?」

『取り戻せ。そうすれば"私"は完全な存在となる』

(何、この声は!?)

『目の前の存在には大した力はない。"私"の力なら取り戻すことができる』

(知らない、私はこんな衝動なんて、知らない――!)

『永き間、不完全な存在であり続けた気持ちはどうだったかしら――』

(そんな、そんな感情なんて、私には――)

『言葉を思い通りにできない苦しみ――』

(そ、そんなこと――)

『他の運命を狂わせる哀しみ――』

(――私は)

『他者を遠ざける孤独――』

(こういう力なんだって)

『それもこれも、"私"が不完全な存在だから生まれたもの』

(納得していたはずなのに)

『今こそ、その苦しみから解き放たれる時』

(……そうよ)

『そうだ、今こそその好機』

「――取り戻さなきゃ」

◆     ◆     ◆

「おーい、本当に大丈夫なのかよ」

 うつ伏せになったまま、時折ぶつくさ独り言を呟いているサグメをしばらく観察していた正邪だったが、

(こりゃ思ったよりヤバいやつかもな…面倒なことになる前に退散したほうがいいかもしれない)

 という考えに至り始めていた。

「……」

「お、ようやくお目覚めか。この天邪鬼様の力に慄いていたか?」

 サグメはようやく立ち上がった。そして――



「ようやく出会えたわ――"もうひとりの私"」

「…は?」



 瞬間。爆発的な霊力がサグメより発された。

「な、なんだ、なんなんだよ!?」

 霊力を放ちながら宙に舞い上がるサグメ。天に掲げたその手に、札(カード)のようなものが出現する。

「スペルカードか…?」

 反則アイテムなどとうの昔に切らしている。ここは無縁塚の中央部、逃げ場らしい逃げ場もない。

「くそっ、やる気か!?」

 あれほどの霊力を持つ相手が本気で不可能弾幕(インポッシブル・スペルカード)なんて出してこようものなら、勝算はゼロに近い。

「…だが、この状況で退けるわけがないよな」

 正邪は覚悟を決め、今のなけなしの妖力で撃てるスペルカードを携えた。

「…来る!」

 サグメの手のカードが光り輝く。しかしそこから発されるのは弾幕ではない。
 天に光の渦を構築し、純粋な力をもって周囲のものを根こそぎ引きずり込み始めた。

「な…なんだよこれ…!?」

 光の渦は、無縁塚の全てを飲み込みながら拡大してゆく。
 その光景は、まさしく天災。

 光を背に、宙に浮かぶサグメが口を開く。

「私は永き時を、あなたを失った不完全な状態で過ごしてきた」

 その表情には凄絶なまでの笑みが浮かんでいて、

「私たちは再びひとつになることで、完全な存在を取り戻すのよ――!」

 神々しいまでに、美しい。

「な、何言ってるんだお前は!」

「さあ、来なさい、"もうひとりの私"――!」

 その言葉を機に、ついに正邪までもが大地から脚を奪われる。

 光に吸い込まれながら、全力で抵抗を図るが、それも空しく、

「冗談じゃない、こんなところで、終わってたまるかよぉぉ――!」

 ――両者は光に飲み込まれた。


 そして光は収縮し、極限まで圧縮されたその瞬間。

 未曾有の大爆発を起こし、無縁塚周辺一帯を妖力の暴風で吹き飛ばした。

◆     ◆     ◆

 無縁塚に辿り着いた博麗霊夢と霧雨魔理沙は、目の前の惨状に呆然としていた。

「…コイツはひどい」

「あんな妖力の嵐をまともに受けたんだものね…」

 跡形もなく粉砕された墓石、爆発や妖力の嵐に耐えられなかったと思しき妖怪や獣の成れの果て。
 命名決闘法(スペルカード・ルール)成立後、幻想郷でここまでの被害がもたらされた例などない。


 霊夢と魔理沙は、幻想郷の東端に位置する博麗神社でいつも通り茶を啜りながらのんびりしていた。その時、はるか西方で爆発の発生を確認したのだ。この西端の無縁塚での爆発をである。
 幻想郷は決して広くないが、端から端まで容易に視認できるほど狭くもない。その端から端まで視認できるほどの異常事態の発生に、これはただごとではない、と判断し、2人は大急ぎで飛び立った。
 しかし、現場で待ち構えていたのは想像を遥かに超えた事態だった。

 真っ先にナズーリンの小屋に向かった2人だったが、崩れた小屋の中から発見したときは意識を失っていた。幸い外傷は少なく、自身と部下を守るために妖力を使い果たした様子だった。
 命蓮寺の面々がすぐにやってきたので彼女を引き渡した。毘沙門天の優秀な代行者で知られる寅丸星が涙を流して取り乱していたのは見物だったが、他人の様をみて笑っていられるような状況ではなかった。

「霊夢、状況はどうだ?」

 八雲藍が突如姿を表した。

「まだ原因は突き止められてないわ。紫はどうなってるの?」

「先程冬眠から叩き起こした。身を整え次第速やかにこちらに向かうそうだ」

 藍の主にして幻想郷の管理者たる八雲紫だが、冬期は長い眠りについていることが多い。

「…少なくともスペルカード・ルールに則った異変でないことは間違いないわね」

「…霊夢、どうする?」

 魔理沙が会話に割り込んできた。

「紫を待ってられないわ。爆発源に行ってみましょう。ただ、スペルカード・ルールが通用するかもわからないから、細心の注意を払わなきゃいけないわね」

「弾幕で解決できる相手じゃないかもしれないってことか…」

 魔理沙は八卦炉を一撫でする。弾幕ごっこでは霊夢と並び無類の実力者である彼女だが、本気の命のやり取りとなると自信はない。この相棒と魔法を信じるしかない。

「無理に付いてこなくても良いわよ。私と藍で行くから」

「じ、冗談言うなよ。私だって行くぜ」

「…いざとなったら、逃げなさいよ」

 霊夢だって心中穏やかではない。確かに博麗の巫女である彼女には『本気の』妖怪退治の心得はあるが、スペルカード・ルール制定後はその腕を振るう機会も激減していた。これほどの力を持った妖怪、あるいはそれ以上の存在を相手にどれほど戦えるか、測りかねていた。
 しかし、魔理沙という守る対象がいる以上、その心中をさらけ出すわけにはいかなかった。

「藍は無縁塚外縁部の状況の把握をお願い。逃げ道は確保したいから」

「任せなさい。2人とも気をつけて」

 藍も2人を守りたいところだが、いかんせん本気の妖怪退治になった際、流れ弾に巻き込まれないとも限らない。紫の合流待ちもあるため、2人に任せることにした。

「…行くわよ、魔理沙」

「…おう」

◆     ◆     ◆

「なんていうか、更地だな」

「ここまでだとはね…」

 無縁塚の外縁部は吹き飛ばされたモノが惨状を形作っていたが、中央部…すなわち爆心地に近づくとそれすら見受けられなくなった。

「…外側まで吹き飛ばされたか」

「あるいは跡形もなく消し飛んだ、ってところかしらね」

「…あそこが爆心地じゃないのか?」

 魔理沙が指差した先には、大地に浅い窪みが生じていた。こんな地形はもともと無縁塚には存在していない。つまり、この窪みもまた、爆発によって生じたものだ。
 大地さえ抉るその破壊力に戦慄しながら、そのポイントに近づく2人。
 その中心に、ひとつの人影が倒れ臥していることに気づいた。

「…誰か倒れてるぞ!」

「行ってみましょう」

 罠かもしれない。そんなことも考え攻撃を準備しながら進む。
 その人影の正体は。

「…おいおい、マジかよ」

 お尋ね者の天邪鬼、鬼人正邪その人である。爆発の衝撃で衣服はボロボロで、大きな外傷こそないものの、意識を完全に失っている。

「コイツは確か、単独では大した力は持たないんだったよな」

「ええ。せいぜい悪戯が限度よ。この程度の妖怪、あの爆発をまともに受けたら存在を維持することすらできないはず」

 しかし、霊夢は直感でこの卑小な妖怪がこの爆発に一枚噛んでいるかもしれないことを感じていた。

(そうでなければ、そもそも生き残っていること自体がありえない)

「叩き起こしてみましょう」

「ほ、ほどほどにな。やりすぎて存在自体を消したら元も子もないぜ」

 全力でお祓い棒を振りかぶっていた霊夢だったが、魔理沙の言葉で少しばかり手心を加えないといけないことに気づく。霊力すら全力で込めていたが、起こすだけなら確かに不要だ。

「さーて、起きなさいっ!」

 ぺしーん!

「い、痛ってぇぇぇぇー!!」

 後頭部に走る激痛に天邪鬼が目を覚ます。

「くそ、何するんだ! って巫女と魔法使い!?」

 わけもわからず叩き起こされた正邪は目の前に立つ幻想郷最強の人間2名に恐れ慄く。

「お、おいおい、何の用だよ。今更わたしを捕まえに来たってのか」

「アンタの解答次第ではそうなるわね。さて、質問よ。これはアンタがやったの?」

 周囲の更地を指し示し、霊夢は正邪に問うた。

「ちなみに正直に答えなかったらゼロ距離マスタースパークのおしおきだぜ」

 八卦炉を構えて魔理沙は正邪に脅しを掛ける。
 完全に震え上がった正邪は自らの運命を呪った。

「わ、わたしにそんな力があるわけないだろ! そもそも何なんだここは!」

「無縁塚よ」

「む、無縁塚…? ここが…?」

 自分が知っている無縁塚の光景とはあまりに違う。
 ついさっきまで見ていた光景とは…。
 そこで正邪は思い至る。

「そ、そうだ。わたしは生きてるじゃないか…さっきのアイツは何だったんだ」

「アイツ?」

「銀髪片翼の変なやつだよ…。いきなり無縁塚に現れて、声をかけてみたら襲われた」

「襲われたって?」

「変なやつだったよ。自分を能力の実験台にしろ、とかいってみたり、かといって変な光の渦に引きずり込もうとしてくるし…」

「…なんだそりゃ?」

「本当になんで生きてるのかわたしにもわからないよ」

 正邪が当事者であることは間違いなさそうである。しかし、その銀髪片翼なる存在がどう関わっているのかがわからない。

「銀髪片翼の変なやつか…。うーん、幻想郷にそんなやつはいたかな」

「そうね…もっと詳しく話を聞きたいから、やっぱりアンタを連行しなきゃダメなようね」

「は!?」

「ウソをついていないって保証もないからな。地底のさとり妖怪の力も借りなきゃな」

 冗談じゃない。命の危機を乗り切ったと思ったら今度は自由の危機である。
 正邪は自身の不運を呪いながら後ろに飛び退いた。

「わたしは話すことは全部話した! それでもわたしを捕らえるってなら、全力で抵抗する!」

「なっ、逃げる気か!」

「逃げる場所なんかここにはないだろう! だったらお前たちを真正面から撃ち破ってやる!」

「ちっ!」

 飛び退いた正邪はそのまま宙に浮かび、地上の人間2人をめがけて弾幕を放つ。
 力で劣るなら、ピンポイントで撃ち抜きに行くしかない。

「これでも、喰らえっ! …って、え?」

「なっ!?」

 凄まじい密度の弾幕が発射された。所詮反則アイテムがない天邪鬼なんて、と侮っていた2人は完全に虚を突かれた。
 当の正邪本人も困惑していたが、やがて自身の妖力がかつてないほど高まっているのに気づく。

「よくわからないが、これは…やれる、やれるぞ!」

 力の赴くままに弾幕をばら撒く正邪。予想もしない猛攻に2人は防戦を強いられる。

「くっ…魔理沙!」

「わかってる!」

 魔理沙は先程充填しておいた恋符『マスタースパーク』を放つ。
 光の奔流は大量の弾幕をかき消し、正邪を飲み込んでいく。

「…やったか!」

「まだよ!」

「……くくく、あはははは! その程度か!」

「…嘘だろ」

 魔理沙の切り札は何ら有効なダメージを与えていなかった。
 狂ったように笑いながら、正邪は自身から溢れ出す力に酔っていた。

「これだ…この力があれば、わたしひとりの力での下剋上すら可能!
 巫女と魔法使い! お前たちはこの天邪鬼様の反逆劇の、最初の犠牲者となるのだ!!」

 正邪はスペルカードを取り出し、その名を高らかに宣言する。

「逆弓――『天壌夢弓の詔勅』!!!」

 かつて対峙した時にも放ったスペルカード。霊夢と魔理沙は迷わず背後を警戒する。
 そして妖力の奔流と共に無数の矢が2人の背後から――


 放たれなかった。


「…え?」

「何だと?」

 予想外の展開に呆気に取られる2人。それは当の天邪鬼自身も同じであって、

「な、なんで発動しないんだ! これなら、逆転『チェンジエアブレイブ』!」

 不発。

「……」

「……」

「馬鹿な、これだけの力があって…! 逆符『イビルインザミラー』! 逆符『天下転覆』!」

 不発、不発。

「な、なんで、スペルカードがなぜ使えない…!?」

 やがて全てのスペルカードを使い果たした正邪は、通常弾幕だけで抵抗するも、あえなく全力モードの巫女と魔法使いの前に膝を着くハメになった。

「……なんというか、ドンマイ」

「アンタ、さっきまでの自信は何だったのよ」

「…使えないんだ」

「何を?」

「わたしの…自慢の…『なんでもひっくり返す程度の能力』! それが全く使えないんだ!」

「はあ? 何言ってんだお前は」

「人間のお前らにわかるか! この苦しみが! 天邪鬼が天邪鬼であるためのアイデンティティを失ったこの悲しみが!」

 慟哭する天邪鬼に対し、霊夢も魔理沙も困惑していた。
 とはいえ、話を聞かないことには何も始まらない。

「…まあ、話は聞いてやるし、悪いようにはしないから」

 奇しくも、正邪がスペルカード・ルールに則り決闘を挑んできたことでこの爆発事件の直接の実行犯が彼女である線は薄まった。
 それに、いくら強い妖力を得ていても、それを活かす能力を失っていては結局脅威にはなり得ない。

「くそぉ…」

「はいはい、とりあえず行くわよ。…アンタ軽いわね」

 もはや抵抗の気力すらない正邪を霊夢が抱き抱える。そのまま藍の元まで飛び立とうとした、その時だった。

『まさか失敗するなんてね』

「!」

 突如、新たな声が響く。迷わず霊夢は封魔針を声の方向に投げたが…。
 その針は声の主を素通りした。
 そしてその声の主の姿。銀髪に片翼、しかしその姿は半透明で実体を持っていない。

「稀神――サグメ!?」

 幻想郷にいるはずのない、ましてや幽霊のような姿になっていようはずもない、月の民の姿がそこにあった。
次回は2月末に。
風間茶々
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