「ぎゃ――ッ! 痛い! 熱い! 滲みる! 溶ける! 灰になる! ギャァァ! でも、この痛みがぁ、イイッ!」
新年元旦初日の出。レミリアはそう叫んで羽を失った。
「初日の出、悪魔も見たがる、ありがたさ、羽失えど、悔いは残らず――」
「事実だけしか残りませんね。技法もへったくれもない。お加減はどうですか?」
レミリア・スカーレットの寝室にて。ベッドに横たわり漫画を読み耽る己が主を、十六夜咲夜は溜息交じりに看病している。今も庭にて行われた《祝・謹賀新年! 憎いアイツへ恨みを込めて、ついてついてつきまくれ餅つき大会》で妖精たちによって作られた雑煮を運んできた。雑煮は鳥、牛蒡、白菜を具に、カツオ出汁、醤油で味付けをした物。ベッドの傍までやってきた咲夜がぱかりと椀を開くと、牛蒡と醤油の強く、けれど朗らかな香りが鼻孔をくすぐりレミリアは思わず頬を緩めて笑った。微かに香る鳥肉の旨みは空いた腹に染み渡るようだ。
「美味しそうね。失った後悔も吹っ飛ぶくらい」
「やっぱり後悔してるんじゃないですか、もう」
数時間前に初日の出を目一杯(全身が火傷するレベルで)浴びてぶっ倒れたレミリア・スカーレット。二時間ほどでその火傷も完治しいつものすべすべぷにぷにスキンを取り戻した彼女であるが、何故か羽だけは元に戻らないでいた。初日の出が想像以上に有難い物で、それが彼女の回復を妨げているのだろうとは魔女の言だが、はてさて実際は如何な物か。
「お熱いのでお気をつけください」
「吸血鬼は体温低いから平気なのよ」
「それはまた羨ましいことで」
けれど汁を啜った瞬間「あつ、あつ!」と慌てる吸血鬼のなんと間抜けなことだろう。まぁそこが可愛らしいのだが、と咲夜は内心で苦笑する。
「つゆはいい塩梅ね……さぁ、今年の餅のつき具合はどうかしら、はぐ」
大きく餅を齧り、うんうんと満足げに頷くレミリア。良い粘り、良い舌触り、良い香り。文句はない。存分に口内で味わい、それを喉へと運ぶ。
「んぐっ!?」
詰まった。
「んぐ、んぐぐ!?」
「あーあーあー、大丈夫ですかお嬢様」
危く餅に殺されかける吸血鬼、レミリア・スカーレットである。
かん、と木を打つ小気味良い音が響く。黒い羽付き玉が宙を舞う。
「お姉様の思い付きも困ったもんだねー」
中庭の館が作る日陰にて、赤い振袖姿の吸血鬼、フランドール・スカーレットが緑の振袖に着飾った門番、紅美鈴と羽根突きをして遊んでいた。彼女たちの他にも幾人かの妖精メイドやホブゴブリン達たちが、かん、かん、かんとのんびりとしたリズムで打ち合っていた。日々あくせく働く彼女たちも、この日は色々な遊びを楽しんでいる。
「まさか今年の目標に日光の完全克服を掲げてチャレンジするとは、我が姉ながらアホさ加減も天井知らずだよ」
「そこがあのお方の愛らしく素晴らしい所であると私は思いますよ」
かん、かん、かん。羽根突きは同じ鼓動で続く。
「美鈴はお姉様に甘すぎ。誰かがもっとがっつり言ってやらなくちゃ、直る物も直らないでしょうに」
「お嬢様の場合、言っても直らなかったので、もう諦めちゃいました」
「死ぬまで諦めないのが貴女の美徳でしょうに」
「そうですか? そう言われたのは初めてです」
かん、かん、かん。
「大体貴女たちは皆お姉様に甘過ぎるのよ。甘やかしすぎてるのよ。誰かがストップをかけなくちゃ、いずれお姉様も爆発させちゃうわよ」
「こわいこわい。ではそうなる前に、妹様がお嬢様を制してください」
「言っても直らなかったから、諦めちゃったわ」
かん、こん、かん。
「言っても直らないんだから、一度爆発を見れば良いんだわ」
「そこは馬鹿にしてください」
「やーい美鈴のアホー」
「そうじゃなーくーてー」
かん、かん、かん、かしゅっ、「うにゃっ!?」ぽと。
「あー! あーあー! いきなりスマッシュなんて卑怯じゃない!?」
「ふふふ、卑怯結構。それに今のは普段の妹様であれば反応できる物でしたでしょう。正月で気が緩みましたな」
「くそぅ。確かにちょっと緩んでたけどさぁ……」
「では罰ゲーム」
美鈴はフランドールへと歩み寄った。観念したフランドールは「ん」と顔を差し出す。彼女の頬へ、美鈴は優しい口づけを送る。これぞ紅魔館流の羽根突きである。もちろん嘘である。
「あー! おい美鈴! 何私の妹にちゅぅしてるんだふざけるな!」
館の二階から飛び出してきたレミリア・スカーレットが上手く飛べずに地上へ落下する。そこへ「あーあーあー」と呆れ気味に咲夜が飛んでいく。美鈴とフランドールも「あーあーあー」と呆れていた。
「あ、妹様、これお年玉です。どうぞ」
「わーいありがとう美鈴」
耳聡い吸血鬼はその言葉を聞き逃さない。
「美鈴私のお年玉は!?」
「あーりますよーぅ」
フランドールと美鈴は彼女たちの元へ急いだ。
どんなに瀕死でもお年玉は決して逃さない吸血鬼、レミリア・スカーレットである。
紅魔館には客人たちのための娯楽室がいくつか存在する。チェステーブルから始まり、ビリヤード、ダーツ、ルーレットや麻雀卓、丁半をするための畳なども揃えている。その一つにカードゲームを楽しむための小さな部屋があった。内装は、窓の無い温かな光のランプだけが頼りの暗く狭いバーとなっている。そんな部屋にレミリア、フラン、パチュリー、小悪魔の四人は丸い木製テーブルを囲みポーカーをしていた。簡単なドローポーカーだ。
「ねぇ、なんでかるたじゃなくてポーカーなの?」
「その方が私たちらしいと思って」
「風情がないわねぇ。コール」
魔女がチップを置く。小悪魔も続けてコール。別に金銭を掛けているわけではない。点数としてのチップである。
「やるのは良いんですけど、四人だと少し寂しいですね」
「しょうがないじゃない。咲夜も美鈴も餅つき大会の後片付けに行っちゃったんだしさ」
フランドールがコールし、ショットグラスに入ったウォッカを呷る。そういう仕草が妙に様になるなぁと小悪魔は見惚れていた。
レミリアは対象的に子供っぽく、どこか不満げに頬を膨らませてレイズする。
「あの二人とやる時は注意が必要よ」
「え、何でですか?」
「イカサマするから」
意外である。小悪魔は「え?」と驚いてしまったが、他の二人が「あー……」と心当たりがある節を見せたのでさらに驚いてしまった。
「そうなんですか? むしろ立ち場で考えれば全くやらなそうなお二人なのに」
「元々美鈴がやるのよ、あいつ。へらへら笑って世間話しながら平然とセカンドディールとかするからね。しかも妙に上手い。それを咲夜が真似して、あっという間に美鈴より上手くなったの。だから咲夜は時止めをさせないでも強いのよ」
姉の言葉に妹も同調するように頷いた。
「まぁ、二人ともちゃんと勝負するように言えばやってはくれるけど、美鈴は勝負がマンネリ化すると途端にふざけ始めるからね。あんまり長くやらないようにしたほうがいいよ」
「そうなんですか……」
それは上司を楽しませようとする彼女なりの配慮なのか、それとも単に性分なだけか。小悪魔には分かりかねることだったので、それ以上は追及しない。
さらに一周のコールでチップが揃い、それぞれが札をチェンジする。再びレミリアがベット。少し悩んでからパチュリーがコール。小悪魔も続く。しかしフランドールが鋭く周囲を見遣り、それからレイズした。
「あらフラン、強気ね」
「当然」
「じゃ、私もレイズ」
姉の威厳を保つための意地か、それとも役に相当の自信があるのか、レミリアの笑みは崩れない。はぁと呆れ気味の溜息を吐いて、パチュリーはコールした。小悪魔も悩んだ末にコールする。
「レイズ」
しかしここでさらにチップを釣り上げるフランドールに、他の三人が目を見開いた。彼女はかなり強気の表情を浮かべている。レミリアは姉として不敵に笑った。
「やる気ね、フラン」
「降りてもいいのよ? お姉様」
火花を散らし始める二人を、魔女は呆れて見ている。この二人はこういう他愛ない勝負事でも一度火がつけば止まらない性質だ。
「レイズ」
「パチュリー様!?」
火に油を注ぐかのような行いをする主を見て、その従僕は驚愕を禁じ得ない。
「お、パチェも乗ってきな」
「珍しー」
「もうそろそろ時間だしね……小悪魔もレイズなさい。終わらせるわよ」
「え、えぇ……」
乗り気でなくとも主の命は絶対。彼女が白を黒と言えばそれは黒。苦悶の表情を浮かべながらも「れ、レイズ」と呻くようにチップを出す。
「そう。じゃあもうコールも要らないわね。得点も関係無い。これで勝った奴が一位よ」
「はーい」
「折角だから順々に見せましょうか……誰から見せる?」
「お姉様から見せなよ。よっぽど自信たっぷりだったじゃない」
「いいけど泣くなよ?」
ショーダウン。レミリアがテーブルへと手札を広げる。Qの柄札に四枚で、つまりクイーンのフォーカード。なるほど彼女の自信も頷けるほどの強いハンド(役)だ。
「ふふん、さすがにこれは私の勝ちでしょう」
「強すぎますよぅ……」
「小悪魔負け?」
「はい……」
負けを認めて小悪魔も札を広げる。スート(柄)はバラだが4、5、6、7、8で連続するストレート。通常であればこれでも中々の手だが、あんなに自信たっぷりにレイズされたのでは心許ないハンドである。
「で、パチェは?」
「似たようなものね。それより妹様は? 余程の自信がおありのようだけど」
「ふふふ、私の勝ちだね」
フランドールが手札を広げる。そこにはAが四つ。それはQよりも強い柄。
「エース、フォーオブアカインド。私の勝ちぃ」
「何! おま、フランドールイカサマした!?」
「してないよー」
「お見事ね。あの自信も納得」
ぱちぱちぱちとパチュリーは拍手。それから札を伏せて置いて、席を立つ。
「さぁ二人とも。そろそろ時間よ、遊びは終わり」
「くっそー、勝ったと思ったんだけどねぇ」
「私の方が一枚上手だったね」
「小悪魔、片付けしておいてね」
「分かりましたぁ」
小悪魔はテーブルに乗ったチップや札を集めていく。そういえば結局、パチュリーのハンドは見ていなかった。そっとそれを覗いてみる。
「――!?」
小悪魔は驚き過ぎて今出て行こうとする己が主を見た。それを察してパチュリーも小悪魔を見遣り、それからふっと微笑んで人差し指を自身の唇に添えた。言わなくていいということだ。
ハートの柄に5、6、7、8、9。ストレート・フラッシュ。
親友たちには勝ちを誇らない魔女、パチュリー・ノーレッジである。
日が沈む頃には一通りの準備が済み、紅魔館では新年会が開かれる。妖精メイド、ホブゴブリンなどの従業員はパーティ形式でそれを楽しんでいた。シフトも組み終わっており、紅魔館が辛うじて自立できるくらいにはなっている。日の光が無くなり月が覗く夜、レミリア、フランドール、パチュリー、咲夜、美鈴たちは振袖姿で館を出た。上手く飛ぶことが出来ないレミリアは、結果咲夜に抱えられて移動する。
「うーさむ。風が傷に染みるわぁ」
「大丈夫ですかお嬢様。 やはり明日でも良かったのでは……」
「初詣は初日に行くのが習わしなんでしょう? なら今日行かないでいつ行くのよ」
「初日の出の前で良かったんじゃないの?」
「年越しは館でするって決めてたでしょフラン」
見知った面々で卓を囲み、年越し蕎麦を啜る。レミリアはその経験を思い出して満足げに頷く。彼女の望みは順々に叶っていた。
「それに、あんまり早く行っちゃ霊夢も起きてないでしょうから」
最後に目指すは博麗神社。幻想郷の調停者、博麗霊夢に殴り込みをかけに行くのである。新年早々のご挨拶という奴だ。紅魔館、レミリア・スカーレット流の挨拶。霊夢がどんな反応をするかと期待に胸を膨らませて、レミリアは「わはは」と高笑いした。
やりたいことは全部やる吸血鬼、レミリア・スカーレットである。
とまぁそんな意気込みはあったものの。
いざ着いてみればなんてことはない。博麗神社では人妖様々な輩が酒を盛ってがやがやと騒いでいた。
「よーレミリアたち遅かったじゃんかー」
一升瓶を片手に、顔を赤らめた目敏い霧雨魔理沙がレミリアたちを見つけてやってくる。しかしレミリアたちは、そんないつも通りな神社の様相に呆れ返っていた。凍てつく寒さを酒で忘れている連中に苦笑いが浮かんでくる。
「ワインが足りないんだよなーワインがさー。んなははは!」
「完全に出来あがってるわね……魔理沙、貴女いつから飲んでるのよ」
「いつだって飲んでるよぅ! 知ってるか咲夜! 私は年中無休だ!」
「意味分かんないわ」
レミリアは、俯いて身体を震わせる。出鼻を挫かれて憤っているのかと思ったが、しかしそうではなく、「ぷっ」と吹き出して、盛大に高笑いした。
「あっはははははは!」
それから魔理沙の持っていた一升瓶をひったくって一気に呷った。「なにしやがるっ」と憤慨する魔理沙だったが、レミリアのあまりに見事な飲みっぷりに言葉を失った。「ぷはぁっ」と飲み終えるレミリアの顔に、すぐさま朱が差した。一升瓶を投げ捨てて、彼女は獰猛な目つきで周囲へ叫ぶ。
「お前らはホント変わらないな! いつもいつも、飲んで騒いで歌って、この馬鹿どもがっ!」
それから彼女は跳躍する。一人、宙に浮いて、月を背にして。
「博麗霊夢ゥゥゥッ!」
その名を呼べば、辺りはしぃんと静まりかえる。そしてこれまで良く見た紅白衣装の巫女が、空を飛ぶ吸血鬼を睨みながら見上げ、視線が混じる。今日は既に顔も赤くなっている。それでもなお、妖怪へ向ける目の鋭さと強さは変わらない。
「あー?」
「偉大なる吸血鬼レミリア・スカーレット様が新年の挨拶に来てやったわよ! 上がってきな! お年玉をくれてやる!」
「なぁにが偉大なる吸血鬼よ、苦い物も喰えない癖に……」
おぉ、なんだなんだと周囲も事の運びに興味を示しだす。フランドール達も空いているスペースを陣取って、レミリアの雄姿を観戦する。
「ふん。不味いものを不味いと言って何が悪い。苦みを忘れるのは老いの証拠だよ」
レミリアは霊夢へ、白い札のような物を投げる。霊夢が受け取ると、ちりりと硬質な音がした。中には見事に美しく光る金貨が数枚入っている。
「あら綺麗」
「お年玉兼賽銭ね。取っておきなさい」
「ふぅん。まぁ良いでしょう」
霊夢も、言わずとも分かっていた。だから御幣と陰陽玉を取りだす。やる気は十分のようだ。レミリアは言葉が無くとも彼女と通じ合えた事実に高揚し、また笑う。
「く、くくく、くっははは」
悶えるように自分の身体を抱いて、笑う。笑う。笑う。
「はっはははは!」
哄笑する。勢いよく手を広げると、それと同時に漆黒の翼が大きく広がった。失っていた翼が今戻ったのだ。それは世界を手にするような威圧感を見る者に与えただろう。彼女こそ、幻想郷に波紋を起こし爪痕を残した恐ろしき吸血鬼であることを、それは思い出させただろう。それこそが彼女の力の証であるといわんばかりに、翼は大きく広がりを見せる。
「この運命を操る吸血鬼レミリア・スカーレットが、幻想郷の調停者博麗霊夢に決闘を申し込む! 寛大な私が代表者の一番槍を務めてやる! 覚悟しな!」
「上等! 酒が入ったところで負ける私じゃない! 新年一発目、降り積もった雪をアンタの血でおめでたな紅白色にしてやろうじゃないの!」
幻想郷、新しい年の夜空に弾幕の花が咲く。それを肴に酒を飲んで、酔った阿呆どもが歌って騒いで囃し立てる。結局いつも通りの宴会で、それがやっぱりここらしい。
そんな幻想郷で、やりたいことは何が何でもやり遂げる。
それが、レミリア・スカーレットという吸血鬼であった。
おわり
新年元旦初日の出。レミリアはそう叫んで羽を失った。
「初日の出、悪魔も見たがる、ありがたさ、羽失えど、悔いは残らず――」
「事実だけしか残りませんね。技法もへったくれもない。お加減はどうですか?」
レミリア・スカーレットの寝室にて。ベッドに横たわり漫画を読み耽る己が主を、十六夜咲夜は溜息交じりに看病している。今も庭にて行われた《祝・謹賀新年! 憎いアイツへ恨みを込めて、ついてついてつきまくれ餅つき大会》で妖精たちによって作られた雑煮を運んできた。雑煮は鳥、牛蒡、白菜を具に、カツオ出汁、醤油で味付けをした物。ベッドの傍までやってきた咲夜がぱかりと椀を開くと、牛蒡と醤油の強く、けれど朗らかな香りが鼻孔をくすぐりレミリアは思わず頬を緩めて笑った。微かに香る鳥肉の旨みは空いた腹に染み渡るようだ。
「美味しそうね。失った後悔も吹っ飛ぶくらい」
「やっぱり後悔してるんじゃないですか、もう」
数時間前に初日の出を目一杯(全身が火傷するレベルで)浴びてぶっ倒れたレミリア・スカーレット。二時間ほどでその火傷も完治しいつものすべすべぷにぷにスキンを取り戻した彼女であるが、何故か羽だけは元に戻らないでいた。初日の出が想像以上に有難い物で、それが彼女の回復を妨げているのだろうとは魔女の言だが、はてさて実際は如何な物か。
「お熱いのでお気をつけください」
「吸血鬼は体温低いから平気なのよ」
「それはまた羨ましいことで」
けれど汁を啜った瞬間「あつ、あつ!」と慌てる吸血鬼のなんと間抜けなことだろう。まぁそこが可愛らしいのだが、と咲夜は内心で苦笑する。
「つゆはいい塩梅ね……さぁ、今年の餅のつき具合はどうかしら、はぐ」
大きく餅を齧り、うんうんと満足げに頷くレミリア。良い粘り、良い舌触り、良い香り。文句はない。存分に口内で味わい、それを喉へと運ぶ。
「んぐっ!?」
詰まった。
「んぐ、んぐぐ!?」
「あーあーあー、大丈夫ですかお嬢様」
危く餅に殺されかける吸血鬼、レミリア・スカーレットである。
かん、と木を打つ小気味良い音が響く。黒い羽付き玉が宙を舞う。
「お姉様の思い付きも困ったもんだねー」
中庭の館が作る日陰にて、赤い振袖姿の吸血鬼、フランドール・スカーレットが緑の振袖に着飾った門番、紅美鈴と羽根突きをして遊んでいた。彼女たちの他にも幾人かの妖精メイドやホブゴブリン達たちが、かん、かん、かんとのんびりとしたリズムで打ち合っていた。日々あくせく働く彼女たちも、この日は色々な遊びを楽しんでいる。
「まさか今年の目標に日光の完全克服を掲げてチャレンジするとは、我が姉ながらアホさ加減も天井知らずだよ」
「そこがあのお方の愛らしく素晴らしい所であると私は思いますよ」
かん、かん、かん。羽根突きは同じ鼓動で続く。
「美鈴はお姉様に甘すぎ。誰かがもっとがっつり言ってやらなくちゃ、直る物も直らないでしょうに」
「お嬢様の場合、言っても直らなかったので、もう諦めちゃいました」
「死ぬまで諦めないのが貴女の美徳でしょうに」
「そうですか? そう言われたのは初めてです」
かん、かん、かん。
「大体貴女たちは皆お姉様に甘過ぎるのよ。甘やかしすぎてるのよ。誰かがストップをかけなくちゃ、いずれお姉様も爆発させちゃうわよ」
「こわいこわい。ではそうなる前に、妹様がお嬢様を制してください」
「言っても直らなかったから、諦めちゃったわ」
かん、こん、かん。
「言っても直らないんだから、一度爆発を見れば良いんだわ」
「そこは馬鹿にしてください」
「やーい美鈴のアホー」
「そうじゃなーくーてー」
かん、かん、かん、かしゅっ、「うにゃっ!?」ぽと。
「あー! あーあー! いきなりスマッシュなんて卑怯じゃない!?」
「ふふふ、卑怯結構。それに今のは普段の妹様であれば反応できる物でしたでしょう。正月で気が緩みましたな」
「くそぅ。確かにちょっと緩んでたけどさぁ……」
「では罰ゲーム」
美鈴はフランドールへと歩み寄った。観念したフランドールは「ん」と顔を差し出す。彼女の頬へ、美鈴は優しい口づけを送る。これぞ紅魔館流の羽根突きである。もちろん嘘である。
「あー! おい美鈴! 何私の妹にちゅぅしてるんだふざけるな!」
館の二階から飛び出してきたレミリア・スカーレットが上手く飛べずに地上へ落下する。そこへ「あーあーあー」と呆れ気味に咲夜が飛んでいく。美鈴とフランドールも「あーあーあー」と呆れていた。
「あ、妹様、これお年玉です。どうぞ」
「わーいありがとう美鈴」
耳聡い吸血鬼はその言葉を聞き逃さない。
「美鈴私のお年玉は!?」
「あーりますよーぅ」
フランドールと美鈴は彼女たちの元へ急いだ。
どんなに瀕死でもお年玉は決して逃さない吸血鬼、レミリア・スカーレットである。
紅魔館には客人たちのための娯楽室がいくつか存在する。チェステーブルから始まり、ビリヤード、ダーツ、ルーレットや麻雀卓、丁半をするための畳なども揃えている。その一つにカードゲームを楽しむための小さな部屋があった。内装は、窓の無い温かな光のランプだけが頼りの暗く狭いバーとなっている。そんな部屋にレミリア、フラン、パチュリー、小悪魔の四人は丸い木製テーブルを囲みポーカーをしていた。簡単なドローポーカーだ。
「ねぇ、なんでかるたじゃなくてポーカーなの?」
「その方が私たちらしいと思って」
「風情がないわねぇ。コール」
魔女がチップを置く。小悪魔も続けてコール。別に金銭を掛けているわけではない。点数としてのチップである。
「やるのは良いんですけど、四人だと少し寂しいですね」
「しょうがないじゃない。咲夜も美鈴も餅つき大会の後片付けに行っちゃったんだしさ」
フランドールがコールし、ショットグラスに入ったウォッカを呷る。そういう仕草が妙に様になるなぁと小悪魔は見惚れていた。
レミリアは対象的に子供っぽく、どこか不満げに頬を膨らませてレイズする。
「あの二人とやる時は注意が必要よ」
「え、何でですか?」
「イカサマするから」
意外である。小悪魔は「え?」と驚いてしまったが、他の二人が「あー……」と心当たりがある節を見せたのでさらに驚いてしまった。
「そうなんですか? むしろ立ち場で考えれば全くやらなそうなお二人なのに」
「元々美鈴がやるのよ、あいつ。へらへら笑って世間話しながら平然とセカンドディールとかするからね。しかも妙に上手い。それを咲夜が真似して、あっという間に美鈴より上手くなったの。だから咲夜は時止めをさせないでも強いのよ」
姉の言葉に妹も同調するように頷いた。
「まぁ、二人ともちゃんと勝負するように言えばやってはくれるけど、美鈴は勝負がマンネリ化すると途端にふざけ始めるからね。あんまり長くやらないようにしたほうがいいよ」
「そうなんですか……」
それは上司を楽しませようとする彼女なりの配慮なのか、それとも単に性分なだけか。小悪魔には分かりかねることだったので、それ以上は追及しない。
さらに一周のコールでチップが揃い、それぞれが札をチェンジする。再びレミリアがベット。少し悩んでからパチュリーがコール。小悪魔も続く。しかしフランドールが鋭く周囲を見遣り、それからレイズした。
「あらフラン、強気ね」
「当然」
「じゃ、私もレイズ」
姉の威厳を保つための意地か、それとも役に相当の自信があるのか、レミリアの笑みは崩れない。はぁと呆れ気味の溜息を吐いて、パチュリーはコールした。小悪魔も悩んだ末にコールする。
「レイズ」
しかしここでさらにチップを釣り上げるフランドールに、他の三人が目を見開いた。彼女はかなり強気の表情を浮かべている。レミリアは姉として不敵に笑った。
「やる気ね、フラン」
「降りてもいいのよ? お姉様」
火花を散らし始める二人を、魔女は呆れて見ている。この二人はこういう他愛ない勝負事でも一度火がつけば止まらない性質だ。
「レイズ」
「パチュリー様!?」
火に油を注ぐかのような行いをする主を見て、その従僕は驚愕を禁じ得ない。
「お、パチェも乗ってきな」
「珍しー」
「もうそろそろ時間だしね……小悪魔もレイズなさい。終わらせるわよ」
「え、えぇ……」
乗り気でなくとも主の命は絶対。彼女が白を黒と言えばそれは黒。苦悶の表情を浮かべながらも「れ、レイズ」と呻くようにチップを出す。
「そう。じゃあもうコールも要らないわね。得点も関係無い。これで勝った奴が一位よ」
「はーい」
「折角だから順々に見せましょうか……誰から見せる?」
「お姉様から見せなよ。よっぽど自信たっぷりだったじゃない」
「いいけど泣くなよ?」
ショーダウン。レミリアがテーブルへと手札を広げる。Qの柄札に四枚で、つまりクイーンのフォーカード。なるほど彼女の自信も頷けるほどの強いハンド(役)だ。
「ふふん、さすがにこれは私の勝ちでしょう」
「強すぎますよぅ……」
「小悪魔負け?」
「はい……」
負けを認めて小悪魔も札を広げる。スート(柄)はバラだが4、5、6、7、8で連続するストレート。通常であればこれでも中々の手だが、あんなに自信たっぷりにレイズされたのでは心許ないハンドである。
「で、パチェは?」
「似たようなものね。それより妹様は? 余程の自信がおありのようだけど」
「ふふふ、私の勝ちだね」
フランドールが手札を広げる。そこにはAが四つ。それはQよりも強い柄。
「エース、フォーオブアカインド。私の勝ちぃ」
「何! おま、フランドールイカサマした!?」
「してないよー」
「お見事ね。あの自信も納得」
ぱちぱちぱちとパチュリーは拍手。それから札を伏せて置いて、席を立つ。
「さぁ二人とも。そろそろ時間よ、遊びは終わり」
「くっそー、勝ったと思ったんだけどねぇ」
「私の方が一枚上手だったね」
「小悪魔、片付けしておいてね」
「分かりましたぁ」
小悪魔はテーブルに乗ったチップや札を集めていく。そういえば結局、パチュリーのハンドは見ていなかった。そっとそれを覗いてみる。
「――!?」
小悪魔は驚き過ぎて今出て行こうとする己が主を見た。それを察してパチュリーも小悪魔を見遣り、それからふっと微笑んで人差し指を自身の唇に添えた。言わなくていいということだ。
ハートの柄に5、6、7、8、9。ストレート・フラッシュ。
親友たちには勝ちを誇らない魔女、パチュリー・ノーレッジである。
日が沈む頃には一通りの準備が済み、紅魔館では新年会が開かれる。妖精メイド、ホブゴブリンなどの従業員はパーティ形式でそれを楽しんでいた。シフトも組み終わっており、紅魔館が辛うじて自立できるくらいにはなっている。日の光が無くなり月が覗く夜、レミリア、フランドール、パチュリー、咲夜、美鈴たちは振袖姿で館を出た。上手く飛ぶことが出来ないレミリアは、結果咲夜に抱えられて移動する。
「うーさむ。風が傷に染みるわぁ」
「大丈夫ですかお嬢様。 やはり明日でも良かったのでは……」
「初詣は初日に行くのが習わしなんでしょう? なら今日行かないでいつ行くのよ」
「初日の出の前で良かったんじゃないの?」
「年越しは館でするって決めてたでしょフラン」
見知った面々で卓を囲み、年越し蕎麦を啜る。レミリアはその経験を思い出して満足げに頷く。彼女の望みは順々に叶っていた。
「それに、あんまり早く行っちゃ霊夢も起きてないでしょうから」
最後に目指すは博麗神社。幻想郷の調停者、博麗霊夢に殴り込みをかけに行くのである。新年早々のご挨拶という奴だ。紅魔館、レミリア・スカーレット流の挨拶。霊夢がどんな反応をするかと期待に胸を膨らませて、レミリアは「わはは」と高笑いした。
やりたいことは全部やる吸血鬼、レミリア・スカーレットである。
とまぁそんな意気込みはあったものの。
いざ着いてみればなんてことはない。博麗神社では人妖様々な輩が酒を盛ってがやがやと騒いでいた。
「よーレミリアたち遅かったじゃんかー」
一升瓶を片手に、顔を赤らめた目敏い霧雨魔理沙がレミリアたちを見つけてやってくる。しかしレミリアたちは、そんないつも通りな神社の様相に呆れ返っていた。凍てつく寒さを酒で忘れている連中に苦笑いが浮かんでくる。
「ワインが足りないんだよなーワインがさー。んなははは!」
「完全に出来あがってるわね……魔理沙、貴女いつから飲んでるのよ」
「いつだって飲んでるよぅ! 知ってるか咲夜! 私は年中無休だ!」
「意味分かんないわ」
レミリアは、俯いて身体を震わせる。出鼻を挫かれて憤っているのかと思ったが、しかしそうではなく、「ぷっ」と吹き出して、盛大に高笑いした。
「あっはははははは!」
それから魔理沙の持っていた一升瓶をひったくって一気に呷った。「なにしやがるっ」と憤慨する魔理沙だったが、レミリアのあまりに見事な飲みっぷりに言葉を失った。「ぷはぁっ」と飲み終えるレミリアの顔に、すぐさま朱が差した。一升瓶を投げ捨てて、彼女は獰猛な目つきで周囲へ叫ぶ。
「お前らはホント変わらないな! いつもいつも、飲んで騒いで歌って、この馬鹿どもがっ!」
それから彼女は跳躍する。一人、宙に浮いて、月を背にして。
「博麗霊夢ゥゥゥッ!」
その名を呼べば、辺りはしぃんと静まりかえる。そしてこれまで良く見た紅白衣装の巫女が、空を飛ぶ吸血鬼を睨みながら見上げ、視線が混じる。今日は既に顔も赤くなっている。それでもなお、妖怪へ向ける目の鋭さと強さは変わらない。
「あー?」
「偉大なる吸血鬼レミリア・スカーレット様が新年の挨拶に来てやったわよ! 上がってきな! お年玉をくれてやる!」
「なぁにが偉大なる吸血鬼よ、苦い物も喰えない癖に……」
おぉ、なんだなんだと周囲も事の運びに興味を示しだす。フランドール達も空いているスペースを陣取って、レミリアの雄姿を観戦する。
「ふん。不味いものを不味いと言って何が悪い。苦みを忘れるのは老いの証拠だよ」
レミリアは霊夢へ、白い札のような物を投げる。霊夢が受け取ると、ちりりと硬質な音がした。中には見事に美しく光る金貨が数枚入っている。
「あら綺麗」
「お年玉兼賽銭ね。取っておきなさい」
「ふぅん。まぁ良いでしょう」
霊夢も、言わずとも分かっていた。だから御幣と陰陽玉を取りだす。やる気は十分のようだ。レミリアは言葉が無くとも彼女と通じ合えた事実に高揚し、また笑う。
「く、くくく、くっははは」
悶えるように自分の身体を抱いて、笑う。笑う。笑う。
「はっはははは!」
哄笑する。勢いよく手を広げると、それと同時に漆黒の翼が大きく広がった。失っていた翼が今戻ったのだ。それは世界を手にするような威圧感を見る者に与えただろう。彼女こそ、幻想郷に波紋を起こし爪痕を残した恐ろしき吸血鬼であることを、それは思い出させただろう。それこそが彼女の力の証であるといわんばかりに、翼は大きく広がりを見せる。
「この運命を操る吸血鬼レミリア・スカーレットが、幻想郷の調停者博麗霊夢に決闘を申し込む! 寛大な私が代表者の一番槍を務めてやる! 覚悟しな!」
「上等! 酒が入ったところで負ける私じゃない! 新年一発目、降り積もった雪をアンタの血でおめでたな紅白色にしてやろうじゃないの!」
幻想郷、新しい年の夜空に弾幕の花が咲く。それを肴に酒を飲んで、酔った阿呆どもが歌って騒いで囃し立てる。結局いつも通りの宴会で、それがやっぱりここらしい。
そんな幻想郷で、やりたいことは何が何でもやり遂げる。
それが、レミリア・スカーレットという吸血鬼であった。
おわり
レミィは何で日光を克服しようとしたんですかねw 面白かったです!
ノリが無理してる感
思い思いにのびのびと正月を過ごすレミリアおよび紅魔館メンバーがとても生き生きしていて読んでて楽しかったです。