それほど寒くなかったある冬の日の午後、博麗霊夢はいつも通り、少ないお賽銭に不平を言いながらも、のんびり掃除をしたりお茶を飲んだりして過ごしていた。そんな彼女とおしゃべりに興じているのは東風谷早苗である。
「最近退屈なんですよ、あまり異変が無くて。もっとも平和なのが一番なのですけどもね」
と、出されたお茶を味わう早苗。
「じゃあ、神奈子さんや諏訪子さんと弾幕ごっこでもしたら」草大福をかじって霊夢が返す。
「確かに楽しくて、修行になるのですけれど……そのなんていうか、不謹慎ながら、未知の存在が現れて幻想郷に危機が迫るかも、みたいな緊張感に飢えている的な」
「分かる気がするわ」お茶をすする。
「もちろん、最後はなんだかんだで誰もいなくなったりせず、相手とも共存できてハッピーエンドがいいです。でもこんな願望、神に仕える身でありながら駄目ですよね」
「仕方ないじゃない。内面で思う分にはなんの罪でもないと思うし」
「ありがとう。でもね、私、時々こう空想するんですよ」
早苗はお茶を飲みほしてから、霊夢が少し驚くほど熱く語り始めた。
「たとえば、ある日突然、どこの誰とも知らないハンサムな同世代の男の子と意識が入れ替わって、お互いの生活を楽しんで、でもある日突然その男の子は海から上がってきた怪獣の襲来で死んじゃっていて、それで、男の子が死んじゃう前の時間に遡って、みんなの受信料で築いた砦で迎撃する……みたいな」
「ああハイハイ、鼻息が荒いわよ」
「す、済みません、つい自分の世界に入り込んでしまって。そろそろ帰りますね。お使いもあるし」
早苗はその場を後にしようとしたところで、そうそう、と振り返り、霊夢に里の店のチラシを渡しながら言った。
「霊夢さん、ケーキの注文はしましたか?」
「ケーキ? ああ、もうすぐクリスマスね、注文はしてないけど」
当然クリスマスは天主教のお祭りなのだが、この国では季節のイベントとして広まった感じがする。この幻想郷でもそんな風に受け入れられつつあった。
「イブの日にみんなでケーキを食べたり、ツリーを飾ったりして祝うのは知ってますよね、私も神奈子様諏訪子様とささやかなパーティを開くんですよ。それで、このお店のケーキは大人気で、予約しないとイブの日に買えないんですよ」
霊夢はこの日にはあまり関心はないみたいだ。
「そう、他人が祝うのは勝手だけど、私は興味ないわ、私はどちらかというと保守的な巫女だから」
「保守的な巫女さんが、そんな和洋折衷の可愛い巫女服なんか着ないですよ。もし興味が沸いたら、予約してなくても当日小さいのだったら買えるかもしれないから一個試しに食べてみたらどうですか」
「考えとく」
早苗が帰ってからなんとなく物思いにふけった。
クリスマスを祝う日本の神様か、全く、柔軟なんだか無節操なんだか、もしかして、信仰にまつわる深い考えではなく、飲んで騒ぐ口実づくりなのかもしれない。
飲むと言えば異変解決後の宴会を思い出す、そういえば、最近異変は起きていないようだ。もし一神教の神様が来たらどうなってしまうのだろうか、私達はみな地獄行きだろうか? それとも意外とアバウトな神様だろうか? でももしかしたら一神教だろうと多神教だろうと、なにかの実在をそれぞれの背景を持つ人々が思い思いに把握した存在で、実際は同じ何か、あるいは、何者かを信じている事には変わりないのかもしれない。
「ねえ霊夢、もうすぐクリスマスだね」
膝の上に乗せた針妙丸がささやく、彼女もこの行事を知っていたようだ。
「そうねえ、まあ、神社には関係ないけどね」
「そう……なんだ」
もともと小さい針妙丸が、さらに小さくなったように見えた。
霊夢の胸がずきんとする。
「正邪がケーキってものすごく苦くて、まずくて、食べられたもんじゃないって言ってたから、ちょっと興味があったんだけどさ……神社に関係ないよね、ごめん」
(そんなに落ち込まなくてもいいじゃない)
「もしよかったら、ケーキぐらい買ってきてあげようか」
「えっ! ホントに、ありがとう」
笑顔で霊夢を見上げる針妙丸に、霊夢も顔がほころんだ。
「任せなさい、いいお店を知っているから」
今まで一度もその店に行った事はないのだが、胸を張ってみせる。
なぜか妖精たちも湧いてきて、おしゃべりし始める。
「霊夢さん、ケーキあったら私たちにもちょうだい」
「あのう、できれば私も」
「私は一番甘いケーキでいいわ」
「調子に乗るなっての」
体よく乗せられた気もする。しかし、こうやって期待されるのもたまには悪くないとも感じる霊夢だった。
「そういえば、イブの日って何日だったっけ? まあいいわ、そのうち確認しよう」
妙な充足感に浸りながら、霊夢は床につく。
「ええっ、クリスマスイブって、今日じゃない!」
その日以来、イブの日まであと何日か確認しようと思うたびに、まあまだいいか、まだ日があるはず、もっと先だろうと油断し続けていたらこうなった。
西日がさす頃、霊夢は自分を呪った。そろそろ日付を確認しようかとカレンダーを見たら今日がイブだった、今日中にケーキを手に入れないと夜のパーティに間に合わない。急いで店に行かなければ。もし売り切れだったら……。みんな残念がるだろう。
「くそ、私の馬鹿」
悔やんでいても時間は戻らない。なすべき事はただ一つ、いかにこの失敗を取り戻すかのみ。しかし急いで支度を整え、ただちに神社を出ようとした時、霊夢は不意に何かを感じとり、ああ~と叫び、いらだたしげに頭をかきむしった。
「どうしてこんな時に、異変の予感なのよー」
異変が起きるのなら、博麗の巫女としてその元凶を退治して安全と秩序を守らなければならない。しかし異変解決に時間をかけていればケーキが売り切れてしまうのは必定。
四人の落胆が目に浮かび、しかしどうしようもない状況に、霊夢は一瞬われを忘れて涙ぐんでしまう。
「ぐすっ、何も、こんな不運が続かなくたっていいじゃない」
その場にしゃがみこんで、そのまま泣き出してしまう。
「私だって何でもできるわけじゃないのに」
誰にと言うわけでもなく呪詛の言葉を吐く。
「たまにはお前らで何とかしろ!」
しばらく泣いて、やがて静かになった。顔を上げると、涙の跡は残っているものの、その顔に込められていたのは決意だった。
「よし、起きちゃったものはしょうがないわ。」
確か早苗からもらった広告によると、その店の閉店時間は5時、時計を見るともうすぐ4時半になるくらい。決心した、5時までに異変を解決してケーキを買いに行こう。予約はしていないし、お金も多くはないから、小さな売れ残り品ぐらいしか買えないとしても、ささやかながら一緒にクリスマスを祝いたい。
「望みを捨てない者にだけ、道は開ける」
まるで幻想郷の存亡を賭けた最終決戦にでも臨むかのように、おおげさな言葉を自分に言い聞かせ、霊夢は再び動き出す。
神社の隅にある小さなほこら、守屋神社の分社の扉を開き、ご神体の鏡に向かって呼びかけた。
「早苗、異変よ、力を貸してちょうだい」
鏡から早苗の声がする。
「本当ですか、霊夢さん」
「今から私は勘で不穏に感じた方角へ向かってみるわ、いつも通りならそのうち異変を起こした輩に会えるはず、その方角を教えるから早苗も向かってみてくれない」
「ちょっとわくわくしちゃうかも」
「怖くないの?」
「不穏、大好き」と目が輝く早苗。
「……」
「やっぱ、引いちゃいますか?」
「いいえ、好奇心旺盛な女の子って、なんか可愛い。期待してるわよ」
「任せて下さい」と胸を張る。
現在午後4時30分 ケーキ屋さんの閉店まであと30分
「異変の方向はたぶんあっち、人里からちょっとずれてるな。運が悪い、いや、むしろ幸運かしら」
直感を信じて夕暮れの空を駆ける紅白の少女。
冷たい風が吹き、無数の氷のつぶてが彼女を襲う。
「ねー霊夢、ちょっと遅いけど、何だか力が溢れる感じがしてさ、弾幕やろうぜ」
異変の影響で、他の妖精たちも騒ぎ始めている、チルノもその一人で、霊夢にいつもの弾幕勝負を仕掛けてくる。
霊夢は急いでいる苛立ちから、『そこをどけええーっ』と激情に駆られて彼女を撃破、するのではない。
前へ向かって飛びながらチルノに言う。
「こういうのはどう、今日は追いかけっこしましょ。私に追いつけたら勝ちよ」
「ぬー今日はそういうしゅこうなのかー、あたい鬼ごっこでも負けないよっ」
チルノが妖精たちを伴って追いかけてきた。霊夢はしめたと思った。経験上異変の黒幕に出会うまでは、よく6、7回弾幕ごっこを展開するものだ。そうするとチルノは初回の相手と言ったところだろう。ならこんなところで時間を消耗するわけにはいかない。
「ほらほら、遅いわよ」
「負けないよー」
日はさらに沈み、魔法の森にさしかかったころ、霊夢の狙い通り、チルノと一緒に騒いでいた妖精たちが別集団の妖精たちとぶつかり合い、一緒に遊んだり弾幕ごっこしたりして霊夢の周りから消えていった。そして、もうすぐその妖精集団を超えれば、いわばステージ2ボスが現れるはずだ。
森の開けた部分に夜雀の屋台が見える。クリスマスツリーのように屋台が装飾されていた。その上でミスティア=ローレライが歌いながら客寄せしている。
「今日はクリスマス打倒屋台祭りだよ~、今日は特別サービス全品二割引」
ヤツメウナギのかば焼きを買って帰るのも悪くないと思ったが、異変で妖怪たちが騒いでいるのを見逃すわけにはいかないし、やっぱり約束のケーキを買って食べさせてやりたい。霊夢はそう考えてミスティアの方に向けて突進し、チルノを誘導する。
「ほら、こいつと遊んでもらいなさい」
「こらー屋台を壊すな~」
チルノや妖精たちが興奮気味に放つ弾幕が屋台に当たる、ある程度魔力で防御してあったが、ミスティアは怒ってチルノと弾幕の応酬をはじめ、霊夢の事など眼中にない。
(目論見通り)
午後4時35分 閉店まであと25分
左手方向に湖が見えるところで、霊夢は一人の妖怪に呼び掛けられた。
「安くなるクーポン券どう、何に使えるかはまちまちだけど」
白いブラウスに赤い釣りスカートをはいた少女の姿の妖怪だ。
彼女の周りを、多くの小さなチケットのような紙切れが主を守るかのように舞っている。
「私の事はクーぽんって呼んで、財布にしまわれたまま忘れ去られたり、捨てられたりしたクーポン券の無念が集まった存在だよ」
「じゃあ、里のケーキ屋のはある?」
「ごめん、この世界のクーポン券は持ってないや」
「じゃあ用なしね」
「うう、無視しないでー。みんな、存在をアピールするのよ」
クーぽんの声で、期限切れになったクーポン券の渦が霊夢を襲う、その怨念はよほど激しいのか、霊夢も真剣な顔で回避に専念する。
「さあさあ、一枚一枚は大した事なくても、いっぱい集まると馬鹿にできないよ」
(いつもの異変ならともかく、ここでこんな奴と関わっていられない)
彼女を退魔の護符(かなり本気モードの)で封じる。何枚もの護符が彼女の体に張り付き、動きを封じた。同時に周囲のクーポン券達も風で舞落ちていく。
クーぽんは必死で護符をはがそうとしているが、難しいようだ。
「うぐぐ、スペルカードルールにのっとった戦いなのよ、儀礼的な戦いなのに、これじゃあ販促、いや反則よ」
「儀礼でも全力を尽くすのが礼儀よ」
「そんなあ、このまま私、また忘れ去られてしまうの?」
「大丈夫、あなたを思って向き合ってくれる相手はきっといるから」
霊夢は護符に命じて、彼女を紅魔館の方角へ移動させた。それは加速し、クリスマスの準備をしていた紅魔館の門に激突した。
「いててて、ここは……」
「なんなんですか貴方は」 紅美鈴が迎撃態勢をとる。
「新参の妖怪かしら、教育してやらないと」 咲夜も駆けつける。
「襲撃か、来る場所を間違えたな」 パーティに飛び入りしようと来ていた魔理沙が八卦炉を構える。
護符の呪縛の解けたクーぽんは目を輝かせる。
「ああ、こんなにも多くの人が私を意識し……ってほげえええええええ」
クーぽん撃破。彼女はのちに幻想郷の住人となり、クーポン券の概念を広め、里でそこそこの人気者となり、小傘とはよき友人となる。
午後4時43分 閉店まで残り17分
人里が近いが、時間がもうあまりない、霊夢は若干の焦りを感じ始めるが、勝算はあった。
遠くで早苗が妖怪と対峙している。妖怪の姿は?と視線をずらすと、巨大なみたらし団子が宙に浮いていた。
「みんな洋菓子ばっかり食べやがって、もっとオレ達を食え~」
「食べますよ、私」早苗があっさり答えた。
「ええっ、俺らを食べてくれるのかい」
「私、和菓子だって好きですよ」
その巨大みたらし団子は、洋菓子の普及で忘れ去られかけた和菓子の恨みの権化などだろう。ならその恨みを晴らしてやる方法とは、当然美味しく食べてあげる事に違いない。
巨大団子が空中で無数の小団子に分裂した。早苗がその一つを美味しそうに食べる。
その様子を見て、先ほどあしらったチルノやミスティアや妖精たちも同じように団子を味わっていた。
「おお、俺を味わってくれる者達がこんなに、これで浮かばれる」
その様子を見て霊夢も唾が湧いてくるが、ほっぺをぱんぱんと叩いて自分に喝を入れた。
午後4時52分 閉店まで残り8分。
「信仰もないのにクリスマスに浮かれ騒ぐ人間どもに、私の鉄槌を下そう」
その存在に出会ったのは、人里の明かりがいっそう近い、まだ人里の領域ではないが、上白沢慧音が時々巡回している空間であった。
外見は若い青年の姿をしている。彼はいわば第5ステージのボスといったところ。なら異変の黒幕そのものというより、その腹心と思われる。
「あなたは、もしかして、一神教関連の方?」
「ふん、だったらどうする?」
「この幻想郷は外の世界にいられない者達の最後の居場所、あなたがそういう存在で、ここのルールを受け入れるのなら共生相手として迎えるけど、そうでないならお引き取りいただくか、痛い目にあってもらうわ」
「既存の宗教など関係ない、私と私の主人の望みはただ一つ。それは……」
「それは?」 霊夢は彼の怒りに気おされ、言葉の続きを待つ。
「外界に復讐するためだ」
「なぜそれえ幻想郷に来たのよ?」
「もはや外界の枠組みでは、私とあの人の目的は成就できない、そのためにこの幻想世界を征服し、そのパワーで外界のあの連中に鉄槌を下すのだ」
「ど、どの連中よ」
「それは……それは、信じてもいない宗教にかこつけて、いちゃいちゃするカップルどもだあああああ」
「妬みかよ!」 黒幕はもしかして橋姫か?
「この幻想世界征服の一歩として、その守護者だというお前に挑戦する!」
その気合いに押されていた霊夢は思い出した、ケーキを買わなければ。
焦りの中、とっさに一計が閃いた。
「私はこの幻想郷の守護者ではありません」
「何だと!」
「本当の守護者は別におわします。ここからこう行って、こう曲った所に向日葵畑があります。その向日葵畑の主、風見幽香様こそ、この世界の統括者にして、すべての不思議を司る存在であらせられます」
できるだけ神聖さを感じさせる口調で話し、目を閉じてお辞儀をした。
「なるほど、では貴様のような雑魚に構っている暇はないな」
青年は矢のようにその場から消えた。
「ごめん」向日葵畑の方角を向いて軽く頭を下げる。幽香にではなく、その青年に。
午4時58分 閉店まであと2分
「ラストスパート!」
霊夢は愛する者達と、自分の小さな幸せを思い、それ以外の全てを捨ててケーキ屋に突進する。
里の前に、最後のボスらしき女性の妖怪が立ちはだかった。
あの青年妖怪の言っていた「あの人」とは彼女だろうか。
霊夢は前へ前へと進みながら、背中に隠し持った、いくつかの最終兵器のうちの一つをこっそり取り出す。
「ようこそ、リアルが充実したお嬢さん。貴方を倒し、この……」
本気の高速で懐に飛び込み、手にした注射器の針を彼女の首に突き立てた。
「ちょっ、スペルカードルールは……」 女性妖怪が顔面蒼白で霊夢を見つめる。
「大丈夫、これは高純度の鬼のお酒」 そのまま液体を注射した。
女性妖怪はべろんべろんに酔っ払って、地上にふらつきながら墜落してしまった。
それでも必死に立ち上がろうとするが……。
「わ、わたぁしを倒しても、もっとモテないあのお方が……EXボスとして……」
『しかしすでに、そのEXボスは、お団子パワーを得た早苗に討ち果されていた。
こうして今回の異変は、異変らしき事象を起こす間もなく終息した』
「そんなあ、ナレーションだけらんて」
「エクストラステージなんてナレーションで十分」
霊夢は彼女のもとへつかつかと歩み寄り、黒幕の顔がこわばっていく。
「カップルを憎むのはあんたらの勝手、私もうらやましいし。でも、罪のない者達の幸せを邪魔する権利なんて誰にもないし、恋愛以外の幸せをこの日に求める者だっているという事を知りなさい」
「う、嘘よ」
「ここにいるわ」
そして、報復を恐れる彼女のとなりにしゃがみ、肩を組むと、手にした外界のカメラ付き携帯で自分たちを撮影した。
「ほら、あんたは私に倒された後、こうやって一緒に酒を飲んで和解エンド。これが証拠、いいわね」
「ひ、ひゃい」
ちょうど向日葵畑の方角で、悲鳴とピチューンという音が響いた。
「あっちも片付いたようね」
午後4時59分45秒 閉店まで残り15秒
ズドン
銃声
ズドン
また銃声
「うおおおおおおおおおおおおおおおどけどけ~~~~」
霊夢は里の大通りに降り立ち、もう一つの秘密兵器、ショットガンを空に向けて撃ちながら人混みをかき分け走る、ひたすら走る。
外界だったら完璧にSAT(特殊急襲部隊)出動案件な姿で、ケーキ屋に滑り込んだ。
午後4時59分57秒、ぎりぎりでの到着。
仰天する客や店員を無視して、目の前の店員と向き合う。
罪のない者達の幸せを邪魔してはいけなかったのではないか?
「ケーキ下さい」目が笑っていない笑顔で言う。
「ひいい、うちには金目のものは何も」
「違う。ケーキを下さい。売れ残りでいいから」
「売れ残りのケーキはこちらです。全部タダで差し上げます」
値札を見る、霊夢はショットガンを背中にしまい、一番安価なケーキを感慨深そうに見つめている。
まるで、このケーキのためにずっと旅をしてきたかのような心持ちがした。
「不思議、ケーキ君、君を前前前世から私は、探し求めていたみたい」
律儀に財布を出してお金を数えるが、わずかに値段に届かない。
「くそ、目の前にあるのに」
ふと出入り口を見ると、ケーキの箱を持って帰る途中の易者が怯えながらこちらを見ていたではないか。
霊夢は目があってそそくさと立ち去ろうとする彼に近づき、肩を掴んでショットガンを縫合跡のある額に突きつけた。
「小銭だ! 小銭をよこせ!」
「あわわ、小銭ならいくらでも出します出します」
易者から小銭を奪い、彼の事は無視して一番安いケーキを手に取り、代金を渡して店を出ようとしたが、時すでに遅し。
「この店は自警団によって完全に包囲されている、武器を捨てておとなしく出てきなさい」
上白沢慧音の声だった。
GAME OVER?
翌日の朝、こってり絞られた霊夢はしかめっ面で、笑顔の魔理沙とガールズトークしていた。話題の中心は昨日のテレビ番組だった。
数年前から河童たちの手でテレビ放送が始まっていて、神社にもアンテナ付き受像機がある。
「いやあ、昨日の人里自警団24時すごかったぜ。あのケーキ屋に入った犯人、顔と声が修正されていたが、完全にお前だったもんな、ワタシハケーキカイニキタダケデスってな、いやあ思い出しただけでも腹筋が痛いのなんの。そんなに飢えていたのかよ」
「だって、ケーキをあいつらに食べさせてやりたかったし、同時に異変も解決しなければいけなかったのよ」
「それは災難だったな、でもTVデビューできて良かったじゃないか」
「それはもう言わないで」 霊夢は顔が真っ赤にして首を振る。
「他のチャンネルのクローズアップ幻想でも、巫女の心の闇に迫る、ってな感じで慧音がいろいろ語っていたぞ。我々は博麗の巫女の機能を再確認し、もっと彼女と向き合えば、今回の事件は防げたのではないか、とかな」
「うう、恥ずかしいよ」
ひょこっと針妙丸が顔を出して、霊夢の元にとことこと寄ってくる。
「霊夢、私達のためにごめんね、こんな無理をさせちゃって」
「いいえ、いいのよ、私がやったことだしね」
三妖精も霊夢にくっついてじゃれている。
「私たち、霊夢さんと一緒に神社にいられるだけで幸せですから」
「それに、たまにお酒ももらえますし……」
「昨日みたいな大爆笑映像も見られますしね」
「そうそう、首をさすまたで抑えられて、『確保、5時10分』とか、『持ち物からは注射器も発見された』のナレーションも凄い腹筋破壊力だったな。隠し芸大会、あの映像だけで霊夢の優勝間違いなしだぜ」
「殴るよ」
「あの~博麗霊夢さんはこちらにいらっしゃいますか?」
昨日退治されたクーぽんがケーキの箱を持って挨拶に来た。
何でも、霊夢に改めて挨拶に行こうとしたら、ケーキ屋にこれを渡すよう頼まれたのだという。
なんとイチゴが丸ごと乗った、店の中で最高級のケーキだった。
「買ったのは一番安いケーキだったのに」
「巫女さんをないがしろにしていた、せめてものお詫びだそうです」クーぽんが言った。
「別にあれは、ないがしろにされていた覚えはないんだけどねえ」
「後これは、つまらないものですが、私からも」
霊夢は差し出されたお菓子のクーポン券を手に取る。
「これから、里にもこのクーポン券を流行らせたいなと思いまして」
「タダ券はないの?」
「はい、そういう妖怪ですから」
「しょうがない、ありがたく頂いておくわ、クーぽんも一緒にケーキ食べる?」
「わあ嬉しい、ありがとう」
その後、異変を起こした男女の妖怪は、その後「あんたらで付き合えばいいじゃん」という霊夢の言葉でそうする事になり、EXボスのさらにモテない怨霊は、聖白蓮の諭しに惚れ、寺に通うようになり、幻想郷の新参者として受け入れられていったよう。ちなみに今回の異変は早苗にも良い鍛錬になったらしく、弾幕ごっこの勝率が上がったらしい。
「なんだか、里を歩いていて、余った干物とか野菜とかくれるようになった気がするな」
「みんな、霊夢が一生懸命みんなのために頑張っているのに、だれも感謝しないんだもん、たまには霊夢だって怒っちゃうよね」 針妙丸がうなずく。
「獣をおとなしくさせるには餌付けが良いって学習したんだろ」魔理沙の毒舌。
みんなでケーキを食べながら、たまに毒もあるガールズトークに花を咲かせる、そんな午後の時間が流れてゆく。
「最近退屈なんですよ、あまり異変が無くて。もっとも平和なのが一番なのですけどもね」
と、出されたお茶を味わう早苗。
「じゃあ、神奈子さんや諏訪子さんと弾幕ごっこでもしたら」草大福をかじって霊夢が返す。
「確かに楽しくて、修行になるのですけれど……そのなんていうか、不謹慎ながら、未知の存在が現れて幻想郷に危機が迫るかも、みたいな緊張感に飢えている的な」
「分かる気がするわ」お茶をすする。
「もちろん、最後はなんだかんだで誰もいなくなったりせず、相手とも共存できてハッピーエンドがいいです。でもこんな願望、神に仕える身でありながら駄目ですよね」
「仕方ないじゃない。内面で思う分にはなんの罪でもないと思うし」
「ありがとう。でもね、私、時々こう空想するんですよ」
早苗はお茶を飲みほしてから、霊夢が少し驚くほど熱く語り始めた。
「たとえば、ある日突然、どこの誰とも知らないハンサムな同世代の男の子と意識が入れ替わって、お互いの生活を楽しんで、でもある日突然その男の子は海から上がってきた怪獣の襲来で死んじゃっていて、それで、男の子が死んじゃう前の時間に遡って、みんなの受信料で築いた砦で迎撃する……みたいな」
「ああハイハイ、鼻息が荒いわよ」
「す、済みません、つい自分の世界に入り込んでしまって。そろそろ帰りますね。お使いもあるし」
早苗はその場を後にしようとしたところで、そうそう、と振り返り、霊夢に里の店のチラシを渡しながら言った。
「霊夢さん、ケーキの注文はしましたか?」
「ケーキ? ああ、もうすぐクリスマスね、注文はしてないけど」
当然クリスマスは天主教のお祭りなのだが、この国では季節のイベントとして広まった感じがする。この幻想郷でもそんな風に受け入れられつつあった。
「イブの日にみんなでケーキを食べたり、ツリーを飾ったりして祝うのは知ってますよね、私も神奈子様諏訪子様とささやかなパーティを開くんですよ。それで、このお店のケーキは大人気で、予約しないとイブの日に買えないんですよ」
霊夢はこの日にはあまり関心はないみたいだ。
「そう、他人が祝うのは勝手だけど、私は興味ないわ、私はどちらかというと保守的な巫女だから」
「保守的な巫女さんが、そんな和洋折衷の可愛い巫女服なんか着ないですよ。もし興味が沸いたら、予約してなくても当日小さいのだったら買えるかもしれないから一個試しに食べてみたらどうですか」
「考えとく」
早苗が帰ってからなんとなく物思いにふけった。
クリスマスを祝う日本の神様か、全く、柔軟なんだか無節操なんだか、もしかして、信仰にまつわる深い考えではなく、飲んで騒ぐ口実づくりなのかもしれない。
飲むと言えば異変解決後の宴会を思い出す、そういえば、最近異変は起きていないようだ。もし一神教の神様が来たらどうなってしまうのだろうか、私達はみな地獄行きだろうか? それとも意外とアバウトな神様だろうか? でももしかしたら一神教だろうと多神教だろうと、なにかの実在をそれぞれの背景を持つ人々が思い思いに把握した存在で、実際は同じ何か、あるいは、何者かを信じている事には変わりないのかもしれない。
「ねえ霊夢、もうすぐクリスマスだね」
膝の上に乗せた針妙丸がささやく、彼女もこの行事を知っていたようだ。
「そうねえ、まあ、神社には関係ないけどね」
「そう……なんだ」
もともと小さい針妙丸が、さらに小さくなったように見えた。
霊夢の胸がずきんとする。
「正邪がケーキってものすごく苦くて、まずくて、食べられたもんじゃないって言ってたから、ちょっと興味があったんだけどさ……神社に関係ないよね、ごめん」
(そんなに落ち込まなくてもいいじゃない)
「もしよかったら、ケーキぐらい買ってきてあげようか」
「えっ! ホントに、ありがとう」
笑顔で霊夢を見上げる針妙丸に、霊夢も顔がほころんだ。
「任せなさい、いいお店を知っているから」
今まで一度もその店に行った事はないのだが、胸を張ってみせる。
なぜか妖精たちも湧いてきて、おしゃべりし始める。
「霊夢さん、ケーキあったら私たちにもちょうだい」
「あのう、できれば私も」
「私は一番甘いケーキでいいわ」
「調子に乗るなっての」
体よく乗せられた気もする。しかし、こうやって期待されるのもたまには悪くないとも感じる霊夢だった。
「そういえば、イブの日って何日だったっけ? まあいいわ、そのうち確認しよう」
妙な充足感に浸りながら、霊夢は床につく。
「ええっ、クリスマスイブって、今日じゃない!」
その日以来、イブの日まであと何日か確認しようと思うたびに、まあまだいいか、まだ日があるはず、もっと先だろうと油断し続けていたらこうなった。
西日がさす頃、霊夢は自分を呪った。そろそろ日付を確認しようかとカレンダーを見たら今日がイブだった、今日中にケーキを手に入れないと夜のパーティに間に合わない。急いで店に行かなければ。もし売り切れだったら……。みんな残念がるだろう。
「くそ、私の馬鹿」
悔やんでいても時間は戻らない。なすべき事はただ一つ、いかにこの失敗を取り戻すかのみ。しかし急いで支度を整え、ただちに神社を出ようとした時、霊夢は不意に何かを感じとり、ああ~と叫び、いらだたしげに頭をかきむしった。
「どうしてこんな時に、異変の予感なのよー」
異変が起きるのなら、博麗の巫女としてその元凶を退治して安全と秩序を守らなければならない。しかし異変解決に時間をかけていればケーキが売り切れてしまうのは必定。
四人の落胆が目に浮かび、しかしどうしようもない状況に、霊夢は一瞬われを忘れて涙ぐんでしまう。
「ぐすっ、何も、こんな不運が続かなくたっていいじゃない」
その場にしゃがみこんで、そのまま泣き出してしまう。
「私だって何でもできるわけじゃないのに」
誰にと言うわけでもなく呪詛の言葉を吐く。
「たまにはお前らで何とかしろ!」
しばらく泣いて、やがて静かになった。顔を上げると、涙の跡は残っているものの、その顔に込められていたのは決意だった。
「よし、起きちゃったものはしょうがないわ。」
確か早苗からもらった広告によると、その店の閉店時間は5時、時計を見るともうすぐ4時半になるくらい。決心した、5時までに異変を解決してケーキを買いに行こう。予約はしていないし、お金も多くはないから、小さな売れ残り品ぐらいしか買えないとしても、ささやかながら一緒にクリスマスを祝いたい。
「望みを捨てない者にだけ、道は開ける」
まるで幻想郷の存亡を賭けた最終決戦にでも臨むかのように、おおげさな言葉を自分に言い聞かせ、霊夢は再び動き出す。
神社の隅にある小さなほこら、守屋神社の分社の扉を開き、ご神体の鏡に向かって呼びかけた。
「早苗、異変よ、力を貸してちょうだい」
鏡から早苗の声がする。
「本当ですか、霊夢さん」
「今から私は勘で不穏に感じた方角へ向かってみるわ、いつも通りならそのうち異変を起こした輩に会えるはず、その方角を教えるから早苗も向かってみてくれない」
「ちょっとわくわくしちゃうかも」
「怖くないの?」
「不穏、大好き」と目が輝く早苗。
「……」
「やっぱ、引いちゃいますか?」
「いいえ、好奇心旺盛な女の子って、なんか可愛い。期待してるわよ」
「任せて下さい」と胸を張る。
現在午後4時30分 ケーキ屋さんの閉店まであと30分
「異変の方向はたぶんあっち、人里からちょっとずれてるな。運が悪い、いや、むしろ幸運かしら」
直感を信じて夕暮れの空を駆ける紅白の少女。
冷たい風が吹き、無数の氷のつぶてが彼女を襲う。
「ねー霊夢、ちょっと遅いけど、何だか力が溢れる感じがしてさ、弾幕やろうぜ」
異変の影響で、他の妖精たちも騒ぎ始めている、チルノもその一人で、霊夢にいつもの弾幕勝負を仕掛けてくる。
霊夢は急いでいる苛立ちから、『そこをどけええーっ』と激情に駆られて彼女を撃破、するのではない。
前へ向かって飛びながらチルノに言う。
「こういうのはどう、今日は追いかけっこしましょ。私に追いつけたら勝ちよ」
「ぬー今日はそういうしゅこうなのかー、あたい鬼ごっこでも負けないよっ」
チルノが妖精たちを伴って追いかけてきた。霊夢はしめたと思った。経験上異変の黒幕に出会うまでは、よく6、7回弾幕ごっこを展開するものだ。そうするとチルノは初回の相手と言ったところだろう。ならこんなところで時間を消耗するわけにはいかない。
「ほらほら、遅いわよ」
「負けないよー」
日はさらに沈み、魔法の森にさしかかったころ、霊夢の狙い通り、チルノと一緒に騒いでいた妖精たちが別集団の妖精たちとぶつかり合い、一緒に遊んだり弾幕ごっこしたりして霊夢の周りから消えていった。そして、もうすぐその妖精集団を超えれば、いわばステージ2ボスが現れるはずだ。
森の開けた部分に夜雀の屋台が見える。クリスマスツリーのように屋台が装飾されていた。その上でミスティア=ローレライが歌いながら客寄せしている。
「今日はクリスマス打倒屋台祭りだよ~、今日は特別サービス全品二割引」
ヤツメウナギのかば焼きを買って帰るのも悪くないと思ったが、異変で妖怪たちが騒いでいるのを見逃すわけにはいかないし、やっぱり約束のケーキを買って食べさせてやりたい。霊夢はそう考えてミスティアの方に向けて突進し、チルノを誘導する。
「ほら、こいつと遊んでもらいなさい」
「こらー屋台を壊すな~」
チルノや妖精たちが興奮気味に放つ弾幕が屋台に当たる、ある程度魔力で防御してあったが、ミスティアは怒ってチルノと弾幕の応酬をはじめ、霊夢の事など眼中にない。
(目論見通り)
午後4時35分 閉店まであと25分
左手方向に湖が見えるところで、霊夢は一人の妖怪に呼び掛けられた。
「安くなるクーポン券どう、何に使えるかはまちまちだけど」
白いブラウスに赤い釣りスカートをはいた少女の姿の妖怪だ。
彼女の周りを、多くの小さなチケットのような紙切れが主を守るかのように舞っている。
「私の事はクーぽんって呼んで、財布にしまわれたまま忘れ去られたり、捨てられたりしたクーポン券の無念が集まった存在だよ」
「じゃあ、里のケーキ屋のはある?」
「ごめん、この世界のクーポン券は持ってないや」
「じゃあ用なしね」
「うう、無視しないでー。みんな、存在をアピールするのよ」
クーぽんの声で、期限切れになったクーポン券の渦が霊夢を襲う、その怨念はよほど激しいのか、霊夢も真剣な顔で回避に専念する。
「さあさあ、一枚一枚は大した事なくても、いっぱい集まると馬鹿にできないよ」
(いつもの異変ならともかく、ここでこんな奴と関わっていられない)
彼女を退魔の護符(かなり本気モードの)で封じる。何枚もの護符が彼女の体に張り付き、動きを封じた。同時に周囲のクーポン券達も風で舞落ちていく。
クーぽんは必死で護符をはがそうとしているが、難しいようだ。
「うぐぐ、スペルカードルールにのっとった戦いなのよ、儀礼的な戦いなのに、これじゃあ販促、いや反則よ」
「儀礼でも全力を尽くすのが礼儀よ」
「そんなあ、このまま私、また忘れ去られてしまうの?」
「大丈夫、あなたを思って向き合ってくれる相手はきっといるから」
霊夢は護符に命じて、彼女を紅魔館の方角へ移動させた。それは加速し、クリスマスの準備をしていた紅魔館の門に激突した。
「いててて、ここは……」
「なんなんですか貴方は」 紅美鈴が迎撃態勢をとる。
「新参の妖怪かしら、教育してやらないと」 咲夜も駆けつける。
「襲撃か、来る場所を間違えたな」 パーティに飛び入りしようと来ていた魔理沙が八卦炉を構える。
護符の呪縛の解けたクーぽんは目を輝かせる。
「ああ、こんなにも多くの人が私を意識し……ってほげえええええええ」
クーぽん撃破。彼女はのちに幻想郷の住人となり、クーポン券の概念を広め、里でそこそこの人気者となり、小傘とはよき友人となる。
午後4時43分 閉店まで残り17分
人里が近いが、時間がもうあまりない、霊夢は若干の焦りを感じ始めるが、勝算はあった。
遠くで早苗が妖怪と対峙している。妖怪の姿は?と視線をずらすと、巨大なみたらし団子が宙に浮いていた。
「みんな洋菓子ばっかり食べやがって、もっとオレ達を食え~」
「食べますよ、私」早苗があっさり答えた。
「ええっ、俺らを食べてくれるのかい」
「私、和菓子だって好きですよ」
その巨大みたらし団子は、洋菓子の普及で忘れ去られかけた和菓子の恨みの権化などだろう。ならその恨みを晴らしてやる方法とは、当然美味しく食べてあげる事に違いない。
巨大団子が空中で無数の小団子に分裂した。早苗がその一つを美味しそうに食べる。
その様子を見て、先ほどあしらったチルノやミスティアや妖精たちも同じように団子を味わっていた。
「おお、俺を味わってくれる者達がこんなに、これで浮かばれる」
その様子を見て霊夢も唾が湧いてくるが、ほっぺをぱんぱんと叩いて自分に喝を入れた。
午後4時52分 閉店まで残り8分。
「信仰もないのにクリスマスに浮かれ騒ぐ人間どもに、私の鉄槌を下そう」
その存在に出会ったのは、人里の明かりがいっそう近い、まだ人里の領域ではないが、上白沢慧音が時々巡回している空間であった。
外見は若い青年の姿をしている。彼はいわば第5ステージのボスといったところ。なら異変の黒幕そのものというより、その腹心と思われる。
「あなたは、もしかして、一神教関連の方?」
「ふん、だったらどうする?」
「この幻想郷は外の世界にいられない者達の最後の居場所、あなたがそういう存在で、ここのルールを受け入れるのなら共生相手として迎えるけど、そうでないならお引き取りいただくか、痛い目にあってもらうわ」
「既存の宗教など関係ない、私と私の主人の望みはただ一つ。それは……」
「それは?」 霊夢は彼の怒りに気おされ、言葉の続きを待つ。
「外界に復讐するためだ」
「なぜそれえ幻想郷に来たのよ?」
「もはや外界の枠組みでは、私とあの人の目的は成就できない、そのためにこの幻想世界を征服し、そのパワーで外界のあの連中に鉄槌を下すのだ」
「ど、どの連中よ」
「それは……それは、信じてもいない宗教にかこつけて、いちゃいちゃするカップルどもだあああああ」
「妬みかよ!」 黒幕はもしかして橋姫か?
「この幻想世界征服の一歩として、その守護者だというお前に挑戦する!」
その気合いに押されていた霊夢は思い出した、ケーキを買わなければ。
焦りの中、とっさに一計が閃いた。
「私はこの幻想郷の守護者ではありません」
「何だと!」
「本当の守護者は別におわします。ここからこう行って、こう曲った所に向日葵畑があります。その向日葵畑の主、風見幽香様こそ、この世界の統括者にして、すべての不思議を司る存在であらせられます」
できるだけ神聖さを感じさせる口調で話し、目を閉じてお辞儀をした。
「なるほど、では貴様のような雑魚に構っている暇はないな」
青年は矢のようにその場から消えた。
「ごめん」向日葵畑の方角を向いて軽く頭を下げる。幽香にではなく、その青年に。
午4時58分 閉店まであと2分
「ラストスパート!」
霊夢は愛する者達と、自分の小さな幸せを思い、それ以外の全てを捨ててケーキ屋に突進する。
里の前に、最後のボスらしき女性の妖怪が立ちはだかった。
あの青年妖怪の言っていた「あの人」とは彼女だろうか。
霊夢は前へ前へと進みながら、背中に隠し持った、いくつかの最終兵器のうちの一つをこっそり取り出す。
「ようこそ、リアルが充実したお嬢さん。貴方を倒し、この……」
本気の高速で懐に飛び込み、手にした注射器の針を彼女の首に突き立てた。
「ちょっ、スペルカードルールは……」 女性妖怪が顔面蒼白で霊夢を見つめる。
「大丈夫、これは高純度の鬼のお酒」 そのまま液体を注射した。
女性妖怪はべろんべろんに酔っ払って、地上にふらつきながら墜落してしまった。
それでも必死に立ち上がろうとするが……。
「わ、わたぁしを倒しても、もっとモテないあのお方が……EXボスとして……」
『しかしすでに、そのEXボスは、お団子パワーを得た早苗に討ち果されていた。
こうして今回の異変は、異変らしき事象を起こす間もなく終息した』
「そんなあ、ナレーションだけらんて」
「エクストラステージなんてナレーションで十分」
霊夢は彼女のもとへつかつかと歩み寄り、黒幕の顔がこわばっていく。
「カップルを憎むのはあんたらの勝手、私もうらやましいし。でも、罪のない者達の幸せを邪魔する権利なんて誰にもないし、恋愛以外の幸せをこの日に求める者だっているという事を知りなさい」
「う、嘘よ」
「ここにいるわ」
そして、報復を恐れる彼女のとなりにしゃがみ、肩を組むと、手にした外界のカメラ付き携帯で自分たちを撮影した。
「ほら、あんたは私に倒された後、こうやって一緒に酒を飲んで和解エンド。これが証拠、いいわね」
「ひ、ひゃい」
ちょうど向日葵畑の方角で、悲鳴とピチューンという音が響いた。
「あっちも片付いたようね」
午後4時59分45秒 閉店まで残り15秒
ズドン
銃声
ズドン
また銃声
「うおおおおおおおおおおおおおおおどけどけ~~~~」
霊夢は里の大通りに降り立ち、もう一つの秘密兵器、ショットガンを空に向けて撃ちながら人混みをかき分け走る、ひたすら走る。
外界だったら完璧にSAT(特殊急襲部隊)出動案件な姿で、ケーキ屋に滑り込んだ。
午後4時59分57秒、ぎりぎりでの到着。
仰天する客や店員を無視して、目の前の店員と向き合う。
罪のない者達の幸せを邪魔してはいけなかったのではないか?
「ケーキ下さい」目が笑っていない笑顔で言う。
「ひいい、うちには金目のものは何も」
「違う。ケーキを下さい。売れ残りでいいから」
「売れ残りのケーキはこちらです。全部タダで差し上げます」
値札を見る、霊夢はショットガンを背中にしまい、一番安価なケーキを感慨深そうに見つめている。
まるで、このケーキのためにずっと旅をしてきたかのような心持ちがした。
「不思議、ケーキ君、君を前前前世から私は、探し求めていたみたい」
律儀に財布を出してお金を数えるが、わずかに値段に届かない。
「くそ、目の前にあるのに」
ふと出入り口を見ると、ケーキの箱を持って帰る途中の易者が怯えながらこちらを見ていたではないか。
霊夢は目があってそそくさと立ち去ろうとする彼に近づき、肩を掴んでショットガンを縫合跡のある額に突きつけた。
「小銭だ! 小銭をよこせ!」
「あわわ、小銭ならいくらでも出します出します」
易者から小銭を奪い、彼の事は無視して一番安いケーキを手に取り、代金を渡して店を出ようとしたが、時すでに遅し。
「この店は自警団によって完全に包囲されている、武器を捨てておとなしく出てきなさい」
上白沢慧音の声だった。
GAME OVER?
翌日の朝、こってり絞られた霊夢はしかめっ面で、笑顔の魔理沙とガールズトークしていた。話題の中心は昨日のテレビ番組だった。
数年前から河童たちの手でテレビ放送が始まっていて、神社にもアンテナ付き受像機がある。
「いやあ、昨日の人里自警団24時すごかったぜ。あのケーキ屋に入った犯人、顔と声が修正されていたが、完全にお前だったもんな、ワタシハケーキカイニキタダケデスってな、いやあ思い出しただけでも腹筋が痛いのなんの。そんなに飢えていたのかよ」
「だって、ケーキをあいつらに食べさせてやりたかったし、同時に異変も解決しなければいけなかったのよ」
「それは災難だったな、でもTVデビューできて良かったじゃないか」
「それはもう言わないで」 霊夢は顔が真っ赤にして首を振る。
「他のチャンネルのクローズアップ幻想でも、巫女の心の闇に迫る、ってな感じで慧音がいろいろ語っていたぞ。我々は博麗の巫女の機能を再確認し、もっと彼女と向き合えば、今回の事件は防げたのではないか、とかな」
「うう、恥ずかしいよ」
ひょこっと針妙丸が顔を出して、霊夢の元にとことこと寄ってくる。
「霊夢、私達のためにごめんね、こんな無理をさせちゃって」
「いいえ、いいのよ、私がやったことだしね」
三妖精も霊夢にくっついてじゃれている。
「私たち、霊夢さんと一緒に神社にいられるだけで幸せですから」
「それに、たまにお酒ももらえますし……」
「昨日みたいな大爆笑映像も見られますしね」
「そうそう、首をさすまたで抑えられて、『確保、5時10分』とか、『持ち物からは注射器も発見された』のナレーションも凄い腹筋破壊力だったな。隠し芸大会、あの映像だけで霊夢の優勝間違いなしだぜ」
「殴るよ」
「あの~博麗霊夢さんはこちらにいらっしゃいますか?」
昨日退治されたクーぽんがケーキの箱を持って挨拶に来た。
何でも、霊夢に改めて挨拶に行こうとしたら、ケーキ屋にこれを渡すよう頼まれたのだという。
なんとイチゴが丸ごと乗った、店の中で最高級のケーキだった。
「買ったのは一番安いケーキだったのに」
「巫女さんをないがしろにしていた、せめてものお詫びだそうです」クーぽんが言った。
「別にあれは、ないがしろにされていた覚えはないんだけどねえ」
「後これは、つまらないものですが、私からも」
霊夢は差し出されたお菓子のクーポン券を手に取る。
「これから、里にもこのクーポン券を流行らせたいなと思いまして」
「タダ券はないの?」
「はい、そういう妖怪ですから」
「しょうがない、ありがたく頂いておくわ、クーぽんも一緒にケーキ食べる?」
「わあ嬉しい、ありがとう」
その後、異変を起こした男女の妖怪は、その後「あんたらで付き合えばいいじゃん」という霊夢の言葉でそうする事になり、EXボスのさらにモテない怨霊は、聖白蓮の諭しに惚れ、寺に通うようになり、幻想郷の新参者として受け入れられていったよう。ちなみに今回の異変は早苗にも良い鍛錬になったらしく、弾幕ごっこの勝率が上がったらしい。
「なんだか、里を歩いていて、余った干物とか野菜とかくれるようになった気がするな」
「みんな、霊夢が一生懸命みんなのために頑張っているのに、だれも感謝しないんだもん、たまには霊夢だって怒っちゃうよね」 針妙丸がうなずく。
「獣をおとなしくさせるには餌付けが良いって学習したんだろ」魔理沙の毒舌。
みんなでケーキを食べながら、たまに毒もあるガールズトークに花を咲かせる、そんな午後の時間が流れてゆく。
殺伐ってのは結局ユーモアの一分野なのかもしれません