眠りに就いて、あの遠き幻想郷を目指して、夢の中で目を覚ますと、そこはまだ夢でした。
何を言っているのか自分でも分からなくなりそうで、恐らく状況説明の冒頭としては最高に失敗しているのかもしれない。けれどそこを夢だと断定するには十分すぎるほどの摩訶不思議な光景が広がっていて、私がいつも見る幻想郷の光景ではないことは確かだった。
とにかく順を追って解説させてほしい。
まず私は、現実側で新年を迎えた。明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします。けれども世間で見聞きするめでたさには何処か陰が含まれているようで、それはきっと社会が悪いのだろう。そして私はその日も逃避するように眠りに就いた。こうすれば、あの恐ろしくも魅力溢れる幻想郷に行く事が出来るから。
でも辿りついた先は、どこかのみすぼらしい部屋だった。
間取りは小さなキッチンと六畳ほどの和室でかなり狭い。天井には薄汚れた吊り下げ照明、角にはぼんやりと光るブラウン管テレビが置かれ、知らない局の知らない番組を流している。まるで地方田舎にある安いアパートか民宿のよう。全体的に古ぼけていて、モダンで、レトロで、チープで、酷く汚れている。こんな部屋見たことも住んだ事もない。夢に見るなんてありえない。
そんな薄汚れた部屋に、住人が四人ほどいて、その掘り炬燵に入り、じゃらじゃらと机の上で何かを混ぜいていた。
じゃらじゃら……じゃらじゃら……じゃらじゃらってうるせぇ。
「お、きたきた」
その内の一人が私の方を振りかえる。出来れば気付かないでほしかったがこの狭さでは無理もない。季節外れのサンタクロースみたいなナイトキャップを被っていて、癖のある髪に眠たげな瞳と、にやついた嫌味っぽい笑みを浮かべる少女だった。彼女は炬燵から出てきて、私の前へとやってくる。
「宇佐見菫子ちゃんだよね?」
「え、あ、はい……」
名前を呼ばれてつい返事をしてしまった。怪しいのに。くやしい。
「君、麻雀できる?」
「……は?」
それが私の悪夢の始まりでした。
ナイトキャップを被る少女は《ドレミー・スイート》と名乗った。何でも幻想郷で夢を司る獏として活動しているという。夢、ときて私も得心がいった。なるほどこの訳の分からない空間はやっぱり夢で、幻想郷の一部なのだろう。
でも何故私なのか。
「いやぁ私これからちょっとお仕事しようと思って、それで代打ちを探してたのよ。で、そんな時に貴女の精神体が夢の世界を通って幻想郷に行こうとしてたからちょうどいいやと思ってとっ捕まえたのです」
おい。なんだよちょうどいいやって。誰でもいいなら私じゃなくてもいいじゃん。て言うかなんで獏が夢の世界で麻雀してるのよ。獏同士の交流会ですか?
「ねぇお願い。私いま、結構勝ってるのよ~」
「いやいや、私麻雀とか全然やったこと無いんですよ……」
「何回かはあるでしょ? 私は知ってる。ルール分かるならあとは他の人が補助してくれるって言ってるし」
私は知ってるって……いや多分、私の夢を覗いていて、だから知っているのだろう。確かに私は妹紅さんに麻雀について教えてもらった事あるから、役とか流れだけなら分かる。
だけどそうじゃない。私は幻想郷に行って色々なことをしたいのだ。麻雀で遊んでいる場合じゃないのに。
「やってくれないと幻想郷まで行かせてあげないよ?」
「監禁に脅迫までするなんて、こんなの犯罪ですよ! 健全な女子高生を拉致するなんて極悪非道! 罪悪感はないんですか? 訴えますよ!」
「ふふふ、残念だけど私は妖怪だから法律も倫理観も通用しないよ」
「ふざけるなぁ! 何でもかんでも妖怪だからで済むと思うなぁ!」
私の超能力でボコボコにしてやる! 怒った私はテレキネシスで周囲の物体へ干渉しようとしたが、しかし何も起きない。
「残念でした~夢の世界は私の世界。厄介な超能力は使わせて上げませんよ~」
「こんなの酷過ぎる! もう起きる!」
起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろぉ……!
って起きれるわけがない! そんな都合よく寝たり起きたりできたら睡眠薬とか目覚ましなんて苦労はいらないのに!
「じゃ、諦めよっか」
そうして無力な私は、ほとんど強制的に麻雀卓へと導かれてしまうのだった。
夢の世界って、残酷なんだなぁ。
この展開は私に苦い記憶を思い出させる――あの妖怪狸に化かされ幻想郷から洗礼を受けた日の夜を。妖怪の怖さを思い知ったあの日を。
ともあれ、雀卓を囲んでいるのは、左から紅、金、黒の長髪の女性たち。宴会などでチラッと見たことはあるが詳細はそれぞれ知らないので、私は雀牌の山を積んでいく間に軽く自己紹介を済ませることにした。
「宇佐見菫子です。外の世界で、超能力者兼女子高生をやっています」
「紅美鈴です。幻想郷では紅魔館の門番とか庭師をやっています」
「八雲紫。幻想郷の管理人みたいなものです。ゆかりんって呼んでください」
「蓬莱山輝夜。永遠亭っていう場所に住んでいるわ」
この内輝夜さんだけは心当たりがあった。私の幻想郷での友人、藤原妹紅さんが語った、彼女の宿敵である。二人は不死身で、よく殺し合うと聞いている。
だが彼女の姿は私が思っていた物とは全く違っていた。妹紅さんが世捨て人みたいな雰囲気を纏っているのでそれを相手取る輝夜さんももっと荒んでいるかと思っていたが、彼女はまるで逆。艶やかな黒髪に、この世の物とは思えない、女の私からしても息を呑むほど、絶世の美貌を持っている。どこか恐ろしく、特に近寄りがたいものがある。何故こんな古ぼけた部屋で麻雀などしているのか甚だ疑問である。
一方で、紅美鈴(ほんめいりん。中国語かな?)さんは、物凄く人当たりの良さそうで、ずっと朗らかに笑っていた。日本語も流暢で、この三人の中では一番話しやすそうだった。紅魔館というのも、かの有名な吸血鬼が住んでいるという話は聞き及んでいる。その辺りについて詳しく訊ねてみたいものだ。
「…………」
しかし最後に、八雲紫さん。この人はなんというか……訳の分からない、問答無用の恐怖みたいなものが、ぼんやりと滲んでくるようだった。
ていうかゆかりんってなんですか。愛称ですか。さすがに初対面の人を愛称で呼ぶ気にはなれない。
ドレミーさんとかいう獏は玄関から出ていってしまって、もうこの場にはいない。彼女が帰るまで、私は代わりに牌を打たなければならない。
「みなさんも獏なんですか?」
世間話というわけでもないが、思った事を口にして、私はなんとか気を紛らわせようとする。
「いいえ、私は単なる妖怪です。よく夢の中で遊んでるんです」
まず美鈴さんがそう言った。
「私も獏ではありません。ただの妖怪です。でもこの時期になると冬眠しちゃって、あんまりにも暇だから夢の中で遊んでいるの」
と紫さんも続き。
「私も獏ではないわ。それに妖怪でもない。どちらかと言うと貴女たち人間寄りよ」
輝夜さんで締め括られる。そういえば妹紅さんは蓬莱人という不死身の種族らしく、輝夜さんもそれに類しているのだろうか。
しかしなるほど、これは獏の交流会などではないらしい。察するに暇なので集まっているだけのようだ。そんな場所に顔も知らない一般人を放り込むとはあの獏は鬼か何か? いや鬼ではないが畜生ではあると思う。獏だしね。
「それで、暇だから麻雀をしていると」
「まぁそんなところです。暇なので」
「暇だからって、こんなところでする物でもないと思うんですけど……」
私はその貧乏たらしい部屋を見回した。この部屋において、他二人はともかく輝夜さんだけはそぐわない。いや美鈴さんも紫さんもこんな場所に似合うような感じではないが、とにかく輝夜さんだけは突出して何か別次元の存在に思えていた。私がじっと彼女を見詰めていると、彼女にそれを気付かれてしまった。
「ん? 私の顔に何かついてる?」
「え、いえ! そのなんていうか、凄い綺麗だなぁって思って……」
「あらありがとう。初めて言われたわ、嬉しい」
嘘でしょう、さすがにそれは。
そんなやり取りを経て、麻雀が始まった。
「あら、宇佐見さんドラ引っ繰り返すの上手いわねぇ」
「とりあえずこれと山作るのだけは練習しました」
初めてやった時はそれはもう牌をぶっ飛ばしたり山を崩したりで恥ずかしかった。それから現実で猛練習した。文字通り夢に見るほどな! ……その所為で目を付けられた感は否めないが。
いくらか進んで、私はふと思い出したように言った。
「そういえば何か賭けてるんですか?」
ドレミーさんは代役を頼むほど勝ちに拘っていたし、勝敗で何かしらの損得があるのだろうか。だとすればその損が私に被るかどうかによってこれからの真剣度が変わる。
「命賭けてます」
「えっ」
美鈴さんの答えに危うく掴んだ牌を落としそうになる。命って、え? 命? マジですか?
「嘘です」
おい! しれっと嘘吐くな! 美鈴さんにそう叫びそうになるも、何とかこらえて私は微妙な顔になる。
「別に何かを賭けているわけじゃないわ。安心して宇佐見さん」
輝夜さんがそう優しく教えてくれる。ここで完全に美鈴さんと輝夜さんの印象が逆転した。怖れ多いと思っていた輝夜さんがまるで温かな聖母のように感じられる。
「まぁ賭けたいなら賭けてもいいけどね。私いくらでも払えるから」
えっ。
「いやいやいや止めましょう? 私一回しか払えませんから」
「じゃあ私を代わりに殺せばいいんじゃない? ほら私、不死身だし」
「なんでそうなるんですかおかしいでしょう!」
違う。前言撤回、彼女は聖母なんかじゃない。脱線してもどこまでも進んでいく列車みたいな危うさがある。もう誰も信じられない。
「え、輝夜さん殺し放題なんですか? それって権利ですか? 現実で払ってもらえたりします?」
「いやいや美鈴さん!? なんで乗り気なんですか!?」
「その権利を後で妹紅に売りつけようと思って」
「理由が屑すぎる!」
「え~妹紅に殺されるの~? じゃあ止める~」
ぶぅと頬を膨らませる輝夜さん。可愛いけど安易に提案しないでほしい。本当になっていたら、もしかしたら私は殺人者になっていたかもしれない……。
「さすがに命は大袈裟だけど……」
牌を引いて悩んでいた紫さんが口を開く。
「賭けるのは良いわね。面白くなるし」
「じゃあ何にします?」
「そうねぇ……」
私は猛烈に嫌な予感がしていた。彼女こそ、八雲紫さんこそ最も危い気配を持っている。そこから繰り出される物が、穏便な物であるはずがない。
「点数の代わりに一枚づつ脱衣するのはどう? 脱衣麻雀とか」
ふざけんな!
「おーいいですねー」
「脱衣麻雀かぁ。私初めてするわ、そういうの」
おーい! 何同意してるんだ! 貴女たちに羞恥というものないのか!?
言ってやりたい。輝夜さんとかそういうことに同意するイメージが全くなかったので私は驚愕を禁じ得なかった。けれど相手は人外。ここは夢の世界。何が起こるか分からない。何よりさっき知り合ったばかりの相手に強く言えるほど、私は人付き合いに精通しているわけではないのだ。
まだ初心者、初段なのだ。ここは穏便に行こう。
「や、やめましょうよ脱衣とか……恥ずかしくないですか?」
「えー宇佐見さん見たくないんですかぁ? 輝夜さんの裸とか、もうめっちゃ凄そうじゃないですか?」
そりゃ凄そうだけれども! ちょっとは見てみたい気もするけど! 美鈴さんはどうしてそんなに食いついてるんですかねぇ! 貴女女性ですよねぇ!?
「そんなに見たいなら見せてあげましょうか?」
輝夜さんはあっけらかんとそう言った。いやいやいや! なんでそんなに軽く言えるんですか! 美鈴さんめっちゃ輝いてますよ目が!
「やった! 是非お願いします!」
「何言ってるんですか! 駄目ですよそんなの!」
「えーなんでー? 別に私そんな酷い身体とかしてないよー?」
「酷いとかそういう問題じゃなくて! そう、流れ的に!」
あくまでも賭けとして提示されているのだから、それを無償で出してしまっては意味がない。というか輝夜さんさっきから進んで罰に飛びこんでませんか。むしろ見せたいんですか?
「そうね。折角なら、麻雀の勝敗で脱がしたいわよね」
紫さんがなるほどと補足するように言った。私の思ってることと全然違うけど。
「あーそういうことですか。宇佐見さんも中々通ですねぇ」
「やっぱり宇佐見さんも見たいの? 私の裸」
「そうじゃないです!」
そういうことじゃないが、とりあえず今脱がれるのは回避したようだった。こうなったら私が勝って美鈴さんと紫さんを脱がせるしかない。この二人は裸に何の恥じらいもないのだろうから良心も傷まない。逆に進んで脱ごうとする輝夜さんは……何故か分からないが守ってあげなくちゃという気持ちになっている。彼女の無邪気さみたいなものが、私の庇護欲を駆り立てていた。
「じゃ、脱衣麻雀でそれぞれよござんす?」
その使い方は合っているのだろうか。紫さんの言葉を疑問視しつつ、私は固く頷いた。
そして私は下着姿になっていた。
「…………」
いや。参ったね。もう無理、勝てるわけがない。
輝夜さんを守るなんて息巻いたものの、牌の流れとか待ち牌とか分からないし。
けれど他三人もそれなりに衣類を取り除かれていた。美鈴さんの上半身はすでにスポーツブラだけだが、下に道着のズボンが残っている。紫さんはアダルティな黒いランジェリーに白い手袋を残し、輝夜さんに至ってはシャツとジャージのズボン姿である。可愛らしいピンクの衣装の下からあずき色のジャージが出てきた時はぎょっとしたが、輝夜さん曰く、
「便利よねぇこれ。外の世界じゃ普通なんでしょう? 別に私は汗とかかかないけど、着やすいし壊れにくしい、好きなの。でも周りからは絶対それで外に出るなって言われてねぇ」
だ、そうだ。
彼女はきっと、どこか位の高い貴族みたいなところの御令嬢なのだろう。なんとなくその時、私はそんなことを思っていた。価値観が、ちょっとずれている気がするのだ。私も体育の時間に着たりしているが、あれを着たまま外に出ようとは思わない。
そして、今はそれどころではない。もう私の肌は柄物の下着一枚でしか隔てられてない。完全に背水の陣である。
「も、もう勘弁してください……」
私は恥を忍んで嘆願した。まぁ下着姿で恥じもクソもない。晒された上半身に空気が吹きつけて鳥肌が立つ。まだ現実世界は冬で、この世界はそれより少し暖かいくらい。炬燵もあって凍えることはないが、とにかく嫌だった。
「あと一枚じゃないですかー。輝夜さんだってシャツ脱がせてないのにー」
美鈴さんいい加減にしてください。泣きますよ私、ほんとに。
「美鈴そんなに見たいの? 見せてあげよっか?」
「お願いします是非!」
「変わりに貴女の龍星を私にくれたら見せてあげるわ」
「え~そんなの無理ですよぅ。代わりに紫さんの日傘じゃダメですか?」
「ちょっと、なんで私の物を勝手に差し出そうとするの。あと私のことはゆかりんって呼んで」
「紫さんも見たくありません? 輝夜さんの裸」
「ゆかりんは興味ありませ~ん」
「あのぅ私の話聞いてます?」
この人たちホントすぐに話が脱線するな。人外が三人も集まればこんな物なのだろうか。
「とにかくもう脱衣麻雀は勘弁してください……あとは普通にやりましょうよ」
「といってもねぇ。もう何回もしてるし、正直麻雀飽きてきちゃったわ」
輝夜さんがぐいっと身体を伸ばして言った。
おや、これはチャンスか? ひょっとしらこのまま麻雀自体を終わらせられるかもしれない。
「なんで麻雀やってたんですか? 誰が発案したので?」
「輝夜さんがやったこと無いらしくて」
またアンタか! 輝夜さん色々率先するな、好奇心旺盛なんですかね。
「えっ、というか、輝夜さん初心者だったんですか? その割には随分お上手のようですけど……」
「宇佐見さんが来る前に練習してたのよ」
「点数計算もすぐに覚えちゃうのよ、この人」
紫さんが褒めるように言うと、しかし輝夜さんは照れもせず、さも当然と言いたげに小首を傾げて「変かな?」っとのたまわれた。彼女にとってこの程度は造作もないことなのだろう。すごいなぁと私は感心する。下、ジャージだけど。
「次は何をしますか?」
美鈴さんが聞いた。
「何だか小腹が空いてきましたわ」
ゆかりさんがお腹をさすると、釣られて他の二人も腹をさする。夢の世界でもお腹が空くのだろうか。
「じゃあ、場所を変えましょうか」
「そうね」
美鈴さんたちが立ち上がる。って、え?
「いやいやいや変えるってどこに行くんですか?」
「どこか希望あります?」
「そんなどこでも行けるみたいな軽いノリで聞かれても……」
「実際どこにでも行けますよ。夢だから」
夢だから。
その言葉は私を一層陰鬱な気分にさせる。早く醒めれば良いのに、こんな夢。こんな悪夢。獏のくせに私に悪夢を見せるなんて職務放棄なんじゃなかろうか?
「夢だから、どんなことをしてもいい」と美鈴さん。
「夢だから、何を言ってもいい」と輝夜さん。
「夢だから、遊んでいても怒られない」と紫さん。
「いやいや! そんな夢を免罪符みたいに使うのは駄目でしょう!」
夢って言うのは、もっと希望に溢れて光に満ちるみたいな、そういう概念でなくちゃいけないと思う。悪夢というのも、見れば現実を改める材料になるのだから、本質的にはプラスの側なのだ。だから夢を言い訳に使うというのはよくないと思うんだなぁ私は。
「で、どうするの? 変える? 変えない?」
輝夜さんは改めて聞いた。
「変えましょう」
紫さんが先導して、その貧乏たらしい部屋を出ていく。もちろん下着姿のままで。
だから服着ろって! 止めようと彼女の後を追うと、紫さんは玄関を跨いだ段階でパッと切り替わるように着衣していた。そしてその玄関の向こうは、薄暗い日本家屋が見えていた。日本家屋だと分かったのも、ぼんやりと燃える囲炉裏の明かりが中を照らしていて、辛うじてだった。
「行きますか」
美鈴さんも続く。同じように、玄関を跨いで衣服が回帰する。輝夜さんもそう。残された私は慌てて、でもまだ半信半疑で、怯えながら敷居を跨いだ。
ぱたりと部屋のドアが閉まる。それからどこでもドアみたいに溶けるようにその扉は消えてしまう。
私は下着姿のままだった。
「なんでだよ!」
途端、凍てついた空気が私の全身を出てて、鳥肌が立った。酷い。幼気な女子高生が下着姿で放り出されているというのに、神様というものは慈悲がないのだろうか。幻想郷の神様はたいぶいい加減な性格なんだろうと私は勝手に決め付ける。
「落ち着いて。自分の衣服を、自分が来ていた姿を思い出してください」
美鈴さんの言葉に、藁にも縋る思いで、私はすぐにその姿を思い浮かべた。すると私は切り替わるように着衣していた。どうやら夢では、意識、イメージが結構反映されるシステムらしい。夢の世界は便利だとますます感心する思いだ。便利すぎて抜け出せなくなりそう。
「よ、よかった……」
一安心。私は唯一の熱源である囲炉裏へと駆け寄る。そこに丁度御座もあったので座る。待てよ? イメージが反映するならこの固い御座も、寒い部屋も快適なもの出来るのではないか?
そう思いたって私は柔らかなクッションと温かな空気を夢想する。しかし、すれどもすれどもそれらは実体化しない。もしかしたら何か制限があるのかもしれない。
「料理はこんなものかしら?」
輝夜さんの言葉で我に帰り、見れば、私の隣に漆塗りの膳にとっくりと幾種かのおつまみが小皿に入って載っている。
「あ、すみません、私お酒は飲めなくて……未成年ですし」
「夢なのに?」
「夢でも」
お酒は匂いが苦手。アルコール臭は鼻を劈く。あの刺激はいつまで経っても慣れそうにはない。
「じゃあジュースにしましょうジュース。サイダーとか?」
「コーラで」
「じゃ、はい」
輝夜さんがそう言うと、私の膳には黒い液体の入ったガラス瓶が現れていた。どうやらこの世界は、輝夜さんに主導権があるようだった。今の流れはそんな感じに思えた。
「準備も整いましたし、女子トークしましょう女子トーク」
そう言う紫さんの顔には途方もない嬉しさが滲んでいるようで、なんだか子供っぽく思えた。実際、子供じみた所が言動からもチラホラ見えている。
「現役女子高生のお話、期待してるわよ」
そういえば、私は幻想郷に入り浸る中でよく外の世界の話をしていた。これがまた結構受けるのである。美鈴さんたちには話した事がないので、これなら私も話題に困ることはないかもしれない。
酒をお猪口に注いでいた美鈴さんが「あ」と何か思い付いたようで、すぐさま私に訊ねてくる。
「最近の女子高生はあれですよね、自分の下着売るんですよね?」
はぁ!?
「売りませんよ! なんですかそれ!」
「え? 知らない? 確かブルセラとかっていうらしいけど」
「聞いた事もない!」
嘘だった。私はとっさに嘘を吐いた。といっても、ブルセラではなく、下着の売買について。実はネットのニュースで見たことがある。今でもオークションなんかで出品されているらしいが、それが本物なのかどうかは知らない。知りたくもない。
「古いですわねぇ、ブルセラって。宇佐見さんまだ生まれてないんじゃないの?」
「えぇ~そうなんですか? というか紫さん知ってるんですか? もしかしてやったことあるんですか?」
「失礼ね! やったことないわよ、そんなはしたない!」
「輝夜さんどうですか?」
「あるわよ」
「えぇ!?」
「嘘よ」
でしょうね! ほんとこの人発言がぶっ飛ぶな!
「でも面白いわねブルセラって。変な感じ、どういう意味なの?」
「昔使われてたブルマっていう体操服と、女学生の制服だったセーラー服を合わせてブルセラ。さすがに今の学生はブルマとかセーラー服なんて使わないでしょう?」
「え、ええまぁ……今はこういうシャツとベスト、もしくはブレザーとか、それでスカートを合わせた感じのが主流、なのかな? 他の学校についてはあんまり分かりませんけど、私の高校の制服はこんな感じです」
服を抓んで軽く広げて見せる。
「可愛いですよね~そういうの。お洒落で」
美鈴さんはつまみにするみたいに私を見て酒を呷った。なんか恥ずかしい。すごくすごく恥ずかしい。いっそ申し訳ない気分になる。私なんかでは花がない。私よりも輝夜さんのほうがよっぽど綺麗だ。そう思うと、悔しさも羨ましさも通り越して、私は畏れ多い気分になった。
多分きっと、彼女はまだ、下にジャージを着ているのだろうけど。
「美鈴さんは着たこと無いんですか? 学生服とか」
誤魔化すように私は聞いた。
「無いよぉ。そもそも子供時代の記憶がないけどネ」
「このメンツで子供時代を覚えてる人なんて輝夜くらいじゃないの?」
「ゆかりんは覚えてないんだ?」
輝夜さんがゆかりんって言った! 言う人居るんだ! ていうかまたこの人じゃないか!
「ゆかりんは永遠に子供だから~」
「ふぅん」
「あっそ」
美鈴さんと輝夜さんの反応は冷たかった。ゆかりさんは泣きそうだった。可哀想なので私は温かい視線を送ると、何故かさらに泣きそうになっていた。ていうか泣いた。何故だ。
「子供のゆうかりんにお酒は早かったね~」
そう言って紫さんの御膳からとっくりをくすねようと手を伸ばした美鈴さん。半泣きで紫さんは彼女の手をぺしっと叩く。子供でもお酒は飲める、いや飲みたいらしい。子供ってなんだよ。
二人は放って置いて、私は輝夜さんへ顔を向ける。
「輝夜さんの子供時代って、どんな感じだったんですか?」
「ん~、あんまり今と変わらないけどねぇ。しかも私の場合、子供時代っていうとちょっとややこしいかも」
ややこしいとは、どういうことだろう?
「アレでいいのではありませんか? 地上からの話で。地上人ですし」
紫さんの提案に輝夜さんも「そうねぇ」と頷いた。
「何かお話があるんですか?」
「あれ宇佐見さん知らないんですか? 竹取物語とか」
美鈴さんが言った竹取物語って、かぐや姫か。かぐやって、え?
「えぇ? じゃあ輝夜さん、あのかぐや姫!?」
「いえ~い」
「超有名人だ……! 雲の上の人だ……!」
この発言、実はある意味でかなり皮肉になっているのだが、それに気付いたのは後々になってからであった。
「じゃあお二人も、竹取物語関係で?」
「ゆかりん帝でしたのよ」
と紫さんが言った。え、マジで? あの帝って女だったの? あの人かぐや姫攫おうとしてませんでした? もしかしてそういうお方だった?
「私大伴さんの船沈めてました」
と美鈴さんが言った。いやいやいや、大伴さんって! 親しげなのに船沈めてるとか、なんで!?(ちなみにあとで調べてみて分かったが、大伴さんとはどうやら輝夜さんの出した難題の一つ〝龍の首の玉〟を取りに行った人らしい)
というかこれらが本当だったら、私はこれからどう接すればいいのか分からなくなってしまう。
「う、嘘ですよね……?」
「「まぁ、嘘なんだけど」」
よかった。とりあえず今まで通りで大丈夫そうだ。いや今まで通りというのもなんだか変な感じがするのだけれども。いつしか私は、この空間が居心地良くなってきている気がした。なんだかんだでこの状況も、幻想郷の一部ということと思えば、悪くはないのかもしれない。
「でもかぐや姫って最後、月に帰ってましたよね? なんで幻想郷……いや地上に?」
「ん~まぁ色々あったのよ。それに最初はこっちでも隠れ住んでたんだけど、もうそれもやめちゃった」
「色々っていうか、ハチャメチャですよね結構」
美鈴さんが言うと、輝夜さんは「うぅん」と唸った。「そうだったような、そうでなかったような……」と、どうやら曖昧な感じで悩んでいるらしい。
「まぁ私たちの場合、時間の感覚なんて合って無いようなものだからねぇ」
と、紫さんが私にフォローをしてくれた。時間感覚が合って、それでいて無い。普通に過ごす私には、いまいち理解できない話だった。
「じゃあ結局、皆さんはどういう御関係なんですか?」
「ん~、暇潰し相手、みたいな」と紫さんが言った。
「右に同じく」と輝夜さんが言った。
「友達です」と美鈴さんが言った。
なんか、美鈴さんだけ凄く眩しく感じる。私はちょっと感動していた。もしかしたらこの人は良い人なのかもしれない。
「まぁ夢の中限定なんですけどね」
私の感動は消えた。なんとなく「都合のいい友達」みたいな感じで紹介された気分になった。前言撤回、この人は腹に何かを抱えているに違いない。
「現実じゃ仲悪いみたいな言い方ですね」
「もうめっちゃ仲悪いよ。あっても目も合わせないくらい」
と美鈴さんが言う。いや全く想像できないですよ今までの見てたら。
「言葉の前に拳が飛ぶレベルだね」
果たしてそれが本当なのかどうか。いやさすがに私もここまでくるとこれが嘘なのだろうとは察するくらいには慣れていた。決して親しんではいないけどな!
「宇佐見さんはどう? ちゃんと青春を謳歌してる?」
輝夜さんの問い掛けに、私は思わず戸惑ってしまう。
「え、ええ…まぁ」
嘘ではない。私は夢を叶えて、深秘を暴き、多少の変革を経てなお、我が道を万進している。現実世界の件で少し迷ったが、しかしこれを青春の謳歌と言わずになんと言おう。
いや。
決して脱衣麻雀をして下着姿にされたり、お酒の席に付き合わされたりするのが青春であると言っているわけではない。これは例外だ。例外中の例外だ。封印するレベルの例外だ。
「幻想郷は楽しい?」
今度は紫さんにそう聞かれて、私は一瞬息を呑み込んでしまう。
それは。
その言葉だけは何故か、詰問されているみたいな苦しさ、威圧感、窮屈さ、みたいなものがあった。
プレッシャーが掛かり、私の中で先ほどの紫さんの言葉がロールバックしてくる。幻想郷の管理者――確かこの人は、そんなことを言っていた気がする。
幻想郷という世界を支える人なのか。そう考えると、途端に彼女に対するあなどりのような感覚が瓦解する。妖怪の恐ろしさを思い出す。
「は、はい……!」
思わず声が上擦ってしまう。
「脅すな」
美鈴さんが酒を呷り、持っていた御猪口を投げつけて、紫さんがそれを受け取った。私を縛るように纏わりついていた苦しさが霧散する。そして、紫さんは苦笑する。
「ごめんなさい。これでも私は、貴女の後始末をしたからね。ちょっとその、仕返しみたいな」
「後、始末……?」
「まぁ、本当に些細なものだけどね」
「それで、どうなの? 宇佐見さん、幻想郷は」
緊張した私を包み込むように、輝夜さんが言葉をかけてくれる。不思議と緊張が解けていった。
「た、楽しいです……紫さんの、おかげで」
「あーあー、怯えちゃってるじゃないですか。ひどーいスキマ妖怪こわーい」
美鈴さんが茶化すように責める。紫さんは子供っぽくつーんとそっぽを向いた。もう、感じていた恐ろしさはどこにも感じない。
「ゆかりんは悪くありませーん」
「宇佐見さん、気にしなくていいのよ。この幻想郷じゃ誰だって誰かに迷惑をかけて、それを勝手に尻ぬぐいする人がいて、それを気にする奴なんていないんだから」
輝夜さんは朗らかに笑っているが、私は言葉が出なかった。気にしないという方が無理だった。私の日常、私の行動が、誰かによって支えられているのだとしたら、それを無視できるほど私は悪党じゃない。
「い、いえ! 本当に、楽しいです。だから、ありがとうございます」
私は頭を下げた。それしかできない自分に若干の悔しさを残しつつ、精いっぱいの感謝の意を表明する。自然とそうしてしまえるほど、幻想郷は楽しいのだ。離れたくないし、失いたくない。私は真剣にそう思っている。
頭を上げると、三人は面食らっていた。驚きつつも、感心するように、美鈴さんが小さく拍手してくれた。訳が分からず私は顔を赤くさせる。
「素直~。なんか感動しちゃった」
そうなのだろうか。私には分からない。
紫さんは言った。
「分かってくれて嬉しいわ。でもだからって、何をやってもいいというわけではありませんわよ」
忠告なのだろうか。肝に銘じようとしたところで、私の肩を美鈴さんがパタパタ軽く叩いて笑いかけてくる。
「ヘーキヘーキ! よっぽどの事はこのスキマさんがカバーしてくれるからねー」
「ゆかりん便利屋じゃないんですけど! あんまり困らせるようだとズバッとしちゃうんですけど!」
「ずばっとねぇ……あ、そうだ」
輝夜さんは何かを思い出しように呟いて、懐から何かを取りだした。それは、白い布だった。
「これ、少し遅いけどお年玉よ。宇佐見さんはまだ学生だし、貰える権利はあるわよね?」
広げて見ると、それは女物のパンツだった。
「なんで!?」
こ、これはひょっとして、か、輝夜さんの……!?
「あーいいなー。私も欲しいなぁ輝夜さんのパンツー」
「残念だけどこれ妹紅のなの」
なんでだよ!
「なんで妹紅さんのパンツをお年玉にしてるんですか!」
「面白いかなって」
「面白くありません!」
「あ、私もお年玉あったんだった」
美鈴さんが懐から細長くて白く纏まった布を取りだした。それは包帯のように思えた。もう、なんとなく予想が出来る。
「こ、これは……」
「うん。妹紅のさらし」
「だからなんでだよ!」
なんでこの人たち妹紅さんの肌着を気軽に人に渡してくるんだよ! 妹紅さんが何をしたっていうんだよ! これ本物だったら妹紅さん下着盗まれまくってるじゃないですか!
「いやぁ輝夜さんに売ろうと思ってたんですけど、まぁちょうど良いと思って」
「さらしの価格は低いわよ」
「輝夜さん顧客!?」
あれですか? ブルセラ業ですか? 輝夜さんマジでブルセラ(買う方)やってたんですか! かぐや姫のイメージが崩れるので止めて欲しいんですけど!?
「ちなみにいくらですか?」
「三〇万」
「意外と高いっ!?」
聞きたくない聞きたくない! 御伽噺として愛されるかぐや姫が、今は女の子の下着を買ってるなんて話はどの世界にも出しちゃいけない醜聞だ。私は彼女たちの話を聞くだけで穢されていく気分だった。
「いや、というか美鈴さん、さっきは妹紅さんに何か売りつけようとしてませんでしたか? 商売相手の敵も商売相手って、ちょっとそれは酷いんじゃ……」
「私なんてこすいもんよ! 輝夜さんのとこにはもっとがめつい小動物がいるし、妖怪の山の河童とか、化け狸の大将とか、あの博麗の巫女だって、隙あらば金儲けを始めようとするよ?」
河城にとりさんと、二ツ岩マミゾウさんに、博麗霊夢さん――それぞれ知り合いだ。色々とお世話になっているけれど、しかしそこで霊夢さんが出るのは意外だった。それに小動物までもが商売をするとは、幻想郷はカオス過ぎるんじゃないか。
「とにかく夢の世界で貰っても持って帰れませんし、そもそも私は女ですから!」
いや、別に男物の下着を貰っても嬉しいわけではないが、とにかく私は受け取った妹紅さんの下着を二人にお返しした。
「そっかー持って帰れないのかぁ。残念だね」
「残念じゃないです!」
美鈴さんは私をどう思っているのだ。いやきっと故意に変なキャラ付けをするつもりなんだ。負けるもんか。
「幻想郷なんて、こんなものなのよ」
輝夜さんが妹紅さんのパンツを袖に仕舞って言った。おそらく、私を安堵させるためだろう。だけど、まるで意味が分からない。
「えっと、いやすみません、どういうことですか?」
下着の話から突然飛び過ぎて理解が追いつかない。幻想郷が妹紅さんのパンツってことだろうか。ますます分からないけど。
「みんな好き勝手やってるのよ。貶す。馬鹿にする。嘲笑う――幻想郷じゃそういうことは日常茶飯事で、昨日の敵が今日には仲間になってたり、数時間後には敵にまわってたりする。どいつもこいつも気ままで忘れっぽいから、遺恨なんか全然残らない。だから怒られたら、新しい自分に着替えればいいの。衣服も、下着も、汚れたら変えるでしょう? そういう感じで汚れたら付け替えればいいの。ね?」
要は、気にするなということだろうか。時間の感覚が合って、無いような物ということは、つまりそういうことなのだろうか。誰も彼も、汚れていない。怒られても忘れている。新しく改めているから。だから私にも、怒られたら改めて、新しい自分になれということか。
私は何となくそんな解釈をした。そして何となく感銘を受けていた。きっと輝夜さんは下にジャージを着ているのだろうけど。
「いや全然喩えられてないじゃない。宇佐見さんも何感心してるのよ」
紫さんが呆れて突っ込むと、輝夜さんはぶぅと不満げに頬を膨らませた。
「ちょっとゆかりん水差さないでくれる~? 私が良いこと言ったらほめそやすのが貴女の役目でしょ~?」
「ゆかりんそんな役目は受け持ってません~」
「それより何か遊ばない?」
お酒が効いてきたようで、顔を若干赤らめている美鈴さんが笑いながら言った。私はすかさず美鈴さんを牽制する。
「また脱がせる気ですか美鈴さんいい加減にしてください!」
貴女の魂胆は丸とするっとお見通しだ! その朗らかな笑みの下にげすい魂胆があるんでしょう!
「え~いいじゃんいいじゃん~」
「短歌でも詠む? 評価し合って、一番下手だった人が脱ぐとか」
「おぉ、風流ですね!」
「そういえば、外界じゃお酒の席だと、歌に合わせて連想ゲームみたいな遊びをするんですのよ」
「へぇ~面白そう!」
「なんで三人とも乗り気なんですか! こんな寒い部屋で裸になるなんて拷問ですよ!」
「お酒飲んだから温かいのよ~はぁあっつ」
「宇佐見さん拷問嫌いなの?」
「好きな人なんていないでしょう!」
カオスだった。皆好き勝手に発言して、話題がころころ流れていく。いちいち拾うのも大変だが、ちょっと楽しくなってきている自分がいた。私と彼女たちの間にあった距離は、この時間で確かに縮まりつつあったのだろう。
結局その後は何のゲームはせず、他愛ないお喋りや笑いが続いた。
「おや、もう出来上がっちゃってる?」
がららと扉を開けて、ドレミーさんが帰ってくる。名残惜しいが、もう愉快な時間も終わりのようだった。
「おかえり~」
「いつの間に酒盛りを……まぁいいけど。菫子ちゃんごめんね、酔っ払いの相手させちゃって」
「いえ、私も、楽しかったですから」
ちょっと恥ずかしいが、私は言った。
「そう。良い夢を見れましたか」
下着とか色々酷かったけど、思い返せば楽しい時間だった。幻想郷という深秘の場所の、これも一端なのだろう。結局夢は夢、夢はプラスといったのは私だ。悪くはない。こういう時間も、たまにはね。
そういう思いで私は頷いた。
「じゃ、そろそろお休みなさい、かな?」
変な表現だがそうなのだろう。かなりの時間を過ごしていたし、これ以上幻想郷であれこれ出来るほどの時間が残っているとも思えない。
「えーもう帰っちゃうの~?」
輝夜さんが残念がってくれた。嬉しいが仕方の無いことで、私は苦笑する。
「ばいばーい宇佐見さん」と美鈴さん。
「楽しかったですわ」と紫さん。
「またね、宇佐見さん」と輝夜さん。
「みなさん今日はありがとうございました。お先に失礼します」
四人に別れを告げて、その家の扉から外に出た。外には星が瞬く大宇宙が広がっていて、私はその真空を飛んだ。やがて眠気が襲ってくる。それに逆らわず、私は宇宙の中で眠りについた。
私は目覚ましの音を聞く――。
気だるげな手でそれを止めて、重い瞼を擦って、私は目を覚ます。酷い夢だったが、結果としては貴重な思い出になった。
「ん?」
枕元に何か白い布が置かれている。広げて見るとそれは女性物の下着だった。ていうか輝夜さんに返したはずの妹紅さんのパンツだった。
「なんでだよ……」
寝起き故、力のない突っ込みである。これは吉兆か、はたまた凶兆か。
そういえば、深秘大戦の異変の時、妹紅さんにESPカードを拾ってもらっていたことを思い出した。今度は私が返す番ということだろうか。
それにしたって下着は酷い。それに、夢の世界から持ち帰ったものをまた現実世界から物を持って行けるのだろうか?
とりあえず次に幻想郷に行った時は妹紅さんに会おう。下着とか色々、話を聞いてみよう。私の中でそんな目標が出来ていた。
目標というか、夢というべきか。
まぁ結局のところ、私はどんなことが起きても、まだまだ幻想郷に夢中なのであった。
その日の夜。
「菫子ちゃん、ちんちろりんって知ってる?」
夢の中で、ドレミーさんが私にそう聞いてきた。後ろでは昨日の三人に加えて赤髪の女性が増えている。話を聞くにその人は死神で、今は昼寝中であるという。
私はまた身ぐるみを剥がされた。
幻想郷ってやっぱり怖い。
おわり
何を言っているのか自分でも分からなくなりそうで、恐らく状況説明の冒頭としては最高に失敗しているのかもしれない。けれどそこを夢だと断定するには十分すぎるほどの摩訶不思議な光景が広がっていて、私がいつも見る幻想郷の光景ではないことは確かだった。
とにかく順を追って解説させてほしい。
まず私は、現実側で新年を迎えた。明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします。けれども世間で見聞きするめでたさには何処か陰が含まれているようで、それはきっと社会が悪いのだろう。そして私はその日も逃避するように眠りに就いた。こうすれば、あの恐ろしくも魅力溢れる幻想郷に行く事が出来るから。
でも辿りついた先は、どこかのみすぼらしい部屋だった。
間取りは小さなキッチンと六畳ほどの和室でかなり狭い。天井には薄汚れた吊り下げ照明、角にはぼんやりと光るブラウン管テレビが置かれ、知らない局の知らない番組を流している。まるで地方田舎にある安いアパートか民宿のよう。全体的に古ぼけていて、モダンで、レトロで、チープで、酷く汚れている。こんな部屋見たことも住んだ事もない。夢に見るなんてありえない。
そんな薄汚れた部屋に、住人が四人ほどいて、その掘り炬燵に入り、じゃらじゃらと机の上で何かを混ぜいていた。
じゃらじゃら……じゃらじゃら……じゃらじゃらってうるせぇ。
「お、きたきた」
その内の一人が私の方を振りかえる。出来れば気付かないでほしかったがこの狭さでは無理もない。季節外れのサンタクロースみたいなナイトキャップを被っていて、癖のある髪に眠たげな瞳と、にやついた嫌味っぽい笑みを浮かべる少女だった。彼女は炬燵から出てきて、私の前へとやってくる。
「宇佐見菫子ちゃんだよね?」
「え、あ、はい……」
名前を呼ばれてつい返事をしてしまった。怪しいのに。くやしい。
「君、麻雀できる?」
「……は?」
それが私の悪夢の始まりでした。
ナイトキャップを被る少女は《ドレミー・スイート》と名乗った。何でも幻想郷で夢を司る獏として活動しているという。夢、ときて私も得心がいった。なるほどこの訳の分からない空間はやっぱり夢で、幻想郷の一部なのだろう。
でも何故私なのか。
「いやぁ私これからちょっとお仕事しようと思って、それで代打ちを探してたのよ。で、そんな時に貴女の精神体が夢の世界を通って幻想郷に行こうとしてたからちょうどいいやと思ってとっ捕まえたのです」
おい。なんだよちょうどいいやって。誰でもいいなら私じゃなくてもいいじゃん。て言うかなんで獏が夢の世界で麻雀してるのよ。獏同士の交流会ですか?
「ねぇお願い。私いま、結構勝ってるのよ~」
「いやいや、私麻雀とか全然やったこと無いんですよ……」
「何回かはあるでしょ? 私は知ってる。ルール分かるならあとは他の人が補助してくれるって言ってるし」
私は知ってるって……いや多分、私の夢を覗いていて、だから知っているのだろう。確かに私は妹紅さんに麻雀について教えてもらった事あるから、役とか流れだけなら分かる。
だけどそうじゃない。私は幻想郷に行って色々なことをしたいのだ。麻雀で遊んでいる場合じゃないのに。
「やってくれないと幻想郷まで行かせてあげないよ?」
「監禁に脅迫までするなんて、こんなの犯罪ですよ! 健全な女子高生を拉致するなんて極悪非道! 罪悪感はないんですか? 訴えますよ!」
「ふふふ、残念だけど私は妖怪だから法律も倫理観も通用しないよ」
「ふざけるなぁ! 何でもかんでも妖怪だからで済むと思うなぁ!」
私の超能力でボコボコにしてやる! 怒った私はテレキネシスで周囲の物体へ干渉しようとしたが、しかし何も起きない。
「残念でした~夢の世界は私の世界。厄介な超能力は使わせて上げませんよ~」
「こんなの酷過ぎる! もう起きる!」
起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろぉ……!
って起きれるわけがない! そんな都合よく寝たり起きたりできたら睡眠薬とか目覚ましなんて苦労はいらないのに!
「じゃ、諦めよっか」
そうして無力な私は、ほとんど強制的に麻雀卓へと導かれてしまうのだった。
夢の世界って、残酷なんだなぁ。
この展開は私に苦い記憶を思い出させる――あの妖怪狸に化かされ幻想郷から洗礼を受けた日の夜を。妖怪の怖さを思い知ったあの日を。
ともあれ、雀卓を囲んでいるのは、左から紅、金、黒の長髪の女性たち。宴会などでチラッと見たことはあるが詳細はそれぞれ知らないので、私は雀牌の山を積んでいく間に軽く自己紹介を済ませることにした。
「宇佐見菫子です。外の世界で、超能力者兼女子高生をやっています」
「紅美鈴です。幻想郷では紅魔館の門番とか庭師をやっています」
「八雲紫。幻想郷の管理人みたいなものです。ゆかりんって呼んでください」
「蓬莱山輝夜。永遠亭っていう場所に住んでいるわ」
この内輝夜さんだけは心当たりがあった。私の幻想郷での友人、藤原妹紅さんが語った、彼女の宿敵である。二人は不死身で、よく殺し合うと聞いている。
だが彼女の姿は私が思っていた物とは全く違っていた。妹紅さんが世捨て人みたいな雰囲気を纏っているのでそれを相手取る輝夜さんももっと荒んでいるかと思っていたが、彼女はまるで逆。艶やかな黒髪に、この世の物とは思えない、女の私からしても息を呑むほど、絶世の美貌を持っている。どこか恐ろしく、特に近寄りがたいものがある。何故こんな古ぼけた部屋で麻雀などしているのか甚だ疑問である。
一方で、紅美鈴(ほんめいりん。中国語かな?)さんは、物凄く人当たりの良さそうで、ずっと朗らかに笑っていた。日本語も流暢で、この三人の中では一番話しやすそうだった。紅魔館というのも、かの有名な吸血鬼が住んでいるという話は聞き及んでいる。その辺りについて詳しく訊ねてみたいものだ。
「…………」
しかし最後に、八雲紫さん。この人はなんというか……訳の分からない、問答無用の恐怖みたいなものが、ぼんやりと滲んでくるようだった。
ていうかゆかりんってなんですか。愛称ですか。さすがに初対面の人を愛称で呼ぶ気にはなれない。
ドレミーさんとかいう獏は玄関から出ていってしまって、もうこの場にはいない。彼女が帰るまで、私は代わりに牌を打たなければならない。
「みなさんも獏なんですか?」
世間話というわけでもないが、思った事を口にして、私はなんとか気を紛らわせようとする。
「いいえ、私は単なる妖怪です。よく夢の中で遊んでるんです」
まず美鈴さんがそう言った。
「私も獏ではありません。ただの妖怪です。でもこの時期になると冬眠しちゃって、あんまりにも暇だから夢の中で遊んでいるの」
と紫さんも続き。
「私も獏ではないわ。それに妖怪でもない。どちらかと言うと貴女たち人間寄りよ」
輝夜さんで締め括られる。そういえば妹紅さんは蓬莱人という不死身の種族らしく、輝夜さんもそれに類しているのだろうか。
しかしなるほど、これは獏の交流会などではないらしい。察するに暇なので集まっているだけのようだ。そんな場所に顔も知らない一般人を放り込むとはあの獏は鬼か何か? いや鬼ではないが畜生ではあると思う。獏だしね。
「それで、暇だから麻雀をしていると」
「まぁそんなところです。暇なので」
「暇だからって、こんなところでする物でもないと思うんですけど……」
私はその貧乏たらしい部屋を見回した。この部屋において、他二人はともかく輝夜さんだけはそぐわない。いや美鈴さんも紫さんもこんな場所に似合うような感じではないが、とにかく輝夜さんだけは突出して何か別次元の存在に思えていた。私がじっと彼女を見詰めていると、彼女にそれを気付かれてしまった。
「ん? 私の顔に何かついてる?」
「え、いえ! そのなんていうか、凄い綺麗だなぁって思って……」
「あらありがとう。初めて言われたわ、嬉しい」
嘘でしょう、さすがにそれは。
そんなやり取りを経て、麻雀が始まった。
「あら、宇佐見さんドラ引っ繰り返すの上手いわねぇ」
「とりあえずこれと山作るのだけは練習しました」
初めてやった時はそれはもう牌をぶっ飛ばしたり山を崩したりで恥ずかしかった。それから現実で猛練習した。文字通り夢に見るほどな! ……その所為で目を付けられた感は否めないが。
いくらか進んで、私はふと思い出したように言った。
「そういえば何か賭けてるんですか?」
ドレミーさんは代役を頼むほど勝ちに拘っていたし、勝敗で何かしらの損得があるのだろうか。だとすればその損が私に被るかどうかによってこれからの真剣度が変わる。
「命賭けてます」
「えっ」
美鈴さんの答えに危うく掴んだ牌を落としそうになる。命って、え? 命? マジですか?
「嘘です」
おい! しれっと嘘吐くな! 美鈴さんにそう叫びそうになるも、何とかこらえて私は微妙な顔になる。
「別に何かを賭けているわけじゃないわ。安心して宇佐見さん」
輝夜さんがそう優しく教えてくれる。ここで完全に美鈴さんと輝夜さんの印象が逆転した。怖れ多いと思っていた輝夜さんがまるで温かな聖母のように感じられる。
「まぁ賭けたいなら賭けてもいいけどね。私いくらでも払えるから」
えっ。
「いやいやいや止めましょう? 私一回しか払えませんから」
「じゃあ私を代わりに殺せばいいんじゃない? ほら私、不死身だし」
「なんでそうなるんですかおかしいでしょう!」
違う。前言撤回、彼女は聖母なんかじゃない。脱線してもどこまでも進んでいく列車みたいな危うさがある。もう誰も信じられない。
「え、輝夜さん殺し放題なんですか? それって権利ですか? 現実で払ってもらえたりします?」
「いやいや美鈴さん!? なんで乗り気なんですか!?」
「その権利を後で妹紅に売りつけようと思って」
「理由が屑すぎる!」
「え~妹紅に殺されるの~? じゃあ止める~」
ぶぅと頬を膨らませる輝夜さん。可愛いけど安易に提案しないでほしい。本当になっていたら、もしかしたら私は殺人者になっていたかもしれない……。
「さすがに命は大袈裟だけど……」
牌を引いて悩んでいた紫さんが口を開く。
「賭けるのは良いわね。面白くなるし」
「じゃあ何にします?」
「そうねぇ……」
私は猛烈に嫌な予感がしていた。彼女こそ、八雲紫さんこそ最も危い気配を持っている。そこから繰り出される物が、穏便な物であるはずがない。
「点数の代わりに一枚づつ脱衣するのはどう? 脱衣麻雀とか」
ふざけんな!
「おーいいですねー」
「脱衣麻雀かぁ。私初めてするわ、そういうの」
おーい! 何同意してるんだ! 貴女たちに羞恥というものないのか!?
言ってやりたい。輝夜さんとかそういうことに同意するイメージが全くなかったので私は驚愕を禁じ得なかった。けれど相手は人外。ここは夢の世界。何が起こるか分からない。何よりさっき知り合ったばかりの相手に強く言えるほど、私は人付き合いに精通しているわけではないのだ。
まだ初心者、初段なのだ。ここは穏便に行こう。
「や、やめましょうよ脱衣とか……恥ずかしくないですか?」
「えー宇佐見さん見たくないんですかぁ? 輝夜さんの裸とか、もうめっちゃ凄そうじゃないですか?」
そりゃ凄そうだけれども! ちょっとは見てみたい気もするけど! 美鈴さんはどうしてそんなに食いついてるんですかねぇ! 貴女女性ですよねぇ!?
「そんなに見たいなら見せてあげましょうか?」
輝夜さんはあっけらかんとそう言った。いやいやいや! なんでそんなに軽く言えるんですか! 美鈴さんめっちゃ輝いてますよ目が!
「やった! 是非お願いします!」
「何言ってるんですか! 駄目ですよそんなの!」
「えーなんでー? 別に私そんな酷い身体とかしてないよー?」
「酷いとかそういう問題じゃなくて! そう、流れ的に!」
あくまでも賭けとして提示されているのだから、それを無償で出してしまっては意味がない。というか輝夜さんさっきから進んで罰に飛びこんでませんか。むしろ見せたいんですか?
「そうね。折角なら、麻雀の勝敗で脱がしたいわよね」
紫さんがなるほどと補足するように言った。私の思ってることと全然違うけど。
「あーそういうことですか。宇佐見さんも中々通ですねぇ」
「やっぱり宇佐見さんも見たいの? 私の裸」
「そうじゃないです!」
そういうことじゃないが、とりあえず今脱がれるのは回避したようだった。こうなったら私が勝って美鈴さんと紫さんを脱がせるしかない。この二人は裸に何の恥じらいもないのだろうから良心も傷まない。逆に進んで脱ごうとする輝夜さんは……何故か分からないが守ってあげなくちゃという気持ちになっている。彼女の無邪気さみたいなものが、私の庇護欲を駆り立てていた。
「じゃ、脱衣麻雀でそれぞれよござんす?」
その使い方は合っているのだろうか。紫さんの言葉を疑問視しつつ、私は固く頷いた。
そして私は下着姿になっていた。
「…………」
いや。参ったね。もう無理、勝てるわけがない。
輝夜さんを守るなんて息巻いたものの、牌の流れとか待ち牌とか分からないし。
けれど他三人もそれなりに衣類を取り除かれていた。美鈴さんの上半身はすでにスポーツブラだけだが、下に道着のズボンが残っている。紫さんはアダルティな黒いランジェリーに白い手袋を残し、輝夜さんに至ってはシャツとジャージのズボン姿である。可愛らしいピンクの衣装の下からあずき色のジャージが出てきた時はぎょっとしたが、輝夜さん曰く、
「便利よねぇこれ。外の世界じゃ普通なんでしょう? 別に私は汗とかかかないけど、着やすいし壊れにくしい、好きなの。でも周りからは絶対それで外に出るなって言われてねぇ」
だ、そうだ。
彼女はきっと、どこか位の高い貴族みたいなところの御令嬢なのだろう。なんとなくその時、私はそんなことを思っていた。価値観が、ちょっとずれている気がするのだ。私も体育の時間に着たりしているが、あれを着たまま外に出ようとは思わない。
そして、今はそれどころではない。もう私の肌は柄物の下着一枚でしか隔てられてない。完全に背水の陣である。
「も、もう勘弁してください……」
私は恥を忍んで嘆願した。まぁ下着姿で恥じもクソもない。晒された上半身に空気が吹きつけて鳥肌が立つ。まだ現実世界は冬で、この世界はそれより少し暖かいくらい。炬燵もあって凍えることはないが、とにかく嫌だった。
「あと一枚じゃないですかー。輝夜さんだってシャツ脱がせてないのにー」
美鈴さんいい加減にしてください。泣きますよ私、ほんとに。
「美鈴そんなに見たいの? 見せてあげよっか?」
「お願いします是非!」
「変わりに貴女の龍星を私にくれたら見せてあげるわ」
「え~そんなの無理ですよぅ。代わりに紫さんの日傘じゃダメですか?」
「ちょっと、なんで私の物を勝手に差し出そうとするの。あと私のことはゆかりんって呼んで」
「紫さんも見たくありません? 輝夜さんの裸」
「ゆかりんは興味ありませ~ん」
「あのぅ私の話聞いてます?」
この人たちホントすぐに話が脱線するな。人外が三人も集まればこんな物なのだろうか。
「とにかくもう脱衣麻雀は勘弁してください……あとは普通にやりましょうよ」
「といってもねぇ。もう何回もしてるし、正直麻雀飽きてきちゃったわ」
輝夜さんがぐいっと身体を伸ばして言った。
おや、これはチャンスか? ひょっとしらこのまま麻雀自体を終わらせられるかもしれない。
「なんで麻雀やってたんですか? 誰が発案したので?」
「輝夜さんがやったこと無いらしくて」
またアンタか! 輝夜さん色々率先するな、好奇心旺盛なんですかね。
「えっ、というか、輝夜さん初心者だったんですか? その割には随分お上手のようですけど……」
「宇佐見さんが来る前に練習してたのよ」
「点数計算もすぐに覚えちゃうのよ、この人」
紫さんが褒めるように言うと、しかし輝夜さんは照れもせず、さも当然と言いたげに小首を傾げて「変かな?」っとのたまわれた。彼女にとってこの程度は造作もないことなのだろう。すごいなぁと私は感心する。下、ジャージだけど。
「次は何をしますか?」
美鈴さんが聞いた。
「何だか小腹が空いてきましたわ」
ゆかりさんがお腹をさすると、釣られて他の二人も腹をさする。夢の世界でもお腹が空くのだろうか。
「じゃあ、場所を変えましょうか」
「そうね」
美鈴さんたちが立ち上がる。って、え?
「いやいやいや変えるってどこに行くんですか?」
「どこか希望あります?」
「そんなどこでも行けるみたいな軽いノリで聞かれても……」
「実際どこにでも行けますよ。夢だから」
夢だから。
その言葉は私を一層陰鬱な気分にさせる。早く醒めれば良いのに、こんな夢。こんな悪夢。獏のくせに私に悪夢を見せるなんて職務放棄なんじゃなかろうか?
「夢だから、どんなことをしてもいい」と美鈴さん。
「夢だから、何を言ってもいい」と輝夜さん。
「夢だから、遊んでいても怒られない」と紫さん。
「いやいや! そんな夢を免罪符みたいに使うのは駄目でしょう!」
夢って言うのは、もっと希望に溢れて光に満ちるみたいな、そういう概念でなくちゃいけないと思う。悪夢というのも、見れば現実を改める材料になるのだから、本質的にはプラスの側なのだ。だから夢を言い訳に使うというのはよくないと思うんだなぁ私は。
「で、どうするの? 変える? 変えない?」
輝夜さんは改めて聞いた。
「変えましょう」
紫さんが先導して、その貧乏たらしい部屋を出ていく。もちろん下着姿のままで。
だから服着ろって! 止めようと彼女の後を追うと、紫さんは玄関を跨いだ段階でパッと切り替わるように着衣していた。そしてその玄関の向こうは、薄暗い日本家屋が見えていた。日本家屋だと分かったのも、ぼんやりと燃える囲炉裏の明かりが中を照らしていて、辛うじてだった。
「行きますか」
美鈴さんも続く。同じように、玄関を跨いで衣服が回帰する。輝夜さんもそう。残された私は慌てて、でもまだ半信半疑で、怯えながら敷居を跨いだ。
ぱたりと部屋のドアが閉まる。それからどこでもドアみたいに溶けるようにその扉は消えてしまう。
私は下着姿のままだった。
「なんでだよ!」
途端、凍てついた空気が私の全身を出てて、鳥肌が立った。酷い。幼気な女子高生が下着姿で放り出されているというのに、神様というものは慈悲がないのだろうか。幻想郷の神様はたいぶいい加減な性格なんだろうと私は勝手に決め付ける。
「落ち着いて。自分の衣服を、自分が来ていた姿を思い出してください」
美鈴さんの言葉に、藁にも縋る思いで、私はすぐにその姿を思い浮かべた。すると私は切り替わるように着衣していた。どうやら夢では、意識、イメージが結構反映されるシステムらしい。夢の世界は便利だとますます感心する思いだ。便利すぎて抜け出せなくなりそう。
「よ、よかった……」
一安心。私は唯一の熱源である囲炉裏へと駆け寄る。そこに丁度御座もあったので座る。待てよ? イメージが反映するならこの固い御座も、寒い部屋も快適なもの出来るのではないか?
そう思いたって私は柔らかなクッションと温かな空気を夢想する。しかし、すれどもすれどもそれらは実体化しない。もしかしたら何か制限があるのかもしれない。
「料理はこんなものかしら?」
輝夜さんの言葉で我に帰り、見れば、私の隣に漆塗りの膳にとっくりと幾種かのおつまみが小皿に入って載っている。
「あ、すみません、私お酒は飲めなくて……未成年ですし」
「夢なのに?」
「夢でも」
お酒は匂いが苦手。アルコール臭は鼻を劈く。あの刺激はいつまで経っても慣れそうにはない。
「じゃあジュースにしましょうジュース。サイダーとか?」
「コーラで」
「じゃ、はい」
輝夜さんがそう言うと、私の膳には黒い液体の入ったガラス瓶が現れていた。どうやらこの世界は、輝夜さんに主導権があるようだった。今の流れはそんな感じに思えた。
「準備も整いましたし、女子トークしましょう女子トーク」
そう言う紫さんの顔には途方もない嬉しさが滲んでいるようで、なんだか子供っぽく思えた。実際、子供じみた所が言動からもチラホラ見えている。
「現役女子高生のお話、期待してるわよ」
そういえば、私は幻想郷に入り浸る中でよく外の世界の話をしていた。これがまた結構受けるのである。美鈴さんたちには話した事がないので、これなら私も話題に困ることはないかもしれない。
酒をお猪口に注いでいた美鈴さんが「あ」と何か思い付いたようで、すぐさま私に訊ねてくる。
「最近の女子高生はあれですよね、自分の下着売るんですよね?」
はぁ!?
「売りませんよ! なんですかそれ!」
「え? 知らない? 確かブルセラとかっていうらしいけど」
「聞いた事もない!」
嘘だった。私はとっさに嘘を吐いた。といっても、ブルセラではなく、下着の売買について。実はネットのニュースで見たことがある。今でもオークションなんかで出品されているらしいが、それが本物なのかどうかは知らない。知りたくもない。
「古いですわねぇ、ブルセラって。宇佐見さんまだ生まれてないんじゃないの?」
「えぇ~そうなんですか? というか紫さん知ってるんですか? もしかしてやったことあるんですか?」
「失礼ね! やったことないわよ、そんなはしたない!」
「輝夜さんどうですか?」
「あるわよ」
「えぇ!?」
「嘘よ」
でしょうね! ほんとこの人発言がぶっ飛ぶな!
「でも面白いわねブルセラって。変な感じ、どういう意味なの?」
「昔使われてたブルマっていう体操服と、女学生の制服だったセーラー服を合わせてブルセラ。さすがに今の学生はブルマとかセーラー服なんて使わないでしょう?」
「え、ええまぁ……今はこういうシャツとベスト、もしくはブレザーとか、それでスカートを合わせた感じのが主流、なのかな? 他の学校についてはあんまり分かりませんけど、私の高校の制服はこんな感じです」
服を抓んで軽く広げて見せる。
「可愛いですよね~そういうの。お洒落で」
美鈴さんはつまみにするみたいに私を見て酒を呷った。なんか恥ずかしい。すごくすごく恥ずかしい。いっそ申し訳ない気分になる。私なんかでは花がない。私よりも輝夜さんのほうがよっぽど綺麗だ。そう思うと、悔しさも羨ましさも通り越して、私は畏れ多い気分になった。
多分きっと、彼女はまだ、下にジャージを着ているのだろうけど。
「美鈴さんは着たこと無いんですか? 学生服とか」
誤魔化すように私は聞いた。
「無いよぉ。そもそも子供時代の記憶がないけどネ」
「このメンツで子供時代を覚えてる人なんて輝夜くらいじゃないの?」
「ゆかりんは覚えてないんだ?」
輝夜さんがゆかりんって言った! 言う人居るんだ! ていうかまたこの人じゃないか!
「ゆかりんは永遠に子供だから~」
「ふぅん」
「あっそ」
美鈴さんと輝夜さんの反応は冷たかった。ゆかりさんは泣きそうだった。可哀想なので私は温かい視線を送ると、何故かさらに泣きそうになっていた。ていうか泣いた。何故だ。
「子供のゆうかりんにお酒は早かったね~」
そう言って紫さんの御膳からとっくりをくすねようと手を伸ばした美鈴さん。半泣きで紫さんは彼女の手をぺしっと叩く。子供でもお酒は飲める、いや飲みたいらしい。子供ってなんだよ。
二人は放って置いて、私は輝夜さんへ顔を向ける。
「輝夜さんの子供時代って、どんな感じだったんですか?」
「ん~、あんまり今と変わらないけどねぇ。しかも私の場合、子供時代っていうとちょっとややこしいかも」
ややこしいとは、どういうことだろう?
「アレでいいのではありませんか? 地上からの話で。地上人ですし」
紫さんの提案に輝夜さんも「そうねぇ」と頷いた。
「何かお話があるんですか?」
「あれ宇佐見さん知らないんですか? 竹取物語とか」
美鈴さんが言った竹取物語って、かぐや姫か。かぐやって、え?
「えぇ? じゃあ輝夜さん、あのかぐや姫!?」
「いえ~い」
「超有名人だ……! 雲の上の人だ……!」
この発言、実はある意味でかなり皮肉になっているのだが、それに気付いたのは後々になってからであった。
「じゃあお二人も、竹取物語関係で?」
「ゆかりん帝でしたのよ」
と紫さんが言った。え、マジで? あの帝って女だったの? あの人かぐや姫攫おうとしてませんでした? もしかしてそういうお方だった?
「私大伴さんの船沈めてました」
と美鈴さんが言った。いやいやいや、大伴さんって! 親しげなのに船沈めてるとか、なんで!?(ちなみにあとで調べてみて分かったが、大伴さんとはどうやら輝夜さんの出した難題の一つ〝龍の首の玉〟を取りに行った人らしい)
というかこれらが本当だったら、私はこれからどう接すればいいのか分からなくなってしまう。
「う、嘘ですよね……?」
「「まぁ、嘘なんだけど」」
よかった。とりあえず今まで通りで大丈夫そうだ。いや今まで通りというのもなんだか変な感じがするのだけれども。いつしか私は、この空間が居心地良くなってきている気がした。なんだかんだでこの状況も、幻想郷の一部ということと思えば、悪くはないのかもしれない。
「でもかぐや姫って最後、月に帰ってましたよね? なんで幻想郷……いや地上に?」
「ん~まぁ色々あったのよ。それに最初はこっちでも隠れ住んでたんだけど、もうそれもやめちゃった」
「色々っていうか、ハチャメチャですよね結構」
美鈴さんが言うと、輝夜さんは「うぅん」と唸った。「そうだったような、そうでなかったような……」と、どうやら曖昧な感じで悩んでいるらしい。
「まぁ私たちの場合、時間の感覚なんて合って無いようなものだからねぇ」
と、紫さんが私にフォローをしてくれた。時間感覚が合って、それでいて無い。普通に過ごす私には、いまいち理解できない話だった。
「じゃあ結局、皆さんはどういう御関係なんですか?」
「ん~、暇潰し相手、みたいな」と紫さんが言った。
「右に同じく」と輝夜さんが言った。
「友達です」と美鈴さんが言った。
なんか、美鈴さんだけ凄く眩しく感じる。私はちょっと感動していた。もしかしたらこの人は良い人なのかもしれない。
「まぁ夢の中限定なんですけどね」
私の感動は消えた。なんとなく「都合のいい友達」みたいな感じで紹介された気分になった。前言撤回、この人は腹に何かを抱えているに違いない。
「現実じゃ仲悪いみたいな言い方ですね」
「もうめっちゃ仲悪いよ。あっても目も合わせないくらい」
と美鈴さんが言う。いや全く想像できないですよ今までの見てたら。
「言葉の前に拳が飛ぶレベルだね」
果たしてそれが本当なのかどうか。いやさすがに私もここまでくるとこれが嘘なのだろうとは察するくらいには慣れていた。決して親しんではいないけどな!
「宇佐見さんはどう? ちゃんと青春を謳歌してる?」
輝夜さんの問い掛けに、私は思わず戸惑ってしまう。
「え、ええ…まぁ」
嘘ではない。私は夢を叶えて、深秘を暴き、多少の変革を経てなお、我が道を万進している。現実世界の件で少し迷ったが、しかしこれを青春の謳歌と言わずになんと言おう。
いや。
決して脱衣麻雀をして下着姿にされたり、お酒の席に付き合わされたりするのが青春であると言っているわけではない。これは例外だ。例外中の例外だ。封印するレベルの例外だ。
「幻想郷は楽しい?」
今度は紫さんにそう聞かれて、私は一瞬息を呑み込んでしまう。
それは。
その言葉だけは何故か、詰問されているみたいな苦しさ、威圧感、窮屈さ、みたいなものがあった。
プレッシャーが掛かり、私の中で先ほどの紫さんの言葉がロールバックしてくる。幻想郷の管理者――確かこの人は、そんなことを言っていた気がする。
幻想郷という世界を支える人なのか。そう考えると、途端に彼女に対するあなどりのような感覚が瓦解する。妖怪の恐ろしさを思い出す。
「は、はい……!」
思わず声が上擦ってしまう。
「脅すな」
美鈴さんが酒を呷り、持っていた御猪口を投げつけて、紫さんがそれを受け取った。私を縛るように纏わりついていた苦しさが霧散する。そして、紫さんは苦笑する。
「ごめんなさい。これでも私は、貴女の後始末をしたからね。ちょっとその、仕返しみたいな」
「後、始末……?」
「まぁ、本当に些細なものだけどね」
「それで、どうなの? 宇佐見さん、幻想郷は」
緊張した私を包み込むように、輝夜さんが言葉をかけてくれる。不思議と緊張が解けていった。
「た、楽しいです……紫さんの、おかげで」
「あーあー、怯えちゃってるじゃないですか。ひどーいスキマ妖怪こわーい」
美鈴さんが茶化すように責める。紫さんは子供っぽくつーんとそっぽを向いた。もう、感じていた恐ろしさはどこにも感じない。
「ゆかりんは悪くありませーん」
「宇佐見さん、気にしなくていいのよ。この幻想郷じゃ誰だって誰かに迷惑をかけて、それを勝手に尻ぬぐいする人がいて、それを気にする奴なんていないんだから」
輝夜さんは朗らかに笑っているが、私は言葉が出なかった。気にしないという方が無理だった。私の日常、私の行動が、誰かによって支えられているのだとしたら、それを無視できるほど私は悪党じゃない。
「い、いえ! 本当に、楽しいです。だから、ありがとうございます」
私は頭を下げた。それしかできない自分に若干の悔しさを残しつつ、精いっぱいの感謝の意を表明する。自然とそうしてしまえるほど、幻想郷は楽しいのだ。離れたくないし、失いたくない。私は真剣にそう思っている。
頭を上げると、三人は面食らっていた。驚きつつも、感心するように、美鈴さんが小さく拍手してくれた。訳が分からず私は顔を赤くさせる。
「素直~。なんか感動しちゃった」
そうなのだろうか。私には分からない。
紫さんは言った。
「分かってくれて嬉しいわ。でもだからって、何をやってもいいというわけではありませんわよ」
忠告なのだろうか。肝に銘じようとしたところで、私の肩を美鈴さんがパタパタ軽く叩いて笑いかけてくる。
「ヘーキヘーキ! よっぽどの事はこのスキマさんがカバーしてくれるからねー」
「ゆかりん便利屋じゃないんですけど! あんまり困らせるようだとズバッとしちゃうんですけど!」
「ずばっとねぇ……あ、そうだ」
輝夜さんは何かを思い出しように呟いて、懐から何かを取りだした。それは、白い布だった。
「これ、少し遅いけどお年玉よ。宇佐見さんはまだ学生だし、貰える権利はあるわよね?」
広げて見ると、それは女物のパンツだった。
「なんで!?」
こ、これはひょっとして、か、輝夜さんの……!?
「あーいいなー。私も欲しいなぁ輝夜さんのパンツー」
「残念だけどこれ妹紅のなの」
なんでだよ!
「なんで妹紅さんのパンツをお年玉にしてるんですか!」
「面白いかなって」
「面白くありません!」
「あ、私もお年玉あったんだった」
美鈴さんが懐から細長くて白く纏まった布を取りだした。それは包帯のように思えた。もう、なんとなく予想が出来る。
「こ、これは……」
「うん。妹紅のさらし」
「だからなんでだよ!」
なんでこの人たち妹紅さんの肌着を気軽に人に渡してくるんだよ! 妹紅さんが何をしたっていうんだよ! これ本物だったら妹紅さん下着盗まれまくってるじゃないですか!
「いやぁ輝夜さんに売ろうと思ってたんですけど、まぁちょうど良いと思って」
「さらしの価格は低いわよ」
「輝夜さん顧客!?」
あれですか? ブルセラ業ですか? 輝夜さんマジでブルセラ(買う方)やってたんですか! かぐや姫のイメージが崩れるので止めて欲しいんですけど!?
「ちなみにいくらですか?」
「三〇万」
「意外と高いっ!?」
聞きたくない聞きたくない! 御伽噺として愛されるかぐや姫が、今は女の子の下着を買ってるなんて話はどの世界にも出しちゃいけない醜聞だ。私は彼女たちの話を聞くだけで穢されていく気分だった。
「いや、というか美鈴さん、さっきは妹紅さんに何か売りつけようとしてませんでしたか? 商売相手の敵も商売相手って、ちょっとそれは酷いんじゃ……」
「私なんてこすいもんよ! 輝夜さんのとこにはもっとがめつい小動物がいるし、妖怪の山の河童とか、化け狸の大将とか、あの博麗の巫女だって、隙あらば金儲けを始めようとするよ?」
河城にとりさんと、二ツ岩マミゾウさんに、博麗霊夢さん――それぞれ知り合いだ。色々とお世話になっているけれど、しかしそこで霊夢さんが出るのは意外だった。それに小動物までもが商売をするとは、幻想郷はカオス過ぎるんじゃないか。
「とにかく夢の世界で貰っても持って帰れませんし、そもそも私は女ですから!」
いや、別に男物の下着を貰っても嬉しいわけではないが、とにかく私は受け取った妹紅さんの下着を二人にお返しした。
「そっかー持って帰れないのかぁ。残念だね」
「残念じゃないです!」
美鈴さんは私をどう思っているのだ。いやきっと故意に変なキャラ付けをするつもりなんだ。負けるもんか。
「幻想郷なんて、こんなものなのよ」
輝夜さんが妹紅さんのパンツを袖に仕舞って言った。おそらく、私を安堵させるためだろう。だけど、まるで意味が分からない。
「えっと、いやすみません、どういうことですか?」
下着の話から突然飛び過ぎて理解が追いつかない。幻想郷が妹紅さんのパンツってことだろうか。ますます分からないけど。
「みんな好き勝手やってるのよ。貶す。馬鹿にする。嘲笑う――幻想郷じゃそういうことは日常茶飯事で、昨日の敵が今日には仲間になってたり、数時間後には敵にまわってたりする。どいつもこいつも気ままで忘れっぽいから、遺恨なんか全然残らない。だから怒られたら、新しい自分に着替えればいいの。衣服も、下着も、汚れたら変えるでしょう? そういう感じで汚れたら付け替えればいいの。ね?」
要は、気にするなということだろうか。時間の感覚が合って、無いような物ということは、つまりそういうことなのだろうか。誰も彼も、汚れていない。怒られても忘れている。新しく改めているから。だから私にも、怒られたら改めて、新しい自分になれということか。
私は何となくそんな解釈をした。そして何となく感銘を受けていた。きっと輝夜さんは下にジャージを着ているのだろうけど。
「いや全然喩えられてないじゃない。宇佐見さんも何感心してるのよ」
紫さんが呆れて突っ込むと、輝夜さんはぶぅと不満げに頬を膨らませた。
「ちょっとゆかりん水差さないでくれる~? 私が良いこと言ったらほめそやすのが貴女の役目でしょ~?」
「ゆかりんそんな役目は受け持ってません~」
「それより何か遊ばない?」
お酒が効いてきたようで、顔を若干赤らめている美鈴さんが笑いながら言った。私はすかさず美鈴さんを牽制する。
「また脱がせる気ですか美鈴さんいい加減にしてください!」
貴女の魂胆は丸とするっとお見通しだ! その朗らかな笑みの下にげすい魂胆があるんでしょう!
「え~いいじゃんいいじゃん~」
「短歌でも詠む? 評価し合って、一番下手だった人が脱ぐとか」
「おぉ、風流ですね!」
「そういえば、外界じゃお酒の席だと、歌に合わせて連想ゲームみたいな遊びをするんですのよ」
「へぇ~面白そう!」
「なんで三人とも乗り気なんですか! こんな寒い部屋で裸になるなんて拷問ですよ!」
「お酒飲んだから温かいのよ~はぁあっつ」
「宇佐見さん拷問嫌いなの?」
「好きな人なんていないでしょう!」
カオスだった。皆好き勝手に発言して、話題がころころ流れていく。いちいち拾うのも大変だが、ちょっと楽しくなってきている自分がいた。私と彼女たちの間にあった距離は、この時間で確かに縮まりつつあったのだろう。
結局その後は何のゲームはせず、他愛ないお喋りや笑いが続いた。
「おや、もう出来上がっちゃってる?」
がららと扉を開けて、ドレミーさんが帰ってくる。名残惜しいが、もう愉快な時間も終わりのようだった。
「おかえり~」
「いつの間に酒盛りを……まぁいいけど。菫子ちゃんごめんね、酔っ払いの相手させちゃって」
「いえ、私も、楽しかったですから」
ちょっと恥ずかしいが、私は言った。
「そう。良い夢を見れましたか」
下着とか色々酷かったけど、思い返せば楽しい時間だった。幻想郷という深秘の場所の、これも一端なのだろう。結局夢は夢、夢はプラスといったのは私だ。悪くはない。こういう時間も、たまにはね。
そういう思いで私は頷いた。
「じゃ、そろそろお休みなさい、かな?」
変な表現だがそうなのだろう。かなりの時間を過ごしていたし、これ以上幻想郷であれこれ出来るほどの時間が残っているとも思えない。
「えーもう帰っちゃうの~?」
輝夜さんが残念がってくれた。嬉しいが仕方の無いことで、私は苦笑する。
「ばいばーい宇佐見さん」と美鈴さん。
「楽しかったですわ」と紫さん。
「またね、宇佐見さん」と輝夜さん。
「みなさん今日はありがとうございました。お先に失礼します」
四人に別れを告げて、その家の扉から外に出た。外には星が瞬く大宇宙が広がっていて、私はその真空を飛んだ。やがて眠気が襲ってくる。それに逆らわず、私は宇宙の中で眠りについた。
私は目覚ましの音を聞く――。
気だるげな手でそれを止めて、重い瞼を擦って、私は目を覚ます。酷い夢だったが、結果としては貴重な思い出になった。
「ん?」
枕元に何か白い布が置かれている。広げて見るとそれは女性物の下着だった。ていうか輝夜さんに返したはずの妹紅さんのパンツだった。
「なんでだよ……」
寝起き故、力のない突っ込みである。これは吉兆か、はたまた凶兆か。
そういえば、深秘大戦の異変の時、妹紅さんにESPカードを拾ってもらっていたことを思い出した。今度は私が返す番ということだろうか。
それにしたって下着は酷い。それに、夢の世界から持ち帰ったものをまた現実世界から物を持って行けるのだろうか?
とりあえず次に幻想郷に行った時は妹紅さんに会おう。下着とか色々、話を聞いてみよう。私の中でそんな目標が出来ていた。
目標というか、夢というべきか。
まぁ結局のところ、私はどんなことが起きても、まだまだ幻想郷に夢中なのであった。
その日の夜。
「菫子ちゃん、ちんちろりんって知ってる?」
夢の中で、ドレミーさんが私にそう聞いてきた。後ろでは昨日の三人に加えて赤髪の女性が増えている。話を聞くにその人は死神で、今は昼寝中であるという。
私はまた身ぐるみを剥がされた。
幻想郷ってやっぱり怖い。
おわり
姫様が可愛かったので満足
少女たちが好き勝手やってる感じが面白かったです
ドレミーもウハウハですわ