「サンタクロースをいつまで信じていた?」
本に書かれたその一節を読んだとき、射命丸文は思わず笑ってしまった。外の世界で刊行されたらしいその小説は、ひょんなことから射命丸の手に渡った。なんということはない。森近霖之助に新聞代を集金したら、お代の代わりに書籍を渡されたわけだ。
外の世界の書籍だから人間の里に持っていけばそれなりの値で売れると思いつつ、気になったので開いてみたところ、書かれていたのは男と女の退屈なラブストーリだった。
それでも根気よく読み進めてみたものの、平凡で面白さに欠ける内容が続いており、半分も行かずに断念した。それにこんな本を渡されたということは、文々。新聞が平凡で面白さに欠けると言われているような気がして、無性に腹が立った。
結局、他の人に売る気にも慣れず、本は川の中に放り投げた。けれど本の中の、あの一節がどうしても文の頭を離れなかった。
「サンタクロースを何時まで信じていた?」
幻想郷ではそんな言葉は使われない。使うとしたらこうだ。
「サンタクロースを何時から信じていた?」
幻想郷にはサンタクロースはいなかった。少なくとも数年前までは。しかし最近になって、サンタクロースのことが里で噂されるようになった。
だから外の世界とは逆に、幻想郷ではサンタクロースが信じられるようになっていった。
サンタクロースは12月24日に現れ、幻想郷の空をソリに乗って巡っていく。そして家々を回ってこっそりと子どもたちにプレゼントを置いていった。子どもたちはプレゼントを喜び、親たちは子どもたちの笑顔に顔をほころばせていた。
しかしサンタクロースの姿をはっきりと見た者はいなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
昼過ぎから降り始めた雪は、夜になっても止むことは無く、幻想郷の空を白く染めていた。
地上では粒の大きいぼた雪も、空高く上がればチリのように粒が細かく、冷たくなる。空中には遮るものが無いため、風は猛烈な勢いで天を流れる。その流れに抗うように射命丸文は、一陣の風となり空を突き抜ける。その前方には黒い人影がある。
射命丸文はかじかんだ手でカメラを構え、息を吐く。
「……見つけましたよ。サンタクロース!」
空は雲に覆われ明かりはなく、周りは雪に包まれ視界は悪い。しかし射命丸の両目は確かに目の前のサンタクロースに向いていた。
文は空を蹴り、さらに速度を上げる。しかしサンタクロースには一向に近づかない。それどころか次第にサンタクロースの影は遠ざかっていく。
サンタクロースの速度は、天狗の全力を超えていた。
幻想郷で最速と呼ばれる天狗すら、サンタクロースは寄せ付けない。先ほどまで見えていた影は次第にぼやけ、遠くへ薄れていく。それでも文は空を走るのを止めなかった。懐のカメラを、何時でも出せるように手で押さえつつ前方をにらんだ。
なんとしてもサンタクロースを写真に収める。
文は心のなかで呟いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
サンタクロースを新聞に載せたい。
他の天狗にそういったとき、文は一笑にされた。なぜなら今まで誰もサンタクロースを写真に収めることができなかったから。
サンタクロースは神出鬼没で、行動に予測がつかなかった。もし見つけたとしても、天狗を超える足の速さで、カメラを構える前に空の彼方に消えていた。
「どうあがいてもサンタクロースに追いつくなんて無理ね!」
そう言ったのは姫海棠はたてだった。
「サンタは外の世界の軍隊が何十年も追いかけいるそうよ。でも追いつくことができなかった。だからあなたのやっていることは無駄よ」
そう言われてた文は、逆に闘志がわいてきた。誰もが諦めているからこそ、それをスクープにしたい。射命丸文は人知れず心に誓った。
12月に入った頃から、過去のサンタクロースの出現記録をまとめ始めた。幸いにも住民の目撃情報は以前の新聞に記載されているので、調べること事態はさして難しくはなかった。しかし年ごとにサンタクロースの現れる家がばらばらで、予測することは無理に近かった。それでも諦めず、サンタクロースへの糸口を求め、過去の新聞を読み返した。
サンタクロースを調べつつ、ふと射命丸文は疑問に思った。
――なぜそこまでサンタクロースを追いかけるの?
はっきりと答えられないまま、クリスマスが迫る焦燥感に追われ、射命丸は新聞を読み進めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
息を切らして文は、空の上で立ち止まった。
「……見失ったわ」
周りに広がるのは夜の闇ばかりで、サンタクロースの姿はどこか遠くへと消えていった。
以前の傾向から、どうにかサンタクロースの通り道を見つけたまでは良かったが、ついに姿を写真に収めることはできなかった。
足元に広がる人間の里は、家々の窓や戸から灯りは漏れるものの、降り続ける雪に遮られてほの暗い。すでにサンタクロースは、どこかの家に入っているのだろうか。
目を凝らしても見えるはずもなく、サンタクロースの姿は粉雪の彼方に消えた。
文は凍えた手に息を吹きかける。立ち止まったせいか、今更になって辺りの寒さが身に堪えた。
サンタがいる場所の手がかりは無く、仮にあったとしても追いつくことは出来ない。カメラを悠長に構えている間に、サンタクロースはどこか遠くへ行ってしまうだろう。
風はいよいよ強まり、白い吐息は雪と混ざって暗闇に消えていく。いくら天狗が空をとぶのが得意とはいえ、冬空の下を駆け抜けるのにも限度がある。射命丸の肌は雪に負けないほど白く、服には吹き付けられた雪が張り付いている。
諦めた方が良い。そう思うものの、未だに視線はサンタクロースの消えた方向を見ていた。
たとえ追いつくのは無理でも、何か手があるはずだ。
肩にまとわりついた雪を払いつつ、文は今までのサンタの行動を思い起こした。
「サンタは子どもたちにプレゼントを配る。けれど神出鬼没でどこに現れるかわからない。そして天狗よりはるかに早い」
だからサンタを記事にすることは誰にもできなかった。そこまで考え、文は眉を潜めた。
「なぜサンタは神出鬼没なの?」
子どもたちにプレゼントを配るだけなら不規則に民家に訪れる必要はない。むしろ法則に従って家々を回るほうが効率は良い。だからサンタの移動方法は文からすれば意味が分からない。
凍える手を息で温め、更に考えを進める。
もし乱雑な移動に意味があったとしたら? 文の口から言葉がこぼれた。
「ひょっとしたら、サンタは人に見つかりたくない?」
文は顔を上げた。今まで文は、サンタクロースが高速で神出鬼没だから見つからないと考えていた。しかし実際には、違っていたのではないか? サンタクロースは人に見つかりたくなく、だから高速かつ神出鬼没な能力を手に入れたのではないか?
「……そうか。考えが逆だったんだ」
文は目を見開いた。
天狗たちにとってサンタクロースとは謎の存在だった。たとえ見かけたとしても写真を撮影する前に消えてしまい、その正体はつかめず、その結果サンタクロースが何を考えているかも分からなかった。だから闇雲にサンタクロースを探そうとして、結局尻尾を捕まえることすらできなかった。しかしサンタクロースの今までの行動が『見つかりたくないため』だとしたら。
文は唾を飲み込んだ。
「もしそうなら、まだ手はある」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
射命丸文は、今までサンタの行く先だけを予想して網を張っていた。けれどそのほとんどが上手くいかなかった。しかし今にして思えば、サンタの行き先以外にも考えるべきことがあった。
――サンタはどこに帰るのか?
プレゼントをもって現れる以上、どこかに彼の戻る場所があるはずだった。それはどこなのか?
幻想郷の中は考えにくかった。文の知る限りで、サンタのような西洋趣味に関わる場所は紅魔館くらいだが、紅魔館にサンタクロースがいるとは考えられなかった。文は職業柄、紅魔館に足を運んだことはあったが、サンタクロースらしき気配を感じることは無かった。仮にサンタが紅魔館にいたとしても、館の主であるレミリア・スカーレットの性格上、周囲にサンタのことを自慢していたはずで、もちろんそのような形跡は無かった。
幻想郷の中ではないとすると、サンタの居場所は幻想郷の外となる。では、どこから幻想郷に入ってきたのか?
文の考えでは、サンタクロースは人に見つからないように行動をしている。とすれば、サンタクロースが通るのは最もサンタがいるのに相応しくない場所である。そして外から来る以上、幻想郷の境界に面している必要がある。つまり。
「……二つの条件を最も満たすところ。それはここ以外に無い」
射命丸文は博麗神社の鳥居の上に立っていた。
博麗神社は幻想郷の端に面している。またサンタクロースからすれば、神社は異教の建物だ。それに神社にはプレゼントをあげるべき子供もいない。だから博麗神社をサンタが通り過ぎるなど、誰も考えない。だからこそ文はサンタがここを通ると考えた。
文はふもとの様子を伺う。小高い山に立っている博麗神社から見ると、人間の里の明かりは豆粒のように小さい。その明かりのどれかより、サンタクロースが向かってこないか、文は今か今かと待ち構えた。
雪の勢いは次第に落ちてきて、雲の合間より漏れる月明かりが神社を照らす。
音も無い夜だった。博麗霊夢はすでに寝ているのか、神社には明かりは点いていない。聞こえるものは風の音だけだった。注意深く様子を伺いつつ、ふと文は思った。
本当にサンタクロースを追いかけて良いものだろうか?
サンタクロースの行為は誰にも迷惑をかけていない。むしろ里の者を喜ばせている。その正体を暴くことが本当に良いことなのだろうか。
文は唇をかんだ。柔らかな痛みを覚えつつ、文はうつむく。
もしかしたら正体を暴くだけでは、すまないかもしれない。そんな恐れが胸の内に染みのように広がってきた。
サンタクロースは見つからないように行動している。そのことを思うと、もしサンタクロースが見つかれば、彼自身が何か不利益を被るのかもしれない。ではサンタクロースにとっての不利益とは何か?
古来より『見てはならぬものを見てしまう』話は古今東西にあふれている。たいていの場合、見た者は相手の正体に気づき、結果としてお互いに不幸になってしまう。そして見られた者はどこかへ消えてしまう。
染みのように胸にこびりついた考えは、水の中にたらした絵の具のように、文の心の中に広がっていく。首を振るも嫌な想像は頭から決して離れない。
文は思ってしまった。もしサンタクロースを写真に収めたら、彼は消滅してしまうかもしれない、と。その考えを文は否定することができなかった。
そのとき、遠くから音が聞こえた。
顔を上げ辺りを耳をすますと、たしかに鈴の音がふもとの方から聞こえてきた。そして音はゆっくりと、けれど確実に大きくなってくる。つばを飲み込み文は空中に浮かび上がり、そして辺りを見回した。
博麗神社の雪の積もった石段の上を、大型のソリが浮かび上がり、鹿に引かれていくのが見えた。ソリの上には紅い太った人影がある。文の予想は確かに当たっていた。
文は咄嗟に人影の方にカメラを向ける。ピントを合わせつつ、いつかの問が頭をもたげた。
――なぜそこまでサンタクロースを追いかけるの?
サンタクロースは恐らく幻想郷には有益な存在だ。けれど射命丸文がカメラのボタンを押せば、サンタクロースは消えてしまうのかもしれない。しかしそれでも、サンタクロースを撮ろうとしている文がいた。
なぜ文は写真を撮るのか?
きっとそれは幻想郷のためでも、妖怪のためでもない。誰のためでもない。
脳裏にはたての言葉が蘇る。彼女は文のやっていることを無駄だと言った。だからはたても他の天狗も、サンタクロースを撮ろうとしなかった。
彼らは知ることを諦めていた。そして文は、知ることを諦められなかった。
幻想郷には不思議が溢れている。その全てをフィルムの中に入れることは、きっとできない。だけど諦めてしまったら先に進むことは出来ない。
たとえどのような結果が待っていたとしても、文は写真を撮り続ける。胸の内に広がる好奇心を、追い求めるために。
サンタの走りに合わせ、文はカメラを動かす。レンズの向こうに大きく髭を生やした赤ら顔の男がいた。男はこちらに気づいたのか、微かに目尻が下がった。文には、男が微笑んでいるように見えた。
射命丸文はシャッターを切った。
本に書かれたその一節を読んだとき、射命丸文は思わず笑ってしまった。外の世界で刊行されたらしいその小説は、ひょんなことから射命丸の手に渡った。なんということはない。森近霖之助に新聞代を集金したら、お代の代わりに書籍を渡されたわけだ。
外の世界の書籍だから人間の里に持っていけばそれなりの値で売れると思いつつ、気になったので開いてみたところ、書かれていたのは男と女の退屈なラブストーリだった。
それでも根気よく読み進めてみたものの、平凡で面白さに欠ける内容が続いており、半分も行かずに断念した。それにこんな本を渡されたということは、文々。新聞が平凡で面白さに欠けると言われているような気がして、無性に腹が立った。
結局、他の人に売る気にも慣れず、本は川の中に放り投げた。けれど本の中の、あの一節がどうしても文の頭を離れなかった。
「サンタクロースを何時まで信じていた?」
幻想郷ではそんな言葉は使われない。使うとしたらこうだ。
「サンタクロースを何時から信じていた?」
幻想郷にはサンタクロースはいなかった。少なくとも数年前までは。しかし最近になって、サンタクロースのことが里で噂されるようになった。
だから外の世界とは逆に、幻想郷ではサンタクロースが信じられるようになっていった。
サンタクロースは12月24日に現れ、幻想郷の空をソリに乗って巡っていく。そして家々を回ってこっそりと子どもたちにプレゼントを置いていった。子どもたちはプレゼントを喜び、親たちは子どもたちの笑顔に顔をほころばせていた。
しかしサンタクロースの姿をはっきりと見た者はいなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
昼過ぎから降り始めた雪は、夜になっても止むことは無く、幻想郷の空を白く染めていた。
地上では粒の大きいぼた雪も、空高く上がればチリのように粒が細かく、冷たくなる。空中には遮るものが無いため、風は猛烈な勢いで天を流れる。その流れに抗うように射命丸文は、一陣の風となり空を突き抜ける。その前方には黒い人影がある。
射命丸文はかじかんだ手でカメラを構え、息を吐く。
「……見つけましたよ。サンタクロース!」
空は雲に覆われ明かりはなく、周りは雪に包まれ視界は悪い。しかし射命丸の両目は確かに目の前のサンタクロースに向いていた。
文は空を蹴り、さらに速度を上げる。しかしサンタクロースには一向に近づかない。それどころか次第にサンタクロースの影は遠ざかっていく。
サンタクロースの速度は、天狗の全力を超えていた。
幻想郷で最速と呼ばれる天狗すら、サンタクロースは寄せ付けない。先ほどまで見えていた影は次第にぼやけ、遠くへ薄れていく。それでも文は空を走るのを止めなかった。懐のカメラを、何時でも出せるように手で押さえつつ前方をにらんだ。
なんとしてもサンタクロースを写真に収める。
文は心のなかで呟いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
サンタクロースを新聞に載せたい。
他の天狗にそういったとき、文は一笑にされた。なぜなら今まで誰もサンタクロースを写真に収めることができなかったから。
サンタクロースは神出鬼没で、行動に予測がつかなかった。もし見つけたとしても、天狗を超える足の速さで、カメラを構える前に空の彼方に消えていた。
「どうあがいてもサンタクロースに追いつくなんて無理ね!」
そう言ったのは姫海棠はたてだった。
「サンタは外の世界の軍隊が何十年も追いかけいるそうよ。でも追いつくことができなかった。だからあなたのやっていることは無駄よ」
そう言われてた文は、逆に闘志がわいてきた。誰もが諦めているからこそ、それをスクープにしたい。射命丸文は人知れず心に誓った。
12月に入った頃から、過去のサンタクロースの出現記録をまとめ始めた。幸いにも住民の目撃情報は以前の新聞に記載されているので、調べること事態はさして難しくはなかった。しかし年ごとにサンタクロースの現れる家がばらばらで、予測することは無理に近かった。それでも諦めず、サンタクロースへの糸口を求め、過去の新聞を読み返した。
サンタクロースを調べつつ、ふと射命丸文は疑問に思った。
――なぜそこまでサンタクロースを追いかけるの?
はっきりと答えられないまま、クリスマスが迫る焦燥感に追われ、射命丸は新聞を読み進めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
息を切らして文は、空の上で立ち止まった。
「……見失ったわ」
周りに広がるのは夜の闇ばかりで、サンタクロースの姿はどこか遠くへと消えていった。
以前の傾向から、どうにかサンタクロースの通り道を見つけたまでは良かったが、ついに姿を写真に収めることはできなかった。
足元に広がる人間の里は、家々の窓や戸から灯りは漏れるものの、降り続ける雪に遮られてほの暗い。すでにサンタクロースは、どこかの家に入っているのだろうか。
目を凝らしても見えるはずもなく、サンタクロースの姿は粉雪の彼方に消えた。
文は凍えた手に息を吹きかける。立ち止まったせいか、今更になって辺りの寒さが身に堪えた。
サンタがいる場所の手がかりは無く、仮にあったとしても追いつくことは出来ない。カメラを悠長に構えている間に、サンタクロースはどこか遠くへ行ってしまうだろう。
風はいよいよ強まり、白い吐息は雪と混ざって暗闇に消えていく。いくら天狗が空をとぶのが得意とはいえ、冬空の下を駆け抜けるのにも限度がある。射命丸の肌は雪に負けないほど白く、服には吹き付けられた雪が張り付いている。
諦めた方が良い。そう思うものの、未だに視線はサンタクロースの消えた方向を見ていた。
たとえ追いつくのは無理でも、何か手があるはずだ。
肩にまとわりついた雪を払いつつ、文は今までのサンタの行動を思い起こした。
「サンタは子どもたちにプレゼントを配る。けれど神出鬼没でどこに現れるかわからない。そして天狗よりはるかに早い」
だからサンタを記事にすることは誰にもできなかった。そこまで考え、文は眉を潜めた。
「なぜサンタは神出鬼没なの?」
子どもたちにプレゼントを配るだけなら不規則に民家に訪れる必要はない。むしろ法則に従って家々を回るほうが効率は良い。だからサンタの移動方法は文からすれば意味が分からない。
凍える手を息で温め、更に考えを進める。
もし乱雑な移動に意味があったとしたら? 文の口から言葉がこぼれた。
「ひょっとしたら、サンタは人に見つかりたくない?」
文は顔を上げた。今まで文は、サンタクロースが高速で神出鬼没だから見つからないと考えていた。しかし実際には、違っていたのではないか? サンタクロースは人に見つかりたくなく、だから高速かつ神出鬼没な能力を手に入れたのではないか?
「……そうか。考えが逆だったんだ」
文は目を見開いた。
天狗たちにとってサンタクロースとは謎の存在だった。たとえ見かけたとしても写真を撮影する前に消えてしまい、その正体はつかめず、その結果サンタクロースが何を考えているかも分からなかった。だから闇雲にサンタクロースを探そうとして、結局尻尾を捕まえることすらできなかった。しかしサンタクロースの今までの行動が『見つかりたくないため』だとしたら。
文は唾を飲み込んだ。
「もしそうなら、まだ手はある」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
射命丸文は、今までサンタの行く先だけを予想して網を張っていた。けれどそのほとんどが上手くいかなかった。しかし今にして思えば、サンタの行き先以外にも考えるべきことがあった。
――サンタはどこに帰るのか?
プレゼントをもって現れる以上、どこかに彼の戻る場所があるはずだった。それはどこなのか?
幻想郷の中は考えにくかった。文の知る限りで、サンタのような西洋趣味に関わる場所は紅魔館くらいだが、紅魔館にサンタクロースがいるとは考えられなかった。文は職業柄、紅魔館に足を運んだことはあったが、サンタクロースらしき気配を感じることは無かった。仮にサンタが紅魔館にいたとしても、館の主であるレミリア・スカーレットの性格上、周囲にサンタのことを自慢していたはずで、もちろんそのような形跡は無かった。
幻想郷の中ではないとすると、サンタの居場所は幻想郷の外となる。では、どこから幻想郷に入ってきたのか?
文の考えでは、サンタクロースは人に見つからないように行動をしている。とすれば、サンタクロースが通るのは最もサンタがいるのに相応しくない場所である。そして外から来る以上、幻想郷の境界に面している必要がある。つまり。
「……二つの条件を最も満たすところ。それはここ以外に無い」
射命丸文は博麗神社の鳥居の上に立っていた。
博麗神社は幻想郷の端に面している。またサンタクロースからすれば、神社は異教の建物だ。それに神社にはプレゼントをあげるべき子供もいない。だから博麗神社をサンタが通り過ぎるなど、誰も考えない。だからこそ文はサンタがここを通ると考えた。
文はふもとの様子を伺う。小高い山に立っている博麗神社から見ると、人間の里の明かりは豆粒のように小さい。その明かりのどれかより、サンタクロースが向かってこないか、文は今か今かと待ち構えた。
雪の勢いは次第に落ちてきて、雲の合間より漏れる月明かりが神社を照らす。
音も無い夜だった。博麗霊夢はすでに寝ているのか、神社には明かりは点いていない。聞こえるものは風の音だけだった。注意深く様子を伺いつつ、ふと文は思った。
本当にサンタクロースを追いかけて良いものだろうか?
サンタクロースの行為は誰にも迷惑をかけていない。むしろ里の者を喜ばせている。その正体を暴くことが本当に良いことなのだろうか。
文は唇をかんだ。柔らかな痛みを覚えつつ、文はうつむく。
もしかしたら正体を暴くだけでは、すまないかもしれない。そんな恐れが胸の内に染みのように広がってきた。
サンタクロースは見つからないように行動している。そのことを思うと、もしサンタクロースが見つかれば、彼自身が何か不利益を被るのかもしれない。ではサンタクロースにとっての不利益とは何か?
古来より『見てはならぬものを見てしまう』話は古今東西にあふれている。たいていの場合、見た者は相手の正体に気づき、結果としてお互いに不幸になってしまう。そして見られた者はどこかへ消えてしまう。
染みのように胸にこびりついた考えは、水の中にたらした絵の具のように、文の心の中に広がっていく。首を振るも嫌な想像は頭から決して離れない。
文は思ってしまった。もしサンタクロースを写真に収めたら、彼は消滅してしまうかもしれない、と。その考えを文は否定することができなかった。
そのとき、遠くから音が聞こえた。
顔を上げ辺りを耳をすますと、たしかに鈴の音がふもとの方から聞こえてきた。そして音はゆっくりと、けれど確実に大きくなってくる。つばを飲み込み文は空中に浮かび上がり、そして辺りを見回した。
博麗神社の雪の積もった石段の上を、大型のソリが浮かび上がり、鹿に引かれていくのが見えた。ソリの上には紅い太った人影がある。文の予想は確かに当たっていた。
文は咄嗟に人影の方にカメラを向ける。ピントを合わせつつ、いつかの問が頭をもたげた。
――なぜそこまでサンタクロースを追いかけるの?
サンタクロースは恐らく幻想郷には有益な存在だ。けれど射命丸文がカメラのボタンを押せば、サンタクロースは消えてしまうのかもしれない。しかしそれでも、サンタクロースを撮ろうとしている文がいた。
なぜ文は写真を撮るのか?
きっとそれは幻想郷のためでも、妖怪のためでもない。誰のためでもない。
脳裏にはたての言葉が蘇る。彼女は文のやっていることを無駄だと言った。だからはたても他の天狗も、サンタクロースを撮ろうとしなかった。
彼らは知ることを諦めていた。そして文は、知ることを諦められなかった。
幻想郷には不思議が溢れている。その全てをフィルムの中に入れることは、きっとできない。だけど諦めてしまったら先に進むことは出来ない。
たとえどのような結果が待っていたとしても、文は写真を撮り続ける。胸の内に広がる好奇心を、追い求めるために。
サンタの走りに合わせ、文はカメラを動かす。レンズの向こうに大きく髭を生やした赤ら顔の男がいた。男はこちらに気づいたのか、微かに目尻が下がった。文には、男が微笑んでいるように見えた。
射命丸文はシャッターを切った。
…投稿時間って意外とおざなりになりがちだよね
……ね?